非常事態勅令5回目の再延長で遠退くタイへの再入国

ぽんこつマンはタイでの感染が懸念された3月末までバンコク、チェンマイにノンイミグラントOーVISA(1年毎に更新)で長期滞在していたが、3ヶ月に一度のペースで日本に一時帰国していた。一時帰国の1番の目的は、ぽんこつマンがまだぽんこつになるきっかけになった虚血性脳発作で緊急検査入院となってから退院後もずっと処方される事になった薬が切れないようにするためと勤めていた会社を退職した後の3月の検診で発覚した肺腺癌を放射線で焼き切った後のフォローアップを行うためだった。

前回の日本の医療機関への訪問は1月23日で、次回は4月下旬に予定を組んでいて本来は4月の中旬に一時帰国を予定していたが、世界的な感染拡大のため航空路線がどんどん欠航になっていく事態となり、ぽんこつマンも予定を3月31日にバンコクを出発する便に変更して日本に戻ったのだった。

それ以降、タイは3月下旬の非常事態勅令発布から、バー、ナイトクラブ、カラオケ、スポーツ施設、映画館の営業を禁止し、コーヒーショップ、飲食店の営業も店内飲食を禁止とし、タイへの入国を完全に禁止した。タイからの出国は辛うじて4月1週目くらいまではいくつかフライトが許可されていたが、タイへの入国は、タイ政府がタイ人の帰国要請に応じる形の特別便での救援を除いて全て禁止となった。

タイ国内のコロナ新規感染者は5月中旬からゼロとなったとの発表があり、飲食店の営業は、6月から解除され、酒類の販売も店内での提供を除いて可能となった。バーやナイトクラブ、カラオケなどの営業が許可されたのは7月まで待たされる事になった。

当初は7月一杯と予想されていた非常事態勅令は、8月も延長と7月末に決定され8月末にまた9月30日までのさらなる延長がついに決定されている。この非常事態勅令が解除されない理由は、政府は世界でのコロナ情勢の改善が未知数ということだが、タイの学生が始めた、現政権の退陣要求デモを牽制するためとの見方もあるようだ。

もしほんのの理由が後者であるなら、コロナ感染が今後落ち着いたとしてもこの非常事態勅令の解除はないと思える。この解除がなければタイ政府の民間航空局がタイへの商業飛行許可を出さないと言っており、タイへの入国は、タイ政府の特別便でしか入国できない事になる。

ぽんこつマンは、今も羽田ーバンコクのチケットを持っているが、商業飛行が許可されない限り使用不可でタイに行くことはできない。タイ入国の条件はノンイミグラントO-VISAを持っていることで満たせるようにはなっているのだが、何分にも極めて高額な特別便の運賃とタイ政府が求める自費によるホテル隔離施設(ASQ)のべらぼうな値段に3ヶ月未満のタイ滞在を決められないでいる。

ぽんこつマンのO-VISAは、2021年1月14日までに更新手続きをタイで行わないといけないが、このままではそのVISAの延長も難しい。10月からプーケット に限って外国人の入国を認めるという話が上がっているが、15泊16日のホテルでの隔離が必須のようで、それは終わってからも7日間はプーケット県からは出ることができず、プーケット県から出るにはさらにPCR検査を受けて陰性が確定することが要求されているらしい。

プーケットの隔離施設の部屋数は、2020年8月28日現在151部屋で15泊16日の価格は最低95,000Baht~650,000bahtとべらぼうに高額である。またプーケット に直接到着する航空機はチャーター便らしいがその運賃もまるっきり不明で、べらぼうに高額な金額になることが容易に考えられる。まともに自由に観光できるようにまでに16日の隔離が必要で費用が30万円以上で最高は220万円以上となると、日本の一般観光客が行けるようなものではない。ぽんこつマンも宝くじに大当たりでもしない限り当然無理なのだ。

タイ政府は世界の富裕層が法外な費用を払ってでも、タイに遊びに来たいと思う人が多くいると思っているのだろうか?ぽんこつマンには全く縁がないが、バンコクのASQ施設でも部屋のクリーニングが毎日ではなく、食事もプラスティクの使い捨て食器に入っているなど、まともなホテルサービスが提供されていない状況をTwitterなどから知ることができるなかで、このような途方もない費用負担を快く受け入れることは到底できない。

