チェンマイならではのローカル料理を味わえるフアン・スーンタリィ

チェンマイの言葉はバンコクの言葉とかなり違うところがある。チェンマイ女性が「こんにちは」という時はサワディーカーではなく、「サワディーチャーウ」となったり、バンコクで20のことは「イーシップ」と言うがチェンマイでは「サオ」と言ったりする。「マイペンライ」も「ボッペンニャン」となる。「ボッペンニャン」の「ボッ」は否定を表すタイ語の「マイ」として他の会話でもよく使われている。ぽんこつマンはしばしばチェンマイを訪れタイ語を少しずつ覚えていったが、先にあるような確かに典型的な言葉の違いはわかっているつもりで、バンコクのタイ人とタイ語で会話した時、やはりチェンマイ 訛りがあると言われた経験がある。微妙なイントネーションの違いや発声の違いがあるのだろう。

そんなチェンマイ出身のランナー・カミンというシンガーソングライターの曲が好きでよく聞いていた時代がある。その歌には確かにチェンマイ 訛りに使われる幾つかの言葉があって、曲奏もなんとなく郷愁をそそる楽器とメロディーで進行するものが多い。

彼女のGRAMMYからのファーストアルバムにある ไว้ใจ๋ได้กา「ワイ・ヂャイ・ダイ・ガー」という曲があるが、この曲にある最後のガー(カー)というのはバンコクでも親しい間柄ではよく使われる疑問形のmai?と同じように〜ka?と使うもので、ไว้ใจ๋ได้กา「ワイ・ヂャイ・ダイ・ガー」東京弁で「信じれんの?」関西弁で「信じれるん?」のようなものだと思う。

発音は男性の「〜カップ」にあたる女性の「〜カー」とは違っていて、あまり長く伸ばさないし関西弁で「行くんか」と訊くときの「か」の音に近いと思う。女性も男性も普通の会話ではよく使っているとぽんこつマンは思う。

チェンマイという街の名前は、CHIANG(都) MAI(新)で新しい都という意味で、1262年にライ王がチェンライに都を定めたラーンナー王朝の4回目の遷都先とされ都が築かれたとされているようだ。ラーンナーとはล้านนา(百万の田)を意味するらしく、チェンマイがラーンナー朝の都となっていた時期は1296年〜1775年までと長く、その後は現タイチャクリ王朝の朝貢国となったとされている。

それ故にチェンマイ には今もランナー時代の独特な遺跡や文化があるようで、料理もチェンマイ独特のものがいくつもある。そんなチェンマイ料理を味わえるレストランが、GRAMMYの歌手としてデビューしたランナー・カミンの母が経営する、Huan Soontaree(フアン・スーンタリィ)だ。

市内からかなり離れているので、メータータクシーかGrab Car を利用してくることになるが、その分対岸からの騒音も高い建物も近くに無く20時を過ぎれば、空は漆黒に包まれる。

基本はタイ料理だが、チェンマイ独特の料理も数多くある。永き昔から身体に良いとされるハーブが豊富に使われていて、ぽんこつマンにはかなり厳しい味もあるが、ケーンハングレー(豚の角煮カレーソース)というチェンマイ料理は日本人にも無理なく食べられると思う。

雨季はピン川そばに置かれたテーブルで月と星を眺めながらの食事は難しいが、乾季になれば月や星を眺めながら郷愁を誘う音楽とラーンナーの文化の香り漂う料理を堪能できる特別な店の1つだ。乾季はチェンマイのハイシーズンになり、この店も予約がないと厳しいかもしれないので、特にロイクラトン(コムロイ)祭りの時は特に混雑すると思われるので注意してほしい。

もしチェンマイにやって来て、品のあるチェンマイ美女・美男子と知り合い、一緒に食事をして二人の距離を縮めたいという事があれば、是非利用することをお勧めする。

バンコクのトゥクトゥクには注意した方がいい話

バンコクの乗り物と言えば、最近はBTSやMRTという都市交通が注目されているが、ぽんこつマンがタイへ行き始めた頃は、まだBTSが建設中(1999年12月5日開業)で当時のツーリストの移動手段はトゥクトゥクかタクシーだった。

