サイアム駅で待ち合わせした女の子の友達としてきた娘が好きになって②

出会ってわずか数時間で好きになった女の子B、少年のように純情な気持ちで数週間接して来たB、その恋があっという間に儚く消えた話の続きは、彼女が長い間ラオス国境近くの寺に篭ると語ったところから始まる。

ぽんこつマンは、彼女Bとの恋が儚く消えたと感じた日から彼女のことを忘れようとしたが本気で彼女の放つフェロモンの虜になってしまった気持ちは、なかなか鎮まる事はなかった。恋の可能性が消えた日から半年くらいが過ぎた頃に彼女Bへの気持ちを断ち切るためにLINEのIDを削除したのだが、それでもBと距離を置くきっかけになった彼女の友人Kの交通事故死を忘れる事はできなかった。

結果、ぽんこつマンはBのインスタグラムを探して彼女のアップしている画像や動画を見ることになったのだが、そこに実際に彼女Bと最後に会った時に言っていたラオス国境近くの寺に篭るという話が本当に画像でアップされているのに気がついた。ただしその画像がアップされているのは今から66週間前でおおよそ2019年6月最終週ということなのだ。

それから、ぽんこつマンは交通事故死したKのことを思い出すたびにBのインスタを見に行くようになった。ぽんこつマンが彼女と過ごした数週間の記憶はBがアップした1718の投稿の内の2つでしかない。それ以降Bのインスタには初めて接した時の質素さとは裏腹なゴージャスライフが限りなくアップされていた。メルセデスを運転し(ぽんこつマンは彼女が持っている車はタイ生産のNONDA City)、5つ星のホテルに泊まり、韓国、中国へ長期旅行しする姿があった。

ラオス国境の寺に篭ったと思われる画像が掲出された直後にすぐシンガポールのサンズに出かけている。それからが驚くことに、52週間前にはプライベートジェットでインドネシアに飛び豪華クルーザーに乗り、女友達とビーチで戯れたりした画像があるかと思うと、その1週間後にはまたプライベートジェットでデンマーク、ドイツ、ポルトガルに飛び、毎日豪華な食事もアップされている。

そうかと思えば48週間前にはプーケットの高級リゾートホテルに最初にBと知り合うきっかけになった女の子Aも含めた女性3人で2週間ほど滞在していた記録がある。40週前には改めてプライベートジェットでプーケットにAと飛んで豪華クルーザーでの豪遊記録をアップしている。36週前は日本、35週前はデンマーク、31週前には今度は7人の女の子でプーケットに三度訪れ1週間過ごしたようだ。

27週前にも女の子5人でまたまたプーケットで豪華クルーザー、13週前はインドネシアのティムールで豪華クルーザー、12週間前にタイに戻っているがその頃タイは7月で民間航空局が国際線の航空機飛行を4月から禁止し続けているから、プライベートジェットでの蜜出入国渡航でしか海外へ行って帰国する事はできないはずだ。しかも帰国してから隔離施設に入ったかどうかもわからない。8週間前はカンチャナブリのリゾート、7週前はサラブリの古代遺跡、4週前はナコーンラーチャシーマのThames Valley Khaoyai Hotel、そして2週間前はまた6人でプーケット、そしてウドンタニー 、最新が9月28日のサコンナコンのお寺になっている。

どう考えても、国家権力をも凌ぐ権力と財力を持つ飛び抜けた富豪の存在でも無い限り、できることではない。プライベートジェットといえば、元日産のゴーン被告が日本から国外逃亡した時にニュースになる程度で、日本には娘にそこまでの生活を許せる親もパパもいないと思うが、一体どんなスポンサーのサポートを受けているのか計り知れない。

Bという女の魅力が世界のあらゆる男に貢がせるだけの魅力があるのか、巨万の富と絶対的な権力を持つ男の遺産を受け継いでいるのか、それとも国家体制をも操るアジアNo.1のあげまんなのか、あまりにもミステリアスな魔性の女にわずか数週間とはいえ、相手にしてもらったというのはもしかしたら誇らしいことかもしれないとさえ思う。

いつかタイに戻れる日がきたら、彼女にもう一度会ってみたい。そしてインスタグラムに潜まれた秘密を聞いてみたいと今は思っている。

サイアム駅で待ち合わせした女の子の友達としてきた娘が好きになって①

ぽんこつマンがほんの3ヶ月バンコクで働いていた時、Tinderで知り合った女の子Aとデートすることになりサイアム駅で待ち合わせした。彼女のことを気に入った理由は、Tinderにアップしていた彼女の抜群のプロポーションで特にスラリと伸びた脚がたまらなかった。

待ち合わせ日時は2018年8月4日(土)18:00BTSサイアム駅。ぽんこつマンは当時住んでいたスクンビット通り沿いのコンドを17:20に出てBTSエカマイ駅に行きサイアム駅まで向かった。ぽんこつマンはサイアム駅に17:50に着き彼女の到着を待った。彼女は待ち合わせの時刻から5分ほど遅れてブルージンズのホットパンツにスニーカーで姿を現した。身長は160 cmほどあり高身長だが細い脚、細い腰、細い肩でスレンダーという言葉がぴったりの娘だった。

軽く挨拶を済ませて、どこに行こうかということになる。ぽんこつマンは初めてのデートなのでルーフトップバーに行こうと提案した。彼女はOKと了解し、それならとセントラルワールドの方へ歩き出す。

彼女が案内するルーフトップバーはセンタラ グランド アット セントラルワールドの最上階55階にあるRed Sky Restaurant & Red Sky Bar(https://www.bangkokredsky.com)のようだった。ホテルのロビーからエレベーターで54階まで行く。54階はレストランフロアのようだ。そこから階段で55階へ向かう。

55階のバーに着いたのは18時30分過ぎだったが、8月のバンコクの日の入り時刻は18時40分くらいでまだ空は明るかった。彼女はカクテルを注文しぽんこつマンはコート・デュ・ローヌの赤 2016 Yann Chave, Crozes-Hermitage ‘Le Rouvre’ biodynamic Rhône Valleyをボトルで頼んだ。陽が落ちるタイミングでドリンクがやって来て、乾杯をする。

彼女はバンコクのある保険会社のOLといっていたが、まるでモデルのような体型だった。彼女とは友達としてその日会ったが、そこに彼女が呼んでいたふたりの女の子がしばらくして訪れる。ひとりはショートヘアがよく似合う肌の白い可愛い感じの女の子K、もうひとりは長い黒髪のやはりスレンダーな娘B。

新しく来たふたりの娘はワインを飲んだ。1本のワインはすぐに空き、また新たに1本を頼んだ。Tinder で知り合った女の子と同じ大学の同級生だというふたり。ショートヘアの女の子Kは自分のことをアーティストと言い、長い黒髪の娘Bは、オリジナルの化粧品ブランドのオーナーだという。

ぽんこつマンは最初の彼女より、後から来たふたりに興味を持った。4人がけの対面ソファーでぽんこつマンの隣に座ったのは長い黒髪の娘Bで、最初にあった女の子とショートヘアの子がトイレに行ってふたりだけになった時に、Bに連絡先を教えて貰って今度こっそりとふたりで逢おうとということになった。

その日は3人で22時近くまで飲んで、ぽんこつマンはかなり酔ったのでレッドスカイで彼女たちと別れて部屋にひとり帰った。

翌週、仕事から戻って部屋にいる時、BからLINEメッセージが入った。「今Kと一緒に韓国料理を食べてる」「これからもう一軒行こうと話し合ってるけど会える?」というのだ。時刻は21時、ぽんこつマンはすぐに「OK」と返事した。彼女たちはアソークの近くにいてプロンポンまで来るというのでぽんこつマンはすぐに部屋を出てプロンポン駅に向かった。

彼女たちが待ち合わせのプロンポン駅に現れたのは21時40分、駅の改札を出てさてどこに行くかということになった。3人はワインで一致してBとKがよく行くというワインバーに行くことになった。場所はトンロー10、Wine Republic Bangkok(https://www.facebook.com/wine.republic.bkk

ぽんこつマンも彼女たちも食事を済ませていたので、赤ワインを1本頼んで生ハムをつまみに飲んだ。その時、ぽんこつマンはバンコクに住み始めてほんの1ヶ月ほどだったのでまだその店は初めてだった。そこの近くには酒税の高いタイでそこそこの値段でワインが飲めるとあって夜遅くまでローカルにも人気があるようだった。

彼女達とのデートは楽しかった。ただぽんこつマンはBの事がお気に入りになっていて、幾度かBだけを誘って食事したことがある。彼女の肌の色はタイ人の一般的なタンカラーだが、彼女のドレスから少し見える胸の膨らみが美乳の典型とも思えるくらい形がよい。デコルテの美しさも見事だと思った。さらに彼女のぷっくりとした唇も彼女のセクシーアピールを増幅していた。

さらに1週間ほど経った土曜日、またBからLINEにメッセージが来て、「Kとナイトクラブに行くけど一緒に行く?」と聞いて来た。ぽんこつマンはいつも通り「OK」と返事を返した。時刻はまだ17時だったが、19時にBTSナナ駅で待ち合わせになった。

ナイトクラブは、大体21時がオープン時間が普通だが、その前に食事すると言う事だと思った。ナナ駅で彼女達と合流して向かったのは、スクンビットソイ11、The Australian Pub & BBQ(https://theaustralianbangkok.com)<2020年9月28日現在、臨時休業中>だ。

Kが先頭で店に入る。1階はパブらしくスタンディングで酒と料理を楽しんでいる。Kは店の右側にある階段を上って2階のテーブル席に進んだ。そこで3人は、サラダ、ステーキ、ポテトを頼んでビールを飲んだ。ナイトクラブはその店の隣にあるSugar Club Bangkokだ。今はオープンは22時となっているようだが当時は21時には空いていたと思う。

2時間近く、オージー料理とビールを楽しんだら、酔いも有って3人のテンションは上がっていた。Sugar Club Bangkok(https://sugarclub-bangkok.com)にはオープンとほぼ同時に入ったつもりだったが、土曜日ということもあって既にフロアにはかなりのゲストが踊っていた。

KとBは何度も来ているようでスタッフともなじみのようだった。センターのダンスエリアにほぼ近いスタンディングテーブルにウィスキーのボトルとコーラ、アイスが運ばれて来た。スタッフがコークハイを3杯作って行く。ぽんこつマンと彼女達は乾杯をしてそのコークハイをぐんぐん飲んでどんどんハイになる。Bはステップを踏んで胸を揺する程度に軽く踊っているが、Kは腰を激しく左右にふり、頭も大きく振りながら激しく踊って、ぽんこつマンにセクシーな視線を送ってくる。ぽんこつマンもステップを踏み腕を上げながらハイテンションで踊った。

当時、この店では多くのゲストがタバコを吸っていて既に禁煙して長いぽんこつマンにはその匂いが少し気になったが、その場の熱気とBの汗と甘い香水が混ざった匂いにぽんこつマンは35年ぶりにハイテンションになっていた。コークで割ったウイスキーは飲みやすい。1Lのウイスキーは帰る頃にはすっかり空になっていた。

踊り疲れてその店を出たのは、午前1時30分、それでも当時の土曜日の夜は客が引くことはなかったようだ。その日はそこで彼女達と別れた。

翌週水曜日、ぽんこつマンは仕事中にBのLINEに「今日は夕方一緒に食事しないか」とメッセージを送った。1時間くらいしてBから返信がある。彼女からは「OK」と帰って来た。彼女は居酒屋に行きたいという。ぽんこつマンが働いていたオフィスはエカマイ にあったから、18時にエカマイゲートウェイ(https://www.facebook.com/gatewayekamai/)のM2階で待ち合わせることにした。

ゲートウェイは、日本をイメージした造りや豊富な日系レストランなど日本押しのラインナップになっているらしかったし、これまで見た限りではBはあまり高級なものを望んでいなさそうに思えたので、まずはここでいいと思ったのだった。

入った店は「ただいま」という居酒屋で良くも悪くもないという極めて普通の居酒屋だった。タイ人が好んで食べるサーモンの刺身や焼き魚など魚料理を主に頼み、ごくごく普通の日本酒を冷やで飲んだが、彼女は日本酒は飲まなかった。ゲートウェイの店は21時ラストオーダーで22時には完全に閉まってしまうが21時半までその店に居て、彼女の仕事の事や住んでいる場所などをいろいろ聞くことができたと思っていた。

そして、その週の金曜日またナイトクラブに行くことになった。そこはSing Sing Theater(http://singsing-bangkok.com)。スクンビット45を少し入ったところにあるちょっと変わったナイトクラブだった。

KとBはプロンポンに22時にやって来た。そこからタクシーでスクンビット45までタクシーを拾って向かった。22時を過ぎればスクンビットの夕方からの渋滞も少しは落ち着いていて、あっという間に着いたことを覚えている。

今回もKが先導する。店の黒服と何やら会話している。KとBは、やはり顔馴染みのようだった。しばらくして店内に案内される。エントランスを入るとそこにはなんとも不思議な空間が広がっている。そして妖しい音楽が大音量で流れている。

Kは階段を上がって2階のフロアに上がって行く。そこには低いスツールがあり3人が座れるテーブルが用意されていた。そのテーブルから階下のダンスホールが見下ろせる。やがてスタッフが大量のオレンジジュースとウォッカのボトルそして氷を運んでくる。スタッフはグラスの30%くらいまでウォッカを入れ、氷を落とし、オレンジジュースを注いでスクリュードライバーを作って行く。3日前Bはアルコールを口にしなかったがこの日はグビグビとそのかなり濃いスクリュードライバーを飲んだ。Kも同じように一杯をあっという間に飲み干して、下の階へ踊りに行った。

音楽の音量が大きすぎて話ができるレベルではないが、Bは座ったまま腰をくねらせていかにも艶かしい。ウォッカが効いているのか、デコルテあたりが少しピンク色に染まっているのが微かに見える。ぽんこつマンは、その妖しい音楽の響きとアルコールの効果で艶かしくなっているBの腰付きを観ていることが心地よかった。空中ブランコにクラブのキャストが座り揺れている。その廃頽的な演出にもバンコクという底無しの魔都を感じた。

ぽんこつマンがかなり酔ってそのクラブからひとり帰宅を決意した午前2時でもKは下のフロアで踊っていた。Bもスツールから立ち上がって、陶酔しきった雰囲気で踊っていた。ぽんこつマンはそれぞれにそっと「先に帰る」とひとこと言ってクラブを出た。

日曜日、BからまたLINEにメッセージが入った。それはあまりにもショックなものだった。Kが土曜日友達とカンチャナブリに行って日曜日バンコクに戻る途中、その友達の車が交通事故を起こしKが事故死したというのだった。

ぽんこつマンは、2日前にKのご機嫌な姿を観ていただけに最初は信じられなかった。ぽんこつマンは何度かKと会ううちにKともLINE IDを交換していた。既に何度かメッセージを送り返信もあったので、その事故の話を知った1時間後にKにLINEを送った。翌朝になってもう一度LINEにメッセージを送ったがあの事故の知らせから一度も既読になることはなかった。

ぽんこつマンはその週の土曜日もう一度Bに会う約束をした。プロンポンで午前11時に会って、エムクォーティエのD’ARK というフカフカのソファーのあるカフェでランチを食べた。しかしBはこれまでと随分変わっていた。これまでは柔らかい笑顔をいつも見せてくれていたがその日は、曇った顔が晴れることはなかった。ぽんこつマンはKが本当に事故死してしまった事をその時確信した。

彼女は、Kが事故死したこともショックだが、今まで順調だった自分のブランド化粧品のタイ全土のバイヤーが突然離れて行ったこともショックだと言った。ぽんこつマンと会う前までと今では何か大きな違いがあると言った。そして自分のこれまでの幸運を取り戻すために来週からラオス国境近くの寺院にしばらく篭ることにしたので当分合わないと言うのだ。

ぽんこつマンは、この時もうBと会える事は無くなると確信した。わずか数週間の儚い恋心は夏の蝉の命のようにその時散ったのだった。Kの繋がることのないLINEアカウントは今もぽんこつマンのところにあるが、Bのアカウントは半年くらいして消してしまうことになる。その話は、次に書くことにしておこう。

切なく過ぎて、突然チェンマイのキャディーに会いたくなった

突然会いたくなったチェンマイのキャディーとは、以前このブログで紹介したかもしれないが、サミットグリーンバレーチェンマイゴルフクラブのキャディーだ。4月1日に日本に一時帰国のつもりで帰ってから、タイに戻れなくなって既に6ヶ月が経過している。

タイは3月に出した未だに非常事態宣言令をこの10月も継続するようで、タイ政府のあまりのコロナ過敏症に全世界の大好きツーリストの嘆きが聞こえるようだ。Youtubeから流れるタイの日常はもはや昔と何も変わっていないようだが、これまで体を訪れるツーリストで潤ってきたバンコク、パタヤ、プーケット、サムイなどのカラオケやゴーゴーバー、バービアなどの風俗を始め、ホテル、レストラン、ゴルフコースなどの観光客の需要が見込めず、崩壊寸前とさえ言われ始めている。実際に自らもバンコクのタニヤでカラオケを経営するオーナーが、パッポンやナナプラザといったゴーゴーバーの店内を映した動画を見ても、客は彼だけで全くそれ以外の客が見えない映像ばかりである。店は空いているものの客はゼロといった光景は、Twitter などの投稿でも窺い知れる。

結果的に、7月からゴーゴーバーやカラオケ、ナイトクラブの営業は許可されたが、ゴーゴー嬢やキャストへのチップやドリンクやペイバーなどのキックバックもゼロ更新では生活が成り立たないはずだ。ゴルフクラブのキャディーもこれまで観光客などの来場があるからこそ、3日に一回はキャディーの仕事にありつけていたが、今は全く観光客がいないゴルフコースでは、コースメンテナンスなどに呼ばれることはあっても、支払われる手当だけでは生活できるわけもない。

ここに来てタイ政府官公庁は最長270日となる有閑富裕層対象の特別観光ビザの新設やタイランドエリート資格の販売で、世界の富裕層の訪タイを期待しているようだが、特別観光ビザ発給条件国は過去60日間コロナ新規感染者ゼロの国と地域となっているので、ヨーロッパ諸国も南米諸国も、アフリカ諸国も、シンガポールも日本も韓国も対象外である。オーストラリアもニュージーランドも9月に入っても新規感染者が出ているようで対象外。8月の時点で全世界でコロナ感染者ゼロと報告している国と地域はサモア、マーシャル群島、ソロモン諸島、バヌアツ、ツバル、トンガ、キリバス、トルクメニスタン、ミクロネシア連邦、ナウル、北朝鮮、パラオ、クック諸島、ニウエ、と言うとても富裕層がいると思えない14か国であるらしい。(情報ソース:https://www.businessinsider.jp/post-218952

またその特別観光ビザのツーリストはチャーター便かプライベートジェットでしか入国を許さないとのことらしいので、実質そのビザを取得する意味などない。さらにこの特別観光ビザ取得の条件でタイの資産を1億バーツ以上所有しているか所有する前提が必要となると、60日以上感染者ゼロの国条件を撤廃しても世界にそう多くいるとは思えない。

タイ政府が考えていることがいかに現実離れしているかが窺い知れるというものだ。タイは収入がなくても昆虫を食べてタンパク質を得ることができる。フルーツを食べればビタミンや糖質を確保することもできる国だから、餓死者が出るといったことはあまり考えなくてもいいのだろうが、日照りや洪水で耕作地に被害が出て農民そのものの収入がなくなれば、耕作放棄が起こっても不思議ではないはずだ。

こんな事を考えていたら、LINEでの毎日の朝の挨拶を欠かさずくれるチェンマイのサミットグリーンバレーゴルフクラブのキャディーだったKちゃんが急に愛おしくなった。彼女には既に高校生と中学生の子供がいると聞いていたが、LINEにある彼女のアイコン写真があまりにも可愛い。

使っている写真はキット若かった頃のものだろうが、ゴルフコースで最初にあった時の印象もこの写真にかなり近いものがあった気がしてならない。2ヶ月前にはキャディーの仕事に復帰したとはいっていたが、既にチェンマイに滞在している外国人もこの9月26日までのビザ延長期限が来たので、帰国を余儀なくされているから、ただでさえ少なかったプレイ客が一層減ることは間違いなうだろう。

政府の支援もなく困窮する一方のタイ庶民の生活は、国外観光客のいないハイシーズンを迎え一体どうなるのだろうかと考えるだけで切なくなってしまう。今は、どうすることもできないが、一日でも早くタイのゴーゴーバーやバービアへ行ける日が、そして可愛いキャディーとふたりきりで過ごせる日が戻ってくる事を願わずにはいられない。

Kちゃん、次に会えるときはお土産いっぱい持って行くから、それからゴルフコースの人のいないところで抱きしめちゃうかもしれないけど、ぽんこつマンのこと嫌いにならないでね。

