スマホアプリSkout で出逢ったフィリピーナ

オロンガポに住んでいるフィリピーナをスマホアプリ Skout で見つけてオンラインで色々話し、実際にに飛んで濃厚なオフパコ体験に成功した後も、他のフィリピーナをSkout で探していた。フィリピンにはカジノもある。ゴーゴーバーもある。身体を売りにしている女の子もたくさんいて、時間とお金さえあればどんな男でもモテ体験は可能である。

しかしぽんこつマンはゴーゴー嬢やコールガールとのベッドでのお遊びも楽しみたいが、実はある意味ローカルフィリピーナとの恋愛ゲームも楽しみたかった。Skout で仲良くなってLINEを交換した女の子の中には、女子大生もいた。サポートを望んでいるシングルマザーもいた。高校を卒業したばかりで日本のアニメが好きすぎて、京都の大学に通っていると詐称している女の子もいた。とにかくSkout に写真が上がっている女性で比較的可愛いと思える18−35歳の女性にかたっぱしからアタックしていた。マニラ近郊の女性が多かったが、セブシティーやダバオの女性もいた。マニラ近郊では、オロンガポの他に、マニラ近郊ではマニラはもちろん他にパサイ、マンダルヨン、ケソンシティ、そしてアンヘレスよりさらに北北東に位置するサンホセという街の女性までいた。

ぽんこつマンはチャットが目的ではなくその娘と実際にあってデートする事が目的だったので日本からダイレクトで飛んでいける空港が近くにあることが条件になる。マニラ近郊の娘はマニラ、パサイ、マカティでデートできる。それ以上遠くに住む娘にはマニラに来れるかどうかが選択の条件になる。

彼女たちの本来の目的はなんであれ、彼女たちからすればずいぶん年上のぽんこつマンに会っても良いという女の子は何人もいた。そのうちの3人とはマニラで落ち合う約束ができた。中でもケソンシティに住んでいるが、マニラでのホテル待ち合わせ可能で当時の職業はツアーガイドとモデルをやっていると言う女性が次のフィリピン訪問の本命になった。

羽田からマニラへのフライトはANAのマイルを貯めることができるフィリピン航空を選択した。ホテルはネットで調べたレートの良い両替屋(*1)に近いマラテ、エルミタ辺りで部屋から海が見える三つ星ホテルを探した。

ぽんこつマンが選んだホテルは、上層階の窓からマニラ湾が望めるリージェンシー・グランド・スウィート。宿泊料金が高く無く便利なエリアにあるのが決め手になった。

マニラに到着後マラテで4泊する計画にした。ぽんこつマンは空港からウーバーを使ってホテルに向かい、一泊目はカビテに住んでいると言っていたシングルマザー(26)を部屋に呼んでいた。

朝、羽田を出発し、マニラには現地時間14時前に到着する。マニラの空港からは昼の時間であれば渋滞があっても1時間程度でマラテに着く。ホテルにチェックイン出来るのは16時くらいだろうと考えて、彼女を18時に呼んでいた。

ぽんこつマンはホテルにチェックインして、彼女とLINEで現在地を確認していた。彼女がマラテに入ったとチャットしてきたので、ぽんこつマンはロビーに降りた。彼女は18時を少し回ってホテルのロビーに現れた。彼女は昼過ぎに家を出たが渋滞でとんでもなく時間がかかったと言った。それは良いとしてぽんこつマンは少し空腹だった。「飯は何が良い?」と彼女に尋ねたら「フィリピン料理」と言ったのでホテルに聞いてそれほど遠くないフィリピン料理屋に出かけた。距離は1キロほどではあったが夜ともなれば暗い道を歩くのは多少危険を感じるエリアなのでウーバーを呼んで店まで行った。店はThe Aristocrat Restaurantという店。

客はフィリピン人だけだったと思う。彼女におすすめの料理を選んでもらった。ぽんこつマンには今ひとつうまいとは思えなかったが、フレンチフライを料理に皿から溢れんばかりにかかっていたグレービーソースを付けてサンミゲルライトで胃袋に流し込んだ。

飯を食い終わってホテルに戻ってすることはひとつ。ぽんこつマンはノースリーブで膝上までの丈の短いサンドレスを剥ぎ取り、そのボディーラインを見た。シングルマザーとは言え、ボディラインが崩れているというほどではない。しかしヘソからくっきり妊娠線が見えた。

シャワーを一緒に浴び、ベッドへ向かった。ぽんこつマンは少し乱暴に彼女の乳房を弄んだ。彼女はごく自然にぽんこつマンの行為を受け入れた。かなり濃い色をしている乳首と乳輪を軽く噛んでみた。彼女は「ウィ、」と声をあげ軽くのけぞった。彼女の局部に手を伸ばすと既に潤んでいて、すぐに挿入しても良さそうであった。

ぽんこつマンはあらかじめベッドのサイドテーブルに用意していたコンドーム を素早く装着し、足尾伸ばした彼女の上に乗り伸長位で膣口を探し当て、ゆっくりと挿入した。激しく深くは挿入できないが女性の太ももがペニスへの刺激をプラスして、スローなセックスに向いている。ぽんこつマンは徐々にフィニッシュに近づくのを感じて体位を正常位、屈曲位と変えてフニッシュを迎えた。

仰向けのまま天井を見ている彼女の局部をティッシュで拭ってぽんこつマンはザーメンをため込んだコンドームを外した。ふっと息を吐いて彼女の横に仰向けになったら、彼女が今シングルマザーになっている経緯を話し始めた。昔の恋人とコンドーム無しでセ●クスしたらすぐに妊娠した。メンスがなくなってそうかなと思ったが、病院で確認しなかった。そのうちつわりが始まり、その恋人は彼女の元から姿を消した。今は、もうその恋人のことをなんとも思っていないが、子供の面倒を放棄はできない。生活は大変だけどなんとか生きていると。なんだか湿っぽい話になって、ぽんこつマンは彼女に背中を向けてしまった。

ぽんこつマンは面倒な話になるのが好きではない。明日の朝は早く帰ると言っていた彼女を引き止める気は全くなくなっていた。

朝は5時に目が覚めた。彼女も既に起きていて、ちょうどブラをつけて、昨日脱がせたサンドレスを着ているところだった。ぽんこつマンが起きたのを見てそろそろ家に帰ると言った。何を使って帰るか聞くとジープニーに乗り継いで帰るという。フィリピンローカルには普通の乗り物だが、ぽんこつマンはタガログ語を話せないので乗ったことがない。今後も乗ることはないだろう。財布から3000ペソを取り出し「ありがとう」と言って彼女に渡した。さらに200ペソを取り出して、「これはジープニー代」と言って渡した。

彼女は少し寂しそうな微笑みを浮かべてハンドバックの奥深くへ3000ペソを沈めて200ペソだけを手に握り、軽く会釈し部屋を出た。それ以来、彼女からのLINEチャットは無くなり、ぽんこつマンも送る事は無くなった。

