チェンマイ市内ピン川沿いのデートスポット①リバーサイド

2003年、今からもう17年前ぽんこつマンは、タイの第2の都市チェンマイへ2度目の訪問をした。2001年か2002年に離婚し独りの身になったぽんこつマンは、それまで以上にアジアでの風俗体験に興味が膨らんでいて、2日3日の休暇を土日に絡めてよくタイに向かうようになっていた。それまではバンコクが圧倒的に多かったが、なんとなく「タイ第2の都市」「タイの赤い薔薇」というフレーズに惹かれてチェンマイ での風俗探索をしようとしたのだった。

チェンマイの宿は、当時はジョイナーフィーが不要となっていたインペリアルペイピンホテル(http://www.imperialmaeping.com)<現在、臨時休業>を好んで選んでいた。近くにはバービアやマッサージ屋が多く並ぶ、ロイコー通りがあり、多くの初老の白人が昼間から一杯やっている姿に憧れを感じたのだった。

ホテルの車両入り口を一歩出るとカンパングディン通りがありそこにもマッサージ屋(多分エロマッサージ)やバービアがあり、昼間から呼び込みがあったことを思い出す。当時からチェンマイの風俗遊びといえば、ゴーゴーバーではなく、マッサージパーラーかカラオケが主流のようでぽんこつマンは昼間にマッサージパーラーに行き、夜はバービアかカラオケというパターンで行動した。

カラオケは当時手に入る情報ではチェンマイランドというエリアにあるオリビア2という店がいいという噂があり、チェンマイに到着した2日目の夜にトゥクトゥクで出かけた。オリビア2の隣にはKITAMONDという焼肉屋(和食メニューもある)があり、オリビア2の経営者がその焼肉屋もやっているとの話だった。

オリビア2の前にトゥクトゥクで着いたのは19:00をまわった頃で既に店の前には2〜3人の女の子が顔見せしていただろうか。飯を食べていなかったのでまずKITAMONDに入って、情報収集を兼ねて食事をした。その時はまだ店内に客はほとんどいなかった。店主かどうかわからなかったが初老の日本語を話す眼鏡の男性が接客してくれたことを思い出す。

今Googleのストリートビューで見ると北門(KITAMOND)は今もあるようだが、オリビア2は見当たらない(取り壊されているようだ)。はっきり言ってチェンマイランドというエリアもどんどん寂れて行っていて、2010年頃、処女を斡旋している店が摘発を受けたというニュースが流れて以降、カラオケ店の看板がどんどん消えて行ったのを覚えている。

その日は、北門で軽く食事を済ませた後、隣にあったオリビア2に突入した。入り口を入ると左手に女の子がずらりと20人は並んで座っていてそこだけが明るく照明されている。その中から好みの女の子を選んでベンチシート席でお酒を飲むもよし、カラオケを唄うも良し、そのままペイバーして直ぐにホテルへ連れて行ってもよしとママらしき女性から日本語で説明された。

ぽんこつマンは、身体が大作りではない華奢な感じの女の子が好きだったが、ちょうど長いコーナーソファーの真ん中あたりに座っていた女の子がそのタイプだった。ママにその子を選ぶと伝えて少し飲んでいくことにした。

周囲に仕切りがあって他の客が何をしているかが見えない作りになったベンチシートに座る。一応カラオケというので唄の本とマイクは用意されたが、ぽんこつマンは唄には全く興味がなく、女の子とスキンシップしたかっただけだった。

彼女の名前はK◯◯◯、年齢は26歳と言っていたが、見た感じはもっと若い印象だった。ぽんこつマンはビアチャンを頼んだ。彼女はぽんこつマンに身体を寄せてきて、モモとモモが触れ合う感じに接近した。彼女は手をぽんこつマンの膝にあて、カタコトの日本語で「ウタウタワナイカ?」と訊いてくる。「唄わないよ」と応えると「ソウカ、ソウナノカ」と返してくる。

ぽんこつマンは、彼女の腰に手を回しビールを飲んだ。彼女はコーラを頼んで飲んでいた。ベンチシートがあるエリアはほぼ真っ暗で仕切りもあるからエロい事をしても問題なさそうだったが、ぽんこつマンは、静かにビールを飲んでいた。

40分ぐらいベンチシートでビールを飲んでいたが、トイレに立って戻ってくる時、ママが近づいてきて、ペイバーするかどうかを訊いてくる。ぽんこつマンは既に彼女のことを気に入っていたので、ロングでペイバーしようと考えていたが、当時はペイバーそのものがロングしかなかったのだった。

席に戻るとママもやってきてKにタイ語で一言二言話すと、Kは立ち上がって「キガエテクルネ」とその場を去った。暫くして戻ってきた彼女はヘソが見えるノースリーブシャツとジーンズ姿だったことを覚えている。当時のペーバー代は2000バーツだった気がする。

店の外に出ると彼女は「オナカスイタ」という。そこでぽんこつマンは「どこかいいムードの店に連れて行って」と彼女に伝えた。すると彼女はトゥクトゥクを携帯で呼んでチェンマイランドエリアを後にした。

トゥクトゥクはチャンクラン通りを北上し、スリドンチャイ通りを右折、チェンマイプラザホテル前を通り、T字路を左折してチェンマイの観光名所になっているピン川にかかるクアレック橋を渡ってピン川左岸の道を北上する。信号を直進して、暫く走った先でトゥクトゥクは止まった。

そこが、当時のチェンマイ娘には人気のエリアにあるThe Riverside Bar & Restaurantだった。彼女は顔が効くのか、店に着いた時はほぼ満席だったが、店内のテーブルに直ぐに案内された。さすがにピン川沿いのテーブルではなかったが、川面が見渡せる雰囲気の良い席っだった。

もしここを訪れるなら日没の少し前に席に着ける時間帯がベストだろう。ドイステープの向こうに陽が沈み、オレンジからパープルに変化する空と水面に映る河岸の光が、ロマンチックな気分を盛り上げてくれることだろう。ディナークルーズ船も予約すれば乗船できるらしい。

ぽんこつマンはオリビア2に行く前に軽く食事をしていたので、ウイスキーとトートマンクン(エビのすり身揚げ)を頂いた。彼女はプーニムパッポンカリー(ソフトシェルクラブのパッポンカリー)とパクブーンファイデーン(空芯菜炒め)とご飯を頼んだ。

彼女は、サンカンペーンに住んでいること、既に小さな娘が一人いること、その子の父親は、娘が生まれる前に逃げたこと、今は母親が娘の面倒を見ていることなどを話してくれた。

その日は、夜の23時くらいまでリバーサイドにいて、それから今はもうなくなってしまっているがぽんこつマンが泊まっていたホテルの近くにあったディスコに行った。彼女はそこで初めてコークハイを飲み、かなりハードに踊っていた。

午前1時にホテルに戻り、それからふたりはお互いの身体を確かめ合った。ぽんこつマンは既にかなり酔っていたが、彼女の膣の締まりがすごく良かったことははっきりと覚えている。翌朝ホテルで朝食をとり、もう一度部屋に戻って締まりのいい膣の感触を味わった。

昼になり彼女は帰るというので、ぽんこつマンも一緒に行っていいかと訊いたら、「OK」と直ぐに返事をくれたので彼女が呼んだトゥクトゥクに乗ってサンカンペーンの家に行った。料金はわずかに40バーツ。ぽんこつマンはチェンマイの市内を移動するだけで60−80バーツいつも要求されていたのでローカルが利用するトゥクトゥクの料金がいかに安いのかを思い知った。

家は古い木造で母親が2歳ぐらいの女の子をあやしていた。彼女の母親はぽんこつマンに水を差し出してくれたが当時は生水を飲むとお腹を壊すと言われていたので、唇はつけたもののガブガブとは飲まなかった。水と一緒に出されたマンゴスチンは2個食べた。チェンマイの一軒家にはいくつかの果物の木があるのが一般的で、自宅でその時取れる果物を出してくれたんだろう。

暫く彼女の家にいて、夕方5時前に彼女がオリビア2にまた出勤するというので、一緒にチェンマイまで戻ってきた。彼女は店に行く前に店の近くの美容室で髪を洗うと言っていたので、ぽんこつマンは先にホテルで降りて彼女にトゥクトゥクの料金として200バーツ渡して別れた。

彼女にはその後2度ほどチェンマイ で会い、チェンマイの新興住宅地を巡ったこともあったが、結果的にそれ以上関係が発展することはなかった。リバーサイドでのロマンチックなデートの時間は今も鮮明に記憶している。あの時の彼女の娘は今頃ちょうど20歳くらいだ。

もし彼女との運命が蘇るとしたら、次に彼女の娘とチェンマイでそれもリバーサイドで出会うことになるかも知れないとぽんこつマンは勝手に夢を見ている。

チェンマイで初めてうまいと思ったケーキショップ

ぽんこつマンは一時期兵庫県芦屋に住んでいたことがあり、当時は阪神芦屋駅近くにあったアンリシャルパンティエのケーキを好んで食べていた。当時も今も日本のケーキは甘すぎず、しっとりとしていてアメリカのケーキとは比べものにならないほど美味しいと感じていたが、2000年以前のタイではまさにアメリカの甘いだけのパサパサケーキが主流だったため、好んでケーキをタイで食べようとは思っていなかった。

そんなぽんこつマンのタイケーキの概念を覆したのが、2004年に訪れたチェンマイのラブ アット ファースト バイト(https://www.facebook.com/loveatfirstbitecnx/)だった。2004年にはぽんこつマンは兵庫県三田という六甲山の裏にある新興住宅地に引っ越していて、そこにもサント・アン(https://www.saintan.com)という美味しいケーキ屋があり、ぽんこつマンはそこのサント・アン・トリュフというチョコレートクリームとココアパウダーのケーキがいちばんのお気に入りだった。

チェンマイのラブ アット ファースト バイトに訪れたきっかけは、今の連れ合いと付き合い始めた頃で、デートの場所として彼女に連れて行かれたのが最初だった。その店は1999年にオープンしたようで、昔は大きなお屋敷があった場所にケーキ工房を開いたようだ。イートインスペースは店内にもあるが天気の良い日は、大きな庭木が生茂るオープンエアのテーブルが人気だった。

タイでは既にケーキの値段は高額になっているが、ぽんこつマンがその店に行き始めた頃は、大体50バーツ前後だったと記憶している。カフェラテも50バーツ前後だったから、ふたりで概ね200バーツかせいぜい250バーツまでだったと思う。この頃は、バーミーナムが屋台で20−25バーツだったことを考えるとそれでもケーキやコーヒーは贅沢品だったんだろうと思う。

今やタイバンコクの名の通ったケーキ屋のケーキの値段はひとつ200バーツを超えているが兵庫県三田市にあるサント・アンのケーキは大体300円台と考えるとタイの方が遥かに高価なものになっている。

タイで日本の暮らしと変わらない生活水準を求めると明らかに日本より高額な費用がかかるようになっているが、なぜ国民の3%しかいない月給50000バーツ以上の高所得者でもないタイ人が200バーツ以上するケーキやスターバックスのコーヒーを頻繁に口にできるのかが不思議でならない。

日本で考えれば、20万円の月給で6万円の風呂なしアパートに住み、2000円以上するケーキや2000円以上するスタバのコーヒーを飲んでいるのと同じなのだが、2日に1回ケーキとコーヒーで5000円払っていたら、1ヶ月で7万5千円のお茶代を払っていることになる。電気代が月5000円出すんでも残りは6万円。携帯代1万円払うとすると残りは5万円しかない。

タイ人の暮らしぶりはお金のある時にパッと使って、お金がなくなれば5バーツのインスタント袋麺ひとつか5バーツで買える餅米で一日過ごすということのようだが、お金がないことにあまり不安を感じないとすれば、それはかなり得な性格と言って良いだろう。

長い間、ぽんこつマンはこのチェンマイのラブ アット ファースト バイトには行っていないが2018年当時は、まだケーキ1つ100バーツ前後だったようである。この価格帯なら、日本より高いとまでは言えないのだが、2020年の秋、極めてヒステリックなまでのタイ政府のコロナに対する入国禁止措置で外国人旅行者の姿がほとんど消えたチェンマイで、この店がまだ営業を続けられているのかが気になるところだ。

次にぽんこつマンがチェンマイにいつ行けるのかはまだ不明だが、もう一度このラブ アット ファースト バイト(最初の一口が好き)に若くて可愛いチェンマイ娘を誘って訪れてみたいと思っている。