B2 というホテルチェーンで欲求不満を解消したセフレ

あれは、2020年の1月の話だったと思う。ぽんこつマンが一時帰国していた日本からタイに戻って来た時、LINEにバンコクのセフレからメッセージが入った。まずは新年の挨拶、そしてその日かその日の翌日に会えないかという内容だった。彼女とは、これまでぽんこつマンがバンコクにいる時は、1週間に1回は肉体関係を続けていたが、ぽんこつマンが2019年の12月16日に彼女と◯ックスしてから既に1ヶ月以上会えていなかった。

彼女は、ロッブリー県出身でバンナーにあるコンベンションセンターの近くのホテルのレセプショニストをしていて、1日3交替制で24時間のフロント業務を8人で回しているらしかった。朝7時ー午後3時、午後3時ー深夜11時、深夜11時ー朝7時のシフトを2日ずつで回すらしく6日働いて2日休みという待遇らしいが、睡眠できる時間が2日ごとに異なるのでストレスが溜まると、性的な刺激をどうしても求めたくなるのだと彼女は言っていた。

若い頃にタイの男との間に子供ができたが、そのタイ男はとっとと逃げて今はシングルマザーで子供はロッブリーに住む両親の元にいると言っていた。ロッブリーはバンコクの北150kmくらいにあるタイ中部の県で、コロナの影響で観光客が激減し大量の猿が市内に乱入しているニュースが流れて有名になった。

彼女とセフレになった経緯は、Tinderで知り合って最初に夜の食事に彼女が指定したスクンビット33のBistro 33(https://m.facebook.com/thebistro33/)で、ひょんな事から彼女の口から「◯ックスは大好きだけど、恋人が欲しいわけじゃない」「いつも不特定な男性を求めているわけではない」「お互いの性欲を満たし合える関係が欲しい」「なかなかそんな関係になれる人がいなくて、マスターベーションで中途半端に解決することが多い」という話を聞いてから、その晩一度お互いを試してみようとなり、その後関係を続けて来たのだった。

ぽんこつマンはいつでもスタンバイOKなのだが、彼女が求める時は決まって休み2日目の晩で明日は朝7:00からのシフトがある時か深夜の2日間のシフトが終わり、休み1日目の晩だった。彼女は◯ックスは大好きだったが、避妊はしておらず、1ヶ月のうち1度は月経がやってくる。休みの日がその月経に重なる日は彼女は求めて来ない。そんなペースでぽんこつマンと彼女のセフレ性活は続いていた。

そんな中、ぽんこつマンは1月に入って彼女と会う前に日本に一時帰国してしまった。タイに戻ったのは1月24日。前回の逢瀬から1ヶ月以上空いてしまった。ぽんこつマンは彼女からのLINEに「明日から休みなの?」とメッセージを返した。すると彼女から、「今日と明日は朝のシフトでもう直ぐメンスが来るからその前に一度会いたい」とダイレクトな返事が返って来た。

そこでぽんこつマンは「OK、どこで何時に会う?」とまだスワナブーム空港の到着ロビーにいる時にメッセージを返した。すると彼女から、「今日は私がホテルを予約する。待ち合わせはそのホテルから遠くないエアポートリンクのフアマークの駅、夕方6時、私はバイクでそこに行く」と返信があった。

ぽんこつマンは荷物をたくさん持っていたので、自分の住むコンドにはタクシーで向かった。コンドに着いたのは16時30分。荷物を開けることなくシャワーを浴び、出かける準備をする。ぽんこつマンが住むコンドからエアポートリンクの駅までは歩いて10分で行ける。18時にフアマークの駅に着けば良いとすると、部屋を17時20分に出れば間違いなく遅れずに到着できる。

ぽんこつマンがフアマークの駅に着いたのは、17時50分。駅舎は高架になっているのでグラウンドまで降りた。地上には古い国鉄の線路が走っていて駅もあるようだが、タクシースタンドはあるがタクシーが待ってもいない。多くのバイクや自家用車が道路の側面に駐車されていて、4〜5軒の屋台がある程度だった。

ぽんこつマンは「今、フアマークに着いた」と彼女にメッセージを送った。返事はすぐには返って来なかった。多分バイクを運転中なのだとぽんこつマンは思った。18時を少し回った時に彼女から「どこ?」と短いメッセージが入った。ぽんこつマンは「タクシースタンドのところ」と返すと彼女が100mほど西側から歩いてくるのが見えた。

ふたりは、高架の下のスペースで営業しているバーで再開の祝杯をあげた後、通り向けようとしたタクシーを停めて、彼女が予約したホテルへ向かった。時間は19時を少し回った頃、タクシーが進むスリナカリン通りは2021年に開業を目指してるBTS新線イエローラインの建設で大渋滞となっていた。フアマーク駅から2kmもないホテルまで、50分くらいかかった。

彼女が予約したホテルは、B2 バンコク シーナカリン(https://www.b2hotel.com/detail.php?id=42)、バンコクにはあまり見ないが、タイの地方都市には多く見かけるローカル向けのビジネスホテルのようだ。

フロントは2階にあり、地上は駐車スペースになっているようだ。2階に上がり、彼女がチェックインする。彼女が身分証明書を提示しただけで、ぽんこつマンの身分証明の提示はなかった。鍵を受け取り部屋に入る。入り口のドアを開けると右手に細長いバスルーム、一番奥がシャワーブースになっている。シャンプーやバスジェルはちゃんとある。部屋の広さはキングサイズのベッドとソファーがあってかなり広い印象。

ベッドのマットレスは、高級ホテルのようにふわふわではないが、男と女の営みには適した硬さだ。エアコンの効きも寒いとさえ思うくらいよく冷える。

彼女は、部屋に入りすぐにテレビのスイッチを入れる。そしてバスルームをチェックする。そしてふたりはベッドに腰掛け、肩を寄せてキスもそこそこに服の上からお互いの身体の愛撫を始める。ぽんこつマンはまず彼女の胸の膨らみに服の上から手を這わせる。手のひらで大きく回しながらツンと立っている乳首の感触を感じていた。彼女は、ぽんこつマンの股間に手を充てまだ膨張を始めたばかりの肉茎を探り当て親指と中指で上下に摩った。

ぽんこつマンが彼女が着ている服の中に手を入れて乳房を揉み始めると、彼女はぽんこつマンのパンツのベルトを外しチャックを下ろして、アンダーパンツのゴムのところから手を忍ばせてくる。ふたりの着ているものは少しづつ剥ぎ取られ、完全に生まれたままの姿になってふたりはシャワーブースに向かった。

ぽんこつマンはシャワーブースで身体をお互いに洗いながらの挿入が好きだ。彼女ともこれまで何度となく立ったままでの挿入を楽しんだ。

シャワーブースでは、当然コンドームは装着していない。避妊していない彼女が妊娠するリスクを冒してまで、シャワーブースでのコンドーム無しのセックスを受け入れているには、ベッドでは味わえないそれなりの快感を知っているからだろう。

ぽんこつマンは射精する寸前で肉棒を彼女の膣から引き抜き、ふたりはベッドに戻る。そしてそこで彼女がぽんこつマンの肉茎を咥えてフェラチオを始める。肉茎を咥えた彼女の口の中で舌が亀頭のカリをグルグル周回しながら硬く結ばれた唇で肉茎を上下する。

ぽんこつマンは69の体勢で彼女の淫部にリップを加える。舌先でクリトリスの包皮をめくり、大陰唇のひだに沿って舌をスピーディーに振動させる。唇を尖らせて彼女の膣口に充て、舌を膣口の内側に差し込んでいく。

それからようやくぽんこつマンは完全に勃起した肉茎にコンドームを装着し、仰向けになった彼女の股間の唾液と彼女の膣からあふれた体液で光っている膣口に一気にその肉棒を差し込んだ。

彼女は激しいピストンも好きなようで、パンパンとぽんこつマンの腰骨が彼女のMの字に開いた太腿の裏に当たる音に、腰をよじって喜んでいるようだった。屈曲位で彼女のふくらはぎにキスと舌での滑上げも加えると、彼女は「ヒィー、、、」とかすれた唸り声を上げる。

ぽんこつマンは彼女を横にし、松葉崩しの体勢で彼女との結合の度合いを最大にした。亀頭の先が彼女の膣の奥にあるコリっとした子宮口を捉えた時、彼女の背中は大きく反り、体の後ろに置いていた手がシーツを強く握りしめたのが見えた。

彼女にオーガズムが来たようだった。ぽんこつマンは松葉崩しを解いて、彼女の背中に腕を回し、胸をあわせて腰を素早く前後してピストンのスピードをあげた。今度は膣の奥ではなくその手前にあるであろう裏Gスポットを亀頭の裏ひだが擦れるように膝を立てた状態で短いストロークで前後した。

彼女の膣口の上壁がぽんこつマンの肉茎の上部を擦って気持ちがいい。5分ほどそのピストンを繰り返してフィニッシュを迎えた。1回戦が終わったのは、21時頃だった。それからしばらく身体を休めた。ホテルに常備されているミネラルウォーターを飲み、たわいもない話をする。

1時間くらい休んだだろうか。突然彼女の手が、ぽんこつマンの股間にまた伸びて来た。1度コンドームの中に放出したザーメンはティッシュで拭って捨ててあったが、その後シャワーを浴びていなかったので、亀頭には少しのザーメンが乾いてカピカピになっていた。

「Ao yiek dai mai?」彼女はもう一度やりたいようだった。彼女の手がぽんこつマンの肉茎とその下にある玉袋を撫で回しているうちに、肉茎にまた血流が集まって硬くなりだし、ついにそそり立って来た。

彼女は、再びのフェラチオでぽんこつマンの乾いたザーメンを唾液に溶かして啜り上げ、唾と一緒に飲み込んでいた。ぽんこつマンの肉茎が完全にボッキしたことを確認して、彼女はドギースタイルになり、後背位での挿入を要求した。ぽんこつマンはその誘いにすぐに反応して、あらかじめ用意していたもう1つのコンドームを装着した。今度は、日本から持って来た0.01mmの最薄コンドームだ。肉茎にある血管の凹凸もわかるくらい薄いのだ。

ぽんこつマンは、彼女が自分の手で開いて見せている膣口に亀頭を充て、カリまで埋まらないくらいの短いストロークで膣口だけを刺激する。彼女はさらに手に力を入れて膣口を広げようとしている。焦らされていることを感じているのかもしれないと思った。

ぽんこつマンは、亀頭を少し奥へ入れてカリが膣口に埋もれるようにした。そこで少し動きを止めてさらに彼女を焦らしてみた。すると彼女が今度は入ってきた亀頭をもう外に出せないようにと膣口を締めてくる。

ぽんこつマンはその動きを感じて、一気に亀頭を奥へすばやく突き入れた。「オーッ」という歓喜に満ちた呻き声が微かに聞こえた。ゆっくり引き、速く突き入れる。そのピストンを繰り返すうちに、彼女の息遣いは徐々に激しくなり、「アーウッ、アーッ、、、ヒーッ、、、アッ、、ウーッ」と呻き声も大きくなる。

ぽんこつマンは彼女の腰骨を持ち、激しく打ち込んでから彼女の両肘を持ち馬の手綱のように手前に引いて、腰を前後に速く激しく動かした。亀頭の裏筋の部分が彼女のGスポットを擦って全身に快感が響いているようだった。

彼女は、背中を後ろに反らせ首を振って脳天に走る快感を抑えようとしているようだった。ぽんこつマンは右手を離し彼女の下腹部に手のひらを充てがい子宮を上の方に圧迫しながら速く激しいピストンを繰り返した。

肉茎の上面に浮いた血管の凸凹が彼女の膣口の肛門側を刺激する。彼女のしっかり締められた膣口がぽんこつマンの肉棒を刺激する。そして絶頂感がやってきた。彼女は曲げていた腰を起こしぽんこつマンに身体を預けてしゃがむ格好になる。

その時ぽんこつマンは、彼女の膣の奥でズピュッ、ピュッ、、ピュッとザーメンを0.01mmのRetroasisの先に大量放出した。白い精液が0.01mmの薄い幕を押して彼女の子宮口に温かい感覚を伝えたようだった。彼女の身体は小刻みに震えていた。

2回目の絶頂を迎えた後、ふたりは心臓の鼓動が普通に落ち着くまで手を繋いで横になっていた。そして時刻が23時を回った時、彼女は「明日も朝7時から仕事になるので、今日は自分の部屋に帰る」といった。そしてシャワーを浴び、洋服を着て部屋を後にした。

彼女のように◯ックスの快楽に溺れるタイの女性は、これまであまり出会ったことがない。彼女との定期的な肉体関係は、ぽんこつマンが次に日本へ帰国する3月末まで続いた。彼女は、そのホテルの部屋を出る時に、ぽんこつマンにバイブやローターといった大人のおもちゃを持っているかと聞いてきた。なんでも彼女の知り合いにも彼女と同じように性の快楽を思いっきり楽しんでいる女性がいると言っていてその女性がマスタベーションする際に使ってみたいと言っていたというので、あるなら今度試してみたいということのようだった。

部屋の支払いは彼女がチェックインの時に払っていたので、ぽんこつマンは朝までいることもできたが、彼女がいない部屋で朝を迎えることに意味はなかったのでぽんこつマンも帰ることにした。ぽんこつマンが部屋を出たのは23時40分。ホテルからスリナカリン通りに出てタクシーが来るのを待った。5分ほどして空車のタクシーが来たので乗り込んだ。来るときは大渋滞していた通りはすでに車の往来は僅かになっていた。

息をつく間もないくらい押し寄せてくる快楽は、バンコクの大渋滞のようにどこからともなくなだれ込んでくる車列のようだ。どんな大渋滞でも深夜になれば治るように彼女の貪欲な性欲も、何回かのオーガズムを迎えた後は深夜の大通りのように鎮まりかえっているのだろうかとタクシーの中でぽんこつマンの頭の中で変な考えが浮かんで消えた。

今はタイに戻りたくても、コロナ騒動を懸念するタイ政府が渡航をかなり制限していて、往来が難しい。最後に彼女と結んだ肉体関係からすでに6ヶ月が過ぎているが、彼女の中にマグマのように湧き上がる性欲は今どう処理されているのだろう。

ソイカウボーイ、バカラの2Fからペイバーした娘と久しぶりにLINEしたら

2018年の後半だったろうか、今はあまりはっきり覚えていないが長い間遠ざかっていたソイカウボーイのバカラに行った。時間は22時を回っていて1階は既に満席でいつもぽんこつマンが座るところも空きが出る気配がなかった。店の案内係から上へのサインが出たので2階に上がった。

2階に上がって奥の方のステージ周りの席に空きが1つあり、そこに座る事ができた。2階はトップレスでのステージが頻繁にある。ゴーゴー嬢の衣装はノーパンミニスカートとセーラー服で、いい時間になるとトップレスになってのステージが多くなる。

ぽんこつマンはいつものようにジントニックを注文する。ぽんこつマンはトップレスのダンスにはあまり興味があるわけではなく、スタイルが良くて可愛い女の子をいつも探している。

トップレスのステージが終わって女の子が入れ替わる。一瞬ステージがガラリとする瞬間がありそこに徐々に次のステージに休憩していた女の子が上がってくる。突然3人目くらいに上がってきた女の子と目が合った。身長は高くないが、お尻のハリも胸の膨らみもバランスの良い娘だった。

彼女は、ぽんこつマンが彼女を見つめていることに気づき、軽くウィンクを送ってきた。ぽんこつマンはそのウィンクに応えるように彼女に手でこちらに来るように合図した。彼女はそれに直ぐ気づき、ぽんこつマンの席にやってきた。ちょうどぽんこつマンの隣の席の客が帰って行ったのでその空いた席に彼女が座った。

少し褐色の肌、キリッとした目の印象、はに噛む笑顔がなんとも愛くるしい。名前と年齢をお決まりで聞いて見た。彼女は素直にその質問に答える。出身は多分イサーンだと思ったがあえて聞かなかった。

彼女にドリンクをご馳走し、しばらくたわいもないことを話した。彼女とはぽんこつマンが覚えたタイ語で会話して見た。なんとか話が通じていると思った。やがてまたステージがチェンジになり女の子たちが入れ替わる。

ぽんこつマンのジントニックが無くなったので、彼女のドリンクとぽんこつマンのジントニックを追加注文した。彼女が「コップンカー」と礼を言う。ぽんこつマンは彼女がスカートの裾を気にしたり、笑うときに軽く手を口に当てたりするちょっとした仕草にどんどん引き込まれていく。

新しいドリンクが来て改めて乾杯をする。ぽんこつマンは既に彼女とふたりの時間を過ごしたいと思い始めていた。時間が流れDJのコールがあり、またステージの女の子の入れ替えの時間になった。ぽんこつマンは彼女をステージに送りたくなかったので、ペイバーすることにしてさらにもう1杯のドリンクを注文した。

ソイカウボーイのゴーゴーバーからのペイバーはロングが基本のぽんこつマンだったが、その子はショートのみと言うのでショートのペイパー代を合わせて会計をした。

彼女は私服に着替えて戻ってくる。ドリンクを飲み切ってふたりはバカラを後にする。彼女が、ぽんこつマンを連れてソイカウボーイにある、ショートタイム用の部屋のある店に入る。その時の部屋代は500バーツ、1時間足らずの時間にしては決して安くはない。

階段を上がって部屋に入る。そこにはクイーンサイズのベッドがあるだけで、奥にシャワーブースとトイレ・洗面のみ。彼女は何も言わず服を脱ぎ始める。ぽんこつマンもそれに釣られて服を脱ぐ。シャワーブースは大きくないので、一緒に身体を洗う事はできない。ぽんこつマンが先にシャワーを浴び、彼女を待つことになる。彼女も簡単に、体の汗を流し、秘部をボディーソープで洗ってバスタオルを巻いてベッドに戻って来る。そして恥じらいの表情を浮かべてゆっくりぽんこつマンの隣に横になった。

ぽんこつマンは、彼女の目を覗き込んだ。綺麗な目だったが、なぜか少し悲しそうにも見えた。憂いを感じる彼女の表情は、ぽんこつマンをまたキュンとさせる。ぽんこつマンは彼女をそっと抱きしめた。

形のいい胸の膨らみがぽんこつマンの胸にあたる。彼女は脚をぽんこつマンの足に絡めてくる。ぽんこつマンは彼女の額に軽いキスをする。そして、頬と耳たぶにもキスをする。彼女の腕がぽんこつマンの身体を強く抱きしめた。

ぽんこつマンは彼女の背中に当てていた右手を彼女のお尻まで降ろして、静かに彼女の秘部を探した。彼女の身長は150cmないくらいで小さく、ぽんこつマンの右手は簡単に彼女の秘部に届いた。

抱き合ったまま、彼女の秘部の大陰唇を右手の中指で摩った。大陰唇の上のほうにあるクリトリスはまだ皮を被っていたようだが、そこを中指の腹で柔らかくグラインドすると彼女は淡い吐息を漏らした。

ぽんこつマンは、彼女を抱き寄せていた左手を彼女の身体の下から抜いて彼女を仰向けにし、胸元で留めているバスタオルを解いた。彼女の胸にある美しい形の乳房と乳首が姿を現した。直径3cmもないほどの乳輪と1cmもない乳首が20を過ぎていると言う彼女に少女の印象を強く匂わせた。

ぽんこつマンは、その少女のような彼女の乳房に左手を充て、軽く揉んでみる。シリコンではない生乳の弾力だった。彼女の右の乳首にぽんこつマンが口付けした時に、彼女は再び淡い喘ぎ声をあげた。彼女の秘部は、少しづつ潤いを増しているようだった。

ぽんこつマンの逸物は、彼女の体が挿入の準備ができていく感覚にどんどん硬直化していくのを覚えた。彼女はぽんこつマンの肉棒の硬直を確認したが、コンドームの装着をするために動こうとはしていなかった。しかしぽんこつマンは、少し悲しそうな憂いを帯びた表情を見ていて、彼女を不安にさせるのは良くないと思い、「Au yaan chai mai?」(ゴムいるんだよね?)と聞いたら軽くうなずいたので、ぽんこつマンはあらかじめ用意していたコンドームを装着した。

それからふたりは重なり、恋人のような熱い時間を過ごした。◯ックスを終えたふたりは静かにシャワーを浴び、脱いだ服を着た。彼女は、ぽんこつマンにLINE IDの二次元バーコードを提示した。ぽんこつマンは彼女のLINE IDのバーコードをスキャンし、彼女にぽんこつマンのLINE IDの二次元バーコードを提示した。そしてふたりはその部屋を出て彼女はまたバカラに向かう道を進み、ぽんこつマンはそれとは反対側に進み、ラチャダーピセーク通りとの角にあるガイトートの屋台でドラムスティック2本を買い、アソークの交差点まで行きタクシーを拾って部屋に戻った。

その日から彼女とのLINE交換は続いた。数日して彼女から唐突なメッセージが届いた。それはバカラをやめたと言うことと、しばらくシンガポールに行くと言うものだった。ぽんこつマンは彼女がシンガポールに行くと言うことは出稼ぎだと想像した。そして彼女が出国する前にもう一度会いたいと思ったが、その連絡をくれたのが彼女のイサーンの実家からだったので、会うことは叶わなかった。

