Tinder でバンコクの名門ゴルフクラブのキャディーとマッチング

2022年7月18日、ぽんこつマンがバンコクからチェンマイの家に戻ったが、チェンマイでは連れ合いとは既に何の性交渉も無くなっていた。連れ合いはぽんこつマンには既に興味をなくしていてこっそり猫を飼っていた。

この時期はほぼ毎日のように激しい雨が降り今年は特に雨が激しく外へ出かける機会は息子を学校に迎えに行く時と連れ合いのショッピングに連れられセントラルフェスティバルに出かける時ぐらいでほとんどの時間を家で過ごす毎日だった。

毎日ウクライナ関連のYouTubeを見るくらいしか無いのだが、一人でいるときはTinderで次のバンコク滞在時のガールフレンド探しをしていた。そんなどうしようもない毎日を過ごす中でぽんこつマンのTinder歴の中で一番の好みのタイプと思しき女性に出会ったのは8月17日だったろうか。

その彼女はTinderの自己紹介であるバンコクの名門ゴルフクラブでキャディーとして働いていると書いていて、ぽんこつマンがまだ現役で働いていた頃、バンコクで幾度かプレーしたコースだと書いてある。Tinderでの彼女の目的は、誰かに世話になりたいと明確に書いていたが、将来を約束したいとは書いていなかった。

彼女の存在はぽんこつマンにとっての特別に変わり、何としても彼女をバンコクで長期で付き合えるガールフレンドにしたいとの思いが日に日に増して行った。通常ならなるべく早くLINE のアカウントを聞いてそちらで連絡を取るのだが、最初はこちらがその気になっていることをバラさないためにも、Tinderでのやり取りで数日やり過ごして、相手がこちらになびき始めるのを待った。

8月17日に彼女とマッチングしてから数日はLINEのアカウントを聞かずに彼女からの気持ちを引き寄せるメッセージをTinder で送っていた。そしてぽんこつマンがバンコクに戻る8月24日の翌日の25日にデートの約束を取り付けて、それからLINEのアカウントを聞いてLINEでのやりとりに切り替えた。

25日に出会うまでは、ぽんこつマンのペースで彼女をコントロールしていたつもりだったがLINEになってからは、こちらの彼女への思いが強く現れすぎていたようだった。最初のデートで彼女が欲しいと言っていたテレビを買うことになる。テレビ台も探してデートの日にまずギフトとして彼女に買い与えてしまった。それからは終始彼女のペースでことが進む。

デートするまでは、デートの日にぽんこつマンの部屋で一夜を過ごす話をしていたし、彼女の住むアパートにも行ける話もしていたが、テレビとテレビ台は業者に運ばせて後でセッティングするというので食事に行くことにする。食事に行ったのは、バンコクの女の子を連れて行く場所として幾度か利用してきたBar in Townにした。タイ人の好みに合う食事がありそれなりにムードがあるレストランバーで料金も決して高くはない。

彼女は自分で車を所有していて彼女の運転でこのバーにきた。お腹がずいぶん空いているらしく緩徐は先ずエビチャーハンを頼んだ。ぽんこつマンはビアチャンコールドブリュの6本セットと鳥の軟骨唐揚げを頼んだ。

ソファーに隣り合って座って肩を抱き合わせたりしながら恋人同士になれるような会話をしたが、彼女が途中から電話が頻繁に入るようになり、借金の返済に追われていて頭が痛い。気分が悪いので帰りたいと言い出した。テーブルの上に並んだ料理のほとんどに手をつけずお餅かえにに包んでもらい6本のセットで頼んだビールはぽんこつマンが持ち帰ることにして精算して店を出た。彼女はぽんこつマンを今度まで送り届けてそのあしで自分の部屋で休むと言って帰ってしまった。

その後は毎日LINEでのラブラブな会話が続くものの彼女がぽんこつマンの部屋で一夜を過ごすという約束は果たされることはなかった。8月28日には彼女から携帯の料金を払って欲しいと言われてぽんこつマンが翌日True shopに出かけて払うことになる。8月の末には5000バーツを援助して欲しいと言ったので彼女の口座に入金した。9月に入って8日9日はキャディー同士でパタヤに行く約束があると言ってきた。その前に9月3日にも借金が多くて家賃と化粧品代のネット支払いを助けるために6000バーツを送金して欲しいという、お金が用意できなければ死ぬしか無いと言っていたのでぽんこつマンとの一夜を一緒に過ごすし、月の収入と資質を明確にして計画的に未来に向けたリバイバルプランを組み立て実行するよう約束するなら6000バーツを渡すというとようやく9月1日仕事が休みの朝に部屋に来て、数時間を一緒に過ごした。

この時は確かにソファーで話をして彼女はぽんこつマンのリバイバルプランを聞いて実行すると言っていたが、昼の2時にゴルフキャディーの姉さんをパタヤまで送っていかなければいけないと言い、午後1時半には部屋を出た。ガソリンも足りないし、パタヤまでの道中で何か貯めるための資金として2000バーツ欲しいと言ったのでまずはガソリン代として500を紙幣でw渡し後は口座に入金するといった。そして彼女は雨の中、姉さんキャディーを迎えに行くと言いそそくさとコンドを出ていった。

8月6日に水着を買いたいとLINEが来たが、デート出来ないと分かったので無視をした。その後も彼女は仕事でのストレス発散のためにショッピングを重ねているらしく、高利貸しからの借金額をさらに増しているようだった。

この時点で、すでに彼女はロマンス詐欺師とほぼ確定した。仕事で疲れて家で休みたい。明日も朝4時半にゴルフコースに行く。夕方遅くまで働いていて今日も家で休みたい。と毎日何かしらの理由をつけてぽんこつマンに会うことを避ける。

そして月末、ますます増えた借金を少しでも返すために金の無心がくる。ぽんこつマンは9月14日から9月27日までチェンマイに戻っていたが、バンコクに戻ってきた27日から30日に多額の支払いがあるから10月に援助する予定の5000バーツを早くもらえないかと泣きついてくる。

ぽんこつマンは10月の3日に日本から送金をかけるので9月での10月分の支払いは無理と彼女に言ったが、ぽんこつマンが彼女の生活を援助すると表明した月5000バーツは、ぽんこつマンがバンコクにいル時に必ずほぼ毎日デートできる時間を作ることが前提であったはずだが彼女は1日たりともデートせず金の無心だけだった。9月30日が9月の頭に6000バーツ送金したことに対する彼女の義務としてデートの時間を作ることという約束だったがそれを守ることはなく、一方的にお金の無心だけが続くんで、9月30日までに一度もわずか数時間のデートの時間も作れないなら、今後しばらく援助するといったリバイヴァルプランの約束を破棄すると伝えた。

ぽんこつマンははっきり彼女にベタ惚れになって盲目的に言われるままに送ってきたが、流石にテイクのみで彼女からのギブが一切無いのは耐えられない。9月1日に彼女のリバイバルプランを話した後に彼女とは一回sexをしたが、それ以降は全く姿を表すことはなく、9月28日からも金の無心が始まった。

彼女は多分ファーストインプレッションはかなり男好きするタイプなのだろうから、私のような男が何人〜十数人いてもおかしく無いだろう。

今は少し彼女と距離を置いている。2〜3時間一緒に部屋にいて1回だけのsexで5000バーツというのはかなりの高級娼婦とも言えるくらいだ。これから彼女とのガールフレンドとしてのポジションをビジネスライクに捉えてきっちり月額契約として彼女の報酬と果たすべき義務を決める必要すら感じている。

ぽんこつマンはその後10月6日に日本に帰国した。日本の田舎にある住まいを処分して新たに国際空港近郊の街に住まいを移すのが目的だった。日本に帰国する少し前、彼女から「今日は休みだから、今から会いに行けるけど・・・」とLINEが入るが、その日はチェンマイから連れ合いと息子がバンコクに来る日だったので会えないことを伝えた。

