日本一時帰国前のソイカウボーイそしてBKKガールフレンドとの熱いひととき

パタヤへの弾丸1泊旅から戻った2023年4月5日当日は部屋で静かに過ごしたが翌6日にはタイのナイトライフの刺激を改めて味わいたくて陽が沈んだ頃からいても立ってもいられなくなり、気がついたらシャワーを浴びて襟付きシャツを着てBoltのアプリにSoy cowboyと行き先を打ち込んでいた。

夜の8時はSoy Cowboyは店が開き始めたばかり。しかし6日は木曜日で名の売れたGoGo Barは比較的多くの客入りが見込めるようになってきていた。客の入りが多くなるとあればGoGo嬢の出勤数も自ずと増えるし、定時出勤して罰金を喰らわないように店が始まるまでには衣装を着てメイクも終わらせて客待ちをしているのである。

ぽんこつマンは夜8時30分頃に Boltの配車に乗り、ぺッブリ通りをラチャダピセーク通りに向かって進みラチャダピセーク通りを左折してAsoke側のSoy Cowboyの入り口に8時50分には付いていた。

ぽんこつマンの最近のSoy Cowboyでのルーティーンはカントリーロード側からSoyに入り、まずはRainbow5を覗く。まずは1階のダンスステージ前の席に付きビアチャンを注文。その日は2階も開けているようだったのでビアチャン1本の精算を済ませ2階に上がる。2階は1階よりGoGo嬢の露出度は高い。どの嬢もノーパンは当たり前だがビキニのトップはすでに剥ぎ取っている嬢がほとんどでおっぱいのサイズや乳輪、乳首のサイズがはっきりと見て取れる。

2階はどちらかと言うとぽっちゃりタイプが1階より多く、タトゥーを掘っている嬢が90%くらいは居ただろうか。客の入りは夜9時くらいの段階で2割くらいだが嬢の数はほぼ全員出勤状態でまだペイバーされている嬢は殆どいないのだろう。

嬢は客からのドリンクにあり着こうと色々アピールしてくる。この時間帯が客には一番いいかもしれない。カラダが小さく顔が可愛い系の嬢をひとり呼び、ドリンクを奢る。ショットグラスに韓国JINROではなくラオソーダを持って嬢が隣に座る。彼女とは名前と出身を聞いたが、おっぱいを触り、乳首を貪り、あとはTバックの線からはみ出している大陰唇、小陰唇そしてその真ん中にある膣口に指を押し当ててひとり楽しんだ。一見ノリの良さそうな子だったが、触られているのを他の嬢やスタッフに見られるのがが少し抵抗があるのか、2杯目のドリンクを注文しても喜び具合は少なめでだったので、お遊びはその辺にして1階に降りた。

その時1階の客の入りは40~50%くらいで入店時より賑わっていた。2階からの階段を降りたそはの席に座りジントニックを注文したが、気になる姫が目に留まらなかったので10分ほどでRainbow5を後にして、Baccaraに向かった。

Baccaraでもまず2階に上がるのがぽんこつマンのルーチンになっている。すでに2階は70%くらいの客入りで空いている席はステージ周りに1〜2つの長椅子があるくらいだった。ぽんこつマンは珍しくバーテンダーがいるカウンターを背にしたステージ側の席に座った。

昔から馴染みにしているNingという嬢はこの日も出勤していないようだ。タイはもうすぐソンクランを迎えるので彼女は既に田舎に帰っているのかも知れない。とにかく自分のバイクでよく田舎へ帰る嬢だった。

ステージに髪の短い小顔の姫と目が合った。彼女が幾度となくぽんこつマンに視線を送ってくるので席に呼んで一杯ご馳走することにする。最初はワイをしてドリンクを取り行ったが、ショットグラスのテキーラを持って戻ってきて、乾杯したかと思ったら一気に飲み干す。その後名前と出身を聞いたが音楽がうるさ過ぎて名前が聞き取れなかった。出身はブリラムと言ったように思ったが、その後すぐにペイバーしないのかといきなり聞いてきたので一気に興醒めしてしまった。すぐに彼女をリリースしてしばらく他の姫を見てみたがどの子も塩対応になりそうな気がしたので1階に降りた。

1階には顔馴染みのスタッフもGoGo嬢も多い。ステージに上がっていない嬢の中でぽんこつマンの顔を覚えているらしい嬢が何人もドリンクを貰いにやってくる。最初の数人には快くドリンクを奢った。そのうちまた違う嬢がぽんこつマンの隣に来てドリンクをねだる。ぽんこつマンはあまりその姫を覚えていないがその姫はぽんこつマンのことはよく覚えているという。

まぁいいかと思いドリンクを奢るうちに、その姫が友達を呼んで良いかと聞いてきた。念の為どの子かを確かめたが、スタイルも顔も悪くはないので席に呼んでドリンクを奢る。何杯か飲んでいるうちに「お腹が空いた」と言い出す。「日本食が食べたい』「お腹が空いた」の連続にしょうがなくふたりをペイバーして飯を食いに行くことにする。飯だけの約束なのでチップは無し。Baccaraの会計は4000バーツを超えていた。

1軒目のRainbow5が3000Bahtちょいだったからぽんこつマンにはバカラの方がやはり高くつく。店を出て嬢はSoi23で託しに声をかけて乗り込む。向かった先はAsokeのしゃかりき432、数百メートルで100Bahtのタクシー代は不愉快だったがしょうがない。

しゃかりき432Asoke店に入ると嬢ふたりは次から次へと注文を入れていく。日本酒、えび、カニ、刺身、ぽんこつマンは唐揚げを頼んだだけだが会計はここでも4000Bahtを超えていた。しゃかりきに入ったのは深夜1時半、出たのは深夜2時20分、嬢たちはまたタクシーを拾いBaccaraへ戻って行った。しゃかりきで二人の嬢の年齢を聞いたらひとりは38、もうひとりは36という。コロナで数年仕事をしていない時期があるとはいえ、コロナが空けて戻って来た嬢の年齢がそこまで高齢化しているというのも困ったものだ。特にBaccaraの1階は綺麗系を集めているからスタイルが良くて化粧がうまければ客を拾うことができているということだろうが、そのふたりは明らかにぽんこつマンにとって地雷嬢だった。

翌日4月7日はバンコクのガールフレンドと日本一時帰国前の逢瀬を楽しむ予定を入れていた。彼女はぽんこつマンの部屋に午前11時頃にやって来た。最初はリビングで彼女とビールを飲んでくつろいだ。

それからソファーに座って濃厚なキスを交わす。その日の彼女はいつになく露出度の高いドレスを着て来ていて、抱き合っているキスしているうちにふたりの気持ちはどんどん昂りお互いの衣服を脱がせ合う。お互いが生まれたままの姿になりベッドルームに傾れ込む。

彼女はいつに無く激しくぽんこつマンを求める。彼女がぽんこつマンを仰向けにして深いフェラを始める。ぽんこつマンの肉茎はソファーでの抱擁のタイミングで完全に勃起していたのだった。2〜3分ほど彼女はぽんこつマンの怒張した肉茎を吸い上げたが、その後彼女がベッドに仰向けになりぽんこつマンを上に重なるように導く。彼女はぽんこつマンの肉茎にコンドームを上手に被せる。

そして彼女の手がぽんこつマンの腰を掴み、肉茎を潤いきった彼女の女陰に導く。亀頭が膣口に触れる。もうその部分はつるんと亀頭を滑らせて咥え込んでいく。亀頭のカリが膣口に滑り込んだところで、しばらく動かず彼女を強く抱きしめた。ぽんこつマンの胸が彼女のおっぱいを押し潰していくが彼女は、ぽんこつマンの腰をさらに強く引き寄せ、肉茎をさらに奥に入れるように求めてくる。ぽんこつマンは少しずつ腰を前に滑らせて肉茎がさらに膣内に埋もれるようにする。

亀頭のカリが多分彼女のGスポットのざらつきを過ぎていく。そしてさらにもう少し入ったところでふたりの接合は完成する。ふたりが完全に一体に繋がった。30秒ほど何も動かさずお互いの腕がお互いのカラダを強く引き寄せ合っていた。

そしてその引き寄せあう力を少し緩めたところで、ぽんこつマンは一旦腰を後ろに引き、またゆっくり前に差し込んでいく。ゆっくりとしたテンポで彼女との一体化した喜びを噛み締めるように腰の前後のスライドを繰り返した。

ベッドルームの固定カメラで写した彼女の喘ぎ姿

3分ほどで彼女は顔を歪めて子宮から背骨を通じて走る快感を押し殺そうとしている。彼女の足がぽんこつマンの腰に絡む。そして彼女の両手がぽんこつマンの背中にはがいじめされ、上下にぽんこつマンの体の動きをサポートしてくる。

彼女とはぽんこつマンがチェンマイからバンコクに戻ってから月経の週を除いて毎週必ず1回は結ばれている。彼女はぽんこつマンをなぜか愛してしまっているという。ぽんこつマンも彼女のことを愛してしまっている。だからGoGoBarの姫を頻繁にペイバーして性交を繰り返す事もなくなっている。

10分ほどでその性行為は頂点を迎え、ふたりは静かに隣同士に横たわり肌を合わせた状態で軽いキスを繰り返す。彼女と知り合ったのは彼女が22歳の時だったがそれから5年くらいはお互いを好きでいたが性行為に発展させることは無かった。ぽんこつマンは彼女の存在が愛おしいもので合ったし、敬意を払いたいと思っていた。彼女からも最近聞いたがなかなかカラダの関係を求めてこないぽんこつマンのことを長い時間かけて見ているうちに本当にこの1年でぽんこつマンのことを真剣に愛し始めている自分に気づいたと言っている。

ぽんこつマンははっきり言って女性との性行為はかなり好きな方だ。この歳になっても1日に2〜3回の射精も可能だし、1週間に2〜3回の肉体関係が無いと精神的に落ち着かないくらいある意味セ◯クスホリックだとも思う。だからガールフレンドとだけの性行為だけでは物足りない時もあるが、ぽんこつマンは本当は愛し合っているという感覚になれる時間がたくさん必要な人間なんだと思う。

ベッドでの彼女との静かな時間を過ごした後にふたりはシャワーを浴びて、日本一時帰国前の最後のディーナーに向かった。本日のディナーはシーフード。ホイクワーンにあるソンブーンシーフードでプーパッポンカレーを食べうことにしていた。彼女との濃厚な時間の後の気だるさもあり、最初に注文したBeerChang1本と持ち込んだロゼワインでその日は簡単に酔ってしまった。

彼女とはビールやワインなどのお酒を一緒に飲むことは多いが食事を共にする機会はこれまで多くはない。それは彼女が好きなのは一番がイサーン料理、2番目は焼肉、それ以降はあまり聞いていないが多分シーフード。ぽんこつマンはイサーン料理があまり得意ではなく、食べれるものはコームーヤーンとガイヤーン、ガイトートくらいでソムタムは全く受け付けない。そのことを彼女は知っていて、焼肉やシーフードは価格が高額になることも承知であまりぽんこつマンに無理させないという心遣いがあるのだと感じている。

日本への一時帰国は、昔患った脳虚血性発作(脳梗塞)と肺癌のアフターフォローと投薬、そして地方自治体での諸々の申請そして国税の還付申請などの手続きがメインだが、今度タイへ戻るときの食品やら何やらを取り揃えること、チェンマイに暮らす法律上の連れ合いと息子の日本旅行のアテンドなどいろいろたくさんあり、50日近く日本に滞在することになる。