そして彼女からのLINEメッセージは来なくなった。何度かぽんこつマンからも送って見たが返信がなくなっていた。しかしぽんこつマンはLINE友達から彼女を外さなかった。それは彼女のことがなんとなく気になっていたからだ。

2年経過した今年の7月に久しぶりに彼女のLINEアカウントを見たらアイコンが変わっていて、写真・動画のタグに新築中の家の写真と赤ん坊の写真がアップされていた。アカウントがアクティブなので、スタンプを送って見た。1日経過して彼女からスタンプ返信があった。

最初は、たまにスタンプ返信が返ってくるだけであったが、徐々に彼女からのメッセージも増えて来た。7月の段階ではバンコクにいたと言うこと。赤ん坊は女の子で、タイの男との間に出来た子供で1歳と言うこと。タイの男は子供ができたと知って逃げてしまったこと。バンコクでは働く場所を探すことが出来なくなり、今は田舎に戻っていること。秘密に満ちた少女のようなイサーン女のジグソーパズルのピースが少しづつ繋がって行く。

今日「今度ぽんこつマンがタイに行ったら会えるか?」と聞いたら「OK」と短く返って来た。Twitterである人物が、バンコクポストの記事に、10月1日からタイが受け入れる最長270日の特別ツーリストVISAの300人が14日間のASQ(自費負担の隔離ホテル)での2回のPCR検査で全員陰性が確認できれば、隔離期間を11月1日から1っ習慣にすると言う方針があることを報じたという情報をアップしていた。

彼女の実家があるサコンナコン県には空港があり、ノックエアは破綻してしまったが今も一日3便飛んでいるようでAIR ASIAのフライトも1便あるようだ。彼女がまたバンコクに出て来れるならバンコクで会えるし、ぽんこつマンが彼女の住む県に遊びに行くのもいいかもしれない。イサーン料理は特に好きではないが、ガイトートやガイヤーンはうまいと思うから3つ星ホテルがあれば問題はないだろう。今は1日も早く、タイへの入国が通常に戻ることを望まずにはいられない。

Tinderで知り合ったバンコクOLとターミナル21で待ち合わせ

2019年11月にバンコクの部屋でTinderを弄っていたら、大学を卒業してまだ1年経っていない女の子で日経の大手ゼネコンでOLとして働いているという女の子からマッチの知らせがきた。早速LINE交換ができたので、まずはデートの誘ってみることにした。

彼女の出身はラチャブリ県らしいが、働いているのはプロンポンだと言っている。自宅からの通勤はあまりに大変なので、BTSウォンウェイヤイ駅近辺の今度に住んでいるとも言っていた。11月10日にTinderで知り合って、13日の水曜日に晩ご飯を食べることになった。待ち合わせは、彼女の働いているプロンポンではなくアソークがいいと言って来た。

この年のロイクラトンは11月11日で、彼女は11日は既に予定があるようだった。そこでぽんこつマンは彼女にいつが良いかを聞いたら13日水曜日ということになったのだった。

彼女とは英語でコミュニケーションできた。そして彼女は日本語も少しは話せるとのことだった。13日の待ち合わせ時間は、彼女の仕事が17時で終わるとのことで、彼女がASOKEのターミナル21のMフロアを言って来た。

ぽんこつマンは13日の16時半に自分のコンドを出てBTS プラカノン駅までタクシーで向かった。その時間はバンコクは至る所で大渋滞があるのでプラカノン駅まででも40~45分は掛かると思っていたのだ。

プラカノン駅に着いたのは17時10分、BTSに乗ったのは17時15分、プラカノンからアソークまでは所要時間13分だから時間通りにターミナル21のMフロアに着ける。彼女は既に来ていて、直ぐに彼女に会う事ができた。

そこで何が食べたいか聞いたら日本食だという。彼女は普通のOLだから、ナナプラザヤやソイカウボーイで働く女の子とは違うから、彼女が和食といった時には少し困った。彼女はナナのあたりに和食屋を知っていると言ったのでそこに行くために、スカイウォークでスクンビットの反対側まで行きタクシーを探した。渋滞していたが、タクシーを拾うことは直ぐにできた。彼女は運転手にタイ語で話しタクシーは動き出した。

ぽんこつマンはナナの近くに和食があったかどうかは知らなかった。タクシーは進んだが、何だか彼女の記憶違いなのか店は見つからなかった。そして彼女はぽんこつマンに、どこか知っているかを聞いた。

ぽんこつマンが知っているのは、ターミナル21に入っている和食屋かスクンビットソイ19を入ったところにある居酒屋花子だが、ターミナル21の中はあまりにも素っ気無いので、ターミナル21じゃ無いところがいいと思った。居酒屋花子は、ゴーゴーバーの女の子とよく行っているしオープンがもう少し遅いと思ったし、花子の目の前は韓国式のエロマッサージもあるので、そんなことなら以前ネットで調べていた、スクンビット23のラブリーという店に行くことにした。

タクシーはスクンビット通りをソイ3でUターンしてアソークに引き返し、さらに進んでソイ23間で進んで左折した。ラブリーという店は「羅豚里」と当て字されているとおり、豚しゃぶが売り物のようであった。ぽんこつマンがその店を選んだ理由は、知り合った彼女が写真ではそこそこ可愛いと思ったが実際はかなり太めでぽっちゃりを過ぎてそれほど可愛く無い事がわかったこと、肉体関係を持つことで少しややこしくなる気がしたこと、それなら飯を食った後に、ソイカウボーイで遊んで帰りたくなった事がある。

タクシーの運転手は不安がりながらスクンビット23を入って、クラフト23(ビアハウス)の角を右折、左手にペガサスクラブを見て突き当たりを右折、そこから100mほどで左手にラブリーを見つけて、留まった。

店に入り飲み物を頼むが彼女は、アルコールを選ばない。ぽんこつマンのことを警戒しているのかと思ったが、ぽんこつマンは彼女を今直ぐ同行するつもりはなかったからどうでもよかった。

ぽんこつマンはビールとまず豚しゃぶしゃぶを頼んだ。それからいくつかの料理を頼んだ。豚しゃぶはあまり食べないが、ポン酢で食べるとなかなかうまい。小皿の料理もなかなかだった。店にはタイ人の給仕係がいたが全員女の子で浴衣を着ていて可愛い子もいる。

彼女は、日系大手ゼネコンに就職してまだ1年経っていないと言っていたが、主にの本人駐在員へのコンドの部屋貸を行っているようだった。賃貸物件のオーナーから賃料を聞き、それ以上に払う借主を見つけてくるのだそうだが、会社にはオーナーの希望金額を報告し、借主にはその金額より高い金額で契約書を作る。

部屋のオーナーと会社の契約、貸主代理の彼女と賃借人との契約の二重契約で、例えばオーナーが30000バーツとすると彼女は顧客に40000バーツで賃貸契約を結ぶ。その差額10000バーツは彼女のピンハネ分になるということで、既に15顧客の契約があり、会社の給料以外に、ピン羽の金額が毎月10万バーツあるのだと言っていた。

日本では、そんなピンハネは犯罪(横領)になるのだろうが、タイでは誰でやっていることらしかった。日本で厳しい会計に慣れていたぽんこつマンにはそんな事はとても信じられない事だった。ピンハネが初任給15,000の6倍強になるというのが恐ろしかった。

彼女は、働き出してまだ半年という事だったから、あと数年この仕事を続ければ、月にピンハネで月30万バーツ稼げるようになっているかもしれない。1年で360万バーツ3年で軽く1000万バーツ稼ぐ事ができる計算だ。

広い今度に住むことも、高級車を買うことも、旅先で高級なホテルに泊まることも平気になってしまうのが恐ろしかった。彼女の話が本当かどうかはわからないが、タイにはコラプション(汚職)が蔓延しているとはよく聞いている。

ぽんこつマンはエロい事は大好きだが、タイ社会が金でしか判断されない社会になるのも近いと思った。

彼女との食事は、そんな話に圧倒されて味がイマイチわからなくなった。深夜11時くらいになって、彼女は帰ると言い出した。帰りは、BTSまでは場うくタクシーで行くがその先は電車で帰ると言っていた。

彼女の将来をちょっと見たい気がしなくはなかったが、その日に彼女を店で見送ってからは連絡をしなくなった。いくらタイだからと言っても、金に杜撰な大手ゼネコンと言っても、そのピンハネがバレる時がきたら、はーいやめまーす、だけで済むのだろうかとさえ思った。

まぁ駐在員の家賃も実際には日本の本社から出ている経費だから、いちいち細かく調べられていないということもあるのかもしれない。ぽんこつマンが知っている日本の会社の駐在所の所長から聞いた話だと、タイ人の雇用は難しく、ただでさえ直ぐやめてしまうのに、対人社員がやっているピンハネや不正会計を咎めれば仕事ができるタイ人を雇用する事が困難になる。わかっていても、見て見ぬふりをすることも安定的な事業推進には必要だと言っていたことを思い出した。

話は少しずれてしまったが、Tinderで知り合ったその女の子とは、長い間連絡をとっていない。いつになるかわからないがもし今度タイに行けたら、彼女のLINEに久しぶりに連絡を入れてみよう。

バンコクのトゥクトゥクには注意した方がいい話

バンコクの乗り物と言えば、最近はBTSやMRTという都市交通が注目されているが、ぽんこつマンがタイへ行き始めた頃は、まだBTSが建設中(1999年12月5日開業)で当時のツーリストの移動手段はトゥクトゥクかタクシーだった。

バンコクのホテルの周りにはいつも数台のトゥクトゥクが停車していて運転手がつまらなそうにタバコを蒸しているか、寝ているか、運転手同士でくだらない話をして客待ちしているかという光景があった。その光景もタイの風物だった。

今でもトゥクトゥクはバンコクにも残ってはいるが当時の台数の多さは今とは比べものにならなかった。ナナプラザに行くのもトゥクトゥク、ナナプラザから女の子をペイバーしてホテルの戻るのもトゥクトゥク。歩いていくにはちょっと遠いとか、暑くて汗だくになりたくないからという理由で、レストランに行くにもタイマッサージに行くにもお寺見物に行くにもトゥクトゥクを使う事が一般的だった。

トゥクトゥクの乗り方は、まず「パイ(行く)どこどこ」「タウライ?(いくら?)」と運転手に聞くことから始まる。もちろん英語で話しかけてもいいが、英語がわかる運転手は少ないので、行き先と料金確認はタイ語を知っていた方が良いだろう。

トゥクトゥクの車幅は大体140cm、バイクの車幅が概ね90cm〜100cmなのでバイクより少し幅があるがタイの一派的道路の車幅の半分くらいなので、車と車の間が1.5mくらい空いていればバイクのように倒れないのですり抜けられることになる。

トゥクトゥクの運転手はいかに車の間をすり抜けて早く目的地に着くかが稼ぐお金に大きく影響するせいか、それとも性格的にせっかちなのかはわからないが、とにかくできるだけ前へ前へ行こうとする。走行中もしょっちゅうハンドルを右へ左へ切って車の合間をすり抜けていく。さらにトゥクトゥクにはシートベルトが無くドアも無いからどこかにしっかり捕まっていないと振り落とされる危険がある。ストップアンドゴー、右左への急ハンドル、それはテーマパークにあるローラーコースターよりスリリングかもしれない。

そして客が外国人だと分かると、運賃はローカルの2倍から3倍に跳ね上がる。いわゆるぼったくりだが、例えばアソークからサイアムまで最初に200バーツという金額で行くと運転手が言っていたとしても、途中渋滞があったりすると途中で下されたり、到着してから追加料金を請求されることもある。

ぽんこつマンがまだタイへの渡航が2回目とか3回目の時だったが、よくトゥクトゥクを使った。その頃のぽんこつマンは、MPを経験してそれほど歳月も経っておらず、まだ無垢なところもあり、タイといえばお寺巡りがツーリストの行動パターンと思っていた。ある日、ぽんこつマンは泊まっていたグランド プレジデント ホテル(https://www.grandpresident.com)からスラウォン通りにあるマンゴツリー(https://m.facebook.com/MangoTreeSurawongse/)という今では全世界に展開しているタイ料理の店に行こうと思い、トゥクトゥクを探した。ほとんどのトゥクトゥクは200バーツと言ってきたがひとつのトゥクトゥクが80バーツで行くと言ったのでそれに乗った。(当時は多分ローカルは40バーツくらいだったと思う。)

最初は、スクンビットソイ11を南に向かいスクンビットソイ3に出て北へ走る。それからスクンビット通りをエラワン廟まで走りそこを左折したまでは良かったが、ラマ4通りが見えてきたシーロムの交差点のルンピニ公園側で突然止まる。そしてなんと無くスラウォン通りを指差して後は歩けというジェスチャーをする。運転手は交通量の多いラマ4への右折を嫌って、そこで降りて後は歩けと言っているようだった。

ぽんこつマンは仕方なくそこでトゥクトゥクを降り歩いていくことになった。まずはラチャダムリ通りを渡り、それからラマ4世通りを西へ向かう。スラウォン通りはその時歩いている川の反対側だからどこかでラマ4世通りを渡らなくてはいけない。交通量が多くて車線幅も広いので歩行者にはかなり危険な横断だった。そしてトゥクトゥクを降りてから15分ぐらいでマンゴツリーを見つけて入る事ができた。

当時は、まだガイドブックでは経済的なタイ料理レストランとして紹介されていたマンゴツリーだったが、その盛り付けの美しさや教育の行き届いた従業員のサービスの良さに感動したのを覚えている。ランチを終えて、スラウォン通りを西に歩いてみた。

ぽんこつマンがソンブーンシーフードスラウォン店の近くに来た時、後ろからトゥクトゥクがやって来て、「どこへいくのか?」と聞いて来た。ぽんこつマンは特に行き先を決めずに歩いていただけだが、ちょうど良いと思い、思いつきで「ワットポー」と言ってみた。すると「OK」「40バーツ」と運転手が言ってくる。そこで意外に安いと思い乗ってしまった。

そのトゥクトゥクは直ぐに走り出すが遠くに王宮が見えてきた辺りで突然運転手が、「そうだ、今日はワットーポーは開いてない」と言ってトゥクトゥクを止めた。そして、「その近くにエメラルド寺院がある」「そこも良いぞ」と言って走り出す。

案内された所は、なんて事のない普通の寺だった。観光客らしい人物はゼロでそこがエメラルド寺院でないことだけは直ぐに分かった。ぽんこつマンはそこで「ここはどうでも良い」というと運転手は、「ならばお土産に最適なものを売っている店に行こう」と言って勝手に走り出す。

ついた先は、ルビーと称する赤い石を置いている宝石商の店だったが、値段を見てはっきり言って驚いた。小さな石が10万バーツ、その石を取り付ける指輪やネックレスの金属は銀だという。ぽんこつマンは明らかに宝石詐欺の店だと思って、直ぐに店を出てトゥクトゥクの運転手に「あの店はダメだ」と伝えたら「それならもう1軒良い店を紹介したい」と伝えてまた勢いよく走り出す。

次に着いたのも宝石を扱う店のようだったが、そこには赤い石では無く、見た感じ黒い石だがセンターに光の乱反射があるものを指輪にしたものがあった。店の店員がぽんこつマンに一生懸命説明する。「ブラックサファイヤ」「リングは銀製」「6000バーツ」明らかにさっきの店より安い値段設定だったし、ブラックサファイヤという響きとその石のセンターに光る感じが良かったので、勧められて指にはめてみた。

輝きは良かったがリングサイズが大きすぎる。それを見ていた店員が、「サイズは直ぐに治せる」としつこく言うので、20000円は安くはないがまぁ良いかと言う気になって購入してしまった。リングのサイズ直しというのは、リングの一部を切り落とし、そこに切った物より小さなパーツをつけて繋ぐという荒っぽい手法のもので、つなぎ目が直ぐに見えるものだった。しかしその店は保証書を入れてくれたので、つなぎ目が外れたらいつでも修理に来いということと理解した。接合部分は3年くらいではずれ、一度修理に行った事があったが、それをまた使用している間に、今度は気に入っていた「ブラックサファイヤ」がいつの間にか外れてどこかで落ちてしまって見つける事ができなくなったのだが…..。

その店で1時間くらいいたが、店を出たときにもさっきまでのトゥクトゥクはぽんこつマンを待っていた。そして店から出てきた従業員から何やら受け取っていた。その時はそれがリベートだとは知らなかったが、そのうちトゥクトゥクの運転手のもう1つの悪どい稼ぎ方がわかる時が来ることになる。

その店を出てぽんこつマンは、ホテルの名前を告げた。トゥクトゥクはまた走り出すが、あれは多分民主記念塔だったと思うが、そこでトゥクトゥクを止め、40バーツはここまでだと言って下車を要求した。時刻は18時を回り西の空はオレンジ色に染まっていた。

最初からそのトゥクトゥクは宝石を買わせ店からリベートをもらうことを目的にトゥクトゥクを走らせているという事が分かった。ぽんこつマンはそのことにを確信しそこで20バーツ2枚を渡してトゥクトゥクを降り、タクシーを探してホテルまで戻った。

トゥクトゥクにまつわるもう1つの不愉快なエピソードがある。それは2003年の1月、仕事でオーストラリアに行った帰り、協力会社のプロデューサーとバンコクでトランジットすることになり、食事に行こうとした時の話だ。

ぽんこつマンたちは、オーストラリアでの仕事の疲れを癒すために、今も日本人には知られているマッサージ店有馬温泉(https://www.arimaonsenthailand.net)に行った後近くでシーフードを食べようということになった。

シーフードはオーストラリアでもダンジネスクラブやロブスター、それからオイスターなどを散々食べていたのだが、プロデューサーが辛いタイ料理よりシーフードがいいと言ったのだった。直ぐにソンブンシーフードは思いついたが、プロデューサーが新しいところを開拓したいと言い出して、「トゥクトゥクの運転手に良い店を紹介してもらおう」と言い出した。

そこでスラウォン通りに出てトゥクトゥクを見つけて「ここから近くて安くてうまい海鮮料理屋に案内してほしい」と伝えた。運賃は100バーツと言ったが、交渉するのも面倒なのでそれで直ぐにトゥクトゥクに乗り込んだ。

トゥクトゥクはスラウォン通りを西に進み、ソンブンシーフードスラウォン店を通り過ぎ、大きな交差点を左折して、かなり長く南下したように感じた。そして小さな小道に入り、ネオンがギラギラ光る店に着いた。

ぽんこつマンたちはそこで100バーツを支払い店に入った。店の入り口には、プラウン、シュリンプ、ロブスター、渡蟹、マッドクラブ、オイスターなどのシーフードが並べられ、それをプラスチックのザルに取り料理してもらうスタイルだった。それぞれのシーフードには数字は書かれた札があったが、ぽんこつマンたちはその数字が金額だとすると1kg当たりの値段だと思えるほど少し高めの数字が置かれていた。もし1Kgならオーストラリアより少し安めの設定だとプロデューサーとぽんこつマンは話したことを覚えている。

ザルに入れたのは1800と書かれたロブスター1匹、700と書かれた手長川海老2匹、後は数字は覚えていないがオイスターを2個、そしてビアシンを1本とカウパット(タイ式チャーハン)をテーブルで頼んだ。ロブスターは蒸し、手長エビは焼き、オイスターは生で料理は直ぐに出てきた。想像以上のカウパットの量で腹は直ぐに満腹になり、会計をしたら、驚く金額が書かれた請求書がきた。プロデューサーがその金額を見て「えっ?」と驚いた。その金額はざっくりと14000バーツと書かれていた。

14000バーツと言えばざっくり4万5千円くらい。店の従業員を読んで金額の内訳を聞いた。すると「ロブスターは100g1800バーツであなたたちが選んだロブスターは600g、だからロブスターだけで10800バーツ、川海老は1匹700バーツ、、、、、、、、。」もうそれ以上聞く必要はなかった。要するにボッタクリであると気がついた。オーストラリアでもロブスター1kgで100AU$までだから中型ロブスター1匹で1800バーツなら分かるが1匹10800バーツ(3万円)なんてボッタクリ以外何者でも無いのだ。

ぽんこつマンはその時、この店とさっきのトゥクトゥクの運転手が外国人を相手にボッタクリをやっていると確信した。

やむなくプロデューサーはその時持っていたタイバーツの大半を叩いて会計を済ませた。そのプロデューサーが領収書を待っていると、さっきのトゥクトゥクがまた外国人の客を連れてきて、店の従業員から何やら受け取っている姿が見えた。リベートがいくらなのかを知る由もなかったが、それ以降トゥクトゥクにはできる限り乗らないと誓った。

そう言えば、ぽんこつマンが今の連れ合いと知り合い、チェンマイでカフェとフェイスマッサージ、ボディーマッサージの店を始めた時も、ヨーロッパからのツーリストが店に電話で予約を入れて、結局こない事が何度かあったが、別の日にちになって改めてやって来て、「あの時は、トゥクトゥクの運転手に、もっといいスパマッサージがあると言われ、ここには連れて来てもらえなかった。」と言って詫びに来たこともあった。