日本に帰国して数日後にまた彼女からLINEが入る。こちらからは先に連絡を取ることはないのだが、「今度はいつタイに戻るのか?」とか「今何してるの?」といったたわいの無い連絡を入れてくる。

今後の付き合いをどうするべきかをすごく迷っているが、ぽんこつマンの今後の資金面にもかなり陰りが出てきているのでもう援助するという行為はできないと思う。2022年がぽんこつマンのアジアでのエロ活の終焉を迎える年になる予感がする。

3年前に知り合った女の子と久しぶりに会った。

3年前にRed Sky barで知り合った女の子Beerからこの3月になって久しぶりにLINEに連絡が入った。彼女は前にも書いたように実に奔放な毎日を過ごす女の子で、つい最近もインスタでプーケットに長期滞在していることを知っていた。かつては何度かデートをしたが、3年前にエムクオーティエのとあるカフェでデートしてからしばらく音信が途絶えたままになっていた。

ぽんこつマンもあまりにも奔放でLINEへの返信も長期で無くなってから、もう関係が発展することはないと思い、しばらく放っていた。それがこの3月になって突然彼女の方からLINEに連絡が入った。

なんでもゴルフを始めたそうで、ゴルフクラブを探しているというのでタニアプラザで探してみようと誘ったら、土曜日に再会することになった。女性用のゴルフクラブはタイでは品数が少ないが、彼女は30000バーツ以内で日本製が欲しいと言っていた。

まずは待ち合わせ、場所と時間はシーロムコンプレックス午後1時、ぽんこつマンはグラブカーで向かった。土曜日ということで渋滞はほぼ無いと思ったが、ペップリー通りは多少混雑していた。それでも午後1時5分前に到着した。

Silom Complex 2F After You

ぽんこつマンはシーロム通りを挟んで反対側にあるタニアプラザに行くのに便利な2FのAfter youで彼女を待つ事にした。彼女のLINEに店の写真を送ったら、渋滞で15分遅れると連絡があった。彼女は以前も時間にはあまり正確では無いことは知っていたので、気には止めなかった。

午後1時から30分近く過ぎてLINE電話が彼女から入った。今シーロムコンプレックスの2階に着いたけど、アフターユーがわからないという。エスカレータを上がったところにいると言うのでぽんこつマンはアフターユーを出て彼女を探しに向かった。大きな柱に遮られてエスカレーターを上がったところからアフターユーは隠れて見えなかったようで、ぽんこつマンが店を出てすぐに彼女を見つけることができた。

出会って彼女は以前のように可愛いワイをして再会を喜んで見せた。そしてお腹が空いたという。タニアに行けば何かしらの飯屋はあるからとぽんこつマンはBTSサラディーン駅を横切り、タニア方面へ向かった。

ここ1年はほとんどタニアには来なくなったが、3年前、2年前はタニアにあった日本人経営のバーRESPECTON VOL.1やウッドボールタニアに通っていてBTSサラディーン駅まで来てから歩いて店まで行っていた。それと同じ通りを通って抜けたSilom 7 Alleyに大阪王将があり、彼女にお昼はラーメンでいいかと聞いたらOKサインが出たのでそこでラーメンと餃子を注文した。

彼女は醤油ラーメンMサイズ(日本と同じサイズで正直タイ人女性には超大盛り)ぽんこつマンはとんこつラーメンMサイズと餃子12個を注文。日本が懐かしいといいながら東京に遊びに行った思い出話を話しながら彼女はそのMサイズを平らげた。流石に餃子は2個ほどしか食べなかった。ぽんこつマンは餃子10個とMサイズで超満腹。

現金の持ち合わせがあまりなかったのでクレジットカードで払おうとしたら、彼女が持つクレジットカードで10%引きだったらしく、彼女はそこの支払いを済ませてくれた。彼女に礼を言い店を出てコロナ禍中に改装が進んだタニアプラザへ向かう。

今までは、なかなか混沌としていたゴルフ用品売り場が完全に整理されゴルフ専用のショッピングモールとなっていた。いくつかの店を回ったがレディースのクラブを置いている店は少なく、見つかったのはKascoのフルセットとクリーブランドそしてPGMという韓国メーカーの3種類くらいだった。

クリーブランドもなかなか良いと勧めたが、彼女はレッスンプロにMIZUNOがいいと聞いているらしかった。クリーブランドのフルセットを置いている店で、MIZUNOのレディスフルセットはないかと尋ねたところ、入荷の予定はあるがまだ入っていないとのことで、入荷したら彼女に連絡を入れてもらうよう話をまとめた。なんでも3月の末頃入荷予定とのことだった。値段は32000バーツと彼女の予算を2000バーツ上回っているが、どうしてもMIZUNOのセットを見てきめたいらしかった。

今はまだ7番アイアンのみのレッスンらしく、もし飽きてしまったらと思うと慌てて買う必要もないだろう。もし彼女がプレイできるようになれば一緒にラウンドしてみたいものだと思った。ぽんこつマンは最近特に非力で飛ばなくなったし、左に引っ掛け病がなかなか治らないで困っている。ただ一時は恋心を抱いた女性と2サムプレイができるとしたら、それはそれで楽しみなことだ。

切なく過ぎて、突然チェンマイのキャディーに会いたくなった

突然会いたくなったチェンマイのキャディーとは、以前このブログで紹介したかもしれないが、サミットグリーンバレーチェンマイゴルフクラブのキャディーだ。4月1日に日本に一時帰国のつもりで帰ってから、タイに戻れなくなって既に6ヶ月が経過している。

タイは3月に出した未だに非常事態宣言令をこの10月も継続するようで、タイ政府のあまりのコロナ過敏症に全世界の大好きツーリストの嘆きが聞こえるようだ。Youtubeから流れるタイの日常はもはや昔と何も変わっていないようだが、これまで体を訪れるツーリストで潤ってきたバンコク、パタヤ、プーケット、サムイなどのカラオケやゴーゴーバー、バービアなどの風俗を始め、ホテル、レストラン、ゴルフコースなどの観光客の需要が見込めず、崩壊寸前とさえ言われ始めている。実際に自らもバンコクのタニヤでカラオケを経営するオーナーが、パッポンやナナプラザといったゴーゴーバーの店内を映した動画を見ても、客は彼だけで全くそれ以外の客が見えない映像ばかりである。店は空いているものの客はゼロといった光景は、Twitter などの投稿でも窺い知れる。

結果的に、7月からゴーゴーバーやカラオケ、ナイトクラブの営業は許可されたが、ゴーゴー嬢やキャストへのチップやドリンクやペイバーなどのキックバックもゼロ更新では生活が成り立たないはずだ。ゴルフクラブのキャディーもこれまで観光客などの来場があるからこそ、3日に一回はキャディーの仕事にありつけていたが、今は全く観光客がいないゴルフコースでは、コースメンテナンスなどに呼ばれることはあっても、支払われる手当だけでは生活できるわけもない。

ここに来てタイ政府官公庁は最長270日となる有閑富裕層対象の特別観光ビザの新設やタイランドエリート資格の販売で、世界の富裕層の訪タイを期待しているようだが、特別観光ビザ発給条件国は過去60日間コロナ新規感染者ゼロの国と地域となっているので、ヨーロッパ諸国も南米諸国も、アフリカ諸国も、シンガポールも日本も韓国も対象外である。オーストラリアもニュージーランドも9月に入っても新規感染者が出ているようで対象外。8月の時点で全世界でコロナ感染者ゼロと報告している国と地域はサモア、マーシャル群島、ソロモン諸島、バヌアツ、ツバル、トンガ、キリバス、トルクメニスタン、ミクロネシア連邦、ナウル、北朝鮮、パラオ、クック諸島、ニウエ、と言うとても富裕層がいると思えない14か国であるらしい。(情報ソース:https://www.businessinsider.jp/post-218952