彼女もソンクラーンで田舎に戻るので次回彼女に会えるのは5月の末、6月になる。ひとときの感傷に浸りながら彼女とはいったんさようならである。

ぽんこつマンCovid-19に罹患して①(プロローグ

2022年2月15日にぽんこつマンはチェンマイからバンコクに戻って、コンドで独り気楽な暮らしに戻っていた。当時はチェンマイでもバンコクでもコロナの新規感染者が多数出ていたが、バンコクのスクンビットソイ7のバービアは無許可ながらレストランという体で営業していると聞いたのでオスとしての本能が求めるままバンコクに向かう事にしたのだった。

チェンマイでは家族と一緒に住んでいるため、なかなか独りでバービアに出かけるということもできないがバンコクで独りコンド生活なら、Tinderで知り合った娘とデートしたり、バービアの夜嬢の乳を揉みながらすけべな話を肴に飲むことも出来る。月曜から水曜のバービアはコロナのせいで以前と比べ物にならないくらい客が少なく夜嬢の収入はかなり厳しいようだった。

バービアで見つけた夜嬢で気になる娘とはLINE交換する。バービアからペイバーで連れ出すと最低でも3500〜5000bahtの出費を覚悟しなければならないが、後日LINEで連絡を取って夜嬢を出勤前に自分の部屋に呼んでペイバー代無しで交渉1500〜2000bahtくらいで2〜3時間は彼女を独り占めして遊ぶことが出来た。

バンコクに戻ってからの2週間は、あっという間に過ぎて行き、最初はCovid-19に罹る事に少しは覚悟しながらでもTinder娘やスクンビットソイ7のバービア夜嬢とのデートやその後の体液交換があっても運よく発熱、喉の痛み、鼻水、咳などの症状は無かった。念のためにAKT(抗原検査キット)を買い置きしていてたまにチェックしても陰性だった。

2月に入ってナナプラザのレインボー5やソイカウボーイのバカラといったゴーゴーバーもレストランという体で店内でゴーゴー嬢を隣に座らせておっぱいやお尻を揉んだりしながらお酒を飲んだり出来るようになり、ぽんこつマンはその2つのゴーゴーバーとスクンビットソイ7のバービアへ頻繁に出かけた。

バービアの夜嬢は収入が思うように入らないので直ぐに店を代わっている娘もいて、ぽんこつマンの飽きっぽい性格もあり、バンコクだけではもの足らない想いに駆られ3月14日、15日はパタヤに出かけた。

ぽんこつマンがパタヤに独りで出かけるのは、それほど多くは無いが昔の夜のパタヤはウォーキングストリートのゴーゴーバーとビーチロードサイドのバービアがメインだった。今回の3月はウォーキングストリートのゴーゴーバーはまだ空いていないようで、ソイ6のバービアとLKメトロのゴーゴーバー、ツリータウンのバービアを梯子して回った。

パタヤへの交通手段はエカマイのバスターミナルからパタヤ北ターミナルへのバスで140baht、北ターミナルからパタヤソイ10にある今回のシー ミー スプリング ツリー ホテル (http://www.seamespringhotel.comまでバイタクで100baht、12時にはホテルに着いたが直ぐに部屋にチェックイン出来たので、ビーチロードに出てレンタルバイクを借りて、久しぶりのパタヤビーチロードとセカンドロードを数回周回して、パタヤの空気をたっぷり浴びた。昼飯はビーチロードのバーレストランはガパオライスやパッタイなどの庶民的なものも200baht越えだったので、セントラルパタヤにあると事前に調べた餃子の店に行こうとしたがすでに撤退していて無駄足を喰らった。それでも餃子がどうしても食べたかったので、一風堂に入った。

ソイ6のバービアは早いところは2時ごろから開いているらしかったが、バイクで2時ごろ一通り通ってみたが女のコが揃っていないようなので一旦ホテルに戻って前日のバンコクでの夜遊び疲れを回復するためにシャワーを浴びてベッドで休んだ。

3月のパタヤは夕方5時になってもまだまだ陽が高く、昼飲み感覚だ。酒を飲むのでセカンドロードのソイ10でソンテウを拾ってソイ6のパクソイまで10bahtで来れる。端から端まで2往復してようやくそこそこ好みの嬢が目に留まったのでそのバービアに入った。

一番奥のソファーに座り、好みのビアチャンを頼む。女のコにもドリンクを選ばせた。彼女はタイスピリッツのセンソンをほんの少しにコーラたっぷりのコークハイ。まだ時間が早いので酔いたくないと彼女は言っていた。彼女は22歳でロイエットから5日前に来たばかりだと言っていたのでコロナのリスクは低いと思った。ぽんこつマンはまさか22歳はサバを読んでいるだろうと思ったオッパイはシリコン乳ではなく見える限り身体にタトゥーも少なめで肌のハリもしっかりある嬢だった。

ビアチャン2本目をほぼ飲み終える頃からファラン(なんとなくロシア人ぽい)が何組も入ってきて一気に賑やかになったと思ったら、そのファランがベルを鳴らし、店が一気に熱気に包まれた。彼女も歓声をあげテキーラが届くのを待つ。テキーラが店のスタッフ全員に行き渡って女のコひとりひとりがそのベルを鳴らしたファランに「コップンカー」「チョンケアウ」と一言言って一気にテキーラを煽った。その後もう一人のファランがまたベルを鳴らす。2杯目のテキーラがぽんこつマンに付いている嬢にもやってくる。彼女はそのテキーラをグイッと煽って徐々にハイテンションになっていく。

ぽんこつマンが3本目のビアチャンを頼む時、彼女に「テキーラがいい?」と聞いたら「カー」と快く応えたので、彼女のグラスが空くのをみてテキーラを何度となくご馳走した。最初はぽんこつマンのお触りに少々ぎこちなくしていたが、テキーラが入ってからは、パンティーの中に手を入れて後ろから秘部に指を伸ばし弄ぶとディープキスを求めたりしてくる。ファランが選んだ嬢と2階にあるであろう小部屋に上がっていくのがまじかに見える。

ぽんこつマンは昨晩かなり深く遊んでいるので、その日はその気にならず飲みに徹していた。しかし彼女はぽんこつマンが午後9時を回って店を出るまでずっとそばにいてぽんこつマンの女体弄りに付き合ってくれた。店を出る時に彼女が仕事終わってホテルに来れるようなら連絡するとLINE交換した。

バイタクでソイ6からまLKメトロに向かう。一通り歩いたが夜9時を過ぎているのに女の子も客も閑散としているのでツリータウンのバービアに向かってまずはプールゲームを遊んでバーのカウンターで飲んだ。ツリータウンのバービアは女のコというには少し年が行っている30オーバーの女性が多い。店に流れているサウンドの音量が大き過ぎて大声あげないと会話ができない。夜10時を回ったのでもう一度LKメトロに向かった。

ソイブッカオからソイブーメランに入って多分パラダイスアゴーゴーの前に出ていたGOGO嬢の白い肌と甘い顔に惹かれて店に入った。ぽんこつマンはまたビアチャンを頼んだ。既に10本以上は飲んでいる。ぽんこつマンの横に張り付いてしばらく飲んでいるとお持ち帰りをねだる。今日はその気にならないと言うと「踊ってくる」と言って席を立つ。ステージに上がった彼女のボディスタイルはかなりエロい。タトゥーが全く刻まれていない白い肌。顔も好みだが何故か肌を合わせる気にその日はなれ無かった。ぽんこつマンは何となく彼女の性格が合わないと感じていたに違いない。

彼女が席に戻ってきて飲み物をもう一杯ご馳走してオッパイを揉んでみたがシリコン乳だったこともあって、酔って弾けてるぽんこつマンの心を緩ませることはなかった。そのGOGO Barを出た時は既に0時を回っていたが、その界隈の店は閉まる気配がなかった。

ぽんこつマンはソイブッカオに出て、それからソイチャレンプラキアット 25に入って見た。小さなバービアが多く、若くて可愛い娘は見当たらない。ツリータウンよりさらに年齢が上がっているか、スタイルや顔に課題がある嬢が多いと感じる。ただ愛想は良さそうだった。

店が無くなるまで奥に入り、戻る途中で呼び込みされる店の一つに飛び込みプールゲームを2ゲームビアちゃんを3本飲んだ。当時のルールではレストランとしての営業しか許可されておらず11時閉店0時退店だったはずだったが、深夜2時近くになって店のスタッフから「そろそろ警察が回ってくるから」と閉店を知らされるという状況だった。

ホテルまでは1kmちょいあるが歩いて変えることにした。帰り道の途中でもまだ営業している店が何件もあった。ホテルにの部屋に戻ったのは2時半過ぎだった。毎日のように深酒しているせいかその日はかなりだるさを感じていた。

翌日はいつも通り早く目が覚めるがやはり何となく気だるさが残ったままだった。この時は確かに日々の深酒と熟睡不足、そして久々の5000歩を超える歩行が原因だと考えていた。普段から朝飯はほぼ取らない。部屋でコーヒーを飲んでホテルの部屋のベランダから見える朝のパタヤの海を見て午前11時くらいまでゆっくり過ごした。チェックアウト時間は本来12時正午だったがフロントに14時までのレートチェックアウトを交渉できた。本来コロナがなければこの3月はまさにハイシーズンで1ヶ月前でさえほとんどの部屋は売り切れている状態だったが、今回は部屋にはまだまだ空きもあるようでかなり融通が効いたことは超ラッキーだった。

11時に部屋を出てブランチを取りに行く。レンタルバイクでパタヤの風をきって走る。昼間は実に暑いのがパタヤの3月。信号で停まると一気に太陽がジリジリ肌を刺してくるのを感じる。2時に近づいて来たのでレンタルバイクに給油して返却OK。ホテルでチェックアウトして昨日会ったソイ6のバービア嬢にLINEしたら、昨夜はかなり飲み過ぎて今は身体がだるいとのことだったのでデートは諦めて、バンコクに戻ることにした。

バイタクをホテル前で広い北パタヤバスターミナルへ。レンタルバイク屋の親父はバイタクもやっていて料金80baht。北パタヤバスターミナルについて帰りのチケットを140バーツで買う。出発まで1時間近くあったのでターミナルにあるコーヒー屋で久しぶりのアイスカフェラテを注文。ぽんこつマンは暑い日でもカフェ・アメリケーノ・ローン(HOT)を注文することが多いのだが、この日は流石に身体が冷たい飲み物を欲していたようだった。

帰りのバスもエカマイバスターミナル行き、デイパックひとつだったので到着した午後4時からスクンビットソイ7のバービアに行こうかと一瞬思ったが、流石に身体の重さを感じて自分の部屋に戻ることにした。

チェンマイ市内ピン川沿いのデートスポット①リバーサイド

2003年、今からもう17年前ぽんこつマンは、タイの第2の都市チェンマイへ2度目の訪問をした。2001年か2002年に離婚し独りの身になったぽんこつマンは、それまで以上にアジアでの風俗体験に興味が膨らんでいて、2日3日の休暇を土日に絡めてよくタイに向かうようになっていた。それまではバンコクが圧倒的に多かったが、なんとなく「タイ第2の都市」「タイの赤い薔薇」というフレーズに惹かれてチェンマイ での風俗探索をしようとしたのだった。

チェンマイの宿は、当時はジョイナーフィーが不要となっていたインペリアルペイピンホテル(http://www.imperialmaeping.com)<現在、臨時休業>を好んで選んでいた。近くにはバービアやマッサージ屋が多く並ぶ、ロイコー通りがあり、多くの初老の白人が昼間から一杯やっている姿に憧れを感じたのだった。

