チェンマイならではのローカル料理を味わえるフアン・スーンタリィ

チェンマイの言葉はバンコクの言葉とかなり違うところがある。チェンマイ女性が「こんにちは」という時はサワディーカーではなく、「サワディーチャーウ」となったり、バンコクで20のことは「イーシップ」と言うがチェンマイでは「サオ」と言ったりする。「マイペンライ」も「ボッペンニャン」となる。「ボッペンニャン」の「ボッ」は否定を表すタイ語の「マイ」として他の会話でもよく使われている。ぽんこつマンはしばしばチェンマイを訪れタイ語を少しずつ覚えていったが、先にあるような確かに典型的な言葉の違いはわかっているつもりで、バンコクのタイ人とタイ語で会話した時、やはりチェンマイ 訛りがあると言われた経験がある。微妙なイントネーションの違いや発声の違いがあるのだろう。

そんなチェンマイ出身のランナー・カミンというシンガーソングライターの曲が好きでよく聞いていた時代がある。その歌には確かにチェンマイ 訛りに使われる幾つかの言葉があって、曲奏もなんとなく郷愁をそそる楽器とメロディーで進行するものが多い。

彼女のGRAMMYからのファーストアルバムにある ไว้ใจ๋ได้กา「ワイ・ヂャイ・ダイ・ガー」という曲があるが、この曲にある最後のガー(カー)というのはバンコクでも親しい間柄ではよく使われる疑問形のmai?と同じように〜ka?と使うもので、ไว้ใจ๋ได้กา「ワイ・ヂャイ・ダイ・ガー」東京弁で「信じれんの?」関西弁で「信じれるん?」のようなものだと思う。

発音は男性の「〜カップ」にあたる女性の「〜カー」とは違っていて、あまり長く伸ばさないし関西弁で「行くんか」と訊くときの「か」の音に近いと思う。女性も男性も普通の会話ではよく使っているとぽんこつマンは思う。

チェンマイという街の名前は、CHIANG(都) MAI(新)で新しい都という意味で、1262年にライ王がチェンライに都を定めたラーンナー王朝の4回目の遷都先とされ都が築かれたとされているようだ。ラーンナーとはล้านนา(百万の田)を意味するらしく、チェンマイがラーンナー朝の都となっていた時期は1296年〜1775年までと長く、その後は現タイチャクリ王朝の朝貢国となったとされている。

それ故にチェンマイ には今もランナー時代の独特な遺跡や文化があるようで、料理もチェンマイ独特のものがいくつもある。そんなチェンマイ料理を味わえるレストランが、GRAMMYの歌手としてデビューしたランナー・カミンの母が経営する、Huan Soontaree(フアン・スーンタリィ)だ。

市内からかなり離れているので、メータータクシーかGrab Car を利用してくることになるが、その分対岸からの騒音も高い建物も近くに無く20時を過ぎれば、空は漆黒に包まれる。

基本はタイ料理だが、チェンマイ独特の料理も数多くある。永き昔から身体に良いとされるハーブが豊富に使われていて、ぽんこつマンにはかなり厳しい味もあるが、ケーンハングレー(豚の角煮カレーソース)というチェンマイ料理は日本人にも無理なく食べられると思う。

雨季はピン川そばに置かれたテーブルで月と星を眺めながらの食事は難しいが、乾季になれば月や星を眺めながら郷愁を誘う音楽とラーンナーの文化の香り漂う料理を堪能できる特別な店の1つだ。乾季はチェンマイのハイシーズンになり、この店も予約がないと厳しいかもしれないので、特にロイクラトン(コムロイ)祭りの時は特に混雑すると思われるので注意してほしい。

もしチェンマイにやって来て、品のあるチェンマイ美女・美男子と知り合い、一緒に食事をして二人の距離を縮めたいという事があれば、是非利用することをお勧めする。

チェンマイのマッサージパーラー②パンドラ

ぽんこつマンがこのマッサージパーラーを初めて訪れたのは2003年だったと思う。この年はチェンマイのチェンマイランドというカラオケ店が集まるエリアの探索に来た年で、システムの情報を何1つ知らないまま、オリビア2というカラオケにひとりで飛び込んで、Kと名乗る当時26歳の小さな娘をペイバーしたのだが、カラオケがオープンする時間は早くても19:00頃だろうと思い、昼の2時頃ホテルを出てトゥクトゥクでパンドラを訪ねたのであった。