トゥクトゥクの運転手はいろんな店と客を連れ込むことでリベートをもらう話になっていて、行き先を伝えても違うところに連れて行ってリベートを受け取ることを主目的にしていたのだろう。

あれから25年以上が経過して、今はBTSもMRTもかなり遠くまで延伸した。エアポートリンクも開通した。来年には、またいくつかの都市交通網が開業するというバンコクだが、バンコクに来た思い出としてはトゥクトゥクに乗ってみるのも悪くは無いとは思うが、旅の記念程度に考えといた方がいいとぽんこつマンはお伝えしときたい。

今は外国人の観光客がタイへ入国できなくなってもう半年だから、トゥクトゥクを利用する客はほぼいないだろう。リベートどころか運賃すらまともに稼げなくなったから、後数年でトゥクトゥクはバンコクから姿を消すかもしれないが、それは当然ともいえるだろう。

2回目のMPは、プラザエンターテーメント

元同僚がバンコクのブランチに転勤して彼を訪ねて初めて訪れたバンコクで、彼と夕食を食べた後に2回目のMP体験となったのがプラザエンターテーメントだった。それはミレニアム2000年になる数年前だった。夜22時を過ぎて、スクンビット39からタクシーで向かったが、ぽんこつマンは前日に一人でポセイドンに行っていたのだが、まだまだMPは初心者だった。

元同僚は、バンコクには既に数年駐在者として過ごしていて、何度となくMPは体験していると思っていたが、奥さんも一緒にバンコクにいるのでそれほどMPが必要ということもなかった様だ。

タクシーはスクンビットを西へ進み、スクンビットソイ3を北上し、ペップリ通りを突っ切って突き当りを右折してプラザエンターテーメントに着いた。タクシーを降りて1回の入り口に入るとコンチアがいて、いきなり「No Tamada now」(今は、普通の嬢はいない)「model only na」(モデルクラスだけ)という。

元同僚がすかさず今いる子を呼べるかと言ったらしく、少し1階のロビーで待っているとふたりエレベーターで降りてきて、笑顔で微笑んだ。ぽんこつマンは同僚に「どうする?」と聞いたら同僚は、「ぽんこつマンが行くなら付き合います」という。そうこうしているうちにひとりの嬢がぽんこつマンの腕に絡んで来てエレベーターの方に歩いて行く。もうひとりの嬢も同僚をキャッチしてエレベーターまで歩いてきた。

半ば、拉致状態だったがそのままエレベータで上階へ上がっていく。その時は夕食でかなりのアルコールを口にしていたので、その時の経緯はあまり覚えていない。会計をどうしたかも記憶にないが今でもはっきり覚えているのは、個室に入った時に上から改めて自己紹介を受けてPENTHOUSEの表紙に彼女が写っている写真を見せられた。

確かに彼女は、日本人では考えられないストレートで美しい脚と、キリッとしまった尻、そして細いウエストの上にボリュームのあるバストを持っていて、顔の大きさも小さく可愛かったが、PENTHOUSEがいくら男のエロ雑誌だとしてもタイのMPの女の子をカバーガールにするはずはないと思った。

既に前日ポセイドンでMP体験を済ましていたので、個室での嬢のサービスを比較することが出来た。バスタブに湯を張り、おっぱいや股間を使って腕や体を洗ってくれるサービスはまずまずだったが、下半身へのサービスは適当でベッドに行くまでぽんこつマンの肉棒は、近々に硬くなることはなかった。もちろんアルコールが大量に入っているということもあるだろうが、ぽんこつマンは気持ちがこもっていないサービスには反応が悪いというところがある。

体を流した後、バスタオルを巻いてベッドで彼女が来るのを待った。彼女もすばやく韻部をボディシャンプーで洗って、バスタオルを巻いてベッドに来る。そして仰向けに寝ているぽんこつマンの肉棒を探して、手で扱き始める。少し硬直してきた肉棒に直ぐにコンドームを装着させて、フェラチオを始めるが、20回〜30回咥えて上下した頃に直ぐに止めて騎乗位でぽんこつマンのポコチンを膣に挿入しにきた。ポコチンは既にフニャチンではないがカチンカチンでもなかった。それでもするりと膣に入った。

彼女の膣は既に緩い状態だったのだ。彼女は激しくグラインドしながら腰を上下するが膣内の肉襞が一向にぽんこつマンのポコチンをしめつけに来ない。彼女はその動きを3分ぐらい続けたが、やがて「ヌアイ」(疲れた)とこぼして「チェンジ」と言って仰向けになり脚をM字に開いてぽんこつマンの正常位での挿入を要求した。

ぽんこつマンは、その細い脚を持ち上げ屈曲位で一気に肉棒を肛門の上にパックリと開いた穴に突き刺した。できるだけクリトリスの下にあるはずのGスポットと子宮口(ポルチオ)亀頭が当たる様に彼女の腰を高いところでキープして下から上に腰を前後した。

そして両手を彼女の豊満な乳房にあてがった時、かなりしっかりとしたムチムチ感があった。シリコンだ。シリコン乳だ。その時、その細い足も、細いウェストもそしてタイ人にしては高い鼻も、細い顎も、左右整った目蓋も、もしかしたらぷっくりしたセクシーな唇も、チークも全てが整形で手に入れたものかもしれないと思った。

彼女の心臓は確かに動いていて本物だが、表面に見える彼女の全てが整形によって作り上げられたものだとしたら、ぽんこつマンは生身の人間ではなく、モデリングされた人形の膣に肉棒を突き立てているということなのだ。

そんな思いが頭に浮かんで、ただひたすら激しく突くことで自分の快感を得ようと腰を動かした。男と女の営みではなく、それは単なるマスタベーションの延長だった。彼女の肛門の上に開いている穴が壊れるという気遣いもなく、ただひたすら激しく突きまくってぽんこつマンはコンドームの中に大量のスペルマを放出した。

アルコールを大量に摂取した身体から大量の汗がにじみ、心臓の鼓動は今にも胸の筋肉を突き破るかの如く激しく打っていてぽんこつマンは直ぐにはベッドから起き上がれなかった。

彼女は、ぽんこつマンが果てたのを知って直ぐに立ち上がり、部屋に入る時に頼んでいたミネラルウォーターを2つのグラスに注ぎ、1つをぽんこつマンに差し出しもう1つのグラスを一気に飲み干した。

そしてベッドに腰を掛け、気怠るそうにぽんこつマンのふくらはぎと太腿を揉んで見せた。ぽんこつマンは心臓の鼓動が収まるまでベッドに仰向けで寝ていたが、5分ほど休んで起き上がり、「OK」と一言いい立ち上がった。

彼女も直ぐにぽんこつマンを追ってシャワーに来てぽんこつマンの体の汗を流し、肉棒も綺麗に洗った。そしてぽんこつマンはバスタオルで体を拭き、服を着て彼女が服を着るのを待った。

彼女は確かに抜群のスタイルの女だった。顔も美形だった。しかしぽんこつマンはその美しさがどこかの医者の手で作りあげられたと思うと、「よかった」とは言えなかった。そもそもぽんこつマンは美形より、可愛い顔が好きだったし、シリコン製のDカップより、生身の美乳Bカップが好きだった。身体つきも少し脂肪がうっすら着いた柔らかい身体が好きだった。

モデルクラスよりタマダーの中からホスピタリティーに溢れるテクニシャンで性格の良い上玉を探す方が断然面白いと思った夜だった。

2000年代に入り、摘発や系列店閉鎖に伴う合併がありたくさんのMPがバンコクから消えていった。コロナショックがあって、3月から長い間の営業禁止の後、ミレニアム前にあった幾多のMPで営業再開できた店はいくつあるのかはわからない。多くのMPが営業再開していることを期待したいところだ。

ポセイドンというマッサージパーラーでタイ発MP体験

ポセイドンというマッサージパーラーは、ぽんこつマンがバンコクで一番最初に行った店だ。ぽんこつマンがまだタイに興味を持つ前に、仕事を一緒にしていた協力会社のプロデューサーからバンコクのマッサージパーラーの話を聞かされていたので、いつかタイを訪れたら行ってみようという気になっていた。

今から既に30年ほど前に、同じ得意先を担当していた仲間がバンコクのブランチに転勤になり、一度遊びに来いというのでそれから3年後に初めてひとりでタイへ3泊4日で遊びに行った。当時はまだタイ料理にもタイマッサージにもそれほど興味はなく、単に昔一緒に働いた仲間に会いゴルフを楽しむだけのつもりだった。

宿泊先にはあまりお金をかけるつもりもなく、ただ漠然とナナプラザという場所の名前を聞いたことがあったので、その近くの安宿を予約したのだった。今から思えば、そのホテルは実にチープでもう2度と泊まりはしないだろうが、当時はその安宿も全く気にはならなかった。

そのホテルは、グランド イン ホテル(Grand Inn Hotel)(https://www.booking.com/hotel/th/grand-inn.ja.html?aid=376383;label=bdot-PKyv50ViAOuyMg2a8bBnRAS438078855260%3Apl%3Ata%3Ap1%3Ap22%2C563%2C000%3Aac%3Aap%3Aneg%3Afi%3Atikwd-334108349%3Alp1009363%3Ali%3Adec%3Adm%3Appccp%3DUmFuZG9tSVYkc2RlIyh9YUqNR_uFB9os3Jm_CnwM6-E;sid=1e3dcfe05dc3f664975ae2e32be99a44;atlas_src=sr_iw_btn;dest_id=-3414440;dest_type=city;dist=0;group_adults=1;group_children=0;no_rooms=1;room1=A;sb_price_type=total;type=total;ucfs=1&)というところでスクンビットソイ3にあり、アラブ人が多くいるエリアだった。

部屋に入るとエアコンはあるものの、カラカラと大きな音がして、あまりよく冷えなかった事を覚えている。今はリノベーションしてエントランスも部屋も大きくなり内装も少しはきれいになっている様だが、当時は本当に場末のキチン宿的だった。

かつての同僚に会いに行くのは翌日の金曜日の夕方だったので、その日ホテルにチェックインしてからは、ホテル界隈のアラブ街からスクンビット通りをアソーク方面に散策した。まだ昼だったが既に土産物屋の屋台やフルーツを売る屋台、それから麺料理を売る屋台が歩道に出て商売をしていて、アジアの混沌をどっぷり感じる事ができた。スクンビットソイ5に近い歩道には、厚化粧で褐色の肌を大胆に露出させた痩せた女が何人も立っていて、たまに通る白人の男たちににじり寄り声をかけていた。

ぽんこつマンにはそれが立ちんぼであることが直ぐにわかった。BTSナナ駅を過ぎ、当時から有名になっていたテーメーカフェの前まで行き、ホテルへ引き返した。時刻はまだ4時で飲みに出るにはまだ早かった。そこで、日本であらかじめネットで調べていたマッサージパーラーへ行ってみようと思った。

当時のインターネット環境は、現在と比べるとスピードの点でかなり劣っていたが、それでもいくつかのマッサージパーラーの画像サイトが見ることが出来た。その中で最も画像が多く女の子の写真もアップしていたのがポセイドンだった。(https://www.poseidon2000.com/deliciousmenu.asp)他にも女の子の写真をアップしているMPもあったが、ぽんこつマンはポセイドンが気に入った。

ぽんこつマンがMPに行く理由の1つがシャンプーをお願いできて、本番プレイの後のマッサージもしてくれるサービスが好きだからだ。今はショウケース(金魚鉢2F)の女の子は2200・2800バーツらしいが、当時は1600バーツからだった気がする。

写真の赤い雛壇に女の子がずらり並ぶ光景は圧巻だった。ぽんこつマンが初めて行った時の時間帯は17:00くらいで次々に左側の入り口から女の子が入ってくるいい時間帯だった様に思える。客は手前の椅子に座って女の子を品定めする。ビールやコーヒーなどを有料だが頼んで気に入った女の子が現れるまでいくら待っていてもいいのだ。

客が入ってきては、大体5分くらいで女の子を決めて、その店のコンチア(おじさんもおばちゃんもお兄ちゃんもいる)にその子が付けている番号を伝えると、そのショウケースから女の子が出てきて、キャッシャーでお金を払って部屋に行くシステムだ。

3階には、モデリングロビーがあって、ショーケースより若目でスタイルのいい女の子が長いソファーに座っていて、その子たちの中から選んで遊ぶことができる。

ショーケースの女の子とは基本2時間、モデリングロビーの女の子とは1.5時間一緒に過ごせることになる。ぽんこつマンは、スタイルや若さよりも性格が良くていいサービスを期待するのでいくらスタイルが良くて若くても、サービスが良くなく、本番もマグロ状態だと嫌なのだ。だからいつもショーケースの女の子の中から選ぶことにしている。

初めてのバンコクでのエロ活動の歴史は、ポセイドンから始まったのである。その後数年間はオーストラリアに行く時もバンコクで乗り継ぎにしてバンコクで一泊したりタイのローカルへ行く時も必ずバンコクで1泊し、夕方からポセイドンで汗を流してもらいついでにシャンプーもしてもらい、その後ナナプラザかソイカウボーイで飲んで、女の子をペイバーしてタイ料理を一緒に食べてホテルで大人のプレイを愉しむ半日フルエロコースを満喫するようになっていった。

初めてポセイドンでマッサージパーラーを体験したその晩もナナプラザのバービアに行ったんだったかなぁ。そこまでの細かい記憶はもうなくなっている。

翌日はバンコクで働く元同僚に夕方会いに行き、晩飯をスクンビットにあるコカでタイスキを食べた。そしてその後同僚とプラザエンターテーメントに行って2回目のMP経験をしたが、その話は次の機会に書くことにする。

バンコクで、Tinderで知り合ったイサーン娘とラマ3のタワンデーン ジャーマンブリュワリー に行く

2018年7月からバンコク・エカマイにあったとある会社でビジネスコンサルタントとして働いたことがある。その時がバンコクで初めて長期で住んだ最初だったが、ぽんこつマンは働いた会社には全く相性が合わず3ヶ月で退社した。

仕事した話は今はもう話したくないが、初めてバンコクで部屋を借りて住んだのがBTS エカマイ駅とプラカノーン駅の中間にあったコンドだった。契約は半年で家賃は20,000バーツ、ちょっと高かったが23階と高層階だったので気に入った。

仕事は採用時の約束で、その会社の将来を考えて現状を改革できるビジネスモデルビジョンを提案してほしいと言うことだったが、実際にその会社に行った時からビジョン提案はいらないとなり、現在の斜陽業務内容の再活性化支援を求められた。

ぽんこつマンはその会社が将来的に現在の斜陽業務を脱却するための新ビジネスモデルビジョン提案ならと受けた仕事だったので、明らかに求められたことが違っていた。中長期で2〜3年後に事業展開できるビジョンではなく、直ぐに現金収入を得ることができる業務提案だったが、あまりにも急いでいることを知りその会社には早々に見切りをつけたのだった。

しかし、その前からTinderでバンコクでデートできる女の子を探していたぽんこつマンは、既に何人かの女の子とLINEのIDを交換していた。そのうちのひとりがイサーン出身の当時24歳、少しぽっちゃりしているが色白で声が少しハスキーな可愛い顔をした女の子だった。

入社1ヶ月で退職を決意して2ヶ月を過ぎた時に退職を申し出た後、残り1ヶ月は在籍をすることになり、仕事をほぼしないままで会社に通っていた時にTinderで知り合った女の子とLINEで話すことが多くなっていた。

ある日、その24歳の可愛いイサーン娘に夜ご飯を一緒に食べようと持ちかけたら、返事が来て、お姉さんと一緒でいいならと言うことになった。一緒に行く店は彼女に任せることにして、仕事の就業時間から1時間後の18:00にぽんこつマンの住むコンドのそばにあるコンビニ前で待ち合わせることにした。

タイは5月から10月までは雨季で、その日も昼過ぎから雨が降っていた。タイの典型的な雨はザーと一気に降って直ぐに上がるのだが、その日はパラパラと降っては少し止み、またパラパラと降る少し珍しい天気だった。

ぽんこつマンは終業時間になると同時に一目散に部屋に帰って、シャワーを浴び、18:00に5分前にコンドの部屋を出てコンビニの前に向かい、バイクでやってくると言う彼女と彼女のお姉の到着を待った。

コンドの部屋を出た時は霧雨の様な雨だったが、コンビニに着いて一分ほどで雨は激しく降り始めた。ぽんこつマンは傘を持って出ていなかったので、直ぐにコンビニの中に入り、LINEでコンビニの中にいると彼女にメッセージした。

しばらくして彼女から「今着いた」とメッセージが入ったので表に出てみたら、彼女と彼女より小さい女性がいて、バイクを降りてヘルメットを外しているところだった。簡単に挨拶をして、「タクシーであなたたちが行きたいところに行くから、拾ったタクシーのドライバーに行き先を伝えて」と伝えた。

タクシーを拾い、彼女たちを先に乗せてぽんこつマンは前の座席に座った。タクシーはいったんプラカノンの方向に向かい、ラマ4を西へ進む。クロントーイ市場の交差点を左折してタクシーはラマ3通りを南下した。

向かった先は、タワンデーン ジャーマンブリュワリー ラーマ3(http://tawandang.com)だった。料理はイサーン料理はもちろんドイツ料理も日本料理もある様だった。その日は、なんでもステージにタイのスターが来ているとかで入場料をエントランスで支払って入ることになる。

彼女の姉はなんでもメンバーになっているとの事で入場料は少し割引だったらしいが、ぽんこつマンはその時よりはるか10年以上前にソイカウボーイのゴーゴーバーでペイバーした女の子と一回来ただけだったので、メンバーであるはずもなかった。

それでも店内は大混雑していて、ステージ前のテーブルは既に埋まっていた。ぽんこつマンと彼女たちが座った席は、ステージからかなり離れた、銅製のビールブルワリー装置があるところに近い席だった。

彼女も彼女の姉(?*タイでは実の姉でなくてもピーサーォと呼ぶ)もビールが好きと言うので3Lのタワーを頼んだ。料理はフレンチフライとサーモンの刺身以外は全てイサーン料理の様だった。

タイのスターのステージは少し遅い時間の様だったが前座のバンドが19:00くらいから演奏を始めて、店内は大盛り上がりになっていた。ぽんこつマンはしこたま飲んだ。あまりにも騒々しくてまともに話ができなかったのだ。

ぽんこつマンは、彼女のことが気に入っていたが、彼女が姉?という女性を同伴してきたので、彼女との関係を深める事は難しいと思った。3Lのタワーを3回注文したてぽんこつマンはかなり酔っ払った。深夜0時になってもほぼ満席が続いていた。

0時30分、ぽんこつマンは帰ることにした。精算して3人で店を出て、店の裏に回っって流しのタクシーを探し、コンド近くのコンビニまで戻った。長く続いたその日の雨はようやく上がっていた。彼女と彼女の姉?はそのコンビニ前に停めて置いたバイクに跨がり、プラカノンにあるという彼女のアパートへ戻って行った。

数日後、彼女にもう一度会いたくなってLINEしたが、予定があると素っ気なかった。それからまた数日経ってLINE電話してみたら、彼女は電話には出たが「今まだ仕事中」と言って「折り返す」と電話を切った。夜になって彼女からLINE電話が掛かってきて、「私は、やっぱいあなたとは合わないほうがいいと思う」という。「友達だけではいられなくなるのが怖い」というのだった。

ぽんこつマンはそのLINE電話を受けてから彼女へのLINEメッセージも電話もしない様にした。彼女は今のコロナ騒動下、どこでどう暮らしているのかも全くわからないが、もしぽんこつマンが昔彼女と肉体関係を結んでしまっていたら、忘れることが難しい相手になっていたに違いないと今は思うほど実は惚れ込んでいたのだ。今は彼女がどこかで幸せに暮らせていることを望んでいる。

珍しく1日長く続いた雨に流した恋心、惚れっぽいぽんこつマンには勿体ない女だったという気がする。

タイのデパートレディをゴルフ帰りにナンパしてみたら、強烈なストーキングに遭った。

確か、それは2012年か2013年のことだったと思う。大阪からタイ航空の深夜便でバンコクに入り、早朝にパインハースト ゴルフ & カントリー クラブ(https://www.pinehurst.co.th)に行ってホテルのチェックインの時間を待ってのプレイをした時、突然日本から履いてきたスパイクレスのゴルフシューズの底が剥がれて歩くのが難しくなり、ゴルフを終えてホテルへ向かう途中にタクシーでフーチャーパークランシットにあるロビンソンに急遽靴を買いに行った。

靴を買ってそのデパートにある化粧品売り場に行った時、タイコスメNo.1ブランド bscの売り場に、かなりセックスアピールを感じる女がいてナンパしてみたくなり、ある女の子へのプレゼントを探していると言うことで商品の説明をしてもらった。

そして1本のリップを買って、そのセックスアピール満載の女に「実はあなたが気に入ったので貴方のためにこのリップを贈りたい」と言ってナンパした。このナンパ手法は、ぽんこつマンが学生時代を過ごした松本で、スナックのマスターをしていたナンパ師から教わった古典的なナンパ手法だったが、見事にその手法に彼女はかかってくれた。

