アドフェスト(アジア太平洋広告祭)とジャニーズのコンサートが開れていた3月にパタヤに一人旅

あれは、2003年か2004年の3月の初旬ことだった。その時はまだ大阪の会社に勤めていたぽんこつマンは、3月末は年度末ではあったが、初旬に有休が取れることとなったので急遽タイに行こうと思った。3月は学生たちも春休みなので航空運賃は総じて高くなるのだが、有休の予定を入れた1月の段階では、まだタイ航空大阪ーバンコク線にはまだ安いブッキングクラス(V)の席に空きがあって、確か往復5万円代でチケットが手に入った。

出発当日、ぽんこつマンは通勤で使っていたJRで大阪まで行き、地下鉄で難波まで、そしてラピートに乗って関西空港へ向かった。タイ航空のカウンターでチェックインしているときに、いつもなら大体おっさんの客が多いバンコク線だが、その日はやたら若い女の子が多いことに気が付いた。しかしその理由はまだわからなかった。

当時、このタイ航空大阪発バンコク行きは満席になることが多くはなく、いつもはエコノミーに空席があって、よく隣の席を荷物置き場として使うことができたが、その日は完全に満席だったようだ。

ぽんこつマンは、できるだけで出口に近い通路側の席をお願いするのだが、その日は通路側は中程まで下がらないと無いと言われた。飛行機に乗り込むといつものバンコク線とは少し様子が違っていて、後方の方に多くの若い女の子が固まって座っているのに気が付いた。

その時は、まぁ春休みだからと思っていたが、バンコクに着き荷物を受け取って到著ロビーに出ようとカスタムを通過したら、その先に多くの若い日本人の女の子が誰かを出待ちしている様子が目に飛び込んだ。

その時はぽんこつマンには全く関係のない話だと思いきにもしていなかったが、後からちょうどパタヤで音楽フェスがあり、そこにジャニーズの有名グループ(多分SMAP)がやってくる予定になっていたと言う話をパタヤのタイマッサージ屋のおばちゃんから聞くことになった。

どうりで、飛行機の中にもスワナブーム空港にも日本の若い女の子であふれていたと言う理由が分かった。なんでもそのジャニーズのグループはハードロック・ホテル パタヤ(https://pattaya.hardrockhotels.net)に泊まるという噂もあり、ぽんこつマンが宿として予約したグランド ホテルという3つ星の安宿に行く途中に通るビーチロードもハードロック・ホテル パタヤの辺りに若い日本人の女の子がたむろしている様子が見えた。

ぽんこつマンのパタヤへの表向き目的は、ロイヤル クリフ グランド ホテル(https://www.royalcliff.com)で開催されていたアドフェストを覗きに行くというものだったが、本当の目的は、パタヤでタイの女の子と遊ぶことだった。

ぽんこつマンは、スワナブーム空港についてからタクシーでパタヤに向かったが、朝早かったためウォーキングストリート近くにあるグランド ホテルという3つ星の安宿にには朝早く到着してしまった。部屋が空いてさえいれば、すぐに部屋に入って仮眠をとりたかったがその日はまだ部屋が清掃できていないとのことで昼まで待つように言われた。

朝10:00からアドフェスト会場は開くはずだったから、ホテルに荷物を預けて、ロイヤルクリフにソンテウで向かった。ロイヤル クリフ グランド ホテルはタイ資本の名門5つ星ホテルらしく、相乗りソンテウの経路にはなく、ソンテウをタクシーがわりに貸し切る形で向かうことになる。

人が載っていない空のソンテウに手をあげ止めて40バーツで行ってくれることになった。ロイヤル クリフ グランド ホテルについてまずは、ロビーでコーヒーを飲んで10時になるのを待った。そのコーヒーは、ソンテウの何倍もする値段だった事にも驚いた。

なんでもタイでロイヤルと冠名を付けれるのは王様の親戚筋だけらしく、そこのオーナーも国会議員そして、政府の観光大臣か政務官をやっているらしかった。アドフェストの会場は、エントランスを出て左手に歩いた先にあるPattaya Exhibition And Convention Hall(https://www.peachthailand.com)でやっていた。

時間になったので会場へ向かい、ウォークスルーチケットを購入して入場した。世界から集まったプリント媒体の広告作品がホールロビーに展示され、大ホールでは幾多のコマーシャルムービー作品が上映されていた。アドフェストは1998年に創設されていてその歴史はカンヌ国際広告祭やクリオアワードよりかなり新しいが、既にカンヌ国際広告祭の前哨戦的な意味で出品する作品が多かった為、アジアオセアニア地域に限らず、多くの国からのエントリーがあったようだ。

アドフェストの会場で3時間ぐらい過ごしただろうか。お腹が空いてきたので、パタヤの街に降りることにした。まずホテルにチェックインし、ウォーキングストリートからビーチロードへ出てマクドナルドで軽く食べた。それから少しビーチロードをノースパタヤ方向に歩いて、ビーチが見えるバービアでビールを飲んだ。

そこにひとりのタイ人の女がやってきた。名前はAnn と言っていただろうか。年齢は28と言っていた。若くはなかったが、可愛い感じの女だった。何杯か一緒に飲んで、馬鹿な話をしてゲームに興じ、たくさん笑った。彼女は日本語もそこそこ話せたので楽しい時間はあっという間に過ぎて、夕方になった。

ぽんこつマンは、晩飯はシーフードを食べようと考えていたのでAnn に一緒に行くか聞いてみた。Ann は目を大きくまん丸にして「はい〜❤️」と無邪気な返事を返す。そこで彼女をペイバーして店を出る。ソンテウでウォーキングストリート入り口まで行き、そこから500mほど歩いてナンヌアルというシーフードレストランに向かった。

入り口には、ロブスターや牡蠣、カニ、シャコなどが並べられ、好みの魚介を選んで調理を頼むことができるシステムだ。もちろん野菜やスープのメニューも色々あるようだった。

ぽんこつマンは、マッドクラブ、ロブスター、オイスターを選んでテーブルについた。白ワインを選んでAnn と一緒に飲んだ。当時はタイではまだワインが豊富にはなく、しかも赤が主流だったが、流石にパタヤのシーフード店で、シャルドネくらいはあるだろうとオーダーしたのだった。

彼女はもともとチョンブリ県の出身で今はバービアで働いている。実家は貧乏で学校は中学までしかいっていない。ひとりの息子がいるが、その父親は妊娠が分かって直ぐに行方を晦ました、と言っていた。実家には父と母がいて、息子はそこに居る。お金を稼ぐのは大変だけど、パタヤの雰囲気はすごく好き。彼女はその時は英語で色々話してくれた。

多分、パタヤには欧米人が頻繁に遊びに来るのでその相手をしているうちに英語を覚えていったのだろう。そして少しの日本語も日本人との客を相手しているうちに身についたんだと思う。彼女の人懐っこさが、多くの訪問者の心を開いてきたのだろうと思った。

その日は、彼女をホテルへ連れ帰って男と女の関係になることは、ごく自然な流れだった。ホテルの部屋にはバスタブがありお湯を張って一緒に入った。彼女は熱いと言いながらも、しばらくぽんこつマンと体を合わせていた。

タイのホテルにあるバスタブのほとんどは、寝て浸かるタイプなので、ぽんこつマンの上に乗る感じで彼女は湯船に漬かったのだった。ぽんこつマンは彼女のそう大きくはない乳房に両手を当てがい、中指で彼女の乳首を弄んだ。彼女は、自分の股間の下にあるぽんこつマンの男性器に手を伸ばそうとしたが届かない。ぽんこつマンが右手を彼女の股間に伸ばし、クリトリスを探し当てて転がすと身をよじって吐息を漏らした。

その後ふたりは立ち上がり、ボディーシャンプーでお互いの身体を洗いあった。彼女はぽんこつマンの肉茎や玉袋を他より丁寧に優しくマッサージしながら洗ってくれた。ぽんこつマンは彼女のアナルからクリトリスにかかる股間のラインを入念に手のひらで洗った。時折アナルや膣のくぼみに中指を軽く挿入しながら彼女の秘部から愛液が漏れ出すのを待って、シャワーで体に残っている泡をきれいに洗い流し、ベッドに向かった。

当時は、世界中でHIVの流行が話題になっていたので、ぽんこつマンもAnn もいきなり生での挿入は考えなかった。Ann はdurex のコンドームをいくつも持っていたし、ぽんこつマンはオカモトや不二ラテックスのコンドームを何種類も持って出かけていた。

ベッドでは、Ann は激しく動いた。ぽんこつマンも激しく突いた。騎乗位、背面騎乗位、後背位、松葉崩し、側位、正常位、屈曲位、伸長位……。ザーメンをコンドームに射出しては少し休みそしてまた求めあう。翌日の朝10時まで4回は繋がりあったと思う。

昼にホテルを出て、ビーチの日陰でふたりはビールを飲み少し眠った。夕方近くなりさすがに朝からろくに食べていなかったので腹が空いてきた。ぽんこつマンはAnn に何か食べに行こうと伝えたところ、Ann は「今日は私が店を選んでいい?」ときいてきた。「OK、もちろん」と速攻で答えた。

彼女とビーチロードでソンテウを拾い、彼女が行き先を確認しそれに乗る。もう着いた店の位置も名前も覚えていないが、それは3rd. ロードに面した小さなローカル向けのムーガタ屋だった。それでも夕方の17時前だったが、人で溢れていた。あっという間に炭が運ばれ鍋が置かれた。Ann が豚肉と海老、野菜の焼き物を頼み、ポンんこつまんはビアチャンでそれを流し込んだ。

Ann は19時には部屋に戻ってバービアに働きに行くと言っていたので、せっせと食べたのだった。はらぺこが一気に満腹になり、もう食べれないとなった。時間は18:30を少し回った頃だった。ぽんこつマンはAnn とその店で別れ、そこからいったんホテルに戻り、パタヤのマッサージパーラーを覗きに行く事にした。

パタヤのマッサージパーラは、2nd. ロードにいくつかあったが、その話はこの記事には書かずに次の記事で書こうと思う。今回は、パタヤで出会ったAnn との話で終えておこうと思う。なぜなら、タイの女性に本当の意味で好きという感情を持った最初の出会いがAnn だったからだ。

ぽんこつマンは、今日までAnn と名乗る女性との出会いは3回ある。ひとり目はパタヤのAnn。ふたり目は、フィリピン、オロンガポのAnn、3人目はバンコクのAnn、アンと名乗る女にやたらと会うのは、アンと名乗る女性がただ多いからなのか、それともぽんこつマンにアンと名乗る女性に縁があるのかわからないが、もしかしたら、またどこかでアンと名乗る女性に出会うことがあるかも知れないと思うと少し楽しみになる。

ラチャダーピセークエメラルドホテル近くのNATAREEというマッサージパーラーに突撃した日

ぽんこつマンが、2〜3日の有給を取って土日と絡めバンコクだけに年5回はきていた時期がある。その目的は、はっきり言って後腐れなくしかも手っ取り早く若くて可愛い女の子と◯ックスすることだったが、夜はソイカーボーイのゴーゴー嬢をペイバーしてホテルへお持ち帰りして楽しんだ。

その頃の定宿ホテルは、最初の頃は、スクンビットソイ19のThe Key Bangkok Hotel(http://www.thekeybangkok.com/en/index.php)が多かったが、そのすぐ近くにあるサチャズ ホテル ウノ(https://www.sachashotel.com)<10月17日現在現在臨時休業中>を使うようになった。この変化は、ゴーゴー嬢がロングをあまり好まなくなってきたこともあり、ジャグジーやバスタブがなくてもシャワーだけあれば十分になったことや、ベッドルームとリビングが分かれているようなスイートタイプの部屋が不要になったことなどがあった。

そして、その次によく宿泊するようになった宿は、スクンビットアソークの交差点を東に渡ったところにある、Sukhumvit Suites Hotel(http://www.sukhumvitsuitesbangkok.com)が多くなった。ここの部屋は、全く広くはなく、ホテル名にスイートとあるがベッドルームにシャワーだけといったシンプルなものだが、フロントを通過せずエレベーターで直接自分の部屋がある階に上がれることと、何よりさらにソイカウボーイが近く、ペイバーしてショートをこなすには、ベストポジションだったからだった。

もちろんBTS やMRT の駅にも近く、ラチャダーピセークのMPに行くにも確実に時間が読めるのがよかった。

もういつだったかは忘れてしまったが、昼過ぎからホテルを出ていく先は、ラチャダピセーク通りにあるマッサージパーラーが多くなっていて、当時日本人にものすごく人気が高いと噂になっていたナタリーに突撃したことがある。

ナタリーにはMRT スクンビット駅からホイクワーン駅まで列車の後方に乗って、ホイクワーン駅3番出口(ソンブンシーフードホイクワーン店がちかいでぐち)を出て、300mほど南へ戻ることになる(エメラルドホテルの北側)。

ナタリーは、2016年に人身売買(18歳未満の少女を営業に使っていたという罪らしい)の摘発を受けて現在営業していない。しかしぽんこつマンが突入した当時は、確かにやたらと日本人の客が多かったことだけは記憶に残っている。

一般的にマッサージパーラーの客は、一番客が多い時間帯19時から20時でもショウケースロビーに10人から15人くらいのものだが、ぽんこつマンが突入した時は、日本の連休でもない普通の週末の午後3時ごろだったと思うが、20人近くの日本人(多分どこかの農協か漁協のオヤジといった感じの団体)でごった返していた。

ぽんこつマンは一人で飛び込んだのだが金魚鉢にそこそこ気に入った姫を見つけてコンチアに値段を聞いたら3500baht(当時はちょうど1万円くらい)と、ずいぶん高い値段をふっかけられてしまった。

確かに日本人の団体が大挙して訪れて、目の色変えて女の子を選んでいる最中だったから、そうなるのもやむを得ないと諦め、コンチアの言い値をキャッシャーで払って、部屋に上がった。ポセイドンがまだ1800バーツだった頃だからその約2倍だったので何か特別なサービスでもあるのかと期待したのだが…..。

部屋は狭く、薄暗い。なんとなく清潔ではないように感じるくらい、風呂のまわりにはところどころに黒カビが残っているのが見える。

金魚鉢を眺めていた時は、細めで肌の色も白いと思っていたが、その娘はなんだか機嫌が悪いようだった。実際に部屋で彼女のスッポンポンの姿を見た時は、ぽんこつマンに比べて肌は明らかに褐色が強かった。下っ腹には妊娠線と、セルライトがくっきりと見え、年齢的には三十路に近いあるいは三十路越えと思われた。愛嬌があれば、年齢のマイナスは折り返せるのにとぽんこつマンは思った。

いつものようにシャンプーをしてもらおうとすると、すごく面倒な顔をするし、ベッドの上ではただのマグロ状態での挿入だったので、タイ語で会話を交わすこともなく、ひたすら突きまくってフィニッシュして、さっさと部屋を出た。部屋を出る際にチップを要求してきたが、「マイイム、マイミーチャイボリガーン、タンマイハイチップダイナカップ💢」(微笑まない、全くサービスがない、でなんでチップを渡す気になるの💢)とタイ語で伝えて足早に外へ出た。

その後ナタリーに行くことは2度となくなった。明らかに、その時は店側の買い手市場だったと言える状況だったが、もしかすると今見ている子がすぐに誰かに持っていかれるのではないかとの心理が働く時は、どうしても失敗するものだ。めぼしい子を2〜3人見つけられない時は、他の店を覗くのも良いと知った時だった。

今でもなぜあそこまで日本人に人気があったのかということの真相は不明だが、もしかしたら、2016年の摘発の理由になっている18歳未満の少女を働かせていた(処女を売り物にした売春斡旋行為があった)のかもしれないと思える。

確かに、2016年ごろに、チェンマイのチェンマイランドにあったとされる、中学生(処女)を紹介すると噂のあった見かけ上普通のカラオケ店も摘発を受けて、経営者が逮捕されたというニュースが日本語タウン誌に小さく載っていたことを思い出す。

タイが2014年軍によるクーデターで政権が奪われるまでは、そんな摘発の話はミャンマーやラオス、カンボジア国境の麻薬密売ばかりだったが、18歳未満の売春などの摘発は明らかに必要悪として見逃されてきたのだろう。

お金がないと農薬どころか苗すら買えない貧農の娘は、就学途中でもなんでも親に売り飛ばされていたのが今から15年くらい前まではあったということだろう。いや実は今もそんな状況がゼロになってはいないのかもしれない。

最近は、タイでもヨーロッパやオセアニアの国のように売春を合法化しようとする動きがあるようだが、そうしたからといって18歳未満の売春がなくなるということはないだろうとぽんこつマンは思う。

バンコク・ラマ9世通りLa Defenseというマッサージパーラとその裏手にあるキャサリンを覗いてみた

ぽんこつマンは、一時期タイにあるマッサージパーラーの中で覗いてみたい店をリストアップしていた時がある。それは今からすでに5〜6年前以上昔であるが、3泊4日くらいのスケジュールでバンコクのマッサージパーラーで気になる店を回ってみた時がある。

GrabThailand(https://www.grab.com/th/en/)がいつから使える様になったかはよく分からないが、ぽんこつマンがバンコクのMPを回った時は、まだGrabなんて無く、タクシーで移動しやすく、帰りも簡単にタクシーを拾えるところという条件があった。

その意味でLa Defense はラマ9世通りという幹線に面していてタクシーはひっきりなしに通るからLa Defenseの裏手に100mちょっと離れてあるキャサリンも同時に覗きに行ける絶好のロケーションであった。

もうすでになくなってしまったサイトで、バンコクのMPの姫たちの顔写真がアップされているサイトがあり、La Defenseの姫も多くアップされていた。MP遊びは、顔だけで選ぶと失敗するケースが多いことはすでに体験済みだったが、やはり第一印象は顔が好みかどうかで選択肢を絞ることになる。

La Defenseのオープン時間は正午12:00となっている様だったので、ぽんこつマンは4時くらいに店に入れるようにとその日はまずアソークから地下鉄でスティサン駅まで行き、午後2時頃にポセイドンを覗いてみた。その時間だとやはり金魚鉢には5〜6人の姫しかいない状態だったが、アジア系(離れて座っている同士で大きな声で韓国語らしき言葉で話していたから多分韓国人)の客が3〜4人金魚鉢の前のソファーにふんぞり返って横柄な態度で座り、アイスコーヒーをちびちび飲みながら新しい姫が金魚鉢に入ってくるのをずいぶん長く待っているようだった。