2泊目、3泊目は、Skout で見つけた本命をホテルに呼んだ。ツーリストガイドとモデルをやっているというケソンシティ住みの女性。正午にロビンソンプレイスでの待ち合わせ。

ぽんこつマンはホテルを正午10分前に出て歩いてエントランスに向かった。ロビンソンプレイスは11時には開店している筈だが、それほど混み合ってはいない。エントランスで彼女が来るのを待った。正午を5分過ぎたところでLINEしてみた。すると彼女はもう館内にいてエントランスを入って正面に見えるカフェの前にいるという。セキュリティゲートを過ぎ中へ入る。そこには新車の展示がされていてさらに少し奥へ行くと彼女が見えた。

初めましてと挨拶をして、お腹の空き具合を聞いてみた。すると「すごく空いてはいないけど、ジョリビー(Jollibee)に行く?」と返された。

そのJollibee(http://www.jollibee.com.ph)とはあのマクドナルドですら勝てないフィリピンのNo.1ファーストフードらしいが、入った事はなく、即答で「OK」と返した。ぽんこつマンはバーガーメニュー、彼女はライスメニュー。フィリピン人の口にはよく会うらしく、昼時はごった返していた。

彼女はモデルをやっていると言っていたので、165cm以上身長はあると思ったが、実際には150そこそこの小さな女性だった。しかし彼女は飲食にも興味があるらしくいつかはちいさな食堂兼カフェのような店を持ちたいと夢を語っていた。そしていつでもよく食べた。しばらくロビンソンプレースを散策し、その後両替のためにEDZENに行った。店の前には拳銃を持った屈強そうなガードマンがふたり立っている。5万円ほど両替した。

ぽんこつマンは、その国の物価を立ちんぼの売春価格で推定するクセがついていた。当時の日本の相場は、15,000円〜30,000円、タイでは1500Baht〜3000Baht、フィリピンでは、1500ペソ〜3000ペソ、インドネシアでは20万ルピア〜30万ルピア。上限の3という数字が同じ趣を持っていた。町場の屋台飯も桁は変わるが、ほぼ似ている。日本の立ち食い蕎麦屋は400円〜500円、タイのバーミーナムは35〜50Baht、フィリピンのフードコートのメニューは40ペソ〜80ペソ、インドネシアのミーゴレンやナシゴレンは、4万ルピア〜7万ルピア。ざっと日本の千円の感覚がタイでは100バーツ、フィリピン も100ペソ、インドネシアが1万ルピア、と考えれば当たらずとも遠からずと思っていた。

日本円で5万円は当時だいたい21,000ペソ。日本で21万円くらいのお金を銀行から下ろして持っているという事だ。フィリピンの紙幣は20PHP、50PHP、100PHP、200 PHP、500PHP、1,000PHPの6種類。露店マーケットやローカルマーケット、ローカルフードコートなど現金しか通用しないところも多いため常に現金は必要だが、あまり多く持ち歩いているところを見られると、命を落とすリスクも高くなる。

両替屋を出てとりあえずホテルに戻り、パスポートと15,000PHP、それに利用可能額を低く設定している1枚のクレジットカード以外をセキュリティーボックスにしまった。前回のマニラ訪問時に夜のマカティで遭遇したジャンキーの恐ろしい記憶が消えていなかったからの行動だ。

マラテ、エルミタ 界隈は、マカティ のグリーンベルト辺りのハイソな空気はなく、かなりこんとんとした気配が昼でも漂っている。それほどたくさん歩いたわけではなかったが、いつどこで危ない目に合うかわからないというムードの中だったので、ぽんこつマンは少し疲れていた。ベッドに倒れ込み少し休むことにした。彼女は部屋のテレビをつけ、タガログ語のチャンネルをチェックしていた。

晩飯の時間が近くなって、「シーフードを食べたい」と昼間話していたことを思い出した。スマホで探したらトリップアドバイザーのサイトの上位にランクされている店が比較的近くにあった。彼女にその話をしたら、「友達が近くに住んでいるから呼んでいい?」と言われた。

「OK」と返事をして19時に店の前で落ち合えるように連絡してもらった。店の名前は、ずばりSEA FOOD MARKET and RESTAURANT(https://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g298573-d819670-Reviews-Seafood_Market_and_Restaurant-Manila_Metro_Manila_Luzon.html) だった。

19時にレストランに入ったが、彼女の友達から少し遅れるという連絡があったという。先に店に入って、カニ、えび、牡蠣、と野菜の料理を注文した。料理がどんどん運ばれて白ワインと一緒に食べているところに、彼女の友達がやって来た。彼女の友達は、子供の世話があり時間がかかったと話した。なんでも3人の子供と旦那の4人暮らし。旦那は、マカティのステーキハウスでウェイターをしていると言っていた。かなりぽっちゃりしていて、いかにもフィリピンママという明るい女性だった。

彼女の友達は食事中に二度席を立った。ちょっと一服とタバコを吸いに行く。ぽんこつマンはこの数年前までハイライトのチェインスモーカーだったが、日本の正月にひどい雪の年があり、その時にタバコが切れて買いに行くのも面倒になったことをきっかけにやめてみたら、意外と禁断症状もなくあっさり辞めることができて、もう吸う事も無くりすでにタバコの匂いが嫌いになっていた。

自分が吸っていた時は考えもしなかったが、その時はタバコの匂いがある女とのセ🟣クスは、どうももう一つその気になれなくなっていた。

食事を終え、彼女の友人とはいったん別れて、ぽんこつマンとSkoutで知り合った彼女はホテルへ戻った。彼女の友人に比べて彼女は未婚でバストはかなりボリュームがあり、ウエストはそれなりに細かった。下っ腹が少し出ていると思ったが、日本人にもよくある程度でそれよりヒップの張りも良く、身長は高くないがナイスボディーだった。

彼女への土産にと日本の空港でVictoria Secret のショーツを買っていた。それをバックから出して彼女にギフトとして渡した。彼女の好きなブランドはチャットでそれとなく聞いていた。彼女は、土産の包装を見て見て「Wow!!」と驚いた後、包装をといて、「つけてみていい?」と付け加え、バスルームに行きそのショーツだけを身につけて、戻って来た。今まではコットンのノースリーブアッパーに隠れていた、豊満な乳房を片手で隠して踊りながら2mくらいのところまで来てポージングした。肌の色は日本人より少し褐色味をを帯びていたが、フィリピーナとしては白い方だと思った。

最近は、モデルの仕事はほぼなくなり、プライベートツアーガイドとして外出機会も多く、腕や脚は日に焼けていると恥じらいを見せたがぽんこつマンは、まだまだきれいな肌色をしていると思った。

ぽんこつマンがベッドに彼女を座らせて「僕はシャワーを浴びてくる」と言ってバスルームに消えた。シャツと短パンを脱ぎ、アンダーパンツも脱いでシャワーを浴びていると、突然シャワーカーテンが開き、生まれたままの姿になって彼女がシャワーに飛び込んできた。