ホテルの車両入り口を一歩出るとカンパングディン通りがありそこにもマッサージ屋(多分エロマッサージ)やバービアがあり、昼間から呼び込みがあったことを思い出す。当時からチェンマイの風俗遊びといえば、ゴーゴーバーではなく、マッサージパーラーかカラオケが主流のようでぽんこつマンは昼間にマッサージパーラーに行き、夜はバービアかカラオケというパターンで行動した。

カラオケは当時手に入る情報ではチェンマイランドというエリアにあるオリビア2という店がいいという噂があり、チェンマイに到着した2日目の夜にトゥクトゥクで出かけた。オリビア2の隣にはKITAMONDという焼肉屋(和食メニューもある)があり、オリビア2の経営者がその焼肉屋もやっているとの話だった。

オリビア2の前にトゥクトゥクで着いたのは19:00をまわった頃で既に店の前には2〜3人の女の子が顔見せしていただろうか。飯を食べていなかったのでまずKITAMONDに入って、情報収集を兼ねて食事をした。その時はまだ店内に客はほとんどいなかった。店主かどうかわからなかったが初老の日本語を話す眼鏡の男性が接客してくれたことを思い出す。

今Googleのストリートビューで見ると北門(KITAMOND)は今もあるようだが、オリビア2は見当たらない(取り壊されているようだ)。はっきり言ってチェンマイランドというエリアもどんどん寂れて行っていて、2010年頃、処女を斡旋している店が摘発を受けたというニュースが流れて以降、カラオケ店の看板がどんどん消えて行ったのを覚えている。

その日は、北門で軽く食事を済ませた後、隣にあったオリビア2に突入した。入り口を入ると左手に女の子がずらりと20人は並んで座っていてそこだけが明るく照明されている。その中から好みの女の子を選んでベンチシート席でお酒を飲むもよし、カラオケを唄うも良し、そのままペイバーして直ぐにホテルへ連れて行ってもよしとママらしき女性から日本語で説明された。

ぽんこつマンは、身体が大作りではない華奢な感じの女の子が好きだったが、ちょうど長いコーナーソファーの真ん中あたりに座っていた女の子がそのタイプだった。ママにその子を選ぶと伝えて少し飲んでいくことにした。

周囲に仕切りがあって他の客が何をしているかが見えない作りになったベンチシートに座る。一応カラオケというので唄の本とマイクは用意されたが、ぽんこつマンは唄には全く興味がなく、女の子とスキンシップしたかっただけだった。

彼女の名前はK◯◯◯、年齢は26歳と言っていたが、見た感じはもっと若い印象だった。ぽんこつマンはビアチャンを頼んだ。彼女はぽんこつマンに身体を寄せてきて、モモとモモが触れ合う感じに接近した。彼女は手をぽんこつマンの膝にあて、カタコトの日本語で「ウタウタワナイカ?」と訊いてくる。「唄わないよ」と応えると「ソウカ、ソウナノカ」と返してくる。

ぽんこつマンは、彼女の腰に手を回しビールを飲んだ。彼女はコーラを頼んで飲んでいた。ベンチシートがあるエリアはほぼ真っ暗で仕切りもあるからエロい事をしても問題なさそうだったが、ぽんこつマンは、静かにビールを飲んでいた。

40分ぐらいベンチシートでビールを飲んでいたが、トイレに立って戻ってくる時、ママが近づいてきて、ペイバーするかどうかを訊いてくる。ぽんこつマンは既に彼女のことを気に入っていたので、ロングでペイバーしようと考えていたが、当時はペイバーそのものがロングしかなかったのだった。

席に戻るとママもやってきてKにタイ語で一言二言話すと、Kは立ち上がって「キガエテクルネ」とその場を去った。暫くして戻ってきた彼女はヘソが見えるノースリーブシャツとジーンズ姿だったことを覚えている。当時のペーバー代は2000バーツだった気がする。

店の外に出ると彼女は「オナカスイタ」という。そこでぽんこつマンは「どこかいいムードの店に連れて行って」と彼女に伝えた。すると彼女はトゥクトゥクを携帯で呼んでチェンマイランドエリアを後にした。

トゥクトゥクはチャンクラン通りを北上し、スリドンチャイ通りを右折、チェンマイプラザホテル前を通り、T字路を左折してチェンマイの観光名所になっているピン川にかかるクアレック橋を渡ってピン川左岸の道を北上する。信号を直進して、暫く走った先でトゥクトゥクは止まった。

そこが、当時のチェンマイ娘には人気のエリアにあるThe Riverside Bar & Restaurantだった。彼女は顔が効くのか、店に着いた時はほぼ満席だったが、店内のテーブルに直ぐに案内された。さすがにピン川沿いのテーブルではなかったが、川面が見渡せる雰囲気の良い席っだった。

もしここを訪れるなら日没の少し前に席に着ける時間帯がベストだろう。ドイステープの向こうに陽が沈み、オレンジからパープルに変化する空と水面に映る河岸の光が、ロマンチックな気分を盛り上げてくれることだろう。ディナークルーズ船も予約すれば乗船できるらしい。

ぽんこつマンはオリビア2に行く前に軽く食事をしていたので、ウイスキーとトートマンクン(エビのすり身揚げ)を頂いた。彼女はプーニムパッポンカリー(ソフトシェルクラブのパッポンカリー)とパクブーンファイデーン(空芯菜炒め)とご飯を頼んだ。

彼女は、サンカンペーンに住んでいること、既に小さな娘が一人いること、その子の父親は、娘が生まれる前に逃げたこと、今は母親が娘の面倒を見ていることなどを話してくれた。

その日は、夜の23時くらいまでリバーサイドにいて、それから今はもうなくなってしまっているがぽんこつマンが泊まっていたホテルの近くにあったディスコに行った。彼女はそこで初めてコークハイを飲み、かなりハードに踊っていた。

午前1時にホテルに戻り、それからふたりはお互いの身体を確かめ合った。ぽんこつマンは既にかなり酔っていたが、彼女の膣の締まりがすごく良かったことははっきりと覚えている。翌朝ホテルで朝食をとり、もう一度部屋に戻って締まりのいい膣の感触を味わった。

昼になり彼女は帰るというので、ぽんこつマンも一緒に行っていいかと訊いたら、「OK」と直ぐに返事をくれたので彼女が呼んだトゥクトゥクに乗ってサンカンペーンの家に行った。料金はわずかに40バーツ。ぽんこつマンはチェンマイの市内を移動するだけで60−80バーツいつも要求されていたのでローカルが利用するトゥクトゥクの料金がいかに安いのかを思い知った。

家は古い木造で母親が2歳ぐらいの女の子をあやしていた。彼女の母親はぽんこつマンに水を差し出してくれたが当時は生水を飲むとお腹を壊すと言われていたので、唇はつけたもののガブガブとは飲まなかった。水と一緒に出されたマンゴスチンは2個食べた。チェンマイの一軒家にはいくつかの果物の木があるのが一般的で、自宅でその時取れる果物を出してくれたんだろう。

暫く彼女の家にいて、夕方5時前に彼女がオリビア2にまた出勤するというので、一緒にチェンマイまで戻ってきた。彼女は店に行く前に店の近くの美容室で髪を洗うと言っていたので、ぽんこつマンは先にホテルで降りて彼女にトゥクトゥクの料金として200バーツ渡して別れた。

彼女にはその後2度ほどチェンマイ で会い、チェンマイの新興住宅地を巡ったこともあったが、結果的にそれ以上関係が発展することはなかった。リバーサイドでのロマンチックなデートの時間は今も鮮明に記憶している。あの時の彼女の娘は今頃ちょうど20歳くらいだ。

もし彼女との運命が蘇るとしたら、次に彼女の娘とチェンマイでそれもリバーサイドで出会うことになるかも知れないとぽんこつマンは勝手に夢を見ている。

マニラで一押しラーメンとステーキハウス

ぽんこつマンは無類の女好きであるが、無類の肉好き、蟹・海老好き、揚げ物好き、ラーメン好き、ワイン好きでもある。肉といえば牛肉。豚や鶏はあえて肉とは言わず豚、鶏、鴨と呼ぶ。そんな訳でぽんこつマンがアジアの都市を訪れた時は、必ずと言っていいほどディナーにステーキか焼肉を選ぶ日がある。

2018年7月11日、バンコクから久しぶりにマニラに3泊して日本に戻ったことがある。このマニラへの渡航は、それまでせフレとして付き合っていた女と別れを告げるためと、マニラで購入の契約をしていたコンドミニアムの契約解消の交渉が目的だった。

バンコクを朝9時35分に出発するセブパシフィックに乗りマニラには14時15分に到着の予定だった。ほぼ定刻通りにマニラに到着の後、その日はマカティのY2 レジデンス ホテルにチェックインした。それまでセフレとして逢瀬を繰り返した元モデルの彼女とはそのホテルで待ち合わせた。

翌日朝に購入契約をしていたコンドミニアムの建設販売会社に行き、契約解消を申し立てる予定だった。契約を解除しようと決めた理由は、2016年に建設予定地で契約した47階建てコンドミニアムが完成予定年月の2018年12月末まであと半年を切っている現段階で駐車場部分のみで建設が中断しており、竣工の目処が見えなくなっていたからだ。

2018年7月11日撮影したVictoria de Malate

写真を撮ったあと、その建設販売会社に行った。竣工予定を確認したら契約時には2018年12月引き渡しと言っていたのが2019年12月になったと説明がある。まだ駐車場部分しかできていないのにあと1年半で引き渡し可能かどうかも分からなかった。ダウンペイメントを既に25ヶ月支払っていたが、36ヶ月支払った(全体金額の20%)としても未完成となるかもしれないとその時は思った。

そこで、これまで支払った25カ月分のダウンペイメントを取り戻せなくてもいいから面倒な不動産権利を放棄しようと思った。セフレはなんとか引き留めようとするがぽんこつマンはその権利を彼女に譲り手を引くとその建設販売会社のマネージャーに申し出た。建設販売会社の規約不履行ということで契約解除して、支払ったダウンペイメントの幾らかは戻って来て欲しいと思ったが、契約書には免責事項として政府の指示により竣工予定が遅れた場合の条件が書かれていて、弁護士を雇っても費用がかかるだけで投資金額を諦めたほうが損害が少ないと思った。

結局、そのコンドミニアムは2020年7月現在、外観は出来上がっているようだがWEB(https://victoriamanila.com/#learn-more)では今年の12月末に引き渡しになったと嘆くフィリピン人のコメントが上がっている。部屋の扉やリフトなどがまだ未完成なのかもとも思う。そもそも地震国でもあるフィリピンの超高層コンドミニアムの45階を2室所有しようとしたことが間違いだったと今は反省している。万が一引き渡しが行われたとしても、水道の契約、電気の契約、管理費の支払いはもちろん、室内の装飾を含めて完全に住めるようにするにはあと1000万円位用意しなくては行けないことを考えれば、権利放棄の方が精神的に楽だと思った。

セフレだった彼女が権利の譲渡を受け、その物件を誰かに売れたのかどうかは分からない。それ以来彼女には連絡をとっていないからだ。

その日、その建設販売会社のオフィスで契約解除の申告を済ませホテルに戻ってセフレの彼女とラーメンを食べに行った。彼女は日本料理が好きと言っていたが、刺身は食べない。寿司も食べない。しかしラーメンは好きだった。マカティ で泊まるときは麺処 ラーメンバ マカティによく出かけた。昔初めてフィリピーナとオフパコしたオロンガポ の彼女と泊まったPicasso Boutique Serviced Residencesの裏出口からも近い店だ。