ということで早々に、ポセイドンを後にし、ラチャダピセーク通りをホイクワーンに向かって歩いた。ソンブーンシーフードホイクワーン店の前を通り、ハイクラスというMPの前まで行ったが、なんと無くイマイチな印象があり、中に入らずパスした。

さらに、南へ歩いて当時日本人に人気が高いと言われていたナタリー(2016年現在の軍政府によって摘発を受け営業停止中)を覗いたが、ぽんこつ漫画そそられる姫はその時居なかった。コンチアが近づいて来て一生懸命姫を押してくるが、値段が高い割に、年齢がずいぶん高い感じだったのでその時はパスした。(後に物は試しと改めて突入したが、その時の話は改めて書くこととする)

ポセイドンに立ち寄ってからナタリーまで1kmほど歩いたので汗びっしょりになっていた。エメラルドホテルの前にある歩道橋を渡って、ラチャダピセーク通りを反対側に移動し、タクシーを拾った。時間は午後3時を回っていて、向かったLa Defenseには午後4時前には着ける感じだった。

タクシーは、ワッタナータム通りを南下し、ラマ9世通りを左折して物の10分ほどでLa Defenseの前に止まった。ぽんこつマンは料金を払ってすぐに降りた。La Defenseの前の道路は中央の高架の側道で、MPのエントランスが直ぐに見える。

エントランスを入ると、コンチアがお出迎え。サイドラインの女の子がすぐに目に入る。ほぼ全員色白で可愛くスタイルも良い感じは、もうなくなってしまったサイトにある感じとレベルが合っていた。金魚鉢の方はと眺めてみると色白は同じだが少し年齢が上なのかぽっちゃり気味がきになる感じだった。

この店は、タイ人が主な客筋ということらしく、生尺、クンニ、指マン、2回戦がデフォルトになっているとの噂があったが、ポセイドンに比べてやはり値段はかなり高めの設定だった。SLの姫でめちゃくちゃ良いなと思える娘がいたが、コンチアに値段を聞くと5000と言っていたので、論外と判断してLa Defenseを後にして、後ろにあるキャサリンに歩いて行った。

キャサリンはLa Defenseと比べると、明らかに姫の質がかなり落ちる印象だった。値段を確認するまでも無く、引き返した。もう一度La Defenseを覗いたらさっき居た娘の姿は無くなっていて、その日はMP遊びは無しになった。

時刻は5時に近くなっていたのでLa Defenseの前からタクシーを拾って、ナナプラザのバービアに飲みにいくことにした。

チェンマイならではのローカル料理を味わえるフアン・スーンタリィ

チェンマイの言葉はバンコクの言葉とかなり違うところがある。チェンマイ女性が「こんにちは」という時はサワディーカーではなく、「サワディーチャーウ」となったり、バンコクで20のことは「イーシップ」と言うがチェンマイでは「サオ」と言ったりする。「マイペンライ」も「ボッペンニャン」となる。「ボッペンニャン」の「ボッ」は否定を表すタイ語の「マイ」として他の会話でもよく使われている。ぽんこつマンはしばしばチェンマイを訪れタイ語を少しずつ覚えていったが、先にあるような確かに典型的な言葉の違いはわかっているつもりで、バンコクのタイ人とタイ語で会話した時、やはりチェンマイ 訛りがあると言われた経験がある。微妙なイントネーションの違いや発声の違いがあるのだろう。

そんなチェンマイ出身のランナー・カミンというシンガーソングライターの曲が好きでよく聞いていた時代がある。その歌には確かにチェンマイ 訛りに使われる幾つかの言葉があって、曲奏もなんとなく郷愁をそそる楽器とメロディーで進行するものが多い。

彼女のGRAMMYからのファーストアルバムにある ไว้ใจ๋ได้กา「ワイ・ヂャイ・ダイ・ガー」という曲があるが、この曲にある最後のガー(カー)というのはバンコクでも親しい間柄ではよく使われる疑問形のmai?と同じように〜ka?と使うもので、ไว้ใจ๋ได้กา「ワイ・ヂャイ・ダイ・ガー」東京弁で「信じれんの?」関西弁で「信じれるん?」のようなものだと思う。

発音は男性の「〜カップ」にあたる女性の「〜カー」とは違っていて、あまり長く伸ばさないし関西弁で「行くんか」と訊くときの「か」の音に近いと思う。女性も男性も普通の会話ではよく使っているとぽんこつマンは思う。

チェンマイという街の名前は、CHIANG(都) MAI(新)で新しい都という意味で、1262年にライ王がチェンライに都を定めたラーンナー王朝の4回目の遷都先とされ都が築かれたとされているようだ。ラーンナーとはล้านนา(百万の田)を意味するらしく、チェンマイがラーンナー朝の都となっていた時期は1296年〜1775年までと長く、その後は現タイチャクリ王朝の朝貢国となったとされている。

それ故にチェンマイ には今もランナー時代の独特な遺跡や文化があるようで、料理もチェンマイ独特のものがいくつもある。そんなチェンマイ料理を味わえるレストランが、GRAMMYの歌手としてデビューしたランナー・カミンの母が経営する、Huan Soontaree(フアン・スーンタリィ)だ。

市内からかなり離れているので、メータータクシーかGrab Car を利用してくることになるが、その分対岸からの騒音も高い建物も近くに無く20時を過ぎれば、空は漆黒に包まれる。

基本はタイ料理だが、チェンマイ独特の料理も数多くある。永き昔から身体に良いとされるハーブが豊富に使われていて、ぽんこつマンにはかなり厳しい味もあるが、ケーンハングレー(豚の角煮カレーソース)というチェンマイ料理は日本人にも無理なく食べられると思う。

雨季はピン川そばに置かれたテーブルで月と星を眺めながらの食事は難しいが、乾季になれば月や星を眺めながら郷愁を誘う音楽とラーンナーの文化の香り漂う料理を堪能できる特別な店の1つだ。乾季はチェンマイのハイシーズンになり、この店も予約がないと厳しいかもしれないので、特にロイクラトン(コムロイ)祭りの時は特に混雑すると思われるので注意してほしい。

もしチェンマイにやって来て、品のあるチェンマイ美女・美男子と知り合い、一緒に食事をして二人の距離を縮めたいという事があれば、是非利用することをお勧めする。

チェンマイのマッサージパーラー②パンドラ

ぽんこつマンがこのマッサージパーラーを初めて訪れたのは2003年だったと思う。この年はチェンマイのチェンマイランドというカラオケ店が集まるエリアの探索に来た年で、システムの情報を何1つ知らないまま、オリビア2というカラオケにひとりで飛び込んで、Kと名乗る当時26歳の小さな娘をペイバーしたのだが、カラオケがオープンする時間は早くても19:00頃だろうと思い、昼の2時頃ホテルを出てトゥクトゥクでパンドラを訪ねたのであった。

パンドラは、SAYURI コンプレックスよりさらに市内から離れていて、タイ国鉄チェンマイ駅から5〜600mほどの北側に位置する。市内からの行き方はSAYURIコンプレックスへ行くのと同じ、チャロンムアン通り(ターペー通り)をピン川を渡り東へ進む。ピン川を渡って1km程進んだら右手にShell の大きなガスリンスタンドが見える。その先左手に、看板がたくさん並んだサインがあるところを左に入る。

そのMPの場所はすごく分かりにくいがチャロンムアン通り(ターペー通り)の入り口から奥へ250mほど入ると、長いビルのほぼ奥のあたりにそのMPのエントランスがある。

ぽんこつマンがそのエントランスを入った時は、まだ時間が早過ぎたのか女の子は数人いただけだったがひとり可愛い子がいた。女の子はまだ金魚鉢には入っていないようでエントランスで直接顔を見たのだったが、覚えたてのタイ語で話してみても、どうもぽんこつマンのタイ語が分からないらしく、コンチアの話では普段はタイ語を使わない部族ミャンマー国境やラオス国境の娘のようだった。当時の記憶は定かではないが1300か1400Baht払ったような記憶がある。

もしかしたらタイ人ではない隣国ミャンマーやラオス、娘たちだったのかも知れない。しかしカラオケに行くまでにまだ4時間くらいあったので、その可愛い黒髪の女の子を選んで部屋に上がった。もう部屋の様子は覚えていないが、こちらも当時はバンコクのMPと比べて貧相な作りだったと思う。

部屋で洋服を脱いで、お湯(かなり低めの生温い程度)を張った風呂にふたりで入り彼女の洗体サービスを受けるが、タイ語も通じないのでは英語も通じるわけもなく、ただただ意味もなく微笑み合うだけの時間が流れた。

シャンプーという言葉は何とかわかったみたいで、髪の毛も洗ってくれた。ぽんこつマンが彼女の年齢を訊こうとタイ語、英語や自分の年齢を指でジェスチャーするなどしたら彼女は同じく指のサインで2と4のサインを出し24歳のようだとわかった。

彼女のおっぱいは自然のままの張りもあり、形のいい美乳だった。ぽんこつマンはシリコンの乳は好きではないのだ。自然のままでまだ張りがあると言う事は、20歳を超えた女には珍しい事だ。もしかしたら男との肉体関係が必須のマッサージパーラーの仕事を始めてさほど日にちが経っていない嬢なのかもしれない。アジアの貧しい農家に生まれた娘が親が背負った借金のために売られてくると言う話を聞いたことがある。学校にも行けていない純真無垢な田舎娘がその運命を受け入れて健気に笑みを浮かべて働いているのかもと想像した。

しかし彼女は処女でこの仕事に入ったのではなさそうだった。よく見るとイン毛の上あたりの下っ腹が少しふっくらしていて、かすかなセルライトの線が何本か見えていた。きっと彼女は田舎で既に一度は妊娠・出産を経験していて、子供を彼女の田舎の両親のもとに預けてチェンマイに働きに来ているのだろうと思った。

ベッドでは、ゴムを付けてのフェラチオサービスから始まって、騎乗位での本番サービス、そして正常位になってのフィニッシュまでという流れだった。本番サービスが終わったら、彼女は冷たい手でぽんこつマンの太ももやふくらはぎ、そして背中の筋肉を解してくれるマッサージをしてくる。マッサージがうまい訳ではなかったが、一生懸命尽くそうとする気持ちはよくわかった。言葉が通じないが彼女の少しはにかむ笑顔は最高に可愛いと思った。マッサージが一通り終わって再度シャワーでぽんこつマンの身体を洗い流した後、決められた時間が来る少し前にぽんこつマンは部屋を出た。彼女にはぽんこつマンが勝手に想像した彼女の生い立ちの不憫さに500バーツのチップ(当時はMPで渡すチップは普通で200、サービスが悪いと100と決めていたのだが…)を渡したが、その時も一瞬驚き、最高の可愛い笑顔見せてぽんこつマンを送り出してくれた。

店の外へ出るとまだ陽はそこまで低くはないものの、かなり光線が弱くなっていた。道の奥は左に曲がっていてそこに大きなアパートがあるようだった。多分このアパートに多くの田舎からの出稼ぎ娘や男が一部屋に何人か集まって寝泊りしているのだろうと勝手な想像をしたことを思い出す。

ぽんこつマンは、歩いてそのアパートの前を通りさらにその先へと歩を進めた。高い建物はなく、時折通るバイクの音だけが残る静かな通り。道は少しうねりさらに先へと続いていた。ぽんこつマンはただおもむろにその道を真っ直ぐ進んだ。

1kmほど歩いただろうか、その道はT字路になり、右手にはSAYURI コンプレックスの黒字に黄色のタイ文字サインが見えた。ぽんこつマンは改めてSAYURIに向かい、金魚鉢を眺めに入ったが、その日は先ほどの可愛良い女の子を超える上玉を見つけることができなかった。

その後、SAYURIを出て左へ進み右手奥に高いコンドミニアムが見える方向へ歩いてみた。いくつかの行き止まりにあたり戻っては違う道を進んで、できるだけ夕陽が落ちる方向へ進むようにしていたら、ピン川沿いを走る道路に出た。そこには、この後行ったカラオケでペイバーした女の子と後日デートしたThe Riversideや今の連れ合いと出会ったThe Gallery Cafe、そして今の連れ合いと初めてデートしたGood Viewといったチェンマイでのデートスポットがひしめくエリアだった。

チェンマイのマッサージパーラー①SAYURI コンプレックス

ぽんこつマンが、チェンマイのSAYURI コンプレックスに初めて行ったのは、1998年のことだった。ゴルフクラブの新製品の広告宣伝のためのロケ地を探すという名目で、タイのチェンライからチェンマイとゴルフ場を回った時に、ツアーガイドをしてくれたドライバーに教えられてきたのが最初だった。

場所はしないから少し離れていて、チャロンムアン通り(ターペー通り)をピン川を渡り東へ右手にクルン体銀行がある交差点を左折して350mほど北上すると、黒地に黄色のタイ文字でSAYURIとかいてある看板が見えます。そこを左折すると50mほどで到着する。

一番最初に行った時は1800Baht だった気がするが、完全にガイドが一緒に金魚鉢がある場所まで案内してくれていたのでバックマージン込みの料金を言われたと思っている。タイ語が少しは話せるようになっていて3回目くらいに行った時は、800Bahtだった時もあったと記憶している。2004年頃には1200〜1400Bahtくらいで、その後はさらに値段が跳ね上がって、金魚鉢の一番右側(入り口に近い方)は1800Bhat、金魚鉢の奥の方は2200baht、さらに奥のキャッシャーの手前に狭いスペース(ここにはガラスはない)にいるのはモデルクラス(ちょっと若く見えるだけと言う印象)という設定で2800Bahtと言われたことがある。もっとも値段のクラスは女の子が決めていると言う話があるので、値を上げても客がつく子は強気で勝負するだろうし、数をこなすことで稼ぎを得たい嬢はタマダーを選ぶのだろう。

最近は長い間お世話にはなっていないが、コンチアがタイ語でも方言を聞き分けてチェンマイ人(北部タイ人)とバンコク人(中部タイ人)とで料金を分けているようだった。また外国人にはバンコク人よりも高い料金をふっかけているようでもあった。

サービスを受ける部屋は、バンコクの多くのMPほど広くはなく、窓もない電気を消せば真っ暗な空間だったような気がする。バスタブはあるが、マットが置けるようなスペースもなく、風呂で嬢の洗体サービスを受けてベッドでゴム付き本番サービス終わったらとっとと帰りたくなるくらいじめッとした空間だった記憶がある。それからキャッシャーでお金を払って部屋に行く時の通路が薄暗く幅も狭い。それでも、北部タイの透き通るような肌をした美形に会えるのではないかといつも期待して覗きには行くのだが、ここ何年かは当たりの女の子を見たことがない。最も昼間の2時では売れっ子が出勤しているはずもないということかも知れないが……。

チェンマイに数日滞在してレンタルバイクで街を走る人は、時間帯を変えて何回か覗きに行くといいかも知れない。ぽんこつマンは夜の時間帯にSAYURIコンプレックスに行ったことはないが、金魚鉢ではない側のドア(左の階段)を入ると一応ステージのあるPUBスペースになっているようだったが何時から営業しているのかはわからない。まぁ、ほとんどの客はお酒を飲みに来るわけではなく、性欲処理に来るだけだろうから、PUBスペースは営業許可を取るためだけの見せかけスペースなのかも知れないと思うほど、いつも真っ暗だ。

ここは、コンチアが客のところまで来てどの子がいいかなどと話しかけてはこないので、ゆっくり座ってアイスコーヒーをじっくり飲んで涼みながら女の子を眺めるだけでも問題ないのでリラックスできるところが良い。

空港からバンコク市内へタクシーをつかう時は

空港からのタクシーに乗る場合は、メーター料金プラス空港施設使用料の50バーツが必要でさらにバンコクのタクシーが市内へ向かう際、「タンドゥアン」と言う単語を発した時は「有料道路=高速」と言う意味だと覚えているとさらに安心だ。バンコクの場合は空港からすぐに高架の道路を走るが、料金所が見える手前までは無料である。その料金所を通過する前に左側のラマ9世通りへの降り口を降り、ラマ9世通りを西に行ってもアソークやナナ近辺には時間的にそんなに差が出ることはない。

もし、宿泊先がサトーンやシーロムより西または南といった場合は、高速を使う方が早いケースがあるが、スクンビット通りのソイ1近くに降りる高速出口は大概大渋滞するので注意が必要だ。

高速道路を走ると距離が多くなり、途中で降りたいとも言えなくなる。渋滞で前に進まなくてもメーターはどんどん上がるので、ぼったくりを狙っている運転手は客が乗車中の渋滞はむしろ歓迎なのだ。

空港を出て、どうしても高速道路を走って欲しくなければ、「マイ アウ タンドゥアン ナカップ」と言えば渋々でも「Rama Ⅸ」とサインのある左側を走って高架道路の下へ降りてくれるだろう。

ぽんこつマンは、荷物が多い時は空港の地上階に降りてタクシースタンドでSUVタイプのメータータクシーを選ぶが、ハンドキャリー1つの時などは、出発ロビーまで上がって、客を送ってきてそこでしばらく客待ちをしているタクシーを見つけてバンコク市内へ向かう。

この方法は公認されているわけではないが、旅慣れた人はよく行う方法だ。この方法だと本来地上階のタクシースタンドから出発する時に発生する空港使用料の50バーツは不要になるし、バンコクしないから正常なタクシーメーターで走ってきている車なので、違法なメーター加工は行っていないはずなので、正しい距離に応じた正規の料金がメーターに表示されるはずなのだ。

ぽんこつマンがスワナブーム空港からぽんこつまんが住んでいるエアポートリンクラムカンヘン駅に近いコンドまでは高速の利用なく運賃のみで180バーツもいかないくらいで到着できるのだ。スクンビットエリアでも高速を使わないでラマ9へ降りてスクンビット71かスクンビット63へ左折した後ペップリー通りを右折して、スクンビットエリアに行けばペッブリー通りから南下する道路の渋滞にもよるが250〜300バーツで着けるはずだ。

その運転手にしても空港からの帰り道、乗客なしで客を拾えるバンコク市内で戻るより、正規の運賃が入るのでWIN & WINなので運転もあまり荒い走りをしない運転手が多い。ただし、行き先をタイ語で正しく伝える事ができるかどうかが不安な場合は、地上階のタクシースタンドを使った方が安全だろう。

