チェンマイならではのローカル料理を味わえるフアン・スーンタリィ

チェンマイの言葉はバンコクの言葉とかなり違うところがある。チェンマイ女性が「こんにちは」という時はサワディーカーではなく、「サワディーチャーウ」となったり、バンコクで20のことは「イーシップ」と言うがチェンマイでは「サオ」と言ったりする。「マイペンライ」も「ボッペンニャン」となる。「ボッペンニャン」の「ボッ」は否定を表すタイ語の「マイ」として他の会話でもよく使われている。ぽんこつマンはしばしばチェンマイを訪れタイ語を少しずつ覚えていったが、先にあるような確かに典型的な言葉の違いはわかっているつもりで、バンコクのタイ人とタイ語で会話した時、やはりチェンマイ 訛りがあると言われた経験がある。微妙なイントネーションの違いや発声の違いがあるのだろう。

そんなチェンマイ出身のランナー・カミンというシンガーソングライターの曲が好きでよく聞いていた時代がある。その歌には確かにチェンマイ 訛りに使われる幾つかの言葉があって、曲奏もなんとなく郷愁をそそる楽器とメロディーで進行するものが多い。

彼女のGRAMMYからのファーストアルバムにある ไว้ใจ๋ได้กา「ワイ・ヂャイ・ダイ・ガー」という曲があるが、この曲にある最後のガー(カー)というのはバンコクでも親しい間柄ではよく使われる疑問形のmai?と同じように〜ka?と使うもので、ไว้ใจ๋ได้กา「ワイ・ヂャイ・ダイ・ガー」東京弁で「信じれんの?」関西弁で「信じれるん?」のようなものだと思う。

発音は男性の「〜カップ」にあたる女性の「〜カー」とは違っていて、あまり長く伸ばさないし関西弁で「行くんか」と訊くときの「か」の音に近いと思う。女性も男性も普通の会話ではよく使っているとぽんこつマンは思う。

チェンマイという街の名前は、CHIANG(都) MAI(新)で新しい都という意味で、1262年にライ王がチェンライに都を定めたラーンナー王朝の4回目の遷都先とされ都が築かれたとされているようだ。ラーンナーとはล้านนา(百万の田)を意味するらしく、チェンマイがラーンナー朝の都となっていた時期は1296年〜1775年までと長く、その後は現タイチャクリ王朝の朝貢国となったとされている。

それ故にチェンマイ には今もランナー時代の独特な遺跡や文化があるようで、料理もチェンマイ独特のものがいくつもある。そんなチェンマイ料理を味わえるレストランが、GRAMMYの歌手としてデビューしたランナー・カミンの母が経営する、Huan Soontaree(フアン・スーンタリィ)だ。

市内からかなり離れているので、メータータクシーかGrab Car を利用してくることになるが、その分対岸からの騒音も高い建物も近くに無く20時を過ぎれば、空は漆黒に包まれる。

基本はタイ料理だが、チェンマイ独特の料理も数多くある。永き昔から身体に良いとされるハーブが豊富に使われていて、ぽんこつマンにはかなり厳しい味もあるが、ケーンハングレー(豚の角煮カレーソース)というチェンマイ料理は日本人にも無理なく食べられると思う。

雨季はピン川そばに置かれたテーブルで月と星を眺めながらの食事は難しいが、乾季になれば月や星を眺めながら郷愁を誘う音楽とラーンナーの文化の香り漂う料理を堪能できる特別な店の1つだ。乾季はチェンマイのハイシーズンになり、この店も予約がないと厳しいかもしれないので、特にロイクラトン(コムロイ)祭りの時は特に混雑すると思われるので注意してほしい。

もしチェンマイにやって来て、品のあるチェンマイ美女・美男子と知り合い、一緒に食事をして二人の距離を縮めたいという事があれば、是非利用することをお勧めする。

チェンマイの庶民飯といえば、やっぱりカオソイ

ぽんこつマンがチェンマイにいる時、早い時間に朝ごはんを食べることはほぼ無くなった。単に食が細くなったとも言えるのだが、外出時は歩く事があるバンコクにいる時ですらコーヒーとヨーグルトで済ませることが多いのに、いつも出かけるときは車で歩く事が限りなく少ないチェンマイではコーヒーだけの朝がほとんどなのだ。

それでも午前10時半くらいになると少し腹が空く時もある。大概は連れ合いが昼飯を作ってくれるのだが、たまには外で遅い朝飯というか早い昼飯を食べようということになる。そしてぽんこつマンがまず最初に思いつくのが、ココナッツミルクが効いたカレーラーメン、チェンマイ でカオソイと言われる麺料理だ。

バンコクでカオソイを食べようとしてもカオソイを提供している麺屋は多くはないが、チェンマイではカオソイを専門に出している店が多くある。市の中心から10km半径内にカオソイを提供する店は20店舗以上がGoogle Mapで表示される。中でも4点以上の評価がある店がなんと18店舗もあるのだ。

ぽんこつマンがカオソイを食べる店は昔から決まっていて、カオソーイ ラムドゥアン(https://www.facebook.com/khaosoilamduan)という店だ。カオソイはミャンマーを経由して対に南下して入って来たムスリムの人々の料理だと聞いた事があり、ココナッツミルクの効いたカレーソースに平打ち卵麺が入っていて、その麺の上にその面を揚げた麺が乗り、さらに煮込んだ鳥のドラムスティックが載っているものが一般的だ。ムスリムの人々は宗教上豚肉を食べないので鳥ではない場合でも牛肉のチョイスがある店は多い。しかしカオソーイ ラムドゥアンにはカオソイムー(豚肉乗せカオソイ)もあるし、何よりムーサテー(豚の串焼き)も注文可能なのだ。

メニューもタイ語、英語、中国語、日本語もある。朝の9時から夕方16時までの営業だが、朝早い時間はムーサテーがまだ準備できていない事が多い。ムーサテーは甘めのピーナッツとゴマのペーストをつけて食べる。カオソイには好みに合わせてタイ産レモン(マナウ)を絞って入れたり、紫玉ねぎ?(エシャロット)を入れたり、レッドペッパーを油で絡めたペストを落としたりと味変ができる。スープがなくなり次第閉店のようなので、15時を過ぎてしまっていることもあるので注意が必要だ。

客層は、チェンマイロコが多いが、バンコクからの観光客や海外からの観光客もかなり多い。ぽんこつマンも、日本の友人がチェンマイに来たときは必ず一度はこの店に連れてくる事にしている。タイの辛い料理が苦手な人でもココナッツミルク入りのカレー味は美味しく食べれるようで、好評だ。

店の位置はしないから少し離れているが、目の前にはX2 チェンマイ リバーサイド リゾートhttps://crosshotelsandresorts.com/x2/resorts/x2-chiang-mai-riverside-resort)があり、ピン川を眺めながらのリゾートライフを楽しめる5つ星ホテルになっているらしい。チェンマイにもGrab carサービスやメータータクシーがあるので目的地への移動も大変ではないと思える。

川の対岸にもぽんこつマンがよく行くメーペンシーフードがあって、そのリゾートからも歩いて行ける距離にある。ハロウィーンが終わり11月に入ったらチェンマイに乾季がやって来て、朝晩が過ごしやすい気候になる。そしてチェンマイのロイクラトン祭りも2020年は10月31日に決定したようだ。

流石に今年のロイクラトンには、一般人は日本から出かける事ができないが1日も早く、タイ民間航空局が、現在も制限している空路を解放することを願わずにはいられない。

チェンマイ で旨いカウマンガイ屋

タイご飯でポピュラーな料理はいくつかあるが、辛くはなく日本人のほとんどの人が食べられるものの1つにカオマンガイがある。ぽんこつマンもチェンマイに訪れるようになって最初の頃によく出掛けた昼飯処が、城郭内の旧市街にある Intrawarorot Rd.である。

そこは、クイッティアオ、バーミー、カオソイ(タイ式カレーラーメン)などの麺料理屋カオマンガイ屋が軒を並べる通りで、昼時はローカルが車でやって来て周囲の道路に止めることができず、駐車禁止エリアに罰金覚悟で止める車が出るほどの人気エリアだ。

城壁内の旧市内には、ワットプラシン、ワットチャディルアン、ワットチェンマンなどの文化遺産も多く、ホテルやゲストハウスも多数あるため、当然タイ国内外からの旅行者もタイの庶民の味を味わおうと多くやってくる。

今はコロナ禍の影響で海外からの旅行者が来れなくなっているので、今も営業を続けている店は少なくなっているようだが、中でもキアットオーシャー(發清 เกียรติโอชา)は1957年創業の老舗で、ぽんこつマンも何度も訪れていたが、2020年6月に撮影されたGoogle ストリートビューではシャッターが閉まっているので、閉店してしまったのではと気になっている。

この店は王妃が以前来店されたそうでチェンマイ1のカオマンガイ専門店との評判の店だが、2軒西側にある「発栄」という店もかなり旨いと評判だった。

蒸しカウマンガイは生姜が効いたタレをスプーンですくってチキンスープで炊いたご飯にかけて鶏肉と一緒に口に運ぶが、揚げカウマンガイは少し甘いピリ辛ソースに揚げ鳥をつけて食べる。カウマンガイを注文すると、付いてくるスープも旨い。少し遅い朝飯にはもってこいのタイの庶民飯だ。

タイ民間航空局が現在の飛行制限を解除してたいへのフライトが叶うようになったら、是非改めてこのチェンマイの庶民飯屋街に行ってみよう。この通りから1km以内にタイ国際航空のチェンマイ支店があるが、時期や時間帯によっては、そこでトレーニーで働く若くて初々しい女の子に会える時があるかもしれない。

チェンマイ市内ピン川沿いのデートスポット①リバーサイド

2003年、今からもう17年前ぽんこつマンは、タイの第2の都市チェンマイへ2度目の訪問をした。2001年か2002年に離婚し独りの身になったぽんこつマンは、それまで以上にアジアでの風俗体験に興味が膨らんでいて、2日3日の休暇を土日に絡めてよくタイに向かうようになっていた。それまではバンコクが圧倒的に多かったが、なんとなく「タイ第2の都市」「タイの赤い薔薇」というフレーズに惹かれてチェンマイ での風俗探索をしようとしたのだった。

チェンマイの宿は、当時はジョイナーフィーが不要となっていたインペリアルペイピンホテル(http://www.imperialmaeping.com)<現在、臨時休業>を好んで選んでいた。近くにはバービアやマッサージ屋が多く並ぶ、ロイコー通りがあり、多くの初老の白人が昼間から一杯やっている姿に憧れを感じたのだった。

ホテルの車両入り口を一歩出るとカンパングディン通りがありそこにもマッサージ屋(多分エロマッサージ)やバービアがあり、昼間から呼び込みがあったことを思い出す。当時からチェンマイの風俗遊びといえば、ゴーゴーバーではなく、マッサージパーラーかカラオケが主流のようでぽんこつマンは昼間にマッサージパーラーに行き、夜はバービアかカラオケというパターンで行動した。

カラオケは当時手に入る情報ではチェンマイランドというエリアにあるオリビア2という店がいいという噂があり、チェンマイに到着した2日目の夜にトゥクトゥクで出かけた。オリビア2の隣にはKITAMONDという焼肉屋(和食メニューもある)があり、オリビア2の経営者がその焼肉屋もやっているとの話だった。

オリビア2の前にトゥクトゥクで着いたのは19:00をまわった頃で既に店の前には2〜3人の女の子が顔見せしていただろうか。飯を食べていなかったのでまずKITAMONDに入って、情報収集を兼ねて食事をした。その時はまだ店内に客はほとんどいなかった。店主かどうかわからなかったが初老の日本語を話す眼鏡の男性が接客してくれたことを思い出す。

今Googleのストリートビューで見ると北門(KITAMOND)は今もあるようだが、オリビア2は見当たらない(取り壊されているようだ)。はっきり言ってチェンマイランドというエリアもどんどん寂れて行っていて、2010年頃、処女を斡旋している店が摘発を受けたというニュースが流れて以降、カラオケ店の看板がどんどん消えて行ったのを覚えている。