その日は、まだチェックインしていないホテルの名前を彼女に教え、LINEのIDを交換して連絡を取り合うことを約束した。彼女は少し肌は褐色がかっていて、身長は160cm以上ある感じで、ぴちぴちのタイトスカートに包まれるヒップと弾けそうなブラウスの下にある大きめのバストがいかにもぽんこつマンには刺激的だった。彼女は、bscの本社から派遣されている美容部員のチーフらしく、年齢的には30を超えていそうだったが、厚化粧のせいか肌の具合まではよくわからなかった。

ホテルにチェックインしたのは午後2時くらいだったが、夕方に彼女からLINEにメッセージが入った。それは仕事終わりに「女友達と食事をしている」「ワインを飲んでいる」と言うもので写真も送ってきていた。

ぽんこつマンはその返信で、「そのご飯が終わったら、ホテルに来れる?」とメッセージを送ったら「夜10時過ぎでもよければ行ってもいい」と返信があった。

ぽんこつマンの宿泊していたホテルは、Sukhumvit Suites Hotel (http://www.sukhumvitsuitesbangkok.com)MRTにも BTSにも駅近でソイカウボーイにも近い3つ星ホテルだ。ジョイナーフィーもなく1階のエレベーターで部屋のある階に直接行けるので女の子をホテルの部屋に連れ込むのに便利だった。

その日の晩ご飯はホテルの1階にあるindulge (https://www.indulgebangkok.com)と言うフュージョン料理とカクテルバーの店でひとり食事をした。意外に白人の客が多い店だ。ぽんこつマンは彼女に「もし来れるならホテルの前で待つから、来る時間になったらまた連絡して」とメッセージを送っていた。

夜9時55分にLINE電話が彼女から掛かってきた。「今友達と食事していたラップラオのを出たからこれから行く」と言う内容だった。ぽんこつマンはまだ1階のindulgeでジントニックをチビチビやっていた。タクシーに乗ってくるというので30分くらいで着くだろうと思い、10時20分に一旦精算して表で彼女が来るのを待った。まだラチャダーピセーク通り(スクンビットソイ21)はいつも通りアソーク交差点手前から混雑していた。

ぽんこつマンはホテル前のスクンビット通りに出て彼女の到着を待ったが、10時45分になっても止まるタクシーから彼女が降りてこない。LINEにメッセージを送ったらタクシーがホテルがわからないと言ってスクンビット通りをプロンポンの方まで行って、今Uターンしてアソークに戻っているとのメッセージが届いた。

確かにタクシーからの視線ではホテルはわかりにくいが、アソークの交差点をラチャダーピセークから左折して直ぐと言っているのでわかると思っていた。しかしホテルが見当たらないとタクシーがわざとその先まで行ってメーターを稼いだんだろうとぽんこつマンは思った。バンコクではよくあるタクシーのメーターを上げる手口だ。だからGrabが登場してからはぽんこつマンはできるだけGrabを使うことが多いのだが、Grabはメータータクシーより高めの値段設定なので、タイローカルの中には今でもGrabをあまり使わない人間もいるのだ。

しかし2012年とか2013年はまだGrabがタイにはなかったかもしれない。とにかく彼女はタクシーの運転手にうまく遠回りされ、ほんの少し高い料金を払わされたことに違いなかった。彼女がタクシーを降りてきたのは、22時55分。ふたりでもう一度indulgeに入って一緒にカクテルを飲んだ。

彼女はウォッカベースの赤いカクテルを飲んだ。ぽんこつマンはもう一度ジントニック。ふたりとも食事は済ませているので、つまみはカラマリにした。その店の営業時間は深夜0時までだったので、11時40分には店を出てぽんこつマンの部屋に行った。

部屋はそれほど広いわけではないが、ベッドはキングサイズ。ベッドに腰を下ろして少し話をした。彼女の年齢をその時初めて聞いた。ぽんこつマンは30過ぎと思っていたが実は38歳で日本でいうアラフォーだった。相変わらず厚化粧だったが顔を近づけて肌をよくみてみたら、肌のキメはかなり荒れていたのを覚えている。

ぽんこつマンは彼女がベッドに横になったので、ぽんこつマンも横になり彼女のバストに服の上から手を充てた。そして少し揉んでみたが抵抗はなかった。しかしそれ以上の行為には彼女は抵抗を示した。

彼女は、38歳になるまで未婚のまま、子供もいないと言っていたが、処女であろうはずは無いほどエロい身体をしているのは確かだった。しかし彼女はぽんこつマンに、「彼女はいるか?」「奥さんはいるか?」「子供はいるか?」「何人いるか?」「男か女か?」「何歳か?」など家族関係の話ばかりの質問を繰り返す。ぽんこつマンはその質問に応えるのが面倒になってきて、「シャワーを浴びる」と言ったら彼女は「もう帰る」と言った。まぁそれもいいと思いその日は彼女を素直に返した。

しかしその後、彼女が自分の部屋に帰った後からやたらLINEにメッセージが入ってくる様になる。メッセージだけでなくLINE電話もよくかかってくる。完全なストーカー気質があると感じた。その時「もし昨日の晩、◯ックスまでいたっていたら」と考えるとゾッとする感じがした。数日はまだLINEのアカウントは残していたが、本人の写真を送ってくるし、メッセージは時間当たり10個ほど入ってくる。返信するのもうんざりする程だった。

そして毎日のようにホテルに来ると言う様になった。ぽんこつマンはバンコクにいる理由がゴーゴーバーやバービアの女の子と愉しみたいのだ。既に連れ合いもいて、ミアノイ(妾)を囲う意志も余裕もないのだ。早く関係を切っておかないと大変なことになると思った。

それ以降、LINEを見ることもやめたが、その激しいメッセージ攻撃はその後も続いた。肉体関係は何も無いのに、あまりにも思い込みが激しいタイプということがわかったので、5日目にはLINEはブロックした。そしてその翌日にはアカウントを削除した。

彼女がどうしてこれまで彼氏に恵まれなかったのかがわかる気がする。タイには、ごくわずかだろうが理想を求め過ぎて全てをチェックして確認できないと前へ踏み出せない女も居るということがわかった。

もちろん、男と女の関係は人の数だけ色々あるのだろうが、きっと若い時に失敗した痛い経験があり、あまりにも慎重になり過ぎて今に至っているのだろうと思うと、かなりかわいそうな女なんだと思う。イタイ。本当にイタイ体験だった。

これからは、遊びの女はできだけ若い女を探そうと思うきっかけになった出来事だった。

サンフランシスコでの深夜のエスコートクラブ利用で大変な女(?)とやっちまった話

ぽんこつマンが、現役バリバリで仕事していた頃の話の中で一度とんでもない失敗をしたことがある。それは、映像制作の仕事でよく西海岸のCGI制作会社を使っていた頃の1980年台後半から1990年初頭にかけてのバブル時代であったが、日本でのCGI技術はまだまだレベルが高くなく、映像の加工編集においても下手くそで未熟なオペレーターと一緒に、毎日徹夜するといった過酷な作業が常識だった。

一方、当時のアメリカ西海岸におけるPost Production 会社のレベルは世界最高峰であり、既にハリウッドの映画制作の一翼を担っていた。その多くはロサンジェルスにあったが、シリコンバレーが近いサンフランシスコにもかなりのPost Prodaction 会社があり、それぞれの会社でしか出来ない映像表現をセールスしていた。

あまり定かな記憶はないが、1996年開催のアトランタオリンピックの前年にその年、一気に評判になったPacific date images という制作会社と仕事することになり、3度ほどサンフランシスコに行ったことがある。(その後プライベートでもラスベガスへの旅行の途中で立ち寄ったことがある)1回目は、構想イメージ制作の打ち合わせと制作コストのミーティング。2回目は、制作映像の進捗確認。3回目は制作映像の最終チェックと納品だったが、1995年にPacific date imagesは、社業拡大でサニーベールからパロアルトという市に会社を移転したばかりで、ぽんこつマンの構想した映像イメージ制作を手がけてくれるタイミングとしてはベストだった。

ぽんこつマンがサンフランシスコで泊まったホテルは、Hotel Tritonhttps://www.hoteltriton.com)だったと思う。

今はぽんこつマンが泊まった時からリノベーションを経て内装が新しくなっている様だが、昔はかなり原色を多く使った現代アート的要素が強かった。

仕事はサンフランシスコのホテルを朝9時に出て、パロアルトにあるPacific Data Imageのスタジオに午前10時に入って映像制作に関するこちら側の出来上がりイメージを共有し制作条件や、スケジュール、そしてバジェットを提示の上、向こう側からスケジュールと制作見積もりをもらって、最終的にお互いが歩み寄れる制作条件を決定するまで何度も交渉するというものだったので、毎日お昼過ぎには自由な時間ができる。

日本から一緒に行った日本の映像制作会社のプロデューサーも美味いものを食べるのが好きでワイン好きであったので、朝飯以外はいつも一緒に飯を食べた。西海岸ということで、現地で評判になっていたイタリアン料理や中華料理、それから蟹や海老などのシーフードを食べ、ナパバレーやソノマのカルフォルニアワインを飲むことになる。

一番美味いと思ったのは小さなイタリアン料理屋で食べたほうれん草とベーコンのクリームソースファルファーレだった。その雑味のない味付けは、まだ2つ星だったモンテカルロのルイケーンズ(現在は3つ星)で食べたリゾットに似たものがあった。

サンフランシスコの近郊にはリンクスコースのゴルフコースがある。ぽんこつマンはプロデューサーとともに、打ち合わせが午後になる日に、ハーフ・ムーン・ベイ・ゴルフ・リンクス(https://www.halfmoonbaygolf.com)によく出掛けた。

当時、日本がバブル経済で踊っていた頃はペブルビーチ・ゴルフ・リンクスが超有名になっていたが、サンフランシスコからは遠かった。このハーフムーンベイ・ゴルフ・リンクスはアルパルトの仕事先からも近く、打ち合わせが早く終わった時に夕方からさくっとラウンドしても日没前には1ラウンドできる。当時は全く混雑していなくて行けば必ず直ぐにラウンドできた。

そんな優雅なサンフランシスコの1週間程度の滞在だったが、ディナーをゆっくり取って、その後バーに行き、部屋に戻っても、溜まりに溜まった性浴を解放する方法は、なかなか見つからなかった。カルフォルニアでは日本のスナックやバーの様な女性が酒の相手をする形態の店は違法だったのでアンダーグランドでグリーンカードを取り上げられてしまう様な違法行為をする外国人移住者は見つけられなかった。

アメリカ国籍を持つ売春婦に関する情報は、ホテルから西のブッシュストリート、US101、ポストストリートに囲まれるエリアでホットパンツの女がよく出没するとのことだったが、全てが娼婦ではなく、中には警察のおとり捜査官もいるので、お勧めしないとコーディネーターに言われていたから、溜まった性欲処理は、電話帳にあるエスコートクラブに電話すること絵解決しようとした。

気分よく食事とお酒をたっぷり楽しんだある日、ぽんこつマンはホテルの部屋に23時に戻った。その日どうしてもヤンキー娘のお◯ンコを味わいたくて、部屋にあったイエローページをめくってエスコートクラブを何軒か見つけて、小さなスペースの広告を上げているところに飛び込みで電話した。おとり捜査官の話を聞いていたこともあり、かなりドキドキして電話したのを覚えている。

すぐに電話に出てきたのは、歳をとっていそうな女だった。「今晩、女が欲しい」「白人、デブじゃない、年齢は30以下」と伝えたところ、「今は全員出払っていて、午前1時なら一人用意できる」と返事があった。ぽんこつマンは、ここを断ってまた別のエスコートクラブに電話してもうまく行くとも思えなかったので、「待つ」と返事をした。

シャワーを浴びて、女が来るのをビールを飲みながら待った。当時はスマホなんてものはなく、アメリカのテレビを見て時間を潰すくらいしかなかったので、電話を切ってシャワーを浴びて出てきた深夜0時からの1時間の待ち時間は相当長く感じた。深夜1時になり、時計の長針が60度ほど進んだ頃に部屋に電話がかかってきた。「今、女をホテルに連れてきた。これから部屋に向かわせるが着いたらすぐに金を払う様に」とのことだった。深夜1時15分に部屋のチャイムが鳴った。ドアの覗き窓から女性の姿が見えたが後ろ向きで顔がイマイチわからない。スタイルはかなり細いが、胸の膨らみもわからない。

もう待ちきれなくなっていたポンコツマンはすかさず鍵を開けて、その女性(?)を部屋に招き入れた。部屋の電気は既に薄暗くしていたので最初は長い髪と短いスカート姿に女だと思っていたが、よく見ると顎に薄く髭らしき産毛が見える。声を聞くとなんとなく女だし、仕草も女だが、疑わしく思い、彼女に直接、性別を確認した。彼女(?)は女だという。お◯ンポはついていないというがおっぱいの膨らみも全く見えない。骸骨の様に痩せ顔もゴツゴツしていて全く可愛さはない。

彼女(?)は「店との約束でお金を事前に受け取った報告をしないといけないので」と、約束の1時間280ドルとタクシー代分のチップ20ドル合わせて300ドルを要求してきた。止むを得ずぽんこつマンはあらかじめ用意していた300取るを彼女(?)に渡した。

その金を受け取ると、アメリカでサービスが始まっていた携帯電話でボスに電話を入れて、服を脱ぎバスルームに行きシャワーを浴びてバスタオルを巻いてベッドに1分そこそこで戻ってきた。そして既にバスローブになっているぽんこつマンをベッドに呼んだ。確かに彼女(?)にとってはそれは明らかな業務だろうが、それにしても慌ただしい。隣り合わせでベッドの寝たものの、ぽんこつマンは彼女(?)のあまりにも骸骨のような身体に「もしかして性転換してエイズに罹患している末期患者?」という疑念が消えず、何もする気にならなかった。

彼女(?)はそんなぽんこつマンの逸物に手を伸ばし、しごき始める。少しは反応して膨張するが魅力的な女性に思えたときのようにカチンカチンになる事はなかったが、彼女(?)はそんなぽんこつマンの逸物になんとかコンドームを被せて、仕事を始めようとする。

彼女(?)はぽんこつマンの上に跨り挿入しようとする。まだ完全にボッキしていないぽんこつマンの逸物は彼女の肛門の手前にあるもう1つの穴になんとか入ったが、それは大量のゼリーがその穴に塗られていたからだった。

彼女(?)はぽんこつマンの手を彼女の淫部に導くが、特に昔あったが切断したと思える感触はなかった。実際に女なのかは明らかではないが、彼女(?)はホルモン異常で今のような姿になっていると説明した。それはぽんこつマンにはどうでもいいことだった。

ぽんこつマンは10分ほど続いたサービスにも全く気持ち良くならない。ぽんこつマンは彼女(?)にもうサービスしなくて良いを告げた。彼女もぽんこつマンが全くその気になっていたことに気づいていたので、すぐに行為をやめてバスルームに脱いだ服を着てすぐに部屋を出て行った。どうやら彼女(?)を送ってきたドライバーが近くにいるかのように携帯で連絡をとってドアの外に急いで出た。

その時の経験は、本当にとんでもなく最悪の体験になった。わずか10分の滞在で300ドルはかなり割りのいい仕事だ。でもセクシャル強盗ではなかったのは不幸中の幸いだった。彼女が部屋を出て10分ほどして、それを想像したときますます悪寒が走った。部屋の冷蔵庫に入れていた赤ワインを一人一気に飲んでその晩はなんとか寝ることができた。

それ以降、海外でエスコートクラブを使うときは事前に気に入らない女が来たときはチェンジが可能かを必ず確かめるようにしている。最近はスマホのアプリで女の顔を事前に見れるが、その女が必ず来るわけではない。ドアの覗き窓で見てチェーンロックをかけたままで顔とスタイルを確認して、自分の好みどうりかを品定めして、納得出来てからチェーンロックを外して中に入れる様にすべきだろう。部屋では、シャワーは一緒に浴びるか、女が来る前に先に浴びておくかして、女の部屋を粗探しさせる時間を与えない様に注意することも忘れない様にしておきたいものだ。

Wish というアメリカの通販サイトでかなり商品を購入しているが、ほぼ中国製粗悪品が扱われているという事実

ぽんこつマンは、4月1日に日本に一時帰国したがそれ以降タイへの渡航ができなくなって今月で半年になる。通常のネットショッピングは、AMAZON JAPAN か楽天市場なのだが、6月くらいにインスタグラムか何かのSNS の広告で見てタイにいるせフレへのプレゼントと思いセクシーショーツを購入してから、それ以外の様々な商品を購入している。

商品は有名ブランドのコピー品を始め、あらゆるバッタものが安く手に入る。

ぽんこつマンはこれまでメガネ型スパイカメラやmicroSD カード、スマホやアクションカメラやpocketジンバルカメラなどの接続パーツを始め色々注文している。Wishという通販サイトの運営本部はアメリカサンフランシスコにあるようだが、商品は全て中国製。ほとんど香港を経由して送られてくるのだが、商品到着までかなりの時間がかかる。そしてどうしようもない粗悪品もある。

中国製でもAMAZONで買うものは、日本に販売拠点を持っていて問題になる粗悪品はあまりなく中国メーカー(apeman)のアクションカメラ(https://www.amazon.co.jp/gp/product/B07DN53MX5/ref=ppx_yo_dt_b_asin_title_o04_s00?ie=UTF8&psc=1)や(Fairwell)の電動歯ブラシ(https://www.amazon.co.jp/gp/product/B08747DMH2/ref=ppx_yo_dt_b_asin_image_o05_s00?ie=UTF8&psc=1)などは1年の商品保証もあり、実際に使っていても問題はなく、安価で購入できたことは非常に良かったと思う。

Wishでは商品代無料で送料のみ(商品代に近い額)だけで手に入る商品なども見つかるので、アジアの女の子にお土産にするアクセサリーやエロパンティーなどを200円近辺だけで手に入れることができる。

最近は、試しで256GBのmicroSD カード2枚組セットを商品代947円送料699円プロモーション値引-95円で1551円で購入したが、そのうちの一枚のアダプターが不良品でmicroSDをフオーマット出来ず、違うアダプターでフォーマットするなど検品不合格の品物を混ぜていると思えるようなトラブルもあった。

また最近買うものの中には、AMAZONで買ったアクションカメラやジンバルポケットカメラをバイクやバッグのベルトに留めるアクセサリーを買っているが、このようなプラスチックアクセサリーの精度があまりにも雑で使い物にならないものがほとんどだ。

これまで注文したもので最も高価なものは「I12 Proスマートフォン12 + 512GB 10Core超薄型ロック解除スマートフォンフェイスロック携帯電話サポートデュアルSIMカード携帯電話」で8445円だが、これは9月11日に発送予定とあったが9月11日を過ぎてもステータスが発送にならず、翌12日に発送予定が9月16日になった。そしてその16日も昨日で今はその日にちも過ぎている。

いつ到着するのかもわからないが、まるで次期iPhone12の外装にそっくりでスペックはそれ以上という品物だ。OSはAndroid10のようだが画面の大きさからバイクのナビ用ディスプレイとして使えればと思い注文したのだが、果たして商品が届くのか。届いたとしてどれだけ使えるのか。これは全くのstupid bettingなのだろう。万が一商品が完璧ならそれはとてもラッキーということになるのだろうが、スマホは日本では技適マークがないと使用は違法行為となるということをすっかり忘れて注文していた。

まだまだタイに普通に渡航できる日が来ないので、ネットショッピングも暇な時間潰しとしてはやめられないのだが、Wishでは、エロい下着かバッタものアクセサリーかブランド品の偽物くらいが良いところだと思うようになっている。そろそろネットショッピング破産しないように気を付けないといけないかな。

アメリカのステーキハウス、ルース・クリス・ステーキ・ハウスでもう一度ステーキを食べたくなった

ぽんこつマンは、焼肉より実はステーキが好きである。今から40年くらい前の学生時代に初めて500gのステーキを東京のスエヒロで食べた時から、熱々の鉄板の上に乗せて運ばれてくるステーキをガツンと食べることが好きになった。

神戸の大学院時代は、経済的に余裕がなかったので、たまにフォルクスに行くのがやっとだったが、サラリーマンになって仕事に慣れて来た頃に、協力会社の接待などで旨いものがどんどん食べれるようになった。自分の稼ぎもサラリーマン2年目には残業代も充分に入るようになり、たまの女の子のデートなどでうまい飯を食べに行く機会も増えていった。この頃から学生時代58Kgだった体重がどんどん増えていくのだが……。

最初にアメリカでステーキを食べたのは、1985年ロスへ出張した時に協力会社の人に連れて行って貰った1Kgステーキで、その店はサンタモニカからマリブへ向かう途中にあったと思う。客は巨漢のヤンキーばかりで、身体の小さいジャップはぽんこつマンと一緒に行った4人だけだった。最低の500gステーキは女性だけと言うとんでもない店だった。やむなく1Kgのリブアイを頼んだが、どんなに若さがあるとは言え、1Kgを平らげるのは大変だった。

