アドフェスト(アジア太平洋広告祭)とジャニーズのコンサートが開れていた3月にパタヤに一人旅

あれは、2003年か2004年の3月の初旬ことだった。その時はまだ大阪の会社に勤めていたぽんこつマンは、3月末は年度末ではあったが、初旬に有休が取れることとなったので急遽タイに行こうと思った。3月は学生たちも春休みなので航空運賃は総じて高くなるのだが、有休の予定を入れた1月の段階では、まだタイ航空大阪ーバンコク線にはまだ安いブッキングクラス(V)の席に空きがあって、確か往復5万円代でチケットが手に入った。

出発当日、ぽんこつマンは通勤で使っていたJRで大阪まで行き、地下鉄で難波まで、そしてラピートに乗って関西空港へ向かった。タイ航空のカウンターでチェックインしているときに、いつもなら大体おっさんの客が多いバンコク線だが、その日はやたら若い女の子が多いことに気が付いた。しかしその理由はまだわからなかった。

当時、このタイ航空大阪発バンコク行きは満席になることが多くはなく、いつもはエコノミーに空席があって、よく隣の席を荷物置き場として使うことができたが、その日は完全に満席だったようだ。

ぽんこつマンは、できるだけで出口に近い通路側の席をお願いするのだが、その日は通路側は中程まで下がらないと無いと言われた。飛行機に乗り込むといつものバンコク線とは少し様子が違っていて、後方の方に多くの若い女の子が固まって座っているのに気が付いた。

その時は、まぁ春休みだからと思っていたが、バンコクに着き荷物を受け取って到著ロビーに出ようとカスタムを通過したら、その先に多くの若い日本人の女の子が誰かを出待ちしている様子が目に飛び込んだ。

その時はぽんこつマンには全く関係のない話だと思いきにもしていなかったが、後からちょうどパタヤで音楽フェスがあり、そこにジャニーズの有名グループ(多分SMAP)がやってくる予定になっていたと言う話をパタヤのタイマッサージ屋のおばちゃんから聞くことになった。

どうりで、飛行機の中にもスワナブーム空港にも日本の若い女の子であふれていたと言う理由が分かった。なんでもそのジャニーズのグループはハードロック・ホテル パタヤ(https://pattaya.hardrockhotels.net)に泊まるという噂もあり、ぽんこつマンが宿として予約したグランド ホテルという3つ星の安宿に行く途中に通るビーチロードもハードロック・ホテル パタヤの辺りに若い日本人の女の子がたむろしている様子が見えた。

ぽんこつマンのパタヤへの表向き目的は、ロイヤル クリフ グランド ホテル(https://www.royalcliff.com)で開催されていたアドフェストを覗きに行くというものだったが、本当の目的は、パタヤでタイの女の子と遊ぶことだった。

ぽんこつマンは、スワナブーム空港についてからタクシーでパタヤに向かったが、朝早かったためウォーキングストリート近くにあるグランド ホテルという3つ星の安宿にには朝早く到着してしまった。部屋が空いてさえいれば、すぐに部屋に入って仮眠をとりたかったがその日はまだ部屋が清掃できていないとのことで昼まで待つように言われた。

朝10:00からアドフェスト会場は開くはずだったから、ホテルに荷物を預けて、ロイヤルクリフにソンテウで向かった。ロイヤル クリフ グランド ホテルはタイ資本の名門5つ星ホテルらしく、相乗りソンテウの経路にはなく、ソンテウをタクシーがわりに貸し切る形で向かうことになる。

人が載っていない空のソンテウに手をあげ止めて40バーツで行ってくれることになった。ロイヤル クリフ グランド ホテルについてまずは、ロビーでコーヒーを飲んで10時になるのを待った。そのコーヒーは、ソンテウの何倍もする値段だった事にも驚いた。

なんでもタイでロイヤルと冠名を付けれるのは王様の親戚筋だけらしく、そこのオーナーも国会議員そして、政府の観光大臣か政務官をやっているらしかった。アドフェストの会場は、エントランスを出て左手に歩いた先にあるPattaya Exhibition And Convention Hall(https://www.peachthailand.com)でやっていた。

時間になったので会場へ向かい、ウォークスルーチケットを購入して入場した。世界から集まったプリント媒体の広告作品がホールロビーに展示され、大ホールでは幾多のコマーシャルムービー作品が上映されていた。アドフェストは1998年に創設されていてその歴史はカンヌ国際広告祭やクリオアワードよりかなり新しいが、既にカンヌ国際広告祭の前哨戦的な意味で出品する作品が多かった為、アジアオセアニア地域に限らず、多くの国からのエントリーがあったようだ。

アドフェストの会場で3時間ぐらい過ごしただろうか。お腹が空いてきたので、パタヤの街に降りることにした。まずホテルにチェックインし、ウォーキングストリートからビーチロードへ出てマクドナルドで軽く食べた。それから少しビーチロードをノースパタヤ方向に歩いて、ビーチが見えるバービアでビールを飲んだ。

そこにひとりのタイ人の女がやってきた。名前はAnn と言っていただろうか。年齢は28と言っていた。若くはなかったが、可愛い感じの女だった。何杯か一緒に飲んで、馬鹿な話をしてゲームに興じ、たくさん笑った。彼女は日本語もそこそこ話せたので楽しい時間はあっという間に過ぎて、夕方になった。

ぽんこつマンは、晩飯はシーフードを食べようと考えていたのでAnn に一緒に行くか聞いてみた。Ann は目を大きくまん丸にして「はい〜❤️」と無邪気な返事を返す。そこで彼女をペイバーして店を出る。ソンテウでウォーキングストリート入り口まで行き、そこから500mほど歩いてナンヌアルというシーフードレストランに向かった。

入り口には、ロブスターや牡蠣、カニ、シャコなどが並べられ、好みの魚介を選んで調理を頼むことができるシステムだ。もちろん野菜やスープのメニューも色々あるようだった。

ぽんこつマンは、マッドクラブ、ロブスター、オイスターを選んでテーブルについた。白ワインを選んでAnn と一緒に飲んだ。当時はタイではまだワインが豊富にはなく、しかも赤が主流だったが、流石にパタヤのシーフード店で、シャルドネくらいはあるだろうとオーダーしたのだった。

彼女はもともとチョンブリ県の出身で今はバービアで働いている。実家は貧乏で学校は中学までしかいっていない。ひとりの息子がいるが、その父親は妊娠が分かって直ぐに行方を晦ました、と言っていた。実家には父と母がいて、息子はそこに居る。お金を稼ぐのは大変だけど、パタヤの雰囲気はすごく好き。彼女はその時は英語で色々話してくれた。

多分、パタヤには欧米人が頻繁に遊びに来るのでその相手をしているうちに英語を覚えていったのだろう。そして少しの日本語も日本人との客を相手しているうちに身についたんだと思う。彼女の人懐っこさが、多くの訪問者の心を開いてきたのだろうと思った。

その日は、彼女をホテルへ連れ帰って男と女の関係になることは、ごく自然な流れだった。ホテルの部屋にはバスタブがありお湯を張って一緒に入った。彼女は熱いと言いながらも、しばらくぽんこつマンと体を合わせていた。

タイのホテルにあるバスタブのほとんどは、寝て浸かるタイプなので、ぽんこつマンの上に乗る感じで彼女は湯船に漬かったのだった。ぽんこつマンは彼女のそう大きくはない乳房に両手を当てがい、中指で彼女の乳首を弄んだ。彼女は、自分の股間の下にあるぽんこつマンの男性器に手を伸ばそうとしたが届かない。ぽんこつマンが右手を彼女の股間に伸ばし、クリトリスを探し当てて転がすと身をよじって吐息を漏らした。

その後ふたりは立ち上がり、ボディーシャンプーでお互いの身体を洗いあった。彼女はぽんこつマンの肉茎や玉袋を他より丁寧に優しくマッサージしながら洗ってくれた。ぽんこつマンは彼女のアナルからクリトリスにかかる股間のラインを入念に手のひらで洗った。時折アナルや膣のくぼみに中指を軽く挿入しながら彼女の秘部から愛液が漏れ出すのを待って、シャワーで体に残っている泡をきれいに洗い流し、ベッドに向かった。

当時は、世界中でHIVの流行が話題になっていたので、ぽんこつマンもAnn もいきなり生での挿入は考えなかった。Ann はdurex のコンドームをいくつも持っていたし、ぽんこつマンはオカモトや不二ラテックスのコンドームを何種類も持って出かけていた。

ベッドでは、Ann は激しく動いた。ぽんこつマンも激しく突いた。騎乗位、背面騎乗位、後背位、松葉崩し、側位、正常位、屈曲位、伸長位……。ザーメンをコンドームに射出しては少し休みそしてまた求めあう。翌日の朝10時まで4回は繋がりあったと思う。

昼にホテルを出て、ビーチの日陰でふたりはビールを飲み少し眠った。夕方近くなりさすがに朝からろくに食べていなかったので腹が空いてきた。ぽんこつマンはAnn に何か食べに行こうと伝えたところ、Ann は「今日は私が店を選んでいい?」ときいてきた。「OK、もちろん」と速攻で答えた。

彼女とビーチロードでソンテウを拾い、彼女が行き先を確認しそれに乗る。もう着いた店の位置も名前も覚えていないが、それは3rd. ロードに面した小さなローカル向けのムーガタ屋だった。それでも夕方の17時前だったが、人で溢れていた。あっという間に炭が運ばれ鍋が置かれた。Ann が豚肉と海老、野菜の焼き物を頼み、ポンんこつまんはビアチャンでそれを流し込んだ。

Ann は19時には部屋に戻ってバービアに働きに行くと言っていたので、せっせと食べたのだった。はらぺこが一気に満腹になり、もう食べれないとなった。時間は18:30を少し回った頃だった。ぽんこつマンはAnn とその店で別れ、そこからいったんホテルに戻り、パタヤのマッサージパーラーを覗きに行く事にした。

パタヤのマッサージパーラは、2nd. ロードにいくつかあったが、その話はこの記事には書かずに次の記事で書こうと思う。今回は、パタヤで出会ったAnn との話で終えておこうと思う。なぜなら、タイの女性に本当の意味で好きという感情を持った最初の出会いがAnn だったからだ。

ぽんこつマンは、今日までAnn と名乗る女性との出会いは3回ある。ひとり目はパタヤのAnn。ふたり目は、フィリピン、オロンガポのAnn、3人目はバンコクのAnn、アンと名乗る女にやたらと会うのは、アンと名乗る女性がただ多いからなのか、それともぽんこつマンにアンと名乗る女性に縁があるのかわからないが、もしかしたら、またどこかでアンと名乗る女性に出会うことがあるかも知れないと思うと少し楽しみになる。

バンコクのトゥクトゥクには注意した方がいい話

バンコクの乗り物と言えば、最近はBTSやMRTという都市交通が注目されているが、ぽんこつマンがタイへ行き始めた頃は、まだBTSが建設中(1999年12月5日開業)で当時のツーリストの移動手段はトゥクトゥクかタクシーだった。

