ラチャダーピセークエメラルドホテル近くのNATAREEというマッサージパーラーに突撃した日

ぽんこつマンが、2〜3日の有給を取って土日と絡めバンコクだけに年5回はきていた時期がある。その目的は、はっきり言って後腐れなくしかも手っ取り早く若くて可愛い女の子と◯ックスすることだったが、夜はソイカーボーイのゴーゴー嬢をペイバーしてホテルへお持ち帰りして楽しんだ。

その頃の定宿ホテルは、最初の頃は、スクンビットソイ19のThe Key Bangkok Hotel(http://www.thekeybangkok.com/en/index.php)が多かったが、そのすぐ近くにあるサチャズ ホテル ウノ(https://www.sachashotel.com)<10月17日現在現在臨時休業中>を使うようになった。この変化は、ゴーゴー嬢がロングをあまり好まなくなってきたこともあり、ジャグジーやバスタブがなくてもシャワーだけあれば十分になったことや、ベッドルームとリビングが分かれているようなスイートタイプの部屋が不要になったことなどがあった。

そして、その次によく宿泊するようになった宿は、スクンビットアソークの交差点を東に渡ったところにある、Sukhumvit Suites Hotel(http://www.sukhumvitsuitesbangkok.com)が多くなった。ここの部屋は、全く広くはなく、ホテル名にスイートとあるがベッドルームにシャワーだけといったシンプルなものだが、フロントを通過せずエレベーターで直接自分の部屋がある階に上がれることと、何よりさらにソイカウボーイが近く、ペイバーしてショートをこなすには、ベストポジションだったからだった。

もちろんBTS やMRT の駅にも近く、ラチャダーピセークのMPに行くにも確実に時間が読めるのがよかった。

もういつだったかは忘れてしまったが、昼過ぎからホテルを出ていく先は、ラチャダピセーク通りにあるマッサージパーラーが多くなっていて、当時日本人にものすごく人気が高いと噂になっていたナタリーに突撃したことがある。

ナタリーにはMRT スクンビット駅からホイクワーン駅まで列車の後方に乗って、ホイクワーン駅3番出口(ソンブンシーフードホイクワーン店がちかいでぐち)を出て、300mほど南へ戻ることになる(エメラルドホテルの北側)。

ナタリーは、2016年に人身売買(18歳未満の少女を営業に使っていたという罪らしい)の摘発を受けて現在営業していない。しかしぽんこつマンが突入した当時は、確かにやたらと日本人の客が多かったことだけは記憶に残っている。

一般的にマッサージパーラーの客は、一番客が多い時間帯19時から20時でもショウケースロビーに10人から15人くらいのものだが、ぽんこつマンが突入した時は、日本の連休でもない普通の週末の午後3時ごろだったと思うが、20人近くの日本人(多分どこかの農協か漁協のオヤジといった感じの団体)でごった返していた。

ぽんこつマンは一人で飛び込んだのだが金魚鉢にそこそこ気に入った姫を見つけてコンチアに値段を聞いたら3500baht(当時はちょうど1万円くらい)と、ずいぶん高い値段をふっかけられてしまった。

確かに日本人の団体が大挙して訪れて、目の色変えて女の子を選んでいる最中だったから、そうなるのもやむを得ないと諦め、コンチアの言い値をキャッシャーで払って、部屋に上がった。ポセイドンがまだ1800バーツだった頃だからその約2倍だったので何か特別なサービスでもあるのかと期待したのだが…..。

部屋は狭く、薄暗い。なんとなく清潔ではないように感じるくらい、風呂のまわりにはところどころに黒カビが残っているのが見える。

金魚鉢を眺めていた時は、細めで肌の色も白いと思っていたが、その娘はなんだか機嫌が悪いようだった。実際に部屋で彼女のスッポンポンの姿を見た時は、ぽんこつマンに比べて肌は明らかに褐色が強かった。下っ腹には妊娠線と、セルライトがくっきりと見え、年齢的には三十路に近いあるいは三十路越えと思われた。愛嬌があれば、年齢のマイナスは折り返せるのにとぽんこつマンは思った。

いつものようにシャンプーをしてもらおうとすると、すごく面倒な顔をするし、ベッドの上ではただのマグロ状態での挿入だったので、タイ語で会話を交わすこともなく、ひたすら突きまくってフィニッシュして、さっさと部屋を出た。部屋を出る際にチップを要求してきたが、「マイイム、マイミーチャイボリガーン、タンマイハイチップダイナカップ💢」(微笑まない、全くサービスがない、でなんでチップを渡す気になるの💢)とタイ語で伝えて足早に外へ出た。

その後ナタリーに行くことは2度となくなった。明らかに、その時は店側の買い手市場だったと言える状況だったが、もしかすると今見ている子がすぐに誰かに持っていかれるのではないかとの心理が働く時は、どうしても失敗するものだ。めぼしい子を2〜3人見つけられない時は、他の店を覗くのも良いと知った時だった。

今でもなぜあそこまで日本人に人気があったのかということの真相は不明だが、もしかしたら、2016年の摘発の理由になっている18歳未満の少女を働かせていた(処女を売り物にした売春斡旋行為があった)のかもしれないと思える。

確かに、2016年ごろに、チェンマイのチェンマイランドにあったとされる、中学生(処女)を紹介すると噂のあった見かけ上普通のカラオケ店も摘発を受けて、経営者が逮捕されたというニュースが日本語タウン誌に小さく載っていたことを思い出す。

タイが2014年軍によるクーデターで政権が奪われるまでは、そんな摘発の話はミャンマーやラオス、カンボジア国境の麻薬密売ばかりだったが、18歳未満の売春などの摘発は明らかに必要悪として見逃されてきたのだろう。

お金がないと農薬どころか苗すら買えない貧農の娘は、就学途中でもなんでも親に売り飛ばされていたのが今から15年くらい前まではあったということだろう。いや実は今もそんな状況がゼロになってはいないのかもしれない。

最近は、タイでもヨーロッパやオセアニアの国のように売春を合法化しようとする動きがあるようだが、そうしたからといって18歳未満の売春がなくなるということはないだろうとぽんこつマンは思う。

バンコクでバイクタクシーに乗る

バンコクには、ある程度新都市交通網であるBTSやMRTそしてエアポートリンクという鉄道網があり海外旅行者や通勤者の利用が進んでいるが、タイは暑い国で駅を出て少し歩くだけで汗だくになってしまう。だから少しお金に余裕ができると自家用車を所有するタイ人が多く、バンコクの大渋滞は、年を追う毎に激しくなる一方である。