その日は、北門で軽く食事を済ませた後、隣にあったオリビア2に突入した。入り口を入ると左手に女の子がずらりと20人は並んで座っていてそこだけが明るく照明されている。その中から好みの女の子を選んでベンチシート席でお酒を飲むもよし、カラオケを唄うも良し、そのままペイバーして直ぐにホテルへ連れて行ってもよしとママらしき女性から日本語で説明された。

ぽんこつマンは、身体が大作りではない華奢な感じの女の子が好きだったが、ちょうど長いコーナーソファーの真ん中あたりに座っていた女の子がそのタイプだった。ママにその子を選ぶと伝えて少し飲んでいくことにした。

周囲に仕切りがあって他の客が何をしているかが見えない作りになったベンチシートに座る。一応カラオケというので唄の本とマイクは用意されたが、ぽんこつマンは唄には全く興味がなく、女の子とスキンシップしたかっただけだった。

彼女の名前はK◯◯◯、年齢は26歳と言っていたが、見た感じはもっと若い印象だった。ぽんこつマンはビアチャンを頼んだ。彼女はぽんこつマンに身体を寄せてきて、モモとモモが触れ合う感じに接近した。彼女は手をぽんこつマンの膝にあて、カタコトの日本語で「ウタウタワナイカ?」と訊いてくる。「唄わないよ」と応えると「ソウカ、ソウナノカ」と返してくる。

ぽんこつマンは、彼女の腰に手を回しビールを飲んだ。彼女はコーラを頼んで飲んでいた。ベンチシートがあるエリアはほぼ真っ暗で仕切りもあるからエロい事をしても問題なさそうだったが、ぽんこつマンは、静かにビールを飲んでいた。

40分ぐらいベンチシートでビールを飲んでいたが、トイレに立って戻ってくる時、ママが近づいてきて、ペイバーするかどうかを訊いてくる。ぽんこつマンは既に彼女のことを気に入っていたので、ロングでペイバーしようと考えていたが、当時はペイバーそのものがロングしかなかったのだった。

席に戻るとママもやってきてKにタイ語で一言二言話すと、Kは立ち上がって「キガエテクルネ」とその場を去った。暫くして戻ってきた彼女はヘソが見えるノースリーブシャツとジーンズ姿だったことを覚えている。当時のペーバー代は2000バーツだった気がする。

店の外に出ると彼女は「オナカスイタ」という。そこでぽんこつマンは「どこかいいムードの店に連れて行って」と彼女に伝えた。すると彼女はトゥクトゥクを携帯で呼んでチェンマイランドエリアを後にした。

トゥクトゥクはチャンクラン通りを北上し、スリドンチャイ通りを右折、チェンマイプラザホテル前を通り、T字路を左折してチェンマイの観光名所になっているピン川にかかるクアレック橋を渡ってピン川左岸の道を北上する。信号を直進して、暫く走った先でトゥクトゥクは止まった。

そこが、当時のチェンマイ娘には人気のエリアにあるThe Riverside Bar & Restaurantだった。彼女は顔が効くのか、店に着いた時はほぼ満席だったが、店内のテーブルに直ぐに案内された。さすがにピン川沿いのテーブルではなかったが、川面が見渡せる雰囲気の良い席っだった。

もしここを訪れるなら日没の少し前に席に着ける時間帯がベストだろう。ドイステープの向こうに陽が沈み、オレンジからパープルに変化する空と水面に映る河岸の光が、ロマンチックな気分を盛り上げてくれることだろう。ディナークルーズ船も予約すれば乗船できるらしい。

ぽんこつマンはオリビア2に行く前に軽く食事をしていたので、ウイスキーとトートマンクン(エビのすり身揚げ)を頂いた。彼女はプーニムパッポンカリー(ソフトシェルクラブのパッポンカリー)とパクブーンファイデーン(空芯菜炒め)とご飯を頼んだ。

彼女は、サンカンペーンに住んでいること、既に小さな娘が一人いること、その子の父親は、娘が生まれる前に逃げたこと、今は母親が娘の面倒を見ていることなどを話してくれた。

その日は、夜の23時くらいまでリバーサイドにいて、それから今はもうなくなってしまっているがぽんこつマンが泊まっていたホテルの近くにあったディスコに行った。彼女はそこで初めてコークハイを飲み、かなりハードに踊っていた。

午前1時にホテルに戻り、それからふたりはお互いの身体を確かめ合った。ぽんこつマンは既にかなり酔っていたが、彼女の膣の締まりがすごく良かったことははっきりと覚えている。翌朝ホテルで朝食をとり、もう一度部屋に戻って締まりのいい膣の感触を味わった。

昼になり彼女は帰るというので、ぽんこつマンも一緒に行っていいかと訊いたら、「OK」と直ぐに返事をくれたので彼女が呼んだトゥクトゥクに乗ってサンカンペーンの家に行った。料金はわずかに40バーツ。ぽんこつマンはチェンマイの市内を移動するだけで60−80バーツいつも要求されていたのでローカルが利用するトゥクトゥクの料金がいかに安いのかを思い知った。

家は古い木造で母親が2歳ぐらいの女の子をあやしていた。彼女の母親はぽんこつマンに水を差し出してくれたが当時は生水を飲むとお腹を壊すと言われていたので、唇はつけたもののガブガブとは飲まなかった。水と一緒に出されたマンゴスチンは2個食べた。チェンマイの一軒家にはいくつかの果物の木があるのが一般的で、自宅でその時取れる果物を出してくれたんだろう。

暫く彼女の家にいて、夕方5時前に彼女がオリビア2にまた出勤するというので、一緒にチェンマイまで戻ってきた。彼女は店に行く前に店の近くの美容室で髪を洗うと言っていたので、ぽんこつマンは先にホテルで降りて彼女にトゥクトゥクの料金として200バーツ渡して別れた。

彼女にはその後2度ほどチェンマイ で会い、チェンマイの新興住宅地を巡ったこともあったが、結果的にそれ以上関係が発展することはなかった。リバーサイドでのロマンチックなデートの時間は今も鮮明に記憶している。あの時の彼女の娘は今頃ちょうど20歳くらいだ。

もし彼女との運命が蘇るとしたら、次に彼女の娘とチェンマイでそれもリバーサイドで出会うことになるかも知れないとぽんこつマンは勝手に夢を見ている。

チェンマイで初めてうまいと思ったケーキショップ

ぽんこつマンは一時期兵庫県芦屋に住んでいたことがあり、当時は阪神芦屋駅近くにあったアンリシャルパンティエのケーキを好んで食べていた。当時も今も日本のケーキは甘すぎず、しっとりとしていてアメリカのケーキとは比べものにならないほど美味しいと感じていたが、2000年以前のタイではまさにアメリカの甘いだけのパサパサケーキが主流だったため、好んでケーキをタイで食べようとは思っていなかった。

そんなぽんこつマンのタイケーキの概念を覆したのが、2004年に訪れたチェンマイのラブ アット ファースト バイト(https://www.facebook.com/loveatfirstbitecnx/)だった。2004年にはぽんこつマンは兵庫県三田という六甲山の裏にある新興住宅地に引っ越していて、そこにもサント・アン(https://www.saintan.com)という美味しいケーキ屋があり、ぽんこつマンはそこのサント・アン・トリュフというチョコレートクリームとココアパウダーのケーキがいちばんのお気に入りだった。

チェンマイのラブ アット ファースト バイトに訪れたきっかけは、今の連れ合いと付き合い始めた頃で、デートの場所として彼女に連れて行かれたのが最初だった。その店は1999年にオープンしたようで、昔は大きなお屋敷があった場所にケーキ工房を開いたようだ。イートインスペースは店内にもあるが天気の良い日は、大きな庭木が生茂るオープンエアのテーブルが人気だった。

タイでは既にケーキの値段は高額になっているが、ぽんこつマンがその店に行き始めた頃は、大体50バーツ前後だったと記憶している。カフェラテも50バーツ前後だったから、ふたりで概ね200バーツかせいぜい250バーツまでだったと思う。この頃は、バーミーナムが屋台で20−25バーツだったことを考えるとそれでもケーキやコーヒーは贅沢品だったんだろうと思う。

今やタイバンコクの名の通ったケーキ屋のケーキの値段はひとつ200バーツを超えているが兵庫県三田市にあるサント・アンのケーキは大体300円台と考えるとタイの方が遥かに高価なものになっている。

タイで日本の暮らしと変わらない生活水準を求めると明らかに日本より高額な費用がかかるようになっているが、なぜ国民の3%しかいない月給50000バーツ以上の高所得者でもないタイ人が200バーツ以上するケーキやスターバックスのコーヒーを頻繁に口にできるのかが不思議でならない。

日本で考えれば、20万円の月給で6万円の風呂なしアパートに住み、2000円以上するケーキや2000円以上するスタバのコーヒーを飲んでいるのと同じなのだが、2日に1回ケーキとコーヒーで5000円払っていたら、1ヶ月で7万5千円のお茶代を払っていることになる。電気代が月5000円出すんでも残りは6万円。携帯代1万円払うとすると残りは5万円しかない。

タイ人の暮らしぶりはお金のある時にパッと使って、お金がなくなれば5バーツのインスタント袋麺ひとつか5バーツで買える餅米で一日過ごすということのようだが、お金がないことにあまり不安を感じないとすれば、それはかなり得な性格と言って良いだろう。

長い間、ぽんこつマンはこのチェンマイのラブ アット ファースト バイトには行っていないが2018年当時は、まだケーキ1つ100バーツ前後だったようである。この価格帯なら、日本より高いとまでは言えないのだが、2020年の秋、極めてヒステリックなまでのタイ政府のコロナに対する入国禁止措置で外国人旅行者の姿がほとんど消えたチェンマイで、この店がまだ営業を続けられているのかが気になるところだ。

次にぽんこつマンがチェンマイにいつ行けるのかはまだ不明だが、もう一度このラブ アット ファースト バイト(最初の一口が好き)に若くて可愛いチェンマイ娘を誘って訪れてみたいと思っている。

チェンマイのマッサージパーラー②パンドラ

ぽんこつマンがこのマッサージパーラーを初めて訪れたのは2003年だったと思う。この年はチェンマイのチェンマイランドというカラオケ店が集まるエリアの探索に来た年で、システムの情報を何1つ知らないまま、オリビア2というカラオケにひとりで飛び込んで、Kと名乗る当時26歳の小さな娘をペイバーしたのだが、カラオケがオープンする時間は早くても19:00頃だろうと思い、昼の2時頃ホテルを出てトゥクトゥクでパンドラを訪ねたのであった。

パンドラは、SAYURI コンプレックスよりさらに市内から離れていて、タイ国鉄チェンマイ駅から5〜600mほどの北側に位置する。市内からの行き方はSAYURIコンプレックスへ行くのと同じ、チャロンムアン通り(ターペー通り)をピン川を渡り東へ進む。ピン川を渡って1km程進んだら右手にShell の大きなガスリンスタンドが見える。その先左手に、看板がたくさん並んだサインがあるところを左に入る。

そのMPの場所はすごく分かりにくいがチャロンムアン通り(ターペー通り)の入り口から奥へ250mほど入ると、長いビルのほぼ奥のあたりにそのMPのエントランスがある。

ぽんこつマンがそのエントランスを入った時は、まだ時間が早過ぎたのか女の子は数人いただけだったがひとり可愛い子がいた。女の子はまだ金魚鉢には入っていないようでエントランスで直接顔を見たのだったが、覚えたてのタイ語で話してみても、どうもぽんこつマンのタイ語が分からないらしく、コンチアの話では普段はタイ語を使わない部族ミャンマー国境やラオス国境の娘のようだった。当時の記憶は定かではないが1300か1400Baht払ったような記憶がある。

もしかしたらタイ人ではない隣国ミャンマーやラオス、娘たちだったのかも知れない。しかしカラオケに行くまでにまだ4時間くらいあったので、その可愛い黒髪の女の子を選んで部屋に上がった。もう部屋の様子は覚えていないが、こちらも当時はバンコクのMPと比べて貧相な作りだったと思う。

部屋で洋服を脱いで、お湯(かなり低めの生温い程度)を張った風呂にふたりで入り彼女の洗体サービスを受けるが、タイ語も通じないのでは英語も通じるわけもなく、ただただ意味もなく微笑み合うだけの時間が流れた。