トリップアドバイザーサイトから引用

晩ご飯はセフレの友達も来るというのでホテルの部屋にあるキッチンでカレーを作って食べることにした。ホテルの近くにあるスーパーで豚肉、人参、じゃがいも、玉ネギとワインを買って調理する。夕方18時にセフレの友達も来たのでワインで乾杯した。せフレの友達はバイクの運転があるのでワインは口を付けただけでコーラを飲んだ。

夜遅くまで、コンドミニアムの解約について話した。誰かがその購入権利を買ってくれればその代金を彼女たちが得ていいという条件で、彼女たちに全てを委ねることにした。その晩もセフレとセ●クス したが彼女の下っ腹が昔に比べてぷっくり出て来ていることが気になった。行為は当然淡白になった。彼女ももう若くないのだ。そろそろコンドミニアムと一緒にすっきり整理しようとその時はっきり思った。もしこれからマニラに頻繁に来るようになればその時にまた若くて美形で性格の良い娘を探せばいいのだ。

翌日、彼女が家に帰ると言ったので引き留めなかった。マカティからケソンシティーの彼女の部屋まではタクシーで走っても渋滞が酷くて2時間近くかかる。ましてジープニーだともっとかかる。今日戻って明日またくることは彼女にも苦痛のはずだ。

そしてマカティ 2日目は昨晩の残りのカレーを独り食べた。コーヒーも部屋にあったインスタントで済ませた。そして夜はブルゴス通りのゴーゴーバーに飲みに行った。特にペイバーはせず、ホテルに早めに戻って来た。

3日目は、ニュー ワールド マカティ ホテル マニラ を予約していた。そのホテルはANAをはじめいくつかの航空会社のクルーが泊まるホテルとしても使われている。また、そのホテルの左側に高級なナイトクラブ(女の子を指名して侍らせることができる)Le Salon Grand Theatre & Clubがある。

ホテルにチェックインしてその晩は、マニラで一番と思うステーキハウスに行くと決めていた。その名は、Elbert’s Steak Room(https://steakroom.com/elberts-steakroom/)。セフレだった彼女の友達の旦那が長年勤めている店で、何度かセフレともいったこともある。コンドミニアムの解約記念とセフレとの関係の解消記念として今回はゆっくり独りでコースを食べようと決めていた。

あらかじめ入れた予約時間は18:00。開店時間と同時にした。デラコスタ通りにあるセブンイレブンの左側にある階段を上り大きな朱色の引き戸を開けて中に入る。その入り口は実は従業員が使う裏の入り口のようだが、正式な入り口がどこにあるのか良くわかっていない。

店に入ると昔マカティのゴーゴーバー Plan B に一緒に行ったことがあるセフレの友達の旦那が出迎えてくれた。彼はチーフウェイターをしているらしく、ワインに関してもそれなりの知識を持っていた。席に案内されてあらかじめ決めていたスーパープレミアムグレードのリブアイを注文した。ワインはチーフウェイターの彼に任せた。

全てが最高だった。チーフウェイターの彼との会話も弾む。ワインもパンもサラダもスープもうますぎる。肉の焼き具合も注文通りのミディアムレアで完璧。食べることが優先になって写真を撮ることをつい忘れてしまう。食事を済ませ精算してホテルにもどった時は21時半になっていた。

Grab car を降りてぽんこつマンはホテルの左側にあるLe Salon Grand Theatre & Clubに向かった。そこで働いているという女の子とTinderで半年ほど前から知り合っていて、会いに行くと約束していたのだ。店に入るとそこは広々としていてシャンデリアが煌めくゴージャスな空間。マニラでの接待シーンに使えそうな落ち着いた雰囲気。モデル級のスレンダーな女の子がずらりと並んで客の到着を待っていた。女の子は全てロングドレスを着ている。ぽんこつマンは約束していた女の子の名前をボーイに伝えた。

彼女が店のエントランスまでぽんこつマンを迎えに来て席に案内する。奥にはグランドピアノがあり、日系のスレンダーなピアニストがジャズを弾いていた。ソファーに座るとボーイが注文を取りに来る。ボトルを入れるというほど頻繁に来れる訳でも、その日に大勢の女の子を侍らせてウイスキーを一本開けるつもりもない。しかしビールというのも気がひけるのでジントニックをグラスでもらった。注文していないがフルーツの盛り合わせがテーブルに来る。彼女にも一杯飲んでいいと伝えた。彼女のドリンクが来て乾杯をする。女の子と会話はできるがボディータッチができる雰囲気ではない。静かに話せる特別な空間での特別な時間はゆっくりと過ぎて行った。

ペイバーができる店とは思えなかったが、店で女の子と仲良くなればプライベートで会えるようになるだろう。その店には2時間くらいいただろうか。ジントニックは4杯くらい飲んだと思う。支払った金額はもう覚えていないが銀座、六本木や北新地のクラブで飲むより安かった気がする。その晩はそのあとホテルの部屋に戻り、バスタブにお湯を張りゆっくりと入浴した。バスタブは3つ星ではまずありえない。4つ星でもマニラではほぼ難しい。湯船から上がりフルチンでバスローブを羽織り、独り高級ホテルでの滞在を満喫した。

チェンマイの前にマニラ、そしてマカオ

2018年3月チェンマイ行きに新しい旅程にマニラ、そしてマカオに1泊ずつ加えた。12日関西からジェットスターでマニラへ、そして13日セブ パシフィックでマカオへ。14日エアアジアでチェンマイに入る。

マニラ、マカオ のいずれも1泊の予定だったので、女の子とデートするスケジュールを入れなかった。関西空港を13:05出発のジェットスターがマニラに到着するのは16:40。マニラは日本より1時間時計が遅れるのでフライト時間は4時間40分。LCCの狭いシートでもなんとか耐えれるギリギリの時間だ。マニラに到着後向かったホテルは、マカティのゴーゴーバーがあるブルゴス通りから50mの距離にあるザ クリッパー ホテル

ゴーゴー嬢をペイバーして一発するには充分な3つ星ホテル。ぽんこつマンは空港からGrab car を使って夕方6時にはチェックインしていた。ゴーゴーバーのオープン時間は店によってまちまちで、ネットでも評判の良いKOJAX/XOXOやPlan Bは20:00からオープンするが、Plan B からダーバンに曲がってすぐにあるTICKLES Bar は午前11時からやっている。

チェックインを済ませたぽんこつマンは、まずホテルを出てPlan Bの向かいにあるMirrors clubの2階で腹ごしらえをした。ここはペイバーしたゴーゴー嬢と飯を食べに来たこともあるし、知り合いになったゴーゴー嬢との待ち合わせにも使ったことがある24時間営業のカフェだ。深夜になると客にあぶれたゴーゴー嬢が援交してくれそうなオヤジを探すために店に来るようだが、昼間や夕方などは子連れで飯を食いに来ているローカルも見かける。特にうまいわけでもなく、安いわけでもないのに客がいない時間帯はないようだ。伸びきったナポリタンとサンミゲルライトを平らげて、20時になるまでネットサーフィンで時間を潰した。

今回最初に行った店はホテルから一番遠いKOJAX/XOXO。1階がオープンしていた。客はまだ少ない。ゴーゴー嬢は若そうな娘が多い。ふたりくらいを席に呼んでドリンクをご馳走して少し話した。ペイバーをすぐにしそうにないと、すぐに席を外れてステージに戻っっていく。ドリンクで得られる収入には目もくれないくらい、いつもすぐに客がつくんだろうと思えた。

2軒目はPlan B。マカティ のゴーゴーバーでは絶対に外してはいけないバーだ。昔、マニラでセフレになった彼女の友達の旦那(フィリピン人)と一緒に来たこともある有名店だ。ゴーゴー嬢のレベルはKOJAX/XOXOと比べるとやや落ちる気がするのは女の子の年齢のせいかもしれない。Plan B の方がやや年齢が高そうに思える。ぽんこつマンはKOJAX/XOXOと同じようにふたりほど席に呼んでドリンクをご馳走して少し話したが、こちらの娘の方が親しげに話してくれる。しかしながらと遠目に正面だけを見ていいなと思っても、近くで見ると下っ腹が少し出ていたり、乳がシリコンだったりと、ぽんこつマンの望むレベルではない気がした。

3軒目はホテルに一番近いTICKLES Bar の前に女の子がいて呼び込んでいた。よく分からなかったが試しに入ってみた。先の2軒のような大きなダンスステージはなく、カウンターが取り囲む狭いスペースがダンスを見せるところになったいるようだったが、ほとんどの娘は普通にテーブルの椅子に座っている。店に案内してくれた娘は見た目30歳を超えていそうだったが、話が面白いのでドリンクをご馳走した。こちらの店は先の2軒に比べて女のレベルはグッと落ちる。しかしぽんこつマンはまず話ができて楽しく酒が飲めることが一番大事なので、この店でも十分楽しめた。22時くらいに入って0時30分までかなりのピッチで酒を飲んだ。一緒に飲んでくれたこの店の娘たちは、ドリンクを飲むだけでも嬉しそうにしてくれたが、さすがに年齢的にも、体型的にも、そしてペイバーしてもいいと思えるレベルではなかった。帰るときにもっと若い子はいないのかとママに聞いたら、早番の女の子には若い子が多いと言った。

ぽんこつマンの明日のフライトは19時20分。17時20分に空港に到着すればいいのでホテルを出るのは16時30分でも全く問題ない。早番の娘は朝11時からというのでホテルのチェックアウトを16時半にして明日の朝またTICKLES Bar に行ってみる事にした。

翌朝は10時に起きた。荷物をまとめて部屋に置いたまま、フロントに行き16時半までチェックアウトを遅らせてもらいにいく。その時はそんなに混んでいなかったらしく、少しのお金を追加で払って、レイトチェックアウトにすることができた。

ロビーでコーヒーを頼んで飲んだ。11時になったので、改めてTICKLES Bar に向かった。

女の子は3〜4人しかいなかったが昨晩より若くてスレンダーな娘がいた。店の中は昼でも外光はは入らずかなり暗くなっていたが、スタイルは悪くない。顔も小さい。彼女を席につけてサンミゲルライトを飲んだ。彼女はコーラを飲んだ。年齢は22という。昔からマニラのエルミタ あたりに母親と住んでいて、2歳になる娘がいると言っていた。バーで働いている時は母親が2歳の娘の面倒を見ていると言っていた。12時半まで店で飲んでいたが、ペイバーする事にした。

飲み代とペイバー代を支払って彼女が着替えるのを待った。10分ほどで戻って来たので一緒に店を出て昨日も行ったPlan Bの向かいにある24時間営業のMirrors clubの2階に行って軽く食事をして、ホテルの部屋に戻った。

ザ クリッパー ホテルのベッド。

時計は13時半を指していた。部屋の扉にDon’t disturb!のタグを吊るしロックした。あの真っ最中にハウスキーパーが部屋の掃除に来られると困るからだ。そしておもむろに彼女の衣服を剥ぎ取った。出産を経験している割に、下っ腹の出っ張りも少なく、腰のくびれもちゃんとある。おっぱいはそう大きくは無くまだ形は崩れていない。しかし乳首はかなり黒ずんでいた。今2歳の娘にもいろんな客の男たちにも吸われ続けて来たからだろうか。ぽんこつマンも全てを脱ぎ、シャワールームに向かった。お互いの身体を洗いあい、シャワーの中で強く絡み合った。たったまま、ぽんこつマンも乳首を吸ってみた。まだコンドーム をしていなかったので、生挿入だけは避けておいた。