タクシーでの移動は、エアコンが効いていて汗を大量にかくと言うことはないが、渋滞にしょっちゅう見舞われて時間に間に合わないことや想定外の料金に跳ね上がることも多くある。またバンコクの歩道は整備ができておらず、実に歩きづらいし、タイ人で歩くことを厭わない人は珍しい。

と言うわけで、タイ人はちょっとした移動にバイクタクシーをよく使う。バイクタクシースタンドは至る所にあって、新都市交通網の駅に行くにも、駅で降りて目的地に行くにもバイクタクシーを使う。

タイは人口10万にあたりの交通事故死死亡者数は常に世界上位にある国でバイクが一番危ないと言われているが、移動の利便性が最も良いのでぽんこつマンも何度も使ったことがある。特に、太陽が沈んで日差しがキツくない時のひとり移動はバイタクが好都合だ。Grab バイクは配車を待つ必要があるので今のところ使ったことがないが、オレンジのチョッキを着たバイタクは幾度となく使ってきた。

バンコクで歩いて行く距離は大体500mまで、それ以上遠い場合はバイタクを利用することがほとんどになった。ぽんこつマンがバンコクで住んでいるコンドからBTSの最寄り駅(約3km)へ行く時、タクシーだと渋滞が影響して30分以上かかって料金は80バーツ超えるので100バーツ払うことが多いが、バイクタクシー(モタサイ)だと車の間をすり抜けて行くので、信号待ちがいくつかあっても15分くらいで着いて40バーツが相場。(法律上は2キロまで25バーツ以降1キロ毎に5バーツ追加となっているらしいので4キロでも35バーツだが、細かいことは言わず、「パイサターニロットファイ〜、40バーツダイマイ?」とオレンジのチョッキを来ている運転手に聞いておけば大丈夫だ。

一度、深夜までタニヤのカラオケで飲んでMRTもBTSも終電がなくなった後に、タクシーでナナプラザへ行こうとしたら、400バーツと言ってきたのでタクシーは乗らずにシーロム通りをルンピニ公園のある交差点まで歩き、そこでバイクタクシーに尋ねたら、80バーツなら行くと言う。深夜は交通量も多くないし、排気ガスも少しは少ないので乗ることにした。ラマ4通りを東に進み、クロントイ市場の交差点を左折北上し、少し進んだところを右折してさらにスクンビットソイ4を北上するルートで10分くらいで着いた。

夜の繁華街ではタクシーもメーターを使わずぼったくり料金を吹っかけてくる。特に電車がなくなった後のぼったくり度は半端ない。バイクタクシーもタニヤでは200と言っていたので少し歩いて繁華街から離れたところで拾って80になったが、本来なら40〜60までの距離だ。

ぽんこつマンが仲良くしていたタニヤで働く女の子はいつもグラブバイクの配車を利用してタニヤからラチャダーソイ3の自宅まで40で行くと言っていた。次にタニヤやナナプラザやソイカウボーイから深夜帰る時は一度グラブバイクを探してみようとも思う。

バンコクのトゥクトゥクには注意した方がいい話

バンコクの乗り物と言えば、最近はBTSやMRTという都市交通が注目されているが、ぽんこつマンがタイへ行き始めた頃は、まだBTSが建設中(1999年12月5日開業)で当時のツーリストの移動手段はトゥクトゥクかタクシーだった。

バンコクのホテルの周りにはいつも数台のトゥクトゥクが停車していて運転手がつまらなそうにタバコを蒸しているか、寝ているか、運転手同士でくだらない話をして客待ちしているかという光景があった。その光景もタイの風物だった。

今でもトゥクトゥクはバンコクにも残ってはいるが当時の台数の多さは今とは比べものにならなかった。ナナプラザに行くのもトゥクトゥク、ナナプラザから女の子をペイバーしてホテルの戻るのもトゥクトゥク。歩いていくにはちょっと遠いとか、暑くて汗だくになりたくないからという理由で、レストランに行くにもタイマッサージに行くにもお寺見物に行くにもトゥクトゥクを使う事が一般的だった。

トゥクトゥクの乗り方は、まず「パイ(行く)どこどこ」「タウライ?(いくら?)」と運転手に聞くことから始まる。もちろん英語で話しかけてもいいが、英語がわかる運転手は少ないので、行き先と料金確認はタイ語を知っていた方が良いだろう。

トゥクトゥクの車幅は大体140cm、バイクの車幅が概ね90cm〜100cmなのでバイクより少し幅があるがタイの一派的道路の車幅の半分くらいなので、車と車の間が1.5mくらい空いていればバイクのように倒れないのですり抜けられることになる。

トゥクトゥクの運転手はいかに車の間をすり抜けて早く目的地に着くかが稼ぐお金に大きく影響するせいか、それとも性格的にせっかちなのかはわからないが、とにかくできるだけ前へ前へ行こうとする。走行中もしょっちゅうハンドルを右へ左へ切って車の合間をすり抜けていく。さらにトゥクトゥクにはシートベルトが無くドアも無いからどこかにしっかり捕まっていないと振り落とされる危険がある。ストップアンドゴー、右左への急ハンドル、それはテーマパークにあるローラーコースターよりスリリングかもしれない。

そして客が外国人だと分かると、運賃はローカルの2倍から3倍に跳ね上がる。いわゆるぼったくりだが、例えばアソークからサイアムまで最初に200バーツという金額で行くと運転手が言っていたとしても、途中渋滞があったりすると途中で下されたり、到着してから追加料金を請求されることもある。

ぽんこつマンがまだタイへの渡航が2回目とか3回目の時だったが、よくトゥクトゥクを使った。その頃のぽんこつマンは、MPを経験してそれほど歳月も経っておらず、まだ無垢なところもあり、タイといえばお寺巡りがツーリストの行動パターンと思っていた。ある日、ぽんこつマンは泊まっていたグランド プレジデント ホテル(https://www.grandpresident.com)からスラウォン通りにあるマンゴツリー(https://m.facebook.com/MangoTreeSurawongse/)という今では全世界に展開しているタイ料理の店に行こうと思い、トゥクトゥクを探した。ほとんどのトゥクトゥクは200バーツと言ってきたがひとつのトゥクトゥクが80バーツで行くと言ったのでそれに乗った。(当時は多分ローカルは40バーツくらいだったと思う。)

最初は、スクンビットソイ11を南に向かいスクンビットソイ3に出て北へ走る。それからスクンビット通りをエラワン廟まで走りそこを左折したまでは良かったが、ラマ4通りが見えてきたシーロムの交差点のルンピニ公園側で突然止まる。そしてなんと無くスラウォン通りを指差して後は歩けというジェスチャーをする。運転手は交通量の多いラマ4への右折を嫌って、そこで降りて後は歩けと言っているようだった。