パンドラは、SAYURI コンプレックスよりさらに市内から離れていて、タイ国鉄チェンマイ駅から5〜600mほどの北側に位置する。市内からの行き方はSAYURIコンプレックスへ行くのと同じ、チャロンムアン通り(ターペー通り)をピン川を渡り東へ進む。ピン川を渡って1km程進んだら右手にShell の大きなガスリンスタンドが見える。その先左手に、看板がたくさん並んだサインがあるところを左に入る。

そのMPの場所はすごく分かりにくいがチャロンムアン通り(ターペー通り)の入り口から奥へ250mほど入ると、長いビルのほぼ奥のあたりにそのMPのエントランスがある。

ぽんこつマンがそのエントランスを入った時は、まだ時間が早過ぎたのか女の子は数人いただけだったがひとり可愛い子がいた。女の子はまだ金魚鉢には入っていないようでエントランスで直接顔を見たのだったが、覚えたてのタイ語で話してみても、どうもぽんこつマンのタイ語が分からないらしく、コンチアの話では普段はタイ語を使わない部族ミャンマー国境やラオス国境の娘のようだった。当時の記憶は定かではないが1300か1400Baht払ったような記憶がある。

もしかしたらタイ人ではない隣国ミャンマーやラオス、娘たちだったのかも知れない。しかしカラオケに行くまでにまだ4時間くらいあったので、その可愛い黒髪の女の子を選んで部屋に上がった。もう部屋の様子は覚えていないが、こちらも当時はバンコクのMPと比べて貧相な作りだったと思う。

部屋で洋服を脱いで、お湯(かなり低めの生温い程度)を張った風呂にふたりで入り彼女の洗体サービスを受けるが、タイ語も通じないのでは英語も通じるわけもなく、ただただ意味もなく微笑み合うだけの時間が流れた。

シャンプーという言葉は何とかわかったみたいで、髪の毛も洗ってくれた。ぽんこつマンが彼女の年齢を訊こうとタイ語、英語や自分の年齢を指でジェスチャーするなどしたら彼女は同じく指のサインで2と4のサインを出し24歳のようだとわかった。

彼女のおっぱいは自然のままの張りもあり、形のいい美乳だった。ぽんこつマンはシリコンの乳は好きではないのだ。自然のままでまだ張りがあると言う事は、20歳を超えた女には珍しい事だ。もしかしたら男との肉体関係が必須のマッサージパーラーの仕事を始めてさほど日にちが経っていない嬢なのかもしれない。アジアの貧しい農家に生まれた娘が親が背負った借金のために売られてくると言う話を聞いたことがある。学校にも行けていない純真無垢な田舎娘がその運命を受け入れて健気に笑みを浮かべて働いているのかもと想像した。

しかし彼女は処女でこの仕事に入ったのではなさそうだった。よく見るとイン毛の上あたりの下っ腹が少しふっくらしていて、かすかなセルライトの線が何本か見えていた。きっと彼女は田舎で既に一度は妊娠・出産を経験していて、子供を彼女の田舎の両親のもとに預けてチェンマイに働きに来ているのだろうと思った。

ベッドでは、ゴムを付けてのフェラチオサービスから始まって、騎乗位での本番サービス、そして正常位になってのフィニッシュまでという流れだった。本番サービスが終わったら、彼女は冷たい手でぽんこつマンの太ももやふくらはぎ、そして背中の筋肉を解してくれるマッサージをしてくる。マッサージがうまい訳ではなかったが、一生懸命尽くそうとする気持ちはよくわかった。言葉が通じないが彼女の少しはにかむ笑顔は最高に可愛いと思った。マッサージが一通り終わって再度シャワーでぽんこつマンの身体を洗い流した後、決められた時間が来る少し前にぽんこつマンは部屋を出た。彼女にはぽんこつマンが勝手に想像した彼女の生い立ちの不憫さに500バーツのチップ(当時はMPで渡すチップは普通で200、サービスが悪いと100と決めていたのだが…)を渡したが、その時も一瞬驚き、最高の可愛い笑顔見せてぽんこつマンを送り出してくれた。

店の外へ出るとまだ陽はそこまで低くはないものの、かなり光線が弱くなっていた。道の奥は左に曲がっていてそこに大きなアパートがあるようだった。多分このアパートに多くの田舎からの出稼ぎ娘や男が一部屋に何人か集まって寝泊りしているのだろうと勝手な想像をしたことを思い出す。

