バリ再訪、そして初ジャカルタ。

初めてバリ島サヌールでナンパして身体を重ねた彼女に、翌年改めて再会したくてバリ再訪の計画を立てた。日本からダイレクトでバリ直行だと海で過ごすことはどうでも良いぽんこつマンには2〜3泊の訪問地が1カ所だと3連続有給休暇がもったいない。土日を絡めれば5日間の休みが可能なのだ。そうだ、ジャカルタ経由にして帰りにジャカルタの立ち寄ってみようと思った。全日空のマイルも貯まっているから、日本→ジャカルタ(1泊)→テンパサール(クタ2泊)→ジャカルタ(2泊)→日本という旅程で東京ージャカルタ間は全日空のマイル特典航空券、ジャカルターデンパサールはガルーダインドネシア航空で繋ごうと考えてネットで予約を作った。ジャカルタを旅程に入れるからにはラマダンの期間は外しておいた方が無難だ。

その年のラマダンは6月6日に入ることをネットで調べてそれ以前のスケジュールを探した。都合よく2016年3月29日(火)東京発ージャカルタ着、4月2日(土)深夜ジャカルタ発ー東京早朝着の便が取れた。ジャカルターデンパサール間は3月30日(日)の朝ジャカルタ出発、4月1日午後店パサール出発で予約を作った。

そしてホテルの手配。ジャカルタに行って見たかった理由は、大阪で働いていた時のタイ好き仲間の一人から「ジャカルタにも女の子をお持ち帰りできるスパやホテル併設の置屋バーがある。」と聞いていて、一度はロケハンして見たいと思っていたからだ。

初ジャカルタの宿は、HOTEL TRAVEL。ここにそのホテル併設置屋バーがある。そのホテルを出てマンガプサール通りを左に歩いて行ったところにスパもあり、ジャカルタ初心者のロケハンとしてはここかなと決めた。

二度目のバリ島の宿は、デンパサール空港から近いクタエリアを探した。海に入る予定はないがせっかくバリに行くからにはビーチが近い方が良い。宿泊サイトの掲載写真と料金が気に入り、クタベックスビーチサイドホテルを予約した。

日本の3月末は桜が開花しているところもあるが、ぽんこつマンにはまだまだ寒い。それに比べ、インドネシアは熱帯。外は暑いが室内には強烈なエアコンが効いているので、太陽の直撃が嫌いなぽんこつマンには過ごしやすい。

2016年1月から30日以内の観光でもインドネシア入国時に必要だったアライバルビザ取得の手続きが不要となっていた。合わせて5泊の滞在なのでハンドキャリーケースのみだった事もあり、スカルノハッタ国際空港https://ja.wikipedia.org/wiki/スカルノ・ハッタ国際空港)に到着後イミグレを通過しすぐに、多少の両替とスマホのSIM交換後、到着ロビーに出た。そこはものすごい到着客待ちの人とタクシーの呼び込みがすごかった。向かうは、ジャカルタの北側にあるマンガサール駅から程近いHOTEL TRAVEL。ジャカルタは初めてだったのでそのアライバルロビーにあるタクシーカウンターに行き手配した。タクシーは空港を出て、陽が傾き始めすでに渋滞が始まっているハイウェイを東に進んだ。運転はすごく荒かった。STOP and GO、右へ左へ車線を頻繁に代えてジャカルタ市内に入り、一般道に降りた。ジャカルタの渋滞はさらに激しさを増し、ハイウェイを降りてからホテルまではさらに1時間を要した。

HOTEL TRAVELはネットのサイトでの予約ができず、電話で予約していた。フロントでパスポートを見せ、名前を告げた。間もなく部屋のキーが用意され、部屋に案内された。マンガプサール駅が近くにあり、そのホテルの界隈にも格安ホテルは多くあり。この辺りはローカルのビジネスマンがよく利用している場所なのかもしれない。

部屋に荷物を置いてぶらりマンガブサール通りを歩いて見た。まずは西へ。マンガブサールはジャカルタのチャイナタウンという情報があったが、はっきりと分かりやすい中華料理屋は多く見当たらなかった。しばらく西向きで左手側を歩いていくとスパがあった。確か名前はオアシススパ。気になったので覗いて見た。入り口を入り上の階に上がっていくとそこにはバンコクのMPのような金魚鉢があり多くのネシア娘が客待ちをしていた。ひととおりチェックをしたが是非にもという娘がいなさそうなので、退散することにした。そこを出てさらに西へ進む。ホテルを出ておよそ1キロほど歩くと南北に走る大きな通りに当たる。そこでマンガプサール通りを渡りホテルへ引き返す。大きな通りの角から100〜150メートルほど戻ったところに少しマシな中華料理屋があった。夕方5時を過ぎていたので、そこで飯を食うことにした。ビンタンビールと餃子、それに豚肉と野菜を炒めた料理を一品。ここジャカルタはムスリムの国なのでイスラム教徒は豚肉を食べない。しかしここマンガブサールの中華料理屋には豚肉の入った餃子もあれば豚肉料理も普通にある。なかなかうまい。満足したところで外へ。さらにホテル方向へ戻る途中で、蛇がカゴに入って売られているのを見つけた。コブラのようだった。食用のコブラなのだろうか?陽は既に沈み、あたりは暗くなり、ヘッドライトの灯りがあふれて来た。さらに進むと左手にロコサリスクエアというショッピングモールがあった。そこにもスパあるいは置屋バーがあるという情報をネットで見たことあり興味深かった。またインドネシアの電気コンセントはCタイプで日本のAタイプが使えるコンセントがホテルになかったので変換プラグを買いたかった。変換プラグは見つかった。しかしスパも置屋バーも見つからなかった。ネットの情報にあった地図では、ここという場所があったがシャッターが閉まっていて看板らしきものも見当たらない。開店が夜なのか、それとも潰れてもうないのか分からなかった。

いったんホテルに戻ることにした。夜になって、ホテルに併設の置屋バーを覗きに行って見た。エントランスを入り、奥へ。左手には昼間のような明るさの空間にセクシーな衣装を着たネシア娘が並んで座っていた。その前には全く明かりのない真っ暗なテーブルとソファーがいくつも連なってある大きな空間が見えた。ホステスが近づいて来て席へ案内する。ぽんこつマンはいったんテーブル席へ。ビンタンビールを注文したらすぐにホステスが持って来て、「どんな女がいいか?」と尋ねて来た。可愛いこと適当に返すと、しばらくして二人の女の子を連れて来て選べという。席は真っ暗で顔がほとんど分からない。かすかに見えるスタイルだけで女の子を選んだ。

女の子は私も飲んで良いかと聞いてきたので、OKと適当に答えた。すぐにもう一本のビールが来て、乾杯した。一口ビールに口をつけるかつけないかのタイミングで、「ブンブン」「ボンボン」と言ってくる。待て、まずはビールを飲ませてくれ!。彼女たちとのセ●クスは日本人にとっては高くない。せいぜい4000円程度。しかしそれは彼女たちがより多くの客をこなさないと十分な収入にならないことをも意味している。

あまりにも性急な要求にすっかり気持ちは萎えてしまった。明日はバリ島へ行く。そして昨年サヌールでナンパして濃厚なセ●クスをした彼女がぽんこつマンの到着を待っている。ここでムダ打ちしなくても良いという気持ちで、席を立ち部屋に戻ることにした。

翌日朝早くいったんホテルをチェックアウトして空港へ向かう。朝の渋滞にかかることを想定して出発時刻の4時間前にホテルを出た。空港に向かう道はいくつかあるのだろうが、ぽんこつマンがホテルに読んでもらったタクシーは、まず北に向かって走り、スラムのようなエリアを抜けてハイウェイへ上がった。ハイウェイまでもそれ以降も渋滞にはほぼ当たらず、意外に早くスカルノハッタ国際空港に到着した。チェックインしようにも3時間前なので少しチェックインロビーで待つことになる。1時間ほどしてチェックインカウンターが開き、セキュリティーゲートを通過しゲートへ向かった。

チェックインから出発ゲートまではかなり遠い印象だっが、ゲートでも搭乗時刻までかなりの待ち時間がある。空港内のレストランで軽い食事をとった。インドネシア料理の定番はナシゴレンかミーゴレン。ナシゴレンは重くなりそうなのでミーゴレンをチョイスした。土産物屋でさらに時間を潰し搭乗時刻の50分前くらいにゲートに着いたが、ゲートの待合は既にかなりの乗客が席を埋めていた。

無事搭乗時刻になり機内へ。座席についてそれほど待つ事もなく機体は、バリへ向けて離陸を開始した。予定のフライト時間は1時間50分、ジャカルタとデンパサールの時差は1時間。ジャカルタをほぼ11時に出発してデンパサールに到着するのは午後2時前後。

機体は滑るようにデンパサール空港に着陸した。よく晴れた日のフライトは快適だった。ゲートブリッジを渡りターミナルの中へ進む。ハンドキャリーだけなのでバゲージクレームを通り抜け、一気に到着ロビーへ。途中銀行の両替レート表が見えた。スカルノハッタ国際空港より、明らかに良いレートに少し驚いた。

到着ロビーには、昨年ナンパした彼女が待っていた。すぐにでも抱擁したかったが他の乗客待ちの人で溢れていたので、タクシースタンドに向かった。

ホテルは空港からそれほど遠くはない。しかしながらクタの街に近づくに連れて、なかなか前に進まなくなる。道路が片側1車線で交差点も多い割に、信号もそれほどあるわけではなく、結構勝手に交差点に入って来て、身動きが難しくなっているのだろう。タクシーには45分くらい乗っていただろうか。クタビーチにあるハードロックカフェの前を過ぎ、ようやくクタベックス ビーチフロントホテルに到着した。

案内された部屋はあいにく半地下の部屋だったが、彼女とのセ🟣クスを愉しむには特に問題はなかった。すぐにシャワーを浴び、絡み合った。

シックスナインでお互いを確認した後、彼女はベッドに四つん這いになって後ろからの挿入を求めて来た。コンドームを装着しないまま、生の挿入。彼女のフェラチオで充分に増大しそそりたっている陰茎を上から少し押さえ、彼女の花芯の奥へ送り込む。腰骨を両手で持ち彼女の体を引き寄せる。彼女は、快楽の表情を浮かべ顔を振り向かせた。まぶたを閉じ半開きになった口から舌を出して悶えている。ぽんこつマンは腰を下から上へ突き上げるようにスイングさせて彼女の絶頂を導いた。

それから彼女の上半身を持ち上げ彼女の両腕を持って亀頭を奥Gスポットにあたるように上下の動きにグラインドを加えた。彼女は振り向き、ディープなキスを求めて来た。ぽんこつマンは両腕で彼女のバストラインを羽交い締めにして、彼女が求めて来たキスに応えた。

寝バック、後側位、立ちバック、、、全て背後からの体位で彼女を攻め立て、彼女の両肩に手を掛け胸を思い切り反らせて強い一撃を加えたのち膣外でフィニッシュした。彼女は、まだザーメンが残っている逸物をあらためて咥え、全部を吸い上げた。まだヒクヒクしている陰茎へ舌と唇の筋肉をうまく使って刺激を与えて来た。「イイ、、、」「、、ス、ゴ、ク、イイ」こうして彼女との半年ぶりのセ●クスは前回を上回る快感の記憶を運んできた。

上がった息と心臓の鼓動が落ち着くまでふたりは抱き合っていた。その後ふたりはディスカバリーショッピングモールにあるOceans 27 Beach Club(https://www.tripadvisor.com/LocationPhotoDirectLink-g297697-d2211017-i136555294-Ocean_360_Beach_Club-Kuta_Kuta_District_Bali.html)に出かけた。そのビーチクラブについた時、既に太陽は水平線に隠れようとしていた。

心地よい音楽が聞こえてくる。やさしい海風が肌を撫でる。ぽんこつマンは心を解き放つ酔いの中でビーチリゾートの癒しに深く深く沈んで行った。それまで言葉を発しなかった彼女が程よく塩の効いたカラマリを指でつまんで口を開いた。「明日の昼は仕事がある、朝にいったんホテルを出るけど夕方また会える?」「もちろん」ぽんこつマンは迷いなくOKの言葉を返した。

翌朝、早くホテルで朝食をとり彼女はホテルをいったん後にした。その日の昼ぽんこつマンはクタの街を散策した。ホテル前のビーチ沿いの道路を南下し、JL.Kartika Plaza(ジャランカルティカプラザ)沿いにあるB couple seafoodという中華料理店でひとりランチをとり、彼女に教えてもらったクタで一番レートのいい両替店に行った。

その後レギャン通りを北に上り、グランドゼロメモリアルを見物してホテルに戻った。そして彼女がもう一度ホテルにやってくるまで部屋で夜のディナータイムをどこで過ごすか検索していた。

彼女はワイン好きということは前回ジャンバランでのディナーで分かっていた。そこで行ったことのないスミニャック辺りで良い店がないかを調べていたら、RED CARPET CHANPAGNE BAR(https://www.redcarpetchampagnebar.com/reservations)という店を見つけた。洒落ていて、ウエイトレスの制服もちょっとエロい。今日のディーナーはここだと決めて19時半に予約を入れた。

彼女とはホテルのロビーで18時半の待ち合わせだった。時間になってロビーに向かったら彼女は既に到着していた。「ディナーに行こう」ぽんこつマンはそう切り出して、ホテルからタクシーに乗った。タクシーに乗ってスミニャックのレッドカーペットを伝えたら、彼女が「Wow!」と驚いた。彼女もそこには仕事のボスであるオーストラリアに住む白人と一回行ったことがあり、とても良い雰囲気の店といった。

店に到着したのは、19時10分、席に案内してくれたのはベビーフェースなインドネシアの女の子。ほとんどの女の子は愛嬌もよく、好印象だった。全員彼女よりも若い。オーナーがヨーロッパ系の白人らしく女の子たちの英語もレベルが高い。

まずはシャンパンを1本。そしてコート・デュ・ローヌの赤を1本。生牡蠣、サラダ、ステーキ、全ての料理がクリエイティブでパーフェクト。料理を味わっているときに、ベビーフェースのウエイトレスが「これは、次のメニューに乗せる料理のテストで作りました」と言ってメニューにない新作のスープや前菜を持ってくる。どれもが完璧に思える素晴らしい味だった。

スミニャックで最高のディナー

23時の閉店時間まで4時間近くこの店にいたが、楽しい時間はあっという間だった。店を出て少し余韻を楽しみ酔いを覚ますためにその近くを歩いた。何軒か離れたジェラート屋に入って1スクープのアイスを食べた。それからタクシーを拾いホテルに戻った。

ホテルに戻ったら彼女がハグして来た。ぽんこつマンもそれの応えて激しいキスを返した。ふたりは自然と衣服を脱ぎ捨てシャワールームに消えた。人間の本能として食欲、性欲、睡眠欲と3つあると言われているが、この頃からぽんこつマンは睡眠欲が低い分、性交の快楽と美食への探究が激しくなっていたと思う。

シャワーから戻って、ふたりはまたお互いを求め合ったが、ぽんこつマンの脳裏には、レッドカーペットシャンパンバーでの若いウエイトレスの胸元のピチッと張ったブラウンな乳房の肌のイメージが焼き付いていた。

レッドカーペットシャンパンバーでは、オーストラリアに住んでいる彼女の仕事上のボスはフランス人であるという話を聞いた。その店の二階の女子トイレの側には、変態向けのSMチックな衣装や小物を売っているブティックもあるらしい。彼女は、いつかオーストラリアに留学に行きたいとも言っていた。もしかしたら、彼女のセックスへの貪欲さは、そのフランス人のボスに磨かれたものかもしれない。そしてこの店のオーナーが彼女のビジネス上のボスという有り得ない想像まで頭を巡った。