またその特別観光ビザのツーリストはチャーター便かプライベートジェットでしか入国を許さないとのことらしいので、実質そのビザを取得する意味などない。さらにこの特別観光ビザ取得の条件でタイの資産を1億バーツ以上所有しているか所有する前提が必要となると、60日以上感染者ゼロの国条件を撤廃しても世界にそう多くいるとは思えない。

タイ政府が考えていることがいかに現実離れしているかが窺い知れるというものだ。タイは収入がなくても昆虫を食べてタンパク質を得ることができる。フルーツを食べればビタミンや糖質を確保することもできる国だから、餓死者が出るといったことはあまり考えなくてもいいのだろうが、日照りや洪水で耕作地に被害が出て農民そのものの収入がなくなれば、耕作放棄が起こっても不思議ではないはずだ。

こんな事を考えていたら、LINEでの毎日の朝の挨拶を欠かさずくれるチェンマイのサミットグリーンバレーゴルフクラブのキャディーだったKちゃんが急に愛おしくなった。彼女には既に高校生と中学生の子供がいると聞いていたが、LINEにある彼女のアイコン写真があまりにも可愛い。

使っている写真はキット若かった頃のものだろうが、ゴルフコースで最初にあった時の印象もこの写真にかなり近いものがあった気がしてならない。2ヶ月前にはキャディーの仕事に復帰したとはいっていたが、既にチェンマイに滞在している外国人もこの9月26日までのビザ延長期限が来たので、帰国を余儀なくされているから、ただでさえ少なかったプレイ客が一層減ることは間違いなうだろう。

政府の支援もなく困窮する一方のタイ庶民の生活は、国外観光客のいないハイシーズンを迎え一体どうなるのだろうかと考えるだけで切なくなってしまう。今は、どうすることもできないが、一日でも早くタイのゴーゴーバーやバービアへ行ける日が、そして可愛いキャディーとふたりきりで過ごせる日が戻ってくる事を願わずにはいられない。

Kちゃん、次に会えるときはお土産いっぱい持って行くから、それからゴルフコースの人のいないところで抱きしめちゃうかもしれないけど、ぽんこつマンのこと嫌いにならないでね。

サミット・グリーンバレー・チェンマイでゴルフ

ぽんこつマンのタイでのベースは本来チェンマイ である。チェンマイには連れ合いと一人息子が住んで居て、ぽんこつマンもゴルフメンバーコースもある。チェンマイには2004年くらいから頻繁にくるようになっているが、市内からかなり離れた郡部に家を建てて、そこに住んでいるのである。家は一般にムバーンと言われる住宅地の土地を購入し建てるのだが、ぽんこつマンのチェンマイベースの家は、そのムバーンの中では敷地は広い方で133タランワー(タランワーとはタイの土地の広さを表す単位で日本でいうところの坪みたいなものだ。1タランワーは4㎡、100タランワーを1ンガーンといい、400タランワーを1ライという。

タイでは外国人個人がタイの土地を所有することは許されていないので、名義はタイ人の名前で登記することになる。ぽんこつマンは連れ合いの名義で登録している。連れ合いと知り合って17年、今は仲が悪いとまでは言わないが長く付き合っていく上で、問題が起こらないとは限らない。すでに今は恋人という感覚ではなく、一人息子の母親としての関係である。

土地と建物を郡役場で登記をした際に、名義は連れ合いのものにしたが、ぽんこつマンの住居として30年間の居住権と再延長の権利を保証する特約も設定されているので、ぽんこつマンがそのチェンマイの家を追い出されることはないことになっている。

今から10年以上前にそのチェンマイ ベースの家に近いチェンマイグリーンバレー(http://www.summitgreenvalley.com)のメンバーシップ(25年限定)を買っていて、ゴルフしたくなれば、一人でエントリーして一人でプレイできる。会員券を買った当時は、タイ人メンバーと日本企業のメンバーが多いコースだったが、それからしばらくして、タイサミットグループにコースが買収され、1年、3年メンバーシップなども売られるようになり、韓国人のリタイヤメント長期滞在者のメンバーが増え、韓国のゴルフツアーバスも来るなど、一時期韓国人に占拠されたかのように、韓国人の我が物顔プレイが目立つようになり、しばらくプレイしないようになった。

チェンマイの乾季は11月から2月だが、山岳農地の山焼きのせいかどうかはわからないが、ここ5、6年前からPM 10の濃度が毎年激しくなってきていて問題になっている。特に今年の2020年に入ってからの状況はさらに厳しい状況になっているようだった。

韓国人のゴルファーの多くは、サミット・グリーンバレーの短期会員の期限を過ぎて再購入していないようだし、ツアーバスで大挙してくることも減ったみたいで、今年に入ってからはPM 10以外の問題は無くなって全くストレスなくラウンドできている。

プレイ日は2020年3月11日、すでに暑気に入って昼間は35度越えの暑さでゴルフは早朝からのスループレイで11時までには終われると最高だ。芝の状態も、最近オキニになったキャディーの愛らしさも、悪くない。いつかこのオキニキャディーと19番ホールを楽しみたいとさえ思う。

スコアは、大体いつも同じだがこの日は102、もう少しで100を切れるかもという感じになってきた。このコースは、フロントティー(白マーカー)からでも距離のあるパー4、200ヤード越えのパー3などヘッドスピードが上がらないポンコツマンにはハードなコースなのだ。

しかしこの日の空気汚染度は、233、非常に健康に良くないという表示が出ていた。バンコクも毎日の大渋滞とかで大気汚染はひどいが、それでもせいぜい100台。なぜ、車の交通量も工場も少ないチェンマイ の郊外でこんなに大気汚染がひどいことになっているのか?

タイ政府は3月18日にコロナ感染症の拡大を懸念してバー、パブ、カラオケ、マッサージ、ナイトクラブの営業禁止を決めるのだが、コロナで体を壊すことより、タイの特に北部タイの大気汚染に対して何の対策も講じてこなかった。タイでの狂犬病やマラリア、デング熱、チクングニア熱などの感染症の撲滅にも全く力を入れていない。プラユット陸軍大将がクーデターで民主政権を乗っ取ってから官憲の威圧的態度は増しているが、地方での民間の活力は伸びていない気がする。人民への政治的貢献をせず、官憲の汚職と権力悪用は以前より激しくなっている気がする。

世界からの圧力により久しぶりに昨年国会議員の総選挙を実施したが、当選した議員の当選を無効にしたりとやりたい放題のプラユット独裁政権。中国の習近平政権、韓国の文在寅政権、北朝鮮の金正恩政権とアジアに知るだけで4つの独裁政権があることはアジアの不幸でしかないと近頃強く思う。

グリーンバレーチェンマイの姉妹コースウィンドミルで初プレイ

2020年2月21日のナバタニゴルフコースでのプレイで長年使ってきたドライバーのカーボンシャフトが割れて、使えなくなった。ぽんこつマンがメンバーのサミット・グリーンバレー・チェンマイ・カントリークラブの姉妹コースであるサミット・ウィンドミル・ゴルフクラブでのプレイを23日の日曜日に4人1組で予約を入れていたので、どうしてもドライバーを新たに見つけないといけないと思い、22日にタニヤにあるゴルフプラザに出かけた。

そこには新品はもちろん日本からの中古クラブも多数揃っている。近頃のドライバーを知らないぽんこつマンはいくつかのメジャーブランドのものを見たが、ほぼ3万バーツに近い価格に驚いた。ぽんこつマンはゴルフは好きだが、最近は昔よりさらにヘッドスピードが遅くなったのかドライバーでも200ヤードがやっとになっていて、距離の長いパー4のコースは2打では絶対にオンできない。だからそれほどドライバーにお金をかけても価値がない。

そこでぽんこつマンは、中古ではないが値が張らないものはないかと探してみた。店員が何を探しているかと聞いてきたので正直に「値が張らないお買い得で使いやすいドライバーを探している」と言ってみた。すると店員はカタナゴルフのドライバーを勧めてくる。「真っ直ぐ飛ぶ、曲がらない、メイドインジャパーーン」と言ってくる。