一刻も早く空港を出たいとか、少しでもタクシー代を節約したいと思う人は、出発ロビーに客を送ってきたタクシーでバンコク市内へ向かう時、「パイ ◯◯◯◯◯◯(行き先 ホテル名、建物名)カップ」と言えればほぼ間違い無く目的地に連れていってくれるだろう。タクシーの運転手は「パイ(行く)タン ドゥアン(有料道路)マイ(疑問符)?」と聞いてくるからどちらでもいいという場合は、「レオテー(クン)」(まかせます)と言っておけばいい。後はGoogle マップで現在地と方向をチェックしておけばいい。

空港の到着ロビーには、AOT Limousine(https://www.aot-limousine.com) という送迎サービスもあるが、バンコクはベンツやBMWでなくてもタクシーに比べかなり高額(3倍以上)になるので事前に調べておくことをお勧めする。因みにチェンマイでは場所によってはメータータクシーより安くなることもある。チェンマイのメータータクシーはチェンマイ市内まではメーターを使うが、少しでも遠くなるとエリアごとに言い値になってしまい、それがリムジンより高いことが多いのだ。

日本人の感覚だと300バーツは1000円位、1000バーツは3300円位で空港から市内までの料金としては高く無いと感じるかもしれないが、一方タイ人の感覚では、タイの1000バーツは日本の1万円の感覚だし100バーツは日本の1000円の感覚だ。バンコクのメータータクシーの初乗りは1kmまで35バーツ、後は走行距離が

1~10km: 1km毎に5.5バーツ
10~20km: 1km毎に6.5バーツ
20~40km: 1km毎に7.5バーツ
40~60km: 1km毎に8.0バーツ
60~80km: 1km毎に9.0バーツ
80km以上: 1km毎に10.5バーツで上がっていく。時速6km以下で1分走行あるいは停車に対し2バーツメーターが上がる。タイの信号待ちは長くて赤になってから次に青になるまで3分が普通で長いと5分くらい青にならない交差点がある。渋滞で1つの信号を越えるのに3回信号が青になっても無理な時もあるので覚悟が必要だ。

黄色と緑のツートンカラーは個人タクシーで、乱暴な運転やあえて遠回りやメーターを改造していたりする悪質運転手もいるので、決してタクシードライバーを罵倒したり叱責したりしない方が賢明だ。中にはいいドライバーもいるから、万が一あまりに運転が荒く危険を感じる場合やぼったくりタクシーだと気がついた時点で、タクシーを降りて新しいタクシーを探すのも必要だと思って欲しい。

後メーターを倒さないで走ろうとする運転手もいるので、乗車時にメーター(ミーター)と言っておこう。まぁ空港から市内へのタクシーはほぼメーターを使うだろうけどね。

降りる時には必ずトランクの荷物を下ろしてから料金を払うようにしよう。その時の料金が235バーツだったら200バーツ札2枚と20バーツ札2枚を払い、お釣りは要らないと言っておくことをお勧めする。20バーツ冊がたらなくて100バーツ冊3枚渡した場合は20バーツ冊2枚あるかと聞く(ミー イーシップ ソン バイ マイ?)と20バーツ冊を2枚か1枚返してくれることが多いだろう。多くのタイ人は小銭のお釣りはチップでドライバーに渡す。中には100バーツ札が足りなくて1000バーツや500バーツ札を出してもお釣りはないと断られることがあるので、その場合は通り道のコンビニにいってガムか水を買って100バーツ札を用意しよう。

どんなに短くてもせっかくタイに遊びに来るなら不愉快な思いをしないで過ごせる方がいいので、少額のお札は多めに持っておくことをお勧めする。

ぽんこつマンが好きなバンコクのラーメン屋

ぽんこつマンがタイにいる時はよくラーメンを食べに行く。一番最初にバンコクで訪れたラーメン屋は、スクンビットソイ33/1にあるラーメン亭(http://ramentei-bkk.com/shop-information/)だ。ぽんこつマンがバンコクに2回目に訪れて、スクンビットソイ19のThe Key Bangkokhttp://www.thekeybangkok.com/en/?utm_source=GMB&utm_medium=HotelHomePage)を常宿にした最初の時だった。

2002年頃のことで、当時は今ほど至るところにラーメン屋があるわけではなく、たまたまアソークからプロンポン方向に歩いて散策している時に見つけたラーメン屋だった。ぽんこつマンはまだまだ大食いだった頃で、その時はチャーシュー麺と餃子、さらに中華丼を注文していた。

その味は挑戦的では無いが安定した日本の町中華の味で、いつ食べても美味しいと思う。もう1つタイには早くから進出しているラーメン屋がある。それは8番ラーメン。1992年バンコクに海外1号店を開いている。8番ラーメンはぽんこつマンの実家がある北陸に多くの店舗が展開していて、高校生の頃からたまに食べたことがあったが、味的にはやはり刺激が少なく、最近はパンチにかけるという印象だ。ぽんこつマンのタイでの8番ラーメン体験はチェンマイになるが、そこはセントラルプラザチェンマイエアポート店だった。2003年くらいから毎年チェンマイに行っているが当時は日本食レストランはFUJIとやよい軒くらいでラーメン屋のチェン店開店はチェンマイにはなかったという記憶がある。当時からおいしいラーメンというタイ資本のラーメン屋はあったが、味が日本人向きとはいえなかったのでそれならばと8番ラーメンに入ったというわけだった。

日本でラーメンがブームが始まったのは、1985年ラーメンをテーマとした伊丹十三氏の脚本・監督による映画「タンポポ」が公開されてからとぽんこつマンは思っている。1989年には首都圏を中心に豚骨ラーメンブームが起こり、1994年新横浜ラーメン博物館がオープンすることになる。

ぽんこつまんが本格的にラーメン好きになったのは、1986年頃からでちょうど会社で働き出して3年、食べるものにこだわりを持って接することができてからだと思う。当時は関西の会社に勤務していたが、金曜日の仕事が終わりどうしても博多の屋台ラーメンが食べたくなって車で高速道路を走って博多に夜中2時ごろに着いてラーメンを食べるといったこともするほどになっていた。

東京で、麺屋武蔵が初めて新宿の子滝橋通りに店を開き、まだ煮干しを使った魚介系スープが珍しくそれほど混雑していない時に近くにあるルーレット教室で遊んだ帰りは必ず立ち寄っていた。そのうち大行列ができるようになり、足は遠のいたが、もう1つ東京にしかないラーメン屋で「はしご」というダンダン麺の店が今も忘れられない。さらには、喜多方ラーメンの東京進出で一時期麹町にあった「小法師」にもよく通ったことを思い出す。

「はしご」は東京にしかないし、「こぼし」も東日本に集中していて海外進出はしていない。タイへの多くのラーメン屋の進出のきっかけは、2008年東京豚骨ばんからラーメンがスクンビットソイ39にオープンしてからだ。2013年には関西が拠点の豚骨 火山 ら~めんがバンコク1号店を出店した。豚骨スープを主体とした日本で人気のラーメンとなった一風堂がバンコクに進出したのが2014年、千葉の鶏パイタンラーメン七星(ななせ)が2015年にトンロー駅前に出店。2016年には、博多一幸舎がトンローJアベニューにオープン。これまでにもバンコクで新しくラーメン店ができては消えていっているが、やはり海外進出しても味が大きく変わらないチェーン店は長く残れるのだろうと思う。

ぽんこつマンがタイで食べたラーメン屋は、らーめん亭、一風堂、一幸舎、ばんからラーメン、七星、豚骨火山ラーメン、内田家、チャブトンラーメン。この中でスープが旨いと思うのは今のところ一幸舎が1番、七星が2番、ばんからが3番と言ったところだろうか。

チェンマイの家で自分で豚骨と鶏ガラを煮込んでスープを作って食べてみたが、ラーメンはタレもかなり味を左右するし、麺との絡み方も重要だと思う。バンコクという地で、スープも面もそしてトッピングもチャーシュー1つとっても、いつも一定の味を維持するのはかなり難しいと思う。

ラーメンチャンピオンの店としてタイで展開しているチャブトンのチェンマイの店での話だが、提供された時にスープが既に冷めていてがっかりした記憶がある。その後数回訪れて店のスタッフにスープが冷めていて美味しく無いと伝えたが改善は見られなかった。タイ人は猫舌が多いのか熱々のスープはどうも苦手なローカルが多いようであった。スワナブーム空港の国内線のフードコートにもラーメンを出している店があるが、そこの店は、タレの塩味が全く効いていないこともあった。

タイでは味が一定しないことがままあるのだが、何か1つの行程をすっかり忘れているあるいはパスしているということかもしれない。まぁ、日本の味の代表になりつつあるラーメンが大きく外れた味にならないようにタイ人の料理人にも頑張ってもらいたいものだ。

タイバーツを日本円から両替するなら

タイの通貨タイバーツに両替するなら日本の空港でタイバーツに両替するよりタイに到着した空港で当面のタイバーツ(ホテルまでのタクシーや電車に乗るために必要な程度)を両替しておいて、あとは到着空港の市内にあるレートの良い両替所で両替するのが良いと思う。

もし空港からGrab car でホテルやコンドミニアムなどの宿泊先へ向かうのであれば、あらかじめGrabにクレジットカードを登録しておけば現金無しでも移動は可能だが、チェックインして部屋まで荷物を運んでくれたベルボーイに渡すチップを考えると20バーツ札10枚と100バーツ札3枚くらいは切らさず持っていた方がいい。ちなみに50バーツという札もあるが流通量がかなり少なめ。

なので空港でひとまず2000〜5000円くらいをタイの到着空港で両替しておけばその先の不安はぐっと低くできる。

バンコク以外の地方都市はメータータクシーは割高なので、手持ち現金に不安がある場合はGrab carなどで事前にクレジットカードを登録して現金を使わなくてもいいようにしておきたいものだ。特にプーケットは空港からホテルが集中するパトンビーチ周辺まではかなり距離があるので、もしぼったくりのタクシーに当たったら、1000バーツを超える請求が来るかもしれないので要注意だ。タクシーは基本的にあまり釣り銭をきっちり返してはくれないことが多いから、お釣りにシビアな人は少額な紙幣を多く持っておくべきだろう。ちなみにタクシーの運転手のほとんどは端数の小銭をチップでもらえることを期待している。

またタイでは、クレジットカードが使える店は今は多いが、それでも今も現金のみと言うレストランがないと言うわけではないので現金はある程度必要だ。ナイトマーケットなどへ出かけたらたとえクレジットカードが使えたとしてもスキミングのリスクなどもあるため安全を考えると現金払いをお勧めする。ゴーゴーバーやバービア、カラオケから女の子をペイバーして払うチップは100%現金だ。

さて、バンコク市内での両替はと言うと至る所でできる。まずは宿泊先のホテル、ここのレートは多分一番悪い。次に銀行、もちろん日本で両替してくるよりはるかにマシだが、ここもレートがそれほど良くはない。どちらかと言うとタイの空港と変わらない感じ。そして両替商の店舗となる。両替商の店舗はBTSやMRTの駅にある場合もあるが、タイの銀行のブースもあるのでレートをチェックして納得できるところで両替をして欲しい。

タイのかなりのローカル都市に支店を持つ両替商で名前が通っているのはSuper Rich、一般にBTSやMRTの駅に見かけるオレンジ色のものと、有名デパートなどに店舗を構えているグリーンのものがあるがグリーンは多分バンコク以外にはないように思う。

どちらがレートがいいかと言うと、グリーンの方が(THと表記が追加されていてる)一般的にレートがいい。中でも、本店に当たるソイラチャダムリ1を入ったところにある本店(https://www.superrichthailand.com/#!/en/contact#branch)は、エンポリアムやセントラルワールド、セントラルラマ9などにあるスーパーリッチTHより一段といいレート(一万円でデパートなどにあるスーパーリッチTHより10バーツ良い)であることが多い。ただし、一番近いBTSのチットロム駅からも1Km近く歩くので少し大変だ。もしかなりの額(例えば50万円以上)を両替したいのなら本店に行く意味はあるだろう。

ちなみにスーパーリッチTHもオレンジ色の スーパーリッチもスマホアプリがあるのでタイでダウンロードすれば、いつでもレートをチェックできる。

ぽんこつマンがかつてはよくナナプラザで遊んでいた頃は、 BTSナナ駅のちょうどセンターあたり、スクンビットソイ7Alley とスクンビットソイ11の間にあるVasu Exchange(http://www.vasuexchange.com)も良く使っていた。

タニヤでバーツが必要になったらタニヤ・スピリットと言う酒屋さんが日本円の両替をかなり良いレートでやってくれていると言う話をカラオケの女の子から聞いたことがある。

ちなみにバンコク銀行のレートを参考に見てみると、

上の3つの両替商のレートがいかに良いかが良くわかる。1万円で64〜69バーツの差がある。この差は屋台でバーミーやクイティアオを食べれる。100万円を両替すると6400〜6900バーツ違うと言うことだ。6400バーツあればバンコクのゴーゴー嬢をペイバーして◯ックスしても少しお釣りが来る感じだ。

両替にはパスポートなどの英語表記あるいはタイ語表記の写真付き身分証明書が必要になるので、両替に出かける時には忘れないようにしておこう。

ここのところ、一時期のタイバーツ高が少し落ち着いてきているようだが、ぽんこつマンの記憶では1万円が4000バーツ近くになった時代もあったと思う。日本円がタイバーツに対して今以上に強くなって欲しいと願うばかりである。

バンコクでバイクタクシーに乗る

バンコクには、ある程度新都市交通網であるBTSやMRTそしてエアポートリンクという鉄道網があり海外旅行者や通勤者の利用が進んでいるが、タイは暑い国で駅を出て少し歩くだけで汗だくになってしまう。だから少しお金に余裕ができると自家用車を所有するタイ人が多く、バンコクの大渋滞は、年を追う毎に激しくなる一方である。

タクシーでの移動は、エアコンが効いていて汗を大量にかくと言うことはないが、渋滞にしょっちゅう見舞われて時間に間に合わないことや想定外の料金に跳ね上がることも多くある。またバンコクの歩道は整備ができておらず、実に歩きづらいし、タイ人で歩くことを厭わない人は珍しい。

と言うわけで、タイ人はちょっとした移動にバイクタクシーをよく使う。バイクタクシースタンドは至る所にあって、新都市交通網の駅に行くにも、駅で降りて目的地に行くにもバイクタクシーを使う。

タイは人口10万にあたりの交通事故死死亡者数は常に世界上位にある国でバイクが一番危ないと言われているが、移動の利便性が最も良いのでぽんこつマンも何度も使ったことがある。特に、太陽が沈んで日差しがキツくない時のひとり移動はバイタクが好都合だ。Grab バイクは配車を待つ必要があるので今のところ使ったことがないが、オレンジのチョッキを着たバイタクは幾度となく使ってきた。

バンコクで歩いて行く距離は大体500mまで、それ以上遠い場合はバイタクを利用することがほとんどになった。ぽんこつマンがバンコクで住んでいるコンドからBTSの最寄り駅(約3km)へ行く時、タクシーだと渋滞が影響して30分以上かかって料金は80バーツ超えるので100バーツ払うことが多いが、バイクタクシー(モタサイ)だと車の間をすり抜けて行くので、信号待ちがいくつかあっても15分くらいで着いて40バーツが相場。(法律上は2キロまで25バーツ以降1キロ毎に5バーツ追加となっているらしいので4キロでも35バーツだが、細かいことは言わず、「パイサターニロットファイ〜、40バーツダイマイ?」とオレンジのチョッキを来ている運転手に聞いておけば大丈夫だ。

一度、深夜までタニヤのカラオケで飲んでMRTもBTSも終電がなくなった後に、タクシーでナナプラザへ行こうとしたら、400バーツと言ってきたのでタクシーは乗らずにシーロム通りをルンピニ公園のある交差点まで歩き、そこでバイクタクシーに尋ねたら、80バーツなら行くと言う。深夜は交通量も多くないし、排気ガスも少しは少ないので乗ることにした。ラマ4通りを東に進み、クロントイ市場の交差点を左折北上し、少し進んだところを右折してさらにスクンビットソイ4を北上するルートで10分くらいで着いた。

夜の繁華街ではタクシーもメーターを使わずぼったくり料金を吹っかけてくる。特に電車がなくなった後のぼったくり度は半端ない。バイクタクシーもタニヤでは200と言っていたので少し歩いて繁華街から離れたところで拾って80になったが、本来なら40〜60までの距離だ。

ぽんこつマンが仲良くしていたタニヤで働く女の子はいつもグラブバイクの配車を利用してタニヤからラチャダーソイ3の自宅まで40で行くと言っていた。次にタニヤやナナプラザやソイカウボーイから深夜帰る時は一度グラブバイクを探してみようとも思う。

サイアム駅で待ち合わせした女の子の友達としてきた娘が好きになって②

出会ってわずか数時間で好きになった女の子B、少年のように純情な気持ちで数週間接して来たB、その恋があっという間に儚く消えた話の続きは、彼女が長い間ラオス国境近くの寺に篭ると語ったところから始まる。

ぽんこつマンは、彼女Bとの恋が儚く消えたと感じた日から彼女のことを忘れようとしたが本気で彼女の放つフェロモンの虜になってしまった気持ちは、なかなか鎮まる事はなかった。恋の可能性が消えた日から半年くらいが過ぎた頃に彼女Bへの気持ちを断ち切るためにLINEのIDを削除したのだが、それでもBと距離を置くきっかけになった彼女の友人Kの交通事故死を忘れる事はできなかった。

結果、ぽんこつマンはBのインスタグラムを探して彼女のアップしている画像や動画を見ることになったのだが、そこに実際に彼女Bと最後に会った時に言っていたラオス国境近くの寺に篭るという話が本当に画像でアップされているのに気がついた。ただしその画像がアップされているのは今から66週間前でおおよそ2019年6月最終週ということなのだ。

それから、ぽんこつマンは交通事故死したKのことを思い出すたびにBのインスタを見に行くようになった。ぽんこつマンが彼女と過ごした数週間の記憶はBがアップした1718の投稿の内の2つでしかない。それ以降Bのインスタには初めて接した時の質素さとは裏腹なゴージャスライフが限りなくアップされていた。メルセデスを運転し(ぽんこつマンは彼女が持っている車はタイ生産のNONDA City)、5つ星のホテルに泊まり、韓国、中国へ長期旅行しする姿があった。

ラオス国境の寺に篭ったと思われる画像が掲出された直後にすぐシンガポールのサンズに出かけている。それからが驚くことに、52週間前にはプライベートジェットでインドネシアに飛び豪華クルーザーに乗り、女友達とビーチで戯れたりした画像があるかと思うと、その1週間後にはまたプライベートジェットでデンマーク、ドイツ、ポルトガルに飛び、毎日豪華な食事もアップされている。

