6月ローシーズンパタヤへ2回の遠征

今年に入ってからは、バンコクでGoGoBarで飲む機会は徐々に少なくなっている。その代わりと言ってはなんだがパタヤに遠征してSoi6やツリータウンのバービア、そしてLKメトロやウオーキングストリートのGoGoBar、それからソイブーメランのOctopussy clubで遊ぶ方が楽しくなって来ている。

4月にもパタや遠征をしたが、5月の日本への一時帰国からタイに戻り、6月に速攻で2回のパタヤ遠征を計画した。1回目は、13日から15日の2泊3日、2回目は23日から25日の2泊3日。どちらもソイダイアナ(Soi13)、ソイハニー(Soi11)近くのパタヤセントラルセカンドロードに面したコンドを宿に選んだ。

遠征1回目のコンドは、比較的新しいEdge、部屋は12階とさほど高い階ではなく、眺望は期待できないが、昼間はカーテンを閉めて寝ているだろうから特に眺望は気にしない。遠征2回目のコンドは、パタヤセントラルの隣にあるView Talay 6にした。

遠征1階目のEdgeの部屋は、悪くはないが2泊であるのにバスタオルが2枚しかなく2泊目の差し替えもなかった。フェースたおるはなかった。さらにWiFiのルーターの故障により2泊目の午後3時以降にやっと修理が来て直りはしたが、ほぼ1日半はインターネットが使えなかった。テレビもインターネット経由なので、全く見ることができなかった。

遠征2階目のコンドは築年がかなり古いがレンタル管理会社の管理だったので、毎日の清掃がありバスタオルとプール用タオルの4枚が毎日入れ替えられる。こちらはフェースタオルもある。部屋に入ったときまずWiFiをチェックしたらこちらもインターネットの接続ができなかったがすぐに管理会社に電話するとすぐに再設定をしてくれてその後は快適にインターネットが唾がった。

1回目の遠征はバンコクの部屋を午前10:30に出てエカマイからロトゥでスクンビット通りのサウスパタヤ終点まで行き、そこからBoltを探して今度に向かった。ロトゥを降りたのは14時少し前で晴れていたのでかなり日差しがきつくジリジリ肌が焼けかなり熱い。Boltはなかなか見つからず20分は待った。やってきたBoltは荷台のあるカヴァと呼ばれるトラックタイプの車両だった。ロトゥの降車場所からセカンドロードまではそれなりに渋滞していて今度に着いたのは15時に近い時間だった。

早速チェックインを済ませ、部屋に入り16時には今度の前のセカンドロードからバイタクに乗りパタやセントラル通りとビーチロードの角にあるオザワラーメンで遅い昼食を取り、そこからまたバイタクでソイ6のバービアに向かった。ソイ6のバービアは早い店は正午から営業を始めているらしい。ぽんこつマンがたどり着いた17時ごろにはすでに全てのバーがオープンしていて通りにそれぞれのバーからの女の子が出てきてローシーズンで少なくなっている客を奪おうと声をかけてくる。中には腕に手を絡めて強引に店に引き込もうとする強者までいる。

ぽんこつマンは一応セカンドロード側からビーチロードまで歩きさらにセカンドロードまで戻る間に店を定める。このとき気にしていたのはFacebookで店の投稿があったFoxybarだったが、なんとなく前回行ったHelicopter barも覗いてみた。

Helicopter barの女の子は以前より増えてはいたが太めのブスな娘が目立った。Foxybarは、コロナ前には無かった新しいオーナーの店のようで小さなバーだがFacebookにあった写真ではかなり気になる娘もいる印象だった。店の前に着くとそいに面した一番前の席になかなかタイプの娘が座っていて軽く微笑んでくる。強引では無いところもぽんこつマンには好印象だった。

挨拶がわりにビールの値段を聞いて、その娘に店の中まで案内されお決まりのビアチャンを頼んだ。その娘にも1杯ドリンクを奢りいくつかの決まった会話を交わす。体の線は細いが胸はそこそこ膨らんでいていた。触ってみるとなんとなくシリコンを入れた感触だが、極端に大きなシリコンを入れていないところがぽんこつマンの好みにあった。この日は、夜になったらウォーキングストリートとLKメトロのGoGoBarを覗きに行こうと思っていたので2時間半ほどFoxybarでビアチャンを飲み店を後にした。

ビーチロードでソンテウを拾いウォーキングストリートまで10バーツで移動する。パタヤは巡回ソンテウが移動にとても安く便利だ。ストリートの入り口に着いたのはまだ午後8時前で、どのGoGobarもネオンはついているがまだ開店前のようだ。

ストリートを奥へと歩み進んでペパーミントまで来た時にはもうすぐ午後8時という時刻になっていて、店の前に行くとガードナーが時計を見て、店に1番目の客として案内してくれた。GoGo嬢はまだそこまで揃っていないが席についてしばらくすると店内にアナウンスがあり嬢達がステージに上がり踊り始める。

ぽんこつマンはここでもビアチャンを注文する。もうすでに7〜8本は飲んでいるが、熱いパタヤの海風に吹かれているうちに酔いはすぐに引いていくのだ。ステージの上の女の子はかもなく不可もなくの感じだったが、サービスの可愛い顔をした女の子が目に止まった。彼女を席の前に呼び、ドリンクをご馳走して幾つかの話をした。LINEを交換して次は開店前にご飯でも食べようと伝えた。そして会計後店を出て、バカラ、PIN UP、XSと回った。

しかしハートを射抜かれるほどの好みのタイプに合うことはなかった。ストリートの入り口に戻りまたソンテウに乗りソイダイアナの入り口まで行き、そこからLKメトロのGoGoBarへ向かった。

噂では最近はLKメトロのGoGobarもかなり勢いがあるとのことだったので期待していたが数軒入ってみたものの期待するほどの事はなかった。ぽんこつマンは4月に訪れたOctopussy clubのあるそいブーメランにも言ってみたが、以前そこでお気に入りになった嬢には会えなかった。

すでにこれまで飲んだビアチャンは1ダースをはるかに超えていた。この日は少し早めに宿に戻り眠りにつく事にした。

2日目は、コンドの部屋のWiFiの修理が午後3時にくるという事を朝確認して午前11時に昼飯を食べに出かけた。最初はガパオライスを食べようと思ったが歩いているうちにエキサイト広場にある林虎のラーメンが食べたくなり足を伸ばした。林虎のラーメンはタイでは珍しく火傷するくらい熱々のスープでラーメンが食べられる。スープはもちろん美味いが麺もかなりもっちりしていて噛みごたえもあり美味いのだ。

ラーメンを食べ終えて冷房のよく聞いた店を一歩外へ出ると6月という雨季にも関わらずよく晴れた正午過ぎの茹だる暑さにうんざりする。午後3時にWiFiの修理に人が来ないならプールでのんびりしてサウナに入り整えることもできたが、今回はそれも叶わなそうなので部屋にとりあえず戻り暑さを凌いだ。

午後3時にくるはずの修理が来ない。部屋のオーナーから修理人が今度のロビーに着いたと連絡があったのは午後4時前、修理人を迎えに降り修理が終わったのは午後4時半。やっとWiFiが使えるようになった。そのまま部屋でインターネットで幾つかの調べ物を済ませて外に出たのは午後6時過ぎ。向かった先はツリータウン。そこでガパオライスを食べて、Aqua Anikiの店に行く。何本かビールを飲み女の子にドリンクをご馳走しているうちにどうしてもポン酢でムーガタを食べたくなり注文する。

夜10時くらいに昨日行ったSoi6のFoxybarの女の子からLINEが入ったので、Aqua Anikino店の会計を済ませてバイタクでSoi6に向かう。Foxybarについて昨日仲良くなった娘と再会しまたビアチャンを飲む。この日はもうひとりぽっちゃり姫だが顔がそこそこ可愛い娘にもドリンクをご馳走してゲームで店が跳ねるまで遊んだ。12時に店が跳ねたらその後ウォーキングストリートのクラブへ行くという話がまとまったのだ。

一緒に飲んでいた娘ふたりとは別にもうひとり一緒にクラブに行くことになり、合わせて4人でソンテウに乗りウォーキングストリートの入り口まで行く。そこからおくに歩いて向かったクラブはClub Panda。

すでにFoxybarの女の子の友達がテーブルを確保していてそこに合流する。クラブの中は超満員状態、大音響、すでに乱れ踊る娘、酔っ払って男に絡みつく女の姿有りのらんちき状態。

クラブに入ったのは深夜0時30分くらいだがこの日は平日なのか午前3時には閉店となり全員が店の外に出される。

ぽんこつマンは、一番最初にFoxyclubで知り合った嬢を宿に連れ込んで、その晩はたっぷりお互いのカラダを確かめ合った。彼女の秘部はぽんこつマンの肉棒と実に相性が良かった。ゆっくりと押し入れると彼女の肉襞がピッタリとまとわりついてくる。そして奥の天井が下に降りてきてぽんこつマンの亀頭にしっかりと届く。彼女はぽんこつマンにゴムの装着を一切望まなかった。ただ、中で覇者はしないでとだけ伝えただけだった。彼女は自分の年齢を30と言っていたが、ぽんこつマンにはもう少し上に思えたのは彼女がかなりの床好きだということが感じられたからだ。彼女の筒の入口はしばらくするうちに締まり始めぽんこつマンの肉茎に快感が走る。彼女も体をくねらせてカラダに走る快感に悦を漏らしていた。そしてチェックアウトが迫る午前11時頃までの数時間ふたりは眠りについた。ぽんこつマンが先に目覚め、彼女を起こす。そしてまた再びお互いのカラダを合わせて激しく求め合った。

彼女が部屋を後にしたのは正午ちょっと前、ぽんこつマンがチェックアウトの準備をする少し前にオーナーからの電話が鳴る。ぽんこつマンは少し慌てて荷物をまとめ部屋を後にしようとした時に、オーナーと部屋の掃除を任されているらしい白人女性が部屋のドアをノックする。少し忙しなさすぎると思うが、午後2時には次の客を部屋に入れるためにはかなりギリなのかもしれないと理解し、部屋を明け渡した。

ぽんこつマンがパタヤを後にしバンコクに戻って数日後に彼女からLINEで「今バンコクに来ている」と連絡が来た。そして彼女はぽんこつマンのバンコクの部屋を尋ねてきた。そしてふたりは再び激しくカラダを求め合った。彼女はパタヤの店の上でいつも寝泊まりしているという。ぽんこつマンが店が跳ねてから泊まりに行っていいかと聞いてみたら、店が開くまでに出て行けるようならいいと言っていた気がしたが、「Go UP midnight till the morning」果たしてそんなことができるのだろうか?

2回目のパタヤ遠征は、バンコクの部屋を正午に出てエカマイのバスターミナルからノースパタヤのバスターミナルまでのバスに乗って出かけた。ノースパタヤのバスターミナルに着いてBoltを呼んでみた。Boltはターミナルの中には入りずらいという話を聞いていたのでちょっと心配だったが、バスが入ってくる入り口と同じ場所から入って来て、そこでぽんこつマンを乗せて入って来たところから出て行きセカンドロードのView talay 6まで送り届けてもらった。

View talay 6の部屋はレンタル管理会社が管理していてそのオフィスに行ってチェックインし部屋の鍵をもらうシステムだ。オフィスには長期賃貸や売コンドなどの物件案内がずらりある。少しみてはみたが値段はかなり高額なものが多く、買うなら新築を買うのが良いとすら思えるくらいだった。

部屋に到着して着替えを出しシャワーを浴びたらすでに夕方5時を回っていた。今回はツリータウンのAqua Aniki Pattayaでゆっくりしようと考えていたので出発も少しのんびりしていた。Veiw talay 6の部屋を出てソイハニーを抜けてまずはRコンのバービア街を覗きに行ってみる。バービアは相手はいるがほぼ客はいない。Happy hourの時間にもなっていないらしく、どこのバーにも入る気がしなかった。

Twitterなどで日本人好みの女の子がいると噂になっていたOh .. Barにも女の子はほんの2〜3人くらいしか見当たらず客はゼロ。やはり早い時間はこのシーズンは厳しそうだ。Aqua Aniki Pattayaの開店時間は午後6時だから、もうすぐ回転する時刻だ。

ぽんこつマンはRコンのバービアでの女の子探しは今回は諦めることにしてツリータウンに足を向けAqua Aniki Pattayaに進んだ。店は空いていたがオーナーの姿はない。女の子の数も揃っていない。まずはソファーの席にひとり座り、ビアチャンを頼んだ。

ここはパタヤにくれば必ず立ち寄るバーだが、いつもひとりで来る。席でビアチャンを飲んでいる時、youTubeのAniki Pattaya チャンネルで団地妻Bとして紹介されていただろう女の子が隣にやって来た。いっぱい彼女にご馳走して話をしていたら、レディドリンクを何倍ももらうより、実はチップをもらう方が嬉しいと漏らす。それはそうだろうが、一応客に向かってそんなことを直接いうのはいかがなものかとちょっと思った。

ここのバーではしばしばムーガタを注文する。この日もポン酢でのムーガタが食べたくなり注文した。ムーガタは屋外のテーブルで用意してもらうが、すでにソファーの席にいてゲームをやって遊んでいた何人かの女の子と一緒に食べることにする。外のテーブルでもゲームの続きをする。1000バーツを100バーツと50バーツ、20バーツに崩してもらってゲームの勝者にチップを渡して楽しんでいた。1位100バーツ、2位50バーツ、3位20バーツ、4位以下チップ無し。2〜3000バーツくらいはチップを渡した気がするが、中には100バーツしかもらえなかったと嘆く女の子もいたし、総額1000バーツに近い金額を手にした女の子もいて結構楽しませてもらった。

ぽんこつマンは結局開店時から午前1時までの閉店までその日はAqua Aniki Pattaya niいてかなり酔っ払った。宿まではどうやって帰ったかをはっきりとは覚えていないくらい酩酊していたと思う。

朝起きたらベッドに女の子が寝ていてどうやら昨晩その子を拾って部屋に戻ったらしいことがわかった。起きたのは午前11時ごろだったが水を何度も飲んだが二日酔いが覚める事がなかった。夕方5時までただひたすら水を飲むだけで全く食欲が湧かなかった。

なんとか起きて昨晩Aqua Aniki Pattayaの女の子にカレーが美味しいから食べに来てと言われていた事を思い出し、なんとかその女の子の勧めに従うべくもう一度Aqua Aniki Pattayaに向かった。そしてビアチャンとカレーを注文したが、体調はその時点でも回復せず、早く部屋に戻ってカラダを休めることにした。

こうして2回目のパタヤ遠征はなんとなく中途半端に終わったのだったが、何人もの女の子と出会いそのうちの数人とカラダの関係を持ち、そしてできればまた逢いたいと思う女の子を見つける事ができたことが、ぽんこつマンをパタヤに向かわせる原動力になっているのだろう。

パタヤは今、ぽんこつマンにとって本当の意味で天使が集まる街に思えてならない。タイトいう国は地球上の楽園の一つには違いないだろうがその国にあってパタヤという街は最も献身的なイサーンの女性たちの癒しと開放的な海といった地勢にも恵まれた、男にとって身を鎮める地球上最後の天国なのかもしれない。