ぽんこつマンがいくらか聞くと「9000バーツ」と言う。先ほどまで見ていたものの3分の1くらいなので、「まっ、いいか」と思ったので即決した。帰りに、3月いっぱいで店舗閉店予定となっていたカムイゴルフのショップで1本3000バーツで売っていてこれでも良かったと残念に思ったが、もう買ってしまったので仕方ない。

23日のスタート時間は朝6時50分だったので21日と同じようにGrab car をあらかじめ予約した。サミット・ウィンドミル ・ゴルフクラブ(http://www.summitwindmillgolfclub.com)は初めて行くが、バンナーなので朝の渋滞とは逆方向。しかも日曜なので20分で着けるはずと思い、5時50分に予約した。

12月、1月のタイの気候はゴルフに最も最適。朝は少し寒い日もあるくらい。しかし2月下旬ともなると、乾季から暑気に季節変わりする頃で、中にはすごく暑い日もある。23日当日は幸にも幾分涼しくプレイにはもってこいの気候だった。

Grab car がクラブハウスに着いたときには、他の3人は既についていてチェックインを済ましていた。ぽんこつマンも早速チェックインして、パター練習グリーンに急いだ。予約を入れた時は、7時台、8時台、9時台はすでに一杯で6時50分スタートか11時台しかないと言っていたが、ぽんこつマンの組の後ろがすぐ後に来ている感じはなく、スタート時間の10分前に1番ホールの前で記念撮影をして、スタートした。

18ホールスループレイで前の組も無く、後ろからも追いついてくる組もない。大変プライベートなプレイになった。ぽんこつマンのスコアは、あいも変わらずダボペースだが、ドライバーショットは21日よりも良くなったと同伴競技者は言ってくれた。この日はパターも良かったが、INコースに入ってからウォーターハザードに3回入れてトリプルボギーが4つあった。後はパーが2つ、バーディーが1つ。トータル104で上がった。

シャワーを浴びアウトサイドのビアガーデン・レストランで乾杯したのは、まだ朝の10時を回ったばかりの時間。プレイ後の朝のビールは格別うまい。帰りもGrab car で替える予定なので少しよっても構わない。最初はビアシン派だったH氏もビアチャンも気に入ったらしく、みんなでビアチャン大瓶を20本近く飲んだ。

12時前にクラブハウスを出てぽんこつマンの住むコンドに戻ったのは1時前だった。この日のゴルフは、タイならではの蒸し暑さも無く清々しい1日だった。日本からタイゴルフツアーを企画してやってきた友達の中には21日から4連続で明日もプレイを予約している仲間もいたが、ぽんこつマンの身体はすでに2日連続も厳しくなっている。1日休みを入れても体が結構きつい。女の子とのエロごとは、毎日でもいいのだが……..。

2月29日にはチェンマイ に戻る。チェンマイに戻ったら、お気に入りのマッサージ師がいるマッサージ屋がある。ヌアット・センといって筋肉の張りを解してくれるタイ式マッサージの一種だが、センとは日本語でいうところの筋の意味だろうとポンコツマンは思っている。そこでゆっくりマッサージを受けたいと思った。

バンコクの名門といわれるナバタニゴルフコースで久々プレイ。

2020年2月下旬、日本からかつて同じ会社で働いていた同期がタイゴルフツアーを企画してやってくることになった。ぽんこつマンは2がつはチェンマイにいたのだが、彼らがくるということでバンコクでゴルフを一緒にプレイすることになった。

当時、既にコロナ禍はヨーロッパに多くの感染者を出し、イタリアでは12,462人の感染症例を確認し、827人が死亡し、集中治療室に入院していた患者数は1,028人に増えていた。WTOは国際的「緊急事態宣言」を1月30日にようやく発出したこと、日本でも2月3日に感染者が確認されたクルーズ船が横浜に入りニュースの話題をさらっていた。

タイゴルフツアーに参加するメンバーからも予定の時期にタイへの入国が可能なのかという不安のLINEチャットが頻繁に入るようになっていたが、一番遅く2月20日にタイに入国を予定するする最後のひとりも無事にバンコク入りができたようだった。

ぽんこつマンは2月20日チェンマイからバンコクへタイVetjet で移動した。バンコクの部屋にもゴルフクラブを置いていたので、荷物はハンドキャリーだけで当時のVetjetのフライト料金は片道500baht(税金込)くらいで手配可能だった。

乗客もクルーもすべてマスク着用、空港に入る時も搭乗する時も非接触の体温チェックがあった。既にアメリカは中国滞在者の入国禁止を1月31日に発表していたが、当時のWHOの姿勢は渡航と貿易の制限を適応しないよう助言していたこともあり、当時のタイ政府の姿勢はWHOの姿勢に従うというものでタイ国内の移動もタイへの入出国も制限の対象外だった。

ぽんこつマンは、18時にはスワナブーム空港を出てバンコクの部屋にタクシーで向かった。明日のナバタニでのゴルフはティーオフタイムが10時頃だったので、朝のバンコクの渋滞を考慮しても8時に起きて8時半にGrab car を予約しておけば問題なかった。

ぽんこつマンの部屋のあるコンドからナバタニーゴルフコース(http://www.navatanee.com/jap/course.html)までは、朝の渋滞とは逆コースだ。少し混んだとしても40分もあれば十分に着く。昨晩事前予約していたGrab car は朝8時30分にロビーに降りた時には既に到着していてぽんこつマンを待っていてくれていた。

待っていたのはトヨタアルティスの白。まだ新車だ。ゴルフバックをトランクに積み、後部座席に座利、ドライバーに「サワディーカップ」とタイ語で挨拶する。Grab car のドライバーはタクシーのドライバーと違って不機嫌だったり、イラついていたり、洗い運転をすることはない。今までに紳士的でないGrab car のドライバーにあったことがない。料金もメータータクシーで渋滞分を考えると同じかむしろ安いかもと思えるくらいだ。

8時55分にナバタニのクラブハウスの前にGrab car は到着した。既に日本からのゴルフツアーメンバーは到着していた。ゴルフバッグを預けてチェックイン、クレジットカードでプレイフィーを支払い、ロッカーに着替えを預けてすぐにパター練習に向かった。

このコースは、ぽんこつマンがまだ現役でバリバリ仕事している時代、オーストラリアへの出張の中継地としてバンコクに泊まる時にプレイしたコースの1つだ。ぽんこつマンは、ロバート・T・ジョーンズ・Jr. が設計したコースが好きで、アメリカでも、ハワイでも、日本でも彼の設計コースを好んでプレイしてきた。

バンカーやハザードのレイアウトが実に巧妙でかつ美しいコースが多い。以前来た時にはコースキャディーの女性(若い女の子はいなかった)の助言や心遣いに感動した。タイのゴルフの楽しさには、若くて可愛くセクシーなキャディーがいるといるという事もあるが、このコースはさすがに国際的トーナメントコースとしての格を感じていた。

男5女1の6人で2組。スタート時間が近づいた。みんなで記念撮影をしてスタートした。プレーヤーひとりにキャディーがひとりづつついてカートを運転してくれるがタイでは普通。18ホールスループレイもタイでは一般的。

スタートは10分間隔で待たされるホールは無く、18ホールスループレイは3時間足らずで回り切れる。シャワーを浴びてレストランでプレイを振り返りながらのビールはどんな時でも格別だ。ぽんこつマンがチェンマイにいる時はいつもひとりでエントリーするので、ゴルフコースのレストランでビールを飲むことはまず無い。