そうかと思えば48週間前にはプーケットの高級リゾートホテルに最初にBと知り合うきっかけになった女の子Aも含めた女性3人で2週間ほど滞在していた記録がある。40週前には改めてプライベートジェットでプーケットにAと飛んで豪華クルーザーでの豪遊記録をアップしている。36週前は日本、35週前はデンマーク、31週前には今度は7人の女の子でプーケットに三度訪れ1週間過ごしたようだ。

27週前にも女の子5人でまたまたプーケットで豪華クルーザー、13週前はインドネシアのティムールで豪華クルーザー、12週間前にタイに戻っているがその頃タイは7月で民間航空局が国際線の航空機飛行を4月から禁止し続けているから、プライベートジェットでの蜜出入国渡航でしか海外へ行って帰国する事はできないはずだ。しかも帰国してから隔離施設に入ったかどうかもわからない。8週間前はカンチャナブリのリゾート、7週前はサラブリの古代遺跡、4週前はナコーンラーチャシーマのThames Valley Khaoyai Hotel、そして2週間前はまた6人でプーケット、そしてウドンタニー 、最新が9月28日のサコンナコンのお寺になっている。

どう考えても、国家権力をも凌ぐ権力と財力を持つ飛び抜けた富豪の存在でも無い限り、できることではない。プライベートジェットといえば、元日産のゴーン被告が日本から国外逃亡した時にニュースになる程度で、日本には娘にそこまでの生活を許せる親もパパもいないと思うが、一体どんなスポンサーのサポートを受けているのか計り知れない。

Bという女の魅力が世界のあらゆる男に貢がせるだけの魅力があるのか、巨万の富と絶対的な権力を持つ男の遺産を受け継いでいるのか、それとも国家体制をも操るアジアNo.1のあげまんなのか、あまりにもミステリアスな魔性の女にわずか数週間とはいえ、相手にしてもらったというのはもしかしたら誇らしいことかもしれないとさえ思う。

いつかタイに戻れる日がきたら、彼女にもう一度会ってみたい。そしてインスタグラムに潜まれた秘密を聞いてみたいと今は思っている。

サイアム駅で待ち合わせした女の子の友達としてきた娘が好きになって①

ぽんこつマンがほんの3ヶ月バンコクで働いていた時、Tinderで知り合った女の子Aとデートすることになりサイアム駅で待ち合わせした。彼女のことを気に入った理由は、Tinderにアップしていた彼女の抜群のプロポーションで特にスラリと伸びた脚がたまらなかった。

待ち合わせ日時は2018年8月4日(土)18:00BTSサイアム駅。ぽんこつマンは当時住んでいたスクンビット通り沿いのコンドを17:20に出てBTSエカマイ駅に行きサイアム駅まで向かった。ぽんこつマンはサイアム駅に17:50に着き彼女の到着を待った。彼女は待ち合わせの時刻から5分ほど遅れてブルージンズのホットパンツにスニーカーで姿を現した。身長は160 cmほどあり高身長だが細い脚、細い腰、細い肩でスレンダーという言葉がぴったりの娘だった。

軽く挨拶を済ませて、どこに行こうかということになる。ぽんこつマンは初めてのデートなのでルーフトップバーに行こうと提案した。彼女はOKと了解し、それならとセントラルワールドの方へ歩き出す。

彼女が案内するルーフトップバーはセンタラ グランド アット セントラルワールドの最上階55階にあるRed Sky Restaurant & Red Sky Bar(https://www.bangkokredsky.com)のようだった。ホテルのロビーからエレベーターで54階まで行く。54階はレストランフロアのようだ。そこから階段で55階へ向かう。

55階のバーに着いたのは18時30分過ぎだったが、8月のバンコクの日の入り時刻は18時40分くらいでまだ空は明るかった。彼女はカクテルを注文しぽんこつマンはコート・デュ・ローヌの赤 2016 Yann Chave, Crozes-Hermitage ‘Le Rouvre’ biodynamic Rhône Valleyをボトルで頼んだ。陽が落ちるタイミングでドリンクがやって来て、乾杯をする。

彼女はバンコクのある保険会社のOLといっていたが、まるでモデルのような体型だった。彼女とは友達としてその日会ったが、そこに彼女が呼んでいたふたりの女の子がしばらくして訪れる。ひとりはショートヘアがよく似合う肌の白い可愛い感じの女の子K、もうひとりは長い黒髪のやはりスレンダーな娘B。

新しく来たふたりの娘はワインを飲んだ。1本のワインはすぐに空き、また新たに1本を頼んだ。Tinder で知り合った女の子と同じ大学の同級生だというふたり。ショートヘアの女の子Kは自分のことをアーティストと言い、長い黒髪の娘Bは、オリジナルの化粧品ブランドのオーナーだという。

ぽんこつマンは最初の彼女より、後から来たふたりに興味を持った。4人がけの対面ソファーでぽんこつマンの隣に座ったのは長い黒髪の娘Bで、最初にあった女の子とショートヘアの子がトイレに行ってふたりだけになった時に、Bに連絡先を教えて貰って今度こっそりとふたりで逢おうとということになった。

その日は3人で22時近くまで飲んで、ぽんこつマンはかなり酔ったのでレッドスカイで彼女たちと別れて部屋にひとり帰った。

翌週、仕事から戻って部屋にいる時、BからLINEメッセージが入った。「今Kと一緒に韓国料理を食べてる」「これからもう一軒行こうと話し合ってるけど会える?」というのだ。時刻は21時、ぽんこつマンはすぐに「OK」と返事した。彼女たちはアソークの近くにいてプロンポンまで来るというのでぽんこつマンはすぐに部屋を出てプロンポン駅に向かった。

彼女たちが待ち合わせのプロンポン駅に現れたのは21時40分、駅の改札を出てさてどこに行くかということになった。3人はワインで一致してBとKがよく行くというワインバーに行くことになった。場所はトンロー10、Wine Republic Bangkok(https://www.facebook.com/wine.republic.bkk

ぽんこつマンも彼女たちも食事を済ませていたので、赤ワインを1本頼んで生ハムをつまみに飲んだ。その時、ぽんこつマンはバンコクに住み始めてほんの1ヶ月ほどだったのでまだその店は初めてだった。そこの近くには酒税の高いタイでそこそこの値段でワインが飲めるとあって夜遅くまでローカルにも人気があるようだった。

彼女達とのデートは楽しかった。ただぽんこつマンはBの事がお気に入りになっていて、幾度かBだけを誘って食事したことがある。彼女の肌の色はタイ人の一般的なタンカラーだが、彼女のドレスから少し見える胸の膨らみが美乳の典型とも思えるくらい形がよい。デコルテの美しさも見事だと思った。さらに彼女のぷっくりとした唇も彼女のセクシーアピールを増幅していた。

さらに1週間ほど経った土曜日、またBからLINEにメッセージが来て、「Kとナイトクラブに行くけど一緒に行く?」と聞いて来た。ぽんこつマンはいつも通り「OK」と返事を返した。時刻はまだ17時だったが、19時にBTSナナ駅で待ち合わせになった。

ナイトクラブは、大体21時がオープン時間が普通だが、その前に食事すると言う事だと思った。ナナ駅で彼女達と合流して向かったのは、スクンビットソイ11、The Australian Pub & BBQ(https://theaustralianbangkok.com)<2020年9月28日現在、臨時休業中>だ。

Kが先頭で店に入る。1階はパブらしくスタンディングで酒と料理を楽しんでいる。Kは店の右側にある階段を上って2階のテーブル席に進んだ。そこで3人は、サラダ、ステーキ、ポテトを頼んでビールを飲んだ。ナイトクラブはその店の隣にあるSugar Club Bangkokだ。今はオープンは22時となっているようだが当時は21時には空いていたと思う。

2時間近く、オージー料理とビールを楽しんだら、酔いも有って3人のテンションは上がっていた。Sugar Club Bangkok(https://sugarclub-bangkok.com)にはオープンとほぼ同時に入ったつもりだったが、土曜日ということもあって既にフロアにはかなりのゲストが踊っていた。

KとBは何度も来ているようでスタッフともなじみのようだった。センターのダンスエリアにほぼ近いスタンディングテーブルにウィスキーのボトルとコーラ、アイスが運ばれて来た。スタッフがコークハイを3杯作って行く。ぽんこつマンと彼女達は乾杯をしてそのコークハイをぐんぐん飲んでどんどんハイになる。Bはステップを踏んで胸を揺する程度に軽く踊っているが、Kは腰を激しく左右にふり、頭も大きく振りながら激しく踊って、ぽんこつマンにセクシーな視線を送ってくる。ぽんこつマンもステップを踏み腕を上げながらハイテンションで踊った。

当時、この店では多くのゲストがタバコを吸っていて既に禁煙して長いぽんこつマンにはその匂いが少し気になったが、その場の熱気とBの汗と甘い香水が混ざった匂いにぽんこつマンは35年ぶりにハイテンションになっていた。コークで割ったウイスキーは飲みやすい。1Lのウイスキーは帰る頃にはすっかり空になっていた。

踊り疲れてその店を出たのは、午前1時30分、それでも当時の土曜日の夜は客が引くことはなかったようだ。その日はそこで彼女達と別れた。

翌週水曜日、ぽんこつマンは仕事中にBのLINEに「今日は夕方一緒に食事しないか」とメッセージを送った。1時間くらいしてBから返信がある。彼女からは「OK」と帰って来た。彼女は居酒屋に行きたいという。ぽんこつマンが働いていたオフィスはエカマイ にあったから、18時にエカマイゲートウェイ(https://www.facebook.com/gatewayekamai/)のM2階で待ち合わせることにした。

ゲートウェイは、日本をイメージした造りや豊富な日系レストランなど日本押しのラインナップになっているらしかったし、これまで見た限りではBはあまり高級なものを望んでいなさそうに思えたので、まずはここでいいと思ったのだった。

入った店は「ただいま」という居酒屋で良くも悪くもないという極めて普通の居酒屋だった。タイ人が好んで食べるサーモンの刺身や焼き魚など魚料理を主に頼み、ごくごく普通の日本酒を冷やで飲んだが、彼女は日本酒は飲まなかった。ゲートウェイの店は21時ラストオーダーで22時には完全に閉まってしまうが21時半までその店に居て、彼女の仕事の事や住んでいる場所などをいろいろ聞くことができたと思っていた。

そして、その週の金曜日またナイトクラブに行くことになった。そこはSing Sing Theater(http://singsing-bangkok.com)。スクンビット45を少し入ったところにあるちょっと変わったナイトクラブだった。

KとBはプロンポンに22時にやって来た。そこからタクシーでスクンビット45までタクシーを拾って向かった。22時を過ぎればスクンビットの夕方からの渋滞も少しは落ち着いていて、あっという間に着いたことを覚えている。

今回もKが先導する。店の黒服と何やら会話している。KとBは、やはり顔馴染みのようだった。しばらくして店内に案内される。エントランスを入るとそこにはなんとも不思議な空間が広がっている。そして妖しい音楽が大音量で流れている。

Kは階段を上がって2階のフロアに上がって行く。そこには低いスツールがあり3人が座れるテーブルが用意されていた。そのテーブルから階下のダンスホールが見下ろせる。やがてスタッフが大量のオレンジジュースとウォッカのボトルそして氷を運んでくる。スタッフはグラスの30%くらいまでウォッカを入れ、氷を落とし、オレンジジュースを注いでスクリュードライバーを作って行く。3日前Bはアルコールを口にしなかったがこの日はグビグビとそのかなり濃いスクリュードライバーを飲んだ。Kも同じように一杯をあっという間に飲み干して、下の階へ踊りに行った。

音楽の音量が大きすぎて話ができるレベルではないが、Bは座ったまま腰をくねらせていかにも艶かしい。ウォッカが効いているのか、デコルテあたりが少しピンク色に染まっているのが微かに見える。ぽんこつマンは、その妖しい音楽の響きとアルコールの効果で艶かしくなっているBの腰付きを観ていることが心地よかった。空中ブランコにクラブのキャストが座り揺れている。その廃頽的な演出にもバンコクという底無しの魔都を感じた。

ぽんこつマンがかなり酔ってそのクラブからひとり帰宅を決意した午前2時でもKは下のフロアで踊っていた。Bもスツールから立ち上がって、陶酔しきった雰囲気で踊っていた。ぽんこつマンはそれぞれにそっと「先に帰る」とひとこと言ってクラブを出た。

日曜日、BからまたLINEにメッセージが入った。それはあまりにもショックなものだった。Kが土曜日友達とカンチャナブリに行って日曜日バンコクに戻る途中、その友達の車が交通事故を起こしKが事故死したというのだった。

ぽんこつマンは、2日前にKのご機嫌な姿を観ていただけに最初は信じられなかった。ぽんこつマンは何度かKと会ううちにKともLINE IDを交換していた。既に何度かメッセージを送り返信もあったので、その事故の話を知った1時間後にKにLINEを送った。翌朝になってもう一度LINEにメッセージを送ったがあの事故の知らせから一度も既読になることはなかった。

ぽんこつマンはその週の土曜日もう一度Bに会う約束をした。プロンポンで午前11時に会って、エムクォーティエのD’ARK というフカフカのソファーのあるカフェでランチを食べた。しかしBはこれまでと随分変わっていた。これまでは柔らかい笑顔をいつも見せてくれていたがその日は、曇った顔が晴れることはなかった。ぽんこつマンはKが本当に事故死してしまった事をその時確信した。

彼女は、Kが事故死したこともショックだが、今まで順調だった自分のブランド化粧品のタイ全土のバイヤーが突然離れて行ったこともショックだと言った。ぽんこつマンと会う前までと今では何か大きな違いがあると言った。そして自分のこれまでの幸運を取り戻すために来週からラオス国境近くの寺院にしばらく篭ることにしたので当分合わないと言うのだ。

ぽんこつマンは、この時もうBと会える事は無くなると確信した。わずか数週間の儚い恋心は夏の蝉の命のようにその時散ったのだった。Kの繋がることのないLINEアカウントは今もぽんこつマンのところにあるが、Bのアカウントは半年くらいして消してしまうことになる。その話は、次に書くことにしておこう。

B2 というホテルチェーンで欲求不満を解消したセフレ

あれは、2020年の1月の話だったと思う。ぽんこつマンが一時帰国していた日本からタイに戻って来た時、LINEにバンコクのセフレからメッセージが入った。まずは新年の挨拶、そしてその日かその日の翌日に会えないかという内容だった。彼女とは、これまでぽんこつマンがバンコクにいる時は、1週間に1回は肉体関係を続けていたが、ぽんこつマンが2019年の12月16日に彼女と◯ックスしてから既に1ヶ月以上会えていなかった。

彼女は、ロッブリー県出身でバンナーにあるコンベンションセンターの近くのホテルのレセプショニストをしていて、1日3交替制で24時間のフロント業務を8人で回しているらしかった。朝7時ー午後3時、午後3時ー深夜11時、深夜11時ー朝7時のシフトを2日ずつで回すらしく6日働いて2日休みという待遇らしいが、睡眠できる時間が2日ごとに異なるのでストレスが溜まると、性的な刺激をどうしても求めたくなるのだと彼女は言っていた。

若い頃にタイの男との間に子供ができたが、そのタイ男はとっとと逃げて今はシングルマザーで子供はロッブリーに住む両親の元にいると言っていた。ロッブリーはバンコクの北150kmくらいにあるタイ中部の県で、コロナの影響で観光客が激減し大量の猿が市内に乱入しているニュースが流れて有名になった。

彼女とセフレになった経緯は、Tinderで知り合って最初に夜の食事に彼女が指定したスクンビット33のBistro 33(https://m.facebook.com/thebistro33/)で、ひょんな事から彼女の口から「◯ックスは大好きだけど、恋人が欲しいわけじゃない」「いつも不特定な男性を求めているわけではない」「お互いの性欲を満たし合える関係が欲しい」「なかなかそんな関係になれる人がいなくて、マスターベーションで中途半端に解決することが多い」という話を聞いてから、その晩一度お互いを試してみようとなり、その後関係を続けて来たのだった。

ぽんこつマンはいつでもスタンバイOKなのだが、彼女が求める時は決まって休み2日目の晩で明日は朝7:00からのシフトがある時か深夜の2日間のシフトが終わり、休み1日目の晩だった。彼女は◯ックスは大好きだったが、避妊はしておらず、1ヶ月のうち1度は月経がやってくる。休みの日がその月経に重なる日は彼女は求めて来ない。そんなペースでぽんこつマンと彼女のセフレ性活は続いていた。

そんな中、ぽんこつマンは1月に入って彼女と会う前に日本に一時帰国してしまった。タイに戻ったのは1月24日。前回の逢瀬から1ヶ月以上空いてしまった。ぽんこつマンは彼女からのLINEに「明日から休みなの?」とメッセージを返した。すると彼女から、「今日と明日は朝のシフトでもう直ぐメンスが来るからその前に一度会いたい」とダイレクトな返事が返って来た。

そこでぽんこつマンは「OK、どこで何時に会う?」とまだスワナブーム空港の到着ロビーにいる時にメッセージを返した。すると彼女から、「今日は私がホテルを予約する。待ち合わせはそのホテルから遠くないエアポートリンクのフアマークの駅、夕方6時、私はバイクでそこに行く」と返信があった。

ぽんこつマンは荷物をたくさん持っていたので、自分の住むコンドにはタクシーで向かった。コンドに着いたのは16時30分。荷物を開けることなくシャワーを浴び、出かける準備をする。ぽんこつマンが住むコンドからエアポートリンクの駅までは歩いて10分で行ける。18時にフアマークの駅に着けば良いとすると、部屋を17時20分に出れば間違いなく遅れずに到着できる。

ぽんこつマンがフアマークの駅に着いたのは、17時50分。駅舎は高架になっているのでグラウンドまで降りた。地上には古い国鉄の線路が走っていて駅もあるようだが、タクシースタンドはあるがタクシーが待ってもいない。多くのバイクや自家用車が道路の側面に駐車されていて、4〜5軒の屋台がある程度だった。

ぽんこつマンは「今、フアマークに着いた」と彼女にメッセージを送った。返事はすぐには返って来なかった。多分バイクを運転中なのだとぽんこつマンは思った。18時を少し回った時に彼女から「どこ?」と短いメッセージが入った。ぽんこつマンは「タクシースタンドのところ」と返すと彼女が100mほど西側から歩いてくるのが見えた。