バンコクのホテルの周りにはいつも数台のトゥクトゥクが停車していて運転手がつまらなそうにタバコを蒸しているか、寝ているか、運転手同士でくだらない話をして客待ちしているかという光景があった。その光景もタイの風物だった。

今でもトゥクトゥクはバンコクにも残ってはいるが当時の台数の多さは今とは比べものにならなかった。ナナプラザに行くのもトゥクトゥク、ナナプラザから女の子をペイバーしてホテルの戻るのもトゥクトゥク。歩いていくにはちょっと遠いとか、暑くて汗だくになりたくないからという理由で、レストランに行くにもタイマッサージに行くにもお寺見物に行くにもトゥクトゥクを使う事が一般的だった。

トゥクトゥクの乗り方は、まず「パイ(行く)どこどこ」「タウライ?(いくら?)」と運転手に聞くことから始まる。もちろん英語で話しかけてもいいが、英語がわかる運転手は少ないので、行き先と料金確認はタイ語を知っていた方が良いだろう。

トゥクトゥクの車幅は大体140cm、バイクの車幅が概ね90cm〜100cmなのでバイクより少し幅があるがタイの一派的道路の車幅の半分くらいなので、車と車の間が1.5mくらい空いていればバイクのように倒れないのですり抜けられることになる。

トゥクトゥクの運転手はいかに車の間をすり抜けて早く目的地に着くかが稼ぐお金に大きく影響するせいか、それとも性格的にせっかちなのかはわからないが、とにかくできるだけ前へ前へ行こうとする。走行中もしょっちゅうハンドルを右へ左へ切って車の合間をすり抜けていく。さらにトゥクトゥクにはシートベルトが無くドアも無いからどこかにしっかり捕まっていないと振り落とされる危険がある。ストップアンドゴー、右左への急ハンドル、それはテーマパークにあるローラーコースターよりスリリングかもしれない。

そして客が外国人だと分かると、運賃はローカルの2倍から3倍に跳ね上がる。いわゆるぼったくりだが、例えばアソークからサイアムまで最初に200バーツという金額で行くと運転手が言っていたとしても、途中渋滞があったりすると途中で下されたり、到着してから追加料金を請求されることもある。

ぽんこつマンがまだタイへの渡航が2回目とか3回目の時だったが、よくトゥクトゥクを使った。その頃のぽんこつマンは、MPを経験してそれほど歳月も経っておらず、まだ無垢なところもあり、タイといえばお寺巡りがツーリストの行動パターンと思っていた。ある日、ぽんこつマンは泊まっていたグランド プレジデント ホテル(https://www.grandpresident.com)からスラウォン通りにあるマンゴツリー(https://m.facebook.com/MangoTreeSurawongse/)という今では全世界に展開しているタイ料理の店に行こうと思い、トゥクトゥクを探した。ほとんどのトゥクトゥクは200バーツと言ってきたがひとつのトゥクトゥクが80バーツで行くと言ったのでそれに乗った。(当時は多分ローカルは40バーツくらいだったと思う。)

最初は、スクンビットソイ11を南に向かいスクンビットソイ3に出て北へ走る。それからスクンビット通りをエラワン廟まで走りそこを左折したまでは良かったが、ラマ4通りが見えてきたシーロムの交差点のルンピニ公園側で突然止まる。そしてなんと無くスラウォン通りを指差して後は歩けというジェスチャーをする。運転手は交通量の多いラマ4への右折を嫌って、そこで降りて後は歩けと言っているようだった。

ぽんこつマンは仕方なくそこでトゥクトゥクを降り歩いていくことになった。まずはラチャダムリ通りを渡り、それからラマ4世通りを西へ向かう。スラウォン通りはその時歩いている川の反対側だからどこかでラマ4世通りを渡らなくてはいけない。交通量が多くて車線幅も広いので歩行者にはかなり危険な横断だった。そしてトゥクトゥクを降りてから15分ぐらいでマンゴツリーを見つけて入る事ができた。