シャワーの中でお互いの身体を洗い、絡み合った。身長の小さい彼女の片足をぽんこつマンは持ち彼女はもう一本の足を爪先立ちしている。片足の筋肉に力が入っているのがわかる。そのバレーダンサーの様な体位でぽんこつマンは腰を上下運動とグラインド回転を施す。深い挿入は難しいが、コンドームを装着する前のシャワーでのプレイでフィニッシュするわけにはいか無いので、5分ほどそのプレイをしたのち、ぽんこつマンは「ベッドの行こう」と彼女を誘った。

ふたりは軽くバスタオルで肌に残っているシャワーの水滴を拭い、遠くに何本かの高層ビルの明かりが見えるベッドにダイブした。ふたりはキスをしたまま体の上下を変える様に何度もローリングした。その旅にぽんこつマンの膨張した陰茎は彼女の恥骨にあたり、彼女の豊満な乳房の弾力がぽんこつマンの肋骨に響いた。

ぽんこつマンはその行程の中でコンドームを取り、装着しようとした。その時彼女は、身体を上下反転してシックスナインの形になりフェラチオを始める。充分な膨張を確認して彼女はコンドームの装着をリードした。自ら後ろ向きでそのペニスを自分自身の秘部に挿入した。

亀頭のくびれが膣口のアナル側に擦れる。グリン、グリン、グリン、、、。気持ちいい、グリン、グリン、、、。やがて彼女は180度回転し、正面で反り騎乗位。今度は彼女が「呻き声を上げる。亀頭のくびれがGスポットを擦っているのか?

ぽんこつマンは身体を起こして、対面座位に。後頭部に手を添えて抱き寄せると、彼女の豊満な乳房にある少し大きめな乳首が、ぽんこつマンのあばらを擦る。それから彼女を押し倒して屈曲位で亀頭を局部の奥へ押し当てる。彼女の呻き声が大きくなりぽんこつマンが腰を掴んでいる手にしがみ付いて来た。

彼女が頂点を迎えそうな気がした。最後は正常位で彼女の体を強く抱きしめ、ディープなキスを交わしながら互いにフィニッシュを迎えた。

翌日彼女とエルミタ のローカルマーケットに出かけた。途中で昨日の彼女の友達が合流した。彼女はそのローカルマーケットで調理器具を探していた。どうやらデザートを作る道具を探しているようだった。2時間くらいで大きなショッピングバッグがいっぱいになっていた。いったん荷物をホテルに預けて、3人でSMモールアジア(https://www.smsupermalls.com/mall-directory/sm-mall-of-asia/information/)に出かけて昼飯を食べた。

その後シティオブドリームス(https://www.cityofdreamsmanila.com/en)のカジノに行くことにしていたからだ。

当時はオープンしてそれほど月日は経過していなく、その豪華さはフィリピンで最上位だったかもしれ無い。ぽんこつマンはルーレット好きだ。ディーラーがトリックを簡単に仕掛けられるカードゲームは嫌いだし、マシンゲームは退屈でつまらない。

ルーレットはディーラーが次のナンバーを狙ってボールをスピンさせている事はなんとなくわかっていた。そのナンバーを読んでベットして的中した時の優越感は半端なくアドレナリンが噴出する瞬間がある。3人でカジノに入りルーレットのテーブルに進んだ。とりあえず4000ペソをクレイチップに交換した。ぽんこつマンは一回のベットで20枚くらいのクレイチップを3箇所くらいに張る。もちろんシュバール掛け(鞍掛)、コーナー掛け、横ライン掛けはするが、赤黒や奇数偶数、または縦ラインや上中下のアウトサイド掛けはほぼしない。それはディーラーが次にどこの数字を予想して楽しんでいるからだ。儲けるというよりディーラーをヒヤリとさせる的中の快感は比べるものがない。

彼女と彼女の友達がそばにいる時は、徐々に勝っていた。しばらくしてふたりが2回をみてくると言ってぽんこつマンから離れて行った。2時間くらい待っていただろうか。なかなか帰ってこない。そのうち一時は10000ペソくらいに増えていたチップも1000ペソくらいに減っていた。ようやく戻って来たので最後の1回としてディーラーがスピンしてから残りのチップを全て26番黒一点にベットした。ボールが何周かして速度を落とし、ディーラーが「No more bet」と言ってベルをちんと鳴らす。ピンに当たってナンバーホールに落ちる。いったん落ちたかの様に見えたボールがはじけて26番黒からゼロを超え5つ先の4番黒に落ちた。3時間で4000ペソのロストはよく遊んだほうだと言えるだろう。

カジノを出たのは17時過ぎ。マラテまではかなりの渋滞が予想された。ウーバーの中で夕食をどこにするかと言う話になった。彼女は「日本食がいい」と言った。彼女の友人も同意した。マラテにある和食をネットで探した。レメディオスサークルの処にタナベ日本食レストランという店がヒットした。

ホテル より手前にあったので行き先をホテルからそのレストランに変更してもらった。店について2階に通された。かなりの予約がある様で、どんどん席が埋まって行っていた。ぽんこつマンは日本酒をオーダーした。料理は刺身盛り、焼き魚、イカゲソの唐揚げ、だし巻き、それにわかめサラダそしてマグロの握り。彼女と彼女の友達は何やら定食を頼んでいた。日本食はたまに食べる様だったがなぜか刺身には手を出さない。もしかしたら、ラーメンとかの方が良かったかなと思った。今回以降彼女とは何度も会うことになる。マラテ近郊ではH2Oというホテルで3日一緒に過ごしたこともある。

部屋からマニラ湾に沈む夕陽が望めるH2O hotelの客室

マカティのY2 レジデンスホテルに何度となく連泊したこともある。

マカティにはマニラで有数のステーキハウスや美味しいラーメン屋もある。

食事を終えて、彼女の友達は帰っていった。ぽんこつマンは彼女と一緒にホテルへ戻る。シャワーを浴びてまた濃厚な1戦。明日は今回のマニラ最後の4泊目、彼女は明日の昼にケソンシティの部屋に戻る。明日の午後はもうひとりのSkout で見つけたマンダルヨンに住むというシングルマザーと晩飯の約束していた。

翌朝は午前9時半少し遅く目が覚めた。朝勃ちしていた。隣で寝ている彼女の肩をそっと持ち手前に引き寄せ唇を奪った。彼女はゆっくり目を開け、「ウフッ、」と小さく笑った。彼女は手をぽんこつマンの股間に伸ばしそこにある陰茎が硬くそそり勃っているのを確認した。そしてゆっくりしごき始めた。昨晩の濃厚なセ🟣クスの後、ふたりはシャワーを浴びて何もつけないまま抱き合って眠っていた。だからぽんこつマンが上になって、彼女の局部にぽんこつマンの亀頭をツンツン突きながら彼女の首筋からデコルテ、脇腹、乳房、乳輪、乳首、に唇と舌で愛撫を加えると、秘部の奥から愛液が溢れてくるのがわかる。

