3回のアンヘレス体験

アンヘルス(Angels)は、その表記どうり英語読みすればエンジェルス。街の名前がずばり、「天使」という街だ。ぽんこつマンがSkoutでフィリピーナをナンパしてオフパコ・セフレ化するようになって、フィリピンの風俗を調べる度にアンヘルスで遊んでいる人がたくさんいることを知り、是非体験してみたいと考えるようになった。

そこでアンヘルスへは3回行った。1回目はもう記憶が定かではないが、マニラからバスに乗って。2回目は2016年8月31日−9月4日の3泊。これは成田からマカオ航空でマカオへ飛びマカオからセブパシフィックでクラークという形での往復。そして3回目は、2018年10月22日タイ・チェンマイからマカオにエアアジアで飛び、マカオからセブパシイックでクラークへ行き3泊した後、クラークからセブ(セブパシフィック)に飛びセブで1泊して翌日バニラエア で成田に戻った。

最初と2回目は、記すに値しない場末的なホテルに泊まったが、3回目はペイバーを意識して少し居心地のいい宿を探した。セントラル パーク タワー リゾート、そこはアンヘルスのゴーゴーバーがひしめくフィールズアベニューからも徒歩圏内だが、部屋の内装や調度品も場末的ゴーゴーバーの街の雰囲気とは対照的だ。

なぜ3回目の宿をそこにしたかというと、そのアンヘルスという街でやることといえばゴーゴーバーのハシゴとバーファインして連れ出した嬢とのセ●クス 以外にする事がないからである。少しでもいい環境を用意して、ピーナとの情事の記憶をいいものにしたかったからだ。

3回のアンヘルス訪問でペイバーした嬢は、全8泊でわずかに4人。それもそのうち2人は、同じ店から同時にペイバーしたからペイバーした回数はわずか3回。これまでに行ったバーはもう店の名前も変わっているかのしれないが、フィールズアベニューから2kmほど西に行ったDon Juico Ave.沿いにある、F1PoseidonRoadies BarAfter SchoolOrange、そしてそこから少し東にフィールズアベニュー方向へ戻って、Honey KosBlue Sapphire。この辺りは日中から営業している店が多いが韓国人の客が圧倒的に多い印象で、かわいくスタイルのいい娘は、既に韓国人の使命が入っていていちゃついていて、踊ることもないので隣に呼べない事が多い。同じバーファインを払ってペイバーするなら上玉を狙いたいところだ。さらに東へ進んで、フィールズアベニューに近づいたところにある、Brown SugarNB Club、SoyaLas Vegasも覗いた事がある。フィールズアベニューの中では、Red BarQ BarClub AtlantisDoll HouseLollipopLaBambaRhapsodyShootersChampagneVaikingFlamingoBaccara BarParo Paroを回った。店に入って席につかずに、ゴーゴー嬢のレベルと楽しめそうな雰囲気かを見て、ダメだと思えばすぐに出て次の店へ行く。ゴーゴー嬢のレベルが高くなくても、楽しく飲めそうなら席に座り、ジントニックを頼む。

そんな感じでアンヘルスのゴーゴーバーはかなり回ったが、ぽんこつマンにとっての天使(Angel)を見つけることは難しかった。わずか3回のペイバーの女の子もマニラやセブでオフパコした女の子に比べ、さらに下層な印象でとても天使と思えるレベルにはなかった。

飲んで楽しめる店はいくつかあったが、新しい携帯電話をセガまりれたり、美容院代と称して小遣いをねだられたり、ショッピングモールで洋服を買わされそうになったりした。飯を一緒に食べいったん部屋に帰って、いざセ🟣クス となるとあまりにも業務的でペニスがギンギンになることは一度もなかった。

とにかくアンヘルスには若い嬢が多いとのネット上の情報は多いが、ぽんこつマンにはそんな印象はなく、殆どの嬢にはくっきりとした妊娠線と、出産後どうしても凹まないポッコリお腹、そして垂れ切ったデカすぎる尻、セルライト盛りだくさんの太もも。お金を払ってまでお試ししようとは思わない嬢が多すぎて、時間とお金をかけてわざわざやって来たことを3回のチャレンジではっきり後悔したぽんこつマンであった。

セブシティのOL をオフパコ

Skout というアプリで登録している世界の女性とチャットが出来ることは既に他の記事で紹介している。今回はセブシティのOLとのチャットに成功し、実際にセブまで飛んでオフパコし、セフレになったことを書こうと思う。

2016年、マニラでフィリピーナのセフレをゲットして、フィリピンへの渡航が増えた。フィリピン航空でマニラに行くだけでなく、セブパシフィック、バニラエアが飛んでいたセブにも興味が湧き、Skoutでセブシティ近郊で登録している女の子を探した。女の子の数はマニラ近郊で登録している子より少なかったが、何人かとチャットができるようになった。その中で私の好みである肌が白く、OLをしているという女の子の食いつきがよくLINE交換もしてセブで会おうということになった。

フライトは2016年12月から運行していた、バニラエアを片道予約した。日本への帰国の前にアンヘレスのあるクラーク空港やマニラニノイアキノ空港へもフライトがあり、一回の旅程でフィリピンの都市を繋いでも、航空券の費用はかなり安価に抑えられるセブパシフィックを帰路に利用することにした。

セブでの宿泊先は、ビーチアクティビティが目的ではないのでセブシティで探した。アラヤショッピングモールに徒歩圏内で、ビキニバーが集中しているマンゴストリートにもタクシーでサクッと行ける、ホテル・エリザベス・セブという4つ星ホテルを選んだ。セブは2泊でその後はマニラでSkout でオキニになったセフレに逢いにいくのだ。

セブで会う予定にした女の子は、セブマクタン空港でぽんこつマンの到着を迎えてくれるということになった。バニラエアが着陸態勢に入った。雲の合間からエメラルドブルーの海と島が窓から見える。機体は大きく旋回し、マクタン空港の滑走路に滑り降りた。

この時が初めてのセブ訪問だったが、セブマクタン空港はアジアでは有数のリゾート地で、それほど大きな空港ではない割に、イミグレーションのブースは多かった気がする。バニラエア の座席は 1Cだったので誰よりも早く降りることができた。入国審査と通関を通過して、スマホのSIMを購入した。アライバルゲートから外に出て、迎えに来ているはずの女の子を探した。

Skout で知り合いLINE で届いた彼女の写真

タクシースタンドは右にあるのでそちらに歩いた。するとターミナル側に待合室のようなスペースがあり、そこに彼女らしき女性は座っていた。LINEでチャットして手を振ると彼女もぽんこつマンに気付いてその待合から出て来た。ふたりでタクシースタンドに向かう間に彼女はぽんこつマンの腕に彼女の腕を絡み付けて、いきなり恋人同士のモードになった。

タクシーでホテルに向かった。空港を出て日本の資金援助でできた新しい方の橋を渡りセブ島に入ると、まだ夕方でもないのに何度か渋滞にひっかかった。1時間くらいはタクシーに乗っていただろうか。タクシーの中で彼女の仕事が設計事務所の経理事務をやっているとのことだったが、大きなプロジェクトが終わって、最近その仕事を失ったという話を聞いた。住んでいるのはマクタン島で、母親と弟の3人暮らし。ホテルに到着しチェックインを済ませて部屋に入る。荷物から彼女への土産として空港で買ったルージュを取り出し彼女へ渡した。ホテルにはWiFiがあり、その設定をした。当時はフィリピンの携帯SIMでの通信が安定していない時があったし、データ量がなくなることも多かったのでホテルの WiFi 使いは必須だった。時計は17時を指していた。成田からの出発で、部屋を出て以来空港でコーヒーを飲んだだけで、何も食べていなかった。日本時間では18時、かなり空腹を感じていた。

LINEで彼女との最初のディナーはシーフードにしようと話していて、その候補を聞いてみた。その店は、STK Ta Bai(http://STK Ta Bai)。フィリピン大統領がセブに訪れたときにこの店をチョイスしたらしい。ホテルでぽんこつマンも検索して保存した。

タクシーでその店へ出かけた。

フィリピンローカルに人気の店のようだった。店内にはこの店を訪れた有名人の写真や骨董品の装飾があり、独特の雰囲気を醸し出していた。注文した料理は、カニ、エビ、帆立、と野菜の皿。最初にサンミゲルライトを頼んだ。彼女はアルコールアレルギーがあるといいコーラを頼んだ。サンミゲルライトを飲み干し白ワインも注文した。料理の盛り付けは気取ってはいないがボリュームたっぷり、しっかりした味付けがよくあう。多くの皿を注文して食べきれなかった。残してしまうのも悪いので、持ち帰りにして貰った。彼女は弟に、料理をりに来るよう電話したようだった。

ホテルの部屋でセブの街のレストランやバー、カフェ、それにショッピングモールの情報とセブのコンドミニアムの状況を彼女から聞いた。まだまだいいレストランやカフェは、山の方にも、マクタン島にもたくさんありそうだった。既に満腹であったが、明日はセブの高台にあるというフレンチかイタリアンに行ってみようと思った。

部屋でそんな話をして2時間くらい経っただろうか。彼女の携帯が鳴った。弟が今ホテルの前に来たと言った。彼女と一緒にロビーに降りて行き、弟という男に先程のドギーバッグを手渡した。その男はあまり彼女に似ているとは思えなかったが、兄弟ということに対する真偽の程はぽんこつマンには関係なかった。

彼女の家族はセブではかなり貧しい暮らしをしていて、家もボロボロで雨漏りが絶えないとも言っていた。ぽんこつマンはセブでの住宅事情に興味が湧いて、彼女に家を持つならどのくらいお金が必要になるかという話をしてみた。彼女の話ではセブ市内はかなり高い。セブから離れた田舎なら土地はそれほど高くはないが、家を建てるとなると誰が建てるかで金額は大きく変わると言った。なんでもバラックのような家なら自己流で立てることもできるという。しかし材料を運ぶ車も基礎となるコンクリートも自分で手配しないといけないので、業者に頼んだほうがいいという話をした記憶がある。旅行者の中には、コンドミニアムを買っている人もかなりいるという話もあった。

彼女はぽんこつマンのことをどう思っているのかと考えた。空港でいきなり恋人気取りの腕組み、その割にホテルの部屋に入ってもキスを求めたり、ハグを求めたりしない。LINEでチャットしていた時は、かなり際どいところまでいける感じがしたのに…….。

彼女にそっと接近して肩を抱き寄せてみた。抵抗はない。おでこにキスしてみた。これも抵抗はない。「シャワー浴びない?」と切り出したら恥ずかしそうに無口で頷く。これでようやくベッドインを受け入れてくれたことを確信した。

バスルームで洋服を脱ぎ下着を外す彼女。シャワーブースの中から彼女においでと合図したら、小さな体ながら大きな乳房を片手で隠し恥ずかしそうにシャワーブースに入ってくる彼女、ぽんこつマンはボディージェルを掌にとり、彼女の肩から脇、そして乳房にそのジェルを滑らせた。

あれっ?

左の乳房はとてもソフトなのに右の乳房は乳首より右側がかなり硬く感じる。「どうしたの?これ」と聞いてみた。彼女はよくわからないけど、しばらく前からどんどん硬くなっているという。最初は小さなしこりが今はテニスボールくらいの大きさになってしまったのだそうだ。

ぽんこつマンはその時、なぜ彼女がホテルで積極的にならなかったのかがわかったような気がした。いざベッドで男と女の関係を始めた時、男がその胸のしこりに引いてしまうこと恐れていたのだろうと思った。

ぽんこつマンは「そう」と答えて彼女の脇、下腹部、背中、腰、お尻、あし、そして淫部にボディジェルを滑らせ洗い上げた。彼女がぽんこつマンを洗ってくれているときに「病院に行った?」と聞いたが、「お金がないから病院には行きたくない」と答えた。

シャワーを終えてベッドに行き、横になった。「いいの?」と聞いたら「うん」と頷く。ぽんこつマンは、彼女の上になり額にキスをした。そして彼女のうなじをさすり、手を肩から腕へ、そして横乳へ進み、腰のくびれまで撫で下ろしてから彼女の唇を奪った。それから両方の乳房をやさしく愛撫した。

ぽんこつマンの口と舌が彼女の乳首に進んだ時に、はっきりと舌先でも右乳房にあるしこりを感じることができた。白く透き通り吸い付くような肌を持つ彼女の腰そして下腹部まで舌を滑らせた時、彼女はぽんこつマンの股間に顔を近づけて来て、ペニスの根元にお返しのキスをした。

ぽんこつマンが一気に彼女の花芯に舌先を進めると彼女は、ぽんこつマンのペニスを口の中に沈めて舌を動かす。ぽんこつマンがした先を彼女のクリトリスから膣口に移すと、彼女は「あー ー ー っ」と喘いだ。

ぽんこつマンは、シックスナインの体勢を解き、コンドームを装着して正常位で彼女の花芯に亀頭を挿入した。彼女の細くて白い腕がぽんこつマンの腰に絡みつき引き寄せる。10回くらいの早いピストンの後にゆっくり引きゆっくり押し込む挿入を3回、5回の早いピストンとゆっくりの弾き押しを2回、変調子のリズムで彼女の喘ぎ声はどんどん高くなった。

正常位と屈曲位を繰り返した後、ぽんこつマンはいったんペニスを引き出し彼女の背後から挿入し直した。彼女は左胸を下にして横になり膝を曲げて尻を後ろに突き出した。右胸のしこりの固さが気になるのか彼女は右側の乳房をいつも庇うようにして体勢を作った。

ぽんこつマンはできるだけ奥に刺激を与えられるように彼女の腰骨を掴み、ペニスの根本を彼女の膣口に押し当てながら円を描くようにグラインドさせた。コンドーム にカバーされた亀頭が彼女のポルチオに当たって刺激を加える。「コリッ、コリッ、、、、コリッ、、、」彼女が強くピローを握りしめて括約筋を締めたことがわかった。ぽんこつマンはその瞬間から間もなくフィニッシュを迎えた。そしてしばらく抜くことなく彼女の花芯の中にペニスを留め置いていた。なかなかぽんこつマンのペニスは鎮まらない。

彼女の膣が収縮するのを味わって一旦ペニスを引き抜き、一度ティッシュでコンドームとザーメンを拭ってから新しいコンドームを装着して改めて挿入した。後から彼女の乳房をしっかり手で覆い、中指の腹で乳首をこねた。彼女はその度に膣を締めてぽんこつマンのペニスはその刺激を感じる。

彼女のそれはなかなかの名器だった。ただ残念なのは右胸にあるテニスボール大のしこり。もしかしたら乳癌なのではと気がかりになったが、もしそうなら彼女の命はそう長くないとも感じた。

フィリピンで裕福ではない家庭に生まれて生活を維持するだけでやっとな女性が、万が一医者に乳がんを宣告されても、医療保険にも加入しているはずもなく手術を受ける金銭的な余裕などあるわけがない。

いまのところ彼女には、特に激しい痛みも嘔吐や食欲不振ということがあるわけでもなく、自分では癌ではないと信じていたようだった。そう思ったらなんとも彼女が愛おしいと思えた。彼女を改めて仰向けにし、両腕で彼女の上半身を強く抱き寄せ伸長位で彼女の全てを感じようとした。

その晩は2回の連続射精で、長距離の移動もありぽんこつマンは自然に眠りに落ちた。翌朝彼女は、新しい職探しのため夕方までホテルを出た。

2日目の昼ぽんこつマンは、一人でマンゴーアベニューと言われている通りへ徒歩で出かけた。トランスセントラルハイウェイからジェネラル・マキロム・アベミューに入り、オスメニアサークルまで、片道1.5キロほど。天気はよく晴れて暑い。マンゴーアベニューにあるという幾つかのビキニバーやカフェの辺りを昼間にリサーチした。昼下がりのあまりの暑さに途中でカフェに立ち寄り帰りはそこからタクシーに乗って帰った。

彼女は17時に戻ってくると言って今朝8時にホテルを出て行った。ぽんこつマンがマンゴーアベニュー散策から戻ったのが15時半。シャワーを浴びで2泊目のセブのメモリアルディナーの店を探した。トップアドバイザーのサイトを検索していて、イタリアンレストランが目に留まった。ANZANI(http://anzani.com.ph)トランスセントラルハイウェイを山の高台に上がって行ったところにある。

彼女と18時にホテルを出てレンスランに向かえば渋滞を考慮しても19時には到着できそうなので、19時に予約を入れて彼女が戻ってくるのを待った。しかし17時なっても戻ってこない。17時半になってLINEを入れてみた。近くまで来ているが渋滞していて「あと15分から20分はかかりそう」という返事があった。

ぽんこつマンは17時40分にロビーに降り彼女の到着を待った。今朝彼女がホテルを出る時に、今日はメモリアルディナーだから少し豪華なレストランを予約すると言ってあった。彼女がロビーに戻って来た時には、昨日のようなTシャツとジーンズではなく、ノースリーブのワンピースを着ていた。

彼女はホテルのロビーに現れてすぐに「ごめん(Sorry)」と謝って来た。ぽんこつマンは笑顔で「気にしないで(No problem)」と返して手を引いてタクシースタンドに進んだ。タクシーに乗り、行き先を彼女に見せてタクシードライバーにセブ語で伝えてもらった。彼女曰くセブ の言葉はいわゆるタガログ語とは多少違っているらしいが、ぽんこつマンにはどちらも区別がつかない。

レストランに到着し、街の明かりが少し見えるテラス席に案内してもらった。彼女はパスタを、ぽんこつマンはそれにアミューズ、シーザーサラダ、ステーキ、ラビオリとグラスシャンパン2杯を注文した。パンとシャンパンが来て1杯を彼女に渡し乾杯した。彼女はアルコールアレルギーがあると昨日言っていたので、口をつけるだけでいいと言ったが、ゆっくりだったが美味しいと言って飲んだ。ぽんこつマンのグラスが空いたので、赤ワインを頼むことにした。

ウェーターがグラス2つと赤ワインを持って来た。テイスティングしてOKとウェイターに伝えると彼女のグラスにまずサーブする。そしてぽんこつマンのグラスにも追加する。完璧と思える料理に出会えたこと、そして彼女に逢えたこと、それは幸せなトキが過ぎて行った。

