2019年バンコクで口腔ヘルペスにかかる

今から1年くらい前、ぽんこつマンがバンコクのコンドでひとり住んでいる時、Tinder でエッチしてくれる女を毎日のようにつっていたことがある。中には、5000baht/1shot(交通費別)という女もいれば、1500baht/1H(交通費込)という女までいた。

Tinderでマッチした後、LINEで部屋に来る時間などを連絡を取ることになるのだが、ラオスからの出稼ぎ女や、昔の写真をアップしていて、会ってみると随分年齢詐称だろうという女もいた。

ぽんこつマンが相手の女の仕事を聞くとだいたいネットでコスメや健康食品を売っているという答えが返ってくる。儲かってるのと聞くと、みんなあまりいい返事を返さない。つまりそれは体のいい口実で、実際には普通に生活できるレベルの収益が上がってはいないということだとぽんこつマンは理解した。

ぽんこつマンが部屋にそんな女を呼ぶのは、決まって夜の時間でだいたい22時ごろだった。女たちは、間違いなく誰かのバイクの後ろに乗ってやって来ているようだった。たぶん売春を斡旋している組織がいくつもあり、そこの遣手ババアかニイチャンが送迎を担当しているのだろうと思った。

ある時は1週間に5人くらい呼んだことがあり、その女との◯ックスは、最初にシャワーを一緒に浴び、そこで一回生で軽く挿入する。挿入前にはボディータッチやディープキッス、フェラチオももちろんアリだった。

そして、そこからベッドに移動し、コンドームを装着して一戦を交えるのだが、ある朝なんとなく喉の奥に微かな痛みを感じた。その日はリステリンでうがいをして様子をみたが、翌日もその痛みは消えていなかった。そして、口の中に出来物ができている。誰かからなんか良くないものをもらったのかもしれないと思った。

なんとなく嫌な予感がして、それからバンコクのいくつかの性病の検査をしてくれそうな病院を探してみた。

タイの病院は、専門の担当医がいないときは、適当に扱われる。そこでいくつかの日本語が通じる病院とクリニックに電話した結果、バンコク病院(https://bangkokhospital-jsc.com)がなんとなく今回の症例には良さそうだと思った。

バンコク病院は、タイの中でかなりサービスが良いと評判が高かったが、あまりにも医療費が高額になるとの噂が日本人の間で広まっているようだった。しかしぽんこつマンは担当医師の出勤時間を確認できたし、バンコクの住まいである今度からも遠くないので、もし明日症状の改善がないなら行こうと決めたのだった。

日本人の多くは、スクンビットソイ3にあるバムルンラード病院(https://www.bumrungrad.com/jp)かスクンビットソイ49(Klang Alley)とトンローソイ13の突き当たりにあるサミティベート病院(https://www.samitivejhospitals.com/jp/)を使う人が多そうだ。

なんでもバンコク病院の診療費の高さに驚くようだったが、その時ぽんこつマンが尋ねてみたらなんでも感染症の医師がいい時間にいないこと、診療費がバムルンラード病院もサミティベート病院決して安くない事が分かったのだった。

翌朝10時に感染症の医師がくるとバンコク病院に聞いていたので、ぽんこつマンは翌日の朝9時にコンドを出てタクシーで向かった。バンコク病院の場所は、ペッブリー通りから少し北に奥まったところにある。朝9時半に到着し、受付を探し予約していた、感染症の内科の待合室で待った。10時を少し過ぎた時に、呼び出しがあり診察室に入った。

医師が口腔内を観察し、血液検査で病原菌の特定を指示したようなので、ぽんこつマンは念のため性病の血液検査も一緒にお願いしたいと伝えたら、泌尿器科にもいくように言われ、改めて泌尿器科で問診を受け、血液検査項目に追加してもらうことになった。

その後、血液検査のための採血室に移動したが、そこの四十路の看護師にニンマリとした含み笑いをされて、採血された。検査結果は1時間後に出るとの事で、一旦病院の食堂で何か食べようと出掛けた。

その食堂(カフェテリアというかフードコート)には、もちろん一般的なタイフードも多くあるが、マクドナルドなどのファーストフードもあったりして驚いた。コーヒーとサンドイッチを摘んで時間を潰し、また、内科の受付に指定時間に戻った。

検査結果は、口腔ヘルペスとの事で、とりあえず内服薬を処方するとの事だった。口腔ヘルペスは一度感染すると完治する事は無く、疲れている時などにまた症状が出るというものらしく、果たして最近遊んだ女から貰ったものなのかどうかは特定できなかった。性病検査の結果も その時点で全てネガティブだったが、HIVに関しては近い性交の結果はまだ出ないので、もしそうゆう行為をするならコンドームを着けるよう指導された。

事前にクレジットカードの海外医療保険で支払うと伝えていたので精算は比較的スムーズに終わった。金額は内服薬も含めて9000bahtオーバーだったが、やはり日本の病院よりは高いのだろうという感じだ。まぁ、保険で支払ったので現金は不要だったのだが…….。

数日後に、連れ合いが暮らすチェンマイへ向かう日が近づいてきていた。連れ合いとはもう何年もキスをする事は無くなっている。連れ合いと◯ックスする時は必ずコンドーム必須になっているので、グラスの共有を避ければ移すことはないと医師から言われている。

今はその症状が出ることは1年以上なくなっている。もしかしたらはるか前に誰かからもらった菌が、身体が弱った時にたまたま出ただけかもしれないと今は思っている。

ラチャダーピセーク、ポセイドンでタマダーふたりを選んで3P体験

なんだかんだ言ってぽんこつマンのバンコクでのマッサージパーラーでベスト1はポセイドン(https://www.poseidon2000.com/index_jp.asp)である。ぽんこつマンがアジアに沈んだ契機となったのもポセイドンの存在が大きい。

ぽんこつマンのいくつか年上のカメラマンで仕事で世界を飛び回り、いろんな国の女性といつも性的快楽を愉しんできた友人がいたが、彼がバンコクでのマッサージパーラーのベスト1はシーザーだと言っていた。しかしながらぽんこつマンは彼のように、友人数人でVIPルームを貸し切り幾人もの姫を集めてドンチャン遊ぶ遊び方ではなく、どちらかというとしっぽりひとりの女と浸りたいタイプなので、ポセイドンでもVIPルームを借りるような事はなかった。

ポセイドンの普通の部屋は充分広めにとられていて、小さいながらもソファーもあって、ベッドやバスタブ以外にも姫とエッチなことができる。しかも何より窓からの光が入っていて、更に水回りも清潔に保たれているのが良かった。

いつだったかもう忘れてしまったが、まだ金魚鉢のタマダーの姫が2000と2400だった頃に、どうしても2000の姫のうちふたりからひとりに絞りきれずに迷う時があって、コンチアにふたり同時に連れて行けるかと聞いたら、番号を教えてくれたら最初に一人と一緒に部屋に行った後にもうひとりがすぐに部屋に行くようにすると言われた。

ならばということで4000バーツをキャッシャーで支払ってエレベーターで先にひとりと部屋に入ったことがある。もうひとりの姫はすぐに部屋にやって来て、バスタブでふたりから身体と髪を洗って貰ったことがある。

ひとりはポセイドンには珍しくファランが好きそうな地黒だったがかなりキレイな脚とボディーライン、それにくりっとした瞳のコケティシュな雰囲気を持っていて、ソンクラー県というタイ南部出身と言っていた。もう一ひとりはチェンライ県出身の白い肌をしたオッパイがピチピチドレスからはち切れんばかりのセクシーボディーの姫だった。

バスタブで一緒に肌の色が違うふたりを見て、彼女たちの肌を交互に触るだけでなんだか興奮するぽんこつマンだった。カフェラテのアートのように白と褐色が絡み合うようななんとも言えないエロチズムがそこにはあった。

地黒の彼女のおっぱいのサイズはぽんこつマンの手のひらでちょうどしっくり来るサイズ、乳輪は3cmくらいで乳首はコリっとした1.2cmくらいのチョコレート色をしていた。肌白の彼女のおっぱいは、今で言えばFかGカップという感じのぽんこつマンの両掌でようやく包むことができる大きさがあり、薄い桃紫の5cmくらいの乳輪に1.5cmくらいの濃い桃紫の乳首がついていた。

ベッドでは、ふたりを一緒に並べて仰向けで寝かせて、ぽんこつマンがその間に割り込んで二人の体を交互にペッティングした。ぽんこつマンが肌白の彼女のオッパイを弄んでいると地黒の彼女が背後から胸を背中に当てて、ぽんこつマンの股間に手を伸ばしてくる。

ぽんこつマンが振り返って地黒の彼女にペッティングを始めると今度は肌白の彼女がぽんこつマンの股間に足を絡めてかかとで肉茎に刺激を加えてくる。そして彼女のリップはぽんこつマンの耳を刺激し、彼女の手の指はぽんこつマンの乳首を弄ぶ。

ぽんこつマンの肉茎が完全にそそり立ったのを地黒の彼女が確認して、コンドームを装着する。ぽんこつマンはふたりを四つん這いにして、先にどちらに挿入するかを確かめるように、亀頭を両方の淫部に当てがい、お互いの大陰唇とクリトリスに刺激を与えた。

ふたりは腰をくねらせ、後ろにいるぽんこつマンにアピールする。肌白、地黒のそれぞれの膣口を交互に3回ツンツンとして、まずは地黒の方に深く挿入した。肌白はそれに気付くとぽんこつマンの玉袋と地黒の乳首をこね始める。

ぽんこつマンは地黒の腰骨を両手で掴み、「ズン、ズン、ズン、、、ズン」と1秒2回くらいで奥へ亀頭を素早く送り込む。引くときは、腰を円を描くようにゆっくりと、そして突っ込むときは素早くストレートでその動きを繰り返した。3分くらいして地黒を仰向けにして、屈曲位で激しく突いて1回目のフィニッシュを迎えた。

肌白がぽんこつマンのまだ勃起が完全に鎮まらない肉茎のコンドームを一旦外し、手で肉茎を包み扱き出す。荒い息の名残りを残している地黒が今度はぽんこつマンの乳首にリップしてくる。地黒のストレートの長い黒髪がぽんこつマンの脇腹を摩っていく。肌白は、ぽんこつマンの肉茎に新しいコンドームを纏わせ、今度はぷっくりとした唇と舌を使ってフェラチオでもう一度肉茎の硬直度を全開に持っていこうとする。肌白の手はぽんこつマンの内股と玉袋を摩っている。

一回射精したぽんこつマンの肉茎が100%の硬直度に戻るまでさほど時間はかからなかった。肌白のスロートはねじりを加えて上下する。亀頭が肌白の喉奥に当たるくらいまで肌白は深く深く肉茎を咥え、舌でカリの周りをグリングリンと何周もさせていた。

何分ぐらいふたりからの愛撫を受けていたかは分からないが、ぽんこつマンは地黒のボディーリップと肌白の股間への性感マッサージを、ただただ受け身で味わった。そしてぽんこつマンが、一瞬漏らした吐息を聞いて肌白が股間に跨がり、肉茎を彼女の膣口に迎え入れる。

肌白の肉襞は地黒のそれより少し柔らかさが有るようにぽんこつマンには感じた。地黒はぽんこつマンの傍に半身で横たわって、ぽんこつマンの耳、首筋、肩、脇をリップする。肌白は背面騎乗位で腰を上下に動かしてくる。ぽんこつマンは右手で肌白のオッパイを揉みしだき、左手の中指で地黒のクリトリスを転がしていた。

肌白が両手を体の後ろについて身体を仰け反らせ、腰の動きを今まで以上に速くした。ぽんこつマンの亀頭の下部のカリが彼女の膣壁の前辺りを擦るようにしたようだった。

5分ほどその騎乗位は続いただろうか。色白は突然ぽんこつマンの肉茎から離れた。そして今度はまた地黒が股間に前方騎乗位で跨り、挿入する。地黒の肉襞は、肌白より筋肉が発達しているのか、ぽんこつマンの肉茎の両サイドへの締め付けが気持ちよかった。

地黒は腰をグラインドさせながら、上下する。最初はゆっくりだったが、ぽんこつマンの亀頭が彼女の奥のコリっとしたところに当たってからは、より深く沈み込みながら腰の上下運動は速くなっていった。

そしてまたもや地黒の身体でフニッシュしてしまった。肌白がぽんこつマンのザーメンが溜まったコンドームをティッシュで拭い取り、ぽんこつマンの手をとって一旦シャワーへ向かう。地黒は、ベッドで荒い息を整えているようだった。

肌白はいったんぽんこつマンの肉茎を洗い、自分も淫部を洗ってまたベッドに戻った。そして肌白は仰向けになって自分のオッパイを寄せるポーズをする。ぽんこつマンはそれがパイズリのサインだとすぐに分かった。

ぽんこつマンの肉茎は2回の発射があり一旦おとなしくなっていたが、その柔らかそうな大きなおっぱいに挟まれる生の肉茎を想像しただけで、またムクムクと勃起し始めた。

ぽんこつマンは肌白の胸の谷間に肉茎を進めた。肌白はその大きく柔らかい2つの肉の塊で、ぽんこつマンの肉茎を挟み、圧迫してくる。生肌が、ぽんこつマンの敏感な部分を生で刺激する感覚は、コンドームを装着して膣内でピストンする以上の快感があるかもしれないと思うほど気持ち良かった。