次の朝、彼女は同じく仕事に行くと言ってホテルを出た。ぽんこつマンはジャカルタに戻る。もっといろんなインドネシアの娘を知りたいと思った。そしてなぜ急にそう思ったかはわからないが、当面は彼女ともう一度会おうとは思わない予感がした。

ジャカルタのHOTEL TRAVELには夕方戻った。チェックインをし、ホテルの目の前にあったカフェでビンタンビール、アヤムゴレン、ナシゴレンを注文して夕飯にした。その後あらためてホテル併設の置屋バーへ向かった。今度はソファー席に勝手に進み、空いているところに腰を下ろした。まもなくホステスがやって来て注文を聞いたので、「バドワイザーそれと若くて細めのセクシーな女の子」と伝えた。

やがてホステスがバドワイザーとひとりの女の子を連れてやってくる。スタイルは悪くない。しかし暗過ぎて顔はよく分からない。彼女は「ハーイ!」と言って席に座った。彼女の飲み物を注文して、もう一度顔を覗き込んだ、かなりの厚塗りの化粧。インドネシア人特有の二重瞼と長いマスカラ、低い鼻と厚い唇。視線を胸元に移すと、ドレスの胸元ははち切れんばかりで乳房がうっすら汗ばんでいるのかその褐色の肌は光っていた。

彼女と乾杯してからしばらく無言でビールを飲んでいた。すると彼女が「マッサージ?」と問いかけて来た。「何?」と小さく答えると、奥にある通路を指し示して、「ルーム」「マッサー、ボンボン」としぐさ付きで返して来た。

ふと昨日まで一緒にいた彼女のバストの感触を思い出した。日本人にありがちなつきたての餅のような柔らかい乳房ではなく掴めばしっかり押し返す軟式テニスボルのような弾力に満ちた乳房。もしかしたらインドネシア人の肉質はみんなあの感触なのだろうか?だとすれば今隣にいる彼女も同じ感触に違いない。ネシア娘の実態を掘り下げるためにはやはりここは体験してみるしかない。そう考えたぽんこつマンは、彼女にOKのサインを出した。

席を立ち奥に見える通路の方へ進む。女の子がその通路にいる老女に何やらふざけて話しかける。そこで札をもらい、階段を登る。その先にはたくさんのドア。それらは全てがマッサージという名ばかりの奉仕部屋なのだろう。

彼女に連れられて一つの部屋に入る。部屋にはシャワーブースとベッドそして壁時計。それ以外はティッシュペーパーがあるくらい。まさに男の欲情を処理するためだけの部屋。彼女にすぐに服を脱ぐように指示され、二人でシャワーブースへ。彼女は手と胸と下腹部にボディーシャンプを塗り、乳房をぽんこつマンの上半身にあてがって八の字を書くように体を滑らせる。彼女の手はぽんこつマンの股間にある陰茎と玉袋をクシュクシュと揉む。ぽんこつマンを後ろ向きにして背中にも同じ動きをしながらぽんこつマンのアナルも洗う。その後ぽんこつマンにシャワーを掛けボディーシャンプーを洗い流し、外に出るよう促す。そして彼女は一人で自分の身体を洗い、素早くバスタオルを巻いてベッドで待っているぽんこつマンの上にやって来た。

ぽんこつマンが上に乗っている彼女の胸に手を伸ばす。オッパイをバスタオルの上から揉んでみた。指を跳ね返すあの弾力は、バリ・サヌールでナンパした彼女と同じだった。

なるほど、皮膚が日本人より厚いのか、それとも肉質が日本人と違うのかは分からないが、ネシア娘はこんな感じという感覚を確信したような気がした。

その個室での奉仕は30分ほどで、コンドームを装着してバックから思い切り突きまくってフニッシュした。彼女はティッシュを使ってコンドームをスルッと外し、シャワーヘ行くよう促す。実に事務的にことが進められる。ぽんこつマンがシャワーを終えると彼女がシャワーを浴び、さっさと元の服装に戻る。素早い。ぽんこつマンがせかされる感じだった。

部屋を出て、ソファーの席に戻りジントニックを一杯頼んだら彼女は大勢の女の子が待機しているブースに戻って行った。ホステスが何やら金額を書いた紙とプラスチックの札を持ってやって来た。それを持ってエントランスで金を精算するようだった。その晩はそのままホテル併設置屋を後にしてホテルの部屋に戻った。

翌日は、ネットで調べていたジャカルタ近郊のショッピングモールに出かけてみた。タマン・アングレックというショッピングモール(https://www.taman-anggrek-mall.com)。その中にある丸亀製麺のインドネシア出店1号店で、当時はローカルはほぼ食べない、冷やしざるを昼食で食べた。そのショッピングモール近郊にはコンドミニアムが建ち、モールの中ではコンドミニアムのセールブースが多数あった。当時はそのモールに近いエリアで300万円〜500万円くらいでコンドミニアムが買えるようだった。既に中国人や韓国人には人気のようで東アジア系の顔を見ては「ニーハオ」とか「アニョンハセヨ」と声をかけるインドネシア人の販売員がいた。ぽんこつマンも声をかけられたが日本語が分かる販売員はいないようだった。

ある階にはスケートリンクもあり、それなりに賑わっていた。そのリンクを見下ろせる階に上がりしばらくインドネシア人のスケートを楽しむ光景を眺めていた。当時のジャカルタはどんどん発展し、アジアの中でも有数の都会へと成長している最中だったのだろうか、ぽんこつマンが日本のバブル期にはしゃいでいた空気をインドネシアで感じた日だった。

翌日は日本へ帰国する。そのショッピングモールにあるスーパーマーケットに行ってインドネシア産のコーヒー豆を土産用に探してホテルに戻った。夕飯はマンガブサール通りにある日式ラーメン屋に行き、ワンタン麺と餃子、それにビンタンビールで済ませた。

その日もホテル併設置屋をのぞき、明るい明かりの下でたたずんでいる女の子を選んで自分の部屋に連れて行くことにした。その日は少し時間が遅いのか、ブースに残っている子は多くはなかった。少し待とうかとも思ったが、今以上にレベルが高い女の子がこれから現れるとも思えなかった。一人に合図してホステスに自分の部屋に連れて行くと伝えた。エントランスまで女の子と一緒に行き精算を済ませた。本来は、一旦エントランスから出て、ホテルのフロントを通過してエレベーターに乗るのだが、部屋番号を伝えると、そのエントランスから外に出ないでホテルの部屋に行ける通路へ案内された。彼女が手を引いてぽんこつマンの部屋についた。このスタイルは初めての体験だった。

部屋に帰ればやることは一つ。彼女のオッパイの弾力はこれまでのネシア娘と似ているか。彼女も後背位を誘導するのか。予想は的中した。張りと弾力のある乳房はヨーロッパ系白人にも東アジア系にも少ないが、インドネシアの女の子には多そうだと感じた夜だった。

ぽんこつマンは全ての旅程を終え、翌日の深夜便で日本へ帰国した。ジャカルタの空港で帰国便のチェックインをしようとした時、通常のエコノミー席からプレミアエコノミー席へのアップグレードを受けた。席に空きがあるとの理由だったが、それ以降そのような美味しい話は一切起こっていない。いつもより深くリクライニングした席で今回の記憶をもう一度振り替えり、その満足感に浸り切った。だが今回のようなジャカルタとバリでの2都市性交旅を、翌年も計画するとまではこの時は思っていなかった。

ソイカウボーイ、Tilac で出逢ったイサーン3姉妹

2015年くらいからぽんこつマンのバンコクでの夜遊びは、ソイカーボーイがメインになっていた。最初にBaccaraに立ち寄って、新顔でまだ初そうな可愛い嬢を探す。アジア人の客の多くは、透明な床の2階のJKスタイルのダンサーがいるフロアを狩場にしている常連が多く、1階のビキニダンサーのフロアは、多国籍だ。どちらのふろあのダンサーもノーパンで一階のダンスフロアのぐるりと囲む席からは2つのフロアのダンサーの淫部を拝めるベストポジションだが、ぽんこつマンはタイガールの淫部を覗きたいわけでも、しばしばトップレスで踊るおっぱいを拝みたいわけでもなく、白い肌、刺青なし、ベビーフェース、下腹フラット、尻が垂れていない、足首が細い、それでいて初々しさを持っていると色々条件が厳しい。何度も通うと見慣れた顔ばかりで新顔に出会うことは珍しく、いつものジントニックを5〜6杯飲んでも気にいる子が見つからない時が多くなっていた。

そんな時は一旦Baccaraを出てティーラック(TiLac) かその先のカントリーロードへ入るのだが、特にそのどちらも嬢をペイバー目的に行くわけではなかった。ただソファーに座って、暇そうにしている馴染みのホステスと酒を飲みながら馬鹿な話をするだけなのだ。

   https://bangkok-dark-night.com/thai/bangkok/soicowboy/soicowboy-go-go-bar#i-2 より引用

そしてティーラック ではいつもガハハと大きく笑うママの一人ジアップに「今日のおすすめの子は?」と聞くのがお決まりの遊び方になっている。ジアップママと親しくなったのは、2015年より前に、ティーラックで初めてペイバーしたロイエット出身のイサーン娘と特に親し気にしていて、彼女がティーラックからバカラに移籍した後もバカラで彼女をペイバーしたのちティーラックに行ってよく飲んだ。その時にジアップママを紹介されたのがきっかけになっている。

ロイエット出身の彼女は当時27歳で初めてティーラックでペイバーする前は、タイ駐在の日本人ボーイフレンドがいたらしいが、彼がインドへ転勤となって関係はどんどん冷えて行ったと聞いた。それまでは彼の援助があって普通に暮らしていけたのだろうが、その援助がなくなったので夜の街に舞い戻ったと聞いた。

彼女がバカラに移る前に、彼女が妹(ノーンサウ)という女の子が大学の休み期間にバンコクに遊びに来ていた。3人でご飯を一緒に食べた後に彼女の住むMRTホイクワーン駅からバイタクで5分くらいのところにあったアパートに行ったことがあり、その部屋で彼女からその妹と寝て良いよと言われたことがある。結局その日は3Pをすることになり、その妹ともセ●クスをした。彼女との局部はいつも愛液で潤んでいてピストンもスムーズにできたが、その妹とのセ●クスは、まだその局部が十分に開発されていないらしく、しっかりとクンニリングスをして膣口から膣内まで唾液で潤いを加えないとかなり窮屈だった。その妹に聞いたらこれまでの経験人数は一人だけで回数も多くないとのことでほぼ処女に近い膣の感触を味わえた。

その妹はまだ学生だったらしいが、大学が休みの間はゴーゴーで働くということにしたようだった。ティーラックで知り合った彼女がバカラ へ移った時、その妹もバカラで踊るようになっていた。

最初にティーラックで知り合った彼女は日本語がそこそこ話せたのでか、しばらくしてタニヤのクラブへ更に移ることになり、バカラにはその妹だけが残ることになった。ふたりが真の姉妹でないにしても、タイでは親類の歳の近い関係にある場合は、ノーンサウ、ピーサウ、ノーンチャイ、ピーチャイと呼び合う。やはり田舎で親類の娘と同じゴーゴーバーで客を探すとなると何かとやりにくいことがあったのだろう。その後バカラではその妹を何度かペイバーした。

いったん日本に戻り改めてバンコクを訪れた時、最初にティーラックで会った彼女に「タニアに遊びに行っても良い」と連絡を入れた。彼女が働いていた店は、日本で言うクラブのようなスタイルで、タニアによくあるカラオケクラブのように女の子が入り口にずらりと並んでいるスタイルではなかった。店に入って彼女を呼んで席についた。そんなに長居する気はなかったのでボトルを入れることなくビールを頼んだ。彼女もウイスキーの水割りをグラスで頼んだ。

乾杯をしてたわいない話をしていると、彼女が店の奥の方に待機している女の子においでおいでをする。二人の女の子が名刺を持って席にやって来てヘルプについた。それなりにきれいな娘たちではあったが、彼女たちをペイバーする気にはならなかった。深夜0時を過ぎ、ぽんこつマンはティーラックで知り合った彼女が店を出るのを待って、彼女の古巣へ向かった。彼女はタクシーの中で誰かに電話している。これから行こうとしているティーラックに誰かを呼ぼうとしているようだった。やがて店について、懐かしのジアップママと抱擁する彼女。席に座って、オーダーしたジントニックとテキーラが運ばれてしばらくした時、店の入り口に若い女の子が誰かを探しているのが見えた。彼女もそれを確認して手をあげてその若い女の子を呼んだ。

その若い女の子は、昔彼女の妹と言っていた女の子に少し似ていた。彼女はその女の子をやはり妹(ノーンサウ)という。ぽんこつマンはその恥じらいを隠せないでいる女の子に「お酒は飲めるの?」と聞いたら「ニッノイ」とはにかむ。彼女はその女の子にテキーラを飲むように勧めた。1杯目は妙に眉をひそめていたが、3杯目を飲む頃にはお店の雰囲気もあって、グィと一気に飲めるようになっていた。

その女の子が何杯飲んだかは覚えていない。ティラックは午前2時が一応閉店時間だが、まだ客は全て引いてはなく注文は3時半でも受けてくれていた。その時にはその若い女の子はかなり酩酊している様子だった。時計は午前4時に近くなっていたので、帰ろうとした時に、その女の子を妹とよぶ彼女は、その女の子をぽんこつマンに預けるといった。

店を出る時、その女の子はぽんこつマンに腕を絡め体を預けて来た。ぽんこつマンもかなり酔っていたので、足元に気をつけながらその女の子を連れてホテルに戻った。ホテルはTHE KEY BANGKOK、たまたまアップグレードされていてジャグジーバスがある部屋だった。

その女の子は、部屋に入るなりベッドに倒れ込んだ。酔いがかなり回っているようなので少し休ませることにした。あと1時間もすれば日が昇る時間になっていた。

翌朝は、昨夜の酒が抜け切っていないのかぽんこつマンもその女の子も比較的早く目覚めた。ぽんこつマンは彼女にシャワーを浴びることを勧めた。その娘は素直に頷き、ジャグジーのあるバスルームに向かった。ぽんこつマンはジャグジーの蛇口をひねり、しばらく湯に浸かって体のアルコールを少しでも抜こうとした。

その娘がシャワーを浴びてベッドに戻って行った。ぽんこつマンもシャワーで体を洗って、ベッドに向かう。その娘はベッドの上掛けを額まで上げてベッドに潜っていた。ぽんこつマンは腰にバスタオルを巻いてそのベッドに忍び込む。彼女の肩を優しく引き寄せてお互いに横になった状態で優しく額にキスをする。彼女は拒むことなくそのキスを受けた。キスをまぶた、鼻の頭、頬にして唇に進んだ。舌はあえて入れずに軽いキス。唇には少し長い時間。そして首筋に進んだ時に、彼女が小さく喘ぎ声をあげた。ウッ、、。

その微かな反応を見てぽんこつマンは彼女が胸元で纏っていたバスタオルをゆっくり解いた。肩から繋がる腕にもデコルテにもまだ一切の脂肪がついていない、すごく華奢に見える身体に手のひらで包むにはちょうど良いサイズの乳房があった。まだそれほど弄ばれたことのないであろう淡い色の乳首は、ピンと立ち硬直していた。ぽんこつマンはあえてその乳房へのキスをパスし、脇、腰、上腹部、腰骨、そして下腹部へと唇を移動させた。それから初めて乳房にキスをする。そしてぽんこつマンは右手を彼女の股間へ下腹部から下ろして行き、左手は彼女の髪をゆっくり撫でながら右側に見える乳首の下側に舌を近づけ反時計回りにやさしく愛嫵を繰り返した。