チェンマイのマッサージパーラー②パンドラ

ぽんこつマンがこのマッサージパーラーを初めて訪れたのは2003年だったと思う。この年はチェンマイのチェンマイランドというカラオケ店が集まるエリアの探索に来た年で、システムの情報を何1つ知らないまま、オリビア2というカラオケにひとりで飛び込んで、Kと名乗る当時26歳の小さな娘をペイバーしたのだが、カラオケがオープンする時間は早くても19:00頃だろうと思い、昼の2時頃ホテルを出てトゥクトゥクでパンドラを訪ねたのであった。

パンドラは、SAYURI コンプレックスよりさらに市内から離れていて、タイ国鉄チェンマイ駅から5〜600mほどの北側に位置する。市内からの行き方はSAYURIコンプレックスへ行くのと同じ、チャロンムアン通り(ターペー通り)をピン川を渡り東へ進む。ピン川を渡って1km程進んだら右手にShell の大きなガスリンスタンドが見える。その先左手に、看板がたくさん並んだサインがあるところを左に入る。

そのMPの場所はすごく分かりにくいがチャロンムアン通り(ターペー通り)の入り口から奥へ250mほど入ると、長いビルのほぼ奥のあたりにそのMPのエントランスがある。

ぽんこつマンがそのエントランスを入った時は、まだ時間が早過ぎたのか女の子は数人いただけだったがひとり可愛い子がいた。女の子はまだ金魚鉢には入っていないようでエントランスで直接顔を見たのだったが、覚えたてのタイ語で話してみても、どうもぽんこつマンのタイ語が分からないらしく、コンチアの話では普段はタイ語を使わない部族ミャンマー国境やラオス国境の娘のようだった。当時の記憶は定かではないが1300か1400Baht払ったような記憶がある。

もしかしたらタイ人ではない隣国ミャンマーやラオス、娘たちだったのかも知れない。しかしカラオケに行くまでにまだ4時間くらいあったので、その可愛い黒髪の女の子を選んで部屋に上がった。もう部屋の様子は覚えていないが、こちらも当時はバンコクのMPと比べて貧相な作りだったと思う。

部屋で洋服を脱いで、お湯(かなり低めの生温い程度)を張った風呂にふたりで入り彼女の洗体サービスを受けるが、タイ語も通じないのでは英語も通じるわけもなく、ただただ意味もなく微笑み合うだけの時間が流れた。

シャンプーという言葉は何とかわかったみたいで、髪の毛も洗ってくれた。ぽんこつマンが彼女の年齢を訊こうとタイ語、英語や自分の年齢を指でジェスチャーするなどしたら彼女は同じく指のサインで2と4のサインを出し24歳のようだとわかった。

彼女のおっぱいは自然のままの張りもあり、形のいい美乳だった。ぽんこつマンはシリコンの乳は好きではないのだ。自然のままでまだ張りがあると言う事は、20歳を超えた女には珍しい事だ。もしかしたら男との肉体関係が必須のマッサージパーラーの仕事を始めてさほど日にちが経っていない嬢なのかもしれない。アジアの貧しい農家に生まれた娘が親が背負った借金のために売られてくると言う話を聞いたことがある。学校にも行けていない純真無垢な田舎娘がその運命を受け入れて健気に笑みを浮かべて働いているのかもと想像した。

しかし彼女は処女でこの仕事に入ったのではなさそうだった。よく見るとイン毛の上あたりの下っ腹が少しふっくらしていて、かすかなセルライトの線が何本か見えていた。きっと彼女は田舎で既に一度は妊娠・出産を経験していて、子供を彼女の田舎の両親のもとに預けてチェンマイに働きに来ているのだろうと思った。

ベッドでは、ゴムを付けてのフェラチオサービスから始まって、騎乗位での本番サービス、そして正常位になってのフィニッシュまでという流れだった。本番サービスが終わったら、彼女は冷たい手でぽんこつマンの太ももやふくらはぎ、そして背中の筋肉を解してくれるマッサージをしてくる。マッサージがうまい訳ではなかったが、一生懸命尽くそうとする気持ちはよくわかった。言葉が通じないが彼女の少しはにかむ笑顔は最高に可愛いと思った。マッサージが一通り終わって再度シャワーでぽんこつマンの身体を洗い流した後、決められた時間が来る少し前にぽんこつマンは部屋を出た。彼女にはぽんこつマンが勝手に想像した彼女の生い立ちの不憫さに500バーツのチップ(当時はMPで渡すチップは普通で200、サービスが悪いと100と決めていたのだが…)を渡したが、その時も一瞬驚き、最高の可愛い笑顔見せてぽんこつマンを送り出してくれた。

店の外へ出るとまだ陽はそこまで低くはないものの、かなり光線が弱くなっていた。道の奥は左に曲がっていてそこに大きなアパートがあるようだった。多分このアパートに多くの田舎からの出稼ぎ娘や男が一部屋に何人か集まって寝泊りしているのだろうと勝手な想像をしたことを思い出す。

ぽんこつマンは、歩いてそのアパートの前を通りさらにその先へと歩を進めた。高い建物はなく、時折通るバイクの音だけが残る静かな通り。道は少しうねりさらに先へと続いていた。ぽんこつマンはただおもむろにその道を真っ直ぐ進んだ。

1kmほど歩いただろうか、その道はT字路になり、右手にはSAYURI コンプレックスの黒字に黄色のタイ文字サインが見えた。ぽんこつマンは改めてSAYURIに向かい、金魚鉢を眺めに入ったが、その日は先ほどの可愛良い女の子を超える上玉を見つけることができなかった。

その後、SAYURIを出て左へ進み右手奥に高いコンドミニアムが見える方向へ歩いてみた。いくつかの行き止まりにあたり戻っては違う道を進んで、できるだけ夕陽が落ちる方向へ進むようにしていたら、ピン川沿いを走る道路に出た。そこには、この後行ったカラオケでペイバーした女の子と後日デートしたThe Riversideや今の連れ合いと出会ったThe Gallery Cafe、そして今の連れ合いと初めてデートしたGood Viewといったチェンマイでのデートスポットがひしめくエリアだった。

タイのレストランでウェイトレスの女の子と仲良くなってみよう

タイに着いたら、レストランで食事をすることが当たり前になる。タイのレストランには、タイ人の若くて可愛いウェートレスがいる事が多いが、そのレストランが高級ホテル内のレストランや有名で気の張るレストランでない限りは、そのウェイトレスと仲良くなってみるのも悪くはない。

食事の際にもしビールやワイン、ウィスキーなどのアルコールを注文した場合、テーブルサービスとしてビールやワイン、ウィスキーなどを注ぎに来てくれるのだが、一人気になる子がいたらぽんこつマンはその気に入った一人の女の子がこちらを見ている時に手をあげて「ノーン」と声を掛ける。

ウェイトレスは大概名札をつけているので、まず名前を確認する。彼女に向かって「チュー アライ カップ?」と言えば彼女は自分の呼称になっている呼び名を教えてくれるだろう。彼女が名前を教えてくれたら、一回声に出して彼女の名前を言ってみよう。彼女の名前を読んで彼女が笑ってくれたら、「ノーン ◯◯」と言って簡単なものを追加で1品頼んでみよう。

次に、氷が足らなくなったら、また彼女を見つけて手を上げて「ノーン 〇〇」と読んで、注文をしよう。そうこうしている内に彼女がそのテーブルのことをよく見てくれるようになったら、精算の時にもう一度彼女を読んで、精算をお願いして個別にチップを渡して、LINE ID を交換してもらえれば、ナンパできたも同然だ。

ただの友達としてお付き合いするか、恋人候補としてお付き合いするかは相手との関係もあるが、まずはコミュニケーションを取るために次のデートを約束できるといい。それが難しいようなら、何度かそのレストランに通ってその子にアプローチを繰り返すのもいい。

日本では、そんな簡単にLINE交換までは行かないが、タイでは意外に安易にLINE交換ができる。ゴーゴーバー嬢やバービア嬢ではなく、学生のバイト娘と仲良くなってみるのも悪くはないのだ。

ぽんこつマンは、そうやって仲良くなった女の子と、バンコクならドリームワールドやウォーターパーク(サイアムアメージングパーク)とかのアミューズメント施設でデートした事もある。タイの女の子は年齢差がかなり離れていてもOKな娘が多いと思う。

今はタイに行けなくて、バンコクでひとりレストランに入って可愛いウェイトレストを見つけて、ナンパもできないので、エアナンパするしかないのだが、早くコロナによる国境封鎖が解除されることを期待したい。

ぽんこつマンが好きなバンコクのラーメン屋

ぽんこつマンがタイにいる時はよくラーメンを食べに行く。一番最初にバンコクで訪れたラーメン屋は、スクンビットソイ33/1にあるラーメン亭(http://ramentei-bkk.com/shop-information/)だ。ぽんこつマンがバンコクに2回目に訪れて、スクンビットソイ19のThe Key Bangkokhttp://www.thekeybangkok.com/en/?utm_source=GMB&utm_medium=HotelHomePage)を常宿にした最初の時だった。

2002年頃のことで、当時は今ほど至るところにラーメン屋があるわけではなく、たまたまアソークからプロンポン方向に歩いて散策している時に見つけたラーメン屋だった。ぽんこつマンはまだまだ大食いだった頃で、その時はチャーシュー麺と餃子、さらに中華丼を注文していた。

その味は挑戦的では無いが安定した日本の町中華の味で、いつ食べても美味しいと思う。もう1つタイには早くから進出しているラーメン屋がある。それは8番ラーメン。1992年バンコクに海外1号店を開いている。8番ラーメンはぽんこつマンの実家がある北陸に多くの店舗が展開していて、高校生の頃からたまに食べたことがあったが、味的にはやはり刺激が少なく、最近はパンチにかけるという印象だ。ぽんこつマンのタイでの8番ラーメン体験はチェンマイになるが、そこはセントラルプラザチェンマイエアポート店だった。2003年くらいから毎年チェンマイに行っているが当時は日本食レストランはFUJIとやよい軒くらいでラーメン屋のチェン店開店はチェンマイにはなかったという記憶がある。当時からおいしいラーメンというタイ資本のラーメン屋はあったが、味が日本人向きとはいえなかったのでそれならばと8番ラーメンに入ったというわけだった。

日本でラーメンがブームが始まったのは、1985年ラーメンをテーマとした伊丹十三氏の脚本・監督による映画「タンポポ」が公開されてからとぽんこつマンは思っている。1989年には首都圏を中心に豚骨ラーメンブームが起こり、1994年新横浜ラーメン博物館がオープンすることになる。

ぽんこつまんが本格的にラーメン好きになったのは、1986年頃からでちょうど会社で働き出して3年、食べるものにこだわりを持って接することができてからだと思う。当時は関西の会社に勤務していたが、金曜日の仕事が終わりどうしても博多の屋台ラーメンが食べたくなって車で高速道路を走って博多に夜中2時ごろに着いてラーメンを食べるといったこともするほどになっていた。

東京で、麺屋武蔵が初めて新宿の子滝橋通りに店を開き、まだ煮干しを使った魚介系スープが珍しくそれほど混雑していない時に近くにあるルーレット教室で遊んだ帰りは必ず立ち寄っていた。そのうち大行列ができるようになり、足は遠のいたが、もう1つ東京にしかないラーメン屋で「はしご」というダンダン麺の店が今も忘れられない。さらには、喜多方ラーメンの東京進出で一時期麹町にあった「小法師」にもよく通ったことを思い出す。

「はしご」は東京にしかないし、「こぼし」も東日本に集中していて海外進出はしていない。タイへの多くのラーメン屋の進出のきっかけは、2008年東京豚骨ばんからラーメンがスクンビットソイ39にオープンしてからだ。2013年には関西が拠点の豚骨 火山 ら~めんがバンコク1号店を出店した。豚骨スープを主体とした日本で人気のラーメンとなった一風堂がバンコクに進出したのが2014年、千葉の鶏パイタンラーメン七星(ななせ)が2015年にトンロー駅前に出店。2016年には、博多一幸舎がトンローJアベニューにオープン。これまでにもバンコクで新しくラーメン店ができては消えていっているが、やはり海外進出しても味が大きく変わらないチェーン店は長く残れるのだろうと思う。

ぽんこつマンがタイで食べたラーメン屋は、らーめん亭、一風堂、一幸舎、ばんからラーメン、七星、豚骨火山ラーメン、内田家、チャブトンラーメン。この中でスープが旨いと思うのは今のところ一幸舎が1番、七星が2番、ばんからが3番と言ったところだろうか。

チェンマイの家で自分で豚骨と鶏ガラを煮込んでスープを作って食べてみたが、ラーメンはタレもかなり味を左右するし、麺との絡み方も重要だと思う。バンコクという地で、スープも面もそしてトッピングもチャーシュー1つとっても、いつも一定の味を維持するのはかなり難しいと思う。