ぽんこつマンは腰を前後に動かし、その生肌の感触を愉しんだ。しかしもう一度ザーメンを放出する前に、腰が疲れてしまってそれ以上継続できなかった。ぽんこつマンはかなり激しく腰を前後したのか、かなり汗をかいていた。

今度は地黒が、ぽんこつマンの手を引いてシャワーに向かい、身体を流してくれたのだった。2回の発射と1回のディープスロートとパイズリという地黒と肌白の連携プレイは見事なものだった。シャワーの後、ふたりはぽんこつマンの背中と腰そして太ももとふくらはぎをマッサージしてくれた。

2時間のプレイ時間の内残り10分を残してぽんこつマンは部屋を出た。ふたりの姫にはそれぞれ200のチップを渡して、エレベーターで2Fまで一緒に降りる。エレベーターを降りたところで、ひとりづづハグをして別れた。

ぽんこつマンはまだVIP ルームでアレキサンダー遊びをしたことがないが、もし次にお金に余裕がある時は、4時間VIPルームを貸し切って、姫を複数侍らせて酒池肉林パーティーをしてみたいと思うようになったのだった。

アンジェリーナというペップリー通りの格安マッサージパーラー

今から10年以上前になるだろうか。ぽんこつマンがかつて作っていたバンコクのMPのリストの中にペップリー通りのMPで格安の値段設定だったアンジェリーナがあり、そこを実際に覗きに行ったことがある。

その格安MPのロケーションは、トンロー通りとペップリー通りのT字路の右手に見えるところでわかりやすい。タクシーで近くまで行きウォークインするなら、アンジェリーナから100mほど東にあるThai Rent A Carかアンジェリーナのすぐ東にあるバス停のところにあるユニオンタワーというオフィスビルを指定すれば良いだろう。

タマダーが1200、1400と格安だったが姫はやや年齢が高い印象。ほぼ全員出産経験ありそうな姫ばかりだったが、たまたまぽんこつマンが行った日には、なんとなく遊んでみてもいいかと思うレベルの姫がふたり居た。

ひとりは、スリムなボディーだが地黒、オッパイもさほど大きめではない印象。もうひとりは肌の色は若干白いが少し太め、オッパイもそれなりに発達している。どちらも1200だった。高い値だからレベルが高いとは限らない。ある時マッサージパーラーの姫の値付けは、自分で設定していると聞いたことがある。

ある時はサイドラインやモデルというクラスでもタマダーよりぽんこつマンが惹かれない姫は結構いるといつも思う。同じ金魚鉢の中でも右と左に分かれていたりしてどちらかが安い値付けだが、むしろそっちの方が唆られるというのは良くあるのだ。

この日も1400の姫には全く唆られず、1200の姫のうちふたりがぽんこつマンの目に留まったのだ。どちらの肉襞がぽんこつマンによりフィットするかは、選んでみないとわからない。同じ姫でも、その日の調子や客の指名頻度、姫の気分によっても変わるというものだろう。

ぽんこつマンは同じ姫を何度となく指名することはしないようにしているので、その日ツキがあれば、最高の気分を味わえるのだが、なかなかうまく噛み合わないので次こそは、次こそはと幾度もMPを変え初めての姫を選ぶ事になるのだろう。

その日は、学生時代に少しふっくらとした看護学生と◯ックスした時の肉襞の感触を突然思い出して、肌の色の白いやや太めの姫をチョイスした。

個室に入ってすぐに姫は湯船にお湯を溜め始める。部屋はかなり古く、バスタブ周りに落としても落とし切れない黒カビが残っているのが見える。姫は、湯船の縁にボディーソープやマウスウォッシュをなれた手順で用意して置いた。

姫は名前を告げたが、ぽんこつマンはもう覚えていない。お互いスッポンポンになってお風呂に入る。お決まりの洗体があってからベッドで彼女が来るのを少し待つ。姫は自分の口もマウスウォッシュでブクブクしてからニッコリしながらベッドにやってくる。そしてぽんこつマンのまだ完全に硬直していない肉茎に手を伸ばして来た。

ぽんこつマンは、姫のおっぱいに手を伸ばす。その柔らかい感覚は、もうすでに幾千、幾万の男たちによって揉みしだかれた乳房であることを物語っている。ぽんこつマンは少し強く揉んで見た。そして彼女の乳房にある1cm以上はある乳首を軽く噛み、そして吸い上げた。

唇で挟んだ乳首を舌で転がす。そして今度は乳輪全体を吸い上げた。すると彼女は体の前後を入れ替えて、ぽんこつマンの肉茎をスロートできるように上にまたがって来た。ぽんこつマンの目には、姫の股間がはっきりと見える。

陰毛は、手入れされており、大陰唇もクリトリスもくっきり見える。最初は大陰唇を右手の親指と人差し指で開き人差し指の腹で少し湿った大陰唇の内壁をゆっくり擦った。時折ヌメリに光る膣口が見える。親指をクリトリスに伸ばし円を描くように軽く捏ねると、膣口が光るための愛液が微かに滲み出て来ている。この姫は、今日はぽんこつマンが最初の客なのかもしれないと思った。そうじゃないにしても、もう愛液も滲みないほど何人も客をとった身体ではなさそうだった。

姫はぽんこつマンの玉袋を口に吸い込み下で転がした。そしていつの間にかコンドームをぽんこつマンの肉茎に纏わせていた。ぽんこつマンは彼女の膣口にゆっくり中指を入れてみた。膣口の締まりは悪くない。中指の第2関節が入ったところあたりで中指の腹を少し前に倒すと、肉襞が指に纏わり付くようにうねる。もしかしたら、今日は当たりを引いたかもと思った。

少しふっくらとした女の淫部の中には、吸い付くような肉襞を持つことがたまにある。その感覚は、学生時代に抱いた看護学生の時に最初に感じた感覚だった。挿入の期待が一気に高まった。

ぽんこつマンは彼女の膣口にキスをして、背面騎乗位での挿入を求めた。彼女はぽんこつマンの求めに応じ、膝で前進し肉茎の上にまず跨り、ぽんこつマンの肉茎を起こして膣口にあてがった。そしてゆっくり腰を落としていく。

ぽんこつマンの亀頭が膣の中に埋もれる。そして彼女の腰が更に下がって来た。ぽんこつマンの亀頭のカリの部分がちょうど先ほど中指で押した裏あたりを通過した時、彼女の肉襞がぽんこつマンの肉茎を締め付けた気がした。

彼女が完全に沈んだ位置で、ぽんこつマンの亀頭は彼女の子宮口のコリっとした肉に当たったようだった。彼女はそこから腰をゆっくり上げ早く落とす。そしてそれを繰り返す。膣口が亀頭のカリのあたりに来たところでしっかりと締め上げたまままた深く沈み込む。

彼女の背面騎乗位は、かなりのテクニシャンぶりを窺わせた。彼女は腰を上下させながら更に左右に回転する動きを追加した。膣口がぽんこつマンの竿の上面を上手く擦り上げる。そして竿の左右を捻り上げる。気持ちがいい。

そのまま逝ってしまうにはもったいないので、今度はぽんこつマンが彼女をドギースタイルで突き上げる事にした。彼女は膝を肩幅ほどに開いて、尻を突き出している。ぽんこつマンはその彼女の腰骨をガッチリ両手で掴み少し反り気味の体制で肉茎を下から上へ突き上げるように腰を前後した。

最初はしっかりと伸ばしていた彼女の腕は折れ、今度は肘で体を支えている。そしてその肘が前にすべって彼女の顔がベッドにしっかりと張り付いた。まるでぽんこつマンの亀頭が彼女の裏Gスポットを擦りやすくするかのように、彼女も腰を落として奥をより低くしようとしている。

この姫は、マッサージパーラーの姫にしては珍しく◯ックスが好きな女なんだとぽんこつマンは勝手に思った。

マッサージパーラーで働く姫の大半は、◯ックスをかなりきつい肉体労働と捉えている娘が多く、水揚げされた後は子供を求める為に性交はするが男と女のコミュニケーションとしてのお互いの愛撫や変わった体位での性交をあまり好まなくなると聞いたことがある。実際に釣った男の満足を高めようというサービス精神は、仕事だからできるというのが多くの姫の実感なんだろうと思う。

ぽんこつマンはしばし続いたバックでの突き上げを強めにし、腰の動きの速度を徐々に速めていった。ぽんこつマンの恥骨が彼女の尻の肉を叩いてパンパンと大きな音が、硬いベッドと小さなブラウン管テレビしかない殺風景な部屋に響き渡る。

ぽんこつマンはフィニッシュが近いていることを察し、体位を正常位に変えた。彼女は自ら両脚を両手で抱え腰を少し高い位置に持っていく。ぽんこつマンは彼女を抱くように彼女の上に覆いかぶさり彼女の背中に手を回して、激しく深くピストンを繰り返した。

彼女の膣の肉襞がぽんこつマンの肉茎に纏わり付く。ぽんこつマンの肉茎は彼女の肉襞が与える両サイドへの刺激に耐えながら更に奥を突こうと強く打ち込んだ。彼女の後頭部が強くベッドを押し、ブリッジのように背中が反り返った時、ぽんこつマンの玉袋の肛門側の付け根からビビッと電流が背中に走ったような感覚があった。そしてその感覚は背骨を通り脳天まで届いた。同じような刺激が3回走り、ぽんこつマンはザーメンをコンドームの中に大量にぶちまけた。

久しぶりに絶頂を感じたポンコツマンの肉茎は、長い間ジンジンとした感覚が残った。少し触るだけですぐにボッキする状態が30分ほどあったと思う。アンジェリーナは90分がベースになっているらしく、その時2回戦をするには時間が少し足りない感じがした。

ぽんこつマンは彼女に背中と太腿の筋肉を少し揉んでもらう事にして、少し早めに部屋を出る事にした。シャワーを浴びて服を着る。ポセイドンでもぽんこつマンは200バーツがチップの標準だったがその日はかなり満足したので1200バーツの彼女に300バーツのチップを弾んだ。

もう少し顔立ちが可愛い女だったら、おっぱいがあそこまで柔らかくなかったら、惚れてしまうかもしれないと思える体験だった。三十路位の女が◯ックスの悦びに真に気づいた頃がぽんこつマンにとっては最高の女といえる状態なのだ。

この日は、アンジェリーナというマッサージパーラーは、いかにも古さを感じてしまうが、姫の質は、値段の割に悪くないという印象を持った。しかし、あれ以来長い間遊びに行っていない。今度バンコクにいけるようになってまだ閉店していないようなら、10数年ぶりにもう一度覗いてみようと思うのだった。

パタヤで突入したマッサージパーラーは、セントラルマリーナの近く

バービアやゴーゴーバーでよく知られるパタヤではあるが、かつて今から15〜6年前にぽんこつマンがパタヤに行った時にはマッサージパーラーはハニー1、2、サバイディー、サバイルーム、ラスプーチンと規模は大きく無いもののセントラルパタヤあたりに点在していた。

中でも、1995年開業のセントラルマリーナショッピングモールの近くには、サバイディー、サバイルーム、そしてハニー2が近くにあった。当時の大体の雛壇相場は1200〜1500バーツくらいだったと思うが最近の2000バーツ〜よりぐっと安かったことを覚えている。

欧米人と日本人はバービア、ゴーゴーバーで遊び気に入った嬢をお持ち帰りして楽しんでいる方が多かったようだったが、パタヤには、アラブ人もインド人も多く遊びに来る。しかし、インド人やアラブ人はバービアやゴーゴーバーの嬢たちには人気がなくペイバーを断る嬢も多くいた。

アラブ人とインド人の◯ックスのしつこさをバンコクやプーケットのゴーゴー嬢から聞いていたが、あまりにも自分勝手な行為をする、金払いは悪い、コンドームを使わせないなどの悪評判が多く、歓迎されない客のようだった。そこで彼らは、自分達の性欲処理に頻繁にマッサージパーラーを活用するようであった。

ぽんこつマンが覗いたパタヤのマッサージパーラーはサバイルームマッサージパーラーだったが、夜の21時くらいでショウケースの姫の数はかなり少なかった。すでに多くの姫が客と上がっていて、残り物が並んでいる場末感があった。せっかく来たので誰か新しく金魚鉢に入って来たその子がやはり厳しい感じだったら、バービアで飲もうと考えていた。

5分ほど、強いエアコンの中で座って新しく現れる姫を待っていたら、肌は白くは無いが、鼻筋の通った細身の姫が入って来た。おっぱいはそれなりに大きそうだったので、風呂でパイズリをお願いできそうだと思い、すぐにコンチアにその子の番号を伝えた。

キャッシャーで料金を払い、部屋に上がる。飲みかけのビアチャンは、後で持って来てくれるということなので置きっ放しにしておいた。部屋では姫が早速湯船にお湯を張る。姫はポンコツマンを見て、ニコリとした。

「どうしたの?」と訊いたら、「コンイープンチャイマイ?」と返してくる。どうもインドやアラブの客でないことにホッとしたようだった。ビアチャンを下から運んできた若い女の子の給仕係に彼女はドリンキングウォーターを注文した。彼女が水とグラスを2つ持って来たので100バーツを払って、釣りはいいと告げた。

部屋はかなり古い印象だった。湯船にお湯が満ちていく。部屋にはマットを敷いてあわ踊りするスペースがあるようだったが、マットがあらかじめ置いてはなかった。ベッドも全く広さはなく男女が上下に重なるだけの広さというある意味合理的な割り切り方だと思った。

ぽんこつマンはビアチャンをほんの少し飲んで、彼女は水にストローを刺し少し口をつけたようだったが、その後すぐに服を脱ぎ出した。ぽんこつマンもそれに釣られ服を脱いだ。