当時は、まだガイドブックでは経済的なタイ料理レストランとして紹介されていたマンゴツリーだったが、その盛り付けの美しさや教育の行き届いた従業員のサービスの良さに感動したのを覚えている。ランチを終えて、スラウォン通りを西に歩いてみた。

ぽんこつマンがソンブーンシーフードスラウォン店の近くに来た時、後ろからトゥクトゥクがやって来て、「どこへいくのか?」と聞いて来た。ぽんこつマンは特に行き先を決めずに歩いていただけだが、ちょうど良いと思い、思いつきで「ワットポー」と言ってみた。すると「OK」「40バーツ」と運転手が言ってくる。そこで意外に安いと思い乗ってしまった。

そのトゥクトゥクは直ぐに走り出すが遠くに王宮が見えてきた辺りで突然運転手が、「そうだ、今日はワットーポーは開いてない」と言ってトゥクトゥクを止めた。そして、「その近くにエメラルド寺院がある」「そこも良いぞ」と言って走り出す。

案内された所は、なんて事のない普通の寺だった。観光客らしい人物はゼロでそこがエメラルド寺院でないことだけは直ぐに分かった。ぽんこつマンはそこで「ここはどうでも良い」というと運転手は、「ならばお土産に最適なものを売っている店に行こう」と言って勝手に走り出す。

ついた先は、ルビーと称する赤い石を置いている宝石商の店だったが、値段を見てはっきり言って驚いた。小さな石が10万バーツ、その石を取り付ける指輪やネックレスの金属は銀だという。ぽんこつマンは明らかに宝石詐欺の店だと思って、直ぐに店を出てトゥクトゥクの運転手に「あの店はダメだ」と伝えたら「それならもう1軒良い店を紹介したい」と伝えてまた勢いよく走り出す。

次に着いたのも宝石を扱う店のようだったが、そこには赤い石では無く、見た感じ黒い石だがセンターに光の乱反射があるものを指輪にしたものがあった。店の店員がぽんこつマンに一生懸命説明する。「ブラックサファイヤ」「リングは銀製」「6000バーツ」明らかにさっきの店より安い値段設定だったし、ブラックサファイヤという響きとその石のセンターに光る感じが良かったので、勧められて指にはめてみた。

輝きは良かったがリングサイズが大きすぎる。それを見ていた店員が、「サイズは直ぐに治せる」としつこく言うので、20000円は安くはないがまぁ良いかと言う気になって購入してしまった。リングのサイズ直しというのは、リングの一部を切り落とし、そこに切った物より小さなパーツをつけて繋ぐという荒っぽい手法のもので、つなぎ目が直ぐに見えるものだった。しかしその店は保証書を入れてくれたので、つなぎ目が外れたらいつでも修理に来いということと理解した。接合部分は3年くらいではずれ、一度修理に行った事があったが、それをまた使用している間に、今度は気に入っていた「ブラックサファイヤ」がいつの間にか外れてどこかで落ちてしまって見つける事ができなくなったのだが…..。

その店で1時間くらいいたが、店を出たときにもさっきまでのトゥクトゥクはぽんこつマンを待っていた。そして店から出てきた従業員から何やら受け取っていた。その時はそれがリベートだとは知らなかったが、そのうちトゥクトゥクの運転手のもう1つの悪どい稼ぎ方がわかる時が来ることになる。

その店を出てぽんこつマンは、ホテルの名前を告げた。トゥクトゥクはまた走り出すが、あれは多分民主記念塔だったと思うが、そこでトゥクトゥクを止め、40バーツはここまでだと言って下車を要求した。時刻は18時を回り西の空はオレンジ色に染まっていた。

最初からそのトゥクトゥクは宝石を買わせ店からリベートをもらうことを目的にトゥクトゥクを走らせているという事が分かった。ぽんこつマンはそのことにを確信しそこで20バーツ2枚を渡してトゥクトゥクを降り、タクシーを探してホテルまで戻った。

トゥクトゥクにまつわるもう1つの不愉快なエピソードがある。それは2003年の1月、仕事でオーストラリアに行った帰り、協力会社のプロデューサーとバンコクでトランジットすることになり、食事に行こうとした時の話だ。