ぽんこつマンはベッドサイドテーブルにまだ残っているコンドーム を取り素早く装着して、彼女の花芯の奥へ亀頭を埋めていった。正常位で腰を少し高い位置から、遊園地のバイキングの様に円弧を描きスイングする。行き着いた先と抜けそうな位置で少しとまり、動き始めから加速して奥でまた止まる。そんな動きを繰り返した後、腰を低い位置に下ろし機関車のクランクの様に前後にピストンした。彼女の足を持ち上げ肩に載せる。屈曲位で彼女の子宮口に亀頭を届かせる。もう一度正常位で彼女と抱き合ってフィニッシュを迎えた。

そのセ🟣クス の後シャワーを浴びたら、午前11時を回っていた。彼女は初めて逢った日にお土産で渡したショーツをつけ、連泊のために持って来た3枚目のノースリーブドレスを着て帰る準備をした。部屋を出る前にホテルの廊下に通じるドアに寄りかかって激しいハグとキスでその日の別れを惜しんだ。

その後ぽんこつマンは、部屋にあるインスタントコーヒーをノンシュガーでひとり飲んだ。正午になっているがその時はそれほど空腹を感じていなかった。それよりも背筋と腹筋、それに大腿筋に疲労感を感じていた。今日マンダルヨンのシングルマザーと早めに夕食を取るまではファスティングしてもいいかなと思った。

今日出逢う予定のSkaut3人目の彼女とは17時にトリップアドバイザーで調べたパサイにあるSEA SIDEというレストランエリアのゲート前で待ち合わせした。海鮮を買って、いくつかあるレストランへ持ち込んで調理を頼むスタイルだ。そこはフィリピンローカルにも、海外からツーリストにも人気がある様だった。

ぽんこつマンは、夕方の移動ということで渋滞を予想し16時前にウーバーを呼んでいた。指定したレストランエリアには17時5分前に着いた。まだそれほど人で溢れていなかったが、どんどん人が自家用車や、ウーバー、タクシーでやってくる。一台のジープニーがゲート前に止まり、そこから目当ての彼女が降りて来た。

彼女は「待った?」と聞いて来たが「いや、今来たばかり」と答えた。実際に17時15分だったのでそれほど長く待っていたわけではない。なぜ約束の時間を15分しか遅れていないのにそんなことを聞くのか不思議だった。そもそも南国に暮らす人が時間に几帳面であることは珍しい。その理由は食材の海鮮を選びレストランで調理してもらっている時にわかった。

選んだ海鮮は、カニ(マッドクラブ)、ロブスター、中型エビ、ムール貝、牡蠣、ハタ系の魚。魚介を購入するとそれぞれのレストランの呼び込みがすごい。「シャチョー」「シャチョー」という言葉には構わず、自分の印象でレストランを選んで入る。

カニはカニカレー、ロブスターはグリル、中型エビはチリソース、ムール貝はスチーム、牡蠣は生、そして魚は唐揚げで注文した。料理とともに白ワインを1本頼んだ。ワインを開け料理が出来上がるのを待ちながら、彼女に「なんでさっきゲートで出会った時に『待った?』て聞いたの?」と話してみた。その答えは、1ヶ月前まで日本のフィリピンバーでキャストをしていたと答えが返って来た。ぽんこつマンは、それで全てを理解した。どんな形であれ日本で働いた経験があれば、日本人と接する時は時間を守ることが大事になる。少しでも約束の時間を過ぎていたら一応そのことに気がついていることを相手に伝えることが、最低のマナーと心得ているという事だった。

料理が出来上がってどんどんテーブルにやってくる。4人がけのテーブルにスペースがなくなるくらい料理がぎっしりと並んだ。お互いに取皿に料理を取り、味わった。朝も昼も食べていないぽんこつマンは、胃が縮んでいるのか、海鮮を選ぶときはいろいろ食べたいと思ったが、実際に目の前の料理が並ぶとたくさんは食べれなかった。彼女も「もうお腹いっぱい」と言って食べない。マンダルヨンの家には、一人の小さな娘と彼女の母が一緒に暮らしていると聞いた。豊かではないフィリピン人にとっては、カニやロブスター、エビや貝などは高級食材らしく普段の食事で簡単に取るということはないとも聞いていたので、「お土産で持って帰る?」と聞いたら「はい」と日本語で帰って来た。

彼女は今はいったんフィリピンに帰って来ているが、また近いうちに日本の前と同じフィリピンパブで働くと言っていた。その日は、昨晩からの背筋・腹筋・大腿筋痛もあり、そこまで彼女とセ●クスをしたいとは思わなかった。レストランを出て彼女は食べきれなっかった料理をたっぷりと持ってジープニーを待った。ぽんこつマンは、家までのジープニー代として200ペソを手渡してハグをと日本での再会を約束して、呼んだウーバーに乗ってホテルにひとり戻った。

日本に帰国後、彼女から日本で働いているフィリピンパブの住所を貰った。場所は豊橋近郊。一度は約束を果たすため、東京から新幹線でその店に行ったことがある。そこで見た彼女は、かなり原谷尻や二の腕に肉がつき随分ぽっちゃりになっていた。その後彼女は日本人と結婚し、その店のチーママになったと聞いている。今も彼女のLINEはあるが、ほぼチャットはしない。たまに彼女が働いているパブからのプロモーションがタイムラインに入るだけになっている。

こうしてこの4泊のSkoutで知り合った彼女3人との出会いマニラ訪問は、終わった。2番目の本命と考えた彼女とは、それ以降もマニラで何回となく会い、セ●クスをする関係になった。

しかしぽんこつマンのSkout でのアジアでの女の子探しは続いた。セブ、バリ、ジャカルタ、バンコク、そしてハノイが加わった。その経緯はそれぞれ別の記事で追って投稿するつもりだ。

ソイカーボーイでペイバーしたイサーン娘①

ソイカーボーイのBaccaraはかなり昔からゴーゴー嬢のレベルが高くいつも混雑している。バンコクで一番最初にオキニになった娘もBaccaraで知り合ったが、数ヶ月経った頃から彼女と店で出会える機会はどんどん下がっていた。彼女は知り合った当時20歳、ラムカンヘン大学の学生でもあると言っていた。出身はコンケーンとのことだったが肌の色も白く目鼻立ちもくっきりしていて、タイで美人と呼ばれる要素を全て持っていた。ぽんこつマンが知り合った時はまだBaccaraに入店して日が浅く、恥じらう姿もかわいいウブな女の子だった。しかし、バンコクの夜の街は、そんなウブな女の子をあっという間にプロのパパハンターに変貌させる。

ぽんこつマンが彼女を最初にペイバーして、その1週間後に再びペイバーした時は既に自分が人気があることを理解していたし、ぽんこつマンがいったん日本に帰国して1ヶ月後にまたBaccaraへ彼女を見つけに行った時には、すでにBaccaraでかなり人気の嬢に上りつめている風格を見せていた。自分をより魅力的に見せるためのメイク技術も身につけ、さらに頂上への階段を登る予感を感じさせた。しかし宝石や時計、バッグなどの身の回り品をブランド物に固めるようなことはなく、あくまでも清楚で可憐なムードは保っていた。