2本目の赤ワインが空になった時間は22時を過ぎていた。もうデザートが入る余裕は胃袋にはなかった。最後にぽんこつマンは「ドゥーブルエスプレッソコングラッパ」を頼んだ。彼女はガス水をグラスに注いでもらって少し飲んだ。

ホテルに戻った時もまだ酔っていた。彼女も本来飲まないアルコールをグラス2杯分は飲んでいたので酔っていると思ったが、幸いアレルギーは出ていなかった。酔いを覚ますつもりでふたりでシャワーを浴びた。その後ベッドに戻っての濃厚なセ●クス 。ぽんこつマンは昨日気づいた彼女の右乳房のしこりが気になったが、彼女は昨日より激しく求めて来た。

別れの朝がきた。ぽんこつマンはマニラに向かう。彼女は家に帰って家事を手伝うと言っていた。その後、彼女に会いにさらに2度セブを訪れた。2回目、3回目はマクタン島に宿をとった。それはもうセブシティのビキニバーに行く気がなくなっていたからだ。

2回目のメモリアルディナーは、Scape Skydeck (https://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g298461-d9732111-Reviews-Scape_Skydeck-Lapu_Lapu_Mactan_Island_Cebu_Island_Visayas.html)

3回目のメモリアルディナーは、AZURE BEACH CLUB(https://azurebeachclubs.com)

2回目、3回目と会うたびに彼女の右乳房のしこりは大きくなっていると感じた。「医者に診てもらう?」と2回目に会ったときに聞いてみたことがあるが、彼女は「治療を続けるお金がないから医者には行きたくない」と言った。3回目にあった時は、セブに大雨が降った後らしく家の壁を修理しなくてはいけないと言って来た。「修理にいくらかかるの?」と聞いて修理は弟がやるから材料代だけだが、フィリピンでは壁に貼るコンパネが安くないと言っていた。ホームセンターで調べたら確かに日本よりも高い値がついていたことを覚えている。

ぽんこつマンが日本に戻って2万ペソとりあえず医者で見てもらうようにとをWUで送金したことがある。医者に行ったか壁の修理代になったかは分からない。それ以降も彼女からのLINEはあったが、彼女の右乳房のしこりのことが気になって空いたい気持ちは萎んでいった。あれからもう長い間セブには行っていない。

スマホアプリSkout で出逢ったフィリピーナ

オロンガポに住んでいるフィリピーナをスマホアプリ Skout で見つけてオンラインで色々話し、実際にに飛んで濃厚なオフパコ体験に成功した後も、他のフィリピーナをSkout で探していた。フィリピンにはカジノもある。ゴーゴーバーもある。身体を売りにしている女の子もたくさんいて、時間とお金さえあればどんな男でもモテ体験は可能である。

しかしぽんこつマンはゴーゴー嬢やコールガールとのベッドでのお遊びも楽しみたいが、実はある意味ローカルフィリピーナとの恋愛ゲームも楽しみたかった。Skout で仲良くなってLINEを交換した女の子の中には、女子大生もいた。サポートを望んでいるシングルマザーもいた。高校を卒業したばかりで日本のアニメが好きすぎて、京都の大学に通っていると詐称している女の子もいた。とにかくSkout に写真が上がっている女性で比較的可愛いと思える18−35歳の女性にかたっぱしからアタックしていた。マニラ近郊の女性が多かったが、セブシティーやダバオの女性もいた。マニラ近郊では、オロンガポの他に、マニラ近郊ではマニラはもちろん他にパサイ、マンダルヨン、ケソンシティ、そしてアンヘレスよりさらに北北東に位置するサンホセという街の女性までいた。

ぽんこつマンはチャットが目的ではなくその娘と実際にあってデートする事が目的だったので日本からダイレクトで飛んでいける空港が近くにあることが条件になる。マニラ近郊の娘はマニラ、パサイ、マカティでデートできる。それ以上遠くに住む娘にはマニラに来れるかどうかが選択の条件になる。

彼女たちの本来の目的はなんであれ、彼女たちからすればずいぶん年上のぽんこつマンに会っても良いという女の子は何人もいた。そのうちの3人とはマニラで落ち合う約束ができた。中でもケソンシティに住んでいるが、マニラでのホテル待ち合わせ可能で当時の職業はツアーガイドとモデルをやっていると言う女性が次のフィリピン訪問の本命になった。

羽田からマニラへのフライトはANAのマイルを貯めることができるフィリピン航空を選択した。ホテルはネットで調べたレートの良い両替屋(*1)に近いマラテ、エルミタ辺りで部屋から海が見える三つ星ホテルを探した。

ぽんこつマンが選んだホテルは、上層階の窓からマニラ湾が望めるリージェンシー・グランド・スウィート。宿泊料金が高く無く便利なエリアにあるのが決め手になった。

マニラに到着後マラテで4泊する計画にした。ぽんこつマンは空港からウーバーを使ってホテルに向かい、一泊目はカビテに住んでいると言っていたシングルマザー(26)を部屋に呼んでいた。

朝、羽田を出発し、マニラには現地時間14時前に到着する。マニラの空港からは昼の時間であれば渋滞があっても1時間程度でマラテに着く。ホテルにチェックイン出来るのは16時くらいだろうと考えて、彼女を18時に呼んでいた。

ぽんこつマンはホテルにチェックインして、彼女とLINEで現在地を確認していた。彼女がマラテに入ったとチャットしてきたので、ぽんこつマンはロビーに降りた。彼女は18時を少し回ってホテルのロビーに現れた。彼女は昼過ぎに家を出たが渋滞でとんでもなく時間がかかったと言った。それは良いとしてぽんこつマンは少し空腹だった。「飯は何が良い?」と彼女に尋ねたら「フィリピン料理」と言ったのでホテルに聞いてそれほど遠くないフィリピン料理屋に出かけた。距離は1キロほどではあったが夜ともなれば暗い道を歩くのは多少危険を感じるエリアなのでウーバーを呼んで店まで行った。店はThe Aristocrat Restaurantという店。

客はフィリピン人だけだったと思う。彼女におすすめの料理を選んでもらった。ぽんこつマンには今ひとつうまいとは思えなかったが、フレンチフライを料理に皿から溢れんばかりにかかっていたグレービーソースを付けてサンミゲルライトで胃袋に流し込んだ。

飯を食い終わってホテルに戻ってすることはひとつ。ぽんこつマンはノースリーブで膝上までの丈の短いサンドレスを剥ぎ取り、そのボディーラインを見た。シングルマザーとは言え、ボディラインが崩れているというほどではない。しかしヘソからくっきり妊娠線が見えた。

シャワーを一緒に浴び、ベッドへ向かった。ぽんこつマンは少し乱暴に彼女の乳房を弄んだ。彼女はごく自然にぽんこつマンの行為を受け入れた。かなり濃い色をしている乳首と乳輪を軽く噛んでみた。彼女は「ウィ、」と声をあげ軽くのけぞった。彼女の局部に手を伸ばすと既に潤んでいて、すぐに挿入しても良さそうであった。

ぽんこつマンはあらかじめベッドのサイドテーブルに用意していたコンドーム を素早く装着し、足尾伸ばした彼女の上に乗り伸長位で膣口を探し当て、ゆっくりと挿入した。激しく深くは挿入できないが女性の太ももがペニスへの刺激をプラスして、スローなセックスに向いている。ぽんこつマンは徐々にフィニッシュに近づくのを感じて体位を正常位、屈曲位と変えてフニッシュを迎えた。

仰向けのまま天井を見ている彼女の局部をティッシュで拭ってぽんこつマンはザーメンをため込んだコンドームを外した。ふっと息を吐いて彼女の横に仰向けになったら、彼女が今シングルマザーになっている経緯を話し始めた。昔の恋人とコンドーム無しでセ●クスしたらすぐに妊娠した。メンスがなくなってそうかなと思ったが、病院で確認しなかった。そのうちつわりが始まり、その恋人は彼女の元から姿を消した。今は、もうその恋人のことをなんとも思っていないが、子供の面倒を放棄はできない。生活は大変だけどなんとか生きていると。なんだか湿っぽい話になって、ぽんこつマンは彼女に背中を向けてしまった。

ぽんこつマンは面倒な話になるのが好きではない。明日の朝は早く帰ると言っていた彼女を引き止める気は全くなくなっていた。

朝は5時に目が覚めた。彼女も既に起きていて、ちょうどブラをつけて、昨日脱がせたサンドレスを着ているところだった。ぽんこつマンが起きたのを見てそろそろ家に帰ると言った。何を使って帰るか聞くとジープニーに乗り継いで帰るという。フィリピンローカルには普通の乗り物だが、ぽんこつマンはタガログ語を話せないので乗ったことがない。今後も乗ることはないだろう。財布から3000ペソを取り出し「ありがとう」と言って彼女に渡した。さらに200ペソを取り出して、「これはジープニー代」と言って渡した。

彼女は少し寂しそうな微笑みを浮かべてハンドバックの奥深くへ3000ペソを沈めて200ペソだけを手に握り、軽く会釈し部屋を出た。それ以来、彼女からのLINEチャットは無くなり、ぽんこつマンも送る事は無くなった。

2泊目、3泊目は、Skout で見つけた本命をホテルに呼んだ。ツーリストガイドとモデルをやっているというケソンシティ住みの女性。正午にロビンソンプレイスでの待ち合わせ。

ぽんこつマンはホテルを正午10分前に出て歩いてエントランスに向かった。ロビンソンプレイスは11時には開店している筈だが、それほど混み合ってはいない。エントランスで彼女が来るのを待った。正午を5分過ぎたところでLINEしてみた。すると彼女はもう館内にいてエントランスを入って正面に見えるカフェの前にいるという。セキュリティゲートを過ぎ中へ入る。そこには新車の展示がされていてさらに少し奥へ行くと彼女が見えた。

初めましてと挨拶をして、お腹の空き具合を聞いてみた。すると「すごく空いてはいないけど、ジョリビー(Jollibee)に行く?」と返された。

そのJollibee(http://www.jollibee.com.ph)とはあのマクドナルドですら勝てないフィリピンのNo.1ファーストフードらしいが、入った事はなく、即答で「OK」と返した。ぽんこつマンはバーガーメニュー、彼女はライスメニュー。フィリピン人の口にはよく会うらしく、昼時はごった返していた。

彼女はモデルをやっていると言っていたので、165cm以上身長はあると思ったが、実際には150そこそこの小さな女性だった。しかし彼女は飲食にも興味があるらしくいつかはちいさな食堂兼カフェのような店を持ちたいと夢を語っていた。そしていつでもよく食べた。しばらくロビンソンプレースを散策し、その後両替のためにEDZENに行った。店の前には拳銃を持った屈強そうなガードマンがふたり立っている。5万円ほど両替した。

ぽんこつマンは、その国の物価を立ちんぼの売春価格で推定するクセがついていた。当時の日本の相場は、15,000円〜30,000円、タイでは1500Baht〜3000Baht、フィリピンでは、1500ペソ〜3000ペソ、インドネシアでは20万ルピア〜30万ルピア。上限の3という数字が同じ趣を持っていた。町場の屋台飯も桁は変わるが、ほぼ似ている。日本の立ち食い蕎麦屋は400円〜500円、タイのバーミーナムは35〜50Baht、フィリピンのフードコートのメニューは40ペソ〜80ペソ、インドネシアのミーゴレンやナシゴレンは、4万ルピア〜7万ルピア。ざっと日本の千円の感覚がタイでは100バーツ、フィリピン も100ペソ、インドネシアが1万ルピア、と考えれば当たらずとも遠からずと思っていた。

日本円で5万円は当時だいたい21,000ペソ。日本で21万円くらいのお金を銀行から下ろして持っているという事だ。フィリピンの紙幣は20PHP、50PHP、100PHP、200 PHP、500PHP、1,000PHPの6種類。露店マーケットやローカルマーケット、ローカルフードコートなど現金しか通用しないところも多いため常に現金は必要だが、あまり多く持ち歩いているところを見られると、命を落とすリスクも高くなる。

両替屋を出てとりあえずホテルに戻り、パスポートと15,000PHP、それに利用可能額を低く設定している1枚のクレジットカード以外をセキュリティーボックスにしまった。前回のマニラ訪問時に夜のマカティで遭遇したジャンキーの恐ろしい記憶が消えていなかったからの行動だ。

マラテ、エルミタ 界隈は、マカティ のグリーンベルト辺りのハイソな空気はなく、かなりこんとんとした気配が昼でも漂っている。それほどたくさん歩いたわけではなかったが、いつどこで危ない目に合うかわからないというムードの中だったので、ぽんこつマンは少し疲れていた。ベッドに倒れ込み少し休むことにした。彼女は部屋のテレビをつけ、タガログ語のチャンネルをチェックしていた。

晩飯の時間が近くなって、「シーフードを食べたい」と昼間話していたことを思い出した。スマホで探したらトリップアドバイザーのサイトの上位にランクされている店が比較的近くにあった。彼女にその話をしたら、「友達が近くに住んでいるから呼んでいい?」と言われた。

「OK」と返事をして19時に店の前で落ち合えるように連絡してもらった。店の名前は、ずばりSEA FOOD MARKET and RESTAURANT(https://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g298573-d819670-Reviews-Seafood_Market_and_Restaurant-Manila_Metro_Manila_Luzon.html) だった。

19時にレストランに入ったが、彼女の友達から少し遅れるという連絡があったという。先に店に入って、カニ、えび、牡蠣、と野菜の料理を注文した。料理がどんどん運ばれて白ワインと一緒に食べているところに、彼女の友達がやって来た。彼女の友達は、子供の世話があり時間がかかったと話した。なんでも3人の子供と旦那の4人暮らし。旦那は、マカティのステーキハウスでウェイターをしていると言っていた。かなりぽっちゃりしていて、いかにもフィリピンママという明るい女性だった。

彼女の友達は食事中に二度席を立った。ちょっと一服とタバコを吸いに行く。ぽんこつマンはこの数年前までハイライトのチェインスモーカーだったが、日本の正月にひどい雪の年があり、その時にタバコが切れて買いに行くのも面倒になったことをきっかけにやめてみたら、意外と禁断症状もなくあっさり辞めることができて、もう吸う事も無くりすでにタバコの匂いが嫌いになっていた。

自分が吸っていた時は考えもしなかったが、その時はタバコの匂いがある女とのセ🟣クスは、どうももう一つその気になれなくなっていた。

食事を終え、彼女の友人とはいったん別れて、ぽんこつマンとSkoutで知り合った彼女はホテルへ戻った。彼女の友人に比べて彼女は未婚でバストはかなりボリュームがあり、ウエストはそれなりに細かった。下っ腹が少し出ていると思ったが、日本人にもよくある程度でそれよりヒップの張りも良く、身長は高くないがナイスボディーだった。

彼女への土産にと日本の空港でVictoria Secret のショーツを買っていた。それをバックから出して彼女にギフトとして渡した。彼女の好きなブランドはチャットでそれとなく聞いていた。彼女は、土産の包装を見て見て「Wow!!」と驚いた後、包装をといて、「つけてみていい?」と付け加え、バスルームに行きそのショーツだけを身につけて、戻って来た。今まではコットンのノースリーブアッパーに隠れていた、豊満な乳房を片手で隠して踊りながら2mくらいのところまで来てポージングした。肌の色は日本人より少し褐色味をを帯びていたが、フィリピーナとしては白い方だと思った。

最近は、モデルの仕事はほぼなくなり、プライベートツアーガイドとして外出機会も多く、腕や脚は日に焼けていると恥じらいを見せたがぽんこつマンは、まだまだきれいな肌色をしていると思った。

ぽんこつマンがベッドに彼女を座らせて「僕はシャワーを浴びてくる」と言ってバスルームに消えた。シャツと短パンを脱ぎ、アンダーパンツも脱いでシャワーを浴びていると、突然シャワーカーテンが開き、生まれたままの姿になって彼女がシャワーに飛び込んできた。

シャワーの中でお互いの身体を洗い、絡み合った。身長の小さい彼女の片足をぽんこつマンは持ち彼女はもう一本の足を爪先立ちしている。片足の筋肉に力が入っているのがわかる。そのバレーダンサーの様な体位でぽんこつマンは腰を上下運動とグラインド回転を施す。深い挿入は難しいが、コンドームを装着する前のシャワーでのプレイでフィニッシュするわけにはいか無いので、5分ほどそのプレイをしたのち、ぽんこつマンは「ベッドの行こう」と彼女を誘った。

ふたりは軽くバスタオルで肌に残っているシャワーの水滴を拭い、遠くに何本かの高層ビルの明かりが見えるベッドにダイブした。ふたりはキスをしたまま体の上下を変える様に何度もローリングした。その旅にぽんこつマンの膨張した陰茎は彼女の恥骨にあたり、彼女の豊満な乳房の弾力がぽんこつマンの肋骨に響いた。

ぽんこつマンはその行程の中でコンドームを取り、装着しようとした。その時彼女は、身体を上下反転してシックスナインの形になりフェラチオを始める。充分な膨張を確認して彼女はコンドームの装着をリードした。自ら後ろ向きでそのペニスを自分自身の秘部に挿入した。

亀頭のくびれが膣口のアナル側に擦れる。グリン、グリン、グリン、、、。気持ちいい、グリン、グリン、、、。やがて彼女は180度回転し、正面で反り騎乗位。今度は彼女が「呻き声を上げる。亀頭のくびれがGスポットを擦っているのか?

