パタヤで見つけた天使

ポンコツマンは、日本を離れる前にタイに戻ったらバンコクで知り合ったゴルフキャディーを連れてパタヤで一晩を過ごそうと計画していた。女を連れてパタヤに行くということはパタヤに溢れる女の誘惑を捨てることになるが、そうであってもそのゴルフキャディーとパタヤでの特別な時間を過ごしたいと真剣に考えていた。

12月に入るとゴルフキャディーは少なくとも木曜から日曜まではフル回転で仕事を得ることができるほどのハイシーズンになる。今年、タイがCovid-19の入国規制を完全に撤廃した事を受けて一部の国を除いて世界中の国からタイ訪問が増加していることもあり、可愛いキャディー需要もさぞかし急増していることだろう。

だからポンコツマンはキャディーとのパタヤ旅を月曜1泊にとどめていたのだが、ぽんこつマンが選んだ12月12日の月曜日はタイではやはり休日となっていたようで、予め行く事を約束していたキャディーがその月曜日も仕事が入るらしく、パタヤ同伴旅ができなくなった。

せっかくの同伴パタヤだからシービューの部屋を事前予約し、ディナーはジョムティエンビーチにある有名なシーフードレストランに行く予定もあったが全てが白紙になった。しかしそれならそれでぽんこつマンはパタヤで新たな一夜の天使を見つける旅に変更するだけだ。

というわけで出発当日は11時半にバンコクのコンドを出て、エカマイのバスターミナルにたくしで向かう。その月曜は土日からの連休ということで街の渋滞はあまり無く、比較的スムーズにエカマイバスターミナルに到着。11時55分、パタヤ北バスターミナルまでのバスのチケットを131バーツで購入。出発時刻は12:20分、出発まで25分ほどあるのでターミナルの中にあるコーヒーショップでカプチーノイエン(冷たいカプチーノ)を買って飲んでバスの出発を待つ。パタヤは今はハイシーズンということもあり、乗車したときはすでに満席での出発となった。

バスは決まりのルートを進み、パタヤ北ターミナルには14時20分頃到着。とりあえず小便がしたかったのでターミナルのトイレに3バーツ払って入る。ターミナルからホテルまではデイパック1つなのでバイタクで移動。料金は決まって100バーツ。この費用が交通費の中で一番高い。

ホテルはビーチロードSoi8にあるFlipper lodge、チェックインを済ませ部屋に向かう。部屋は3階。一応窓からは海が見えるが、その景色はとてもいいとは言えないものだった。まぁ、一人で寝るだけだから窓からの景色はもうどうでも良かった。ベッドは広く、固さ的にもエッチするにはちょうどいい感じ。白を基調とした部屋の印象は悪くはないが、歯ブラシなどのアメニティーは無し。

昼飯を食っていなかったからセントラルパタヤロードとビーチロードの角にあるらーめんオザワパタヤ店に歩いて行き、ぽんこつマンの好きな特製オザワらーめん140バーツを食す。カレーの風味と少し辛めのチリを感じる味わいがなんともいける。15時を過ぎているというのにそれなりに客が入ってくる人気店のようだ。

腹が満たされたので、バイタクを探してSoi6へ向かう。セカンドロードのSoi6のパクソイで降りる。予め料金を確認していた60バーツを払い、それからSoi6をビーチロード方向に歩きながらそいの両側に並ぶバービアの嬢の品定め。1往復目気になる姫見当たらず。2往復目やはり見当たらず。今年3月に立ち寄ったバービアを覗いてみるが前回席につけた姫は見当たらず。またビーチロード側からセカンドロード側に引き返し3往復目。ビーチロードに向かって右側に並ぶ店の方が圧倒的に姫の数は多い。

最初は、セカンドロードに近い側の北側バービア群に原石チャンがいるのではと期待していたが、その期待は完全に外れた。見るからに30を超えているか若くても28前後で全身にタトゥーバリバリのウワバミ揃いだったので、現在新しいオーナーが階層地位の真ん中あたりよりビーチロード側の店に集中して行っては戻りを繰り返す。30分以上歩き回って、間口の狭い小さな店の面のカウンターに見た感じかなり若い娘を見つけた。笑顔を送るも彼女は無反応だったが隣にいるメガネをかけた娘から促されてぽんこつマンに視線を返してくれた。

メガネの娘はぽんこつマンが見つけた娘とゴーアップと言っているようだったが、まずはビールでも飲んで話を聞いてからと思い、店の少し奥のテーブルに腰を下ろし彼女を呼んだ。その20近くに見える娘がぽんこつマンの注文したビアチャンを持ってきたのでその娘にも一杯飲んでいいと伝えると、オレンジ色のファンタらしきモノを持ってきて隣に座った。

バービアでの一通りの質問をして、彼女は18歳で今はカレッジに通っている。今は学校が休みで学費を自分で稼ぐために働いている。家は南パタヤにあり両親がそこに住んでいるががここで働いている間は、友達と近くのアパートで暮らしているということを話してくれた。

お酒は飲まないの?と聞いてみたら、早い時間からは飲まない。もっと夜が深まってからお酒を飲むようにしないと、酔っ払って仕事にならなくなるとも言っていた。ぽんこつマンはそこでビアチャンを3本のみ、彼女もそのオレンジ色の炭酸水を三杯飲んだ。

飲んでいる間に彼女の名前を聞き、腰あたりからお尻、太ももの内側をさすりながらおっぱいがシリコン乳でない事も確認した。体のどこにもタトゥーはないようで、全身吸い付くようなもちもちとした白い肌を持っていた。

ゴーアップとペイバーについて聞いてみたら、ゴーアップの場合、上の部屋代が400B、彼女のチップは1500B。ペイバーは店に700B、ショートが2500、ロングが4000Bとかなり高い設定を提示してきた。その店の客は韓国人が一番多く、次に中国人、台湾人、香港人、シンガポール華僑などで日本人もたまに来ると彼女は言っていた。

ぽんこつマンが飲んでいる間にも3〜4人の韓国人の馴染み客が出入りしていて、なるほどと思わずにはいられなかった。1時間くらいその席で飲んでいて、通りを挟んで斜め反対側の店のカウンターにも気になるこが座っているのに気がついたが、まずは今いることゴーアップすることにした。店の勘定に400Bの部屋代が追加されて先ず請求される。それを払い待つことおよそ10分。部屋の準備ができたらしく彼女が戻ってきて2階の部屋に案内される。

部屋に入ると彼女はすぐにベッドに横になるが、ただ寝るだけ、彼女は秘部が痛いというが、ぽんこつマンは挿入すると伝えると、先ずはシャワーを浴びて来てという。ぽんこつマンはシャワーがあるところで衣服を脱ぎ、ぽんこつマンの肉棒周りと尻、太ももあたりをボディーシャンプーで洗いベッドに戻って彼女を抱き寄せると、彼女は渋々コンドームを取ってきてぽんこつマンに渡す。

ぽんこつマンはバスタオルで覆われた彼女の身体を抱きしめ、バスタオルを剥ぎ取り、彼女の肌に手を這わせる。彼女は無反応だが肌はしっとりと軽く汗ばんでいて手のひらがその肌に吸いつく感じを味わった。彼女の内腿に手を滑らせると彼女の秘部は軽く湿りを帯びていて、その感覚を知ってぽんこつマンの肉棒は怒張し始める。

ぽんこつマンはコンドームを装着して彼女を仰向けにし彼女の脚を開きその上に覆い被さった。ぽんこつマンの鬼頭が彼女の秘部に触れる。すでに膣口は少し開いているようで少し腰を前にずらすだけでぽんこつマンの鬼頭はするりと彼女の膣口に吸い込まれる。

10秒ほどそこで静止して彼女の胸や首筋に軽くキスをする。それからゆっくりゆっくり鬼頭を奥へ滑らせる。充分に奥まで鬼頭が届いたらそこでまたしばらく静止。そしてまたゆっくり引き出し、鬼頭のカリが彼女の膣口の括約筋にかかるまで引き、2秒ほどかけて奥へ入れては引くピストンを繰り返した。

自称18歳の娘のプッシーにいい具合に締められたぽんこつマンの肉棒から快感が脳に伝わる。彼女の愛くるしい顔を見ながらその快感が絶頂を迎える予感がやってくる。そして一気に放出。ゆっくり彼女の膣内からぽんこつマンの肉棒を引き出すとかなりの精駅がコンドームの先に溜まっているのがわかる。

彼女は一言、「セッレロー?(終わった?)」と聞いたので「チャイ」と答えてコンドームを肉棒から取り外し、シャワールームにあるゴミ籠にトイレットペーパーで使用済みコンドームを包んで捨て、シャワーを再び浴び服を着て戻った。

彼女に事前に聞いていたチップ1500Bを渡すと彼女はその金をバックに仕舞い、下着と店のショートドレスを着てぽんこつマンを下の階まで降ろす。店内に戻り、彼女にもう一度笑顔を送ったら、今度は彼女が軽く微笑んだように見えた。最後に彼女とママさんそしてメガネの娘にワイをして店を出て、斜め向かいのみせにいたもう一人の気になる娘を探し見つけはしたが、その娘はさっき以上に無愛想で全く客を取る気がなさそうだ。

ぽんこつマンも今1発抜いてきたばかりだから、あと1〜2時間は回復に時間もかかる。Soi6の天使探しはそこで終わりにすることにして、バイタクを見つけ以前からTwitterで気になっていたAnikiPattayaさんの店があるツリータウンまで出かけた。バイタク代は60B、ソイハニーの一本北側のソイを入った真ん中あたりで降りてそこからは歩いてAqua AnikiPattayaをGoogle Mapで探して店に向かった。

Aqua AnikiPattayaを見つけた時はすでに陽は完全に落ちきり、Tree town Pattayaはネオンの光が眩かった。店はちょうどTree townの敷地の真ん中あたりにあり少し見つけるのに戸惑ったが、それでもバイタクを降りて5分もかからず店を見つけることができた。

店の女の子がいたので、Twitterを見て今日初めて来たと伝えると、二人の日本人らしき男性から歓迎され店の中のソファーに座るよう勧められた。飲み物はお決まりのビアチャンを頼んだが麒麟一番搾り(インポート)を99Bでプロモーションしていると聞かされて、2本目はその一番搾りを頼んだ。その時点でぽんこつマンはかなり酔いが廻っていてソファーには知らないうちに昨日イサーンから来たという自称28歳の嬢と同じくイサーンからきて今日初めて店に出るというふたりの嬢が座ってぽんこつマンを囲んでいた。3人の嬢はお酒には強いようで、ウィスキソーダをガンガン空けた。

最初は客もまばらだったが、その内ほとんどの店内のテーブルは埋まり、近くのテーブルで肉を焼く客がいたので、一人の嬢がムーガタが恋しいと言い出した。店に聞いたらムーガタもメニューにあるというので、テーブルを店内からオープンに移動してムーガタを注文する。

ぽんこつマンは今回の訪タイでは初めてのムーガタだったが、Aqua AnikiPattayaのムーガタには日本人向けにポン酢があるということだったのでぽんこつマンはポン酢で初めて食べてみた。なかなか美味い。ポン酢がムーガタにもよく合う。

ぽんこつマンはビールを離れてジントニックに変わっていた。すでに何杯呑んだかなんてどうでもよかった。3人の嬢にもどんどんおかわりを許していた。最初からぽんこつマンの傍に座っていた嬢が、ペイバーして欲しいとねだり始める。スタイルは悪くないが顔はさほどぽんこつマンの好みではない。一応ペイバー代とチップを聞いてみたが、はっきりと覚えていない。なんとなく記憶にあるのはペイバー代が800B、チップがショートで3000、ロングは4500Bと言っていたような気がする。

ぽんこつマンの財布には残り4500Bほどしか残っていない。最初はクレジットカードが使えるだろうと思っていたが、よく聞いてみるとクレジットは使えないとのこと。銀行口座からのQR決済ならできると言われた。

かなりの量を女の子3人にゴチしてぽんこつマン自身もかなりのピッチで飲んでいたので、その時点での勘定が気にな理、一応会計を頼んでみたら4000を少し上回るくらいだったので現金ではなくQR決済にしてもらい、現金は次の店まで取っておこうと決めた。もしここで調子に乗って女の子をペイバーしていたら、バンコクに帰るための現金に窮することになったかもしれないと思った。

それでも、ぽんこつマンはもう一軒行ってみたい店がソイチャイヤブーンにあった。Aqua AnikiPattayaを出て歩いて行ったその店はDIVE Bar。Facebookで幾度となく店の女の子をレビューしていて、ほとんどはぽんこつマンの守備範囲外だったがその中になぜか気になる姫が2〜3人いたのだった。

ソイチャイヤブーンは、あるYouTubeチャネルでは魔境と称していてぽんこつマンは3月にも出かけていた場所でもあった。この12月はワールドカップカタール大会が開催中ということでほとんどのバービアではW杯中継をしていて、ファランの客で溢れかえっていた。