ベッドに行き、全身リップで彼女を責めた。特に黒くなっている乳首への攻撃は執拗に行った。舌で乳輪と乳房の境界にあるポツポツをグルリグルリと回しなめる。乳首を軽く噛み、唇で吸いながら上に引くとスポンと音を立てる。右手を彼女の股間に送り、大陰唇とクリトリスを優しくもてあそんだ。左手は彼女の長い黒髪を撫で続けた。彼女は右手でぽんこつマンの股間のある肉茎を握り締める。彼女の小指がぽんこつマンの肉茎の根本を握り、薬指、中指、人差し指と順に肉茎を締め上げる。そして上下に手首を動かしていく。

ぽんこつマンの肉茎がすでに爆発しそうになっている。コンドーム をつけて彼女の股間にある花芯を探った。クリトリスから少し下げると、開き始めた膣口にスルンと入った。充分に潤いが満ちている。ぽんこつマンはその爆発しそうな肉茎を奥へと送った。そして1秒に2回くらいの速度でピストンを繰り返した。一度強く奥へ打ち込むと、彼女はのけ反り、脚をぽんこつマンの腰に絡めてくる。ぽんこつマンはその太ももを抱え前にかがんで彼女の子宮口のコリッとした感覚を探して上から下へ肉茎を深く差し込んだ。奥まで入れてグラインドすると彼女は「オー、オーーー。おー、、、、」とうなりを上げる。

その動きのピッチを少しずつ速めて行った。そして一気に発射した。なかなか良かった。いろんな男と寝ているであろう彼女も満足そうな顔をしていた。シャワーを浴び、彼女が部屋を出て行った時は15時半を回っていた。ぽんこつマンももう一度シャワーを浴び、服を着て16時20分にロビーに降りた。Grab Car を部屋から呼んでいたのですぐにホテルの玄関に車がやって来た。

その車に乗り、マニラ ニノイアキノ国際空港に向かった。マカティの市内は多少渋滞していたが、しばらくしてハイウェイに上がってスムースに流れ1時間足らずで空港についた。

次はセブ パシフィック19:20分発でマカオに向かう。マニラの空港は航空会社によってターミナルがそれぞれ違っている。注意が必要だ。ターミナルに到着したのは18時10分だったが、ターミナルに入る前も荷物検査がありパスポート、Eチケットの確認もしていたので中に入るのにかなり時間がかかった。

マカオ にも無事に到着した。ホテルはマカオ半島にあるワルドホテル<華都酒店>(http://www.waldohotel.com/en/index.php)にした。

そのホテルを選んだ理由は、ホテルの6階にあるイーストスパクラブ(東方水療会)http://www.eaststartgroup.com/east_spa_club/index.asp)に行ってみたかったからだ。空港はタイパ島にありマカオ半島のホテルに行くにはかなり遠い。マカオの空港からアウターハーバーフェリーターミナルまでバスに乗りそこからタクシーでホテルに向かった。

チェックインして部屋に荷物を置いた後、直ぐにイーストスパクラブ(東方水療会)に出向いた。中に入ってカウンターでシステムの説明を聞いて料金を支払うと直ぐにロッカーに案内される。そこから浴室に入り身体を洗って上がる。休憩室に入り椅子に深く座り込むと、飲み物、食事の注文を取りに可愛いウェイトレスがやってくる。アルコール以外は全て無料。この休憩室で眠っても構わない。ぽんこつマンはラーメンを食べアイスコーヒーを飲みました。

しばらくして綺麗な身体をしたレディーたちが入って来る。それぞれの嬢のアピールが終わるとそのレディーたちは別の部屋に消えて行く。その部屋に行けばレディーを一人選んで個室でセックス ができる。一応食事も済ませたし、レディーのアピールタイムも見たし、終わったらルーレットができるカジノに行きたかったので、休憩室にそれほど長くはいなかった。

レディーを選ぶ部屋に行った時、大体20人くらいはいたと思うが、顔が可愛くて色白、身長もそれほど大きくなくて、ボン、キュッ、ボンの体型、シリコンおっぱいじゃないというぽんこつマンの条件に合う姫はふたりだけ。美形で高身長のクールなモデルタイプはいたが、、、。

ひとりを選んで部屋に行き、ゴム付きでセ●クス した。セックス の前のサービスは全身リップ10分くらい。ゴム付きフェラ5分くらい。セックス は騎乗位5分、後背位5分、正常位5分でフニッシュ。その後シャワー2分、服を着る1分、部屋を出る。そして店を出る。相手をした姫は部屋を出てまた待機部屋に帰る。確かに肉質は生身の人間だが、感情が全くないところが残念な感じだった。

東方水療会からG階に降りてタクシーでグランドリスボアのカジノに出かけた。ルーレットのあるフロアは2階(日本では3階にあたる)。日本円2万円をクレイチップに換えプレイした。1時間ぐらいプレイし途中浮き沈みはあったが、結果は1,500HK$の勝ちで終わった。

翌日はマカオから15:55発のエアアジアでチェンマイに飛ぶ。今回のマニラ、マカオの弾丸旅はアジアの風俗産業を覗いくことができた。ぽんこつマンは3つの欲といわれるうちの2つ性欲、食欲へのこだわりが今も昔も強い。最近は眠るということがどんどんできなくなって来ている。そして食欲は今もあるものの、食べれる量がどんどん減って来ている。しかし性生活に対する欲望はまだまだ枯れていない。あと何年満足できる性生活が送れるか分からないが、できるだけ長く女の尻を追いかけていたいと思うぽんこつマンである。

3回のアンヘレス体験

アンヘルス(Angels)は、その表記どうり英語読みすればエンジェルス。街の名前がずばり、「天使」という街だ。ぽんこつマンがSkoutでフィリピーナをナンパしてオフパコ・セフレ化するようになって、フィリピンの風俗を調べる度にアンヘルスで遊んでいる人がたくさんいることを知り、是非体験してみたいと考えるようになった。

そこでアンヘルスへは3回行った。1回目はもう記憶が定かではないが、マニラからバスに乗って。2回目は2016年8月31日−9月4日の3泊。これは成田からマカオ航空でマカオへ飛びマカオからセブパシフィックでクラークという形での往復。そして3回目は、2018年10月22日タイ・チェンマイからマカオにエアアジアで飛び、マカオからセブパシイックでクラークへ行き3泊した後、クラークからセブ(セブパシフィック)に飛びセブで1泊して翌日バニラエア で成田に戻った。

最初と2回目は、記すに値しない場末的なホテルに泊まったが、3回目はペイバーを意識して少し居心地のいい宿を探した。セントラル パーク タワー リゾート、そこはアンヘルスのゴーゴーバーがひしめくフィールズアベニューからも徒歩圏内だが、部屋の内装や調度品も場末的ゴーゴーバーの街の雰囲気とは対照的だ。

なぜ3回目の宿をそこにしたかというと、そのアンヘルスという街でやることといえばゴーゴーバーのハシゴとバーファインして連れ出した嬢とのセ●クス 以外にする事がないからである。少しでもいい環境を用意して、ピーナとの情事の記憶をいいものにしたかったからだ。

3回のアンヘルス訪問でペイバーした嬢は、全8泊でわずかに4人。それもそのうち2人は、同じ店から同時にペイバーしたからペイバーした回数はわずか3回。これまでに行ったバーはもう店の名前も変わっているかのしれないが、フィールズアベニューから2kmほど西に行ったDon Juico Ave.沿いにある、F1PoseidonRoadies BarAfter SchoolOrange、そしてそこから少し東にフィールズアベニュー方向へ戻って、Honey KosBlue Sapphire。この辺りは日中から営業している店が多いが韓国人の客が圧倒的に多い印象で、かわいくスタイルのいい娘は、既に韓国人の使命が入っていていちゃついていて、踊ることもないので隣に呼べない事が多い。同じバーファインを払ってペイバーするなら上玉を狙いたいところだ。さらに東へ進んで、フィールズアベニューに近づいたところにある、Brown SugarNB Club、SoyaLas Vegasも覗いた事がある。フィールズアベニューの中では、Red BarQ BarClub AtlantisDoll HouseLollipopLaBambaRhapsodyShootersChampagneVaikingFlamingoBaccara BarParo Paroを回った。店に入って席につかずに、ゴーゴー嬢のレベルと楽しめそうな雰囲気かを見て、ダメだと思えばすぐに出て次の店へ行く。ゴーゴー嬢のレベルが高くなくても、楽しく飲めそうなら席に座り、ジントニックを頼む。

そんな感じでアンヘルスのゴーゴーバーはかなり回ったが、ぽんこつマンにとっての天使(Angel)を見つけることは難しかった。わずか3回のペイバーの女の子もマニラやセブでオフパコした女の子に比べ、さらに下層な印象でとても天使と思えるレベルにはなかった。

飲んで楽しめる店はいくつかあったが、新しい携帯電話をセガまりれたり、美容院代と称して小遣いをねだられたり、ショッピングモールで洋服を買わされそうになったりした。飯を一緒に食べいったん部屋に帰って、いざセ🟣クス となるとあまりにも業務的でペニスがギンギンになることは一度もなかった。

とにかくアンヘルスには若い嬢が多いとのネット上の情報は多いが、ぽんこつマンにはそんな印象はなく、殆どの嬢にはくっきりとした妊娠線と、出産後どうしても凹まないポッコリお腹、そして垂れ切ったデカすぎる尻、セルライト盛りだくさんの太もも。お金を払ってまでお試ししようとは思わない嬢が多すぎて、時間とお金をかけてわざわざやって来たことを3回のチャレンジではっきり後悔したぽんこつマンであった。

ソイカウボーイ、Tilac で出逢ったイサーン3姉妹

2015年くらいからぽんこつマンのバンコクでの夜遊びは、ソイカーボーイがメインになっていた。最初にBaccaraに立ち寄って、新顔でまだ初そうな可愛い嬢を探す。アジア人の客の多くは、透明な床の2階のJKスタイルのダンサーがいるフロアを狩場にしている常連が多く、1階のビキニダンサーのフロアは、多国籍だ。どちらのふろあのダンサーもノーパンで一階のダンスフロアのぐるりと囲む席からは2つのフロアのダンサーの淫部を拝めるベストポジションだが、ぽんこつマンはタイガールの淫部を覗きたいわけでも、しばしばトップレスで踊るおっぱいを拝みたいわけでもなく、白い肌、刺青なし、ベビーフェース、下腹フラット、尻が垂れていない、足首が細い、それでいて初々しさを持っていると色々条件が厳しい。何度も通うと見慣れた顔ばかりで新顔に出会うことは珍しく、いつものジントニックを5〜6杯飲んでも気にいる子が見つからない時が多くなっていた。

そんな時は一旦Baccaraを出てティーラック(TiLac) かその先のカントリーロードへ入るのだが、特にそのどちらも嬢をペイバー目的に行くわけではなかった。ただソファーに座って、暇そうにしている馴染みのホステスと酒を飲みながら馬鹿な話をするだけなのだ。

   https://bangkok-dark-night.com/thai/bangkok/soicowboy/soicowboy-go-go-bar#i-2 より引用

そしてティーラック ではいつもガハハと大きく笑うママの一人ジアップに「今日のおすすめの子は?」と聞くのがお決まりの遊び方になっている。ジアップママと親しくなったのは、2015年より前に、ティーラックで初めてペイバーしたロイエット出身のイサーン娘と特に親し気にしていて、彼女がティーラックからバカラに移籍した後もバカラで彼女をペイバーしたのちティーラックに行ってよく飲んだ。その時にジアップママを紹介されたのがきっかけになっている。

ロイエット出身の彼女は当時27歳で初めてティーラックでペイバーする前は、タイ駐在の日本人ボーイフレンドがいたらしいが、彼がインドへ転勤となって関係はどんどん冷えて行ったと聞いた。それまでは彼の援助があって普通に暮らしていけたのだろうが、その援助がなくなったので夜の街に舞い戻ったと聞いた。