その次にアメリカに行ってステーキを食べたのは、1993年。この記憶がぽんこつマンの最高ステーキになった、ビバリーヒルズのRuth’s Chris Steak House(https://www.ruthschris.com)だった(2020年9月現在閉店中)。

それ以降、このルースクリスのステーキを当時の連れ合いにも食べさせたくてプライベートでロサンジェルスを訪れたこともある。またラスベガスのカジノにルーレットをプレイしに行った時も、ラスベガスのルースクリスを訪れた。当時連れ合いとの毎年のカウアイ島での1週間の休暇の後にホノルルに何泊かすることもあったが、その時はホノルルにあるルースクリスステーキに必ず一回は行っていた。サンフランシスコ近郊のシリコンバレーにあるCGI製作会社と仕事した時も、サンフランシスコのルースクリスを訪れた。

ルースクリスのステーキで、一番少量のステーキが8oz のプティフィレ肉だったが、ぽんこつマンはリブアイ好きなのでプティリブアイ12ozが最も少量だった。そして大概はそのステーキのサイドにウェッジポテトかベイクとポテトかマシュポテトとクリームスピナッチを付ける。ステーキの前のアペタイザーとサラダもオーダーするとかなりのボリュームになるが米国人はかなりの老人でもそれらをペロリと食べる人が多かった。ルースクリスのステーキは熱々に焼かれた鉄板に乗せてのサーブではなく、熱々に熱せられた陶器の皿(500°F=260°C)にグリルされた肉がドンと置かれたもので、フレンチのように洗練された盛り付けではなく、アメリカンを感じるストレートな盛り付けだが真っ白のテーブルクロスに真っ白のナプキンと洗練されたカラトリーがマッチして粗野すぎない演出がまた良い。

アメリカンステーキといえばローリーズと言う一時代があったが、ぽんこつマンはルースクリスのL.A.ビバリードライブの店の味とムードに完全に惚れてしまっていた。ホノルルの店やラスベガスの店のステーキも悪くはなかったが、客層が微妙に違うことで味やムードも微妙に変わってくる。だから東京にもルースクリスが進出したと聞いた時も、東京に行くくらいならロスのビバリードライブの店に行きたいと思ったほどだった。

ぽんこつマンは今から10年前くらいから、時差が受け付けられなくなって来て、ハワイすらも移動がキツくなって来ていた。東南アジアなら時差はわずかだから、それほど問題はないが残念なことにぽんこつマンが東南アジアの拠点にしているタイにはない。まぁ、有ったとしても味はかなり変わってしまうだろうからなくてもいいのだが…..。

最近のタイは、日本食ブームが続いていてまだまだ気の利いたアメリカンステーキの店は見当たらない気がする。ルースクリスは現在東南アジアではインドネシアのジャカルタとシンガポールにあるらしいが、もしコロナが落ち着いてタイからでも簡単にジャカルタやシンガポールに行けるようになれば、一度チャレンジしてもいいかもしれない。香港にも上海にもルースクリスは進出しているようだが、現在の中国共産党独裁が続く現状では行きたいと思わない。

タイにルースクリスが出店することがあるのかどうかが気になるところだが、もう一度あのルースクリスステーキハウスで8ozのフィレか12ozのリブアイを食べてみたいと思った。

ニュージーランド北島のオークランドでホテルに呼んだエスコートガールの本職は教師だった。

今では日本でも桜JAPANの活躍もあってラグビーの認知度はかなり高まっているが、今から30年近く前の1990年台初頭は、1984年に荒井由美の「ノーサイド」が発表されてからもすでに長い月日が経ち、松尾雄治氏、故平尾誠二氏、大八木淳史氏などが一時期活躍した日本ラグビー界もJリーグが日本で誕生した事で、多くの日本人の記憶から消えていった。

そんな中ぽんこつマンは、たまたまニュージーランドのオールブラックスの撮影にオークランドに10日間くらい出張したことがある。当時ニュージーランドはオーストラリアと同様に、カジノはあった。ぽんこつマンは日本では非合法なカジノ遊びは、海外に出た時にそこにカジノがあれば、ちょこっと顔を出す。ニュージーランドでの仕事が決まったときに、時間があれば是非カジノ訪問してみようと思っていた。

しかし、その時点でニュージーランドでは売春は合法化されておらず、北島最大の都市オークランドでも、カジノのあるホテル周辺には立ちんぼのお姉さんはいると聞いてはいたが、性産業がアンダーグラウンドである事は間違いなかった。2003年世界初でニュージーランドで売春が非犯罪化(合法化は審査等が必要な許可制)され、個人売春そのものは犯罪にはならなくなり、売春婦と公的書類の職業欄に記載できるようになっているようだが、当時はそれ一本で生活をする事はかなり厳しかったであろう。

そのような状況で、当時どうしても現地で◯ックス したいとなったら、ホテルなどに置いてあるタウン誌の掲示板の中からそれらしき情報を拾い電話で確認するか、電話帳でエスコートクラブの番号を調べ、連絡を取るかしかなかった。

ちなみに現在のオーストラリアとニュージランドの娼館やエスコートクラブの情報は、堂々とネット公開されている。例えば、Red Light Australia also featuring New Zealand (https://redlightaustralia.com)というサイトがあり、そこでオーストラリアやニュージーランドの娼館やエスコートクラブの情報を見ることができる。また個人でネットで客を探しているサイトも多く見つかる。

ぽんこつマンがオークランドに乗り込んだのは日本が新緑を迎える5月だが南半球に位置するニューヒーランドは秋真っ盛りで紅葉が美しい季節だった。ホテルの記憶はあまり残っていないが、リッジス オークランド(https://www.rydges.com/accommodation/new-zealand/auckland/?utm_source=google&utm_medium=organic&utm_campaign=gmb)という4つ星クラスのホテルだったと思う。カジノのあるスカイシティーオークランドにも歩いて行けるホテルだ。

日本からのクルーは映像クルーとグラフィッククルー合わせて15人、現地のコーディネートクルーは5人、撮影の現場へは合わせて20人が2台のロケバスで向かうため、大きな車寄のあるホテルが必要で、どうしても4つ星以上のホテルになったのだ。

3つ星以下のホテルだと、エスコートクラブからの女の子をホテルの部屋に呼ぶのは大変だが、ロビーにフリーの売春婦がたむろしているクラスのホテルであれば、部屋番号を伝えておくだけで女の子はフロントに呼び止められる事は無く部屋の前まで来ることができたので、旅先での性交渉を愉しむぽんこつマンには4つ星クラス以上のホテルが好都合だった。

オークランドに入って3日くらい過ぎ、土日を挟んで翌週から撮影が始まろうとしていた時、ぽんこつマンより一回り以上年配のグラフィックプロデューサーから「この町でどうやったら女が抱けるのか?」とこっそり聞かれた事がきっかけで、その日の晩に部屋に呼べる秘密のエスコートクラブにぽんこつマンが連絡を入れることになる。

彼はぽんこつマンに簡単な好みを言い、それをエスコートクラブに伝えてほしいと言ってきたので、彼の部屋番号と彼の好みを聞いた。ぽんこつマンの好みは、ブロンド、ホワイトスキンキウィ(白人ニュージーランド人)、スモール、スリム、ノーマルブーブス(シリコンなしの自然なおっぱい)だ。グラフィックプロデューサーは巨乳をリクエストしていたし、彼は身長はノーマルで良いと言っていたところがふたりの違いだった。彼は中国の大連で今回のニュージーランドに来る前に、中国東北娘と3Pをして来たようで、高身長のモデル体系の東北娘をすごく気に入っていたようで、それと同じ高身長の巨乳女を求めたようだった。

クルー全員で食事を済ませたのが、21時を過ぎていた。それ以降は各自自由行動でぽんこつマンとグラフィックプロデューサーはその足でホテルに戻った。ぽんこつマンはホテルの部屋に戻って、エスコートクラブに電話を入れた。受付に出たのは女性で、客がふたり居ると伝えて、それぞれの部屋の番号と好みの女性のタイプを伝えた。後は女の子がホテルに着いたら部屋に電話するとのことだった。

グラフィックプロデューサーは自分の部屋に戻って待つと言ってぽんこつマンの部屋を出て行った。部屋でまずシャワーを浴びて女の子の到着をテレビを付けて待っていた。22時を少し回った頃に外線が部屋に入ったとホテルの交換手から連絡があった。電話に出ると今ホテルに着いたから部屋に行くとのことだった。

それから10分ほどして部屋のチャイムがなった。ドアの覗き窓から確認するとそこに細めの金髪女性がいた。横を向いていたので年齢や顔の作りをはっきり確認できなかったが、明らかに自分が依頼したコールガールに違いがなかったので、扉を開けて部屋に迎え入れた。

彼女は、想像していたより化粧は濃く無く、控えめに見える印象だった。「good evening❤️」と彼女は笑みを浮かべ挨拶をし名前をエリザベスと名乗った。ぽんこつマンも軽く微笑んで挨拶をした。

部屋で待っている間にシャワーを浴びたことを話すと彼女はバスルームに向かい、そこで服を脱ぎシャワーを浴びてバスタオルを胸元に巻いて戻ってきた。リクエスト通りの小柄な金髪女性で、バストも巨乳ではない事が胸元で留めたバスタオルの膨らみで確認できた。ちなみにぽんこつマンはバスローブを羽織っていた。

そのまま、ふたりはベッドに潜り込んで軽いキスをする。そして彼女は昼間小学校の教師をしていること、年齢は26歳であること、最近小さな家を買ったことなどを話してくれた。それが本当かどうかはどうでも良かったが、その日は副業として始めたコールガールの仕事の3回目だとも言っていた。ぽんこつマンはオークランドに仕事で来たこと、オークランドは始めて来たことなどを話した。

暫くして彼女がぽんこつマンの淫部に手を伸ばしてきた。ぽんこつマンの肉茎はすぐに反応して膨張する。ぽんこつマンは彼女の首筋にキスをする。そして彼女の上になり、彼女の胸元で留めてあるバスタオルを解いてバストに手を充てがった。

大きくはないが自然な張りがある胸の膨らみが掌から感じられて、その感覚が股間に信号を送る。ビビビッ、、、ビビッ、、その信号を肉茎が受けてはちきれんばかりにそそり立った。ぽんこつマンは、彼女の右の乳首に吸い付いて、舌でその乳首を転がした。彼女はコンドームを装着するのを忘れていたので、「wait a second!」と言ってコンドーム を手に取り急いで取り出し、ぽんこつマンの怒張した肉茎に装着した。

そして彼女は、ぽんこつマンの肉茎を握り、バギナに導いた。ぽんこつマンは直ぐにでも奥に肉茎を入れたかったが、少し上にあるクリトリスへの刺激を亀頭を回して行った。それから膣口の周りにある大陰唇を亀頭で何周も捏ね回して、愛液で膣内が満たされるのを待ちながら彼女の身体をゆっくりと眺めた。

まだ少女のような愛らしさを残した顔立ちと身体、直径3センチほどのちょうど良い色に染まった乳輪と1センチほど突起した形のいい乳首。肋骨から腰骨まで余分な脂肪がついていないウェスト、丁寧に処理された淫毛が見える恥骨。標準的な日本人とは大きく違うプロポーションにぽんこつマンは我慢できなくなり、膣口に亀頭を戻し、伸長位で肉茎を奥に進めた。

膣口は少しきつめだった。ぽんこつマンは彼女の背中に腕を回し、胸と胸を合わせてゆっくりとピストンを始めた。伸長位ではどんなに深く入れようとも、子宮口に当たる事はない。しかし彼女の小股がぽんこつマンの肉棒をホールドし、締まり具合が高まり気持ちがいい。

彼女の脚が外に開こうとしていることにぽんこつマンは気付いて、彼女の足を間にぽんこつマンの足を入れて彼女の腰を持ち上げ正常位に移った。それから対面座位に切り替えて抱き合えながら挿入を繰り返した。ぽんこつマンは彼女の細い首筋にキスをする。彼女が顎をぽんこつマンの方に乗せてきつく抱きしめながらの座位は続いた。

ぽんこつマンの恥骨が彼女の恥骨にあたる。ぽんこつマンの心臓の鼓動が激しくなって、ベッドに身体を倒したら、彼女がすぐさま騎乗位でぽんこつマンの肉茎に刺激を与え続ける。ぽんこつマンはそれを迎え撃つように腰を上へ突き上げて、恥骨が彼女のクリトリスに当たって刺激できるように動いた。

彼女が顎を上げて背中をそらして騎乗位を続ける。ぽんこつマンは少し心臓の鼓動が落ち着いてきたので、彼女の背中をベッドに倒して、両脚を抱えて屈曲位でフィニッシュを迎えようと体位を変えた。彼女のふくらはぎの内側にリップを繰り返しながら腰を前後にスライドする。彼女は自分の脚を両手で抱えて震えた声で「Come on!!」と言う。彼女の快楽を迎える表情がまたぽんこつマンの快感を昂らせる。

屈曲位で奥を攻めているうちに、何度か彼女の子宮口(ポルチオ)のコリッとしたところに当たって亀頭から肉茎の根元、そして背骨を経由して脳天まで快感が走った。長いストロークで奥深くへ亀頭を5〜6回突き立てた時に、そのフィニッシュはやってきた。

「ドピュッ、ピュッ、ピュッピュッ、、、、」ザーメンが音を立てて出たかのような感覚があった。肉茎の膨張は少しおさまってきたが、うずきはなかなか鎮まらなかった。ぽんこつマンは肉茎を彼女の中に入れたまま、彼女をきつく抱きしめて首筋とデコルテへのリップを続けていた。その後ゆっくり肉茎を彼女の膣から抜き、30分くらいの結合行為は終わることになった。

そしてふたりは手を取りバスルームへ行きシャワーで激しく求めあった身体の汗を流した後、彼女は洋服を着て部屋を出ていく。惚れっぽいぽんこつマンは本当は直ぐに彼女を返したくはなかった。しかし、彼女はエスコートクラブから来たコールガール。たとえ本職は小学校教師とは言え、日本から来たぽんこつマンがいきなり彼女に告白できるはずもなく、そこは割り切るしかなかった。

翌朝、グラフィックプロデューサーとホテルの朝飯で時間が一緒になった。「どうやった?」と彼がぽんこつマンに聞いてきた。ぽんこつマンは昨日の夜の経緯を細かく話した。「いいなぁ」と彼はため息を漏らし彼の経緯をぽんこつマンに教えいてくれた。その話だと、身長175cmほどの大きな女でおっぱいはデカイが垂れているし、お◯ンコは全く締まりがなく、しかもマグロだったとの話。15分くらい粘ったがとても行けそうではなかったので早く返したと言っていた。

ぽんこつマンはその日は、ホテルの直ぐそばにあるスカイシティカジノに出掛けた。ぽんこつマンはルーレットが好きである。500NZDほど使ったがその日は勝てなかった。前日にツキを使い切ったと思うしかなかった。

しかし、オークランドで呼んだエスコートの姫は今思っても初々しく、記憶に残る思い出だ。こうゆう風にいい思い出があるから、また次もと思い新しい女神や天使を求めぽんこつマンは今も彷徨うのだ。

出張で行ったシドニーの娼館に行って東欧小柄美女のエロスに酔う

すでにあまり明確な記憶がなくなってしまったが、あれは確か1998年か1999年、今から20年ほど前に出張でオーストラリアシドニーに行った時に、キングスクロスの近くにあった娼館(Brothel)に白人を買いに行ったことがある。

ぽんこつマンは1983年から2005年くらいまで映像を作る仕事をしていて、撮影はもちろんCGI制作や編集などで海外に行くことがよくあった。香港、シンガポール、ゴールドコースト、ブリスベン、ロス、サンフランシスコ、ニューヨーク、パリなどで数日から2週間近く過ごすことがあり、その地のうまいものを食べたり、その地の若い娼婦と遊ぶこともいくらかあった。

その中で記憶に残っている1つは売春が合法となっているシドニーの娼館にシドニーのコーディネーターのオーストラリア人と行き、その店で東欧(多分ルーマニアだったと思う)出身の小柄な女性にサービスを受けた時の印象だ。

ぽんこつマンは、日本のソープランドやタイのMPにはいく事はあっても、滅多に性的欲求を満たすためだけが目当ての娼館へ出かけていく事はあまりなかった。性的欲求を満たすだけが目的の場合は、電話帳などで現地のエスコートクラブを調べて電話で好みの女性のタイプを伝え、ホテルの部屋で待つことがほとんどだった。

シドニー、キングスクロスも近くにあった娼館(Brothelに行ったきっかけは、当時の仕事でコーディネーターをしてくれていたオーストラリア人がどうしても仕事しているタイミングで奥さんとは別の女とエッチをしたいと言い出して、彼が行きたい娼館に同行することになったのである。

そのコーディネータ曰く、シドニーのあるサウスウェールズ州は売春が合法だが、お客さんがシドニーに来ている時しか娼館には行けない。だから一緒に行って欲しいのだと…..。

シドニーには娼館がいくつもあるが、アジア人の娼婦(特に韓国人、中国人、タイ人)が多く白人を見つけるのは限られた店になる。彼の奥さんは日本人で、アジア人だと奥さんと同じ人種と◯ックス するということになんと無くより背徳感を感じるので白人の方がいいというのだった。

ぽんこつマンは当時泊まっていたホテルを忘れてしまったが、今現在のホリデイ イン ポッツ ポイントリッジス シドニー セントラル だったような気がする。

シドニーでの仕事に一段落して夕食をコーディネーターと取り、車で出かけたのでその娼館の場所も名前も覚えていないが、店に入ってある部屋に通され、そこに一人ずつ女の子が来て簡単な自己紹介と挨拶をするスタイル、一通り揃っている女の子を全部見てそこの娼館のマダムに女の子の名前か何番目に来た女の子かを伝えれば、その子が改めて待合部屋に来て階段上のベッドとシャワーあるいはジャグジーある部屋に上がって◯ックスすることになる。ぽんこつマンは、小柄で色白の可愛い金髪姫を選んだ。

ぽんこつマンの英語がそれほど流暢ではないが、その子も東欧(ルーマニア?)から稼ぎに来ている子だったので英語はぽんこつマンとあまり変わらない。年齢は26って言っていただろうか。

部屋に入って服を脱ぎ、シャワールームへ一緒に行って、身体と局部を簡単に洗う。バスタオルは、新しくはないが、ちゃんと洗い立てで皮膚に残った水滴を拭うには十分だった。ベットはなぜか木製の天蓋付きのキングベッド。その部屋は新しくはないが、ベトナムやタイの置屋に比べると調度品の質も見た目の清潔度も良く、アジアの置屋よりはるかに文明度が高い感じがする。広さも広い。

ベッドでバスタオルをお互いに外して裸になると、彼女がぽんこつマンの肉茎に手を伸ばし、少し手でいじり始めるとその逸物はすぐに硬直した。

彼女はコンドームを取り出し、ぽんこつマンの肉茎に口でコンドーム を装着してかなりの強さでバキュームフェラを始める。ぽんこつマンは彼女の白く透き通るような胸の膨らみに手を充てて揉みながら、「 Can I kiss here?」と言って乳首をさした。「Yes」と簡単な返事があり彼女はフェラを止めてベッドの仰向けになった。

ぽんこつマンは彼女の上に四つん這いになり、右手で彼女の右の乳房をもみしだきながら左側の乳首にキスをして、舌で乳首を転がした。彼女の乳房は26歳の割にはまだ張りがあり、舌で彼女のアンダーバストを舐め上げても、プリンと跳ね返ってくる。

ぽんこつマンがそうやって彼女の体を弄んでいると彼女が、ぽんこつマンの肉茎を掴んできて、彼女の秘部に導く。促されるままにぽんこつマンは彼女の秘部にあるクリトリスを捕らえ、亀頭でツンツンとついてから彼女の膣口に少し亀頭を押し下げて中に埋め込んだ。

そして、正常位で彼女の秘部を攻めていく。彼女は、おーーーぅ、おーーっ、うーーーん、うわーーっ、、、とアジア人の喘ぎとは違う、大きな声で喘ぎ始める。ぽんこつマンにはその演技かもしれない大袈裟な喘ぎも興奮に繋がるのだ。「Can I try doggie style?」と言って一回引き抜いたら一瞬で彼女は後背位の体制になって、「Come on❤️」とぽんこつマンを誘う。

彼女は白人だが小柄で少し脚を広げるだけでぽんこつマンの肉茎を下から上へ突き上げる体制にぴったりと合うのだ。彼女が尻に手をやり淫部を広げるようにしたので、大陰茎肉襞の奥ににある膣口の中のピンク色の膣内部が光って見えた。ぽんこつマンはその膣口に亀頭をあて軽くグラインドした後に、一気に肉茎を奥に突き入れた。

彼女は「あーぉっ」という甲高く喘ぎ、ピローを強く握りしめる。奥まで押し込んだぽんこつマンの肉茎の竿中あたりが締め付けられる感覚に見舞われた。そして竿の根元にも締め付けの感覚が来る。彼女の竿締めテクニックの高さにぽんこつマンも喘ぎを上げてしまう。そして、下から上への突き上げピストンのスピードを上げて彼女を攻めていく。陰茎の根元から背骨を通じて脳天に快感が何度も走った。そして一度引き抜いて、改めて彼女を仰向けにして屈曲位で上から下へ肉茎を突き刺した。