ラーメンチャンピオンの店としてタイで展開しているチャブトンのチェンマイの店での話だが、提供された時にスープが既に冷めていてがっかりした記憶がある。その後数回訪れて店のスタッフにスープが冷めていて美味しく無いと伝えたが改善は見られなかった。タイ人は猫舌が多いのか熱々のスープはどうも苦手なローカルが多いようであった。スワナブーム空港の国内線のフードコートにもラーメンを出している店があるが、そこの店は、タレの塩味が全く効いていないこともあった。

タイでは味が一定しないことがままあるのだが、何か1つの行程をすっかり忘れているあるいはパスしているということかもしれない。まぁ、日本の味の代表になりつつあるラーメンが大きく外れた味にならないようにタイ人の料理人にも頑張ってもらいたいものだ。

タイのごま油はなぜ酸化した油の独特な匂いがするのか

ぽんこつマンは、自分で料理する。バンコクのコンドにもIHヒーターがあり、カレーやシチュー、肉じゃが、ふろふき大根などの煮込み料理、麻婆豆腐、麻婆茄子、肉野菜炒めなどの中華風炒め料理、ポークチャップ、ポークピカタ、グリルチキン、ビーフステーキなどの肉料理、そして鴨鍋、すき焼き、しゃぶしゃぶ、湯豆腐窓の鍋料理、そしてボンゴレビアンコ、ボロネーゼ、アラビアータ、ポモドーロ、フンギのクリームソース、カルボナーラといったパスタもよく作る。

中華を作る時の炒め油はごま油を使うことが多いのだが、なぜかタイのごま油は日本のごま油のような香ばしい香りがしない。ぽんこつマンにはタイのごま油は、酸化した油に匂いがするので、日本に一時帰国した時に日本でごま油を買って持っていくか、タイの日本食品店で日本のごま油を買うようにしている。

チェンマイに住んでいる連れ合いも、タイで売っているタイ産のごま油は、日本のごま油のように良い香りがしないと嘆いているが、なぜなのだろう。

バンコクにはまい泉(https://mai-sen.com)がエムクォーティエに入っていて、幾度か食べに行ったことがある。ぽんこつマンはそこでよくカツ丼を食べるのだが、なぜかそのカツもタイのごま油の独特な油の匂いがしていて、かつて東京のまい泉青山本店で食べたとんかつとはまるで違う印象だった。

タイでは、一度調理で使った油を集めて再生した安い油があると聞いたことがある。しかし、タイのタラートで売っているフライドチキンやソイカウボーイなどの歓楽街で売っている屋台のガイトート(タイ風フライドチキン)でも油が参加している嫌な匂いはあまり感じない。

やはり、バンコクのまい泉では、タイ産のごま油を使っているのではないかとさえ思う(まい泉 マーケティング本部 海外事業グループから2020年10月5日に連絡があり、植物性油(大豆とパーム)を使用ほど、独特の参加した油の嫌な臭いが気になる。まい泉は揚げ油には拘っているはずだから、ごま油を使用するよう指導しているのかもしれないが、タイではごま油より米油の方がきっと旨いとんかつが揚るような気がする。

ごま油の製法には、圧搾法と抽出法というのがあるらしいが、日本の有名メーカーのごま油(かどや、マルホン、九鬼など)は全て圧搾法で香りや栄養価が高いとされているが、最近は圧搾法ではなく、有機溶剤を使って胡麻に含まれる油を溶かし出す抽出法で作る方法を行っているごま油もあるようだ。

タイにどんなごま油メーカーがあるのか知らないが、例えば中国産のゴマを中国の工場で抽出法で作られたごま油となれば、その味や香りが日本の圧搾方による香ばしい香りを保証するものではないのだろう。低コストで大量に得られる抽出法で作られたごま油がタイで出回っているものの主流だとするとその味と香りが日本のものと大きく違うのは間違いないところだろう。

やはり値段は少し張っても、せっかく旨いものを作るのだからごま油を使うなら圧搾式のごま油を使いたいものだ。

サイアム駅で待ち合わせした女の子の友達としてきた娘が好きになって②

出会ってわずか数時間で好きになった女の子B、少年のように純情な気持ちで数週間接して来たB、その恋があっという間に儚く消えた話の続きは、彼女が長い間ラオス国境近くの寺に篭ると語ったところから始まる。

ぽんこつマンは、彼女Bとの恋が儚く消えたと感じた日から彼女のことを忘れようとしたが本気で彼女の放つフェロモンの虜になってしまった気持ちは、なかなか鎮まる事はなかった。恋の可能性が消えた日から半年くらいが過ぎた頃に彼女Bへの気持ちを断ち切るためにLINEのIDを削除したのだが、それでもBと距離を置くきっかけになった彼女の友人Kの交通事故死を忘れる事はできなかった。

結果、ぽんこつマンはBのインスタグラムを探して彼女のアップしている画像や動画を見ることになったのだが、そこに実際に彼女Bと最後に会った時に言っていたラオス国境近くの寺に篭るという話が本当に画像でアップされているのに気がついた。ただしその画像がアップされているのは今から66週間前でおおよそ2019年6月最終週ということなのだ。

それから、ぽんこつマンは交通事故死したKのことを思い出すたびにBのインスタを見に行くようになった。ぽんこつマンが彼女と過ごした数週間の記憶はBがアップした1718の投稿の内の2つでしかない。それ以降Bのインスタには初めて接した時の質素さとは裏腹なゴージャスライフが限りなくアップされていた。メルセデスを運転し(ぽんこつマンは彼女が持っている車はタイ生産のNONDA City)、5つ星のホテルに泊まり、韓国、中国へ長期旅行しする姿があった。

ラオス国境の寺に篭ったと思われる画像が掲出された直後にすぐシンガポールのサンズに出かけている。それからが驚くことに、52週間前にはプライベートジェットでインドネシアに飛び豪華クルーザーに乗り、女友達とビーチで戯れたりした画像があるかと思うと、その1週間後にはまたプライベートジェットでデンマーク、ドイツ、ポルトガルに飛び、毎日豪華な食事もアップされている。

そうかと思えば48週間前にはプーケットの高級リゾートホテルに最初にBと知り合うきっかけになった女の子Aも含めた女性3人で2週間ほど滞在していた記録がある。40週前には改めてプライベートジェットでプーケットにAと飛んで豪華クルーザーでの豪遊記録をアップしている。36週前は日本、35週前はデンマーク、31週前には今度は7人の女の子でプーケットに三度訪れ1週間過ごしたようだ。

27週前にも女の子5人でまたまたプーケットで豪華クルーザー、13週前はインドネシアのティムールで豪華クルーザー、12週間前にタイに戻っているがその頃タイは7月で民間航空局が国際線の航空機飛行を4月から禁止し続けているから、プライベートジェットでの蜜出入国渡航でしか海外へ行って帰国する事はできないはずだ。しかも帰国してから隔離施設に入ったかどうかもわからない。8週間前はカンチャナブリのリゾート、7週前はサラブリの古代遺跡、4週前はナコーンラーチャシーマのThames Valley Khaoyai Hotel、そして2週間前はまた6人でプーケット、そしてウドンタニー 、最新が9月28日のサコンナコンのお寺になっている。

どう考えても、国家権力をも凌ぐ権力と財力を持つ飛び抜けた富豪の存在でも無い限り、できることではない。プライベートジェットといえば、元日産のゴーン被告が日本から国外逃亡した時にニュースになる程度で、日本には娘にそこまでの生活を許せる親もパパもいないと思うが、一体どんなスポンサーのサポートを受けているのか計り知れない。

Bという女の魅力が世界のあらゆる男に貢がせるだけの魅力があるのか、巨万の富と絶対的な権力を持つ男の遺産を受け継いでいるのか、それとも国家体制をも操るアジアNo.1のあげまんなのか、あまりにもミステリアスな魔性の女にわずか数週間とはいえ、相手にしてもらったというのはもしかしたら誇らしいことかもしれないとさえ思う。

いつかタイに戻れる日がきたら、彼女にもう一度会ってみたい。そしてインスタグラムに潜まれた秘密を聞いてみたいと今は思っている。

サイアム駅で待ち合わせした女の子の友達としてきた娘が好きになって①

ぽんこつマンがほんの3ヶ月バンコクで働いていた時、Tinderで知り合った女の子Aとデートすることになりサイアム駅で待ち合わせした。彼女のことを気に入った理由は、Tinderにアップしていた彼女の抜群のプロポーションで特にスラリと伸びた脚がたまらなかった。

待ち合わせ日時は2018年8月4日(土)18:00BTSサイアム駅。ぽんこつマンは当時住んでいたスクンビット通り沿いのコンドを17:20に出てBTSエカマイ駅に行きサイアム駅まで向かった。ぽんこつマンはサイアム駅に17:50に着き彼女の到着を待った。彼女は待ち合わせの時刻から5分ほど遅れてブルージンズのホットパンツにスニーカーで姿を現した。身長は160 cmほどあり高身長だが細い脚、細い腰、細い肩でスレンダーという言葉がぴったりの娘だった。

軽く挨拶を済ませて、どこに行こうかということになる。ぽんこつマンは初めてのデートなのでルーフトップバーに行こうと提案した。彼女はOKと了解し、それならとセントラルワールドの方へ歩き出す。

彼女が案内するルーフトップバーはセンタラ グランド アット セントラルワールドの最上階55階にあるRed Sky Restaurant & Red Sky Bar(https://www.bangkokredsky.com)のようだった。ホテルのロビーからエレベーターで54階まで行く。54階はレストランフロアのようだ。そこから階段で55階へ向かう。

55階のバーに着いたのは18時30分過ぎだったが、8月のバンコクの日の入り時刻は18時40分くらいでまだ空は明るかった。彼女はカクテルを注文しぽんこつマンはコート・デュ・ローヌの赤 2016 Yann Chave, Crozes-Hermitage ‘Le Rouvre’ biodynamic Rhône Valleyをボトルで頼んだ。陽が落ちるタイミングでドリンクがやって来て、乾杯をする。

彼女はバンコクのある保険会社のOLといっていたが、まるでモデルのような体型だった。彼女とは友達としてその日会ったが、そこに彼女が呼んでいたふたりの女の子がしばらくして訪れる。ひとりはショートヘアがよく似合う肌の白い可愛い感じの女の子K、もうひとりは長い黒髪のやはりスレンダーな娘B。

新しく来たふたりの娘はワインを飲んだ。1本のワインはすぐに空き、また新たに1本を頼んだ。Tinder で知り合った女の子と同じ大学の同級生だというふたり。ショートヘアの女の子Kは自分のことをアーティストと言い、長い黒髪の娘Bは、オリジナルの化粧品ブランドのオーナーだという。

ぽんこつマンは最初の彼女より、後から来たふたりに興味を持った。4人がけの対面ソファーでぽんこつマンの隣に座ったのは長い黒髪の娘Bで、最初にあった女の子とショートヘアの子がトイレに行ってふたりだけになった時に、Bに連絡先を教えて貰って今度こっそりとふたりで逢おうとということになった。

その日は3人で22時近くまで飲んで、ぽんこつマンはかなり酔ったのでレッドスカイで彼女たちと別れて部屋にひとり帰った。

翌週、仕事から戻って部屋にいる時、BからLINEメッセージが入った。「今Kと一緒に韓国料理を食べてる」「これからもう一軒行こうと話し合ってるけど会える?」というのだ。時刻は21時、ぽんこつマンはすぐに「OK」と返事した。彼女たちはアソークの近くにいてプロンポンまで来るというのでぽんこつマンはすぐに部屋を出てプロンポン駅に向かった。

彼女たちが待ち合わせのプロンポン駅に現れたのは21時40分、駅の改札を出てさてどこに行くかということになった。3人はワインで一致してBとKがよく行くというワインバーに行くことになった。場所はトンロー10、Wine Republic Bangkok(https://www.facebook.com/wine.republic.bkk

ぽんこつマンも彼女たちも食事を済ませていたので、赤ワインを1本頼んで生ハムをつまみに飲んだ。その時、ぽんこつマンはバンコクに住み始めてほんの1ヶ月ほどだったのでまだその店は初めてだった。そこの近くには酒税の高いタイでそこそこの値段でワインが飲めるとあって夜遅くまでローカルにも人気があるようだった。

彼女達とのデートは楽しかった。ただぽんこつマンはBの事がお気に入りになっていて、幾度かBだけを誘って食事したことがある。彼女の肌の色はタイ人の一般的なタンカラーだが、彼女のドレスから少し見える胸の膨らみが美乳の典型とも思えるくらい形がよい。デコルテの美しさも見事だと思った。さらに彼女のぷっくりとした唇も彼女のセクシーアピールを増幅していた。