バンコクのホテルの周りにはいつも数台のトゥクトゥクが停車していて運転手がつまらなそうにタバコを蒸しているか、寝ているか、運転手同士でくだらない話をして客待ちしているかという光景があった。その光景もタイの風物だった。

今でもトゥクトゥクはバンコクにも残ってはいるが当時の台数の多さは今とは比べものにならなかった。ナナプラザに行くのもトゥクトゥク、ナナプラザから女の子をペイバーしてホテルの戻るのもトゥクトゥク。歩いていくにはちょっと遠いとか、暑くて汗だくになりたくないからという理由で、レストランに行くにもタイマッサージに行くにもお寺見物に行くにもトゥクトゥクを使う事が一般的だった。

トゥクトゥクの乗り方は、まず「パイ(行く)どこどこ」「タウライ?(いくら?)」と運転手に聞くことから始まる。もちろん英語で話しかけてもいいが、英語がわかる運転手は少ないので、行き先と料金確認はタイ語を知っていた方が良いだろう。

トゥクトゥクの車幅は大体140cm、バイクの車幅が概ね90cm〜100cmなのでバイクより少し幅があるがタイの一派的道路の車幅の半分くらいなので、車と車の間が1.5mくらい空いていればバイクのように倒れないのですり抜けられることになる。

トゥクトゥクの運転手はいかに車の間をすり抜けて早く目的地に着くかが稼ぐお金に大きく影響するせいか、それとも性格的にせっかちなのかはわからないが、とにかくできるだけ前へ前へ行こうとする。走行中もしょっちゅうハンドルを右へ左へ切って車の合間をすり抜けていく。さらにトゥクトゥクにはシートベルトが無くドアも無いからどこかにしっかり捕まっていないと振り落とされる危険がある。ストップアンドゴー、右左への急ハンドル、それはテーマパークにあるローラーコースターよりスリリングかもしれない。

そして客が外国人だと分かると、運賃はローカルの2倍から3倍に跳ね上がる。いわゆるぼったくりだが、例えばアソークからサイアムまで最初に200バーツという金額で行くと運転手が言っていたとしても、途中渋滞があったりすると途中で下されたり、到着してから追加料金を請求されることもある。

ぽんこつマンがまだタイへの渡航が2回目とか3回目の時だったが、よくトゥクトゥクを使った。その頃のぽんこつマンは、MPを経験してそれほど歳月も経っておらず、まだ無垢なところもあり、タイといえばお寺巡りがツーリストの行動パターンと思っていた。ある日、ぽんこつマンは泊まっていたグランド プレジデント ホテル(https://www.grandpresident.com)からスラウォン通りにあるマンゴツリー(https://m.facebook.com/MangoTreeSurawongse/)という今では全世界に展開しているタイ料理の店に行こうと思い、トゥクトゥクを探した。ほとんどのトゥクトゥクは200バーツと言ってきたがひとつのトゥクトゥクが80バーツで行くと言ったのでそれに乗った。(当時は多分ローカルは40バーツくらいだったと思う。)

最初は、スクンビットソイ11を南に向かいスクンビットソイ3に出て北へ走る。それからスクンビット通りをエラワン廟まで走りそこを左折したまでは良かったが、ラマ4通りが見えてきたシーロムの交差点のルンピニ公園側で突然止まる。そしてなんと無くスラウォン通りを指差して後は歩けというジェスチャーをする。運転手は交通量の多いラマ4への右折を嫌って、そこで降りて後は歩けと言っているようだった。

ぽんこつマンは仕方なくそこでトゥクトゥクを降り歩いていくことになった。まずはラチャダムリ通りを渡り、それからラマ4世通りを西へ向かう。スラウォン通りはその時歩いている川の反対側だからどこかでラマ4世通りを渡らなくてはいけない。交通量が多くて車線幅も広いので歩行者にはかなり危険な横断だった。そしてトゥクトゥクを降りてから15分ぐらいでマンゴツリーを見つけて入る事ができた。

当時は、まだガイドブックでは経済的なタイ料理レストランとして紹介されていたマンゴツリーだったが、その盛り付けの美しさや教育の行き届いた従業員のサービスの良さに感動したのを覚えている。ランチを終えて、スラウォン通りを西に歩いてみた。

ぽんこつマンがソンブーンシーフードスラウォン店の近くに来た時、後ろからトゥクトゥクがやって来て、「どこへいくのか?」と聞いて来た。ぽんこつマンは特に行き先を決めずに歩いていただけだが、ちょうど良いと思い、思いつきで「ワットポー」と言ってみた。すると「OK」「40バーツ」と運転手が言ってくる。そこで意外に安いと思い乗ってしまった。

そのトゥクトゥクは直ぐに走り出すが遠くに王宮が見えてきた辺りで突然運転手が、「そうだ、今日はワットーポーは開いてない」と言ってトゥクトゥクを止めた。そして、「その近くにエメラルド寺院がある」「そこも良いぞ」と言って走り出す。

案内された所は、なんて事のない普通の寺だった。観光客らしい人物はゼロでそこがエメラルド寺院でないことだけは直ぐに分かった。ぽんこつマンはそこで「ここはどうでも良い」というと運転手は、「ならばお土産に最適なものを売っている店に行こう」と言って勝手に走り出す。

ついた先は、ルビーと称する赤い石を置いている宝石商の店だったが、値段を見てはっきり言って驚いた。小さな石が10万バーツ、その石を取り付ける指輪やネックレスの金属は銀だという。ぽんこつマンは明らかに宝石詐欺の店だと思って、直ぐに店を出てトゥクトゥクの運転手に「あの店はダメだ」と伝えたら「それならもう1軒良い店を紹介したい」と伝えてまた勢いよく走り出す。

次に着いたのも宝石を扱う店のようだったが、そこには赤い石では無く、見た感じ黒い石だがセンターに光の乱反射があるものを指輪にしたものがあった。店の店員がぽんこつマンに一生懸命説明する。「ブラックサファイヤ」「リングは銀製」「6000バーツ」明らかにさっきの店より安い値段設定だったし、ブラックサファイヤという響きとその石のセンターに光る感じが良かったので、勧められて指にはめてみた。

輝きは良かったがリングサイズが大きすぎる。それを見ていた店員が、「サイズは直ぐに治せる」としつこく言うので、20000円は安くはないがまぁ良いかと言う気になって購入してしまった。リングのサイズ直しというのは、リングの一部を切り落とし、そこに切った物より小さなパーツをつけて繋ぐという荒っぽい手法のもので、つなぎ目が直ぐに見えるものだった。しかしその店は保証書を入れてくれたので、つなぎ目が外れたらいつでも修理に来いということと理解した。接合部分は3年くらいではずれ、一度修理に行った事があったが、それをまた使用している間に、今度は気に入っていた「ブラックサファイヤ」がいつの間にか外れてどこかで落ちてしまって見つける事ができなくなったのだが…..。

その店で1時間くらいいたが、店を出たときにもさっきまでのトゥクトゥクはぽんこつマンを待っていた。そして店から出てきた従業員から何やら受け取っていた。その時はそれがリベートだとは知らなかったが、そのうちトゥクトゥクの運転手のもう1つの悪どい稼ぎ方がわかる時が来ることになる。

その店を出てぽんこつマンは、ホテルの名前を告げた。トゥクトゥクはまた走り出すが、あれは多分民主記念塔だったと思うが、そこでトゥクトゥクを止め、40バーツはここまでだと言って下車を要求した。時刻は18時を回り西の空はオレンジ色に染まっていた。

最初からそのトゥクトゥクは宝石を買わせ店からリベートをもらうことを目的にトゥクトゥクを走らせているという事が分かった。ぽんこつマンはそのことにを確信しそこで20バーツ2枚を渡してトゥクトゥクを降り、タクシーを探してホテルまで戻った。

トゥクトゥクにまつわるもう1つの不愉快なエピソードがある。それは2003年の1月、仕事でオーストラリアに行った帰り、協力会社のプロデューサーとバンコクでトランジットすることになり、食事に行こうとした時の話だ。

ぽんこつマンたちは、オーストラリアでの仕事の疲れを癒すために、今も日本人には知られているマッサージ店有馬温泉(https://www.arimaonsenthailand.net)に行った後近くでシーフードを食べようということになった。

シーフードはオーストラリアでもダンジネスクラブやロブスター、それからオイスターなどを散々食べていたのだが、プロデューサーが辛いタイ料理よりシーフードがいいと言ったのだった。直ぐにソンブンシーフードは思いついたが、プロデューサーが新しいところを開拓したいと言い出して、「トゥクトゥクの運転手に良い店を紹介してもらおう」と言い出した。

そこでスラウォン通りに出てトゥクトゥクを見つけて「ここから近くて安くてうまい海鮮料理屋に案内してほしい」と伝えた。運賃は100バーツと言ったが、交渉するのも面倒なのでそれで直ぐにトゥクトゥクに乗り込んだ。

トゥクトゥクはスラウォン通りを西に進み、ソンブンシーフードスラウォン店を通り過ぎ、大きな交差点を左折して、かなり長く南下したように感じた。そして小さな小道に入り、ネオンがギラギラ光る店に着いた。

ぽんこつマンたちはそこで100バーツを支払い店に入った。店の入り口には、プラウン、シュリンプ、ロブスター、渡蟹、マッドクラブ、オイスターなどのシーフードが並べられ、それをプラスチックのザルに取り料理してもらうスタイルだった。それぞれのシーフードには数字は書かれた札があったが、ぽんこつマンたちはその数字が金額だとすると1kg当たりの値段だと思えるほど少し高めの数字が置かれていた。もし1Kgならオーストラリアより少し安めの設定だとプロデューサーとぽんこつマンは話したことを覚えている。

ザルに入れたのは1800と書かれたロブスター1匹、700と書かれた手長川海老2匹、後は数字は覚えていないがオイスターを2個、そしてビアシンを1本とカウパット(タイ式チャーハン)をテーブルで頼んだ。ロブスターは蒸し、手長エビは焼き、オイスターは生で料理は直ぐに出てきた。想像以上のカウパットの量で腹は直ぐに満腹になり、会計をしたら、驚く金額が書かれた請求書がきた。プロデューサーがその金額を見て「えっ?」と驚いた。その金額はざっくりと14000バーツと書かれていた。

14000バーツと言えばざっくり4万5千円くらい。店の従業員を読んで金額の内訳を聞いた。すると「ロブスターは100g1800バーツであなたたちが選んだロブスターは600g、だからロブスターだけで10800バーツ、川海老は1匹700バーツ、、、、、、、、。」もうそれ以上聞く必要はなかった。要するにボッタクリであると気がついた。オーストラリアでもロブスター1kgで100AU$までだから中型ロブスター1匹で1800バーツなら分かるが1匹10800バーツ(3万円)なんてボッタクリ以外何者でも無いのだ。