ぽんこつマンは身体を起こして、対面座位に。後頭部に手を添えて抱き寄せると、彼女の豊満な乳房にある少し大きめな乳首が、ぽんこつマンのあばらを擦る。それから彼女を押し倒して屈曲位で亀頭を局部の奥へ押し当てる。彼女の呻き声が大きくなりぽんこつマンが腰を掴んでいる手にしがみ付いて来た。

彼女が頂点を迎えそうな気がした。最後は正常位で彼女の体を強く抱きしめ、ディープなキスを交わしながら互いにフィニッシュを迎えた。

翌日彼女とエルミタ のローカルマーケットに出かけた。途中で昨日の彼女の友達が合流した。彼女はそのローカルマーケットで調理器具を探していた。どうやらデザートを作る道具を探しているようだった。2時間くらいで大きなショッピングバッグがいっぱいになっていた。いったん荷物をホテルに預けて、3人でSMモールアジア(https://www.smsupermalls.com/mall-directory/sm-mall-of-asia/information/)に出かけて昼飯を食べた。

その後シティオブドリームス(https://www.cityofdreamsmanila.com/en)のカジノに行くことにしていたからだ。

当時はオープンしてそれほど月日は経過していなく、その豪華さはフィリピンで最上位だったかもしれ無い。ぽんこつマンはルーレット好きだ。ディーラーがトリックを簡単に仕掛けられるカードゲームは嫌いだし、マシンゲームは退屈でつまらない。

ルーレットはディーラーが次のナンバーを狙ってボールをスピンさせている事はなんとなくわかっていた。そのナンバーを読んでベットして的中した時の優越感は半端なくアドレナリンが噴出する瞬間がある。3人でカジノに入りルーレットのテーブルに進んだ。とりあえず4000ペソをクレイチップに交換した。ぽんこつマンは一回のベットで20枚くらいのクレイチップを3箇所くらいに張る。もちろんシュバール掛け(鞍掛)、コーナー掛け、横ライン掛けはするが、赤黒や奇数偶数、または縦ラインや上中下のアウトサイド掛けはほぼしない。それはディーラーが次にどこの数字を予想して楽しんでいるからだ。儲けるというよりディーラーをヒヤリとさせる的中の快感は比べるものがない。

彼女と彼女の友達がそばにいる時は、徐々に勝っていた。しばらくしてふたりが2回をみてくると言ってぽんこつマンから離れて行った。2時間くらい待っていただろうか。なかなか帰ってこない。そのうち一時は10000ペソくらいに増えていたチップも1000ペソくらいに減っていた。ようやく戻って来たので最後の1回としてディーラーがスピンしてから残りのチップを全て26番黒一点にベットした。ボールが何周かして速度を落とし、ディーラーが「No more bet」と言ってベルをちんと鳴らす。ピンに当たってナンバーホールに落ちる。いったん落ちたかの様に見えたボールがはじけて26番黒からゼロを超え5つ先の4番黒に落ちた。3時間で4000ペソのロストはよく遊んだほうだと言えるだろう。

カジノを出たのは17時過ぎ。マラテまではかなりの渋滞が予想された。ウーバーの中で夕食をどこにするかと言う話になった。彼女は「日本食がいい」と言った。彼女の友人も同意した。マラテにある和食をネットで探した。レメディオスサークルの処にタナベ日本食レストランという店がヒットした。

ホテル より手前にあったので行き先をホテルからそのレストランに変更してもらった。店について2階に通された。かなりの予約がある様で、どんどん席が埋まって行っていた。ぽんこつマンは日本酒をオーダーした。料理は刺身盛り、焼き魚、イカゲソの唐揚げ、だし巻き、それにわかめサラダそしてマグロの握り。彼女と彼女の友達は何やら定食を頼んでいた。日本食はたまに食べる様だったがなぜか刺身には手を出さない。もしかしたら、ラーメンとかの方が良かったかなと思った。今回以降彼女とは何度も会うことになる。マラテ近郊ではH2Oというホテルで3日一緒に過ごしたこともある。

部屋からマニラ湾に沈む夕陽が望めるH2O hotelの客室

マカティのY2 レジデンスホテルに何度となく連泊したこともある。

マカティにはマニラで有数のステーキハウスや美味しいラーメン屋もある。

食事を終えて、彼女の友達は帰っていった。ぽんこつマンは彼女と一緒にホテルへ戻る。シャワーを浴びてまた濃厚な1戦。明日は今回のマニラ最後の4泊目、彼女は明日の昼にケソンシティの部屋に戻る。明日の午後はもうひとりのSkout で見つけたマンダルヨンに住むというシングルマザーと晩飯の約束していた。

翌朝は午前9時半少し遅く目が覚めた。朝勃ちしていた。隣で寝ている彼女の肩をそっと持ち手前に引き寄せ唇を奪った。彼女はゆっくり目を開け、「ウフッ、」と小さく笑った。彼女は手をぽんこつマンの股間に伸ばしそこにある陰茎が硬くそそり勃っているのを確認した。そしてゆっくりしごき始めた。昨晩の濃厚なセ🟣クスの後、ふたりはシャワーを浴びて何もつけないまま抱き合って眠っていた。だからぽんこつマンが上になって、彼女の局部にぽんこつマンの亀頭をツンツン突きながら彼女の首筋からデコルテ、脇腹、乳房、乳輪、乳首、に唇と舌で愛撫を加えると、秘部の奥から愛液が溢れてくるのがわかる。

ぽんこつマンはベッドサイドテーブルにまだ残っているコンドーム を取り素早く装着して、彼女の花芯の奥へ亀頭を埋めていった。正常位で腰を少し高い位置から、遊園地のバイキングの様に円弧を描きスイングする。行き着いた先と抜けそうな位置で少しとまり、動き始めから加速して奥でまた止まる。そんな動きを繰り返した後、腰を低い位置に下ろし機関車のクランクの様に前後にピストンした。彼女の足を持ち上げ肩に載せる。屈曲位で彼女の子宮口に亀頭を届かせる。もう一度正常位で彼女と抱き合ってフィニッシュを迎えた。

そのセ🟣クス の後シャワーを浴びたら、午前11時を回っていた。彼女は初めて逢った日にお土産で渡したショーツをつけ、連泊のために持って来た3枚目のノースリーブドレスを着て帰る準備をした。部屋を出る前にホテルの廊下に通じるドアに寄りかかって激しいハグとキスでその日の別れを惜しんだ。

その後ぽんこつマンは、部屋にあるインスタントコーヒーをノンシュガーでひとり飲んだ。正午になっているがその時はそれほど空腹を感じていなかった。それよりも背筋と腹筋、それに大腿筋に疲労感を感じていた。今日マンダルヨンのシングルマザーと早めに夕食を取るまではファスティングしてもいいかなと思った。

今日出逢う予定のSkaut3人目の彼女とは17時にトリップアドバイザーで調べたパサイにあるSEA SIDEというレストランエリアのゲート前で待ち合わせした。海鮮を買って、いくつかあるレストランへ持ち込んで調理を頼むスタイルだ。そこはフィリピンローカルにも、海外からツーリストにも人気がある様だった。

ぽんこつマンは、夕方の移動ということで渋滞を予想し16時前にウーバーを呼んでいた。指定したレストランエリアには17時5分前に着いた。まだそれほど人で溢れていなかったが、どんどん人が自家用車や、ウーバー、タクシーでやってくる。一台のジープニーがゲート前に止まり、そこから目当ての彼女が降りて来た。

彼女は「待った?」と聞いて来たが「いや、今来たばかり」と答えた。実際に17時15分だったのでそれほど長く待っていたわけではない。なぜ約束の時間を15分しか遅れていないのにそんなことを聞くのか不思議だった。そもそも南国に暮らす人が時間に几帳面であることは珍しい。その理由は食材の海鮮を選びレストランで調理してもらっている時にわかった。

選んだ海鮮は、カニ(マッドクラブ)、ロブスター、中型エビ、ムール貝、牡蠣、ハタ系の魚。魚介を購入するとそれぞれのレストランの呼び込みがすごい。「シャチョー」「シャチョー」という言葉には構わず、自分の印象でレストランを選んで入る。

カニはカニカレー、ロブスターはグリル、中型エビはチリソース、ムール貝はスチーム、牡蠣は生、そして魚は唐揚げで注文した。料理とともに白ワインを1本頼んだ。ワインを開け料理が出来上がるのを待ちながら、彼女に「なんでさっきゲートで出会った時に『待った?』て聞いたの?」と話してみた。その答えは、1ヶ月前まで日本のフィリピンバーでキャストをしていたと答えが返って来た。ぽんこつマンは、それで全てを理解した。どんな形であれ日本で働いた経験があれば、日本人と接する時は時間を守ることが大事になる。少しでも約束の時間を過ぎていたら一応そのことに気がついていることを相手に伝えることが、最低のマナーと心得ているという事だった。

料理が出来上がってどんどんテーブルにやってくる。4人がけのテーブルにスペースがなくなるくらい料理がぎっしりと並んだ。お互いに取皿に料理を取り、味わった。朝も昼も食べていないぽんこつマンは、胃が縮んでいるのか、海鮮を選ぶときはいろいろ食べたいと思ったが、実際に目の前の料理が並ぶとたくさんは食べれなかった。彼女も「もうお腹いっぱい」と言って食べない。マンダルヨンの家には、一人の小さな娘と彼女の母が一緒に暮らしていると聞いた。豊かではないフィリピン人にとっては、カニやロブスター、エビや貝などは高級食材らしく普段の食事で簡単に取るということはないとも聞いていたので、「お土産で持って帰る?」と聞いたら「はい」と日本語で帰って来た。

彼女は今はいったんフィリピンに帰って来ているが、また近いうちに日本の前と同じフィリピンパブで働くと言っていた。その日は、昨晩からの背筋・腹筋・大腿筋痛もあり、そこまで彼女とセ●クスをしたいとは思わなかった。レストランを出て彼女は食べきれなっかった料理をたっぷりと持ってジープニーを待った。ぽんこつマンは、家までのジープニー代として200ペソを手渡してハグをと日本での再会を約束して、呼んだウーバーに乗ってホテルにひとり戻った。

日本に帰国後、彼女から日本で働いているフィリピンパブの住所を貰った。場所は豊橋近郊。一度は約束を果たすため、東京から新幹線でその店に行ったことがある。そこで見た彼女は、かなり原谷尻や二の腕に肉がつき随分ぽっちゃりになっていた。その後彼女は日本人と結婚し、その店のチーママになったと聞いている。今も彼女のLINEはあるが、ほぼチャットはしない。たまに彼女が働いているパブからのプロモーションがタイムラインに入るだけになっている。

こうしてこの4泊のSkoutで知り合った彼女3人との出会いマニラ訪問は、終わった。2番目の本命と考えた彼女とは、それ以降もマニラで何回となく会い、セ●クスをする関係になった。

しかしぽんこつマンのSkout でのアジアでの女の子探しは続いた。セブ、バリ、ジャカルタ、バンコク、そしてハノイが加わった。その経緯はそれぞれ別の記事で追って投稿するつもりだ。

バリ再訪、そして初ジャカルタ。

初めてバリ島サヌールでナンパして身体を重ねた彼女に、翌年改めて再会したくてバリ再訪の計画を立てた。日本からダイレクトでバリ直行だと海で過ごすことはどうでも良いぽんこつマンには2〜3泊の訪問地が1カ所だと3連続有給休暇がもったいない。土日を絡めれば5日間の休みが可能なのだ。そうだ、ジャカルタ経由にして帰りにジャカルタの立ち寄ってみようと思った。全日空のマイルも貯まっているから、日本→ジャカルタ(1泊)→テンパサール(クタ2泊)→ジャカルタ(2泊)→日本という旅程で東京ージャカルタ間は全日空のマイル特典航空券、ジャカルターデンパサールはガルーダインドネシア航空で繋ごうと考えてネットで予約を作った。ジャカルタを旅程に入れるからにはラマダンの期間は外しておいた方が無難だ。

その年のラマダンは6月6日に入ることをネットで調べてそれ以前のスケジュールを探した。都合よく2016年3月29日(火)東京発ージャカルタ着、4月2日(土)深夜ジャカルタ発ー東京早朝着の便が取れた。ジャカルターデンパサール間は3月30日(日)の朝ジャカルタ出発、4月1日午後店パサール出発で予約を作った。

そしてホテルの手配。ジャカルタに行って見たかった理由は、大阪で働いていた時のタイ好き仲間の一人から「ジャカルタにも女の子をお持ち帰りできるスパやホテル併設の置屋バーがある。」と聞いていて、一度はロケハンして見たいと思っていたからだ。

初ジャカルタの宿は、HOTEL TRAVEL。ここにそのホテル併設置屋バーがある。そのホテルを出てマンガプサール通りを左に歩いて行ったところにスパもあり、ジャカルタ初心者のロケハンとしてはここかなと決めた。

二度目のバリ島の宿は、デンパサール空港から近いクタエリアを探した。海に入る予定はないがせっかくバリに行くからにはビーチが近い方が良い。宿泊サイトの掲載写真と料金が気に入り、クタベックスビーチサイドホテルを予約した。

日本の3月末は桜が開花しているところもあるが、ぽんこつマンにはまだまだ寒い。それに比べ、インドネシアは熱帯。外は暑いが室内には強烈なエアコンが効いているので、太陽の直撃が嫌いなぽんこつマンには過ごしやすい。

2016年1月から30日以内の観光でもインドネシア入国時に必要だったアライバルビザ取得の手続きが不要となっていた。合わせて5泊の滞在なのでハンドキャリーケースのみだった事もあり、スカルノハッタ国際空港https://ja.wikipedia.org/wiki/スカルノ・ハッタ国際空港)に到着後イミグレを通過しすぐに、多少の両替とスマホのSIM交換後、到着ロビーに出た。そこはものすごい到着客待ちの人とタクシーの呼び込みがすごかった。向かうは、ジャカルタの北側にあるマンガサール駅から程近いHOTEL TRAVEL。ジャカルタは初めてだったのでそのアライバルロビーにあるタクシーカウンターに行き手配した。タクシーは空港を出て、陽が傾き始めすでに渋滞が始まっているハイウェイを東に進んだ。運転はすごく荒かった。STOP and GO、右へ左へ車線を頻繁に代えてジャカルタ市内に入り、一般道に降りた。ジャカルタの渋滞はさらに激しさを増し、ハイウェイを降りてからホテルまではさらに1時間を要した。

HOTEL TRAVELはネットのサイトでの予約ができず、電話で予約していた。フロントでパスポートを見せ、名前を告げた。間もなく部屋のキーが用意され、部屋に案内された。マンガプサール駅が近くにあり、そのホテルの界隈にも格安ホテルは多くあり。この辺りはローカルのビジネスマンがよく利用している場所なのかもしれない。

部屋に荷物を置いてぶらりマンガブサール通りを歩いて見た。まずは西へ。マンガブサールはジャカルタのチャイナタウンという情報があったが、はっきりと分かりやすい中華料理屋は多く見当たらなかった。しばらく西向きで左手側を歩いていくとスパがあった。確か名前はオアシススパ。気になったので覗いて見た。入り口を入り上の階に上がっていくとそこにはバンコクのMPのような金魚鉢があり多くのネシア娘が客待ちをしていた。ひととおりチェックをしたが是非にもという娘がいなさそうなので、退散することにした。そこを出てさらに西へ進む。ホテルを出ておよそ1キロほど歩くと南北に走る大きな通りに当たる。そこでマンガプサール通りを渡りホテルへ引き返す。大きな通りの角から100〜150メートルほど戻ったところに少しマシな中華料理屋があった。夕方5時を過ぎていたので、そこで飯を食うことにした。ビンタンビールと餃子、それに豚肉と野菜を炒めた料理を一品。ここジャカルタはムスリムの国なのでイスラム教徒は豚肉を食べない。しかしここマンガブサールの中華料理屋には豚肉の入った餃子もあれば豚肉料理も普通にある。なかなかうまい。満足したところで外へ。さらにホテル方向へ戻る途中で、蛇がカゴに入って売られているのを見つけた。コブラのようだった。食用のコブラなのだろうか?陽は既に沈み、あたりは暗くなり、ヘッドライトの灯りがあふれて来た。さらに進むと左手にロコサリスクエアというショッピングモールがあった。そこにもスパあるいは置屋バーがあるという情報をネットで見たことあり興味深かった。またインドネシアの電気コンセントはCタイプで日本のAタイプが使えるコンセントがホテルになかったので変換プラグを買いたかった。変換プラグは見つかった。しかしスパも置屋バーも見つからなかった。ネットの情報にあった地図では、ここという場所があったがシャッターが閉まっていて看板らしきものも見当たらない。開店が夜なのか、それとも潰れてもうないのか分からなかった。

いったんホテルに戻ることにした。夜になって、ホテルに併設の置屋バーを覗きに行って見た。エントランスを入り、奥へ。左手には昼間のような明るさの空間にセクシーな衣装を着たネシア娘が並んで座っていた。その前には全く明かりのない真っ暗なテーブルとソファーがいくつも連なってある大きな空間が見えた。ホステスが近づいて来て席へ案内する。ぽんこつマンはいったんテーブル席へ。ビンタンビールを注文したらすぐにホステスが持って来て、「どんな女がいいか?」と尋ねて来た。可愛いこと適当に返すと、しばらくして二人の女の子を連れて来て選べという。席は真っ暗で顔がほとんど分からない。かすかに見えるスタイルだけで女の子を選んだ。

女の子は私も飲んで良いかと聞いてきたので、OKと適当に答えた。すぐにもう一本のビールが来て、乾杯した。一口ビールに口をつけるかつけないかのタイミングで、「ブンブン」「ボンボン」と言ってくる。待て、まずはビールを飲ませてくれ!。彼女たちとのセ●クスは日本人にとっては高くない。せいぜい4000円程度。しかしそれは彼女たちがより多くの客をこなさないと十分な収入にならないことをも意味している。

あまりにも性急な要求にすっかり気持ちは萎えてしまった。明日はバリ島へ行く。そして昨年サヌールでナンパして濃厚なセ●クスをした彼女がぽんこつマンの到着を待っている。ここでムダ打ちしなくても良いという気持ちで、席を立ち部屋に戻ることにした。

翌日朝早くいったんホテルをチェックアウトして空港へ向かう。朝の渋滞にかかることを想定して出発時刻の4時間前にホテルを出た。空港に向かう道はいくつかあるのだろうが、ぽんこつマンがホテルに読んでもらったタクシーは、まず北に向かって走り、スラムのようなエリアを抜けてハイウェイへ上がった。ハイウェイまでもそれ以降も渋滞にはほぼ当たらず、意外に早くスカルノハッタ国際空港に到着した。チェックインしようにも3時間前なので少しチェックインロビーで待つことになる。1時間ほどしてチェックインカウンターが開き、セキュリティーゲートを通過しゲートへ向かった。

チェックインから出発ゲートまではかなり遠い印象だっが、ゲートでも搭乗時刻までかなりの待ち時間がある。空港内のレストランで軽い食事をとった。インドネシア料理の定番はナシゴレンかミーゴレン。ナシゴレンは重くなりそうなのでミーゴレンをチョイスした。土産物屋でさらに時間を潰し搭乗時刻の50分前くらいにゲートに着いたが、ゲートの待合は既にかなりの乗客が席を埋めていた。