シャンプーという言葉は何とかわかったみたいで、髪の毛も洗ってくれた。ぽんこつマンが彼女の年齢を訊こうとタイ語、英語や自分の年齢を指でジェスチャーするなどしたら彼女は同じく指のサインで2と4のサインを出し24歳のようだとわかった。

彼女のおっぱいは自然のままの張りもあり、形のいい美乳だった。ぽんこつマンはシリコンの乳は好きではないのだ。自然のままでまだ張りがあると言う事は、20歳を超えた女には珍しい事だ。もしかしたら男との肉体関係が必須のマッサージパーラーの仕事を始めてさほど日にちが経っていない嬢なのかもしれない。アジアの貧しい農家に生まれた娘が親が背負った借金のために売られてくると言う話を聞いたことがある。学校にも行けていない純真無垢な田舎娘がその運命を受け入れて健気に笑みを浮かべて働いているのかもと想像した。

しかし彼女は処女でこの仕事に入ったのではなさそうだった。よく見るとイン毛の上あたりの下っ腹が少しふっくらしていて、かすかなセルライトの線が何本か見えていた。きっと彼女は田舎で既に一度は妊娠・出産を経験していて、子供を彼女の田舎の両親のもとに預けてチェンマイに働きに来ているのだろうと思った。

ベッドでは、ゴムを付けてのフェラチオサービスから始まって、騎乗位での本番サービス、そして正常位になってのフィニッシュまでという流れだった。本番サービスが終わったら、彼女は冷たい手でぽんこつマンの太ももやふくらはぎ、そして背中の筋肉を解してくれるマッサージをしてくる。マッサージがうまい訳ではなかったが、一生懸命尽くそうとする気持ちはよくわかった。言葉が通じないが彼女の少しはにかむ笑顔は最高に可愛いと思った。マッサージが一通り終わって再度シャワーでぽんこつマンの身体を洗い流した後、決められた時間が来る少し前にぽんこつマンは部屋を出た。彼女にはぽんこつマンが勝手に想像した彼女の生い立ちの不憫さに500バーツのチップ(当時はMPで渡すチップは普通で200、サービスが悪いと100と決めていたのだが…)を渡したが、その時も一瞬驚き、最高の可愛い笑顔見せてぽんこつマンを送り出してくれた。

店の外へ出るとまだ陽はそこまで低くはないものの、かなり光線が弱くなっていた。道の奥は左に曲がっていてそこに大きなアパートがあるようだった。多分このアパートに多くの田舎からの出稼ぎ娘や男が一部屋に何人か集まって寝泊りしているのだろうと勝手な想像をしたことを思い出す。

ぽんこつマンは、歩いてそのアパートの前を通りさらにその先へと歩を進めた。高い建物はなく、時折通るバイクの音だけが残る静かな通り。道は少しうねりさらに先へと続いていた。ぽんこつマンはただおもむろにその道を真っ直ぐ進んだ。

1kmほど歩いただろうか、その道はT字路になり、右手にはSAYURI コンプレックスの黒字に黄色のタイ文字サインが見えた。ぽんこつマンは改めてSAYURIに向かい、金魚鉢を眺めに入ったが、その日は先ほどの可愛良い女の子を超える上玉を見つけることができなかった。

その後、SAYURIを出て左へ進み右手奥に高いコンドミニアムが見える方向へ歩いてみた。いくつかの行き止まりにあたり戻っては違う道を進んで、できるだけ夕陽が落ちる方向へ進むようにしていたら、ピン川沿いを走る道路に出た。そこには、この後行ったカラオケでペイバーした女の子と後日デートしたThe Riversideや今の連れ合いと出会ったThe Gallery Cafe、そして今の連れ合いと初めてデートしたGood Viewといったチェンマイでのデートスポットがひしめくエリアだった。

チェンマイのマッサージパーラー①SAYURI コンプレックス

ぽんこつマンが、チェンマイのSAYURI コンプレックスに初めて行ったのは、1998年のことだった。ゴルフクラブの新製品の広告宣伝のためのロケ地を探すという名目で、タイのチェンライからチェンマイとゴルフ場を回った時に、ツアーガイドをしてくれたドライバーに教えられてきたのが最初だった。

場所はしないから少し離れていて、チャロンムアン通り(ターペー通り)をピン川を渡り東へ右手にクルン体銀行がある交差点を左折して350mほど北上すると、黒地に黄色のタイ文字でSAYURIとかいてある看板が見えます。そこを左折すると50mほどで到着する。

一番最初に行った時は1800Baht だった気がするが、完全にガイドが一緒に金魚鉢がある場所まで案内してくれていたのでバックマージン込みの料金を言われたと思っている。タイ語が少しは話せるようになっていて3回目くらいに行った時は、800Bahtだった時もあったと記憶している。2004年頃には1200〜1400Bahtくらいで、その後はさらに値段が跳ね上がって、金魚鉢の一番右側(入り口に近い方)は1800Bhat、金魚鉢の奥の方は2200baht、さらに奥のキャッシャーの手前に狭いスペース(ここにはガラスはない)にいるのはモデルクラス(ちょっと若く見えるだけと言う印象)という設定で2800Bahtと言われたことがある。もっとも値段のクラスは女の子が決めていると言う話があるので、値を上げても客がつく子は強気で勝負するだろうし、数をこなすことで稼ぎを得たい嬢はタマダーを選ぶのだろう。

最近は長い間お世話にはなっていないが、コンチアがタイ語でも方言を聞き分けてチェンマイ人(北部タイ人)とバンコク人(中部タイ人)とで料金を分けているようだった。また外国人にはバンコク人よりも高い料金をふっかけているようでもあった。

サービスを受ける部屋は、バンコクの多くのMPほど広くはなく、窓もない電気を消せば真っ暗な空間だったような気がする。バスタブはあるが、マットが置けるようなスペースもなく、風呂で嬢の洗体サービスを受けてベッドでゴム付き本番サービス終わったらとっとと帰りたくなるくらいじめッとした空間だった記憶がある。それからキャッシャーでお金を払って部屋に行く時の通路が薄暗く幅も狭い。それでも、北部タイの透き通るような肌をした美形に会えるのではないかといつも期待して覗きには行くのだが、ここ何年かは当たりの女の子を見たことがない。最も昼間の2時では売れっ子が出勤しているはずもないということかも知れないが……。

チェンマイに数日滞在してレンタルバイクで街を走る人は、時間帯を変えて何回か覗きに行くといいかも知れない。ぽんこつマンは夜の時間帯にSAYURIコンプレックスに行ったことはないが、金魚鉢ではない側のドア(左の階段)を入ると一応ステージのあるPUBスペースになっているようだったが何時から営業しているのかはわからない。まぁ、ほとんどの客はお酒を飲みに来るわけではなく、性欲処理に来るだけだろうから、PUBスペースは営業許可を取るためだけの見せかけスペースなのかも知れないと思うほど、いつも真っ暗だ。

ここは、コンチアが客のところまで来てどの子がいいかなどと話しかけてはこないので、ゆっくり座ってアイスコーヒーをじっくり飲んで涼みながら女の子を眺めるだけでも問題ないのでリラックスできるところが良い。

チェンマイからバンコクまで戻る時に立ち寄ったローカル市場でケップムーとチェンマイソーセージの有名店を見つけた

2019年12月30日、ぽんこつマンは1月中旬に日本へ一時帰国するために、チェンマイの自宅からバンコクのコンドへ戻ることにした。連れ合いと息子はタイの短い正月休みを連れ合いの両親が暮らす実家へ帰省することになっていたが、その実家はチェンライ県とチェンマイ県の境界にある山間の村で、息子が小さい時はぽんこつマンも一緒にその実家に行って、その村独特の正月を過ごしていたが、ここのところ連れ合いの部屋にあるベッドが狭くてマットもスプリングがヘタってすこぶる寝づらい状態にあるだけでなく、夜の冷え込みがたまらなく辛いのだ。さらにはぽんこつマンの不眠症がどんどんひどくなっていて、連れ合いの部屋では一睡もできない日々を過ごすのは辛すぎるようになっていた。

バンコクではコンドでよく自炊しているがバンコクのグルメマーケット(Mモール系スーパー)から購入する野菜はかなり割高なので、飛行機に乗る前にロイヤルプロジェクトの日持ちするじゃがいも、人参、玉ねぎなどの無農薬野菜とビールのつまみにケップムー、チェンマイソーセージを買って持って行けばいいと連れ合いが言ってくれた。

ロイヤルプロジェクトの野菜は、メーリムーハンドン道路とステープRd.の交差点の北西側にあり、朝と午後に2回近郊のロイヤルプロジェクト農園から採れたての野菜が届く。

チェンマイ国際空港はちょうどそのメーリムーハンドん道路からステープRd.を左折して1つ目の4差路を右に曲がって、タイ空軍第41航空団が管理する道路(通行には通行許可証が必要)を南下するとぽんこつマンの自宅からは市内の渋滞を避けて行けるので好都合なのだ。

そしてロイヤルプロジェクトショップの対角にあるのがトンパヨーム市場(タラート)でチェンマイからバンコクに飛行機で向かうローカルのタイ人がここでチェンマイ名物のケップムーやチェンマイソーセージを買って帰るらしいのだ。ぽんこつマンはその市場でガイトート(鳥の唐揚げ)とケップムー(豚の皮の唐揚げ)そしてチェンマイソーセージを買った。連れ合いは家に卵が少なくなったと卵も買っていた。

チェンマイソーセージは、独特のハーブがかなり効いた味なので、タイハーブがあまり口に合わない人には少し厳しいが、ケップムーはビールのつまみには最高のスナックになる。しかし塩がかなり効いているので塩分を気にする方には食べ過ぎは禁物と注意しておかないといけないくらい、なかなか手が止まらない味だ。

チェンマイからバンコクへの飛行機には80cmくらいのポリ袋にぎっしり詰めたケップムーをキャビンに持ち込む人もかなりいるようだ。ぽんこつマンは湿気てしまったケップムーは、美味しくないので20cmくらいの小さなポリ袋にそれぞれ違うケップムーをそこそこ入れてもらい機内持ち込みする荷物に入れて空港に向かった。

ちなみにそのトンパヨーム市場から100mも離れていない東側に、ピンパヨム ホテルというマッサージパーラ(アップ オップ ヌアット)併設のホテルがある。ぽんこつマンはこっそり一人でそのMPに昼間覗きにいったことがあったが、比較的若くて可愛い感じの選べるレベルの娘がいたことを覚えている。

チェンマイに男一人で遊びに来た時には空港から近いので一回は覗きに来てもいいと思う。話は少し逸れてしまったが、チェンマイのマッサージパーラの話はまた違う機会で触れることとしよう。

バンコクラマ9で見つけた格安タイマッサージ

ぽんこつマンがタイマッサージにハマったのは今から20年以上前に友人と二人でチェンマイを訪れた時だったろうか。当時のチェンマイで若い女の子と遊ぶにはチェンマイランドにあるカラオケがいいという情報を確認のために、泊まっていたインペリアル メーピン ホテル(http://www.imperialmaeping.com)からトゥクトゥクで昼間に偵察に行った帰りに、チャンクラン通りを歩いてホテルに戻る途中に見つけたマッサージ屋だった。

今はあるかどうか分からなくなっているが、当時はトゥクトゥクの運ちゃんがチャンクラン通りを進む途中にここのマッサージがいいと指差ししてくれたところだった。料金は1時間180バーツだった気がする。友人とフットマッサージを1時間だけ頼んだのを覚えている。

足裏のツボを棒切れのようなもので押してマッサージをするのだが、あのなんともイタ気持ちいい感覚を初めて味わってから、タイでのマッサージがとにかく好きになった。その友人とは大阪で一緒に仕事をする中で、夜は大阪市北区兎我野町のタイ料理屋タイパブで遅くまで飲み、最後によく一緒にタイマッサージに行ったことを覚えている。

兎我野町は、深夜になれば立ちんぼも多く現れる怪しいエリアで、近くに交番はあるものの、曽根崎警察署と天満警察署の管轄境界にあたるらしく手入れがほぼ無くなんとなく無法地帯のようだった。