ぽんこつマンたちは、オーストラリアでの仕事の疲れを癒すために、今も日本人には知られているマッサージ店有馬温泉(https://www.arimaonsenthailand.net)に行った後近くでシーフードを食べようということになった。

シーフードはオーストラリアでもダンジネスクラブやロブスター、それからオイスターなどを散々食べていたのだが、プロデューサーが辛いタイ料理よりシーフードがいいと言ったのだった。直ぐにソンブンシーフードは思いついたが、プロデューサーが新しいところを開拓したいと言い出して、「トゥクトゥクの運転手に良い店を紹介してもらおう」と言い出した。

そこでスラウォン通りに出てトゥクトゥクを見つけて「ここから近くて安くてうまい海鮮料理屋に案内してほしい」と伝えた。運賃は100バーツと言ったが、交渉するのも面倒なのでそれで直ぐにトゥクトゥクに乗り込んだ。

トゥクトゥクはスラウォン通りを西に進み、ソンブンシーフードスラウォン店を通り過ぎ、大きな交差点を左折して、かなり長く南下したように感じた。そして小さな小道に入り、ネオンがギラギラ光る店に着いた。

ぽんこつマンたちはそこで100バーツを支払い店に入った。店の入り口には、プラウン、シュリンプ、ロブスター、渡蟹、マッドクラブ、オイスターなどのシーフードが並べられ、それをプラスチックのザルに取り料理してもらうスタイルだった。それぞれのシーフードには数字は書かれた札があったが、ぽんこつマンたちはその数字が金額だとすると1kg当たりの値段だと思えるほど少し高めの数字が置かれていた。もし1Kgならオーストラリアより少し安めの設定だとプロデューサーとぽんこつマンは話したことを覚えている。

ザルに入れたのは1800と書かれたロブスター1匹、700と書かれた手長川海老2匹、後は数字は覚えていないがオイスターを2個、そしてビアシンを1本とカウパット(タイ式チャーハン)をテーブルで頼んだ。ロブスターは蒸し、手長エビは焼き、オイスターは生で料理は直ぐに出てきた。想像以上のカウパットの量で腹は直ぐに満腹になり、会計をしたら、驚く金額が書かれた請求書がきた。プロデューサーがその金額を見て「えっ?」と驚いた。その金額はざっくりと14000バーツと書かれていた。

14000バーツと言えばざっくり4万5千円くらい。店の従業員を読んで金額の内訳を聞いた。すると「ロブスターは100g1800バーツであなたたちが選んだロブスターは600g、だからロブスターだけで10800バーツ、川海老は1匹700バーツ、、、、、、、、。」もうそれ以上聞く必要はなかった。要するにボッタクリであると気がついた。オーストラリアでもロブスター1kgで100AU$までだから中型ロブスター1匹で1800バーツなら分かるが1匹10800バーツ(3万円)なんてボッタクリ以外何者でも無いのだ。

ぽんこつマンはその時、この店とさっきのトゥクトゥクの運転手が外国人を相手にボッタクリをやっていると確信した。

やむなくプロデューサーはその時持っていたタイバーツの大半を叩いて会計を済ませた。そのプロデューサーが領収書を待っていると、さっきのトゥクトゥクがまた外国人の客を連れてきて、店の従業員から何やら受け取っている姿が見えた。リベートがいくらなのかを知る由もなかったが、それ以降トゥクトゥクにはできる限り乗らないと誓った。

そう言えば、ぽんこつマンが今の連れ合いと知り合い、チェンマイでカフェとフェイスマッサージ、ボディーマッサージの店を始めた時も、ヨーロッパからのツーリストが店に電話で予約を入れて、結局こない事が何度かあったが、別の日にちになって改めてやって来て、「あの時は、トゥクトゥクの運転手に、もっといいスパマッサージがあると言われ、ここには連れて来てもらえなかった。」と言って詫びに来たこともあった。

トゥクトゥクの運転手はいろんな店と客を連れ込むことでリベートをもらう話になっていて、行き先を伝えても違うところに連れて行ってリベートを受け取ることを主目的にしていたのだろう。