ぽんこつマンはその時、この店とさっきのトゥクトゥクの運転手が外国人を相手にボッタクリをやっていると確信した。

やむなくプロデューサーはその時持っていたタイバーツの大半を叩いて会計を済ませた。そのプロデューサーが領収書を待っていると、さっきのトゥクトゥクがまた外国人の客を連れてきて、店の従業員から何やら受け取っている姿が見えた。リベートがいくらなのかを知る由もなかったが、それ以降トゥクトゥクにはできる限り乗らないと誓った。

そう言えば、ぽんこつマンが今の連れ合いと知り合い、チェンマイでカフェとフェイスマッサージ、ボディーマッサージの店を始めた時も、ヨーロッパからのツーリストが店に電話で予約を入れて、結局こない事が何度かあったが、別の日にちになって改めてやって来て、「あの時は、トゥクトゥクの運転手に、もっといいスパマッサージがあると言われ、ここには連れて来てもらえなかった。」と言って詫びに来たこともあった。

トゥクトゥクの運転手はいろんな店と客を連れ込むことでリベートをもらう話になっていて、行き先を伝えても違うところに連れて行ってリベートを受け取ることを主目的にしていたのだろう。

あれから25年以上が経過して、今はBTSもMRTもかなり遠くまで延伸した。エアポートリンクも開通した。来年には、またいくつかの都市交通網が開業するというバンコクだが、バンコクに来た思い出としてはトゥクトゥクに乗ってみるのも悪くは無いとは思うが、旅の記念程度に考えといた方がいいとぽんこつマンはお伝えしときたい。

今は外国人の観光客がタイへ入国できなくなってもう半年だから、トゥクトゥクを利用する客はほぼいないだろう。リベートどころか運賃すらまともに稼げなくなったから、後数年でトゥクトゥクはバンコクから姿を消すかもしれないが、それは当然ともいえるだろう。

チェンマイでシーフード①

ぽんこつマンはシーフード好きでもある。チェンマイといえばタイ北部の県で海は無く、シーフード とは程遠いという印象だが、なかなかどうして以外にシーフードレストランは多くあるのだ。チェンマイ をタイのベースにしてからもう15年以上になる。これまでいくつかのシーフードレストランに好んでいくことが多かったが、今回紹介するところは、2019年から気にいっているシーフードレストランである。

その名はメーペンシーフード (Maepen Seafood)。チェンマイを流れるピン川を市街から上流へむいて左岸を上り、ラタナコーシン橋を過ぎて300mほどさらに進むとそのシーフードレストランはある。

エビ、蟹、帆立、牡蠣など、メニューが豊富。特に大型のリバープラウン炭焼きが名物らしくそれを注文する客が多い。焼きエビの味噌がなんとも旨い。生エビも生牡蠣も鮮度が抜群。ビールのあてに必ずと言って頼むトートマンクン(エビのすり身揚げ)も旨い。

金額的には決して安いとは言えないが、そのロケーションの良さも考慮すると高いと思わない。バンコク より割安な印象だ。ぽんこつマンの連れ合いも息子もシーフードは好きで、月に一度は訪れたい店になっている。

2020年3月31日にチェンマイ を離れて、日本に戻ってから2020年8がつ時点で未だタイへ行く空路は開かれていない。タイ民間航空局の発表では現在の制限は無期限と言っている状態だ。次にこの眺めの良いシーフードレストランで食事できる日がいつ来るのか全くわからない。

プーケットでオフパコ

Skout を使って女の子を探していると、そのデバイスがある地点からかなり距離の離れたところにいる女の子にもメッセージを送って知り合うことも可能になる。そうして知り合った女の子の中で、プーケットに住んでいる女性と連絡が取れるようになったことがあり、LINE を交換し、日常的に連絡を取り合う関係になった。

ある日彼女の写真が見たいと伝えたら、何枚かの写真が届いた。その写真は仕事の現場で撮った普通の写真だったが、ある時自宅で撮ったと思えるエロい写真が届くようになった。彼女の方からプーケットに来たら家に泊まっていいというメッセージが入るようになった。

彼女が言うには、プーケットの貿易会社でディレクターとして働いていて、月収50,000Bhat、家持ち、車持ち、日本食好き、シーフード好き、仕事でシンガポールやマレーシアに出張することもある。母親の実家がチェンライにある関係で、チェンライにも土地を所有している。バンコクには仕事で1年に1回は行くが、基本は日帰り。

そんな彼女に会いに行きたいと伝えたら、あらかじめ日程を決めれたら、会社を休んでプーケットを案内すると言ってきた。ぽんこつマンはプーケットに遊びに行ったとしても、パトンビーチ のウォーキングストリートのゴーゴーバーかバービアで女の子と飲むことと、シーフードを食べに行くことがメインになる。

昔同じくSkout で知り合った女の子が、プーケットのゴーゴーバーで働いていると分かって会いに行ったこともある。彼女とはプーケットの彼女のアパートに行ってセ●クス したり、彼女がバンコクに戻ってきた時に、彼女が泊まっているホテルでセ●クス したりした関係だったが、オーストラリアのボーイフレンドができたのか昨年オーストラリアに留学してまたバンコクに戻ってきたようだった。

彼女は、ちょっと頭が弱いおバカな娘だったが性格は明るくよく笑う娘で、一緒にいる時はいつも楽しかった。

貿易会社でディレクターをしている彼女と出会う日程はこれまでも幾度となく調整したが、彼女の仕事の調整がつかなくなったと何度も延期になっていた。そしてようやくぽんこつマンの日程に彼女が休みを取れる日が決定した。

2019年7月23日〜25日の3泊を彼女の家で過ごす事になった。ぽんこつマンは23日TG 211便でプーケット国際空港に降りた。空港到着は16時35分。空港のターミナルを出た時は17時を過ぎていた。彼女にLINEで連絡を入れたらちょうど会社を出て空港に向かっている途中とのことで少し彼女が迎えに来てくれるのを待った。17時半くらいに彼女が現れた。彼女の運転してきた白のフォーチュナーに乗って彼女の家に向かった。彼女の家はプーケットの幹線道路4024号線にあるセントラルプーケットフローレスタ(http://www.centralphuket.com/home)の近くにある住宅地にあった。家は平屋だったが駐車スペースにはもう一台ホンダの乗用車が停まっている。家の間取りは2LDK 。ぽんこつマンはその間取りの奥にある10畳ほどのベッドルームに通される。彼女はその隣のさらに広めの部屋で普段は寝ているようだった。荷物を置いて、晩ご飯を食べに行く事になった。

パトンビーチのビーチロードをウォークストリートから北へ1200〜300mほど行ったところにある。Somtum Yum Pao(https://www.facebook.com/Somtum-Yum-Pao-ส้มตำ-ยำ-เผา-533418423492939/)というレストラン。それほど大きくはないが、Google Mapのレビューでは4.4/5とかなり高い評価があるレストランのようだった。

店の名前にソムタムとあるからぽんこつマンは少し不安だったが、目的であるシーフードでもかなり有名なようだ。

ぽんこつマンはまずビールを頼み、蟹、海老、貝、を頼んだ。彼女はソムタムを追加した。ビールはあっという間になくなり白ワインを一本注文した。食事が終わって白ワインは少し残ったので持ち帰る事にした。

その晩、シャワーを浴びて部屋に独り居たら、彼女がドリンキングウォーターを持ってやって来た。それをベッドのそばに置いたかと思うと、ベッドに腰を下ろしてぽんこつマンを誘う。ふたりは抱き合い、ディープキッスを交わす。彼女がぽんこつマンが腰に巻いていたバスタオルを剥ぎ取り、既に膨張し始めたペニスに生フェラをする。ぽんこつマンの股間はその絶妙なフェラに一気にそそり勃つ。ぽんこつマンは彼女のネグリジェを剥ぎ取り、ブラジャーも外した。そして彼女が自分でパンティを脱ぎ捨てふたりは生まれたままの姿になった。

彼女のおっぱいは適度の弾力があり、ぽんこつマンの手のひらにいい感じで収まる大きさ。乳輪の大きさも完璧で乳首は既に勃起して直径1cmほどになっており、舌で転がすにはちょうどいいサイズ。彼女の年齢は29歳と言っていたが、身体に余分な贅肉はついておらず綺麗なラインが保たれていた。首筋から胸の谷間、そして脇腹、乳房のアンダーライン、ヘソ回り、腰骨へとリップを続けて、内腿から秘部にむけて今度はリップで這い上がる。リップが彼女のクリトリスにたどり着いた時、彼女の膣口には愛液が染み出し光って見えた。10分くらいクリトリスと大陰唇をリップと舌先で愛撫した。彼女のアンダーヘアは未処理の状態でふさふさしていた。ぽんこつマンが左手でその陰毛を撫であげながら彼女の愛液で濡れた膣口に口づけをし、舌を押し込んだ。彼女の喘ぎ声が聞こえて来たので、ぽんこつマンはそのそそり立った肉茎にコンドーム を装着し、伸長位で亀頭を膣口にあてがい奥に進めた。ジュルンと彼女の肉襞は開きぽんこつマンを受け入れる。両手で彼女を抱きしめ、腰を上下した。彼女の脚を割り今度は正常位で少しスピードのあるピストン。そして屈曲位で奥を責め立てた。そして彼女を四つん這いにして後背位、後側位にスイッチして背後から彼女の乳房を揉み上げながらさらにローリングして仰向けになり腰を使う。彼女の体を起こして後背騎乗位。最後に座位になり、お互いに相手の腰に手を当て引き寄せながら結合を繰り返した。彼女が後ろに倒れ、改めて屈曲位で頂点を極め合った。その晩は続けてもう一回濃厚なセ●クスを繰り返した。

充分な営みを行った事でその晩はぐっすり眠りについた。彼女はいつの間にかぽんこつマンの横を離れ自分の部屋に戻って寝たようだった。翌朝10時にぽんこつマンが目覚めた時、彼女はキッチンでコーヒーとフルーツを用意していた。それをダイニングのテーブルで一緒に食べて11時ごろ家を出た。

その日はまず、Big Buddha Phuketに行った。そしてラワイランディングピアから左に入ったシーフードマーケット内に並ぶ1つのレストランで遅い昼食。ロブスターの刺身、蟹カレーを食べた。ビアチャンはふたりで大瓶3本飲んだだろうか。彼女は車を運転するのにアルコールを飲む。まぁ、タイではけっこう飲酒運転も平気でする人がいるのは知っているのだが。

3時少し前に店を出て、プーケットの南端を抜け、Yanui Beach という小さなビーチで1時間くらいゆっくりした。遅い昼に飲んだビールのおかげでオシッコに2回近くのローカルタイ料理の店にトイレを借りに行った。