スクンビットソイ7のバービアで見つけたエロい彼女にメロメロナイト

ずいぶん前からバンコクエロ系ユーチューバーが興味深い投稿をあげているスクンビットソイ7エリアのバービアに行ってみたいと思っていたが、スクンビットソイ4のバービアは朝から空いていてもスクンビットソイ7のバービアは回転が遅いと聞いていたので、なかなか足が向かなかった。

2021年3月にバンコクに戻って来たからにはと意を決して12日の金曜日午後6時に行ってみた。スクンビットソイ7の入り口から通りに沿って4軒のバーが見える。2軒目と3軒目の間に通路があり奥にもバービアが見える。

昼間はシャッターをおろしているが夕方5時くらいから営業の準備が始まるようだった。ぽんこつマンは3軒目のRumours Barの中からおいでおいでされて近づいていった時、奥へ通じる通路の傍にあるテーブルに通路に背を向けて座っている女の子がぽんこつマンの気配に気がついて振り返った時の彼女の愛らしい顔立ちに一目惚れしてしまった。彼女はもうすでに他界し竹内結子をふっくらとさせた感じの女の子だった。

そして、エアコンが効いているからと誘われるままにさらに奥にある4軒目のLucky Barに入ってその一目惚れした彼女と飲み始める事になった。 Rumours BarとLucky Barはどうも経営者が同じようで、そこで働いている女の子たちはどちらの店にも移動可能なようだった。

初日は、ハイテーブルで彼女とは対面でビアチャンを飲み始めたが、彼女にも一杯奢ってから、彼女とゲームをしている間にその店にいたほとんどの女の子にご馳走する事になった。

4目並べはなんとか一目惚れの彼女には数回勝てたもののLadyboyのママには全く勝ち目がなかった。サイコロゲームは運が全てなので全ての数字が開くことはほとんどなかった。その度に、誰かが「一杯いい?」と言ってくるのでご馳走していたのだった。レディースドリンクは210バーツ、ぽんこつマンのビアチャンは110バーツだったが、次第に女の子がテキーラをねだるようになる。テキーラは250バーツだそうで4人にご馳走すれば一瞬で1000バーツが羽を広げて飛んでいく。

酔った勢いでビリヤードでも遊んでみたが、やはり長い間遊んでいなかったのでキューの運びがまっすぐ思い通りに突けず、比較的容易なショットも失敗する。

ビリヤードも飽きて来た頃、ソファーの客が帰ったのでソファーに移動して、また飲んだ。ソファーではその一目惚れした彼女と抱き合ったり、ディープキスしたり、おっぱいの乳首をいじったりして彼女を口説いていた。結果的に6時に店に入り、店のカーテンを閉める午前2時近くまで8時間近くその店にいた。会計を頼むと4000バーツを超えていたがその日のレディースドリンクを考えるとそんなものかという金額だった。

そして、帰り際にまた会いたい、彼女の部屋に行きたいと告げたら明日は夕方5時には店に来る、ペイバー代は700バーツでペイバーすれば一緒に過ごせると耳打ちして来たのでぽんこつマンはすっかりその気になった。

翌日は、お昼くらいに今度で使う小物を探しにエカマイのGatewayに入っているHome Proに行った。その帰りにその晩の軍資金を引き出そうとタイの銀行のキャッシュカードを探したら、なんということか無くなっている。そこでその銀行のカスタマーセンターに連絡して新しくキャッシュカードを発行する手続きを確認した。

どうも昨日BTSno駅構内にあるATMで現金引き出しをした際、カードを抜き取るのをうっかり忘れたという事に気がついた。タイのATMは現金が先に出て、それからカードがギリギリつまみだせる程度だけ出てくるが日本のATMのようにすぐに出てこないので、どうしても抜き取り忘れて、ATMに吸われてしまうことがよくあるので、注意が必要だ。

タイの銀行は主要デパートには必ずあってそこは土日も営業しているので、もしタイの銀行に口座を作るならデパートの中の支店で口座開設することをお勧めする。ぽんこつマンも日本から自分のタイの銀行口座に送金してタイでの生活費・遊興費に充てていて、その口座はバンコクにある支店での開設と生活のベースになっているチェンマイの支店で開設した口座を利用している。タイでは県を跨いでATMから現金引き出しをすると手数料を取られるケースがあるので生活する拠点ごとに口座を開いておければ安心だ。

結局バンコクで解説したデパート内の支店までパスポートを持って行き、100バーツの手数料を払ってキャッシュカードを再発行できた。もちろん以前のカードはすでにブロックがかかっているので誰かが抜き取っていたとしても、現金を引き出すことはできなくなっているはずだ。そもそもそんなにたくさんの現金をタイの銀行に置いていないのだが……。

新しいキャッシュカードで現金を引き出した時にはすでに時刻は午後3時を回っていた。昨日一目惚れの彼女に出会ったバーにはまだ早いが、一旦部屋に戻ってまた出かけるのも面倒なので、まずはスクンビットソイ4にあるバービアで軽く1杯やってからスクンビットソイ7のLucky Barに行く事にした。MRTでRama9 からスクンビットまで2駅、そこでBTSアソークに行きNANA駅まで一駅移動して歩いてスクンビットソイ4のバービアに着いた。

スクンビットソイ4のバービアは土曜日だけあってファランで賑わっていた。知り合いになっていた女の子がすぐにぽんこつマンに気付いてテーブルに寄ってくる。ビアチャンを1本頼んで女の子にも1杯ご馳走した。しばらくおとなしく時間を過ごして5時になるのを待った。

そして5時になったのを確認してスクンビットソイ4を出てスクンビットソイ7に向かった。Lucky Barには5時15分に着いた。一目惚れした彼女は真っ新のアディダスを履いていた。ドレスは相変わらずデコルテを綺麗に見せるオフショルダーワンピースを着ていたが、今日も化粧はほぼなくリップを薄っすらつけている程度で愛おしくさえ思える。

まだ早い時間のようで店の中には洗濯したタオルや床掃除の用具が残された状態であったが、ぽんこつマンがその日は最初の客のようでまずソファー席に案内された。昨日同様ビアチャンを頼む。彼女にはウイスキーソーダ。昨日聞いていたペイバーの話をしてみたら、なんと今日は土曜日で夜9時ごろから客が溢れるのでペイバーできないとオーナーに釘を刺されたと言ってきた。確かに、若い女の子は彼女ともう一人くらいであとはかなりの年齢の女性が多い。70歳を過ぎたようなファランの客には30オーバーの女性でも問題ないのだろうが、もう少し若い客はやはりより若くて綺麗な女を好むと納得する。

午後7時を過ぎた頃におかまのママが出勤して来て昨日と同様にソファー席にやってきてゲームをしようと言ってくる。ぽんこつマンはもうゲームに飽きていたので一回だけ付き合ってお酒を奢り、あとは一目惚れした女の子といちゃついて時間を過ごした。昨日にも増して女の子が飲むペースが早いので一旦チェックしてみたら、すでに5000バーツ近くになっていて、このままだと一晩で10000バーツもあっという間だと思い、一旦精算して、エアコンのない方のRum Ours Bar のカウンターに席を変えて飲み直す事にした。ビールは4本しか飲んでいないのに女の子が勝手につけたテキーラやウイスキーソーダのシートが筒にいっぱいになっていたのも事実だが、果たして女の子がそんなに飲んだのかとはなかなか信じられなかった。

席を変えて飲み直した時、ぽんこつマンはビールをジントニックに変えて数杯飲んだ。おかまのままと一目惚れの彼女がぽんこつマンのそばに付く。何人かの女の子も酒を強請って来たのでご馳走したが記憶にある限りおかまのママと一目惚れの彼女にテキーラを1杯ずつ、あとはカウンターの中にいた女性とママと彼女にウイスキーソーダを1杯ずつだと思ったが改めてチェックを頼んだら2980と言ってきた。250バーツのテキーラを概ね12杯飲んだくらいになっている。ちょっとおかしいと思ったが、もう少し一目惚れの彼女と一緒にいたかった。その時ママがビールを1本ご馳走すると言って来たのでありがたく頂いたが、それを飲んで彼女とママにも1杯ずつ飲ませたてぽんこつマンがさらにジントニックを頼んだで再度チェックと言ったら4500バーツくらいになっていて、これはぼったくられていると感じたので、すぐに精算して帰宅する事にした。23時だった。

多分筒にいれる伝票を何枚か重ねて筒に突っ込んでいるのだろうと思われるが確信がないので文句を言わず支払った。カードで精算したら5%のチャージもついてやがて4800バーツくらいになっていた。次回来るときはキャッシュオンデリバリーで酒が来たら現金で払おうと心に決めた。

明らかにスクンビットソイ7に来る客はソイ4に比べて少なく、コロナの影響で観光客もほぼいない状況が、一人の客からなんとか水揚げをあげるべくキャッシャーのオーナーが意図的に伝票割増を支持しているのだろうと思った。

一週間経って改めてLucky Barに出かけた時は、2000バーツと決めてキャッシュオンデリバリーで飲んだ。この方がぼったくりに会う事はない。しかしぽんこつマンのようにぼったくられたと感じた客が改めて何度も足を運ぶ価値をそこに認めないとすれば、現在の悪循環はもっとエスカレートすると感じた。

ソイカウボーイ、バカラの2Fからペイバーした娘と久しぶりにLINEしたら

2018年の後半だったろうか、今はあまりはっきり覚えていないが長い間遠ざかっていたソイカウボーイのバカラに行った。時間は22時を回っていて1階は既に満席でいつもぽんこつマンが座るところも空きが出る気配がなかった。店の案内係から上へのサインが出たので2階に上がった。

2階に上がって奥の方のステージ周りの席に空きが1つあり、そこに座る事ができた。2階はトップレスでのステージが頻繁にある。ゴーゴー嬢の衣装はノーパンミニスカートとセーラー服で、いい時間になるとトップレスになってのステージが多くなる。

ぽんこつマンはいつものようにジントニックを注文する。ぽんこつマンはトップレスのダンスにはあまり興味があるわけではなく、スタイルが良くて可愛い女の子をいつも探している。

トップレスのステージが終わって女の子が入れ替わる。一瞬ステージがガラリとする瞬間がありそこに徐々に次のステージに休憩していた女の子が上がってくる。突然3人目くらいに上がってきた女の子と目が合った。身長は高くないが、お尻のハリも胸の膨らみもバランスの良い娘だった。

彼女は、ぽんこつマンが彼女を見つめていることに気づき、軽くウィンクを送ってきた。ぽんこつマンはそのウィンクに応えるように彼女に手でこちらに来るように合図した。彼女はそれに直ぐ気づき、ぽんこつマンの席にやってきた。ちょうどぽんこつマンの隣の席の客が帰って行ったのでその空いた席に彼女が座った。

少し褐色の肌、キリッとした目の印象、はに噛む笑顔がなんとも愛くるしい。名前と年齢をお決まりで聞いて見た。彼女は素直にその質問に答える。出身は多分イサーンだと思ったがあえて聞かなかった。

彼女にドリンクをご馳走し、しばらくたわいもないことを話した。彼女とはぽんこつマンが覚えたタイ語で会話して見た。なんとか話が通じていると思った。やがてまたステージがチェンジになり女の子たちが入れ替わる。

ぽんこつマンのジントニックが無くなったので、彼女のドリンクとぽんこつマンのジントニックを追加注文した。彼女が「コップンカー」と礼を言う。ぽんこつマンは彼女がスカートの裾を気にしたり、笑うときに軽く手を口に当てたりするちょっとした仕草にどんどん引き込まれていく。

新しいドリンクが来て改めて乾杯をする。ぽんこつマンは既に彼女とふたりの時間を過ごしたいと思い始めていた。時間が流れDJのコールがあり、またステージの女の子の入れ替えの時間になった。ぽんこつマンは彼女をステージに送りたくなかったので、ペイバーすることにしてさらにもう1杯のドリンクを注文した。

ソイカウボーイのゴーゴーバーからのペイバーはロングが基本のぽんこつマンだったが、その子はショートのみと言うのでショートのペイパー代を合わせて会計をした。

彼女は私服に着替えて戻ってくる。ドリンクを飲み切ってふたりはバカラを後にする。彼女が、ぽんこつマンを連れてソイカウボーイにある、ショートタイム用の部屋のある店に入る。その時の部屋代は500バーツ、1時間足らずの時間にしては決して安くはない。

階段を上がって部屋に入る。そこにはクイーンサイズのベッドがあるだけで、奥にシャワーブースとトイレ・洗面のみ。彼女は何も言わず服を脱ぎ始める。ぽんこつマンもそれに釣られて服を脱ぐ。シャワーブースは大きくないので、一緒に身体を洗う事はできない。ぽんこつマンが先にシャワーを浴び、彼女を待つことになる。彼女も簡単に、体の汗を流し、秘部をボディーソープで洗ってバスタオルを巻いてベッドに戻って来る。そして恥じらいの表情を浮かべてゆっくりぽんこつマンの隣に横になった。

ぽんこつマンは、彼女の目を覗き込んだ。綺麗な目だったが、なぜか少し悲しそうにも見えた。憂いを感じる彼女の表情は、ぽんこつマンをまたキュンとさせる。ぽんこつマンは彼女をそっと抱きしめた。

形のいい胸の膨らみがぽんこつマンの胸にあたる。彼女は脚をぽんこつマンの足に絡めてくる。ぽんこつマンは彼女の額に軽いキスをする。そして、頬と耳たぶにもキスをする。彼女の腕がぽんこつマンの身体を強く抱きしめた。

ぽんこつマンは彼女の背中に当てていた右手を彼女のお尻まで降ろして、静かに彼女の秘部を探した。彼女の身長は150cmないくらいで小さく、ぽんこつマンの右手は簡単に彼女の秘部に届いた。

抱き合ったまま、彼女の秘部の大陰唇を右手の中指で摩った。大陰唇の上のほうにあるクリトリスはまだ皮を被っていたようだが、そこを中指の腹で柔らかくグラインドすると彼女は淡い吐息を漏らした。

ぽんこつマンは、彼女を抱き寄せていた左手を彼女の身体の下から抜いて彼女を仰向けにし、胸元で留めているバスタオルを解いた。彼女の胸にある美しい形の乳房と乳首が姿を現した。直径3cmもないほどの乳輪と1cmもない乳首が20を過ぎていると言う彼女に少女の印象を強く匂わせた。

ぽんこつマンは、その少女のような彼女の乳房に左手を充て、軽く揉んでみる。シリコンではない生乳の弾力だった。彼女の右の乳首にぽんこつマンが口付けした時に、彼女は再び淡い喘ぎ声をあげた。彼女の秘部は、少しづつ潤いを増しているようだった。

ぽんこつマンの逸物は、彼女の体が挿入の準備ができていく感覚にどんどん硬直化していくのを覚えた。彼女はぽんこつマンの肉棒の硬直を確認したが、コンドームの装着をするために動こうとはしていなかった。しかしぽんこつマンは、少し悲しそうな憂いを帯びた表情を見ていて、彼女を不安にさせるのは良くないと思い、「Au yaan chai mai?」(ゴムいるんだよね?)と聞いたら軽くうなずいたので、ぽんこつマンはあらかじめ用意していたコンドームを装着した。