ぽんこつマンは、そこでタイ料理屋でアルバイトしていた不法滞在のタイ人娘としばし良い仲(セフレ)になった事がある。店が閉まるのは午前3時か4時でそれまでその店にいて、その女の子と近くのホテルで◯ックスするのだが、その子が日本のイミグレに捕まって留置されてから彼女との関係は切れてしまった。

一方タイマッサージ好きはどんどんヘビーになって、難波のフィリピンパブに行った後も難波にあるタイマッサージに深夜2時から朝4時まで2時間たっぷり揉んでもらったりする生活になっていた。

ぽんこつマンはやがてチェンマイで今の連れ合いと知り合い、それからはタイに行けば必ずチェンマイでマッサージに行くようになる。チェンマイのマッサージで、今の連れ合いが一番最初に連れていってくれたマッサージ屋もチェンクラン通りから少し奥まったところにあった。手前は駐車場になっており、当時もカムリなどのタイでは高級車がよく停まっていた平屋の白い建物だった。

あの時から既に20年経って今チェンマイのマッサージ料金は、1時間230〜250が相場になっているが、他の物価上昇率に比べると(豚のバラ肉は当時1キロあたり80バーツくらいだったが今は160バーツくらいになっている)かなり上がり幅が低いと感じるところもある。

バンコクのマッサージも今から数年前に行った時に1時間300バーツというところがあって随分高いものだと感じていたが、2019年にタニヤのカラオケでアルバイトしていた女の子が自分のアパート近くにあるマッサージ屋を紹介してくれて行った時は1時間200バーツと良心的な値段設定だった。

タニヤのカラオケでアルバイトしていた女の子の住むアパートの近くのタイマッサージ屋

そこは、店の店主に言わせると近くにBUプレースホテルという3つ星のホテルもあり、そこを利用する日本人もよくマッサージに来るとのことだったが、Pracha Songkhro ソイ2というかなりローカルな通りにあるので、ぽんこつマンが乗ったタクシーも道が分からないフリをしてメーターを稼ごうとしたくらいの場所にあっておよそ短期滞在のツーリストが行くような店ではなかった。

ぽんこつマンはその店でもフットマッサージを2時間頼んだが、かなり入念にツボも押してくれて久しぶりにスッキリできた記憶がある。残念ながらぽんこつマンが住んでいるコンドからはかなり遠くなるので、それ以来また行ってはいないのだが…….。

ぽんこつマンが行きやすくてしかもリーズナブルな価格設定と思う店は、実はMRTラマ9駅をセントラルの反対側にあるフォーチューンタウンの半地下1階に2軒ある。そのうちの1軒にぽんこつマンは行った事がある。知り合いとの待ち合わせの時間があり実質50分くらいしか時間がなかったのだが、フットマッサージ1時間150バーツという値段が表に掲示されていて、物は試しと入ってみたのだった。店の名前は、Grand Bangkok Massage。

ドアを開けるとすぐヌフっとマッサージチェアがずらっと並んでいて一番手前だけが空いていて、そこに案内された。他の椅子には地ローカルの客で埋まっていた。椅子に座って靴下を脱いでいると、50歳くらいのおばちゃんがお湯を入れた洗面器とタオルを持ってやって来て、まずは足を洗ってくれる。そしてタオルで拭きあげた後、片方の脚にタオルを巻き、もう片方の脚のマッサージが始まる。

ぽんこつマンはあらかじめ店を出なくては行けない時間を伝えていたので片方の脚を25分でマッサージしてくれたが、スネやふくらはぎには何やらタイの塗薬のようなクリームを塗ってのマッサージに、「ここまでやって1時間150バーツ?」と驚くほどだった。

最後にカウンターでポケットに突っ込んでいた200バーツで支払って、カウンターまで一緒に来たそのマッサージ師に釣りの50バーツをチップで渡して待ち合わせの場所へ急いだ。

他にも上の階へ上がるエレベーターの近くにももう1軒あってそちらもフットマッサージ1時間150バーツ、タイマッサージ1時間180バーツという値段表示があった。ぽんこつマンは背中がよく張って肩も首も凝るのでタイに来るとマッサージは欠かせないのだが、買い物にセントラルラマ9に来る事も多いのでその時は、また改めてタイマッサージを試してみようと思う。

タイのレストランでウェイトレスの女の子と仲良くなってみよう

タイに着いたら、レストランで食事をすることが当たり前になる。タイのレストランには、タイ人の若くて可愛いウェートレスがいる事が多いが、そのレストランが高級ホテル内のレストランや有名で気の張るレストランでない限りは、そのウェイトレスと仲良くなってみるのも悪くはない。

食事の際にもしビールやワイン、ウィスキーなどのアルコールを注文した場合、テーブルサービスとしてビールやワイン、ウィスキーなどを注ぎに来てくれるのだが、一人気になる子がいたらぽんこつマンはその気に入った一人の女の子がこちらを見ている時に手をあげて「ノーン」と声を掛ける。

ウェイトレスは大概名札をつけているので、まず名前を確認する。彼女に向かって「チュー アライ カップ?」と言えば彼女は自分の呼称になっている呼び名を教えてくれるだろう。彼女が名前を教えてくれたら、一回声に出して彼女の名前を言ってみよう。彼女の名前を読んで彼女が笑ってくれたら、「ノーン ◯◯」と言って簡単なものを追加で1品頼んでみよう。

次に、氷が足らなくなったら、また彼女を見つけて手を上げて「ノーン 〇〇」と読んで、注文をしよう。そうこうしている内に彼女がそのテーブルのことをよく見てくれるようになったら、精算の時にもう一度彼女を読んで、精算をお願いして個別にチップを渡して、LINE ID を交換してもらえれば、ナンパできたも同然だ。

ただの友達としてお付き合いするか、恋人候補としてお付き合いするかは相手との関係もあるが、まずはコミュニケーションを取るために次のデートを約束できるといい。それが難しいようなら、何度かそのレストランに通ってその子にアプローチを繰り返すのもいい。

日本では、そんな簡単にLINE交換までは行かないが、タイでは意外に安易にLINE交換ができる。ゴーゴーバー嬢やバービア嬢ではなく、学生のバイト娘と仲良くなってみるのも悪くはないのだ。

ぽんこつマンは、そうやって仲良くなった女の子と、バンコクならドリームワールドやウォーターパーク(サイアムアメージングパーク)とかのアミューズメント施設でデートした事もある。タイの女の子は年齢差がかなり離れていてもOKな娘が多いと思う。

今はタイに行けなくて、バンコクでひとりレストランに入って可愛いウェイトレストを見つけて、ナンパもできないので、エアナンパするしかないのだが、早くコロナによる国境封鎖が解除されることを期待したい。

空港からバンコク市内へタクシーをつかう時は

空港からのタクシーに乗る場合は、メーター料金プラス空港施設使用料の50バーツが必要でさらにバンコクのタクシーが市内へ向かう際、「タンドゥアン」と言う単語を発した時は「有料道路=高速」と言う意味だと覚えているとさらに安心だ。バンコクの場合は空港からすぐに高架の道路を走るが、料金所が見える手前までは無料である。その料金所を通過する前に左側のラマ9世通りへの降り口を降り、ラマ9世通りを西に行ってもアソークやナナ近辺には時間的にそんなに差が出ることはない。

もし、宿泊先がサトーンやシーロムより西または南といった場合は、高速を使う方が早いケースがあるが、スクンビット通りのソイ1近くに降りる高速出口は大概大渋滞するので注意が必要だ。

高速道路を走ると距離が多くなり、途中で降りたいとも言えなくなる。渋滞で前に進まなくてもメーターはどんどん上がるので、ぼったくりを狙っている運転手は客が乗車中の渋滞はむしろ歓迎なのだ。

空港を出て、どうしても高速道路を走って欲しくなければ、「マイ アウ タンドゥアン ナカップ」と言えば渋々でも「Rama Ⅸ」とサインのある左側を走って高架道路の下へ降りてくれるだろう。

ぽんこつマンは、荷物が多い時は空港の地上階に降りてタクシースタンドでSUVタイプのメータータクシーを選ぶが、ハンドキャリー1つの時などは、出発ロビーまで上がって、客を送ってきてそこでしばらく客待ちをしているタクシーを見つけてバンコク市内へ向かう。

この方法は公認されているわけではないが、旅慣れた人はよく行う方法だ。この方法だと本来地上階のタクシースタンドから出発する時に発生する空港使用料の50バーツは不要になるし、バンコクしないから正常なタクシーメーターで走ってきている車なので、違法なメーター加工は行っていないはずなので、正しい距離に応じた正規の料金がメーターに表示されるはずなのだ。

ぽんこつマンがスワナブーム空港からぽんこつまんが住んでいるエアポートリンクラムカンヘン駅に近いコンドまでは高速の利用なく運賃のみで180バーツもいかないくらいで到着できるのだ。スクンビットエリアでも高速を使わないでラマ9へ降りてスクンビット71かスクンビット63へ左折した後ペップリー通りを右折して、スクンビットエリアに行けばペッブリー通りから南下する道路の渋滞にもよるが250〜300バーツで着けるはずだ。

その運転手にしても空港からの帰り道、乗客なしで客を拾えるバンコク市内で戻るより、正規の運賃が入るのでWIN & WINなので運転もあまり荒い走りをしない運転手が多い。ただし、行き先をタイ語で正しく伝える事ができるかどうかが不安な場合は、地上階のタクシースタンドを使った方が安全だろう。

一刻も早く空港を出たいとか、少しでもタクシー代を節約したいと思う人は、出発ロビーに客を送ってきたタクシーでバンコク市内へ向かう時、「パイ ◯◯◯◯◯◯(行き先 ホテル名、建物名)カップ」と言えればほぼ間違い無く目的地に連れていってくれるだろう。タクシーの運転手は「パイ(行く)タン ドゥアン(有料道路)マイ(疑問符)?」と聞いてくるからどちらでもいいという場合は、「レオテー(クン)」(まかせます)と言っておけばいい。後はGoogle マップで現在地と方向をチェックしておけばいい。

空港の到着ロビーには、AOT Limousine(https://www.aot-limousine.com) という送迎サービスもあるが、バンコクはベンツやBMWでなくてもタクシーに比べかなり高額(3倍以上)になるので事前に調べておくことをお勧めする。因みにチェンマイでは場所によってはメータータクシーより安くなることもある。チェンマイのメータータクシーはチェンマイ市内まではメーターを使うが、少しでも遠くなるとエリアごとに言い値になってしまい、それがリムジンより高いことが多いのだ。

日本人の感覚だと300バーツは1000円位、1000バーツは3300円位で空港から市内までの料金としては高く無いと感じるかもしれないが、一方タイ人の感覚では、タイの1000バーツは日本の1万円の感覚だし100バーツは日本の1000円の感覚だ。バンコクのメータータクシーの初乗りは1kmまで35バーツ、後は走行距離が

1~10km: 1km毎に5.5バーツ
10~20km: 1km毎に6.5バーツ
20~40km: 1km毎に7.5バーツ
40~60km: 1km毎に8.0バーツ
60~80km: 1km毎に9.0バーツ
80km以上: 1km毎に10.5バーツで上がっていく。時速6km以下で1分走行あるいは停車に対し2バーツメーターが上がる。タイの信号待ちは長くて赤になってから次に青になるまで3分が普通で長いと5分くらい青にならない交差点がある。渋滞で1つの信号を越えるのに3回信号が青になっても無理な時もあるので覚悟が必要だ。

黄色と緑のツートンカラーは個人タクシーで、乱暴な運転やあえて遠回りやメーターを改造していたりする悪質運転手もいるので、決してタクシードライバーを罵倒したり叱責したりしない方が賢明だ。中にはいいドライバーもいるから、万が一あまりに運転が荒く危険を感じる場合やぼったくりタクシーだと気がついた時点で、タクシーを降りて新しいタクシーを探すのも必要だと思って欲しい。