DIVE Barはそのソイチャイヤブーンのかなり奥の方にある。ぽんこつマンはその時点でかなり酔っていて何分かけてDIVE Barに辿り着いたか覚えていないが到着した時はすでに23時を廻っていて、DIVE Barの店内もファランで溢れかえっていた。圧倒的に女の子が少ない状態で、ぽんこつマンにつこうと何人かの姫が来るが、ぽんこつマンの好みが来ることは無かった。ぽんこつまんが2本目のビアチャンを飲み終える時に、なんとなくアジア系男性の好みに合いそうな姫が来たが、それ以上の向きにはなれなかったのでその姫に会計を頼んだ。

その姫は別の会計係に会計を委ねて店の外に出ていく。ぽんこつマンは会計を済ませて、トイレに行き店の外に出る。店内はかなり暗い状態で顔をはっきり確認できなかったが、外のネオン明るい場所にいる彼女の顔はよく見えた。年齢的には30を超えていそうだったが、小柄でスタイルは悪くなく、おっぱいもシリコン乳ではなくオリジナルに見えた。ぽんこつマンがFacebookで見かけた気になる姫の一人であることにその時気づいた。

瞬間になんとなくその姫にチップを渡したくなり、財布から100Bを取り出し、彼女の胸の谷間に捩じ込んで帰路についた。ソイチャイヤブーンをソイブッカオ方向に少し歩くとバイタクが屯している場所があり、そこからホテルまでバイタクで帰った。やはり料金は60Bだった。

翌朝、7時に朝食を摂り8時にはホテルをチェックアウトしてバイタクでパタヤ北バスターミナルへ向かう。100バーツ。ターミナルに着いた時間は9時少し前だったが9時発のバスはすでに満席完売していて10時発を待つしか無かった。

1時間バスターミナルでスマホをいじりながら出発をまった。バスは時刻通りに10時に出発し12時を少し廻った頃にバンナーあたりに来ていた。そこからはすでに渋滞が激しく、なかなか進まない。ぽんこつマンはオヌットで降りる予定だがウドンスックに到着してからオヌットまでが長い。ようやくオヌットで降りれたのは13時頃で、ロータス前まで少し歩いて空車のタクシーが来るのを待った。

空車のタクシーは比較的早く見つかりそこからぽんこつマンの住むコンドまで渋滞中のスクンビット通りを避けたルートで10分程度で着くことができた。昨日の出発から帰宅までおおむね26時間、そのうちパタヤで遊んだ時間は大体10時間、ホテル代、交通費、飲み代、ゴーアップ、丸っとまとめて8500バーツ。

バンコクで10時間飲み、飯、そしてエッチまで完結しようとしたら20000Bくらいは使いそうだと思うと、パタヤに出かけて天使を探す価値はあると思うぽんこつマンである。

スクンビットSoi7の場末なバービアでモデル並みの娘を発見

2021年12月タイにもCovid-19オミクロン株が入ってきたようだが、既にレストランや屋外のバーでは23:00までと言う規制はまだ残るもののスクンビットsoi4、スクンビットsoi7、ソイカウボーイでもレストランバーと言う名目で女の子を付けて飲めるようになっているようだ。

中でもスクンビットsoi7はBTSナナ駅で降りて歩いて直ぐにバービアがひしめき合う一帯が広がっている。そこの女の子の中にはかつてsoi4で客と一緒に飲んでお持ち帰りしてもらって高額なチップをもらって一家の生計を立てていた若い娘などもいるが、大体はブスやデブが多くスタイルも顔も性格も声もイケてる娘はほとんど見かけない。

そんな中、バンコクのエロマッサージで働くガールフレンドとポンんこつマンの部屋でエッチをした後、彼女を仕事先のマッサージ店に送ってその足でソイカウボーイのバカラでビアチャンを4本飲んだ。

カウンターでも飲めるが、店の前でBBQをしていて、それをレストランメニューとしてエントランスの手前にあるテーブルでも飲めるスタイルだった。ぽんこつマンは11月にパタナカーン25であった「T ….」と言う元バカラ嬢とこの日も偶然に会ってしまった。なんでもバカラがオープンしたのを聞いてパタナカーン25よりもファランや日本人、中国人といった金払いのいい客がいるバカラでドリンクを奢ってもらってさらにはペイバーも期待しての出勤なのだろう。

「T …」はスタイルはまだそれほど崩れていないものの、この肌にもう張りはなく酒を散々奢った挙句ペイバー代を払ってさらにホテル代と3000/1shotを払う気にはなれないので、スクンビットソイ7のバービアに行って飲み直すことにしたのは12月7日のことだった。

その日は、ただブラリとスクンビットソイ7のバービアを何度か回ってNo Bra Bar で呑んだがめぼしい女の子もいないので21:00ごろにBTSナナ駅からプラカノンまで行ってラーメンおがわで辛口のラーメン(130バーツ)と餃子(70バーツ)を食べて部屋までタクシーを拾って戻った。

そして12月8日またバンコクのガールフレンドの欲しいという靴を買いにセントラルラマ9へ行き、その後遅い昼食をMRTホイクワーン駅にあるSonBoonラチャダー店で食べた。ガールフレンドは名物のプーパッポンカリーの殻を剥きたくないと言い、蟹肉のパッポンカリーを注文した。

店に入ったのは既に午後2時を過ぎていてアルコールを頼めなくて彼女はパイナップルのシャーベットジュース(サパロットパン)、ぽんこつマンはココナッツ(ナームマカウ)での食事だった。

食事の後彼女は仕事に行くというので昨日と同様に店まで送って行った。ぽんこつマンはその店の近くにあるタイマッサージ屋でフットマッサージを1時間受けた。実はこの日ぽんこつマンの住んでいるコンドに長い停電があり、エレベーターが使えず25Fから階段で下まで降りたので太ももと脹脛が少しプルプルしていたのだった。

マッサージは男性が施術してくれたがかなりキツめの施術で後からとんでもなく強う筋肉痛に襲われることをこの時は知らなかった。その後ぽんこつマンは再度スクンビットソイ7のバービア群へ。BTSアソーク駅からナナ駅までは一駅で2分もかからない。そこから階段を降りてsoi7へ入る。そのソイの右側は随分前からコンドか何かの大きな施設の建設中だが、その日気付いたのは、ソイ7に面したかなり大箱のバーの取り壊しがされていた。

バービア群への入り口にある店はオーナーが変わったのか店の名前を変えて営業しているようだが、その奥とその手前にあった3軒は内装が完全に撤去されていた。バービア群の中にも新たにオーナーが代わった店もある。

タニヤにあるオーロラのオーナーが始めたというバービアにも立ち寄ってみたが、レディードリンクは230だか220だかで少し高めの設定。店の看板もなく、紙コップで出されるビールには少しガッカリだった。その店の前の通路の左手にあるバーを眺めていると遠目でかなり可愛い感じの女の子が目に留まった。微笑んでみたら向こうもこちを見て微笑み返す。

オーロラの店を1杯で離れてその可愛い娘がいる店へ乗り換える。その可愛い子がぽんこつマンを席に案内してくれる。一応値段の確認をするとレディースドリンクは220、ぽんこつマンのビアチャンは100、彼女はウィスキーソーダ。

既に陽は落ちていたが、平日なので客入りがさほど多くはなっていなかった。名前は「Pr..」話しているうちにお互いが打ち解けた。彼女は簡単にLINE交換をしてくれた。なんでもこの店に来て5日目と言っていて、昔はオンラインショップで稼いでいたが、今はどんどん売り手が増えて買い手の財布の紐もどんどん硬くなっているのでお試しで働き始めたというのだ。

生まれもバンコク市内で、Covid-19が広まる前には日本に旅行に行って楽しかった。できればまた日本に旅行に行きたいと話していた。ぽんこつマンはこの日その店が既にバービアの梯子4軒目でトータルで10本くらいビアチャンを呑んでいたので、客が混み始めた頃合いを見て帰路に着いた。昨日と同じルートでプラカノンでラーメンおがわ。

ラーメンおがわは、スクンビットソイ7からの帰りには今後もつい寄ってしまうことだろう。その日は醤油ラーメンと餃子3個のラーメンセット145バーツ。

そしてぽんこつマンが部屋に戻って翌日朝起きたら、太もも、脹脛に激痛。いわゆる揉み返し。痛すぎてトイレに行くにも一苦労だった。木曜も金曜も足が痛くて外出する気に慣れない。

スクンビットソイ7で新しく知り合った娘とLINE、あとはTinder で新しい女の子を探す毎日。バンコクのガールフレンドともLINEをするがここのところあまり長くやり取りが続かない。この前会った時に今までに友達から借りたお金を返していかなければならないと言っていたが、ぽんこつマンにそのお金の返済を手伝ってほしとは一切言わない。ぽんこつマンからもそのような手の差し伸べ方はしない。これまで田舎に帰るための飛行機代とかを援助してと言われたことがあり何度か彼女の口座に振り込んだりしたが、多分彼女の借金の額はこの長いCovid-19下での営業停止期間中は全くの無収入だったことを考えると、20〜30万バーツは借金していることだろう。

水曜日に聞いた話では、彼女の田舎にいるおねーちゃんに借りた1万8千バーツをできるだけ早く返したいと言っていた。エロマッサージ屋での仕事も平日の昼間は閑古鳥が鳴いているようだが金曜から日曜は既に客も戻ってきていると言っていた。

ぽんこつマンのバンコクガールフレンドは、店では客から人気があると言っていたが今は今年の3月まで借りたばかりだったコンドの支払いができなくなったので敷金3ヶ月分2万7千バーツを捨てて退去したので、今はバンコクに部屋もなく友達の部屋か店の部屋での寝泊まりが続いているとも言っていた。そして水曜日に会ってから2日目の金曜日からLINEのメッセージにほとんど返信が亡くなっていた。

かつてぽんこつマンはそのガールフレンドとのセッ◯スが1週間で5日位あったのだがここのところ彼女が田舎から帰ってきて以来、2週間経ったが未だセッ◯スをしていない。金曜日の晩にそのガールフレンドに土曜日の仕事が終わったらぽんこつマンの部屋に来れるかとメーッセージを入れてからそれ以降既読にすらなっていない。

もしかしたら、また新しいガールフレンドを探さなければいけないのだろうかと考えると、なんだか虚しくなり、土曜日の夜に再度スクンビットsoi7へ誘われるがまま出向いた。

おっぱいは375 ccのシリコン注入、顔立ちも整形している可能性が高いが持って生まれたスレンダーな骨格に綺麗にまとわりついた肉肌は来年26歳になるという彼女の上玉ぶりを物語っている。この店の誰よりも格段に美形でスタイルが良く、笑顔がさらに可愛い。さらに声まで男を官能に誘う甘さがある。

ぽんこつマンの次のガールフレンド候補のひとりとしていきなりランクインしてきた娘だ。この日は彼女に9杯のウィスキーソーダをご馳走した。ぽんこつマンはビアチャンを7本その店で飲んだ。多分アメリカ人と思う男が隣の席に座った。その男も彼女の魅惑に取り憑かれて昨夜と連続でこの店にやってきたようだった。

ぽんこつマンは、とりあえずその土曜日は彼女をリリースして、既に友達として何度も会っている女の子のいる店に移る。結局その店でさらにビアチャンを6本空けた。彼女が部屋に行ってもいいと言い出したが、何やら5000Bもの高額なチップが欲しいという。一緒に暮らしている母親とお姉さんのためにチェンマイの近くに今家を建てていて、その建築費を稼がないといけないというのだが、ぽんこつマンはその娘の言う家の建築費の援助は御免だし、お金でエロ事を買うならSIDELINEで見つける方が楽だし面白いのだ。

ぽんこつマンはあくまで女の子の人生を支配するかもしれないお金の使い方はしたくないのだが、タイの女の子が簡単に大金を手にできるファランや日本人、香港人、シンガポール人、そして台湾人との自由恋愛から得る報酬がタイの経済の一部を担っているのも事実である。

2021年11月6日バンコクに帰る。(タイ入国1週目)

今年の4月に日本に戻ってから10月にはバンコクに戻る予定を立てていた。昨年タイに戻った時は12月でANAの定期運行が再開されたので溜まったマイルで航空券を手に入れて14日間(実質は15泊16日)のASQ隔離を経ての入国だったが、今年はもうあのASQ隔離を避けるべく、ネットでの情報をあてにして7月1日にプーケットのサンドボックス、7月15日にはサムイのサンドボックスが始まり、10月1日はパタヤのサンドボックスが始まることを期待しての渡航予定だった。

プーケットは日本からの定期便がなくシンガポール航空での乗り継ぎが必要で70KG近くの荷物を持っていくためにはいくらスターアライアンスゴールドメンバーで20KGの荷物追加がOKといえども相当な追加料金(片道の航空券代より高額)がかかることが分かり、サムイのサンドボックスはサンドボックス利用の最初の1週間が1泊20,000円~45,000円ほど掛かるホテルの利用に限られていてどちらのサンドボックスプランもぽんこつマン向きではなかったので断念した。