ぽんこつマンは仕方なくそこでトゥクトゥクを降り歩いていくことになった。まずはラチャダムリ通りを渡り、それからラマ4世通りを西へ向かう。スラウォン通りはその時歩いている川の反対側だからどこかでラマ4世通りを渡らなくてはいけない。交通量が多くて車線幅も広いので歩行者にはかなり危険な横断だった。そしてトゥクトゥクを降りてから15分ぐらいでマンゴツリーを見つけて入る事ができた。

当時は、まだガイドブックでは経済的なタイ料理レストランとして紹介されていたマンゴツリーだったが、その盛り付けの美しさや教育の行き届いた従業員のサービスの良さに感動したのを覚えている。ランチを終えて、スラウォン通りを西に歩いてみた。

ぽんこつマンがソンブーンシーフードスラウォン店の近くに来た時、後ろからトゥクトゥクがやって来て、「どこへいくのか?」と聞いて来た。ぽんこつマンは特に行き先を決めずに歩いていただけだが、ちょうど良いと思い、思いつきで「ワットポー」と言ってみた。すると「OK」「40バーツ」と運転手が言ってくる。そこで意外に安いと思い乗ってしまった。

そのトゥクトゥクは直ぐに走り出すが遠くに王宮が見えてきた辺りで突然運転手が、「そうだ、今日はワットーポーは開いてない」と言ってトゥクトゥクを止めた。そして、「その近くにエメラルド寺院がある」「そこも良いぞ」と言って走り出す。

案内された所は、なんて事のない普通の寺だった。観光客らしい人物はゼロでそこがエメラルド寺院でないことだけは直ぐに分かった。ぽんこつマンはそこで「ここはどうでも良い」というと運転手は、「ならばお土産に最適なものを売っている店に行こう」と言って勝手に走り出す。

ついた先は、ルビーと称する赤い石を置いている宝石商の店だったが、値段を見てはっきり言って驚いた。小さな石が10万バーツ、その石を取り付ける指輪やネックレスの金属は銀だという。ぽんこつマンは明らかに宝石詐欺の店だと思って、直ぐに店を出てトゥクトゥクの運転手に「あの店はダメだ」と伝えたら「それならもう1軒良い店を紹介したい」と伝えてまた勢いよく走り出す。

次に着いたのも宝石を扱う店のようだったが、そこには赤い石では無く、見た感じ黒い石だがセンターに光の乱反射があるものを指輪にしたものがあった。店の店員がぽんこつマンに一生懸命説明する。「ブラックサファイヤ」「リングは銀製」「6000バーツ」明らかにさっきの店より安い値段設定だったし、ブラックサファイヤという響きとその石のセンターに光る感じが良かったので、勧められて指にはめてみた。

輝きは良かったがリングサイズが大きすぎる。それを見ていた店員が、「サイズは直ぐに治せる」としつこく言うので、20000円は安くはないがまぁ良いかと言う気になって購入してしまった。リングのサイズ直しというのは、リングの一部を切り落とし、そこに切った物より小さなパーツをつけて繋ぐという荒っぽい手法のもので、つなぎ目が直ぐに見えるものだった。しかしその店は保証書を入れてくれたので、つなぎ目が外れたらいつでも修理に来いということと理解した。接合部分は3年くらいではずれ、一度修理に行った事があったが、それをまた使用している間に、今度は気に入っていた「ブラックサファイヤ」がいつの間にか外れてどこかで落ちてしまって見つける事ができなくなったのだが…..。

その店で1時間くらいいたが、店を出たときにもさっきまでのトゥクトゥクはぽんこつマンを待っていた。そして店から出てきた従業員から何やら受け取っていた。その時はそれがリベートだとは知らなかったが、そのうちトゥクトゥクの運転手のもう1つの悪どい稼ぎ方がわかる時が来ることになる。

その店を出てぽんこつマンは、ホテルの名前を告げた。トゥクトゥクはまた走り出すが、あれは多分民主記念塔だったと思うが、そこでトゥクトゥクを止め、40バーツはここまでだと言って下車を要求した。時刻は18時を回り西の空はオレンジ色に染まっていた。

最初からそのトゥクトゥクは宝石を買わせ店からリベートをもらうことを目的にトゥクトゥクを走らせているという事が分かった。ぽんこつマンはそのことにを確信しそこで20バーツ2枚を渡してトゥクトゥクを降り、タクシーを探してホテルまで戻った。

トゥクトゥクにまつわるもう1つの不愉快なエピソードがある。それは2003年の1月、仕事でオーストラリアに行った帰り、協力会社のプロデューサーとバンコクでトランジットすることになり、食事に行こうとした時の話だ。

ぽんこつマンたちは、オーストラリアでの仕事の疲れを癒すために、今も日本人には知られているマッサージ店有馬温泉(https://www.arimaonsenthailand.net)に行った後近くでシーフードを食べようということになった。

シーフードはオーストラリアでもダンジネスクラブやロブスター、それからオイスターなどを散々食べていたのだが、プロデューサーが辛いタイ料理よりシーフードがいいと言ったのだった。直ぐにソンブンシーフードは思いついたが、プロデューサーが新しいところを開拓したいと言い出して、「トゥクトゥクの運転手に良い店を紹介してもらおう」と言い出した。

そこでスラウォン通りに出てトゥクトゥクを見つけて「ここから近くて安くてうまい海鮮料理屋に案内してほしい」と伝えた。運賃は100バーツと言ったが、交渉するのも面倒なのでそれで直ぐにトゥクトゥクに乗り込んだ。

トゥクトゥクはスラウォン通りを西に進み、ソンブンシーフードスラウォン店を通り過ぎ、大きな交差点を左折して、かなり長く南下したように感じた。そして小さな小道に入り、ネオンがギラギラ光る店に着いた。

ぽんこつマンたちはそこで100バーツを支払い店に入った。店の入り口には、プラウン、シュリンプ、ロブスター、渡蟹、マッドクラブ、オイスターなどのシーフードが並べられ、それをプラスチックのザルに取り料理してもらうスタイルだった。それぞれのシーフードには数字は書かれた札があったが、ぽんこつマンたちはその数字が金額だとすると1kg当たりの値段だと思えるほど少し高めの数字が置かれていた。もし1Kgならオーストラリアより少し安めの設定だとプロデューサーとぽんこつマンは話したことを覚えている。