ダブルボギーマンのぽんこつマンのスコアは相変わらず良くは無いが、パーが2つあった事は喜ばしい。仲間とゴルフをするのも悪くは無い。ちなみにタイでのゴルフは既に日本より高額になっている。日本はバブル崩壊以降平日1万円くらいでできるコースが多くなっているが、タイではコースに払うグリーンフィー、キャディーフィーの他にキャディーへのチップ(バンコクでは300bahtが相場、もしキャディーのライン読みアドバイスでバーディーが取れた時などは500baht以上を渡しても良い)を渡すのが一般的、合計するとざっと2〜3万円は掛かると思う。

いずれにしても、懐かしい昔の仲間と年に1回バンコクで会えるということは幸せな事だ。2021年の2月は、まだタイ政府のコロナ拒否は終わっていないだろうと思われる。果たしてまたバンコクで昔の仲間とゴルフができる日はいつ来るのだろうか。

バリ島サヌールでのインドネシア初ナンパ

2015年頃には、ぽんこつマンはバンコクでオスの本能がピークを迎えていた。タイ以外の異なるアジア諸国の風俗を調べてるうちにぽんこつマンはサーフィンには全く興味がないがバリ島娘への興味が出て来た。バリの女の子はバンコクの女の子とどう違うのだろう?性格の差、見た目の差、性に対する意識の差などを実際に感じてみたくなった。

そうだ!バリに行って見よう!! そう決めた時は日本が既に晩秋を迎え、人肌の温もりが恋しい季節に変わっていた。この頃勤務地が東京に変わっていて、TYO→BKK→CNX→BKK→TYOとタイへの旅程を初秋の頃に決めていたが、東京バンコク間はANAの特典マイルで取っていたので東京に戻る前にバンコクからバリへの2泊を追加を決め、タイ航空のフライトをネットで探した。当時はタイ航空のバンコク〜テンパサール間は1日2便あったように思う。バンコク を午前出発しテンパサールには現地時間夕方に到着する便も比較的安価で買えたので即予約を作った。ホテルは近くに置屋があるとの調べがついたので朝日が見れるサヌール地区の3つ星をとった。

空港からタクシーでサヌールのホテルに直行してチェックイン、荷物を置いて近くにあるバーに行った。カウンターに座り、ビンタンビールを注文した。隣に女性がいたので英語で話しかけたら、なんだか話が通じてバリ島でおすすめのディナーを聞いたら、ジャンバランでシーフードがいいと勧められた。一人で行くのもつまらないので明日一緒に行かないかと誘ったら、気さくにOKとなった。その日はホテルに戻り静かに寝た。翌日は朝早くサヌールの海岸を散歩。昼近くにホテルでバイクを借りて、あらかじめ調べてあった置屋へ向かった。飛行機の移動の疲れがまだ十分に取れていないのだろう。だが体はヘトヘトでもチ●コはギンギンだった。いわゆる疲れマラ。部屋に入る前に女衒が女をバイクの尻に乗せてやって来た。特に可愛くはないが精子を出したい衝動もあったしせっかくやって来た女の子を返すのもかわいそうだと思い即OKにした。いくらだったかははっきり覚えていないが高くはなかった気がする。愛想は悪くなく、英語はほぼ通じないがやることは世界共通、ボディーランゲージでその場を乗り切った。その夕方は昨日約束したジャンバランでのディナーがあるのでホテルに戻って準備した。待ち合わせは昨日出会ったバーの前。タクシーを呼んで出かけたら、店の前に彼女は既に来ていて、その足で一緒にジャンバランに向かった。車内でどこに住んでいるのか?どんな仕事をしているのか?何歳なのか?出会ったバーにはよく来るのか?今日は自分の部屋からバーまではどうやって来たのか?などを話した。

何分くらいタクシーに乗っていたか分からないが、ノリのいい英語での会話が弾んであっという間にジャンバランビーチにあるレストランに到着した。入り口を入るとシーフードが陳列されていてその中から選んで料理を決めて注文した。その足でビーチにあるテーブルに案内され、飲み物のメニューが出される。ぽっんこつマンはワイン好きなので、白ワインをオーダーした。彼女もワインが飲めるらしくふたりで2本のワインを開けた。ビーチについた頃はまだ太陽が沈んでいなかったが、2本のワインがなくなった時は既に夜10時を過ぎていた。彼女の仕事は身体障害者のバリ旅行の企画運営を手伝っていると言うことだったが、たまたま今は新しい旅行者からの依頼がないので、バリの友達が働いているサヌールのバーに遊びに行っているとのことだった。彼女の出身はバリではなくジャワ島、バリ島出身ではないと言うことはヒンズー教ではなく回教徒だが、バリにいる時はスカーフ(ヒジャブ)をしないのだといった。彼女の話は興味深く、しかも明るい性格が気に入った。

そろそろ帰ることにしようという話になってレストランにタクシーを呼んでもらった。彼女の部屋はテンパサール市内にあるとのことだったが、バイクをサヌールのバーに置いて来ているので、その晩はぽんこつマンのホテルに泊まっても良いと言って一緒に戻ることになった。ホテルに一緒に戻ると言うことは、、、、、、、、、、、。今日は昼間に置屋で抜いて来ているが、、、、、、、、、、夜にも激しい体液の交換が待っていた。

今でも彼女との濃厚な時間は脳裏に残っている。温かくしっかりとホールドされたぽんこつマンの逸物の根元から亀頭に向かって肉ヒダがうねり上がっていく。日本人には滅多にない乳房のハリ、腰のくびれに触れるか触れない程度に手のひらを這わせると微かな呻き声と同時に腰をそらせ、亀頭を子宮口に当たりやすくする動き。正常位から片足屈曲位、騎乗位、後背位、寝バック、後側位、座位、両足屈曲位、スロー、、、スロー、、、、、スロー、、クイック、スロー、、、スロー、、、、クイック、ぽんこつマンが変拍子で打ち込む。彼女は全身を小刻みに震わせながら、体に突然走る快楽のショックに耐えていた。絞り上げるように強く握りしめるシーツ、ぽんこつマンの体を引き寄せようと彼女の指が背中、腰に食い込んでくる。合わせる肌は、強い空調の中でも熱く火照り、互いに汗ばんで絡み合った。

一戦が終わったのは午前1時より少し前。当然コンドームを装着しての一戦だったが、彼女はぽんこつマンが果てた暫く後に、次は、中で出さないなら「生でも良い」とささやいた気がした。そのままふたりは抱き合いながら眠りに落ち、朝を迎えた。ふたりが目覚めたとき時計は6時をまわっていた。昨夜の名残が消えていないのか、彼女の手がぽんこつマンの股間に伸びて来た。すぐに股間に血流が流れる感覚があり、再び膨張がはじまる。とっさに彼女はその張り詰めた肉坊をくわえ、フェラチオがはじまる。ぽんこつマンは下から彼女の秘部へ舌を這わせ、クンニで応える。やがてシックスナインの体勢から騎乗位での挿入がはじまった。コンドームの装着は無かった。体位はやがて後背位へと変わり彼女の裏G スポットあたりを突き上げた。昨日は昼と夜に合わせて2回射精しているので、誤って中で発射することはないだろうと思ったが、まだ微かに昨夜のジンジンとする感覚が残る中での2度目のセ🟣クスは腹上死を連想させるほどの快感に満ちた疲労感の中で最後の一瞬を迎えた。発射寸前の勢いある力強いひと突きの後、抜き出された亀頭から昨夜よりも少し透明感がある精子が彼女の背中に放出された。彼女はその瞬間に立てていた膝を崩しうつ伏せになって暫く放心していた。ぽんこつマンは荒い呼吸の中でティシュを取り、彼女の背中に放出された体液をゆっくり優しくと拭い取った。

目覚めた時より太陽が30度近く高くなっていた。ふたりは一緒にシャワーを浴び、水しぶきの中で唇を、肌を、強く重ね合った。甘いオレンジジュース、濃いコーヒー、スクランブルエッグとベーコン、そして薄いトーストの朝食をホテルの中庭で取った後、彼女は名残惜しそうにハグを求め、そしてホテルを後にした。