そんな彼女がさらに数ヶ月後には、Baccaraに姿をを見せることが極端に減って行った。それまではそれなりにあったLINEでのチャットにも既読がつかなくなることが増えた。他のゴーゴー嬢に彼女のことを聞いてみると、なんでも中華系の富豪に猛アタックされ、高額なサポートを受けていて働く必要はもうなくなっているという話が帰って来た。

そうか、そうだったのか。ぽんこつマンにはもう届かないところに行ってしまったのか。とうとう諦める時が来たと思った。実はそれから1年後にそれまで途切れていたLINEが一回つながった時があり、久しぶりに会いたいと伝えたら、会えたことがある。

以前より二の腕、頬、顎、腰、尻、太腿に脂が乗ってふっくらふくよかになっていた。その時に聞いたことは、もう大学に行っていないこと、現在は中華系の30代前半の社長のサポートがあること、これまで働いて貯めたお金で田舎のコンケーンに平屋のそれほど大きく無い家を建てる設計があること、今は既に高級自家用車(Mercedes Benz)を所有していること、などを教えてくれた。

見た目の清楚で可憐だったところがいちばんの魅力で、そんな彼女に引かれていたのだが肝心のセ●クスプレイは、相性がすごくいいということはなかった。再会した時も体を重ね合わせたが女としてすごく開発された感もなく、今後は生活力に富んだ賢明な母になるんだろうなと感じた。そして彼女とそれ以降会うことはなくなった。

その再会の半年ほど前には、同じBaccaraで別のオキニ嬢が出来ていて最初のオキニ嬢に未練は無くなっていたのだ。次のオキニ嬢もイサーン娘でコンケーンよりバンコクからさらに遠いウボンラチャタニ出身と聞いていた。年齢は当時28歳とBaccaraではかなり年齢が高く田舎に子供が居る嬢だったが、すらっと伸びた手足、細い首、細い腰、顎を少し上げた状態で立つと、その美しいボディーラインが際立ち、決して子供を産んだ女の崩れた体型は見て取れなかった。

しかしながらBaccaraでは、年齢のせいかそれほど人気があったわけではなく店でレディースドリンクをご馳走すると、丁寧なワイと笑顔を返してくれた。何度かペイバーし、ぽんこつマンを一人の上客として彼女が認め始めてくれていた。

彼女の実家はゴム農家で裕福ではなく家族のために毎日闘っているとよく話していて、金にシビアすぎるところがぽんこつマンには気になった。baccaraにはその後も何度となく行ったがオキニだけをいつもペイバーすることはこの頃から無くなっていた。二番目のオキニになっていた彼女は、それから2年くらいはBaccaraで働いていたと思うが、その後姿が見えなくなっていた。やはり年齢的に30歳を超えるとBaccaraという人気店でダンサーで指名をもらうのは厳しくなるのだろうか。

彼女の姿がBaccaraから消えて2年くらい経過した2018年にラインのタイムラインに彼女の投稿が上がっていた。久しぶりに連絡をしたら、今もバンコクにいてフリーランスで客をとっていると話していた。

「久しぶりだけど会ってみる?」と言ったらOK! という返事がすぐに帰って来た。「じゃ晩飯を食べよう。」というと昔ぽんこつマンと一緒にHuai Khwang(ホイクワーン)というエリアにあるソンブーン・シーフードという店で<プー・パッポン・カレー>を食べたことを覚えていたらしく、私がバンコクで住んでいるところの近くにもその<プー・パッポン・カレー>が美味しい店があるという。トントンというタイ(イサーン)料理屋で、ペッブリー通りとラマ9世通りを結ぶ南北の通りに面しているとのことで、そこで待ち合わせることにした。

待ち合わせ時間の午後8時に5分前に店に着いたら、彼女は既にテーブルでぽんこつマンの到着を待っていた。早速ビアチャン生3Lタワーといくつかの料理を頼んで、懐かしい話で盛り上がった。大量のビールを彼女もぽんこつマンもグイグイ飲んだ。1時間で食事も生ビールもなくなり会計を頼んだ時、彼女が「さぁ次は?」と言ったので「どこか行きたいとこあるの?」と尋ねたら「ウイスキーのボトルが入ってる店」と言ってまだ飲む気満々だった。向かった店はタワンデーンというタイ人には馴染みがある大きなバンドステージがあるパブだった。

このブログを書いている2020年6月時点はCovid-19による非常事態宣言令下にあり、臨時休業となっているがそのうち状況が改善すればまずあっという間に一杯になるだろうと思える賑わいぶりだった。物凄い大音量でタイポップのライブが演奏されていて、ステージにいる歌手や演奏者には頻繁に客がステージに近寄りチップを渡しに来る。

その店でほぼ空になったウイスキーをグラスに注いで彼女がもう一本ウイスキーのボトルを注文した。彼女はすごい酒豪だった。グラスの半分ほどウイスキーを注ぎ、氷を入れる。グラスの上部が少し空いているところにソーダを入れる。ほぼロックに近いソーダ割。それをグイ、グイと3〜4回ぐらいで空けてしまう。ぽんこつマンも酒は好きな方でかつては一晩で2升の日本酒を飲んだことはあるが、その時はもうそんなにはとても飲めなくなっていた。2時間でかなり酔ってしまった。彼女もそこそこ酔っていたようだが、店を出る時に「行く?」と誘って来た。長い間会っていないこともあったので、モノはためし、「いいよ」とあっさり返事した。そのタワンデーンという店があるパタナカーン通りを50〜100mほど東に歩いたところに、ロムレーンマンルートゥ(日本のモーテル)があり、そこにウォークイン。

基本は3時間、飲み物を頼んだりできる。彼女はそこでも大便ビールを一本グラスを2つ頼んだ。部屋代は3時間で300Bahtくらいだったか、ビール代と合わせて500Baht払って釣りはいいと言った。シャワーブースもキレイではないがそこそこ広い。日本ほど暑いお湯が出ることはないが、勢いはあった。モーテルスタイルなので宿泊も可能なのだろうがベットには上掛けの用意がない。彼女は先に軽くシャワーを浴びてぽんこつマンが後にシャワーを浴びる。ぽんこつマンがシャワーから出ると彼女はテレビを見てビールを飲んでいた。ぽんこつマンがベッドにあがると彼女は枕元に用意したコンドームに手を伸ばし、その行為の準備に入る。実に手慣れている。もう10年以上も体を張ってきているだけのことはある。細く長い指を持つ彼女の手がぽんこつマンの股間に伸び、玉袋と陰茎に刺激を加える。その絶妙なテクニックに酔っていたぽんこつマンのペニスはあっという間に充血し硬くそそり立った。彼女はその逸物に素早くコンドームを装着し、騎乗位でそれを自分の秘貝へ迎え入れる。グリン、グリン、スポン、シュポ、ズブゥ。彼女の腰はグラインドと上下運動を繰り返す。ぽんこつマンは両手を彼女の乳房に当てがい、内から外、外から内へと円を描くようにもみしだいていた。