それからふたりは重なり、恋人のような熱い時間を過ごした。◯ックスを終えたふたりは静かにシャワーを浴び、脱いだ服を着た。彼女は、ぽんこつマンにLINE IDの二次元バーコードを提示した。ぽんこつマンは彼女のLINE IDのバーコードをスキャンし、彼女にぽんこつマンのLINE IDの二次元バーコードを提示した。そしてふたりはその部屋を出て彼女はまたバカラに向かう道を進み、ぽんこつマンはそれとは反対側に進み、ラチャダーピセーク通りとの角にあるガイトートの屋台でドラムスティック2本を買い、アソークの交差点まで行きタクシーを拾って部屋に戻った。

その日から彼女とのLINE交換は続いた。数日して彼女から唐突なメッセージが届いた。それはバカラをやめたと言うことと、しばらくシンガポールに行くと言うものだった。ぽんこつマンは彼女がシンガポールに行くと言うことは出稼ぎだと想像した。そして彼女が出国する前にもう一度会いたいと思ったが、その連絡をくれたのが彼女のイサーンの実家からだったので、会うことは叶わなかった。

そして彼女からのLINEメッセージは来なくなった。何度かぽんこつマンからも送って見たが返信がなくなっていた。しかしぽんこつマンはLINE友達から彼女を外さなかった。それは彼女のことがなんとなく気になっていたからだ。

2年経過した今年の7月に久しぶりに彼女のLINEアカウントを見たらアイコンが変わっていて、写真・動画のタグに新築中の家の写真と赤ん坊の写真がアップされていた。アカウントがアクティブなので、スタンプを送って見た。1日経過して彼女からスタンプ返信があった。

最初は、たまにスタンプ返信が返ってくるだけであったが、徐々に彼女からのメッセージも増えて来た。7月の段階ではバンコクにいたと言うこと。赤ん坊は女の子で、タイの男との間に出来た子供で1歳と言うこと。タイの男は子供ができたと知って逃げてしまったこと。バンコクでは働く場所を探すことが出来なくなり、今は田舎に戻っていること。秘密に満ちた少女のようなイサーン女のジグソーパズルのピースが少しづつ繋がって行く。

今日「今度ぽんこつマンがタイに行ったら会えるか?」と聞いたら「OK」と短く返って来た。Twitterである人物が、バンコクポストの記事に、10月1日からタイが受け入れる最長270日の特別ツーリストVISAの300人が14日間のASQ(自費負担の隔離ホテル)での2回のPCR検査で全員陰性が確認できれば、隔離期間を11月1日から1っ習慣にすると言う方針があることを報じたという情報をアップしていた。

彼女の実家があるサコンナコン県には空港があり、ノックエアは破綻してしまったが今も一日3便飛んでいるようでAIR ASIAのフライトも1便あるようだ。彼女がまたバンコクに出て来れるならバンコクで会えるし、ぽんこつマンが彼女の住む県に遊びに行くのもいいかもしれない。イサーン料理は特に好きではないが、ガイトートやガイヤーンはうまいと思うから3つ星ホテルがあれば問題はないだろう。今は1日も早く、タイへの入国が通常に戻ることを望まずにはいられない。

4度目のホーチミン ①ステーキとガールズバー

2019年10月下旬、ぽんこつマンはタイへの渡航の経由地として4度目のホーチミン訪問をした。これはタイでの滞在が長期になることが当たり前になったこと、数ヶ月先の日本への一時帰国のスケジュールを固定しづらいことなどの理由から片道ずつの予約が安価で容易にできるLCCを組み合わせることで渡航の自由度がグッと高まるからだった。

フライトは関西発09:30ホーチミン 着15:00予定のヴェトジェットVJ 829便。いつものように前日大阪で宿泊し、朝の07:00難波発ラピートα3号で関西空港へ向かう。JR西日本のはるかや関西空港快速ではなく南海を使う理由は、南海鉄道倶楽部(https://www.club-nankai.jp/traffic/ticketless/index.html)に登録すれば普通席料金でスーパーシートの座席を予約しチケットレスで乗車でき、便利だったからだ。

この回の大阪での宿泊先は、難波駅に歩いて行けるホテルイルクオーレなんば

日本への一時帰国でタイとベトナムに持っていくものを大量に買い込んでいた。ヴェトジェットで購入した荷物の重量が20Kgだったのでベトナムへの荷物をタイ行きと分け直す必要があり荷物の重さを量るはかりを借り、土産用のお菓子を詰める手提げ袋などもホテルから頂いた。ホテルの皆さんはとても親切だった。

ヴェトジェットはこの数年で何度も乗っている。キャビンクルーのユニフォームがちょっと変わっていて、ぽんこつマンが幼い頃よくテレビで見ていた人形SF劇「サンダーバード」の制服に近いものを感じる。

ヴェトジェットには本家ベトナムとタイ・ヴェトジェットがあるがユニホームは共通のようだ。キャビンアテンダントはほとんどが2社の本国採用が多いようだが、身長もそれほど高くなく、主要航空会社に有りがちなハイソですました印象は薄く、隣のお姉さん的というか、エロビデオの素人シリーズに出てくるような売れていないAV女優的雰囲気を持っているとぽんこつマンは感じている。

ホーチミン に到着してまずはホテルにチェックインする。今回のホテルはソフィアホテル

レタントン通りの日本人街に近く、ホテル前のタイバンルング通りとレタントン通りの交差点にスポーツバー、一風堂(ラーメン)、Butcher MANZO & Craft beer(ステーキハウス)があった。

ホーチミン 1泊目の夜は、これもTinder で知り合った日本人街にあるガールズバーの女の子と初めてのオフラインデート。ぽんこつマンはホーチミン でのステーキを味わってみたくてソフィアホテルを予約したのだった。

夕方17:30 ホテルロビーで彼女と待ち合わせ。彼女はスマホで写真を見ただけでリアルに会うのはこれが初めてだった。ぽんこつマンはホテルチェックインの後すぐにシャワーを浴びてホーチミン 仕様のショートパンツと半袖シャツに着替えて彼女との待ち合わせ時刻を待った。そして待ち合わせ時刻の10分前にロビーに降りた。

彼女は時間通りにホテルのロビーに姿を現した。写真で見るより少しふっくらとした印象だったが、人見知りするのか少し恥じらう姿がまた可愛い。簡単に挨拶を済ませ、どこに食事に行きたいか尋ねた。彼女はぽんこつマンの行きたいところに任せるという。そこで、一緒にホテルの外へ出てButcher MANZO & Craft beer(http://butcher-manzo.com/ja/)に向かった。

注文したのはシラーを主体にしたのは、シーザーサラダ、エビのアヒージョ、そして店の看板メニューTOMAHALK BEEF STEAK (DRY AGED)、さらにサイドオーダーでフレンチフライとフライドオニオン、それにシラーを主体とした赤ワイン。1本では足らずもう1本を後からさらにオーダーした。

DRY AGED のトマホークステーキはかなりのボリュームがあった。味は日本の黒毛和種の霜降り牛とは異なり、いかにも「肉」を主張する強い味わいがあった。彼女は可愛い顔をしているがお酒はかなり強いらしく、ハイピッチでワインを飲んで行く。ぽんこつマンは2本目の半ばを過ぎたあたりでかなり酔っていると感じたが、その時でも彼女は全く平気に見えた。

店に入ったのは17:45、店を出たのは20:15。その後は彼女が働いているガールズバーへ向かった。そこは初めて彼女とTinder で知り合った時に聞いていた店ではなく、その店から数軒離れた別の名前の店だった。

まだ店は開けたばかりらしく、客はぽんこつマンひとりだけ、女の子も彼女の他に、店の鍵を開けたであろう別の一人だけしかいなかった。ぽんこつマンはジントニックを頼む。彼女はハイボール。彼女のハイボールを煽るピッチがやけに速いので驚いた。ぽんこつマンがジントニックを1杯空ける間に彼女は既に3杯目を作っていた。女の子の店からもらう給金は飲んだ杯数に比例するんだろうと思ったが、それにしてもあまりにも速い。これではいずれ酔っ払って歩けなくなると思った。

その店には1時間ほどいたが、ぽんこつマンがその店を出ようとした時には彼女はソファーに横になっていた。酔い潰れてしまったということだった。ぽっんこつマンは帰り際、彼女に明日はどうしているかを尋ねた。すると彼女は「明日は朝早く田舎に帰る。」「父親が少し具合が良くなく、母親と交代で面倒を見る必要がある。」と言ってきた。要するに明日は都合がつかないということのようだったので、「じゃ、次に会えるとしたらだいぶ先かな」と言って店を出た。

その晩はそれから、もう2軒違うガールズバーを尋ねた。それぞれの店にTinder で知り合った女の子がいた。一軒は「蓮」というカウンターバー。もう一軒は「凛」というカウンターバー。Tinder で知り合いになった女の子に会って1杯だけ飲んで、人工ダイヤと言われる1カラットくらいのジルコニアのネックレスをプレゼントしてホテルに戻った。楽天市場で1個790円でセールしていた安物だが、天然ダイヤ以上に輝く。特に暗いところで光を受けるとその虹色の反射は驚くほどだった。

明日は、前回バンコクに戻る日にランチを一緒に食べた女の子とフレンチディナーを約束していた。その晩はかなりの散財をしたので、おとなしくホテルに戻って休むことにした。ホテルの部屋についた時は23時を回っていたが、それでもスマホのTinder アプリにホーチミン の女の子からメッセージが届いているようだった。ホーチミン の女の子はバンコクの女の子よりもウブに感じる部分が多く疑似恋愛対象にはバンコクの女の子よりもいいと思える。しかしホーチミン レタントンの日本人街にあるガールズバーの女の子は、お酒を飲んでキックバックを店からもらって生活費にしているようだが、なかなかお持ち帰りがOKな女の子は少ないようだ。バンコクに比べて身持ちが硬い娘が多いようだ。もしどうしても性的欲求を満たしたいと思うなら、Tinder で身体を買ってもらいたい女の子を探してホテルへ直接呼ぶか、ディスコにいってその気の女の子と仲良くなるか、置屋に行くかが無難と確信した夜だった。

エカマイからシラチャーへ

バンコクに住むようになってタニヤ、ナナ、ソイカーボーイといった夜の街だけではなくてシラチャーにも女の子と遊べるところがあるとネットでよく見るようになった。2018年の6月から12月までBTSエカマイとプラカノンの間にあるコンドに住んで居たこともあり、バンコクからパタヤ行きのバスが出ているエカマイのバスターミナルにも関心があった。

たまたまTinder でバンコク周辺の女の子を探していると、マッチした女の子の中にシラチャーに住んでいるという女の子がいた。その娘はまだ19歳で学生とのことだったが姉がシラチャーでカラオケスナックをやっていて夕方からその店を手伝っているという。早速、行って会ってみようと思った。

シラチャーにはロビンソンデパートがあり、そこで待ち合わせをすることにし、ホテルを探した。彼女がバイトするカラオケスナックで飲んだ後あわてて最終バスに乗るという野暮なことをするより、その晩は時間を気にせずゆっくり飲んで、翌朝変えればいいと思ったからだ。

初めて訪れる場所だからシラチャーのカラオケスナックが集まるエリアから遠くなく、設備も優れていてジョイナーフィーを取られないホテルを探した。いつもホテルはBooking,com を使う。

ぽんこつマンが部屋を出たのは午後1時半ごろ、2時を少し廻った頃にエカマイバスターミナルに着いた。そしてシラチャー行きのバスチケット売り場を探した。よく分からなかったので案内人らしき人に聞いてチケットブースを教えてもらった。

バスは14時50発、出発まで30分ぐらい待ちになった。出発ゲートで待っていると大きなバスがやってくる。出発5分前にバスに乗り込む。客はまばらだった。時間通りに出発したバスはスクンビット通りへ出て走り出す。途中高架道路へ上がる前に休憩がある。そこで数人が乗り込んできた。そしてしばらく高架道路を走る。高架道路を降りシラチャーの街が近づき出したと思ったらそこから頻繁に留まるようになる。ちょうど学校が終わった時間に当たっているようで中高生が多く乗り込んできて座席は全て埋まり、立っている学生もいる。目的地のロビンソンデパートの前のバス停に着いたのは出発して3時間近く経った17時40分。歩道橋を渡りロビンソンへ。中に入ったが、バンコクやチェンマイのロビンソンと比べかなりローカル感がある。ぽんこつマンは少しお腹が緩くなっていたのでトイレに向かったが、トイレにはトイレットペーパーがない。手洗いのところに手拭き用に大きなロールのペーパーがあったのでそれを大量に手に取って、トイレに入り用を足した。

改めて表に出て、待ち合わせしているはずの女の子にLINE で連絡を入れた。すると返信があり、「まだ部屋にいて今すぐには出かけられない」と返信があった。「暗くなったら姉の店にバイトに行くからその時にホテルのロビーで待ち合わせ」といって来た。というわけでぽんこつマンは予約していたホテルに向かった。ロビンソンから約700m歩いた。ぽんこつマンが選んだホテルはシタディーヌ グランド セントラル シーラーチャー

https://www.booking.com/hotel/th/citadines-grand-central-sri-racha.ja.html?aid=376383;label=bdot-PKyv50ViAOuyMg2a8bBnRAS267724864311%3Apl%3Ata%3Ap1%3Ap22%2C563%2C000%3Aac%3Aap%3Aneg%3Afi%3Atikwd-334108349%3Alp1009363%3Ali%3Adec%3Adm%3Appccp%3DUmFuZG9tSVYkc2RlIyh9YUqNR_uFB9os3Jm_CnwM6-E;atlas_src=sr_iw_btn;dest_id=-3255165;dest_type=city;dist=0;group_adults=2;group_children=0;no_rooms=1;room1=A%2CA;sb_price_type=total;type=total;ucfs=1&

新しいアパートホテルで、リビングスペース、ダイニングスペース、キッチン、ベッド、バスルームが備わっていて長期滞在にも完璧なホテルだった。チェックインしたのは18時半くらいだった。ホテルの部屋でシャワーを浴びテレビをつけて彼女からの連絡を待った。19時20分に彼女からLINE電話が入った。今ホテルのロビーにいるという。ぽんこつマンはロビーに降り彼女を探した。彼女はエントランスを出た車止めで待っていた。

彼女は写真で見たより可愛い印象だった。「こんにちは」と話したら「ご・ん・に・ちゅ・わ」とタイ語訛りの日本語で応えて微笑む。「お店に行く?」といったら「うん」とうなずいて歩き始めた。

ぽんこつマンは彼女の後を追った。あたりはすでに暗くなり始めていてどの道をどう歩いたかは今は思い出せないが、そんなに遠くはなかったと思った。彼女は店について一人中に入っていき、すぐに店から出て来た。店はまだ準備中らしく、彼女は出て来てすぐに「ご飯を食べに行きたい」とぽんこつマンに行った。そして彼女は歩いて行く。ぽんこつマンがその後をいく。

ついた店は彼女の姉がやっているというカラオケスナックから数軒離れた居酒屋だった。

客筋はシラチャーで働く日本人がほとんどで、常連も多いようだった。ぽんこつマンと彼女はテーブルに座り、料理を頼んだ。ナスの揚げ出し、きゅうりの浅漬け、だし巻き、とんかつ、刺身盛りとビールそして酎ハイを頼んだ。