しかしながら、タイ政府からの新たなサンドボックスの発表がないまま10月半ばになっていきなりタイの首相が特定の国に滞在しているワクチン2回接種済み者に対して11月1日からの開国をプレスに対して話したことから、一気にぽんこつマンのタイ渡航が改めて現実になってきた。

11月の最初は何かと混乱も多いだろうと当初は11月13日(土)を渡航予定日にしてまたもやANAの特典航空券で予約を作った。タイ首相のプレスへの開国プランをタイ政府が正式決定したプランは、日本を含む63カ国に対して1泊のみの宿泊を義務付けるTEST & GOと名付けられた。プランが発表された当初はバンコク、パタヤを含むチョンブリ県の一部がプーケット、サムイエリアと同じブルーゾーンに指定され、出発72時間前までのPCR検査陰性証明、5万米ドル以上のCOVID-19疾患も含む治療補償を伴う保険加入、SHA+あるいはAQ(隔離)ホテルの空港からの送迎並びにタイ到着後のPCR検査がセットになった宿泊プランへの支払済み証明、そして新たな制度として始めるタイランド・パスあるいは10月31日までに発給されたCOEがあれば入国可能とするという形になった。

タイランドパスの申請は11月1日から始まるが承認が出るまでは1週間程度かかると在京タイ王国大使館の発表があり、11月1日から10日までに渡航を予定するものはかつてのCOEの発給を受けての渡航も可能との発表もあった。

そこでぽんこつマンは昨年申請経験のあるCOE発給を受けての渡航に切り替え、出発日を1週間前倒しにして11月6日に変更したのだった。ANAの特典航空券は特典用の空席がある限り予定変更は自由にできるし、スターアライアンスゴールドメンバーはエコノミーでも23KGまでの荷物が3つまで運べるので都合がいい。保険は昨年は東京海上の海外旅行保険だったが、今年の計画は6ヶ月近くの滞在になるので10万円を超えてしまう。その時タイへのインバウンド旅行保険をタイのAIGが引き受けていることを知り、料金を調べたところ180日までで14,000バーツちょっととかなり安く上がることがわかった。

1泊のTEST & GOプランの宿泊先はぽんこつマンが探し始めた10月25日以降ではバンコクではまだ10件程度しかなかったが、今はかなり増えていて選択肢が充実してきている。ぽんこつマンがそのプランを予約したサイトは、https://asq.in.th というサイトで背景が黒で見かけ怪しいが、Park Plaza Bangkok Soi18というホテルをこのサイトから予約することができた。

予約情報がホテル側に流されて、その後部屋のグレードを訪ねるメールが来た。1泊だけなので眺望などどうでも良かったので一番安い値段の部屋でいいと伝えたら、次にホテルへの支払いのサイトへの誘導URLがメールで送られてきた。タイの銀行への送金かVISA,Masterのどちらかのクレジットカードが可能とあったのでクレジットカードでの支払いを選択し実行した。その後すぐにホテルのリザベーションから改めてメールが来るというメールが来て数日放置された。

出発の日程が迫って来る。もしかして詐欺サイト?と思ったがホテルへ電話とメールで既に支払い済みなので支払い証明を送って欲しいと2回ほど連絡をした。1回目の電話では、今は予約が混んでいてもう少し待つよう言われた。さらに2日待ったがメールが来ないので2度目の電話とメールを送ったらその日の深夜ようやくコンファメーションレターが届いた。なんと出発の3日前の深夜であった。

出発の2日前はPCR検査、出発の1日前に陰性証明書を受け取りぽんこつマンが住む地方の空港まで荷物を運ぶためのレンタカーを借り受けに行く。翌朝の地方空港からの出発時刻は07:10AMだから空港には06:00AM には着いておきたい。そして荷物を下ろしレンタカーを空港で乗り捨てにするのだ。レンタカーはトヨタレンタカー。同一県内は乗り捨て料金がかからない。

これから先は予定通りに進んだ。スーツケース3つは地方空港からバゲージスルーでバンコクでの受け取り。羽田空港で11:10発のバンコク行きに乗り込んだのは10:45頃、定刻に飛行機はゲートを離れ、バンコクへのフライトが始まった。

バンコクスワナブーム空港への到着も定刻通り。到着ゲートから入国審査場までの途中にいつもの青い椅子の待機場。ほとんど待たされることなく書類のチェックがあって、その先にTHAI PASSと書かれた特設チェックポイントがあった。パスポートと一式の書類を確認して無言のまま先へ進めと促される。ぽんこつマンはその時すっかり失念していたが、空港に着いたらモーチャナというアプリをダウンロードしておかなければいけなかった。後でまた触れるがそのアプリをダウンロードしたのは1泊後の朝ホテルを出る時だった。

あまりにもスムーズに進み、入国審査後預け荷物をピックアップしてカスタムを通過して到着ロビーに出ると、どこのホテルかと訪ねるタイ人がいてその人にホテル名を伝えるだけで、次は空港から病院を経由してホテルへ送り届けてくれる車まで案内される。 病院はPAYAVATE Hospitalという病院でラマ9世通りに面した私立病院。車から降りることなく窓を開けて顔を出し、その場で鼻グリグリ。あっという間に検査も終わりホテルへチェックイン。これも昨年よりかなり短い書類チェックだけ。ここでもモーチャナをダウンロードしているかのチェックは無かった。ホテルでの夕食は3つの中から選ぶ。ぽんこつマンはパッポンカレーを選んだ。昨年のASQホテルよりフルーツが充実していたが、特筆すべきほどでは無かった。

やはりAQホテルは、改装しなければ客を入れられないような部屋またはホテルを使っているのかという感想を持った。部屋に入ってしばらくして夕食がきた。エアコンがあまりに寒いので消したいとフロントへ電話しようとしたがフロントへかけるにはどうすればいいかの説明もない。大概はゼロだけをダイヤルすれば出るはずだがしばらくは誰も出ない。従業員を最低限いかに削っているに違いない。改めて時間を置いてかけ直したら10コール目くらいにようやく出た。

このままコロナが治らなかったらこのようなAQホテルが改装しないまま、営業することになるのだろうかと不思議に思った。フロントでチェックインの時にホテルのLINEアカウントを入れていたが、既に眠ったの深夜1時頃にバンコクでのPCR検査も陰性であるとの連絡が入っていた事を朝目が覚めて知った。朝食を午前7時に予約していたので食事を早々に済ませ、チェックアウトする。

その時に6〜7日後に行うAKTキットを受け取った。そして初めてモーチャナというアプリを開くよう言われた。そのモーチャナというアプリにはTHAILAND PASSコードを入力するようになっていたが、COEで入国したぽんこつマンには予めのコードは無く、入国の翌日になってアプリをいじっていてようやくそのコードを入手できたのだ。ホテル側はそのモーチャなアプリの情報を政府のシステムに登録すると言っていたが、ぽんこつマンのモーチャナの2次元コードはオレンジ色でミドルリスクと表記されている。やはりワクチン2回接種して日本でもタイでもPCR検査陰性でもリスク表記がミドルリスクはおかしいと思うが、これで何か制限があるわけではなさそうなので、放っておくことにした。

Grabで配車を頼み、ぽんこつマンの今度に向かう。部屋に入ったら電気が完全に落とされていて、冷凍庫に入れてあった食材、冷蔵室の缶コーラや缶シュエップスが破裂してカビだらけになっている。中にあるものを全て廃棄して掃除したがカビがファンのモーターにも入り込んでうまく冷えなくなっていた。3年も使っていない冷蔵庫が壊れてしまっていた。結果、新しく冷蔵庫を買う羽目に合う。その日は止むなく日本から持ってきたカップヌードルの夕食、アルコールも買いに行くのが面倒になったのでそのまま寝ることにした。

翌日8日朝10時にラマ9にあるホームプロに出かけ新しい冷蔵庫(Panasonic)を買ったが配達は12日(金)の午後ということで、その週は冷蔵庫なし。毎日外出して飯を食うことになる。元々Tinderで知り合った女の子と食事デートを考えてはいたが昼も夜もとなると意外と面倒だ。昨年知り合ってガールフレンドとしてセックスする関係になっていた女の子とは連絡がついて何度か部屋に来てくれた。おかげで性的欲求は満たされた。彼女は夕方には仕事であるエロマッサージ屋に出勤する。一緒に部屋を出てぽんこつマンは一人飯を食いに行く。そしてその後はバーに行く。

ナナプラザのあるスクンビットsoi4のモーニング&ナイトはヒラリーグループで既にSHA+のレストランとして営業許可を得ていた。しかし酒の提供は午後9時までで10時には店を閉める。かつてここで働いていた女の子に連絡を取ったら「今はSoi7のバービアで働いている」と言っている。そこは腕に営業しているという情報は掴んでいたが流石に不法営業なので週末ではなく月火あたりに覗いてみることにする。

スクンビットソイ7のバービアで見つけたエロい彼女にメロメロナイト

ずいぶん前からバンコクエロ系ユーチューバーが興味深い投稿をあげているスクンビットソイ7エリアのバービアに行ってみたいと思っていたが、スクンビットソイ4のバービアは朝から空いていてもスクンビットソイ7のバービアは回転が遅いと聞いていたので、なかなか足が向かなかった。

2021年3月にバンコクに戻って来たからにはと意を決して12日の金曜日午後6時に行ってみた。スクンビットソイ7の入り口から通りに沿って4軒のバーが見える。2軒目と3軒目の間に通路があり奥にもバービアが見える。

昼間はシャッターをおろしているが夕方5時くらいから営業の準備が始まるようだった。ぽんこつマンは3軒目のRumours Barの中からおいでおいでされて近づいていった時、奥へ通じる通路の傍にあるテーブルに通路に背を向けて座っている女の子がぽんこつマンの気配に気がついて振り返った時の彼女の愛らしい顔立ちに一目惚れしてしまった。彼女はもうすでに他界し竹内結子をふっくらとさせた感じの女の子だった。

そして、エアコンが効いているからと誘われるままにさらに奥にある4軒目のLucky Barに入ってその一目惚れした彼女と飲み始める事になった。 Rumours BarとLucky Barはどうも経営者が同じようで、そこで働いている女の子たちはどちらの店にも移動可能なようだった。

初日は、ハイテーブルで彼女とは対面でビアチャンを飲み始めたが、彼女にも一杯奢ってから、彼女とゲームをしている間にその店にいたほとんどの女の子にご馳走する事になった。

4目並べはなんとか一目惚れの彼女には数回勝てたもののLadyboyのママには全く勝ち目がなかった。サイコロゲームは運が全てなので全ての数字が開くことはほとんどなかった。その度に、誰かが「一杯いい?」と言ってくるのでご馳走していたのだった。レディースドリンクは210バーツ、ぽんこつマンのビアチャンは110バーツだったが、次第に女の子がテキーラをねだるようになる。テキーラは250バーツだそうで4人にご馳走すれば一瞬で1000バーツが羽を広げて飛んでいく。

酔った勢いでビリヤードでも遊んでみたが、やはり長い間遊んでいなかったのでキューの運びがまっすぐ思い通りに突けず、比較的容易なショットも失敗する。

ビリヤードも飽きて来た頃、ソファーの客が帰ったのでソファーに移動して、また飲んだ。ソファーではその一目惚れした彼女と抱き合ったり、ディープキスしたり、おっぱいの乳首をいじったりして彼女を口説いていた。結果的に6時に店に入り、店のカーテンを閉める午前2時近くまで8時間近くその店にいた。会計を頼むと4000バーツを超えていたがその日のレディースドリンクを考えるとそんなものかという金額だった。

そして、帰り際にまた会いたい、彼女の部屋に行きたいと告げたら明日は夕方5時には店に来る、ペイバー代は700バーツでペイバーすれば一緒に過ごせると耳打ちして来たのでぽんこつマンはすっかりその気になった。

翌日は、お昼くらいに今度で使う小物を探しにエカマイのGatewayに入っているHome Proに行った。その帰りにその晩の軍資金を引き出そうとタイの銀行のキャッシュカードを探したら、なんということか無くなっている。そこでその銀行のカスタマーセンターに連絡して新しくキャッシュカードを発行する手続きを確認した。

どうも昨日BTSno駅構内にあるATMで現金引き出しをした際、カードを抜き取るのをうっかり忘れたという事に気がついた。タイのATMは現金が先に出て、それからカードがギリギリつまみだせる程度だけ出てくるが日本のATMのようにすぐに出てこないので、どうしても抜き取り忘れて、ATMに吸われてしまうことがよくあるので、注意が必要だ。

タイの銀行は主要デパートには必ずあってそこは土日も営業しているので、もしタイの銀行に口座を作るならデパートの中の支店で口座開設することをお勧めする。ぽんこつマンも日本から自分のタイの銀行口座に送金してタイでの生活費・遊興費に充てていて、その口座はバンコクにある支店での開設と生活のベースになっているチェンマイの支店で開設した口座を利用している。タイでは県を跨いでATMから現金引き出しをすると手数料を取られるケースがあるので生活する拠点ごとに口座を開いておければ安心だ。