プーケットでオフパコ

Skout を使って女の子を探していると、そのデバイスがある地点からかなり距離の離れたところにいる女の子にもメッセージを送って知り合うことも可能になる。そうして知り合った女の子の中で、プーケットに住んでいる女性と連絡が取れるようになったことがあり、LINE を交換し、日常的に連絡を取り合う関係になった。

ある日彼女の写真が見たいと伝えたら、何枚かの写真が届いた。その写真は仕事の現場で撮った普通の写真だったが、ある時自宅で撮ったと思えるエロい写真が届くようになった。彼女の方からプーケットに来たら家に泊まっていいというメッセージが入るようになった。

彼女が言うには、プーケットの貿易会社でディレクターとして働いていて、月収50,000Bhat、家持ち、車持ち、日本食好き、シーフード好き、仕事でシンガポールやマレーシアに出張することもある。母親の実家がチェンライにある関係で、チェンライにも土地を所有している。バンコクには仕事で1年に1回は行くが、基本は日帰り。

そんな彼女に会いに行きたいと伝えたら、あらかじめ日程を決めれたら、会社を休んでプーケットを案内すると言ってきた。ぽんこつマンはプーケットに遊びに行ったとしても、パトンビーチ のウォーキングストリートのゴーゴーバーかバービアで女の子と飲むことと、シーフードを食べに行くことがメインになる。

昔同じくSkout で知り合った女の子が、プーケットのゴーゴーバーで働いていると分かって会いに行ったこともある。彼女とはプーケットの彼女のアパートに行ってセ●クス したり、彼女がバンコクに戻ってきた時に、彼女が泊まっているホテルでセ●クス したりした関係だったが、オーストラリアのボーイフレンドができたのか昨年オーストラリアに留学してまたバンコクに戻ってきたようだった。

彼女は、ちょっと頭が弱いおバカな娘だったが性格は明るくよく笑う娘で、一緒にいる時はいつも楽しかった。

貿易会社でディレクターをしている彼女と出会う日程はこれまでも幾度となく調整したが、彼女の仕事の調整がつかなくなったと何度も延期になっていた。そしてようやくぽんこつマンの日程に彼女が休みを取れる日が決定した。

2019年7月23日〜25日の3泊を彼女の家で過ごす事になった。ぽんこつマンは23日TG 211便でプーケット国際空港に降りた。空港到着は16時35分。空港のターミナルを出た時は17時を過ぎていた。彼女にLINEで連絡を入れたらちょうど会社を出て空港に向かっている途中とのことで少し彼女が迎えに来てくれるのを待った。17時半くらいに彼女が現れた。彼女の運転してきた白のフォーチュナーに乗って彼女の家に向かった。彼女の家はプーケットの幹線道路4024号線にあるセントラルプーケットフローレスタ(http://www.centralphuket.com/home)の近くにある住宅地にあった。家は平屋だったが駐車スペースにはもう一台ホンダの乗用車が停まっている。家の間取りは2LDK 。ぽんこつマンはその間取りの奥にある10畳ほどのベッドルームに通される。彼女はその隣のさらに広めの部屋で普段は寝ているようだった。荷物を置いて、晩ご飯を食べに行く事になった。

パトンビーチのビーチロードをウォークストリートから北へ1200〜300mほど行ったところにある。Somtum Yum Pao(https://www.facebook.com/Somtum-Yum-Pao-ส้มตำ-ยำ-เผา-533418423492939/)というレストラン。それほど大きくはないが、Google Mapのレビューでは4.4/5とかなり高い評価があるレストランのようだった。

店の名前にソムタムとあるからぽんこつマンは少し不安だったが、目的であるシーフードでもかなり有名なようだ。

ぽんこつマンはまずビールを頼み、蟹、海老、貝、を頼んだ。彼女はソムタムを追加した。ビールはあっという間になくなり白ワインを一本注文した。食事が終わって白ワインは少し残ったので持ち帰る事にした。