食事を終えたのは21時過ぎ。それから彼女の姉がやっているという店に戻った。その時間になっても客はいなかった。なんでも数日前にシラチャーの日本人向けカラオケやクラブ、スナックが1000人体制の警察に手入れを受けたと話題になっていたようだ。警察の手入れの理由は麻薬や売春行為(人身売買)の摘発ということらしかったが、実際の目的は店からお手柔らかにと渡される上納金が目的だろうと思えた。

そんなぐあいに警察が店にやってくるという噂がある時は、客は要らぬ詮索をされないように店にはあえて店にあそにには行かないというのがシラチャーでは普通になっているようだった。ぽんこつマンはカウンターには座らず、トイレに近い奥のソファーに腰を下ろした。そして彼女が隣に座った。店にはその店のママになる彼女の姉と他に二人の女の子の4人だけ。その店でぽんこつマンはジントニックを頼んだ。彼女はまだ19歳といっていたがスパイというワインカクテルを注文した。

ふたりが乾杯して飲み始めると、カウンターに腰掛けていた他の女の子たちがこちらを見つめている。彼女にその二人とおねいさんを紹介してと頼んだら、彼女からみんなにいっぱい奢ってくれる?と言われたので快諾した。ママと女の子ふたりは変わったラベルのボトルビールをシュポーンと開けた。ママがふたりの女の子のグラスに注ぎ、女の子の一人がままのグラスに注ぐ。どうも自分で注ぐことはしないかのようだった。

みんなで乾杯したら、彼女の姉がカラオケの本を持ってくる。ぽんこつマンは唄わないといったら、彼女と他の女の子が交互に日本の歌をどんどん入れて歌い始める。彼女たちの歌が2巡したくらいだったか、入り口の扉が開いて、男性3人が入って来た。ママはその男性客をよく知っているようで、「今日はどうしたの?」と聞いていた。客のうちの一番年配の男が、さっきまでバンコクで飲んでいて、今バンコクから来たけど今日またバンコクに帰る。明日朝会議があるから。といっていたのを覚えている。

シラチャーから朝帰るとすると5時でもバンコクへの通勤渋滞にハマる。泊まっても朝3時半には出ないといけないが、それだと6時にバンコクに着いてしまって会社の始業の8時まで2時間空いてしまうのが面倒だと説明していた。ぽんこつマンには関係ない話だが、なんとなく昔からシラチャーの日系の会社と関係がありよく来ているらしかった。

その男性客たちは30分ぐらいいて一人1〜2曲唄って22時半には店を出て行った。そして店にはぽんこつマン一人が客としているだけだった。23時になっても新たな客は来ず、ママはそろそろ店を閉めると言い出した。ぽんこつマンは女の子たちにもう一杯ご馳走すると言った。

新しいビールが彼女たちに開けられた。またさっきのようにお互いに相手に注いで、乾杯をした。ぽんこつマンはこの日朝11時からビールを飲んでいたので、この時点でかなりいい感じに酔っていた。

23時半になっても新しい客は来ず、ママは彼女に店の看板を店内に入れるように指示をする。そしてすべての女の子に着替えるように言った。ぽんこつマンは店にいる時に19歳の彼女に「今日はホテルで一緒に過ごせる?」と訪ねていた。彼女は何も返事をしなかったが、ママが店を閉める時、ホテルまで送ってくれると言って来た。彼女の車に他の女の子二人とぽんこつマンと彼女そしてママが乗って移動する。白の大きくない車は5人を乗せて港の方へ進み。それから左回りでホテルまで送ってくれた。ぽんこつマンが降りたら彼女も降りて来た。そしてママと女の子ふたりはすぐにその場から消えてしまった。

ぽんこつマンは彼女を連れて部屋に戻った。彼女は「お姉さんは、今日初めて会った男性のホテルに行くことは本当は反対だと言っていた」とぽんこつマンに話して来た。「ほんとに今まで初めて会った男性とその日のうちに夜を過ごすことはこれまでになかった」と彼女はと言いながらテレビのスイッチを入れた。

ソファーでテレビを見ている彼女の隣に座って、彼女の肩を抱いた。彼女は自分の頭をぽんこつマンの肩に預けて来た。ぽんこつマンは彼女の髪を左手で撫で、彼女の額にキスをした。彼女は頭をぽんこつマンの方に乗せたまま、ぽんこつマンの目を見つめた。ぽんこつマンは軽く微笑んで今度は鼻の頭にキスをした。

すると彼女がぽんこつマンの方に両手を回し抱き合う形になって瞳を閉じて唇を近づけて来た。ぽんこつマンはそれを見てすかさず彼女の唇を奪った。最初は軽いタッチのキスだったが彼女の口が軽く開いたのを感じ、ぽんこつマンが彼女の口の中に舌を差し込んだ。彼女の舌がぽんこつマンの舌と絡み、そのキスはディープキスに変わっていた。ぽんこつマンの両手は彼女の背中をさすり、サンドレスの背中のジッパーを見つけた。ぽんこつマンの右手がそのジッパーを下ろし、左手は彼女の背中からお尻へ下がり、彼女の体を強く引き付けていた。

3分くらいの長いキスで彼女は息が苦しくなったのか、いったん唇を外したと思ったら彼女がぽんこつマンのショートパンツの前ボタンを外し、ジッパーを下ろしに来た。それからふたりはソファーから立ち上がり、自然とバスルームに向かった。すべてを脱ぎふたりはシャワールームで再び抱き合い熱いキスを繰り返す。150cmそこそのの小さい身体に釣り合ったテニスぼるくらいの乳房はぽんこつマンの掌にちょうど納まるくらいのいいサイズ。乳輪も乳首も大きくなく、少女そのものだった。

写真はイメージです

しかし彼女は、シャワールームでお互いの身体を洗った後にぽんこつマンのポコチンをしゃぶって来た。いきなりバキュームフェラ、亀頭のカリを舐め上げ、竿をハーモニカバキューム、睾丸を1つづつ咥えて舌を転がしながらバキューム、裏筋を舌先で舐め上げ、またスポッと咥えて吸い上げながらスロート。とにかくものすごいテクニッシャン。19歳とは思えない。身体は少女なのに性技はプロ。どこで誰に教え込まれたのだろうと思うほど。

シャワールームで軽く挿入した後、ベッドで激しく交わった。最初の一回は30分くらいでフィニッシュを迎えたが、しばらくするとぽんこつマンのポコチンがもう一度怒張して来たので、二回目の性交。前戯の時に彼女にクンニしていると彼女がフェラチオでお返ししてくる。充分な69の後、再びコンドーム を装着して彼女の秘部に挿入した。まだ子供を産んでいない彼女の膣は締まり具合が良い。彼女は、ぽんこつマンのポコチンを大きいというが、彼女の膣がまだぶかぶかになっていないだけだと思った。

その晩は深夜2時ごろまで、お互いの身体を求めあった。しかしぽんこつマンは朝6時に目が覚めた。朝勃ちだった。カーテンの隙間から差し込む細い光が彼女を照らす。彼女はすっかり眠っていたがその可愛い顔立ちに、また彼女をキツく抱きしめたくなった。彼女の肩を引き寄せ彼女を抱きしめたら、ぽんこつマンの朝勃ちした肉茎が彼女の恥骨の窪みにあたる。ぽんこつマンが少し腰を揺すると彼女はその肉茎を握りに来た。そして目を閉じたまま、彼女の秘部に導いた。

朝にもう一回の挿入。24時間で三回以上の射精をすることはこれまでもあったが、今回は昨夜三回射精しているので次が四回目。コンドーム は着けていないから中で射精はよろしくないがもう亀頭は彼女の膣口に入っている。ぽんこつマンはゆっくり奥へ進めた。側位で静かに前後した。そして伸長位。彼女が軽く吐息を漏らしたのを聞き、ぽんこつマンは彼女に「ノーコンドーム OK?」と聞いたが彼女は腰を強く掴むだけで拒まなかった。

ぽんこつマンは射精時にすぐに引き出せるように彼女の両脚を押し開き、正常位でピストンのスピードを上げていく。テンポ200を過ぎるくらいの速さで手前5cmを前後させる。そしてたまに奥へ深く一回差し入れ腰をグラインドさせて引き、さらにピストン。徐々にぽんこつマンはフィニッシュに近づいていく感じに気がついた。彼女もGスポットを刺激されていたのか、うめき声と吐息が手の甲で隠した口から漏れている。

写真はイメージです

ここぞとばかりにぽんこつマンは激しく深いピストンを始める。10回深く突いては奥で留め腰をグラインドする。それを3回繰り返した後に頂点に向かう瞬間を察して、勢いよく引き抜き彼女の下腹部にザーメンを射出した。彼女はしばらくしてぽんこつマンのまだ疼いているポコチンをシャブリにくる。竿をハーモニカして裏筋舐め、そして尺八フェラでぽんこつマンの肉茎を掃除する。

ふたりは朝7時にシャワーを浴びた。そして下着だけを付け部屋でコーヒーを入れ飲んだ。彼女はしばらくソファーでテレビを見ていたが朝の8時半に「帰る」と言って部屋を出て行った。

ぽんこつマンはもういっぱいコーヒーを飲みながら、彼女のLINEに「会えて最高に嬉しかった」とメッセージを入れた。彼女から「今度バンコクに行くことがあったらバンコクで会いたい」とメッセージが返って来た。ぽんこつマンは「いいね」を表すスタンプを返してホテルをチェックアウトした。

シラチャーからバンコクへの帰りもバスを使った。バス乗り場はドゥッコム シラチャというショッピングモールのそばにあるSriracha Tourの前にある。ホテルからバイクタクシーを使ってバス乗り場に向かった。昨夜からの4回のセ●クスで身体はフラフラだった。そんな時は世の中が黄色がかって見えるというが、記憶もあやふやになるくらいフラフラだった。

チケットはSriracha Tourの中にあるカウンターで買った。発車時刻まで時間があったので10時に開店するドゥッコム シラチャのKFCでチキンを食べた。バスに乗ったのは10時30分位だっただろうか。それすら定かではない。シャラチャーからエカマイへのバスはガラガラで人がいない。バスの中では睡魔に襲われた。目が覚めたのはバスがオヌットに近づき信号で止まった時だった。エカマイに到着したのは12時30分。帰りは朝の渋滞の時間帯もちょうど回避できて2時間で帰って来れた。

彼女とのLINEでのやりとりはしばらく続いた。内容は今度いつバンコクに来れるかとか、早く会いたいとか、普通の恋人同士のたわいないものだった。しかし、ある日突然彼女のLINEからぽんこつマンがブロックされた。ぽんこつマンにはいかなる落ち度も失礼も見当がつかずショックを受けたが、よく考えると彼女のあのフェラのテクニックを教育した人物が必ずいるはずだ。もしそれが彼女の長年のカレで、そして彼女のLINEから彼以外の男の存在を排除するよう求めたとしたら、突然のブロックも納得できる。今となってはぽんこつマンも彼女をLINEから削除しているからどうすることもできない。季節は長い雨季の終わりに近づき、激しい雷雨も治まりつつあった。季節ごとに新しい女に出会う、そんなことも普通にできるアジアの甘く危険な蟻地獄生活にぽんこつマンはどんどん呑み込まれている。

トンロー9のLINE2に行って見た

2018年にTinder で知り合った女の子とラムカンヘン大学近くの日本食レストランYAWA Modern Japanese Cuisine に行ったことがある。その日本食レストランは場所が日本人には馴染みのないところであるが、料理のレベルはかなり高い。なんでもバンコクの日本食レストランでNo.1と評されたこともあるのだとか。北海道の毛蟹も事前予約しておけば調達して料理してくれるらしかった。

その娘は、イサーン出身でたぶんコンケーン生まれと言っていたと思う。初めて会って行った日本食レストランではお酒は飲まなかったが、それは、おっぱいにシリコンを入れる整形術を受けてダウンタイム中だったということを後から知った。仕事はスクンビットソイ39にあるLINE clubというカラオケクラブに勤めていてお酒はかなり強い。一度だけその店のそばの焼肉屋で焼肉を食べて同伴出勤をさせたことがある。そのClub LINE では一番安い角瓶を入れたがそれ以降1回行っただけで、ボトルのほとんどのウィスキーは流れてしまった。

というのも彼女がしばらくして系列店のトンローsoi9にあるClub LINE2に移ったと言ってきたからだ。店が代わればまた新しくボトルを入れることになる。彼女が新しく移った店の近くの喜多郎寿しで寿司を食ったあと同伴出勤をさせたことがあり、またしても角瓶を入れた。

彼女がその店でどの程度指名があるかはわからなかったが、店に入ると雛壇がありそこにずらりと並んだ女の子と比べてもルックス的にはぽんこつマンの好みに合っていた。料金はタニヤあたりのカラオケクラブの1時間700〜800Bahtより割高で、ボトルがあれば1時間1100baht、飲み放題で1200baht、それにチェイサー代、指名料などが乗っかって2時間くらいいると4,000baht くらいはかかってしまう。

そもそも女の子の数が多過ぎてなかなか指名がもらえない女の子も多そうなのだが、彼女はそれなりに多くの常連客を持っているようで、ぽんこつマンが通う必要も特になさそうな人気嬢だったのだ。しかも彼女はお持ち帰りOKの色のナンバープレートをしていた。最初に知り合った頃は、ホンダの一番安い乗用車に乗っていたが1年も経たないうちにトヨタフォーチュナーの新車を買ったようだ。

バンコクには多くにカラオケクラブがあり、かなりの女の子が在籍している。モデルクラスの女の子はコヨーテクラブなどの高級店に多くいる。カラオケクラブは次のクラスになるだろうか。なんとなく親しみが持ちやすい女の子が多くなる。そのカラオケクラブの中でも多くはタニヤに集中しているが、スクンビットエリアやトンローエリアにも点々と存在している。

ひとりの女の子に入れ込みすぎる必要は全くない。彼女とはただの知り合いというだけでも全く問題ない。ぽんこつマンはタイの女の子の都合のいい財布になりたいわけではないのだから。

チェンマイの前にマニラ、そしてマカオ

2018年3月チェンマイ行きに新しい旅程にマニラ、そしてマカオに1泊ずつ加えた。12日関西からジェットスターでマニラへ、そして13日セブ パシフィックでマカオへ。14日エアアジアでチェンマイに入る。

マニラ、マカオ のいずれも1泊の予定だったので、女の子とデートするスケジュールを入れなかった。関西空港を13:05出発のジェットスターがマニラに到着するのは16:40。マニラは日本より1時間時計が遅れるのでフライト時間は4時間40分。LCCの狭いシートでもなんとか耐えれるギリギリの時間だ。マニラに到着後向かったホテルは、マカティのゴーゴーバーがあるブルゴス通りから50mの距離にあるザ クリッパー ホテル

ゴーゴー嬢をペイバーして一発するには充分な3つ星ホテル。ぽんこつマンは空港からGrab car を使って夕方6時にはチェックインしていた。ゴーゴーバーのオープン時間は店によってまちまちで、ネットでも評判の良いKOJAX/XOXOやPlan Bは20:00からオープンするが、Plan B からダーバンに曲がってすぐにあるTICKLES Bar は午前11時からやっている。