ザルに入れたのは1800と書かれたロブスター1匹、700と書かれた手長川海老2匹、後は数字は覚えていないがオイスターを2個、そしてビアシンを1本とカウパット(タイ式チャーハン)をテーブルで頼んだ。ロブスターは蒸し、手長エビは焼き、オイスターは生で料理は直ぐに出てきた。想像以上のカウパットの量で腹は直ぐに満腹になり、会計をしたら、驚く金額が書かれた請求書がきた。プロデューサーがその金額を見て「えっ?」と驚いた。その金額はざっくりと14000バーツと書かれていた。

14000バーツと言えばざっくり4万5千円くらい。店の従業員を読んで金額の内訳を聞いた。すると「ロブスターは100g1800バーツであなたたちが選んだロブスターは600g、だからロブスターだけで10800バーツ、川海老は1匹700バーツ、、、、、、、、。」もうそれ以上聞く必要はなかった。要するにボッタクリであると気がついた。オーストラリアでもロブスター1kgで100AU$までだから中型ロブスター1匹で1800バーツなら分かるが1匹10800バーツ(3万円)なんてボッタクリ以外何者でも無いのだ。

ぽんこつマンはその時、この店とさっきのトゥクトゥクの運転手が外国人を相手にボッタクリをやっていると確信した。

やむなくプロデューサーはその時持っていたタイバーツの大半を叩いて会計を済ませた。そのプロデューサーが領収書を待っていると、さっきのトゥクトゥクがまた外国人の客を連れてきて、店の従業員から何やら受け取っている姿が見えた。リベートがいくらなのかを知る由もなかったが、それ以降トゥクトゥクにはできる限り乗らないと誓った。

そう言えば、ぽんこつマンが今の連れ合いと知り合い、チェンマイでカフェとフェイスマッサージ、ボディーマッサージの店を始めた時も、ヨーロッパからのツーリストが店に電話で予約を入れて、結局こない事が何度かあったが、別の日にちになって改めてやって来て、「あの時は、トゥクトゥクの運転手に、もっといいスパマッサージがあると言われ、ここには連れて来てもらえなかった。」と言って詫びに来たこともあった。

トゥクトゥクの運転手はいろんな店と客を連れ込むことでリベートをもらう話になっていて、行き先を伝えても違うところに連れて行ってリベートを受け取ることを主目的にしていたのだろう。

あれから25年以上が経過して、今はBTSもMRTもかなり遠くまで延伸した。エアポートリンクも開通した。来年には、またいくつかの都市交通網が開業するというバンコクだが、バンコクに来た思い出としてはトゥクトゥクに乗ってみるのも悪くは無いとは思うが、旅の記念程度に考えといた方がいいとぽんこつマンはお伝えしときたい。

今は外国人の観光客がタイへ入国できなくなってもう半年だから、トゥクトゥクを利用する客はほぼいないだろう。リベートどころか運賃すらまともに稼げなくなったから、後数年でトゥクトゥクはバンコクから姿を消すかもしれないが、それは当然ともいえるだろう。

Tinderで知り合った女の子とケーキ屋デート

Tinder というマッチングアプリでこれまでアジアの国の女の子と知り合ってきたが、日本語をそこそこ話せるという女の子とマッチしたのは初めてだった。日本に戻っている時にTinder Goldを追加しバンコクに行った時にデートする女の子を探していたのだった。Tinder で知り合った女の子とは必ずと言って良いほどLINEを交換し、メッセージやスタンプのやりとりをしていた。その日本語を話せるという彼女は、バンコクのWASEDAという早稲田大学と関連のある日本語学校に通っているらしく、話すだけでなく読み書きもそこそこできるようで、LINEのメッセージも日本語だった。

当時の彼女の年齢は26歳ということだったがその年の10月に彼女の誕生日が来るのでもう直ぐ27歳になるところだった。それでも彼女の写真からは今も可愛いらしく悪戯好きな少女の面影がうかがえて実年より若く思えた。

彼女は日本のキャラクターが好きなようでLINEのスタンプにも自分の好みが判るモノが多かった。ぽんこつマンはバンコクに着いたらデートしようと言っていて、最初に彼女と出会ったのは彼女が住んでいるラチャダーソイ3に近いエスプラナードというショッピングモールだった。待ち合わせは、19:30 MRT タイ文化センター駅3番出口を上がった所。

ぽんこつマンが住んでいるところからはタクシーが早く着けそうだったので、タクシーに乗った。しかし時間がバンコクの夕方の渋滞の真っ只中だったし、タクシードライバーが少しでも車が流れるWatthana Tham 通りを北に上がってラチャダーピセーク通りへ入ったので通りの反対側にあるエスプラナードに行くために U ターンをしなければならず、ラマ9世駅前のセントラルラマ9まで戻らなければならなかった。

結果的に時間通りには着かないことになり、LINEで到着時間を20:00に変更しなければならなかった。タクシーを降りて待ち合わせの場所に行ったら、ものすごい中国人の団体客がそのあたりを占拠していた。彼女にLINE で連絡をしたら、彼女が後ろからポンと肩を叩いてぺろっと舌を出して笑っている。最初からずいぶん親しげにしてくるので少し驚いた。

まずはお腹が空いているのでエスプラナードの地下にあるレストラン街で食事をすることにした。地下には何軒の日本食レストランがあったが、彼女が選んだのはSHAKARIKI432(2020年7月時点ではエスプラナードには無い?)というバンコク では手広くチェーン店を展開しているレストランだったと思う。

ぽんこつマンはビールそして酎ハイを飲んだ。彼女は刺身をはじめいくつかの料理を取り、食べる前に写真を撮っていた。そのショッピングモールは22:00閉店らしく21:45には店じまいの準備を始めていた。ほんのちょっとしか居なかった感じだが、店を出てGFに上がった。そこにはナイトマーケットのような露店規模の店がひしめき合っていた。彼女はその露店をいくつも巡り、さらに表をへ出てエスプラナードの裏にあるタラート・ロットファイ・ラチャダーのナイトマーケットに行った。そしてそのナイトマーケットにある全ての露店をチェックする。

彼女が興味を示すのは黒い服、スマホケース、おもちゃ。全ての路地を歩いて最後にソムタムを売っている店でコーラとソムタムそれに串にさして焼いた肉を注文した。ぽんこつマンはそこでもビール。そしてその店を出て、エスプラナードの駐車場の最上階に行って、ロットファイ・ラチャダーのナイトマーケットを見下ろせるビューポイントをぽんこつマンに教えてくれた。

ただ、ぽんこつマンには、ナイトマーケットとかで買い物する気はなかったし、中国人の客の多さにうんざりしていた。結局その日ぽんこつマンは、深夜0時くらいにタクシーに乗って帰った。