10分くらいの騎乗位の後、彼女は四つん這いになり後ろからの挿入を求めた。ぽんこつマンはそれに応じ、後ろからズンと差し込んだ。蒸気機関車の車輪へ動力を伝えるピストンのように、ぽんこつマンの腰は激しく前後する。彼女のシリンダーはそのピストンの滑りを促すように愛液が溢れてきた。時折り膣口や膣壁がぽんこつマンの陰茎を締めつける。いつそんな技を身につけたのだろう。とても出産を経験した女性のものとは思えない秘部だ。最後は、正常位そして屈曲位でフィニッシュした。

部屋で少し気が抜けたビールに口をつけ、ハグした後に二人は部屋を出て、それぞれの帰路についた。ぽんこつマンが自分の部屋に戻った時は午前2時を回っていた。それ以降彼女からちょくちょく連絡がきた。多分酒を大量に飲ませてくれる都合の良い男がそうそう多くはいないのだろう。次に彼女に会ったのはその時から半年経ってからのことだったと思う。

バリ島サヌールでのインドネシア初ナンパ

2015年頃には、ぽんこつマンはバンコクでオスの本能がピークを迎えていた。タイ以外の異なるアジア諸国の風俗を調べてるうちにぽんこつマンはサーフィンには全く興味がないがバリ島娘への興味が出て来た。バリの女の子はバンコクの女の子とどう違うのだろう?性格の差、見た目の差、性に対する意識の差などを実際に感じてみたくなった。

そうだ!バリに行って見よう!! そう決めた時は日本が既に晩秋を迎え、人肌の温もりが恋しい季節に変わっていた。この頃勤務地が東京に変わっていて、TYO→BKK→CNX→BKK→TYOとタイへの旅程を初秋の頃に決めていたが、東京バンコク間はANAの特典マイルで取っていたので東京に戻る前にバンコクからバリへの2泊を追加を決め、タイ航空のフライトをネットで探した。当時はタイ航空のバンコク〜テンパサール間は1日2便あったように思う。バンコク を午前出発しテンパサールには現地時間夕方に到着する便も比較的安価で買えたので即予約を作った。ホテルは近くに置屋があるとの調べがついたので朝日が見れるサヌール地区の3つ星をとった。

空港からタクシーでサヌールのホテルに直行してチェックイン、荷物を置いて近くにあるバーに行った。カウンターに座り、ビンタンビールを注文した。隣に女性がいたので英語で話しかけたら、なんだか話が通じてバリ島でおすすめのディナーを聞いたら、ジャンバランでシーフードがいいと勧められた。一人で行くのもつまらないので明日一緒に行かないかと誘ったら、気さくにOKとなった。その日はホテルに戻り静かに寝た。翌日は朝早くサヌールの海岸を散歩。昼近くにホテルでバイクを借りて、あらかじめ調べてあった置屋へ向かった。飛行機の移動の疲れがまだ十分に取れていないのだろう。だが体はヘトヘトでもチ●コはギンギンだった。いわゆる疲れマラ。部屋に入る前に女衒が女をバイクの尻に乗せてやって来た。特に可愛くはないが精子を出したい衝動もあったしせっかくやって来た女の子を返すのもかわいそうだと思い即OKにした。いくらだったかははっきり覚えていないが高くはなかった気がする。愛想は悪くなく、英語はほぼ通じないがやることは世界共通、ボディーランゲージでその場を乗り切った。その夕方は昨日約束したジャンバランでのディナーがあるのでホテルに戻って準備した。待ち合わせは昨日出会ったバーの前。タクシーを呼んで出かけたら、店の前に彼女は既に来ていて、その足で一緒にジャンバランに向かった。車内でどこに住んでいるのか?どんな仕事をしているのか?何歳なのか?出会ったバーにはよく来るのか?今日は自分の部屋からバーまではどうやって来たのか?などを話した。

何分くらいタクシーに乗っていたか分からないが、ノリのいい英語での会話が弾んであっという間にジャンバランビーチにあるレストランに到着した。入り口を入るとシーフードが陳列されていてその中から選んで料理を決めて注文した。その足でビーチにあるテーブルに案内され、飲み物のメニューが出される。ぽっんこつマンはワイン好きなので、白ワインをオーダーした。彼女もワインが飲めるらしくふたりで2本のワインを開けた。ビーチについた頃はまだ太陽が沈んでいなかったが、2本のワインがなくなった時は既に夜10時を過ぎていた。彼女の仕事は身体障害者のバリ旅行の企画運営を手伝っていると言うことだったが、たまたま今は新しい旅行者からの依頼がないので、バリの友達が働いているサヌールのバーに遊びに行っているとのことだった。彼女の出身はバリではなくジャワ島、バリ島出身ではないと言うことはヒンズー教ではなく回教徒だが、バリにいる時はスカーフ(ヒジャブ)をしないのだといった。彼女の話は興味深く、しかも明るい性格が気に入った。

そろそろ帰ることにしようという話になってレストランにタクシーを呼んでもらった。彼女の部屋はテンパサール市内にあるとのことだったが、バイクをサヌールのバーに置いて来ているので、その晩はぽんこつマンのホテルに泊まっても良いと言って一緒に戻ることになった。ホテルに一緒に戻ると言うことは、、、、、、、、、、、。今日は昼間に置屋で抜いて来ているが、、、、、、、、、、夜にも激しい体液の交換が待っていた。

今でも彼女との濃厚な時間は脳裏に残っている。温かくしっかりとホールドされたぽんこつマンの逸物の根元から亀頭に向かって肉ヒダがうねり上がっていく。日本人には滅多にない乳房のハリ、腰のくびれに触れるか触れない程度に手のひらを這わせると微かな呻き声と同時に腰をそらせ、亀頭を子宮口に当たりやすくする動き。正常位から片足屈曲位、騎乗位、後背位、寝バック、後側位、座位、両足屈曲位、スロー、、、スロー、、、、、スロー、、クイック、スロー、、、スロー、、、、クイック、ぽんこつマンが変拍子で打ち込む。彼女は全身を小刻みに震わせながら、体に突然走る快楽のショックに耐えていた。絞り上げるように強く握りしめるシーツ、ぽんこつマンの体を引き寄せようと彼女の指が背中、腰に食い込んでくる。合わせる肌は、強い空調の中でも熱く火照り、互いに汗ばんで絡み合った。