後メーターを倒さないで走ろうとする運転手もいるので、乗車時にメーター(ミーター)と言っておこう。まぁ空港から市内へのタクシーはほぼメーターを使うだろうけどね。

降りる時には必ずトランクの荷物を下ろしてから料金を払うようにしよう。その時の料金が235バーツだったら200バーツ札2枚と20バーツ札2枚を払い、お釣りは要らないと言っておくことをお勧めする。20バーツ冊がたらなくて100バーツ冊3枚渡した場合は20バーツ冊2枚あるかと聞く(ミー イーシップ ソン バイ マイ?)と20バーツ冊を2枚か1枚返してくれることが多いだろう。多くのタイ人は小銭のお釣りはチップでドライバーに渡す。中には100バーツ札が足りなくて1000バーツや500バーツ札を出してもお釣りはないと断られることがあるので、その場合は通り道のコンビニにいってガムか水を買って100バーツ札を用意しよう。

どんなに短くてもせっかくタイに遊びに来るなら不愉快な思いをしないで過ごせる方がいいので、少額のお札は多めに持っておくことをお勧めする。

ぽんこつマンが好きなバンコクのラーメン屋

ぽんこつマンがタイにいる時はよくラーメンを食べに行く。一番最初にバンコクで訪れたラーメン屋は、スクンビットソイ33/1にあるラーメン亭(http://ramentei-bkk.com/shop-information/)だ。ぽんこつマンがバンコクに2回目に訪れて、スクンビットソイ19のThe Key Bangkokhttp://www.thekeybangkok.com/en/?utm_source=GMB&utm_medium=HotelHomePage)を常宿にした最初の時だった。

2002年頃のことで、当時は今ほど至るところにラーメン屋があるわけではなく、たまたまアソークからプロンポン方向に歩いて散策している時に見つけたラーメン屋だった。ぽんこつマンはまだまだ大食いだった頃で、その時はチャーシュー麺と餃子、さらに中華丼を注文していた。

その味は挑戦的では無いが安定した日本の町中華の味で、いつ食べても美味しいと思う。もう1つタイには早くから進出しているラーメン屋がある。それは8番ラーメン。1992年バンコクに海外1号店を開いている。8番ラーメンはぽんこつマンの実家がある北陸に多くの店舗が展開していて、高校生の頃からたまに食べたことがあったが、味的にはやはり刺激が少なく、最近はパンチにかけるという印象だ。ぽんこつマンのタイでの8番ラーメン体験はチェンマイになるが、そこはセントラルプラザチェンマイエアポート店だった。2003年くらいから毎年チェンマイに行っているが当時は日本食レストランはFUJIとやよい軒くらいでラーメン屋のチェン店開店はチェンマイにはなかったという記憶がある。当時からおいしいラーメンというタイ資本のラーメン屋はあったが、味が日本人向きとはいえなかったのでそれならばと8番ラーメンに入ったというわけだった。

日本でラーメンがブームが始まったのは、1985年ラーメンをテーマとした伊丹十三氏の脚本・監督による映画「タンポポ」が公開されてからとぽんこつマンは思っている。1989年には首都圏を中心に豚骨ラーメンブームが起こり、1994年新横浜ラーメン博物館がオープンすることになる。

ぽんこつまんが本格的にラーメン好きになったのは、1986年頃からでちょうど会社で働き出して3年、食べるものにこだわりを持って接することができてからだと思う。当時は関西の会社に勤務していたが、金曜日の仕事が終わりどうしても博多の屋台ラーメンが食べたくなって車で高速道路を走って博多に夜中2時ごろに着いてラーメンを食べるといったこともするほどになっていた。

東京で、麺屋武蔵が初めて新宿の子滝橋通りに店を開き、まだ煮干しを使った魚介系スープが珍しくそれほど混雑していない時に近くにあるルーレット教室で遊んだ帰りは必ず立ち寄っていた。そのうち大行列ができるようになり、足は遠のいたが、もう1つ東京にしかないラーメン屋で「はしご」というダンダン麺の店が今も忘れられない。さらには、喜多方ラーメンの東京進出で一時期麹町にあった「小法師」にもよく通ったことを思い出す。

「はしご」は東京にしかないし、「こぼし」も東日本に集中していて海外進出はしていない。タイへの多くのラーメン屋の進出のきっかけは、2008年東京豚骨ばんからラーメンがスクンビットソイ39にオープンしてからだ。2013年には関西が拠点の豚骨 火山 ら~めんがバンコク1号店を出店した。豚骨スープを主体とした日本で人気のラーメンとなった一風堂がバンコクに進出したのが2014年、千葉の鶏パイタンラーメン七星(ななせ)が2015年にトンロー駅前に出店。2016年には、博多一幸舎がトンローJアベニューにオープン。これまでにもバンコクで新しくラーメン店ができては消えていっているが、やはり海外進出しても味が大きく変わらないチェーン店は長く残れるのだろうと思う。

ぽんこつマンがタイで食べたラーメン屋は、らーめん亭、一風堂、一幸舎、ばんからラーメン、七星、豚骨火山ラーメン、内田家、チャブトンラーメン。この中でスープが旨いと思うのは今のところ一幸舎が1番、七星が2番、ばんからが3番と言ったところだろうか。

チェンマイの家で自分で豚骨と鶏ガラを煮込んでスープを作って食べてみたが、ラーメンはタレもかなり味を左右するし、麺との絡み方も重要だと思う。バンコクという地で、スープも面もそしてトッピングもチャーシュー1つとっても、いつも一定の味を維持するのはかなり難しいと思う。

ラーメンチャンピオンの店としてタイで展開しているチャブトンのチェンマイの店での話だが、提供された時にスープが既に冷めていてがっかりした記憶がある。その後数回訪れて店のスタッフにスープが冷めていて美味しく無いと伝えたが改善は見られなかった。タイ人は猫舌が多いのか熱々のスープはどうも苦手なローカルが多いようであった。スワナブーム空港の国内線のフードコートにもラーメンを出している店があるが、そこの店は、タレの塩味が全く効いていないこともあった。

タイでは味が一定しないことがままあるのだが、何か1つの行程をすっかり忘れているあるいはパスしているということかもしれない。まぁ、日本の味の代表になりつつあるラーメンが大きく外れた味にならないようにタイ人の料理人にも頑張ってもらいたいものだ。

タイのごま油はなぜ酸化した油の独特な匂いがするのか

ぽんこつマンは、自分で料理する。バンコクのコンドにもIHヒーターがあり、カレーやシチュー、肉じゃが、ふろふき大根などの煮込み料理、麻婆豆腐、麻婆茄子、肉野菜炒めなどの中華風炒め料理、ポークチャップ、ポークピカタ、グリルチキン、ビーフステーキなどの肉料理、そして鴨鍋、すき焼き、しゃぶしゃぶ、湯豆腐窓の鍋料理、そしてボンゴレビアンコ、ボロネーゼ、アラビアータ、ポモドーロ、フンギのクリームソース、カルボナーラといったパスタもよく作る。

中華を作る時の炒め油はごま油を使うことが多いのだが、なぜかタイのごま油は日本のごま油のような香ばしい香りがしない。ぽんこつマンにはタイのごま油は、酸化した油に匂いがするので、日本に一時帰国した時に日本でごま油を買って持っていくか、タイの日本食品店で日本のごま油を買うようにしている。

チェンマイに住んでいる連れ合いも、タイで売っているタイ産のごま油は、日本のごま油のように良い香りがしないと嘆いているが、なぜなのだろう。

バンコクにはまい泉(https://mai-sen.com)がエムクォーティエに入っていて、幾度か食べに行ったことがある。ぽんこつマンはそこでよくカツ丼を食べるのだが、なぜかそのカツもタイのごま油の独特な油の匂いがしていて、かつて東京のまい泉青山本店で食べたとんかつとはまるで違う印象だった。

タイでは、一度調理で使った油を集めて再生した安い油があると聞いたことがある。しかし、タイのタラートで売っているフライドチキンやソイカウボーイなどの歓楽街で売っている屋台のガイトート(タイ風フライドチキン)でも油が参加している嫌な匂いはあまり感じない。

やはり、バンコクのまい泉では、タイ産のごま油を使っているのではないかとさえ思う(まい泉 マーケティング本部 海外事業グループから2020年10月5日に連絡があり、植物性油(大豆とパーム)を使用ほど、独特の参加した油の嫌な臭いが気になる。まい泉は揚げ油には拘っているはずだから、ごま油を使用するよう指導しているのかもしれないが、タイではごま油より米油の方がきっと旨いとんかつが揚るような気がする。

ごま油の製法には、圧搾法と抽出法というのがあるらしいが、日本の有名メーカーのごま油(かどや、マルホン、九鬼など)は全て圧搾法で香りや栄養価が高いとされているが、最近は圧搾法ではなく、有機溶剤を使って胡麻に含まれる油を溶かし出す抽出法で作る方法を行っているごま油もあるようだ。

タイにどんなごま油メーカーがあるのか知らないが、例えば中国産のゴマを中国の工場で抽出法で作られたごま油となれば、その味や香りが日本の圧搾方による香ばしい香りを保証するものではないのだろう。低コストで大量に得られる抽出法で作られたごま油がタイで出回っているものの主流だとするとその味と香りが日本のものと大きく違うのは間違いないところだろう。

やはり値段は少し張っても、せっかく旨いものを作るのだからごま油を使うなら圧搾式のごま油を使いたいものだ。

バンコクのコンドに住んで一番大変なこと

タイと日本の大きな違いは、なんといっても水だ。バンコクの水道から出る水は飲料用ではない。バスタブや洗面台に蛇口を捻って水を貯めてみた人ならわかると思うが、無色ではないことがほとんどで、若干黄色を帯びていることが多い。これは今度などの集合住宅に限ったことではなく、一般の住宅でも同じだと思う。

トイレの排水やシャワーはまぁしょうがないが、洗濯もこの黄色を帯びた水で行うと、白い T-シャツやパンツが黄ばんで行きそうでどうしてもTシャツは黒が多くなってしまう。また洗濯の時にタイで普通に売っている洗濯用漂白剤を入れると、ベットシーツやピローケースの色落ちがまるで幼児がおねしょした後のようにシミをつけたように色落ちする。日本製の漂白剤でタイ 試したことがないが、タイで売っているシーツやピローケースには漂白剤は不可と表示されているようだ。

そこで、女を部屋に呼んで自分のベッドで◯ックスをする時、女のメンスがまだ完全に終わっていない時や女の体液(お◯ンコ汁やヨダレ)の量が異常にに多い時などでシーツやピローケースが汚れた時はシーツやピローケースを買い替える羽目になる。

最初からベッドに女の尻の下に厚手のバスタオルを何枚も重ねておいておくなどの処置をすれば、シーツまでしみることは避けられるかもしれないが、それはあまりにもロマンチックな気分を害するので、普通は何か事前の準備をしてその行為に至ることはないものだ。せいぜい、シーツの下にあるマットパッドにシミが届かないように、シーツの下にバスタオルを敷いておくくらいが良いところだ。

話は戻るがタイの水道水は、当然飲んではいけない水である。どうしてもその水道水を飲料用に使いたいとなれば、浄水能力の高い浄水装置を自宅に設置することが必要になる。その場合でも使用頻度にもよるが1年に一回は高価なフィルターを交換する必要がある。ぽんこつマンのコンドの部屋にはかなり浄水能力の高い装置を設置してはいるが、それでもそれはインスタントラーメンを始めとする料理で煮沸することを前提での水として限定している。

実際に直に飲む水は、ドリンキングウォーターを買うことにしているが、ぽんこつマンはバンコクでは車を持っていないので一本1.5Lの水を6本にパック(42バーツ〜)したものを買いに行くのは、かなりの労働になる。スーパーに出かけて野菜や肉を買うのは良いが、一緒に水を大量に買うことはまずない。かといって1.5Lのボトルは製氷に使ったりすれば、まず2日は持たない。この水をだけを毎日わざわざコンビニに買いに行くのも面倒なことだ。

それではどうしているかと言うと、ぽんこつマンは、スーパーから食料品や日用品を選んで配送までしてくれるアプリサービスを利用している。一番よく使うのは、HappyFresh (https://www.happyfresh.com)と言うアプリで、これは、MモールグループのグルメマートやビックC、テスコロータスのほかWine connectionなどからも注文できるアプリだ。決済はクレジットカードを登録しておけば、購入した商品がコンドまで届いた段階で配達人から電話が入り降りて行って商品を受け取るだけで良いのだ。