わずか2泊のバリ島サヌールの旅、しかしぽんこつマンにとっては、忘れがたい甘く切ない記憶となった旅であった。その日の午後のフライトでバンコクに戻り翌朝のフライトで日本に帰国するのだが、空港を離陸した飛行機の窓からぽんこつマンはテンパサールの街を雲に隠れて見えなくなるまで見下ろし続けていた。バンコクに到着した時には既に陽は落ち、闇に包まれていたがモーターウェイの灯りや対向車のライトがやけに眩しいと感じた。バンコクのホテルまでのタクシーの中で近いうちに再びバリ島を訪れよう、そしてもう一度彼女に逢おうと思った。

ぽんこつマンがアジアに堕ちた経緯②

ぽんこつマンの現在の連れ合いになっている女性と初めて知り合った20世期末に日本で婚姻関係にあった女性から離婚を求められ、すんなり離婚を決めることになった。離婚の直接の原因は未だ不明だが、ぽんこつマンの当時の仕事があまりにも多忙で、大阪にあった職場から東京への頻繁な出張と大阪での午前3〜4時までの超過勤務、はたまた海外への出張も相まって自宅にいる時間が極端に少なかったことも離婚の原因の一つだったのだろう。

しかしながら、離婚が成立したことでそれまで毎年2回はハワイへの休暇を守っていた時間がすっかりハワイでなくても良くなり、時差の少ないアジアへの国への休暇が増えていった。海外出張で覚えたCASINOでルーレット遊びをマカオや仁川、ソウルなどで楽しめることもあり、そちらにもしばしば出かけた。特にマカオは、中国返還前から足を運んでいたところで、香港からフェリーで簡単に行けたこともあり、深夜には銃声が聞こえるなど中華系マフィアの抗争とも思える事件もあったタイパ島の、少し危うい香り漂うリスボアホテルのカジノによく出掛けた。今から20年半前の1999年12月に中国に返還となったが、当時はコタイ地区はなくタイパ島の旧エリアにはスパやサウナ、夜総会といった風俗があり、中国人はもちろんアジアの様々な国の嬢と躰を絡める事ができる。またリスボアホテルの地下通路には、かなりのレベルの美女が客引きをしていた。最近は相場が上がっていると思われうが、当時は500HK$でその美女が使うホテルの部屋で遊ぶ事ができるのだった。

カジノで泡銭が出来れば、サウナに行くかリスボアの地下通路の美女としっぽりを楽しむのだが、必ず勝てるわけでもない。それは韓国ソウルでも仁川でも同じでカジノで遊ぶことに熱中し過ぎで風俗遊びができないことも多かった。

タイでのオキニになった現在の連れ合いの元へも年に数回のペースで通っていたが、飛行機はそのオキニが住むチェンマイには私が働いていた大阪からのダイレクトフライトがなく、仁川を経由して大韓航空でチェンマイに入るかバンコク を経由してチェンマイに入るかの選択はどんどんバンコク経由が増えていくことになった。

それはバンコクにはゴーゴーバーもバービアもカラオケクラブマッサージパーラーもチェンマイと比べ物にならないくらいの数があり、比べ物にならないくらいの美女にも巡り合える機会が多いということだ。

こうしてチェンマイに滞在する前後をバンコク で過ごす機会が増えていった。そしてチェンマイの連れ合いには内緒で土日こっそりバンコクで過ごす機会も増えていった。土日をバンコクで過ごす時は、金曜日の深夜大阪発BKK早朝着便へ向かい、日曜日の深夜BKK発大阪早朝着の便を使うのだが、ぽんこつマンもどんどん年齢を重ね深夜フライトでは眠る事ができなくなり、月曜日バンコク早朝発で大阪正午近くに着く便にする事が増えた。

今から15年ほど前は、早朝バンコクに到着後タクシーでゴルフ場に行き、1プレイしてからホテルにチェックイン。土曜の昼下がりに遮光カーテンを閉じて一眠り後夕方からナナプラザやソイカウボーイへ出かけて遊ぶパターン。当時バンコクでのゴルフで一番驚いたのは、コースに到着後客待ちしているキャディーをカラオケやMPの女の子を選ぶと同じように、自分で選択するシステムがあるコースがあり若くて可愛いキャディーを集めていることだった。

最近バンコクでのゴルフはあまりしていないが、今でも記憶しているコースの一つがパンヤインドラ(http://www.panyagolf.com)。プレイ中に「19番ホールも一緒にプレイできるのか」と尋ねたら、「一緒にご飯を食べてホテルまで行ってくれる女の子もたくさんいる」とのことで、プレイ中に金額交渉してお持ち帰りとなるとのことだった。

http://www.panyagolf.com/en/contact-us/ から引用

ぽんこつマンは、深夜フライト後の早朝ゴルフなのでゴルフのプレイ後は夜の出陣のためホテルで休む事をいつも優先したのだが…….。

バンコク市内の遊びは、夕方5時くらいに軽く飯を食べ、まずはバービアへ。バービアで2〜3時間ほど飲んで、夜の8時に開くゴーゴーバーへ。バービアはナナプラザ界隈、ゴーゴーバーはソイカウボーイがぽんこつマンのパターンに定着した。バービアをでてソイカウボーイへ向かう時はほぼ歩き。肝心のホテルいつもはスクンビットソイ3からソイ33くらいまでのエリアで探していた。BTSが無くなる午前0時を過ぎても歩いて帰れる距離と安全を考えてのことだ。ソイ19のThe Key Bangkok(http://www.thekeybangkok.com/en/?utm_source=GMB&utm_medium=HotelHomePage), Sacha’s Hotel Uno(https://www.sachashotel.com), アソーク交差点に近いSukhumvit Suites Hotel(http://www.sukhumvitsuitesbangkok.com) などはソイカウボーイからペイバーした女の子とでも歩いて帰れる距離にあり、ジョイナーフィーも無く良く定宿として利用していた。

ソイカウボーイで日本人好みの女の子が多いゴーゴーバーは、当時からBACCARAだったと思う。最近は韓国人、台湾人、中国人の客が幅を聞かせて日本人は肩身が狭いが、15年ほど前は日本人客は、「優しい」「ケチじゃない」「乱暴じゃない」「しつこくない」と評判は良かったと思う。ぽんこつマンもBACCARAでペイバーした女の子が一番多い。ある時は一人の女の子に惚れ込んだこともある。そしてもう一軒ぽんこつマンが通ったゴーゴーバーがTilac-Barだ。この店はダンサーのレベルは高くないが、ホステス(客を席に案内し飲み物の注文を取る役)に面白おかしい女やババアがいて、一緒に飲むと楽しく過ごせる。ペイバーだけが目的だと残念な事が多いが、楽しくお酒を飲みたいというなら夜10時まではHappy timeでドリンク代も80Bahtと割安だった。ただしレディスドリンクはhappy timeの料金にはならないので、ホステスやダンサーにガンガン飲ませると、結構良い金額になることに注意してほしい。Tilac-Barは、草彅剛主演のテレビドラマ(CX系)「銭の戦争」の一話に日本人の金持ちを騙す舞台として登場する。

バンコクにもエスコートクラブ(https://www.newbangkokescort.com/girls/ 他)があり、ネットで事前に女の子を予約して一緒に遊ぶ事ができる。ぽんこつマンもモノは試しと一度使ってみた事がある。エスコートクラブの女の子は、2時間、4時間、6時間、10時間、24時間と利用時間が長くなればなるほど時間あたりのコストが安くなる。ぽんこつマンは一人の女の子を選んで24時間を依頼した。今日改めて見てみると24時間では12,000Baht になっているようだが、当時は24時間で8,000Baht だったような気がする。ぽんこつマンが空港に着いたら迎えが来ていてバンには既に予約した女の子が待機していた。ネットの写真で見たより多少ふっくらして年齢も少し高めと思えたが、充分満足できるコケティッシュな雰囲気を持っていて、宿泊先として予約していたコンドに到着後、飯を食いに出る以外はずっとセ●クスもその子はOKだった。24時間の擬似恋愛遊戯はあっという間に経って別れる時間はやって来た。本当は直接の連絡先交換は禁止なんだろうが、彼女は快く電話番号を教えてくれ、写真も赤外線通信で送ってくれた。あくまでも女の子が嫌がることを強引に要求せず、紳士的に接したことが彼女には好印象だったのかもしれない。ただその後、彼女と再会することはなかった。当時は既にお気に入りのゴーゴー嬢がいて、ずっと彼女を追いかけていたかったからだ。