無事搭乗時刻になり機内へ。座席についてそれほど待つ事もなく機体は、バリへ向けて離陸を開始した。予定のフライト時間は1時間50分、ジャカルタとデンパサールの時差は1時間。ジャカルタをほぼ11時に出発してデンパサールに到着するのは午後2時前後。

機体は滑るようにデンパサール空港に着陸した。よく晴れた日のフライトは快適だった。ゲートブリッジを渡りターミナルの中へ進む。ハンドキャリーだけなのでバゲージクレームを通り抜け、一気に到着ロビーへ。途中銀行の両替レート表が見えた。スカルノハッタ国際空港より、明らかに良いレートに少し驚いた。

到着ロビーには、昨年ナンパした彼女が待っていた。すぐにでも抱擁したかったが他の乗客待ちの人で溢れていたので、タクシースタンドに向かった。

ホテルは空港からそれほど遠くはない。しかしながらクタの街に近づくに連れて、なかなか前に進まなくなる。道路が片側1車線で交差点も多い割に、信号もそれほどあるわけではなく、結構勝手に交差点に入って来て、身動きが難しくなっているのだろう。タクシーには45分くらい乗っていただろうか。クタビーチにあるハードロックカフェの前を過ぎ、ようやくクタベックス ビーチフロントホテルに到着した。

案内された部屋はあいにく半地下の部屋だったが、彼女とのセ🟣クスを愉しむには特に問題はなかった。すぐにシャワーを浴び、絡み合った。

シックスナインでお互いを確認した後、彼女はベッドに四つん這いになって後ろからの挿入を求めて来た。コンドームを装着しないまま、生の挿入。彼女のフェラチオで充分に増大しそそりたっている陰茎を上から少し押さえ、彼女の花芯の奥へ送り込む。腰骨を両手で持ち彼女の体を引き寄せる。彼女は、快楽の表情を浮かべ顔を振り向かせた。まぶたを閉じ半開きになった口から舌を出して悶えている。ぽんこつマンは腰を下から上へ突き上げるようにスイングさせて彼女の絶頂を導いた。

それから彼女の上半身を持ち上げ彼女の両腕を持って亀頭を奥Gスポットにあたるように上下の動きにグラインドを加えた。彼女は振り向き、ディープなキスを求めて来た。ぽんこつマンは両腕で彼女のバストラインを羽交い締めにして、彼女が求めて来たキスに応えた。

寝バック、後側位、立ちバック、、、全て背後からの体位で彼女を攻め立て、彼女の両肩に手を掛け胸を思い切り反らせて強い一撃を加えたのち膣外でフィニッシュした。彼女は、まだザーメンが残っている逸物をあらためて咥え、全部を吸い上げた。まだヒクヒクしている陰茎へ舌と唇の筋肉をうまく使って刺激を与えて来た。「イイ、、、」「、、ス、ゴ、ク、イイ」こうして彼女との半年ぶりのセ●クスは前回を上回る快感の記憶を運んできた。

上がった息と心臓の鼓動が落ち着くまでふたりは抱き合っていた。その後ふたりはディスカバリーショッピングモールにあるOceans 27 Beach Club(https://www.tripadvisor.com/LocationPhotoDirectLink-g297697-d2211017-i136555294-Ocean_360_Beach_Club-Kuta_Kuta_District_Bali.html)に出かけた。そのビーチクラブについた時、既に太陽は水平線に隠れようとしていた。

心地よい音楽が聞こえてくる。やさしい海風が肌を撫でる。ぽんこつマンは心を解き放つ酔いの中でビーチリゾートの癒しに深く深く沈んで行った。それまで言葉を発しなかった彼女が程よく塩の効いたカラマリを指でつまんで口を開いた。「明日の昼は仕事がある、朝にいったんホテルを出るけど夕方また会える?」「もちろん」ぽんこつマンは迷いなくOKの言葉を返した。

翌朝、早くホテルで朝食をとり彼女はホテルをいったん後にした。その日の昼ぽんこつマンはクタの街を散策した。ホテル前のビーチ沿いの道路を南下し、JL.Kartika Plaza(ジャランカルティカプラザ)沿いにあるB couple seafoodという中華料理店でひとりランチをとり、彼女に教えてもらったクタで一番レートのいい両替店に行った。

その後レギャン通りを北に上り、グランドゼロメモリアルを見物してホテルに戻った。そして彼女がもう一度ホテルにやってくるまで部屋で夜のディナータイムをどこで過ごすか検索していた。

彼女はワイン好きということは前回ジャンバランでのディナーで分かっていた。そこで行ったことのないスミニャック辺りで良い店がないかを調べていたら、RED CARPET CHANPAGNE BAR(https://www.redcarpetchampagnebar.com/reservations)という店を見つけた。洒落ていて、ウエイトレスの制服もちょっとエロい。今日のディーナーはここだと決めて19時半に予約を入れた。

彼女とはホテルのロビーで18時半の待ち合わせだった。時間になってロビーに向かったら彼女は既に到着していた。「ディナーに行こう」ぽんこつマンはそう切り出して、ホテルからタクシーに乗った。タクシーに乗ってスミニャックのレッドカーペットを伝えたら、彼女が「Wow!」と驚いた。彼女もそこには仕事のボスであるオーストラリアに住む白人と一回行ったことがあり、とても良い雰囲気の店といった。

店に到着したのは、19時10分、席に案内してくれたのはベビーフェースなインドネシアの女の子。ほとんどの女の子は愛嬌もよく、好印象だった。全員彼女よりも若い。オーナーがヨーロッパ系の白人らしく女の子たちの英語もレベルが高い。

まずはシャンパンを1本。そしてコート・デュ・ローヌの赤を1本。生牡蠣、サラダ、ステーキ、全ての料理がクリエイティブでパーフェクト。料理を味わっているときに、ベビーフェースのウエイトレスが「これは、次のメニューに乗せる料理のテストで作りました」と言ってメニューにない新作のスープや前菜を持ってくる。どれもが完璧に思える素晴らしい味だった。

スミニャックで最高のディナー

23時の閉店時間まで4時間近くこの店にいたが、楽しい時間はあっという間だった。店を出て少し余韻を楽しみ酔いを覚ますためにその近くを歩いた。何軒か離れたジェラート屋に入って1スクープのアイスを食べた。それからタクシーを拾いホテルに戻った。

ホテルに戻ったら彼女がハグして来た。ぽんこつマンもそれの応えて激しいキスを返した。ふたりは自然と衣服を脱ぎ捨てシャワールームに消えた。人間の本能として食欲、性欲、睡眠欲と3つあると言われているが、この頃からぽんこつマンは睡眠欲が低い分、性交の快楽と美食への探究が激しくなっていたと思う。

シャワーから戻って、ふたりはまたお互いを求め合ったが、ぽんこつマンの脳裏には、レッドカーペットシャンパンバーでの若いウエイトレスの胸元のピチッと張ったブラウンな乳房の肌のイメージが焼き付いていた。

レッドカーペットシャンパンバーでは、オーストラリアに住んでいる彼女の仕事上のボスはフランス人であるという話を聞いた。その店の二階の女子トイレの側には、変態向けのSMチックな衣装や小物を売っているブティックもあるらしい。彼女は、いつかオーストラリアに留学に行きたいとも言っていた。もしかしたら、彼女のセックスへの貪欲さは、そのフランス人のボスに磨かれたものかもしれない。そしてこの店のオーナーが彼女のビジネス上のボスという有り得ない想像まで頭を巡った。

次の朝、彼女は同じく仕事に行くと言ってホテルを出た。ぽんこつマンはジャカルタに戻る。もっといろんなインドネシアの娘を知りたいと思った。そしてなぜ急にそう思ったかはわからないが、当面は彼女ともう一度会おうとは思わない予感がした。

ジャカルタのHOTEL TRAVELには夕方戻った。チェックインをし、ホテルの目の前にあったカフェでビンタンビール、アヤムゴレン、ナシゴレンを注文して夕飯にした。その後あらためてホテル併設の置屋バーへ向かった。今度はソファー席に勝手に進み、空いているところに腰を下ろした。まもなくホステスがやって来て注文を聞いたので、「バドワイザーそれと若くて細めのセクシーな女の子」と伝えた。

やがてホステスがバドワイザーとひとりの女の子を連れてやってくる。スタイルは悪くない。しかし暗過ぎて顔はよく分からない。彼女は「ハーイ!」と言って席に座った。彼女の飲み物を注文して、もう一度顔を覗き込んだ、かなりの厚塗りの化粧。インドネシア人特有の二重瞼と長いマスカラ、低い鼻と厚い唇。視線を胸元に移すと、ドレスの胸元ははち切れんばかりで乳房がうっすら汗ばんでいるのかその褐色の肌は光っていた。

彼女と乾杯してからしばらく無言でビールを飲んでいた。すると彼女が「マッサージ?」と問いかけて来た。「何?」と小さく答えると、奥にある通路を指し示して、「ルーム」「マッサー、ボンボン」としぐさ付きで返して来た。

ふと昨日まで一緒にいた彼女のバストの感触を思い出した。日本人にありがちなつきたての餅のような柔らかい乳房ではなく掴めばしっかり押し返す軟式テニスボルのような弾力に満ちた乳房。もしかしたらインドネシア人の肉質はみんなあの感触なのだろうか?だとすれば今隣にいる彼女も同じ感触に違いない。ネシア娘の実態を掘り下げるためにはやはりここは体験してみるしかない。そう考えたぽんこつマンは、彼女にOKのサインを出した。

席を立ち奥に見える通路の方へ進む。女の子がその通路にいる老女に何やらふざけて話しかける。そこで札をもらい、階段を登る。その先にはたくさんのドア。それらは全てがマッサージという名ばかりの奉仕部屋なのだろう。

彼女に連れられて一つの部屋に入る。部屋にはシャワーブースとベッドそして壁時計。それ以外はティッシュペーパーがあるくらい。まさに男の欲情を処理するためだけの部屋。彼女にすぐに服を脱ぐように指示され、二人でシャワーブースへ。彼女は手と胸と下腹部にボディーシャンプを塗り、乳房をぽんこつマンの上半身にあてがって八の字を書くように体を滑らせる。彼女の手はぽんこつマンの股間にある陰茎と玉袋をクシュクシュと揉む。ぽんこつマンを後ろ向きにして背中にも同じ動きをしながらぽんこつマンのアナルも洗う。その後ぽんこつマンにシャワーを掛けボディーシャンプーを洗い流し、外に出るよう促す。そして彼女は一人で自分の身体を洗い、素早くバスタオルを巻いてベッドで待っているぽんこつマンの上にやって来た。

ぽんこつマンが上に乗っている彼女の胸に手を伸ばす。オッパイをバスタオルの上から揉んでみた。指を跳ね返すあの弾力は、バリ・サヌールでナンパした彼女と同じだった。

なるほど、皮膚が日本人より厚いのか、それとも肉質が日本人と違うのかは分からないが、ネシア娘はこんな感じという感覚を確信したような気がした。

その個室での奉仕は30分ほどで、コンドームを装着してバックから思い切り突きまくってフニッシュした。彼女はティッシュを使ってコンドームをスルッと外し、シャワーヘ行くよう促す。実に事務的にことが進められる。ぽんこつマンがシャワーを終えると彼女がシャワーを浴び、さっさと元の服装に戻る。素早い。ぽんこつマンがせかされる感じだった。

部屋を出て、ソファーの席に戻りジントニックを一杯頼んだら彼女は大勢の女の子が待機しているブースに戻って行った。ホステスが何やら金額を書いた紙とプラスチックの札を持ってやって来た。それを持ってエントランスで金を精算するようだった。その晩はそのままホテル併設置屋を後にしてホテルの部屋に戻った。

翌日は、ネットで調べていたジャカルタ近郊のショッピングモールに出かけてみた。タマン・アングレックというショッピングモール(https://www.taman-anggrek-mall.com)。その中にある丸亀製麺のインドネシア出店1号店で、当時はローカルはほぼ食べない、冷やしざるを昼食で食べた。そのショッピングモール近郊にはコンドミニアムが建ち、モールの中ではコンドミニアムのセールブースが多数あった。当時はそのモールに近いエリアで300万円〜500万円くらいでコンドミニアムが買えるようだった。既に中国人や韓国人には人気のようで東アジア系の顔を見ては「ニーハオ」とか「アニョンハセヨ」と声をかけるインドネシア人の販売員がいた。ぽんこつマンも声をかけられたが日本語が分かる販売員はいないようだった。

ある階にはスケートリンクもあり、それなりに賑わっていた。そのリンクを見下ろせる階に上がりしばらくインドネシア人のスケートを楽しむ光景を眺めていた。当時のジャカルタはどんどん発展し、アジアの中でも有数の都会へと成長している最中だったのだろうか、ぽんこつマンが日本のバブル期にはしゃいでいた空気をインドネシアで感じた日だった。

翌日は日本へ帰国する。そのショッピングモールにあるスーパーマーケットに行ってインドネシア産のコーヒー豆を土産用に探してホテルに戻った。夕飯はマンガブサール通りにある日式ラーメン屋に行き、ワンタン麺と餃子、それにビンタンビールで済ませた。

その日もホテル併設置屋をのぞき、明るい明かりの下でたたずんでいる女の子を選んで自分の部屋に連れて行くことにした。その日は少し時間が遅いのか、ブースに残っている子は多くはなかった。少し待とうかとも思ったが、今以上にレベルが高い女の子がこれから現れるとも思えなかった。一人に合図してホステスに自分の部屋に連れて行くと伝えた。エントランスまで女の子と一緒に行き精算を済ませた。本来は、一旦エントランスから出て、ホテルのフロントを通過してエレベーターに乗るのだが、部屋番号を伝えると、そのエントランスから外に出ないでホテルの部屋に行ける通路へ案内された。彼女が手を引いてぽんこつマンの部屋についた。このスタイルは初めての体験だった。

部屋に帰ればやることは一つ。彼女のオッパイの弾力はこれまでのネシア娘と似ているか。彼女も後背位を誘導するのか。予想は的中した。張りと弾力のある乳房はヨーロッパ系白人にも東アジア系にも少ないが、インドネシアの女の子には多そうだと感じた夜だった。

ぽんこつマンは全ての旅程を終え、翌日の深夜便で日本へ帰国した。ジャカルタの空港で帰国便のチェックインをしようとした時、通常のエコノミー席からプレミアエコノミー席へのアップグレードを受けた。席に空きがあるとの理由だったが、それ以降そのような美味しい話は一切起こっていない。いつもより深くリクライニングした席で今回の記憶をもう一度振り替えり、その満足感に浸り切った。だが今回のようなジャカルタとバリでの2都市性交旅を、翌年も計画するとまではこの時は思っていなかった。

ソイカウボーイ、Tilac で出逢ったイサーン3姉妹

2015年くらいからぽんこつマンのバンコクでの夜遊びは、ソイカーボーイがメインになっていた。最初にBaccaraに立ち寄って、新顔でまだ初そうな可愛い嬢を探す。アジア人の客の多くは、透明な床の2階のJKスタイルのダンサーがいるフロアを狩場にしている常連が多く、1階のビキニダンサーのフロアは、多国籍だ。どちらのふろあのダンサーもノーパンで一階のダンスフロアのぐるりと囲む席からは2つのフロアのダンサーの淫部を拝めるベストポジションだが、ぽんこつマンはタイガールの淫部を覗きたいわけでも、しばしばトップレスで踊るおっぱいを拝みたいわけでもなく、白い肌、刺青なし、ベビーフェース、下腹フラット、尻が垂れていない、足首が細い、それでいて初々しさを持っていると色々条件が厳しい。何度も通うと見慣れた顔ばかりで新顔に出会うことは珍しく、いつものジントニックを5〜6杯飲んでも気にいる子が見つからない時が多くなっていた。

そんな時は一旦Baccaraを出てティーラック(TiLac) かその先のカントリーロードへ入るのだが、特にそのどちらも嬢をペイバー目的に行くわけではなかった。ただソファーに座って、暇そうにしている馴染みのホステスと酒を飲みながら馬鹿な話をするだけなのだ。

   https://bangkok-dark-night.com/thai/bangkok/soicowboy/soicowboy-go-go-bar#i-2 より引用

そしてティーラック ではいつもガハハと大きく笑うママの一人ジアップに「今日のおすすめの子は?」と聞くのがお決まりの遊び方になっている。ジアップママと親しくなったのは、2015年より前に、ティーラックで初めてペイバーしたロイエット出身のイサーン娘と特に親し気にしていて、彼女がティーラックからバカラに移籍した後もバカラで彼女をペイバーしたのちティーラックに行ってよく飲んだ。その時にジアップママを紹介されたのがきっかけになっている。

ロイエット出身の彼女は当時27歳で初めてティーラックでペイバーする前は、タイ駐在の日本人ボーイフレンドがいたらしいが、彼がインドへ転勤となって関係はどんどん冷えて行ったと聞いた。それまでは彼の援助があって普通に暮らしていけたのだろうが、その援助がなくなったので夜の街に舞い戻ったと聞いた。

彼女がバカラに移る前に、彼女が妹(ノーンサウ)という女の子が大学の休み期間にバンコクに遊びに来ていた。3人でご飯を一緒に食べた後に彼女の住むMRTホイクワーン駅からバイタクで5分くらいのところにあったアパートに行ったことがあり、その部屋で彼女からその妹と寝て良いよと言われたことがある。結局その日は3Pをすることになり、その妹ともセ●クスをした。彼女との局部はいつも愛液で潤んでいてピストンもスムーズにできたが、その妹とのセ●クスは、まだその局部が十分に開発されていないらしく、しっかりとクンニリングスをして膣口から膣内まで唾液で潤いを加えないとかなり窮屈だった。その妹に聞いたらこれまでの経験人数は一人だけで回数も多くないとのことでほぼ処女に近い膣の感触を味わえた。

その妹はまだ学生だったらしいが、大学が休みの間はゴーゴーで働くということにしたようだった。ティーラックで知り合った彼女がバカラ へ移った時、その妹もバカラで踊るようになっていた。

最初にティーラックで知り合った彼女は日本語がそこそこ話せたのでか、しばらくしてタニヤのクラブへ更に移ることになり、バカラにはその妹だけが残ることになった。ふたりが真の姉妹でないにしても、タイでは親類の歳の近い関係にある場合は、ノーンサウ、ピーサウ、ノーンチャイ、ピーチャイと呼び合う。やはり田舎で親類の娘と同じゴーゴーバーで客を探すとなると何かとやりにくいことがあったのだろう。その後バカラではその妹を何度かペイバーした。