お湯がほぼいっぱいになったところで姫は蛇口を閉めに立ち上がり湯温を確認し、ぽんこつマンを湯船に呼んだ。ぽんこつマンがまずお湯に浸かり彼女は、足だけ湯に入りボディーソープを手に取り泡だてて、彼女の胸に沢山の泡をつけた。そしてぽんこつマンの後ろに回り、ぽんこつマンの背中をおっぱいで洗い始めた。そして今度はぽんこつマンの前に座り、胸を洗い始めた。次にぽんこつマンの脚を片方ずつ取り、ボディーソープをつけて洗う。そしてぽんこつマンの尻を彼女の太腿の上に乗せてぽんこつマンの腕を洗う。最後に湯船のお湯を抜き、ぽんこつマンの股間にある肉棒と玉袋を両手で優しく幾度となく扱き洗った。

シャワーで体に残る泡を洗い流し、彼女はバスタオルをぽんこつマンに渡す。ぽんこつマンはそれで体の水滴を拭いバスタオルを腰に巻いてベッドに寝そべって、彼女がベッドにくるのを待った。

2分ほどで湯船全体をお湯で流した後彼女はベッドにやって来た。バスタオルを巻いてはいたが、すぐにそれを解きスッポンポンの姿になった。彼女の身体は肩は撫で肩気味でおっぱいは比較的大きい、乳輪も乳首も大きくどす黒い、腰は細く腰骨は少し張っていて思う以上にお尻は大きかった。

それはいかにも、インド人が好みそうな体型をしていた。彼女はまず最初にフェラチオを始める、そしてぽんこつマンの肉棒が起立したところでコンドームをうまく口でハメにくる。さらに騎乗位でぽんこつマンの肉棒を膣に導き入れたのだが、どうも膣の締まりが弱くスルリと入りあまり快感を感じない。

彼女は3分ほど腰を上下させたが、発射しないぽんこつマンを知って、体を入れ替え後背位をとって挿入を待った。ぽんこつマンは、その体位に応えて後ろから彼女を突き立てた。膣口はゆるいが、彼女が顔をベッドに落とした体制になってぽんこつマンの突きを受けた時、たまに奥にコリっとする感触があり、ぽんこつマンの亀頭がその感触に反応する。刺激は肉茎から背骨を通じて脳に達する。

徐々に快感を感じ始めたポンコツマンは、彼女を正常位にさせ、両脚をM字に開かせ、両手で彼女の腰を浮かせて下から上に肉棒を突き上げるように激しく挿入を繰り返した。かなり速いピストンで恥骨を彼女のクリトリスのある位置に激突させてぽんこつマンはフィニッシュを迎えた。

本当はパイずりをして欲しかったが、彼女が先に挿入してしまったので、ぽんこつマンが期待する流れはできなくなってしまった。締まりのあまり良くないお◯んこで2度挿入していく気がなかったので、ぽんこつマンはシャワーを浴び、残りのビールをグラスに継ぎ一気に飲み干して、帰り際に100バーツのチップを渡して部屋を出た。

パタヤのマッサージパーラーは確かにバンコクより安いようだが、姫の質は決して高いとは言えない印象となった。多分インド人やアラブ人の強引な強姦的◯ックスを受け入れられることが仕事を継続する上で重要なのだろうと感じた。

ぽんこつマンはそのMP からホテルへ戻るソンテウの中で、「酒が全く飲めないが風俗である程度の収入が必要となる女が忍耐しながら働くと言ったパタヤのマッサージパーラー」の印象を強く受けた。

やはりパタヤは、バービアの女の子を冷やかし、ゴーゴーバーを梯子して可愛い女の子を見つけて一晩を一緒に過ごすのがぽんこつマンのパタヤの過ごし方としていいと実感したのだった。

アドフェスト(アジア太平洋広告祭)とジャニーズのコンサートが開れていた3月にパタヤに一人旅

あれは、2003年か2004年の3月の初旬ことだった。その時はまだ大阪の会社に勤めていたぽんこつマンは、3月末は年度末ではあったが、初旬に有休が取れることとなったので急遽タイに行こうと思った。3月は学生たちも春休みなので航空運賃は総じて高くなるのだが、有休の予定を入れた1月の段階では、まだタイ航空大阪ーバンコク線にはまだ安いブッキングクラス(V)の席に空きがあって、確か往復5万円代でチケットが手に入った。

出発当日、ぽんこつマンは通勤で使っていたJRで大阪まで行き、地下鉄で難波まで、そしてラピートに乗って関西空港へ向かった。タイ航空のカウンターでチェックインしているときに、いつもなら大体おっさんの客が多いバンコク線だが、その日はやたら若い女の子が多いことに気が付いた。しかしその理由はまだわからなかった。

当時、このタイ航空大阪発バンコク行きは満席になることが多くはなく、いつもはエコノミーに空席があって、よく隣の席を荷物置き場として使うことができたが、その日は完全に満席だったようだ。

ぽんこつマンは、できるだけで出口に近い通路側の席をお願いするのだが、その日は通路側は中程まで下がらないと無いと言われた。飛行機に乗り込むといつものバンコク線とは少し様子が違っていて、後方の方に多くの若い女の子が固まって座っているのに気が付いた。

その時は、まぁ春休みだからと思っていたが、バンコクに着き荷物を受け取って到著ロビーに出ようとカスタムを通過したら、その先に多くの若い日本人の女の子が誰かを出待ちしている様子が目に飛び込んだ。

その時はぽんこつマンには全く関係のない話だと思いきにもしていなかったが、後からちょうどパタヤで音楽フェスがあり、そこにジャニーズの有名グループ(多分SMAP)がやってくる予定になっていたと言う話をパタヤのタイマッサージ屋のおばちゃんから聞くことになった。

どうりで、飛行機の中にもスワナブーム空港にも日本の若い女の子であふれていたと言う理由が分かった。なんでもそのジャニーズのグループはハードロック・ホテル パタヤ(https://pattaya.hardrockhotels.net)に泊まるという噂もあり、ぽんこつマンが宿として予約したグランド ホテルという3つ星の安宿に行く途中に通るビーチロードもハードロック・ホテル パタヤの辺りに若い日本人の女の子がたむろしている様子が見えた。

ぽんこつマンのパタヤへの表向き目的は、ロイヤル クリフ グランド ホテル(https://www.royalcliff.com)で開催されていたアドフェストを覗きに行くというものだったが、本当の目的は、パタヤでタイの女の子と遊ぶことだった。

ぽんこつマンは、スワナブーム空港についてからタクシーでパタヤに向かったが、朝早かったためウォーキングストリート近くにあるグランド ホテルという3つ星の安宿にには朝早く到着してしまった。部屋が空いてさえいれば、すぐに部屋に入って仮眠をとりたかったがその日はまだ部屋が清掃できていないとのことで昼まで待つように言われた。

朝10:00からアドフェスト会場は開くはずだったから、ホテルに荷物を預けて、ロイヤルクリフにソンテウで向かった。ロイヤル クリフ グランド ホテルはタイ資本の名門5つ星ホテルらしく、相乗りソンテウの経路にはなく、ソンテウをタクシーがわりに貸し切る形で向かうことになる。

人が載っていない空のソンテウに手をあげ止めて40バーツで行ってくれることになった。ロイヤル クリフ グランド ホテルについてまずは、ロビーでコーヒーを飲んで10時になるのを待った。そのコーヒーは、ソンテウの何倍もする値段だった事にも驚いた。

なんでもタイでロイヤルと冠名を付けれるのは王様の親戚筋だけらしく、そこのオーナーも国会議員そして、政府の観光大臣か政務官をやっているらしかった。アドフェストの会場は、エントランスを出て左手に歩いた先にあるPattaya Exhibition And Convention Hall(https://www.peachthailand.com)でやっていた。

時間になったので会場へ向かい、ウォークスルーチケットを購入して入場した。世界から集まったプリント媒体の広告作品がホールロビーに展示され、大ホールでは幾多のコマーシャルムービー作品が上映されていた。アドフェストは1998年に創設されていてその歴史はカンヌ国際広告祭やクリオアワードよりかなり新しいが、既にカンヌ国際広告祭の前哨戦的な意味で出品する作品が多かった為、アジアオセアニア地域に限らず、多くの国からのエントリーがあったようだ。

アドフェストの会場で3時間ぐらい過ごしただろうか。お腹が空いてきたので、パタヤの街に降りることにした。まずホテルにチェックインし、ウォーキングストリートからビーチロードへ出てマクドナルドで軽く食べた。それから少しビーチロードをノースパタヤ方向に歩いて、ビーチが見えるバービアでビールを飲んだ。

そこにひとりのタイ人の女がやってきた。名前はAnn と言っていただろうか。年齢は28と言っていた。若くはなかったが、可愛い感じの女だった。何杯か一緒に飲んで、馬鹿な話をしてゲームに興じ、たくさん笑った。彼女は日本語もそこそこ話せたので楽しい時間はあっという間に過ぎて、夕方になった。

ぽんこつマンは、晩飯はシーフードを食べようと考えていたのでAnn に一緒に行くか聞いてみた。Ann は目を大きくまん丸にして「はい〜❤️」と無邪気な返事を返す。そこで彼女をペイバーして店を出る。ソンテウでウォーキングストリート入り口まで行き、そこから500mほど歩いてナンヌアルというシーフードレストランに向かった。

入り口には、ロブスターや牡蠣、カニ、シャコなどが並べられ、好みの魚介を選んで調理を頼むことができるシステムだ。もちろん野菜やスープのメニューも色々あるようだった。

ぽんこつマンは、マッドクラブ、ロブスター、オイスターを選んでテーブルについた。白ワインを選んでAnn と一緒に飲んだ。当時はタイではまだワインが豊富にはなく、しかも赤が主流だったが、流石にパタヤのシーフード店で、シャルドネくらいはあるだろうとオーダーしたのだった。

彼女はもともとチョンブリ県の出身で今はバービアで働いている。実家は貧乏で学校は中学までしかいっていない。ひとりの息子がいるが、その父親は妊娠が分かって直ぐに行方を晦ました、と言っていた。実家には父と母がいて、息子はそこに居る。お金を稼ぐのは大変だけど、パタヤの雰囲気はすごく好き。彼女はその時は英語で色々話してくれた。

多分、パタヤには欧米人が頻繁に遊びに来るのでその相手をしているうちに英語を覚えていったのだろう。そして少しの日本語も日本人との客を相手しているうちに身についたんだと思う。彼女の人懐っこさが、多くの訪問者の心を開いてきたのだろうと思った。

その日は、彼女をホテルへ連れ帰って男と女の関係になることは、ごく自然な流れだった。ホテルの部屋にはバスタブがありお湯を張って一緒に入った。彼女は熱いと言いながらも、しばらくぽんこつマンと体を合わせていた。

タイのホテルにあるバスタブのほとんどは、寝て浸かるタイプなので、ぽんこつマンの上に乗る感じで彼女は湯船に漬かったのだった。ぽんこつマンは彼女のそう大きくはない乳房に両手を当てがい、中指で彼女の乳首を弄んだ。彼女は、自分の股間の下にあるぽんこつマンの男性器に手を伸ばそうとしたが届かない。ぽんこつマンが右手を彼女の股間に伸ばし、クリトリスを探し当てて転がすと身をよじって吐息を漏らした。

その後ふたりは立ち上がり、ボディーシャンプーでお互いの身体を洗いあった。彼女はぽんこつマンの肉茎や玉袋を他より丁寧に優しくマッサージしながら洗ってくれた。ぽんこつマンは彼女のアナルからクリトリスにかかる股間のラインを入念に手のひらで洗った。時折アナルや膣のくぼみに中指を軽く挿入しながら彼女の秘部から愛液が漏れ出すのを待って、シャワーで体に残っている泡をきれいに洗い流し、ベッドに向かった。

当時は、世界中でHIVの流行が話題になっていたので、ぽんこつマンもAnn もいきなり生での挿入は考えなかった。Ann はdurex のコンドームをいくつも持っていたし、ぽんこつマンはオカモトや不二ラテックスのコンドームを何種類も持って出かけていた。

ベッドでは、Ann は激しく動いた。ぽんこつマンも激しく突いた。騎乗位、背面騎乗位、後背位、松葉崩し、側位、正常位、屈曲位、伸長位……。ザーメンをコンドームに射出しては少し休みそしてまた求めあう。翌日の朝10時まで4回は繋がりあったと思う。

昼にホテルを出て、ビーチの日陰でふたりはビールを飲み少し眠った。夕方近くなりさすがに朝からろくに食べていなかったので腹が空いてきた。ぽんこつマンはAnn に何か食べに行こうと伝えたところ、Ann は「今日は私が店を選んでいい?」ときいてきた。「OK、もちろん」と速攻で答えた。

彼女とビーチロードでソンテウを拾い、彼女が行き先を確認しそれに乗る。もう着いた店の位置も名前も覚えていないが、それは3rd. ロードに面した小さなローカル向けのムーガタ屋だった。それでも夕方の17時前だったが、人で溢れていた。あっという間に炭が運ばれ鍋が置かれた。Ann が豚肉と海老、野菜の焼き物を頼み、ポンんこつまんはビアチャンでそれを流し込んだ。

Ann は19時には部屋に戻ってバービアに働きに行くと言っていたので、せっせと食べたのだった。はらぺこが一気に満腹になり、もう食べれないとなった。時間は18:30を少し回った頃だった。ぽんこつマンはAnn とその店で別れ、そこからいったんホテルに戻り、パタヤのマッサージパーラーを覗きに行く事にした。