一戦が終わったのは午前1時より少し前。当然コンドームを装着しての一戦だったが、彼女はぽんこつマンが果てた暫く後に、次は、中で出さないなら「生でも良い」とささやいた気がした。そのままふたりは抱き合いながら眠りに落ち、朝を迎えた。ふたりが目覚めたとき時計は6時をまわっていた。昨夜の名残が消えていないのか、彼女の手がぽんこつマンの股間に伸びて来た。すぐに股間に血流が流れる感覚があり、再び膨張がはじまる。とっさに彼女はその張り詰めた肉坊をくわえ、フェラチオがはじまる。ぽんこつマンは下から彼女の秘部へ舌を這わせ、クンニで応える。やがてシックスナインの体勢から騎乗位での挿入がはじまった。コンドームの装着は無かった。体位はやがて後背位へと変わり彼女の裏G スポットあたりを突き上げた。昨日は昼と夜に合わせて2回射精しているので、誤って中で発射することはないだろうと思ったが、まだ微かに昨夜のジンジンとする感覚が残る中での2度目のセ🟣クスは腹上死を連想させるほどの快感に満ちた疲労感の中で最後の一瞬を迎えた。発射寸前の勢いある力強いひと突きの後、抜き出された亀頭から昨夜よりも少し透明感がある精子が彼女の背中に放出された。彼女はその瞬間に立てていた膝を崩しうつ伏せになって暫く放心していた。ぽんこつマンは荒い呼吸の中でティシュを取り、彼女の背中に放出された体液をゆっくり優しくと拭い取った。

目覚めた時より太陽が30度近く高くなっていた。ふたりは一緒にシャワーを浴び、水しぶきの中で唇を、肌を、強く重ね合った。甘いオレンジジュース、濃いコーヒー、スクランブルエッグとベーコン、そして薄いトーストの朝食をホテルの中庭で取った後、彼女は名残惜しそうにハグを求め、そしてホテルを後にした。

わずか2泊のバリ島サヌールの旅、しかしぽんこつマンにとっては、忘れがたい甘く切ない記憶となった旅であった。その日の午後のフライトでバンコクに戻り翌朝のフライトで日本に帰国するのだが、空港を離陸した飛行機の窓からぽんこつマンはテンパサールの街を雲に隠れて見えなくなるまで見下ろし続けていた。バンコクに到着した時には既に陽は落ち、闇に包まれていたがモーターウェイの灯りや対向車のライトがやけに眩しいと感じた。バンコクのホテルまでのタクシーの中で近いうちに再びバリ島を訪れよう、そしてもう一度彼女に逢おうと思った。

高級ディナーを指定する女子大学生

バンコク で2019年の10月にとあるSNSで知り合った女子大生という女の子がいた。おたがいのLINEを交換して幾度かやりとりをしているうちに、晩ご飯を食べようという話になった。SNSでの写真はかなり上等で、ボディーラインもかなり整っている。もしかしてレディーボーイかもと半信半疑で、食事の約束をした。ワインも好きとのことで最初のディナーに指定してきたのは、チャオプラヤ川沿いに佇むシャングリラホテルバンコクにある「サラティップ」(http://www.shangri-la.com/jp/bangkok/shangrila/dining/restaurants/salathip/menu-wine/)という高級タイ料理。待ち合わせ場所と時間は18:30ホテルロビーとしたはずだったが、今女友達と移動中でもう少し遅くなるとLINEに連絡が入った。ぽんこつマンは本来待ちぼうけを喰らうのはあまり好きではない。19:15になって今ロビーに着いたと連絡があった。私はBTSサパーンタクシン駅から近いロビーで彼女を待っていたが、そこに彼女がやってきた気配はない。LINEで連絡を取るとロビーにいるという。そこでホテルマンに別のロビーがあるか確認しそちらのロビーに向かうことにした。彼女は友人と一緒にタクシーで乗りつけたようだが、そちらが元々のあったロビーのようで、正面玄関の扱いとなっているようだった。

私は、早速そちらに向かうためまずエレベータで2回に上がり、本館へとつながる迷路のような渡廊下を早足で歩いた。かなりの距離があり、メインのロビーに到着するまで10分はかかった記憶がある。そしてあたりを見渡すと、遠くのソファーにSNSで似た写真に似た女の子がいたので近づいていった。ハーイと声をかけると彼女もぽんこつマンとわかったようで、立ち上がりSAWADEE KHA❣️とワイをして挨拶を返してきた。彼女も、彼女の友人も170cmはあるようでヒールを履いていたので少し見上げる感じになっていた記憶がある。

チャオプラヤ川沿いの席を事前に予約していた、SALATIPというタイ料理レストランに到着したのは、既に予約じかんの19:00を40分くらい過ぎたくらいだった。10月ともなればバンコクの雨季もそろそろ終わりに近づき、夜は少し涼しさを増していた。席に着席すると、彼女がメニューから好きなものを友人と相談し5〜6皿オーダーをした。私はまず白ワインをセレクトした。しばらく食事を進めていると何やら雨粒が落ちてきたようなので、屋根のある席に慌てて映ることにした。私ももちろんだが初めて会った大学生でありモデルもしているという彼女と彼女の友達もワインをかなりのピッチで飲み、白ワインはすぐに開いてしまった。屋根のある席に移ってしばらくして赤ワインをオーダーした。

オーダーした料理は、ワインの共に向いているものが多く、すぐにお腹がいっぱいになるぽんこつマンでもさらに追加した赤ワインもあり全品の味見をすることが出来た。ワインが全て空いた後、デザートとエスプレッソも注文した。カードで精算したので、金額の記憶はない。そのレストランを出たのは23時近くなっていて、二人にこれからどうすると聞いたらシーロムに踊りに行くと言っていたので、私は一人自分の部屋に戻ることにした。

ぽんこつマンが知り合ったこの彼女は、ラップラオのあたりに母親と二人で住んでいると言っていたが、通っている大学の名前は忘れてしまった。年齢は20歳とのことであったがその妖艶ないでたちからは20歳という未熟さは感じられなかった。学費のためにアルバイトもしていると言っていたので、夜はコヨーテクラブで働いていてもおかしくないとさえ思えた。

帰宅後数日して、また彼女から連絡があった。また食事をしたいという。ベトナムのホーチミン では今回のバンコク滞在の前にホーチミン に立ち寄り日本人街で働くバーの女の子とフレンチを食べたが、バンコクでフレンチは未だ未経験なので、彼女にどこがいいかと尋ねた。翌日に連絡が入った。Blue Sky Rooftop Bar。Centara Grand at Central Plaza Ladprao Bangkokというホテルの最上階にある。そこは彼女が住んでいるところに近く景色も最高とのことであった。

ぽんこつマンはAirport Link Railway と BTSを乗り継いで待ち合わせ時間の19:00の20分前にBTS Ha Yaek Lat Phrao 駅に到着、セントラルデパートを突っ切り、駐車場を横切って待合せ場所のホテルロビーに着いたのは、18:55分。予約していた時間が19:30だったのでソファーに座って彼女がやってくるのを待っていた。19:20に彼女から連絡が入った。美容院に行っていて遅くなった。今バイクタクシーで向かっているとのことだった。これまでの大人女性のほとんどは、遅刻するとしても30分くらいだったが、彼女の場合はそうでもなさそうだったので、予約時間を20:00に事前に変更しておこうとレストランの予約に電話した。彼女がホテルロビーに現れたのは19:50、笑顔で彼女を迎えてエレベーターでレストランまで上がった。