いったん日本に戻り改めてバンコクを訪れた時、最初にティーラックで会った彼女に「タニアに遊びに行っても良い」と連絡を入れた。彼女が働いていた店は、日本で言うクラブのようなスタイルで、タニアによくあるカラオケクラブのように女の子が入り口にずらりと並んでいるスタイルではなかった。店に入って彼女を呼んで席についた。そんなに長居する気はなかったのでボトルを入れることなくビールを頼んだ。彼女もウイスキーの水割りをグラスで頼んだ。

乾杯をしてたわいない話をしていると、彼女が店の奥の方に待機している女の子においでおいでをする。二人の女の子が名刺を持って席にやって来てヘルプについた。それなりにきれいな娘たちではあったが、彼女たちをペイバーする気にはならなかった。深夜0時を過ぎ、ぽんこつマンはティーラックで知り合った彼女が店を出るのを待って、彼女の古巣へ向かった。彼女はタクシーの中で誰かに電話している。これから行こうとしているティーラックに誰かを呼ぼうとしているようだった。やがて店について、懐かしのジアップママと抱擁する彼女。席に座って、オーダーしたジントニックとテキーラが運ばれてしばらくした時、店の入り口に若い女の子が誰かを探しているのが見えた。彼女もそれを確認して手をあげてその若い女の子を呼んだ。

その若い女の子は、昔彼女の妹と言っていた女の子に少し似ていた。彼女はその女の子をやはり妹(ノーンサウ)という。ぽんこつマンはその恥じらいを隠せないでいる女の子に「お酒は飲めるの?」と聞いたら「ニッノイ」とはにかむ。彼女はその女の子にテキーラを飲むように勧めた。1杯目は妙に眉をひそめていたが、3杯目を飲む頃にはお店の雰囲気もあって、グィと一気に飲めるようになっていた。

その女の子が何杯飲んだかは覚えていない。ティラックは午前2時が一応閉店時間だが、まだ客は全て引いてはなく注文は3時半でも受けてくれていた。その時にはその若い女の子はかなり酩酊している様子だった。時計は午前4時に近くなっていたので、帰ろうとした時に、その女の子を妹とよぶ彼女は、その女の子をぽんこつマンに預けるといった。

店を出る時、その女の子はぽんこつマンに腕を絡め体を預けて来た。ぽんこつマンもかなり酔っていたので、足元に気をつけながらその女の子を連れてホテルに戻った。ホテルはTHE KEY BANGKOK、たまたまアップグレードされていてジャグジーバスがある部屋だった。

その女の子は、部屋に入るなりベッドに倒れ込んだ。酔いがかなり回っているようなので少し休ませることにした。あと1時間もすれば日が昇る時間になっていた。

翌朝は、昨夜の酒が抜け切っていないのかぽんこつマンもその女の子も比較的早く目覚めた。ぽんこつマンは彼女にシャワーを浴びることを勧めた。その娘は素直に頷き、ジャグジーのあるバスルームに向かった。ぽんこつマンはジャグジーの蛇口をひねり、しばらく湯に浸かって体のアルコールを少しでも抜こうとした。

その娘がシャワーを浴びてベッドに戻って行った。ぽんこつマンもシャワーで体を洗って、ベッドに向かう。その娘はベッドの上掛けを額まで上げてベッドに潜っていた。ぽんこつマンは腰にバスタオルを巻いてそのベッドに忍び込む。彼女の肩を優しく引き寄せてお互いに横になった状態で優しく額にキスをする。彼女は拒むことなくそのキスを受けた。キスをまぶた、鼻の頭、頬にして唇に進んだ。舌はあえて入れずに軽いキス。唇には少し長い時間。そして首筋に進んだ時に、彼女が小さく喘ぎ声をあげた。ウッ、、。

その微かな反応を見てぽんこつマンは彼女が胸元で纏っていたバスタオルをゆっくり解いた。肩から繋がる腕にもデコルテにもまだ一切の脂肪がついていない、すごく華奢に見える身体に手のひらで包むにはちょうど良いサイズの乳房があった。まだそれほど弄ばれたことのないであろう淡い色の乳首は、ピンと立ち硬直していた。ぽんこつマンはあえてその乳房へのキスをパスし、脇、腰、上腹部、腰骨、そして下腹部へと唇を移動させた。それから初めて乳房にキスをする。そしてぽんこつマンは右手を彼女の股間へ下腹部から下ろして行き、左手は彼女の髪をゆっくり撫でながら右側に見える乳首の下側に舌を近づけ反時計回りにやさしく愛嫵を繰り返した。

彼女のクリトリスを愛撫する右手の中指を大陰唇に沿って膣口に近づけた時、はっきりと湿り気があることを確認したぽんこつマンは、体を彼女の足元に降ろし彼女の膝を持ちあげた。そして頭が彼女の股間に収まるように彼女の脚を開いた。彼女の大陰唇右側のひだを唇で挟むようにキスをし、次に左側へ。更に膣口のアナルに近い方に上唇を合わせ下唇をアナルと膣口の間を上下させた。その後舌で彼女の膣口上部を軽く突いた時には彼女の膣内は充分に潤い、受け入れる準備は整っているようだった。

ぽんこつマンはその時の彼女の反応を確認して、体を改めて上部に彼女の体に重なる位置まで滑らせ、既に完全にボッキした陰茎の亀頭を花芯に軽く押し当てた。花芯は少し開き、亀頭の先1cmほどが彼女の膣口に入った。いったん戻しては再度押し当てる。1cmから1.5cm、2cmと少しずつ亀頭は可憐な花芯を押し広げていく。

亀頭全体が埋まった時、彼女はまたもウッと軽く吐息を漏らす。ゆっくり亀頭のくびれを膣口の外へ出し、また中へ押し戻す。奥にはなかなか進ませない。全くの処女ではなさそうだが、男を向かい入れた経験はまだ数回あるいはこれが2回目かもしれない。

ぽんこつマンは慎重にゆっくりと時間をかけて亀頭を5cmほど中に進めた。中は充分に潤ってはいるがかなり狭い。まるで風船細工に使う長風船のようによく締まった肉管をゆっくりゆっくり拡げるように引いては押し、押しては引く。やがてそのよく締まった膣にぽんこつマンの充血した陰茎が完全に埋もれた。

正常位で行き着いた位置から彼女の両脚を持ち上げ屈曲位でさらに奥へ押し込んだ。その位置でまた1〜2cmほどの短いストロークを繰り返す。ウッ、ウッ、、アッ、、ウッウッ、、アゥ、ウッ、。本当に締まりの良い肉質を持っているようだった。コンドームがない生状態でここまで締まりの良い肉質に巡り逢ったのは初めてだった。この娘には次も逢いたいと思った時にフニッシュがくる感じがして、すぐに引き抜いた。

画像はイメージです

彼女の下腹部に射出したザーメンはティッシュで優しく拭いとった。彼女をあらためて引き寄せて、その時の満足感の余韻を味わった。彼女はしばらく閉じていた目蓋を開いて、”you are so gentle kha” とささやいた気がした。これから彼女はいろんな男に求められるだろうと思える華奢で美しいボディーラインと柔らかい良い形をした乳房を持っていた。LINEを交換して正午近くに彼女はホテルを後にした。その時はまたティーラックで彼女に会えるとは思わなかった。

何ヶ月か過ぎて再びバンコクを訪れた時に、彼女と連絡をとった。彼女はまたティーラック に行ってみたいと言って来た。「あそこは男の人が女の人を見つけにいく場所だからお酒が飲みたいなら他の場所にしない?」と言ったが、ティラックでテキーラを煽った時のことが忘れられないと言って来たので、彼女の言う通りそこで午後9時に待ち合わせをした。

その後に起こったことは、あまり思い出したくはない。彼女はティラックでものすごいピッチでぽんこつマンが心配するくらいテキーラを煽った。案の定午前0時を回る頃には完全に酩酊状態で歩くことができなくなっていた。どうも彼女は少しお金に困っていて、ティラックでお酒を飲むことで、店からの割戻をもらう話をしていたようだ。ゴーゴー嬢になれば、毎日踊らなければならない。客から指名されれば、ペイバーに合わせなくてはならない。彼女は、そこに身を落としてまでお金を得ると言う決心ができていないようで、酒だけを飲んで店の売り上げに貢献して稼ごうとしていたのだった。

彼女は全く歩けなくなって店でソファーに横になった状態でしばらく動かなかった。完全に急性アルコール中毒に落ちていたのだろう。その店で一緒に飲んでいたホステスふたりが彼女に水をに飲ませ、時たまトイレに連れて行き解放してくれていた。そうこうして朝の4時になり少しは話せるように回復はしていたが、彼女はまだ歩ける状態ではなかった。ぽんこつマンは彼女はどこに住んでいるかを知らない。とりあえず近くに宿をとっていたぽんこつマンのホテルの部屋に彼女を預かることにした。優しく解放してくれていたホステス二人とぽんこつマンで彼女を立たせて3人で支えながら、ホテルの部屋まで運んだ。

多少のお金を稼ぐためにそこまで健気にお酒を飲んだと言うことが信じられなかった。ぽんこつマンが知っているタイの女性は、本当にお金に困った時に自由恋愛カフェなどに行き、お金を払ってくれる男を品定めして体を許す人もいる。それをしない彼女はそんなタイの奔放な女性とは明らかに違っていた。きっと絶対に譲れない何かが彼女をそうさせなかったのだろうと思うと、愛おしささえ覚えた。その晩静かにベッドで寝かしつけて、ぽっんこつマンはソファーで休み彼女を抱くことはなかった。

これで良いのだ。この娘にはどうしても守りたい何かがある。ぽんこつマンは彼女とのたった1回の思い出を大切に記憶の奥にしまうことにした。

ティーラックで最初にペイバーした嬢は、やがて妊娠し出産。赤ん坊の父親はインドに転勤になった男だと聞いたが、その男はその後彼女に一切の援助もしないまま行方を晦ましたらしい。その彼女に紹介された最初の従妹は、バカラで知り合った中華系(シンガポール?)の男と一緒にバンコク近郊に暮らしているらしい。3人目にあったもうひとりの従妹は無事に大学を卒業し、2年前から会計事務所で監査人として働いていると聞いている。3人にこれからも幸多かれと祈るばかりである。

ソイカーボーイでペイバーしたイサーン娘①

ソイカーボーイのBaccaraはかなり昔からゴーゴー嬢のレベルが高くいつも混雑している。バンコクで一番最初にオキニになった娘もBaccaraで知り合ったが、数ヶ月経った頃から彼女と店で出会える機会はどんどん下がっていた。彼女は知り合った当時20歳、ラムカンヘン大学の学生でもあると言っていた。出身はコンケーンとのことだったが肌の色も白く目鼻立ちもくっきりしていて、タイで美人と呼ばれる要素を全て持っていた。ぽんこつマンが知り合った時はまだBaccaraに入店して日が浅く、恥じらう姿もかわいいウブな女の子だった。しかし、バンコクの夜の街は、そんなウブな女の子をあっという間にプロのパパハンターに変貌させる。

ぽんこつマンが彼女を最初にペイバーして、その1週間後に再びペイバーした時は既に自分が人気があることを理解していたし、ぽんこつマンがいったん日本に帰国して1ヶ月後にまたBaccaraへ彼女を見つけに行った時には、すでにBaccaraでかなり人気の嬢に上りつめている風格を見せていた。自分をより魅力的に見せるためのメイク技術も身につけ、さらに頂上への階段を登る予感を感じさせた。しかし宝石や時計、バッグなどの身の回り品をブランド物に固めるようなことはなく、あくまでも清楚で可憐なムードは保っていた。

そんな彼女がさらに数ヶ月後には、Baccaraに姿をを見せることが極端に減って行った。それまではそれなりにあったLINEでのチャットにも既読がつかなくなることが増えた。他のゴーゴー嬢に彼女のことを聞いてみると、なんでも中華系の富豪に猛アタックされ、高額なサポートを受けていて働く必要はもうなくなっているという話が帰って来た。

そうか、そうだったのか。ぽんこつマンにはもう届かないところに行ってしまったのか。とうとう諦める時が来たと思った。実はそれから1年後にそれまで途切れていたLINEが一回つながった時があり、久しぶりに会いたいと伝えたら、会えたことがある。

以前より二の腕、頬、顎、腰、尻、太腿に脂が乗ってふっくらふくよかになっていた。その時に聞いたことは、もう大学に行っていないこと、現在は中華系の30代前半の社長のサポートがあること、これまで働いて貯めたお金で田舎のコンケーンに平屋のそれほど大きく無い家を建てる設計があること、今は既に高級自家用車(Mercedes Benz)を所有していること、などを教えてくれた。

見た目の清楚で可憐だったところがいちばんの魅力で、そんな彼女に引かれていたのだが肝心のセ●クスプレイは、相性がすごくいいということはなかった。再会した時も体を重ね合わせたが女としてすごく開発された感もなく、今後は生活力に富んだ賢明な母になるんだろうなと感じた。そして彼女とそれ以降会うことはなくなった。

その再会の半年ほど前には、同じBaccaraで別のオキニ嬢が出来ていて最初のオキニ嬢に未練は無くなっていたのだ。次のオキニ嬢もイサーン娘でコンケーンよりバンコクからさらに遠いウボンラチャタニ出身と聞いていた。年齢は当時28歳とBaccaraではかなり年齢が高く田舎に子供が居る嬢だったが、すらっと伸びた手足、細い首、細い腰、顎を少し上げた状態で立つと、その美しいボディーラインが際立ち、決して子供を産んだ女の崩れた体型は見て取れなかった。

しかしながらBaccaraでは、年齢のせいかそれほど人気があったわけではなく店でレディースドリンクをご馳走すると、丁寧なワイと笑顔を返してくれた。何度かペイバーし、ぽんこつマンを一人の上客として彼女が認め始めてくれていた。

彼女の実家はゴム農家で裕福ではなく家族のために毎日闘っているとよく話していて、金にシビアすぎるところがぽんこつマンには気になった。baccaraにはその後も何度となく行ったがオキニだけをいつもペイバーすることはこの頃から無くなっていた。二番目のオキニになっていた彼女は、それから2年くらいはBaccaraで働いていたと思うが、その後姿が見えなくなっていた。やはり年齢的に30歳を超えるとBaccaraという人気店でダンサーで指名をもらうのは厳しくなるのだろうか。

彼女の姿がBaccaraから消えて2年くらい経過した2018年にラインのタイムラインに彼女の投稿が上がっていた。久しぶりに連絡をしたら、今もバンコクにいてフリーランスで客をとっていると話していた。

「久しぶりだけど会ってみる?」と言ったらOK! という返事がすぐに帰って来た。「じゃ晩飯を食べよう。」というと昔ぽんこつマンと一緒にHuai Khwang(ホイクワーン)というエリアにあるソンブーン・シーフードという店で<プー・パッポン・カレー>を食べたことを覚えていたらしく、私がバンコクで住んでいるところの近くにもその<プー・パッポン・カレー>が美味しい店があるという。トントンというタイ(イサーン)料理屋で、ペッブリー通りとラマ9世通りを結ぶ南北の通りに面しているとのことで、そこで待ち合わせることにした。

待ち合わせ時間の午後8時に5分前に店に着いたら、彼女は既にテーブルでぽんこつマンの到着を待っていた。早速ビアチャン生3Lタワーといくつかの料理を頼んで、懐かしい話で盛り上がった。大量のビールを彼女もぽんこつマンもグイグイ飲んだ。1時間で食事も生ビールもなくなり会計を頼んだ時、彼女が「さぁ次は?」と言ったので「どこか行きたいとこあるの?」と尋ねたら「ウイスキーのボトルが入ってる店」と言ってまだ飲む気満々だった。向かった店はタワンデーンというタイ人には馴染みがある大きなバンドステージがあるパブだった。

このブログを書いている2020年6月時点はCovid-19による非常事態宣言令下にあり、臨時休業となっているがそのうち状況が改善すればまずあっという間に一杯になるだろうと思える賑わいぶりだった。物凄い大音量でタイポップのライブが演奏されていて、ステージにいる歌手や演奏者には頻繁に客がステージに近寄りチップを渡しに来る。

その店でほぼ空になったウイスキーをグラスに注いで彼女がもう一本ウイスキーのボトルを注文した。彼女はすごい酒豪だった。グラスの半分ほどウイスキーを注ぎ、氷を入れる。グラスの上部が少し空いているところにソーダを入れる。ほぼロックに近いソーダ割。それをグイ、グイと3〜4回ぐらいで空けてしまう。ぽんこつマンも酒は好きな方でかつては一晩で2升の日本酒を飲んだことはあるが、その時はもうそんなにはとても飲めなくなっていた。2時間でかなり酔ってしまった。彼女もそこそこ酔っていたようだが、店を出る時に「行く?」と誘って来た。長い間会っていないこともあったので、モノはためし、「いいよ」とあっさり返事した。そのタワンデーンという店があるパタナカーン通りを50〜100mほど東に歩いたところに、ロムレーンマンルートゥ(日本のモーテル)があり、そこにウォークイン。

基本は3時間、飲み物を頼んだりできる。彼女はそこでも大便ビールを一本グラスを2つ頼んだ。部屋代は3時間で300Bahtくらいだったか、ビール代と合わせて500Baht払って釣りはいいと言った。シャワーブースもキレイではないがそこそこ広い。日本ほど暑いお湯が出ることはないが、勢いはあった。モーテルスタイルなので宿泊も可能なのだろうがベットには上掛けの用意がない。彼女は先に軽くシャワーを浴びてぽんこつマンが後にシャワーを浴びる。ぽんこつマンがシャワーから出ると彼女はテレビを見てビールを飲んでいた。ぽんこつマンがベッドにあがると彼女は枕元に用意したコンドームに手を伸ばし、その行為の準備に入る。実に手慣れている。もう10年以上も体を張ってきているだけのことはある。細く長い指を持つ彼女の手がぽんこつマンの股間に伸び、玉袋と陰茎に刺激を加える。その絶妙なテクニックに酔っていたぽんこつマンのペニスはあっという間に充血し硬くそそり立った。彼女はその逸物に素早くコンドームを装着し、騎乗位でそれを自分の秘貝へ迎え入れる。グリン、グリン、スポン、シュポ、ズブゥ。彼女の腰はグラインドと上下運動を繰り返す。ぽんこつマンは両手を彼女の乳房に当てがい、内から外、外から内へと円を描くようにもみしだいていた。