ふたりは、高架の下のスペースで営業しているバーで再開の祝杯をあげた後、通り向けようとしたタクシーを停めて、彼女が予約したホテルへ向かった。時間は19時を少し回った頃、タクシーが進むスリナカリン通りは2021年に開業を目指してるBTS新線イエローラインの建設で大渋滞となっていた。フアマーク駅から2kmもないホテルまで、50分くらいかかった。

彼女が予約したホテルは、B2 バンコク シーナカリン(https://www.b2hotel.com/detail.php?id=42)、バンコクにはあまり見ないが、タイの地方都市には多く見かけるローカル向けのビジネスホテルのようだ。

フロントは2階にあり、地上は駐車スペースになっているようだ。2階に上がり、彼女がチェックインする。彼女が身分証明書を提示しただけで、ぽんこつマンの身分証明の提示はなかった。鍵を受け取り部屋に入る。入り口のドアを開けると右手に細長いバスルーム、一番奥がシャワーブースになっている。シャンプーやバスジェルはちゃんとある。部屋の広さはキングサイズのベッドとソファーがあってかなり広い印象。

ベッドのマットレスは、高級ホテルのようにふわふわではないが、男と女の営みには適した硬さだ。エアコンの効きも寒いとさえ思うくらいよく冷える。

彼女は、部屋に入りすぐにテレビのスイッチを入れる。そしてバスルームをチェックする。そしてふたりはベッドに腰掛け、肩を寄せてキスもそこそこに服の上からお互いの身体の愛撫を始める。ぽんこつマンはまず彼女の胸の膨らみに服の上から手を這わせる。手のひらで大きく回しながらツンと立っている乳首の感触を感じていた。彼女は、ぽんこつマンの股間に手を充てまだ膨張を始めたばかりの肉茎を探り当て親指と中指で上下に摩った。

ぽんこつマンが彼女が着ている服の中に手を入れて乳房を揉み始めると、彼女はぽんこつマンのパンツのベルトを外しチャックを下ろして、アンダーパンツのゴムのところから手を忍ばせてくる。ふたりの着ているものは少しづつ剥ぎ取られ、完全に生まれたままの姿になってふたりはシャワーブースに向かった。

ぽんこつマンはシャワーブースで身体をお互いに洗いながらの挿入が好きだ。彼女ともこれまで何度となく立ったままでの挿入を楽しんだ。

シャワーブースでは、当然コンドームは装着していない。避妊していない彼女が妊娠するリスクを冒してまで、シャワーブースでのコンドーム無しのセックスを受け入れているには、ベッドでは味わえないそれなりの快感を知っているからだろう。

ぽんこつマンは射精する寸前で肉棒を彼女の膣から引き抜き、ふたりはベッドに戻る。そしてそこで彼女がぽんこつマンの肉茎を咥えてフェラチオを始める。肉茎を咥えた彼女の口の中で舌が亀頭のカリをグルグル周回しながら硬く結ばれた唇で肉茎を上下する。

ぽんこつマンは69の体勢で彼女の淫部にリップを加える。舌先でクリトリスの包皮をめくり、大陰唇のひだに沿って舌をスピーディーに振動させる。唇を尖らせて彼女の膣口に充て、舌を膣口の内側に差し込んでいく。

それからようやくぽんこつマンは完全に勃起した肉茎にコンドームを装着し、仰向けになった彼女の股間の唾液と彼女の膣からあふれた体液で光っている膣口に一気にその肉棒を差し込んだ。

彼女は激しいピストンも好きなようで、パンパンとぽんこつマンの腰骨が彼女のMの字に開いた太腿の裏に当たる音に、腰をよじって喜んでいるようだった。屈曲位で彼女のふくらはぎにキスと舌での滑上げも加えると、彼女は「ヒィー、、、」とかすれた唸り声を上げる。

ぽんこつマンは彼女を横にし、松葉崩しの体勢で彼女との結合の度合いを最大にした。亀頭の先が彼女の膣の奥にあるコリっとした子宮口を捉えた時、彼女の背中は大きく反り、体の後ろに置いていた手がシーツを強く握りしめたのが見えた。

彼女にオーガズムが来たようだった。ぽんこつマンは松葉崩しを解いて、彼女の背中に腕を回し、胸をあわせて腰を素早く前後してピストンのスピードをあげた。今度は膣の奥ではなくその手前にあるであろう裏Gスポットを亀頭の裏ひだが擦れるように膝を立てた状態で短いストロークで前後した。

彼女の膣口の上壁がぽんこつマンの肉茎の上部を擦って気持ちがいい。5分ほどそのピストンを繰り返してフィニッシュを迎えた。1回戦が終わったのは、21時頃だった。それからしばらく身体を休めた。ホテルに常備されているミネラルウォーターを飲み、たわいもない話をする。

1時間くらい休んだだろうか。突然彼女の手が、ぽんこつマンの股間にまた伸びて来た。1度コンドームの中に放出したザーメンはティッシュで拭って捨ててあったが、その後シャワーを浴びていなかったので、亀頭には少しのザーメンが乾いてカピカピになっていた。

「Ao yiek dai mai?」彼女はもう一度やりたいようだった。彼女の手がぽんこつマンの肉茎とその下にある玉袋を撫で回しているうちに、肉茎にまた血流が集まって硬くなりだし、ついにそそり立って来た。

彼女は、再びのフェラチオでぽんこつマンの乾いたザーメンを唾液に溶かして啜り上げ、唾と一緒に飲み込んでいた。ぽんこつマンの肉茎が完全にボッキしたことを確認して、彼女はドギースタイルになり、後背位での挿入を要求した。ぽんこつマンはその誘いにすぐに反応して、あらかじめ用意していたもう1つのコンドームを装着した。今度は、日本から持って来た0.01mmの最薄コンドームだ。肉茎にある血管の凹凸もわかるくらい薄いのだ。

ぽんこつマンは、彼女が自分の手で開いて見せている膣口に亀頭を充て、カリまで埋まらないくらいの短いストロークで膣口だけを刺激する。彼女はさらに手に力を入れて膣口を広げようとしている。焦らされていることを感じているのかもしれないと思った。

ぽんこつマンは、亀頭を少し奥へ入れてカリが膣口に埋もれるようにした。そこで少し動きを止めてさらに彼女を焦らしてみた。すると彼女が今度は入ってきた亀頭をもう外に出せないようにと膣口を締めてくる。

ぽんこつマンはその動きを感じて、一気に亀頭を奥へすばやく突き入れた。「オーッ」という歓喜に満ちた呻き声が微かに聞こえた。ゆっくり引き、速く突き入れる。そのピストンを繰り返すうちに、彼女の息遣いは徐々に激しくなり、「アーウッ、アーッ、、、ヒーッ、、、アッ、、ウーッ」と呻き声も大きくなる。

ぽんこつマンは彼女の腰骨を持ち、激しく打ち込んでから彼女の両肘を持ち馬の手綱のように手前に引いて、腰を前後に速く激しく動かした。亀頭の裏筋の部分が彼女のGスポットを擦って全身に快感が響いているようだった。

彼女は、背中を後ろに反らせ首を振って脳天に走る快感を抑えようとしているようだった。ぽんこつマンは右手を離し彼女の下腹部に手のひらを充てがい子宮を上の方に圧迫しながら速く激しいピストンを繰り返した。

肉茎の上面に浮いた血管の凸凹が彼女の膣口の肛門側を刺激する。彼女のしっかり締められた膣口がぽんこつマンの肉棒を刺激する。そして絶頂感がやってきた。彼女は曲げていた腰を起こしぽんこつマンに身体を預けてしゃがむ格好になる。

その時ぽんこつマンは、彼女の膣の奥でズピュッ、ピュッ、、ピュッとザーメンを0.01mmのRetroasisの先に大量放出した。白い精液が0.01mmの薄い幕を押して彼女の子宮口に温かい感覚を伝えたようだった。彼女の身体は小刻みに震えていた。

2回目の絶頂を迎えた後、ふたりは心臓の鼓動が普通に落ち着くまで手を繋いで横になっていた。そして時刻が23時を回った時、彼女は「明日も朝7時から仕事になるので、今日は自分の部屋に帰る」といった。そしてシャワーを浴び、洋服を着て部屋を後にした。

彼女のように◯ックスの快楽に溺れるタイの女性は、これまであまり出会ったことがない。彼女との定期的な肉体関係は、ぽんこつマンが次に日本へ帰国する3月末まで続いた。彼女は、そのホテルの部屋を出る時に、ぽんこつマンにバイブやローターといった大人のおもちゃを持っているかと聞いてきた。なんでも彼女の知り合いにも彼女と同じように性の快楽を思いっきり楽しんでいる女性がいると言っていてその女性がマスタベーションする際に使ってみたいと言っていたというので、あるなら今度試してみたいということのようだった。

部屋の支払いは彼女がチェックインの時に払っていたので、ぽんこつマンは朝までいることもできたが、彼女がいない部屋で朝を迎えることに意味はなかったのでぽんこつマンも帰ることにした。ぽんこつマンが部屋を出たのは23時40分。ホテルからスリナカリン通りに出てタクシーが来るのを待った。5分ほどして空車のタクシーが来たので乗り込んだ。来るときは大渋滞していた通りはすでに車の往来は僅かになっていた。

息をつく間もないくらい押し寄せてくる快楽は、バンコクの大渋滞のようにどこからともなくなだれ込んでくる車列のようだ。どんな大渋滞でも深夜になれば治るように彼女の貪欲な性欲も、何回かのオーガズムを迎えた後は深夜の大通りのように鎮まりかえっているのだろうかとタクシーの中でぽんこつマンの頭の中で変な考えが浮かんで消えた。

今はタイに戻りたくても、コロナ騒動を懸念するタイ政府が渡航をかなり制限していて、往来が難しい。最後に彼女と結んだ肉体関係からすでに6ヶ月が過ぎているが、彼女の中にマグマのように湧き上がる性欲は今どう処理されているのだろう。

ソイカウボーイ、バカラの2Fからペイバーした娘と久しぶりにLINEしたら

2018年の後半だったろうか、今はあまりはっきり覚えていないが長い間遠ざかっていたソイカウボーイのバカラに行った。時間は22時を回っていて1階は既に満席でいつもぽんこつマンが座るところも空きが出る気配がなかった。店の案内係から上へのサインが出たので2階に上がった。

2階に上がって奥の方のステージ周りの席に空きが1つあり、そこに座る事ができた。2階はトップレスでのステージが頻繁にある。ゴーゴー嬢の衣装はノーパンミニスカートとセーラー服で、いい時間になるとトップレスになってのステージが多くなる。

ぽんこつマンはいつものようにジントニックを注文する。ぽんこつマンはトップレスのダンスにはあまり興味があるわけではなく、スタイルが良くて可愛い女の子をいつも探している。

トップレスのステージが終わって女の子が入れ替わる。一瞬ステージがガラリとする瞬間がありそこに徐々に次のステージに休憩していた女の子が上がってくる。突然3人目くらいに上がってきた女の子と目が合った。身長は高くないが、お尻のハリも胸の膨らみもバランスの良い娘だった。

彼女は、ぽんこつマンが彼女を見つめていることに気づき、軽くウィンクを送ってきた。ぽんこつマンはそのウィンクに応えるように彼女に手でこちらに来るように合図した。彼女はそれに直ぐ気づき、ぽんこつマンの席にやってきた。ちょうどぽんこつマンの隣の席の客が帰って行ったのでその空いた席に彼女が座った。

少し褐色の肌、キリッとした目の印象、はに噛む笑顔がなんとも愛くるしい。名前と年齢をお決まりで聞いて見た。彼女は素直にその質問に答える。出身は多分イサーンだと思ったがあえて聞かなかった。

彼女にドリンクをご馳走し、しばらくたわいもないことを話した。彼女とはぽんこつマンが覚えたタイ語で会話して見た。なんとか話が通じていると思った。やがてまたステージがチェンジになり女の子たちが入れ替わる。

ぽんこつマンのジントニックが無くなったので、彼女のドリンクとぽんこつマンのジントニックを追加注文した。彼女が「コップンカー」と礼を言う。ぽんこつマンは彼女がスカートの裾を気にしたり、笑うときに軽く手を口に当てたりするちょっとした仕草にどんどん引き込まれていく。

新しいドリンクが来て改めて乾杯をする。ぽんこつマンは既に彼女とふたりの時間を過ごしたいと思い始めていた。時間が流れDJのコールがあり、またステージの女の子の入れ替えの時間になった。ぽんこつマンは彼女をステージに送りたくなかったので、ペイバーすることにしてさらにもう1杯のドリンクを注文した。

ソイカウボーイのゴーゴーバーからのペイバーはロングが基本のぽんこつマンだったが、その子はショートのみと言うのでショートのペイパー代を合わせて会計をした。

彼女は私服に着替えて戻ってくる。ドリンクを飲み切ってふたりはバカラを後にする。彼女が、ぽんこつマンを連れてソイカウボーイにある、ショートタイム用の部屋のある店に入る。その時の部屋代は500バーツ、1時間足らずの時間にしては決して安くはない。

階段を上がって部屋に入る。そこにはクイーンサイズのベッドがあるだけで、奥にシャワーブースとトイレ・洗面のみ。彼女は何も言わず服を脱ぎ始める。ぽんこつマンもそれに釣られて服を脱ぐ。シャワーブースは大きくないので、一緒に身体を洗う事はできない。ぽんこつマンが先にシャワーを浴び、彼女を待つことになる。彼女も簡単に、体の汗を流し、秘部をボディーソープで洗ってバスタオルを巻いてベッドに戻って来る。そして恥じらいの表情を浮かべてゆっくりぽんこつマンの隣に横になった。

ぽんこつマンは、彼女の目を覗き込んだ。綺麗な目だったが、なぜか少し悲しそうにも見えた。憂いを感じる彼女の表情は、ぽんこつマンをまたキュンとさせる。ぽんこつマンは彼女をそっと抱きしめた。

形のいい胸の膨らみがぽんこつマンの胸にあたる。彼女は脚をぽんこつマンの足に絡めてくる。ぽんこつマンは彼女の額に軽いキスをする。そして、頬と耳たぶにもキスをする。彼女の腕がぽんこつマンの身体を強く抱きしめた。

ぽんこつマンは彼女の背中に当てていた右手を彼女のお尻まで降ろして、静かに彼女の秘部を探した。彼女の身長は150cmないくらいで小さく、ぽんこつマンの右手は簡単に彼女の秘部に届いた。

抱き合ったまま、彼女の秘部の大陰唇を右手の中指で摩った。大陰唇の上のほうにあるクリトリスはまだ皮を被っていたようだが、そこを中指の腹で柔らかくグラインドすると彼女は淡い吐息を漏らした。

ぽんこつマンは、彼女を抱き寄せていた左手を彼女の身体の下から抜いて彼女を仰向けにし、胸元で留めているバスタオルを解いた。彼女の胸にある美しい形の乳房と乳首が姿を現した。直径3cmもないほどの乳輪と1cmもない乳首が20を過ぎていると言う彼女に少女の印象を強く匂わせた。

ぽんこつマンは、その少女のような彼女の乳房に左手を充て、軽く揉んでみる。シリコンではない生乳の弾力だった。彼女の右の乳首にぽんこつマンが口付けした時に、彼女は再び淡い喘ぎ声をあげた。彼女の秘部は、少しづつ潤いを増しているようだった。

ぽんこつマンの逸物は、彼女の体が挿入の準備ができていく感覚にどんどん硬直化していくのを覚えた。彼女はぽんこつマンの肉棒の硬直を確認したが、コンドームの装着をするために動こうとはしていなかった。しかしぽんこつマンは、少し悲しそうな憂いを帯びた表情を見ていて、彼女を不安にさせるのは良くないと思い、「Au yaan chai mai?」(ゴムいるんだよね?)と聞いたら軽くうなずいたので、ぽんこつマンはあらかじめ用意していたコンドームを装着した。

それからふたりは重なり、恋人のような熱い時間を過ごした。◯ックスを終えたふたりは静かにシャワーを浴び、脱いだ服を着た。彼女は、ぽんこつマンにLINE IDの二次元バーコードを提示した。ぽんこつマンは彼女のLINE IDのバーコードをスキャンし、彼女にぽんこつマンのLINE IDの二次元バーコードを提示した。そしてふたりはその部屋を出て彼女はまたバカラに向かう道を進み、ぽんこつマンはそれとは反対側に進み、ラチャダーピセーク通りとの角にあるガイトートの屋台でドラムスティック2本を買い、アソークの交差点まで行きタクシーを拾って部屋に戻った。

その日から彼女とのLINE交換は続いた。数日して彼女から唐突なメッセージが届いた。それはバカラをやめたと言うことと、しばらくシンガポールに行くと言うものだった。ぽんこつマンは彼女がシンガポールに行くと言うことは出稼ぎだと想像した。そして彼女が出国する前にもう一度会いたいと思ったが、その連絡をくれたのが彼女のイサーンの実家からだったので、会うことは叶わなかった。

そして彼女からのLINEメッセージは来なくなった。何度かぽんこつマンからも送って見たが返信がなくなっていた。しかしぽんこつマンはLINE友達から彼女を外さなかった。それは彼女のことがなんとなく気になっていたからだ。

2年経過した今年の7月に久しぶりに彼女のLINEアカウントを見たらアイコンが変わっていて、写真・動画のタグに新築中の家の写真と赤ん坊の写真がアップされていた。アカウントがアクティブなので、スタンプを送って見た。1日経過して彼女からスタンプ返信があった。

最初は、たまにスタンプ返信が返ってくるだけであったが、徐々に彼女からのメッセージも増えて来た。7月の段階ではバンコクにいたと言うこと。赤ん坊は女の子で、タイの男との間に出来た子供で1歳と言うこと。タイの男は子供ができたと知って逃げてしまったこと。バンコクでは働く場所を探すことが出来なくなり、今は田舎に戻っていること。秘密に満ちた少女のようなイサーン女のジグソーパズルのピースが少しづつ繋がって行く。

今日「今度ぽんこつマンがタイに行ったら会えるか?」と聞いたら「OK」と短く返って来た。Twitterである人物が、バンコクポストの記事に、10月1日からタイが受け入れる最長270日の特別ツーリストVISAの300人が14日間のASQ(自費負担の隔離ホテル)での2回のPCR検査で全員陰性が確認できれば、隔離期間を11月1日から1っ習慣にすると言う方針があることを報じたという情報をアップしていた。