パタヤのマッサージパーラは、2nd. ロードにいくつかあったが、その話はこの記事には書かずに次の記事で書こうと思う。今回は、パタヤで出会ったAnn との話で終えておこうと思う。なぜなら、タイの女性に本当の意味で好きという感情を持った最初の出会いがAnn だったからだ。

ぽんこつマンは、今日までAnn と名乗る女性との出会いは3回ある。ひとり目はパタヤのAnn。ふたり目は、フィリピン、オロンガポのAnn、3人目はバンコクのAnn、アンと名乗る女にやたらと会うのは、アンと名乗る女性がただ多いからなのか、それともぽんこつマンにアンと名乗る女性に縁があるのかわからないが、もしかしたら、またどこかでアンと名乗る女性に出会うことがあるかも知れないと思うと少し楽しみになる。

ラチャダーピセークエメラルドホテル近くのNATAREEというマッサージパーラーに突撃した日

ぽんこつマンが、2〜3日の有給を取って土日と絡めバンコクだけに年5回はきていた時期がある。その目的は、はっきり言って後腐れなくしかも手っ取り早く若くて可愛い女の子と◯ックスすることだったが、夜はソイカーボーイのゴーゴー嬢をペイバーしてホテルへお持ち帰りして楽しんだ。

その頃の定宿ホテルは、最初の頃は、スクンビットソイ19のThe Key Bangkok Hotel(http://www.thekeybangkok.com/en/index.php)が多かったが、そのすぐ近くにあるサチャズ ホテル ウノ(https://www.sachashotel.com)<10月17日現在現在臨時休業中>を使うようになった。この変化は、ゴーゴー嬢がロングをあまり好まなくなってきたこともあり、ジャグジーやバスタブがなくてもシャワーだけあれば十分になったことや、ベッドルームとリビングが分かれているようなスイートタイプの部屋が不要になったことなどがあった。

そして、その次によく宿泊するようになった宿は、スクンビットアソークの交差点を東に渡ったところにある、Sukhumvit Suites Hotel(http://www.sukhumvitsuitesbangkok.com)が多くなった。ここの部屋は、全く広くはなく、ホテル名にスイートとあるがベッドルームにシャワーだけといったシンプルなものだが、フロントを通過せずエレベーターで直接自分の部屋がある階に上がれることと、何よりさらにソイカウボーイが近く、ペイバーしてショートをこなすには、ベストポジションだったからだった。

もちろんBTS やMRT の駅にも近く、ラチャダーピセークのMPに行くにも確実に時間が読めるのがよかった。

もういつだったかは忘れてしまったが、昼過ぎからホテルを出ていく先は、ラチャダピセーク通りにあるマッサージパーラーが多くなっていて、当時日本人にものすごく人気が高いと噂になっていたナタリーに突撃したことがある。

ナタリーにはMRT スクンビット駅からホイクワーン駅まで列車の後方に乗って、ホイクワーン駅3番出口(ソンブンシーフードホイクワーン店がちかいでぐち)を出て、300mほど南へ戻ることになる(エメラルドホテルの北側)。

ナタリーは、2016年に人身売買(18歳未満の少女を営業に使っていたという罪らしい)の摘発を受けて現在営業していない。しかしぽんこつマンが突入した当時は、確かにやたらと日本人の客が多かったことだけは記憶に残っている。

一般的にマッサージパーラーの客は、一番客が多い時間帯19時から20時でもショウケースロビーに10人から15人くらいのものだが、ぽんこつマンが突入した時は、日本の連休でもない普通の週末の午後3時ごろだったと思うが、20人近くの日本人(多分どこかの農協か漁協のオヤジといった感じの団体)でごった返していた。

ぽんこつマンは一人で飛び込んだのだが金魚鉢にそこそこ気に入った姫を見つけてコンチアに値段を聞いたら3500baht(当時はちょうど1万円くらい)と、ずいぶん高い値段をふっかけられてしまった。

確かに日本人の団体が大挙して訪れて、目の色変えて女の子を選んでいる最中だったから、そうなるのもやむを得ないと諦め、コンチアの言い値をキャッシャーで払って、部屋に上がった。ポセイドンがまだ1800バーツだった頃だからその約2倍だったので何か特別なサービスでもあるのかと期待したのだが…..。

部屋は狭く、薄暗い。なんとなく清潔ではないように感じるくらい、風呂のまわりにはところどころに黒カビが残っているのが見える。

金魚鉢を眺めていた時は、細めで肌の色も白いと思っていたが、その娘はなんだか機嫌が悪いようだった。実際に部屋で彼女のスッポンポンの姿を見た時は、ぽんこつマンに比べて肌は明らかに褐色が強かった。下っ腹には妊娠線と、セルライトがくっきりと見え、年齢的には三十路に近いあるいは三十路越えと思われた。愛嬌があれば、年齢のマイナスは折り返せるのにとぽんこつマンは思った。

いつものようにシャンプーをしてもらおうとすると、すごく面倒な顔をするし、ベッドの上ではただのマグロ状態での挿入だったので、タイ語で会話を交わすこともなく、ひたすら突きまくってフィニッシュして、さっさと部屋を出た。部屋を出る際にチップを要求してきたが、「マイイム、マイミーチャイボリガーン、タンマイハイチップダイナカップ💢」(微笑まない、全くサービスがない、でなんでチップを渡す気になるの💢)とタイ語で伝えて足早に外へ出た。

その後ナタリーに行くことは2度となくなった。明らかに、その時は店側の買い手市場だったと言える状況だったが、もしかすると今見ている子がすぐに誰かに持っていかれるのではないかとの心理が働く時は、どうしても失敗するものだ。めぼしい子を2〜3人見つけられない時は、他の店を覗くのも良いと知った時だった。

今でもなぜあそこまで日本人に人気があったのかということの真相は不明だが、もしかしたら、2016年の摘発の理由になっている18歳未満の少女を働かせていた(処女を売り物にした売春斡旋行為があった)のかもしれないと思える。

確かに、2016年ごろに、チェンマイのチェンマイランドにあったとされる、中学生(処女)を紹介すると噂のあった見かけ上普通のカラオケ店も摘発を受けて、経営者が逮捕されたというニュースが日本語タウン誌に小さく載っていたことを思い出す。

タイが2014年軍によるクーデターで政権が奪われるまでは、そんな摘発の話はミャンマーやラオス、カンボジア国境の麻薬密売ばかりだったが、18歳未満の売春などの摘発は明らかに必要悪として見逃されてきたのだろう。

お金がないと農薬どころか苗すら買えない貧農の娘は、就学途中でもなんでも親に売り飛ばされていたのが今から15年くらい前まではあったということだろう。いや実は今もそんな状況がゼロになってはいないのかもしれない。

最近は、タイでもヨーロッパやオセアニアの国のように売春を合法化しようとする動きがあるようだが、そうしたからといって18歳未満の売春がなくなるということはないだろうとぽんこつマンは思う。

バンコク・ラマ9世通りLa Defenseというマッサージパーラとその裏手にあるキャサリンを覗いてみた

ぽんこつマンは、一時期タイにあるマッサージパーラーの中で覗いてみたい店をリストアップしていた時がある。それは今からすでに5〜6年前以上昔であるが、3泊4日くらいのスケジュールでバンコクのマッサージパーラーで気になる店を回ってみた時がある。

GrabThailand(https://www.grab.com/th/en/)がいつから使える様になったかはよく分からないが、ぽんこつマンがバンコクのMPを回った時は、まだGrabなんて無く、タクシーで移動しやすく、帰りも簡単にタクシーを拾えるところという条件があった。

その意味でLa Defense はラマ9世通りという幹線に面していてタクシーはひっきりなしに通るからLa Defenseの裏手に100mちょっと離れてあるキャサリンも同時に覗きに行ける絶好のロケーションであった。

もうすでになくなってしまったサイトで、バンコクのMPの姫たちの顔写真がアップされているサイトがあり、La Defenseの姫も多くアップされていた。MP遊びは、顔だけで選ぶと失敗するケースが多いことはすでに体験済みだったが、やはり第一印象は顔が好みかどうかで選択肢を絞ることになる。

La Defenseのオープン時間は正午12:00となっている様だったので、ぽんこつマンは4時くらいに店に入れるようにとその日はまずアソークから地下鉄でスティサン駅まで行き、午後2時頃にポセイドンを覗いてみた。その時間だとやはり金魚鉢には5〜6人の姫しかいない状態だったが、アジア系(離れて座っている同士で大きな声で韓国語らしき言葉で話していたから多分韓国人)の客が3〜4人金魚鉢の前のソファーにふんぞり返って横柄な態度で座り、アイスコーヒーをちびちび飲みながら新しい姫が金魚鉢に入ってくるのをずいぶん長く待っているようだった。

ということで早々に、ポセイドンを後にし、ラチャダピセーク通りをホイクワーンに向かって歩いた。ソンブーンシーフードホイクワーン店の前を通り、ハイクラスというMPの前まで行ったが、なんと無くイマイチな印象があり、中に入らずパスした。

さらに、南へ歩いて当時日本人に人気が高いと言われていたナタリー(2016年現在の軍政府によって摘発を受け営業停止中)を覗いたが、ぽんこつ漫画そそられる姫はその時居なかった。コンチアが近づいて来て一生懸命姫を押してくるが、値段が高い割に、年齢がずいぶん高い感じだったのでその時はパスした。(後に物は試しと改めて突入したが、その時の話は改めて書くこととする)

ポセイドンに立ち寄ってからナタリーまで1kmほど歩いたので汗びっしょりになっていた。エメラルドホテルの前にある歩道橋を渡って、ラチャダピセーク通りを反対側に移動し、タクシーを拾った。時間は午後3時を回っていて、向かったLa Defenseには午後4時前には着ける感じだった。

タクシーは、ワッタナータム通りを南下し、ラマ9世通りを左折して物の10分ほどでLa Defenseの前に止まった。ぽんこつマンは料金を払ってすぐに降りた。La Defenseの前の道路は中央の高架の側道で、MPのエントランスが直ぐに見える。

エントランスを入ると、コンチアがお出迎え。サイドラインの女の子がすぐに目に入る。ほぼ全員色白で可愛くスタイルも良い感じは、もうなくなってしまったサイトにある感じとレベルが合っていた。金魚鉢の方はと眺めてみると色白は同じだが少し年齢が上なのかぽっちゃり気味がきになる感じだった。

この店は、タイ人が主な客筋ということらしく、生尺、クンニ、指マン、2回戦がデフォルトになっているとの噂があったが、ポセイドンに比べてやはり値段はかなり高めの設定だった。SLの姫でめちゃくちゃ良いなと思える娘がいたが、コンチアに値段を聞くと5000と言っていたので、論外と判断してLa Defenseを後にして、後ろにあるキャサリンに歩いて行った。

キャサリンはLa Defenseと比べると、明らかに姫の質がかなり落ちる印象だった。値段を確認するまでも無く、引き返した。もう一度La Defenseを覗いたらさっき居た娘の姿は無くなっていて、その日はMP遊びは無しになった。

時刻は5時に近くなっていたのでLa Defenseの前からタクシーを拾って、ナナプラザのバービアに飲みにいくことにした。

バンコクペップリー通りにあるマッサージパーラーメリーエンターテインメント

ぽんこつマンが頻繁にバンコクへ出かけるようになった頃、よくインターネットでタイにあるマッサージパーラーの情報を一生懸命調べたことがある。当時は、よく「外道の細道」というサイトを参考にさせてもらった(最近はあまり更新されていないようだが、まだ閉鎖はされていないようだ)。また既にいくつも閉鎖されてしまったサイトを見て、ぽんこつマンなりにいくつかのMPを回ってみようとリストアップしていた。

ぽんこつマンのリストアップは、タマダーの女の子の料金が安いMPがメインであったが、気になる記事がある店もリストアップしていた。その中でペップリ通りにある店としてはメリーとエビータという2つ向かい合うMPが特に気になっていた。

メリーに行ってみたのは今からもう5〜6年前のことだと思うが、バンコク市内のスクンビットソイ19にあるサチャズ ホテル ウノ(https://www.sachashotel.com)<10月17日現在現在臨時休業中>に泊まっていて、そこからタクシーでラチャダピセーク通りを北上し、ペップリ通りを右折してMPエビータのあるところの近くの歩道橋でタクシーを降りて、タクシーが行きさるのを確認してペップリ通りを渡って徒歩でメリーに入った。

ぽんこつマンがメリーのエントランスを入った時刻は大体一番女の子が揃う時間といわれていた夕方の5時頃だったと思う。エントランスからまっすぐに廊下があり右側にサイドラインの女の子が座っている長いソファーがあったような気がするが、右手奥に一段と明るい金魚鉢が目に入りそこに吸い寄せられるように進んでいった。

金魚鉢の脇にコンチアがいて、金魚鉢の姫は1400バーツ、1800バーツ、サイドラインは90分で2000バーツと言っていたような気がする。ホイクワーンのポセイドンのタマダーが2000バーツからのスタートだったという記憶があり、やはり安いという印象だった。

ぽんこつマンは金魚鉢の中にいる姫の中でふたりに絞ってコンチアにどっちが性格がいいか、サービスが上手かを訊いたら顔はそれほど可愛いわけでは無いが、色白の肌でボディーラインが綺麗な姫を押してくれた。