10分くらいの騎乗位の後、彼女は四つん這いになり後ろからの挿入を求めた。ぽんこつマンはそれに応じ、後ろからズンと差し込んだ。蒸気機関車の車輪へ動力を伝えるピストンのように、ぽんこつマンの腰は激しく前後する。彼女のシリンダーはそのピストンの滑りを促すように愛液が溢れてきた。時折り膣口や膣壁がぽんこつマンの陰茎を締めつける。いつそんな技を身につけたのだろう。とても出産を経験した女性のものとは思えない秘部だ。最後は、正常位そして屈曲位でフィニッシュした。

部屋で少し気が抜けたビールに口をつけ、ハグした後に二人は部屋を出て、それぞれの帰路についた。ぽんこつマンが自分の部屋に戻った時は午前2時を回っていた。それ以降彼女からちょくちょく連絡がきた。多分酒を大量に飲ませてくれる都合の良い男がそうそう多くはいないのだろう。次に彼女に会ったのはその時から半年経ってからのことだったと思う。

フィリピーナに逢いたくて

ぽんこつマンが最初にアジアの姫に目覚めて10年くらい経った頃、長く勤めていた大阪から東京へ勤務地が替わるということがあった。東京は出張では頻繁に出かけていた場所だったが、実際に住んだことがなかった。どこに住めば良いのかよく分からないまま、蔵前と言う場所に部屋を借り住むことにした。会社は赤坂にあり地下鉄は都営大江戸線と千代田線で会社に通うことになった。

転勤してからは暫く歓迎会が続き、ある時赤坂で一次会があった後にアジア好きが集まって二次会は上野のタイパブに行こうということになった。そしてさらにその後、アジア好きの中でさらにディープな面々とフィリピンパブへ流れた。フィリピンパブは大阪で働いていた時も、東京からフィリピンパブ好きの知り合いが来阪した時に幾度かいったことがあったが、これまでの東京出張ベースでの夜会は、赤坂、六本木、麻布、渋谷方面が多かったせいで、小洒落た店での飲食が多くアジアンな店といえばせいぜいタイ料理店。フィリピンパブには縁がなかった。

機会がなければ興味も湧かないが、その時には既にマカオやバンコクでディープなアジアの夜をしばしば堪能していたこともあり、フィリピンパブに行くということになって内心興味津々であった。上野のフィリピンパブではほんの1時間ほど過ごしたが、その時席についてくれた女の子(とはいっても年齢は30オーバーな感じ)とタイの話などで盛り上がり、翌日の土曜日の昼間に一緒に食事をする約束をした。

そして次の日ごご2時、彼女が指定してきた上野の居酒屋で昼からビール・酎ハイを飲み、夕方には出来上がっていた。彼女はその日も店に出勤するということで、ぽんこつマンも後で改めてひとりで行くことにした。

2日連続で訪れたフィリピンパブも土曜日の早い時間は女の子の数も多く、昨日の彼女の他にヘルプで隣についた女の子が若くてかわいかったことを覚えている。東京の住まいが蔵前と上野に近く、勤務先の赤坂からも千代田線で湯島に来れば、アジアンムードに侵ることができる。そうこうしてるうちにフィリピンで暮らしている現地の女の子にどんどん興味が湧いてきた。

その頃は既にスマホをその中でSKOUTというアプリで世界のあらゆる都市の女の子を見つけてチャットできるようになっていた。ネットでフィリピンの風俗を調べたりしながらも、まずはそのアプリにアップしているマニラの女の子をさはすようになった。何人かの女の子とチャット友達になったがそのうちのひとりのマニラから少し離れたオロンガポという町に住む26歳という女性のノリがよく、近いうちにマニラで会おうということになった。

彼女とはLINEを交換し、さっそくフィリピンへは初めての渡航を計画。ぽんこつマンが日本を出発する当日、彼女はオロンガポからマニラの空港(https://www.miaa.gov.ph/miaa/)で待つとのことだった。飛行機がマニラに野井秋の空港に定刻を30分ほど遅れて到着した。イミグレはかなり混雑していてなかなか入国できない。飛行機を降りて1時間ほどしてようやく到着ロビーへ出た。多少のお金を両替し、携帯の現地SIM交換を済ませて彼女にLINEしたら既にずいぶん空港の到着ロビーの外で待っているとのことだった。

ぽんこつマンは到着ロビーからEXITドアを開けて外でた。物凄い人が誰かの到着を待っている。彼女が当日オロンガポを出るときの服装を写した写真を手がかりに一生懸命探したが、なかなか見つからない。ぽんこつマンも日本の空港を出発する時に当日の服装を写した写真を送っていた。暫くして遠くでぽんこつマンの名前を呼ぶ少しハスキーな声が聞こえた気がした。その声は徐々に大きくなり、ぽんこつマンがその声の先から手を振って微笑んでいる女性の姿が見えた。ぽんこつマンは少し小走り美彼女に近づこうとするが、人の波に呑まれてなかなか進めない。彼女も人をかき分けぽんこつマンに近づこうとしている。ふたりが近づきハグをするまでの時間はまるで再会を果たした恋人どうしの映画のようなスローモションのワンシーンのようだ。

マニラではタクシーも決して安全とは言えないとネットからの検索で調べていたがフィリピン人の彼女が一緒だったので少しは安全と言われているイエロータクシーではなく、普通のタクシースタンドで拾ったタクシーに乗った。行き先はマカティーというマニラでは金融街を有する市にあるブティックホテル(https://www.picassomakati.com)。行き先を彼女に伝え、彼女からタクシードライバーにタガログ語で伝えてもらう。

ホテルにチェックインしたのは夕方5時近かった。日本時間だと夕方6時だったがお腹はまだ空いていなかった。部屋でまず彼女が話したことは、彼女が住むオロンガポという街からマニラまではバスで3時間半くらいと言われているが、朝の渋滞にひっかかり実際には5時間以上かかったという話、マニラには滅多に出てこないという話、オロンガポの家には母親と一緒にい流話、オロンガポでどんな仕事をしているかの話、本当は今日オロンガポに帰るつもりでいたけど、帰りもマニラ市内の渋滞にあって家に着くのが深夜0時をすぎるのが怖いという話となった。

ぽんこつマンはせっかくマニラでこうして実際に会えたんだから泊まって行くように話した。彼女は家に電話するといって、一緒に座っていたベッドから腰を上げ、窓際に向かって歩きながらタガログ語で母親に明日の夕方には帰ると言ったようだった。彼女の短い電話が終わりベッドに戻ってきた時、ぽんこつマンは彼女の手を握ってもう一度ベットに座るように誘った。

彼女は少しつまずいて、バランスを崩しぽんこつマンにハグするような体制で倒れかかってきた。ぽんこつマンはとっさに彼女の腰に手を回して彼女を支えようとしたが、彼女の倒れかかる勢いに押されてふたりは抱き合ったままベッドに倒れる形になった。

ぽんこつマンはその状態から手を彼女の頭に近づけ、ゆっくりとキスの体制に入った。唇と唇が重なったが彼女は一切抵抗することなく、ぽんこつマンの舌が彼女の舌を探ることを許した。ぽんこつマンの唇は彼女の首筋へと移り、ぽんこつマンの右手は彼女の背中から腰のあたりをゆっくりと滑って行った。彼女がぽんこつマンの上にいた位置から反転し、ふたりは抱き合ったまま反転して、彼女が下になった。ぽんこつマンは唇を彼女の首筋から胸元にゆっくり降ろしていき、左手を彼女の内腿あたりに沿わせた。

彼女の胸元にのぞく肌色は、南国の女性には珍しく白く透き通るように美しく見えた。腰に回されていたポンコツマンの右手は、洋服の上から彼女の胸の膨らみにあてがわれ、乳輪より下の乳房をブラのレースの凸凹を感じるように静かに撫でた。ぽんこつマンは突然手の動きを止め、「シャワーを一緒に浴びよう」と彼女に伝えた。彼女は小さく頷き、絡み合った体は一旦解かれた。

シャワーでふたりは互いの長い移動でかいた汗を流し、ふたりはスコールのように降り注ぐ激しい水の流れの中で求めあった。ぽんこつマンは右腕で彼女の左足を持ち上げ、既に熱くなっている彼女の秘部にそそり立ったペニスを突き上げた。彼女は右膝を少し曲げ後ろに反るようにして、ぽんこつマンの亀頭がポルチオに当たるようにする。突くたびにぽんこつマンのペニスの先端はコリコリとする感触を感じ取っていた。

立位から体制を変えて立ったままでの後背位へ。彼女はシャワーヘッドが付いている壁に両手をつき、少し腰を折り尻を突き出した。ぽんこつマンはその背後からアナルの奥にある膣口を探りあて、そそり立ったペニスを少し上から押さえ込んで突き刺した。亀頭のくびれが裏Gスポットに当たるのか、彼女はその刺激を受けるたびにのけ反り壁についた両手が下がって行くのを体をよじらせ修正する。ぽんこつマンがフィニッシュを迎えそうになって、一旦ペニスを引き抜いた時、彼女の膝は崩れ壁についた両手の肘も折れ荒く呼吸をしている胸をその壁に持たれかけた。

シャワー室を出たふたりは、肌に残った水滴をバスタオルで軽く拭いゆっくりとベッドに進んだ。ベッドの上ではそのまま自然に彼女がフェラチオを始め、ぽんこつマンはクンニを彼女に施した。舌でクリトリスを包むヒダを優しく剥き、クリトリスの周囲に舌先を這わせた。右側、左側、左側、上部、右側、下部、一番敏感に反応する部分を探し出すように舌先を細やかに動かす。彼女のフェラチオの速度が速くなったのを感じて、ぽんこつマンはシックスナインを解き、片足屈曲位で挿入した。深く差し入れたその先に、再びコリコリとした感触があった。ぽんこつマンはしばらく深く差し入れたポジションのまま、ゆっくりとグラインドする。

コリ、コリ、、、、コリ、コリ、コリ、、、、、コリ、、、コリッ、、、、。彼女の表情が快楽に歪む。彼女はそのたびにのけ反り、ふくよかに発達した白く美しいバストを天に突き上げる。ぽんこつマンはその突き上げられたバストにある乳首を親指のはらで柔らかく撫で回した。コリ、コリ、、、、コリ、、、、、、コリ、コリ、、、、、。ボルドーワインのように赤く充血した乳首もポルチオの感覚と似て硬く張っていた。ベッドでの二戦目は後背位、後側位、伸長位、と続き両足屈曲位でフィニッシュを迎えた。コンドームは装着していないので、亀頭の先から精液が飛び出す直前の強い一撃の後、膣口から素早く抜き淡い淫毛の上部にある下腹部(子宮を守るように覆っている皮膚)に濃い液体を勢い良く発射した。

彼女はセ🟣クスの時、これまで交わってきた女性の中でもめずらしく子宮口が下がってくるタイプのようであった。ぽんこつマンの亀頭がいい具合にポルチオに当たるようで、セ🟣クスが終わった後も「子宮口がジンジンする感覚が消えない」と言っていた。ぽんこつマンも彼女の子宮口が吸い付く感覚が亀頭からなかなか消えない体験だった。

二回戦が終わって少し空腹を感じていたので、食事に出かけることにした。「肉か魚か?」と彼女に聞いたら、速攻で「肉!」という返事が返ってきた。ネットで近くにある焼肉屋を調べてタクシーで出掛けた。焼肉屋では肉だけをビールで流し込んだ。食事にはそれほど時間を割かなかった。なぜならぽんこつマンの陰茎部が先ほどの感覚を覚えていて、もう一度あの感覚を味わいたいと膨張が治まらなかったから。

ホテルに戻って三回戦。3回戦が終わって焼肉屋からの帰りホテルの近くにあるコンビニを見つけて飲み物を買いに出掛けた。缶ビールといくつかの清涼飲料水、そしてスナック。紙袋を持ってコンビニを出たところに、二人の怪しい男性が後ろから近づいてきた。ぽんこつマンと彼女は、平静を装って早足ではなく自然にホテルに戻ろうとしたその時、後ろからぽんこつマンの胸ポケットに怪しい男の一人の手が伸びてきた。胸ポケットにはiPhone。どうもその胸ポケットにあるスマホを奪いたかったようだ。ぽんこつマンはとっさにその手を跳ね除けて大声を出した。「何スルン!!! 」と関西弁で。相手が多少怯んだと思った時にはふたりはホテルに向かって走って逃げて帰った。

金融街マカティー(https://earlyfield.com/2019/05/19/post-1628/)。日中は至るところに拳銃を持ったセキュリティーガードがいて安心感があるが夜になるとその様相は一変する。この回の訪問以降も何度かフィリピンを訪れて、マカティーに宿をとりプルゴス通りのゴーゴー街(https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g298450-d9777930-Reviews-P_Burgos_Street-Makati_Metro_Manila_Luzon.htmlに出かけたがむしろゴーゴー街の方が夜はセキュリティーガードがいて安全と今は感じる。ホテルからそのコンビニまでのわずか200〜300m程の距離にはレストランが途中に一軒、時間は夜の11時を過ぎ、閉店の準備をしていたことを記憶している。そのレストランの明かり以外に街灯はなかったように思う。どうもその怪しい男たちはジャンキーだったようで一発決めた薬の効果で走って逃げた後を追いかけることができないようだったが、ホテルにたどり着いた後に万が一ナイフや拳銃を持っていたと考えたら一気に血の気が引いた。

https://crazy-manila.com/topics/6671.html より引用

その恐怖を味わったからか、既に3回も体を重ねているのにお互いがお互いを求めた。既に時計は深夜0時を回っていたが、もう一度快感で恐怖を拭おうとした。第四戦を終えてふたりが眠りについたのは午前2時になろうとした頃だった。

朝は遮光カーテンの隙間から差す南国の強い太陽の光で目が覚めた。時刻は午前7時半過ぎ。ぽんこつマンがトイレに立つと彼女も目を覚ました。ぽんこつマンの後を彼女が追ってきた。「トイレ?」「シャワー?」と尋ねたら「シャワー」と答える。そしてまた、シャワーの中で抱き合った。さすがに昨日は4回も重なっただけあって、ぽんこつマンのペニスは抱き合ってキスしただけでは完全勃起はしなかった。その時彼女の手がぽんこつマンの玉袋を包み、しゃがみ込んで途中まで勃起したペニスを口に咥えた。吸いながら前後する彼女の口のリズムに昨晩初めて味わった快感の記憶が蘇る。コリ、コリ、、、、コリ、、、、、コリ、、、コリ、。

いつの間にか完全に膨張したペニスの先にポルチオがあたっていた。わずか15〜6時間の間に5回のセ🟣クスは若い時代のポンコツマンでも経験したことがない。彼女も花芯の奥にある秘められた性感帯の疼きが治まらないのだろう。

https://primer.ph/travel/category/area/central-luzon/subic/ より引用

朝のシャワーでの一戦を終えて彼女は「そろそろオロンガポに戻る」と言った。冷房の効いた部屋で熱いコーヒーを飲んで、彼女は帰り支度を始めた。部屋の扉のところで抱擁しキスを交わす。ロビーまで一緒に降りてタクシーを拾った。彼女はマカティーからパサイのバスターミナル(https://ryugaku-philippines.com/2018/09/18/pasay-victory-liner-bus-terminal/)までのタクシー代を受け取ってホテルを後にした。ぽんこつマンは彼女が乗ってタクシーが交差点を右折して見えなくなってもしばらくホテルの玄関でタクシーが去った後を眺めていた。

彼女とは日本に戻ってからも度々LINEで連絡を取るようになっていた。彼女はしばしばあの時に味わったポルチオが痺れる感覚がまだあるという。1ヶ月くらいが過ぎて、彼女から突然「メンスが来ない」というLINEが入った。確かにぽんこつマンはコンドームを装着せずに5回もセ🟣クスをした事は間違いないが、精子を中で出した覚えはない。性病を持っていないと確信できる相手とのセ🟣クスでは、これまでもコンドーム を装着しないことはあったが「メンスが来ない」と言われたことは今まで一度もない。ぽんこつマンは幼い時と大学生時代に41°Cに近い高熱を出したこともあり、もしかしたら種無しなのかもと思ってさえいた。

ぽんこつマンは、彼女に「で、どうしたいの?」とLINEで尋ねた。答えは「後1っヶ月くらい様子を見るけど、それでも来ないようならお医者さんに行く。フィリピンはカトリックなので中絶は本当はできないことになっているけど、特別にやってもらえるお医者さんを探す。」とのことだった。フィリピンでの中絶費用など分かるはずもなかったが、日本円で15万円、大体当時で65,000ペソくらいを送るけど足りるかと聞いたが分からないと彼女は答えた。もし処置しなくいけなくなって、足らないようならその時のもう一度送るから、と言って15万円をとりあえず送金した。その後しばらく連絡がなかったが3ヶ月くらいしてまたLINEが来るようになった。処置をしたのか、しなくて済んだのかはあえて聞かなかった。次にもう一度会いたいこと、できればオロンガポに行ってみたいことを伝えたが、「遠い」「時間がかかる」と素っ気なくなっていた。さらに1ヶ月くらいしてLINEしたら、「日本人と結婚した」と折り返しが来た。大阪の百貨店勤務の人とのことだった。

ぽんこつマンとは年齢的にも離れているし、その結婚相手がどこの国のひとであれ、彼女が幸せをつかもうとしていたことが分かってほっとした。そしてもう会うことはないと思った。今もこの地球のどこかで幸せに暮らしていることを祈らずにはいられない。

バリ島サヌールでのインドネシア初ナンパ

2015年頃には、ぽんこつマンはバンコクでオスの本能がピークを迎えていた。タイ以外の異なるアジア諸国の風俗を調べてるうちにぽんこつマンはサーフィンには全く興味がないがバリ島娘への興味が出て来た。バリの女の子はバンコクの女の子とどう違うのだろう?性格の差、見た目の差、性に対する意識の差などを実際に感じてみたくなった。