そして毎日のように彼女とLINE をした。彼女は朝から夕方までBTS チョンノンシーという駅の近くにあるWASEDAという日本語学校に通っていて、その学費をタニヤのカラオケクラブで働いて稼いでいるようだった。最初に彼女と会った夜はバイトを休んで付き合ってくれたようだった。

彼女は、幼稚園児のような話し方をする。ブリッコと言うわけでは無いが、猫のように甘えてくるところが可愛い。彼女の学校は月曜日から金曜日なので土曜日曜の昼間は時間が自由になる。彼女は甘いものも好きなようだったので、日曜日の昼間にケーキを食べようと言っていた。

初めて彼女とケーキを食べに行ったのは、Truly Scrumptiousというケーキカフェ。

彼女はチョコレートケーキを頼んだ。ぽんこつマンも彼女よりも小さい違う種類のチョコレートケーキを頼んだ。日本ではケーキを食べることもよくあるが、タイではケーキはほぼ食べたことがなかった。それはアメリカ並みに甘いケーキが多く、ぽんこつマンの口には合わなかったからだ。その店のケーキもぽんこつマンには甘過ぎた。彼女はぺろりと自分のケーキを食べ切って、「食べないのぉ?」と聞いてきた。「うん、甘すぎるから」と応えたら残りを彼女がぺろりと食べた。

そしてそのケーキカフェを出て向かったのはエムクォーティエ。エムクォーティエでは紀伊國屋に行った。彼女は本を見る訳ではなく、文具売り場で気になる文房具に「かわいい」「かわいーい」を連発する。「何か欲しいものあるの?」と聞いたら「シャープペン」「これ」という。彼女は日本の女子高生や女子大生、OLと同じように文具好きなようだった。「買ってあげる」と言ったら「良いの?」「良いの?」と何度も聞いてくる。「良いよ」と言ったら「コップンカー」と初めてタイ語でありがとうを伝えてきた。

タイのかわいい女の子が「コップンカー」という時は、ほとんどの男はその耳障りの良さにノックアウトされてしまうようだが、ぽんこつマンも明らかにその柔らかい響きに参ってしまった。それ以降、彼女とのデートは彼女が学校を終わった後に食事をして同伴で彼女のバイト先へ出かけることがほとんどになった。

それから彼女は、バイト先をタニヤからスクンビット23に変えた。ぽんこつマンはその新しい店にも何度か足を運んだ。しかし彼女との食事で彼女が指定するのは寿司、刺身、焼肉、で店はしゃかりき432を好んで選ぶ。ぽんこつマンにはしゃかりき432は、値段の割に刺身の鮮度が低く好きにはなれない。焼肉もタニヤにある炭火焼肉432を好んで選ぶ。まるで新興宗教に入信した信者のようにしゃかりき432にこだわる。そういえば最初のデートの時からしゃかりき432だった。タニヤから変わったバイト先もしゃかりき432の社長が経営するCalmというラウンジ(2020年3月にコロナ禍の影響で閉店)だった。ぽんこつマンは彼女のことは今も可愛いと思うが、しゃかりき432にこだわり続ける彼女にはしばらく会わないでおこうと今は思っている。

永くて旧い良い女

ぽんこつマンがバンコク経由でタイのチェンマイに頻繁に訪れるようになってもう15年以上になるが、1回のタイ訪問で少なくとも1晩はバンコクに泊まるようになった頃からとあるスポーツバーで知り合った女と今も時々会うことがある。

彼女と最初にあったのは、スクンビットソイ29に近いThe Penalty Spot Sports and Music Pubだった。そこは名の通りスポーツバーで、店内にはいくつもモニターがありヨーロッパのサッカーリーグの試合やゴルフのツアー、フォミュラー1グランプリさらにはラグビー、オーストラリアンフットボール、大リーグベースボール、NFL、など様々なスポーツゲームをいつも放映していて、既に仕事を引退してバンコクに独り身を置く欧米の初老が昼から飲みに来るような店だった。

その店の裏側には、アメリカのロードムービーによく出てくるようなモーテルに似た雰囲気のあるRetroasis というホテルがあり、ぽんこつマンがそのホテルに初めて泊まった時にそのスポーツバーに独り出かけたのがきっかけだった。

ほぼ欧米の初老の自由人の常連だけがその店を盛り上げているような場所に、アジア人の彼らの息子くらいの若僧がいきなりカウンターに座ったので、その店の女主人らしいタイ人が物珍しそうにぽんこつマンを眺めていた。ぽんこつマンはまずビールを頼んだ。「ビアチャン、ヌンクワット」とタイ語で注文した。その女店主はすぐその注文を聞き、ビアチャンの小瓶とつまみのピーナッツを持ってきた。

ぽんこつマンはそれをちびちび飲みながらそのとき流されているスポーツ中継を見ていた。1本を飲み終わり2本目を注文したとき、その女主人がぽんこつマンにどこの国から来たのかと質問してきた。ぽんこつマンは「コンイープン」とタイ語で答える。すると女主人は中国人か韓国人だと思ったと言った。

その店には何人かのウェイトレスがいて馴染みの客とお喋りに興じていた。さらにエプロンをしていない少しセクシーなドレスを着ている女もテーブルに数人集まって座っている。ぽんこつマンが店の様子を伺うようにその女の集団に目をやった時に、女主人が「誰かに酒を奢ればその女が隣で相手してくれる」と言った。

その時ぽんこつマンは、もう一度店を見渡した時、目があった女がいた。瞬間でその女が中にいる女たちの中で一番スタイルも笑顔もいいと思った。ぽんこつマンはその女にはまだ客がついていないようだった。ぽんこつマンはままに彼女を呼んでくれるよう言ってみた。すると少し恥ずかしそうにしながら彼女が「ハロー」と言って近づいてきて隣に座った。

彼女はビールは飲まなかった。代わりにウィスキーソーダを注文した。軽く乾杯をした後に、彼女はこの店に来るようになって間が無いという話をした。そしてぽんこつマンの歳を聞いてきた。ぽんこつマンは正直に答えた。彼女はその年齢を聞き驚いて「もっと若く見える」「タイ人でその年齢だったら顔はシワだらけ」と言って笑った。彼女はぽんこつマンの見た目の若さと優しさを気に入ってくれたようだった。

彼女は楽しい女だった。その晩はかなり長い時間そのバーにいて親しくなった。彼女は泊まっているホテルを聞いてきたので後ろにあるRetroasis だと答えた。ぽんこつマンはその店で23時を過ぎたのででホテルへ戻ろうと会計を頼んだ。するとその女は「私もその部屋に行っていいか」と聞いてくる。ぽんこつマンにはその日はそれ以上の予定もないのでいいと伝えると、彼女は「ちょっと待って」と言って女主人と話をしている。今日は早番にするということを話していたのだろうか、話が終わってグーサインを出して奥に行き、着替えて戻ってきた。