彼女のクリトリスを愛撫する右手の中指を大陰唇に沿って膣口に近づけた時、はっきりと湿り気があることを確認したぽんこつマンは、体を彼女の足元に降ろし彼女の膝を持ちあげた。そして頭が彼女の股間に収まるように彼女の脚を開いた。彼女の大陰唇右側のひだを唇で挟むようにキスをし、次に左側へ。更に膣口のアナルに近い方に上唇を合わせ下唇をアナルと膣口の間を上下させた。その後舌で彼女の膣口上部を軽く突いた時には彼女の膣内は充分に潤い、受け入れる準備は整っているようだった。

ぽんこつマンはその時の彼女の反応を確認して、体を改めて上部に彼女の体に重なる位置まで滑らせ、既に完全にボッキした陰茎の亀頭を花芯に軽く押し当てた。花芯は少し開き、亀頭の先1cmほどが彼女の膣口に入った。いったん戻しては再度押し当てる。1cmから1.5cm、2cmと少しずつ亀頭は可憐な花芯を押し広げていく。

亀頭全体が埋まった時、彼女はまたもウッと軽く吐息を漏らす。ゆっくり亀頭のくびれを膣口の外へ出し、また中へ押し戻す。奥にはなかなか進ませない。全くの処女ではなさそうだが、男を向かい入れた経験はまだ数回あるいはこれが2回目かもしれない。

ぽんこつマンは慎重にゆっくりと時間をかけて亀頭を5cmほど中に進めた。中は充分に潤ってはいるがかなり狭い。まるで風船細工に使う長風船のようによく締まった肉管をゆっくりゆっくり拡げるように引いては押し、押しては引く。やがてそのよく締まった膣にぽんこつマンの充血した陰茎が完全に埋もれた。

正常位で行き着いた位置から彼女の両脚を持ち上げ屈曲位でさらに奥へ押し込んだ。その位置でまた1〜2cmほどの短いストロークを繰り返す。ウッ、ウッ、、アッ、、ウッウッ、、アゥ、ウッ、。本当に締まりの良い肉質を持っているようだった。コンドームがない生状態でここまで締まりの良い肉質に巡り逢ったのは初めてだった。この娘には次も逢いたいと思った時にフニッシュがくる感じがして、すぐに引き抜いた。

画像はイメージです

彼女の下腹部に射出したザーメンはティッシュで優しく拭いとった。彼女をあらためて引き寄せて、その時の満足感の余韻を味わった。彼女はしばらく閉じていた目蓋を開いて、”you are so gentle kha” とささやいた気がした。これから彼女はいろんな男に求められるだろうと思える華奢で美しいボディーラインと柔らかい良い形をした乳房を持っていた。LINEを交換して正午近くに彼女はホテルを後にした。その時はまたティーラックで彼女に会えるとは思わなかった。

何ヶ月か過ぎて再びバンコクを訪れた時に、彼女と連絡をとった。彼女はまたティーラック に行ってみたいと言って来た。「あそこは男の人が女の人を見つけにいく場所だからお酒が飲みたいなら他の場所にしない?」と言ったが、ティラックでテキーラを煽った時のことが忘れられないと言って来たので、彼女の言う通りそこで午後9時に待ち合わせをした。

その後に起こったことは、あまり思い出したくはない。彼女はティラックでものすごいピッチでぽんこつマンが心配するくらいテキーラを煽った。案の定午前0時を回る頃には完全に酩酊状態で歩くことができなくなっていた。どうも彼女は少しお金に困っていて、ティラックでお酒を飲むことで、店からの割戻をもらう話をしていたようだ。ゴーゴー嬢になれば、毎日踊らなければならない。客から指名されれば、ペイバーに合わせなくてはならない。彼女は、そこに身を落としてまでお金を得ると言う決心ができていないようで、酒だけを飲んで店の売り上げに貢献して稼ごうとしていたのだった。

彼女は全く歩けなくなって店でソファーに横になった状態でしばらく動かなかった。完全に急性アルコール中毒に落ちていたのだろう。その店で一緒に飲んでいたホステスふたりが彼女に水をに飲ませ、時たまトイレに連れて行き解放してくれていた。そうこうして朝の4時になり少しは話せるように回復はしていたが、彼女はまだ歩ける状態ではなかった。ぽんこつマンは彼女はどこに住んでいるかを知らない。とりあえず近くに宿をとっていたぽんこつマンのホテルの部屋に彼女を預かることにした。優しく解放してくれていたホステス二人とぽんこつマンで彼女を立たせて3人で支えながら、ホテルの部屋まで運んだ。

多少のお金を稼ぐためにそこまで健気にお酒を飲んだと言うことが信じられなかった。ぽんこつマンが知っているタイの女性は、本当にお金に困った時に自由恋愛カフェなどに行き、お金を払ってくれる男を品定めして体を許す人もいる。それをしない彼女はそんなタイの奔放な女性とは明らかに違っていた。きっと絶対に譲れない何かが彼女をそうさせなかったのだろうと思うと、愛おしささえ覚えた。その晩静かにベッドで寝かしつけて、ぽっんこつマンはソファーで休み彼女を抱くことはなかった。

これで良いのだ。この娘にはどうしても守りたい何かがある。ぽんこつマンは彼女とのたった1回の思い出を大切に記憶の奥にしまうことにした。

ティーラックで最初にペイバーした嬢は、やがて妊娠し出産。赤ん坊の父親はインドに転勤になった男だと聞いたが、その男はその後彼女に一切の援助もしないまま行方を晦ましたらしい。その彼女に紹介された最初の従妹は、バカラで知り合った中華系(シンガポール?)の男と一緒にバンコク近郊に暮らしているらしい。3人目にあったもうひとりの従妹は無事に大学を卒業し、2年前から会計事務所で監査人として働いていると聞いている。3人にこれからも幸多かれと祈るばかりである。

ソイカーボーイでペイバーしたイサーン娘①

ソイカーボーイのBaccaraはかなり昔からゴーゴー嬢のレベルが高くいつも混雑している。バンコクで一番最初にオキニになった娘もBaccaraで知り合ったが、数ヶ月経った頃から彼女と店で出会える機会はどんどん下がっていた。彼女は知り合った当時20歳、ラムカンヘン大学の学生でもあると言っていた。出身はコンケーンとのことだったが肌の色も白く目鼻立ちもくっきりしていて、タイで美人と呼ばれる要素を全て持っていた。ぽんこつマンが知り合った時はまだBaccaraに入店して日が浅く、恥じらう姿もかわいいウブな女の子だった。しかし、バンコクの夜の街は、そんなウブな女の子をあっという間にプロのパパハンターに変貌させる。

ぽんこつマンが彼女を最初にペイバーして、その1週間後に再びペイバーした時は既に自分が人気があることを理解していたし、ぽんこつマンがいったん日本に帰国して1ヶ月後にまたBaccaraへ彼女を見つけに行った時には、すでにBaccaraでかなり人気の嬢に上りつめている風格を見せていた。自分をより魅力的に見せるためのメイク技術も身につけ、さらに頂上への階段を登る予感を感じさせた。しかし宝石や時計、バッグなどの身の回り品をブランド物に固めるようなことはなく、あくまでも清楚で可憐なムードは保っていた。

そんな彼女がさらに数ヶ月後には、Baccaraに姿をを見せることが極端に減って行った。それまではそれなりにあったLINEでのチャットにも既読がつかなくなることが増えた。他のゴーゴー嬢に彼女のことを聞いてみると、なんでも中華系の富豪に猛アタックされ、高額なサポートを受けていて働く必要はもうなくなっているという話が帰って来た。

そうか、そうだったのか。ぽんこつマンにはもう届かないところに行ってしまったのか。とうとう諦める時が来たと思った。実はそれから1年後にそれまで途切れていたLINEが一回つながった時があり、久しぶりに会いたいと伝えたら、会えたことがある。

以前より二の腕、頬、顎、腰、尻、太腿に脂が乗ってふっくらふくよかになっていた。その時に聞いたことは、もう大学に行っていないこと、現在は中華系の30代前半の社長のサポートがあること、これまで働いて貯めたお金で田舎のコンケーンに平屋のそれほど大きく無い家を建てる設計があること、今は既に高級自家用車(Mercedes Benz)を所有していること、などを教えてくれた。

見た目の清楚で可憐だったところがいちばんの魅力で、そんな彼女に引かれていたのだが肝心のセ●クスプレイは、相性がすごくいいということはなかった。再会した時も体を重ね合わせたが女としてすごく開発された感もなく、今後は生活力に富んだ賢明な母になるんだろうなと感じた。そして彼女とそれ以降会うことはなくなった。

その再会の半年ほど前には、同じBaccaraで別のオキニ嬢が出来ていて最初のオキニ嬢に未練は無くなっていたのだ。次のオキニ嬢もイサーン娘でコンケーンよりバンコクからさらに遠いウボンラチャタニ出身と聞いていた。年齢は当時28歳とBaccaraではかなり年齢が高く田舎に子供が居る嬢だったが、すらっと伸びた手足、細い首、細い腰、顎を少し上げた状態で立つと、その美しいボディーラインが際立ち、決して子供を産んだ女の崩れた体型は見て取れなかった。

しかしながらBaccaraでは、年齢のせいかそれほど人気があったわけではなく店でレディースドリンクをご馳走すると、丁寧なワイと笑顔を返してくれた。何度かペイバーし、ぽんこつマンを一人の上客として彼女が認め始めてくれていた。

彼女の実家はゴム農家で裕福ではなく家族のために毎日闘っているとよく話していて、金にシビアすぎるところがぽんこつマンには気になった。baccaraにはその後も何度となく行ったがオキニだけをいつもペイバーすることはこの頃から無くなっていた。二番目のオキニになっていた彼女は、それから2年くらいはBaccaraで働いていたと思うが、その後姿が見えなくなっていた。やはり年齢的に30歳を超えるとBaccaraという人気店でダンサーで指名をもらうのは厳しくなるのだろうか。

彼女の姿がBaccaraから消えて2年くらい経過した2018年にラインのタイムラインに彼女の投稿が上がっていた。久しぶりに連絡をしたら、今もバンコクにいてフリーランスで客をとっていると話していた。

「久しぶりだけど会ってみる?」と言ったらOK! という返事がすぐに帰って来た。「じゃ晩飯を食べよう。」というと昔ぽんこつマンと一緒にHuai Khwang(ホイクワーン)というエリアにあるソンブーン・シーフードという店で<プー・パッポン・カレー>を食べたことを覚えていたらしく、私がバンコクで住んでいるところの近くにもその<プー・パッポン・カレー>が美味しい店があるという。トントンというタイ(イサーン)料理屋で、ペッブリー通りとラマ9世通りを結ぶ南北の通りに面しているとのことで、そこで待ち合わせることにした。

待ち合わせ時間の午後8時に5分前に店に着いたら、彼女は既にテーブルでぽんこつマンの到着を待っていた。早速ビアチャン生3Lタワーといくつかの料理を頼んで、懐かしい話で盛り上がった。大量のビールを彼女もぽんこつマンもグイグイ飲んだ。1時間で食事も生ビールもなくなり会計を頼んだ時、彼女が「さぁ次は?」と言ったので「どこか行きたいとこあるの?」と尋ねたら「ウイスキーのボトルが入ってる店」と言ってまだ飲む気満々だった。向かった店はタワンデーンというタイ人には馴染みがある大きなバンドステージがあるパブだった。

このブログを書いている2020年6月時点はCovid-19による非常事態宣言令下にあり、臨時休業となっているがそのうち状況が改善すればまずあっという間に一杯になるだろうと思える賑わいぶりだった。物凄い大音量でタイポップのライブが演奏されていて、ステージにいる歌手や演奏者には頻繁に客がステージに近寄りチップを渡しに来る。

その店でほぼ空になったウイスキーをグラスに注いで彼女がもう一本ウイスキーのボトルを注文した。彼女はすごい酒豪だった。グラスの半分ほどウイスキーを注ぎ、氷を入れる。グラスの上部が少し空いているところにソーダを入れる。ほぼロックに近いソーダ割。それをグイ、グイと3〜4回ぐらいで空けてしまう。ぽんこつマンも酒は好きな方でかつては一晩で2升の日本酒を飲んだことはあるが、その時はもうそんなにはとても飲めなくなっていた。2時間でかなり酔ってしまった。彼女もそこそこ酔っていたようだが、店を出る時に「行く?」と誘って来た。長い間会っていないこともあったので、モノはためし、「いいよ」とあっさり返事した。そのタワンデーンという店があるパタナカーン通りを50〜100mほど東に歩いたところに、ロムレーンマンルートゥ(日本のモーテル)があり、そこにウォークイン。

基本は3時間、飲み物を頼んだりできる。彼女はそこでも大便ビールを一本グラスを2つ頼んだ。部屋代は3時間で300Bahtくらいだったか、ビール代と合わせて500Baht払って釣りはいいと言った。シャワーブースもキレイではないがそこそこ広い。日本ほど暑いお湯が出ることはないが、勢いはあった。モーテルスタイルなので宿泊も可能なのだろうがベットには上掛けの用意がない。彼女は先に軽くシャワーを浴びてぽんこつマンが後にシャワーを浴びる。ぽんこつマンがシャワーから出ると彼女はテレビを見てビールを飲んでいた。ぽんこつマンがベッドにあがると彼女は枕元に用意したコンドームに手を伸ばし、その行為の準備に入る。実に手慣れている。もう10年以上も体を張ってきているだけのことはある。細く長い指を持つ彼女の手がぽんこつマンの股間に伸び、玉袋と陰茎に刺激を加える。その絶妙なテクニックに酔っていたぽんこつマンのペニスはあっという間に充血し硬くそそり立った。彼女はその逸物に素早くコンドームを装着し、騎乗位でそれを自分の秘貝へ迎え入れる。グリン、グリン、スポン、シュポ、ズブゥ。彼女の腰はグラインドと上下運動を繰り返す。ぽんこつマンは両手を彼女の乳房に当てがい、内から外、外から内へと円を描くようにもみしだいていた。

10分くらいの騎乗位の後、彼女は四つん這いになり後ろからの挿入を求めた。ぽんこつマンはそれに応じ、後ろからズンと差し込んだ。蒸気機関車の車輪へ動力を伝えるピストンのように、ぽんこつマンの腰は激しく前後する。彼女のシリンダーはそのピストンの滑りを促すように愛液が溢れてきた。時折り膣口や膣壁がぽんこつマンの陰茎を締めつける。いつそんな技を身につけたのだろう。とても出産を経験した女性のものとは思えない秘部だ。最後は、正常位そして屈曲位でフィニッシュした。

部屋で少し気が抜けたビールに口をつけ、ハグした後に二人は部屋を出て、それぞれの帰路についた。ぽんこつマンが自分の部屋に戻った時は午前2時を回っていた。それ以降彼女からちょくちょく連絡がきた。多分酒を大量に飲ませてくれる都合の良い男がそうそう多くはいないのだろう。次に彼女に会ったのはその時から半年経ってからのことだったと思う。

フィリピーナに逢いたくて

ぽんこつマンが最初にアジアの姫に目覚めて10年くらい経った頃、長く勤めていた大阪から東京へ勤務地が替わるということがあった。東京は出張では頻繁に出かけていた場所だったが、実際に住んだことがなかった。どこに住めば良いのかよく分からないまま、蔵前と言う場所に部屋を借り住むことにした。会社は赤坂にあり地下鉄は都営大江戸線と千代田線で会社に通うことになった。