結局バンコクで解説したデパート内の支店までパスポートを持って行き、100バーツの手数料を払ってキャッシュカードを再発行できた。もちろん以前のカードはすでにブロックがかかっているので誰かが抜き取っていたとしても、現金を引き出すことはできなくなっているはずだ。そもそもそんなにたくさんの現金をタイの銀行に置いていないのだが……。

新しいキャッシュカードで現金を引き出した時にはすでに時刻は午後3時を回っていた。昨日一目惚れの彼女に出会ったバーにはまだ早いが、一旦部屋に戻ってまた出かけるのも面倒なので、まずはスクンビットソイ4にあるバービアで軽く1杯やってからスクンビットソイ7のLucky Barに行く事にした。MRTでRama9 からスクンビットまで2駅、そこでBTSアソークに行きNANA駅まで一駅移動して歩いてスクンビットソイ4のバービアに着いた。

スクンビットソイ4のバービアは土曜日だけあってファランで賑わっていた。知り合いになっていた女の子がすぐにぽんこつマンに気付いてテーブルに寄ってくる。ビアチャンを1本頼んで女の子にも1杯ご馳走した。しばらくおとなしく時間を過ごして5時になるのを待った。

そして5時になったのを確認してスクンビットソイ4を出てスクンビットソイ7に向かった。Lucky Barには5時15分に着いた。一目惚れした彼女は真っ新のアディダスを履いていた。ドレスは相変わらずデコルテを綺麗に見せるオフショルダーワンピースを着ていたが、今日も化粧はほぼなくリップを薄っすらつけている程度で愛おしくさえ思える。

まだ早い時間のようで店の中には洗濯したタオルや床掃除の用具が残された状態であったが、ぽんこつマンがその日は最初の客のようでまずソファー席に案内された。昨日同様ビアチャンを頼む。彼女にはウイスキーソーダ。昨日聞いていたペイバーの話をしてみたら、なんと今日は土曜日で夜9時ごろから客が溢れるのでペイバーできないとオーナーに釘を刺されたと言ってきた。確かに、若い女の子は彼女ともう一人くらいであとはかなりの年齢の女性が多い。70歳を過ぎたようなファランの客には30オーバーの女性でも問題ないのだろうが、もう少し若い客はやはりより若くて綺麗な女を好むと納得する。

午後7時を過ぎた頃におかまのママが出勤して来て昨日と同様にソファー席にやってきてゲームをしようと言ってくる。ぽんこつマンはもうゲームに飽きていたので一回だけ付き合ってお酒を奢り、あとは一目惚れした女の子といちゃついて時間を過ごした。昨日にも増して女の子が飲むペースが早いので一旦チェックしてみたら、すでに5000バーツ近くになっていて、このままだと一晩で10000バーツもあっという間だと思い、一旦精算して、エアコンのない方のRum Ours Bar のカウンターに席を変えて飲み直す事にした。ビールは4本しか飲んでいないのに女の子が勝手につけたテキーラやウイスキーソーダのシートが筒にいっぱいになっていたのも事実だが、果たして女の子がそんなに飲んだのかとはなかなか信じられなかった。

席を変えて飲み直した時、ぽんこつマンはビールをジントニックに変えて数杯飲んだ。おかまのままと一目惚れの彼女がぽんこつマンのそばに付く。何人かの女の子も酒を強請って来たのでご馳走したが記憶にある限りおかまのママと一目惚れの彼女にテキーラを1杯ずつ、あとはカウンターの中にいた女性とママと彼女にウイスキーソーダを1杯ずつだと思ったが改めてチェックを頼んだら2980と言ってきた。250バーツのテキーラを概ね12杯飲んだくらいになっている。ちょっとおかしいと思ったが、もう少し一目惚れの彼女と一緒にいたかった。その時ママがビールを1本ご馳走すると言って来たのでありがたく頂いたが、それを飲んで彼女とママにも1杯ずつ飲ませたてぽんこつマンがさらにジントニックを頼んだで再度チェックと言ったら4500バーツくらいになっていて、これはぼったくられていると感じたので、すぐに精算して帰宅する事にした。23時だった。

多分筒にいれる伝票を何枚か重ねて筒に突っ込んでいるのだろうと思われるが確信がないので文句を言わず支払った。カードで精算したら5%のチャージもついてやがて4800バーツくらいになっていた。次回来るときはキャッシュオンデリバリーで酒が来たら現金で払おうと心に決めた。

明らかにスクンビットソイ7に来る客はソイ4に比べて少なく、コロナの影響で観光客もほぼいない状況が、一人の客からなんとか水揚げをあげるべくキャッシャーのオーナーが意図的に伝票割増を支持しているのだろうと思った。

一週間経って改めてLucky Barに出かけた時は、2000バーツと決めてキャッシュオンデリバリーで飲んだ。この方がぼったくりに会う事はない。しかしぽんこつマンのようにぼったくられたと感じた客が改めて何度も足を運ぶ価値をそこに認めないとすれば、現在の悪循環はもっとエスカレートすると感じた。

アドフェスト(アジア太平洋広告祭)とジャニーズのコンサートが開れていた3月にパタヤに一人旅

あれは、2003年か2004年の3月の初旬ことだった。その時はまだ大阪の会社に勤めていたぽんこつマンは、3月末は年度末ではあったが、初旬に有休が取れることとなったので急遽タイに行こうと思った。3月は学生たちも春休みなので航空運賃は総じて高くなるのだが、有休の予定を入れた1月の段階では、まだタイ航空大阪ーバンコク線にはまだ安いブッキングクラス(V)の席に空きがあって、確か往復5万円代でチケットが手に入った。

出発当日、ぽんこつマンは通勤で使っていたJRで大阪まで行き、地下鉄で難波まで、そしてラピートに乗って関西空港へ向かった。タイ航空のカウンターでチェックインしているときに、いつもなら大体おっさんの客が多いバンコク線だが、その日はやたら若い女の子が多いことに気が付いた。しかしその理由はまだわからなかった。

当時、このタイ航空大阪発バンコク行きは満席になることが多くはなく、いつもはエコノミーに空席があって、よく隣の席を荷物置き場として使うことができたが、その日は完全に満席だったようだ。

ぽんこつマンは、できるだけで出口に近い通路側の席をお願いするのだが、その日は通路側は中程まで下がらないと無いと言われた。飛行機に乗り込むといつものバンコク線とは少し様子が違っていて、後方の方に多くの若い女の子が固まって座っているのに気が付いた。

その時は、まぁ春休みだからと思っていたが、バンコクに着き荷物を受け取って到著ロビーに出ようとカスタムを通過したら、その先に多くの若い日本人の女の子が誰かを出待ちしている様子が目に飛び込んだ。

その時はぽんこつマンには全く関係のない話だと思いきにもしていなかったが、後からちょうどパタヤで音楽フェスがあり、そこにジャニーズの有名グループ(多分SMAP)がやってくる予定になっていたと言う話をパタヤのタイマッサージ屋のおばちゃんから聞くことになった。

どうりで、飛行機の中にもスワナブーム空港にも日本の若い女の子であふれていたと言う理由が分かった。なんでもそのジャニーズのグループはハードロック・ホテル パタヤ(https://pattaya.hardrockhotels.net)に泊まるという噂もあり、ぽんこつマンが宿として予約したグランド ホテルという3つ星の安宿に行く途中に通るビーチロードもハードロック・ホテル パタヤの辺りに若い日本人の女の子がたむろしている様子が見えた。

ぽんこつマンのパタヤへの表向き目的は、ロイヤル クリフ グランド ホテル(https://www.royalcliff.com)で開催されていたアドフェストを覗きに行くというものだったが、本当の目的は、パタヤでタイの女の子と遊ぶことだった。

ぽんこつマンは、スワナブーム空港についてからタクシーでパタヤに向かったが、朝早かったためウォーキングストリート近くにあるグランド ホテルという3つ星の安宿にには朝早く到着してしまった。部屋が空いてさえいれば、すぐに部屋に入って仮眠をとりたかったがその日はまだ部屋が清掃できていないとのことで昼まで待つように言われた。

朝10:00からアドフェスト会場は開くはずだったから、ホテルに荷物を預けて、ロイヤルクリフにソンテウで向かった。ロイヤル クリフ グランド ホテルはタイ資本の名門5つ星ホテルらしく、相乗りソンテウの経路にはなく、ソンテウをタクシーがわりに貸し切る形で向かうことになる。

人が載っていない空のソンテウに手をあげ止めて40バーツで行ってくれることになった。ロイヤル クリフ グランド ホテルについてまずは、ロビーでコーヒーを飲んで10時になるのを待った。そのコーヒーは、ソンテウの何倍もする値段だった事にも驚いた。

なんでもタイでロイヤルと冠名を付けれるのは王様の親戚筋だけらしく、そこのオーナーも国会議員そして、政府の観光大臣か政務官をやっているらしかった。アドフェストの会場は、エントランスを出て左手に歩いた先にあるPattaya Exhibition And Convention Hall(https://www.peachthailand.com)でやっていた。

時間になったので会場へ向かい、ウォークスルーチケットを購入して入場した。世界から集まったプリント媒体の広告作品がホールロビーに展示され、大ホールでは幾多のコマーシャルムービー作品が上映されていた。アドフェストは1998年に創設されていてその歴史はカンヌ国際広告祭やクリオアワードよりかなり新しいが、既にカンヌ国際広告祭の前哨戦的な意味で出品する作品が多かった為、アジアオセアニア地域に限らず、多くの国からのエントリーがあったようだ。

アドフェストの会場で3時間ぐらい過ごしただろうか。お腹が空いてきたので、パタヤの街に降りることにした。まずホテルにチェックインし、ウォーキングストリートからビーチロードへ出てマクドナルドで軽く食べた。それから少しビーチロードをノースパタヤ方向に歩いて、ビーチが見えるバービアでビールを飲んだ。

そこにひとりのタイ人の女がやってきた。名前はAnn と言っていただろうか。年齢は28と言っていた。若くはなかったが、可愛い感じの女だった。何杯か一緒に飲んで、馬鹿な話をしてゲームに興じ、たくさん笑った。彼女は日本語もそこそこ話せたので楽しい時間はあっという間に過ぎて、夕方になった。

ぽんこつマンは、晩飯はシーフードを食べようと考えていたのでAnn に一緒に行くか聞いてみた。Ann は目を大きくまん丸にして「はい〜❤️」と無邪気な返事を返す。そこで彼女をペイバーして店を出る。ソンテウでウォーキングストリート入り口まで行き、そこから500mほど歩いてナンヌアルというシーフードレストランに向かった。

入り口には、ロブスターや牡蠣、カニ、シャコなどが並べられ、好みの魚介を選んで調理を頼むことができるシステムだ。もちろん野菜やスープのメニューも色々あるようだった。

ぽんこつマンは、マッドクラブ、ロブスター、オイスターを選んでテーブルについた。白ワインを選んでAnn と一緒に飲んだ。当時はタイではまだワインが豊富にはなく、しかも赤が主流だったが、流石にパタヤのシーフード店で、シャルドネくらいはあるだろうとオーダーしたのだった。

彼女はもともとチョンブリ県の出身で今はバービアで働いている。実家は貧乏で学校は中学までしかいっていない。ひとりの息子がいるが、その父親は妊娠が分かって直ぐに行方を晦ました、と言っていた。実家には父と母がいて、息子はそこに居る。お金を稼ぐのは大変だけど、パタヤの雰囲気はすごく好き。彼女はその時は英語で色々話してくれた。

多分、パタヤには欧米人が頻繁に遊びに来るのでその相手をしているうちに英語を覚えていったのだろう。そして少しの日本語も日本人との客を相手しているうちに身についたんだと思う。彼女の人懐っこさが、多くの訪問者の心を開いてきたのだろうと思った。

その日は、彼女をホテルへ連れ帰って男と女の関係になることは、ごく自然な流れだった。ホテルの部屋にはバスタブがありお湯を張って一緒に入った。彼女は熱いと言いながらも、しばらくぽんこつマンと体を合わせていた。

タイのホテルにあるバスタブのほとんどは、寝て浸かるタイプなので、ぽんこつマンの上に乗る感じで彼女は湯船に漬かったのだった。ぽんこつマンは彼女のそう大きくはない乳房に両手を当てがい、中指で彼女の乳首を弄んだ。彼女は、自分の股間の下にあるぽんこつマンの男性器に手を伸ばそうとしたが届かない。ぽんこつマンが右手を彼女の股間に伸ばし、クリトリスを探し当てて転がすと身をよじって吐息を漏らした。

その後ふたりは立ち上がり、ボディーシャンプーでお互いの身体を洗いあった。彼女はぽんこつマンの肉茎や玉袋を他より丁寧に優しくマッサージしながら洗ってくれた。ぽんこつマンは彼女のアナルからクリトリスにかかる股間のラインを入念に手のひらで洗った。時折アナルや膣のくぼみに中指を軽く挿入しながら彼女の秘部から愛液が漏れ出すのを待って、シャワーで体に残っている泡をきれいに洗い流し、ベッドに向かった。

