アメリカのステーキハウス、ルース・クリス・ステーキ・ハウスでもう一度ステーキを食べたくなった

ぽんこつマンは、焼肉より実はステーキが好きである。今から40年くらい前の学生時代に初めて500gのステーキを東京のスエヒロで食べた時から、熱々の鉄板の上に乗せて運ばれてくるステーキをガツンと食べることが好きになった。

神戸の大学院時代は、経済的に余裕がなかったので、たまにフォルクスに行くのがやっとだったが、サラリーマンになって仕事に慣れて来た頃に、協力会社の接待などで旨いものがどんどん食べれるようになった。自分の稼ぎもサラリーマン2年目には残業代も充分に入るようになり、たまの女の子のデートなどでうまい飯を食べに行く機会も増えていった。この頃から学生時代58Kgだった体重がどんどん増えていくのだが……。

最初にアメリカでステーキを食べたのは、1985年ロスへ出張した時に協力会社の人に連れて行って貰った1Kgステーキで、その店はサンタモニカからマリブへ向かう途中にあったと思う。客は巨漢のヤンキーばかりで、身体の小さいジャップはぽんこつマンと一緒に行った4人だけだった。最低の500gステーキは女性だけと言うとんでもない店だった。やむなく1Kgのリブアイを頼んだが、どんなに若さがあるとは言え、1Kgを平らげるのは大変だった。

その次にアメリカに行ってステーキを食べたのは、1993年。この記憶がぽんこつマンの最高ステーキになった、ビバリーヒルズのRuth’s Chris Steak House(https://www.ruthschris.com)だった(2020年9月現在閉店中)。

それ以降、このルースクリスのステーキを当時の連れ合いにも食べさせたくてプライベートでロサンジェルスを訪れたこともある。またラスベガスのカジノにルーレットをプレイしに行った時も、ラスベガスのルースクリスを訪れた。当時連れ合いとの毎年のカウアイ島での1週間の休暇の後にホノルルに何泊かすることもあったが、その時はホノルルにあるルースクリスステーキに必ず一回は行っていた。サンフランシスコ近郊のシリコンバレーにあるCGI製作会社と仕事した時も、サンフランシスコのルースクリスを訪れた。

ルースクリスのステーキで、一番少量のステーキが8oz のプティフィレ肉だったが、ぽんこつマンはリブアイ好きなのでプティリブアイ12ozが最も少量だった。そして大概はそのステーキのサイドにウェッジポテトかベイクとポテトかマシュポテトとクリームスピナッチを付ける。ステーキの前のアペタイザーとサラダもオーダーするとかなりのボリュームになるが米国人はかなりの老人でもそれらをペロリと食べる人が多かった。ルースクリスのステーキは熱々に焼かれた鉄板に乗せてのサーブではなく、熱々に熱せられた陶器の皿(500°F=260°C)にグリルされた肉がドンと置かれたもので、フレンチのように洗練された盛り付けではなく、アメリカンを感じるストレートな盛り付けだが真っ白のテーブルクロスに真っ白のナプキンと洗練されたカラトリーがマッチして粗野すぎない演出がまた良い。

アメリカンステーキといえばローリーズと言う一時代があったが、ぽんこつマンはルースクリスのL.A.ビバリードライブの店の味とムードに完全に惚れてしまっていた。ホノルルの店やラスベガスの店のステーキも悪くはなかったが、客層が微妙に違うことで味やムードも微妙に変わってくる。だから東京にもルースクリスが進出したと聞いた時も、東京に行くくらいならロスのビバリードライブの店に行きたいと思ったほどだった。

ぽんこつマンは今から10年前くらいから、時差が受け付けられなくなって来て、ハワイすらも移動がキツくなって来ていた。東南アジアなら時差はわずかだから、それほど問題はないが残念なことにぽんこつマンが東南アジアの拠点にしているタイにはない。まぁ、有ったとしても味はかなり変わってしまうだろうからなくてもいいのだが…..。

最近のタイは、日本食ブームが続いていてまだまだ気の利いたアメリカンステーキの店は見当たらない気がする。ルースクリスは現在東南アジアではインドネシアのジャカルタとシンガポールにあるらしいが、もしコロナが落ち着いてタイからでも簡単にジャカルタやシンガポールに行けるようになれば、一度チャレンジしてもいいかもしれない。香港にも上海にもルースクリスは進出しているようだが、現在の中国共産党独裁が続く現状では行きたいと思わない。

タイにルースクリスが出店することがあるのかどうかが気になるところだが、もう一度あのルースクリスステーキハウスで8ozのフィレか12ozのリブアイを食べてみたいと思った。