その晩、シャワーを浴びて部屋に独り居たら、彼女がドリンキングウォーターを持ってやって来た。それをベッドのそばに置いたかと思うと、ベッドに腰を下ろしてぽんこつマンを誘う。ふたりは抱き合い、ディープキッスを交わす。彼女がぽんこつマンが腰に巻いていたバスタオルを剥ぎ取り、既に膨張し始めたペニスに生フェラをする。ぽんこつマンの股間はその絶妙なフェラに一気にそそり勃つ。ぽんこつマンは彼女のネグリジェを剥ぎ取り、ブラジャーも外した。そして彼女が自分でパンティを脱ぎ捨てふたりは生まれたままの姿になった。

彼女のおっぱいは適度の弾力があり、ぽんこつマンの手のひらにいい感じで収まる大きさ。乳輪の大きさも完璧で乳首は既に勃起して直径1cmほどになっており、舌で転がすにはちょうどいいサイズ。彼女の年齢は29歳と言っていたが、身体に余分な贅肉はついておらず綺麗なラインが保たれていた。首筋から胸の谷間、そして脇腹、乳房のアンダーライン、ヘソ回り、腰骨へとリップを続けて、内腿から秘部にむけて今度はリップで這い上がる。リップが彼女のクリトリスにたどり着いた時、彼女の膣口には愛液が染み出し光って見えた。10分くらいクリトリスと大陰唇をリップと舌先で愛撫した。彼女のアンダーヘアは未処理の状態でふさふさしていた。ぽんこつマンが左手でその陰毛を撫であげながら彼女の愛液で濡れた膣口に口づけをし、舌を押し込んだ。彼女の喘ぎ声が聞こえて来たので、ぽんこつマンはそのそそり立った肉茎にコンドーム を装着し、伸長位で亀頭を膣口にあてがい奥に進めた。ジュルンと彼女の肉襞は開きぽんこつマンを受け入れる。両手で彼女を抱きしめ、腰を上下した。彼女の脚を割り今度は正常位で少しスピードのあるピストン。そして屈曲位で奥を責め立てた。そして彼女を四つん這いにして後背位、後側位にスイッチして背後から彼女の乳房を揉み上げながらさらにローリングして仰向けになり腰を使う。彼女の体を起こして後背騎乗位。最後に座位になり、お互いに相手の腰に手を当て引き寄せながら結合を繰り返した。彼女が後ろに倒れ、改めて屈曲位で頂点を極め合った。その晩は続けてもう一回濃厚なセ●クスを繰り返した。

充分な営みを行った事でその晩はぐっすり眠りについた。彼女はいつの間にかぽんこつマンの横を離れ自分の部屋に戻って寝たようだった。翌朝10時にぽんこつマンが目覚めた時、彼女はキッチンでコーヒーとフルーツを用意していた。それをダイニングのテーブルで一緒に食べて11時ごろ家を出た。

その日はまず、Big Buddha Phuketに行った。そしてラワイランディングピアから左に入ったシーフードマーケット内に並ぶ1つのレストランで遅い昼食。ロブスターの刺身、蟹カレーを食べた。ビアチャンはふたりで大瓶3本飲んだだろうか。彼女は車を運転するのにアルコールを飲む。まぁ、タイではけっこう飲酒運転も平気でする人がいるのは知っているのだが。

3時少し前に店を出て、プーケットの南端を抜け、Yanui Beach という小さなビーチで1時間くらいゆっくりした。遅い昼に飲んだビールのおかげでオシッコに2回近くのローカルタイ料理の店にトイレを借りに行った。

その後、カタビーチ、カロンビーチを抜け、パトンビーチを回り、プッケトタウンの彼女の家に戻った。夕方になってもその日はそれほどお腹も空いていなかったので、プーケットタウンの家のそばにある屋台で買って帰ったバーミーを食べ、ビールを飲んだ。

夜になりシャワーを浴びたら、昨夜と一緒で彼女が部屋にきた。そして昨晩に引き続き濃厚なセ●クスを繰り返す。もしかしたら彼女は女スパンヤオなのかも知れないとさえ思えた。そしていつもいろんな男を家に呼んで夜を楽しんでいるのかも知れないとも思った。毎日2回の性交。いくらぽんこつマンの性欲が強いと言っても、もうそんなに若くは無いので腰や太腿、腕の筋肉も腹筋もかなりの疲労感を感じていた。