「パン、、パン、、パン、パン、パン、…….。」ぽんこつマンの恥骨が彼女の尻の肉に当たって大きな音が出ている。やがてぽんこつマンの肉茎の先に発射の予感を感じ、ぽんこつマンはピストンのスピードを更に上げた。彼女は、ぽんこつマンがフィニッシュを迎えるのが近いと感じたのか、喘ぎの声も、顔の表情もオーガズムが極まる時のように変化していく。まるで狼の遠吠えのような喘ぎ声と、口を目一杯開け眉間にシワを寄せてのよがり顔。

まるでローラーコースターの360度回転のように激しい重力Gがかかってそして逆Gでふっと体が浮くような感覚が体に走るフィニッシュだった。ぽんこつマンはかなり息が上がっている。肉茎を引き抜いて彼女の横に上向きで横たわった。1分くらいそのままでいただろうか?彼女がぽんこつマンの肉茎に付いているザーメンがたっぷり溜まったコンドームをティッシュで拭った。そしてシャワーで体を流してその娼館での遊びは終わった。遊びの時間は30分、45分、1時間と選べるようだが、シドニーでは1ショットが終われはそれで終了となるシステムだ。

彼女と一緒にしたの階に降りたときにはすでにコーディネーターはひとりで出口前に置いてある椅子に座ってぽんこつマンを待っていた。「どうでしたか?」と彼はぽんこつマンに聞いてきたので、「悪くなかった」と返したら彼は「ボクは少しはずした感じネ。」と言って肩を竦めた。

世界どこの娼館でも、理想を求め過ぎればハズレに当たる事はよくあるものだ。しかしぽんこつマンは白人と言っても大柄な女がダメと言う時点でその条件に合うヨーロッパ系の女は圧倒的に低くなるが、今回は160cmも無いくらいの小柄な白人と遊べたというだけでもかなりラッキーだった。そして彼女もその小柄さ故に標準的オーストラリア人からはあまり指名されることがないのか、彼女ができる限りのサービスをぽんこつマンに施してくれたんだろうと思った。

電話でエスコートガールをホテルの部屋に呼ぶ場合は、期待を大きく外すことがめっぽう多い。写真で予約を入れるシステムの日本のソープなども、写真とはかなり違った上の姿に愕然とすることもあるが、顔見せで女の子を選ぶシステムなら、少なくとも期待を裏切られる可能性はかなり下がることになる。

エスコートガールの場合は、女の子が部屋に来るまでの間の期待がズバリ当たった時の感動は大きいが、娼館の場合は選んだ嬢のサービスに期待できるところがまた良いのだ。機会があれば、またオーストラリアに魅惑的な白人娘を探しに行きたいとその時思うのであった。

ぽんこつマンは潮吹き女が実は大好き

ぽんこつマンが初めて潮吹き◯ンコ持ちの女の子に会ったのは、ぽんこつマンがまだ19歳の時。信州松本で大学生活をしている時だった。その女の子は、ぽんこつマンが浅間温泉でバイトしていた店の客として月に何度か見かけていた女の子で、注文の料理を席に持っていった時に彼女の強い視線を感じて、軽く会話を交わした。その日は店が暇だったので、お水を差し替えに行く時や新たなオーダーを受ける時、注文の品をテーブルに運んでいく時に、二言三言ジョークを交えて会話をし、そして彼女が店を出る時に、「今度デートしてみる?」と彼女に伝えたら「うん」と答えが返ってきたのだった。

今から40年以上前の話だがぽんこつマンはその女の子のことを今も忘れていない。当時は携帯電話なんてものはなく、固定電話を引いていなければ連絡を取ることは手紙しか手段がない時代だった。ぽんこつマンは18歳で親元を離れて、19歳からひとりアパート暮らしを始めていて、親との連絡を取るという名目で固定電話(黒電話)をアパートの部屋に引いていて、彼女に電話番号を伝えることができたのが、ナンパの鍵になった。

彼女も当時18歳で、高校を卒業後美容師として勉強していると話していて、松本市の中心から少し南に数キロ行ったあたりに両親と暮らしているとのことだった。顔はそれほど可愛いという印象がなかったが、信州の女の子には珍しく巨乳でよく発達したヒップとくびれた腰が雌としての強いアピールになっていると感じた。

当然、最初に彼女にデートを誘った時に電話番号を店のナプキンに書いて渡していたが、電話がその晩の夜バイトが終わって部屋に帰った時に直ぐに鳴るとは思わなかった。その日は日曜日で、バイト先の店は日曜日は早い時間帯は客が多いが、夜8時を過ぎるとあっという間に客が引き上げていく。そんな店で彼女はが来る時間帯は7時過ぎで店を出るのは11時近くだった。

彼女は既に軽自動車を所有しているようで、店にはいつも軽自動車でやってきていた。ぽんこつマンは車の免許は18歳の時とったが、車の免許より先に取った自動二輪の免許でバイクに乗っていたのだが……。

彼女からの初めての電話は、「おやすみと言いたかった」というものであったが、「明日は休みなので会えないか?」というのが本当の理由だった。ずいぶん積極的だったが、その積極さの理由はつい最近まで付き合っていた10歳くらい年上の男に振られてしまったことにあるらしかった。

そうか、彼女は美容師見習いだから月曜日は店が休みなのだろう。ぽんこつマンは直ぐにその事実に突き当たった。「明日は授業があるけど午後3時からならバイトが始まる6時までは時間があるよ」とぽんこつマンは彼女に伝えた。

翌日のデートは松本城からそう遠くない「エオンタ」(1973年<昭和48年>3月の開業で今も営業しているらしい。今は16時開店のようだが当時は午前11時開店だった気がする)というジャズ喫茶で会うことにした。ぽんこつマンは高校時代からジャズをよく聞くようになっていて、松本の大学に入学してまず最初に探したのがジャズ喫茶で、そのジャズ喫茶(2F)とその下にある「かつ玄」(http://www15.plala.or.jp/katsugen/honten.htm)にはバイクを飛ばしてよく出かけていた。

「エオンタ」というジャズ喫茶には一人で行く時はカウンターだったが、誰かと待ち合わせする時はカウンターとは正反対にあるソファー席に座った。スピーカーが近いのであまり多く話さなくていいのが良かった。

初デートの日、ぽんこつマンはYAMAHA DT125に乗って「エオンタ」に2時50分に入った。彼女は3時ちょうどに階段を上がって2階の入り口に顔を出した。彼女は店の左右を見回してぽんこつマンが手をあげているのに気付き席の隣に座った。スピーカーからは大音量でセロニアスモンクのラウンドミッドナイトがかかっていた。

彼女にはジャズ喫茶の経験はないようで、席についてからも落ち着きがなく周りをキョロキョロしていたが、ぽんこつマンが彼女の手をスッと握ったら、彼女はハッとしてがその内、肩をぽんこつマンに預けてきた。ジャズの音色は時に性的な刺激を与えるのか、彼女の瞳は店に入ってきたときより潤んでいた気がした。彼女の巨乳がぽんこつマンの二の腕に当たっていて彼女の呼吸によってその巨乳が微かに上下する。彼女と話す時は、耳から1cmくらいのところで話すことになる。当然ぽんこつマンの息が彼女の耳に吹きかかることで、彼女の性的欲求が刺激されるのか、彼女は時々身をよじっていた。

2時間半くらいそのジャズ喫茶で二人で過ごし、その日ぽんこつマンはバイトに行った。バイト先の浅間温泉にあるパブレストランは「赤いピアノ」(https://asamaonsen.jp/gourmet/赤いピアノ/)当時18時から深夜01時までの営業で早い時間帯は、家族連れ、若い女の子同士、恋人同士などの客が多かったが22時を過ぎた頃から枕芸者と客、ヤクザと情婦、年齢高めの不倫関係な客が多くなる店だった。

その日のバイトは深夜0時半までであったが夜遅くに彼女がまた店に一人でやってきてぽんこつマンは驚いた。彼女は、「昼にあった時にいい匂いがして、また逢いたくなった。」と話した。まだ18歳の彼女が、大人の時間帯に一人でその店に来ることはほぼ無いことだ。ぽんこつマンはその時、彼女がぽんこつマンと夜を一緒に過ごしたいのだろうと思った。

予想は的中していて、ぽんこつマンが帰りの支度をしていると彼女が会計を依頼してきて、「外で待ってていい?」と話した。ぽんこつマンは頷いて会計をしてお釣りを渡しに行く。彼女はその後店を出て、店を出た直ぐのところで待っていた。ぽんこつマンはバイクでバイト先に行っていたがぽんこつマンの住むアパートへは歩いても行ける距離にあった。ぽんこつマンはバイト先を出て彼女が待っているところに行き、「部屋に行く?」と聞いたら「うん」と言って頷いた。

当時のぽんこつマンのアパートは風呂無し共同トイレで小さなキッチンが付いていたが、その時代はまだエイズという性病は公に発表されていない時代で、性に関してはまだまだおおらかな時代だった気がする。

ふたりはそのアパートの部屋に入って直ぐにベッドに腰を下ろした。バイト先からの帰り道ビールの自動販売機で買ったビールで乾杯をした。(当時は自動販売機に年齢制限を確認する機能は無く、未成年でも普通に買えた)そしてなんとなく彼女の肩を抱きキスをした状態から彼女をベッドに倒して、お互いを求め合う行為に進んでいった。

ぽんこつマンが彼女の上に覆いかぶさり、彼女の巨乳を服の上から揉み始めたが、彼女は全く抵抗を示さない。むしろ彼女の方から強く抱きしめてきてキスを求めてくる。ぽんこつマンは左手を彼女の下半身に移し彼女の局部を下着の上から摩ってみた。すると彼女は体を捩らせたが、既にその秘部からは愛液が溢れ始めているようで、まだ下着の上にある指先の腹に湿り気を感じた。

「いいの?」と彼女に聞いたら「うん」という返事が返ってきた。そこからぽんこつマンは彼女のトップスを脱がせ、ぽんこつマンも自分の上半身を脱ぎ去り、パンツも脱いでアンダーパンツ一枚になり彼女へのリップと手の腹を使って首筋、耳たぶ、あご、デコルテ、脇、乳房、乳輪、脇腹、へそ、腰骨、と降りて行き入念な前戯を行った。そして体を180度回転させて、69の体勢へ。今度は足指、足の甲、くるぶしに愛撫を続けた。そしてその愛撫はアキレス腱、スネ、膝の内側、腿の内側へと上がって行った。脚の付け根に近づいた時には、まだ脱いでいないパンティーが大きく濡れていて淫毛や大陰唇が透けて見えるくらいになっていた。

ぽんこつマンは彼女のパンティーをゆっくり下ろしてその濡れそぼった淫部を眺めた。クリトリスも、大陰唇も愛液で光っていた。ぽんこつマンは彼女の淫部の臭いをそっと嗅いだが、特に嫌な匂いはなかった。そしてクリトリスにキスをした時、彼女は「は〜ぁ」と声を漏らした。膣口がヒクッとする度に、愛液が滲み出てくる。彼女の局部はそんな感じの濡れやすいお◯ンコだった。

ぽんこつマンが彼女の恥骨あたりをリップしている時に彼女はぽんこつマンのアンダーパンツに手を掛け引き下ろして、ぽんこつマンの硬くなったお◯ンポの亀頭を咥えた。そしてお互いの性器を吸いあった。

しばらくそのオーラル◯ックスを続けていたが、やがてふたりは互の性器を結合させることになった。まずは正常位で、彼女の膣口を探し当てて亀頭を膣内に埋め込んだ。そしてゆっくり奥へと進めていくと、ジュンと彼女の肉襞から愛液が溢れ出るのがわかる。少し引いてまた奥へ入れると、膣内にその愛液がどんどん溢れて溜まっていく。膣口はしっかりしまっているのでなかなか外には大量に出ないが、「ジュリュッ、、、ジュリュッ、、、」とゆっくりしたピストン運動でも少しずつ漏れた愛液はアナルを濡らし、ベッドシーツに落ちて20cmくらいの広さまで広がっていた。

その時はコンドーム を付けていなかったので中出しするわけにはいかないと思っていた。しかし彼女の快感に対する喜びに悶える表情にぽんこつマンの興奮も最高潮に達し、いつのまにかそのピストン運動はかなり早くなっていった。

亀頭が膣口から抜ける寸前まで肉茎を引くと彼女の膣内に溜まった愛液がその僅かな隙間からズピュッと噴出する。そしてまた奥に肉茎を送り入れると「ブオッブッ、、シュボップッ、、、」という膣内に溜まった空気が圧縮されて膣口から漏れる時の音が大きく響く。

彼女はまだ18歳だったが、性的にはかなり開発されているようで、それほどテクニックがあったわけでは無いぽんこつマンの若かりし頃の性行為でもGスポット、裏Gスポット、さらにポルチオ(子宮口)といった性感帯まで敏感に感じるようになっていたようだった。

ぽんこつマンは正常位から彼女の両脚を抱え揚げ、屈曲位の体勢になって、上から杭を打ち込むように彼女の子宮口を狙って何度も何度も突いた。ぽんこつマンには彼女の子宮口のコリッとした部分が亀頭の先端にあたる感覚にすごい快感を覚えた。膣口からは突き下ろす度にしぶきが上がり、彼女の下腹部や内腿、そしてぽんこつマンの下腹部を濡らしていた。

彼女の喘ぎ声がどんどん大きくなり、腰をひくつかせて、彼女の指がぽんこつマンの二の腕に強く食い込んだ時に、今にも発射しそうになり、一気に引き抜いて彼女の下腹部に大量のザーメンを放出した。

その時シーツの愛液で濡れている範囲は50cm以上に広がっていて、彼女が潮吹き女であることを知ることになった。この時がぽんこつマンにとっての潮吹き女との最初の出会いで、今でもはっきりとその時の性交の記憶が鮮明に残っている。

まだ18歳の彼女が、どのような男性経験でここまで性的に開発されたのかを知りたくなって、それからしばらく彼女と付き合うことになった。その中で彼女が教えてくれた性体験の話では、つい最近別れた年が離れた男性とは3年ほど付き合っていたが、彼女に◯ックスの快楽を教えてくれたはその彼だったということ。彼女の初体験は中学2年の時でヤンキーだった1年先輩の男子とだったが、最初は痛いだけだったこと。その1年先輩の男子の知り合いというかヤンキー仲間に輪姦されたこともあること。妊娠することで親にその体験を話さなければいけなくなることが一番辛いと思ったが、運良く妊娠はしていなかったこと。高校生になった時にはすでに10人以上の男とセックス の経験ができていたこと。そして高校1年の夏に喫茶店でバイトしていた時に声をかけてきた男性が長く付き合うことになった男性で、彼は自分の過去を話しても、優しく相手してくれてすごく幸せを感じるようになっていったことなどをぽんこつマンは聞いていくことになった。

彼女がその男性が転勤となって別れざるを得なくなったが、別れて2ヶ月が過ぎたが最初の1ヶ月は、電話で話すこともできたが会うことはできなくなりショックで寝込むこともあったようだった。それでもそのうち自分の身体が男性を求めている時があることに気づくようになり、新しい恋人を探すために浅間温泉のパブレストランに足を運ぶようになったということだった。

ぽんこつマンは19歳で肉体関係を持った女性はわずか3人だったが彼女はぽんこつマンを含めて15人以上の経験があることになる。ぽんこつマンはその彼女に、ぽんこつマンの◯ックステクニックについて聞いたが、「サイズ感もちょうどいいし、優しさと危険な感じが相まって、すごく感じてしまった」と言ってくれた。お世辞でも嬉しい話だった。

その後彼女とのセックスは、月に3〜4回のペースで2年続いた。彼女が20歳になり、ぽんこつマンが卒業論文の関係で松本にいない時間が多くなり、分かれる時期が来たとお互い悟ったのだった。しかし彼女との潮吹き◯ックスの経験は一生忘れることができないし、あの時の特別な感覚を求めて今もいろんな女性との性修行をぽんこつマンは続けている。

松本にいた4年間では、彼女の他にもうひとりの潮吹き女に成長しそうな大学生にあったことがある。彼女は教育学部に入学した飯田市出身の女性だったが、入学1年目の教養学部は松本なので2年目からは松本を離れて長野に行く。ぽんこつマンと知り合った時はすでに彼女が1年生の後期に入っていて、あと数ヶ月で長野に行くという時期だった。彼女とは週2回のペースで◯ックスしたが、彼女も身体が男を求める素質を持っていたようで、ぽんこつマンがふたり目の男だと言っていたが、3回◯ックスした頃から、いろんな対位や行為に興味が湧いてきたようで、アクメがどんどん大胆になっていった。◯ックスする度に、膣からの愛液分泌量も増えていき、長野へ行く数日前にはベッドのシーツを広く濡らすくらいに成長していた。

彼女が松本を離れて長野に行く時に残した言葉は、将来結婚するだろうけど、結婚と男性との肉体関係は別物で、もっと絶頂感を味わえる◯ックス対象の男性とたくさん体験したい(性修行)と言っていたが長野に行ってその後どうしているかはわからない。

ぽんこつマンはその後も何人かの潮吹きお◯ンコ持ちの女と会っているが松本で初めて出会った潮吹きお◯ンコ持ちの女の子と同じかそれ以上の名器持ちと思う潮吹きお◯ンコ持ちの子ははバンコクのナナプラザのバービアで知り合った子だが、彼女とのエピソードはまたの機会に書くとしよう。

ああ〜、なんだか松本に遊びに行きたくなったなぁ。エオンタにもかつ玄にも、赤いピアノにも改めて行ってみたいものだ。

2016年4月の熊本城が崩れた地震の前の年に行ったソープランドでの記憶

ぽんこつマンが熊本の女の子に特別の感情を持つようになったのは、松本での学生生活時代だった。松本と言えば長野県の市で松本城や浅間温泉、美ヶ原などの観光地があり、上高地や白馬などへの旅行ベースとしても有名な街である。

ぽんこつマンは学生生活を過ごした松本では大学と浅間温泉に近いところにアパートを借りて一人暮らしをしていた。学生時代は昼間は大学、夕方からは浅間温泉のパブレストランでホールのアルバイトをしていた。

浅間温泉にはスナックやパブがいくつかあって、松本市内に住む大人も、観光客も夜の時間を楽しんでいた。浅間温泉にも芸者がいて温泉宿で枕営業をしている芸者のお姐さんも、ぽんこつマンが働いていたパブレストランに来ることもあり、ぽんこつマンの夜の時間は多分当時の一般の学生よりは艶っぽい世界にいた気がする。

ぽんこつマンは当時そのバイト先で浅間温泉で小さなスナックを営業していた、元神戸の暴走族のリーダーで、かつて三代目山口組組長・故田岡一雄氏の長女、田岡由岐氏と交友があったと話してくれた一人のマスターと親しくなっていった。

そのマスターは、当時パンチパーマで着ているものも派手なものが多く、見た目ではちょっと恐いおじさんだったが、よく笑いバイト学生からよく慕われていたのを思い出す。神戸で暮らしていた時は、ヤンチャばかりしていたらしいが、女の子からはモテまくっていたという話をよく聞いた。神戸の街を歩いている時はいつも可愛いモデルの子を連れていたとのことで、女の子を口説くのが相当上手い人だった。

松本で初めて知り合った時は、彼にはたまたま彼女がいなかったが、一緒にお茶を飲みに行った先の喫茶店でたまたま働いている女の子に言葉巧みに話し、その女の子がすぐに彼に惚れてしまう場面を何度も見てきた。

ぽんこつマンも当時は松本の地元で働いている美容師や、保母さんを口説いて良い中になったこともあるが、彼のナンパ術はずば抜けていたと思う。知り合って2日目には、女の子はその彼から離れられなくなってしまうくらいの女たらしぶりだった。

熊本の女の子に特別の感情を持つようになったのは、当時松本の駅前にあったとある大きな喫茶店で働いていて、ぽんこつマンより5歳くらい年上だったと思うが、その彼女が持っていた艶っぽさにやられたのだった。

ある時その喫茶店に浅間温泉のスナックのマスターをしている彼と一緒に行った時、ぽんこつマンが気になっていた彼女を紹介したことがある。その時は彼はたわいのない話をしただけだったが、ほんの数分の会話の間に彼女の心をしっかり掴んで、彼女の瞳がうっとりと彼に心を奪われたようになっていくのを見た。

松本と熊本の共通点といえば、馬刺しが普通に食べれるということくらい。彼女がなぜ熊本という遠いところから松本の喫茶店で働くことになったのかも分からなかったが、彼女はすっかり彼に心を奪われて、2日後にあった時には身も心も彼に持っていかれたようだった。なぜ彼女があれほど艶っぽいのかを彼に聞いてみたら、彼は熊本と高知の女は男好きする女が多く日本一落としやすいと言っていた。生まれた時から性的好奇心が強い女になるDNAを備えているというのだった。にわかに信じ難い話だったが、ぽんこつマンは、そのとこから熊本と高知出身の女の子には好奇心が強くなったのだった。