やっぱりMPで顔を基準に即断するのは、誤りを犯しやすいということかと勝手に思ったが、部屋に入ってからのサービスは悪くはなかった。部屋はポセイドンのような広さは無く、チェンマイのSAYURI 並と言うべき広さだったと思うが、お湯を湯船に張る間、小さなソファーにぴったり身体を寄せて座って、「サワディーカー」と挨拶をする。そしてぽんこつマンのパンツのベルトを緩めに来る。ぽんこつマンは「クンチューアライカップ?」(名前はなんて言うの?)「バンノークコンクンティーナイカップ?」(田舎はどこ?)と極々ありきたりの質問をして彼女の仕事を少し遅らせてみる。

それでもいつの間にかぽんこつマンのパンツは足首まで降ろされて、ぽんこつマンがシャツを脱ぎパンツだけになると彼女がぽんこつマンのシャツとズボンをハンガーに綺麗に掛けて自分も衣装を脱いでスッポンポンになった。そしてぽんこつマンの前にしゃがみ、ぽんこつマンのパンツをゆっくりと降ろしてぽんこつマンもスッポンポンにする。

その時は、ぽんこつまんのお◯んちんはまだ完全に大きくはなっていなかったが、姫はその逸物を眺め、うふっと軽くはにかみ、笑みを浮かべた。「アニーレックパイマイ?」(これ小さすぎ?)と訊いてみると姫は「マイ、マイナ、ピューカウマーク」(いいえ、いいえ、肌がとっても白いです)と話を逸らす。

そうしてお湯が湯船に貯まるのを待つ間に、二人の心の距離は少し縮まっていた。姫がお湯に手を入れて温度を確かめるが、首を捻って「コンイープンショーブナームローンチャイマイ?」(日本人は暑いお湯が好きですよね?)と訊いてくる。そしてお湯が熱くないと言う。

ぽんこつマンも温度を確かめたが確かに日本人にはあったかいとも感じない程度の温度でしかなかったが、「マイペンライカップ」と彼女に行って湯船に浸かることにした。まるで真夏のサイパンの海の温度の様にぬるいと感じる33〜35度の温度だと思った。

彼女がぽんこつマンの身体を洗う間もお湯だけの蛇口だけ開けていても一向に暖かくはならない。彼女は健気にそして丁寧にぽんこつマンの身体全体一度を洗い、ぽんこつマンのお◯んちんと玉袋をもう一度刺激するためにぽんこつマンを立たせて、その部分に改めてボディーシャンプーを泡だてて、マッサージを始める。

彼女の手の動きがぽんこつまんの亀頭のカリをうまく刺激する。もう一方の手で玉袋の裏筋をの少し前あたりから陰茎の付け根辺りに向かってローリングしながら前に動かしてくる。そのマッサージで、ぽんこつマンのその逸物は一旦完全に勃起した。「ヤイナ」(おっきいい)と彼女は言うが、ぽんこつマンはそれをそんなに大きいとは思っていない。

いつものシャンプーのサービスをお願いしてから湯船を出てベッドに向かったが、ベッドでもう一度彼女のぽんこつマンの股間へのマッサージが始まる。最初は手で、そして次はリップ、さらにディープスロートでその逸物の勃起は長時間続いた。

それから、その逸物に口に咥えたコンドームを装着した後に、姫は後背座位の体制で彼女の膣口に当ててゆっくりと腰を沈めていく。姫は膣口を締めているのだろうかと思うほど、ぽんこつマンの肉茎は、膣襞からの刺激を受けた。姫が沈み切ったと思うと同時に彼女は「アウッ」と吐息を漏らし、背中を反らせたかと思いきや、腰を上下に動かし始める。

膣口がぽんこつマンの肉茎の根本を絞め詰めてくる。彼女の膣の奥にあるコリッとした部分がぽんこつマンの亀頭に刺激を与える。5分ぐらいその体位が続いた後、彼女はドギースタイルになりぽんこつマンが突き上げるのを待つ姿勢になる。ぽんこつマンは彼女の左腰骨を左手で掴み、右手は彼女の尾骶骨上にある背骨の始まりの辺りを手の平の小指球という部分でグリグリとローリングしながら、肉茎を姫の裏Gスポット辺りを突き上げる様に腰を前後した。

彼女のヨガリ声が徐々に大きく速くなったのをきっかけに、ぽんこつマンは彼女を仰向けにし、屈曲位で彼女の足を肩に抱えて、上から下へ肉棒を突き下ろした。そのピストンの動きはこれまで以上に速く強く打ち込む様に続けた。

やがてぽんこつマンはフィニッシュを迎え、彼女と一旦離れて仰向けになった。しばらくして彼女はスペルマの溜まったコンドームをティッシュで拭い、顕になった亀頭に口を近づけ舌と唇使って残ったわずかな液体を啜り上げた。そしてぽんこつマンをうつ伏せにしてぽんこつマンのお尻に座って背中と太ももそしてふくらはぎのマッサージをしてくれた。

一通りの行程が終わってぽんこつマンは部屋に頼んで放置したままのビールをグラスに注いで飲んだ。そしてソファーで裸で寄り添いながら過ぎていく時間を静かに過ごした。最後にもう一度シャワーで身体を流して、部屋を出る。

ぽんこつマンがメリーを訪れたのは多分1月でバンコクでも暑い季節ではなかったこともあるとは思うが、ただ1つ風呂のお湯の温度が日本人好みの熱さまで届かず、生温い程度しか暖まらないところは少し残念だっただけで、コンチアが押してくれた姫のサービスはぽんこつマンには充分だった。

ぽんこつマンのバンコクの定宿は、スクンビットソイ19からソイ23までのアソークエリアなので、メリーは近くは無かった。しかしお湯の温度さえもう少し日本人の好きな温度になっていれば、それ以降何度も訪れたと思うが、あれ以来はもう足を向けていない。

バンコクのMPも摘発や業績不振でかかなり廃業しているらしいが、メリーは今も営業している様で、今は良かったと思う。またバンコクに行ける様になったら是非もう一度行ってみようと思っている。しかし、もう1800バーツじゃ難しいだろうけどね。

ピン川左岸にあるThe Gallery というチェンマイのデートスポット

ピン川左岸には、チェンマイのローカル娘に人気が高いレストランが多いが、リバーサイド、グッドビューとは少し趣を異にする、しっとり静かで落ち着いた時間を過ごせる大人なレストラン The Gallery がある。

このレストランはヒラリーとビル・クリントンが訪問して有名になったという話もあるほどで、その神秘的・幻想的エントランス内のアート作品があるがギャラリースペースの雰囲気にも引き込まれる魅力があるとぽんこつマンは思う。

グッドビューやリバーサイドのようにバンド演奏があってノリの良い音楽と豊富なカクテルがあるわけでは無く、あくまでピン川の緩やかな流れを眺めながら静かに食事を楽しむ場所としてぽんこつマンは使っている。

料理は基本タイ料理がメインだが、その盛り付けにはアートを感じる一皿があるのも思い出の1つになる。営業は正午0:00から午後10:00までらしい。混んでいない時間帯は接客もそれなりにきちんとしているせいか欧米人の客が多いのも頷ける。

タイ人の中には料理が料金の割にイマイチという評価もあるようだが、多分値段設定が「タイ人価格からすると信じられないくらい高い」からという理由が大きいと思う。日本のタイ料理屋で食べるタイ料理の価格からしては、特に高いと思うほどの値段ではないのだが、何となくタイ人相手の商売をしていないということが伝わるのだろう。

ただ、昼の時間にちょっとコーヒーとデザートをピン川を眺めながら静かな大人の時間を過ごすには絶好のロケーションだと言える。

ぽんこつマンは、まずそのロケーションがロマンチックであることが一番大事なのだ。タイ人のモデルクラスの女の子を連れてきて、果たして彼女が料理の味に敏感に反応するようならその娘の出身がそれほど名家ではないということかもしれない。そもそも、タイに世界に誇れる金満家はいても、名家などいないとも思うが(現在の国王家も高々300年未満)……..。

ぽんこつマンは金満家でも無くただの女の尻を追うだけの下衆の一人だが、なぜか気持ちは崇高な所にいつも置いているので、デートスポットの評価には、その場の雰囲気が一番重要なポイントになるのだ。

チェンマイピン川左岸にあるグッドビューというデートスポット

市内からチャローンムアン通り(ターペー通り)を東へ進み、ナラワット橋を渡った交差点を左折すると、まず川面を観ながらゆっくりできるカフェワーウィーがある。さらに進むとDeck 1というレストラン(現在臨時休業中)がある。そしてリバーサイド・バー&レストランがあって、さらに80mくらい進むとThe Good View Bar And Restaurant(http://www.goodview.co.th/2019/)がある。

ここは、何でも1996年の1月にオープンしたようで午前10時から深夜1時まで開店しているらしい。ぽんこつマンはいつも夕方、陽が落ちる前の時間から川沿いのテーブルに座るのが好きだ。料理はタイ料理、日本料理、中華料理、西欧料理とバラエティーに富んでいて、チョイスに迷うほどだ。チェンマイ市内で女の子をナンパしてディナーデートの約束ができたら、チョイスして見て悪くない場所だ。

そのムーディーさに惹かれてチェンマイローカルだけで無く、欧米人や中国人、韓国人などのツーリストも頻繁に訪れる場所になっていて、このピン川左岸のグッドビューはいつも混んでいる。

グッドビューはその人気から、チェンマイ市内から南西側、メーリム – ハンドン線を南下して3029号線を左折して200mくらい進んだ所に、The Good View Village Restaurant &Karaokeという広大なレストランをもオープンさせている。こちらは、チェンマイナイトサファリ動物園からもそれほど遠くは無く、親族パーティーや、家族同士の親睦会、職場グループでのパーティーなどに頻繁に利用されているようだ。

しかしながらこちらは17時からのオープンでディナータイムだけの営業のようで、事前予約しないで行くと、エントランスでの受付となり、かなり長い間テーブルが空くのを待つ必要があるようだ。

エントランスの前に広大な駐車場があるが、週末はいつもいっぱいになるくらいの賑わいぶりに驚くほどだ。ここのステージには時にはタイのスターたちが出演することもあるらしい。

とにかくここはテーマパークのように広い。一度席を立ってトイレに行くとステージやショップが目に入って席に戻るまで時間がかかる。ウェイトレスも可愛い子が多くキビキビと笑顔を絶やさず働いている姿に見とれているとどうしても席に戻るのが遅くなってしまう。とにかくそこは、迷子になってしまう子供や老人もきっといることだろうと思う広さだ。ウイスキーやワインも持ち込み料は掛かるが気に入ったお酒を持ち込んで飲むのもアリなのだ。たまにバイクツーリングのグループが集まってきたりもする。

しばらくグッドビューには行けていないが、今度チェンマイに行けた時にさてどちらのグッドビューに誰と先に行きたいかよく考えておこう。

チェンマイならではのローカル料理を味わえるフアン・スーンタリィ

チェンマイの言葉はバンコクの言葉とかなり違うところがある。チェンマイ女性が「こんにちは」という時はサワディーカーではなく、「サワディーチャーウ」となったり、バンコクで20のことは「イーシップ」と言うがチェンマイでは「サオ」と言ったりする。「マイペンライ」も「ボッペンニャン」となる。「ボッペンニャン」の「ボッ」は否定を表すタイ語の「マイ」として他の会話でもよく使われている。ぽんこつマンはしばしばチェンマイを訪れタイ語を少しずつ覚えていったが、先にあるような確かに典型的な言葉の違いはわかっているつもりで、バンコクのタイ人とタイ語で会話した時、やはりチェンマイ 訛りがあると言われた経験がある。微妙なイントネーションの違いや発声の違いがあるのだろう。

そんなチェンマイ出身のランナー・カミンというシンガーソングライターの曲が好きでよく聞いていた時代がある。その歌には確かにチェンマイ 訛りに使われる幾つかの言葉があって、曲奏もなんとなく郷愁をそそる楽器とメロディーで進行するものが多い。

彼女のGRAMMYからのファーストアルバムにある ไว้ใจ๋ได้กา「ワイ・ヂャイ・ダイ・ガー」という曲があるが、この曲にある最後のガー(カー)というのはバンコクでも親しい間柄ではよく使われる疑問形のmai?と同じように〜ka?と使うもので、ไว้ใจ๋ได้กา「ワイ・ヂャイ・ダイ・ガー」東京弁で「信じれんの?」関西弁で「信じれるん?」のようなものだと思う。

発音は男性の「〜カップ」にあたる女性の「〜カー」とは違っていて、あまり長く伸ばさないし関西弁で「行くんか」と訊くときの「か」の音に近いと思う。女性も男性も普通の会話ではよく使っているとぽんこつマンは思う。

チェンマイという街の名前は、CHIANG(都) MAI(新)で新しい都という意味で、1262年にライ王がチェンライに都を定めたラーンナー王朝の4回目の遷都先とされ都が築かれたとされているようだ。ラーンナーとはล้านนา(百万の田)を意味するらしく、チェンマイがラーンナー朝の都となっていた時期は1296年〜1775年までと長く、その後は現タイチャクリ王朝の朝貢国となったとされている。

それ故にチェンマイ には今もランナー時代の独特な遺跡や文化があるようで、料理もチェンマイ独特のものがいくつもある。そんなチェンマイ料理を味わえるレストランが、GRAMMYの歌手としてデビューしたランナー・カミンの母が経営する、Huan Soontaree(フアン・スーンタリィ)だ。