さらに1週間ほど経った土曜日、またBからLINEにメッセージが来て、「Kとナイトクラブに行くけど一緒に行く?」と聞いて来た。ぽんこつマンはいつも通り「OK」と返事を返した。時刻はまだ17時だったが、19時にBTSナナ駅で待ち合わせになった。

ナイトクラブは、大体21時がオープン時間が普通だが、その前に食事すると言う事だと思った。ナナ駅で彼女達と合流して向かったのは、スクンビットソイ11、The Australian Pub & BBQ(https://theaustralianbangkok.com)<2020年9月28日現在、臨時休業中>だ。

Kが先頭で店に入る。1階はパブらしくスタンディングで酒と料理を楽しんでいる。Kは店の右側にある階段を上って2階のテーブル席に進んだ。そこで3人は、サラダ、ステーキ、ポテトを頼んでビールを飲んだ。ナイトクラブはその店の隣にあるSugar Club Bangkokだ。今はオープンは22時となっているようだが当時は21時には空いていたと思う。

2時間近く、オージー料理とビールを楽しんだら、酔いも有って3人のテンションは上がっていた。Sugar Club Bangkok(https://sugarclub-bangkok.com)にはオープンとほぼ同時に入ったつもりだったが、土曜日ということもあって既にフロアにはかなりのゲストが踊っていた。

KとBは何度も来ているようでスタッフともなじみのようだった。センターのダンスエリアにほぼ近いスタンディングテーブルにウィスキーのボトルとコーラ、アイスが運ばれて来た。スタッフがコークハイを3杯作って行く。ぽんこつマンと彼女達は乾杯をしてそのコークハイをぐんぐん飲んでどんどんハイになる。Bはステップを踏んで胸を揺する程度に軽く踊っているが、Kは腰を激しく左右にふり、頭も大きく振りながら激しく踊って、ぽんこつマンにセクシーな視線を送ってくる。ぽんこつマンもステップを踏み腕を上げながらハイテンションで踊った。

当時、この店では多くのゲストがタバコを吸っていて既に禁煙して長いぽんこつマンにはその匂いが少し気になったが、その場の熱気とBの汗と甘い香水が混ざった匂いにぽんこつマンは35年ぶりにハイテンションになっていた。コークで割ったウイスキーは飲みやすい。1Lのウイスキーは帰る頃にはすっかり空になっていた。

踊り疲れてその店を出たのは、午前1時30分、それでも当時の土曜日の夜は客が引くことはなかったようだ。その日はそこで彼女達と別れた。

翌週水曜日、ぽんこつマンは仕事中にBのLINEに「今日は夕方一緒に食事しないか」とメッセージを送った。1時間くらいしてBから返信がある。彼女からは「OK」と帰って来た。彼女は居酒屋に行きたいという。ぽんこつマンが働いていたオフィスはエカマイ にあったから、18時にエカマイゲートウェイ(https://www.facebook.com/gatewayekamai/)のM2階で待ち合わせることにした。

ゲートウェイは、日本をイメージした造りや豊富な日系レストランなど日本押しのラインナップになっているらしかったし、これまで見た限りではBはあまり高級なものを望んでいなさそうに思えたので、まずはここでいいと思ったのだった。

入った店は「ただいま」という居酒屋で良くも悪くもないという極めて普通の居酒屋だった。タイ人が好んで食べるサーモンの刺身や焼き魚など魚料理を主に頼み、ごくごく普通の日本酒を冷やで飲んだが、彼女は日本酒は飲まなかった。ゲートウェイの店は21時ラストオーダーで22時には完全に閉まってしまうが21時半までその店に居て、彼女の仕事の事や住んでいる場所などをいろいろ聞くことができたと思っていた。

そして、その週の金曜日またナイトクラブに行くことになった。そこはSing Sing Theater(http://singsing-bangkok.com)。スクンビット45を少し入ったところにあるちょっと変わったナイトクラブだった。

KとBはプロンポンに22時にやって来た。そこからタクシーでスクンビット45までタクシーを拾って向かった。22時を過ぎればスクンビットの夕方からの渋滞も少しは落ち着いていて、あっという間に着いたことを覚えている。

今回もKが先導する。店の黒服と何やら会話している。KとBは、やはり顔馴染みのようだった。しばらくして店内に案内される。エントランスを入るとそこにはなんとも不思議な空間が広がっている。そして妖しい音楽が大音量で流れている。

Kは階段を上がって2階のフロアに上がって行く。そこには低いスツールがあり3人が座れるテーブルが用意されていた。そのテーブルから階下のダンスホールが見下ろせる。やがてスタッフが大量のオレンジジュースとウォッカのボトルそして氷を運んでくる。スタッフはグラスの30%くらいまでウォッカを入れ、氷を落とし、オレンジジュースを注いでスクリュードライバーを作って行く。3日前Bはアルコールを口にしなかったがこの日はグビグビとそのかなり濃いスクリュードライバーを飲んだ。Kも同じように一杯をあっという間に飲み干して、下の階へ踊りに行った。

音楽の音量が大きすぎて話ができるレベルではないが、Bは座ったまま腰をくねらせていかにも艶かしい。ウォッカが効いているのか、デコルテあたりが少しピンク色に染まっているのが微かに見える。ぽんこつマンは、その妖しい音楽の響きとアルコールの効果で艶かしくなっているBの腰付きを観ていることが心地よかった。空中ブランコにクラブのキャストが座り揺れている。その廃頽的な演出にもバンコクという底無しの魔都を感じた。

ぽんこつマンがかなり酔ってそのクラブからひとり帰宅を決意した午前2時でもKは下のフロアで踊っていた。Bもスツールから立ち上がって、陶酔しきった雰囲気で踊っていた。ぽんこつマンはそれぞれにそっと「先に帰る」とひとこと言ってクラブを出た。

日曜日、BからまたLINEにメッセージが入った。それはあまりにもショックなものだった。Kが土曜日友達とカンチャナブリに行って日曜日バンコクに戻る途中、その友達の車が交通事故を起こしKが事故死したというのだった。

ぽんこつマンは、2日前にKのご機嫌な姿を観ていただけに最初は信じられなかった。ぽんこつマンは何度かKと会ううちにKともLINE IDを交換していた。既に何度かメッセージを送り返信もあったので、その事故の話を知った1時間後にKにLINEを送った。翌朝になってもう一度LINEにメッセージを送ったがあの事故の知らせから一度も既読になることはなかった。

ぽんこつマンはその週の土曜日もう一度Bに会う約束をした。プロンポンで午前11時に会って、エムクォーティエのD’ARK というフカフカのソファーのあるカフェでランチを食べた。しかしBはこれまでと随分変わっていた。これまでは柔らかい笑顔をいつも見せてくれていたがその日は、曇った顔が晴れることはなかった。ぽんこつマンはKが本当に事故死してしまった事をその時確信した。

彼女は、Kが事故死したこともショックだが、今まで順調だった自分のブランド化粧品のタイ全土のバイヤーが突然離れて行ったこともショックだと言った。ぽんこつマンと会う前までと今では何か大きな違いがあると言った。そして自分のこれまでの幸運を取り戻すために来週からラオス国境近くの寺院にしばらく篭ることにしたので当分合わないと言うのだ。

ぽんこつマンは、この時もうBと会える事は無くなると確信した。わずか数週間の儚い恋心は夏の蝉の命のようにその時散ったのだった。Kの繋がることのないLINEアカウントは今もぽんこつマンのところにあるが、Bのアカウントは半年くらいして消してしまうことになる。その話は、次に書くことにしておこう。

B2 というホテルチェーンで欲求不満を解消したセフレ

あれは、2020年の1月の話だったと思う。ぽんこつマンが一時帰国していた日本からタイに戻って来た時、LINEにバンコクのセフレからメッセージが入った。まずは新年の挨拶、そしてその日かその日の翌日に会えないかという内容だった。彼女とは、これまでぽんこつマンがバンコクにいる時は、1週間に1回は肉体関係を続けていたが、ぽんこつマンが2019年の12月16日に彼女と◯ックスしてから既に1ヶ月以上会えていなかった。

彼女は、ロッブリー県出身でバンナーにあるコンベンションセンターの近くのホテルのレセプショニストをしていて、1日3交替制で24時間のフロント業務を8人で回しているらしかった。朝7時ー午後3時、午後3時ー深夜11時、深夜11時ー朝7時のシフトを2日ずつで回すらしく6日働いて2日休みという待遇らしいが、睡眠できる時間が2日ごとに異なるのでストレスが溜まると、性的な刺激をどうしても求めたくなるのだと彼女は言っていた。

若い頃にタイの男との間に子供ができたが、そのタイ男はとっとと逃げて今はシングルマザーで子供はロッブリーに住む両親の元にいると言っていた。ロッブリーはバンコクの北150kmくらいにあるタイ中部の県で、コロナの影響で観光客が激減し大量の猿が市内に乱入しているニュースが流れて有名になった。

彼女とセフレになった経緯は、Tinderで知り合って最初に夜の食事に彼女が指定したスクンビット33のBistro 33(https://m.facebook.com/thebistro33/)で、ひょんな事から彼女の口から「◯ックスは大好きだけど、恋人が欲しいわけじゃない」「いつも不特定な男性を求めているわけではない」「お互いの性欲を満たし合える関係が欲しい」「なかなかそんな関係になれる人がいなくて、マスターベーションで中途半端に解決することが多い」という話を聞いてから、その晩一度お互いを試してみようとなり、その後関係を続けて来たのだった。

ぽんこつマンはいつでもスタンバイOKなのだが、彼女が求める時は決まって休み2日目の晩で明日は朝7:00からのシフトがある時か深夜の2日間のシフトが終わり、休み1日目の晩だった。彼女は◯ックスは大好きだったが、避妊はしておらず、1ヶ月のうち1度は月経がやってくる。休みの日がその月経に重なる日は彼女は求めて来ない。そんなペースでぽんこつマンと彼女のセフレ性活は続いていた。

そんな中、ぽんこつマンは1月に入って彼女と会う前に日本に一時帰国してしまった。タイに戻ったのは1月24日。前回の逢瀬から1ヶ月以上空いてしまった。ぽんこつマンは彼女からのLINEに「明日から休みなの?」とメッセージを返した。すると彼女から、「今日と明日は朝のシフトでもう直ぐメンスが来るからその前に一度会いたい」とダイレクトな返事が返って来た。

そこでぽんこつマンは「OK、どこで何時に会う?」とまだスワナブーム空港の到着ロビーにいる時にメッセージを返した。すると彼女から、「今日は私がホテルを予約する。待ち合わせはそのホテルから遠くないエアポートリンクのフアマークの駅、夕方6時、私はバイクでそこに行く」と返信があった。

ぽんこつマンは荷物をたくさん持っていたので、自分の住むコンドにはタクシーで向かった。コンドに着いたのは16時30分。荷物を開けることなくシャワーを浴び、出かける準備をする。ぽんこつマンが住むコンドからエアポートリンクの駅までは歩いて10分で行ける。18時にフアマークの駅に着けば良いとすると、部屋を17時20分に出れば間違いなく遅れずに到着できる。

ぽんこつマンがフアマークの駅に着いたのは、17時50分。駅舎は高架になっているのでグラウンドまで降りた。地上には古い国鉄の線路が走っていて駅もあるようだが、タクシースタンドはあるがタクシーが待ってもいない。多くのバイクや自家用車が道路の側面に駐車されていて、4〜5軒の屋台がある程度だった。

ぽんこつマンは「今、フアマークに着いた」と彼女にメッセージを送った。返事はすぐには返って来なかった。多分バイクを運転中なのだとぽんこつマンは思った。18時を少し回った時に彼女から「どこ?」と短いメッセージが入った。ぽんこつマンは「タクシースタンドのところ」と返すと彼女が100mほど西側から歩いてくるのが見えた。

ふたりは、高架の下のスペースで営業しているバーで再開の祝杯をあげた後、通り向けようとしたタクシーを停めて、彼女が予約したホテルへ向かった。時間は19時を少し回った頃、タクシーが進むスリナカリン通りは2021年に開業を目指してるBTS新線イエローラインの建設で大渋滞となっていた。フアマーク駅から2kmもないホテルまで、50分くらいかかった。

彼女が予約したホテルは、B2 バンコク シーナカリン(https://www.b2hotel.com/detail.php?id=42)、バンコクにはあまり見ないが、タイの地方都市には多く見かけるローカル向けのビジネスホテルのようだ。