彼女がバカラに移る前に、彼女が妹(ノーンサウ)という女の子が大学の休み期間にバンコクに遊びに来ていた。3人でご飯を一緒に食べた後に彼女の住むMRTホイクワーン駅からバイタクで5分くらいのところにあったアパートに行ったことがあり、その部屋で彼女からその妹と寝て良いよと言われたことがある。結局その日は3Pをすることになり、その妹ともセ●クスをした。彼女との局部はいつも愛液で潤んでいてピストンもスムーズにできたが、その妹とのセ●クスは、まだその局部が十分に開発されていないらしく、しっかりとクンニリングスをして膣口から膣内まで唾液で潤いを加えないとかなり窮屈だった。その妹に聞いたらこれまでの経験人数は一人だけで回数も多くないとのことでほぼ処女に近い膣の感触を味わえた。

その妹はまだ学生だったらしいが、大学が休みの間はゴーゴーで働くということにしたようだった。ティーラックで知り合った彼女がバカラ へ移った時、その妹もバカラで踊るようになっていた。

最初にティーラックで知り合った彼女は日本語がそこそこ話せたのでか、しばらくしてタニヤのクラブへ更に移ることになり、バカラにはその妹だけが残ることになった。ふたりが真の姉妹でないにしても、タイでは親類の歳の近い関係にある場合は、ノーンサウ、ピーサウ、ノーンチャイ、ピーチャイと呼び合う。やはり田舎で親類の娘と同じゴーゴーバーで客を探すとなると何かとやりにくいことがあったのだろう。その後バカラではその妹を何度かペイバーした。

いったん日本に戻り改めてバンコクを訪れた時、最初にティーラックで会った彼女に「タニアに遊びに行っても良い」と連絡を入れた。彼女が働いていた店は、日本で言うクラブのようなスタイルで、タニアによくあるカラオケクラブのように女の子が入り口にずらりと並んでいるスタイルではなかった。店に入って彼女を呼んで席についた。そんなに長居する気はなかったのでボトルを入れることなくビールを頼んだ。彼女もウイスキーの水割りをグラスで頼んだ。

乾杯をしてたわいない話をしていると、彼女が店の奥の方に待機している女の子においでおいでをする。二人の女の子が名刺を持って席にやって来てヘルプについた。それなりにきれいな娘たちではあったが、彼女たちをペイバーする気にはならなかった。深夜0時を過ぎ、ぽんこつマンはティーラックで知り合った彼女が店を出るのを待って、彼女の古巣へ向かった。彼女はタクシーの中で誰かに電話している。これから行こうとしているティーラックに誰かを呼ぼうとしているようだった。やがて店について、懐かしのジアップママと抱擁する彼女。席に座って、オーダーしたジントニックとテキーラが運ばれてしばらくした時、店の入り口に若い女の子が誰かを探しているのが見えた。彼女もそれを確認して手をあげてその若い女の子を呼んだ。

その若い女の子は、昔彼女の妹と言っていた女の子に少し似ていた。彼女はその女の子をやはり妹(ノーンサウ)という。ぽんこつマンはその恥じらいを隠せないでいる女の子に「お酒は飲めるの?」と聞いたら「ニッノイ」とはにかむ。彼女はその女の子にテキーラを飲むように勧めた。1杯目は妙に眉をひそめていたが、3杯目を飲む頃にはお店の雰囲気もあって、グィと一気に飲めるようになっていた。

その女の子が何杯飲んだかは覚えていない。ティラックは午前2時が一応閉店時間だが、まだ客は全て引いてはなく注文は3時半でも受けてくれていた。その時にはその若い女の子はかなり酩酊している様子だった。時計は午前4時に近くなっていたので、帰ろうとした時に、その女の子を妹とよぶ彼女は、その女の子をぽんこつマンに預けるといった。

店を出る時、その女の子はぽんこつマンに腕を絡め体を預けて来た。ぽんこつマンもかなり酔っていたので、足元に気をつけながらその女の子を連れてホテルに戻った。ホテルはTHE KEY BANGKOK、たまたまアップグレードされていてジャグジーバスがある部屋だった。

その女の子は、部屋に入るなりベッドに倒れ込んだ。酔いがかなり回っているようなので少し休ませることにした。あと1時間もすれば日が昇る時間になっていた。

翌朝は、昨夜の酒が抜け切っていないのかぽんこつマンもその女の子も比較的早く目覚めた。ぽんこつマンは彼女にシャワーを浴びることを勧めた。その娘は素直に頷き、ジャグジーのあるバスルームに向かった。ぽんこつマンはジャグジーの蛇口をひねり、しばらく湯に浸かって体のアルコールを少しでも抜こうとした。

その娘がシャワーを浴びてベッドに戻って行った。ぽんこつマンもシャワーで体を洗って、ベッドに向かう。その娘はベッドの上掛けを額まで上げてベッドに潜っていた。ぽんこつマンは腰にバスタオルを巻いてそのベッドに忍び込む。彼女の肩を優しく引き寄せてお互いに横になった状態で優しく額にキスをする。彼女は拒むことなくそのキスを受けた。キスをまぶた、鼻の頭、頬にして唇に進んだ。舌はあえて入れずに軽いキス。唇には少し長い時間。そして首筋に進んだ時に、彼女が小さく喘ぎ声をあげた。ウッ、、。

その微かな反応を見てぽんこつマンは彼女が胸元で纏っていたバスタオルをゆっくり解いた。肩から繋がる腕にもデコルテにもまだ一切の脂肪がついていない、すごく華奢に見える身体に手のひらで包むにはちょうど良いサイズの乳房があった。まだそれほど弄ばれたことのないであろう淡い色の乳首は、ピンと立ち硬直していた。ぽんこつマンはあえてその乳房へのキスをパスし、脇、腰、上腹部、腰骨、そして下腹部へと唇を移動させた。それから初めて乳房にキスをする。そしてぽんこつマンは右手を彼女の股間へ下腹部から下ろして行き、左手は彼女の髪をゆっくり撫でながら右側に見える乳首の下側に舌を近づけ反時計回りにやさしく愛嫵を繰り返した。

彼女のクリトリスを愛撫する右手の中指を大陰唇に沿って膣口に近づけた時、はっきりと湿り気があることを確認したぽんこつマンは、体を彼女の足元に降ろし彼女の膝を持ちあげた。そして頭が彼女の股間に収まるように彼女の脚を開いた。彼女の大陰唇右側のひだを唇で挟むようにキスをし、次に左側へ。更に膣口のアナルに近い方に上唇を合わせ下唇をアナルと膣口の間を上下させた。その後舌で彼女の膣口上部を軽く突いた時には彼女の膣内は充分に潤い、受け入れる準備は整っているようだった。

ぽんこつマンはその時の彼女の反応を確認して、体を改めて上部に彼女の体に重なる位置まで滑らせ、既に完全にボッキした陰茎の亀頭を花芯に軽く押し当てた。花芯は少し開き、亀頭の先1cmほどが彼女の膣口に入った。いったん戻しては再度押し当てる。1cmから1.5cm、2cmと少しずつ亀頭は可憐な花芯を押し広げていく。

亀頭全体が埋まった時、彼女はまたもウッと軽く吐息を漏らす。ゆっくり亀頭のくびれを膣口の外へ出し、また中へ押し戻す。奥にはなかなか進ませない。全くの処女ではなさそうだが、男を向かい入れた経験はまだ数回あるいはこれが2回目かもしれない。

ぽんこつマンは慎重にゆっくりと時間をかけて亀頭を5cmほど中に進めた。中は充分に潤ってはいるがかなり狭い。まるで風船細工に使う長風船のようによく締まった肉管をゆっくりゆっくり拡げるように引いては押し、押しては引く。やがてそのよく締まった膣にぽんこつマンの充血した陰茎が完全に埋もれた。

正常位で行き着いた位置から彼女の両脚を持ち上げ屈曲位でさらに奥へ押し込んだ。その位置でまた1〜2cmほどの短いストロークを繰り返す。ウッ、ウッ、、アッ、、ウッウッ、、アゥ、ウッ、。本当に締まりの良い肉質を持っているようだった。コンドームがない生状態でここまで締まりの良い肉質に巡り逢ったのは初めてだった。この娘には次も逢いたいと思った時にフニッシュがくる感じがして、すぐに引き抜いた。

画像はイメージです

彼女の下腹部に射出したザーメンはティッシュで優しく拭いとった。彼女をあらためて引き寄せて、その時の満足感の余韻を味わった。彼女はしばらく閉じていた目蓋を開いて、”you are so gentle kha” とささやいた気がした。これから彼女はいろんな男に求められるだろうと思える華奢で美しいボディーラインと柔らかい良い形をした乳房を持っていた。LINEを交換して正午近くに彼女はホテルを後にした。その時はまたティーラックで彼女に会えるとは思わなかった。

何ヶ月か過ぎて再びバンコクを訪れた時に、彼女と連絡をとった。彼女はまたティーラック に行ってみたいと言って来た。「あそこは男の人が女の人を見つけにいく場所だからお酒が飲みたいなら他の場所にしない?」と言ったが、ティラックでテキーラを煽った時のことが忘れられないと言って来たので、彼女の言う通りそこで午後9時に待ち合わせをした。

その後に起こったことは、あまり思い出したくはない。彼女はティラックでものすごいピッチでぽんこつマンが心配するくらいテキーラを煽った。案の定午前0時を回る頃には完全に酩酊状態で歩くことができなくなっていた。どうも彼女は少しお金に困っていて、ティラックでお酒を飲むことで、店からの割戻をもらう話をしていたようだ。ゴーゴー嬢になれば、毎日踊らなければならない。客から指名されれば、ペイバーに合わせなくてはならない。彼女は、そこに身を落としてまでお金を得ると言う決心ができていないようで、酒だけを飲んで店の売り上げに貢献して稼ごうとしていたのだった。

彼女は全く歩けなくなって店でソファーに横になった状態でしばらく動かなかった。完全に急性アルコール中毒に落ちていたのだろう。その店で一緒に飲んでいたホステスふたりが彼女に水をに飲ませ、時たまトイレに連れて行き解放してくれていた。そうこうして朝の4時になり少しは話せるように回復はしていたが、彼女はまだ歩ける状態ではなかった。ぽんこつマンは彼女はどこに住んでいるかを知らない。とりあえず近くに宿をとっていたぽんこつマンのホテルの部屋に彼女を預かることにした。優しく解放してくれていたホステス二人とぽんこつマンで彼女を立たせて3人で支えながら、ホテルの部屋まで運んだ。

多少のお金を稼ぐためにそこまで健気にお酒を飲んだと言うことが信じられなかった。ぽんこつマンが知っているタイの女性は、本当にお金に困った時に自由恋愛カフェなどに行き、お金を払ってくれる男を品定めして体を許す人もいる。それをしない彼女はそんなタイの奔放な女性とは明らかに違っていた。きっと絶対に譲れない何かが彼女をそうさせなかったのだろうと思うと、愛おしささえ覚えた。その晩静かにベッドで寝かしつけて、ぽっんこつマンはソファーで休み彼女を抱くことはなかった。

これで良いのだ。この娘にはどうしても守りたい何かがある。ぽんこつマンは彼女とのたった1回の思い出を大切に記憶の奥にしまうことにした。

ティーラックで最初にペイバーした嬢は、やがて妊娠し出産。赤ん坊の父親はインドに転勤になった男だと聞いたが、その男はその後彼女に一切の援助もしないまま行方を晦ましたらしい。その彼女に紹介された最初の従妹は、バカラで知り合った中華系(シンガポール?)の男と一緒にバンコク近郊に暮らしているらしい。3人目にあったもうひとりの従妹は無事に大学を卒業し、2年前から会計事務所で監査人として働いていると聞いている。3人にこれからも幸多かれと祈るばかりである。