市内からかなり離れているので、メータータクシーかGrab Car を利用してくることになるが、その分対岸からの騒音も高い建物も近くに無く20時を過ぎれば、空は漆黒に包まれる。

基本はタイ料理だが、チェンマイ独特の料理も数多くある。永き昔から身体に良いとされるハーブが豊富に使われていて、ぽんこつマンにはかなり厳しい味もあるが、ケーンハングレー(豚の角煮カレーソース)というチェンマイ料理は日本人にも無理なく食べられると思う。

雨季はピン川そばに置かれたテーブルで月と星を眺めながらの食事は難しいが、乾季になれば月や星を眺めながら郷愁を誘う音楽とラーンナーの文化の香り漂う料理を堪能できる特別な店の1つだ。乾季はチェンマイのハイシーズンになり、この店も予約がないと厳しいかもしれないので、特にロイクラトン(コムロイ)祭りの時は特に混雑すると思われるので注意してほしい。

もしチェンマイにやって来て、品のあるチェンマイ美女・美男子と知り合い、一緒に食事をして二人の距離を縮めたいという事があれば、是非利用することをお勧めする。

チェンマイの庶民飯といえば、やっぱりカオソイ

ぽんこつマンがチェンマイにいる時、早い時間に朝ごはんを食べることはほぼ無くなった。単に食が細くなったとも言えるのだが、外出時は歩く事があるバンコクにいる時ですらコーヒーとヨーグルトで済ませることが多いのに、いつも出かけるときは車で歩く事が限りなく少ないチェンマイではコーヒーだけの朝がほとんどなのだ。

それでも午前10時半くらいになると少し腹が空く時もある。大概は連れ合いが昼飯を作ってくれるのだが、たまには外で遅い朝飯というか早い昼飯を食べようということになる。そしてぽんこつマンがまず最初に思いつくのが、ココナッツミルクが効いたカレーラーメン、チェンマイ でカオソイと言われる麺料理だ。

バンコクでカオソイを食べようとしてもカオソイを提供している麺屋は多くはないが、チェンマイではカオソイを専門に出している店が多くある。市の中心から10km半径内にカオソイを提供する店は20店舗以上がGoogle Mapで表示される。中でも4点以上の評価がある店がなんと18店舗もあるのだ。

ぽんこつマンがカオソイを食べる店は昔から決まっていて、カオソーイ ラムドゥアン(https://www.facebook.com/khaosoilamduan)という店だ。カオソイはミャンマーを経由して対に南下して入って来たムスリムの人々の料理だと聞いた事があり、ココナッツミルクの効いたカレーソースに平打ち卵麺が入っていて、その麺の上にその面を揚げた麺が乗り、さらに煮込んだ鳥のドラムスティックが載っているものが一般的だ。ムスリムの人々は宗教上豚肉を食べないので鳥ではない場合でも牛肉のチョイスがある店は多い。しかしカオソーイ ラムドゥアンにはカオソイムー(豚肉乗せカオソイ)もあるし、何よりムーサテー(豚の串焼き)も注文可能なのだ。

メニューもタイ語、英語、中国語、日本語もある。朝の9時から夕方16時までの営業だが、朝早い時間はムーサテーがまだ準備できていない事が多い。ムーサテーは甘めのピーナッツとゴマのペーストをつけて食べる。カオソイには好みに合わせてタイ産レモン(マナウ)を絞って入れたり、紫玉ねぎ?(エシャロット)を入れたり、レッドペッパーを油で絡めたペストを落としたりと味変ができる。スープがなくなり次第閉店のようなので、15時を過ぎてしまっていることもあるので注意が必要だ。

客層は、チェンマイロコが多いが、バンコクからの観光客や海外からの観光客もかなり多い。ぽんこつマンも、日本の友人がチェンマイに来たときは必ず一度はこの店に連れてくる事にしている。タイの辛い料理が苦手な人でもココナッツミルク入りのカレー味は美味しく食べれるようで、好評だ。

店の位置はしないから少し離れているが、目の前にはX2 チェンマイ リバーサイド リゾートhttps://crosshotelsandresorts.com/x2/resorts/x2-chiang-mai-riverside-resort)があり、ピン川を眺めながらのリゾートライフを楽しめる5つ星ホテルになっているらしい。チェンマイにもGrab carサービスやメータータクシーがあるので目的地への移動も大変ではないと思える。

川の対岸にもぽんこつマンがよく行くメーペンシーフードがあって、そのリゾートからも歩いて行ける距離にある。ハロウィーンが終わり11月に入ったらチェンマイに乾季がやって来て、朝晩が過ごしやすい気候になる。そしてチェンマイのロイクラトン祭りも2020年は10月31日に決定したようだ。

流石に今年のロイクラトンには、一般人は日本から出かける事ができないが1日も早く、タイ民間航空局が、現在も制限している空路を解放することを願わずにはいられない。

チェンマイ で旨いカウマンガイ屋

タイご飯でポピュラーな料理はいくつかあるが、辛くはなく日本人のほとんどの人が食べられるものの1つにカオマンガイがある。ぽんこつマンもチェンマイに訪れるようになって最初の頃によく出掛けた昼飯処が、城郭内の旧市街にある Intrawarorot Rd.である。

そこは、クイッティアオ、バーミー、カオソイ(タイ式カレーラーメン)などの麺料理屋カオマンガイ屋が軒を並べる通りで、昼時はローカルが車でやって来て周囲の道路に止めることができず、駐車禁止エリアに罰金覚悟で止める車が出るほどの人気エリアだ。

城壁内の旧市内には、ワットプラシン、ワットチャディルアン、ワットチェンマンなどの文化遺産も多く、ホテルやゲストハウスも多数あるため、当然タイ国内外からの旅行者もタイの庶民の味を味わおうと多くやってくる。

今はコロナ禍の影響で海外からの旅行者が来れなくなっているので、今も営業を続けている店は少なくなっているようだが、中でもキアットオーシャー(發清 เกียรติโอชา)は1957年創業の老舗で、ぽんこつマンも何度も訪れていたが、2020年6月に撮影されたGoogle ストリートビューではシャッターが閉まっているので、閉店してしまったのではと気になっている。

この店は王妃が以前来店されたそうでチェンマイ1のカオマンガイ専門店との評判の店だが、2軒西側にある「発栄」という店もかなり旨いと評判だった。

蒸しカウマンガイは生姜が効いたタレをスプーンですくってチキンスープで炊いたご飯にかけて鶏肉と一緒に口に運ぶが、揚げカウマンガイは少し甘いピリ辛ソースに揚げ鳥をつけて食べる。カウマンガイを注文すると、付いてくるスープも旨い。少し遅い朝飯にはもってこいのタイの庶民飯だ。

タイ民間航空局が現在の飛行制限を解除してたいへのフライトが叶うようになったら、是非改めてこのチェンマイの庶民飯屋街に行ってみよう。この通りから1km以内にタイ国際航空のチェンマイ支店があるが、時期や時間帯によっては、そこでトレーニーで働く若くて初々しい女の子に会える時があるかもしれない。

チェンマイ市内ピン川沿いのデートスポット①リバーサイド

2003年、今からもう17年前ぽんこつマンは、タイの第2の都市チェンマイへ2度目の訪問をした。2001年か2002年に離婚し独りの身になったぽんこつマンは、それまで以上にアジアでの風俗体験に興味が膨らんでいて、2日3日の休暇を土日に絡めてよくタイに向かうようになっていた。それまではバンコクが圧倒的に多かったが、なんとなく「タイ第2の都市」「タイの赤い薔薇」というフレーズに惹かれてチェンマイ での風俗探索をしようとしたのだった。

チェンマイの宿は、当時はジョイナーフィーが不要となっていたインペリアルペイピンホテル(http://www.imperialmaeping.com)<現在、臨時休業>を好んで選んでいた。近くにはバービアやマッサージ屋が多く並ぶ、ロイコー通りがあり、多くの初老の白人が昼間から一杯やっている姿に憧れを感じたのだった。

ホテルの車両入り口を一歩出るとカンパングディン通りがありそこにもマッサージ屋(多分エロマッサージ)やバービアがあり、昼間から呼び込みがあったことを思い出す。当時からチェンマイの風俗遊びといえば、ゴーゴーバーではなく、マッサージパーラーかカラオケが主流のようでぽんこつマンは昼間にマッサージパーラーに行き、夜はバービアかカラオケというパターンで行動した。

カラオケは当時手に入る情報ではチェンマイランドというエリアにあるオリビア2という店がいいという噂があり、チェンマイに到着した2日目の夜にトゥクトゥクで出かけた。オリビア2の隣にはKITAMONDという焼肉屋(和食メニューもある)があり、オリビア2の経営者がその焼肉屋もやっているとの話だった。

オリビア2の前にトゥクトゥクで着いたのは19:00をまわった頃で既に店の前には2〜3人の女の子が顔見せしていただろうか。飯を食べていなかったのでまずKITAMONDに入って、情報収集を兼ねて食事をした。その時はまだ店内に客はほとんどいなかった。店主かどうかわからなかったが初老の日本語を話す眼鏡の男性が接客してくれたことを思い出す。

今Googleのストリートビューで見ると北門(KITAMOND)は今もあるようだが、オリビア2は見当たらない(取り壊されているようだ)。はっきり言ってチェンマイランドというエリアもどんどん寂れて行っていて、2010年頃、処女を斡旋している店が摘発を受けたというニュースが流れて以降、カラオケ店の看板がどんどん消えて行ったのを覚えている。

その日は、北門で軽く食事を済ませた後、隣にあったオリビア2に突入した。入り口を入ると左手に女の子がずらりと20人は並んで座っていてそこだけが明るく照明されている。その中から好みの女の子を選んでベンチシート席でお酒を飲むもよし、カラオケを唄うも良し、そのままペイバーして直ぐにホテルへ連れて行ってもよしとママらしき女性から日本語で説明された。

ぽんこつマンは、身体が大作りではない華奢な感じの女の子が好きだったが、ちょうど長いコーナーソファーの真ん中あたりに座っていた女の子がそのタイプだった。ママにその子を選ぶと伝えて少し飲んでいくことにした。

周囲に仕切りがあって他の客が何をしているかが見えない作りになったベンチシートに座る。一応カラオケというので唄の本とマイクは用意されたが、ぽんこつマンは唄には全く興味がなく、女の子とスキンシップしたかっただけだった。

彼女の名前はK◯◯◯、年齢は26歳と言っていたが、見た感じはもっと若い印象だった。ぽんこつマンはビアチャンを頼んだ。彼女はぽんこつマンに身体を寄せてきて、モモとモモが触れ合う感じに接近した。彼女は手をぽんこつマンの膝にあて、カタコトの日本語で「ウタウタワナイカ?」と訊いてくる。「唄わないよ」と応えると「ソウカ、ソウナノカ」と返してくる。

ぽんこつマンは、彼女の腰に手を回しビールを飲んだ。彼女はコーラを頼んで飲んでいた。ベンチシートがあるエリアはほぼ真っ暗で仕切りもあるからエロい事をしても問題なさそうだったが、ぽんこつマンは、静かにビールを飲んでいた。

40分ぐらいベンチシートでビールを飲んでいたが、トイレに立って戻ってくる時、ママが近づいてきて、ペイバーするかどうかを訊いてくる。ぽんこつマンは既に彼女のことを気に入っていたので、ロングでペイバーしようと考えていたが、当時はペイバーそのものがロングしかなかったのだった。

席に戻るとママもやってきてKにタイ語で一言二言話すと、Kは立ち上がって「キガエテクルネ」とその場を去った。暫くして戻ってきた彼女はヘソが見えるノースリーブシャツとジーンズ姿だったことを覚えている。当時のペーバー代は2000バーツだった気がする。

店の外に出ると彼女は「オナカスイタ」という。そこでぽんこつマンは「どこかいいムードの店に連れて行って」と彼女に伝えた。すると彼女はトゥクトゥクを携帯で呼んでチェンマイランドエリアを後にした。

トゥクトゥクはチャンクラン通りを北上し、スリドンチャイ通りを右折、チェンマイプラザホテル前を通り、T字路を左折してチェンマイの観光名所になっているピン川にかかるクアレック橋を渡ってピン川左岸の道を北上する。信号を直進して、暫く走った先でトゥクトゥクは止まった。

そこが、当時のチェンマイ娘には人気のエリアにあるThe Riverside Bar & Restaurantだった。彼女は顔が効くのか、店に着いた時はほぼ満席だったが、店内のテーブルに直ぐに案内された。さすがにピン川沿いのテーブルではなかったが、川面が見渡せる雰囲気の良い席っだった。

もしここを訪れるなら日没の少し前に席に着ける時間帯がベストだろう。ドイステープの向こうに陽が沈み、オレンジからパープルに変化する空と水面に映る河岸の光が、ロマンチックな気分を盛り上げてくれることだろう。ディナークルーズ船も予約すれば乗船できるらしい。

ぽんこつマンはオリビア2に行く前に軽く食事をしていたので、ウイスキーとトートマンクン(エビのすり身揚げ)を頂いた。彼女はプーニムパッポンカリー(ソフトシェルクラブのパッポンカリー)とパクブーンファイデーン(空芯菜炒め)とご飯を頼んだ。

彼女は、サンカンペーンに住んでいること、既に小さな娘が一人いること、その子の父親は、娘が生まれる前に逃げたこと、今は母親が娘の面倒を見ていることなどを話してくれた。