そうだ!バリに行って見よう!! そう決めた時は日本が既に晩秋を迎え、人肌の温もりが恋しい季節に変わっていた。この頃勤務地が東京に変わっていて、TYO→BKK→CNX→BKK→TYOとタイへの旅程を初秋の頃に決めていたが、東京バンコク間はANAの特典マイルで取っていたので東京に戻る前にバンコクからバリへの2泊を追加を決め、タイ航空のフライトをネットで探した。当時はタイ航空のバンコク〜テンパサール間は1日2便あったように思う。バンコク を午前出発しテンパサールには現地時間夕方に到着する便も比較的安価で買えたので即予約を作った。ホテルは近くに置屋があるとの調べがついたので朝日が見れるサヌール地区の3つ星をとった。

空港からタクシーでサヌールのホテルに直行してチェックイン、荷物を置いて近くにあるバーに行った。カウンターに座り、ビンタンビールを注文した。隣に女性がいたので英語で話しかけたら、なんだか話が通じてバリ島でおすすめのディナーを聞いたら、ジャンバランでシーフードがいいと勧められた。一人で行くのもつまらないので明日一緒に行かないかと誘ったら、気さくにOKとなった。その日はホテルに戻り静かに寝た。翌日は朝早くサヌールの海岸を散歩。昼近くにホテルでバイクを借りて、あらかじめ調べてあった置屋へ向かった。飛行機の移動の疲れがまだ十分に取れていないのだろう。だが体はヘトヘトでもチ●コはギンギンだった。いわゆる疲れマラ。部屋に入る前に女衒が女をバイクの尻に乗せてやって来た。特に可愛くはないが精子を出したい衝動もあったしせっかくやって来た女の子を返すのもかわいそうだと思い即OKにした。いくらだったかははっきり覚えていないが高くはなかった気がする。愛想は悪くなく、英語はほぼ通じないがやることは世界共通、ボディーランゲージでその場を乗り切った。その夕方は昨日約束したジャンバランでのディナーがあるのでホテルに戻って準備した。待ち合わせは昨日出会ったバーの前。タクシーを呼んで出かけたら、店の前に彼女は既に来ていて、その足で一緒にジャンバランに向かった。車内でどこに住んでいるのか?どんな仕事をしているのか?何歳なのか?出会ったバーにはよく来るのか?今日は自分の部屋からバーまではどうやって来たのか?などを話した。

何分くらいタクシーに乗っていたか分からないが、ノリのいい英語での会話が弾んであっという間にジャンバランビーチにあるレストランに到着した。入り口を入るとシーフードが陳列されていてその中から選んで料理を決めて注文した。その足でビーチにあるテーブルに案内され、飲み物のメニューが出される。ぽっんこつマンはワイン好きなので、白ワインをオーダーした。彼女もワインが飲めるらしくふたりで2本のワインを開けた。ビーチについた頃はまだ太陽が沈んでいなかったが、2本のワインがなくなった時は既に夜10時を過ぎていた。彼女の仕事は身体障害者のバリ旅行の企画運営を手伝っていると言うことだったが、たまたま今は新しい旅行者からの依頼がないので、バリの友達が働いているサヌールのバーに遊びに行っているとのことだった。彼女の出身はバリではなくジャワ島、バリ島出身ではないと言うことはヒンズー教ではなく回教徒だが、バリにいる時はスカーフ(ヒジャブ)をしないのだといった。彼女の話は興味深く、しかも明るい性格が気に入った。

そろそろ帰ることにしようという話になってレストランにタクシーを呼んでもらった。彼女の部屋はテンパサール市内にあるとのことだったが、バイクをサヌールのバーに置いて来ているので、その晩はぽんこつマンのホテルに泊まっても良いと言って一緒に戻ることになった。ホテルに一緒に戻ると言うことは、、、、、、、、、、、。今日は昼間に置屋で抜いて来ているが、、、、、、、、、、夜にも激しい体液の交換が待っていた。

今でも彼女との濃厚な時間は脳裏に残っている。温かくしっかりとホールドされたぽんこつマンの逸物の根元から亀頭に向かって肉ヒダがうねり上がっていく。日本人には滅多にない乳房のハリ、腰のくびれに触れるか触れない程度に手のひらを這わせると微かな呻き声と同時に腰をそらせ、亀頭を子宮口に当たりやすくする動き。正常位から片足屈曲位、騎乗位、後背位、寝バック、後側位、座位、両足屈曲位、スロー、、、スロー、、、、、スロー、、クイック、スロー、、、スロー、、、、クイック、ぽんこつマンが変拍子で打ち込む。彼女は全身を小刻みに震わせながら、体に突然走る快楽のショックに耐えていた。絞り上げるように強く握りしめるシーツ、ぽんこつマンの体を引き寄せようと彼女の指が背中、腰に食い込んでくる。合わせる肌は、強い空調の中でも熱く火照り、互いに汗ばんで絡み合った。

一戦が終わったのは午前1時より少し前。当然コンドームを装着しての一戦だったが、彼女はぽんこつマンが果てた暫く後に、次は、中で出さないなら「生でも良い」とささやいた気がした。そのままふたりは抱き合いながら眠りに落ち、朝を迎えた。ふたりが目覚めたとき時計は6時をまわっていた。昨夜の名残が消えていないのか、彼女の手がぽんこつマンの股間に伸びて来た。すぐに股間に血流が流れる感覚があり、再び膨張がはじまる。とっさに彼女はその張り詰めた肉坊をくわえ、フェラチオがはじまる。ぽんこつマンは下から彼女の秘部へ舌を這わせ、クンニで応える。やがてシックスナインの体勢から騎乗位での挿入がはじまった。コンドームの装着は無かった。体位はやがて後背位へと変わり彼女の裏G スポットあたりを突き上げた。昨日は昼と夜に合わせて2回射精しているので、誤って中で発射することはないだろうと思ったが、まだ微かに昨夜のジンジンとする感覚が残る中での2度目のセ🟣クスは腹上死を連想させるほどの快感に満ちた疲労感の中で最後の一瞬を迎えた。発射寸前の勢いある力強いひと突きの後、抜き出された亀頭から昨夜よりも少し透明感がある精子が彼女の背中に放出された。彼女はその瞬間に立てていた膝を崩しうつ伏せになって暫く放心していた。ぽんこつマンは荒い呼吸の中でティシュを取り、彼女の背中に放出された体液をゆっくり優しくと拭い取った。

目覚めた時より太陽が30度近く高くなっていた。ふたりは一緒にシャワーを浴び、水しぶきの中で唇を、肌を、強く重ね合った。甘いオレンジジュース、濃いコーヒー、スクランブルエッグとベーコン、そして薄いトーストの朝食をホテルの中庭で取った後、彼女は名残惜しそうにハグを求め、そしてホテルを後にした。

わずか2泊のバリ島サヌールの旅、しかしぽんこつマンにとっては、忘れがたい甘く切ない記憶となった旅であった。その日の午後のフライトでバンコクに戻り翌朝のフライトで日本に帰国するのだが、空港を離陸した飛行機の窓からぽんこつマンはテンパサールの街を雲に隠れて見えなくなるまで見下ろし続けていた。バンコクに到着した時には既に陽は落ち、闇に包まれていたがモーターウェイの灯りや対向車のライトがやけに眩しいと感じた。バンコクのホテルまでのタクシーの中で近いうちに再びバリ島を訪れよう、そしてもう一度彼女に逢おうと思った。

ぽんこつマンがアジアに堕ちた経緯②

ぽんこつマンの現在の連れ合いになっている女性と初めて知り合った20世期末に日本で婚姻関係にあった女性から離婚を求められ、すんなり離婚を決めることになった。離婚の直接の原因は未だ不明だが、ぽんこつマンの当時の仕事があまりにも多忙で、大阪にあった職場から東京への頻繁な出張と大阪での午前3〜4時までの超過勤務、はたまた海外への出張も相まって自宅にいる時間が極端に少なかったことも離婚の原因の一つだったのだろう。

しかしながら、離婚が成立したことでそれまで毎年2回はハワイへの休暇を守っていた時間がすっかりハワイでなくても良くなり、時差の少ないアジアへの国への休暇が増えていった。海外出張で覚えたCASINOでルーレット遊びをマカオや仁川、ソウルなどで楽しめることもあり、そちらにもしばしば出かけた。特にマカオは、中国返還前から足を運んでいたところで、香港からフェリーで簡単に行けたこともあり、深夜には銃声が聞こえるなど中華系マフィアの抗争とも思える事件もあったタイパ島の、少し危うい香り漂うリスボアホテルのカジノによく出掛けた。今から20年半前の1999年12月に中国に返還となったが、当時はコタイ地区はなくタイパ島の旧エリアにはスパやサウナ、夜総会といった風俗があり、中国人はもちろんアジアの様々な国の嬢と躰を絡める事ができる。またリスボアホテルの地下通路には、かなりのレベルの美女が客引きをしていた。最近は相場が上がっていると思われうが、当時は500HK$でその美女が使うホテルの部屋で遊ぶ事ができるのだった。

カジノで泡銭が出来れば、サウナに行くかリスボアの地下通路の美女としっぽりを楽しむのだが、必ず勝てるわけでもない。それは韓国ソウルでも仁川でも同じでカジノで遊ぶことに熱中し過ぎで風俗遊びができないことも多かった。

タイでのオキニになった現在の連れ合いの元へも年に数回のペースで通っていたが、飛行機はそのオキニが住むチェンマイには私が働いていた大阪からのダイレクトフライトがなく、仁川を経由して大韓航空でチェンマイに入るかバンコク を経由してチェンマイに入るかの選択はどんどんバンコク経由が増えていくことになった。

それはバンコクにはゴーゴーバーもバービアもカラオケクラブマッサージパーラーもチェンマイと比べ物にならないくらいの数があり、比べ物にならないくらいの美女にも巡り合える機会が多いということだ。

こうしてチェンマイに滞在する前後をバンコク で過ごす機会が増えていった。そしてチェンマイの連れ合いには内緒で土日こっそりバンコクで過ごす機会も増えていった。土日をバンコクで過ごす時は、金曜日の深夜大阪発BKK早朝着便へ向かい、日曜日の深夜BKK発大阪早朝着の便を使うのだが、ぽんこつマンもどんどん年齢を重ね深夜フライトでは眠る事ができなくなり、月曜日バンコク早朝発で大阪正午近くに着く便にする事が増えた。

今から15年ほど前は、早朝バンコクに到着後タクシーでゴルフ場に行き、1プレイしてからホテルにチェックイン。土曜の昼下がりに遮光カーテンを閉じて一眠り後夕方からナナプラザやソイカウボーイへ出かけて遊ぶパターン。当時バンコクでのゴルフで一番驚いたのは、コースに到着後客待ちしているキャディーをカラオケやMPの女の子を選ぶと同じように、自分で選択するシステムがあるコースがあり若くて可愛いキャディーを集めていることだった。

最近バンコクでのゴルフはあまりしていないが、今でも記憶しているコースの一つがパンヤインドラ(http://www.panyagolf.com)。プレイ中に「19番ホールも一緒にプレイできるのか」と尋ねたら、「一緒にご飯を食べてホテルまで行ってくれる女の子もたくさんいる」とのことで、プレイ中に金額交渉してお持ち帰りとなるとのことだった。

http://www.panyagolf.com/en/contact-us/ から引用

ぽんこつマンは、深夜フライト後の早朝ゴルフなのでゴルフのプレイ後は夜の出陣のためホテルで休む事をいつも優先したのだが…….。

バンコク市内の遊びは、夕方5時くらいに軽く飯を食べ、まずはバービアへ。バービアで2〜3時間ほど飲んで、夜の8時に開くゴーゴーバーへ。バービアはナナプラザ界隈、ゴーゴーバーはソイカウボーイがぽんこつマンのパターンに定着した。バービアをでてソイカウボーイへ向かう時はほぼ歩き。肝心のホテルいつもはスクンビットソイ3からソイ33くらいまでのエリアで探していた。BTSが無くなる午前0時を過ぎても歩いて帰れる距離と安全を考えてのことだ。ソイ19のThe Key Bangkok(http://www.thekeybangkok.com/en/?utm_source=GMB&utm_medium=HotelHomePage), Sacha’s Hotel Uno(https://www.sachashotel.com), アソーク交差点に近いSukhumvit Suites Hotel(http://www.sukhumvitsuitesbangkok.com) などはソイカウボーイからペイバーした女の子とでも歩いて帰れる距離にあり、ジョイナーフィーも無く良く定宿として利用していた。

ソイカウボーイで日本人好みの女の子が多いゴーゴーバーは、当時からBACCARAだったと思う。最近は韓国人、台湾人、中国人の客が幅を聞かせて日本人は肩身が狭いが、15年ほど前は日本人客は、「優しい」「ケチじゃない」「乱暴じゃない」「しつこくない」と評判は良かったと思う。ぽんこつマンもBACCARAでペイバーした女の子が一番多い。ある時は一人の女の子に惚れ込んだこともある。そしてもう一軒ぽんこつマンが通ったゴーゴーバーがTilac-Barだ。この店はダンサーのレベルは高くないが、ホステス(客を席に案内し飲み物の注文を取る役)に面白おかしい女やババアがいて、一緒に飲むと楽しく過ごせる。ペイバーだけが目的だと残念な事が多いが、楽しくお酒を飲みたいというなら夜10時まではHappy timeでドリンク代も80Bahtと割安だった。ただしレディスドリンクはhappy timeの料金にはならないので、ホステスやダンサーにガンガン飲ませると、結構良い金額になることに注意してほしい。Tilac-Barは、草彅剛主演のテレビドラマ(CX系)「銭の戦争」の一話に日本人の金持ちを騙す舞台として登場する。

バンコクにもエスコートクラブ(https://www.newbangkokescort.com/girls/ 他)があり、ネットで事前に女の子を予約して一緒に遊ぶ事ができる。ぽんこつマンもモノは試しと一度使ってみた事がある。エスコートクラブの女の子は、2時間、4時間、6時間、10時間、24時間と利用時間が長くなればなるほど時間あたりのコストが安くなる。ぽんこつマンは一人の女の子を選んで24時間を依頼した。今日改めて見てみると24時間では12,000Baht になっているようだが、当時は24時間で8,000Baht だったような気がする。ぽんこつマンが空港に着いたら迎えが来ていてバンには既に予約した女の子が待機していた。ネットの写真で見たより多少ふっくらして年齢も少し高めと思えたが、充分満足できるコケティッシュな雰囲気を持っていて、宿泊先として予約していたコンドに到着後、飯を食いに出る以外はずっとセ●クスもその子はOKだった。24時間の擬似恋愛遊戯はあっという間に経って別れる時間はやって来た。本当は直接の連絡先交換は禁止なんだろうが、彼女は快く電話番号を教えてくれ、写真も赤外線通信で送ってくれた。あくまでも女の子が嫌がることを強引に要求せず、紳士的に接したことが彼女には好印象だったのかもしれない。ただその後、彼女と再会することはなかった。当時は既にお気に入りのゴーゴー嬢がいて、ずっと彼女を追いかけていたかったからだ。

かくしてぽんこつマンは、バンコク=クルンテープ(天使の都)という魔都の魅惑に沈んでいくことになる。

高級ディナーを指定する女子大学生

バンコク で2019年の10月にとあるSNSで知り合った女子大生という女の子がいた。おたがいのLINEを交換して幾度かやりとりをしているうちに、晩ご飯を食べようという話になった。SNSでの写真はかなり上等で、ボディーラインもかなり整っている。もしかしてレディーボーイかもと半信半疑で、食事の約束をした。ワインも好きとのことで最初のディナーに指定してきたのは、チャオプラヤ川沿いに佇むシャングリラホテルバンコクにある「サラティップ」(http://www.shangri-la.com/jp/bangkok/shangrila/dining/restaurants/salathip/menu-wine/)という高級タイ料理。待ち合わせ場所と時間は18:30ホテルロビーとしたはずだったが、今女友達と移動中でもう少し遅くなるとLINEに連絡が入った。ぽんこつマンは本来待ちぼうけを喰らうのはあまり好きではない。19:15になって今ロビーに着いたと連絡があった。私はBTSサパーンタクシン駅から近いロビーで彼女を待っていたが、そこに彼女がやってきた気配はない。LINEで連絡を取るとロビーにいるという。そこでホテルマンに別のロビーがあるか確認しそちらのロビーに向かうことにした。彼女は友人と一緒にタクシーで乗りつけたようだが、そちらが元々のあったロビーのようで、正面玄関の扱いとなっているようだった。

私は、早速そちらに向かうためまずエレベータで2回に上がり、本館へとつながる迷路のような渡廊下を早足で歩いた。かなりの距離があり、メインのロビーに到着するまで10分はかかった記憶がある。そしてあたりを見渡すと、遠くのソファーにSNSで似た写真に似た女の子がいたので近づいていった。ハーイと声をかけると彼女もぽんこつマンとわかったようで、立ち上がりSAWADEE KHA❣️とワイをして挨拶を返してきた。彼女も、彼女の友人も170cmはあるようでヒールを履いていたので少し見上げる感じになっていた記憶がある。

チャオプラヤ川沿いの席を事前に予約していた、SALATIPというタイ料理レストランに到着したのは、既に予約じかんの19:00を40分くらい過ぎたくらいだった。10月ともなればバンコクの雨季もそろそろ終わりに近づき、夜は少し涼しさを増していた。席に着席すると、彼女がメニューから好きなものを友人と相談し5〜6皿オーダーをした。私はまず白ワインをセレクトした。しばらく食事を進めていると何やら雨粒が落ちてきたようなので、屋根のある席に慌てて映ることにした。私ももちろんだが初めて会った大学生でありモデルもしているという彼女と彼女の友達もワインをかなりのピッチで飲み、白ワインはすぐに開いてしまった。屋根のある席に移ってしばらくして赤ワインをオーダーした。

オーダーした料理は、ワインの共に向いているものが多く、すぐにお腹がいっぱいになるぽんこつマンでもさらに追加した赤ワインもあり全品の味見をすることが出来た。ワインが全て空いた後、デザートとエスプレッソも注文した。カードで精算したので、金額の記憶はない。そのレストランを出たのは23時近くなっていて、二人にこれからどうすると聞いたらシーロムに踊りに行くと言っていたので、私は一人自分の部屋に戻ることにした。

ぽんこつマンが知り合ったこの彼女は、ラップラオのあたりに母親と二人で住んでいると言っていたが、通っている大学の名前は忘れてしまった。年齢は20歳とのことであったがその妖艶ないでたちからは20歳という未熟さは感じられなかった。学費のためにアルバイトもしていると言っていたので、夜はコヨーテクラブで働いていてもおかしくないとさえ思えた。