転勤してからは暫く歓迎会が続き、ある時赤坂で一次会があった後にアジア好きが集まって二次会は上野のタイパブに行こうということになった。そしてさらにその後、アジア好きの中でさらにディープな面々とフィリピンパブへ流れた。フィリピンパブは大阪で働いていた時も、東京からフィリピンパブ好きの知り合いが来阪した時に幾度かいったことがあったが、これまでの東京出張ベースでの夜会は、赤坂、六本木、麻布、渋谷方面が多かったせいで、小洒落た店での飲食が多くアジアンな店といえばせいぜいタイ料理店。フィリピンパブには縁がなかった。

機会がなければ興味も湧かないが、その時には既にマカオやバンコクでディープなアジアの夜をしばしば堪能していたこともあり、フィリピンパブに行くということになって内心興味津々であった。上野のフィリピンパブではほんの1時間ほど過ごしたが、その時席についてくれた女の子(とはいっても年齢は30オーバーな感じ)とタイの話などで盛り上がり、翌日の土曜日の昼間に一緒に食事をする約束をした。

そして次の日ごご2時、彼女が指定してきた上野の居酒屋で昼からビール・酎ハイを飲み、夕方には出来上がっていた。彼女はその日も店に出勤するということで、ぽんこつマンも後で改めてひとりで行くことにした。

2日連続で訪れたフィリピンパブも土曜日の早い時間は女の子の数も多く、昨日の彼女の他にヘルプで隣についた女の子が若くてかわいかったことを覚えている。東京の住まいが蔵前と上野に近く、勤務先の赤坂からも千代田線で湯島に来れば、アジアンムードに侵ることができる。そうこうしてるうちにフィリピンで暮らしている現地の女の子にどんどん興味が湧いてきた。

その頃は既にスマホをその中でSKOUTというアプリで世界のあらゆる都市の女の子を見つけてチャットできるようになっていた。ネットでフィリピンの風俗を調べたりしながらも、まずはそのアプリにアップしているマニラの女の子をさはすようになった。何人かの女の子とチャット友達になったがそのうちのひとりのマニラから少し離れたオロンガポという町に住む26歳という女性のノリがよく、近いうちにマニラで会おうということになった。

彼女とはLINEを交換し、さっそくフィリピンへは初めての渡航を計画。ぽんこつマンが日本を出発する当日、彼女はオロンガポからマニラの空港(https://www.miaa.gov.ph/miaa/)で待つとのことだった。飛行機がマニラに野井秋の空港に定刻を30分ほど遅れて到着した。イミグレはかなり混雑していてなかなか入国できない。飛行機を降りて1時間ほどしてようやく到着ロビーへ出た。多少のお金を両替し、携帯の現地SIM交換を済ませて彼女にLINEしたら既にずいぶん空港の到着ロビーの外で待っているとのことだった。

ぽんこつマンは到着ロビーからEXITドアを開けて外でた。物凄い人が誰かの到着を待っている。彼女が当日オロンガポを出るときの服装を写した写真を手がかりに一生懸命探したが、なかなか見つからない。ぽんこつマンも日本の空港を出発する時に当日の服装を写した写真を送っていた。暫くして遠くでぽんこつマンの名前を呼ぶ少しハスキーな声が聞こえた気がした。その声は徐々に大きくなり、ぽんこつマンがその声の先から手を振って微笑んでいる女性の姿が見えた。ぽんこつマンは少し小走り美彼女に近づこうとするが、人の波に呑まれてなかなか進めない。彼女も人をかき分けぽんこつマンに近づこうとしている。ふたりが近づきハグをするまでの時間はまるで再会を果たした恋人どうしの映画のようなスローモションのワンシーンのようだ。

マニラではタクシーも決して安全とは言えないとネットからの検索で調べていたがフィリピン人の彼女が一緒だったので少しは安全と言われているイエロータクシーではなく、普通のタクシースタンドで拾ったタクシーに乗った。行き先はマカティーというマニラでは金融街を有する市にあるブティックホテル(https://www.picassomakati.com)。行き先を彼女に伝え、彼女からタクシードライバーにタガログ語で伝えてもらう。

ホテルにチェックインしたのは夕方5時近かった。日本時間だと夕方6時だったがお腹はまだ空いていなかった。部屋でまず彼女が話したことは、彼女が住むオロンガポという街からマニラまではバスで3時間半くらいと言われているが、朝の渋滞にひっかかり実際には5時間以上かかったという話、マニラには滅多に出てこないという話、オロンガポの家には母親と一緒にい流話、オロンガポでどんな仕事をしているかの話、本当は今日オロンガポに帰るつもりでいたけど、帰りもマニラ市内の渋滞にあって家に着くのが深夜0時をすぎるのが怖いという話となった。

ぽんこつマンはせっかくマニラでこうして実際に会えたんだから泊まって行くように話した。彼女は家に電話するといって、一緒に座っていたベッドから腰を上げ、窓際に向かって歩きながらタガログ語で母親に明日の夕方には帰ると言ったようだった。彼女の短い電話が終わりベッドに戻ってきた時、ぽんこつマンは彼女の手を握ってもう一度ベットに座るように誘った。

彼女は少しつまずいて、バランスを崩しぽんこつマンにハグするような体制で倒れかかってきた。ぽんこつマンはとっさに彼女の腰に手を回して彼女を支えようとしたが、彼女の倒れかかる勢いに押されてふたりは抱き合ったままベッドに倒れる形になった。

ぽんこつマンはその状態から手を彼女の頭に近づけ、ゆっくりとキスの体制に入った。唇と唇が重なったが彼女は一切抵抗することなく、ぽんこつマンの舌が彼女の舌を探ることを許した。ぽんこつマンの唇は彼女の首筋へと移り、ぽんこつマンの右手は彼女の背中から腰のあたりをゆっくりと滑って行った。彼女がぽんこつマンの上にいた位置から反転し、ふたりは抱き合ったまま反転して、彼女が下になった。ぽんこつマンは唇を彼女の首筋から胸元にゆっくり降ろしていき、左手を彼女の内腿あたりに沿わせた。

彼女の胸元にのぞく肌色は、南国の女性には珍しく白く透き通るように美しく見えた。腰に回されていたポンコツマンの右手は、洋服の上から彼女の胸の膨らみにあてがわれ、乳輪より下の乳房をブラのレースの凸凹を感じるように静かに撫でた。ぽんこつマンは突然手の動きを止め、「シャワーを一緒に浴びよう」と彼女に伝えた。彼女は小さく頷き、絡み合った体は一旦解かれた。

シャワーでふたりは互いの長い移動でかいた汗を流し、ふたりはスコールのように降り注ぐ激しい水の流れの中で求めあった。ぽんこつマンは右腕で彼女の左足を持ち上げ、既に熱くなっている彼女の秘部にそそり立ったペニスを突き上げた。彼女は右膝を少し曲げ後ろに反るようにして、ぽんこつマンの亀頭がポルチオに当たるようにする。突くたびにぽんこつマンのペニスの先端はコリコリとする感触を感じ取っていた。

立位から体制を変えて立ったままでの後背位へ。彼女はシャワーヘッドが付いている壁に両手をつき、少し腰を折り尻を突き出した。ぽんこつマンはその背後からアナルの奥にある膣口を探りあて、そそり立ったペニスを少し上から押さえ込んで突き刺した。亀頭のくびれが裏Gスポットに当たるのか、彼女はその刺激を受けるたびにのけ反り壁についた両手が下がって行くのを体をよじらせ修正する。ぽんこつマンがフィニッシュを迎えそうになって、一旦ペニスを引き抜いた時、彼女の膝は崩れ壁についた両手の肘も折れ荒く呼吸をしている胸をその壁に持たれかけた。

シャワー室を出たふたりは、肌に残った水滴をバスタオルで軽く拭いゆっくりとベッドに進んだ。ベッドの上ではそのまま自然に彼女がフェラチオを始め、ぽんこつマンはクンニを彼女に施した。舌でクリトリスを包むヒダを優しく剥き、クリトリスの周囲に舌先を這わせた。右側、左側、左側、上部、右側、下部、一番敏感に反応する部分を探し出すように舌先を細やかに動かす。彼女のフェラチオの速度が速くなったのを感じて、ぽんこつマンはシックスナインを解き、片足屈曲位で挿入した。深く差し入れたその先に、再びコリコリとした感触があった。ぽんこつマンはしばらく深く差し入れたポジションのまま、ゆっくりとグラインドする。

コリ、コリ、、、、コリ、コリ、コリ、、、、、コリ、、、コリッ、、、、。彼女の表情が快楽に歪む。彼女はそのたびにのけ反り、ふくよかに発達した白く美しいバストを天に突き上げる。ぽんこつマンはその突き上げられたバストにある乳首を親指のはらで柔らかく撫で回した。コリ、コリ、、、、コリ、、、、、、コリ、コリ、、、、、。ボルドーワインのように赤く充血した乳首もポルチオの感覚と似て硬く張っていた。ベッドでの二戦目は後背位、後側位、伸長位、と続き両足屈曲位でフィニッシュを迎えた。コンドームは装着していないので、亀頭の先から精液が飛び出す直前の強い一撃の後、膣口から素早く抜き淡い淫毛の上部にある下腹部(子宮を守るように覆っている皮膚)に濃い液体を勢い良く発射した。

彼女はセ🟣クスの時、これまで交わってきた女性の中でもめずらしく子宮口が下がってくるタイプのようであった。ぽんこつマンの亀頭がいい具合にポルチオに当たるようで、セ🟣クスが終わった後も「子宮口がジンジンする感覚が消えない」と言っていた。ぽんこつマンも彼女の子宮口が吸い付く感覚が亀頭からなかなか消えない体験だった。

二回戦が終わって少し空腹を感じていたので、食事に出かけることにした。「肉か魚か?」と彼女に聞いたら、速攻で「肉!」という返事が返ってきた。ネットで近くにある焼肉屋を調べてタクシーで出掛けた。焼肉屋では肉だけをビールで流し込んだ。食事にはそれほど時間を割かなかった。なぜならぽんこつマンの陰茎部が先ほどの感覚を覚えていて、もう一度あの感覚を味わいたいと膨張が治まらなかったから。

ホテルに戻って三回戦。3回戦が終わって焼肉屋からの帰りホテルの近くにあるコンビニを見つけて飲み物を買いに出掛けた。缶ビールといくつかの清涼飲料水、そしてスナック。紙袋を持ってコンビニを出たところに、二人の怪しい男性が後ろから近づいてきた。ぽんこつマンと彼女は、平静を装って早足ではなく自然にホテルに戻ろうとしたその時、後ろからぽんこつマンの胸ポケットに怪しい男の一人の手が伸びてきた。胸ポケットにはiPhone。どうもその胸ポケットにあるスマホを奪いたかったようだ。ぽんこつマンはとっさにその手を跳ね除けて大声を出した。「何スルン!!! 」と関西弁で。相手が多少怯んだと思った時にはふたりはホテルに向かって走って逃げて帰った。

金融街マカティー(https://earlyfield.com/2019/05/19/post-1628/)。日中は至るところに拳銃を持ったセキュリティーガードがいて安心感があるが夜になるとその様相は一変する。この回の訪問以降も何度かフィリピンを訪れて、マカティーに宿をとりプルゴス通りのゴーゴー街(https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g298450-d9777930-Reviews-P_Burgos_Street-Makati_Metro_Manila_Luzon.htmlに出かけたがむしろゴーゴー街の方が夜はセキュリティーガードがいて安全と今は感じる。ホテルからそのコンビニまでのわずか200〜300m程の距離にはレストランが途中に一軒、時間は夜の11時を過ぎ、閉店の準備をしていたことを記憶している。そのレストランの明かり以外に街灯はなかったように思う。どうもその怪しい男たちはジャンキーだったようで一発決めた薬の効果で走って逃げた後を追いかけることができないようだったが、ホテルにたどり着いた後に万が一ナイフや拳銃を持っていたと考えたら一気に血の気が引いた。

https://crazy-manila.com/topics/6671.html より引用

その恐怖を味わったからか、既に3回も体を重ねているのにお互いがお互いを求めた。既に時計は深夜0時を回っていたが、もう一度快感で恐怖を拭おうとした。第四戦を終えてふたりが眠りについたのは午前2時になろうとした頃だった。

朝は遮光カーテンの隙間から差す南国の強い太陽の光で目が覚めた。時刻は午前7時半過ぎ。ぽんこつマンがトイレに立つと彼女も目を覚ました。ぽんこつマンの後を彼女が追ってきた。「トイレ?」「シャワー?」と尋ねたら「シャワー」と答える。そしてまた、シャワーの中で抱き合った。さすがに昨日は4回も重なっただけあって、ぽんこつマンのペニスは抱き合ってキスしただけでは完全勃起はしなかった。その時彼女の手がぽんこつマンの玉袋を包み、しゃがみ込んで途中まで勃起したペニスを口に咥えた。吸いながら前後する彼女の口のリズムに昨晩初めて味わった快感の記憶が蘇る。コリ、コリ、、、、コリ、、、、、コリ、、、コリ、。

いつの間にか完全に膨張したペニスの先にポルチオがあたっていた。わずか15〜6時間の間に5回のセ🟣クスは若い時代のポンコツマンでも経験したことがない。彼女も花芯の奥にある秘められた性感帯の疼きが治まらないのだろう。

https://primer.ph/travel/category/area/central-luzon/subic/ より引用

朝のシャワーでの一戦を終えて彼女は「そろそろオロンガポに戻る」と言った。冷房の効いた部屋で熱いコーヒーを飲んで、彼女は帰り支度を始めた。部屋の扉のところで抱擁しキスを交わす。ロビーまで一緒に降りてタクシーを拾った。彼女はマカティーからパサイのバスターミナル(https://ryugaku-philippines.com/2018/09/18/pasay-victory-liner-bus-terminal/)までのタクシー代を受け取ってホテルを後にした。ぽんこつマンは彼女が乗ってタクシーが交差点を右折して見えなくなってもしばらくホテルの玄関でタクシーが去った後を眺めていた。

彼女とは日本に戻ってからも度々LINEで連絡を取るようになっていた。彼女はしばしばあの時に味わったポルチオが痺れる感覚がまだあるという。1ヶ月くらいが過ぎて、彼女から突然「メンスが来ない」というLINEが入った。確かにぽんこつマンはコンドームを装着せずに5回もセ🟣クスをした事は間違いないが、精子を中で出した覚えはない。性病を持っていないと確信できる相手とのセ🟣クスでは、これまでもコンドーム を装着しないことはあったが「メンスが来ない」と言われたことは今まで一度もない。ぽんこつマンは幼い時と大学生時代に41°Cに近い高熱を出したこともあり、もしかしたら種無しなのかもと思ってさえいた。

ぽんこつマンは、彼女に「で、どうしたいの?」とLINEで尋ねた。答えは「後1っヶ月くらい様子を見るけど、それでも来ないようならお医者さんに行く。フィリピンはカトリックなので中絶は本当はできないことになっているけど、特別にやってもらえるお医者さんを探す。」とのことだった。フィリピンでの中絶費用など分かるはずもなかったが、日本円で15万円、大体当時で65,000ペソくらいを送るけど足りるかと聞いたが分からないと彼女は答えた。もし処置しなくいけなくなって、足らないようならその時のもう一度送るから、と言って15万円をとりあえず送金した。その後しばらく連絡がなかったが3ヶ月くらいしてまたLINEが来るようになった。処置をしたのか、しなくて済んだのかはあえて聞かなかった。次にもう一度会いたいこと、できればオロンガポに行ってみたいことを伝えたが、「遠い」「時間がかかる」と素っ気なくなっていた。さらに1ヶ月くらいしてLINEしたら、「日本人と結婚した」と折り返しが来た。大阪の百貨店勤務の人とのことだった。

