それはぽんこつマンがまだぽんこつになる20年くらい前、1998年だったと思う。仕事のつながりで日本の冬にグリーンな芝のロケーションを探すことになり、日本の冬が夏であるオーストラリアのコーディネーターにロケーションリサーチを依頼していたが、既にタイの魅惑に触れていたポンコツマンは、会社に休暇を申請しタイのゴルフコースを北から順に巡る旅を計画した。最初にチェンライ、そしてチェンマイと移動して5つくらいのゴルフコースをプレイした。チェンライではサンティブリカントリークラブとウォーターフォード ヴァレー ゴルフ コース。
1日1コースを朝から廻るので、当然昼からは飯を食う、酒を飲むということになる。チェンライ、チェンマイでタイマッサージはもちろん、マッサージパーラーやゴーゴーバー、カラオケにも行ってみた。
当時はタイ語が話せるわけでもなく片言の英語だけがコミュニケーションの手段だったが、当時は臆することもなく昼飯を食べた午後2時くらいからいかにも怪しいドアを開けてマーサージパーラーの金魚鉢を覗きに行った。それまでタイ人は日本人より肌の色が黒いものと思っていたが、当時この北部タイの歓楽場には、途方もなく透き通るような白い肌を持つ女性が働いていることを知った。
ちょうど5日目の夜、今はあるかどうか定かでは無いが、Olivia、Olivia2(現在は閉店して長く跡形もない廃墟となっている)といったカラオケバーがチェンマイのチェンマイランドというエリアにあり、宿泊先のホテル(インペリアルメーピンホテル)からトゥクトゥクに乗り、カラオケクラブOlivia2に行ってみた。

ぽんこつマンはカラオケを歌いたいわけではなく、カワイイ女の子と仲良くなりたいということで出かけたが、午後8時ごろ店のドアを開けたら女の子が集まったばかりらしくまだ着替えていない女の子もいて慌ててソファーに集まってきた。一人でやって来た日本人らしき男を見てみんな指名を貰おうと必死に笑顔を作っていた。
私が選んだ女の子は、小柄な丸顔の子。なんでも店に一人でやってくる日本人はまずいないらしいことを彼女は拙い英語で話してきた。ビールを頼んで乾杯し、30分位その店で過ごして彼女をペイバーした。ホテルに一緒に戻り、朝まで過ごす。朝ごはんをホテルで二人で食べて、彼女の家に行くことになった。サンカンペーンにあり、そこに母親と過去にタイ人男との間に生まれた一人娘がいた。当時は初めての東南アジアで知り合いからも情報誌からも食当たりに注意するようにとの情報を得ていたので、その子の家で出された一杯の水も一口触れて、それ以上飲まなかった。結果この日はゴルフコースに行くこともなく、その子とは連絡先を交換してホテルに戻った。
こうしてぽんこつマンのアジアへ落ちる生活は始まった。その翌日、ゴルフコースから帰って来てチェンマイ市内にあるギャラリーカフェという店にお昼ご飯を食べに出かけた。そのカフェで静かに読書をしながらお茶を飲んでいる女性の隣のテーブルに一人座った。どんな女性なんだろうと視線を送ったら偶然目と目が合ってしまった。お互いに微笑み、簡単な英語で話かけてみた。彼女の答えは、昔、「この辺りは田舎から出てきて住み始めた場所」で「久しぶりにこの店に来た」との事だった。私はゴルフコースを下見する旅をしていることを話し、「良ければ今晩の食事を一緒にしないか」と誘ってみた。
答えは、なぜかOKだった。その晩またその店の近くにあるグッドビューというピン川に面したレストランで食事をした。彼女は身長が小さいことを気にしているが、ぽんこつマンは身長の大きい子はさほどタイプではなかったし、何より彼女の胸の膨らみ、そして声と仕草が妙に気になっていた。彼女は当時チェンマイに一人で住んでいて、食事の後も特に家に帰る必要もないとの事だったので、ホテルに誘ってみた。ホテルについてフロントで鍵をもらうときに、フロントレディーがクスッと笑ったような気がしたが、どうも昨日の女性と違う女性を連れてきたのがおかしかったのかなと思った。
こうしてぽんこつマンはアジアに堕ちる道を進み始めた。翌日はバンコクに飛び2日後は日本へ戻る予定だった。翌朝になりホテルをチェックアウトし、空港へ向かう時も彼女は私についてきた。妙に彼女に愛おしさを感じたのを今も覚えている。荷物を預けフライト時間が来るまで空港の珈琲ショップで彼女も同じ時間を過ごした。そしてとうとう出発の時間が迫ってゲートへ向かう時に彼女に手を振ったら、それまでおとなしい笑顔を見せていた彼女の目に涙が光っていた。
結果彼女とはその後も幾度となく会うことになった。彼女は実はぽんこつマンの現在の連れ合いになっている。その日から数年は年に数回チェンマイを訪ね、彼女のアパートで寝泊りする生活が続いた。