フロントは2階にあり、地上は駐車スペースになっているようだ。2階に上がり、彼女がチェックインする。彼女が身分証明書を提示しただけで、ぽんこつマンの身分証明の提示はなかった。鍵を受け取り部屋に入る。入り口のドアを開けると右手に細長いバスルーム、一番奥がシャワーブースになっている。シャンプーやバスジェルはちゃんとある。部屋の広さはキングサイズのベッドとソファーがあってかなり広い印象。

ベッドのマットレスは、高級ホテルのようにふわふわではないが、男と女の営みには適した硬さだ。エアコンの効きも寒いとさえ思うくらいよく冷える。

彼女は、部屋に入りすぐにテレビのスイッチを入れる。そしてバスルームをチェックする。そしてふたりはベッドに腰掛け、肩を寄せてキスもそこそこに服の上からお互いの身体の愛撫を始める。ぽんこつマンはまず彼女の胸の膨らみに服の上から手を這わせる。手のひらで大きく回しながらツンと立っている乳首の感触を感じていた。彼女は、ぽんこつマンの股間に手を充てまだ膨張を始めたばかりの肉茎を探り当て親指と中指で上下に摩った。

ぽんこつマンが彼女が着ている服の中に手を入れて乳房を揉み始めると、彼女はぽんこつマンのパンツのベルトを外しチャックを下ろして、アンダーパンツのゴムのところから手を忍ばせてくる。ふたりの着ているものは少しづつ剥ぎ取られ、完全に生まれたままの姿になってふたりはシャワーブースに向かった。

ぽんこつマンはシャワーブースで身体をお互いに洗いながらの挿入が好きだ。彼女ともこれまで何度となく立ったままでの挿入を楽しんだ。

シャワーブースでは、当然コンドームは装着していない。避妊していない彼女が妊娠するリスクを冒してまで、シャワーブースでのコンドーム無しのセックスを受け入れているには、ベッドでは味わえないそれなりの快感を知っているからだろう。

ぽんこつマンは射精する寸前で肉棒を彼女の膣から引き抜き、ふたりはベッドに戻る。そしてそこで彼女がぽんこつマンの肉茎を咥えてフェラチオを始める。肉茎を咥えた彼女の口の中で舌が亀頭のカリをグルグル周回しながら硬く結ばれた唇で肉茎を上下する。

ぽんこつマンは69の体勢で彼女の淫部にリップを加える。舌先でクリトリスの包皮をめくり、大陰唇のひだに沿って舌をスピーディーに振動させる。唇を尖らせて彼女の膣口に充て、舌を膣口の内側に差し込んでいく。

それからようやくぽんこつマンは完全に勃起した肉茎にコンドームを装着し、仰向けになった彼女の股間の唾液と彼女の膣からあふれた体液で光っている膣口に一気にその肉棒を差し込んだ。

彼女は激しいピストンも好きなようで、パンパンとぽんこつマンの腰骨が彼女のMの字に開いた太腿の裏に当たる音に、腰をよじって喜んでいるようだった。屈曲位で彼女のふくらはぎにキスと舌での滑上げも加えると、彼女は「ヒィー、、、」とかすれた唸り声を上げる。

ぽんこつマンは彼女を横にし、松葉崩しの体勢で彼女との結合の度合いを最大にした。亀頭の先が彼女の膣の奥にあるコリっとした子宮口を捉えた時、彼女の背中は大きく反り、体の後ろに置いていた手がシーツを強く握りしめたのが見えた。

彼女にオーガズムが来たようだった。ぽんこつマンは松葉崩しを解いて、彼女の背中に腕を回し、胸をあわせて腰を素早く前後してピストンのスピードをあげた。今度は膣の奥ではなくその手前にあるであろう裏Gスポットを亀頭の裏ひだが擦れるように膝を立てた状態で短いストロークで前後した。

彼女の膣口の上壁がぽんこつマンの肉茎の上部を擦って気持ちがいい。5分ほどそのピストンを繰り返してフィニッシュを迎えた。1回戦が終わったのは、21時頃だった。それからしばらく身体を休めた。ホテルに常備されているミネラルウォーターを飲み、たわいもない話をする。

1時間くらい休んだだろうか。突然彼女の手が、ぽんこつマンの股間にまた伸びて来た。1度コンドームの中に放出したザーメンはティッシュで拭って捨ててあったが、その後シャワーを浴びていなかったので、亀頭には少しのザーメンが乾いてカピカピになっていた。

「Ao yiek dai mai?」彼女はもう一度やりたいようだった。彼女の手がぽんこつマンの肉茎とその下にある玉袋を撫で回しているうちに、肉茎にまた血流が集まって硬くなりだし、ついにそそり立って来た。

彼女は、再びのフェラチオでぽんこつマンの乾いたザーメンを唾液に溶かして啜り上げ、唾と一緒に飲み込んでいた。ぽんこつマンの肉茎が完全にボッキしたことを確認して、彼女はドギースタイルになり、後背位での挿入を要求した。ぽんこつマンはその誘いにすぐに反応して、あらかじめ用意していたもう1つのコンドームを装着した。今度は、日本から持って来た0.01mmの最薄コンドームだ。肉茎にある血管の凹凸もわかるくらい薄いのだ。

ぽんこつマンは、彼女が自分の手で開いて見せている膣口に亀頭を充て、カリまで埋まらないくらいの短いストロークで膣口だけを刺激する。彼女はさらに手に力を入れて膣口を広げようとしている。焦らされていることを感じているのかもしれないと思った。

ぽんこつマンは、亀頭を少し奥へ入れてカリが膣口に埋もれるようにした。そこで少し動きを止めてさらに彼女を焦らしてみた。すると彼女が今度は入ってきた亀頭をもう外に出せないようにと膣口を締めてくる。

ぽんこつマンはその動きを感じて、一気に亀頭を奥へすばやく突き入れた。「オーッ」という歓喜に満ちた呻き声が微かに聞こえた。ゆっくり引き、速く突き入れる。そのピストンを繰り返すうちに、彼女の息遣いは徐々に激しくなり、「アーウッ、アーッ、、、ヒーッ、、、アッ、、ウーッ」と呻き声も大きくなる。

ぽんこつマンは彼女の腰骨を持ち、激しく打ち込んでから彼女の両肘を持ち馬の手綱のように手前に引いて、腰を前後に速く激しく動かした。亀頭の裏筋の部分が彼女のGスポットを擦って全身に快感が響いているようだった。

彼女は、背中を後ろに反らせ首を振って脳天に走る快感を抑えようとしているようだった。ぽんこつマンは右手を離し彼女の下腹部に手のひらを充てがい子宮を上の方に圧迫しながら速く激しいピストンを繰り返した。

肉茎の上面に浮いた血管の凸凹が彼女の膣口の肛門側を刺激する。彼女のしっかり締められた膣口がぽんこつマンの肉棒を刺激する。そして絶頂感がやってきた。彼女は曲げていた腰を起こしぽんこつマンに身体を預けてしゃがむ格好になる。

その時ぽんこつマンは、彼女の膣の奥でズピュッ、ピュッ、、ピュッとザーメンを0.01mmのRetroasisの先に大量放出した。白い精液が0.01mmの薄い幕を押して彼女の子宮口に温かい感覚を伝えたようだった。彼女の身体は小刻みに震えていた。

2回目の絶頂を迎えた後、ふたりは心臓の鼓動が普通に落ち着くまで手を繋いで横になっていた。そして時刻が23時を回った時、彼女は「明日も朝7時から仕事になるので、今日は自分の部屋に帰る」といった。そしてシャワーを浴び、洋服を着て部屋を後にした。

彼女のように◯ックスの快楽に溺れるタイの女性は、これまであまり出会ったことがない。彼女との定期的な肉体関係は、ぽんこつマンが次に日本へ帰国する3月末まで続いた。彼女は、そのホテルの部屋を出る時に、ぽんこつマンにバイブやローターといった大人のおもちゃを持っているかと聞いてきた。なんでも彼女の知り合いにも彼女と同じように性の快楽を思いっきり楽しんでいる女性がいると言っていてその女性がマスタベーションする際に使ってみたいと言っていたというので、あるなら今度試してみたいということのようだった。

部屋の支払いは彼女がチェックインの時に払っていたので、ぽんこつマンは朝までいることもできたが、彼女がいない部屋で朝を迎えることに意味はなかったのでぽんこつマンも帰ることにした。ぽんこつマンが部屋を出たのは23時40分。ホテルからスリナカリン通りに出てタクシーが来るのを待った。5分ほどして空車のタクシーが来たので乗り込んだ。来るときは大渋滞していた通りはすでに車の往来は僅かになっていた。

息をつく間もないくらい押し寄せてくる快楽は、バンコクの大渋滞のようにどこからともなくなだれ込んでくる車列のようだ。どんな大渋滞でも深夜になれば治るように彼女の貪欲な性欲も、何回かのオーガズムを迎えた後は深夜の大通りのように鎮まりかえっているのだろうかとタクシーの中でぽんこつマンの頭の中で変な考えが浮かんで消えた。

今はタイに戻りたくても、コロナ騒動を懸念するタイ政府が渡航をかなり制限していて、往来が難しい。最後に彼女と結んだ肉体関係からすでに6ヶ月が過ぎているが、彼女の中にマグマのように湧き上がる性欲は今どう処理されているのだろう。

Tinderで知り合ったバンコクOLとターミナル21で待ち合わせ

2019年11月にバンコクの部屋でTinderを弄っていたら、大学を卒業してまだ1年経っていない女の子で日経の大手ゼネコンでOLとして働いているという女の子からマッチの知らせがきた。早速LINE交換ができたので、まずはデートの誘ってみることにした。

彼女の出身はラチャブリ県らしいが、働いているのはプロンポンだと言っている。自宅からの通勤はあまりに大変なので、BTSウォンウェイヤイ駅近辺の今度に住んでいるとも言っていた。11月10日にTinderで知り合って、13日の水曜日に晩ご飯を食べることになった。待ち合わせは、彼女の働いているプロンポンではなくアソークがいいと言って来た。

この年のロイクラトンは11月11日で、彼女は11日は既に予定があるようだった。そこでぽんこつマンは彼女にいつが良いかを聞いたら13日水曜日ということになったのだった。

彼女とは英語でコミュニケーションできた。そして彼女は日本語も少しは話せるとのことだった。13日の待ち合わせ時間は、彼女の仕事が17時で終わるとのことで、彼女がASOKEのターミナル21のMフロアを言って来た。

ぽんこつマンは13日の16時半に自分のコンドを出てBTS プラカノン駅までタクシーで向かった。その時間はバンコクは至る所で大渋滞があるのでプラカノン駅まででも40~45分は掛かると思っていたのだ。

プラカノン駅に着いたのは17時10分、BTSに乗ったのは17時15分、プラカノンからアソークまでは所要時間13分だから時間通りにターミナル21のMフロアに着ける。彼女は既に来ていて、直ぐに彼女に会う事ができた。

そこで何が食べたいか聞いたら日本食だという。彼女は普通のOLだから、ナナプラザヤやソイカウボーイで働く女の子とは違うから、彼女が和食といった時には少し困った。彼女はナナのあたりに和食屋を知っていると言ったのでそこに行くために、スカイウォークでスクンビットの反対側まで行きタクシーを探した。渋滞していたが、タクシーを拾うことは直ぐにできた。彼女は運転手にタイ語で話しタクシーは動き出した。

ぽんこつマンはナナの近くに和食があったかどうかは知らなかった。タクシーは進んだが、何だか彼女の記憶違いなのか店は見つからなかった。そして彼女はぽんこつマンに、どこか知っているかを聞いた。

ぽんこつマンが知っているのは、ターミナル21に入っている和食屋かスクンビットソイ19を入ったところにある居酒屋花子だが、ターミナル21の中はあまりにも素っ気無いので、ターミナル21じゃ無いところがいいと思った。居酒屋花子は、ゴーゴーバーの女の子とよく行っているしオープンがもう少し遅いと思ったし、花子の目の前は韓国式のエロマッサージもあるので、そんなことなら以前ネットで調べていた、スクンビット23のラブリーという店に行くことにした。

タクシーはスクンビット通りをソイ3でUターンしてアソークに引き返し、さらに進んでソイ23間で進んで左折した。ラブリーという店は「羅豚里」と当て字されているとおり、豚しゃぶが売り物のようであった。ぽんこつマンがその店を選んだ理由は、知り合った彼女が写真ではそこそこ可愛いと思ったが実際はかなり太めでぽっちゃりを過ぎてそれほど可愛く無い事がわかったこと、肉体関係を持つことで少しややこしくなる気がしたこと、それなら飯を食った後に、ソイカウボーイで遊んで帰りたくなった事がある。