その後、カタビーチ、カロンビーチを抜け、パトンビーチを回り、プッケトタウンの彼女の家に戻った。夕方になってもその日はそれほどお腹も空いていなかったので、プーケットタウンの家のそばにある屋台で買って帰ったバーミーを食べ、ビールを飲んだ。

夜になりシャワーを浴びたら、昨夜と一緒で彼女が部屋にきた。そして昨晩に引き続き濃厚なセ●クスを繰り返す。もしかしたら彼女は女スパンヤオなのかも知れないとさえ思えた。そしていつもいろんな男を家に呼んで夜を楽しんでいるのかも知れないとも思った。毎日2回の性交。いくらぽんこつマンの性欲が強いと言っても、もうそんなに若くは無いので腰や太腿、腕の筋肉も腹筋もかなりの疲労感を感じていた。

翌朝は8時に目覚めた。既に彼女も起きていて、キッチンで何かを用意している。ダイニングルームまで行くと彼女がコーヒーとフルーツ、ヤクルトとサラパオ(肉マン)を持ってキッチンからダイニングルームに来た。朝ご飯だ。それを食べ終わって部屋に戻ったらまた彼女が部屋に来た。抱き合ってキスをしている内に彼女の手がぽんこつマンの股間に伸びた。玉袋を短パンの上から柔らかく摩り、その後肉茎を握る。短パンのジッパーを下ろしパンツに隠れている、ぽんこつマンの愚息に直接触れてくる。そしてふたりはまたしてもベッドに倒れ込んだ。昨夜のフィニッシュからまだ10時間ほどしか経っていないが、ぽんこつマンの愚息はまたもや大きく張り出した。

彼女もネグリジェを脱ぎぽんこつマンのアンダーパンツとTシャツを剥ぎ取り、また交わった。ぽんこつマンは既に疲れていたが彼女にはまだパワーがあった。彼女が騎乗位で激しく攻めてくる。正面騎乗位、背面騎乗位、彼女は腰をグラインドし、ぽんこつマンの愚息に刺激を与え続ける。ぽんこつマンも下から彼女のポルチオを目がけて腰を上に動かし亀頭を奥のコリッとした部分に届くようにした。ぽんこつマンにはもう多くの精子は残っていなかったが今回の性交はコンドーム を装着していない。このまま中で果ててしまったら…..という考えが頭をよぎった。いったん肉茎を彼女から引き抜き、彼女を仰向けにして正常位になり自分で射精をコントロールできるように動いた。そして頂点を迎える時に引き抜き肉茎の先端から発射される液体を彼女の腹部に放出した。

ぽんこつマンは息が上がっていた。ふたりはシャワーを浴びた。そして午前11時まで抱き合って過ごした。ぽんこつマンはその日の19時発のタイ航空でプーケットからバンコクに戻る。ゆっくりと服を着て、帰り支度をした。12時に彼女の家を出た。空港に向かうには早すぎたが、ぽんこつマンはビーチクラブに行ってみたいと彼女に言っていた。

彼女が運転するフォーチュナーはプーケットの幹線道路402号を北へ進み、途中4025号線へ左折する。そして4030号線へ右折した。その道はあるところから4018号線となった。そしてあるソイを左折して、Dream Beach Club(https://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g297937-d9751113-Reviews-Dream_Beach_Club_Phuket-Thalang_District_Phuket.html)に着いた。

7月のこの時期はプーケット はローシーズンで人は多く無い。1キロ以上も続くビーチに人もいない。ぽんこつマンが行ったランチタイムにも客は別に1組のカップルだけ。白いTシャツとグレイのキャップを被ったウェイトレスの可愛い女の子の数の方が多かったかも知れない。

その日がプーケットでのメモリアルランチになった。ふたりはまずシャンパンで乾杯をした。彼女も好きだと言う生牡蠣のプレート。ひとり2個づつで異なる産地のものをセレクトした。新鮮でミルキーなオイスターは昨日までの激しいセ●クス の後には特に味わい深い。そしてポテトフライとマルガリータピザ。赤のミディアムボディーのワインを開けた。オープンエアの空間でそよぐ海風にあたりながらの格別の時間はワインのピッチをどんどん上げてくれる。

そしてメインのT ボーンステーキフライドガーリック添え。2本目のやや重めのワインを更にに開けた。ぽんこつマンもここまでワインを飲むのも久しぶりだった。最後にココナッツアイスクリーム、そしてエスプレッソを頼んだ。午後1時に到着したビーチクラブで3時間以上を過ごした。時計はすっかり4時を回っていた。ぽんこつマンはかなり酔いが廻っていたが今考えると彼女もかなり飲んでいたので酔っていたに違いない。

会計をしてそのビーチクラブを出た。車を停めてあるすぐそばに屋台があった。彼女はそれをうまいキムチを売っている屋台だと言った。彼女はそこでキムチを買った。ふたりはエンジンをかけた車に戻り中でしばらく休んでいた。夕方の5時になったので、そろそろ空港に行った方がいいと彼女が言い、ギアをドライブに入れて車を動かした。そこからプーケットの海岸線を北に向かい走った。かなりのワインディングロード。空港が近くまではアップアンドダウンとカーブが続いた。ビーチクラブから空港までは12〜3キロくらいだろうか。30分くらいで空港についた。

ぽんこつマンは車の中で彼女の頬を引き寄せキスをした。そして車のガソリン代と家に泊めてもらった御礼として4,000Bhatを彼女に渡した。彼女はにっこりと微笑み、「コップンカー」と優しくささやいた。ぽんこつマンはフォーチュナーを降り彼女にもう一度投げキッスをした。「気をつけて家に帰ってね」と声をかけた。彼女は小さく頷き開いていた窓ガラスを閉めた。そしてぽんこつマンは彼女が空港を後にするのを見送った。

プーケット空港でチェックインを済ませタイ航空のラウンジで搭乗までの40分をのんびり過ごした。搭乗時刻になり機内に入った。窓側の席に着いた時には、外はすっかり闇に沈んでいた。機体はやがて離陸しプーケットを後にした。

バンコクに戻ってからも毎日のようにLINEでの朝の挨拶は続いた。2020年3月下旬に彼女が突然長文のLINEを送ってきた。内容は「コロナのせいで今まで5万バーツあった月給が3マンバーツに突然減給された。」「車のローンや家のローンを払うとなると3万では基本的生活費が足りなくなる。」「しばらくはプーケット に住んでいる姉の家に間借りして、今まで住んでいた家を貸家として貸し出す」「次にぽんこつマンがプーケットに来る時はホテルで一緒に過ごすことになるけどいいか」と言うものだった。ぽんこつマンはこのコロナのせいでいろんな人が大変な目にあっているんだなぁと思った。そして「ホテルで一緒でも僕は一向に構わない」「No problem」と返信した。するとどう考えたのかわからなかったが、「ならばいい」「あなたをブロックする」と返信が返ってきた。

それ以降彼女との音信は不通になったままだ。世界的なパンデミックとなってしまったコロナ禍はプーケットのセフレとなった彼女との関係をも崩壊させる結果になってしまった。ぽんこつマンの長い人生の中でこんな形で崩壊したセフレ関係はもちろん今までにない。

初ベトナムはホーチミン

2017年早期退職を前にして、2ヶ月近く残っていた有給休暇を消化して、多くのアジアの街娘を見る旅を計画した。9月は、ジャカルタに行った。そして10月はホーチミンを計画した。このホーチミンへの旅が初ベトナムの旅だった。

当時はまだ日本からベトナムへの直行LCCはなく、ぽんこつマンはバンコクへ一旦入り、バンコクからホーチミンに向かう選択をした。

日本ーバンコク間は2016年から就航を開始したスクートを選んだ。スクートを選んだ理由はバンコクへの到着時刻も23時台でしかも運賃が10,000円を切っていたからだ。バンコクーホーチミン はエアアシア。航空券の代金は片道概ね15,000円。当時は機内持ち込みの重量が10kgまでだったこともあり、バンコク2泊ホーチミン 2泊でもハンドキャリーだけで間に合った。LCCでなくANAやベトナム航空でのダイレクトフライトの半分でバンコクとホーチミンの2都市を楽しめるのが良かった。

10月1日成田を出発、バンコクドンムアン空港にはフライト時間5時間50分で午後2時前には到着予定だった。確かに到着までは問題なかったが、ドンムアン空港に到着してからが大変だった。

飛行機が着陸して、ターミナルに入ってから入国審査場までの距離がとんでもなく長い。入国審査場では、大量の中国人が長蛇の列をなしている。そしてその中国人の審査にそれぞれとんでもなく時間をかけている。中にはブースからその中国人を奥の入国審査室まで連れて行き、厳重な審査をする光景を何度も見た。スクートではかなり前方に席を取っていて、降機したのはほぼ一番だったのに、入国審査を終えてターミナルを出ることができたのは17時を回った頃だった。中国人は中国人限定の別のブースでのみの入国審査をしてほしいと思ったほどだ。

ドンムアン空港からはタクシーでスクンビット沿いのレガシー エクスプレス スクンビット バイ コンパスホスピタリティという3つ星ホテルへ向かった。そのホテルからはナナプラザまで徒歩圏内。

その頃ナナプラザのあるスクンビットソイ4に面したヒラリー2(http://www.hillarygroup.com/hillary-ii)というパブで働く女と生でセクス できる関係になっていた。彼女と会う時は事前に電話で連絡するのだが、今回は電話せずに直接店に行ってみた。

http://www.hillarygroup.com/hillary-ii から引用

いつものように目の前の通りを眺めることができるカウンターに腰を下ろした。あるウェイトレスがやってきて注文を取る。ぽんこつマンは、ビアチャンとフレンチフライを頼んで、いつも飛んで来るはずの女の名前を告げてみた。するとそのウェイトレスは周りを見回して、「彼女はまだ来ていない。もしかしたら今日は休みかも」と話した。確かに木曜から土曜までは彼女は必ず居たが、その彼女が「客が少ない時はよく休む」と言っていたことを思い出した。

ぽんこつマンは彼女に電話してみた。すると彼女は「うん、昨日すごく飲んで大変だった、今日はちょっとしんどいし、今まだバンナーの部屋にいるから休む」と言った。ぽんこつマンは「OK、Take care na」と彼女に伝え電話を切った。その晩は、ビアチャンのピッチャーをひとり飲んで、部屋に戻った。部屋からTinderで見つけたフリーランサーを呼んで味気ない性欲処理をして寝た。

翌朝10時にチェックアウトして再度ドンムアン空港に向かった。搭乗時刻まで4時間近くあったし荷物もハンドキャリーだけだったので、BTSでモチットまで行きそこからタクシーで向かうことにした。

それでもドンムアン空港には11時半には着いていた。搭乗時刻までまだ2時間以上あるが、たくさんの荷物を持った人がチェックインで並んでいて混雑していたのでその最後尾に並んだ。30分くらいでチェックインができ、セキュリティーを通過して出国審査を出てゲートへ向かう途中、遅い昼食をとる。