ぽんこつマンは、歩いてそのアパートの前を通りさらにその先へと歩を進めた。高い建物はなく、時折通るバイクの音だけが残る静かな通り。道は少しうねりさらに先へと続いていた。ぽんこつマンはただおもむろにその道を真っ直ぐ進んだ。

1kmほど歩いただろうか、その道はT字路になり、右手にはSAYURI コンプレックスの黒字に黄色のタイ文字サインが見えた。ぽんこつマンは改めてSAYURIに向かい、金魚鉢を眺めに入ったが、その日は先ほどの可愛良い女の子を超える上玉を見つけることができなかった。

その後、SAYURIを出て左へ進み右手奥に高いコンドミニアムが見える方向へ歩いてみた。いくつかの行き止まりにあたり戻っては違う道を進んで、できるだけ夕陽が落ちる方向へ進むようにしていたら、ピン川沿いを走る道路に出た。そこには、この後行ったカラオケでペイバーした女の子と後日デートしたThe Riversideや今の連れ合いと出会ったThe Gallery Cafe、そして今の連れ合いと初めてデートしたGood Viewといったチェンマイでのデートスポットがひしめくエリアだった。

チェンマイでシーフード①

ぽんこつマンはシーフード好きでもある。チェンマイといえばタイ北部の県で海は無く、シーフード とは程遠いという印象だが、なかなかどうして以外にシーフードレストランは多くあるのだ。チェンマイ をタイのベースにしてからもう15年以上になる。これまでいくつかのシーフードレストランに好んでいくことが多かったが、今回紹介するところは、2019年から気にいっているシーフードレストランである。

その名はメーペンシーフード (Maepen Seafood)。チェンマイを流れるピン川を市街から上流へむいて左岸を上り、ラタナコーシン橋を過ぎて300mほどさらに進むとそのシーフードレストランはある。

エビ、蟹、帆立、牡蠣など、メニューが豊富。特に大型のリバープラウン炭焼きが名物らしくそれを注文する客が多い。焼きエビの味噌がなんとも旨い。生エビも生牡蠣も鮮度が抜群。ビールのあてに必ずと言って頼むトートマンクン(エビのすり身揚げ)も旨い。

金額的には決して安いとは言えないが、そのロケーションの良さも考慮すると高いと思わない。バンコク より割安な印象だ。ぽんこつマンの連れ合いも息子もシーフードは好きで、月に一度は訪れたい店になっている。

2020年3月31日にチェンマイ を離れて、日本に戻ってから2020年8がつ時点で未だタイへ行く空路は開かれていない。タイ民間航空局の発表では現在の制限は無期限と言っている状態だ。次にこの眺めの良いシーフードレストランで食事できる日がいつ来るのか全くわからない。

チェンマイの老舗イタリアン

2019年12月の末に連れ合いと息子と一緒にイタリアンに行こうということになった。連れ合いとは知り合ったばかりの頃、チェンマイのフレンチとかイタリアンに行ったが、息子ができてからはチェンマイでフレンチやイタリアンには長らく行っていなかった。

選んだ店は、アルコバレーノ イタリアンレストランという店で、リバーサイド、グッドビューといったチェンマイ ではピン川沿の有名レストランからそれほど遠くない場所にある店だ。

広い敷地の奥に白い住宅風のレストランがあり、店の前にある敷地が駐車スペースになっている。事前に予約を入れていた時間は18:00。店についた時には、タイ人女性二人がいただけで、静かだった。ダイニングスペースはかなり広く、ぽんこつマンが案内された席は入り口を入って右奥のテーブルだった。入り口を入って左奥はカウンターバーになっているようだった。

前菜にあさりのワイン虫と蟹のグラタンをシャアした。メインは、フォアグラステーキ、スパゲッティペスカトーレ、スズキのグリルをシェアした。デザートはティラミス。ワインはプリミティーボメルローを頼んだ。テーブルに料理が運ばれてくるタイミングもちょうどいい。店主と思えるタイ人の初老の男性がワインをサーブしてくれる。静かにゆっくりと即時の時間は流れていく。

味付けは、イタリアンという割にはあっさりしている。ぽんこつマンが食事している間に、日本人の初老の客が2組、白人の老人が1組、タイ人男性二人が最初に来ていたタイ人女性客に合流していた。1組の日本人はこの店を贔屓にしているようだった。客層の年齢層が高いこともあるのか塩分控えめ、オイル少なめ、ガーリック控えめの印象が強かった。健康のためにはこれくらいの控えめがいいんだろうなぁと思った。

2019年年末のイタリアンディナーは乾季のピン側のように静かに流れていった。