あれから25年以上が経過して、今はBTSもMRTもかなり遠くまで延伸した。エアポートリンクも開通した。来年には、またいくつかの都市交通網が開業するというバンコクだが、バンコクに来た思い出としてはトゥクトゥクに乗ってみるのも悪くは無いとは思うが、旅の記念程度に考えといた方がいいとぽんこつマンはお伝えしときたい。

今は外国人の観光客がタイへ入国できなくなってもう半年だから、トゥクトゥクを利用する客はほぼいないだろう。リベートどころか運賃すらまともに稼げなくなったから、後数年でトゥクトゥクはバンコクから姿を消すかもしれないが、それは当然ともいえるだろう。

バンコクで、Tinderで知り合ったイサーン娘とラマ3のタワンデーン ジャーマンブリュワリー に行く

2018年7月からバンコク・エカマイにあったとある会社でビジネスコンサルタントとして働いたことがある。その時がバンコクで初めて長期で住んだ最初だったが、ぽんこつマンは働いた会社には全く相性が合わず3ヶ月で退社した。

仕事した話は今はもう話したくないが、初めてバンコクで部屋を借りて住んだのがBTS エカマイ駅とプラカノーン駅の中間にあったコンドだった。契約は半年で家賃は20,000バーツ、ちょっと高かったが23階と高層階だったので気に入った。

仕事は採用時の約束で、その会社の将来を考えて現状を改革できるビジネスモデルビジョンを提案してほしいと言うことだったが、実際にその会社に行った時からビジョン提案はいらないとなり、現在の斜陽業務内容の再活性化支援を求められた。

ぽんこつマンはその会社が将来的に現在の斜陽業務を脱却するための新ビジネスモデルビジョン提案ならと受けた仕事だったので、明らかに求められたことが違っていた。中長期で2〜3年後に事業展開できるビジョンではなく、直ぐに現金収入を得ることができる業務提案だったが、あまりにも急いでいることを知りその会社には早々に見切りをつけたのだった。

しかし、その前からTinderでバンコクでデートできる女の子を探していたぽんこつマンは、既に何人かの女の子とLINEのIDを交換していた。そのうちのひとりがイサーン出身の当時24歳、少しぽっちゃりしているが色白で声が少しハスキーな可愛い顔をした女の子だった。

入社1ヶ月で退職を決意して2ヶ月を過ぎた時に退職を申し出た後、残り1ヶ月は在籍をすることになり、仕事をほぼしないままで会社に通っていた時にTinderで知り合った女の子とLINEで話すことが多くなっていた。

ある日、その24歳の可愛いイサーン娘に夜ご飯を一緒に食べようと持ちかけたら、返事が来て、お姉さんと一緒でいいならと言うことになった。一緒に行く店は彼女に任せることにして、仕事の就業時間から1時間後の18:00にぽんこつマンの住むコンドのそばにあるコンビニ前で待ち合わせることにした。

タイは5月から10月までは雨季で、その日も昼過ぎから雨が降っていた。タイの典型的な雨はザーと一気に降って直ぐに上がるのだが、その日はパラパラと降っては少し止み、またパラパラと降る少し珍しい天気だった。

ぽんこつマンは終業時間になると同時に一目散に部屋に帰って、シャワーを浴び、18:00に5分前にコンドの部屋を出てコンビニの前に向かい、バイクでやってくると言う彼女と彼女のお姉の到着を待った。

コンドの部屋を出た時は霧雨の様な雨だったが、コンビニに着いて一分ほどで雨は激しく降り始めた。ぽんこつマンは傘を持って出ていなかったので、直ぐにコンビニの中に入り、LINEでコンビニの中にいると彼女にメッセージした。

しばらくして彼女から「今着いた」とメッセージが入ったので表に出てみたら、彼女と彼女より小さい女性がいて、バイクを降りてヘルメットを外しているところだった。簡単に挨拶をして、「タクシーであなたたちが行きたいところに行くから、拾ったタクシーのドライバーに行き先を伝えて」と伝えた。

タクシーを拾い、彼女たちを先に乗せてぽんこつマンは前の座席に座った。タクシーはいったんプラカノンの方向に向かい、ラマ4を西へ進む。クロントーイ市場の交差点を左折してタクシーはラマ3通りを南下した。