エレベータを最上階で降りると、そこにはダイニングへの扉が見える。ホステスがやってきて予約の確認があった後、右側のroof topがいいか、左側のroof topがいいかと尋ねられたが、初めての場所なので客のいない静かなところと伝えた。ホステスに案内されてダイニングルームを通過して、写真にあるルーフトップの席についた。そこは場所が郊外側のビューなのかそれほど夜景が素晴らしいとは思わなかったが、かなり離れた席に1組の白人カップルが居ただけで静かな場所だったので、オーダー通りではあった。

この日は良さげな白ワインがなく赤ワインを最初からオーダーした。早くくるつまみとしてフレンチフライとワインがやって来て、再会を祝して乾杯をしたが彼女があたりをキョロキョロして、「こちらのサイドより逆サイドが夜景が綺麗よ」と行ったのでボーイを読んでテーブルを移れるかを確認した。ボーイは確認するといい、しばらくして戻って来て「席を移ることは可能だが、ダイニングではなくバーとなるので料理が乗り切らないかも」といい「さらにスコールが近くに迫っているので、ダイニングに写っておいた方が良い」という。確かに空には雷の光が走り始めていたので、雨に降り出される前にダイニングに写る方が賢明と思い、移動した。ダイニングの豪華なテーブルに着いた瞬間に窓を激しく叩く土砂降りの雨音と雷鳴が二人の会話の声をも打ち消した。

かなり長時間続いたスコールだったが、ゆっくりデザートを堪能したあと22:30位には雨も収まりつつあった。カードで会計を済ませホテルロビーへ降りた。彼女は、明日朝早くから授業があると言って、ホテルの外でバイクタクシーで家に帰ると言った。ぽんこつマンは、ホテルのタクシースタンドからメータータクシで部屋に戻った。

その後、何度か彼女とはLINEで連絡を取ったが、彼女はぽんこつマンの好みではない感じなので、徐々に疎遠になり、2019年のバンコクの雨季の終わりに合わせてその関係も消えていた。今は連絡先も消してしまっている。多分改めて彼女と再開することはないだろう。

バンコクで串揚げ、のち突き上げの土曜の夜

ぽんこつマンは、大の揚げ物好き。ポンコツとは言えもうちょっとアジアの俗世の混沌を楽しみたいので、体のことを考えて少しは控えもにしているが、それでも揚げ物の誘惑にはどうしても負けてしまう。

ということで今回で2回目の恵比寿商店で串揚げ?串カツ?に、昨年末からセフレになったMちゃん(28才)との一戦を交える前にまずはお腹を満たそうと突入。Mちゃんはエッチとビールが好きな女の子。スクンビット26の角で18時30分に待ち合わせたものの、彼女が現れたのは19時頃、恵比寿商店に入店したのは19時10分頃だったかな。昨年の末に来た時はがらんとしていた店内も、今回はほぼ満席状態。まずは、彼女が好きなビールの中でも一番好きというアサヒスーパードライ生のジョッキで、1月中旬以来の再開に乾杯。昨年の開店当初は、今回よりもさらに安いメニュー設定だった気がするが、今回もアサヒスーパードライ生が68バーツ?69バーツ?とスクンビット界隈では破格といえる値段。あっという間に1杯目を飲み干して、すぐにお替りするMちゃん。ぽんこつマンは、ビールはすぐにお腹がいっぱいになるので2杯目からハイボールにチェンジ。ハイボールはエビスハイボールが79バーツ?ジムビームハイボールが89バーツ?とこれもまたこの界隈では破格かな。串揚げ5種、カキフライ、ゲソの唐揚げ、揚げ出し豆腐、クラゲのサラダ、イクラ大根おろしと平らげるうちに7〜8杯のビールとハイボールを呑んで、かなり酔いも回った。それではいざ一戦となり、お会計。ネットには現金のみとあるが、とりあえずヴィザのクレジットカードを出したら3%のチャージで支払い可能との返事。トータル1800バーツちょいをカードで支払って、店を出た。

その後、今回の一戦にとあらかじめ予約しておいたスクンビット28にあるSarnn Sukhumvit28というホテルへ歩いて向かう。スクンビット28の角を30mほど入ったところにそのホテルはあった。

間口の狭いホテルだが、できてあまり時間が経っていないのかまだまだ内装が綺麗だった。一泊の値段は、ブッキングドットコムで前日予約したが税・サービス料込みで826.20バーツ。この界隈ではなかなか1000バーツを下回る宿を探すのは難しいが新型肺炎のせいで中国人観光客が激減していることが影響しているのかな。グランドフロアは、フロントとロビー、その上にMF、2F、3F、4Fと4フロアあり各フロアに4室のプチホテル。部屋にはダブルサイズのベッド、冷蔵庫、テレビ、シャワーブース、トイレがあり、シーツもバスタオルも清潔で特に問題はない。

Sarnn Sukhumvit28のMFから見下ろしたエントランス

Mちゃんは部屋に入るなり、スカートを脱ぎ、バスタオルを腰に巻き、窓を開けて電子タバコを一服。ポンコツマンはその背後から彼女を抱き、首筋にキスをする。彼女が電子タバコをテーブルに置いたので、後ろからシャツの前ボタンを一つずつ外し、ブラジャーのホックも外す。パンティとバスタオルだけになったMちゃんのパンティーをゆっくりおろし、全ての布を外し終えた。彼女はすでに腰をくねらせ尻を突き上げる。Mちゃんの胸と腰を愛撫しながら私も全ての布を剥ぎ捨てた。

久しぶりの一戦はおよそ2時間、様々な対位で彼女を突き上げた。喘ぎ、求めあう。果てた後もジンジンと響く逸物を咥え上下動する彼女のテクニックには、今回も驚かされた。またお互いがお互いを求め合う日が近いうちに来ることを予感した土曜日のスクンビット28での濃厚な時間は深夜0時近くまで続いた。

天使の魔都クルンテープは今日も眠らない。

ぽんこつマンはとんかつマン

ぽんこつマンは揚げ物好き。身体に良くないと分かっていても週に3回は揚げ物を食べたくなる。2020年1月10日どうしてもとんかつが食べたくなり、最近トンローで見かけた「あげうた」という店にタクシーで出掛けた。金曜日の午後1時くらいというのに店内には客が1組しかいなく広い店内は閑散としていた。ランチタイムという事で6種類あるランチセットメニューから海老フライ、ヒレカツ、ロースカツがセットになっているものを選んだ。ごはん、キャベツ、味噌汁はお替り自由となっていて、6種類のランチセットは全て299バーツ。決して安くはないが、デザートもついて清潔感のある店内でゆっくり出来るのは悪くない。以前エムクォーティエに入っている「まい泉」で食べたとんかつの味が酸化した油の嫌な匂いがあったことがあったが、この店の揚げ物はカラッと揚っていてサクサク旨く頂けた。この先も味を落とさず、続いてくれる事を期待したい。

追記*2021年3月にはそのトンカツ屋の看板は、エンポリアムにあった歌行燈という和食屋に代わっていた。その後、コロナの非常事態令がバンコクに出たことで歌行燈はバンコクから撤退したという噂を聞いている。