ぽんこつマンとは年齢的にも離れているし、その結婚相手がどこの国のひとであれ、彼女が幸せをつかもうとしていたことが分かってほっとした。そしてもう会うことはないと思った。今もこの地球のどこかで幸せに暮らしていることを祈らずにはいられない。

バリ島サヌールでのインドネシア初ナンパ

2015年頃には、ぽんこつマンはバンコクでオスの本能がピークを迎えていた。タイ以外の異なるアジア諸国の風俗を調べてるうちにぽんこつマンはサーフィンには全く興味がないがバリ島娘への興味が出て来た。バリの女の子はバンコクの女の子とどう違うのだろう?性格の差、見た目の差、性に対する意識の差などを実際に感じてみたくなった。

そうだ!バリに行って見よう!! そう決めた時は日本が既に晩秋を迎え、人肌の温もりが恋しい季節に変わっていた。この頃勤務地が東京に変わっていて、TYO→BKK→CNX→BKK→TYOとタイへの旅程を初秋の頃に決めていたが、東京バンコク間はANAの特典マイルで取っていたので東京に戻る前にバンコクからバリへの2泊を追加を決め、タイ航空のフライトをネットで探した。当時はタイ航空のバンコク〜テンパサール間は1日2便あったように思う。バンコク を午前出発しテンパサールには現地時間夕方に到着する便も比較的安価で買えたので即予約を作った。ホテルは近くに置屋があるとの調べがついたので朝日が見れるサヌール地区の3つ星をとった。

空港からタクシーでサヌールのホテルに直行してチェックイン、荷物を置いて近くにあるバーに行った。カウンターに座り、ビンタンビールを注文した。隣に女性がいたので英語で話しかけたら、なんだか話が通じてバリ島でおすすめのディナーを聞いたら、ジャンバランでシーフードがいいと勧められた。一人で行くのもつまらないので明日一緒に行かないかと誘ったら、気さくにOKとなった。その日はホテルに戻り静かに寝た。翌日は朝早くサヌールの海岸を散歩。昼近くにホテルでバイクを借りて、あらかじめ調べてあった置屋へ向かった。飛行機の移動の疲れがまだ十分に取れていないのだろう。だが体はヘトヘトでもチ●コはギンギンだった。いわゆる疲れマラ。部屋に入る前に女衒が女をバイクの尻に乗せてやって来た。特に可愛くはないが精子を出したい衝動もあったしせっかくやって来た女の子を返すのもかわいそうだと思い即OKにした。いくらだったかははっきり覚えていないが高くはなかった気がする。愛想は悪くなく、英語はほぼ通じないがやることは世界共通、ボディーランゲージでその場を乗り切った。その夕方は昨日約束したジャンバランでのディナーがあるのでホテルに戻って準備した。待ち合わせは昨日出会ったバーの前。タクシーを呼んで出かけたら、店の前に彼女は既に来ていて、その足で一緒にジャンバランに向かった。車内でどこに住んでいるのか?どんな仕事をしているのか?何歳なのか?出会ったバーにはよく来るのか?今日は自分の部屋からバーまではどうやって来たのか?などを話した。

何分くらいタクシーに乗っていたか分からないが、ノリのいい英語での会話が弾んであっという間にジャンバランビーチにあるレストランに到着した。入り口を入るとシーフードが陳列されていてその中から選んで料理を決めて注文した。その足でビーチにあるテーブルに案内され、飲み物のメニューが出される。ぽっんこつマンはワイン好きなので、白ワインをオーダーした。彼女もワインが飲めるらしくふたりで2本のワインを開けた。ビーチについた頃はまだ太陽が沈んでいなかったが、2本のワインがなくなった時は既に夜10時を過ぎていた。彼女の仕事は身体障害者のバリ旅行の企画運営を手伝っていると言うことだったが、たまたま今は新しい旅行者からの依頼がないので、バリの友達が働いているサヌールのバーに遊びに行っているとのことだった。彼女の出身はバリではなくジャワ島、バリ島出身ではないと言うことはヒンズー教ではなく回教徒だが、バリにいる時はスカーフ(ヒジャブ)をしないのだといった。彼女の話は興味深く、しかも明るい性格が気に入った。

そろそろ帰ることにしようという話になってレストランにタクシーを呼んでもらった。彼女の部屋はテンパサール市内にあるとのことだったが、バイクをサヌールのバーに置いて来ているので、その晩はぽんこつマンのホテルに泊まっても良いと言って一緒に戻ることになった。ホテルに一緒に戻ると言うことは、、、、、、、、、、、。今日は昼間に置屋で抜いて来ているが、、、、、、、、、、夜にも激しい体液の交換が待っていた。

今でも彼女との濃厚な時間は脳裏に残っている。温かくしっかりとホールドされたぽんこつマンの逸物の根元から亀頭に向かって肉ヒダがうねり上がっていく。日本人には滅多にない乳房のハリ、腰のくびれに触れるか触れない程度に手のひらを這わせると微かな呻き声と同時に腰をそらせ、亀頭を子宮口に当たりやすくする動き。正常位から片足屈曲位、騎乗位、後背位、寝バック、後側位、座位、両足屈曲位、スロー、、、スロー、、、、、スロー、、クイック、スロー、、、スロー、、、、クイック、ぽんこつマンが変拍子で打ち込む。彼女は全身を小刻みに震わせながら、体に突然走る快楽のショックに耐えていた。絞り上げるように強く握りしめるシーツ、ぽんこつマンの体を引き寄せようと彼女の指が背中、腰に食い込んでくる。合わせる肌は、強い空調の中でも熱く火照り、互いに汗ばんで絡み合った。

一戦が終わったのは午前1時より少し前。当然コンドームを装着しての一戦だったが、彼女はぽんこつマンが果てた暫く後に、次は、中で出さないなら「生でも良い」とささやいた気がした。そのままふたりは抱き合いながら眠りに落ち、朝を迎えた。ふたりが目覚めたとき時計は6時をまわっていた。昨夜の名残が消えていないのか、彼女の手がぽんこつマンの股間に伸びて来た。すぐに股間に血流が流れる感覚があり、再び膨張がはじまる。とっさに彼女はその張り詰めた肉坊をくわえ、フェラチオがはじまる。ぽんこつマンは下から彼女の秘部へ舌を這わせ、クンニで応える。やがてシックスナインの体勢から騎乗位での挿入がはじまった。コンドームの装着は無かった。体位はやがて後背位へと変わり彼女の裏G スポットあたりを突き上げた。昨日は昼と夜に合わせて2回射精しているので、誤って中で発射することはないだろうと思ったが、まだ微かに昨夜のジンジンとする感覚が残る中での2度目のセ🟣クスは腹上死を連想させるほどの快感に満ちた疲労感の中で最後の一瞬を迎えた。発射寸前の勢いある力強いひと突きの後、抜き出された亀頭から昨夜よりも少し透明感がある精子が彼女の背中に放出された。彼女はその瞬間に立てていた膝を崩しうつ伏せになって暫く放心していた。ぽんこつマンは荒い呼吸の中でティシュを取り、彼女の背中に放出された体液をゆっくり優しくと拭い取った。

目覚めた時より太陽が30度近く高くなっていた。ふたりは一緒にシャワーを浴び、水しぶきの中で唇を、肌を、強く重ね合った。甘いオレンジジュース、濃いコーヒー、スクランブルエッグとベーコン、そして薄いトーストの朝食をホテルの中庭で取った後、彼女は名残惜しそうにハグを求め、そしてホテルを後にした。

わずか2泊のバリ島サヌールの旅、しかしぽんこつマンにとっては、忘れがたい甘く切ない記憶となった旅であった。その日の午後のフライトでバンコクに戻り翌朝のフライトで日本に帰国するのだが、空港を離陸した飛行機の窓からぽんこつマンはテンパサールの街を雲に隠れて見えなくなるまで見下ろし続けていた。バンコクに到着した時には既に陽は落ち、闇に包まれていたがモーターウェイの灯りや対向車のライトがやけに眩しいと感じた。バンコクのホテルまでのタクシーの中で近いうちに再びバリ島を訪れよう、そしてもう一度彼女に逢おうと思った。

ぽんこつマンがアジアに堕ちた経緯②

ぽんこつマンの現在の連れ合いになっている女性と初めて知り合った20世期末に日本で婚姻関係にあった女性から離婚を求められ、すんなり離婚を決めることになった。離婚の直接の原因は未だ不明だが、ぽんこつマンの当時の仕事があまりにも多忙で、大阪にあった職場から東京への頻繁な出張と大阪での午前3〜4時までの超過勤務、はたまた海外への出張も相まって自宅にいる時間が極端に少なかったことも離婚の原因の一つだったのだろう。

しかしながら、離婚が成立したことでそれまで毎年2回はハワイへの休暇を守っていた時間がすっかりハワイでなくても良くなり、時差の少ないアジアへの国への休暇が増えていった。海外出張で覚えたCASINOでルーレット遊びをマカオや仁川、ソウルなどで楽しめることもあり、そちらにもしばしば出かけた。特にマカオは、中国返還前から足を運んでいたところで、香港からフェリーで簡単に行けたこともあり、深夜には銃声が聞こえるなど中華系マフィアの抗争とも思える事件もあったタイパ島の、少し危うい香り漂うリスボアホテルのカジノによく出掛けた。今から20年半前の1999年12月に中国に返還となったが、当時はコタイ地区はなくタイパ島の旧エリアにはスパやサウナ、夜総会といった風俗があり、中国人はもちろんアジアの様々な国の嬢と躰を絡める事ができる。またリスボアホテルの地下通路には、かなりのレベルの美女が客引きをしていた。最近は相場が上がっていると思われうが、当時は500HK$でその美女が使うホテルの部屋で遊ぶ事ができるのだった。

カジノで泡銭が出来れば、サウナに行くかリスボアの地下通路の美女としっぽりを楽しむのだが、必ず勝てるわけでもない。それは韓国ソウルでも仁川でも同じでカジノで遊ぶことに熱中し過ぎで風俗遊びができないことも多かった。

タイでのオキニになった現在の連れ合いの元へも年に数回のペースで通っていたが、飛行機はそのオキニが住むチェンマイには私が働いていた大阪からのダイレクトフライトがなく、仁川を経由して大韓航空でチェンマイに入るかバンコク を経由してチェンマイに入るかの選択はどんどんバンコク経由が増えていくことになった。

それはバンコクにはゴーゴーバーもバービアもカラオケクラブマッサージパーラーもチェンマイと比べ物にならないくらいの数があり、比べ物にならないくらいの美女にも巡り合える機会が多いということだ。

こうしてチェンマイに滞在する前後をバンコク で過ごす機会が増えていった。そしてチェンマイの連れ合いには内緒で土日こっそりバンコクで過ごす機会も増えていった。土日をバンコクで過ごす時は、金曜日の深夜大阪発BKK早朝着便へ向かい、日曜日の深夜BKK発大阪早朝着の便を使うのだが、ぽんこつマンもどんどん年齢を重ね深夜フライトでは眠る事ができなくなり、月曜日バンコク早朝発で大阪正午近くに着く便にする事が増えた。

今から15年ほど前は、早朝バンコクに到着後タクシーでゴルフ場に行き、1プレイしてからホテルにチェックイン。土曜の昼下がりに遮光カーテンを閉じて一眠り後夕方からナナプラザやソイカウボーイへ出かけて遊ぶパターン。当時バンコクでのゴルフで一番驚いたのは、コースに到着後客待ちしているキャディーをカラオケやMPの女の子を選ぶと同じように、自分で選択するシステムがあるコースがあり若くて可愛いキャディーを集めていることだった。

最近バンコクでのゴルフはあまりしていないが、今でも記憶しているコースの一つがパンヤインドラ(http://www.panyagolf.com)。プレイ中に「19番ホールも一緒にプレイできるのか」と尋ねたら、「一緒にご飯を食べてホテルまで行ってくれる女の子もたくさんいる」とのことで、プレイ中に金額交渉してお持ち帰りとなるとのことだった。

http://www.panyagolf.com/en/contact-us/ から引用

ぽんこつマンは、深夜フライト後の早朝ゴルフなのでゴルフのプレイ後は夜の出陣のためホテルで休む事をいつも優先したのだが…….。

バンコク市内の遊びは、夕方5時くらいに軽く飯を食べ、まずはバービアへ。バービアで2〜3時間ほど飲んで、夜の8時に開くゴーゴーバーへ。バービアはナナプラザ界隈、ゴーゴーバーはソイカウボーイがぽんこつマンのパターンに定着した。バービアをでてソイカウボーイへ向かう時はほぼ歩き。肝心のホテルいつもはスクンビットソイ3からソイ33くらいまでのエリアで探していた。BTSが無くなる午前0時を過ぎても歩いて帰れる距離と安全を考えてのことだ。ソイ19のThe Key Bangkok(http://www.thekeybangkok.com/en/?utm_source=GMB&utm_medium=HotelHomePage), Sacha’s Hotel Uno(https://www.sachashotel.com), アソーク交差点に近いSukhumvit Suites Hotel(http://www.sukhumvitsuitesbangkok.com) などはソイカウボーイからペイバーした女の子とでも歩いて帰れる距離にあり、ジョイナーフィーも無く良く定宿として利用していた。

ソイカウボーイで日本人好みの女の子が多いゴーゴーバーは、当時からBACCARAだったと思う。最近は韓国人、台湾人、中国人の客が幅を聞かせて日本人は肩身が狭いが、15年ほど前は日本人客は、「優しい」「ケチじゃない」「乱暴じゃない」「しつこくない」と評判は良かったと思う。ぽんこつマンもBACCARAでペイバーした女の子が一番多い。ある時は一人の女の子に惚れ込んだこともある。そしてもう一軒ぽんこつマンが通ったゴーゴーバーがTilac-Barだ。この店はダンサーのレベルは高くないが、ホステス(客を席に案内し飲み物の注文を取る役)に面白おかしい女やババアがいて、一緒に飲むと楽しく過ごせる。ペイバーだけが目的だと残念な事が多いが、楽しくお酒を飲みたいというなら夜10時まではHappy timeでドリンク代も80Bahtと割安だった。ただしレディスドリンクはhappy timeの料金にはならないので、ホステスやダンサーにガンガン飲ませると、結構良い金額になることに注意してほしい。Tilac-Barは、草彅剛主演のテレビドラマ(CX系)「銭の戦争」の一話に日本人の金持ちを騙す舞台として登場する。

バンコクにもエスコートクラブ(https://www.newbangkokescort.com/girls/ 他)があり、ネットで事前に女の子を予約して一緒に遊ぶ事ができる。ぽんこつマンもモノは試しと一度使ってみた事がある。エスコートクラブの女の子は、2時間、4時間、6時間、10時間、24時間と利用時間が長くなればなるほど時間あたりのコストが安くなる。ぽんこつマンは一人の女の子を選んで24時間を依頼した。今日改めて見てみると24時間では12,000Baht になっているようだが、当時は24時間で8,000Baht だったような気がする。ぽんこつマンが空港に着いたら迎えが来ていてバンには既に予約した女の子が待機していた。ネットの写真で見たより多少ふっくらして年齢も少し高めと思えたが、充分満足できるコケティッシュな雰囲気を持っていて、宿泊先として予約していたコンドに到着後、飯を食いに出る以外はずっとセ●クスもその子はOKだった。24時間の擬似恋愛遊戯はあっという間に経って別れる時間はやって来た。本当は直接の連絡先交換は禁止なんだろうが、彼女は快く電話番号を教えてくれ、写真も赤外線通信で送ってくれた。あくまでも女の子が嫌がることを強引に要求せず、紳士的に接したことが彼女には好印象だったのかもしれない。ただその後、彼女と再会することはなかった。当時は既にお気に入りのゴーゴー嬢がいて、ずっと彼女を追いかけていたかったからだ。