当時は、世界中でHIVの流行が話題になっていたので、ぽんこつマンもAnn もいきなり生での挿入は考えなかった。Ann はdurex のコンドームをいくつも持っていたし、ぽんこつマンはオカモトや不二ラテックスのコンドームを何種類も持って出かけていた。

ベッドでは、Ann は激しく動いた。ぽんこつマンも激しく突いた。騎乗位、背面騎乗位、後背位、松葉崩し、側位、正常位、屈曲位、伸長位……。ザーメンをコンドームに射出しては少し休みそしてまた求めあう。翌日の朝10時まで4回は繋がりあったと思う。

昼にホテルを出て、ビーチの日陰でふたりはビールを飲み少し眠った。夕方近くなりさすがに朝からろくに食べていなかったので腹が空いてきた。ぽんこつマンはAnn に何か食べに行こうと伝えたところ、Ann は「今日は私が店を選んでいい?」ときいてきた。「OK、もちろん」と速攻で答えた。

彼女とビーチロードでソンテウを拾い、彼女が行き先を確認しそれに乗る。もう着いた店の位置も名前も覚えていないが、それは3rd. ロードに面した小さなローカル向けのムーガタ屋だった。それでも夕方の17時前だったが、人で溢れていた。あっという間に炭が運ばれ鍋が置かれた。Ann が豚肉と海老、野菜の焼き物を頼み、ポンんこつまんはビアチャンでそれを流し込んだ。

Ann は19時には部屋に戻ってバービアに働きに行くと言っていたので、せっせと食べたのだった。はらぺこが一気に満腹になり、もう食べれないとなった。時間は18:30を少し回った頃だった。ぽんこつマンはAnn とその店で別れ、そこからいったんホテルに戻り、パタヤのマッサージパーラーを覗きに行く事にした。

パタヤのマッサージパーラは、2nd. ロードにいくつかあったが、その話はこの記事には書かずに次の記事で書こうと思う。今回は、パタヤで出会ったAnn との話で終えておこうと思う。なぜなら、タイの女性に本当の意味で好きという感情を持った最初の出会いがAnn だったからだ。

ぽんこつマンは、今日までAnn と名乗る女性との出会いは3回ある。ひとり目はパタヤのAnn。ふたり目は、フィリピン、オロンガポのAnn、3人目はバンコクのAnn、アンと名乗る女にやたらと会うのは、アンと名乗る女性がただ多いからなのか、それともぽんこつマンにアンと名乗る女性に縁があるのかわからないが、もしかしたら、またどこかでアンと名乗る女性に出会うことがあるかも知れないと思うと少し楽しみになる。

チェンマイ市内ピン川沿いのデートスポット①リバーサイド

2003年、今からもう17年前ぽんこつマンは、タイの第2の都市チェンマイへ2度目の訪問をした。2001年か2002年に離婚し独りの身になったぽんこつマンは、それまで以上にアジアでの風俗体験に興味が膨らんでいて、2日3日の休暇を土日に絡めてよくタイに向かうようになっていた。それまではバンコクが圧倒的に多かったが、なんとなく「タイ第2の都市」「タイの赤い薔薇」というフレーズに惹かれてチェンマイ での風俗探索をしようとしたのだった。

チェンマイの宿は、当時はジョイナーフィーが不要となっていたインペリアルペイピンホテル(http://www.imperialmaeping.com)<現在、臨時休業>を好んで選んでいた。近くにはバービアやマッサージ屋が多く並ぶ、ロイコー通りがあり、多くの初老の白人が昼間から一杯やっている姿に憧れを感じたのだった。

ホテルの車両入り口を一歩出るとカンパングディン通りがありそこにもマッサージ屋(多分エロマッサージ)やバービアがあり、昼間から呼び込みがあったことを思い出す。当時からチェンマイの風俗遊びといえば、ゴーゴーバーではなく、マッサージパーラーかカラオケが主流のようでぽんこつマンは昼間にマッサージパーラーに行き、夜はバービアかカラオケというパターンで行動した。

カラオケは当時手に入る情報ではチェンマイランドというエリアにあるオリビア2という店がいいという噂があり、チェンマイに到着した2日目の夜にトゥクトゥクで出かけた。オリビア2の隣にはKITAMONDという焼肉屋(和食メニューもある)があり、オリビア2の経営者がその焼肉屋もやっているとの話だった。

オリビア2の前にトゥクトゥクで着いたのは19:00をまわった頃で既に店の前には2〜3人の女の子が顔見せしていただろうか。飯を食べていなかったのでまずKITAMONDに入って、情報収集を兼ねて食事をした。その時はまだ店内に客はほとんどいなかった。店主かどうかわからなかったが初老の日本語を話す眼鏡の男性が接客してくれたことを思い出す。

今Googleのストリートビューで見ると北門(KITAMOND)は今もあるようだが、オリビア2は見当たらない(取り壊されているようだ)。はっきり言ってチェンマイランドというエリアもどんどん寂れて行っていて、2010年頃、処女を斡旋している店が摘発を受けたというニュースが流れて以降、カラオケ店の看板がどんどん消えて行ったのを覚えている。

その日は、北門で軽く食事を済ませた後、隣にあったオリビア2に突入した。入り口を入ると左手に女の子がずらりと20人は並んで座っていてそこだけが明るく照明されている。その中から好みの女の子を選んでベンチシート席でお酒を飲むもよし、カラオケを唄うも良し、そのままペイバーして直ぐにホテルへ連れて行ってもよしとママらしき女性から日本語で説明された。

ぽんこつマンは、身体が大作りではない華奢な感じの女の子が好きだったが、ちょうど長いコーナーソファーの真ん中あたりに座っていた女の子がそのタイプだった。ママにその子を選ぶと伝えて少し飲んでいくことにした。

周囲に仕切りがあって他の客が何をしているかが見えない作りになったベンチシートに座る。一応カラオケというので唄の本とマイクは用意されたが、ぽんこつマンは唄には全く興味がなく、女の子とスキンシップしたかっただけだった。

彼女の名前はK◯◯◯、年齢は26歳と言っていたが、見た感じはもっと若い印象だった。ぽんこつマンはビアチャンを頼んだ。彼女はぽんこつマンに身体を寄せてきて、モモとモモが触れ合う感じに接近した。彼女は手をぽんこつマンの膝にあて、カタコトの日本語で「ウタウタワナイカ?」と訊いてくる。「唄わないよ」と応えると「ソウカ、ソウナノカ」と返してくる。

ぽんこつマンは、彼女の腰に手を回しビールを飲んだ。彼女はコーラを頼んで飲んでいた。ベンチシートがあるエリアはほぼ真っ暗で仕切りもあるからエロい事をしても問題なさそうだったが、ぽんこつマンは、静かにビールを飲んでいた。

40分ぐらいベンチシートでビールを飲んでいたが、トイレに立って戻ってくる時、ママが近づいてきて、ペイバーするかどうかを訊いてくる。ぽんこつマンは既に彼女のことを気に入っていたので、ロングでペイバーしようと考えていたが、当時はペイバーそのものがロングしかなかったのだった。

席に戻るとママもやってきてKにタイ語で一言二言話すと、Kは立ち上がって「キガエテクルネ」とその場を去った。暫くして戻ってきた彼女はヘソが見えるノースリーブシャツとジーンズ姿だったことを覚えている。当時のペーバー代は2000バーツだった気がする。

店の外に出ると彼女は「オナカスイタ」という。そこでぽんこつマンは「どこかいいムードの店に連れて行って」と彼女に伝えた。すると彼女はトゥクトゥクを携帯で呼んでチェンマイランドエリアを後にした。

トゥクトゥクはチャンクラン通りを北上し、スリドンチャイ通りを右折、チェンマイプラザホテル前を通り、T字路を左折してチェンマイの観光名所になっているピン川にかかるクアレック橋を渡ってピン川左岸の道を北上する。信号を直進して、暫く走った先でトゥクトゥクは止まった。

そこが、当時のチェンマイ娘には人気のエリアにあるThe Riverside Bar & Restaurantだった。彼女は顔が効くのか、店に着いた時はほぼ満席だったが、店内のテーブルに直ぐに案内された。さすがにピン川沿いのテーブルではなかったが、川面が見渡せる雰囲気の良い席っだった。

もしここを訪れるなら日没の少し前に席に着ける時間帯がベストだろう。ドイステープの向こうに陽が沈み、オレンジからパープルに変化する空と水面に映る河岸の光が、ロマンチックな気分を盛り上げてくれることだろう。ディナークルーズ船も予約すれば乗船できるらしい。

ぽんこつマンはオリビア2に行く前に軽く食事をしていたので、ウイスキーとトートマンクン(エビのすり身揚げ)を頂いた。彼女はプーニムパッポンカリー(ソフトシェルクラブのパッポンカリー)とパクブーンファイデーン(空芯菜炒め)とご飯を頼んだ。

彼女は、サンカンペーンに住んでいること、既に小さな娘が一人いること、その子の父親は、娘が生まれる前に逃げたこと、今は母親が娘の面倒を見ていることなどを話してくれた。

その日は、夜の23時くらいまでリバーサイドにいて、それから今はもうなくなってしまっているがぽんこつマンが泊まっていたホテルの近くにあったディスコに行った。彼女はそこで初めてコークハイを飲み、かなりハードに踊っていた。

午前1時にホテルに戻り、それからふたりはお互いの身体を確かめ合った。ぽんこつマンは既にかなり酔っていたが、彼女の膣の締まりがすごく良かったことははっきりと覚えている。翌朝ホテルで朝食をとり、もう一度部屋に戻って締まりのいい膣の感触を味わった。

昼になり彼女は帰るというので、ぽんこつマンも一緒に行っていいかと訊いたら、「OK」と直ぐに返事をくれたので彼女が呼んだトゥクトゥクに乗ってサンカンペーンの家に行った。料金はわずかに40バーツ。ぽんこつマンはチェンマイの市内を移動するだけで60−80バーツいつも要求されていたのでローカルが利用するトゥクトゥクの料金がいかに安いのかを思い知った。

家は古い木造で母親が2歳ぐらいの女の子をあやしていた。彼女の母親はぽんこつマンに水を差し出してくれたが当時は生水を飲むとお腹を壊すと言われていたので、唇はつけたもののガブガブとは飲まなかった。水と一緒に出されたマンゴスチンは2個食べた。チェンマイの一軒家にはいくつかの果物の木があるのが一般的で、自宅でその時取れる果物を出してくれたんだろう。

暫く彼女の家にいて、夕方5時前に彼女がオリビア2にまた出勤するというので、一緒にチェンマイまで戻ってきた。彼女は店に行く前に店の近くの美容室で髪を洗うと言っていたので、ぽんこつマンは先にホテルで降りて彼女にトゥクトゥクの料金として200バーツ渡して別れた。

彼女にはその後2度ほどチェンマイ で会い、チェンマイの新興住宅地を巡ったこともあったが、結果的にそれ以上関係が発展することはなかった。リバーサイドでのロマンチックなデートの時間は今も鮮明に記憶している。あの時の彼女の娘は今頃ちょうど20歳くらいだ。

もし彼女との運命が蘇るとしたら、次に彼女の娘とチェンマイでそれもリバーサイドで出会うことになるかも知れないとぽんこつマンは勝手に夢を見ている。

Tinder で客を探すバンコクの娼婦

2019年のバンコク の雨季も終わり11月の下旬頃、Tinder の職業欄に<VIP ESCORTS>と掲げている魅惑的な写真の女を見つけてLIKEを送ったらすぐにマッチした。彼女は最初からTinder の彼女のページに既にLINE のアカウントをアップしていて、ぽんこつマンはそのLINEアカウントにメッセージを送ったらいくつかのセクシーな写真と一緒に返信が返って来た。

彼女からのメッセージは極めて単純で、24歳、タイ人、セ●クス1h、5000Bahtとあるだけだったが、彼女が自分で撮ったセクシーショットにかなり引き込まれた。そして “You are looking so lovely❤️”とメッセージを送った。すると彼女から「今日はこれからなら時間がある」「今からだったら私のコンドの部屋でできる」というメッセージが来た。

彼女の白い肌、整った顔立ち、シリコンではなさそうな適度に発達した乳房、充分に発達した尻とそこから細すぎずすらりと伸びた脚。彼女の見た目はぽんこつマンが理想とするタイプそのものだった。

5000baht は決して安くはないが、写真通りの女なら一度試してみたいという衝動に駆られ、「今からOK」と返信した。彼女からサートンのSuan Phlu通りから少し入った処にあるコンドミニアムの住所と名前、そして部屋番号が送られて来た。

ぽんこつマンは素早くシャワーを浴び、出かける準備をしてスマホのGrab アプリで Grab car を探した。ぽんこつマンの住む今度のロビーまで5分という車を見つけて予約した。ぽんこつマンの住んでいるところから彼女の住むコンドミニアムまでは30分ほどとアプリには出ていた。渋滞もない午後3時頃だったのでぽんこつマンが呼んだGrab car は予定通りに来て、予定通りに彼女の住むコンドミニアムに向かった。途中ラマ4世通りは少し混み始めていた。