店を出たら彼女は腕を組んできた。ホテルの部屋は2階でプールを左手に見て階段を上がる。部屋は階段を上がったところから3つ奥の部屋。今はどうだか知らないがもちろん部屋の入り口の扉はカードキーではなく、昔ながらの鍵で開けるスタイル。当時も既にその宿にもWiFiはあったが、スマホを充電するための余分なコンセントが見当たらない。部屋の電気スタンドのコンセントを抜いてようやく1つのコンセントを確保できるような部屋だったが、そのなんともオールドスタイルな感じが今も懐かしく思えるホテルであった。

部屋に入って彼女のことをいくつか聞いた。住んでいる場所、家族。年齢など。住んでいる場所はバンナーで今ではBTSスクンビット線も延伸されて駅もあるが、当時はバンコクでバンナーといえばすごく田舎という意味で住んでいる人間を小馬鹿にしていたエリアだ。そのバンナーに昔大人のろくでなしの男との間にできた赤ん坊と母親の3人で暮らしているという。本当の田舎はラヨーンだが、久しく帰っていないという。年齢は当時28歳と言っていたが実年はどうでもよかった。

その晩は、お決まりのようにふたりでシャワーを浴び、ベッドインしてお互いの体を確かめ合った。彼女との初めての夜は至ってノーマルにプレイした。彼女の声はハスキーだった。身体は余計な贅肉は一切付いていない細い身体。そこにシリコンを入れてはいないが形が綺麗な乳房。肌の色は褐色だがキメの細かい肌をしていた。

その彼女が最初にあった店を辞めてスクンビットソイ4のナナプラザの先にあるヒラリーというバーに移ったのは知り合った翌年の時だった。ぽんこつマンがバンコクでしばらく暮らすときは必ず一回は彼女と会うようにしてきた。

彼女との連絡は電話だけ。今のバンコクの飲み屋の女の子はほぼ全てと言っていい程、iPhoneを持ち、いつも最新モデルを欲しがっているが、彼女は長い間スマホは持っていなかった。最近はさすがにスマホにしたようだったが中古の中国メーカーのものでLINEも使わないと言っている。本当かどうかはどうでもいいが、慎ましく生活しているようだった。

そんな彼女も最近は毎日仕事に行かなくなったようだ。電話するとぽんこつマンの住んでいる部屋に来てセ●クス をして帰る。バーで毎日酒を煽って酔っ払った挙句、中国人や韓国人、インド人やアラブ人に肉体関係を求められて言い寄られるのが辛くなってきたようだった。

スクンビットソイ4のヒラリー2で久しぶりの再会

彼女は数年前から、生でセ●クス して中出しされても妊娠しないための薬を注射しているようで、乱暴に挿入するだけのセックス と引き換えにお金を貰う不特定の関係には気を付けているようだった。念のため1ヶ月に一回は性病の検診にも行っているが、中国人、韓国人、インド人、アラブ人とのセ●クス はこりごりのようだった。彼らは優しくなく、乱暴で、横柄、それでいて金払いが悪いくせに何度も要求してくるらしい。

ぽんこつマンが店で会いたいと事前に連絡していれば店に出勤してくるが、毎日出勤していないようだった。気に入ってもらっていて優しい客からの連絡があれば店に出ると割り切っている。ぽんこつマンはそれでいいと思う。彼女と生のセ●クスをしたのは親しくなってから2度だが、もちろん彼女の了解を取ってからのことだった。きっと彼女には定期的に彼女を求めてくれる清潔で安全な男が何人かできているのだろうと思った。

つい最近彼女に再会したのは2019年8月。10年ほど前に会った時に比べて肌の衰えは隠せなくなっていた。しかしその笑顔は初めて彼女と会った時と今も変わらない。彼女とは2度とセ●クス をすることがこの先無くなっても、楽しく飲めるよき友として忘れたくない。彼女と最初にあったスポーツバーにも最近は中国人や韓国人がたまに来るようになっているようだが、改めて彼女を連れてそこで飲むのも一興だと思う。

バンコクOLとの爆呑みナイト

2019年8月5日(月)突然Tinderで知り合ったバンコクのOLと飲もうという話になった。彼女はBTS Ari 駅の近くで働いているOLで数日前にONLINEで知り合ったばかりの女性だったが、日曜日にチャットで今日一緒に飲む約束をした。

待ち合わせはセントラル エンバシー(http://www.centralembassy.com)の6階のあるSIWILAI CITY CLUB(http://siwilaibkk.com/siwilai-city-club/)の前で19:00。ぽんこつマンの住んでいるところからはBTSの駅までタクシー、それからプロンチットまで行き歩く。夕方のバンコクは渋滞が激しくタクシーで最寄りのBTSの駅までは30分は必要だった。ぽんこつマンは部屋を18:00に出た。タクシーに乗り予定のコースでセントラル エンバシーの6階に着いたのは18:57だった。

SIWILAI CITY CLUBの前で彼女が来るのを待って20分が過ぎた頃に彼女からLINE が入った。「今まだBTSサイアム」「もう少し遅くなる」との連絡。ぽんこつマンは「良いよ、待ってる」と返した。

さらに30分が過ぎて彼女はエレベータを使って待ち合わせの場所に現れた。パッと見、顔は幼い感じだが身体は少しぽっちゃりしている。まぁ酒を飲むだけなら問題があるというわけではない。予めの予約はしていなかったが、一度店の中を確認して客がいないことを確認していた。彼女とは6階のテラス席で飲もうと話していたのだが、直前までのスコールが屋外のテラス席を水浸しにしていて座れる状態ではなかった。

結局屋内の席についた。店内の照明も全体には非常に暗く保たれていてビーム角10度くらいのダウンライトでテーブルが照らされているようだった。女性としっぽりした時間を過ごすには高級感を感じる光の演出だった。

最初にグラスシャンパンで乾杯をした。そして赤ワイン。タイのスパイスが効いたステーキ、フレンチフライとチーズでボトル1本が空いた。それでも彼女はオープンエアで飲めなかったことを残念がっていた。そこでぽんこつマンは彼女にこの近くでルーフトップバーがあれば行ってみようと言った。

SIWILAI CITY CLUBを出て向かった先は、ホテル ミューズ バンコク ラングスアンの24階、25階にあるThe Speakeasy Rooftop Bar(https://hotelmusebangkok.com/bangkok-rooftop-bar/)。