もう1つはHonestBee (https://www.youtube.com/watch?v=5CmUpBM2uEg)と言うアプリで、こちらの方が選べるスーパーマーケットの数は多かったがグルメマーケットの商品(特に肉と野菜)の鮮度が一番良いことが多かったので、グルメマーケットを選べるHappyFreshを使っている。もちろん配達には時間帯によって異なるが60〜80バーツの配送料を支払うがタクシーでスーパーまで行ってタクシーで帰ってくること(片道80〜120バーツ)を思えば安いものである。

ドリンキングウォーター1.5Lの水を6本パックで9kg、ビアチャン大瓶3本3kg、それに肉や野菜、果物を買うとあっという間に20kgを超える重さになる。何も持たないで歩くだけでも日本に比べて歩きにくいバンコクでは、デリバリーサービスなしで暮らすのは大変だ。

あとはクリーニングの宅配サービスがあるとバンコクの生活はもっと便利になるのだが……。

タイバーツを日本円から両替するなら

タイの通貨タイバーツに両替するなら日本の空港でタイバーツに両替するよりタイに到着した空港で当面のタイバーツ(ホテルまでのタクシーや電車に乗るために必要な程度)を両替しておいて、あとは到着空港の市内にあるレートの良い両替所で両替するのが良いと思う。

もし空港からGrab car でホテルやコンドミニアムなどの宿泊先へ向かうのであれば、あらかじめGrabにクレジットカードを登録しておけば現金無しでも移動は可能だが、チェックインして部屋まで荷物を運んでくれたベルボーイに渡すチップを考えると20バーツ札10枚と100バーツ札3枚くらいは切らさず持っていた方がいい。ちなみに50バーツという札もあるが流通量がかなり少なめ。

なので空港でひとまず2000〜5000円くらいをタイの到着空港で両替しておけばその先の不安はぐっと低くできる。

バンコク以外の地方都市はメータータクシーは割高なので、手持ち現金に不安がある場合はGrab carなどで事前にクレジットカードを登録して現金を使わなくてもいいようにしておきたいものだ。特にプーケットは空港からホテルが集中するパトンビーチ周辺まではかなり距離があるので、もしぼったくりのタクシーに当たったら、1000バーツを超える請求が来るかもしれないので要注意だ。タクシーは基本的にあまり釣り銭をきっちり返してはくれないことが多いから、お釣りにシビアな人は少額な紙幣を多く持っておくべきだろう。ちなみにタクシーの運転手のほとんどは端数の小銭をチップでもらえることを期待している。

またタイでは、クレジットカードが使える店は今は多いが、それでも今も現金のみと言うレストランがないと言うわけではないので現金はある程度必要だ。ナイトマーケットなどへ出かけたらたとえクレジットカードが使えたとしてもスキミングのリスクなどもあるため安全を考えると現金払いをお勧めする。ゴーゴーバーやバービア、カラオケから女の子をペイバーして払うチップは100%現金だ。

さて、バンコク市内での両替はと言うと至る所でできる。まずは宿泊先のホテル、ここのレートは多分一番悪い。次に銀行、もちろん日本で両替してくるよりはるかにマシだが、ここもレートがそれほど良くはない。どちらかと言うとタイの空港と変わらない感じ。そして両替商の店舗となる。両替商の店舗はBTSやMRTの駅にある場合もあるが、タイの銀行のブースもあるのでレートをチェックして納得できるところで両替をして欲しい。

タイのかなりのローカル都市に支店を持つ両替商で名前が通っているのはSuper Rich、一般にBTSやMRTの駅に見かけるオレンジ色のものと、有名デパートなどに店舗を構えているグリーンのものがあるがグリーンは多分バンコク以外にはないように思う。

どちらがレートがいいかと言うと、グリーンの方が(THと表記が追加されていてる)一般的にレートがいい。中でも、本店に当たるソイラチャダムリ1を入ったところにある本店(https://www.superrichthailand.com/#!/en/contact#branch)は、エンポリアムやセントラルワールド、セントラルラマ9などにあるスーパーリッチTHより一段といいレート(一万円でデパートなどにあるスーパーリッチTHより10バーツ良い)であることが多い。ただし、一番近いBTSのチットロム駅からも1Km近く歩くので少し大変だ。もしかなりの額(例えば50万円以上)を両替したいのなら本店に行く意味はあるだろう。

ちなみにスーパーリッチTHもオレンジ色の スーパーリッチもスマホアプリがあるのでタイでダウンロードすれば、いつでもレートをチェックできる。

ぽんこつマンがかつてはよくナナプラザで遊んでいた頃は、 BTSナナ駅のちょうどセンターあたり、スクンビットソイ7Alley とスクンビットソイ11の間にあるVasu Exchange(http://www.vasuexchange.com)も良く使っていた。

タニヤでバーツが必要になったらタニヤ・スピリットと言う酒屋さんが日本円の両替をかなり良いレートでやってくれていると言う話をカラオケの女の子から聞いたことがある。

ちなみにバンコク銀行のレートを参考に見てみると、

上の3つの両替商のレートがいかに良いかが良くわかる。1万円で64〜69バーツの差がある。この差は屋台でバーミーやクイティアオを食べれる。100万円を両替すると6400〜6900バーツ違うと言うことだ。6400バーツあればバンコクのゴーゴー嬢をペイバーして◯ックスしても少しお釣りが来る感じだ。

両替にはパスポートなどの英語表記あるいはタイ語表記の写真付き身分証明書が必要になるので、両替に出かける時には忘れないようにしておこう。

ここのところ、一時期のタイバーツ高が少し落ち着いてきているようだが、ぽんこつマンの記憶では1万円が4000バーツ近くになった時代もあったと思う。日本円がタイバーツに対して今以上に強くなって欲しいと願うばかりである。

バンコクでバイクタクシーに乗る

バンコクには、ある程度新都市交通網であるBTSやMRTそしてエアポートリンクという鉄道網があり海外旅行者や通勤者の利用が進んでいるが、タイは暑い国で駅を出て少し歩くだけで汗だくになってしまう。だから少しお金に余裕ができると自家用車を所有するタイ人が多く、バンコクの大渋滞は、年を追う毎に激しくなる一方である。

タクシーでの移動は、エアコンが効いていて汗を大量にかくと言うことはないが、渋滞にしょっちゅう見舞われて時間に間に合わないことや想定外の料金に跳ね上がることも多くある。またバンコクの歩道は整備ができておらず、実に歩きづらいし、タイ人で歩くことを厭わない人は珍しい。

と言うわけで、タイ人はちょっとした移動にバイクタクシーをよく使う。バイクタクシースタンドは至る所にあって、新都市交通網の駅に行くにも、駅で降りて目的地に行くにもバイクタクシーを使う。

タイは人口10万にあたりの交通事故死死亡者数は常に世界上位にある国でバイクが一番危ないと言われているが、移動の利便性が最も良いのでぽんこつマンも何度も使ったことがある。特に、太陽が沈んで日差しがキツくない時のひとり移動はバイタクが好都合だ。Grab バイクは配車を待つ必要があるので今のところ使ったことがないが、オレンジのチョッキを着たバイタクは幾度となく使ってきた。

バンコクで歩いて行く距離は大体500mまで、それ以上遠い場合はバイタクを利用することがほとんどになった。ぽんこつマンがバンコクで住んでいるコンドからBTSの最寄り駅(約3km)へ行く時、タクシーだと渋滞が影響して30分以上かかって料金は80バーツ超えるので100バーツ払うことが多いが、バイクタクシー(モタサイ)だと車の間をすり抜けて行くので、信号待ちがいくつかあっても15分くらいで着いて40バーツが相場。(法律上は2キロまで25バーツ以降1キロ毎に5バーツ追加となっているらしいので4キロでも35バーツだが、細かいことは言わず、「パイサターニロットファイ〜、40バーツダイマイ?」とオレンジのチョッキを来ている運転手に聞いておけば大丈夫だ。

一度、深夜までタニヤのカラオケで飲んでMRTもBTSも終電がなくなった後に、タクシーでナナプラザへ行こうとしたら、400バーツと言ってきたのでタクシーは乗らずにシーロム通りをルンピニ公園のある交差点まで歩き、そこでバイクタクシーに尋ねたら、80バーツなら行くと言う。深夜は交通量も多くないし、排気ガスも少しは少ないので乗ることにした。ラマ4通りを東に進み、クロントイ市場の交差点を左折北上し、少し進んだところを右折してさらにスクンビットソイ4を北上するルートで10分くらいで着いた。

夜の繁華街ではタクシーもメーターを使わずぼったくり料金を吹っかけてくる。特に電車がなくなった後のぼったくり度は半端ない。バイクタクシーもタニヤでは200と言っていたので少し歩いて繁華街から離れたところで拾って80になったが、本来なら40〜60までの距離だ。

ぽんこつマンが仲良くしていたタニヤで働く女の子はいつもグラブバイクの配車を利用してタニヤからラチャダーソイ3の自宅まで40で行くと言っていた。次にタニヤやナナプラザやソイカウボーイから深夜帰る時は一度グラブバイクを探してみようとも思う。

バンコクマッサージパーラはコロナでほぼ全滅、でもエスコートはまだ生きているようだ

ぽんこつマンがタイで一番最初に接した風俗は、以前の投稿でも書いているが、マッサージパーラーだ。かつてはホームページで在籍の女の子を見ることができる店も多かったが、2020年9月30日現在、ホームページが存在するのはポセイドンとユートピアだけで、在籍の女性の写真は全て消えている。ポセイドンにメールで問い合わせてみたが何の返信もなく電話してみたが誰も出ない。

ぽんこつマンは日本に戻ったままタイには行けないでいるので状況の悲惨さを確認する事はできないが、現在の軍事政権が2014年5月にクーデターによって樹立されてから、タイ警察の権力と軍の軋轢によって、タイ警察の支配下にあったマッサージパーラが軍によって摘発を受け、徐々に廃業や統合が進んだらしいが、コロナの世界蔓延による非常事態宣言令で全ての風俗産業が2020年3月末から営業停止に追い込まれた。

7月からは営業再開が認められているようだが、ゴーゴーバーにしろ、カラオケクラブにしろ、これまで多くの外国人観光客に支えられてきた風俗産業や飲食業の多くは連日顧客の姿がない状態で、いずれ廃業せざるを得なくなる瀕死の状態のようである。

そんなタイの風俗業界の頼みの綱は、3月26日からタイを出国できなくなった観光客や不法就労していた外国人、そして就労ビザを持ちタイで働いている外国人と特定の富裕タイ人だけが顧客という状況で、店舗を構えての営業にはかなりの負荷がかかる事は必至だ。

それ故に大きな施設でコンチアやMP嬢、メバーン、キャッシャーなどを確保し、煌々と灯りとエアコンをつけて、風呂のお湯をわかし店を開けて置くだけで、かなりのコストがかかるマッサージパーラーは明らかに不良資産でしかなくなるのは、誰の目にも明らかだ。

そもそもタイの法律では、買春も売春も違法で実際にはゴム付き本番は当たり前にあることをただ見て見ぬ振りをして黙認されていたことで成り立っていたマッサージパーラーはタイの貧困層女性の就業場所として地方農村部の小作農家族や若い時に対人男性に孕まされ出産したらそのタイ男が生活の面倒を見ることなく逃げて子供の養育を自分の親に任せているシングルマザーなどの経済救済機能もあったのだが、顧客となる人数が激減してしまっている現在、営業できるところはもうほぼないのかもしれない。

それに比べ、エスコートはアウトコール専門なので、ネットさえあれば営業でき、MPといった特殊浴場システムは不要でパソコンの電気代とネット費用を負担すれば営業可能になる。また客単価もMPのタマダーより高い設定だ。

最近は、タイで売春の合法化が叫ばれているようだが、本当に合法化されれば、個人が個人と取引しやすくなるだろうから中間搾取が益々厳しくなるだろうから、いずれタイの風俗産業の構造改革が急速に進む可能性がある。