かくしてぽんこつマンは、バンコク=クルンテープ(天使の都)という魔都の魅惑に沈んでいくことになる。

高級ディナーを指定する女子大学生

バンコク で2019年の10月にとあるSNSで知り合った女子大生という女の子がいた。おたがいのLINEを交換して幾度かやりとりをしているうちに、晩ご飯を食べようという話になった。SNSでの写真はかなり上等で、ボディーラインもかなり整っている。もしかしてレディーボーイかもと半信半疑で、食事の約束をした。ワインも好きとのことで最初のディナーに指定してきたのは、チャオプラヤ川沿いに佇むシャングリラホテルバンコクにある「サラティップ」(http://www.shangri-la.com/jp/bangkok/shangrila/dining/restaurants/salathip/menu-wine/)という高級タイ料理。待ち合わせ場所と時間は18:30ホテルロビーとしたはずだったが、今女友達と移動中でもう少し遅くなるとLINEに連絡が入った。ぽんこつマンは本来待ちぼうけを喰らうのはあまり好きではない。19:15になって今ロビーに着いたと連絡があった。私はBTSサパーンタクシン駅から近いロビーで彼女を待っていたが、そこに彼女がやってきた気配はない。LINEで連絡を取るとロビーにいるという。そこでホテルマンに別のロビーがあるか確認しそちらのロビーに向かうことにした。彼女は友人と一緒にタクシーで乗りつけたようだが、そちらが元々のあったロビーのようで、正面玄関の扱いとなっているようだった。

私は、早速そちらに向かうためまずエレベータで2回に上がり、本館へとつながる迷路のような渡廊下を早足で歩いた。かなりの距離があり、メインのロビーに到着するまで10分はかかった記憶がある。そしてあたりを見渡すと、遠くのソファーにSNSで似た写真に似た女の子がいたので近づいていった。ハーイと声をかけると彼女もぽんこつマンとわかったようで、立ち上がりSAWADEE KHA❣️とワイをして挨拶を返してきた。彼女も、彼女の友人も170cmはあるようでヒールを履いていたので少し見上げる感じになっていた記憶がある。

チャオプラヤ川沿いの席を事前に予約していた、SALATIPというタイ料理レストランに到着したのは、既に予約じかんの19:00を40分くらい過ぎたくらいだった。10月ともなればバンコクの雨季もそろそろ終わりに近づき、夜は少し涼しさを増していた。席に着席すると、彼女がメニューから好きなものを友人と相談し5〜6皿オーダーをした。私はまず白ワインをセレクトした。しばらく食事を進めていると何やら雨粒が落ちてきたようなので、屋根のある席に慌てて映ることにした。私ももちろんだが初めて会った大学生でありモデルもしているという彼女と彼女の友達もワインをかなりのピッチで飲み、白ワインはすぐに開いてしまった。屋根のある席に移ってしばらくして赤ワインをオーダーした。

オーダーした料理は、ワインの共に向いているものが多く、すぐにお腹がいっぱいになるぽんこつマンでもさらに追加した赤ワインもあり全品の味見をすることが出来た。ワインが全て空いた後、デザートとエスプレッソも注文した。カードで精算したので、金額の記憶はない。そのレストランを出たのは23時近くなっていて、二人にこれからどうすると聞いたらシーロムに踊りに行くと言っていたので、私は一人自分の部屋に戻ることにした。

ぽんこつマンが知り合ったこの彼女は、ラップラオのあたりに母親と二人で住んでいると言っていたが、通っている大学の名前は忘れてしまった。年齢は20歳とのことであったがその妖艶ないでたちからは20歳という未熟さは感じられなかった。学費のためにアルバイトもしていると言っていたので、夜はコヨーテクラブで働いていてもおかしくないとさえ思えた。

帰宅後数日して、また彼女から連絡があった。また食事をしたいという。ベトナムのホーチミン では今回のバンコク滞在の前にホーチミン に立ち寄り日本人街で働くバーの女の子とフレンチを食べたが、バンコクでフレンチは未だ未経験なので、彼女にどこがいいかと尋ねた。翌日に連絡が入った。Blue Sky Rooftop Bar。Centara Grand at Central Plaza Ladprao Bangkokというホテルの最上階にある。そこは彼女が住んでいるところに近く景色も最高とのことであった。

ぽんこつマンはAirport Link Railway と BTSを乗り継いで待ち合わせ時間の19:00の20分前にBTS Ha Yaek Lat Phrao 駅に到着、セントラルデパートを突っ切り、駐車場を横切って待合せ場所のホテルロビーに着いたのは、18:55分。予約していた時間が19:30だったのでソファーに座って彼女がやってくるのを待っていた。19:20に彼女から連絡が入った。美容院に行っていて遅くなった。今バイクタクシーで向かっているとのことだった。これまでの大人女性のほとんどは、遅刻するとしても30分くらいだったが、彼女の場合はそうでもなさそうだったので、予約時間を20:00に事前に変更しておこうとレストランの予約に電話した。彼女がホテルロビーに現れたのは19:50、笑顔で彼女を迎えてエレベーターでレストランまで上がった。

エレベータを最上階で降りると、そこにはダイニングへの扉が見える。ホステスがやってきて予約の確認があった後、右側のroof topがいいか、左側のroof topがいいかと尋ねられたが、初めての場所なので客のいない静かなところと伝えた。ホステスに案内されてダイニングルームを通過して、写真にあるルーフトップの席についた。そこは場所が郊外側のビューなのかそれほど夜景が素晴らしいとは思わなかったが、かなり離れた席に1組の白人カップルが居ただけで静かな場所だったので、オーダー通りではあった。

この日は良さげな白ワインがなく赤ワインを最初からオーダーした。早くくるつまみとしてフレンチフライとワインがやって来て、再会を祝して乾杯をしたが彼女があたりをキョロキョロして、「こちらのサイドより逆サイドが夜景が綺麗よ」と行ったのでボーイを読んでテーブルを移れるかを確認した。ボーイは確認するといい、しばらくして戻って来て「席を移ることは可能だが、ダイニングではなくバーとなるので料理が乗り切らないかも」といい「さらにスコールが近くに迫っているので、ダイニングに写っておいた方が良い」という。確かに空には雷の光が走り始めていたので、雨に降り出される前にダイニングに写る方が賢明と思い、移動した。ダイニングの豪華なテーブルに着いた瞬間に窓を激しく叩く土砂降りの雨音と雷鳴が二人の会話の声をも打ち消した。

かなり長時間続いたスコールだったが、ゆっくりデザートを堪能したあと22:30位には雨も収まりつつあった。カードで会計を済ませホテルロビーへ降りた。彼女は、明日朝早くから授業があると言って、ホテルの外でバイクタクシーで家に帰ると言った。ぽんこつマンは、ホテルのタクシースタンドからメータータクシで部屋に戻った。

その後、何度か彼女とはLINEで連絡を取ったが、彼女はぽんこつマンの好みではない感じなので、徐々に疎遠になり、2019年のバンコクの雨季の終わりに合わせてその関係も消えていた。今は連絡先も消してしまっている。多分改めて彼女と再開することはないだろう。

ぽんこつマンがアジアに堕ちた経緯⓪

あれはいつのことだったか、すでに確かな記憶はない。まだ日本では携帯電話の普及がそれほどでもなかった頃で、たぶんぽんこつマンが関西セルラーを持ってさほど経過していない頃だったと思う。関西セルラーが誕生したのが1987年らしいので、多分1989年あたりではないだろうか。当時日本はバブル経済の真っ只中。まだハリソンフォード出演のCMで一気に知名度を上げたツーカーホン関西ができる前だったと思う。当時は仕事仲間と夜はよく羽目を外すことが多かったが、特にタイポップスが流れるタイフードとタイビールを飲める店で、タイ旅行を主催する旅行会社の人や、タイ政府観光庁の女性職員、在日タイ領事館の女性職員と午前3時〜午前6時くらいまで飲み明かす日がかなりあった。

ある日のこと、タイ政府観光庁の女性職員から「いつもは旅行関係者ばかりをタイ旅行に招待してきたが、次はメディア関係者を招待することになった」「行かない?」とぽんこつマンと一人の友人Sがタイ招待旅行に誘われた。それまで国内のタイ料理やタイバーへはよく出かけていたが、タイ王国に行ったことはぽんこつマンは無かったのだった。「えっ、俺たちメディアの人じゃ無いけどぉ」と答えたが、「広告関係もまぁメディア関係ということで、上に了解取ってある」となり、その招待旅行に参加することになった。当然自分たちの仕事では無いので、休暇を取っての参加であった。

旅程はプーケット2泊、ホアヒン2泊、バンコク1泊だったかなぁ。当時、タイ政府観光庁は特に女性向けにホテルでの高級スパ体験や男性には王様気分を味わうようなプレーヤーに1人〜2人のキャディーがつくタイゴルフを押していて、プーケットはドゥシタニ(https://www.dusit.com/dusitthani-lagunaphuket/ja/)、

ホアヒンはヒルトン(https://www3.hilton.com/en/hotels/thailand/hilton-hua-hin-resort-and-spa-HHQHIHI/index.html?WT.mc_id=zELWAKN0APAC1HI2DMH3LocalSearch4DGGenericx6HHQHIHI)が用意されていた気がする。

プーケットでもホアヒンでも2日目の朝はゴルフがセッティングされていて、夜はホテルでパーティーがありゴルフコンペの表彰式もあったことを覚えている。ぽんこつマンと友人Sはその豪華旅行を十分に堪能したが、それでも自由な時間はホテルを抜け出し、街場のタイマッサージやバービアを梯子した。プーケットパトンビーチのバービアで友人Sは見た目超綺麗な娘(実はレディーボーイ)に捕まり、次の飲み屋に連れ出すことになったが、一軒行ってさてホテルへ連れて帰ろうと友人Sが話かけてきた時に、たまたまタイ政府観光庁の女性職員に「あの娘は男よ。喉仏見てみて」と打ち明けられ、友人S はお持ち帰りを辞退した。ホアヒンでは、プーケットの失敗が後を引いたのかサムローに乗り現地の置屋にまで足を運んだが友人Sはその気にならず、ぽんこつマンだけがプーケットでもホアヒンでもお持ち帰りした結果になった。

いよいよ招待旅行の最終日、バンコクの日となった。ホテルは、チャオプラヤ川沿いの5つ星だった気がしたが、記憶が定かでは無い。この日は、ホテル到着後自由行動だったのでぽんこつマンと友人Sは、当時のガイドブックを見てナナプラザに出かけた。

1階から3階までほぼ全ての店を覗いて何軒かのゴーゴーバーやバービアに連れ立って入り、一巡りしたところで2時間ほど互いに自由行動とした。ぽんこつマンは、今はもう店が変わってしまっているが一階(GF)のセンター奥にあるバービアで J と名乗る身長160cm位の可愛い娘に目が止まり、そこで飲み続けた。友人S は、現在NEW ROLLIPOPとなっているゴーゴーバーの前にあるテーブルに座っていたウボンラチャタニー出身のイサーン娘が気に入ったようだ。深夜1時を過ぎた頃に待ち合わせをしていたので、お互いペイバーしてホテルに戻った。

ぽんこつマンはかなり酔って気分も昂揚していた。まだタイ旅行に不慣れだったため、フロントで鍵を受け取る時にペイバーした女の子の身分証明書を預かるシステムが今ひとつ気に入らなかった。通常ならショートでやることが済めば女の子を解放し女の子は身分証を受け取ってホテルを出るので特にこれまでは何も言わなかったが、ぽんこつマンはその日はチェックアウトの時間まで一緒に彼女と過ごすつもりだったので、宿泊を共にするゲストだと主張し、「身分証明を提示し、名前を記帳すればよく何も預ける必要は無いのではないか」「チェックインの時間がずれているだけ」と、フロントマンに噛み付いた。結果は彼女がもういいといって身分証を預けてしまったが、タイ女性を身なりで客と一線を引き夜伽女と決めつけるタイのホテルシステムがおかしいと思ったのだ。日本においては、ダブルで予約された部屋に後から女性を連れて入る時、その女性の身分証を預けろとは言わないだろうから。その状況を見ていた友人Sは、ぽんこつマンのことをあの時のタイ人女性へのホテル側の偏見に一石を投じた発言には感心したと今も言ってくれる。今では客の安全を確保するために、夜を過ごすためだけにやってきたと思える人の身分証を預かるというシステムは理解できるんだがね。

ぽんこつマンと友人Sはこうしてその夜限りのパートナーと部屋に入った。J と名乗るぽんこつマンのパートナーは静かにベッドに腰を下ろした。ぽんこつマンはその傍に寄り添い座り、髪を撫で手を握り手の甲にキスをした。この時、ぽんこつマンは英語を少し話せるだけで J も簡単な英語が話せるだけだったが、その後の言葉はほとんど必要としなかった。微笑んで彼女の顔を覗けば、彼女は少し恥じらいながら微笑み返す。彼女の首に優しく手を沿わせ唇を奪ったら彼女の舌がぽんこつマンの口にするり入ってきて濃厚なキスになる。彼女の手が私の背中に回り私も彼女の背中に手を滑らせる。私の手が彼女の腰辺りに進んだ時に彼女は、ベッドにゆっくりと倒れ込んだ。

二人はベッドの上でお互いの躰にまとわりついている衣服を剥ぎ取っていく。少し褐色の内腿にはバラの花、背中肩越しにはバタフライが鮮やかに彫られていた。

ぽんこつマンはそのタトゥーが彫られた肌にキスし、手をとってシャワーブースにJを誘った。お互いの肌に石鹸を滑らせ抱き合った。やがてぽんこつマンの指が J の秘部に触れる。熱い。秘部からは既に濃厚な蜜が溢れ出していた。激しいスコールに打たれているかのようにシャワーを浴び汗を洗い流した肌からは石鹸の甘く切ない香りが漂う。二人は備え付けの少し上等なバスタオルで軽く体を拭きあい、再びベッドへ倒れ込んだ。バスタオルを剥がすと熱くなっている躰をエアコンの冷気が滑っていく。

二人の躰は激しく絡み合い、唇は互いの躰を求めあう。もう J の秘部は愛の蜜に溢れ、ぽんこつマンの膨張した突起物を迎えようと波打っていた。ぽんこつマンはゆっくりとその逸物を の秘部に当て少しずつ中へと沈めていった。愛の蜜はさらに増え、抜き差しのたびに隠微な音を立てている。クチュッ、、、、グジュッ、、、、ジュルッ、、ズビュッ、、グジュッ、、、、、。角度を変え体位を変え、幾度となく喜びを味わった。その感触は、ぽんこつマンがこれまで味わってきた感触の中で最上に位置するものであった。

翌朝、二人は別れを迎える。部屋を二人で出てゆっくりと扉が閉まるのを確認し、ホテルロビーへ向かう。フロントで彼女は昨夜預けた身分証を受け取った。ホテル玄関まで二人は無言で進み、ドアボーイがドアを開けたところで再びきつく体を抱き合った。その時二人は情婦と客ではなく、恋に落ちた関係を互いに感じていたに違いない。当時は、携帯電話こそあったもののスマホもSNSもなく、国際電話料金は個人としての負担が大きすぎてかけることもできず、日本へ帰国してからの連絡手段はE-mailのみ。彼女が街のネットショップのPCで自分に来ているE-mailを1週間に一回くらいチェックし、返信するということでしか連絡はできなかった。