ホーチミン のタンソンニャット空港へのフライト時間は1時間40分、到着したのは3時を過ぎていた。空港での入国審査は比較的スムーズで、4時半ぐらいには携帯のSIMの入れ替えも終わりタクシースタンドに並ぶことが出来た。

ベトナム初のホーチミンの宿は慣れていないこともあり、ホテルマジェスティックサイゴンにした。途中アジアでは普通にある渋滞に合うが、陽が沈む前にホテルに到着できた。

部屋に荷物を置き、そのホテルにあるカジノに行ってみた。多くのスロットマシン。ルーレットまでマシン。コンピュータ相手のカジノなど全く面白くない。早々に引き上げた。ホテルの外へ出てドンコイ通りを歩いてみた。夕方はますます渋滞が激しくなり、かなりのバイクが車の合間を縫うように走る。ルタントン通りまで行き、ホテルに引き返す前に両替所に立ち寄りその後バー29を覗いて見た。ネットでは置屋バー29として上がっている。営業しているようだが生かす女がいなかった。サイゴンビールを1杯飲んでホテルロビーに戻った。実は日本を出発する前にTinderで知り合ったOLとホテルロビーでシーフードディナーの待ち合わせをしていたのだった。店は彼女が選んでくれている。

ロビーに彼女が現れたのは19時20分。「渋滞してて」と言っていた。彼女は見た感じとても真面目そうに見えた。Tinderではごく普通に英語の練習のつもりで海外の友達を探しているようだった。ぽんこつマンはベトナム語は全くわからない。彼女は英語ができる。それでコミュニケーションがうまく取れたのだ。

ホテルを出て彼女が案内してくれるレストランに向かう。そこはホテルからかなり近いところにあった。Hàng Dương Quán Quận 1(http://hangduongquan.com/thu-vien-anh.html)という店で、通りから階段を上り店内へ。ビルの最上階11階屋上テラスがありそこを予約してくれていたようだった。彼女は何度か来たことがあるらしい。

席についた時には陽はすっかり落ちて、濃紺の空と高層ビルの明かりが見えるだけになっていた。メニューからシンガポール風カニ料理(時価)、焼きエビ(時価)、魚の唐揚げ(時価)と白ワインを注文した。メニューで一番安い料理が195,000ドンだったので高額になることは覚悟した。

白ワインとナッツがやってきたので彼女と乾杯をした。彼女は仕事帰りでバイクで来たと言ってワインはほぼ飲まなかった。やがて料理が揃って、ぽんこつマンのワインのピッチは上がった。屋上にはもちろんエアコンはないが、緩やかにそよぐ風が気持ち良かった。食事を終えた時は22時を回っていた。彼女は彼女は家が7区の方にあり、それほど遠くはないが両親が心配するので今日は帰ると言った。彼女は多分サイゴンの良家のお嬢様なのだろう。店を出る時、明日のランチタイムに会社の近くのカフェでもう一度会おうということになった。そしてホテルの近くで握手をして留めてあるバイクに乗って帰って行った。

翌日ぽんこつマンは、ホテルの屋上にある屋上のテラスで朝食をとった。その日もよく晴れた1日でサイゴン川の流れを見ながらの朝のコーヒーは最高だった。彼女との昼の待ち合わせは12時半にサイゴン市博物館だった。ぽんこつマンは11時にその博物館に行き、展示物を観覧した。12時10分になって、交換していたLINEに彼女から連絡がきた。その近くにある、Lamenda Restaurant & Lounge(http://a-emhotels.com/AEBookingSite/restaurant)に行くからそこに来て欲しいというものだった。

10分ほど歩いてそのカフェについた。テラス席に座りカプチーノを頼んだところに、タクシーから降りてくる彼女を見つけた。手を振ると彼女もぽんこつマンに気付いて席についた。彼女はサンドイッチとミントソーダを注文した。ぽんこつマンは朝食をとって2時間ぐらいしか経っていなかったのでカプチーノについていたクッキーだけで十分だった。40分ほどホーチミン の見どころを話して彼女は仕事に戻ると言って帰っていった。

ぽんこつマンはホーチミンの普通の観光スポットに興味があるわけではなかったが一応素直に聞いた。ぽんこつマンが興味があったのは風俗スポットだったが良家のお嬢様に聞くわけにもいかない。彼女が帰った後、あらかじめネットで調べていた、ブイビエン通りの入り口あたりまでタクシーに乗って出掛けた。それからそのブイビエン通りを歩いてみた。昼間ではあったがバーの多くは開いていた。通りにあるいくつかのエロマッサージ屋から客引きの若い女の子が声をかけてくる。本番は表向き出来ないらしいし、出来たとしても3,500,000ドンも払う気になれない。1時間ほど散策したがホテルに戻ることにしてタクシーを拾った。暑い中を歩いてかいた汗をシャワーで流した。部屋はエアコンが効いていて気持ちがいい。ベッドに寝転んで スマホでTinderを開いた。何人かチェックしているうちにひとり気になる女の子が見つかった。年齢は28と少し高めだったが写真の見た目にはそこそこ可愛い。LIKEを送るとすぐに反応があって、その日の夕方に日本食を食べたいという。彼女は少し日本語ができるらしい。18時にホテルのロビーで待ち合わせることになった。

彼女がロビーに現れたのは18時40分。約束の時間より40分遅れている。しかもTinderの写真よりかなり老けて見える。なんとなく見た目には三十路後半。もしかして10歳サバ読んでいたのかとさえ思えた。店は彼女が連れて行くというのでタクシーに乗った。

日本食といえば、ルタントン通りの近くにそのほとんどがあると思っていたが、タクシーはかなり走ってホテルからかなり離れたところにある店だった。店の名前は忘れてしまったが、サーモンの刺身、茶碗蒸し、天ぷらブリカマ塩焼きと日本酒を注文。彼女は日本食と言っておきながら刺身は一切食べずにブリカマを少しと茶碗蒸しと天ぷらを食べただけだった。生物はやはり怖いのだと思えた。

なんでも高島屋の近くでバーをやっていて、そこの客を探して、Tinderを始めたという。ぽんこつマンはその一人の客として同伴対象になったらしかった。日本食の店を出てタクシーに乗り彼女のバーにいくことになった。確かに高島屋のそばの細い路地を入り、そのバーについた。

店には女の子が二人いたが、他の客は一人としていなかった。女の子二人は日本語も英語もわからないようだった。彼女はその店を最近始めたが客が来なくて困っているらしかったが、ぽんこつマンはどうすることも出来ないただのツーリストだ。このままだと店の家賃も従業員の給料も払えないと言われてもぽんこつマンの問題ではない。10歳ほどもサバを読んでる女にTinderでキャッチにあったと思うしかなかった。店の前の通りには灯りもなく薄暗い。店の内装も濃紺で薄暗い。ジントニックを2杯飲んでチェックしてもらい、500,000ドン置いて店を出た。細く暗い路地から少し広めの道路まで出てタクシーを拾ってホテルに戻った。

部屋に戻ったのは22時過ぎ。Tinderでコールガールと言っていた女の子にLINEで連絡を取り1,500,000ドンでいいと言ったのでホテルに呼んだ。ぽんこつマンはシャワーを浴びて彼女がくるのを待った。23時に部屋に来た彼女は先にキャッシュを受け取りシャワーを浴び、バスタオルを巻いてベッドに来てぽんこつマンの横に仰向けに寝た。彼女がぽんこつマンの股間を弄る。ぽんこつマンは彼女の淫部を弄る。彼女のあそこが濡れてきていたので、ぽんこつマンはコンドームを肉茎に装着して、彼女の淫部を肉茎でこねくり回した。亀頭が膣口にするりと埋まった。そのままゆっくり奥へ進めると、彼女が軽く喘ぎ声をあげた。多分演技だと思えた。

ぽんこつマンはピストンを繰り返し、その速度を上げて行く。彼女は膝を立てた脚をさらに開き、両手でその脚を抱えてぽんこつマンのピストンを受け止める。ぽんこつマンが肉茎を一旦引き抜くと、彼女は四つん這いになり、後背位での挿入を求めた。

ぽんこつマンは熱く起立している肉茎を彼女の膣口に素早く差し込んだ。そして少し乱暴に打ち込んだ。パスン、パスン、パスン、、パス、パスン、、、、。ぽんこつマンは彼女の腰骨を掴み後ろに引き、腰は打ち込みを続けた。そしてフィニッシュを迎えた。

ぽんこつマンが肉茎を彼女の膣から引き抜くと彼女は今まで何もなかったかのようにベッドを降りてシャワーを浴びにバスルームへ行きそこで脱いでいた衣服を着て、「バイ」とひとこと発して部屋を出て行った。ぽんこつマンにもなんの感情も湧かないただの性欲処理の1時間だった。

明日は、バンコクに戻りその翌日からはチェンマイだった。翌朝起きてホテルをチェックインした後に、バンコク行きのフライトまで時間があったので、ぽんこつマンはドンコイ通りにあるマッサージ屋に行った。昨夜の性欲処理の激しい運動で腰にも太腿にも疲労感があった。マッサージ師は若い女だったが話を聞くと小さな子供がいるという。その子供の父親は子供ができたと知ると彼女のもとを去り消えてしまったという。アジアにはこれと同じ話は数え切れないほどある。結果アジアでは女はどんどんたくましくなり、男の無責任さは一向に改善されない。

スマホアプリSkout で出逢ったフィリピーナ

オロンガポに住んでいるフィリピーナをスマホアプリ Skout で見つけてオンラインで色々話し、実際にに飛んで濃厚なオフパコ体験に成功した後も、他のフィリピーナをSkout で探していた。フィリピンにはカジノもある。ゴーゴーバーもある。身体を売りにしている女の子もたくさんいて、時間とお金さえあればどんな男でもモテ体験は可能である。

しかしぽんこつマンはゴーゴー嬢やコールガールとのベッドでのお遊びも楽しみたいが、実はある意味ローカルフィリピーナとの恋愛ゲームも楽しみたかった。Skout で仲良くなってLINEを交換した女の子の中には、女子大生もいた。サポートを望んでいるシングルマザーもいた。高校を卒業したばかりで日本のアニメが好きすぎて、京都の大学に通っていると詐称している女の子もいた。とにかくSkout に写真が上がっている女性で比較的可愛いと思える18−35歳の女性にかたっぱしからアタックしていた。マニラ近郊の女性が多かったが、セブシティーやダバオの女性もいた。マニラ近郊では、オロンガポの他に、マニラ近郊ではマニラはもちろん他にパサイ、マンダルヨン、ケソンシティ、そしてアンヘレスよりさらに北北東に位置するサンホセという街の女性までいた。

ぽんこつマンはチャットが目的ではなくその娘と実際にあってデートする事が目的だったので日本からダイレクトで飛んでいける空港が近くにあることが条件になる。マニラ近郊の娘はマニラ、パサイ、マカティでデートできる。それ以上遠くに住む娘にはマニラに来れるかどうかが選択の条件になる。