ぽんこつマンは、20年ほど前にネットでタイのエスコートサービスを調べたところ、ぽんこつマンがお願いしてもいいレベルのタイの女の子が居たサイトは3〜4つだったが、ロシア、東欧系専門や南米系を合わせると7つくらいはありそうだった。また昔ぽんこつマンが使ったことがある老舗のエスコートクラブは今も健在で営業しているようだ。

それが、NEW BANGKOK ESCORT CLUB(https://www.newbangkokescort.com)だ。タイに行く前にネットで女の子を選んでどのくらいの時間を一緒に過ごすかを決めて、宿泊するホテルやコンドミニアムとメールアドレスと名前を登録すれば、バンコクに到着するときに空港に迎えに来てもらうことも可能になる。空港に恋人が待ってくれていると言う状況を作れるのだ。

ぽんこつマンは一番最初は2日間女の子を継続した。その次は、長時間ブッキングしようとした女の子が居ないということで、他の子をバンコクに着いてから選んでショートで部屋に呼んだ。

最近はTinderで個人営業で客を探している娘も多いが、一度個人の娘だと思って呼んだ女が写真とはかなり印象が違っていて、先に金を要求したので「服を脱ぐ前に金は払えない」と言ったらボスに電話すると言って揉めたことがあった。

金を受け取って、客がシャワーを浴びるように仕向け、その隙に部屋を出ていなくなるということもあるもで、払う金は用意して見せてもいいが、相手が気に入らないときやバッグを置かない、服を脱がない女の場合は注意が必要だと思った方がいい。

個人営業の女の子の要求額は最低は2000/1shotから8000/1shotという女もいた。標準的には5000/shortという子が多い気がする。

しかしエスコートクラブで24時間でブッキングすれば外で食事を一緒にして、行きたいところへ行けて、部屋に戻れば基本何回エッチをしても良い。24時間一緒に口鼻と気分で過ごして12000バーツと言うのは、日本では考えられないくらいある意味格安と思うのはぽんこつマンだけだろうか。

ちなみの、ゴーゴーバーやバービアの嬢とショートで遊ぶ時も、飲み代1000〜、バーファイン(ペイバー代)600〜800、彼女へのチップ2500〜3000、帰りのタクシー代としてのチップ200〜300バーツ。タニヤのカラオケでの1時間飲み放題でも700〜800、+ペイバー3000〜3500、女の子とのエッチするためのチップ3500〜5000、タクシー代などのチップ300〜500。女の子と楽しく飲むだけなら良いが、女の子との本番を考えると、4300〜9800くらいは必要になる。一回のエッチがホテル代込みで30000円は日本で売りをネットで探している女の子の相場だが、ほぼそれと同じと言うことになる。

一方エスコートサービスは、ひとりの娘とじっくり楽しみたいと言う紳士には持って来いのサービスだから、現在バンコクに住んでいる外国人の需要が中心だろうから、コロナの影響で外国人観光客が訪タイできていない事はそれほど大きな問題ではないのかもしれない。

ぽんこつマンももしバンコクに行けることになったら、エスコートサービスをもう一度使ってみたい。ネットには気になる女の子が既に何人かいるのだ。できるだけ早くバンコクに戻れるようになることを切に願うばかりである。

サイアム駅で待ち合わせした女の子の友達としてきた娘が好きになって②

出会ってわずか数時間で好きになった女の子B、少年のように純情な気持ちで数週間接して来たB、その恋があっという間に儚く消えた話の続きは、彼女が長い間ラオス国境近くの寺に篭ると語ったところから始まる。

ぽんこつマンは、彼女Bとの恋が儚く消えたと感じた日から彼女のことを忘れようとしたが本気で彼女の放つフェロモンの虜になってしまった気持ちは、なかなか鎮まる事はなかった。恋の可能性が消えた日から半年くらいが過ぎた頃に彼女Bへの気持ちを断ち切るためにLINEのIDを削除したのだが、それでもBと距離を置くきっかけになった彼女の友人Kの交通事故死を忘れる事はできなかった。

結果、ぽんこつマンはBのインスタグラムを探して彼女のアップしている画像や動画を見ることになったのだが、そこに実際に彼女Bと最後に会った時に言っていたラオス国境近くの寺に篭るという話が本当に画像でアップされているのに気がついた。ただしその画像がアップされているのは今から66週間前でおおよそ2019年6月最終週ということなのだ。

それから、ぽんこつマンは交通事故死したKのことを思い出すたびにBのインスタを見に行くようになった。ぽんこつマンが彼女と過ごした数週間の記憶はBがアップした1718の投稿の内の2つでしかない。それ以降Bのインスタには初めて接した時の質素さとは裏腹なゴージャスライフが限りなくアップされていた。メルセデスを運転し(ぽんこつマンは彼女が持っている車はタイ生産のNONDA City)、5つ星のホテルに泊まり、韓国、中国へ長期旅行しする姿があった。

ラオス国境の寺に篭ったと思われる画像が掲出された直後にすぐシンガポールのサンズに出かけている。それからが驚くことに、52週間前にはプライベートジェットでインドネシアに飛び豪華クルーザーに乗り、女友達とビーチで戯れたりした画像があるかと思うと、その1週間後にはまたプライベートジェットでデンマーク、ドイツ、ポルトガルに飛び、毎日豪華な食事もアップされている。

そうかと思えば48週間前にはプーケットの高級リゾートホテルに最初にBと知り合うきっかけになった女の子Aも含めた女性3人で2週間ほど滞在していた記録がある。40週前には改めてプライベートジェットでプーケットにAと飛んで豪華クルーザーでの豪遊記録をアップしている。36週前は日本、35週前はデンマーク、31週前には今度は7人の女の子でプーケットに三度訪れ1週間過ごしたようだ。

27週前にも女の子5人でまたまたプーケットで豪華クルーザー、13週前はインドネシアのティムールで豪華クルーザー、12週間前にタイに戻っているがその頃タイは7月で民間航空局が国際線の航空機飛行を4月から禁止し続けているから、プライベートジェットでの蜜出入国渡航でしか海外へ行って帰国する事はできないはずだ。しかも帰国してから隔離施設に入ったかどうかもわからない。8週間前はカンチャナブリのリゾート、7週前はサラブリの古代遺跡、4週前はナコーンラーチャシーマのThames Valley Khaoyai Hotel、そして2週間前はまた6人でプーケット、そしてウドンタニー 、最新が9月28日のサコンナコンのお寺になっている。

どう考えても、国家権力をも凌ぐ権力と財力を持つ飛び抜けた富豪の存在でも無い限り、できることではない。プライベートジェットといえば、元日産のゴーン被告が日本から国外逃亡した時にニュースになる程度で、日本には娘にそこまでの生活を許せる親もパパもいないと思うが、一体どんなスポンサーのサポートを受けているのか計り知れない。

Bという女の魅力が世界のあらゆる男に貢がせるだけの魅力があるのか、巨万の富と絶対的な権力を持つ男の遺産を受け継いでいるのか、それとも国家体制をも操るアジアNo.1のあげまんなのか、あまりにもミステリアスな魔性の女にわずか数週間とはいえ、相手にしてもらったというのはもしかしたら誇らしいことかもしれないとさえ思う。

いつかタイに戻れる日がきたら、彼女にもう一度会ってみたい。そしてインスタグラムに潜まれた秘密を聞いてみたいと今は思っている。

サイアム駅で待ち合わせした女の子の友達としてきた娘が好きになって①

ぽんこつマンがほんの3ヶ月バンコクで働いていた時、Tinderで知り合った女の子Aとデートすることになりサイアム駅で待ち合わせした。彼女のことを気に入った理由は、Tinderにアップしていた彼女の抜群のプロポーションで特にスラリと伸びた脚がたまらなかった。

待ち合わせ日時は2018年8月4日(土)18:00BTSサイアム駅。ぽんこつマンは当時住んでいたスクンビット通り沿いのコンドを17:20に出てBTSエカマイ駅に行きサイアム駅まで向かった。ぽんこつマンはサイアム駅に17:50に着き彼女の到着を待った。彼女は待ち合わせの時刻から5分ほど遅れてブルージンズのホットパンツにスニーカーで姿を現した。身長は160 cmほどあり高身長だが細い脚、細い腰、細い肩でスレンダーという言葉がぴったりの娘だった。

軽く挨拶を済ませて、どこに行こうかということになる。ぽんこつマンは初めてのデートなのでルーフトップバーに行こうと提案した。彼女はOKと了解し、それならとセントラルワールドの方へ歩き出す。

彼女が案内するルーフトップバーはセンタラ グランド アット セントラルワールドの最上階55階にあるRed Sky Restaurant & Red Sky Bar(https://www.bangkokredsky.com)のようだった。ホテルのロビーからエレベーターで54階まで行く。54階はレストランフロアのようだ。そこから階段で55階へ向かう。

55階のバーに着いたのは18時30分過ぎだったが、8月のバンコクの日の入り時刻は18時40分くらいでまだ空は明るかった。彼女はカクテルを注文しぽんこつマンはコート・デュ・ローヌの赤 2016 Yann Chave, Crozes-Hermitage ‘Le Rouvre’ biodynamic Rhône Valleyをボトルで頼んだ。陽が落ちるタイミングでドリンクがやって来て、乾杯をする。

彼女はバンコクのある保険会社のOLといっていたが、まるでモデルのような体型だった。彼女とは友達としてその日会ったが、そこに彼女が呼んでいたふたりの女の子がしばらくして訪れる。ひとりはショートヘアがよく似合う肌の白い可愛い感じの女の子K、もうひとりは長い黒髪のやはりスレンダーな娘B。

新しく来たふたりの娘はワインを飲んだ。1本のワインはすぐに空き、また新たに1本を頼んだ。Tinder で知り合った女の子と同じ大学の同級生だというふたり。ショートヘアの女の子Kは自分のことをアーティストと言い、長い黒髪の娘Bは、オリジナルの化粧品ブランドのオーナーだという。

ぽんこつマンは最初の彼女より、後から来たふたりに興味を持った。4人がけの対面ソファーでぽんこつマンの隣に座ったのは長い黒髪の娘Bで、最初にあった女の子とショートヘアの子がトイレに行ってふたりだけになった時に、Bに連絡先を教えて貰って今度こっそりとふたりで逢おうとということになった。

その日は3人で22時近くまで飲んで、ぽんこつマンはかなり酔ったのでレッドスカイで彼女たちと別れて部屋にひとり帰った。

翌週、仕事から戻って部屋にいる時、BからLINEメッセージが入った。「今Kと一緒に韓国料理を食べてる」「これからもう一軒行こうと話し合ってるけど会える?」というのだ。時刻は21時、ぽんこつマンはすぐに「OK」と返事した。彼女たちはアソークの近くにいてプロンポンまで来るというのでぽんこつマンはすぐに部屋を出てプロンポン駅に向かった。

彼女たちが待ち合わせのプロンポン駅に現れたのは21時40分、駅の改札を出てさてどこに行くかということになった。3人はワインで一致してBとKがよく行くというワインバーに行くことになった。場所はトンロー10、Wine Republic Bangkok(https://www.facebook.com/wine.republic.bkk

ぽんこつマンも彼女たちも食事を済ませていたので、赤ワインを1本頼んで生ハムをつまみに飲んだ。その時、ぽんこつマンはバンコクに住み始めてほんの1ヶ月ほどだったのでまだその店は初めてだった。そこの近くには酒税の高いタイでそこそこの値段でワインが飲めるとあって夜遅くまでローカルにも人気があるようだった。

彼女達とのデートは楽しかった。ただぽんこつマンはBの事がお気に入りになっていて、幾度かBだけを誘って食事したことがある。彼女の肌の色はタイ人の一般的なタンカラーだが、彼女のドレスから少し見える胸の膨らみが美乳の典型とも思えるくらい形がよい。デコルテの美しさも見事だと思った。さらに彼女のぷっくりとした唇も彼女のセクシーアピールを増幅していた。