その日は、夜の23時くらいまでリバーサイドにいて、それから今はもうなくなってしまっているがぽんこつマンが泊まっていたホテルの近くにあったディスコに行った。彼女はそこで初めてコークハイを飲み、かなりハードに踊っていた。

午前1時にホテルに戻り、それからふたりはお互いの身体を確かめ合った。ぽんこつマンは既にかなり酔っていたが、彼女の膣の締まりがすごく良かったことははっきりと覚えている。翌朝ホテルで朝食をとり、もう一度部屋に戻って締まりのいい膣の感触を味わった。

昼になり彼女は帰るというので、ぽんこつマンも一緒に行っていいかと訊いたら、「OK」と直ぐに返事をくれたので彼女が呼んだトゥクトゥクに乗ってサンカンペーンの家に行った。料金はわずかに40バーツ。ぽんこつマンはチェンマイの市内を移動するだけで60−80バーツいつも要求されていたのでローカルが利用するトゥクトゥクの料金がいかに安いのかを思い知った。

家は古い木造で母親が2歳ぐらいの女の子をあやしていた。彼女の母親はぽんこつマンに水を差し出してくれたが当時は生水を飲むとお腹を壊すと言われていたので、唇はつけたもののガブガブとは飲まなかった。水と一緒に出されたマンゴスチンは2個食べた。チェンマイの一軒家にはいくつかの果物の木があるのが一般的で、自宅でその時取れる果物を出してくれたんだろう。

暫く彼女の家にいて、夕方5時前に彼女がオリビア2にまた出勤するというので、一緒にチェンマイまで戻ってきた。彼女は店に行く前に店の近くの美容室で髪を洗うと言っていたので、ぽんこつマンは先にホテルで降りて彼女にトゥクトゥクの料金として200バーツ渡して別れた。

彼女にはその後2度ほどチェンマイ で会い、チェンマイの新興住宅地を巡ったこともあったが、結果的にそれ以上関係が発展することはなかった。リバーサイドでのロマンチックなデートの時間は今も鮮明に記憶している。あの時の彼女の娘は今頃ちょうど20歳くらいだ。

もし彼女との運命が蘇るとしたら、次に彼女の娘とチェンマイでそれもリバーサイドで出会うことになるかも知れないとぽんこつマンは勝手に夢を見ている。

チェンマイで初めてうまいと思ったケーキショップ

ぽんこつマンは一時期兵庫県芦屋に住んでいたことがあり、当時は阪神芦屋駅近くにあったアンリシャルパンティエのケーキを好んで食べていた。当時も今も日本のケーキは甘すぎず、しっとりとしていてアメリカのケーキとは比べものにならないほど美味しいと感じていたが、2000年以前のタイではまさにアメリカの甘いだけのパサパサケーキが主流だったため、好んでケーキをタイで食べようとは思っていなかった。

そんなぽんこつマンのタイケーキの概念を覆したのが、2004年に訪れたチェンマイのラブ アット ファースト バイト(https://www.facebook.com/loveatfirstbitecnx/)だった。2004年にはぽんこつマンは兵庫県三田という六甲山の裏にある新興住宅地に引っ越していて、そこにもサント・アン(https://www.saintan.com)という美味しいケーキ屋があり、ぽんこつマンはそこのサント・アン・トリュフというチョコレートクリームとココアパウダーのケーキがいちばんのお気に入りだった。

チェンマイのラブ アット ファースト バイトに訪れたきっかけは、今の連れ合いと付き合い始めた頃で、デートの場所として彼女に連れて行かれたのが最初だった。その店は1999年にオープンしたようで、昔は大きなお屋敷があった場所にケーキ工房を開いたようだ。イートインスペースは店内にもあるが天気の良い日は、大きな庭木が生茂るオープンエアのテーブルが人気だった。

タイでは既にケーキの値段は高額になっているが、ぽんこつマンがその店に行き始めた頃は、大体50バーツ前後だったと記憶している。カフェラテも50バーツ前後だったから、ふたりで概ね200バーツかせいぜい250バーツまでだったと思う。この頃は、バーミーナムが屋台で20−25バーツだったことを考えるとそれでもケーキやコーヒーは贅沢品だったんだろうと思う。

今やタイバンコクの名の通ったケーキ屋のケーキの値段はひとつ200バーツを超えているが兵庫県三田市にあるサント・アンのケーキは大体300円台と考えるとタイの方が遥かに高価なものになっている。

タイで日本の暮らしと変わらない生活水準を求めると明らかに日本より高額な費用がかかるようになっているが、なぜ国民の3%しかいない月給50000バーツ以上の高所得者でもないタイ人が200バーツ以上するケーキやスターバックスのコーヒーを頻繁に口にできるのかが不思議でならない。

日本で考えれば、20万円の月給で6万円の風呂なしアパートに住み、2000円以上するケーキや2000円以上するスタバのコーヒーを飲んでいるのと同じなのだが、2日に1回ケーキとコーヒーで5000円払っていたら、1ヶ月で7万5千円のお茶代を払っていることになる。電気代が月5000円出すんでも残りは6万円。携帯代1万円払うとすると残りは5万円しかない。

タイ人の暮らしぶりはお金のある時にパッと使って、お金がなくなれば5バーツのインスタント袋麺ひとつか5バーツで買える餅米で一日過ごすということのようだが、お金がないことにあまり不安を感じないとすれば、それはかなり得な性格と言って良いだろう。

長い間、ぽんこつマンはこのチェンマイのラブ アット ファースト バイトには行っていないが2018年当時は、まだケーキ1つ100バーツ前後だったようである。この価格帯なら、日本より高いとまでは言えないのだが、2020年の秋、極めてヒステリックなまでのタイ政府のコロナに対する入国禁止措置で外国人旅行者の姿がほとんど消えたチェンマイで、この店がまだ営業を続けられているのかが気になるところだ。

次にぽんこつマンがチェンマイにいつ行けるのかはまだ不明だが、もう一度このラブ アット ファースト バイト(最初の一口が好き)に若くて可愛いチェンマイ娘を誘って訪れてみたいと思っている。

チェンマイのマッサージパーラー②パンドラ

ぽんこつマンがこのマッサージパーラーを初めて訪れたのは2003年だったと思う。この年はチェンマイのチェンマイランドというカラオケ店が集まるエリアの探索に来た年で、システムの情報を何1つ知らないまま、オリビア2というカラオケにひとりで飛び込んで、Kと名乗る当時26歳の小さな娘をペイバーしたのだが、カラオケがオープンする時間は早くても19:00頃だろうと思い、昼の2時頃ホテルを出てトゥクトゥクでパンドラを訪ねたのであった。

パンドラは、SAYURI コンプレックスよりさらに市内から離れていて、タイ国鉄チェンマイ駅から5〜600mほどの北側に位置する。市内からの行き方はSAYURIコンプレックスへ行くのと同じ、チャロンムアン通り(ターペー通り)をピン川を渡り東へ進む。ピン川を渡って1km程進んだら右手にShell の大きなガスリンスタンドが見える。その先左手に、看板がたくさん並んだサインがあるところを左に入る。

そのMPの場所はすごく分かりにくいがチャロンムアン通り(ターペー通り)の入り口から奥へ250mほど入ると、長いビルのほぼ奥のあたりにそのMPのエントランスがある。

ぽんこつマンがそのエントランスを入った時は、まだ時間が早過ぎたのか女の子は数人いただけだったがひとり可愛い子がいた。女の子はまだ金魚鉢には入っていないようでエントランスで直接顔を見たのだったが、覚えたてのタイ語で話してみても、どうもぽんこつマンのタイ語が分からないらしく、コンチアの話では普段はタイ語を使わない部族ミャンマー国境やラオス国境の娘のようだった。当時の記憶は定かではないが1300か1400Baht払ったような記憶がある。

もしかしたらタイ人ではない隣国ミャンマーやラオス、娘たちだったのかも知れない。しかしカラオケに行くまでにまだ4時間くらいあったので、その可愛い黒髪の女の子を選んで部屋に上がった。もう部屋の様子は覚えていないが、こちらも当時はバンコクのMPと比べて貧相な作りだったと思う。

部屋で洋服を脱いで、お湯(かなり低めの生温い程度)を張った風呂にふたりで入り彼女の洗体サービスを受けるが、タイ語も通じないのでは英語も通じるわけもなく、ただただ意味もなく微笑み合うだけの時間が流れた。

シャンプーという言葉は何とかわかったみたいで、髪の毛も洗ってくれた。ぽんこつマンが彼女の年齢を訊こうとタイ語、英語や自分の年齢を指でジェスチャーするなどしたら彼女は同じく指のサインで2と4のサインを出し24歳のようだとわかった。

彼女のおっぱいは自然のままの張りもあり、形のいい美乳だった。ぽんこつマンはシリコンの乳は好きではないのだ。自然のままでまだ張りがあると言う事は、20歳を超えた女には珍しい事だ。もしかしたら男との肉体関係が必須のマッサージパーラーの仕事を始めてさほど日にちが経っていない嬢なのかもしれない。アジアの貧しい農家に生まれた娘が親が背負った借金のために売られてくると言う話を聞いたことがある。学校にも行けていない純真無垢な田舎娘がその運命を受け入れて健気に笑みを浮かべて働いているのかもと想像した。

しかし彼女は処女でこの仕事に入ったのではなさそうだった。よく見るとイン毛の上あたりの下っ腹が少しふっくらしていて、かすかなセルライトの線が何本か見えていた。きっと彼女は田舎で既に一度は妊娠・出産を経験していて、子供を彼女の田舎の両親のもとに預けてチェンマイに働きに来ているのだろうと思った。

ベッドでは、ゴムを付けてのフェラチオサービスから始まって、騎乗位での本番サービス、そして正常位になってのフィニッシュまでという流れだった。本番サービスが終わったら、彼女は冷たい手でぽんこつマンの太ももやふくらはぎ、そして背中の筋肉を解してくれるマッサージをしてくる。マッサージがうまい訳ではなかったが、一生懸命尽くそうとする気持ちはよくわかった。言葉が通じないが彼女の少しはにかむ笑顔は最高に可愛いと思った。マッサージが一通り終わって再度シャワーでぽんこつマンの身体を洗い流した後、決められた時間が来る少し前にぽんこつマンは部屋を出た。彼女にはぽんこつマンが勝手に想像した彼女の生い立ちの不憫さに500バーツのチップ(当時はMPで渡すチップは普通で200、サービスが悪いと100と決めていたのだが…)を渡したが、その時も一瞬驚き、最高の可愛い笑顔見せてぽんこつマンを送り出してくれた。

店の外へ出るとまだ陽はそこまで低くはないものの、かなり光線が弱くなっていた。道の奥は左に曲がっていてそこに大きなアパートがあるようだった。多分このアパートに多くの田舎からの出稼ぎ娘や男が一部屋に何人か集まって寝泊りしているのだろうと勝手な想像をしたことを思い出す。

ぽんこつマンは、歩いてそのアパートの前を通りさらにその先へと歩を進めた。高い建物はなく、時折通るバイクの音だけが残る静かな通り。道は少しうねりさらに先へと続いていた。ぽんこつマンはただおもむろにその道を真っ直ぐ進んだ。

1kmほど歩いただろうか、その道はT字路になり、右手にはSAYURI コンプレックスの黒字に黄色のタイ文字サインが見えた。ぽんこつマンは改めてSAYURIに向かい、金魚鉢を眺めに入ったが、その日は先ほどの可愛良い女の子を超える上玉を見つけることができなかった。

その後、SAYURIを出て左へ進み右手奥に高いコンドミニアムが見える方向へ歩いてみた。いくつかの行き止まりにあたり戻っては違う道を進んで、できるだけ夕陽が落ちる方向へ進むようにしていたら、ピン川沿いを走る道路に出た。そこには、この後行ったカラオケでペイバーした女の子と後日デートしたThe Riversideや今の連れ合いと出会ったThe Gallery Cafe、そして今の連れ合いと初めてデートしたGood Viewといったチェンマイでのデートスポットがひしめくエリアだった。

チェンマイのマッサージパーラー①SAYURI コンプレックス

ぽんこつマンが、チェンマイのSAYURI コンプレックスに初めて行ったのは、1998年のことだった。ゴルフクラブの新製品の広告宣伝のためのロケ地を探すという名目で、タイのチェンライからチェンマイとゴルフ場を回った時に、ツアーガイドをしてくれたドライバーに教えられてきたのが最初だった。

場所はしないから少し離れていて、チャロンムアン通り(ターペー通り)をピン川を渡り東へ右手にクルン体銀行がある交差点を左折して350mほど北上すると、黒地に黄色のタイ文字でSAYURIとかいてある看板が見えます。そこを左折すると50mほどで到着する。

一番最初に行った時は1800Baht だった気がするが、完全にガイドが一緒に金魚鉢がある場所まで案内してくれていたのでバックマージン込みの料金を言われたと思っている。タイ語が少しは話せるようになっていて3回目くらいに行った時は、800Bahtだった時もあったと記憶している。2004年頃には1200〜1400Bahtくらいで、その後はさらに値段が跳ね上がって、金魚鉢の一番右側(入り口に近い方)は1800Bhat、金魚鉢の奥の方は2200baht、さらに奥のキャッシャーの手前に狭いスペース(ここにはガラスはない)にいるのはモデルクラス(ちょっと若く見えるだけと言う印象)という設定で2800Bahtと言われたことがある。もっとも値段のクラスは女の子が決めていると言う話があるので、値を上げても客がつく子は強気で勝負するだろうし、数をこなすことで稼ぎを得たい嬢はタマダーを選ぶのだろう。