ぽんこつマンがアジアに堕ちた経緯②

ぽんこつマンの現在の連れ合いになっている女性と初めて知り合った20世期末に日本で婚姻関係にあった女性から離婚を求められ、すんなり離婚を決めることになった。離婚の直接の原因は未だ不明だが、ぽんこつマンの当時の仕事があまりにも多忙で、大阪にあった職場から東京への頻繁な出張と大阪での午前3〜4時までの超過勤務、はたまた海外への出張も相まって自宅にいる時間が極端に少なかったことも離婚の原因の一つだったのだろう。

しかしながら、離婚が成立したことでそれまで毎年2回はハワイへの休暇を守っていた時間がすっかりハワイでなくても良くなり、時差の少ないアジアへの国への休暇が増えていった。海外出張で覚えたCASINOでルーレット遊びをマカオや仁川、ソウルなどで楽しめることもあり、そちらにもしばしば出かけた。特にマカオは、中国返還前から足を運んでいたところで、香港からフェリーで簡単に行けたこともあり、深夜には銃声が聞こえるなど中華系マフィアの抗争とも思える事件もあったタイパ島の、少し危うい香り漂うリスボアホテルのカジノによく出掛けた。今から20年半前の1999年12月に中国に返還となったが、当時はコタイ地区はなくタイパ島の旧エリアにはスパやサウナ、夜総会といった風俗があり、中国人はもちろんアジアの様々な国の嬢と躰を絡める事ができる。またリスボアホテルの地下通路には、かなりのレベルの美女が客引きをしていた。最近は相場が上がっていると思われうが、当時は500HK$でその美女が使うホテルの部屋で遊ぶ事ができるのだった。

カジノで泡銭が出来れば、サウナに行くかリスボアの地下通路の美女としっぽりを楽しむのだが、必ず勝てるわけでもない。それは韓国ソウルでも仁川でも同じでカジノで遊ぶことに熱中し過ぎで風俗遊びができないことも多かった。

タイでのオキニになった現在の連れ合いの元へも年に数回のペースで通っていたが、飛行機はそのオキニが住むチェンマイには私が働いていた大阪からのダイレクトフライトがなく、仁川を経由して大韓航空でチェンマイに入るかバンコク を経由してチェンマイに入るかの選択はどんどんバンコク経由が増えていくことになった。

それはバンコクにはゴーゴーバーもバービアもカラオケクラブマッサージパーラーもチェンマイと比べ物にならないくらいの数があり、比べ物にならないくらいの美女にも巡り合える機会が多いということだ。

こうしてチェンマイに滞在する前後をバンコク で過ごす機会が増えていった。そしてチェンマイの連れ合いには内緒で土日こっそりバンコクで過ごす機会も増えていった。土日をバンコクで過ごす時は、金曜日の深夜大阪発BKK早朝着便へ向かい、日曜日の深夜BKK発大阪早朝着の便を使うのだが、ぽんこつマンもどんどん年齢を重ね深夜フライトでは眠る事ができなくなり、月曜日バンコク早朝発で大阪正午近くに着く便にする事が増えた。

今から15年ほど前は、早朝バンコクに到着後タクシーでゴルフ場に行き、1プレイしてからホテルにチェックイン。土曜の昼下がりに遮光カーテンを閉じて一眠り後夕方からナナプラザやソイカウボーイへ出かけて遊ぶパターン。当時バンコクでのゴルフで一番驚いたのは、コースに到着後客待ちしているキャディーをカラオケやMPの女の子を選ぶと同じように、自分で選択するシステムがあるコースがあり若くて可愛いキャディーを集めていることだった。

最近バンコクでのゴルフはあまりしていないが、今でも記憶しているコースの一つがパンヤインドラ(http://www.panyagolf.com)。プレイ中に「19番ホールも一緒にプレイできるのか」と尋ねたら、「一緒にご飯を食べてホテルまで行ってくれる女の子もたくさんいる」とのことで、プレイ中に金額交渉してお持ち帰りとなるとのことだった。

http://www.panyagolf.com/en/contact-us/ から引用

ぽんこつマンは、深夜フライト後の早朝ゴルフなのでゴルフのプレイ後は夜の出陣のためホテルで休む事をいつも優先したのだが…….。

バンコク市内の遊びは、夕方5時くらいに軽く飯を食べ、まずはバービアへ。バービアで2〜3時間ほど飲んで、夜の8時に開くゴーゴーバーへ。バービアはナナプラザ界隈、ゴーゴーバーはソイカウボーイがぽんこつマンのパターンに定着した。バービアをでてソイカウボーイへ向かう時はほぼ歩き。肝心のホテルいつもはスクンビットソイ3からソイ33くらいまでのエリアで探していた。BTSが無くなる午前0時を過ぎても歩いて帰れる距離と安全を考えてのことだ。ソイ19のThe Key Bangkok(http://www.thekeybangkok.com/en/?utm_source=GMB&utm_medium=HotelHomePage), Sacha’s Hotel Uno(https://www.sachashotel.com), アソーク交差点に近いSukhumvit Suites Hotel(http://www.sukhumvitsuitesbangkok.com) などはソイカウボーイからペイバーした女の子とでも歩いて帰れる距離にあり、ジョイナーフィーも無く良く定宿として利用していた。

ソイカウボーイで日本人好みの女の子が多いゴーゴーバーは、当時からBACCARAだったと思う。最近は韓国人、台湾人、中国人の客が幅を聞かせて日本人は肩身が狭いが、15年ほど前は日本人客は、「優しい」「ケチじゃない」「乱暴じゃない」「しつこくない」と評判は良かったと思う。ぽんこつマンもBACCARAでペイバーした女の子が一番多い。ある時は一人の女の子に惚れ込んだこともある。そしてもう一軒ぽんこつマンが通ったゴーゴーバーがTilac-Barだ。この店はダンサーのレベルは高くないが、ホステス(客を席に案内し飲み物の注文を取る役)に面白おかしい女やババアがいて、一緒に飲むと楽しく過ごせる。ペイバーだけが目的だと残念な事が多いが、楽しくお酒を飲みたいというなら夜10時まではHappy timeでドリンク代も80Bahtと割安だった。ただしレディスドリンクはhappy timeの料金にはならないので、ホステスやダンサーにガンガン飲ませると、結構良い金額になることに注意してほしい。Tilac-Barは、草彅剛主演のテレビドラマ(CX系)「銭の戦争」の一話に日本人の金持ちを騙す舞台として登場する。

バンコクにもエスコートクラブ(https://www.newbangkokescort.com/girls/ 他)があり、ネットで事前に女の子を予約して一緒に遊ぶ事ができる。ぽんこつマンもモノは試しと一度使ってみた事がある。エスコートクラブの女の子は、2時間、4時間、6時間、10時間、24時間と利用時間が長くなればなるほど時間あたりのコストが安くなる。ぽんこつマンは一人の女の子を選んで24時間を依頼した。今日改めて見てみると24時間では12,000Baht になっているようだが、当時は24時間で8,000Baht だったような気がする。ぽんこつマンが空港に着いたら迎えが来ていてバンには既に予約した女の子が待機していた。ネットの写真で見たより多少ふっくらして年齢も少し高めと思えたが、充分満足できるコケティッシュな雰囲気を持っていて、宿泊先として予約していたコンドに到着後、飯を食いに出る以外はずっとセ●クスもその子はOKだった。24時間の擬似恋愛遊戯はあっという間に経って別れる時間はやって来た。本当は直接の連絡先交換は禁止なんだろうが、彼女は快く電話番号を教えてくれ、写真も赤外線通信で送ってくれた。あくまでも女の子が嫌がることを強引に要求せず、紳士的に接したことが彼女には好印象だったのかもしれない。ただその後、彼女と再会することはなかった。当時は既にお気に入りのゴーゴー嬢がいて、ずっと彼女を追いかけていたかったからだ。

かくしてぽんこつマンは、バンコク=クルンテープ(天使の都)という魔都の魅惑に沈んでいくことになる。

ぽんこつマンがアジアに堕ちた経緯⓪

あれはいつのことだったか、すでに確かな記憶はない。まだ日本では携帯電話の普及がそれほどでもなかった頃で、たぶんぽんこつマンが関西セルラーを持ってさほど経過していない頃だったと思う。関西セルラーが誕生したのが1987年らしいので、多分1989年あたりではないだろうか。当時日本はバブル経済の真っ只中。まだハリソンフォード出演のCMで一気に知名度を上げたツーカーホン関西ができる前だったと思う。当時は仕事仲間と夜はよく羽目を外すことが多かったが、特にタイポップスが流れるタイフードとタイビールを飲める店で、タイ旅行を主催する旅行会社の人や、タイ政府観光庁の女性職員、在日タイ領事館の女性職員と午前3時〜午前6時くらいまで飲み明かす日がかなりあった。

ある日のこと、タイ政府観光庁の女性職員から「いつもは旅行関係者ばかりをタイ旅行に招待してきたが、次はメディア関係者を招待することになった」「行かない?」とぽんこつマンと一人の友人Sがタイ招待旅行に誘われた。それまで国内のタイ料理やタイバーへはよく出かけていたが、タイ王国に行ったことはぽんこつマンは無かったのだった。「えっ、俺たちメディアの人じゃ無いけどぉ」と答えたが、「広告関係もまぁメディア関係ということで、上に了解取ってある」となり、その招待旅行に参加することになった。当然自分たちの仕事では無いので、休暇を取っての参加であった。

旅程はプーケット2泊、ホアヒン2泊、バンコク1泊だったかなぁ。当時、タイ政府観光庁は特に女性向けにホテルでの高級スパ体験や男性には王様気分を味わうようなプレーヤーに1人〜2人のキャディーがつくタイゴルフを押していて、プーケットはドゥシタニ(https://www.dusit.com/dusitthani-lagunaphuket/ja/)、

ホアヒンはヒルトン(https://www3.hilton.com/en/hotels/thailand/hilton-hua-hin-resort-and-spa-HHQHIHI/index.html?WT.mc_id=zELWAKN0APAC1HI2DMH3LocalSearch4DGGenericx6HHQHIHI)が用意されていた気がする。

プーケットでもホアヒンでも2日目の朝はゴルフがセッティングされていて、夜はホテルでパーティーがありゴルフコンペの表彰式もあったことを覚えている。ぽんこつマンと友人Sはその豪華旅行を十分に堪能したが、それでも自由な時間はホテルを抜け出し、街場のタイマッサージやバービアを梯子した。プーケットパトンビーチのバービアで友人Sは見た目超綺麗な娘(実はレディーボーイ)に捕まり、次の飲み屋に連れ出すことになったが、一軒行ってさてホテルへ連れて帰ろうと友人Sが話かけてきた時に、たまたまタイ政府観光庁の女性職員に「あの娘は男よ。喉仏見てみて」と打ち明けられ、友人S はお持ち帰りを辞退した。ホアヒンでは、プーケットの失敗が後を引いたのかサムローに乗り現地の置屋にまで足を運んだが友人Sはその気にならず、ぽんこつマンだけがプーケットでもホアヒンでもお持ち帰りした結果になった。

いよいよ招待旅行の最終日、バンコクの日となった。ホテルは、チャオプラヤ川沿いの5つ星だった気がしたが、記憶が定かでは無い。この日は、ホテル到着後自由行動だったのでぽんこつマンと友人Sは、当時のガイドブックを見てナナプラザに出かけた。