彼女たちの本来の目的はなんであれ、彼女たちからすればずいぶん年上のぽんこつマンに会っても良いという女の子は何人もいた。そのうちの3人とはマニラで落ち合う約束ができた。中でもケソンシティに住んでいるが、マニラでのホテル待ち合わせ可能で当時の職業はツアーガイドとモデルをやっていると言う女性が次のフィリピン訪問の本命になった。

羽田からマニラへのフライトはANAのマイルを貯めることができるフィリピン航空を選択した。ホテルはネットで調べたレートの良い両替屋(*1)に近いマラテ、エルミタ辺りで部屋から海が見える三つ星ホテルを探した。

ぽんこつマンが選んだホテルは、上層階の窓からマニラ湾が望めるリージェンシー・グランド・スウィート。宿泊料金が高く無く便利なエリアにあるのが決め手になった。

マニラに到着後マラテで4泊する計画にした。ぽんこつマンは空港からウーバーを使ってホテルに向かい、一泊目はカビテに住んでいると言っていたシングルマザー(26)を部屋に呼んでいた。

朝、羽田を出発し、マニラには現地時間14時前に到着する。マニラの空港からは昼の時間であれば渋滞があっても1時間程度でマラテに着く。ホテルにチェックイン出来るのは16時くらいだろうと考えて、彼女を18時に呼んでいた。

ぽんこつマンはホテルにチェックインして、彼女とLINEで現在地を確認していた。彼女がマラテに入ったとチャットしてきたので、ぽんこつマンはロビーに降りた。彼女は18時を少し回ってホテルのロビーに現れた。彼女は昼過ぎに家を出たが渋滞でとんでもなく時間がかかったと言った。それは良いとしてぽんこつマンは少し空腹だった。「飯は何が良い?」と彼女に尋ねたら「フィリピン料理」と言ったのでホテルに聞いてそれほど遠くないフィリピン料理屋に出かけた。距離は1キロほどではあったが夜ともなれば暗い道を歩くのは多少危険を感じるエリアなのでウーバーを呼んで店まで行った。店はThe Aristocrat Restaurantという店。

客はフィリピン人だけだったと思う。彼女におすすめの料理を選んでもらった。ぽんこつマンには今ひとつうまいとは思えなかったが、フレンチフライを料理に皿から溢れんばかりにかかっていたグレービーソースを付けてサンミゲルライトで胃袋に流し込んだ。

飯を食い終わってホテルに戻ってすることはひとつ。ぽんこつマンはノースリーブで膝上までの丈の短いサンドレスを剥ぎ取り、そのボディーラインを見た。シングルマザーとは言え、ボディラインが崩れているというほどではない。しかしヘソからくっきり妊娠線が見えた。

シャワーを一緒に浴び、ベッドへ向かった。ぽんこつマンは少し乱暴に彼女の乳房を弄んだ。彼女はごく自然にぽんこつマンの行為を受け入れた。かなり濃い色をしている乳首と乳輪を軽く噛んでみた。彼女は「ウィ、」と声をあげ軽くのけぞった。彼女の局部に手を伸ばすと既に潤んでいて、すぐに挿入しても良さそうであった。

ぽんこつマンはあらかじめベッドのサイドテーブルに用意していたコンドーム を素早く装着し、足尾伸ばした彼女の上に乗り伸長位で膣口を探し当て、ゆっくりと挿入した。激しく深くは挿入できないが女性の太ももがペニスへの刺激をプラスして、スローなセックスに向いている。ぽんこつマンは徐々にフィニッシュに近づくのを感じて体位を正常位、屈曲位と変えてフニッシュを迎えた。

仰向けのまま天井を見ている彼女の局部をティッシュで拭ってぽんこつマンはザーメンをため込んだコンドームを外した。ふっと息を吐いて彼女の横に仰向けになったら、彼女が今シングルマザーになっている経緯を話し始めた。昔の恋人とコンドーム無しでセ●クスしたらすぐに妊娠した。メンスがなくなってそうかなと思ったが、病院で確認しなかった。そのうちつわりが始まり、その恋人は彼女の元から姿を消した。今は、もうその恋人のことをなんとも思っていないが、子供の面倒を放棄はできない。生活は大変だけどなんとか生きていると。なんだか湿っぽい話になって、ぽんこつマンは彼女に背中を向けてしまった。

ぽんこつマンは面倒な話になるのが好きではない。明日の朝は早く帰ると言っていた彼女を引き止める気は全くなくなっていた。

朝は5時に目が覚めた。彼女も既に起きていて、ちょうどブラをつけて、昨日脱がせたサンドレスを着ているところだった。ぽんこつマンが起きたのを見てそろそろ家に帰ると言った。何を使って帰るか聞くとジープニーに乗り継いで帰るという。フィリピンローカルには普通の乗り物だが、ぽんこつマンはタガログ語を話せないので乗ったことがない。今後も乗ることはないだろう。財布から3000ペソを取り出し「ありがとう」と言って彼女に渡した。さらに200ペソを取り出して、「これはジープニー代」と言って渡した。

彼女は少し寂しそうな微笑みを浮かべてハンドバックの奥深くへ3000ペソを沈めて200ペソだけを手に握り、軽く会釈し部屋を出た。それ以来、彼女からのLINEチャットは無くなり、ぽんこつマンも送る事は無くなった。

2泊目、3泊目は、Skout で見つけた本命をホテルに呼んだ。ツーリストガイドとモデルをやっているというケソンシティ住みの女性。正午にロビンソンプレイスでの待ち合わせ。

ぽんこつマンはホテルを正午10分前に出て歩いてエントランスに向かった。ロビンソンプレイスは11時には開店している筈だが、それほど混み合ってはいない。エントランスで彼女が来るのを待った。正午を5分過ぎたところでLINEしてみた。すると彼女はもう館内にいてエントランスを入って正面に見えるカフェの前にいるという。セキュリティゲートを過ぎ中へ入る。そこには新車の展示がされていてさらに少し奥へ行くと彼女が見えた。

初めましてと挨拶をして、お腹の空き具合を聞いてみた。すると「すごく空いてはいないけど、ジョリビー(Jollibee)に行く?」と返された。

そのJollibee(http://www.jollibee.com.ph)とはあのマクドナルドですら勝てないフィリピンのNo.1ファーストフードらしいが、入った事はなく、即答で「OK」と返した。ぽんこつマンはバーガーメニュー、彼女はライスメニュー。フィリピン人の口にはよく会うらしく、昼時はごった返していた。

彼女はモデルをやっていると言っていたので、165cm以上身長はあると思ったが、実際には150そこそこの小さな女性だった。しかし彼女は飲食にも興味があるらしくいつかはちいさな食堂兼カフェのような店を持ちたいと夢を語っていた。そしていつでもよく食べた。しばらくロビンソンプレースを散策し、その後両替のためにEDZENに行った。店の前には拳銃を持った屈強そうなガードマンがふたり立っている。5万円ほど両替した。

ぽんこつマンは、その国の物価を立ちんぼの売春価格で推定するクセがついていた。当時の日本の相場は、15,000円〜30,000円、タイでは1500Baht〜3000Baht、フィリピンでは、1500ペソ〜3000ペソ、インドネシアでは20万ルピア〜30万ルピア。上限の3という数字が同じ趣を持っていた。町場の屋台飯も桁は変わるが、ほぼ似ている。日本の立ち食い蕎麦屋は400円〜500円、タイのバーミーナムは35〜50Baht、フィリピンのフードコートのメニューは40ペソ〜80ペソ、インドネシアのミーゴレンやナシゴレンは、4万ルピア〜7万ルピア。ざっと日本の千円の感覚がタイでは100バーツ、フィリピン も100ペソ、インドネシアが1万ルピア、と考えれば当たらずとも遠からずと思っていた。

日本円で5万円は当時だいたい21,000ペソ。日本で21万円くらいのお金を銀行から下ろして持っているという事だ。フィリピンの紙幣は20PHP、50PHP、100PHP、200 PHP、500PHP、1,000PHPの6種類。露店マーケットやローカルマーケット、ローカルフードコートなど現金しか通用しないところも多いため常に現金は必要だが、あまり多く持ち歩いているところを見られると、命を落とすリスクも高くなる。

両替屋を出てとりあえずホテルに戻り、パスポートと15,000PHP、それに利用可能額を低く設定している1枚のクレジットカード以外をセキュリティーボックスにしまった。前回のマニラ訪問時に夜のマカティで遭遇したジャンキーの恐ろしい記憶が消えていなかったからの行動だ。

マラテ、エルミタ 界隈は、マカティ のグリーンベルト辺りのハイソな空気はなく、かなりこんとんとした気配が昼でも漂っている。それほどたくさん歩いたわけではなかったが、いつどこで危ない目に合うかわからないというムードの中だったので、ぽんこつマンは少し疲れていた。ベッドに倒れ込み少し休むことにした。彼女は部屋のテレビをつけ、タガログ語のチャンネルをチェックしていた。

晩飯の時間が近くなって、「シーフードを食べたい」と昼間話していたことを思い出した。スマホで探したらトリップアドバイザーのサイトの上位にランクされている店が比較的近くにあった。彼女にその話をしたら、「友達が近くに住んでいるから呼んでいい?」と言われた。

「OK」と返事をして19時に店の前で落ち合えるように連絡してもらった。店の名前は、ずばりSEA FOOD MARKET and RESTAURANT(https://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g298573-d819670-Reviews-Seafood_Market_and_Restaurant-Manila_Metro_Manila_Luzon.html) だった。

19時にレストランに入ったが、彼女の友達から少し遅れるという連絡があったという。先に店に入って、カニ、えび、牡蠣、と野菜の料理を注文した。料理がどんどん運ばれて白ワインと一緒に食べているところに、彼女の友達がやって来た。彼女の友達は、子供の世話があり時間がかかったと話した。なんでも3人の子供と旦那の4人暮らし。旦那は、マカティのステーキハウスでウェイターをしていると言っていた。かなりぽっちゃりしていて、いかにもフィリピンママという明るい女性だった。

彼女の友達は食事中に二度席を立った。ちょっと一服とタバコを吸いに行く。ぽんこつマンはこの数年前までハイライトのチェインスモーカーだったが、日本の正月にひどい雪の年があり、その時にタバコが切れて買いに行くのも面倒になったことをきっかけにやめてみたら、意外と禁断症状もなくあっさり辞めることができて、もう吸う事も無くりすでにタバコの匂いが嫌いになっていた。

自分が吸っていた時は考えもしなかったが、その時はタバコの匂いがある女とのセ🟣クスは、どうももう一つその気になれなくなっていた。

食事を終え、彼女の友人とはいったん別れて、ぽんこつマンとSkoutで知り合った彼女はホテルへ戻った。彼女の友人に比べて彼女は未婚でバストはかなりボリュームがあり、ウエストはそれなりに細かった。下っ腹が少し出ていると思ったが、日本人にもよくある程度でそれよりヒップの張りも良く、身長は高くないがナイスボディーだった。