かくしてぽんこつマンは、バンコク=クルンテープ(天使の都)という魔都の魅惑に沈んでいくことになる。

ぽんこつマンがアジアに堕ちた経緯⓪

あれはいつのことだったか、すでに確かな記憶はない。まだ日本では携帯電話の普及がそれほどでもなかった頃で、たぶんぽんこつマンが関西セルラーを持ってさほど経過していない頃だったと思う。関西セルラーが誕生したのが1987年らしいので、多分1989年あたりではないだろうか。当時日本はバブル経済の真っ只中。まだハリソンフォード出演のCMで一気に知名度を上げたツーカーホン関西ができる前だったと思う。当時は仕事仲間と夜はよく羽目を外すことが多かったが、特にタイポップスが流れるタイフードとタイビールを飲める店で、タイ旅行を主催する旅行会社の人や、タイ政府観光庁の女性職員、在日タイ領事館の女性職員と午前3時〜午前6時くらいまで飲み明かす日がかなりあった。

ある日のこと、タイ政府観光庁の女性職員から「いつもは旅行関係者ばかりをタイ旅行に招待してきたが、次はメディア関係者を招待することになった」「行かない?」とぽんこつマンと一人の友人Sがタイ招待旅行に誘われた。それまで国内のタイ料理やタイバーへはよく出かけていたが、タイ王国に行ったことはぽんこつマンは無かったのだった。「えっ、俺たちメディアの人じゃ無いけどぉ」と答えたが、「広告関係もまぁメディア関係ということで、上に了解取ってある」となり、その招待旅行に参加することになった。当然自分たちの仕事では無いので、休暇を取っての参加であった。

旅程はプーケット2泊、ホアヒン2泊、バンコク1泊だったかなぁ。当時、タイ政府観光庁は特に女性向けにホテルでの高級スパ体験や男性には王様気分を味わうようなプレーヤーに1人〜2人のキャディーがつくタイゴルフを押していて、プーケットはドゥシタニ(https://www.dusit.com/dusitthani-lagunaphuket/ja/)、

ホアヒンはヒルトン(https://www3.hilton.com/en/hotels/thailand/hilton-hua-hin-resort-and-spa-HHQHIHI/index.html?WT.mc_id=zELWAKN0APAC1HI2DMH3LocalSearch4DGGenericx6HHQHIHI)が用意されていた気がする。

プーケットでもホアヒンでも2日目の朝はゴルフがセッティングされていて、夜はホテルでパーティーがありゴルフコンペの表彰式もあったことを覚えている。ぽんこつマンと友人Sはその豪華旅行を十分に堪能したが、それでも自由な時間はホテルを抜け出し、街場のタイマッサージやバービアを梯子した。プーケットパトンビーチのバービアで友人Sは見た目超綺麗な娘(実はレディーボーイ)に捕まり、次の飲み屋に連れ出すことになったが、一軒行ってさてホテルへ連れて帰ろうと友人Sが話かけてきた時に、たまたまタイ政府観光庁の女性職員に「あの娘は男よ。喉仏見てみて」と打ち明けられ、友人S はお持ち帰りを辞退した。ホアヒンでは、プーケットの失敗が後を引いたのかサムローに乗り現地の置屋にまで足を運んだが友人Sはその気にならず、ぽんこつマンだけがプーケットでもホアヒンでもお持ち帰りした結果になった。

いよいよ招待旅行の最終日、バンコクの日となった。ホテルは、チャオプラヤ川沿いの5つ星だった気がしたが、記憶が定かでは無い。この日は、ホテル到着後自由行動だったのでぽんこつマンと友人Sは、当時のガイドブックを見てナナプラザに出かけた。

1階から3階までほぼ全ての店を覗いて何軒かのゴーゴーバーやバービアに連れ立って入り、一巡りしたところで2時間ほど互いに自由行動とした。ぽんこつマンは、今はもう店が変わってしまっているが一階(GF)のセンター奥にあるバービアで J と名乗る身長160cm位の可愛い娘に目が止まり、そこで飲み続けた。友人S は、現在NEW ROLLIPOPとなっているゴーゴーバーの前にあるテーブルに座っていたウボンラチャタニー出身のイサーン娘が気に入ったようだ。深夜1時を過ぎた頃に待ち合わせをしていたので、お互いペイバーしてホテルに戻った。

ぽんこつマンはかなり酔って気分も昂揚していた。まだタイ旅行に不慣れだったため、フロントで鍵を受け取る時にペイバーした女の子の身分証明書を預かるシステムが今ひとつ気に入らなかった。通常ならショートでやることが済めば女の子を解放し女の子は身分証を受け取ってホテルを出るので特にこれまでは何も言わなかったが、ぽんこつマンはその日はチェックアウトの時間まで一緒に彼女と過ごすつもりだったので、宿泊を共にするゲストだと主張し、「身分証明を提示し、名前を記帳すればよく何も預ける必要は無いのではないか」「チェックインの時間がずれているだけ」と、フロントマンに噛み付いた。結果は彼女がもういいといって身分証を預けてしまったが、タイ女性を身なりで客と一線を引き夜伽女と決めつけるタイのホテルシステムがおかしいと思ったのだ。日本においては、ダブルで予約された部屋に後から女性を連れて入る時、その女性の身分証を預けろとは言わないだろうから。その状況を見ていた友人Sは、ぽんこつマンのことをあの時のタイ人女性へのホテル側の偏見に一石を投じた発言には感心したと今も言ってくれる。今では客の安全を確保するために、夜を過ごすためだけにやってきたと思える人の身分証を預かるというシステムは理解できるんだがね。

ぽんこつマンと友人Sはこうしてその夜限りのパートナーと部屋に入った。J と名乗るぽんこつマンのパートナーは静かにベッドに腰を下ろした。ぽんこつマンはその傍に寄り添い座り、髪を撫で手を握り手の甲にキスをした。この時、ぽんこつマンは英語を少し話せるだけで J も簡単な英語が話せるだけだったが、その後の言葉はほとんど必要としなかった。微笑んで彼女の顔を覗けば、彼女は少し恥じらいながら微笑み返す。彼女の首に優しく手を沿わせ唇を奪ったら彼女の舌がぽんこつマンの口にするり入ってきて濃厚なキスになる。彼女の手が私の背中に回り私も彼女の背中に手を滑らせる。私の手が彼女の腰辺りに進んだ時に彼女は、ベッドにゆっくりと倒れ込んだ。

二人はベッドの上でお互いの躰にまとわりついている衣服を剥ぎ取っていく。少し褐色の内腿にはバラの花、背中肩越しにはバタフライが鮮やかに彫られていた。

ぽんこつマンはそのタトゥーが彫られた肌にキスし、手をとってシャワーブースにJを誘った。お互いの肌に石鹸を滑らせ抱き合った。やがてぽんこつマンの指が J の秘部に触れる。熱い。秘部からは既に濃厚な蜜が溢れ出していた。激しいスコールに打たれているかのようにシャワーを浴び汗を洗い流した肌からは石鹸の甘く切ない香りが漂う。二人は備え付けの少し上等なバスタオルで軽く体を拭きあい、再びベッドへ倒れ込んだ。バスタオルを剥がすと熱くなっている躰をエアコンの冷気が滑っていく。