彼女との約束の時間の4時までまだ10分あったので、コンドの向かいにあるファミリーマートで水を買ってからコンドのロビーに入り、彼女に到着したことを知らせるLINEを入れた。ロビーにはセキュリティーが居て居住棟のエレベーターホールへ向かう人間をチェックしている。ぽんこつマンが彼女の部屋に直接行こうとした時に居住者ではないとすぐに見抜き進入を拒否されたからだ。

彼女からの返信は、「すぐにロビーに降りるから待ってて」ということだった。5分ほどロビーで待っていると、ネグリジェを着たままの彼女が降りて来て、居住者用エレベーターホールから「おいでおいで」をしてぽんこつマンを呼ぶ。セキュリティーがそれを見て訝しそうな顔でぽんこつマンを見る。

しかし居住者が訪問者を呼び入れようとしているのだからセキュリティーが口出しはできるはずがない。ぽんこつマンと彼女はエレベータに乗り彼女の部屋に向かった。彼女の部屋は20 階だった気がする。彼女の部屋のドアを開けると、玄関には男物の大きなバスケシューズがありぽんこつマンは驚いた。リビングにも男の趣味と思われる道具がいくつもある。食べ終わった弁当のプラスチック容器がダイニングテーブルに置きっぱなしになっていて、掃除や片付けもちゃんとしてあるという状況ではなかった。それを見てぽんこつマンは怯んだ。しかし、彼女はぽんこつマンを中に呼び込む。ぽんこつマンは少し不安になった気持ちのまま男の気配が残る部屋に上がった。

彼女は、直ぐにぽんこつマンをベッドルームに招き入れる。ぽんこつマンは彼女にこの部屋のげんかんにあった男物のバスケシューズの主を尋ねてみた。すると彼女は、「あれはここで同居している中国人のものだが、彼は今中国に戻っているので心配ない」と言った。そして、シャワーを浴びるように勧める。そして洗ってはあるがかなり使い古したバスタオルを渡された。ぽんこつマンはそのタオルを持ってバスルームに行きシャワーを浴びる。そしてベッドに戻った。その後彼女がシャワーに行きバスタオルを巻いて戻ってくる。

彼女はことを始める前に、約束の5000bahtを前金で要求した。ぽんこつマンはそれを彼女に手渡した。すると彼女はいきなりぽんこつマンの逸物に手を伸ばし、いじり始める。しかし、男の気配がある部屋でその男が普段好きに弄んでいる女と色事をすると考えると、本来直ぐ勃つはずのものもなかなか硬くはならなかった。

ある程度の硬さになったところで彼女はぽんこつマンの逸物にコンドーム をつける。そして自分の秘部にゼリーを塗り、前戯もキスも無しにぽんこつマンといきなり合体しようとする。ぽんこつマンは写真で見た彼女の形のいい乳房に手をやり揉んでみた。確かにシリコンは入っていないようだったが、そのぽんこつマンの愛撫は彼女には面倒な行為かのように執拗に局部でのピストンを求めてくる。

彼女が求めるままにぽんこつマンはピストンするが、彼女の局部の肉襞は締まりなく全く圧迫感がなかった。10分、20分ピストンしても彼女の反応は全くない。明らかにマグロだった。25分くらいが過ぎて、彼女は仰向けのマグロ状態から反転して騎乗位でぽんこつマンの逸物を攻撃する。しかしぽんこつマンにも頂点が訪れる感覚は全く表れなかった。

前戯無し、フェラ無し、キス無しの単純挿入でいけるほど、溜まっているわけでも若さがあるわけでもなく、だんだんその男の気配が残る部屋での色事が単純な無酸素運動にしか思えなくなって来た。腰も太腿も、背中も肩も、そして腕までにも疲労感が溜まってくるが発射を予感することができない。心臓の鼓動も呼吸も上がっているだけで、なんの快感も得られない。40分近くそんな行為を繰り返していたがすごく疲れてしまい、ぽんこつマンはその行為を勝手に取りやめた。

「ごめん、いかない」ぽんこつマンは彼女にそう伝えて彼女の秘部から逸物を引き出しコンドーム を外した。心臓の鼓動が少しおさまったところでシャワーを浴び、服を着た。そしてその部屋を出てエレベータへ。

なぜ、見た目にはぽんこつマンの理想に近いボディーラインと顔立ちを持つ女との行為でもいけなかったのか。多分それはぽんこつマンがどうしても好きになれない嫌いな中国人の男が住んでいる部屋だと分かったことが大きい。さらにはあまりにも愛を感じない味気ないピストンだけの行為も快感を感じる妨げになったのだ。愛がない、好きという気持ちになれないことは致命的だった。

ぽんこつマンはそのコンドを出てSuan Phlu通りを少し歩いた。時計は17時を回っていた。少し腹が減っていた。それからバイクタクシーに乗り、タニヤに向かった。そして内田家 ら~めん(https://www.facebook.com/uchidayaramen)に入り、辛ネギラーメンと餃子を夕飯に食べた。そして当時タニヤのマーメードというカラオケキャバクラにいたオキニに会いに行った。19:00からオキニは出勤だったので19:30に店に入った。最初は埋まっていない席も多かったが、どんどん新しい客が来る。ほとんどの客はお持ち帰りのみで女の子を探しに来て気に入った娘を選んで席に着かずに持ち帰る。それでも幾らかの客は呑みだけで登録している娘とソファーに向かいそのうち席もほぼ満席になる。マーメードはタニヤの中でも日本人好みの女の子が多く人気店だった。

マーメードを出たのは22:40、3時間(1時間飲み放題800baht)マーメードで飲んだ。オキニは1時間に2杯(レディースドリンク1杯200baht)の計6杯のドリンクを飲んだので税・サ込みでトータル4237baht。タイでは決して安い飲み代では無いが日本のキャバクラよりは安い。

店を出てバービアやゴーゴーバーがひしめくパッポン2を歩いてみた。こっちはまだまだ早い時間なのか客は少なめだった。今日の昼の娘はLadyboyではなかったが、男の気配が残っている部屋ではどうしても美人局のリスクが拭えない。まして相手が日本語も英語も通じない中国人や韓国人はたまたタイ人となると全てのカードや現金を丸ごと持っていかれる危険がある。Tinder などのネットでで女の子を定めて、その娘が住んでいる部屋でセ●クスする時には、まずその娘がLadyboyではないか、その子の部屋に自分以外の男の気配が無いかは事前に確認していないといけないと思い知った1日だった。次回は必ず自分の部屋に呼ぶか、どこかのホテルを取るなどしないといけない、肝に銘じておこう。

プーケットでオフパコ

Skout を使って女の子を探していると、そのデバイスがある地点からかなり距離の離れたところにいる女の子にもメッセージを送って知り合うことも可能になる。そうして知り合った女の子の中で、プーケットに住んでいる女性と連絡が取れるようになったことがあり、LINE を交換し、日常的に連絡を取り合う関係になった。

ある日彼女の写真が見たいと伝えたら、何枚かの写真が届いた。その写真は仕事の現場で撮った普通の写真だったが、ある時自宅で撮ったと思えるエロい写真が届くようになった。彼女の方からプーケットに来たら家に泊まっていいというメッセージが入るようになった。

彼女が言うには、プーケットの貿易会社でディレクターとして働いていて、月収50,000Bhat、家持ち、車持ち、日本食好き、シーフード好き、仕事でシンガポールやマレーシアに出張することもある。母親の実家がチェンライにある関係で、チェンライにも土地を所有している。バンコクには仕事で1年に1回は行くが、基本は日帰り。

そんな彼女に会いに行きたいと伝えたら、あらかじめ日程を決めれたら、会社を休んでプーケットを案内すると言ってきた。ぽんこつマンはプーケットに遊びに行ったとしても、パトンビーチ のウォーキングストリートのゴーゴーバーかバービアで女の子と飲むことと、シーフードを食べに行くことがメインになる。

昔同じくSkout で知り合った女の子が、プーケットのゴーゴーバーで働いていると分かって会いに行ったこともある。彼女とはプーケットの彼女のアパートに行ってセ●クス したり、彼女がバンコクに戻ってきた時に、彼女が泊まっているホテルでセ●クス したりした関係だったが、オーストラリアのボーイフレンドができたのか昨年オーストラリアに留学してまたバンコクに戻ってきたようだった。

彼女は、ちょっと頭が弱いおバカな娘だったが性格は明るくよく笑う娘で、一緒にいる時はいつも楽しかった。

貿易会社でディレクターをしている彼女と出会う日程はこれまでも幾度となく調整したが、彼女の仕事の調整がつかなくなったと何度も延期になっていた。そしてようやくぽんこつマンの日程に彼女が休みを取れる日が決定した。

2019年7月23日〜25日の3泊を彼女の家で過ごす事になった。ぽんこつマンは23日TG 211便でプーケット国際空港に降りた。空港到着は16時35分。空港のターミナルを出た時は17時を過ぎていた。彼女にLINEで連絡を入れたらちょうど会社を出て空港に向かっている途中とのことで少し彼女が迎えに来てくれるのを待った。17時半くらいに彼女が現れた。彼女の運転してきた白のフォーチュナーに乗って彼女の家に向かった。彼女の家はプーケットの幹線道路4024号線にあるセントラルプーケットフローレスタ(http://www.centralphuket.com/home)の近くにある住宅地にあった。家は平屋だったが駐車スペースにはもう一台ホンダの乗用車が停まっている。家の間取りは2LDK 。ぽんこつマンはその間取りの奥にある10畳ほどのベッドルームに通される。彼女はその隣のさらに広めの部屋で普段は寝ているようだった。荷物を置いて、晩ご飯を食べに行く事になった。

パトンビーチのビーチロードをウォークストリートから北へ1200〜300mほど行ったところにある。Somtum Yum Pao(https://www.facebook.com/Somtum-Yum-Pao-ส้มตำ-ยำ-เผา-533418423492939/)というレストラン。それほど大きくはないが、Google Mapのレビューでは4.4/5とかなり高い評価があるレストランのようだった。

店の名前にソムタムとあるからぽんこつマンは少し不安だったが、目的であるシーフードでもかなり有名なようだ。

ぽんこつマンはまずビールを頼み、蟹、海老、貝、を頼んだ。彼女はソムタムを追加した。ビールはあっという間になくなり白ワインを一本注文した。食事が終わって白ワインは少し残ったので持ち帰る事にした。

その晩、シャワーを浴びて部屋に独り居たら、彼女がドリンキングウォーターを持ってやって来た。それをベッドのそばに置いたかと思うと、ベッドに腰を下ろしてぽんこつマンを誘う。ふたりは抱き合い、ディープキッスを交わす。彼女がぽんこつマンが腰に巻いていたバスタオルを剥ぎ取り、既に膨張し始めたペニスに生フェラをする。ぽんこつマンの股間はその絶妙なフェラに一気にそそり勃つ。ぽんこつマンは彼女のネグリジェを剥ぎ取り、ブラジャーも外した。そして彼女が自分でパンティを脱ぎ捨てふたりは生まれたままの姿になった。

彼女のおっぱいは適度の弾力があり、ぽんこつマンの手のひらにいい感じで収まる大きさ。乳輪の大きさも完璧で乳首は既に勃起して直径1cmほどになっており、舌で転がすにはちょうどいいサイズ。彼女の年齢は29歳と言っていたが、身体に余分な贅肉はついておらず綺麗なラインが保たれていた。首筋から胸の谷間、そして脇腹、乳房のアンダーライン、ヘソ回り、腰骨へとリップを続けて、内腿から秘部にむけて今度はリップで這い上がる。リップが彼女のクリトリスにたどり着いた時、彼女の膣口には愛液が染み出し光って見えた。10分くらいクリトリスと大陰唇をリップと舌先で愛撫した。彼女のアンダーヘアは未処理の状態でふさふさしていた。ぽんこつマンが左手でその陰毛を撫であげながら彼女の愛液で濡れた膣口に口づけをし、舌を押し込んだ。彼女の喘ぎ声が聞こえて来たので、ぽんこつマンはそのそそり立った肉茎にコンドーム を装着し、伸長位で亀頭を膣口にあてがい奥に進めた。ジュルンと彼女の肉襞は開きぽんこつマンを受け入れる。両手で彼女を抱きしめ、腰を上下した。彼女の脚を割り今度は正常位で少しスピードのあるピストン。そして屈曲位で奥を責め立てた。そして彼女を四つん這いにして後背位、後側位にスイッチして背後から彼女の乳房を揉み上げながらさらにローリングして仰向けになり腰を使う。彼女の体を起こして後背騎乗位。最後に座位になり、お互いに相手の腰に手を当て引き寄せながら結合を繰り返した。彼女が後ろに倒れ、改めて屈曲位で頂点を極め合った。その晩は続けてもう一回濃厚なセ●クスを繰り返した。