彼女への土産にと日本の空港でVictoria Secret のショーツを買っていた。それをバックから出して彼女にギフトとして渡した。彼女の好きなブランドはチャットでそれとなく聞いていた。彼女は、土産の包装を見て見て「Wow!!」と驚いた後、包装をといて、「つけてみていい?」と付け加え、バスルームに行きそのショーツだけを身につけて、戻って来た。今まではコットンのノースリーブアッパーに隠れていた、豊満な乳房を片手で隠して踊りながら2mくらいのところまで来てポージングした。肌の色は日本人より少し褐色味をを帯びていたが、フィリピーナとしては白い方だと思った。

最近は、モデルの仕事はほぼなくなり、プライベートツアーガイドとして外出機会も多く、腕や脚は日に焼けていると恥じらいを見せたがぽんこつマンは、まだまだきれいな肌色をしていると思った。

ぽんこつマンがベッドに彼女を座らせて「僕はシャワーを浴びてくる」と言ってバスルームに消えた。シャツと短パンを脱ぎ、アンダーパンツも脱いでシャワーを浴びていると、突然シャワーカーテンが開き、生まれたままの姿になって彼女がシャワーに飛び込んできた。

シャワーの中でお互いの身体を洗い、絡み合った。身長の小さい彼女の片足をぽんこつマンは持ち彼女はもう一本の足を爪先立ちしている。片足の筋肉に力が入っているのがわかる。そのバレーダンサーの様な体位でぽんこつマンは腰を上下運動とグラインド回転を施す。深い挿入は難しいが、コンドームを装着する前のシャワーでのプレイでフィニッシュするわけにはいか無いので、5分ほどそのプレイをしたのち、ぽんこつマンは「ベッドの行こう」と彼女を誘った。

ふたりは軽くバスタオルで肌に残っているシャワーの水滴を拭い、遠くに何本かの高層ビルの明かりが見えるベッドにダイブした。ふたりはキスをしたまま体の上下を変える様に何度もローリングした。その旅にぽんこつマンの膨張した陰茎は彼女の恥骨にあたり、彼女の豊満な乳房の弾力がぽんこつマンの肋骨に響いた。

ぽんこつマンはその行程の中でコンドームを取り、装着しようとした。その時彼女は、身体を上下反転してシックスナインの形になりフェラチオを始める。充分な膨張を確認して彼女はコンドームの装着をリードした。自ら後ろ向きでそのペニスを自分自身の秘部に挿入した。

亀頭のくびれが膣口のアナル側に擦れる。グリン、グリン、グリン、、、。気持ちいい、グリン、グリン、、、。やがて彼女は180度回転し、正面で反り騎乗位。今度は彼女が「呻き声を上げる。亀頭のくびれがGスポットを擦っているのか?

ぽんこつマンは身体を起こして、対面座位に。後頭部に手を添えて抱き寄せると、彼女の豊満な乳房にある少し大きめな乳首が、ぽんこつマンのあばらを擦る。それから彼女を押し倒して屈曲位で亀頭を局部の奥へ押し当てる。彼女の呻き声が大きくなりぽんこつマンが腰を掴んでいる手にしがみ付いて来た。

彼女が頂点を迎えそうな気がした。最後は正常位で彼女の体を強く抱きしめ、ディープなキスを交わしながら互いにフィニッシュを迎えた。

翌日彼女とエルミタ のローカルマーケットに出かけた。途中で昨日の彼女の友達が合流した。彼女はそのローカルマーケットで調理器具を探していた。どうやらデザートを作る道具を探しているようだった。2時間くらいで大きなショッピングバッグがいっぱいになっていた。いったん荷物をホテルに預けて、3人でSMモールアジア(https://www.smsupermalls.com/mall-directory/sm-mall-of-asia/information/)に出かけて昼飯を食べた。

その後シティオブドリームス(https://www.cityofdreamsmanila.com/en)のカジノに行くことにしていたからだ。

当時はオープンしてそれほど月日は経過していなく、その豪華さはフィリピンで最上位だったかもしれ無い。ぽんこつマンはルーレット好きだ。ディーラーがトリックを簡単に仕掛けられるカードゲームは嫌いだし、マシンゲームは退屈でつまらない。

ルーレットはディーラーが次のナンバーを狙ってボールをスピンさせている事はなんとなくわかっていた。そのナンバーを読んでベットして的中した時の優越感は半端なくアドレナリンが噴出する瞬間がある。3人でカジノに入りルーレットのテーブルに進んだ。とりあえず4000ペソをクレイチップに交換した。ぽんこつマンは一回のベットで20枚くらいのクレイチップを3箇所くらいに張る。もちろんシュバール掛け(鞍掛)、コーナー掛け、横ライン掛けはするが、赤黒や奇数偶数、または縦ラインや上中下のアウトサイド掛けはほぼしない。それはディーラーが次にどこの数字を予想して楽しんでいるからだ。儲けるというよりディーラーをヒヤリとさせる的中の快感は比べるものがない。

彼女と彼女の友達がそばにいる時は、徐々に勝っていた。しばらくしてふたりが2回をみてくると言ってぽんこつマンから離れて行った。2時間くらい待っていただろうか。なかなか帰ってこない。そのうち一時は10000ペソくらいに増えていたチップも1000ペソくらいに減っていた。ようやく戻って来たので最後の1回としてディーラーがスピンしてから残りのチップを全て26番黒一点にベットした。ボールが何周かして速度を落とし、ディーラーが「No more bet」と言ってベルをちんと鳴らす。ピンに当たってナンバーホールに落ちる。いったん落ちたかの様に見えたボールがはじけて26番黒からゼロを超え5つ先の4番黒に落ちた。3時間で4000ペソのロストはよく遊んだほうだと言えるだろう。

カジノを出たのは17時過ぎ。マラテまではかなりの渋滞が予想された。ウーバーの中で夕食をどこにするかと言う話になった。彼女は「日本食がいい」と言った。彼女の友人も同意した。マラテにある和食をネットで探した。レメディオスサークルの処にタナベ日本食レストランという店がヒットした。

ホテル より手前にあったので行き先をホテルからそのレストランに変更してもらった。店について2階に通された。かなりの予約がある様で、どんどん席が埋まって行っていた。ぽんこつマンは日本酒をオーダーした。料理は刺身盛り、焼き魚、イカゲソの唐揚げ、だし巻き、それにわかめサラダそしてマグロの握り。彼女と彼女の友達は何やら定食を頼んでいた。日本食はたまに食べる様だったがなぜか刺身には手を出さない。もしかしたら、ラーメンとかの方が良かったかなと思った。今回以降彼女とは何度も会うことになる。マラテ近郊ではH2Oというホテルで3日一緒に過ごしたこともある。

部屋からマニラ湾に沈む夕陽が望めるH2O hotelの客室

マカティのY2 レジデンスホテルに何度となく連泊したこともある。

マカティにはマニラで有数のステーキハウスや美味しいラーメン屋もある。

食事を終えて、彼女の友達は帰っていった。ぽんこつマンは彼女と一緒にホテルへ戻る。シャワーを浴びてまた濃厚な1戦。明日は今回のマニラ最後の4泊目、彼女は明日の昼にケソンシティの部屋に戻る。明日の午後はもうひとりのSkout で見つけたマンダルヨンに住むというシングルマザーと晩飯の約束していた。

翌朝は午前9時半少し遅く目が覚めた。朝勃ちしていた。隣で寝ている彼女の肩をそっと持ち手前に引き寄せ唇を奪った。彼女はゆっくり目を開け、「ウフッ、」と小さく笑った。彼女は手をぽんこつマンの股間に伸ばしそこにある陰茎が硬くそそり勃っているのを確認した。そしてゆっくりしごき始めた。昨晩の濃厚なセ🟣クスの後、ふたりはシャワーを浴びて何もつけないまま抱き合って眠っていた。だからぽんこつマンが上になって、彼女の局部にぽんこつマンの亀頭をツンツン突きながら彼女の首筋からデコルテ、脇腹、乳房、乳輪、乳首、に唇と舌で愛撫を加えると、秘部の奥から愛液が溢れてくるのがわかる。

ぽんこつマンはベッドサイドテーブルにまだ残っているコンドーム を取り素早く装着して、彼女の花芯の奥へ亀頭を埋めていった。正常位で腰を少し高い位置から、遊園地のバイキングの様に円弧を描きスイングする。行き着いた先と抜けそうな位置で少しとまり、動き始めから加速して奥でまた止まる。そんな動きを繰り返した後、腰を低い位置に下ろし機関車のクランクの様に前後にピストンした。彼女の足を持ち上げ肩に載せる。屈曲位で彼女の子宮口に亀頭を届かせる。もう一度正常位で彼女と抱き合ってフィニッシュを迎えた。

そのセ🟣クス の後シャワーを浴びたら、午前11時を回っていた。彼女は初めて逢った日にお土産で渡したショーツをつけ、連泊のために持って来た3枚目のノースリーブドレスを着て帰る準備をした。部屋を出る前にホテルの廊下に通じるドアに寄りかかって激しいハグとキスでその日の別れを惜しんだ。

その後ぽんこつマンは、部屋にあるインスタントコーヒーをノンシュガーでひとり飲んだ。正午になっているがその時はそれほど空腹を感じていなかった。それよりも背筋と腹筋、それに大腿筋に疲労感を感じていた。今日マンダルヨンのシングルマザーと早めに夕食を取るまではファスティングしてもいいかなと思った。

今日出逢う予定のSkaut3人目の彼女とは17時にトリップアドバイザーで調べたパサイにあるSEA SIDEというレストランエリアのゲート前で待ち合わせした。海鮮を買って、いくつかあるレストランへ持ち込んで調理を頼むスタイルだ。そこはフィリピンローカルにも、海外からツーリストにも人気がある様だった。

ぽんこつマンは、夕方の移動ということで渋滞を予想し16時前にウーバーを呼んでいた。指定したレストランエリアには17時5分前に着いた。まだそれほど人で溢れていなかったが、どんどん人が自家用車や、ウーバー、タクシーでやってくる。一台のジープニーがゲート前に止まり、そこから目当ての彼女が降りて来た。

彼女は「待った?」と聞いて来たが「いや、今来たばかり」と答えた。実際に17時15分だったのでそれほど長く待っていたわけではない。なぜ約束の時間を15分しか遅れていないのにそんなことを聞くのか不思議だった。そもそも南国に暮らす人が時間に几帳面であることは珍しい。その理由は食材の海鮮を選びレストランで調理してもらっている時にわかった。

選んだ海鮮は、カニ(マッドクラブ)、ロブスター、中型エビ、ムール貝、牡蠣、ハタ系の魚。魚介を購入するとそれぞれのレストランの呼び込みがすごい。「シャチョー」「シャチョー」という言葉には構わず、自分の印象でレストランを選んで入る。