最近は長い間お世話にはなっていないが、コンチアがタイ語でも方言を聞き分けてチェンマイ人(北部タイ人)とバンコク人(中部タイ人)とで料金を分けているようだった。また外国人にはバンコク人よりも高い料金をふっかけているようでもあった。

サービスを受ける部屋は、バンコクの多くのMPほど広くはなく、窓もない電気を消せば真っ暗な空間だったような気がする。バスタブはあるが、マットが置けるようなスペースもなく、風呂で嬢の洗体サービスを受けてベッドでゴム付き本番サービス終わったらとっとと帰りたくなるくらいじめッとした空間だった記憶がある。それからキャッシャーでお金を払って部屋に行く時の通路が薄暗く幅も狭い。それでも、北部タイの透き通るような肌をした美形に会えるのではないかといつも期待して覗きには行くのだが、ここ何年かは当たりの女の子を見たことがない。最も昼間の2時では売れっ子が出勤しているはずもないということかも知れないが……。

チェンマイに数日滞在してレンタルバイクで街を走る人は、時間帯を変えて何回か覗きに行くといいかも知れない。ぽんこつマンは夜の時間帯にSAYURIコンプレックスに行ったことはないが、金魚鉢ではない側のドア(左の階段)を入ると一応ステージのあるPUBスペースになっているようだったが何時から営業しているのかはわからない。まぁ、ほとんどの客はお酒を飲みに来るわけではなく、性欲処理に来るだけだろうから、PUBスペースは営業許可を取るためだけの見せかけスペースなのかも知れないと思うほど、いつも真っ暗だ。

ここは、コンチアが客のところまで来てどの子がいいかなどと話しかけてはこないので、ゆっくり座ってアイスコーヒーをじっくり飲んで涼みながら女の子を眺めるだけでも問題ないのでリラックスできるところが良い。

チェンマイからバンコクまで戻る時に立ち寄ったローカル市場でケップムーとチェンマイソーセージの有名店を見つけた

2019年12月30日、ぽんこつマンは1月中旬に日本へ一時帰国するために、チェンマイの自宅からバンコクのコンドへ戻ることにした。連れ合いと息子はタイの短い正月休みを連れ合いの両親が暮らす実家へ帰省することになっていたが、その実家はチェンライ県とチェンマイ県の境界にある山間の村で、息子が小さい時はぽんこつマンも一緒にその実家に行って、その村独特の正月を過ごしていたが、ここのところ連れ合いの部屋にあるベッドが狭くてマットもスプリングがヘタってすこぶる寝づらい状態にあるだけでなく、夜の冷え込みがたまらなく辛いのだ。さらにはぽんこつマンの不眠症がどんどんひどくなっていて、連れ合いの部屋では一睡もできない日々を過ごすのは辛すぎるようになっていた。

バンコクではコンドでよく自炊しているがバンコクのグルメマーケット(Mモール系スーパー)から購入する野菜はかなり割高なので、飛行機に乗る前にロイヤルプロジェクトの日持ちするじゃがいも、人参、玉ねぎなどの無農薬野菜とビールのつまみにケップムー、チェンマイソーセージを買って持って行けばいいと連れ合いが言ってくれた。

ロイヤルプロジェクトの野菜は、メーリムーハンドン道路とステープRd.の交差点の北西側にあり、朝と午後に2回近郊のロイヤルプロジェクト農園から採れたての野菜が届く。

チェンマイ国際空港はちょうどそのメーリムーハンドん道路からステープRd.を左折して1つ目の4差路を右に曲がって、タイ空軍第41航空団が管理する道路(通行には通行許可証が必要)を南下するとぽんこつマンの自宅からは市内の渋滞を避けて行けるので好都合なのだ。

そしてロイヤルプロジェクトショップの対角にあるのがトンパヨーム市場(タラート)でチェンマイからバンコクに飛行機で向かうローカルのタイ人がここでチェンマイ名物のケップムーやチェンマイソーセージを買って帰るらしいのだ。ぽんこつマンはその市場でガイトート(鳥の唐揚げ)とケップムー(豚の皮の唐揚げ)そしてチェンマイソーセージを買った。連れ合いは家に卵が少なくなったと卵も買っていた。

チェンマイソーセージは、独特のハーブがかなり効いた味なので、タイハーブがあまり口に合わない人には少し厳しいが、ケップムーはビールのつまみには最高のスナックになる。しかし塩がかなり効いているので塩分を気にする方には食べ過ぎは禁物と注意しておかないといけないくらい、なかなか手が止まらない味だ。

チェンマイからバンコクへの飛行機には80cmくらいのポリ袋にぎっしり詰めたケップムーをキャビンに持ち込む人もかなりいるようだ。ぽんこつマンは湿気てしまったケップムーは、美味しくないので20cmくらいの小さなポリ袋にそれぞれ違うケップムーをそこそこ入れてもらい機内持ち込みする荷物に入れて空港に向かった。

ちなみにそのトンパヨーム市場から100mも離れていない東側に、ピンパヨム ホテルというマッサージパーラ(アップ オップ ヌアット)併設のホテルがある。ぽんこつマンはこっそり一人でそのMPに昼間覗きにいったことがあったが、比較的若くて可愛い感じの選べるレベルの娘がいたことを覚えている。

チェンマイに男一人で遊びに来た時には空港から近いので一回は覗きに来てもいいと思う。話は少し逸れてしまったが、チェンマイのマッサージパーラの話はまた違う機会で触れることとしよう。

バンコクラマ9で見つけた格安タイマッサージ

ぽんこつマンがタイマッサージにハマったのは今から20年以上前に友人と二人でチェンマイを訪れた時だったろうか。当時のチェンマイで若い女の子と遊ぶにはチェンマイランドにあるカラオケがいいという情報を確認のために、泊まっていたインペリアル メーピン ホテル(http://www.imperialmaeping.com)からトゥクトゥクで昼間に偵察に行った帰りに、チャンクラン通りを歩いてホテルに戻る途中に見つけたマッサージ屋だった。

今はあるかどうか分からなくなっているが、当時はトゥクトゥクの運ちゃんがチャンクラン通りを進む途中にここのマッサージがいいと指差ししてくれたところだった。料金は1時間180バーツだった気がする。友人とフットマッサージを1時間だけ頼んだのを覚えている。

足裏のツボを棒切れのようなもので押してマッサージをするのだが、あのなんともイタ気持ちいい感覚を初めて味わってから、タイでのマッサージがとにかく好きになった。その友人とは大阪で一緒に仕事をする中で、夜は大阪市北区兎我野町のタイ料理屋タイパブで遅くまで飲み、最後によく一緒にタイマッサージに行ったことを覚えている。

兎我野町は、深夜になれば立ちんぼも多く現れる怪しいエリアで、近くに交番はあるものの、曽根崎警察署と天満警察署の管轄境界にあたるらしく手入れがほぼ無くなんとなく無法地帯のようだった。

ぽんこつマンは、そこでタイ料理屋でアルバイトしていた不法滞在のタイ人娘としばし良い仲(セフレ)になった事がある。店が閉まるのは午前3時か4時でそれまでその店にいて、その女の子と近くのホテルで◯ックスするのだが、その子が日本のイミグレに捕まって留置されてから彼女との関係は切れてしまった。

一方タイマッサージ好きはどんどんヘビーになって、難波のフィリピンパブに行った後も難波にあるタイマッサージに深夜2時から朝4時まで2時間たっぷり揉んでもらったりする生活になっていた。

ぽんこつマンはやがてチェンマイで今の連れ合いと知り合い、それからはタイに行けば必ずチェンマイでマッサージに行くようになる。チェンマイのマッサージで、今の連れ合いが一番最初に連れていってくれたマッサージ屋もチェンクラン通りから少し奥まったところにあった。手前は駐車場になっており、当時もカムリなどのタイでは高級車がよく停まっていた平屋の白い建物だった。

あの時から既に20年経って今チェンマイのマッサージ料金は、1時間230〜250が相場になっているが、他の物価上昇率に比べると(豚のバラ肉は当時1キロあたり80バーツくらいだったが今は160バーツくらいになっている)かなり上がり幅が低いと感じるところもある。

バンコクのマッサージも今から数年前に行った時に1時間300バーツというところがあって随分高いものだと感じていたが、2019年にタニヤのカラオケでアルバイトしていた女の子が自分のアパート近くにあるマッサージ屋を紹介してくれて行った時は1時間200バーツと良心的な値段設定だった。

タニヤのカラオケでアルバイトしていた女の子の住むアパートの近くのタイマッサージ屋

そこは、店の店主に言わせると近くにBUプレースホテルという3つ星のホテルもあり、そこを利用する日本人もよくマッサージに来るとのことだったが、Pracha Songkhro ソイ2というかなりローカルな通りにあるので、ぽんこつマンが乗ったタクシーも道が分からないフリをしてメーターを稼ごうとしたくらいの場所にあっておよそ短期滞在のツーリストが行くような店ではなかった。

ぽんこつマンはその店でもフットマッサージを2時間頼んだが、かなり入念にツボも押してくれて久しぶりにスッキリできた記憶がある。残念ながらぽんこつマンが住んでいるコンドからはかなり遠くなるので、それ以来また行ってはいないのだが…….。

ぽんこつマンが行きやすくてしかもリーズナブルな価格設定と思う店は、実はMRTラマ9駅をセントラルの反対側にあるフォーチューンタウンの半地下1階に2軒ある。そのうちの1軒にぽんこつマンは行った事がある。知り合いとの待ち合わせの時間があり実質50分くらいしか時間がなかったのだが、フットマッサージ1時間150バーツという値段が表に掲示されていて、物は試しと入ってみたのだった。店の名前は、Grand Bangkok Massage。

ドアを開けるとすぐヌフっとマッサージチェアがずらっと並んでいて一番手前だけが空いていて、そこに案内された。他の椅子には地ローカルの客で埋まっていた。椅子に座って靴下を脱いでいると、50歳くらいのおばちゃんがお湯を入れた洗面器とタオルを持ってやって来て、まずは足を洗ってくれる。そしてタオルで拭きあげた後、片方の脚にタオルを巻き、もう片方の脚のマッサージが始まる。

ぽんこつマンはあらかじめ店を出なくては行けない時間を伝えていたので片方の脚を25分でマッサージしてくれたが、スネやふくらはぎには何やらタイの塗薬のようなクリームを塗ってのマッサージに、「ここまでやって1時間150バーツ?」と驚くほどだった。

最後にカウンターでポケットに突っ込んでいた200バーツで支払って、カウンターまで一緒に来たそのマッサージ師に釣りの50バーツをチップで渡して待ち合わせの場所へ急いだ。

他にも上の階へ上がるエレベーターの近くにももう1軒あってそちらもフットマッサージ1時間150バーツ、タイマッサージ1時間180バーツという値段表示があった。ぽんこつマンは背中がよく張って肩も首も凝るのでタイに来るとマッサージは欠かせないのだが、買い物にセントラルラマ9に来る事も多いのでその時は、また改めてタイマッサージを試してみようと思う。

タイのレストランでウェイトレスの女の子と仲良くなってみよう

タイに着いたら、レストランで食事をすることが当たり前になる。タイのレストランには、タイ人の若くて可愛いウェートレスがいる事が多いが、そのレストランが高級ホテル内のレストランや有名で気の張るレストランでない限りは、そのウェイトレスと仲良くなってみるのも悪くはない。

食事の際にもしビールやワイン、ウィスキーなどのアルコールを注文した場合、テーブルサービスとしてビールやワイン、ウィスキーなどを注ぎに来てくれるのだが、一人気になる子がいたらぽんこつマンはその気に入った一人の女の子がこちらを見ている時に手をあげて「ノーン」と声を掛ける。

ウェイトレスは大概名札をつけているので、まず名前を確認する。彼女に向かって「チュー アライ カップ?」と言えば彼女は自分の呼称になっている呼び名を教えてくれるだろう。彼女が名前を教えてくれたら、一回声に出して彼女の名前を言ってみよう。彼女の名前を読んで彼女が笑ってくれたら、「ノーン ◯◯」と言って簡単なものを追加で1品頼んでみよう。

次に、氷が足らなくなったら、また彼女を見つけて手を上げて「ノーン 〇〇」と読んで、注文をしよう。そうこうしている内に彼女がそのテーブルのことをよく見てくれるようになったら、精算の時にもう一度彼女を読んで、精算をお願いして個別にチップを渡して、LINE ID を交換してもらえれば、ナンパできたも同然だ。

ただの友達としてお付き合いするか、恋人候補としてお付き合いするかは相手との関係もあるが、まずはコミュニケーションを取るために次のデートを約束できるといい。それが難しいようなら、何度かそのレストランに通ってその子にアプローチを繰り返すのもいい。

日本では、そんな簡単にLINE交換までは行かないが、タイでは意外に安易にLINE交換ができる。ゴーゴーバー嬢やバービア嬢ではなく、学生のバイト娘と仲良くなってみるのも悪くはないのだ。

ぽんこつマンは、そうやって仲良くなった女の子と、バンコクならドリームワールドやウォーターパーク(サイアムアメージングパーク)とかのアミューズメント施設でデートした事もある。タイの女の子は年齢差がかなり離れていてもOKな娘が多いと思う。

今はタイに行けなくて、バンコクでひとりレストランに入って可愛いウェイトレストを見つけて、ナンパもできないので、エアナンパするしかないのだが、早くコロナによる国境封鎖が解除されることを期待したい。