彼女の実家があるサコンナコン県には空港があり、ノックエアは破綻してしまったが今も一日3便飛んでいるようでAIR ASIAのフライトも1便あるようだ。彼女がまたバンコクに出て来れるならバンコクで会えるし、ぽんこつマンが彼女の住む県に遊びに行くのもいいかもしれない。イサーン料理は特に好きではないが、ガイトートやガイヤーンはうまいと思うから3つ星ホテルがあれば問題はないだろう。今は1日も早く、タイへの入国が通常に戻ることを望まずにはいられない。

Tinderで知り合ったバンコクOLとターミナル21で待ち合わせ

2019年11月にバンコクの部屋でTinderを弄っていたら、大学を卒業してまだ1年経っていない女の子で日経の大手ゼネコンでOLとして働いているという女の子からマッチの知らせがきた。早速LINE交換ができたので、まずはデートの誘ってみることにした。

彼女の出身はラチャブリ県らしいが、働いているのはプロンポンだと言っている。自宅からの通勤はあまりに大変なので、BTSウォンウェイヤイ駅近辺の今度に住んでいるとも言っていた。11月10日にTinderで知り合って、13日の水曜日に晩ご飯を食べることになった。待ち合わせは、彼女の働いているプロンポンではなくアソークがいいと言って来た。

この年のロイクラトンは11月11日で、彼女は11日は既に予定があるようだった。そこでぽんこつマンは彼女にいつが良いかを聞いたら13日水曜日ということになったのだった。

彼女とは英語でコミュニケーションできた。そして彼女は日本語も少しは話せるとのことだった。13日の待ち合わせ時間は、彼女の仕事が17時で終わるとのことで、彼女がASOKEのターミナル21のMフロアを言って来た。

ぽんこつマンは13日の16時半に自分のコンドを出てBTS プラカノン駅までタクシーで向かった。その時間はバンコクは至る所で大渋滞があるのでプラカノン駅まででも40~45分は掛かると思っていたのだ。

プラカノン駅に着いたのは17時10分、BTSに乗ったのは17時15分、プラカノンからアソークまでは所要時間13分だから時間通りにターミナル21のMフロアに着ける。彼女は既に来ていて、直ぐに彼女に会う事ができた。

そこで何が食べたいか聞いたら日本食だという。彼女は普通のOLだから、ナナプラザヤやソイカウボーイで働く女の子とは違うから、彼女が和食といった時には少し困った。彼女はナナのあたりに和食屋を知っていると言ったのでそこに行くために、スカイウォークでスクンビットの反対側まで行きタクシーを探した。渋滞していたが、タクシーを拾うことは直ぐにできた。彼女は運転手にタイ語で話しタクシーは動き出した。

ぽんこつマンはナナの近くに和食があったかどうかは知らなかった。タクシーは進んだが、何だか彼女の記憶違いなのか店は見つからなかった。そして彼女はぽんこつマンに、どこか知っているかを聞いた。

ぽんこつマンが知っているのは、ターミナル21に入っている和食屋かスクンビットソイ19を入ったところにある居酒屋花子だが、ターミナル21の中はあまりにも素っ気無いので、ターミナル21じゃ無いところがいいと思った。居酒屋花子は、ゴーゴーバーの女の子とよく行っているしオープンがもう少し遅いと思ったし、花子の目の前は韓国式のエロマッサージもあるので、そんなことなら以前ネットで調べていた、スクンビット23のラブリーという店に行くことにした。

タクシーはスクンビット通りをソイ3でUターンしてアソークに引き返し、さらに進んでソイ23間で進んで左折した。ラブリーという店は「羅豚里」と当て字されているとおり、豚しゃぶが売り物のようであった。ぽんこつマンがその店を選んだ理由は、知り合った彼女が写真ではそこそこ可愛いと思ったが実際はかなり太めでぽっちゃりを過ぎてそれほど可愛く無い事がわかったこと、肉体関係を持つことで少しややこしくなる気がしたこと、それなら飯を食った後に、ソイカウボーイで遊んで帰りたくなった事がある。

タクシーの運転手は不安がりながらスクンビット23を入って、クラフト23(ビアハウス)の角を右折、左手にペガサスクラブを見て突き当たりを右折、そこから100mほどで左手にラブリーを見つけて、留まった。

店に入り飲み物を頼むが彼女は、アルコールを選ばない。ぽんこつマンのことを警戒しているのかと思ったが、ぽんこつマンは彼女を今直ぐ同行するつもりはなかったからどうでもよかった。

ぽんこつマンはビールとまず豚しゃぶしゃぶを頼んだ。それからいくつかの料理を頼んだ。豚しゃぶはあまり食べないが、ポン酢で食べるとなかなかうまい。小皿の料理もなかなかだった。店にはタイ人の給仕係がいたが全員女の子で浴衣を着ていて可愛い子もいる。

彼女は、日系大手ゼネコンに就職してまだ1年経っていないと言っていたが、主にの本人駐在員へのコンドの部屋貸を行っているようだった。賃貸物件のオーナーから賃料を聞き、それ以上に払う借主を見つけてくるのだそうだが、会社にはオーナーの希望金額を報告し、借主にはその金額より高い金額で契約書を作る。

部屋のオーナーと会社の契約、貸主代理の彼女と賃借人との契約の二重契約で、例えばオーナーが30000バーツとすると彼女は顧客に40000バーツで賃貸契約を結ぶ。その差額10000バーツは彼女のピンハネ分になるということで、既に15顧客の契約があり、会社の給料以外に、ピン羽の金額が毎月10万バーツあるのだと言っていた。

日本では、そんなピンハネは犯罪(横領)になるのだろうが、タイでは誰でやっていることらしかった。日本で厳しい会計に慣れていたぽんこつマンにはそんな事はとても信じられない事だった。ピンハネが初任給15,000の6倍強になるというのが恐ろしかった。

彼女は、働き出してまだ半年という事だったから、あと数年この仕事を続ければ、月にピンハネで月30万バーツ稼げるようになっているかもしれない。1年で360万バーツ3年で軽く1000万バーツ稼ぐ事ができる計算だ。

広い今度に住むことも、高級車を買うことも、旅先で高級なホテルに泊まることも平気になってしまうのが恐ろしかった。彼女の話が本当かどうかはわからないが、タイにはコラプション(汚職)が蔓延しているとはよく聞いている。

ぽんこつマンはエロい事は大好きだが、タイ社会が金でしか判断されない社会になるのも近いと思った。

彼女との食事は、そんな話に圧倒されて味がイマイチわからなくなった。深夜11時くらいになって、彼女は帰ると言い出した。帰りは、BTSまでは場うくタクシーで行くがその先は電車で帰ると言っていた。

彼女の将来をちょっと見たい気がしなくはなかったが、その日に彼女を店で見送ってからは連絡をしなくなった。いくらタイだからと言っても、金に杜撰な大手ゼネコンと言っても、そのピンハネがバレる時がきたら、はーいやめまーす、だけで済むのだろうかとさえ思った。

まぁ駐在員の家賃も実際には日本の本社から出ている経費だから、いちいち細かく調べられていないということもあるのかもしれない。ぽんこつマンが知っている日本の会社の駐在所の所長から聞いた話だと、タイ人の雇用は難しく、ただでさえ直ぐやめてしまうのに、対人社員がやっているピンハネや不正会計を咎めれば仕事ができるタイ人を雇用する事が困難になる。わかっていても、見て見ぬふりをすることも安定的な事業推進には必要だと言っていたことを思い出した。

話は少しずれてしまったが、Tinderで知り合ったその女の子とは、長い間連絡をとっていない。いつになるかわからないがもし今度タイに行けたら、彼女のLINEに久しぶりに連絡を入れてみよう。

バンコクのトゥクトゥクには注意した方がいい話

バンコクの乗り物と言えば、最近はBTSやMRTという都市交通が注目されているが、ぽんこつマンがタイへ行き始めた頃は、まだBTSが建設中(1999年12月5日開業)で当時のツーリストの移動手段はトゥクトゥクかタクシーだった。

バンコクのホテルの周りにはいつも数台のトゥクトゥクが停車していて運転手がつまらなそうにタバコを蒸しているか、寝ているか、運転手同士でくだらない話をして客待ちしているかという光景があった。その光景もタイの風物だった。

今でもトゥクトゥクはバンコクにも残ってはいるが当時の台数の多さは今とは比べものにならなかった。ナナプラザに行くのもトゥクトゥク、ナナプラザから女の子をペイバーしてホテルの戻るのもトゥクトゥク。歩いていくにはちょっと遠いとか、暑くて汗だくになりたくないからという理由で、レストランに行くにもタイマッサージに行くにもお寺見物に行くにもトゥクトゥクを使う事が一般的だった。

トゥクトゥクの乗り方は、まず「パイ(行く)どこどこ」「タウライ?(いくら?)」と運転手に聞くことから始まる。もちろん英語で話しかけてもいいが、英語がわかる運転手は少ないので、行き先と料金確認はタイ語を知っていた方が良いだろう。

トゥクトゥクの車幅は大体140cm、バイクの車幅が概ね90cm〜100cmなのでバイクより少し幅があるがタイの一派的道路の車幅の半分くらいなので、車と車の間が1.5mくらい空いていればバイクのように倒れないのですり抜けられることになる。

トゥクトゥクの運転手はいかに車の間をすり抜けて早く目的地に着くかが稼ぐお金に大きく影響するせいか、それとも性格的にせっかちなのかはわからないが、とにかくできるだけ前へ前へ行こうとする。走行中もしょっちゅうハンドルを右へ左へ切って車の合間をすり抜けていく。さらにトゥクトゥクにはシートベルトが無くドアも無いからどこかにしっかり捕まっていないと振り落とされる危険がある。ストップアンドゴー、右左への急ハンドル、それはテーマパークにあるローラーコースターよりスリリングかもしれない。

そして客が外国人だと分かると、運賃はローカルの2倍から3倍に跳ね上がる。いわゆるぼったくりだが、例えばアソークからサイアムまで最初に200バーツという金額で行くと運転手が言っていたとしても、途中渋滞があったりすると途中で下されたり、到着してから追加料金を請求されることもある。

ぽんこつマンがまだタイへの渡航が2回目とか3回目の時だったが、よくトゥクトゥクを使った。その頃のぽんこつマンは、MPを経験してそれほど歳月も経っておらず、まだ無垢なところもあり、タイといえばお寺巡りがツーリストの行動パターンと思っていた。ある日、ぽんこつマンは泊まっていたグランド プレジデント ホテル(https://www.grandpresident.com)からスラウォン通りにあるマンゴツリー(https://m.facebook.com/MangoTreeSurawongse/)という今では全世界に展開しているタイ料理の店に行こうと思い、トゥクトゥクを探した。ほとんどのトゥクトゥクは200バーツと言ってきたがひとつのトゥクトゥクが80バーツで行くと言ったのでそれに乗った。(当時は多分ローカルは40バーツくらいだったと思う。)

最初は、スクンビットソイ11を南に向かいスクンビットソイ3に出て北へ走る。それからスクンビット通りをエラワン廟まで走りそこを左折したまでは良かったが、ラマ4通りが見えてきたシーロムの交差点のルンピニ公園側で突然止まる。そしてなんと無くスラウォン通りを指差して後は歩けというジェスチャーをする。運転手は交通量の多いラマ4への右折を嫌って、そこで降りて後は歩けと言っているようだった。

ぽんこつマンは仕方なくそこでトゥクトゥクを降り歩いていくことになった。まずはラチャダムリ通りを渡り、それからラマ4世通りを西へ向かう。スラウォン通りはその時歩いている川の反対側だからどこかでラマ4世通りを渡らなくてはいけない。交通量が多くて車線幅も広いので歩行者にはかなり危険な横断だった。そしてトゥクトゥクを降りてから15分ぐらいでマンゴツリーを見つけて入る事ができた。

当時は、まだガイドブックでは経済的なタイ料理レストランとして紹介されていたマンゴツリーだったが、その盛り付けの美しさや教育の行き届いた従業員のサービスの良さに感動したのを覚えている。ランチを終えて、スラウォン通りを西に歩いてみた。

ぽんこつマンがソンブーンシーフードスラウォン店の近くに来た時、後ろからトゥクトゥクがやって来て、「どこへいくのか?」と聞いて来た。ぽんこつマンは特に行き先を決めずに歩いていただけだが、ちょうど良いと思い、思いつきで「ワットポー」と言ってみた。すると「OK」「40バーツ」と運転手が言ってくる。そこで意外に安いと思い乗ってしまった。

そのトゥクトゥクは直ぐに走り出すが遠くに王宮が見えてきた辺りで突然運転手が、「そうだ、今日はワットーポーは開いてない」と言ってトゥクトゥクを止めた。そして、「その近くにエメラルド寺院がある」「そこも良いぞ」と言って走り出す。

案内された所は、なんて事のない普通の寺だった。観光客らしい人物はゼロでそこがエメラルド寺院でないことだけは直ぐに分かった。ぽんこつマンはそこで「ここはどうでも良い」というと運転手は、「ならばお土産に最適なものを売っている店に行こう」と言って勝手に走り出す。

ついた先は、ルビーと称する赤い石を置いている宝石商の店だったが、値段を見てはっきり言って驚いた。小さな石が10万バーツ、その石を取り付ける指輪やネックレスの金属は銀だという。ぽんこつマンは明らかに宝石詐欺の店だと思って、直ぐに店を出てトゥクトゥクの運転手に「あの店はダメだ」と伝えたら「それならもう1軒良い店を紹介したい」と伝えてまた勢いよく走り出す。

次に着いたのも宝石を扱う店のようだったが、そこには赤い石では無く、見た感じ黒い石だがセンターに光の乱反射があるものを指輪にしたものがあった。店の店員がぽんこつマンに一生懸命説明する。「ブラックサファイヤ」「リングは銀製」「6000バーツ」明らかにさっきの店より安い値段設定だったし、ブラックサファイヤという響きとその石のセンターに光る感じが良かったので、勧められて指にはめてみた。

輝きは良かったがリングサイズが大きすぎる。それを見ていた店員が、「サイズは直ぐに治せる」としつこく言うので、20000円は安くはないがまぁ良いかと言う気になって購入してしまった。リングのサイズ直しというのは、リングの一部を切り落とし、そこに切った物より小さなパーツをつけて繋ぐという荒っぽい手法のもので、つなぎ目が直ぐに見えるものだった。しかしその店は保証書を入れてくれたので、つなぎ目が外れたらいつでも修理に来いということと理解した。接合部分は3年くらいではずれ、一度修理に行った事があったが、それをまた使用している間に、今度は気に入っていた「ブラックサファイヤ」がいつの間にか外れてどこかで落ちてしまって見つける事ができなくなったのだが…..。

その店で1時間くらいいたが、店を出たときにもさっきまでのトゥクトゥクはぽんこつマンを待っていた。そして店から出てきた従業員から何やら受け取っていた。その時はそれがリベートだとは知らなかったが、そのうちトゥクトゥクの運転手のもう1つの悪どい稼ぎ方がわかる時が来ることになる。

その店を出てぽんこつマンは、ホテルの名前を告げた。トゥクトゥクはまた走り出すが、あれは多分民主記念塔だったと思うが、そこでトゥクトゥクを止め、40バーツはここまでだと言って下車を要求した。時刻は18時を回り西の空はオレンジ色に染まっていた。

最初からそのトゥクトゥクは宝石を買わせ店からリベートをもらうことを目的にトゥクトゥクを走らせているという事が分かった。ぽんこつマンはそのことにを確信しそこで20バーツ2枚を渡してトゥクトゥクを降り、タクシーを探してホテルまで戻った。

トゥクトゥクにまつわるもう1つの不愉快なエピソードがある。それは2003年の1月、仕事でオーストラリアに行った帰り、協力会社のプロデューサーとバンコクでトランジットすることになり、食事に行こうとした時の話だ。

ぽんこつマンたちは、オーストラリアでの仕事の疲れを癒すために、今も日本人には知られているマッサージ店有馬温泉(https://www.arimaonsenthailand.net)に行った後近くでシーフードを食べようということになった。

シーフードはオーストラリアでもダンジネスクラブやロブスター、それからオイスターなどを散々食べていたのだが、プロデューサーが辛いタイ料理よりシーフードがいいと言ったのだった。直ぐにソンブンシーフードは思いついたが、プロデューサーが新しいところを開拓したいと言い出して、「トゥクトゥクの運転手に良い店を紹介してもらおう」と言い出した。

そこでスラウォン通りに出てトゥクトゥクを見つけて「ここから近くて安くてうまい海鮮料理屋に案内してほしい」と伝えた。運賃は100バーツと言ったが、交渉するのも面倒なのでそれで直ぐにトゥクトゥクに乗り込んだ。

トゥクトゥクはスラウォン通りを西に進み、ソンブンシーフードスラウォン店を通り過ぎ、大きな交差点を左折して、かなり長く南下したように感じた。そして小さな小道に入り、ネオンがギラギラ光る店に着いた。

ぽんこつマンたちはそこで100バーツを支払い店に入った。店の入り口には、プラウン、シュリンプ、ロブスター、渡蟹、マッドクラブ、オイスターなどのシーフードが並べられ、それをプラスチックのザルに取り料理してもらうスタイルだった。それぞれのシーフードには数字は書かれた札があったが、ぽんこつマンたちはその数字が金額だとすると1kg当たりの値段だと思えるほど少し高めの数字が置かれていた。もし1Kgならオーストラリアより少し安めの設定だとプロデューサーとぽんこつマンは話したことを覚えている。

ザルに入れたのは1800と書かれたロブスター1匹、700と書かれた手長川海老2匹、後は数字は覚えていないがオイスターを2個、そしてビアシンを1本とカウパット(タイ式チャーハン)をテーブルで頼んだ。ロブスターは蒸し、手長エビは焼き、オイスターは生で料理は直ぐに出てきた。想像以上のカウパットの量で腹は直ぐに満腹になり、会計をしたら、驚く金額が書かれた請求書がきた。プロデューサーがその金額を見て「えっ?」と驚いた。その金額はざっくりと14000バーツと書かれていた。

14000バーツと言えばざっくり4万5千円くらい。店の従業員を読んで金額の内訳を聞いた。すると「ロブスターは100g1800バーツであなたたちが選んだロブスターは600g、だからロブスターだけで10800バーツ、川海老は1匹700バーツ、、、、、、、、。」もうそれ以上聞く必要はなかった。要するにボッタクリであると気がついた。オーストラリアでもロブスター1kgで100AU$までだから中型ロブスター1匹で1800バーツなら分かるが1匹10800バーツ(3万円)なんてボッタクリ以外何者でも無いのだ。