最初は24階のテラス席に案内された。外はまだ霧雨が止んでいない状態で25階のルーフトップに行くには多少リスキーだった。その席でぽんこつマンはジントニックを4杯くらい飲んだ。彼女は強めのカクテルを4杯飲んだ。ぽんこつマンはGINが好きだったが彼女もGINベースのカクテルを好んで飲んでいた。そして22:00を回った頃に25階に上がることにした。

そこで再びふたりはGINベースのカクテルを飲み続けた。深夜0時に近くなって今度は彼女の部屋で飲み直そうということになった。ふたりはそこをチェックアウトしてタクシーに乗り彼女が借りているコンドミニアムのへやに向かった。彼女の家にはビールはあるがGINのボトルはないと言っていた。途中コンビニでGINのボトルを探した。1軒目にはあいにくGINはなかった。2軒目のコンビニで辛うじてGINが一本ストックにあるということで購入できた。彼女の部屋にはライムはあるとのことだった。そのコンビニでトニックウォーターとスナックも買って部屋に向かった。

彼女の部屋は23m2と広くはない。廊下からドアを開けて入るとそこにソファーがある。奥にクイーンサイズのベッドが見える。そして小さなキッチンが壁を隔ててベッドルームの隣にある。彼女は冷蔵庫からライムを大量に取り出し半分にカットしてテーブルに持ってきた。袋のスナックを開けまた呑み直した。何を話したかはあまり覚えていない。ただ彼女の借りてる部屋の家賃は5,000Bahtで28歳になっている彼女の月給は23,000baht。贅沢しなければなんとかやっていけるが、サポートしてくれるパートナーを探していると言っていた。ぽんこつマンには既に連れ合いがいることは以前から彼女に伝えていたが、それでもぽんこつマンに少しでも援助してくれればという気持ちで話したのだろう。

ぽんこつマンは女性とうまいものを食べるのも、お酒を一緒に飲むのも大好きだが、たとえ肉体関係を結んだとしても連れ合い以外の女性の生活の面倒を見る余裕はない。深夜3時を過ぎ彼女はあと4時間後には仕事があるのでそろそろ寝ると言いベッドに向かった。ぽんこつマンもそのベッドで寝ても良いというので一緒に休むことにした。既にGINのボトルも9分の7くらいは呑んで既にかなり酔いが回っていた。

2時間半彼女はぐっすり眠っていた。朝の6時に彼女は目を覚ましシャワーを浴びた。そして仕事に行く準備を始めた。ぽんこつマンとはその晩も朝も何も無かった。ほんの3時間ほど前までよく呑みよく話した関係とは思えないほどふたりは無口だった。ぽんこつマンと彼女は7時半に部屋を出た。そして彼女の働くオフィスのそばまでタクシーに乗った。彼女が降りた場所はBTS Ari 駅から100mほどのところで、ぽんこつマンもそこで降りた。「Bye」と彼女が言ったのでぽんこつマンも「Bye」と一言残し、ぽんこつマンは駅に向かった。それ以降彼女と連絡を取り合うことは無くなった。男からの援助を当てにされるのが面倒に思えるほど彼女の肉体にも性格にも魅力を感じなかったというのが本音であった。

高級ディナーを指定する女子大学生

バンコク で2019年の10月にとあるSNSで知り合った女子大生という女の子がいた。おたがいのLINEを交換して幾度かやりとりをしているうちに、晩ご飯を食べようという話になった。SNSでの写真はかなり上等で、ボディーラインもかなり整っている。もしかしてレディーボーイかもと半信半疑で、食事の約束をした。ワインも好きとのことで最初のディナーに指定してきたのは、チャオプラヤ川沿いに佇むシャングリラホテルバンコクにある「サラティップ」(http://www.shangri-la.com/jp/bangkok/shangrila/dining/restaurants/salathip/menu-wine/)という高級タイ料理。待ち合わせ場所と時間は18:30ホテルロビーとしたはずだったが、今女友達と移動中でもう少し遅くなるとLINEに連絡が入った。ぽんこつマンは本来待ちぼうけを喰らうのはあまり好きではない。19:15になって今ロビーに着いたと連絡があった。私はBTSサパーンタクシン駅から近いロビーで彼女を待っていたが、そこに彼女がやってきた気配はない。LINEで連絡を取るとロビーにいるという。そこでホテルマンに別のロビーがあるか確認しそちらのロビーに向かうことにした。彼女は友人と一緒にタクシーで乗りつけたようだが、そちらが元々のあったロビーのようで、正面玄関の扱いとなっているようだった。

私は、早速そちらに向かうためまずエレベータで2回に上がり、本館へとつながる迷路のような渡廊下を早足で歩いた。かなりの距離があり、メインのロビーに到着するまで10分はかかった記憶がある。そしてあたりを見渡すと、遠くのソファーにSNSで似た写真に似た女の子がいたので近づいていった。ハーイと声をかけると彼女もぽんこつマンとわかったようで、立ち上がりSAWADEE KHA❣️とワイをして挨拶を返してきた。彼女も、彼女の友人も170cmはあるようでヒールを履いていたので少し見上げる感じになっていた記憶がある。

チャオプラヤ川沿いの席を事前に予約していた、SALATIPというタイ料理レストランに到着したのは、既に予約じかんの19:00を40分くらい過ぎたくらいだった。10月ともなればバンコクの雨季もそろそろ終わりに近づき、夜は少し涼しさを増していた。席に着席すると、彼女がメニューから好きなものを友人と相談し5〜6皿オーダーをした。私はまず白ワインをセレクトした。しばらく食事を進めていると何やら雨粒が落ちてきたようなので、屋根のある席に慌てて映ることにした。私ももちろんだが初めて会った大学生でありモデルもしているという彼女と彼女の友達もワインをかなりのピッチで飲み、白ワインはすぐに開いてしまった。屋根のある席に移ってしばらくして赤ワインをオーダーした。

オーダーした料理は、ワインの共に向いているものが多く、すぐにお腹がいっぱいになるぽんこつマンでもさらに追加した赤ワインもあり全品の味見をすることが出来た。ワインが全て空いた後、デザートとエスプレッソも注文した。カードで精算したので、金額の記憶はない。そのレストランを出たのは23時近くなっていて、二人にこれからどうすると聞いたらシーロムに踊りに行くと言っていたので、私は一人自分の部屋に戻ることにした。

ぽんこつマンが知り合ったこの彼女は、ラップラオのあたりに母親と二人で住んでいると言っていたが、通っている大学の名前は忘れてしまった。年齢は20歳とのことであったがその妖艶ないでたちからは20歳という未熟さは感じられなかった。学費のためにアルバイトもしていると言っていたので、夜はコヨーテクラブで働いていてもおかしくないとさえ思えた。