チェックインを済ませたぽんこつマンは、まずホテルを出てPlan Bの向かいにあるMirrors clubの2階で腹ごしらえをした。ここはペイバーしたゴーゴー嬢と飯を食べに来たこともあるし、知り合いになったゴーゴー嬢との待ち合わせにも使ったことがある24時間営業のカフェだ。深夜になると客にあぶれたゴーゴー嬢が援交してくれそうなオヤジを探すために店に来るようだが、昼間や夕方などは子連れで飯を食いに来ているローカルも見かける。特にうまいわけでもなく、安いわけでもないのに客がいない時間帯はないようだ。伸びきったナポリタンとサンミゲルライトを平らげて、20時になるまでネットサーフィンで時間を潰した。

今回最初に行った店はホテルから一番遠いKOJAX/XOXO。1階がオープンしていた。客はまだ少ない。ゴーゴー嬢は若そうな娘が多い。ふたりくらいを席に呼んでドリンクをご馳走して少し話した。ペイバーをすぐにしそうにないと、すぐに席を外れてステージに戻っっていく。ドリンクで得られる収入には目もくれないくらい、いつもすぐに客がつくんだろうと思えた。

2軒目はPlan B。マカティ のゴーゴーバーでは絶対に外してはいけないバーだ。昔、マニラでセフレになった彼女の友達の旦那(フィリピン人)と一緒に来たこともある有名店だ。ゴーゴー嬢のレベルはKOJAX/XOXOと比べるとやや落ちる気がするのは女の子の年齢のせいかもしれない。Plan B の方がやや年齢が高そうに思える。ぽんこつマンはKOJAX/XOXOと同じようにふたりほど席に呼んでドリンクをご馳走して少し話したが、こちらの娘の方が親しげに話してくれる。しかしながらと遠目に正面だけを見ていいなと思っても、近くで見ると下っ腹が少し出ていたり、乳がシリコンだったりと、ぽんこつマンの望むレベルではない気がした。

3軒目はホテルに一番近いTICKLES Bar の前に女の子がいて呼び込んでいた。よく分からなかったが試しに入ってみた。先の2軒のような大きなダンスステージはなく、カウンターが取り囲む狭いスペースがダンスを見せるところになったいるようだったが、ほとんどの娘は普通にテーブルの椅子に座っている。店に案内してくれた娘は見た目30歳を超えていそうだったが、話が面白いのでドリンクをご馳走した。こちらの店は先の2軒に比べて女のレベルはグッと落ちる。しかしぽんこつマンはまず話ができて楽しく酒が飲めることが一番大事なので、この店でも十分楽しめた。22時くらいに入って0時30分までかなりのピッチで酒を飲んだ。一緒に飲んでくれたこの店の娘たちは、ドリンクを飲むだけでも嬉しそうにしてくれたが、さすがに年齢的にも、体型的にも、そしてペイバーしてもいいと思えるレベルではなかった。帰るときにもっと若い子はいないのかとママに聞いたら、早番の女の子には若い子が多いと言った。

ぽんこつマンの明日のフライトは19時20分。17時20分に空港に到着すればいいのでホテルを出るのは16時30分でも全く問題ない。早番の娘は朝11時からというのでホテルのチェックアウトを16時半にして明日の朝またTICKLES Bar に行ってみる事にした。

翌朝は10時に起きた。荷物をまとめて部屋に置いたまま、フロントに行き16時半までチェックアウトを遅らせてもらいにいく。その時はそんなに混んでいなかったらしく、少しのお金を追加で払って、レイトチェックアウトにすることができた。

ロビーでコーヒーを頼んで飲んだ。11時になったので、改めてTICKLES Bar に向かった。

女の子は3〜4人しかいなかったが昨晩より若くてスレンダーな娘がいた。店の中は昼でも外光はは入らずかなり暗くなっていたが、スタイルは悪くない。顔も小さい。彼女を席につけてサンミゲルライトを飲んだ。彼女はコーラを飲んだ。年齢は22という。昔からマニラのエルミタ あたりに母親と住んでいて、2歳になる娘がいると言っていた。バーで働いている時は母親が2歳の娘の面倒を見ていると言っていた。12時半まで店で飲んでいたが、ペイバーする事にした。

飲み代とペイバー代を支払って彼女が着替えるのを待った。10分ほどで戻って来たので一緒に店を出て昨日も行ったPlan Bの向かいにある24時間営業のMirrors clubの2階に行って軽く食事をして、ホテルの部屋に戻った。

ザ クリッパー ホテルのベッド。

時計は13時半を指していた。部屋の扉にDon’t disturb!のタグを吊るしロックした。あの真っ最中にハウスキーパーが部屋の掃除に来られると困るからだ。そしておもむろに彼女の衣服を剥ぎ取った。出産を経験している割に、下っ腹の出っ張りも少なく、腰のくびれもちゃんとある。おっぱいはそう大きくは無くまだ形は崩れていない。しかし乳首はかなり黒ずんでいた。今2歳の娘にもいろんな客の男たちにも吸われ続けて来たからだろうか。ぽんこつマンも全てを脱ぎ、シャワールームに向かった。お互いの身体を洗いあい、シャワーの中で強く絡み合った。たったまま、ぽんこつマンも乳首を吸ってみた。まだコンドーム をしていなかったので、生挿入だけは避けておいた。

ベッドに行き、全身リップで彼女を責めた。特に黒くなっている乳首への攻撃は執拗に行った。舌で乳輪と乳房の境界にあるポツポツをグルリグルリと回しなめる。乳首を軽く噛み、唇で吸いながら上に引くとスポンと音を立てる。右手を彼女の股間に送り、大陰唇とクリトリスを優しくもてあそんだ。左手は彼女の長い黒髪を撫で続けた。彼女は右手でぽんこつマンの股間のある肉茎を握り締める。彼女の小指がぽんこつマンの肉茎の根本を握り、薬指、中指、人差し指と順に肉茎を締め上げる。そして上下に手首を動かしていく。

ぽんこつマンの肉茎がすでに爆発しそうになっている。コンドーム をつけて彼女の股間にある花芯を探った。クリトリスから少し下げると、開き始めた膣口にスルンと入った。充分に潤いが満ちている。ぽんこつマンはその爆発しそうな肉茎を奥へと送った。そして1秒に2回くらいの速度でピストンを繰り返した。一度強く奥へ打ち込むと、彼女はのけ反り、脚をぽんこつマンの腰に絡めてくる。ぽんこつマンはその太ももを抱え前にかがんで彼女の子宮口のコリッとした感覚を探して上から下へ肉茎を深く差し込んだ。奥まで入れてグラインドすると彼女は「オー、オーーー。おー、、、、」とうなりを上げる。

その動きのピッチを少しずつ速めて行った。そして一気に発射した。なかなか良かった。いろんな男と寝ているであろう彼女も満足そうな顔をしていた。シャワーを浴び、彼女が部屋を出て行った時は15時半を回っていた。ぽんこつマンももう一度シャワーを浴び、服を着て16時20分にロビーに降りた。Grab Car を部屋から呼んでいたのですぐにホテルの玄関に車がやって来た。

その車に乗り、マニラ ニノイアキノ国際空港に向かった。マカティの市内は多少渋滞していたが、しばらくしてハイウェイに上がってスムースに流れ1時間足らずで空港についた。

次はセブ パシフィック19:20分発でマカオに向かう。マニラの空港は航空会社によってターミナルがそれぞれ違っている。注意が必要だ。ターミナルに到着したのは18時10分だったが、ターミナルに入る前も荷物検査がありパスポート、Eチケットの確認もしていたので中に入るのにかなり時間がかかった。

マカオ にも無事に到着した。ホテルはマカオ半島にあるワルドホテル<華都酒店>(http://www.waldohotel.com/en/index.php)にした。

そのホテルを選んだ理由は、ホテルの6階にあるイーストスパクラブ(東方水療会)http://www.eaststartgroup.com/east_spa_club/index.asp)に行ってみたかったからだ。空港はタイパ島にありマカオ半島のホテルに行くにはかなり遠い。マカオの空港からアウターハーバーフェリーターミナルまでバスに乗りそこからタクシーでホテルに向かった。

チェックインして部屋に荷物を置いた後、直ぐにイーストスパクラブ(東方水療会)に出向いた。中に入ってカウンターでシステムの説明を聞いて料金を支払うと直ぐにロッカーに案内される。そこから浴室に入り身体を洗って上がる。休憩室に入り椅子に深く座り込むと、飲み物、食事の注文を取りに可愛いウェイトレスがやってくる。アルコール以外は全て無料。この休憩室で眠っても構わない。ぽんこつマンはラーメンを食べアイスコーヒーを飲みました。

しばらくして綺麗な身体をしたレディーたちが入って来る。それぞれの嬢のアピールが終わるとそのレディーたちは別の部屋に消えて行く。その部屋に行けばレディーを一人選んで個室でセックス ができる。一応食事も済ませたし、レディーのアピールタイムも見たし、終わったらルーレットができるカジノに行きたかったので、休憩室にそれほど長くはいなかった。

レディーを選ぶ部屋に行った時、大体20人くらいはいたと思うが、顔が可愛くて色白、身長もそれほど大きくなくて、ボン、キュッ、ボンの体型、シリコンおっぱいじゃないというぽんこつマンの条件に合う姫はふたりだけ。美形で高身長のクールなモデルタイプはいたが、、、。

ひとりを選んで部屋に行き、ゴム付きでセ●クス した。セックス の前のサービスは全身リップ10分くらい。ゴム付きフェラ5分くらい。セックス は騎乗位5分、後背位5分、正常位5分でフニッシュ。その後シャワー2分、服を着る1分、部屋を出る。そして店を出る。相手をした姫は部屋を出てまた待機部屋に帰る。確かに肉質は生身の人間だが、感情が全くないところが残念な感じだった。

東方水療会からG階に降りてタクシーでグランドリスボアのカジノに出かけた。ルーレットのあるフロアは2階(日本では3階にあたる)。日本円2万円をクレイチップに換えプレイした。1時間ぐらいプレイし途中浮き沈みはあったが、結果は1,500HK$の勝ちで終わった。

翌日はマカオから15:55発のエアアジアでチェンマイに飛ぶ。今回のマニラ、マカオの弾丸旅はアジアの風俗産業を覗いくことができた。ぽんこつマンは3つの欲といわれるうちの2つ性欲、食欲へのこだわりが今も昔も強い。最近は眠るということがどんどんできなくなって来ている。そして食欲は今もあるものの、食べれる量がどんどん減って来ている。しかし性生活に対する欲望はまだまだ枯れていない。あと何年満足できる性生活が送れるか分からないが、できるだけ長く女の尻を追いかけていたいと思うぽんこつマンである。

3回のアンヘレス体験

アンヘルス(Angels)は、その表記どうり英語読みすればエンジェルス。街の名前がずばり、「天使」という街だ。ぽんこつマンがSkoutでフィリピーナをナンパしてオフパコ・セフレ化するようになって、フィリピンの風俗を調べる度にアンヘルスで遊んでいる人がたくさんいることを知り、是非体験してみたいと考えるようになった。

そこでアンヘルスへは3回行った。1回目はもう記憶が定かではないが、マニラからバスに乗って。2回目は2016年8月31日−9月4日の3泊。これは成田からマカオ航空でマカオへ飛びマカオからセブパシフィックでクラークという形での往復。そして3回目は、2018年10月22日タイ・チェンマイからマカオにエアアジアで飛び、マカオからセブパシイックでクラークへ行き3泊した後、クラークからセブ(セブパシフィック)に飛びセブで1泊して翌日バニラエア で成田に戻った。

最初と2回目は、記すに値しない場末的なホテルに泊まったが、3回目はペイバーを意識して少し居心地のいい宿を探した。セントラル パーク タワー リゾート、そこはアンヘルスのゴーゴーバーがひしめくフィールズアベニューからも徒歩圏内だが、部屋の内装や調度品も場末的ゴーゴーバーの街の雰囲気とは対照的だ。

なぜ3回目の宿をそこにしたかというと、そのアンヘルスという街でやることといえばゴーゴーバーのハシゴとバーファインして連れ出した嬢とのセ●クス 以外にする事がないからである。少しでもいい環境を用意して、ピーナとの情事の記憶をいいものにしたかったからだ。

3回のアンヘルス訪問でペイバーした嬢は、全8泊でわずかに4人。それもそのうち2人は、同じ店から同時にペイバーしたからペイバーした回数はわずか3回。これまでに行ったバーはもう店の名前も変わっているかのしれないが、フィールズアベニューから2kmほど西に行ったDon Juico Ave.沿いにある、F1PoseidonRoadies BarAfter SchoolOrange、そしてそこから少し東にフィールズアベニュー方向へ戻って、Honey KosBlue Sapphire。この辺りは日中から営業している店が多いが韓国人の客が圧倒的に多い印象で、かわいくスタイルのいい娘は、既に韓国人の使命が入っていていちゃついていて、踊ることもないので隣に呼べない事が多い。同じバーファインを払ってペイバーするなら上玉を狙いたいところだ。さらに東へ進んで、フィールズアベニューに近づいたところにある、Brown SugarNB Club、SoyaLas Vegasも覗いた事がある。フィールズアベニューの中では、Red BarQ BarClub AtlantisDoll HouseLollipopLaBambaRhapsodyShootersChampagneVaikingFlamingoBaccara BarParo Paroを回った。店に入って席につかずに、ゴーゴー嬢のレベルと楽しめそうな雰囲気かを見て、ダメだと思えばすぐに出て次の店へ行く。ゴーゴー嬢のレベルが高くなくても、楽しく飲めそうなら席に座り、ジントニックを頼む。

そんな感じでアンヘルスのゴーゴーバーはかなり回ったが、ぽんこつマンにとっての天使(Angel)を見つけることは難しかった。わずか3回のペイバーの女の子もマニラやセブでオフパコした女の子に比べ、さらに下層な印象でとても天使と思えるレベルにはなかった。

飲んで楽しめる店はいくつかあったが、新しい携帯電話をセガまりれたり、美容院代と称して小遣いをねだられたり、ショッピングモールで洋服を買わされそうになったりした。飯を一緒に食べいったん部屋に帰って、いざセ🟣クス となるとあまりにも業務的でペニスがギンギンになることは一度もなかった。

とにかくアンヘルスには若い嬢が多いとのネット上の情報は多いが、ぽんこつマンにはそんな印象はなく、殆どの嬢にはくっきりとした妊娠線と、出産後どうしても凹まないポッコリお腹、そして垂れ切ったデカすぎる尻、セルライト盛りだくさんの太もも。お金を払ってまでお試ししようとは思わない嬢が多すぎて、時間とお金をかけてわざわざやって来たことを3回のチャレンジではっきり後悔したぽんこつマンであった。