1階から3階までほぼ全ての店を覗いて何軒かのゴーゴーバーやバービアに連れ立って入り、一巡りしたところで2時間ほど互いに自由行動とした。ぽんこつマンは、今はもう店が変わってしまっているが一階(GF)のセンター奥にあるバービアで J と名乗る身長160cm位の可愛い娘に目が止まり、そこで飲み続けた。友人S は、現在NEW ROLLIPOPとなっているゴーゴーバーの前にあるテーブルに座っていたウボンラチャタニー出身のイサーン娘が気に入ったようだ。深夜1時を過ぎた頃に待ち合わせをしていたので、お互いペイバーしてホテルに戻った。

ぽんこつマンはかなり酔って気分も昂揚していた。まだタイ旅行に不慣れだったため、フロントで鍵を受け取る時にペイバーした女の子の身分証明書を預かるシステムが今ひとつ気に入らなかった。通常ならショートでやることが済めば女の子を解放し女の子は身分証を受け取ってホテルを出るので特にこれまでは何も言わなかったが、ぽんこつマンはその日はチェックアウトの時間まで一緒に彼女と過ごすつもりだったので、宿泊を共にするゲストだと主張し、「身分証明を提示し、名前を記帳すればよく何も預ける必要は無いのではないか」「チェックインの時間がずれているだけ」と、フロントマンに噛み付いた。結果は彼女がもういいといって身分証を預けてしまったが、タイ女性を身なりで客と一線を引き夜伽女と決めつけるタイのホテルシステムがおかしいと思ったのだ。日本においては、ダブルで予約された部屋に後から女性を連れて入る時、その女性の身分証を預けろとは言わないだろうから。その状況を見ていた友人Sは、ぽんこつマンのことをあの時のタイ人女性へのホテル側の偏見に一石を投じた発言には感心したと今も言ってくれる。今では客の安全を確保するために、夜を過ごすためだけにやってきたと思える人の身分証を預かるというシステムは理解できるんだがね。

ぽんこつマンと友人Sはこうしてその夜限りのパートナーと部屋に入った。J と名乗るぽんこつマンのパートナーは静かにベッドに腰を下ろした。ぽんこつマンはその傍に寄り添い座り、髪を撫で手を握り手の甲にキスをした。この時、ぽんこつマンは英語を少し話せるだけで J も簡単な英語が話せるだけだったが、その後の言葉はほとんど必要としなかった。微笑んで彼女の顔を覗けば、彼女は少し恥じらいながら微笑み返す。彼女の首に優しく手を沿わせ唇を奪ったら彼女の舌がぽんこつマンの口にするり入ってきて濃厚なキスになる。彼女の手が私の背中に回り私も彼女の背中に手を滑らせる。私の手が彼女の腰辺りに進んだ時に彼女は、ベッドにゆっくりと倒れ込んだ。

二人はベッドの上でお互いの躰にまとわりついている衣服を剥ぎ取っていく。少し褐色の内腿にはバラの花、背中肩越しにはバタフライが鮮やかに彫られていた。

ぽんこつマンはそのタトゥーが彫られた肌にキスし、手をとってシャワーブースにJを誘った。お互いの肌に石鹸を滑らせ抱き合った。やがてぽんこつマンの指が J の秘部に触れる。熱い。秘部からは既に濃厚な蜜が溢れ出していた。激しいスコールに打たれているかのようにシャワーを浴び汗を洗い流した肌からは石鹸の甘く切ない香りが漂う。二人は備え付けの少し上等なバスタオルで軽く体を拭きあい、再びベッドへ倒れ込んだ。バスタオルを剥がすと熱くなっている躰をエアコンの冷気が滑っていく。

二人の躰は激しく絡み合い、唇は互いの躰を求めあう。もう J の秘部は愛の蜜に溢れ、ぽんこつマンの膨張した突起物を迎えようと波打っていた。ぽんこつマンはゆっくりとその逸物を の秘部に当て少しずつ中へと沈めていった。愛の蜜はさらに増え、抜き差しのたびに隠微な音を立てている。クチュッ、、、、グジュッ、、、、ジュルッ、、ズビュッ、、グジュッ、、、、、。角度を変え体位を変え、幾度となく喜びを味わった。その感触は、ぽんこつマンがこれまで味わってきた感触の中で最上に位置するものであった。

翌朝、二人は別れを迎える。部屋を二人で出てゆっくりと扉が閉まるのを確認し、ホテルロビーへ向かう。フロントで彼女は昨夜預けた身分証を受け取った。ホテル玄関まで二人は無言で進み、ドアボーイがドアを開けたところで再びきつく体を抱き合った。その時二人は情婦と客ではなく、恋に落ちた関係を互いに感じていたに違いない。当時は、携帯電話こそあったもののスマホもSNSもなく、国際電話料金は個人としての負担が大きすぎてかけることもできず、日本へ帰国してからの連絡手段はE-mailのみ。彼女が街のネットショップのPCで自分に来ているE-mailを1週間に一回くらいチェックし、返信するということでしか連絡はできなかった。

それまでは年に2回はハワイへ10日ほど休暇に出かけていたが、J に巡り会ってから休暇が取れるならタイに行って J に会いたいという衝動が生まれるようになった。それからしばらくして日本では当時まだ婚姻関係にあった妻が、突然離婚してほしいと言い出した。理由は一切言わなかったが、5年前に流産しその年の年末に子宮頸癌が見つかり、子宮摘出手術を受けていた。がん摘出から5年経つまで離婚を切り出すのを待っていたと言われ、そこまで思い詰めているならと離婚に応じることにした。ハワイへの休暇はその当時の妻との結婚当時からの約束事だっので、離婚が成立してからはハワイへ行く大きな動機が消えていた。こうしてぽんこつマンは休暇が取れる時はタイへと向かうようになったのである。

その後 J とは数回会えたが、ぽんこつマンの仕事が忙しくなり海外を転々としているうちにしばらくメールを送れなかった。まぁ、ナナプラザのバービアに行けばまた会えるだろうとタカを括っていたが、しばらく空いてしまってメールを入れても返事が来なくなった。バンコク を訪れるのが1年以上開いただろうか。ナナプラザのバービアにもジャックの姿は見えなくなっていた。店のママに聞いても、当時 J と一緒に働いていた女性に聞いても行方はわからないとのことだった。その後も何度となくE-mailを送ったが返事が返ってくることはなかった。Jを失った大きな喪失感は今も消えることはない。それほどJとの濃厚な恋の感覚は強くぽんこつマンの脳裏に刻まれている。ぽんこつマンがこうしてアジアに落ちていくことになったのはJを失ったショックからと言えるだろう。

ぽんこつマンがアジアに堕ちた経緯①

それはぽんこつマンがまだぽんこつになる20年くらい前、1998年だったと思う。仕事のつながりで日本の冬にグリーンな芝のロケーションを探すことになり、日本の冬が夏であるオーストラリアのコーディネーターにロケーションリサーチを依頼していたが、既にタイの魅惑に触れていたポンコツマンは、会社に休暇を申請しタイのゴルフコースを北から順に巡る旅を計画した。最初にチェンライ、そしてチェンマイと移動して5つくらいのゴルフコースをプレイした。チェンライではサンティブリカントリークラブとウォーターフォード ヴァレー ゴルフ コース。

1日1コースを朝から廻るので、当然昼からは飯を食う、酒を飲むということになる。チェンライ、チェンマイでタイマッサージはもちろん、マッサージパーラーやゴーゴーバー、カラオケにも行ってみた。

当時はタイ語が話せるわけでもなく片言の英語だけがコミュニケーションの手段だったが、当時は臆することもなく昼飯を食べた午後2時くらいからいかにも怪しいドアを開けてマーサージパーラーの金魚鉢を覗きに行った。それまでタイ人は日本人より肌の色が黒いものと思っていたが、当時この北部タイの歓楽場には、途方もなく透き通るような白い肌を持つ女性が働いていることを知った。

ちょうど5日目の夜、今はあるかどうか定かでは無いが、Olivia、Olivia2(現在は閉店して長く跡形もない廃墟となっている)といったカラオケバーがチェンマイのチェンマイランドというエリアにあり、宿泊先のホテル(インペリアルメーピンホテル)からトゥクトゥクに乗り、カラオケクラブOlivia2に行ってみた。

ぽんこつマンはカラオケを歌いたいわけではなく、カワイイ女の子と仲良くなりたいということで出かけたが、午後8時ごろ店のドアを開けたら女の子が集まったばかりらしくまだ着替えていない女の子もいて慌ててソファーに集まってきた。一人でやって来た日本人らしき男を見てみんな指名を貰おうと必死に笑顔を作っていた。

私が選んだ女の子は、小柄な丸顔の子。なんでも店に一人でやってくる日本人はまずいないらしいことを彼女は拙い英語で話してきた。ビールを頼んで乾杯し、30分位その店で過ごして彼女をペイバーした。ホテルに一緒に戻り、朝まで過ごす。朝ごはんをホテルで二人で食べて、彼女の家に行くことになった。サンカンペーンにあり、そこに母親と過去にタイ人男との間に生まれた一人娘がいた。当時は初めての東南アジアで知り合いからも情報誌からも食当たりに注意するようにとの情報を得ていたので、その子の家で出された一杯の水も一口触れて、それ以上飲まなかった。結果この日はゴルフコースに行くこともなく、その子とは連絡先を交換してホテルに戻った。

こうしてぽんこつマンのアジアへ落ちる生活は始まった。その翌日、ゴルフコースから帰って来てチェンマイ市内にあるギャラリーカフェという店にお昼ご飯を食べに出かけた。そのカフェで静かに読書をしながらお茶を飲んでいる女性の隣のテーブルに一人座った。どんな女性なんだろうと視線を送ったら偶然目と目が合ってしまった。お互いに微笑み、簡単な英語で話かけてみた。彼女の答えは、昔、「この辺りは田舎から出てきて住み始めた場所」で「久しぶりにこの店に来た」との事だった。私はゴルフコースを下見する旅をしていることを話し、「良ければ今晩の食事を一緒にしないか」と誘ってみた。

答えは、なぜかOKだった。その晩またその店の近くにあるグッドビューというピン川に面したレストランで食事をした。彼女は身長が小さいことを気にしているが、ぽんこつマンは身長の大きい子はさほどタイプではなかったし、何より彼女の胸の膨らみ、そして声と仕草が妙に気になっていた。彼女は当時チェンマイに一人で住んでいて、食事の後も特に家に帰る必要もないとの事だったので、ホテルに誘ってみた。ホテルについてフロントで鍵をもらうときに、フロントレディーがクスッと笑ったような気がしたが、どうも昨日の女性と違う女性を連れてきたのがおかしかったのかなと思った。

こうしてぽんこつマンはアジアに堕ちる道を進み始めた。翌日はバンコクに飛び2日後は日本へ戻る予定だった。翌朝になりホテルをチェックアウトし、空港へ向かう時も彼女は私についてきた。妙に彼女に愛おしさを感じたのを今も覚えている。荷物を預けフライト時間が来るまで空港の珈琲ショップで彼女も同じ時間を過ごした。そしてとうとう出発の時間が迫ってゲートへ向かう時に彼女に手を振ったら、それまでおとなしい笑顔を見せていた彼女の目に涙が光っていた。

結果彼女とはその後も幾度となく会うことになった。彼女は実はぽんこつマンの現在の連れ合いになっている。その日から数年は年に数回チェンマイを訪ね、彼女のアパートで寝泊りする生活が続いた。