翌朝は8時に目覚めた。既に彼女も起きていて、キッチンで何かを用意している。ダイニングルームまで行くと彼女がコーヒーとフルーツ、ヤクルトとサラパオ(肉マン)を持ってキッチンからダイニングルームに来た。朝ご飯だ。それを食べ終わって部屋に戻ったらまた彼女が部屋に来た。抱き合ってキスをしている内に彼女の手がぽんこつマンの股間に伸びた。玉袋を短パンの上から柔らかく摩り、その後肉茎を握る。短パンのジッパーを下ろしパンツに隠れている、ぽんこつマンの愚息に直接触れてくる。そしてふたりはまたしてもベッドに倒れ込んだ。昨夜のフィニッシュからまだ10時間ほどしか経っていないが、ぽんこつマンの愚息はまたもや大きく張り出した。

彼女もネグリジェを脱ぎぽんこつマンのアンダーパンツとTシャツを剥ぎ取り、また交わった。ぽんこつマンは既に疲れていたが彼女にはまだパワーがあった。彼女が騎乗位で激しく攻めてくる。正面騎乗位、背面騎乗位、彼女は腰をグラインドし、ぽんこつマンの愚息に刺激を与え続ける。ぽんこつマンも下から彼女のポルチオを目がけて腰を上に動かし亀頭を奥のコリッとした部分に届くようにした。ぽんこつマンにはもう多くの精子は残っていなかったが今回の性交はコンドーム を装着していない。このまま中で果ててしまったら…..という考えが頭をよぎった。いったん肉茎を彼女から引き抜き、彼女を仰向けにして正常位になり自分で射精をコントロールできるように動いた。そして頂点を迎える時に引き抜き肉茎の先端から発射される液体を彼女の腹部に放出した。

ぽんこつマンは息が上がっていた。ふたりはシャワーを浴びた。そして午前11時まで抱き合って過ごした。ぽんこつマンはその日の19時発のタイ航空でプーケットからバンコクに戻る。ゆっくりと服を着て、帰り支度をした。12時に彼女の家を出た。空港に向かうには早すぎたが、ぽんこつマンはビーチクラブに行ってみたいと彼女に言っていた。

彼女が運転するフォーチュナーはプーケットの幹線道路402号を北へ進み、途中4025号線へ左折する。そして4030号線へ右折した。その道はあるところから4018号線となった。そしてあるソイを左折して、Dream Beach Club(https://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g297937-d9751113-Reviews-Dream_Beach_Club_Phuket-Thalang_District_Phuket.html)に着いた。

7月のこの時期はプーケット はローシーズンで人は多く無い。1キロ以上も続くビーチに人もいない。ぽんこつマンが行ったランチタイムにも客は別に1組のカップルだけ。白いTシャツとグレイのキャップを被ったウェイトレスの可愛い女の子の数の方が多かったかも知れない。

その日がプーケットでのメモリアルランチになった。ふたりはまずシャンパンで乾杯をした。彼女も好きだと言う生牡蠣のプレート。ひとり2個づつで異なる産地のものをセレクトした。新鮮でミルキーなオイスターは昨日までの激しいセ●クス の後には特に味わい深い。そしてポテトフライとマルガリータピザ。赤のミディアムボディーのワインを開けた。オープンエアの空間でそよぐ海風にあたりながらの格別の時間はワインのピッチをどんどん上げてくれる。

そしてメインのT ボーンステーキフライドガーリック添え。2本目のやや重めのワインを更にに開けた。ぽんこつマンもここまでワインを飲むのも久しぶりだった。最後にココナッツアイスクリーム、そしてエスプレッソを頼んだ。午後1時に到着したビーチクラブで3時間以上を過ごした。時計はすっかり4時を回っていた。ぽんこつマンはかなり酔いが廻っていたが今考えると彼女もかなり飲んでいたので酔っていたに違いない。