二人の躰は激しく絡み合い、唇は互いの躰を求めあう。もう J の秘部は愛の蜜に溢れ、ぽんこつマンの膨張した突起物を迎えようと波打っていた。ぽんこつマンはゆっくりとその逸物を の秘部に当て少しずつ中へと沈めていった。愛の蜜はさらに増え、抜き差しのたびに隠微な音を立てている。クチュッ、、、、グジュッ、、、、ジュルッ、、ズビュッ、、グジュッ、、、、、。角度を変え体位を変え、幾度となく喜びを味わった。その感触は、ぽんこつマンがこれまで味わってきた感触の中で最上に位置するものであった。

翌朝、二人は別れを迎える。部屋を二人で出てゆっくりと扉が閉まるのを確認し、ホテルロビーへ向かう。フロントで彼女は昨夜預けた身分証を受け取った。ホテル玄関まで二人は無言で進み、ドアボーイがドアを開けたところで再びきつく体を抱き合った。その時二人は情婦と客ではなく、恋に落ちた関係を互いに感じていたに違いない。当時は、携帯電話こそあったもののスマホもSNSもなく、国際電話料金は個人としての負担が大きすぎてかけることもできず、日本へ帰国してからの連絡手段はE-mailのみ。彼女が街のネットショップのPCで自分に来ているE-mailを1週間に一回くらいチェックし、返信するということでしか連絡はできなかった。

それまでは年に2回はハワイへ10日ほど休暇に出かけていたが、J に巡り会ってから休暇が取れるならタイに行って J に会いたいという衝動が生まれるようになった。それからしばらくして日本では当時まだ婚姻関係にあった妻が、突然離婚してほしいと言い出した。理由は一切言わなかったが、5年前に流産しその年の年末に子宮頸癌が見つかり、子宮摘出手術を受けていた。がん摘出から5年経つまで離婚を切り出すのを待っていたと言われ、そこまで思い詰めているならと離婚に応じることにした。ハワイへの休暇はその当時の妻との結婚当時からの約束事だっので、離婚が成立してからはハワイへ行く大きな動機が消えていた。こうしてぽんこつマンは休暇が取れる時はタイへと向かうようになったのである。

その後 J とは数回会えたが、ぽんこつマンの仕事が忙しくなり海外を転々としているうちにしばらくメールを送れなかった。まぁ、ナナプラザのバービアに行けばまた会えるだろうとタカを括っていたが、しばらく空いてしまってメールを入れても返事が来なくなった。バンコク を訪れるのが1年以上開いただろうか。ナナプラザのバービアにもジャックの姿は見えなくなっていた。店のママに聞いても、当時 J と一緒に働いていた女性に聞いても行方はわからないとのことだった。その後も何度となくE-mailを送ったが返事が返ってくることはなかった。Jを失った大きな喪失感は今も消えることはない。それほどJとの濃厚な恋の感覚は強くぽんこつマンの脳裏に刻まれている。ぽんこつマンがこうしてアジアに落ちていくことになったのはJを失ったショックからと言えるだろう。

ぽんこつマンがアジアに堕ちた経緯①

それはぽんこつマンがまだぽんこつになる20年くらい前、1998年だったと思う。仕事のつながりで日本の冬にグリーンな芝のロケーションを探すことになり、日本の冬が夏であるオーストラリアのコーディネーターにロケーションリサーチを依頼していたが、既にタイの魅惑に触れていたポンコツマンは、会社に休暇を申請しタイのゴルフコースを北から順に巡る旅を計画した。最初にチェンライ、そしてチェンマイと移動して5つくらいのゴルフコースをプレイした。チェンライではサンティブリカントリークラブとウォーターフォード ヴァレー ゴルフ コース。

1日1コースを朝から廻るので、当然昼からは飯を食う、酒を飲むということになる。チェンライ、チェンマイでタイマッサージはもちろん、マッサージパーラーやゴーゴーバー、カラオケにも行ってみた。

当時はタイ語が話せるわけでもなく片言の英語だけがコミュニケーションの手段だったが、当時は臆することもなく昼飯を食べた午後2時くらいからいかにも怪しいドアを開けてマーサージパーラーの金魚鉢を覗きに行った。それまでタイ人は日本人より肌の色が黒いものと思っていたが、当時この北部タイの歓楽場には、途方もなく透き通るような白い肌を持つ女性が働いていることを知った。

ちょうど5日目の夜、今はあるかどうか定かでは無いが、Olivia、Olivia2(現在は閉店して長く跡形もない廃墟となっている)といったカラオケバーがチェンマイのチェンマイランドというエリアにあり、宿泊先のホテル(インペリアルメーピンホテル)からトゥクトゥクに乗り、カラオケクラブOlivia2に行ってみた。

ぽんこつマンはカラオケを歌いたいわけではなく、カワイイ女の子と仲良くなりたいということで出かけたが、午後8時ごろ店のドアを開けたら女の子が集まったばかりらしくまだ着替えていない女の子もいて慌ててソファーに集まってきた。一人でやって来た日本人らしき男を見てみんな指名を貰おうと必死に笑顔を作っていた。

私が選んだ女の子は、小柄な丸顔の子。なんでも店に一人でやってくる日本人はまずいないらしいことを彼女は拙い英語で話してきた。ビールを頼んで乾杯し、30分位その店で過ごして彼女をペイバーした。ホテルに一緒に戻り、朝まで過ごす。朝ごはんをホテルで二人で食べて、彼女の家に行くことになった。サンカンペーンにあり、そこに母親と過去にタイ人男との間に生まれた一人娘がいた。当時は初めての東南アジアで知り合いからも情報誌からも食当たりに注意するようにとの情報を得ていたので、その子の家で出された一杯の水も一口触れて、それ以上飲まなかった。結果この日はゴルフコースに行くこともなく、その子とは連絡先を交換してホテルに戻った。

こうしてぽんこつマンのアジアへ落ちる生活は始まった。その翌日、ゴルフコースから帰って来てチェンマイ市内にあるギャラリーカフェという店にお昼ご飯を食べに出かけた。そのカフェで静かに読書をしながらお茶を飲んでいる女性の隣のテーブルに一人座った。どんな女性なんだろうと視線を送ったら偶然目と目が合ってしまった。お互いに微笑み、簡単な英語で話かけてみた。彼女の答えは、昔、「この辺りは田舎から出てきて住み始めた場所」で「久しぶりにこの店に来た」との事だった。私はゴルフコースを下見する旅をしていることを話し、「良ければ今晩の食事を一緒にしないか」と誘ってみた。

答えは、なぜかOKだった。その晩またその店の近くにあるグッドビューというピン川に面したレストランで食事をした。彼女は身長が小さいことを気にしているが、ぽんこつマンは身長の大きい子はさほどタイプではなかったし、何より彼女の胸の膨らみ、そして声と仕草が妙に気になっていた。彼女は当時チェンマイに一人で住んでいて、食事の後も特に家に帰る必要もないとの事だったので、ホテルに誘ってみた。ホテルについてフロントで鍵をもらうときに、フロントレディーがクスッと笑ったような気がしたが、どうも昨日の女性と違う女性を連れてきたのがおかしかったのかなと思った。

こうしてぽんこつマンはアジアに堕ちる道を進み始めた。翌日はバンコクに飛び2日後は日本へ戻る予定だった。翌朝になりホテルをチェックアウトし、空港へ向かう時も彼女は私についてきた。妙に彼女に愛おしさを感じたのを今も覚えている。荷物を預けフライト時間が来るまで空港の珈琲ショップで彼女も同じ時間を過ごした。そしてとうとう出発の時間が迫ってゲートへ向かう時に彼女に手を振ったら、それまでおとなしい笑顔を見せていた彼女の目に涙が光っていた。

結果彼女とはその後も幾度となく会うことになった。彼女は実はぽんこつマンの現在の連れ合いになっている。その日から数年は年に数回チェンマイを訪ね、彼女のアパートで寝泊りする生活が続いた。