カニはカニカレー、ロブスターはグリル、中型エビはチリソース、ムール貝はスチーム、牡蠣は生、そして魚は唐揚げで注文した。料理とともに白ワインを1本頼んだ。ワインを開け料理が出来上がるのを待ちながら、彼女に「なんでさっきゲートで出会った時に『待った?』て聞いたの?」と話してみた。その答えは、1ヶ月前まで日本のフィリピンバーでキャストをしていたと答えが返って来た。ぽんこつマンは、それで全てを理解した。どんな形であれ日本で働いた経験があれば、日本人と接する時は時間を守ることが大事になる。少しでも約束の時間を過ぎていたら一応そのことに気がついていることを相手に伝えることが、最低のマナーと心得ているという事だった。

料理が出来上がってどんどんテーブルにやってくる。4人がけのテーブルにスペースがなくなるくらい料理がぎっしりと並んだ。お互いに取皿に料理を取り、味わった。朝も昼も食べていないぽんこつマンは、胃が縮んでいるのか、海鮮を選ぶときはいろいろ食べたいと思ったが、実際に目の前の料理が並ぶとたくさんは食べれなかった。彼女も「もうお腹いっぱい」と言って食べない。マンダルヨンの家には、一人の小さな娘と彼女の母が一緒に暮らしていると聞いた。豊かではないフィリピン人にとっては、カニやロブスター、エビや貝などは高級食材らしく普段の食事で簡単に取るということはないとも聞いていたので、「お土産で持って帰る?」と聞いたら「はい」と日本語で帰って来た。

彼女は今はいったんフィリピンに帰って来ているが、また近いうちに日本の前と同じフィリピンパブで働くと言っていた。その日は、昨晩からの背筋・腹筋・大腿筋痛もあり、そこまで彼女とセ●クスをしたいとは思わなかった。レストランを出て彼女は食べきれなっかった料理をたっぷりと持ってジープニーを待った。ぽんこつマンは、家までのジープニー代として200ペソを手渡してハグをと日本での再会を約束して、呼んだウーバーに乗ってホテルにひとり戻った。

日本に帰国後、彼女から日本で働いているフィリピンパブの住所を貰った。場所は豊橋近郊。一度は約束を果たすため、東京から新幹線でその店に行ったことがある。そこで見た彼女は、かなり原谷尻や二の腕に肉がつき随分ぽっちゃりになっていた。その後彼女は日本人と結婚し、その店のチーママになったと聞いている。今も彼女のLINEはあるが、ほぼチャットはしない。たまに彼女が働いているパブからのプロモーションがタイムラインに入るだけになっている。

こうしてこの4泊のSkoutで知り合った彼女3人との出会いマニラ訪問は、終わった。2番目の本命と考えた彼女とは、それ以降もマニラで何回となく会い、セ●クスをする関係になった。

しかしぽんこつマンのSkout でのアジアでの女の子探しは続いた。セブ、バリ、ジャカルタ、バンコク、そしてハノイが加わった。その経緯はそれぞれ別の記事で追って投稿するつもりだ。

バリ島サヌールでのインドネシア初ナンパ

2015年頃には、ぽんこつマンはバンコクでオスの本能がピークを迎えていた。タイ以外の異なるアジア諸国の風俗を調べてるうちにぽんこつマンはサーフィンには全く興味がないがバリ島娘への興味が出て来た。バリの女の子はバンコクの女の子とどう違うのだろう?性格の差、見た目の差、性に対する意識の差などを実際に感じてみたくなった。

そうだ!バリに行って見よう!! そう決めた時は日本が既に晩秋を迎え、人肌の温もりが恋しい季節に変わっていた。この頃勤務地が東京に変わっていて、TYO→BKK→CNX→BKK→TYOとタイへの旅程を初秋の頃に決めていたが、東京バンコク間はANAの特典マイルで取っていたので東京に戻る前にバンコクからバリへの2泊を追加を決め、タイ航空のフライトをネットで探した。当時はタイ航空のバンコク〜テンパサール間は1日2便あったように思う。バンコク を午前出発しテンパサールには現地時間夕方に到着する便も比較的安価で買えたので即予約を作った。ホテルは近くに置屋があるとの調べがついたので朝日が見れるサヌール地区の3つ星をとった。

空港からタクシーでサヌールのホテルに直行してチェックイン、荷物を置いて近くにあるバーに行った。カウンターに座り、ビンタンビールを注文した。隣に女性がいたので英語で話しかけたら、なんだか話が通じてバリ島でおすすめのディナーを聞いたら、ジャンバランでシーフードがいいと勧められた。一人で行くのもつまらないので明日一緒に行かないかと誘ったら、気さくにOKとなった。その日はホテルに戻り静かに寝た。翌日は朝早くサヌールの海岸を散歩。昼近くにホテルでバイクを借りて、あらかじめ調べてあった置屋へ向かった。飛行機の移動の疲れがまだ十分に取れていないのだろう。だが体はヘトヘトでもチ●コはギンギンだった。いわゆる疲れマラ。部屋に入る前に女衒が女をバイクの尻に乗せてやって来た。特に可愛くはないが精子を出したい衝動もあったしせっかくやって来た女の子を返すのもかわいそうだと思い即OKにした。いくらだったかははっきり覚えていないが高くはなかった気がする。愛想は悪くなく、英語はほぼ通じないがやることは世界共通、ボディーランゲージでその場を乗り切った。その夕方は昨日約束したジャンバランでのディナーがあるのでホテルに戻って準備した。待ち合わせは昨日出会ったバーの前。タクシーを呼んで出かけたら、店の前に彼女は既に来ていて、その足で一緒にジャンバランに向かった。車内でどこに住んでいるのか?どんな仕事をしているのか?何歳なのか?出会ったバーにはよく来るのか?今日は自分の部屋からバーまではどうやって来たのか?などを話した。

何分くらいタクシーに乗っていたか分からないが、ノリのいい英語での会話が弾んであっという間にジャンバランビーチにあるレストランに到着した。入り口を入るとシーフードが陳列されていてその中から選んで料理を決めて注文した。その足でビーチにあるテーブルに案内され、飲み物のメニューが出される。ぽっんこつマンはワイン好きなので、白ワインをオーダーした。彼女もワインが飲めるらしくふたりで2本のワインを開けた。ビーチについた頃はまだ太陽が沈んでいなかったが、2本のワインがなくなった時は既に夜10時を過ぎていた。彼女の仕事は身体障害者のバリ旅行の企画運営を手伝っていると言うことだったが、たまたま今は新しい旅行者からの依頼がないので、バリの友達が働いているサヌールのバーに遊びに行っているとのことだった。彼女の出身はバリではなくジャワ島、バリ島出身ではないと言うことはヒンズー教ではなく回教徒だが、バリにいる時はスカーフ(ヒジャブ)をしないのだといった。彼女の話は興味深く、しかも明るい性格が気に入った。

そろそろ帰ることにしようという話になってレストランにタクシーを呼んでもらった。彼女の部屋はテンパサール市内にあるとのことだったが、バイクをサヌールのバーに置いて来ているので、その晩はぽんこつマンのホテルに泊まっても良いと言って一緒に戻ることになった。ホテルに一緒に戻ると言うことは、、、、、、、、、、、。今日は昼間に置屋で抜いて来ているが、、、、、、、、、、夜にも激しい体液の交換が待っていた。

今でも彼女との濃厚な時間は脳裏に残っている。温かくしっかりとホールドされたぽんこつマンの逸物の根元から亀頭に向かって肉ヒダがうねり上がっていく。日本人には滅多にない乳房のハリ、腰のくびれに触れるか触れない程度に手のひらを這わせると微かな呻き声と同時に腰をそらせ、亀頭を子宮口に当たりやすくする動き。正常位から片足屈曲位、騎乗位、後背位、寝バック、後側位、座位、両足屈曲位、スロー、、、スロー、、、、、スロー、、クイック、スロー、、、スロー、、、、クイック、ぽんこつマンが変拍子で打ち込む。彼女は全身を小刻みに震わせながら、体に突然走る快楽のショックに耐えていた。絞り上げるように強く握りしめるシーツ、ぽんこつマンの体を引き寄せようと彼女の指が背中、腰に食い込んでくる。合わせる肌は、強い空調の中でも熱く火照り、互いに汗ばんで絡み合った。

一戦が終わったのは午前1時より少し前。当然コンドームを装着しての一戦だったが、彼女はぽんこつマンが果てた暫く後に、次は、中で出さないなら「生でも良い」とささやいた気がした。そのままふたりは抱き合いながら眠りに落ち、朝を迎えた。ふたりが目覚めたとき時計は6時をまわっていた。昨夜の名残が消えていないのか、彼女の手がぽんこつマンの股間に伸びて来た。すぐに股間に血流が流れる感覚があり、再び膨張がはじまる。とっさに彼女はその張り詰めた肉坊をくわえ、フェラチオがはじまる。ぽんこつマンは下から彼女の秘部へ舌を這わせ、クンニで応える。やがてシックスナインの体勢から騎乗位での挿入がはじまった。コンドームの装着は無かった。体位はやがて後背位へと変わり彼女の裏G スポットあたりを突き上げた。昨日は昼と夜に合わせて2回射精しているので、誤って中で発射することはないだろうと思ったが、まだ微かに昨夜のジンジンとする感覚が残る中での2度目のセ🟣クスは腹上死を連想させるほどの快感に満ちた疲労感の中で最後の一瞬を迎えた。発射寸前の勢いある力強いひと突きの後、抜き出された亀頭から昨夜よりも少し透明感がある精子が彼女の背中に放出された。彼女はその瞬間に立てていた膝を崩しうつ伏せになって暫く放心していた。ぽんこつマンは荒い呼吸の中でティシュを取り、彼女の背中に放出された体液をゆっくり優しくと拭い取った。

目覚めた時より太陽が30度近く高くなっていた。ふたりは一緒にシャワーを浴び、水しぶきの中で唇を、肌を、強く重ね合った。甘いオレンジジュース、濃いコーヒー、スクランブルエッグとベーコン、そして薄いトーストの朝食をホテルの中庭で取った後、彼女は名残惜しそうにハグを求め、そしてホテルを後にした。

わずか2泊のバリ島サヌールの旅、しかしぽんこつマンにとっては、忘れがたい甘く切ない記憶となった旅であった。その日の午後のフライトでバンコクに戻り翌朝のフライトで日本に帰国するのだが、空港を離陸した飛行機の窓からぽんこつマンはテンパサールの街を雲に隠れて見えなくなるまで見下ろし続けていた。バンコクに到着した時には既に陽は落ち、闇に包まれていたがモーターウェイの灯りや対向車のライトがやけに眩しいと感じた。バンコクのホテルまでのタクシーの中で近いうちに再びバリ島を訪れよう、そしてもう一度彼女に逢おうと思った。