充分な営みを行った事でその晩はぐっすり眠りについた。彼女はいつの間にかぽんこつマンの横を離れ自分の部屋に戻って寝たようだった。翌朝10時にぽんこつマンが目覚めた時、彼女はキッチンでコーヒーとフルーツを用意していた。それをダイニングのテーブルで一緒に食べて11時ごろ家を出た。

その日はまず、Big Buddha Phuketに行った。そしてラワイランディングピアから左に入ったシーフードマーケット内に並ぶ1つのレストランで遅い昼食。ロブスターの刺身、蟹カレーを食べた。ビアチャンはふたりで大瓶3本飲んだだろうか。彼女は車を運転するのにアルコールを飲む。まぁ、タイではけっこう飲酒運転も平気でする人がいるのは知っているのだが。

3時少し前に店を出て、プーケットの南端を抜け、Yanui Beach という小さなビーチで1時間くらいゆっくりした。遅い昼に飲んだビールのおかげでオシッコに2回近くのローカルタイ料理の店にトイレを借りに行った。

その後、カタビーチ、カロンビーチを抜け、パトンビーチを回り、プッケトタウンの彼女の家に戻った。夕方になってもその日はそれほどお腹も空いていなかったので、プーケットタウンの家のそばにある屋台で買って帰ったバーミーを食べ、ビールを飲んだ。

夜になりシャワーを浴びたら、昨夜と一緒で彼女が部屋にきた。そして昨晩に引き続き濃厚なセ●クスを繰り返す。もしかしたら彼女は女スパンヤオなのかも知れないとさえ思えた。そしていつもいろんな男を家に呼んで夜を楽しんでいるのかも知れないとも思った。毎日2回の性交。いくらぽんこつマンの性欲が強いと言っても、もうそんなに若くは無いので腰や太腿、腕の筋肉も腹筋もかなりの疲労感を感じていた。

翌朝は8時に目覚めた。既に彼女も起きていて、キッチンで何かを用意している。ダイニングルームまで行くと彼女がコーヒーとフルーツ、ヤクルトとサラパオ(肉マン)を持ってキッチンからダイニングルームに来た。朝ご飯だ。それを食べ終わって部屋に戻ったらまた彼女が部屋に来た。抱き合ってキスをしている内に彼女の手がぽんこつマンの股間に伸びた。玉袋を短パンの上から柔らかく摩り、その後肉茎を握る。短パンのジッパーを下ろしパンツに隠れている、ぽんこつマンの愚息に直接触れてくる。そしてふたりはまたしてもベッドに倒れ込んだ。昨夜のフィニッシュからまだ10時間ほどしか経っていないが、ぽんこつマンの愚息はまたもや大きく張り出した。

彼女もネグリジェを脱ぎぽんこつマンのアンダーパンツとTシャツを剥ぎ取り、また交わった。ぽんこつマンは既に疲れていたが彼女にはまだパワーがあった。彼女が騎乗位で激しく攻めてくる。正面騎乗位、背面騎乗位、彼女は腰をグラインドし、ぽんこつマンの愚息に刺激を与え続ける。ぽんこつマンも下から彼女のポルチオを目がけて腰を上に動かし亀頭を奥のコリッとした部分に届くようにした。ぽんこつマンにはもう多くの精子は残っていなかったが今回の性交はコンドーム を装着していない。このまま中で果ててしまったら…..という考えが頭をよぎった。いったん肉茎を彼女から引き抜き、彼女を仰向けにして正常位になり自分で射精をコントロールできるように動いた。そして頂点を迎える時に引き抜き肉茎の先端から発射される液体を彼女の腹部に放出した。

ぽんこつマンは息が上がっていた。ふたりはシャワーを浴びた。そして午前11時まで抱き合って過ごした。ぽんこつマンはその日の19時発のタイ航空でプーケットからバンコクに戻る。ゆっくりと服を着て、帰り支度をした。12時に彼女の家を出た。空港に向かうには早すぎたが、ぽんこつマンはビーチクラブに行ってみたいと彼女に言っていた。

彼女が運転するフォーチュナーはプーケットの幹線道路402号を北へ進み、途中4025号線へ左折する。そして4030号線へ右折した。その道はあるところから4018号線となった。そしてあるソイを左折して、Dream Beach Club(https://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g297937-d9751113-Reviews-Dream_Beach_Club_Phuket-Thalang_District_Phuket.html)に着いた。

7月のこの時期はプーケット はローシーズンで人は多く無い。1キロ以上も続くビーチに人もいない。ぽんこつマンが行ったランチタイムにも客は別に1組のカップルだけ。白いTシャツとグレイのキャップを被ったウェイトレスの可愛い女の子の数の方が多かったかも知れない。

その日がプーケットでのメモリアルランチになった。ふたりはまずシャンパンで乾杯をした。彼女も好きだと言う生牡蠣のプレート。ひとり2個づつで異なる産地のものをセレクトした。新鮮でミルキーなオイスターは昨日までの激しいセ●クス の後には特に味わい深い。そしてポテトフライとマルガリータピザ。赤のミディアムボディーのワインを開けた。オープンエアの空間でそよぐ海風にあたりながらの格別の時間はワインのピッチをどんどん上げてくれる。

そしてメインのT ボーンステーキフライドガーリック添え。2本目のやや重めのワインを更にに開けた。ぽんこつマンもここまでワインを飲むのも久しぶりだった。最後にココナッツアイスクリーム、そしてエスプレッソを頼んだ。午後1時に到着したビーチクラブで3時間以上を過ごした。時計はすっかり4時を回っていた。ぽんこつマンはかなり酔いが廻っていたが今考えると彼女もかなり飲んでいたので酔っていたに違いない。

会計をしてそのビーチクラブを出た。車を停めてあるすぐそばに屋台があった。彼女はそれをうまいキムチを売っている屋台だと言った。彼女はそこでキムチを買った。ふたりはエンジンをかけた車に戻り中でしばらく休んでいた。夕方の5時になったので、そろそろ空港に行った方がいいと彼女が言い、ギアをドライブに入れて車を動かした。そこからプーケットの海岸線を北に向かい走った。かなりのワインディングロード。空港が近くまではアップアンドダウンとカーブが続いた。ビーチクラブから空港までは12〜3キロくらいだろうか。30分くらいで空港についた。

ぽんこつマンは車の中で彼女の頬を引き寄せキスをした。そして車のガソリン代と家に泊めてもらった御礼として4,000Bhatを彼女に渡した。彼女はにっこりと微笑み、「コップンカー」と優しくささやいた。ぽんこつマンはフォーチュナーを降り彼女にもう一度投げキッスをした。「気をつけて家に帰ってね」と声をかけた。彼女は小さく頷き開いていた窓ガラスを閉めた。そしてぽんこつマンは彼女が空港を後にするのを見送った。

プーケット空港でチェックインを済ませタイ航空のラウンジで搭乗までの40分をのんびり過ごした。搭乗時刻になり機内に入った。窓側の席に着いた時には、外はすっかり闇に沈んでいた。機体はやがて離陸しプーケットを後にした。

バンコクに戻ってからも毎日のようにLINEでの朝の挨拶は続いた。2020年3月下旬に彼女が突然長文のLINEを送ってきた。内容は「コロナのせいで今まで5万バーツあった月給が3マンバーツに突然減給された。」「車のローンや家のローンを払うとなると3万では基本的生活費が足りなくなる。」「しばらくはプーケット に住んでいる姉の家に間借りして、今まで住んでいた家を貸家として貸し出す」「次にぽんこつマンがプーケットに来る時はホテルで一緒に過ごすことになるけどいいか」と言うものだった。ぽんこつマンはこのコロナのせいでいろんな人が大変な目にあっているんだなぁと思った。そして「ホテルで一緒でも僕は一向に構わない」「No problem」と返信した。するとどう考えたのかわからなかったが、「ならばいい」「あなたをブロックする」と返信が返ってきた。

それ以降彼女との音信は不通になったままだ。世界的なパンデミックとなってしまったコロナ禍はプーケットのセフレとなった彼女との関係をも崩壊させる結果になってしまった。ぽんこつマンの長い人生の中でこんな形で崩壊したセフレ関係はもちろん今までにない。

ぽんこつマンがアジアに堕ちた経緯②

ぽんこつマンの現在の連れ合いになっている女性と初めて知り合った20世期末に日本で婚姻関係にあった女性から離婚を求められ、すんなり離婚を決めることになった。離婚の直接の原因は未だ不明だが、ぽんこつマンの当時の仕事があまりにも多忙で、大阪にあった職場から東京への頻繁な出張と大阪での午前3〜4時までの超過勤務、はたまた海外への出張も相まって自宅にいる時間が極端に少なかったことも離婚の原因の一つだったのだろう。

しかしながら、離婚が成立したことでそれまで毎年2回はハワイへの休暇を守っていた時間がすっかりハワイでなくても良くなり、時差の少ないアジアへの国への休暇が増えていった。海外出張で覚えたCASINOでルーレット遊びをマカオや仁川、ソウルなどで楽しめることもあり、そちらにもしばしば出かけた。特にマカオは、中国返還前から足を運んでいたところで、香港からフェリーで簡単に行けたこともあり、深夜には銃声が聞こえるなど中華系マフィアの抗争とも思える事件もあったタイパ島の、少し危うい香り漂うリスボアホテルのカジノによく出掛けた。今から20年半前の1999年12月に中国に返還となったが、当時はコタイ地区はなくタイパ島の旧エリアにはスパやサウナ、夜総会といった風俗があり、中国人はもちろんアジアの様々な国の嬢と躰を絡める事ができる。またリスボアホテルの地下通路には、かなりのレベルの美女が客引きをしていた。最近は相場が上がっていると思われうが、当時は500HK$でその美女が使うホテルの部屋で遊ぶ事ができるのだった。

カジノで泡銭が出来れば、サウナに行くかリスボアの地下通路の美女としっぽりを楽しむのだが、必ず勝てるわけでもない。それは韓国ソウルでも仁川でも同じでカジノで遊ぶことに熱中し過ぎで風俗遊びができないことも多かった。

タイでのオキニになった現在の連れ合いの元へも年に数回のペースで通っていたが、飛行機はそのオキニが住むチェンマイには私が働いていた大阪からのダイレクトフライトがなく、仁川を経由して大韓航空でチェンマイに入るかバンコク を経由してチェンマイに入るかの選択はどんどんバンコク経由が増えていくことになった。

それはバンコクにはゴーゴーバーもバービアもカラオケクラブマッサージパーラーもチェンマイと比べ物にならないくらいの数があり、比べ物にならないくらいの美女にも巡り合える機会が多いということだ。

こうしてチェンマイに滞在する前後をバンコク で過ごす機会が増えていった。そしてチェンマイの連れ合いには内緒で土日こっそりバンコクで過ごす機会も増えていった。土日をバンコクで過ごす時は、金曜日の深夜大阪発BKK早朝着便へ向かい、日曜日の深夜BKK発大阪早朝着の便を使うのだが、ぽんこつマンもどんどん年齢を重ね深夜フライトでは眠る事ができなくなり、月曜日バンコク早朝発で大阪正午近くに着く便にする事が増えた。

今から15年ほど前は、早朝バンコクに到着後タクシーでゴルフ場に行き、1プレイしてからホテルにチェックイン。土曜の昼下がりに遮光カーテンを閉じて一眠り後夕方からナナプラザやソイカウボーイへ出かけて遊ぶパターン。当時バンコクでのゴルフで一番驚いたのは、コースに到着後客待ちしているキャディーをカラオケやMPの女の子を選ぶと同じように、自分で選択するシステムがあるコースがあり若くて可愛いキャディーを集めていることだった。

最近バンコクでのゴルフはあまりしていないが、今でも記憶しているコースの一つがパンヤインドラ(http://www.panyagolf.com)。プレイ中に「19番ホールも一緒にプレイできるのか」と尋ねたら、「一緒にご飯を食べてホテルまで行ってくれる女の子もたくさんいる」とのことで、プレイ中に金額交渉してお持ち帰りとなるとのことだった。

http://www.panyagolf.com/en/contact-us/ から引用

ぽんこつマンは、深夜フライト後の早朝ゴルフなのでゴルフのプレイ後は夜の出陣のためホテルで休む事をいつも優先したのだが…….。

バンコク市内の遊びは、夕方5時くらいに軽く飯を食べ、まずはバービアへ。バービアで2〜3時間ほど飲んで、夜の8時に開くゴーゴーバーへ。バービアはナナプラザ界隈、ゴーゴーバーはソイカウボーイがぽんこつマンのパターンに定着した。バービアをでてソイカウボーイへ向かう時はほぼ歩き。肝心のホテルいつもはスクンビットソイ3からソイ33くらいまでのエリアで探していた。BTSが無くなる午前0時を過ぎても歩いて帰れる距離と安全を考えてのことだ。ソイ19のThe Key Bangkok(http://www.thekeybangkok.com/en/?utm_source=GMB&utm_medium=HotelHomePage), Sacha’s Hotel Uno(https://www.sachashotel.com), アソーク交差点に近いSukhumvit Suites Hotel(http://www.sukhumvitsuitesbangkok.com) などはソイカウボーイからペイバーした女の子とでも歩いて帰れる距離にあり、ジョイナーフィーも無く良く定宿として利用していた。