タクシーの運転手は不安がりながらスクンビット23を入って、クラフト23(ビアハウス)の角を右折、左手にペガサスクラブを見て突き当たりを右折、そこから100mほどで左手にラブリーを見つけて、留まった。

店に入り飲み物を頼むが彼女は、アルコールを選ばない。ぽんこつマンのことを警戒しているのかと思ったが、ぽんこつマンは彼女を今直ぐ同行するつもりはなかったからどうでもよかった。

ぽんこつマンはビールとまず豚しゃぶしゃぶを頼んだ。それからいくつかの料理を頼んだ。豚しゃぶはあまり食べないが、ポン酢で食べるとなかなかうまい。小皿の料理もなかなかだった。店にはタイ人の給仕係がいたが全員女の子で浴衣を着ていて可愛い子もいる。

彼女は、日系大手ゼネコンに就職してまだ1年経っていないと言っていたが、主にの本人駐在員へのコンドの部屋貸を行っているようだった。賃貸物件のオーナーから賃料を聞き、それ以上に払う借主を見つけてくるのだそうだが、会社にはオーナーの希望金額を報告し、借主にはその金額より高い金額で契約書を作る。

部屋のオーナーと会社の契約、貸主代理の彼女と賃借人との契約の二重契約で、例えばオーナーが30000バーツとすると彼女は顧客に40000バーツで賃貸契約を結ぶ。その差額10000バーツは彼女のピンハネ分になるということで、既に15顧客の契約があり、会社の給料以外に、ピン羽の金額が毎月10万バーツあるのだと言っていた。

日本では、そんなピンハネは犯罪(横領)になるのだろうが、タイでは誰でやっていることらしかった。日本で厳しい会計に慣れていたぽんこつマンにはそんな事はとても信じられない事だった。ピンハネが初任給15,000の6倍強になるというのが恐ろしかった。

彼女は、働き出してまだ半年という事だったから、あと数年この仕事を続ければ、月にピンハネで月30万バーツ稼げるようになっているかもしれない。1年で360万バーツ3年で軽く1000万バーツ稼ぐ事ができる計算だ。

広い今度に住むことも、高級車を買うことも、旅先で高級なホテルに泊まることも平気になってしまうのが恐ろしかった。彼女の話が本当かどうかはわからないが、タイにはコラプション(汚職)が蔓延しているとはよく聞いている。

ぽんこつマンはエロい事は大好きだが、タイ社会が金でしか判断されない社会になるのも近いと思った。

彼女との食事は、そんな話に圧倒されて味がイマイチわからなくなった。深夜11時くらいになって、彼女は帰ると言い出した。帰りは、BTSまでは場うくタクシーで行くがその先は電車で帰ると言っていた。

彼女の将来をちょっと見たい気がしなくはなかったが、その日に彼女を店で見送ってからは連絡をしなくなった。いくらタイだからと言っても、金に杜撰な大手ゼネコンと言っても、そのピンハネがバレる時がきたら、はーいやめまーす、だけで済むのだろうかとさえ思った。

まぁ駐在員の家賃も実際には日本の本社から出ている経費だから、いちいち細かく調べられていないということもあるのかもしれない。ぽんこつマンが知っている日本の会社の駐在所の所長から聞いた話だと、タイ人の雇用は難しく、ただでさえ直ぐやめてしまうのに、対人社員がやっているピンハネや不正会計を咎めれば仕事ができるタイ人を雇用する事が困難になる。わかっていても、見て見ぬふりをすることも安定的な事業推進には必要だと言っていたことを思い出した。

話は少しずれてしまったが、Tinderで知り合ったその女の子とは、長い間連絡をとっていない。いつになるかわからないがもし今度タイに行けたら、彼女のLINEに久しぶりに連絡を入れてみよう。

バンコクのトゥクトゥクには注意した方がいい話

バンコクの乗り物と言えば、最近はBTSやMRTという都市交通が注目されているが、ぽんこつマンがタイへ行き始めた頃は、まだBTSが建設中(1999年12月5日開業)で当時のツーリストの移動手段はトゥクトゥクかタクシーだった。

バンコクのホテルの周りにはいつも数台のトゥクトゥクが停車していて運転手がつまらなそうにタバコを蒸しているか、寝ているか、運転手同士でくだらない話をして客待ちしているかという光景があった。その光景もタイの風物だった。

今でもトゥクトゥクはバンコクにも残ってはいるが当時の台数の多さは今とは比べものにならなかった。ナナプラザに行くのもトゥクトゥク、ナナプラザから女の子をペイバーしてホテルの戻るのもトゥクトゥク。歩いていくにはちょっと遠いとか、暑くて汗だくになりたくないからという理由で、レストランに行くにもタイマッサージに行くにもお寺見物に行くにもトゥクトゥクを使う事が一般的だった。

トゥクトゥクの乗り方は、まず「パイ(行く)どこどこ」「タウライ?(いくら?)」と運転手に聞くことから始まる。もちろん英語で話しかけてもいいが、英語がわかる運転手は少ないので、行き先と料金確認はタイ語を知っていた方が良いだろう。

トゥクトゥクの車幅は大体140cm、バイクの車幅が概ね90cm〜100cmなのでバイクより少し幅があるがタイの一派的道路の車幅の半分くらいなので、車と車の間が1.5mくらい空いていればバイクのように倒れないのですり抜けられることになる。

トゥクトゥクの運転手はいかに車の間をすり抜けて早く目的地に着くかが稼ぐお金に大きく影響するせいか、それとも性格的にせっかちなのかはわからないが、とにかくできるだけ前へ前へ行こうとする。走行中もしょっちゅうハンドルを右へ左へ切って車の合間をすり抜けていく。さらにトゥクトゥクにはシートベルトが無くドアも無いからどこかにしっかり捕まっていないと振り落とされる危険がある。ストップアンドゴー、右左への急ハンドル、それはテーマパークにあるローラーコースターよりスリリングかもしれない。

そして客が外国人だと分かると、運賃はローカルの2倍から3倍に跳ね上がる。いわゆるぼったくりだが、例えばアソークからサイアムまで最初に200バーツという金額で行くと運転手が言っていたとしても、途中渋滞があったりすると途中で下されたり、到着してから追加料金を請求されることもある。

ぽんこつマンがまだタイへの渡航が2回目とか3回目の時だったが、よくトゥクトゥクを使った。その頃のぽんこつマンは、MPを経験してそれほど歳月も経っておらず、まだ無垢なところもあり、タイといえばお寺巡りがツーリストの行動パターンと思っていた。ある日、ぽんこつマンは泊まっていたグランド プレジデント ホテル(https://www.grandpresident.com)からスラウォン通りにあるマンゴツリー(https://m.facebook.com/MangoTreeSurawongse/)という今では全世界に展開しているタイ料理の店に行こうと思い、トゥクトゥクを探した。ほとんどのトゥクトゥクは200バーツと言ってきたがひとつのトゥクトゥクが80バーツで行くと言ったのでそれに乗った。(当時は多分ローカルは40バーツくらいだったと思う。)

最初は、スクンビットソイ11を南に向かいスクンビットソイ3に出て北へ走る。それからスクンビット通りをエラワン廟まで走りそこを左折したまでは良かったが、ラマ4通りが見えてきたシーロムの交差点のルンピニ公園側で突然止まる。そしてなんと無くスラウォン通りを指差して後は歩けというジェスチャーをする。運転手は交通量の多いラマ4への右折を嫌って、そこで降りて後は歩けと言っているようだった。

ぽんこつマンは仕方なくそこでトゥクトゥクを降り歩いていくことになった。まずはラチャダムリ通りを渡り、それからラマ4世通りを西へ向かう。スラウォン通りはその時歩いている川の反対側だからどこかでラマ4世通りを渡らなくてはいけない。交通量が多くて車線幅も広いので歩行者にはかなり危険な横断だった。そしてトゥクトゥクを降りてから15分ぐらいでマンゴツリーを見つけて入る事ができた。

当時は、まだガイドブックでは経済的なタイ料理レストランとして紹介されていたマンゴツリーだったが、その盛り付けの美しさや教育の行き届いた従業員のサービスの良さに感動したのを覚えている。ランチを終えて、スラウォン通りを西に歩いてみた。

ぽんこつマンがソンブーンシーフードスラウォン店の近くに来た時、後ろからトゥクトゥクがやって来て、「どこへいくのか?」と聞いて来た。ぽんこつマンは特に行き先を決めずに歩いていただけだが、ちょうど良いと思い、思いつきで「ワットポー」と言ってみた。すると「OK」「40バーツ」と運転手が言ってくる。そこで意外に安いと思い乗ってしまった。

そのトゥクトゥクは直ぐに走り出すが遠くに王宮が見えてきた辺りで突然運転手が、「そうだ、今日はワットーポーは開いてない」と言ってトゥクトゥクを止めた。そして、「その近くにエメラルド寺院がある」「そこも良いぞ」と言って走り出す。

案内された所は、なんて事のない普通の寺だった。観光客らしい人物はゼロでそこがエメラルド寺院でないことだけは直ぐに分かった。ぽんこつマンはそこで「ここはどうでも良い」というと運転手は、「ならばお土産に最適なものを売っている店に行こう」と言って勝手に走り出す。

ついた先は、ルビーと称する赤い石を置いている宝石商の店だったが、値段を見てはっきり言って驚いた。小さな石が10万バーツ、その石を取り付ける指輪やネックレスの金属は銀だという。ぽんこつマンは明らかに宝石詐欺の店だと思って、直ぐに店を出てトゥクトゥクの運転手に「あの店はダメだ」と伝えたら「それならもう1軒良い店を紹介したい」と伝えてまた勢いよく走り出す。

次に着いたのも宝石を扱う店のようだったが、そこには赤い石では無く、見た感じ黒い石だがセンターに光の乱反射があるものを指輪にしたものがあった。店の店員がぽんこつマンに一生懸命説明する。「ブラックサファイヤ」「リングは銀製」「6000バーツ」明らかにさっきの店より安い値段設定だったし、ブラックサファイヤという響きとその石のセンターに光る感じが良かったので、勧められて指にはめてみた。

輝きは良かったがリングサイズが大きすぎる。それを見ていた店員が、「サイズは直ぐに治せる」としつこく言うので、20000円は安くはないがまぁ良いかと言う気になって購入してしまった。リングのサイズ直しというのは、リングの一部を切り落とし、そこに切った物より小さなパーツをつけて繋ぐという荒っぽい手法のもので、つなぎ目が直ぐに見えるものだった。しかしその店は保証書を入れてくれたので、つなぎ目が外れたらいつでも修理に来いということと理解した。接合部分は3年くらいではずれ、一度修理に行った事があったが、それをまた使用している間に、今度は気に入っていた「ブラックサファイヤ」がいつの間にか外れてどこかで落ちてしまって見つける事ができなくなったのだが…..。

その店で1時間くらいいたが、店を出たときにもさっきまでのトゥクトゥクはぽんこつマンを待っていた。そして店から出てきた従業員から何やら受け取っていた。その時はそれがリベートだとは知らなかったが、そのうちトゥクトゥクの運転手のもう1つの悪どい稼ぎ方がわかる時が来ることになる。

その店を出てぽんこつマンは、ホテルの名前を告げた。トゥクトゥクはまた走り出すが、あれは多分民主記念塔だったと思うが、そこでトゥクトゥクを止め、40バーツはここまでだと言って下車を要求した。時刻は18時を回り西の空はオレンジ色に染まっていた。

最初からそのトゥクトゥクは宝石を買わせ店からリベートをもらうことを目的にトゥクトゥクを走らせているという事が分かった。ぽんこつマンはそのことにを確信しそこで20バーツ2枚を渡してトゥクトゥクを降り、タクシーを探してホテルまで戻った。

トゥクトゥクにまつわるもう1つの不愉快なエピソードがある。それは2003年の1月、仕事でオーストラリアに行った帰り、協力会社のプロデューサーとバンコクでトランジットすることになり、食事に行こうとした時の話だ。

ぽんこつマンたちは、オーストラリアでの仕事の疲れを癒すために、今も日本人には知られているマッサージ店有馬温泉(https://www.arimaonsenthailand.net)に行った後近くでシーフードを食べようということになった。

シーフードはオーストラリアでもダンジネスクラブやロブスター、それからオイスターなどを散々食べていたのだが、プロデューサーが辛いタイ料理よりシーフードがいいと言ったのだった。直ぐにソンブンシーフードは思いついたが、プロデューサーが新しいところを開拓したいと言い出して、「トゥクトゥクの運転手に良い店を紹介してもらおう」と言い出した。

そこでスラウォン通りに出てトゥクトゥクを見つけて「ここから近くて安くてうまい海鮮料理屋に案内してほしい」と伝えた。運賃は100バーツと言ったが、交渉するのも面倒なのでそれで直ぐにトゥクトゥクに乗り込んだ。