会計をしてそのビーチクラブを出た。車を停めてあるすぐそばに屋台があった。彼女はそれをうまいキムチを売っている屋台だと言った。彼女はそこでキムチを買った。ふたりはエンジンをかけた車に戻り中でしばらく休んでいた。夕方の5時になったので、そろそろ空港に行った方がいいと彼女が言い、ギアをドライブに入れて車を動かした。そこからプーケットの海岸線を北に向かい走った。かなりのワインディングロード。空港が近くまではアップアンドダウンとカーブが続いた。ビーチクラブから空港までは12〜3キロくらいだろうか。30分くらいで空港についた。

ぽんこつマンは車の中で彼女の頬を引き寄せキスをした。そして車のガソリン代と家に泊めてもらった御礼として4,000Bhatを彼女に渡した。彼女はにっこりと微笑み、「コップンカー」と優しくささやいた。ぽんこつマンはフォーチュナーを降り彼女にもう一度投げキッスをした。「気をつけて家に帰ってね」と声をかけた。彼女は小さく頷き開いていた窓ガラスを閉めた。そしてぽんこつマンは彼女が空港を後にするのを見送った。

プーケット空港でチェックインを済ませタイ航空のラウンジで搭乗までの40分をのんびり過ごした。搭乗時刻になり機内に入った。窓側の席に着いた時には、外はすっかり闇に沈んでいた。機体はやがて離陸しプーケットを後にした。

バンコクに戻ってからも毎日のようにLINEでの朝の挨拶は続いた。2020年3月下旬に彼女が突然長文のLINEを送ってきた。内容は「コロナのせいで今まで5万バーツあった月給が3マンバーツに突然減給された。」「車のローンや家のローンを払うとなると3万では基本的生活費が足りなくなる。」「しばらくはプーケット に住んでいる姉の家に間借りして、今まで住んでいた家を貸家として貸し出す」「次にぽんこつマンがプーケットに来る時はホテルで一緒に過ごすことになるけどいいか」と言うものだった。ぽんこつマンはこのコロナのせいでいろんな人が大変な目にあっているんだなぁと思った。そして「ホテルで一緒でも僕は一向に構わない」「No problem」と返信した。するとどう考えたのかわからなかったが、「ならばいい」「あなたをブロックする」と返信が返ってきた。

それ以降彼女との音信は不通になったままだ。世界的なパンデミックとなってしまったコロナ禍はプーケットのセフレとなった彼女との関係をも崩壊させる結果になってしまった。ぽんこつマンの長い人生の中でこんな形で崩壊したセフレ関係はもちろん今までにない。

ぽんこつマンがアジアに堕ちた経緯⓪

あれはいつのことだったか、すでに確かな記憶はない。まだ日本では携帯電話の普及がそれほどでもなかった頃で、たぶんぽんこつマンが関西セルラーを持ってさほど経過していない頃だったと思う。関西セルラーが誕生したのが1987年らしいので、多分1989年あたりではないだろうか。当時日本はバブル経済の真っ只中。まだハリソンフォード出演のCMで一気に知名度を上げたツーカーホン関西ができる前だったと思う。当時は仕事仲間と夜はよく羽目を外すことが多かったが、特にタイポップスが流れるタイフードとタイビールを飲める店で、タイ旅行を主催する旅行会社の人や、タイ政府観光庁の女性職員、在日タイ領事館の女性職員と午前3時〜午前6時くらいまで飲み明かす日がかなりあった。

ある日のこと、タイ政府観光庁の女性職員から「いつもは旅行関係者ばかりをタイ旅行に招待してきたが、次はメディア関係者を招待することになった」「行かない?」とぽんこつマンと一人の友人Sがタイ招待旅行に誘われた。それまで国内のタイ料理やタイバーへはよく出かけていたが、タイ王国に行ったことはぽんこつマンは無かったのだった。「えっ、俺たちメディアの人じゃ無いけどぉ」と答えたが、「広告関係もまぁメディア関係ということで、上に了解取ってある」となり、その招待旅行に参加することになった。当然自分たちの仕事では無いので、休暇を取っての参加であった。

旅程はプーケット2泊、ホアヒン2泊、バンコク1泊だったかなぁ。当時、タイ政府観光庁は特に女性向けにホテルでの高級スパ体験や男性には王様気分を味わうようなプレーヤーに1人〜2人のキャディーがつくタイゴルフを押していて、プーケットはドゥシタニ(https://www.dusit.com/dusitthani-lagunaphuket/ja/)、