帰宅後数日して、また彼女から連絡があった。また食事をしたいという。ベトナムのホーチミン では今回のバンコク滞在の前にホーチミン に立ち寄り日本人街で働くバーの女の子とフレンチを食べたが、バンコクでフレンチは未だ未経験なので、彼女にどこがいいかと尋ねた。翌日に連絡が入った。Blue Sky Rooftop Bar。Centara Grand at Central Plaza Ladprao Bangkokというホテルの最上階にある。そこは彼女が住んでいるところに近く景色も最高とのことであった。

ぽんこつマンはAirport Link Railway と BTSを乗り継いで待ち合わせ時間の19:00の20分前にBTS Ha Yaek Lat Phrao 駅に到着、セントラルデパートを突っ切り、駐車場を横切って待合せ場所のホテルロビーに着いたのは、18:55分。予約していた時間が19:30だったのでソファーに座って彼女がやってくるのを待っていた。19:20に彼女から連絡が入った。美容院に行っていて遅くなった。今バイクタクシーで向かっているとのことだった。これまでの大人女性のほとんどは、遅刻するとしても30分くらいだったが、彼女の場合はそうでもなさそうだったので、予約時間を20:00に事前に変更しておこうとレストランの予約に電話した。彼女がホテルロビーに現れたのは19:50、笑顔で彼女を迎えてエレベーターでレストランまで上がった。

エレベータを最上階で降りると、そこにはダイニングへの扉が見える。ホステスがやってきて予約の確認があった後、右側のroof topがいいか、左側のroof topがいいかと尋ねられたが、初めての場所なので客のいない静かなところと伝えた。ホステスに案内されてダイニングルームを通過して、写真にあるルーフトップの席についた。そこは場所が郊外側のビューなのかそれほど夜景が素晴らしいとは思わなかったが、かなり離れた席に1組の白人カップルが居ただけで静かな場所だったので、オーダー通りではあった。

この日は良さげな白ワインがなく赤ワインを最初からオーダーした。早くくるつまみとしてフレンチフライとワインがやって来て、再会を祝して乾杯をしたが彼女があたりをキョロキョロして、「こちらのサイドより逆サイドが夜景が綺麗よ」と行ったのでボーイを読んでテーブルを移れるかを確認した。ボーイは確認するといい、しばらくして戻って来て「席を移ることは可能だが、ダイニングではなくバーとなるので料理が乗り切らないかも」といい「さらにスコールが近くに迫っているので、ダイニングに写っておいた方が良い」という。確かに空には雷の光が走り始めていたので、雨に降り出される前にダイニングに写る方が賢明と思い、移動した。ダイニングの豪華なテーブルに着いた瞬間に窓を激しく叩く土砂降りの雨音と雷鳴が二人の会話の声をも打ち消した。

かなり長時間続いたスコールだったが、ゆっくりデザートを堪能したあと22:30位には雨も収まりつつあった。カードで会計を済ませホテルロビーへ降りた。彼女は、明日朝早くから授業があると言って、ホテルの外でバイクタクシーで家に帰ると言った。ぽんこつマンは、ホテルのタクシースタンドからメータータクシで部屋に戻った。

その後、何度か彼女とはLINEで連絡を取ったが、彼女はぽんこつマンの好みではない感じなので、徐々に疎遠になり、2019年のバンコクの雨季の終わりに合わせてその関係も消えていた。今は連絡先も消してしまっている。多分改めて彼女と再開することはないだろう。

バンコクでの移動時間の不思議

12月18日昼間にシーロムに飯を食べに出掛けた。7月に知り合った女の子との約束だ。私の住むコンドからシーロムは少し離れていて、部屋を11時15分くらいに出て地下鉄のシーロム駅には11時50分に着いた。そこから700メートルくらい離れたシーロムソイ3にある店まで歩いてほぼ予定の12時に着いた。

2時間くらい食事して、その店の近くにある雑貨市場を散策した後、サイアムに向かうことに。午後3時前シーロムはまだ車の渋滞はなかった。タクシーで60パーツ。サイアムの化粧品雑貨屋を数軒覗いた後、動物カフェへ。入場料は、飲み物とケーキもしくは飲み物2つ込みでひとり390バーツ。2時間弱そこで過ごして、お互い家に帰ることに。

彼女はバイクタクシー、僕は排気ガスを吸いたくないのでバイクタクシーは余り利用しない。道路が大渋滞なのでタクシーもパス。BTS、MRT、そしてエアポートリンクを乗り継いで帰ることにした。サイアム駅からアソーク駅までBTSだか大混雑で、すし詰め状態。アソーク駅からMRTスクンビット駅までは、この時間1番近い通路で降る事は禁止になっていてスカイウォークを歩いてインターチェンジ21ビルへ。そしてビルの4階からG階まで4階分降りて、MRTの地上階の入り口へ。通常は、アソーク駅の改札を出て5分ほどでMRTの改札に到着するが、この回り道では15分くらい掛かる。そしてMRTの改札に着いた時には、コンコースに通勤客が溢れているらしく、入場制限されている。もう一方の改札に向かってさらに10分歩いてコンコースに降りることが出来てから乗車待ちの列に並んでも、列車は既に満員状態で、乗車可能な人数は、一つの入り口で10人くらいが精一杯。4回目に来た電車になんとか乗れた。

スクンビット駅からベチャブリ駅まで一駅、乗車時間は2~3分。MRTを降りて次はエアポートリンクのマッカサン駅まで10分歩く。改札を通過しコンコースに上がったら、そこも列車待ちの客で溢れかえっていた。時刻は既に6時15分ほどになっていた。エアポートリンクは、スワナブーム空港へ向かう旅行客も多く、大きなスーツケースやリュックもあり、こちらも始発駅から3駅目のマッカサンでこの時間帯に乗車出来る利用客は10人程度。

ふたつの列車をやり過ごし3つ目に来た列車になんとか乗り込めた。乗車時間はおよそ3分で自分が住むコンドの最寄り駅に到着。そこから歩いて10分でコンドに着いた。BTSサイアム駅を17時に出発してコンドに着いた時は19時。わずか10キロほどの移動に2時間かかるとは驚きである。概ね内訳は、電車での移動時間15分、歩行による移動時間40分、残りの65分は、コンコースでの乗車待ち時間ということになる。

バンコクのBTSの開業年は1999年。MRTもエアポートリンクもそれ以降の開業だが、利用客に合わせた車両数の追加が上手く出来ていない事が、バンコク都市交通事情の1番の課題かな。