向かった先は、タワンデーン ジャーマンブリュワリー ラーマ3(http://tawandang.com)だった。料理はイサーン料理はもちろんドイツ料理も日本料理もある様だった。その日は、なんでもステージにタイのスターが来ているとかで入場料をエントランスで支払って入ることになる。

彼女の姉はなんでもメンバーになっているとの事で入場料は少し割引だったらしいが、ぽんこつマンはその時よりはるか10年以上前にソイカウボーイのゴーゴーバーでペイバーした女の子と一回来ただけだったので、メンバーであるはずもなかった。

それでも店内は大混雑していて、ステージ前のテーブルは既に埋まっていた。ぽんこつマンと彼女たちが座った席は、ステージからかなり離れた、銅製のビールブルワリー装置があるところに近い席だった。

彼女も彼女の姉(?*タイでは実の姉でなくてもピーサーォと呼ぶ)もビールが好きと言うので3Lのタワーを頼んだ。料理はフレンチフライとサーモンの刺身以外は全てイサーン料理の様だった。

タイのスターのステージは少し遅い時間の様だったが前座のバンドが19:00くらいから演奏を始めて、店内は大盛り上がりになっていた。ぽんこつマンはしこたま飲んだ。あまりにも騒々しくてまともに話ができなかったのだ。

ぽんこつマンは、彼女のことが気に入っていたが、彼女が姉?という女性を同伴してきたので、彼女との関係を深める事は難しいと思った。3Lのタワーを3回注文したてぽんこつマンはかなり酔っ払った。深夜0時になってもほぼ満席が続いていた。

0時30分、ぽんこつマンは帰ることにした。精算して3人で店を出て、店の裏に回っって流しのタクシーを探し、コンド近くのコンビニまで戻った。長く続いたその日の雨はようやく上がっていた。彼女と彼女の姉?はそのコンビニ前に停めて置いたバイクに跨がり、プラカノンにあるという彼女のアパートへ戻って行った。

数日後、彼女にもう一度会いたくなってLINEしたが、予定があると素っ気なかった。それからまた数日経ってLINE電話してみたら、彼女は電話には出たが「今まだ仕事中」と言って「折り返す」と電話を切った。夜になって彼女からLINE電話が掛かってきて、「私は、やっぱいあなたとは合わないほうがいいと思う」という。「友達だけではいられなくなるのが怖い」というのだった。

ぽんこつマンはそのLINE電話を受けてから彼女へのLINEメッセージも電話もしない様にした。彼女は今のコロナ騒動下、どこでどう暮らしているのかも全くわからないが、もしぽんこつマンが昔彼女と肉体関係を結んでしまっていたら、忘れることが難しい相手になっていたに違いないと今は思うほど実は惚れ込んでいたのだ。今は彼女がどこかで幸せに暮らせていることを望んでいる。

珍しく1日長く続いた雨に流した恋心、惚れっぽいぽんこつマンには勿体ない女だったという気がする。

チェンマイでランチによく行くChef Non Fried Rice Restaurant

ぽんこつマンがチェンマイにいる時、連れ合いとランチによく行くカフェスタイルのレストランがある。Chef Non Fried Rice Restaurant(https://www.wongnai.com/restaurants/293321zK-เชฟนนท์)という店名でタイ式チャーハン(カウパット)が主だが、独特のカレー料理(パットポンカリー)もメニューにあり、さらにカフェも併設していて値段もかなりリーズナブルで気軽に食事が楽しめる。

店がある場所はチェンマイ 市街から少し離れていて、チェンマイの西側を走る121号線(ハンドン−メーリム線)を北上してチェンマイ エキシビジョンセンターに入る交差点を左折して200mくらい進んだ左側にある。

ぽんこつマンがここに最後に行ったのは2020年1月だが、2019年にも何度となく行っている。エアコンがある部屋もあるが、やはりこの店はガーデンサイドのオープンテラスが心地いい。