熊本出身の女優といえば、石田えり、宮崎美子、夏川結衣、倉科カナ、歌手では森高千里などが有名だ。高知出身の女優といえば広末涼子、歌手のソニン。ぽんこつマンはやっぱり熊本の女性にエロスを感じてしまう。

ソープランドは日本全国にあるが、熊本には日本3大ソープと言われる「ブルーシャトー」がある事で有名。昔働いていた会社でも、わざわざプライベートで月1回「ブルーシャトー」通する「役員様」がいたくらいだった。

ぽんこつマンが熊本に行ったのは、2015年。9月の末くらいだった気がする。第一の目的は、もちろんNNソープランド。後は熊本城を見ることと、辛子蓮根と馬刺しを食べること。NNソープランドで有名なブルーシャトーは「会員」以外は予約すら取れないので、事前にWEBサイトでチェックしたら熊本流という女の子が多くいる店が見つかった。熊本流というのは、生(N)中出し(N)ということが分かったが、実際に中出し可なのかどうかは姫によるだろうからよく分からなかった。

その熊本流という表記の姫がいる店は「Picaso」(https://www.picasso.cc/top.html)という店だ。その時ぽんこつマンは東京に転勤になっており、出発は羽田からだ。熊本に午前中に到着の飛行機で向かった。ANA 643便羽田10:00発、熊本11:45着。熊本空港から熊本市内まではそこそこ遠いのでバスに乗った。タクシーよりは時間がかかるが、費用はかなり安くなる。熊本市内のバスターミナルについてからは徒歩でホテルに向かう。

ホテルは、歩いて熊本城、ソープランド「Picaso」に行けて近くに飯屋もあるエリアでやすい宿、熊本東急REIホテルをBooking.comで探して予約していた。

チェックインしたのは午後2時ごろだっただろうか。ホテルの周りを散策してみた。この年の東京の9月の末は例年より気温は低かったような気がしたが、熊本での午後の散策は少し額に汗が滲む感じだった。夕方になり一旦ホテルに戻った。ホテルのフロントで、それほど値が張らずに熊本の郷土料理を食べれる店を教えて貰って食事に出た。

本場で辛子蓮根を食べるのは初めてだった。熊本といえば九州、焼酎がよく飲まれているのだろうと思ったが、ぽんこつマンは日本酒好きなのでお店が勧めてくれる日本酒を頼んだ。馬刺しも頼んだ。店の場所も名前も今地図で見つけようとしても見つからないが、おばちゃんがふたりで切り盛りしている小さな店だった。カウンターでひとり、おばちゃんと話ができたことがよかった。

その日は、かなり良い気分に酔ったのでその店を出てコンビニで水を買ってホテルに戻った。第一の目的は明日の午前中に実行する、ホテルからソープ街への道をスマホでチェックして、その日は早めに休んだ。

翌朝のチェックアウトは10時、荷物をフロントに預けて、徒歩で「Picaso」へ向かう。途中熊本下通りのアーケード内にあるマクドナルドで遅い朝食を食べて、ソープ街を目指し「Picaso」には、午前10時50分に着いた。

まだソープ街にしては早い時間だからか、呼び込みの姿はあまり見なかった。店に突入すると黒服が勢いよく歓迎の挨拶をする。その黒服に予約はないがその日WEBで出勤予定の女の子の中で「熊本流」と明記されている女の子の中で若そうでスマートそうな前職「看護師」の女の子の名前を伝えた。

その子の名前は「聖(ひじり)」という姫だった。黒服は今その姫は接客中だが、もうすぐ空くので待合室で少し待てるか聞いてくる。本来なら飛び込みの客にその場で指名できる程、予約で埋まっていないということなのだが、ぽんこつマンがNetで確認した「熊本流」の姫の中では一番いけると思っていた娘にサービスしてもらえるということはラッキーだと思った。

待合室には他の客は誰もいない。エロ本がたくさんあり、それを見ながら「聖(ひじり)」ちゃんが来るのを待った。即生即尺店サービスがあるので、部屋に入る前にオシッコを出しておこうとトイレに行って戻ってきたら姫が階段を降りてきた。待合室で初対面したら、写真よりはふっくらしているし、目元もかなり写真は持っているように思えた。年齢は明らかにサバを読んでいて既に25歳は過ぎている感じだった。

https://www.picasso.cc/girl.html から引用(今も24歳でネットには出ていた)

彼女が挨拶をしてぽんこつマンの手を取り、階段を上り部屋に入った。ぽんこつマンが小さな鞄を置いてベッドに腰を下すや否や、彼女がぽんこつマンのパンツのベルトを外してアンダーパンツごと下ろして、パクッといきなり咥えてくる。

「ジュルジュル、ジュルジュルジュルジュル、、、シュポッ、ジュポッ、、、シュポッ、、シュポッ、、」彼女の舌がぽんこつマンの肉棒の亀頭を唾液たっぷりに絡みながら、しっかり締めた唇で膨張し始めた肉茎をゆっくり前後して絞り上げていく。ぽんこつマンの肉茎はあっという間に怒張して根元までかちんかちんになったところで、彼女はぽんこつマンの亀頭を喉の奥にあたるまで深く咥え込んでできるだけ根元に近いところを締めた唇の筋肉で刺激してくる。そしてそのディープスロートは速いスピードで続いた。

ぽんこつマンは既にその肉茎に走る快感を感じていて、ベッドについていた両手を折り肘で体を支える体制まで後にのけぞっていた。その様子を見たのか、彼女はぽんこつマンの足に絡んでいるパンツとアンダーパンツを剥ぎ取りぽんこつマンをベッドに横たわる姿勢にした。

そしてぽんこつマンの上半身にまとわりついているシャツのボタンを外し、彼女がつけているスケスケの衣装とパンティーを脱いで、ぽんこつマンの顔に彼女の淫部を向けてぽんこつマンの肉茎を咥えて激しく上下運動を加えた。

ぽんこつマンは彼女が向けてきた美尻を掴み淫部に下を這わせて彼女の大陰唇とクリトリスを啜った。膣口を下で割って、その膣口に大量の唾液を注入した。ぽんこつマンは彼女の乳房を掴んで乳首を指で転がしながら5分くらいクリトリスを弄んでいたら、彼女が突然、体を入れ替えて騎乗位でぽんこつマンの肉棒を迎え入れた。彼女の秘部から滲み出した愛液とぽんこつマンの唾液で充分に濡れそぼった膣に肉棒はスルンと奥へ進んでいく。

亀頭が膣の奥にあるポルチオのコリッとした感覚があった時。彼女はウッ、アンと軽い呻き声をあげて、それから腰をグラインドさせながらゆっくり上下に動かした。ぽんこつマンのカリの部分が彼女の肉襞に擦れてぽんこつマンもどんどん昂っていき、彼女の動きに合わせて腰を突き上げていく。

彼女が両手を後ろに置いて体をのけぞらせた時、ぽんこつマンは体を起こして対面座位で片手を彼女の尻にあてがいもう一方の手で彼女の乳房のアンダーに置いて上へ持ち上げるように揉みしだいた。

https://www.picasso.cc/girl.html から引用

相当の客に揉みしだかれてきたその乳房には少女にあるプルンとした硬いゼリーのような弾力はもう無くなっていたが、それでも母乳を出したことのある充填豆腐のような今にも溶けてしまいそうな柔らかさまでは至っていない適度な弾力を維持していた。

彼女の完璧な腰使いでぽんこつマンはフィニッシュに向かう感覚を覚え、さらに一層突き上げた。彼女は対面座位から既に両肘をついて仰反るまで崩れ、ぽんこつマンも片手でのけぞる体を支え、もう一方の手の腹で彼女のクリトリスに素早く、しかし柔らかく振動を伝えた。

彼女の膣口が少し締まったと感じた時にぽんこつマンの肉茎は最高の快感に見舞われ、一気にザーメンを放出した。彼女は体を支えていた肘を崩しベッドに背中をつけた。少し荒い息になっていたぽんこつマンの肉茎はゆっくりと萎えていく。そしてフィニッシュしてから1分くらいで彼女は体を起こして湯船にお湯を張りに行った。そしてぽんこつマンの手を取りバスルームに行き、ぽんこつマンを通称すけべ椅子に座らせ彼女の乳房で大量のボディーシャンプを泡だてて、背中、胸板、腕、脚を洗い始めた。

ソープランドの醍醐味は、まさにこの洗いのサービスにあるとぽんこつマンは思う。身体を洗い終えたらぽんこつマンの萎えた逸物を洗いながら「シャンプーしますか?」と聞いてきた。ぽんこつマンはソープで髪を洗ってもらうのもすごく楽しみにしている。すぐに「お願いします」と答えた。

体や頭を洗ってもらいながら、世間話をした。前職は看護師という彼女のボディーサービスは丁寧そのものだった。体についた泡をシャワーで洗い落として湯船に浸かる。彼女は湯船の中でぽんこつマンの逸物を弄り続ける。少しずつ膨張するぽんこつマンの肉棒。彼女はそれを確認して、湯船から出てマットの準備をする。そしてドロドロしたローションを洗面器にいっぱい作り始め、ぽんこつマンをマットに寝るように促した。

うつ伏せに寝たぽんこつマンの背中にローションをたっぷり乗せ、背中に身体を合わせて来る彼女。彼女の片方のてはぽんこつマンの股間に伸び、肉茎を刺激し続ける。彼女がぽんこつマンの横に来て恥骨の上に生えている淫毛をぽんこつマンの腰骨に充てて上下する。そしてぽんこつマンに仰向けになるように促して恥骨と乳房にたくさんのローションを改めてつけてぽんこつマンの胸に彼女の胸が当たるように上に乗ってきて、ジョリジョリした淫毛でぽんこつマンの股間にある肉棒を摩擦して来る。彼女の乳房はぽんこつマンの肋骨の下あたりをプリンプリンと刺激して来る。

そして彼女は、ぽんこつマンの硬直した肉棒を改めて膣口に迎え入れた。身体を合わせた状態で彼女の膣口はぽんこつマンの亀頭のカリをゆっくり擦り上げる。しかしマットの上でローションでツルツル滑る身体はコントロールが難しい。「ベッドに行きましょうか?」という問いかけに「うん」と応えたぽんこつマンの体からシャワーでローションを洗い落とし、ベッドに向かった。

ベッドに仰向けで寝たぽんこつマンの肉棒を改めて咥えてフェラチオで刺激してもう一度硬直を待ってから、彼女は今度は騎乗位でぽんこつマンの肉棒を膣の奥深くへ迎えた。またもやグラインドを加えて腰を上下させる彼女。しばらくその運動を続けた後に彼女は半回転して背面騎乗位に対位を変える。上下の腰の動きが速くなった。彼女の膣口がぽんこつマンの肉棒の上側を擦り上げ、ぽんこつマンはまたもや快感に見舞われた。ぽんこつマンが軽く、ウゥッと呻き声をあげたのを聞いて、彼女は一旦肉棒を抜いて、背面騎乗位から後背位の体勢をとり、「後ろからお願い❤️」といった。

ぽんこつマンはその言葉を聞いて直ぐに彼女の股の下にある脚を抜き、改めて彼女の尻を掴み膣口にぽんこつマンの肉棒を突き刺した。「ズンッ、、、ズンッ、、」最初はゆっくりしかし強く突き上げていたが、彼女の呻き声が大きくなっていくのに合わせて突き上げ速度は速くなっていった。1秒に2回、そして3回、最後は4〜5回の速度で彼女の裏G スポットあたりから子宮口を突き上げた。ぽんこつマンが強く彼女の尻の肉に指を食い込ませ引き寄せる動きと腰を後ろから前へ突き出す動きを繰り返し、彼女が顔をベッドに充てて悶える表情を見せた。それからぽんこつマンは暫くして、快感が肉茎から背骨を通じて脳天まで走る感覚を味わった。ザーメンは彼女の子宮口に向けて発射された。彼女はベッドに突っ伏した。ぽんこつマンも繋がったままで彼女の上に乗った状態で突っ伏した。

ぽんこつマンは彼女の首筋から肩そして背中にかけてリップと舌で彼女を愛撫した。最初は客とソープ嬢というわかり切った関係だったが、2回のゴム無し中出しが終わった時には、まるで恋人のように愛おしいと錯覚するくらいになっていた。最後に身体から出た汗とお互いの愛液をもう一度シャワーで洗い落として、ぽんこつマンは「Picaso」を後にした。

退職したら熊本に住むのも悪くないと思えるほど、熊本のソープ体験はいいものだった。ソープランドを出た後、ホテルに荷物を取りに行く前に熊本ラーメンで有名な桂花ラーメン(http://keika-raumen.co.jp)を食べに行き、熊本城を観に出掛けた。

東京への飛行機は17時台だったので16時半に熊本空港についていればよかった。そこで熊本城を見た後に、市電に乗って鶴屋百貨店に行ってみた。お土産を買うつもりではなく、熊本の若い女の子が働いているだろうと思い、少し客としてその若くて可愛い店員を見つけて話をしてみたくなったのだ。それくらい熊本の女の子への特別な感情はさらに強くなっていた。

若い女の子が話す九州の鈍りは聴いていて耳に心地いい。何人かの化粧品売り場の可愛い店員と話したが、実に感じのいい娘ばかりだった。年齢差は30歳以上離れているようなぽんこつマンの話にちゃんと付き合って接客してくれる。若い女の子にプレゼントしたいと言って商品をいろいろ紹介してもらうナンパテクニックだが、これも昔学生時代に松本で知り合ったスナックのマスターから教わったものだった。

可愛い店員を落とすために、彼女とそっくりの仮想の彼女の話をして商品を選んでもらい、最後に商品を買って、「その彼女って君なんだよ」と言ってその店員にプレゼントするというものだ。熊本に住んでいれば、その手口でデートのきっかけを作ることもできるが、ぽんこつマンは当時東京に住んでいたので東京に彼女を呼ぶというのもいろいろ大変なので、実際に商品を買うことはなかったが、1時間ほどのデパートでの時間も熊本でのいい思い出になった。ぽんこつマンは今はタイでナンパすることが多いが、タイ語がまだ流暢という訳ではないのと、タイ・バンコクの女の子と熊本の女の子では、親しみやすさの度合いが違う気がする。

ぽんこつマンは既に会社を退職して3年目になる。それでも若い女の子とのデートはやっぱり楽しいし、その女の子を振り向かせることができた時の快感は今も昔も変わらない。速くコロナが終わって欲しいし、そうやって日本のソープやタイのMPの姫と遊んだり、やカラオケ、ゴーゴーバーの女の子やデパガートガールやOLをナンパしたりするだけの資金を稼げるようになりたいものだと思うぽんこつマンである。

日本の自宅で150ccのクレームブリュレを作ってみた。

ぽんこつマンの好きなことに料理がある。料理を始めたのはぽんこつマンが中学生の時代まで遡る。テレビでパイの作り方をやっていて、何故か自分で作ってみたくなり小麦粉、バター、グラニュー糖、玉子などを用意して自宅にあったオーブンで作ってみたのが最初だった。初めての料理は大失敗で、焼いてみたところパイでは無く、大判のクッキーになっていた。多分卵黄やグラニュー糖を入れたことでうまくいかなかった気がするが、何度も何度も伸ばしては畳みさらに伸ばして生地を作ったのだったが、焼き上がった時点で全く層が見当たらず何故パイにならなかったのかの真相は分からないままだ。だが失敗作である、結果クッキーの味が良いことにまんざらでもない気分を味わったのも事実だ。

その後大学生活で一人暮らしを始めたポンコツマンは、キッチン付きのアパートでカレーやシチュー、ミートソースなど、ご飯やスパゲティーにかけて簡単に満腹感を満たせる料理をよく作るようになっていた。

特にカレーに関しては、大学院時代に研究航海でフィジーに行ったときに、街の市場でカレーに使うスパイスを大量に買い込んで日本に持ち帰ったりして、自分でスパイスをブレンドするほどまで凝ったことがある。スパイスを粉末にすることが大変で、何度かオリジナルスパイスのカレーは作ったものの長続きはしなかったが、オールスパイスやクローブ、オレガノ、タイム、ナツメグ、クミン、ロリエ、ローズマリーなどを欧風料理に使う事は今も続いている。

関西で働き始めて、今はもう無いが、ル・クルールというビストロが西天満にあった頃によくその店に行き、自家製のパンを焼くためのスティームコンベクションオーブンが大活躍していることに驚いた。

ぽんこつマンの関西の自宅にはガスオーブンがあったが、100°Cからの温度設定ができず、卵白とグラニュー糖で作るロシェなども白く焼き上げることができなかっった。フランスパンも焼いてみたくて何度か試してみたが、パンは一次発酵、二次発酵がうまくいかずに、うまく焼けなかったことを覚えている。関西の自宅のオーブンは、ナスのミートソースグラタンやマカロニグラタンなどの高温設定が必要な料理には使ったが、仕事が東京に変わり関西の家に居なくなったことで、しばらくオーブン料理はできなくなった。

関西の自宅にはヘルシオもあり、会社を早期退職し富山の自宅に引っ越してきた時に、ヘルシオは一緒に持ってきた。今富山の家ではオーブンといえばそのヘルシオである。庫内の容量が大きく無いので大量の調理はできないが、自分一人が食べる分の量ならなんとかなるのが良い。

クレームブリュレを作るなら、ウォーターオーブンでは無くて良いはずなのだが、今日はウォーターオーブンを使ってみた。材料は卵黄3個、グラニュー糖25g、生クリーム200ml、牛乳100ml、バニラビーンズ3分の1本。卵黄とグラニュー糖をボールで混ぜ合わせておき、牛乳と生クリームを鍋にかけ人肌くらいまで温める。そしてその2つを合わせてバニラビーンズの種を合わせてココットに移す。ココットの表面にある気泡は楊枝で丁寧に潰しておく。ココットは百円ショップで少し大きめのものを2個買ってあった。それを130°Cで50分ヘルシオ中段にバットを置きそこにココットを2つ、バットには熱湯を入れ、焼いてみた。

焼き上がりは、表面に少し焦げ目ができていた。6月に牛乳200ml、生クリーム100mlでオーブン機能で焼いた時には、同じ温度同じ時間でも表面に焦げ目はなかったが、今回はクリームが200mlと分量が多いので焦げたのだろうか。まぁこの後冷蔵庫で冷やして、食べる時に表面にグラニュー糖を薄く敷いてキャラメリゼするから、その焦げ色と同化するはずだ。

前回策も今回作もキャラメリゼの段階であまりうまく行っていない。オーブンでの焼きの時間が長いのか、温度設定が高いのか、分からないがオーブンの窓から焼けている状態を見るとココットの周りがグツグツとしていたので、結果的に真ん中が窪んだ形に焼けてしまっている。

次回は、新たなトライアルとしてスチーム機能で蒸して作ってみよう。

昨晩から急に過ごしやすくなった。本日9月10日午後1時現在26°C、曇り。

ほんの2日前、TOHOシネマズに映画を見に行った日の午後2時は外気温37°Cと随分暑かった。しかしながら台風10号が中国大陸まで北上しフェーン現象が治った昨日の最高気温は31.7°Cに下がり、夜になるともしかしたらエアコンが要らない位まで下がっていた。

今朝起きたら締め切った寝室にエアコンはすでに動いておらず、トイレに向かった時に開いている窓のそばはひんやりと感じるくらいだった。そろそろ残暑も終わろうとしているのかと思うと、しばらく氷菓を買わないのだろうななどと、なんと無くメランコリーな気分になる。

昨日は、ANAの羽田発バンコク行きの10月分のフライトがまたもや運行延期になり、ぽんこつマンの予約していた便を11月の末に予約変更したのだった。2日前にタイにいる連れ合いからLINE電話があり、この富山の自宅にある柿の木の花は今年咲いているかと尋ねられたが、ぽんこつマンは、西日が入るのを避けるため自宅の庭に面したガラス窓に遮光カーテンをつけており庭を眺めたりはしていないので、柿の木に花が咲いたかどうかは分からないのだ。

もし咲いていたとしてもその季節は今では無く、6月のようで今となっては花が散ったことすら確認のしようもない。連れ合いは柿の果実が好きで、昨年の10月に日本に来た時に食べた柿の味が懐かしい。

今年も夏は随分暑かったからもし花が咲いて受粉さえしていれば、10月には実がなっても良いのだろうが、今と梅にその柿の木を見ても、実が実っている気配がない気がする。普段ならぽんこつマンはタイに行っているので、富山の家の柿木が実を付けたとしてもカラスの餌になるだけなんだろうが、今年はタイへの渡航が未だ禁止されているので10月もここ富山の家にいることになる。

昨年の秋に牡蠣のみがなっている時期に庭木の剪定を依頼したのだが、その時柿の花が咲く芽を切っていたなら今年は柿は実らないことになる。来年には花が咲くかも知れないが、とにかくこれからも過ごしやすい気候が続く事を期待しよう。