ホアヒンはヒルトン(https://www3.hilton.com/en/hotels/thailand/hilton-hua-hin-resort-and-spa-HHQHIHI/index.html?WT.mc_id=zELWAKN0APAC1HI2DMH3LocalSearch4DGGenericx6HHQHIHI)が用意されていた気がする。

プーケットでもホアヒンでも2日目の朝はゴルフがセッティングされていて、夜はホテルでパーティーがありゴルフコンペの表彰式もあったことを覚えている。ぽんこつマンと友人Sはその豪華旅行を十分に堪能したが、それでも自由な時間はホテルを抜け出し、街場のタイマッサージやバービアを梯子した。プーケットパトンビーチのバービアで友人Sは見た目超綺麗な娘(実はレディーボーイ)に捕まり、次の飲み屋に連れ出すことになったが、一軒行ってさてホテルへ連れて帰ろうと友人Sが話かけてきた時に、たまたまタイ政府観光庁の女性職員に「あの娘は男よ。喉仏見てみて」と打ち明けられ、友人S はお持ち帰りを辞退した。ホアヒンでは、プーケットの失敗が後を引いたのかサムローに乗り現地の置屋にまで足を運んだが友人Sはその気にならず、ぽんこつマンだけがプーケットでもホアヒンでもお持ち帰りした結果になった。

いよいよ招待旅行の最終日、バンコクの日となった。ホテルは、チャオプラヤ川沿いの5つ星だった気がしたが、記憶が定かでは無い。この日は、ホテル到着後自由行動だったのでぽんこつマンと友人Sは、当時のガイドブックを見てナナプラザに出かけた。

1階から3階までほぼ全ての店を覗いて何軒かのゴーゴーバーやバービアに連れ立って入り、一巡りしたところで2時間ほど互いに自由行動とした。ぽんこつマンは、今はもう店が変わってしまっているが一階(GF)のセンター奥にあるバービアで J と名乗る身長160cm位の可愛い娘に目が止まり、そこで飲み続けた。友人S は、現在NEW ROLLIPOPとなっているゴーゴーバーの前にあるテーブルに座っていたウボンラチャタニー出身のイサーン娘が気に入ったようだ。深夜1時を過ぎた頃に待ち合わせをしていたので、お互いペイバーしてホテルに戻った。

ぽんこつマンはかなり酔って気分も昂揚していた。まだタイ旅行に不慣れだったため、フロントで鍵を受け取る時にペイバーした女の子の身分証明書を預かるシステムが今ひとつ気に入らなかった。通常ならショートでやることが済めば女の子を解放し女の子は身分証を受け取ってホテルを出るので特にこれまでは何も言わなかったが、ぽんこつマンはその日はチェックアウトの時間まで一緒に彼女と過ごすつもりだったので、宿泊を共にするゲストだと主張し、「身分証明を提示し、名前を記帳すればよく何も預ける必要は無いのではないか」「チェックインの時間がずれているだけ」と、フロントマンに噛み付いた。結果は彼女がもういいといって身分証を預けてしまったが、タイ女性を身なりで客と一線を引き夜伽女と決めつけるタイのホテルシステムがおかしいと思ったのだ。日本においては、ダブルで予約された部屋に後から女性を連れて入る時、その女性の身分証を預けろとは言わないだろうから。その状況を見ていた友人Sは、ぽんこつマンのことをあの時のタイ人女性へのホテル側の偏見に一石を投じた発言には感心したと今も言ってくれる。今では客の安全を確保するために、夜を過ごすためだけにやってきたと思える人の身分証を預かるというシステムは理解できるんだがね。

ぽんこつマンと友人Sはこうしてその夜限りのパートナーと部屋に入った。J と名乗るぽんこつマンのパートナーは静かにベッドに腰を下ろした。ぽんこつマンはその傍に寄り添い座り、髪を撫で手を握り手の甲にキスをした。この時、ぽんこつマンは英語を少し話せるだけで J も簡単な英語が話せるだけだったが、その後の言葉はほとんど必要としなかった。微笑んで彼女の顔を覗けば、彼女は少し恥じらいながら微笑み返す。彼女の首に優しく手を沿わせ唇を奪ったら彼女の舌がぽんこつマンの口にするり入ってきて濃厚なキスになる。彼女の手が私の背中に回り私も彼女の背中に手を滑らせる。私の手が彼女の腰辺りに進んだ時に彼女は、ベッドにゆっくりと倒れ込んだ。