ソイカウボーイ、Tilac で出逢ったイサーン3姉妹

2015年くらいからぽんこつマンのバンコクでの夜遊びは、ソイカーボーイがメインになっていた。最初にBaccaraに立ち寄って、新顔でまだ初そうな可愛い嬢を探す。アジア人の客の多くは、透明な床の2階のJKスタイルのダンサーがいるフロアを狩場にしている常連が多く、1階のビキニダンサーのフロアは、多国籍だ。どちらのふろあのダンサーもノーパンで一階のダンスフロアのぐるりと囲む席からは2つのフロアのダンサーの淫部を拝めるベストポジションだが、ぽんこつマンはタイガールの淫部を覗きたいわけでも、しばしばトップレスで踊るおっぱいを拝みたいわけでもなく、白い肌、刺青なし、ベビーフェース、下腹フラット、尻が垂れていない、足首が細い、それでいて初々しさを持っていると色々条件が厳しい。何度も通うと見慣れた顔ばかりで新顔に出会うことは珍しく、いつものジントニックを5〜6杯飲んでも気にいる子が見つからない時が多くなっていた。

そんな時は一旦Baccaraを出てティーラック(TiLac) かその先のカントリーロードへ入るのだが、特にそのどちらも嬢をペイバー目的に行くわけではなかった。ただソファーに座って、暇そうにしている馴染みのホステスと酒を飲みながら馬鹿な話をするだけなのだ。

   https://bangkok-dark-night.com/thai/bangkok/soicowboy/soicowboy-go-go-bar#i-2 より引用

そしてティーラック ではいつもガハハと大きく笑うママの一人ジアップに「今日のおすすめの子は?」と聞くのがお決まりの遊び方になっている。ジアップママと親しくなったのは、2015年より前に、ティーラックで初めてペイバーしたロイエット出身のイサーン娘と特に親し気にしていて、彼女がティーラックからバカラに移籍した後もバカラで彼女をペイバーしたのちティーラックに行ってよく飲んだ。その時にジアップママを紹介されたのがきっかけになっている。

ロイエット出身の彼女は当時27歳で初めてティーラックでペイバーする前は、タイ駐在の日本人ボーイフレンドがいたらしいが、彼がインドへ転勤となって関係はどんどん冷えて行ったと聞いた。それまでは彼の援助があって普通に暮らしていけたのだろうが、その援助がなくなったので夜の街に舞い戻ったと聞いた。

彼女がバカラに移る前に、彼女が妹(ノーンサウ)という女の子が大学の休み期間にバンコクに遊びに来ていた。3人でご飯を一緒に食べた後に彼女の住むMRTホイクワーン駅からバイタクで5分くらいのところにあったアパートに行ったことがあり、その部屋で彼女からその妹と寝て良いよと言われたことがある。結局その日は3Pをすることになり、その妹ともセ●クスをした。彼女との局部はいつも愛液で潤んでいてピストンもスムーズにできたが、その妹とのセ●クスは、まだその局部が十分に開発されていないらしく、しっかりとクンニリングスをして膣口から膣内まで唾液で潤いを加えないとかなり窮屈だった。その妹に聞いたらこれまでの経験人数は一人だけで回数も多くないとのことでほぼ処女に近い膣の感触を味わえた。

その妹はまだ学生だったらしいが、大学が休みの間はゴーゴーで働くということにしたようだった。ティーラックで知り合った彼女がバカラ へ移った時、その妹もバカラで踊るようになっていた。

最初にティーラックで知り合った彼女は日本語がそこそこ話せたのでか、しばらくしてタニヤのクラブへ更に移ることになり、バカラにはその妹だけが残ることになった。ふたりが真の姉妹でないにしても、タイでは親類の歳の近い関係にある場合は、ノーンサウ、ピーサウ、ノーンチャイ、ピーチャイと呼び合う。やはり田舎で親類の娘と同じゴーゴーバーで客を探すとなると何かとやりにくいことがあったのだろう。その後バカラではその妹を何度かペイバーした。

いったん日本に戻り改めてバンコクを訪れた時、最初にティーラックで会った彼女に「タニアに遊びに行っても良い」と連絡を入れた。彼女が働いていた店は、日本で言うクラブのようなスタイルで、タニアによくあるカラオケクラブのように女の子が入り口にずらりと並んでいるスタイルではなかった。店に入って彼女を呼んで席についた。そんなに長居する気はなかったのでボトルを入れることなくビールを頼んだ。彼女もウイスキーの水割りをグラスで頼んだ。

乾杯をしてたわいない話をしていると、彼女が店の奥の方に待機している女の子においでおいでをする。二人の女の子が名刺を持って席にやって来てヘルプについた。それなりにきれいな娘たちではあったが、彼女たちをペイバーする気にはならなかった。深夜0時を過ぎ、ぽんこつマンはティーラックで知り合った彼女が店を出るのを待って、彼女の古巣へ向かった。彼女はタクシーの中で誰かに電話している。これから行こうとしているティーラックに誰かを呼ぼうとしているようだった。やがて店について、懐かしのジアップママと抱擁する彼女。席に座って、オーダーしたジントニックとテキーラが運ばれてしばらくした時、店の入り口に若い女の子が誰かを探しているのが見えた。彼女もそれを確認して手をあげてその若い女の子を呼んだ。

その若い女の子は、昔彼女の妹と言っていた女の子に少し似ていた。彼女はその女の子をやはり妹(ノーンサウ)という。ぽんこつマンはその恥じらいを隠せないでいる女の子に「お酒は飲めるの?」と聞いたら「ニッノイ」とはにかむ。彼女はその女の子にテキーラを飲むように勧めた。1杯目は妙に眉をひそめていたが、3杯目を飲む頃にはお店の雰囲気もあって、グィと一気に飲めるようになっていた。

その女の子が何杯飲んだかは覚えていない。ティラックは午前2時が一応閉店時間だが、まだ客は全て引いてはなく注文は3時半でも受けてくれていた。その時にはその若い女の子はかなり酩酊している様子だった。時計は午前4時に近くなっていたので、帰ろうとした時に、その女の子を妹とよぶ彼女は、その女の子をぽんこつマンに預けるといった。

店を出る時、その女の子はぽんこつマンに腕を絡め体を預けて来た。ぽんこつマンもかなり酔っていたので、足元に気をつけながらその女の子を連れてホテルに戻った。ホテルはTHE KEY BANGKOK、たまたまアップグレードされていてジャグジーバスがある部屋だった。

その女の子は、部屋に入るなりベッドに倒れ込んだ。酔いがかなり回っているようなので少し休ませることにした。あと1時間もすれば日が昇る時間になっていた。

翌朝は、昨夜の酒が抜け切っていないのかぽんこつマンもその女の子も比較的早く目覚めた。ぽんこつマンは彼女にシャワーを浴びることを勧めた。その娘は素直に頷き、ジャグジーのあるバスルームに向かった。ぽんこつマンはジャグジーの蛇口をひねり、しばらく湯に浸かって体のアルコールを少しでも抜こうとした。

その娘がシャワーを浴びてベッドに戻って行った。ぽんこつマンもシャワーで体を洗って、ベッドに向かう。その娘はベッドの上掛けを額まで上げてベッドに潜っていた。ぽんこつマンは腰にバスタオルを巻いてそのベッドに忍び込む。彼女の肩を優しく引き寄せてお互いに横になった状態で優しく額にキスをする。彼女は拒むことなくそのキスを受けた。キスをまぶた、鼻の頭、頬にして唇に進んだ。舌はあえて入れずに軽いキス。唇には少し長い時間。そして首筋に進んだ時に、彼女が小さく喘ぎ声をあげた。ウッ、、。

その微かな反応を見てぽんこつマンは彼女が胸元で纏っていたバスタオルをゆっくり解いた。肩から繋がる腕にもデコルテにもまだ一切の脂肪がついていない、すごく華奢に見える身体に手のひらで包むにはちょうど良いサイズの乳房があった。まだそれほど弄ばれたことのないであろう淡い色の乳首は、ピンと立ち硬直していた。ぽんこつマンはあえてその乳房へのキスをパスし、脇、腰、上腹部、腰骨、そして下腹部へと唇を移動させた。それから初めて乳房にキスをする。そしてぽんこつマンは右手を彼女の股間へ下腹部から下ろして行き、左手は彼女の髪をゆっくり撫でながら右側に見える乳首の下側に舌を近づけ反時計回りにやさしく愛嫵を繰り返した。

彼女のクリトリスを愛撫する右手の中指を大陰唇に沿って膣口に近づけた時、はっきりと湿り気があることを確認したぽんこつマンは、体を彼女の足元に降ろし彼女の膝を持ちあげた。そして頭が彼女の股間に収まるように彼女の脚を開いた。彼女の大陰唇右側のひだを唇で挟むようにキスをし、次に左側へ。更に膣口のアナルに近い方に上唇を合わせ下唇をアナルと膣口の間を上下させた。その後舌で彼女の膣口上部を軽く突いた時には彼女の膣内は充分に潤い、受け入れる準備は整っているようだった。

ぽんこつマンはその時の彼女の反応を確認して、体を改めて上部に彼女の体に重なる位置まで滑らせ、既に完全にボッキした陰茎の亀頭を花芯に軽く押し当てた。花芯は少し開き、亀頭の先1cmほどが彼女の膣口に入った。いったん戻しては再度押し当てる。1cmから1.5cm、2cmと少しずつ亀頭は可憐な花芯を押し広げていく。

亀頭全体が埋まった時、彼女はまたもウッと軽く吐息を漏らす。ゆっくり亀頭のくびれを膣口の外へ出し、また中へ押し戻す。奥にはなかなか進ませない。全くの処女ではなさそうだが、男を向かい入れた経験はまだ数回あるいはこれが2回目かもしれない。

ぽんこつマンは慎重にゆっくりと時間をかけて亀頭を5cmほど中に進めた。中は充分に潤ってはいるがかなり狭い。まるで風船細工に使う長風船のようによく締まった肉管をゆっくりゆっくり拡げるように引いては押し、押しては引く。やがてそのよく締まった膣にぽんこつマンの充血した陰茎が完全に埋もれた。

正常位で行き着いた位置から彼女の両脚を持ち上げ屈曲位でさらに奥へ押し込んだ。その位置でまた1〜2cmほどの短いストロークを繰り返す。ウッ、ウッ、、アッ、、ウッウッ、、アゥ、ウッ、。本当に締まりの良い肉質を持っているようだった。コンドームがない生状態でここまで締まりの良い肉質に巡り逢ったのは初めてだった。この娘には次も逢いたいと思った時にフニッシュがくる感じがして、すぐに引き抜いた。

画像はイメージです

彼女の下腹部に射出したザーメンはティッシュで優しく拭いとった。彼女をあらためて引き寄せて、その時の満足感の余韻を味わった。彼女はしばらく閉じていた目蓋を開いて、”you are so gentle kha” とささやいた気がした。これから彼女はいろんな男に求められるだろうと思える華奢で美しいボディーラインと柔らかい良い形をした乳房を持っていた。LINEを交換して正午近くに彼女はホテルを後にした。その時はまたティーラックで彼女に会えるとは思わなかった。

何ヶ月か過ぎて再びバンコクを訪れた時に、彼女と連絡をとった。彼女はまたティーラック に行ってみたいと言って来た。「あそこは男の人が女の人を見つけにいく場所だからお酒が飲みたいなら他の場所にしない?」と言ったが、ティラックでテキーラを煽った時のことが忘れられないと言って来たので、彼女の言う通りそこで午後9時に待ち合わせをした。

その後に起こったことは、あまり思い出したくはない。彼女はティラックでものすごいピッチでぽんこつマンが心配するくらいテキーラを煽った。案の定午前0時を回る頃には完全に酩酊状態で歩くことができなくなっていた。どうも彼女は少しお金に困っていて、ティラックでお酒を飲むことで、店からの割戻をもらう話をしていたようだ。ゴーゴー嬢になれば、毎日踊らなければならない。客から指名されれば、ペイバーに合わせなくてはならない。彼女は、そこに身を落としてまでお金を得ると言う決心ができていないようで、酒だけを飲んで店の売り上げに貢献して稼ごうとしていたのだった。

彼女は全く歩けなくなって店でソファーに横になった状態でしばらく動かなかった。完全に急性アルコール中毒に落ちていたのだろう。その店で一緒に飲んでいたホステスふたりが彼女に水をに飲ませ、時たまトイレに連れて行き解放してくれていた。そうこうして朝の4時になり少しは話せるように回復はしていたが、彼女はまだ歩ける状態ではなかった。ぽんこつマンは彼女はどこに住んでいるかを知らない。とりあえず近くに宿をとっていたぽんこつマンのホテルの部屋に彼女を預かることにした。優しく解放してくれていたホステス二人とぽんこつマンで彼女を立たせて3人で支えながら、ホテルの部屋まで運んだ。

多少のお金を稼ぐためにそこまで健気にお酒を飲んだと言うことが信じられなかった。ぽんこつマンが知っているタイの女性は、本当にお金に困った時に自由恋愛カフェなどに行き、お金を払ってくれる男を品定めして体を許す人もいる。それをしない彼女はそんなタイの奔放な女性とは明らかに違っていた。きっと絶対に譲れない何かが彼女をそうさせなかったのだろうと思うと、愛おしささえ覚えた。その晩静かにベッドで寝かしつけて、ぽっんこつマンはソファーで休み彼女を抱くことはなかった。

これで良いのだ。この娘にはどうしても守りたい何かがある。ぽんこつマンは彼女とのたった1回の思い出を大切に記憶の奥にしまうことにした。

ティーラックで最初にペイバーした嬢は、やがて妊娠し出産。赤ん坊の父親はインドに転勤になった男だと聞いたが、その男はその後彼女に一切の援助もしないまま行方を晦ましたらしい。その彼女に紹介された最初の従妹は、バカラで知り合った中華系(シンガポール?)の男と一緒にバンコク近郊に暮らしているらしい。3人目にあったもうひとりの従妹は無事に大学を卒業し、2年前から会計事務所で監査人として働いていると聞いている。3人にこれからも幸多かれと祈るばかりである。

ソイカーボーイでペイバーしたイサーン娘①

ソイカーボーイのBaccaraはかなり昔からゴーゴー嬢のレベルが高くいつも混雑している。バンコクで一番最初にオキニになった娘もBaccaraで知り合ったが、数ヶ月経った頃から彼女と店で出会える機会はどんどん下がっていた。彼女は知り合った当時20歳、ラムカンヘン大学の学生でもあると言っていた。出身はコンケーンとのことだったが肌の色も白く目鼻立ちもくっきりしていて、タイで美人と呼ばれる要素を全て持っていた。ぽんこつマンが知り合った時はまだBaccaraに入店して日が浅く、恥じらう姿もかわいいウブな女の子だった。しかし、バンコクの夜の街は、そんなウブな女の子をあっという間にプロのパパハンターに変貌させる。

ぽんこつマンが彼女を最初にペイバーして、その1週間後に再びペイバーした時は既に自分が人気があることを理解していたし、ぽんこつマンがいったん日本に帰国して1ヶ月後にまたBaccaraへ彼女を見つけに行った時には、すでにBaccaraでかなり人気の嬢に上りつめている風格を見せていた。自分をより魅力的に見せるためのメイク技術も身につけ、さらに頂上への階段を登る予感を感じさせた。しかし宝石や時計、バッグなどの身の回り品をブランド物に固めるようなことはなく、あくまでも清楚で可憐なムードは保っていた。