それまでは年に2回はハワイへ10日ほど休暇に出かけていたが、J に巡り会ってから休暇が取れるならタイに行って J に会いたいという衝動が生まれるようになった。それからしばらくして日本では当時まだ婚姻関係にあった妻が、突然離婚してほしいと言い出した。理由は一切言わなかったが、5年前に流産しその年の年末に子宮頸癌が見つかり、子宮摘出手術を受けていた。がん摘出から5年経つまで離婚を切り出すのを待っていたと言われ、そこまで思い詰めているならと離婚に応じることにした。ハワイへの休暇はその当時の妻との結婚当時からの約束事だっので、離婚が成立してからはハワイへ行く大きな動機が消えていた。こうしてぽんこつマンは休暇が取れる時はタイへと向かうようになったのである。

その後 J とは数回会えたが、ぽんこつマンの仕事が忙しくなり海外を転々としているうちにしばらくメールを送れなかった。まぁ、ナナプラザのバービアに行けばまた会えるだろうとタカを括っていたが、しばらく空いてしまってメールを入れても返事が来なくなった。バンコク を訪れるのが1年以上開いただろうか。ナナプラザのバービアにもジャックの姿は見えなくなっていた。店のママに聞いても、当時 J と一緒に働いていた女性に聞いても行方はわからないとのことだった。その後も何度となくE-mailを送ったが返事が返ってくることはなかった。Jを失った大きな喪失感は今も消えることはない。それほどJとの濃厚な恋の感覚は強くぽんこつマンの脳裏に刻まれている。ぽんこつマンがこうしてアジアに落ちていくことになったのはJを失ったショックからと言えるだろう。

ぽんこつマンがアジアに堕ちた経緯①

それはぽんこつマンがまだぽんこつになる20年くらい前、1998年だったと思う。仕事のつながりで日本の冬にグリーンな芝のロケーションを探すことになり、日本の冬が夏であるオーストラリアのコーディネーターにロケーションリサーチを依頼していたが、既にタイの魅惑に触れていたポンコツマンは、会社に休暇を申請しタイのゴルフコースを北から順に巡る旅を計画した。最初にチェンライ、そしてチェンマイと移動して5つくらいのゴルフコースをプレイした。チェンライではサンティブリカントリークラブとウォーターフォード ヴァレー ゴルフ コース。

1日1コースを朝から廻るので、当然昼からは飯を食う、酒を飲むということになる。チェンライ、チェンマイでタイマッサージはもちろん、マッサージパーラーやゴーゴーバー、カラオケにも行ってみた。

当時はタイ語が話せるわけでもなく片言の英語だけがコミュニケーションの手段だったが、当時は臆することもなく昼飯を食べた午後2時くらいからいかにも怪しいドアを開けてマーサージパーラーの金魚鉢を覗きに行った。それまでタイ人は日本人より肌の色が黒いものと思っていたが、当時この北部タイの歓楽場には、途方もなく透き通るような白い肌を持つ女性が働いていることを知った。

ちょうど5日目の夜、今はあるかどうか定かでは無いが、Olivia、Olivia2(現在は閉店して長く跡形もない廃墟となっている)といったカラオケバーがチェンマイのチェンマイランドというエリアにあり、宿泊先のホテル(インペリアルメーピンホテル)からトゥクトゥクに乗り、カラオケクラブOlivia2に行ってみた。

ぽんこつマンはカラオケを歌いたいわけではなく、カワイイ女の子と仲良くなりたいということで出かけたが、午後8時ごろ店のドアを開けたら女の子が集まったばかりらしくまだ着替えていない女の子もいて慌ててソファーに集まってきた。一人でやって来た日本人らしき男を見てみんな指名を貰おうと必死に笑顔を作っていた。

私が選んだ女の子は、小柄な丸顔の子。なんでも店に一人でやってくる日本人はまずいないらしいことを彼女は拙い英語で話してきた。ビールを頼んで乾杯し、30分位その店で過ごして彼女をペイバーした。ホテルに一緒に戻り、朝まで過ごす。朝ごはんをホテルで二人で食べて、彼女の家に行くことになった。サンカンペーンにあり、そこに母親と過去にタイ人男との間に生まれた一人娘がいた。当時は初めての東南アジアで知り合いからも情報誌からも食当たりに注意するようにとの情報を得ていたので、その子の家で出された一杯の水も一口触れて、それ以上飲まなかった。結果この日はゴルフコースに行くこともなく、その子とは連絡先を交換してホテルに戻った。

こうしてぽんこつマンのアジアへ落ちる生活は始まった。その翌日、ゴルフコースから帰って来てチェンマイ市内にあるギャラリーカフェという店にお昼ご飯を食べに出かけた。そのカフェで静かに読書をしながらお茶を飲んでいる女性の隣のテーブルに一人座った。どんな女性なんだろうと視線を送ったら偶然目と目が合ってしまった。お互いに微笑み、簡単な英語で話かけてみた。彼女の答えは、昔、「この辺りは田舎から出てきて住み始めた場所」で「久しぶりにこの店に来た」との事だった。私はゴルフコースを下見する旅をしていることを話し、「良ければ今晩の食事を一緒にしないか」と誘ってみた。

答えは、なぜかOKだった。その晩またその店の近くにあるグッドビューというピン川に面したレストランで食事をした。彼女は身長が小さいことを気にしているが、ぽんこつマンは身長の大きい子はさほどタイプではなかったし、何より彼女の胸の膨らみ、そして声と仕草が妙に気になっていた。彼女は当時チェンマイに一人で住んでいて、食事の後も特に家に帰る必要もないとの事だったので、ホテルに誘ってみた。ホテルについてフロントで鍵をもらうときに、フロントレディーがクスッと笑ったような気がしたが、どうも昨日の女性と違う女性を連れてきたのがおかしかったのかなと思った。

こうしてぽんこつマンはアジアに堕ちる道を進み始めた。翌日はバンコクに飛び2日後は日本へ戻る予定だった。翌朝になりホテルをチェックアウトし、空港へ向かう時も彼女は私についてきた。妙に彼女に愛おしさを感じたのを今も覚えている。荷物を預けフライト時間が来るまで空港の珈琲ショップで彼女も同じ時間を過ごした。そしてとうとう出発の時間が迫ってゲートへ向かう時に彼女に手を振ったら、それまでおとなしい笑顔を見せていた彼女の目に涙が光っていた。

結果彼女とはその後も幾度となく会うことになった。彼女は実はぽんこつマンの現在の連れ合いになっている。その日から数年は年に数回チェンマイを訪ね、彼女のアパートで寝泊りする生活が続いた。

COVID-19パンデミックはアジアをどう変えるのか?

中国武漢から始まったCOVID-19は、タイに於いては3月中旬までは中国人の訪タイが無くなったくらいで、日本人のタイガールホッピング、タイゴルフ、ナイトライフにはなんの不自由も無かった。

ところが2020年3月18日、タイ政府がコロナ対策としてバー、ナイトクラブ、カラオケ、マッサージ、マッサージパーラー、映画館などの営業禁止を発表して景色は大きく変わった。タニヤ、ナナ界隈、アソーク界隈、トンロー・エカマイ界隈を始め、バーやカラオケ、マッサージなどで働いていた女の子たちは全て職を失い、彼女達のほとんどは生活困窮者になった。例えばバンコク出身の女の子は、1日100バーツ生活を過ごすことも厳しくなった。3月21日だったと思うが、デパートやレストラン、カフェも食事デリバリーを除いて営業禁止となりタイ政府バンコク都をロックダウン。これまで多くの客筋だった中国人、日本人、台湾人、韓国人、欧米人の多くが出身国に帰国を決断し、多くのタイ地方出身は実家のある田舎へ移動した。

ぽんこつマンも3月21日にバンコクを離れチェンマイに退避したが、3月31日にタイを離れ日本に帰国した。4月1日から2週間の自宅待機を終え、今日は5月1日。タイは3月に発出した非常事態宣言を5月一杯まで再々延長し、日本でも同様に延長が議論されている。タイ政府の民間航空局は、5月一杯の貨物と人道支援以外の国際線飛行許可を取消ししている。6月以降万が一飛行許可が下りたとしても、航空会社に対しタイへ渡航する者にコロナ陰性証明書と10万米ドル以上の疾病保険の付保証明の提示を求め、提示出来ない者への搭乗券発券は行わないように求めている。

この状況が続けば、コロナ陰性証明など発行しない姿勢の日本人は、タイへの渡航は、国際線飛行禁止解除となった後も外交官、あるいはタイ政府から特別な許可を得た者以外は不可能となる。

ぽんこつマンはこれまでも何人かの中国系コールガールをオーストラリア、ニュージーランド、シンガポールで相手にしたが、どの娘も性格がキツく好きには慣れなかった。

今回のコロナ騒ぎで、ますます中国人・中国製品への嫌悪が増しそうだ。

バンコクで串揚げ、のち突き上げの土曜の夜

ぽんこつマンは、大の揚げ物好き。ポンコツとは言えもうちょっとアジアの俗世の混沌を楽しみたいので、体のことを考えて少しは控えもにしているが、それでも揚げ物の誘惑にはどうしても負けてしまう。

ということで今回で2回目の恵比寿商店で串揚げ?串カツ?に、昨年末からセフレになったMちゃん(28才)との一戦を交える前にまずはお腹を満たそうと突入。Mちゃんはエッチとビールが好きな女の子。スクンビット26の角で18時30分に待ち合わせたものの、彼女が現れたのは19時頃、恵比寿商店に入店したのは19時10分頃だったかな。昨年の末に来た時はがらんとしていた店内も、今回はほぼ満席状態。まずは、彼女が好きなビールの中でも一番好きというアサヒスーパードライ生のジョッキで、1月中旬以来の再開に乾杯。昨年の開店当初は、今回よりもさらに安いメニュー設定だった気がするが、今回もアサヒスーパードライ生が68バーツ?69バーツ?とスクンビット界隈では破格といえる値段。あっという間に1杯目を飲み干して、すぐにお替りするMちゃん。ぽんこつマンは、ビールはすぐにお腹がいっぱいになるので2杯目からハイボールにチェンジ。ハイボールはエビスハイボールが79バーツ?ジムビームハイボールが89バーツ?とこれもまたこの界隈では破格かな。串揚げ5種、カキフライ、ゲソの唐揚げ、揚げ出し豆腐、クラゲのサラダ、イクラ大根おろしと平らげるうちに7〜8杯のビールとハイボールを呑んで、かなり酔いも回った。それではいざ一戦となり、お会計。ネットには現金のみとあるが、とりあえずヴィザのクレジットカードを出したら3%のチャージで支払い可能との返事。トータル1800バーツちょいをカードで支払って、店を出た。

その後、今回の一戦にとあらかじめ予約しておいたスクンビット28にあるSarnn Sukhumvit28というホテルへ歩いて向かう。スクンビット28の角を30mほど入ったところにそのホテルはあった。

間口の狭いホテルだが、できてあまり時間が経っていないのかまだまだ内装が綺麗だった。一泊の値段は、ブッキングドットコムで前日予約したが税・サービス料込みで826.20バーツ。この界隈ではなかなか1000バーツを下回る宿を探すのは難しいが新型肺炎のせいで中国人観光客が激減していることが影響しているのかな。グランドフロアは、フロントとロビー、その上にMF、2F、3F、4Fと4フロアあり各フロアに4室のプチホテル。部屋にはダブルサイズのベッド、冷蔵庫、テレビ、シャワーブース、トイレがあり、シーツもバスタオルも清潔で特に問題はない。

Sarnn Sukhumvit28のMFから見下ろしたエントランス

Mちゃんは部屋に入るなり、スカートを脱ぎ、バスタオルを腰に巻き、窓を開けて電子タバコを一服。ポンコツマンはその背後から彼女を抱き、首筋にキスをする。彼女が電子タバコをテーブルに置いたので、後ろからシャツの前ボタンを一つずつ外し、ブラジャーのホックも外す。パンティとバスタオルだけになったMちゃんのパンティーをゆっくりおろし、全ての布を外し終えた。彼女はすでに腰をくねらせ尻を突き上げる。Mちゃんの胸と腰を愛撫しながら私も全ての布を剥ぎ捨てた。

久しぶりの一戦はおよそ2時間、様々な対位で彼女を突き上げた。喘ぎ、求めあう。果てた後もジンジンと響く逸物を咥え上下動する彼女のテクニックには、今回も驚かされた。またお互いがお互いを求め合う日が近いうちに来ることを予感した土曜日のスクンビット28での濃厚な時間は深夜0時近くまで続いた。

天使の魔都クルンテープは今日も眠らない。

ぽんこつマンもまだまだオトコ

2019年7月にTinderで知り合った日本語勉強中のタイの女の子が、自分の学費?を稼ぐために2019年11月まで働いていたタニヤの某カラオケクラブを突然辞めて、スクンビット23のヤングプレイスというビルにある店で働きはじめた。

※2020年3月18日からのCOVID-19によるタイ政府の閣議決定による学校、映画館、バー、カラオケ、ナイトクラブ (ディスコ)、MP、タイマッサージ等の営業停止命令により、廃業を決定した模様です。

彼女はBTSチョンノンシー駅近くにある有名日本語学校で終日コースで勉強していると言っている。日本語を習いはじめたきっかけは聞いていないが、日本人男性が毎夜集まるタニアで8年前くらいから働きはじめ、そのアルバイト先の一人の客を好きになったことが理由ではないかとぽんこつマンは考えている。彼女と最初にあったとき、小泉進次郎議員の妻となった女性と似た顔立ちにすっかりやられてしまった。彼女のLINEには今でも1000人以上の日本人男性の友達がいて、ぽんこつマンも含めそのうちの数人は、彼女に頻繁にアプローチしているらしい。肌の色が白く声や仕草もかわいい彼女を好きになる日本人は少なくないだろう。もちろん鼻や目蓋などのプチ整形はしているらしいが、元がわからなくなるほどの整形ではない。


彼女が今アルバイトをしている店は、日本人のキャストがメインで、タイ人女性も日本語ができないと働けない。彼女の日本語はまだまだ完璧には程遠く、タイ語の単語がしばしば入ってくる。タイ語を少し話せるぽんこつマンにはそのくらいの方が心地いいのだが、その店の方針として、常連客も飛び込みの一元客も日本人のキャストを指名することも多く、タイ人のキャストを店側がわざわざ紹介することは少ない様だ。料金は、ボトルキープがある客(メンバー)は、1時間1200バーツ、ボトルをキープしない客(ビジター)は1500バーツ、レディースドリンクは1杯,250バーツ、レディーステキーラは400バーツ、それ以外に指名料が時間単位で請求される。カラオケはないため、女の子と話をすることを楽しめないと実につまらないことになる。タニヤにあるカラオケクラブの様に、女の子が番号札をつけてもいない。キャストとして働く女の子には月1回の同伴出勤と指名獲得の義務があるらしいが、同伴出勤の回数が多くなればその月もらえる給料もアップするシステムの様である。日本語学校の学費が3ヶ月で42,000バーツ(一月あたり14,000バーツ)部屋の家賃が7000バーツとしてメイクアップや美容院の費用を月10,000バーツ、その他食費などに月6000バーツと考えると一月50,000バーツくらい稼がないとやっていけないはずだ。
ぽんこつマンは、彼女を日々満足させられる様なお金も無いから、月に1、2度飯を食べる程度。ただ、今のところ彼女ほど魅力に感じる女の子に出会ったことはない。次の日曜日に焼肉に誘ったが、色良い返事は返ってこない。そろそろ夜の遊び場をもう一度タニヤに戻して新しく可愛い女の子を探しに行くとするかな。