二人はベッドの上でお互いの躰にまとわりついている衣服を剥ぎ取っていく。少し褐色の内腿にはバラの花、背中肩越しにはバタフライが鮮やかに彫られていた。

ぽんこつマンはそのタトゥーが彫られた肌にキスし、手をとってシャワーブースにJを誘った。お互いの肌に石鹸を滑らせ抱き合った。やがてぽんこつマンの指が J の秘部に触れる。熱い。秘部からは既に濃厚な蜜が溢れ出していた。激しいスコールに打たれているかのようにシャワーを浴び汗を洗い流した肌からは石鹸の甘く切ない香りが漂う。二人は備え付けの少し上等なバスタオルで軽く体を拭きあい、再びベッドへ倒れ込んだ。バスタオルを剥がすと熱くなっている躰をエアコンの冷気が滑っていく。

二人の躰は激しく絡み合い、唇は互いの躰を求めあう。もう J の秘部は愛の蜜に溢れ、ぽんこつマンの膨張した突起物を迎えようと波打っていた。ぽんこつマンはゆっくりとその逸物を の秘部に当て少しずつ中へと沈めていった。愛の蜜はさらに増え、抜き差しのたびに隠微な音を立てている。クチュッ、、、、グジュッ、、、、ジュルッ、、ズビュッ、、グジュッ、、、、、。角度を変え体位を変え、幾度となく喜びを味わった。その感触は、ぽんこつマンがこれまで味わってきた感触の中で最上に位置するものであった。

翌朝、二人は別れを迎える。部屋を二人で出てゆっくりと扉が閉まるのを確認し、ホテルロビーへ向かう。フロントで彼女は昨夜預けた身分証を受け取った。ホテル玄関まで二人は無言で進み、ドアボーイがドアを開けたところで再びきつく体を抱き合った。その時二人は情婦と客ではなく、恋に落ちた関係を互いに感じていたに違いない。当時は、携帯電話こそあったもののスマホもSNSもなく、国際電話料金は個人としての負担が大きすぎてかけることもできず、日本へ帰国してからの連絡手段はE-mailのみ。彼女が街のネットショップのPCで自分に来ているE-mailを1週間に一回くらいチェックし、返信するということでしか連絡はできなかった。

それまでは年に2回はハワイへ10日ほど休暇に出かけていたが、J に巡り会ってから休暇が取れるならタイに行って J に会いたいという衝動が生まれるようになった。それからしばらくして日本では当時まだ婚姻関係にあった妻が、突然離婚してほしいと言い出した。理由は一切言わなかったが、5年前に流産しその年の年末に子宮頸癌が見つかり、子宮摘出手術を受けていた。がん摘出から5年経つまで離婚を切り出すのを待っていたと言われ、そこまで思い詰めているならと離婚に応じることにした。ハワイへの休暇はその当時の妻との結婚当時からの約束事だっので、離婚が成立してからはハワイへ行く大きな動機が消えていた。こうしてぽんこつマンは休暇が取れる時はタイへと向かうようになったのである。

その後 J とは数回会えたが、ぽんこつマンの仕事が忙しくなり海外を転々としているうちにしばらくメールを送れなかった。まぁ、ナナプラザのバービアに行けばまた会えるだろうとタカを括っていたが、しばらく空いてしまってメールを入れても返事が来なくなった。バンコク を訪れるのが1年以上開いただろうか。ナナプラザのバービアにもジャックの姿は見えなくなっていた。店のママに聞いても、当時 J と一緒に働いていた女性に聞いても行方はわからないとのことだった。その後も何度となくE-mailを送ったが返事が返ってくることはなかった。Jを失った大きな喪失感は今も消えることはない。それほどJとの濃厚な恋の感覚は強くぽんこつマンの脳裏に刻まれている。ぽんこつマンがこうしてアジアに落ちていくことになったのはJを失ったショックからと言えるだろう。