さらに1週間ほど経った土曜日、またBからLINEにメッセージが来て、「Kとナイトクラブに行くけど一緒に行く?」と聞いて来た。ぽんこつマンはいつも通り「OK」と返事を返した。時刻はまだ17時だったが、19時にBTSナナ駅で待ち合わせになった。

ナイトクラブは、大体21時がオープン時間が普通だが、その前に食事すると言う事だと思った。ナナ駅で彼女達と合流して向かったのは、スクンビットソイ11、The Australian Pub & BBQ(https://theaustralianbangkok.com)<2020年9月28日現在、臨時休業中>だ。

Kが先頭で店に入る。1階はパブらしくスタンディングで酒と料理を楽しんでいる。Kは店の右側にある階段を上って2階のテーブル席に進んだ。そこで3人は、サラダ、ステーキ、ポテトを頼んでビールを飲んだ。ナイトクラブはその店の隣にあるSugar Club Bangkokだ。今はオープンは22時となっているようだが当時は21時には空いていたと思う。

2時間近く、オージー料理とビールを楽しんだら、酔いも有って3人のテンションは上がっていた。Sugar Club Bangkok(https://sugarclub-bangkok.com)にはオープンとほぼ同時に入ったつもりだったが、土曜日ということもあって既にフロアにはかなりのゲストが踊っていた。

KとBは何度も来ているようでスタッフともなじみのようだった。センターのダンスエリアにほぼ近いスタンディングテーブルにウィスキーのボトルとコーラ、アイスが運ばれて来た。スタッフがコークハイを3杯作って行く。ぽんこつマンと彼女達は乾杯をしてそのコークハイをぐんぐん飲んでどんどんハイになる。Bはステップを踏んで胸を揺する程度に軽く踊っているが、Kは腰を激しく左右にふり、頭も大きく振りながら激しく踊って、ぽんこつマンにセクシーな視線を送ってくる。ぽんこつマンもステップを踏み腕を上げながらハイテンションで踊った。

当時、この店では多くのゲストがタバコを吸っていて既に禁煙して長いぽんこつマンにはその匂いが少し気になったが、その場の熱気とBの汗と甘い香水が混ざった匂いにぽんこつマンは35年ぶりにハイテンションになっていた。コークで割ったウイスキーは飲みやすい。1Lのウイスキーは帰る頃にはすっかり空になっていた。

踊り疲れてその店を出たのは、午前1時30分、それでも当時の土曜日の夜は客が引くことはなかったようだ。その日はそこで彼女達と別れた。

翌週水曜日、ぽんこつマンは仕事中にBのLINEに「今日は夕方一緒に食事しないか」とメッセージを送った。1時間くらいしてBから返信がある。彼女からは「OK」と帰って来た。彼女は居酒屋に行きたいという。ぽんこつマンが働いていたオフィスはエカマイ にあったから、18時にエカマイゲートウェイ(https://www.facebook.com/gatewayekamai/)のM2階で待ち合わせることにした。

ゲートウェイは、日本をイメージした造りや豊富な日系レストランなど日本押しのラインナップになっているらしかったし、これまで見た限りではBはあまり高級なものを望んでいなさそうに思えたので、まずはここでいいと思ったのだった。

入った店は「ただいま」という居酒屋で良くも悪くもないという極めて普通の居酒屋だった。タイ人が好んで食べるサーモンの刺身や焼き魚など魚料理を主に頼み、ごくごく普通の日本酒を冷やで飲んだが、彼女は日本酒は飲まなかった。ゲートウェイの店は21時ラストオーダーで22時には完全に閉まってしまうが21時半までその店に居て、彼女の仕事の事や住んでいる場所などをいろいろ聞くことができたと思っていた。

そして、その週の金曜日またナイトクラブに行くことになった。そこはSing Sing Theater(http://singsing-bangkok.com)。スクンビット45を少し入ったところにあるちょっと変わったナイトクラブだった。

KとBはプロンポンに22時にやって来た。そこからタクシーでスクンビット45までタクシーを拾って向かった。22時を過ぎればスクンビットの夕方からの渋滞も少しは落ち着いていて、あっという間に着いたことを覚えている。

今回もKが先導する。店の黒服と何やら会話している。KとBは、やはり顔馴染みのようだった。しばらくして店内に案内される。エントランスを入るとそこにはなんとも不思議な空間が広がっている。そして妖しい音楽が大音量で流れている。

Kは階段を上がって2階のフロアに上がって行く。そこには低いスツールがあり3人が座れるテーブルが用意されていた。そのテーブルから階下のダンスホールが見下ろせる。やがてスタッフが大量のオレンジジュースとウォッカのボトルそして氷を運んでくる。スタッフはグラスの30%くらいまでウォッカを入れ、氷を落とし、オレンジジュースを注いでスクリュードライバーを作って行く。3日前Bはアルコールを口にしなかったがこの日はグビグビとそのかなり濃いスクリュードライバーを飲んだ。Kも同じように一杯をあっという間に飲み干して、下の階へ踊りに行った。

音楽の音量が大きすぎて話ができるレベルではないが、Bは座ったまま腰をくねらせていかにも艶かしい。ウォッカが効いているのか、デコルテあたりが少しピンク色に染まっているのが微かに見える。ぽんこつマンは、その妖しい音楽の響きとアルコールの効果で艶かしくなっているBの腰付きを観ていることが心地よかった。空中ブランコにクラブのキャストが座り揺れている。その廃頽的な演出にもバンコクという底無しの魔都を感じた。

ぽんこつマンがかなり酔ってそのクラブからひとり帰宅を決意した午前2時でもKは下のフロアで踊っていた。Bもスツールから立ち上がって、陶酔しきった雰囲気で踊っていた。ぽんこつマンはそれぞれにそっと「先に帰る」とひとこと言ってクラブを出た。

日曜日、BからまたLINEにメッセージが入った。それはあまりにもショックなものだった。Kが土曜日友達とカンチャナブリに行って日曜日バンコクに戻る途中、その友達の車が交通事故を起こしKが事故死したというのだった。

ぽんこつマンは、2日前にKのご機嫌な姿を観ていただけに最初は信じられなかった。ぽんこつマンは何度かKと会ううちにKともLINE IDを交換していた。既に何度かメッセージを送り返信もあったので、その事故の話を知った1時間後にKにLINEを送った。翌朝になってもう一度LINEにメッセージを送ったがあの事故の知らせから一度も既読になることはなかった。

ぽんこつマンはその週の土曜日もう一度Bに会う約束をした。プロンポンで午前11時に会って、エムクォーティエのD’ARK というフカフカのソファーのあるカフェでランチを食べた。しかしBはこれまでと随分変わっていた。これまでは柔らかい笑顔をいつも見せてくれていたがその日は、曇った顔が晴れることはなかった。ぽんこつマンはKが本当に事故死してしまった事をその時確信した。

彼女は、Kが事故死したこともショックだが、今まで順調だった自分のブランド化粧品のタイ全土のバイヤーが突然離れて行ったこともショックだと言った。ぽんこつマンと会う前までと今では何か大きな違いがあると言った。そして自分のこれまでの幸運を取り戻すために来週からラオス国境近くの寺院にしばらく篭ることにしたので当分合わないと言うのだ。

ぽんこつマンは、この時もうBと会える事は無くなると確信した。わずか数週間の儚い恋心は夏の蝉の命のようにその時散ったのだった。Kの繋がることのないLINEアカウントは今もぽんこつマンのところにあるが、Bのアカウントは半年くらいして消してしまうことになる。その話は、次に書くことにしておこう。

切なく過ぎて、突然チェンマイのキャディーに会いたくなった

突然会いたくなったチェンマイのキャディーとは、以前このブログで紹介したかもしれないが、サミットグリーンバレーチェンマイゴルフクラブのキャディーだ。4月1日に日本に一時帰国のつもりで帰ってから、タイに戻れなくなって既に6ヶ月が経過している。

タイは3月に出した未だに非常事態宣言令をこの10月も継続するようで、タイ政府のあまりのコロナ過敏症に全世界の大好きツーリストの嘆きが聞こえるようだ。Youtubeから流れるタイの日常はもはや昔と何も変わっていないようだが、これまで体を訪れるツーリストで潤ってきたバンコク、パタヤ、プーケット、サムイなどのカラオケやゴーゴーバー、バービアなどの風俗を始め、ホテル、レストラン、ゴルフコースなどの観光客の需要が見込めず、崩壊寸前とさえ言われ始めている。実際に自らもバンコクのタニヤでカラオケを経営するオーナーが、パッポンやナナプラザといったゴーゴーバーの店内を映した動画を見ても、客は彼だけで全くそれ以外の客が見えない映像ばかりである。店は空いているものの客はゼロといった光景は、Twitter などの投稿でも窺い知れる。

結果的に、7月からゴーゴーバーやカラオケ、ナイトクラブの営業は許可されたが、ゴーゴー嬢やキャストへのチップやドリンクやペイバーなどのキックバックもゼロ更新では生活が成り立たないはずだ。ゴルフクラブのキャディーもこれまで観光客などの来場があるからこそ、3日に一回はキャディーの仕事にありつけていたが、今は全く観光客がいないゴルフコースでは、コースメンテナンスなどに呼ばれることはあっても、支払われる手当だけでは生活できるわけもない。

ここに来てタイ政府官公庁は最長270日となる有閑富裕層対象の特別観光ビザの新設やタイランドエリート資格の販売で、世界の富裕層の訪タイを期待しているようだが、特別観光ビザ発給条件国は過去60日間コロナ新規感染者ゼロの国と地域となっているので、ヨーロッパ諸国も南米諸国も、アフリカ諸国も、シンガポールも日本も韓国も対象外である。オーストラリアもニュージーランドも9月に入っても新規感染者が出ているようで対象外。8月の時点で全世界でコロナ感染者ゼロと報告している国と地域はサモア、マーシャル群島、ソロモン諸島、バヌアツ、ツバル、トンガ、キリバス、トルクメニスタン、ミクロネシア連邦、ナウル、北朝鮮、パラオ、クック諸島、ニウエ、と言うとても富裕層がいると思えない14か国であるらしい。(情報ソース:https://www.businessinsider.jp/post-218952

またその特別観光ビザのツーリストはチャーター便かプライベートジェットでしか入国を許さないとのことらしいので、実質そのビザを取得する意味などない。さらにこの特別観光ビザ取得の条件でタイの資産を1億バーツ以上所有しているか所有する前提が必要となると、60日以上感染者ゼロの国条件を撤廃しても世界にそう多くいるとは思えない。

タイ政府が考えていることがいかに現実離れしているかが窺い知れるというものだ。タイは収入がなくても昆虫を食べてタンパク質を得ることができる。フルーツを食べればビタミンや糖質を確保することもできる国だから、餓死者が出るといったことはあまり考えなくてもいいのだろうが、日照りや洪水で耕作地に被害が出て農民そのものの収入がなくなれば、耕作放棄が起こっても不思議ではないはずだ。

こんな事を考えていたら、LINEでの毎日の朝の挨拶を欠かさずくれるチェンマイのサミットグリーンバレーゴルフクラブのキャディーだったKちゃんが急に愛おしくなった。彼女には既に高校生と中学生の子供がいると聞いていたが、LINEにある彼女のアイコン写真があまりにも可愛い。

使っている写真はキット若かった頃のものだろうが、ゴルフコースで最初にあった時の印象もこの写真にかなり近いものがあった気がしてならない。2ヶ月前にはキャディーの仕事に復帰したとはいっていたが、既にチェンマイに滞在している外国人もこの9月26日までのビザ延長期限が来たので、帰国を余儀なくされているから、ただでさえ少なかったプレイ客が一層減ることは間違いなうだろう。

政府の支援もなく困窮する一方のタイ庶民の生活は、国外観光客のいないハイシーズンを迎え一体どうなるのだろうかと考えるだけで切なくなってしまう。今は、どうすることもできないが、一日でも早くタイのゴーゴーバーやバービアへ行ける日が、そして可愛いキャディーとふたりきりで過ごせる日が戻ってくる事を願わずにはいられない。

Kちゃん、次に会えるときはお土産いっぱい持って行くから、それからゴルフコースの人のいないところで抱きしめちゃうかもしれないけど、ぽんこつマンのこと嫌いにならないでね。