クルンテープと言う名の魔都①ソイカウボーイ

バンコクの正式名称は、「クルンテープ・マハーナコーンアモーラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロックポップ・ノッパラットラーチャタニーブリロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターンアモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシット」ととてつもなく長い。タイ人ですら完璧に全てを言える人はそう多くなく、ほとんどのタイ人は、最初のクルンテープをバンコクの呼称として頻繁に使う。バンコク の正式名称の日本語訳は、「インドがヴィシュヌカルマに命じてお作りになった、が権化としてお住みになる、多くの大宮殿を持ち、九宝のように楽しい王の都、最高・偉大な地、インド戦争のない平和な、インドの不滅の宝石のような、偉大な天使の都」となるらしいが、「クルンテープ」は「天使の都」と言う意味らしい。

確かに、バンコクは世界の訪問都市ランキングのここ数年1位に輝いているらしいが、世界中の旅行者を虜にするいちばんの理由は、世界のいかなる都市でも味わえることができない圧倒的な夜の街にあるのではないかとぽんこつマンは感じている。人間の持つ本能的欲求とされる食欲、性欲、睡眠欲の3つの内、最後の睡眠欲、眠りたいという衝動を抑えても前者の2つ、さらには特に性的快楽の追求を叶えてくれる都市は、この「クルンテープ」を凌ぐ街をぽんこつマンは知らない。

ぽんこつマンも今から20年ほど前に初めてバンコクに訪れたときはゴルフとタイ料理それにタイマッサージを目的にしてやってきたが、ゴルフでは、プレイヤーひとりに一人のキャディが専属でつく。しかも若いキャディーが多く、まるで19番ホールへの誘いを待っているかのように、Hな隠語もティーグランドや茶店での休憩中にキャディーが話かけてくる。ゴルフを終えて街に戻れば、至るところにMP(マッサージパーラー)の建物が見え、純粋なマッサージ屋を探して歩くと必ずと言っていいほど、若い女の子のマッサージ嬢に腕を絡められ店内に呼び込もうとする。食事を済ませ軽く一杯と思って夜の街に繰り出せば、路上には多くの娼婦があふれ、バーにいるウエイトレスにも番号札がついていて、店に一定の金額を支払えば連れ出し可能のシステムがある。それまでハワイ、タヒチ、ロス、サンフランシスコ、ニューヨーク、ラスベガス、パリ、モナコ、シドニー、香港、マカオ、オークランドなどを旅してきたが、これまで経験したことのない圧倒的なカルチャーショックを受けたものだ。

日本人に馴染みのあるバンコクの夜の歓楽街は、パッポン、タニヤ、ナナプラザ、ソイカウボーイとあるが、ぽんこつマンが若くて可愛い女の子(Ladyboyも含めて)が集まっているのはソイカウボーイと思っている。

BTSアソーク駅からもMRTスクンビット駅からも徒歩圏内。なんでもアメリカ人の元飛行士、T.G “Cowboy” Edwardsがこの地でバーを開いたことに由来するそうだが、都市開発を理由にそのうち撤去されるのではとの噂のある中、2017年1月にフジテレビ系列で放送された草彅剛主演の「嘘の戦争」というドラマの冒頭の舞台として登場する「ティラック(TiLak)」、

2階のフロアが透明になっていてノーパンで踊っている女の子を下の階から見上げることもできる「バカラ(Baccara)」

を始め、今も20軒以上のバーが営業している。(2021年8月1日現在はCovid-19の感染拡大により長期にわたってロックダウンが継続され、今後改めてゴーゴーバーなどの風俗営業がいつ再開されるかの目処は立っていない。)

クルンテープ、その魔都は今後も眠らないことを祈りたい。

バンコクにも新型肺炎の脅威?

2020年1月16日にぽんこつマンは日本からバンコクに戻って来た時は、新型肺炎の感染の恐怖バンコクには無かった。しかし日本で人から人への感染が報じられた28日、TINDERで知り合った女の子と出会うことになった。

トンローにあるカラオケクラブに出かけようとコンドから外に出たら、どんなにインフルエンザが流行っていてもマスクをかけている人にはなかなか会わないバンコクでかなりのマスク姿を見て驚いた。

その女の子とは彼女が働いているカラオケクラブの近くにある焼き鳥屋で待ち合わせをし同伴するということにしてたが、店に現れた彼女は咳をしていた。思っていたより年が行っていたようだったし、写真よりかなり印象が良くないブス顔だった。

しかし彼女はマスクをしていない。さすがに接客が仕事のクラブで女の子たちのマスク姿はあり得ないが、この時期タイでも新型肺炎の話題で持ちきりのはず。

しばらくその焼き鳥屋で話をして、彼女が働いているというクラブに向かった。そこはすでにかなり前にラムカンヘンで待ち合わせして、日本食を一緒に食べたことがある女の子が働いていたカラオケクラブ LINEだった。

2階の席に案内されて、彼女が上がってきたがあまり話も弾まない。ということで昔から知っていた女の子を呼んでもらった。二人の女の子はつけている名札の色が違っている。それは昔から知っている女の子の名札の色は、お持ち帰りOKの女の子たちであることが分かった。今日ぽんこつマンが同伴した女の子はお持ち帰りできない女の子だったようだ。

今日同伴した女の子に住んでいるところを聞いてみると同じアパートに中国人も多く住んでいるらしい。彼女の住まいの最寄りの駅はMRTホイクワーン駅、あの辺りには中国大使館もあるせいか今は中国人で溢れている。中国の正月休みが始まる前には多くの中国人が大挙して押し寄せていただろうから、中国人が多くいるエリアのタイ人から感染者が出てもおかしくないはず。ただ単に時間が早いだけなのかそれとも新型肺炎の脅威から不急の外出をさけてか、その日のその日本人向けのクラブには客は少なかったようだった。

彼女が務めていたトンローsoi9 にあるclub Line
Club Line の入り口、女の子がずらり並んでお客さんからの指名を待つ場所

中国マネーの流入が減ってタイ経済が悪化の傾向にあるのか、これまでのタイパーツ高が少し緩んで今は10000円=2800バーツ台になっている。もっと円が強くなって欲しいものだ。このタイミングで咳をしている女の子と長い時間を過ごすは、あまりに無用心なので早々に引き上げた。

なんだかその日はあまり月のある日とは思えなかった。残念。

ぽんこつマンはとんかつマン

ぽんこつマンは揚げ物好き。身体に良くないと分かっていても週に3回は揚げ物を食べたくなる。2020年1月10日どうしてもとんかつが食べたくなり、最近トンローで見かけた「あげうた」という店にタクシーで出掛けた。金曜日の午後1時くらいというのに店内には客が1組しかいなく広い店内は閑散としていた。ランチタイムという事で6種類あるランチセットメニューから海老フライ、ヒレカツ、ロースカツがセットになっているものを選んだ。ごはん、キャベツ、味噌汁はお替り自由となっていて、6種類のランチセットは全て299バーツ。決して安くはないが、デザートもついて清潔感のある店内でゆっくり出来るのは悪くない。以前エムクォーティエに入っている「まい泉」で食べたとんかつの味が酸化した油の嫌な匂いがあったことがあったが、この店の揚げ物はカラッと揚っていてサクサク旨く頂けた。この先も味を落とさず、続いてくれる事を期待したい。

追記*2021年3月にはそのトンカツ屋の看板は、エンポリアムにあった歌行燈という和食屋に代わっていた。その後、コロナの非常事態令がバンコクに出たことで歌行燈はバンコクから撤退したという噂を聞いている。

チェンマイからバンコクへ

2020年1月8日、チェンマイからバンコクにTG121便で戻った。出発時刻は、20:50だったが、ゲートを離れたのは、21:10頃でスワナブーム空港にタッチダウンしたのが22:20頃、荷物が出てきたのは23時を過ぎていた。

タイ航空TG121の機内-優先搭乗時

4階の出発ゲートから客を送って来て、帰りの客待ちをしているタクシーにいつものように乗った。GFloorのタクシースタンドから行列を待って乗るより早く乗れるし、空港使用料の50バーツも無しでメーター料金のみ支払えば良い。タクシースタンド待ちしているタクシーは、メーターも早く上がるように改造しているものも多いのか、空港から自分が住むバンコクのコンドまで300バーツくらい支払う事が度々あったが、出発ゲートで客待ちしているタクシーは、大体160〜180バーツ。4割程度安上がる。今回は1月15日に日本に一時帰国するまでの間の短いバンコク滞在。

ぽんこつマンが住まいにしているバンコクのコンドに着いたのは23:30ぐらいだったろうか。日本への荷物も持っていたのでそのスーツケースは開けずに、シャワーを浴びてベッドでTinderでバンコクのショートステイで遊べる女の子を探した。

その日は知らない内に、眠りに落ちていた。朝起きたらスマホのバッテリーも切れていた。

バンコクのラブホテル

日本には今も至るところにあるラブホテルだが、ぽんこつマンの活動ベースであるバンコクには、ネオン煌くあの休憩時間が基本になっているスタイルの施設はないのかと探してみた。もちろんタニアやナナプラザ、ソイカウボーイの近隣には、カラオケ、バービア、ゴーゴーバーの女の子とショートタイムで遊ぶための部屋が有るのは知っていたが、SNSやナイトクラブで知り合った女の子と盛り上がった時に互いの住居ではない処で盛り上がれる場所が無いという心配は無用だった。โรงแรมม่านรูด(ローンレーム マーン ルート)とタイではいうらしいが、ローンレーム=ホテル、マーン=カーテン、ルート=引く、から想像するにカーテンが引かれたホテル➡︎ラブホテルと連想されるのだろう。

写真は、My Lady fashion Hotelというラブホテル。ラムカンヘンソイ53を5〜600メートルくらい入っていったところにあった。

お互いビール好きという事でSNSで知り合って初めて一緒に晩飯を食べた日に、彼女がセ🟣クスも好きという事がわかりそれ以降セフレとしてほぼ週一ベースで愉しむ関係になったが、このラブホテルは彼女との2回目に利用した部屋。

タクシーでホテルのエントランスから入ると、幾つもの部屋が並んでいて、その先にホテルのスタッフがタクシーを誘導して、写真の部屋の前までやって来た。タクシー代を支払って部屋に入る。この部屋は、3時間で470バーツだったかな。もちろん泊まりも可能だろうが、バスタオルはあるが、掛布もブランケットもないから、部屋の利用目的は日本のラブホテル以上に限定的だろう。ぽんこつマンが利用したバンコクのラブホテルは今のところここを含めて3つ。あと2つは、アイコンサイアムから近いところにあるIsara city hotel, ここはTinderで見つけた女の子(実はSao 2=Ladyboy)ならぬトランスジェンダーと一戦交えたホテル。

それとパッタナカーン通りにあるタワンデーンより少し東側にあるラブホテル(Chimpali)だ。

ここは、ソイカウボーイのバカラで昔仲良くなったイサーン娘(実は二人の子持ち)がイサーン料理を一緒に食べた後にパタナカンのタワンデーンで飲んでから彼女に引かれてウォークインしたホテルだ。

バンコクでの移動時間の不思議

12月18日昼間にシーロムに飯を食べに出掛けた。7月に知り合った女の子との約束だ。私の住むコンドからシーロムは少し離れていて、部屋を11時15分くらいに出て地下鉄のシーロム駅には11時50分に着いた。そこから700メートルくらい離れたシーロムソイ3にある店まで歩いてほぼ予定の12時に着いた。

2時間くらい食事して、その店の近くにある雑貨市場を散策した後、サイアムに向かうことに。午後3時前シーロムはまだ車の渋滞はなかった。タクシーで60パーツ。サイアムの化粧品雑貨屋を数軒覗いた後、動物カフェへ。入場料は、飲み物とケーキもしくは飲み物2つ込みでひとり390バーツ。2時間弱そこで過ごして、お互い家に帰ることに。

彼女はバイクタクシー、僕は排気ガスを吸いたくないのでバイクタクシーは余り利用しない。道路が大渋滞なのでタクシーもパス。BTS、MRT、そしてエアポートリンクを乗り継いで帰ることにした。サイアム駅からアソーク駅までBTSだか大混雑で、すし詰め状態。アソーク駅からMRTスクンビット駅までは、この時間1番近い通路で降る事は禁止になっていてスカイウォークを歩いてインターチェンジ21ビルへ。そしてビルの4階からG階まで4階分降りて、MRTの地上階の入り口へ。通常は、アソーク駅の改札を出て5分ほどでMRTの改札に到着するが、この回り道では15分くらい掛かる。そしてMRTの改札に着いた時には、コンコースに通勤客が溢れているらしく、入場制限されている。もう一方の改札に向かってさらに10分歩いてコンコースに降りることが出来てから乗車待ちの列に並んでも、列車は既に満員状態で、乗車可能な人数は、一つの入り口で10人くらいが精一杯。4回目に来た電車になんとか乗れた。

スクンビット駅からベチャブリ駅まで一駅、乗車時間は2~3分。MRTを降りて次はエアポートリンクのマッカサン駅まで10分歩く。改札を通過しコンコースに上がったら、そこも列車待ちの客で溢れかえっていた。時刻は既に6時15分ほどになっていた。エアポートリンクは、スワナブーム空港へ向かう旅行客も多く、大きなスーツケースやリュックもあり、こちらも始発駅から3駅目のマッカサンでこの時間帯に乗車出来る利用客は10人程度。

ふたつの列車をやり過ごし3つ目に来た列車になんとか乗り込めた。乗車時間はおよそ3分で自分が住むコンドの最寄り駅に到着。そこから歩いて10分でコンドに着いた。BTSサイアム駅を17時に出発してコンドに着いた時は19時。わずか10キロほどの移動に2時間かかるとは驚きである。概ね内訳は、電車での移動時間15分、歩行による移動時間40分、残りの65分は、コンコースでの乗車待ち時間ということになる。

バンコクのBTSの開業年は1999年。MRTもエアポートリンクもそれ以降の開業だが、利用客に合わせた車両数の追加が上手く出来ていない事が、バンコク都市交通事情の1番の課題かな。

ブログ開設に四苦八苦

12月の初旬に全くのデジタル苦手なぽんこつマンがブログを始めてみようと独自ドメインの取得とサーバーレンタルをした。WPをインストールし.テーマを選んで試しにふたつの投稿をパソコンアップしたところで、携帯のWPアプリからのアクセスが上手くいかない、テーマのカスタマイズができないなど問題続出。選んだテーマが日本語環境にマッチしてないのかもと思い、そんなことなら、一旦レンタルサーバーからWPをアンインストールして、改めて再インストールし、テーマの選択は後回しで投稿テストしようともがきました。今日12月29日になって、ようやくWordPress.orgとWordPress.comが実は別もので、携帯からのアップも自分のサイトの管理画面からすれば良いのかもというところに辿り着きました。今回の投稿は、その意味でのテストになります。携帯アプリのWPから独自ドメインのサイトを紐付けたつもりですが、なんだか表示やアップロードが失敗する理由が分からない状況は、まだまだ解決していませんが、来年1月中には、デザインもある程度完成したブログにできるといいのだが、今のところお先真っ暗全くの手探りで進むしかない。

乾季のパユ

タイで雷と暴風雨の嵐のことをパユというらしいが、乾季にパユが来る事は珍しい。ポークソテーとラタトゥユでの夕食時に、突然の雷と暴風雨、チェンマイの家があるエリアのトランスに落雷が落ちたらしく、1時間以上の停電となった。日頃昼も夜も明るい所で生活しているので、全くの暗闇は久々の経験。ロウソク一本の揺れる微かな灯りは、返って新鮮な時間を味わう事ができた。電気が復活して家中がバッと明るくなったときのつまらない感覚は、便利になりすぎた事が人の幸福と必ずしもつながっているわけではないことを感じさせた。