そんな彼女がさらに数ヶ月後には、Baccaraに姿をを見せることが極端に減って行った。それまではそれなりにあったLINEでのチャットにも既読がつかなくなることが増えた。他のゴーゴー嬢に彼女のことを聞いてみると、なんでも中華系の富豪に猛アタックされ、高額なサポートを受けていて働く必要はもうなくなっているという話が帰って来た。

そうか、そうだったのか。ぽんこつマンにはもう届かないところに行ってしまったのか。とうとう諦める時が来たと思った。実はそれから1年後にそれまで途切れていたLINEが一回つながった時があり、久しぶりに会いたいと伝えたら、会えたことがある。

以前より二の腕、頬、顎、腰、尻、太腿に脂が乗ってふっくらふくよかになっていた。その時に聞いたことは、もう大学に行っていないこと、現在は中華系の30代前半の社長のサポートがあること、これまで働いて貯めたお金で田舎のコンケーンに平屋のそれほど大きく無い家を建てる設計があること、今は既に高級自家用車(Mercedes Benz)を所有していること、などを教えてくれた。

見た目の清楚で可憐だったところがいちばんの魅力で、そんな彼女に引かれていたのだが肝心のセ●クスプレイは、相性がすごくいいということはなかった。再会した時も体を重ね合わせたが女としてすごく開発された感もなく、今後は生活力に富んだ賢明な母になるんだろうなと感じた。そして彼女とそれ以降会うことはなくなった。

その再会の半年ほど前には、同じBaccaraで別のオキニ嬢が出来ていて最初のオキニ嬢に未練は無くなっていたのだ。次のオキニ嬢もイサーン娘でコンケーンよりバンコクからさらに遠いウボンラチャタニ出身と聞いていた。年齢は当時28歳とBaccaraではかなり年齢が高く田舎に子供が居る嬢だったが、すらっと伸びた手足、細い首、細い腰、顎を少し上げた状態で立つと、その美しいボディーラインが際立ち、決して子供を産んだ女の崩れた体型は見て取れなかった。

しかしながらBaccaraでは、年齢のせいかそれほど人気があったわけではなく店でレディースドリンクをご馳走すると、丁寧なワイと笑顔を返してくれた。何度かペイバーし、ぽんこつマンを一人の上客として彼女が認め始めてくれていた。

彼女の実家はゴム農家で裕福ではなく家族のために毎日闘っているとよく話していて、金にシビアすぎるところがぽんこつマンには気になった。baccaraにはその後も何度となく行ったがオキニだけをいつもペイバーすることはこの頃から無くなっていた。二番目のオキニになっていた彼女は、それから2年くらいはBaccaraで働いていたと思うが、その後姿が見えなくなっていた。やはり年齢的に30歳を超えるとBaccaraという人気店でダンサーで指名をもらうのは厳しくなるのだろうか。

彼女の姿がBaccaraから消えて2年くらい経過した2018年にラインのタイムラインに彼女の投稿が上がっていた。久しぶりに連絡をしたら、今もバンコクにいてフリーランスで客をとっていると話していた。

「久しぶりだけど会ってみる?」と言ったらOK! という返事がすぐに帰って来た。「じゃ晩飯を食べよう。」というと昔ぽんこつマンと一緒にHuai Khwang(ホイクワーン)というエリアにあるソンブーン・シーフードという店で<プー・パッポン・カレー>を食べたことを覚えていたらしく、私がバンコクで住んでいるところの近くにもその<プー・パッポン・カレー>が美味しい店があるという。トントンというタイ(イサーン)料理屋で、ペッブリー通りとラマ9世通りを結ぶ南北の通りに面しているとのことで、そこで待ち合わせることにした。

待ち合わせ時間の午後8時に5分前に店に着いたら、彼女は既にテーブルでぽんこつマンの到着を待っていた。早速ビアチャン生3Lタワーといくつかの料理を頼んで、懐かしい話で盛り上がった。大量のビールを彼女もぽんこつマンもグイグイ飲んだ。1時間で食事も生ビールもなくなり会計を頼んだ時、彼女が「さぁ次は?」と言ったので「どこか行きたいとこあるの?」と尋ねたら「ウイスキーのボトルが入ってる店」と言ってまだ飲む気満々だった。向かった店はタワンデーンというタイ人には馴染みがある大きなバンドステージがあるパブだった。

このブログを書いている2020年6月時点はCovid-19による非常事態宣言令下にあり、臨時休業となっているがそのうち状況が改善すればまずあっという間に一杯になるだろうと思える賑わいぶりだった。物凄い大音量でタイポップのライブが演奏されていて、ステージにいる歌手や演奏者には頻繁に客がステージに近寄りチップを渡しに来る。

その店でほぼ空になったウイスキーをグラスに注いで彼女がもう一本ウイスキーのボトルを注文した。彼女はすごい酒豪だった。グラスの半分ほどウイスキーを注ぎ、氷を入れる。グラスの上部が少し空いているところにソーダを入れる。ほぼロックに近いソーダ割。それをグイ、グイと3〜4回ぐらいで空けてしまう。ぽんこつマンも酒は好きな方でかつては一晩で2升の日本酒を飲んだことはあるが、その時はもうそんなにはとても飲めなくなっていた。2時間でかなり酔ってしまった。彼女もそこそこ酔っていたようだが、店を出る時に「行く?」と誘って来た。長い間会っていないこともあったので、モノはためし、「いいよ」とあっさり返事した。そのタワンデーンという店があるパタナカーン通りを50〜100mほど東に歩いたところに、ロムレーンマンルートゥ(日本のモーテル)があり、そこにウォークイン。

基本は3時間、飲み物を頼んだりできる。彼女はそこでも大便ビールを一本グラスを2つ頼んだ。部屋代は3時間で300Bahtくらいだったか、ビール代と合わせて500Baht払って釣りはいいと言った。シャワーブースもキレイではないがそこそこ広い。日本ほど暑いお湯が出ることはないが、勢いはあった。モーテルスタイルなので宿泊も可能なのだろうがベットには上掛けの用意がない。彼女は先に軽くシャワーを浴びてぽんこつマンが後にシャワーを浴びる。ぽんこつマンがシャワーから出ると彼女はテレビを見てビールを飲んでいた。ぽんこつマンがベッドにあがると彼女は枕元に用意したコンドームに手を伸ばし、その行為の準備に入る。実に手慣れている。もう10年以上も体を張ってきているだけのことはある。細く長い指を持つ彼女の手がぽんこつマンの股間に伸び、玉袋と陰茎に刺激を加える。その絶妙なテクニックに酔っていたぽんこつマンのペニスはあっという間に充血し硬くそそり立った。彼女はその逸物に素早くコンドームを装着し、騎乗位でそれを自分の秘貝へ迎え入れる。グリン、グリン、スポン、シュポ、ズブゥ。彼女の腰はグラインドと上下運動を繰り返す。ぽんこつマンは両手を彼女の乳房に当てがい、内から外、外から内へと円を描くようにもみしだいていた。

10分くらいの騎乗位の後、彼女は四つん這いになり後ろからの挿入を求めた。ぽんこつマンはそれに応じ、後ろからズンと差し込んだ。蒸気機関車の車輪へ動力を伝えるピストンのように、ぽんこつマンの腰は激しく前後する。彼女のシリンダーはそのピストンの滑りを促すように愛液が溢れてきた。時折り膣口や膣壁がぽんこつマンの陰茎を締めつける。いつそんな技を身につけたのだろう。とても出産を経験した女性のものとは思えない秘部だ。最後は、正常位そして屈曲位でフィニッシュした。

部屋で少し気が抜けたビールに口をつけ、ハグした後に二人は部屋を出て、それぞれの帰路についた。ぽんこつマンが自分の部屋に戻った時は午前2時を回っていた。それ以降彼女からちょくちょく連絡がきた。多分酒を大量に飲ませてくれる都合の良い男がそうそう多くはいないのだろう。次に彼女に会ったのはその時から半年経ってからのことだったと思う。

ぽんこつマンがアジアに堕ちた経緯②

ぽんこつマンの現在の連れ合いになっている女性と初めて知り合った20世期末に日本で婚姻関係にあった女性から離婚を求められ、すんなり離婚を決めることになった。離婚の直接の原因は未だ不明だが、ぽんこつマンの当時の仕事があまりにも多忙で、大阪にあった職場から東京への頻繁な出張と大阪での午前3〜4時までの超過勤務、はたまた海外への出張も相まって自宅にいる時間が極端に少なかったことも離婚の原因の一つだったのだろう。

しかしながら、離婚が成立したことでそれまで毎年2回はハワイへの休暇を守っていた時間がすっかりハワイでなくても良くなり、時差の少ないアジアへの国への休暇が増えていった。海外出張で覚えたCASINOでルーレット遊びをマカオや仁川、ソウルなどで楽しめることもあり、そちらにもしばしば出かけた。特にマカオは、中国返還前から足を運んでいたところで、香港からフェリーで簡単に行けたこともあり、深夜には銃声が聞こえるなど中華系マフィアの抗争とも思える事件もあったタイパ島の、少し危うい香り漂うリスボアホテルのカジノによく出掛けた。今から20年半前の1999年12月に中国に返還となったが、当時はコタイ地区はなくタイパ島の旧エリアにはスパやサウナ、夜総会といった風俗があり、中国人はもちろんアジアの様々な国の嬢と躰を絡める事ができる。またリスボアホテルの地下通路には、かなりのレベルの美女が客引きをしていた。最近は相場が上がっていると思われうが、当時は500HK$でその美女が使うホテルの部屋で遊ぶ事ができるのだった。

カジノで泡銭が出来れば、サウナに行くかリスボアの地下通路の美女としっぽりを楽しむのだが、必ず勝てるわけでもない。それは韓国ソウルでも仁川でも同じでカジノで遊ぶことに熱中し過ぎで風俗遊びができないことも多かった。

タイでのオキニになった現在の連れ合いの元へも年に数回のペースで通っていたが、飛行機はそのオキニが住むチェンマイには私が働いていた大阪からのダイレクトフライトがなく、仁川を経由して大韓航空でチェンマイに入るかバンコク を経由してチェンマイに入るかの選択はどんどんバンコク経由が増えていくことになった。

それはバンコクにはゴーゴーバーもバービアもカラオケクラブマッサージパーラーもチェンマイと比べ物にならないくらいの数があり、比べ物にならないくらいの美女にも巡り合える機会が多いということだ。

こうしてチェンマイに滞在する前後をバンコク で過ごす機会が増えていった。そしてチェンマイの連れ合いには内緒で土日こっそりバンコクで過ごす機会も増えていった。土日をバンコクで過ごす時は、金曜日の深夜大阪発BKK早朝着便へ向かい、日曜日の深夜BKK発大阪早朝着の便を使うのだが、ぽんこつマンもどんどん年齢を重ね深夜フライトでは眠る事ができなくなり、月曜日バンコク早朝発で大阪正午近くに着く便にする事が増えた。

今から15年ほど前は、早朝バンコクに到着後タクシーでゴルフ場に行き、1プレイしてからホテルにチェックイン。土曜の昼下がりに遮光カーテンを閉じて一眠り後夕方からナナプラザやソイカウボーイへ出かけて遊ぶパターン。当時バンコクでのゴルフで一番驚いたのは、コースに到着後客待ちしているキャディーをカラオケやMPの女の子を選ぶと同じように、自分で選択するシステムがあるコースがあり若くて可愛いキャディーを集めていることだった。

最近バンコクでのゴルフはあまりしていないが、今でも記憶しているコースの一つがパンヤインドラ(http://www.panyagolf.com)。プレイ中に「19番ホールも一緒にプレイできるのか」と尋ねたら、「一緒にご飯を食べてホテルまで行ってくれる女の子もたくさんいる」とのことで、プレイ中に金額交渉してお持ち帰りとなるとのことだった。

http://www.panyagolf.com/en/contact-us/ から引用

ぽんこつマンは、深夜フライト後の早朝ゴルフなのでゴルフのプレイ後は夜の出陣のためホテルで休む事をいつも優先したのだが…….。

バンコク市内の遊びは、夕方5時くらいに軽く飯を食べ、まずはバービアへ。バービアで2〜3時間ほど飲んで、夜の8時に開くゴーゴーバーへ。バービアはナナプラザ界隈、ゴーゴーバーはソイカウボーイがぽんこつマンのパターンに定着した。バービアをでてソイカウボーイへ向かう時はほぼ歩き。肝心のホテルいつもはスクンビットソイ3からソイ33くらいまでのエリアで探していた。BTSが無くなる午前0時を過ぎても歩いて帰れる距離と安全を考えてのことだ。ソイ19のThe Key Bangkok(http://www.thekeybangkok.com/en/?utm_source=GMB&utm_medium=HotelHomePage), Sacha’s Hotel Uno(https://www.sachashotel.com), アソーク交差点に近いSukhumvit Suites Hotel(http://www.sukhumvitsuitesbangkok.com) などはソイカウボーイからペイバーした女の子とでも歩いて帰れる距離にあり、ジョイナーフィーも無く良く定宿として利用していた。

ソイカウボーイで日本人好みの女の子が多いゴーゴーバーは、当時からBACCARAだったと思う。最近は韓国人、台湾人、中国人の客が幅を聞かせて日本人は肩身が狭いが、15年ほど前は日本人客は、「優しい」「ケチじゃない」「乱暴じゃない」「しつこくない」と評判は良かったと思う。ぽんこつマンもBACCARAでペイバーした女の子が一番多い。ある時は一人の女の子に惚れ込んだこともある。そしてもう一軒ぽんこつマンが通ったゴーゴーバーがTilac-Barだ。この店はダンサーのレベルは高くないが、ホステス(客を席に案内し飲み物の注文を取る役)に面白おかしい女やババアがいて、一緒に飲むと楽しく過ごせる。ペイバーだけが目的だと残念な事が多いが、楽しくお酒を飲みたいというなら夜10時まではHappy timeでドリンク代も80Bahtと割安だった。ただしレディスドリンクはhappy timeの料金にはならないので、ホステスやダンサーにガンガン飲ませると、結構良い金額になることに注意してほしい。Tilac-Barは、草彅剛主演のテレビドラマ(CX系)「銭の戦争」の一話に日本人の金持ちを騙す舞台として登場する。

バンコクにもエスコートクラブ(https://www.newbangkokescort.com/girls/ 他)があり、ネットで事前に女の子を予約して一緒に遊ぶ事ができる。ぽんこつマンもモノは試しと一度使ってみた事がある。エスコートクラブの女の子は、2時間、4時間、6時間、10時間、24時間と利用時間が長くなればなるほど時間あたりのコストが安くなる。ぽんこつマンは一人の女の子を選んで24時間を依頼した。今日改めて見てみると24時間では12,000Baht になっているようだが、当時は24時間で8,000Baht だったような気がする。ぽんこつマンが空港に着いたら迎えが来ていてバンには既に予約した女の子が待機していた。ネットの写真で見たより多少ふっくらして年齢も少し高めと思えたが、充分満足できるコケティッシュな雰囲気を持っていて、宿泊先として予約していたコンドに到着後、飯を食いに出る以外はずっとセ●クスもその子はOKだった。24時間の擬似恋愛遊戯はあっという間に経って別れる時間はやって来た。本当は直接の連絡先交換は禁止なんだろうが、彼女は快く電話番号を教えてくれ、写真も赤外線通信で送ってくれた。あくまでも女の子が嫌がることを強引に要求せず、紳士的に接したことが彼女には好印象だったのかもしれない。ただその後、彼女と再会することはなかった。当時は既にお気に入りのゴーゴー嬢がいて、ずっと彼女を追いかけていたかったからだ。