トゥクトゥクはスラウォン通りを西に進み、ソンブンシーフードスラウォン店を通り過ぎ、大きな交差点を左折して、かなり長く南下したように感じた。そして小さな小道に入り、ネオンがギラギラ光る店に着いた。

ぽんこつマンたちはそこで100バーツを支払い店に入った。店の入り口には、プラウン、シュリンプ、ロブスター、渡蟹、マッドクラブ、オイスターなどのシーフードが並べられ、それをプラスチックのザルに取り料理してもらうスタイルだった。それぞれのシーフードには数字は書かれた札があったが、ぽんこつマンたちはその数字が金額だとすると1kg当たりの値段だと思えるほど少し高めの数字が置かれていた。もし1Kgならオーストラリアより少し安めの設定だとプロデューサーとぽんこつマンは話したことを覚えている。

ザルに入れたのは1800と書かれたロブスター1匹、700と書かれた手長川海老2匹、後は数字は覚えていないがオイスターを2個、そしてビアシンを1本とカウパット(タイ式チャーハン)をテーブルで頼んだ。ロブスターは蒸し、手長エビは焼き、オイスターは生で料理は直ぐに出てきた。想像以上のカウパットの量で腹は直ぐに満腹になり、会計をしたら、驚く金額が書かれた請求書がきた。プロデューサーがその金額を見て「えっ?」と驚いた。その金額はざっくりと14000バーツと書かれていた。

14000バーツと言えばざっくり4万5千円くらい。店の従業員を読んで金額の内訳を聞いた。すると「ロブスターは100g1800バーツであなたたちが選んだロブスターは600g、だからロブスターだけで10800バーツ、川海老は1匹700バーツ、、、、、、、、。」もうそれ以上聞く必要はなかった。要するにボッタクリであると気がついた。オーストラリアでもロブスター1kgで100AU$までだから中型ロブスター1匹で1800バーツなら分かるが1匹10800バーツ(3万円)なんてボッタクリ以外何者でも無いのだ。

ぽんこつマンはその時、この店とさっきのトゥクトゥクの運転手が外国人を相手にボッタクリをやっていると確信した。

やむなくプロデューサーはその時持っていたタイバーツの大半を叩いて会計を済ませた。そのプロデューサーが領収書を待っていると、さっきのトゥクトゥクがまた外国人の客を連れてきて、店の従業員から何やら受け取っている姿が見えた。リベートがいくらなのかを知る由もなかったが、それ以降トゥクトゥクにはできる限り乗らないと誓った。

そう言えば、ぽんこつマンが今の連れ合いと知り合い、チェンマイでカフェとフェイスマッサージ、ボディーマッサージの店を始めた時も、ヨーロッパからのツーリストが店に電話で予約を入れて、結局こない事が何度かあったが、別の日にちになって改めてやって来て、「あの時は、トゥクトゥクの運転手に、もっといいスパマッサージがあると言われ、ここには連れて来てもらえなかった。」と言って詫びに来たこともあった。

トゥクトゥクの運転手はいろんな店と客を連れ込むことでリベートをもらう話になっていて、行き先を伝えても違うところに連れて行ってリベートを受け取ることを主目的にしていたのだろう。

あれから25年以上が経過して、今はBTSもMRTもかなり遠くまで延伸した。エアポートリンクも開通した。来年には、またいくつかの都市交通網が開業するというバンコクだが、バンコクに来た思い出としてはトゥクトゥクに乗ってみるのも悪くは無いとは思うが、旅の記念程度に考えといた方がいいとぽんこつマンはお伝えしときたい。

今は外国人の観光客がタイへ入国できなくなってもう半年だから、トゥクトゥクを利用する客はほぼいないだろう。リベートどころか運賃すらまともに稼げなくなったから、後数年でトゥクトゥクはバンコクから姿を消すかもしれないが、それは当然ともいえるだろう。

バンコクで、Tinderで知り合ったイサーン娘とラマ3のタワンデーン ジャーマンブリュワリー に行く

2018年7月からバンコク・エカマイにあったとある会社でビジネスコンサルタントとして働いたことがある。その時がバンコクで初めて長期で住んだ最初だったが、ぽんこつマンは働いた会社には全く相性が合わず3ヶ月で退社した。

仕事した話は今はもう話したくないが、初めてバンコクで部屋を借りて住んだのがBTS エカマイ駅とプラカノーン駅の中間にあったコンドだった。契約は半年で家賃は20,000バーツ、ちょっと高かったが23階と高層階だったので気に入った。

仕事は採用時の約束で、その会社の将来を考えて現状を改革できるビジネスモデルビジョンを提案してほしいと言うことだったが、実際にその会社に行った時からビジョン提案はいらないとなり、現在の斜陽業務内容の再活性化支援を求められた。

ぽんこつマンはその会社が将来的に現在の斜陽業務を脱却するための新ビジネスモデルビジョン提案ならと受けた仕事だったので、明らかに求められたことが違っていた。中長期で2〜3年後に事業展開できるビジョンではなく、直ぐに現金収入を得ることができる業務提案だったが、あまりにも急いでいることを知りその会社には早々に見切りをつけたのだった。

しかし、その前からTinderでバンコクでデートできる女の子を探していたぽんこつマンは、既に何人かの女の子とLINEのIDを交換していた。そのうちのひとりがイサーン出身の当時24歳、少しぽっちゃりしているが色白で声が少しハスキーな可愛い顔をした女の子だった。

入社1ヶ月で退職を決意して2ヶ月を過ぎた時に退職を申し出た後、残り1ヶ月は在籍をすることになり、仕事をほぼしないままで会社に通っていた時にTinderで知り合った女の子とLINEで話すことが多くなっていた。

ある日、その24歳の可愛いイサーン娘に夜ご飯を一緒に食べようと持ちかけたら、返事が来て、お姉さんと一緒でいいならと言うことになった。一緒に行く店は彼女に任せることにして、仕事の就業時間から1時間後の18:00にぽんこつマンの住むコンドのそばにあるコンビニ前で待ち合わせることにした。

タイは5月から10月までは雨季で、その日も昼過ぎから雨が降っていた。タイの典型的な雨はザーと一気に降って直ぐに上がるのだが、その日はパラパラと降っては少し止み、またパラパラと降る少し珍しい天気だった。

ぽんこつマンは終業時間になると同時に一目散に部屋に帰って、シャワーを浴び、18:00に5分前にコンドの部屋を出てコンビニの前に向かい、バイクでやってくると言う彼女と彼女のお姉の到着を待った。

コンドの部屋を出た時は霧雨の様な雨だったが、コンビニに着いて一分ほどで雨は激しく降り始めた。ぽんこつマンは傘を持って出ていなかったので、直ぐにコンビニの中に入り、LINEでコンビニの中にいると彼女にメッセージした。

しばらくして彼女から「今着いた」とメッセージが入ったので表に出てみたら、彼女と彼女より小さい女性がいて、バイクを降りてヘルメットを外しているところだった。簡単に挨拶をして、「タクシーであなたたちが行きたいところに行くから、拾ったタクシーのドライバーに行き先を伝えて」と伝えた。

タクシーを拾い、彼女たちを先に乗せてぽんこつマンは前の座席に座った。タクシーはいったんプラカノンの方向に向かい、ラマ4を西へ進む。クロントーイ市場の交差点を左折してタクシーはラマ3通りを南下した。

向かった先は、タワンデーン ジャーマンブリュワリー ラーマ3(http://tawandang.com)だった。料理はイサーン料理はもちろんドイツ料理も日本料理もある様だった。その日は、なんでもステージにタイのスターが来ているとかで入場料をエントランスで支払って入ることになる。

彼女の姉はなんでもメンバーになっているとの事で入場料は少し割引だったらしいが、ぽんこつマンはその時よりはるか10年以上前にソイカウボーイのゴーゴーバーでペイバーした女の子と一回来ただけだったので、メンバーであるはずもなかった。

それでも店内は大混雑していて、ステージ前のテーブルは既に埋まっていた。ぽんこつマンと彼女たちが座った席は、ステージからかなり離れた、銅製のビールブルワリー装置があるところに近い席だった。

彼女も彼女の姉(?*タイでは実の姉でなくてもピーサーォと呼ぶ)もビールが好きと言うので3Lのタワーを頼んだ。料理はフレンチフライとサーモンの刺身以外は全てイサーン料理の様だった。

タイのスターのステージは少し遅い時間の様だったが前座のバンドが19:00くらいから演奏を始めて、店内は大盛り上がりになっていた。ぽんこつマンはしこたま飲んだ。あまりにも騒々しくてまともに話ができなかったのだ。

ぽんこつマンは、彼女のことが気に入っていたが、彼女が姉?という女性を同伴してきたので、彼女との関係を深める事は難しいと思った。3Lのタワーを3回注文したてぽんこつマンはかなり酔っ払った。深夜0時になってもほぼ満席が続いていた。

0時30分、ぽんこつマンは帰ることにした。精算して3人で店を出て、店の裏に回っって流しのタクシーを探し、コンド近くのコンビニまで戻った。長く続いたその日の雨はようやく上がっていた。彼女と彼女の姉?はそのコンビニ前に停めて置いたバイクに跨がり、プラカノンにあるという彼女のアパートへ戻って行った。

数日後、彼女にもう一度会いたくなってLINEしたが、予定があると素っ気なかった。それからまた数日経ってLINE電話してみたら、彼女は電話には出たが「今まだ仕事中」と言って「折り返す」と電話を切った。夜になって彼女からLINE電話が掛かってきて、「私は、やっぱいあなたとは合わないほうがいいと思う」という。「友達だけではいられなくなるのが怖い」というのだった。

ぽんこつマンはそのLINE電話を受けてから彼女へのLINEメッセージも電話もしない様にした。彼女は今のコロナ騒動下、どこでどう暮らしているのかも全くわからないが、もしぽんこつマンが昔彼女と肉体関係を結んでしまっていたら、忘れることが難しい相手になっていたに違いないと今は思うほど実は惚れ込んでいたのだ。今は彼女がどこかで幸せに暮らせていることを望んでいる。

珍しく1日長く続いた雨に流した恋心、惚れっぽいぽんこつマンには勿体ない女だったという気がする。

タイのデパートレディをゴルフ帰りにナンパしてみたら、強烈なストーキングに遭った。

確か、それは2012年か2013年のことだったと思う。大阪からタイ航空の深夜便でバンコクに入り、早朝にパインハースト ゴルフ & カントリー クラブ(https://www.pinehurst.co.th)に行ってホテルのチェックインの時間を待ってのプレイをした時、突然日本から履いてきたスパイクレスのゴルフシューズの底が剥がれて歩くのが難しくなり、ゴルフを終えてホテルへ向かう途中にタクシーでフーチャーパークランシットにあるロビンソンに急遽靴を買いに行った。

靴を買ってそのデパートにある化粧品売り場に行った時、タイコスメNo.1ブランド bscの売り場に、かなりセックスアピールを感じる女がいてナンパしてみたくなり、ある女の子へのプレゼントを探していると言うことで商品の説明をしてもらった。

そして1本のリップを買って、そのセックスアピール満載の女に「実はあなたが気に入ったので貴方のためにこのリップを贈りたい」と言ってナンパした。このナンパ手法は、ぽんこつマンが学生時代を過ごした松本で、スナックのマスターをしていたナンパ師から教わった古典的なナンパ手法だったが、見事にその手法に彼女はかかってくれた。

その日は、まだチェックインしていないホテルの名前を彼女に教え、LINEのIDを交換して連絡を取り合うことを約束した。彼女は少し肌は褐色がかっていて、身長は160cm以上ある感じで、ぴちぴちのタイトスカートに包まれるヒップと弾けそうなブラウスの下にある大きめのバストがいかにもぽんこつマンには刺激的だった。彼女は、bscの本社から派遣されている美容部員のチーフらしく、年齢的には30を超えていそうだったが、厚化粧のせいか肌の具合まではよくわからなかった。

ホテルにチェックインしたのは午後2時くらいだったが、夕方に彼女からLINEにメッセージが入った。それは仕事終わりに「女友達と食事をしている」「ワインを飲んでいる」と言うもので写真も送ってきていた。

ぽんこつマンはその返信で、「そのご飯が終わったら、ホテルに来れる?」とメッセージを送ったら「夜10時過ぎでもよければ行ってもいい」と返信があった。

ぽんこつマンの宿泊していたホテルは、Sukhumvit Suites Hotel (http://www.sukhumvitsuitesbangkok.com)MRTにも BTSにも駅近でソイカウボーイにも近い3つ星ホテルだ。ジョイナーフィーもなく1階のエレベーターで部屋のある階に直接行けるので女の子をホテルの部屋に連れ込むのに便利だった。