帰宅後数日して、また彼女から連絡があった。また食事をしたいという。ベトナムのホーチミン では今回のバンコク滞在の前にホーチミン に立ち寄り日本人街で働くバーの女の子とフレンチを食べたが、バンコクでフレンチは未だ未経験なので、彼女にどこがいいかと尋ねた。翌日に連絡が入った。Blue Sky Rooftop Bar。Centara Grand at Central Plaza Ladprao Bangkokというホテルの最上階にある。そこは彼女が住んでいるところに近く景色も最高とのことであった。

ぽんこつマンはAirport Link Railway と BTSを乗り継いで待ち合わせ時間の19:00の20分前にBTS Ha Yaek Lat Phrao 駅に到着、セントラルデパートを突っ切り、駐車場を横切って待合せ場所のホテルロビーに着いたのは、18:55分。予約していた時間が19:30だったのでソファーに座って彼女がやってくるのを待っていた。19:20に彼女から連絡が入った。美容院に行っていて遅くなった。今バイクタクシーで向かっているとのことだった。これまでの大人女性のほとんどは、遅刻するとしても30分くらいだったが、彼女の場合はそうでもなさそうだったので、予約時間を20:00に事前に変更しておこうとレストランの予約に電話した。彼女がホテルロビーに現れたのは19:50、笑顔で彼女を迎えてエレベーターでレストランまで上がった。

エレベータを最上階で降りると、そこにはダイニングへの扉が見える。ホステスがやってきて予約の確認があった後、右側のroof topがいいか、左側のroof topがいいかと尋ねられたが、初めての場所なので客のいない静かなところと伝えた。ホステスに案内されてダイニングルームを通過して、写真にあるルーフトップの席についた。そこは場所が郊外側のビューなのかそれほど夜景が素晴らしいとは思わなかったが、かなり離れた席に1組の白人カップルが居ただけで静かな場所だったので、オーダー通りではあった。

この日は良さげな白ワインがなく赤ワインを最初からオーダーした。早くくるつまみとしてフレンチフライとワインがやって来て、再会を祝して乾杯をしたが彼女があたりをキョロキョロして、「こちらのサイドより逆サイドが夜景が綺麗よ」と行ったのでボーイを読んでテーブルを移れるかを確認した。ボーイは確認するといい、しばらくして戻って来て「席を移ることは可能だが、ダイニングではなくバーとなるので料理が乗り切らないかも」といい「さらにスコールが近くに迫っているので、ダイニングに写っておいた方が良い」という。確かに空には雷の光が走り始めていたので、雨に降り出される前にダイニングに写る方が賢明と思い、移動した。ダイニングの豪華なテーブルに着いた瞬間に窓を激しく叩く土砂降りの雨音と雷鳴が二人の会話の声をも打ち消した。

かなり長時間続いたスコールだったが、ゆっくりデザートを堪能したあと22:30位には雨も収まりつつあった。カードで会計を済ませホテルロビーへ降りた。彼女は、明日朝早くから授業があると言って、ホテルの外でバイクタクシーで家に帰ると言った。ぽんこつマンは、ホテルのタクシースタンドからメータータクシで部屋に戻った。

その後、何度か彼女とはLINEで連絡を取ったが、彼女はぽんこつマンの好みではない感じなので、徐々に疎遠になり、2019年のバンコクの雨季の終わりに合わせてその関係も消えていた。今は連絡先も消してしまっている。多分改めて彼女と再開することはないだろう。

ぽんこつマンがアジアに堕ちた経緯⓪

あれはいつのことだったか、すでに確かな記憶はない。まだ日本では携帯電話の普及がそれほどでもなかった頃で、たぶんぽんこつマンが関西セルラーを持ってさほど経過していない頃だったと思う。関西セルラーが誕生したのが1987年らしいので、多分1989年あたりではないだろうか。当時日本はバブル経済の真っ只中。まだハリソンフォード出演のCMで一気に知名度を上げたツーカーホン関西ができる前だったと思う。当時は仕事仲間と夜はよく羽目を外すことが多かったが、特にタイポップスが流れるタイフードとタイビールを飲める店で、タイ旅行を主催する旅行会社の人や、タイ政府観光庁の女性職員、在日タイ領事館の女性職員と午前3時〜午前6時くらいまで飲み明かす日がかなりあった。

ある日のこと、タイ政府観光庁の女性職員から「いつもは旅行関係者ばかりをタイ旅行に招待してきたが、次はメディア関係者を招待することになった」「行かない?」とぽんこつマンと一人の友人Sがタイ招待旅行に誘われた。それまで国内のタイ料理やタイバーへはよく出かけていたが、タイ王国に行ったことはぽんこつマンは無かったのだった。「えっ、俺たちメディアの人じゃ無いけどぉ」と答えたが、「広告関係もまぁメディア関係ということで、上に了解取ってある」となり、その招待旅行に参加することになった。当然自分たちの仕事では無いので、休暇を取っての参加であった。

旅程はプーケット2泊、ホアヒン2泊、バンコク1泊だったかなぁ。当時、タイ政府観光庁は特に女性向けにホテルでの高級スパ体験や男性には王様気分を味わうようなプレーヤーに1人〜2人のキャディーがつくタイゴルフを押していて、プーケットはドゥシタニ(https://www.dusit.com/dusitthani-lagunaphuket/ja/)、

ホアヒンはヒルトン(https://www3.hilton.com/en/hotels/thailand/hilton-hua-hin-resort-and-spa-HHQHIHI/index.html?WT.mc_id=zELWAKN0APAC1HI2DMH3LocalSearch4DGGenericx6HHQHIHI)が用意されていた気がする。

プーケットでもホアヒンでも2日目の朝はゴルフがセッティングされていて、夜はホテルでパーティーがありゴルフコンペの表彰式もあったことを覚えている。ぽんこつマンと友人Sはその豪華旅行を十分に堪能したが、それでも自由な時間はホテルを抜け出し、街場のタイマッサージやバービアを梯子した。プーケットパトンビーチのバービアで友人Sは見た目超綺麗な娘(実はレディーボーイ)に捕まり、次の飲み屋に連れ出すことになったが、一軒行ってさてホテルへ連れて帰ろうと友人Sが話かけてきた時に、たまたまタイ政府観光庁の女性職員に「あの娘は男よ。喉仏見てみて」と打ち明けられ、友人S はお持ち帰りを辞退した。ホアヒンでは、プーケットの失敗が後を引いたのかサムローに乗り現地の置屋にまで足を運んだが友人Sはその気にならず、ぽんこつマンだけがプーケットでもホアヒンでもお持ち帰りした結果になった。

いよいよ招待旅行の最終日、バンコクの日となった。ホテルは、チャオプラヤ川沿いの5つ星だった気がしたが、記憶が定かでは無い。この日は、ホテル到着後自由行動だったのでぽんこつマンと友人Sは、当時のガイドブックを見てナナプラザに出かけた。

1階から3階までほぼ全ての店を覗いて何軒かのゴーゴーバーやバービアに連れ立って入り、一巡りしたところで2時間ほど互いに自由行動とした。ぽんこつマンは、今はもう店が変わってしまっているが一階(GF)のセンター奥にあるバービアで J と名乗る身長160cm位の可愛い娘に目が止まり、そこで飲み続けた。友人S は、現在NEW ROLLIPOPとなっているゴーゴーバーの前にあるテーブルに座っていたウボンラチャタニー出身のイサーン娘が気に入ったようだ。深夜1時を過ぎた頃に待ち合わせをしていたので、お互いペイバーしてホテルに戻った。

ぽんこつマンはかなり酔って気分も昂揚していた。まだタイ旅行に不慣れだったため、フロントで鍵を受け取る時にペイバーした女の子の身分証明書を預かるシステムが今ひとつ気に入らなかった。通常ならショートでやることが済めば女の子を解放し女の子は身分証を受け取ってホテルを出るので特にこれまでは何も言わなかったが、ぽんこつマンはその日はチェックアウトの時間まで一緒に彼女と過ごすつもりだったので、宿泊を共にするゲストだと主張し、「身分証明を提示し、名前を記帳すればよく何も預ける必要は無いのではないか」「チェックインの時間がずれているだけ」と、フロントマンに噛み付いた。結果は彼女がもういいといって身分証を預けてしまったが、タイ女性を身なりで客と一線を引き夜伽女と決めつけるタイのホテルシステムがおかしいと思ったのだ。日本においては、ダブルで予約された部屋に後から女性を連れて入る時、その女性の身分証を預けろとは言わないだろうから。その状況を見ていた友人Sは、ぽんこつマンのことをあの時のタイ人女性へのホテル側の偏見に一石を投じた発言には感心したと今も言ってくれる。今では客の安全を確保するために、夜を過ごすためだけにやってきたと思える人の身分証を預かるというシステムは理解できるんだがね。

ぽんこつマンと友人Sはこうしてその夜限りのパートナーと部屋に入った。J と名乗るぽんこつマンのパートナーは静かにベッドに腰を下ろした。ぽんこつマンはその傍に寄り添い座り、髪を撫で手を握り手の甲にキスをした。この時、ぽんこつマンは英語を少し話せるだけで J も簡単な英語が話せるだけだったが、その後の言葉はほとんど必要としなかった。微笑んで彼女の顔を覗けば、彼女は少し恥じらいながら微笑み返す。彼女の首に優しく手を沿わせ唇を奪ったら彼女の舌がぽんこつマンの口にするり入ってきて濃厚なキスになる。彼女の手が私の背中に回り私も彼女の背中に手を滑らせる。私の手が彼女の腰辺りに進んだ時に彼女は、ベッドにゆっくりと倒れ込んだ。

二人はベッドの上でお互いの躰にまとわりついている衣服を剥ぎ取っていく。少し褐色の内腿にはバラの花、背中肩越しにはバタフライが鮮やかに彫られていた。

ぽんこつマンはそのタトゥーが彫られた肌にキスし、手をとってシャワーブースにJを誘った。お互いの肌に石鹸を滑らせ抱き合った。やがてぽんこつマンの指が J の秘部に触れる。熱い。秘部からは既に濃厚な蜜が溢れ出していた。激しいスコールに打たれているかのようにシャワーを浴び汗を洗い流した肌からは石鹸の甘く切ない香りが漂う。二人は備え付けの少し上等なバスタオルで軽く体を拭きあい、再びベッドへ倒れ込んだ。バスタオルを剥がすと熱くなっている躰をエアコンの冷気が滑っていく。

二人の躰は激しく絡み合い、唇は互いの躰を求めあう。もう J の秘部は愛の蜜に溢れ、ぽんこつマンの膨張した突起物を迎えようと波打っていた。ぽんこつマンはゆっくりとその逸物を の秘部に当て少しずつ中へと沈めていった。愛の蜜はさらに増え、抜き差しのたびに隠微な音を立てている。クチュッ、、、、グジュッ、、、、ジュルッ、、ズビュッ、、グジュッ、、、、、。角度を変え体位を変え、幾度となく喜びを味わった。その感触は、ぽんこつマンがこれまで味わってきた感触の中で最上に位置するものであった。

翌朝、二人は別れを迎える。部屋を二人で出てゆっくりと扉が閉まるのを確認し、ホテルロビーへ向かう。フロントで彼女は昨夜預けた身分証を受け取った。ホテル玄関まで二人は無言で進み、ドアボーイがドアを開けたところで再びきつく体を抱き合った。その時二人は情婦と客ではなく、恋に落ちた関係を互いに感じていたに違いない。当時は、携帯電話こそあったもののスマホもSNSもなく、国際電話料金は個人としての負担が大きすぎてかけることもできず、日本へ帰国してからの連絡手段はE-mailのみ。彼女が街のネットショップのPCで自分に来ているE-mailを1週間に一回くらいチェックし、返信するということでしか連絡はできなかった。

それまでは年に2回はハワイへ10日ほど休暇に出かけていたが、J に巡り会ってから休暇が取れるならタイに行って J に会いたいという衝動が生まれるようになった。それからしばらくして日本では当時まだ婚姻関係にあった妻が、突然離婚してほしいと言い出した。理由は一切言わなかったが、5年前に流産しその年の年末に子宮頸癌が見つかり、子宮摘出手術を受けていた。がん摘出から5年経つまで離婚を切り出すのを待っていたと言われ、そこまで思い詰めているならと離婚に応じることにした。ハワイへの休暇はその当時の妻との結婚当時からの約束事だっので、離婚が成立してからはハワイへ行く大きな動機が消えていた。こうしてぽんこつマンは休暇が取れる時はタイへと向かうようになったのである。

その後 J とは数回会えたが、ぽんこつマンの仕事が忙しくなり海外を転々としているうちにしばらくメールを送れなかった。まぁ、ナナプラザのバービアに行けばまた会えるだろうとタカを括っていたが、しばらく空いてしまってメールを入れても返事が来なくなった。バンコク を訪れるのが1年以上開いただろうか。ナナプラザのバービアにもジャックの姿は見えなくなっていた。店のママに聞いても、当時 J と一緒に働いていた女性に聞いても行方はわからないとのことだった。その後も何度となくE-mailを送ったが返事が返ってくることはなかった。Jを失った大きな喪失感は今も消えることはない。それほどJとの濃厚な恋の感覚は強くぽんこつマンの脳裏に刻まれている。ぽんこつマンがこうしてアジアに落ちていくことになったのはJを失ったショックからと言えるだろう。

ぽんこつマンがアジアに堕ちた経緯①

それはぽんこつマンがまだぽんこつになる20年くらい前、1998年だったと思う。仕事のつながりで日本の冬にグリーンな芝のロケーションを探すことになり、日本の冬が夏であるオーストラリアのコーディネーターにロケーションリサーチを依頼していたが、既にタイの魅惑に触れていたポンコツマンは、会社に休暇を申請しタイのゴルフコースを北から順に巡る旅を計画した。最初にチェンライ、そしてチェンマイと移動して5つくらいのゴルフコースをプレイした。チェンライではサンティブリカントリークラブとウォーターフォード ヴァレー ゴルフ コース。

1日1コースを朝から廻るので、当然昼からは飯を食う、酒を飲むということになる。チェンライ、チェンマイでタイマッサージはもちろん、マッサージパーラーやゴーゴーバー、カラオケにも行ってみた。

当時はタイ語が話せるわけでもなく片言の英語だけがコミュニケーションの手段だったが、当時は臆することもなく昼飯を食べた午後2時くらいからいかにも怪しいドアを開けてマーサージパーラーの金魚鉢を覗きに行った。それまでタイ人は日本人より肌の色が黒いものと思っていたが、当時この北部タイの歓楽場には、途方もなく透き通るような白い肌を持つ女性が働いていることを知った。

ちょうど5日目の夜、今はあるかどうか定かでは無いが、Olivia、Olivia2(現在は閉店して長く跡形もない廃墟となっている)といったカラオケバーがチェンマイのチェンマイランドというエリアにあり、宿泊先のホテル(インペリアルメーピンホテル)からトゥクトゥクに乗り、カラオケクラブOlivia2に行ってみた。

ぽんこつマンはカラオケを歌いたいわけではなく、カワイイ女の子と仲良くなりたいということで出かけたが、午後8時ごろ店のドアを開けたら女の子が集まったばかりらしくまだ着替えていない女の子もいて慌ててソファーに集まってきた。一人でやって来た日本人らしき男を見てみんな指名を貰おうと必死に笑顔を作っていた。

私が選んだ女の子は、小柄な丸顔の子。なんでも店に一人でやってくる日本人はまずいないらしいことを彼女は拙い英語で話してきた。ビールを頼んで乾杯し、30分位その店で過ごして彼女をペイバーした。ホテルに一緒に戻り、朝まで過ごす。朝ごはんをホテルで二人で食べて、彼女の家に行くことになった。サンカンペーンにあり、そこに母親と過去にタイ人男との間に生まれた一人娘がいた。当時は初めての東南アジアで知り合いからも情報誌からも食当たりに注意するようにとの情報を得ていたので、その子の家で出された一杯の水も一口触れて、それ以上飲まなかった。結果この日はゴルフコースに行くこともなく、その子とは連絡先を交換してホテルに戻った。

こうしてぽんこつマンのアジアへ落ちる生活は始まった。その翌日、ゴルフコースから帰って来てチェンマイ市内にあるギャラリーカフェという店にお昼ご飯を食べに出かけた。そのカフェで静かに読書をしながらお茶を飲んでいる女性の隣のテーブルに一人座った。どんな女性なんだろうと視線を送ったら偶然目と目が合ってしまった。お互いに微笑み、簡単な英語で話かけてみた。彼女の答えは、昔、「この辺りは田舎から出てきて住み始めた場所」で「久しぶりにこの店に来た」との事だった。私はゴルフコースを下見する旅をしていることを話し、「良ければ今晩の食事を一緒にしないか」と誘ってみた。

答えは、なぜかOKだった。その晩またその店の近くにあるグッドビューというピン川に面したレストランで食事をした。彼女は身長が小さいことを気にしているが、ぽんこつマンは身長の大きい子はさほどタイプではなかったし、何より彼女の胸の膨らみ、そして声と仕草が妙に気になっていた。彼女は当時チェンマイに一人で住んでいて、食事の後も特に家に帰る必要もないとの事だったので、ホテルに誘ってみた。ホテルについてフロントで鍵をもらうときに、フロントレディーがクスッと笑ったような気がしたが、どうも昨日の女性と違う女性を連れてきたのがおかしかったのかなと思った。

こうしてぽんこつマンはアジアに堕ちる道を進み始めた。翌日はバンコクに飛び2日後は日本へ戻る予定だった。翌朝になりホテルをチェックアウトし、空港へ向かう時も彼女は私についてきた。妙に彼女に愛おしさを感じたのを今も覚えている。荷物を預けフライト時間が来るまで空港の珈琲ショップで彼女も同じ時間を過ごした。そしてとうとう出発の時間が迫ってゲートへ向かう時に彼女に手を振ったら、それまでおとなしい笑顔を見せていた彼女の目に涙が光っていた。

結果彼女とはその後も幾度となく会うことになった。彼女は実はぽんこつマンの現在の連れ合いになっている。その日から数年は年に数回チェンマイを訪ね、彼女のアパートで寝泊りする生活が続いた。