ソイカウボーイで日本人好みの女の子が多いゴーゴーバーは、当時からBACCARAだったと思う。最近は韓国人、台湾人、中国人の客が幅を聞かせて日本人は肩身が狭いが、15年ほど前は日本人客は、「優しい」「ケチじゃない」「乱暴じゃない」「しつこくない」と評判は良かったと思う。ぽんこつマンもBACCARAでペイバーした女の子が一番多い。ある時は一人の女の子に惚れ込んだこともある。そしてもう一軒ぽんこつマンが通ったゴーゴーバーがTilac-Barだ。この店はダンサーのレベルは高くないが、ホステス(客を席に案内し飲み物の注文を取る役)に面白おかしい女やババアがいて、一緒に飲むと楽しく過ごせる。ペイバーだけが目的だと残念な事が多いが、楽しくお酒を飲みたいというなら夜10時まではHappy timeでドリンク代も80Bahtと割安だった。ただしレディスドリンクはhappy timeの料金にはならないので、ホステスやダンサーにガンガン飲ませると、結構良い金額になることに注意してほしい。Tilac-Barは、草彅剛主演のテレビドラマ(CX系)「銭の戦争」の一話に日本人の金持ちを騙す舞台として登場する。

バンコクにもエスコートクラブ(https://www.newbangkokescort.com/girls/ 他)があり、ネットで事前に女の子を予約して一緒に遊ぶ事ができる。ぽんこつマンもモノは試しと一度使ってみた事がある。エスコートクラブの女の子は、2時間、4時間、6時間、10時間、24時間と利用時間が長くなればなるほど時間あたりのコストが安くなる。ぽんこつマンは一人の女の子を選んで24時間を依頼した。今日改めて見てみると24時間では12,000Baht になっているようだが、当時は24時間で8,000Baht だったような気がする。ぽんこつマンが空港に着いたら迎えが来ていてバンには既に予約した女の子が待機していた。ネットの写真で見たより多少ふっくらして年齢も少し高めと思えたが、充分満足できるコケティッシュな雰囲気を持っていて、宿泊先として予約していたコンドに到着後、飯を食いに出る以外はずっとセ●クスもその子はOKだった。24時間の擬似恋愛遊戯はあっという間に経って別れる時間はやって来た。本当は直接の連絡先交換は禁止なんだろうが、彼女は快く電話番号を教えてくれ、写真も赤外線通信で送ってくれた。あくまでも女の子が嫌がることを強引に要求せず、紳士的に接したことが彼女には好印象だったのかもしれない。ただその後、彼女と再会することはなかった。当時は既にお気に入りのゴーゴー嬢がいて、ずっと彼女を追いかけていたかったからだ。

かくしてぽんこつマンは、バンコク=クルンテープ(天使の都)という魔都の魅惑に沈んでいくことになる。

ぽんこつマンがアジアに堕ちた経緯⓪

あれはいつのことだったか、すでに確かな記憶はない。まだ日本では携帯電話の普及がそれほどでもなかった頃で、たぶんぽんこつマンが関西セルラーを持ってさほど経過していない頃だったと思う。関西セルラーが誕生したのが1987年らしいので、多分1989年あたりではないだろうか。当時日本はバブル経済の真っ只中。まだハリソンフォード出演のCMで一気に知名度を上げたツーカーホン関西ができる前だったと思う。当時は仕事仲間と夜はよく羽目を外すことが多かったが、特にタイポップスが流れるタイフードとタイビールを飲める店で、タイ旅行を主催する旅行会社の人や、タイ政府観光庁の女性職員、在日タイ領事館の女性職員と午前3時〜午前6時くらいまで飲み明かす日がかなりあった。

ある日のこと、タイ政府観光庁の女性職員から「いつもは旅行関係者ばかりをタイ旅行に招待してきたが、次はメディア関係者を招待することになった」「行かない?」とぽんこつマンと一人の友人Sがタイ招待旅行に誘われた。それまで国内のタイ料理やタイバーへはよく出かけていたが、タイ王国に行ったことはぽんこつマンは無かったのだった。「えっ、俺たちメディアの人じゃ無いけどぉ」と答えたが、「広告関係もまぁメディア関係ということで、上に了解取ってある」となり、その招待旅行に参加することになった。当然自分たちの仕事では無いので、休暇を取っての参加であった。

旅程はプーケット2泊、ホアヒン2泊、バンコク1泊だったかなぁ。当時、タイ政府観光庁は特に女性向けにホテルでの高級スパ体験や男性には王様気分を味わうようなプレーヤーに1人〜2人のキャディーがつくタイゴルフを押していて、プーケットはドゥシタニ(https://www.dusit.com/dusitthani-lagunaphuket/ja/)、

ホアヒンはヒルトン(https://www3.hilton.com/en/hotels/thailand/hilton-hua-hin-resort-and-spa-HHQHIHI/index.html?WT.mc_id=zELWAKN0APAC1HI2DMH3LocalSearch4DGGenericx6HHQHIHI)が用意されていた気がする。

プーケットでもホアヒンでも2日目の朝はゴルフがセッティングされていて、夜はホテルでパーティーがありゴルフコンペの表彰式もあったことを覚えている。ぽんこつマンと友人Sはその豪華旅行を十分に堪能したが、それでも自由な時間はホテルを抜け出し、街場のタイマッサージやバービアを梯子した。プーケットパトンビーチのバービアで友人Sは見た目超綺麗な娘(実はレディーボーイ)に捕まり、次の飲み屋に連れ出すことになったが、一軒行ってさてホテルへ連れて帰ろうと友人Sが話かけてきた時に、たまたまタイ政府観光庁の女性職員に「あの娘は男よ。喉仏見てみて」と打ち明けられ、友人S はお持ち帰りを辞退した。ホアヒンでは、プーケットの失敗が後を引いたのかサムローに乗り現地の置屋にまで足を運んだが友人Sはその気にならず、ぽんこつマンだけがプーケットでもホアヒンでもお持ち帰りした結果になった。

いよいよ招待旅行の最終日、バンコクの日となった。ホテルは、チャオプラヤ川沿いの5つ星だった気がしたが、記憶が定かでは無い。この日は、ホテル到着後自由行動だったのでぽんこつマンと友人Sは、当時のガイドブックを見てナナプラザに出かけた。

1階から3階までほぼ全ての店を覗いて何軒かのゴーゴーバーやバービアに連れ立って入り、一巡りしたところで2時間ほど互いに自由行動とした。ぽんこつマンは、今はもう店が変わってしまっているが一階(GF)のセンター奥にあるバービアで J と名乗る身長160cm位の可愛い娘に目が止まり、そこで飲み続けた。友人S は、現在NEW ROLLIPOPとなっているゴーゴーバーの前にあるテーブルに座っていたウボンラチャタニー出身のイサーン娘が気に入ったようだ。深夜1時を過ぎた頃に待ち合わせをしていたので、お互いペイバーしてホテルに戻った。

ぽんこつマンはかなり酔って気分も昂揚していた。まだタイ旅行に不慣れだったため、フロントで鍵を受け取る時にペイバーした女の子の身分証明書を預かるシステムが今ひとつ気に入らなかった。通常ならショートでやることが済めば女の子を解放し女の子は身分証を受け取ってホテルを出るので特にこれまでは何も言わなかったが、ぽんこつマンはその日はチェックアウトの時間まで一緒に彼女と過ごすつもりだったので、宿泊を共にするゲストだと主張し、「身分証明を提示し、名前を記帳すればよく何も預ける必要は無いのではないか」「チェックインの時間がずれているだけ」と、フロントマンに噛み付いた。結果は彼女がもういいといって身分証を預けてしまったが、タイ女性を身なりで客と一線を引き夜伽女と決めつけるタイのホテルシステムがおかしいと思ったのだ。日本においては、ダブルで予約された部屋に後から女性を連れて入る時、その女性の身分証を預けろとは言わないだろうから。その状況を見ていた友人Sは、ぽんこつマンのことをあの時のタイ人女性へのホテル側の偏見に一石を投じた発言には感心したと今も言ってくれる。今では客の安全を確保するために、夜を過ごすためだけにやってきたと思える人の身分証を預かるというシステムは理解できるんだがね。

ぽんこつマンと友人Sはこうしてその夜限りのパートナーと部屋に入った。J と名乗るぽんこつマンのパートナーは静かにベッドに腰を下ろした。ぽんこつマンはその傍に寄り添い座り、髪を撫で手を握り手の甲にキスをした。この時、ぽんこつマンは英語を少し話せるだけで J も簡単な英語が話せるだけだったが、その後の言葉はほとんど必要としなかった。微笑んで彼女の顔を覗けば、彼女は少し恥じらいながら微笑み返す。彼女の首に優しく手を沿わせ唇を奪ったら彼女の舌がぽんこつマンの口にするり入ってきて濃厚なキスになる。彼女の手が私の背中に回り私も彼女の背中に手を滑らせる。私の手が彼女の腰辺りに進んだ時に彼女は、ベッドにゆっくりと倒れ込んだ。

二人はベッドの上でお互いの躰にまとわりついている衣服を剥ぎ取っていく。少し褐色の内腿にはバラの花、背中肩越しにはバタフライが鮮やかに彫られていた。

ぽんこつマンはそのタトゥーが彫られた肌にキスし、手をとってシャワーブースにJを誘った。お互いの肌に石鹸を滑らせ抱き合った。やがてぽんこつマンの指が J の秘部に触れる。熱い。秘部からは既に濃厚な蜜が溢れ出していた。激しいスコールに打たれているかのようにシャワーを浴び汗を洗い流した肌からは石鹸の甘く切ない香りが漂う。二人は備え付けの少し上等なバスタオルで軽く体を拭きあい、再びベッドへ倒れ込んだ。バスタオルを剥がすと熱くなっている躰をエアコンの冷気が滑っていく。

二人の躰は激しく絡み合い、唇は互いの躰を求めあう。もう J の秘部は愛の蜜に溢れ、ぽんこつマンの膨張した突起物を迎えようと波打っていた。ぽんこつマンはゆっくりとその逸物を の秘部に当て少しずつ中へと沈めていった。愛の蜜はさらに増え、抜き差しのたびに隠微な音を立てている。クチュッ、、、、グジュッ、、、、ジュルッ、、ズビュッ、、グジュッ、、、、、。角度を変え体位を変え、幾度となく喜びを味わった。その感触は、ぽんこつマンがこれまで味わってきた感触の中で最上に位置するものであった。

翌朝、二人は別れを迎える。部屋を二人で出てゆっくりと扉が閉まるのを確認し、ホテルロビーへ向かう。フロントで彼女は昨夜預けた身分証を受け取った。ホテル玄関まで二人は無言で進み、ドアボーイがドアを開けたところで再びきつく体を抱き合った。その時二人は情婦と客ではなく、恋に落ちた関係を互いに感じていたに違いない。当時は、携帯電話こそあったもののスマホもSNSもなく、国際電話料金は個人としての負担が大きすぎてかけることもできず、日本へ帰国してからの連絡手段はE-mailのみ。彼女が街のネットショップのPCで自分に来ているE-mailを1週間に一回くらいチェックし、返信するということでしか連絡はできなかった。

それまでは年に2回はハワイへ10日ほど休暇に出かけていたが、J に巡り会ってから休暇が取れるならタイに行って J に会いたいという衝動が生まれるようになった。それからしばらくして日本では当時まだ婚姻関係にあった妻が、突然離婚してほしいと言い出した。理由は一切言わなかったが、5年前に流産しその年の年末に子宮頸癌が見つかり、子宮摘出手術を受けていた。がん摘出から5年経つまで離婚を切り出すのを待っていたと言われ、そこまで思い詰めているならと離婚に応じることにした。ハワイへの休暇はその当時の妻との結婚当時からの約束事だっので、離婚が成立してからはハワイへ行く大きな動機が消えていた。こうしてぽんこつマンは休暇が取れる時はタイへと向かうようになったのである。

その後 J とは数回会えたが、ぽんこつマンの仕事が忙しくなり海外を転々としているうちにしばらくメールを送れなかった。まぁ、ナナプラザのバービアに行けばまた会えるだろうとタカを括っていたが、しばらく空いてしまってメールを入れても返事が来なくなった。バンコク を訪れるのが1年以上開いただろうか。ナナプラザのバービアにもジャックの姿は見えなくなっていた。店のママに聞いても、当時 J と一緒に働いていた女性に聞いても行方はわからないとのことだった。その後も何度となくE-mailを送ったが返事が返ってくることはなかった。Jを失った大きな喪失感は今も消えることはない。それほどJとの濃厚な恋の感覚は強くぽんこつマンの脳裏に刻まれている。ぽんこつマンがこうしてアジアに落ちていくことになったのはJを失ったショックからと言えるだろう。