かくしてぽんこつマンは、バンコク=クルンテープ(天使の都)という魔都の魅惑に沈んでいくことになる。

ぽんこつマンがアジアに堕ちた経緯⓪

あれはいつのことだったか、すでに確かな記憶はない。まだ日本では携帯電話の普及がそれほどでもなかった頃で、たぶんぽんこつマンが関西セルラーを持ってさほど経過していない頃だったと思う。関西セルラーが誕生したのが1987年らしいので、多分1989年あたりではないだろうか。当時日本はバブル経済の真っ只中。まだハリソンフォード出演のCMで一気に知名度を上げたツーカーホン関西ができる前だったと思う。当時は仕事仲間と夜はよく羽目を外すことが多かったが、特にタイポップスが流れるタイフードとタイビールを飲める店で、タイ旅行を主催する旅行会社の人や、タイ政府観光庁の女性職員、在日タイ領事館の女性職員と午前3時〜午前6時くらいまで飲み明かす日がかなりあった。

ある日のこと、タイ政府観光庁の女性職員から「いつもは旅行関係者ばかりをタイ旅行に招待してきたが、次はメディア関係者を招待することになった」「行かない?」とぽんこつマンと一人の友人Sがタイ招待旅行に誘われた。それまで国内のタイ料理やタイバーへはよく出かけていたが、タイ王国に行ったことはぽんこつマンは無かったのだった。「えっ、俺たちメディアの人じゃ無いけどぉ」と答えたが、「広告関係もまぁメディア関係ということで、上に了解取ってある」となり、その招待旅行に参加することになった。当然自分たちの仕事では無いので、休暇を取っての参加であった。

旅程はプーケット2泊、ホアヒン2泊、バンコク1泊だったかなぁ。当時、タイ政府観光庁は特に女性向けにホテルでの高級スパ体験や男性には王様気分を味わうようなプレーヤーに1人〜2人のキャディーがつくタイゴルフを押していて、プーケットはドゥシタニ(https://www.dusit.com/dusitthani-lagunaphuket/ja/)、

ホアヒンはヒルトン(https://www3.hilton.com/en/hotels/thailand/hilton-hua-hin-resort-and-spa-HHQHIHI/index.html?WT.mc_id=zELWAKN0APAC1HI2DMH3LocalSearch4DGGenericx6HHQHIHI)が用意されていた気がする。

プーケットでもホアヒンでも2日目の朝はゴルフがセッティングされていて、夜はホテルでパーティーがありゴルフコンペの表彰式もあったことを覚えている。ぽんこつマンと友人Sはその豪華旅行を十分に堪能したが、それでも自由な時間はホテルを抜け出し、街場のタイマッサージやバービアを梯子した。プーケットパトンビーチのバービアで友人Sは見た目超綺麗な娘(実はレディーボーイ)に捕まり、次の飲み屋に連れ出すことになったが、一軒行ってさてホテルへ連れて帰ろうと友人Sが話かけてきた時に、たまたまタイ政府観光庁の女性職員に「あの娘は男よ。喉仏見てみて」と打ち明けられ、友人S はお持ち帰りを辞退した。ホアヒンでは、プーケットの失敗が後を引いたのかサムローに乗り現地の置屋にまで足を運んだが友人Sはその気にならず、ぽんこつマンだけがプーケットでもホアヒンでもお持ち帰りした結果になった。

いよいよ招待旅行の最終日、バンコクの日となった。ホテルは、チャオプラヤ川沿いの5つ星だった気がしたが、記憶が定かでは無い。この日は、ホテル到着後自由行動だったのでぽんこつマンと友人Sは、当時のガイドブックを見てナナプラザに出かけた。

1階から3階までほぼ全ての店を覗いて何軒かのゴーゴーバーやバービアに連れ立って入り、一巡りしたところで2時間ほど互いに自由行動とした。ぽんこつマンは、今はもう店が変わってしまっているが一階(GF)のセンター奥にあるバービアで J と名乗る身長160cm位の可愛い娘に目が止まり、そこで飲み続けた。友人S は、現在NEW ROLLIPOPとなっているゴーゴーバーの前にあるテーブルに座っていたウボンラチャタニー出身のイサーン娘が気に入ったようだ。深夜1時を過ぎた頃に待ち合わせをしていたので、お互いペイバーしてホテルに戻った。

ぽんこつマンはかなり酔って気分も昂揚していた。まだタイ旅行に不慣れだったため、フロントで鍵を受け取る時にペイバーした女の子の身分証明書を預かるシステムが今ひとつ気に入らなかった。通常ならショートでやることが済めば女の子を解放し女の子は身分証を受け取ってホテルを出るので特にこれまでは何も言わなかったが、ぽんこつマンはその日はチェックアウトの時間まで一緒に彼女と過ごすつもりだったので、宿泊を共にするゲストだと主張し、「身分証明を提示し、名前を記帳すればよく何も預ける必要は無いのではないか」「チェックインの時間がずれているだけ」と、フロントマンに噛み付いた。結果は彼女がもういいといって身分証を預けてしまったが、タイ女性を身なりで客と一線を引き夜伽女と決めつけるタイのホテルシステムがおかしいと思ったのだ。日本においては、ダブルで予約された部屋に後から女性を連れて入る時、その女性の身分証を預けろとは言わないだろうから。その状況を見ていた友人Sは、ぽんこつマンのことをあの時のタイ人女性へのホテル側の偏見に一石を投じた発言には感心したと今も言ってくれる。今では客の安全を確保するために、夜を過ごすためだけにやってきたと思える人の身分証を預かるというシステムは理解できるんだがね。

ぽんこつマンと友人Sはこうしてその夜限りのパートナーと部屋に入った。J と名乗るぽんこつマンのパートナーは静かにベッドに腰を下ろした。ぽんこつマンはその傍に寄り添い座り、髪を撫で手を握り手の甲にキスをした。この時、ぽんこつマンは英語を少し話せるだけで J も簡単な英語が話せるだけだったが、その後の言葉はほとんど必要としなかった。微笑んで彼女の顔を覗けば、彼女は少し恥じらいながら微笑み返す。彼女の首に優しく手を沿わせ唇を奪ったら彼女の舌がぽんこつマンの口にするり入ってきて濃厚なキスになる。彼女の手が私の背中に回り私も彼女の背中に手を滑らせる。私の手が彼女の腰辺りに進んだ時に彼女は、ベッドにゆっくりと倒れ込んだ。

二人はベッドの上でお互いの躰にまとわりついている衣服を剥ぎ取っていく。少し褐色の内腿にはバラの花、背中肩越しにはバタフライが鮮やかに彫られていた。

ぽんこつマンはそのタトゥーが彫られた肌にキスし、手をとってシャワーブースにJを誘った。お互いの肌に石鹸を滑らせ抱き合った。やがてぽんこつマンの指が J の秘部に触れる。熱い。秘部からは既に濃厚な蜜が溢れ出していた。激しいスコールに打たれているかのようにシャワーを浴び汗を洗い流した肌からは石鹸の甘く切ない香りが漂う。二人は備え付けの少し上等なバスタオルで軽く体を拭きあい、再びベッドへ倒れ込んだ。バスタオルを剥がすと熱くなっている躰をエアコンの冷気が滑っていく。

二人の躰は激しく絡み合い、唇は互いの躰を求めあう。もう J の秘部は愛の蜜に溢れ、ぽんこつマンの膨張した突起物を迎えようと波打っていた。ぽんこつマンはゆっくりとその逸物を の秘部に当て少しずつ中へと沈めていった。愛の蜜はさらに増え、抜き差しのたびに隠微な音を立てている。クチュッ、、、、グジュッ、、、、ジュルッ、、ズビュッ、、グジュッ、、、、、。角度を変え体位を変え、幾度となく喜びを味わった。その感触は、ぽんこつマンがこれまで味わってきた感触の中で最上に位置するものであった。

翌朝、二人は別れを迎える。部屋を二人で出てゆっくりと扉が閉まるのを確認し、ホテルロビーへ向かう。フロントで彼女は昨夜預けた身分証を受け取った。ホテル玄関まで二人は無言で進み、ドアボーイがドアを開けたところで再びきつく体を抱き合った。その時二人は情婦と客ではなく、恋に落ちた関係を互いに感じていたに違いない。当時は、携帯電話こそあったもののスマホもSNSもなく、国際電話料金は個人としての負担が大きすぎてかけることもできず、日本へ帰国してからの連絡手段はE-mailのみ。彼女が街のネットショップのPCで自分に来ているE-mailを1週間に一回くらいチェックし、返信するということでしか連絡はできなかった。

それまでは年に2回はハワイへ10日ほど休暇に出かけていたが、J に巡り会ってから休暇が取れるならタイに行って J に会いたいという衝動が生まれるようになった。それからしばらくして日本では当時まだ婚姻関係にあった妻が、突然離婚してほしいと言い出した。理由は一切言わなかったが、5年前に流産しその年の年末に子宮頸癌が見つかり、子宮摘出手術を受けていた。がん摘出から5年経つまで離婚を切り出すのを待っていたと言われ、そこまで思い詰めているならと離婚に応じることにした。ハワイへの休暇はその当時の妻との結婚当時からの約束事だっので、離婚が成立してからはハワイへ行く大きな動機が消えていた。こうしてぽんこつマンは休暇が取れる時はタイへと向かうようになったのである。

その後 J とは数回会えたが、ぽんこつマンの仕事が忙しくなり海外を転々としているうちにしばらくメールを送れなかった。まぁ、ナナプラザのバービアに行けばまた会えるだろうとタカを括っていたが、しばらく空いてしまってメールを入れても返事が来なくなった。バンコク を訪れるのが1年以上開いただろうか。ナナプラザのバービアにもジャックの姿は見えなくなっていた。店のママに聞いても、当時 J と一緒に働いていた女性に聞いても行方はわからないとのことだった。その後も何度となくE-mailを送ったが返事が返ってくることはなかった。Jを失った大きな喪失感は今も消えることはない。それほどJとの濃厚な恋の感覚は強くぽんこつマンの脳裏に刻まれている。ぽんこつマンがこうしてアジアに落ちていくことになったのはJを失ったショックからと言えるだろう。

ぽんこつマンがアジアに堕ちた経緯①

それはぽんこつマンがまだぽんこつになる20年くらい前、1998年だったと思う。仕事のつながりで日本の冬にグリーンな芝のロケーションを探すことになり、日本の冬が夏であるオーストラリアのコーディネーターにロケーションリサーチを依頼していたが、既にタイの魅惑に触れていたポンコツマンは、会社に休暇を申請しタイのゴルフコースを北から順に巡る旅を計画した。最初にチェンライ、そしてチェンマイと移動して5つくらいのゴルフコースをプレイした。チェンライではサンティブリカントリークラブとウォーターフォード ヴァレー ゴルフ コース。

1日1コースを朝から廻るので、当然昼からは飯を食う、酒を飲むということになる。チェンライ、チェンマイでタイマッサージはもちろん、マッサージパーラーやゴーゴーバー、カラオケにも行ってみた。

当時はタイ語が話せるわけでもなく片言の英語だけがコミュニケーションの手段だったが、当時は臆することもなく昼飯を食べた午後2時くらいからいかにも怪しいドアを開けてマーサージパーラーの金魚鉢を覗きに行った。それまでタイ人は日本人より肌の色が黒いものと思っていたが、当時この北部タイの歓楽場には、途方もなく透き通るような白い肌を持つ女性が働いていることを知った。

ちょうど5日目の夜、今はあるかどうか定かでは無いが、Olivia、Olivia2(現在は閉店して長く跡形もない廃墟となっている)といったカラオケバーがチェンマイのチェンマイランドというエリアにあり、宿泊先のホテル(インペリアルメーピンホテル)からトゥクトゥクに乗り、カラオケクラブOlivia2に行ってみた。

ぽんこつマンはカラオケを歌いたいわけではなく、カワイイ女の子と仲良くなりたいということで出かけたが、午後8時ごろ店のドアを開けたら女の子が集まったばかりらしくまだ着替えていない女の子もいて慌ててソファーに集まってきた。一人でやって来た日本人らしき男を見てみんな指名を貰おうと必死に笑顔を作っていた。

私が選んだ女の子は、小柄な丸顔の子。なんでも店に一人でやってくる日本人はまずいないらしいことを彼女は拙い英語で話してきた。ビールを頼んで乾杯し、30分位その店で過ごして彼女をペイバーした。ホテルに一緒に戻り、朝まで過ごす。朝ごはんをホテルで二人で食べて、彼女の家に行くことになった。サンカンペーンにあり、そこに母親と過去にタイ人男との間に生まれた一人娘がいた。当時は初めての東南アジアで知り合いからも情報誌からも食当たりに注意するようにとの情報を得ていたので、その子の家で出された一杯の水も一口触れて、それ以上飲まなかった。結果この日はゴルフコースに行くこともなく、その子とは連絡先を交換してホテルに戻った。

こうしてぽんこつマンのアジアへ落ちる生活は始まった。その翌日、ゴルフコースから帰って来てチェンマイ市内にあるギャラリーカフェという店にお昼ご飯を食べに出かけた。そのカフェで静かに読書をしながらお茶を飲んでいる女性の隣のテーブルに一人座った。どんな女性なんだろうと視線を送ったら偶然目と目が合ってしまった。お互いに微笑み、簡単な英語で話かけてみた。彼女の答えは、昔、「この辺りは田舎から出てきて住み始めた場所」で「久しぶりにこの店に来た」との事だった。私はゴルフコースを下見する旅をしていることを話し、「良ければ今晩の食事を一緒にしないか」と誘ってみた。

答えは、なぜかOKだった。その晩またその店の近くにあるグッドビューというピン川に面したレストランで食事をした。彼女は身長が小さいことを気にしているが、ぽんこつマンは身長の大きい子はさほどタイプではなかったし、何より彼女の胸の膨らみ、そして声と仕草が妙に気になっていた。彼女は当時チェンマイに一人で住んでいて、食事の後も特に家に帰る必要もないとの事だったので、ホテルに誘ってみた。ホテルについてフロントで鍵をもらうときに、フロントレディーがクスッと笑ったような気がしたが、どうも昨日の女性と違う女性を連れてきたのがおかしかったのかなと思った。

こうしてぽんこつマンはアジアに堕ちる道を進み始めた。翌日はバンコクに飛び2日後は日本へ戻る予定だった。翌朝になりホテルをチェックアウトし、空港へ向かう時も彼女は私についてきた。妙に彼女に愛おしさを感じたのを今も覚えている。荷物を預けフライト時間が来るまで空港の珈琲ショップで彼女も同じ時間を過ごした。そしてとうとう出発の時間が迫ってゲートへ向かう時に彼女に手を振ったら、それまでおとなしい笑顔を見せていた彼女の目に涙が光っていた。

結果彼女とはその後も幾度となく会うことになった。彼女は実はぽんこつマンの現在の連れ合いになっている。その日から数年は年に数回チェンマイを訪ね、彼女のアパートで寝泊りする生活が続いた。