ぽんこつマンはその時、この店とさっきのトゥクトゥクの運転手が外国人を相手にボッタクリをやっていると確信した。

やむなくプロデューサーはその時持っていたタイバーツの大半を叩いて会計を済ませた。そのプロデューサーが領収書を待っていると、さっきのトゥクトゥクがまた外国人の客を連れてきて、店の従業員から何やら受け取っている姿が見えた。リベートがいくらなのかを知る由もなかったが、それ以降トゥクトゥクにはできる限り乗らないと誓った。

そう言えば、ぽんこつマンが今の連れ合いと知り合い、チェンマイでカフェとフェイスマッサージ、ボディーマッサージの店を始めた時も、ヨーロッパからのツーリストが店に電話で予約を入れて、結局こない事が何度かあったが、別の日にちになって改めてやって来て、「あの時は、トゥクトゥクの運転手に、もっといいスパマッサージがあると言われ、ここには連れて来てもらえなかった。」と言って詫びに来たこともあった。

トゥクトゥクの運転手はいろんな店と客を連れ込むことでリベートをもらう話になっていて、行き先を伝えても違うところに連れて行ってリベートを受け取ることを主目的にしていたのだろう。

あれから25年以上が経過して、今はBTSもMRTもかなり遠くまで延伸した。エアポートリンクも開通した。来年には、またいくつかの都市交通網が開業するというバンコクだが、バンコクに来た思い出としてはトゥクトゥクに乗ってみるのも悪くは無いとは思うが、旅の記念程度に考えといた方がいいとぽんこつマンはお伝えしときたい。

今は外国人の観光客がタイへ入国できなくなってもう半年だから、トゥクトゥクを利用する客はほぼいないだろう。リベートどころか運賃すらまともに稼げなくなったから、後数年でトゥクトゥクはバンコクから姿を消すかもしれないが、それは当然ともいえるだろう。

タイのデパートレディをゴルフ帰りにナンパしてみたら、強烈なストーキングに遭った。

確か、それは2012年か2013年のことだったと思う。大阪からタイ航空の深夜便でバンコクに入り、早朝にパインハースト ゴルフ & カントリー クラブ(https://www.pinehurst.co.th)に行ってホテルのチェックインの時間を待ってのプレイをした時、突然日本から履いてきたスパイクレスのゴルフシューズの底が剥がれて歩くのが難しくなり、ゴルフを終えてホテルへ向かう途中にタクシーでフーチャーパークランシットにあるロビンソンに急遽靴を買いに行った。

靴を買ってそのデパートにある化粧品売り場に行った時、タイコスメNo.1ブランド bscの売り場に、かなりセックスアピールを感じる女がいてナンパしてみたくなり、ある女の子へのプレゼントを探していると言うことで商品の説明をしてもらった。

そして1本のリップを買って、そのセックスアピール満載の女に「実はあなたが気に入ったので貴方のためにこのリップを贈りたい」と言ってナンパした。このナンパ手法は、ぽんこつマンが学生時代を過ごした松本で、スナックのマスターをしていたナンパ師から教わった古典的なナンパ手法だったが、見事にその手法に彼女はかかってくれた。

その日は、まだチェックインしていないホテルの名前を彼女に教え、LINEのIDを交換して連絡を取り合うことを約束した。彼女は少し肌は褐色がかっていて、身長は160cm以上ある感じで、ぴちぴちのタイトスカートに包まれるヒップと弾けそうなブラウスの下にある大きめのバストがいかにもぽんこつマンには刺激的だった。彼女は、bscの本社から派遣されている美容部員のチーフらしく、年齢的には30を超えていそうだったが、厚化粧のせいか肌の具合まではよくわからなかった。

ホテルにチェックインしたのは午後2時くらいだったが、夕方に彼女からLINEにメッセージが入った。それは仕事終わりに「女友達と食事をしている」「ワインを飲んでいる」と言うもので写真も送ってきていた。

ぽんこつマンはその返信で、「そのご飯が終わったら、ホテルに来れる?」とメッセージを送ったら「夜10時過ぎでもよければ行ってもいい」と返信があった。

ぽんこつマンの宿泊していたホテルは、Sukhumvit Suites Hotel (http://www.sukhumvitsuitesbangkok.com)MRTにも BTSにも駅近でソイカウボーイにも近い3つ星ホテルだ。ジョイナーフィーもなく1階のエレベーターで部屋のある階に直接行けるので女の子をホテルの部屋に連れ込むのに便利だった。

その日の晩ご飯はホテルの1階にあるindulge (https://www.indulgebangkok.com)と言うフュージョン料理とカクテルバーの店でひとり食事をした。意外に白人の客が多い店だ。ぽんこつマンは彼女に「もし来れるならホテルの前で待つから、来る時間になったらまた連絡して」とメッセージを送っていた。

夜9時55分にLINE電話が彼女から掛かってきた。「今友達と食事していたラップラオのを出たからこれから行く」と言う内容だった。ぽんこつマンはまだ1階のindulgeでジントニックをチビチビやっていた。タクシーに乗ってくるというので30分くらいで着くだろうと思い、10時20分に一旦精算して表で彼女が来るのを待った。まだラチャダーピセーク通り(スクンビットソイ21)はいつも通りアソーク交差点手前から混雑していた。

ぽんこつマンはホテル前のスクンビット通りに出て彼女の到着を待ったが、10時45分になっても止まるタクシーから彼女が降りてこない。LINEにメッセージを送ったらタクシーがホテルがわからないと言ってスクンビット通りをプロンポンの方まで行って、今Uターンしてアソークに戻っているとのメッセージが届いた。

確かにタクシーからの視線ではホテルはわかりにくいが、アソークの交差点をラチャダーピセークから左折して直ぐと言っているのでわかると思っていた。しかしホテルが見当たらないとタクシーがわざとその先まで行ってメーターを稼いだんだろうとぽんこつマンは思った。バンコクではよくあるタクシーのメーターを上げる手口だ。だからGrabが登場してからはぽんこつマンはできるだけGrabを使うことが多いのだが、Grabはメータータクシーより高めの値段設定なので、タイローカルの中には今でもGrabをあまり使わない人間もいるのだ。

しかし2012年とか2013年はまだGrabがタイにはなかったかもしれない。とにかく彼女はタクシーの運転手にうまく遠回りされ、ほんの少し高い料金を払わされたことに違いなかった。彼女がタクシーを降りてきたのは、22時55分。ふたりでもう一度indulgeに入って一緒にカクテルを飲んだ。

彼女はウォッカベースの赤いカクテルを飲んだ。ぽんこつマンはもう一度ジントニック。ふたりとも食事は済ませているので、つまみはカラマリにした。その店の営業時間は深夜0時までだったので、11時40分には店を出てぽんこつマンの部屋に行った。

部屋はそれほど広いわけではないが、ベッドはキングサイズ。ベッドに腰を下ろして少し話をした。彼女の年齢をその時初めて聞いた。ぽんこつマンは30過ぎと思っていたが実は38歳で日本でいうアラフォーだった。相変わらず厚化粧だったが顔を近づけて肌をよくみてみたら、肌のキメはかなり荒れていたのを覚えている。

ぽんこつマンは彼女がベッドに横になったので、ぽんこつマンも横になり彼女のバストに服の上から手を充てた。そして少し揉んでみたが抵抗はなかった。しかしそれ以上の行為には彼女は抵抗を示した。

彼女は、38歳になるまで未婚のまま、子供もいないと言っていたが、処女であろうはずは無いほどエロい身体をしているのは確かだった。しかし彼女はぽんこつマンに、「彼女はいるか?」「奥さんはいるか?」「子供はいるか?」「何人いるか?」「男か女か?」「何歳か?」など家族関係の話ばかりの質問を繰り返す。ぽんこつマンはその質問に応えるのが面倒になってきて、「シャワーを浴びる」と言ったら彼女は「もう帰る」と言った。まぁそれもいいと思いその日は彼女を素直に返した。

しかしその後、彼女が自分の部屋に帰った後からやたらLINEにメッセージが入ってくる様になる。メッセージだけでなくLINE電話もよくかかってくる。完全なストーカー気質があると感じた。その時「もし昨日の晩、◯ックスまでいたっていたら」と考えるとゾッとする感じがした。数日はまだLINEのアカウントは残していたが、本人の写真を送ってくるし、メッセージは時間当たり10個ほど入ってくる。返信するのもうんざりする程だった。

そして毎日のようにホテルに来ると言う様になった。ぽんこつマンはバンコクにいる理由がゴーゴーバーやバービアの女の子と愉しみたいのだ。既に連れ合いもいて、ミアノイ(妾)を囲う意志も余裕もないのだ。早く関係を切っておかないと大変なことになると思った。

それ以降、LINEを見ることもやめたが、その激しいメッセージ攻撃はその後も続いた。肉体関係は何も無いのに、あまりにも思い込みが激しいタイプということがわかったので、5日目にはLINEはブロックした。そしてその翌日にはアカウントを削除した。

彼女がどうしてこれまで彼氏に恵まれなかったのかがわかる気がする。タイには、ごくわずかだろうが理想を求め過ぎて全てをチェックして確認できないと前へ踏み出せない女も居るということがわかった。

もちろん、男と女の関係は人の数だけ色々あるのだろうが、きっと若い時に失敗した痛い経験があり、あまりにも慎重になり過ぎて今に至っているのだろうと思うと、かなりかわいそうな女なんだと思う。イタイ。本当にイタイ体験だった。

これからは、遊びの女はできだけ若い女を探そうと思うきっかけになった出来事だった。

2016年4月の熊本城が崩れた地震の前の年に行ったソープランドでの記憶

ぽんこつマンが熊本の女の子に特別の感情を持つようになったのは、松本での学生生活時代だった。松本と言えば長野県の市で松本城や浅間温泉、美ヶ原などの観光地があり、上高地や白馬などへの旅行ベースとしても有名な街である。

ぽんこつマンは学生生活を過ごした松本では大学と浅間温泉に近いところにアパートを借りて一人暮らしをしていた。学生時代は昼間は大学、夕方からは浅間温泉のパブレストランでホールのアルバイトをしていた。

浅間温泉にはスナックやパブがいくつかあって、松本市内に住む大人も、観光客も夜の時間を楽しんでいた。浅間温泉にも芸者がいて温泉宿で枕営業をしている芸者のお姐さんも、ぽんこつマンが働いていたパブレストランに来ることもあり、ぽんこつマンの夜の時間は多分当時の一般の学生よりは艶っぽい世界にいた気がする。

ぽんこつマンは当時そのバイト先で浅間温泉で小さなスナックを営業していた、元神戸の暴走族のリーダーで、かつて三代目山口組組長・故田岡一雄氏の長女、田岡由岐氏と交友があったと話してくれた一人のマスターと親しくなっていった。

そのマスターは、当時パンチパーマで着ているものも派手なものが多く、見た目ではちょっと恐いおじさんだったが、よく笑いバイト学生からよく慕われていたのを思い出す。神戸で暮らしていた時は、ヤンチャばかりしていたらしいが、女の子からはモテまくっていたという話をよく聞いた。神戸の街を歩いている時はいつも可愛いモデルの子を連れていたとのことで、女の子を口説くのが相当上手い人だった。

松本で初めて知り合った時は、彼にはたまたま彼女がいなかったが、一緒にお茶を飲みに行った先の喫茶店でたまたま働いている女の子に言葉巧みに話し、その女の子がすぐに彼に惚れてしまう場面を何度も見てきた。

ぽんこつマンも当時は松本の地元で働いている美容師や、保母さんを口説いて良い中になったこともあるが、彼のナンパ術はずば抜けていたと思う。知り合って2日目には、女の子はその彼から離れられなくなってしまうくらいの女たらしぶりだった。

熊本の女の子に特別の感情を持つようになったのは、当時松本の駅前にあったとある大きな喫茶店で働いていて、ぽんこつマンより5歳くらい年上だったと思うが、その彼女が持っていた艶っぽさにやられたのだった。

ある時その喫茶店に浅間温泉のスナックのマスターをしている彼と一緒に行った時、ぽんこつマンが気になっていた彼女を紹介したことがある。その時は彼はたわいのない話をしただけだったが、ほんの数分の会話の間に彼女の心をしっかり掴んで、彼女の瞳がうっとりと彼に心を奪われたようになっていくのを見た。

松本と熊本の共通点といえば、馬刺しが普通に食べれるということくらい。彼女がなぜ熊本という遠いところから松本の喫茶店で働くことになったのかも分からなかったが、彼女はすっかり彼に心を奪われて、2日後にあった時には身も心も彼に持っていかれたようだった。なぜ彼女があれほど艶っぽいのかを彼に聞いてみたら、彼は熊本と高知の女は男好きする女が多く日本一落としやすいと言っていた。生まれた時から性的好奇心が強い女になるDNAを備えているというのだった。にわかに信じ難い話だったが、ぽんこつマンは、そのとこから熊本と高知出身の女の子には好奇心が強くなったのだった。

熊本出身の女優といえば、石田えり、宮崎美子、夏川結衣、倉科カナ、歌手では森高千里などが有名だ。高知出身の女優といえば広末涼子、歌手のソニン。ぽんこつマンはやっぱり熊本の女性にエロスを感じてしまう。

ソープランドは日本全国にあるが、熊本には日本3大ソープと言われる「ブルーシャトー」がある事で有名。昔働いていた会社でも、わざわざプライベートで月1回「ブルーシャトー」通する「役員様」がいたくらいだった。

ぽんこつマンが熊本に行ったのは、2015年。9月の末くらいだった気がする。第一の目的は、もちろんNNソープランド。後は熊本城を見ることと、辛子蓮根と馬刺しを食べること。NNソープランドで有名なブルーシャトーは「会員」以外は予約すら取れないので、事前にWEBサイトでチェックしたら熊本流という女の子が多くいる店が見つかった。熊本流というのは、生(N)中出し(N)ということが分かったが、実際に中出し可なのかどうかは姫によるだろうからよく分からなかった。

その熊本流という表記の姫がいる店は「Picaso」(https://www.picasso.cc/top.html)という店だ。その時ぽんこつマンは東京に転勤になっており、出発は羽田からだ。熊本に午前中に到着の飛行機で向かった。ANA 643便羽田10:00発、熊本11:45着。熊本空港から熊本市内まではそこそこ遠いのでバスに乗った。タクシーよりは時間がかかるが、費用はかなり安くなる。熊本市内のバスターミナルについてからは徒歩でホテルに向かう。

ホテルは、歩いて熊本城、ソープランド「Picaso」に行けて近くに飯屋もあるエリアでやすい宿、熊本東急REIホテルをBooking.comで探して予約していた。

チェックインしたのは午後2時ごろだっただろうか。ホテルの周りを散策してみた。この年の東京の9月の末は例年より気温は低かったような気がしたが、熊本での午後の散策は少し額に汗が滲む感じだった。夕方になり一旦ホテルに戻った。ホテルのフロントで、それほど値が張らずに熊本の郷土料理を食べれる店を教えて貰って食事に出た。

本場で辛子蓮根を食べるのは初めてだった。熊本といえば九州、焼酎がよく飲まれているのだろうと思ったが、ぽんこつマンは日本酒好きなのでお店が勧めてくれる日本酒を頼んだ。馬刺しも頼んだ。店の場所も名前も今地図で見つけようとしても見つからないが、おばちゃんがふたりで切り盛りしている小さな店だった。カウンターでひとり、おばちゃんと話ができたことがよかった。

その日は、かなり良い気分に酔ったのでその店を出てコンビニで水を買ってホテルに戻った。第一の目的は明日の午前中に実行する、ホテルからソープ街への道をスマホでチェックして、その日は早めに休んだ。

翌朝のチェックアウトは10時、荷物をフロントに預けて、徒歩で「Picaso」へ向かう。途中熊本下通りのアーケード内にあるマクドナルドで遅い朝食を食べて、ソープ街を目指し「Picaso」には、午前10時50分に着いた。

まだソープ街にしては早い時間だからか、呼び込みの姿はあまり見なかった。店に突入すると黒服が勢いよく歓迎の挨拶をする。その黒服に予約はないがその日WEBで出勤予定の女の子の中で「熊本流」と明記されている女の子の中で若そうでスマートそうな前職「看護師」の女の子の名前を伝えた。

その子の名前は「聖(ひじり)」という姫だった。黒服は今その姫は接客中だが、もうすぐ空くので待合室で少し待てるか聞いてくる。本来なら飛び込みの客にその場で指名できる程、予約で埋まっていないということなのだが、ぽんこつマンがNetで確認した「熊本流」の姫の中では一番いけると思っていた娘にサービスしてもらえるということはラッキーだと思った。

待合室には他の客は誰もいない。エロ本がたくさんあり、それを見ながら「聖(ひじり)」ちゃんが来るのを待った。即生即尺店サービスがあるので、部屋に入る前にオシッコを出しておこうとトイレに行って戻ってきたら姫が階段を降りてきた。待合室で初対面したら、写真よりはふっくらしているし、目元もかなり写真は持っているように思えた。年齢は明らかにサバを読んでいて既に25歳は過ぎている感じだった。

https://www.picasso.cc/girl.html から引用(今も24歳でネットには出ていた)

彼女が挨拶をしてぽんこつマンの手を取り、階段を上り部屋に入った。ぽんこつマンが小さな鞄を置いてベッドに腰を下すや否や、彼女がぽんこつマンのパンツのベルトを外してアンダーパンツごと下ろして、パクッといきなり咥えてくる。

「ジュルジュル、ジュルジュルジュルジュル、、、シュポッ、ジュポッ、、、シュポッ、、シュポッ、、」彼女の舌がぽんこつマンの肉棒の亀頭を唾液たっぷりに絡みながら、しっかり締めた唇で膨張し始めた肉茎をゆっくり前後して絞り上げていく。ぽんこつマンの肉茎はあっという間に怒張して根元までかちんかちんになったところで、彼女はぽんこつマンの亀頭を喉の奥にあたるまで深く咥え込んでできるだけ根元に近いところを締めた唇の筋肉で刺激してくる。そしてそのディープスロートは速いスピードで続いた。

ぽんこつマンは既にその肉茎に走る快感を感じていて、ベッドについていた両手を折り肘で体を支える体制まで後にのけぞっていた。その様子を見たのか、彼女はぽんこつマンの足に絡んでいるパンツとアンダーパンツを剥ぎ取りぽんこつマンをベッドに横たわる姿勢にした。