豚肉パットポンカレーは60baht、蟹チャーハンは55baht、目玉焼き(カイダーオ)10baht、ドリンキングウォーター10baht、連れ合いとふたりでランチした2019年9月13日のトータルは135bahtとリーズナブル(税込み料金)。この頃から今までサービスチャージをつけないレストランが多かったが、チェンマイでもサービスチャージ10%を上乗せしそこに税(VAT)を掛けて請求するレストランやカフェがどんどん増えていった。

庶民の税負担をプラユット軍事独裁政権が増やし政府に入る税額を増やす意味でもサービスチャージ10%を付加するよう指導したのではないかと思うほどだ。例えば135bahtが内税の場合の税額は約8.8baht、しかし135バーツに10%のサービスチャージを付加しそれに7%の税(VAT)を外税でかけると、税額は約10.4bahtで差額は約1.6baht、税額が18%強増えることになる。

これはあくまでもぽんこつマンの勝手な推量だが、GDPの計算に国内消費額が大きく関わるとすると、この仕組みで国内消費額を上げることが出来るという事で、タイの官僚が考えたのかもしれない。

まぁ、支払う金額が増えてもサービスが以前と同じであれば、これまで気に入ったサービスをしてくれる従業員にチップを渡していたが、そのチップを支払うのを控える事で、彼らの可処分所得が下がり彼らの主な食生活のベースである屋台での支出額が下がるというタイ国民の大多数のお金が回る仕組みが崩壊すると思うのだが、どうだろう?

庶民と上級国民の格差がますます広がることが国家の経済を豊かにするということはないはずだ。上級国民はますます贅沢な生活をするために賄賂を求め、汚職がますます蔓延ることになり、庶民がますます虐げられる国になることをぽっんこつマンは懸念している。

いずれにしても、タイの庶民から笑いが消え韓国や中国のようなギスギスした社会になれば、タイらしさは無くなるということだろう。ぽんこつマンはタイから安くて美味しい庶民の味が消える未来は見たくないと思う。

カリカリ豚(ムーコップ、ムーヤーン)のチェンマイ 屋台有名店

チェンマイの一番大きな市場ムアンマイ市場に近いところに、カリカリ豚を露店で売っているところがある。Earthen Jar Roast Porkという店名らしいが、露店で味付けし、露店で焼いてそのカリカリ豚を売ってくれる。

ぽんこつマンは、そのカリカリ豚を入れたバーミーナームに最初に出会ってから、大好きになった料理である。一口大にカットしてビールのつまみとしても最高に旨い。豚のバラ肉にした味をつけてツボで焼くからムー(豚)ヤーン(焼き)と呼ぶことが多いらしいが、連れ合いなどはムーコップと言う時もある。外がカリカリになっているのは、豚肉にある脂が焼かれることで肉そのものを揚げているのと同じ状態にしているからなのだとぽんこつマンは勝手に考えている。

豚肉(ばらかたまり)は、ぽんこつマンが最初にタイに来た今から20年前頃は、市場で1Kg20バーツくらいで買えたと言う記憶があるが、現在は、その10倍くらいの値段になっている気がする。したがってこのカリカリ豚も、豚の脂でその肉を揚げ焼きにしていて、脂の行く文化は落ちてしまうので焼く前より焼いた後の目方は少なくなっているはずだ。2020年3月に買った時はキロあたり500バーツだった気がしたが、した味付け、焼き手間、炭代などを考えればそれほど高いものでもないと思う。

1キロは食べきれないので、400gを買って、さっそく家でビールと一緒にやってみた。やっぱり旨い。葉野菜の炒め物などにもすごく合う食材。タイには家でこのムーヤーンを焼くための電熱調理器具が売っているが、自分で下味をつけて、長時間かけて作った後にその器具をきれいに洗うことを考えると、出来上がりを買った方がはるかに楽ちんだ。

ぽんこつマンは、辛くて酸っぱいそして馴染めない匂いがあるソムタムをはじめいくつかのタイ料理は食べれないが、このムーヤーンやガイトートは大好きだ。まだまだタイには日本人に馴染みのないごはんがあると思う。これからもたまにはぽんこつマンがうまいと思ったタイの味を紹介していこう。