そしてぽんこつマンの上半身にまとわりついているシャツのボタンを外し、彼女がつけているスケスケの衣装とパンティーを脱いで、ぽんこつマンの顔に彼女の淫部を向けてぽんこつマンの肉茎を咥えて激しく上下運動を加えた。

ぽんこつマンは彼女が向けてきた美尻を掴み淫部に下を這わせて彼女の大陰唇とクリトリスを啜った。膣口を下で割って、その膣口に大量の唾液を注入した。ぽんこつマンは彼女の乳房を掴んで乳首を指で転がしながら5分くらいクリトリスを弄んでいたら、彼女が突然、体を入れ替えて騎乗位でぽんこつマンの肉棒を迎え入れた。彼女の秘部から滲み出した愛液とぽんこつマンの唾液で充分に濡れそぼった膣に肉棒はスルンと奥へ進んでいく。

亀頭が膣の奥にあるポルチオのコリッとした感覚があった時。彼女はウッ、アンと軽い呻き声をあげて、それから腰をグラインドさせながらゆっくり上下に動かした。ぽんこつマンのカリの部分が彼女の肉襞に擦れてぽんこつマンもどんどん昂っていき、彼女の動きに合わせて腰を突き上げていく。

彼女が両手を後ろに置いて体をのけぞらせた時、ぽんこつマンは体を起こして対面座位で片手を彼女の尻にあてがいもう一方の手で彼女の乳房のアンダーに置いて上へ持ち上げるように揉みしだいた。

https://www.picasso.cc/girl.html から引用

相当の客に揉みしだかれてきたその乳房には少女にあるプルンとした硬いゼリーのような弾力はもう無くなっていたが、それでも母乳を出したことのある充填豆腐のような今にも溶けてしまいそうな柔らかさまでは至っていない適度な弾力を維持していた。

彼女の完璧な腰使いでぽんこつマンはフィニッシュに向かう感覚を覚え、さらに一層突き上げた。彼女は対面座位から既に両肘をついて仰反るまで崩れ、ぽんこつマンも片手でのけぞる体を支え、もう一方の手の腹で彼女のクリトリスに素早く、しかし柔らかく振動を伝えた。

彼女の膣口が少し締まったと感じた時にぽんこつマンの肉茎は最高の快感に見舞われ、一気にザーメンを放出した。彼女は体を支えていた肘を崩しベッドに背中をつけた。少し荒い息になっていたぽんこつマンの肉茎はゆっくりと萎えていく。そしてフィニッシュしてから1分くらいで彼女は体を起こして湯船にお湯を張りに行った。そしてぽんこつマンの手を取りバスルームに行き、ぽんこつマンを通称すけべ椅子に座らせ彼女の乳房で大量のボディーシャンプを泡だてて、背中、胸板、腕、脚を洗い始めた。

ソープランドの醍醐味は、まさにこの洗いのサービスにあるとぽんこつマンは思う。身体を洗い終えたらぽんこつマンの萎えた逸物を洗いながら「シャンプーしますか?」と聞いてきた。ぽんこつマンはソープで髪を洗ってもらうのもすごく楽しみにしている。すぐに「お願いします」と答えた。

体や頭を洗ってもらいながら、世間話をした。前職は看護師という彼女のボディーサービスは丁寧そのものだった。体についた泡をシャワーで洗い落として湯船に浸かる。彼女は湯船の中でぽんこつマンの逸物を弄り続ける。少しずつ膨張するぽんこつマンの肉棒。彼女はそれを確認して、湯船から出てマットの準備をする。そしてドロドロしたローションを洗面器にいっぱい作り始め、ぽんこつマンをマットに寝るように促した。

うつ伏せに寝たぽんこつマンの背中にローションをたっぷり乗せ、背中に身体を合わせて来る彼女。彼女の片方のてはぽんこつマンの股間に伸び、肉茎を刺激し続ける。彼女がぽんこつマンの横に来て恥骨の上に生えている淫毛をぽんこつマンの腰骨に充てて上下する。そしてぽんこつマンに仰向けになるように促して恥骨と乳房にたくさんのローションを改めてつけてぽんこつマンの胸に彼女の胸が当たるように上に乗ってきて、ジョリジョリした淫毛でぽんこつマンの股間にある肉棒を摩擦して来る。彼女の乳房はぽんこつマンの肋骨の下あたりをプリンプリンと刺激して来る。

そして彼女は、ぽんこつマンの硬直した肉棒を改めて膣口に迎え入れた。身体を合わせた状態で彼女の膣口はぽんこつマンの亀頭のカリをゆっくり擦り上げる。しかしマットの上でローションでツルツル滑る身体はコントロールが難しい。「ベッドに行きましょうか?」という問いかけに「うん」と応えたぽんこつマンの体からシャワーでローションを洗い落とし、ベッドに向かった。

ベッドに仰向けで寝たぽんこつマンの肉棒を改めて咥えてフェラチオで刺激してもう一度硬直を待ってから、彼女は今度は騎乗位でぽんこつマンの肉棒を膣の奥深くへ迎えた。またもやグラインドを加えて腰を上下させる彼女。しばらくその運動を続けた後に彼女は半回転して背面騎乗位に対位を変える。上下の腰の動きが速くなった。彼女の膣口がぽんこつマンの肉棒の上側を擦り上げ、ぽんこつマンはまたもや快感に見舞われた。ぽんこつマンが軽く、ウゥッと呻き声をあげたのを聞いて、彼女は一旦肉棒を抜いて、背面騎乗位から後背位の体勢をとり、「後ろからお願い❤️」といった。

ぽんこつマンはその言葉を聞いて直ぐに彼女の股の下にある脚を抜き、改めて彼女の尻を掴み膣口にぽんこつマンの肉棒を突き刺した。「ズンッ、、、ズンッ、、」最初はゆっくりしかし強く突き上げていたが、彼女の呻き声が大きくなっていくのに合わせて突き上げ速度は速くなっていった。1秒に2回、そして3回、最後は4〜5回の速度で彼女の裏G スポットあたりから子宮口を突き上げた。ぽんこつマンが強く彼女の尻の肉に指を食い込ませ引き寄せる動きと腰を後ろから前へ突き出す動きを繰り返し、彼女が顔をベッドに充てて悶える表情を見せた。それからぽんこつマンは暫くして、快感が肉茎から背骨を通じて脳天まで走る感覚を味わった。ザーメンは彼女の子宮口に向けて発射された。彼女はベッドに突っ伏した。ぽんこつマンも繋がったままで彼女の上に乗った状態で突っ伏した。

ぽんこつマンは彼女の首筋から肩そして背中にかけてリップと舌で彼女を愛撫した。最初は客とソープ嬢というわかり切った関係だったが、2回のゴム無し中出しが終わった時には、まるで恋人のように愛おしいと錯覚するくらいになっていた。最後に身体から出た汗とお互いの愛液をもう一度シャワーで洗い落として、ぽんこつマンは「Picaso」を後にした。

退職したら熊本に住むのも悪くないと思えるほど、熊本のソープ体験はいいものだった。ソープランドを出た後、ホテルに荷物を取りに行く前に熊本ラーメンで有名な桂花ラーメン(http://keika-raumen.co.jp)を食べに行き、熊本城を観に出掛けた。

東京への飛行機は17時台だったので16時半に熊本空港についていればよかった。そこで熊本城を見た後に、市電に乗って鶴屋百貨店に行ってみた。お土産を買うつもりではなく、熊本の若い女の子が働いているだろうと思い、少し客としてその若くて可愛い店員を見つけて話をしてみたくなったのだ。それくらい熊本の女の子への特別な感情はさらに強くなっていた。

若い女の子が話す九州の鈍りは聴いていて耳に心地いい。何人かの化粧品売り場の可愛い店員と話したが、実に感じのいい娘ばかりだった。年齢差は30歳以上離れているようなぽんこつマンの話にちゃんと付き合って接客してくれる。若い女の子にプレゼントしたいと言って商品をいろいろ紹介してもらうナンパテクニックだが、これも昔学生時代に松本で知り合ったスナックのマスターから教わったものだった。

可愛い店員を落とすために、彼女とそっくりの仮想の彼女の話をして商品を選んでもらい、最後に商品を買って、「その彼女って君なんだよ」と言ってその店員にプレゼントするというものだ。熊本に住んでいれば、その手口でデートのきっかけを作ることもできるが、ぽんこつマンは当時東京に住んでいたので東京に彼女を呼ぶというのもいろいろ大変なので、実際に商品を買うことはなかったが、1時間ほどのデパートでの時間も熊本でのいい思い出になった。ぽんこつマンは今はタイでナンパすることが多いが、タイ語がまだ流暢という訳ではないのと、タイ・バンコクの女の子と熊本の女の子では、親しみやすさの度合いが違う気がする。

ぽんこつマンは既に会社を退職して3年目になる。それでも若い女の子とのデートはやっぱり楽しいし、その女の子を振り向かせることができた時の快感は今も昔も変わらない。速くコロナが終わって欲しいし、そうやって日本のソープやタイのMPの姫と遊んだり、やカラオケ、ゴーゴーバーの女の子やデパガートガールやOLをナンパしたりするだけの資金を稼げるようになりたいものだと思うぽんこつマンである。

スクンビット34にある、やす田という接待客中心と思える和牛料理屋で連れ合いの女の大学卒業パーティー

2019年11月8日、連れ合いの娘がバンコクの大学の卒業式があり、連れ合いの母、連れ合い、息子がチェンマイからバンコクに前日やっって来ていた。タイでは大学の卒業式は家族にとっての一大イベントらしく、卒業式が終わった当日の食事会は親しい家族と親族を呼んでパーティーをするらしかった。連れ合いの親族の多くはチェンマイ にいて、そこから呼ぶにはホテルや飛行機の問題など法外なお金が発生するので、連れ合いにはあまり大袈裟にしないようにといっていた。

結果的には、連れ合いの母と連れ合い、そして息子の3人がチェンマイ からやってくる事で済んだが、卒業式前日の食事は、HUAY KHWANGのソンブーンシーフードで連れ合いの娘の恋人も来ての食事会となった。

ソンブーンシーフードは、ぽんこつマンも好きで何度も行っているが、連れ合いが彼女の母に大好きなプーパッポンカレーを食べさせたいという事で出かける事になった。久しぶりに6人での食事という事で、事前予約しておいた席は円卓だった。しかしあまりにエアコンが効き過ぎていて寒くて食事の気分が盛り上がらないので、席を変更してもらった。

連れ合いも息子も久しぶりに来たという事で、自分の好きなものをどんどん頼む。ぽんこつマンはプーパッポンカリーとパクブーンファイデーンがあれば後はビアチャンとワインを飲みたいだけであった。連れ合いもワインを飲むが白はすすんで飲まない。遅れてやって来た連れ合いの娘と恋人が白ワインを一緒に飲んでくれたので最終的に2本を開ける事になったのだが…..。

2019年11月8日、卒業式の朝になった。ぽんこつマンがバンコクで住む今度の部屋に連れ合いの母、連れ合い、息子の3人も昨晩から泊まっている。朝はトーストと卵にベーコンという簡単なものでみんな済ませる。ぽんこつマンは毎日コーヒーだけだ。

10時に部屋を出て連れ合いの娘が通っていた大学キャンパスにグラブカーで向かった。大学の卒業式があるとなるとその周辺は大渋滞になると連れ合いが言っていたので時間的に余裕を見てのグラブカーでの出発だった。大学はMRTペッブリー駅から歩いて行けるスリナカリンンウィロート大学だが、確かに大学周辺はすでに渋滞していてグラブカーは大学の地下駐車場に入ってぽんこつマンたちを下ろしてくれた。大学にはすでに多くの学生とその家族や友人が多く集まっていた。

11月8日ともなれば、タイは乾季でバンコクの日中の気温はすごく高くなる。この日は12時頃ですでに35度を上回っていたと思う。風もなく人も多く、ペットボトルの水を2本飲んでもあっという間に汗で出てしまう。

卒業式はこの日を皮切りに来週までの1週間様々な行事があるようだった。息子も学校を休んで来ているし、連れ合いの母もバンコクの雰囲気が好きではないのか、日曜には連れ合いと一緒にチェンマイに戻るようである。

というわけでぽんこつマンは、その日の大学での行事が終わった後のパーティーの場を予約する事に専念した。昨日の6人にプラスして、バンコクにいる親族にも連れ合いが声をかけているようで、10人くらいの個室があって、連れ合いが一番好きな和牛を食べれる日本食店をランチに行った大学近所のタイ料理店に入って涼みながらスマホで探した。

10人程度の個室があり特別な1日であると思えるほどのサービスを受けれる店となるとかなり限られる。一般には日本企業の接待で使われる料理屋になるが、あまりにも格式の高い店ではぽんこつマンも連れ合いの母や、バンコクにいる親戚も窮屈に感じるだろうと思い、焼肉、しゃぶしゃぶ、すき焼きと言ったメニューで探してみた。

そこにヒットしたのが「やす田」という福岡から開始し創業30年、日本ではミシュランガイドへの掲載経験もある九州の有名店『おんどる』のオーナーシェフが神戸ビーフのステーキと焼肉を食べる事ができるお店として全面プロデュースした店らしい。(https://www.facebook.com/YasudaTH)一軒家をリノベーションした豪華な造りと隠れ家的な雰囲気・多数の完全個室・離れ・パーティルームが好評でA4・A5ランクの厳選された神戸牛をバンコクで食べる事ができる幸せな店らしい。

焼肉は富士山の溶岩で岩盤焼きして、焼けると給仕係が客にサーブしてくれる。

パーティー会場には大学から連れ合いの娘の彼氏が、娘、連れ合い、息子と連れ合いの母を乗せて車で来てくれた。ぽんこつマンは、少し早めに自分が住むコンドに戻っていたので、そこからグラブカーで向かった。バンコクに住んでいる親戚は、それぞれ時間に合わせてやって来てくれた。メイン料理は、神戸牛のしゃぶしゃぶと焼肉。それに全員にスープ、小鉢、ご飯が付くコースだった。肉は足らなくなったら別途追加オーダーできる。焼肉は、富士山の溶岩での岩盤焼きでいい焼き具合になったものを給仕係が、客にサーブしてくれる。しゃぶしゃぶのアク抜きなどの作業は給仕係が世話をしてくれる。

まるで、日本の料亭並みのサービスを目指しているようだが、連れ合いのバンコクに住む親戚や連れ合いに母には、ここまでのいたせり尽せりの食事は少し堅苦しかったのか、牛肉を食べる習慣がないためか、食がそれほど進まないようだった。息子や連れ合い、そして連れ合いの娘とその彼氏は、よく食べよく飲んだ。

概ね3時間くらい「やす田」の個室で楽しい時間を過ごした。給仕係の手際こそ日本に比べたら大きく差があるものの、4000km以上離れたタイ・バンコクで至れり尽くせりのサービスと美味しい神戸牛を存分に味わえた事は、ぽんこつマンを含め全員の記憶に残る事であろう。

肉に合うと勧められたさほど高く無いワイン3本と合わせて5万バーツにはいかなかったような気がする。特別な日や記念日などに利用するにはいい場所を見つけたと思う。コロナの影響で2020年、この店が消えていない事を切に願いたい。

スリウォン通りにある焼肉アロイという店でタニヤのカラオケ嬢との同伴飯

今から1年ほど前、ぽんこつマンは一人のカラオケ嬢にぞっこんになっていたことがある。彼女と知り合ったのもTINDERだったが、日本語を勉強していて、日本語を話せる友達が欲しいという事がきっかけで仲良くなった。

最初のうちのデートは、セントラルラマ9界隈あるいはBTSサイアム駅が多かったが、そのうち彼女がバイトしていると言っていたタニヤ が近いMRT シーロム駅かBTSサラディーン駅での待ち合わせが増えていった。

彼女の通うWASEDAという日本語学校が終わって彼女が一旦ラチャダーソイ3にある自分の部屋に帰ってから着替えて17時半頃にタニアに近いMRTシーロム駅かBTSサラディーン駅で待ち合わせるのだが、彼女は19時がバイト開始時間らしく食事をしているとあっという間に19時になる。

ぽんこつマンはその時彼女にぞっこんになっていたので、1時間半だけのデート時間では気持ちが中途半端なので、同伴することで22時まで彼女と二人で過ごせる時間を作っていた。同伴するということは、彼女がバイトしているカラオケにも最低1時間は行く事になるのだが、お金の問題以上に彼女のことを愛おしく思っていた。

ちょうど1年前の2019年9月頃は、本当に彼女に入れ込んでいて2日に一回は会いたい気持ちの自分が抑えられないくらいだった。彼女は焼肉と寿司、刺身が大好物らしく、この頃からの同伴飯はタニヤ 界隈にある日本食居酒屋で刺身・寿司を食べるか、焼肉屋に行くかだった。

彼女は焼肉はスリウォン通りにあるシャカリキ432の系列店炭火焼肉432に行きたがるが、ぽんこつマンは彼女のシャカリキ432への宗教のような固執の仕方には納得がいかず、できるだけシャカリキグループを使わないようにしたかった。宗教的盲信は新しいことへの挑戦を妨げ、自分の世界を狭いものに押し込めて発見のないつまらない生き方を甘んじて過ごすことが目に見えている。

スリウォン通りにはタニヤ通りから真正面に見える焼肉あろいという店もあり、9月2日の同伴飯はその焼肉あろいに決めた。値段も何もわからなかったが、炭火焼肉432も決して安くはないので、まぁどうでもいいと思っていた。

店に入るとエレベータで上の階の4人がけのテーブル席に案内される。そのテーブルにはロールスクリーンが通路側にあって、反対側にいる客や通路を通過する客にプライバシーを見られることがない。多分同伴したカラオケ嬢とキスや乳揉みといったエロい行為が他の客に見えにくくしているという店の配慮だろう。また喫煙者がいても煙がロースター内の換気口に吸い込まれてタバコ嫌いな人がいる別のテーブルに煙が届きにくいという配慮もあるのかもしれない。

この日の肉はまぁまぁだったが、彼女はベーコンも頼んで焼いていた。ぽんこつマンはすでに焼肉をたらふく食べることはなくなり、少しつまんでは酒を飲むスタイルだ。肉は5枚もあれば十分だ。ホルモンも基本的に食べない。ちなみにこのタニヤ 界隈の焼肉屋に通う客の中には、この店がバンコクで一番うまいという人もいるらしいが、ぽんこつマンはそこまででは決してないと思う。

いつかバンコク 焼肉ランキングを作ってみようかと最近は思っている。