その日の晩ご飯はホテルの1階にあるindulge (https://www.indulgebangkok.com)と言うフュージョン料理とカクテルバーの店でひとり食事をした。意外に白人の客が多い店だ。ぽんこつマンは彼女に「もし来れるならホテルの前で待つから、来る時間になったらまた連絡して」とメッセージを送っていた。

夜9時55分にLINE電話が彼女から掛かってきた。「今友達と食事していたラップラオのを出たからこれから行く」と言う内容だった。ぽんこつマンはまだ1階のindulgeでジントニックをチビチビやっていた。タクシーに乗ってくるというので30分くらいで着くだろうと思い、10時20分に一旦精算して表で彼女が来るのを待った。まだラチャダーピセーク通り(スクンビットソイ21)はいつも通りアソーク交差点手前から混雑していた。

ぽんこつマンはホテル前のスクンビット通りに出て彼女の到着を待ったが、10時45分になっても止まるタクシーから彼女が降りてこない。LINEにメッセージを送ったらタクシーがホテルがわからないと言ってスクンビット通りをプロンポンの方まで行って、今Uターンしてアソークに戻っているとのメッセージが届いた。

確かにタクシーからの視線ではホテルはわかりにくいが、アソークの交差点をラチャダーピセークから左折して直ぐと言っているのでわかると思っていた。しかしホテルが見当たらないとタクシーがわざとその先まで行ってメーターを稼いだんだろうとぽんこつマンは思った。バンコクではよくあるタクシーのメーターを上げる手口だ。だからGrabが登場してからはぽんこつマンはできるだけGrabを使うことが多いのだが、Grabはメータータクシーより高めの値段設定なので、タイローカルの中には今でもGrabをあまり使わない人間もいるのだ。

しかし2012年とか2013年はまだGrabがタイにはなかったかもしれない。とにかく彼女はタクシーの運転手にうまく遠回りされ、ほんの少し高い料金を払わされたことに違いなかった。彼女がタクシーを降りてきたのは、22時55分。ふたりでもう一度indulgeに入って一緒にカクテルを飲んだ。

彼女はウォッカベースの赤いカクテルを飲んだ。ぽんこつマンはもう一度ジントニック。ふたりとも食事は済ませているので、つまみはカラマリにした。その店の営業時間は深夜0時までだったので、11時40分には店を出てぽんこつマンの部屋に行った。

部屋はそれほど広いわけではないが、ベッドはキングサイズ。ベッドに腰を下ろして少し話をした。彼女の年齢をその時初めて聞いた。ぽんこつマンは30過ぎと思っていたが実は38歳で日本でいうアラフォーだった。相変わらず厚化粧だったが顔を近づけて肌をよくみてみたら、肌のキメはかなり荒れていたのを覚えている。

ぽんこつマンは彼女がベッドに横になったので、ぽんこつマンも横になり彼女のバストに服の上から手を充てた。そして少し揉んでみたが抵抗はなかった。しかしそれ以上の行為には彼女は抵抗を示した。

彼女は、38歳になるまで未婚のまま、子供もいないと言っていたが、処女であろうはずは無いほどエロい身体をしているのは確かだった。しかし彼女はぽんこつマンに、「彼女はいるか?」「奥さんはいるか?」「子供はいるか?」「何人いるか?」「男か女か?」「何歳か?」など家族関係の話ばかりの質問を繰り返す。ぽんこつマンはその質問に応えるのが面倒になってきて、「シャワーを浴びる」と言ったら彼女は「もう帰る」と言った。まぁそれもいいと思いその日は彼女を素直に返した。

しかしその後、彼女が自分の部屋に帰った後からやたらLINEにメッセージが入ってくる様になる。メッセージだけでなくLINE電話もよくかかってくる。完全なストーカー気質があると感じた。その時「もし昨日の晩、◯ックスまでいたっていたら」と考えるとゾッとする感じがした。数日はまだLINEのアカウントは残していたが、本人の写真を送ってくるし、メッセージは時間当たり10個ほど入ってくる。返信するのもうんざりする程だった。

そして毎日のようにホテルに来ると言う様になった。ぽんこつマンはバンコクにいる理由がゴーゴーバーやバービアの女の子と愉しみたいのだ。既に連れ合いもいて、ミアノイ(妾)を囲う意志も余裕もないのだ。早く関係を切っておかないと大変なことになると思った。

それ以降、LINEを見ることもやめたが、その激しいメッセージ攻撃はその後も続いた。肉体関係は何も無いのに、あまりにも思い込みが激しいタイプということがわかったので、5日目にはLINEはブロックした。そしてその翌日にはアカウントを削除した。

彼女がどうしてこれまで彼氏に恵まれなかったのかがわかる気がする。タイには、ごくわずかだろうが理想を求め過ぎて全てをチェックして確認できないと前へ踏み出せない女も居るということがわかった。

もちろん、男と女の関係は人の数だけ色々あるのだろうが、きっと若い時に失敗した痛い経験があり、あまりにも慎重になり過ぎて今に至っているのだろうと思うと、かなりかわいそうな女なんだと思う。イタイ。本当にイタイ体験だった。

これからは、遊びの女はできだけ若い女を探そうと思うきっかけになった出来事だった。

アメリカのステーキハウス、ルース・クリス・ステーキ・ハウスでもう一度ステーキを食べたくなった

ぽんこつマンは、焼肉より実はステーキが好きである。今から40年くらい前の学生時代に初めて500gのステーキを東京のスエヒロで食べた時から、熱々の鉄板の上に乗せて運ばれてくるステーキをガツンと食べることが好きになった。

神戸の大学院時代は、経済的に余裕がなかったので、たまにフォルクスに行くのがやっとだったが、サラリーマンになって仕事に慣れて来た頃に、協力会社の接待などで旨いものがどんどん食べれるようになった。自分の稼ぎもサラリーマン2年目には残業代も充分に入るようになり、たまの女の子のデートなどでうまい飯を食べに行く機会も増えていった。この頃から学生時代58Kgだった体重がどんどん増えていくのだが……。

最初にアメリカでステーキを食べたのは、1985年ロスへ出張した時に協力会社の人に連れて行って貰った1Kgステーキで、その店はサンタモニカからマリブへ向かう途中にあったと思う。客は巨漢のヤンキーばかりで、身体の小さいジャップはぽんこつマンと一緒に行った4人だけだった。最低の500gステーキは女性だけと言うとんでもない店だった。やむなく1Kgのリブアイを頼んだが、どんなに若さがあるとは言え、1Kgを平らげるのは大変だった。

その次にアメリカに行ってステーキを食べたのは、1993年。この記憶がぽんこつマンの最高ステーキになった、ビバリーヒルズのRuth’s Chris Steak House(https://www.ruthschris.com)だった(2020年9月現在閉店中)。

それ以降、このルースクリスのステーキを当時の連れ合いにも食べさせたくてプライベートでロサンジェルスを訪れたこともある。またラスベガスのカジノにルーレットをプレイしに行った時も、ラスベガスのルースクリスを訪れた。当時連れ合いとの毎年のカウアイ島での1週間の休暇の後にホノルルに何泊かすることもあったが、その時はホノルルにあるルースクリスステーキに必ず一回は行っていた。サンフランシスコ近郊のシリコンバレーにあるCGI製作会社と仕事した時も、サンフランシスコのルースクリスを訪れた。

ルースクリスのステーキで、一番少量のステーキが8oz のプティフィレ肉だったが、ぽんこつマンはリブアイ好きなのでプティリブアイ12ozが最も少量だった。そして大概はそのステーキのサイドにウェッジポテトかベイクとポテトかマシュポテトとクリームスピナッチを付ける。ステーキの前のアペタイザーとサラダもオーダーするとかなりのボリュームになるが米国人はかなりの老人でもそれらをペロリと食べる人が多かった。ルースクリスのステーキは熱々に焼かれた鉄板に乗せてのサーブではなく、熱々に熱せられた陶器の皿(500°F=260°C)にグリルされた肉がドンと置かれたもので、フレンチのように洗練された盛り付けではなく、アメリカンを感じるストレートな盛り付けだが真っ白のテーブルクロスに真っ白のナプキンと洗練されたカラトリーがマッチして粗野すぎない演出がまた良い。

アメリカンステーキといえばローリーズと言う一時代があったが、ぽんこつマンはルースクリスのL.A.ビバリードライブの店の味とムードに完全に惚れてしまっていた。ホノルルの店やラスベガスの店のステーキも悪くはなかったが、客層が微妙に違うことで味やムードも微妙に変わってくる。だから東京にもルースクリスが進出したと聞いた時も、東京に行くくらいならロスのビバリードライブの店に行きたいと思ったほどだった。

ぽんこつマンは今から10年前くらいから、時差が受け付けられなくなって来て、ハワイすらも移動がキツくなって来ていた。東南アジアなら時差はわずかだから、それほど問題はないが残念なことにぽんこつマンが東南アジアの拠点にしているタイにはない。まぁ、有ったとしても味はかなり変わってしまうだろうからなくてもいいのだが…..。

最近のタイは、日本食ブームが続いていてまだまだ気の利いたアメリカンステーキの店は見当たらない気がする。ルースクリスは現在東南アジアではインドネシアのジャカルタとシンガポールにあるらしいが、もしコロナが落ち着いてタイからでも簡単にジャカルタやシンガポールに行けるようになれば、一度チャレンジしてもいいかもしれない。香港にも上海にもルースクリスは進出しているようだが、現在の中国共産党独裁が続く現状では行きたいと思わない。

タイにルースクリスが出店することがあるのかどうかが気になるところだが、もう一度あのルースクリスステーキハウスで8ozのフィレか12ozのリブアイを食べてみたいと思った。

ぽんこつマンは潮吹き女が実は大好き

ぽんこつマンが初めて潮吹き◯ンコ持ちの女の子に会ったのは、ぽんこつマンがまだ19歳の時。信州松本で大学生活をしている時だった。その女の子は、ぽんこつマンが浅間温泉でバイトしていた店の客として月に何度か見かけていた女の子で、注文の料理を席に持っていった時に彼女の強い視線を感じて、軽く会話を交わした。その日は店が暇だったので、お水を差し替えに行く時や新たなオーダーを受ける時、注文の品をテーブルに運んでいく時に、二言三言ジョークを交えて会話をし、そして彼女が店を出る時に、「今度デートしてみる?」と彼女に伝えたら「うん」と答えが返ってきたのだった。

今から40年以上前の話だがぽんこつマンはその女の子のことを今も忘れていない。当時は携帯電話なんてものはなく、固定電話を引いていなければ連絡を取ることは手紙しか手段がない時代だった。ぽんこつマンは18歳で親元を離れて、19歳からひとりアパート暮らしを始めていて、親との連絡を取るという名目で固定電話(黒電話)をアパートの部屋に引いていて、彼女に電話番号を伝えることができたのが、ナンパの鍵になった。

彼女も当時18歳で、高校を卒業後美容師として勉強していると話していて、松本市の中心から少し南に数キロ行ったあたりに両親と暮らしているとのことだった。顔はそれほど可愛いという印象がなかったが、信州の女の子には珍しく巨乳でよく発達したヒップとくびれた腰が雌としての強いアピールになっていると感じた。

当然、最初に彼女にデートを誘った時に電話番号を店のナプキンに書いて渡していたが、電話がその晩の夜バイトが終わって部屋に帰った時に直ぐに鳴るとは思わなかった。その日は日曜日で、バイト先の店は日曜日は早い時間帯は客が多いが、夜8時を過ぎるとあっという間に客が引き上げていく。そんな店で彼女はが来る時間帯は7時過ぎで店を出るのは11時近くだった。

彼女は既に軽自動車を所有しているようで、店にはいつも軽自動車でやってきていた。ぽんこつマンは車の免許は18歳の時とったが、車の免許より先に取った自動二輪の免許でバイクに乗っていたのだが……。

彼女からの初めての電話は、「おやすみと言いたかった」というものであったが、「明日は休みなので会えないか?」というのが本当の理由だった。ずいぶん積極的だったが、その積極さの理由はつい最近まで付き合っていた10歳くらい年上の男に振られてしまったことにあるらしかった。

そうか、彼女は美容師見習いだから月曜日は店が休みなのだろう。ぽんこつマンは直ぐにその事実に突き当たった。「明日は授業があるけど午後3時からならバイトが始まる6時までは時間があるよ」とぽんこつマンは彼女に伝えた。

翌日のデートは松本城からそう遠くない「エオンタ」(1973年<昭和48年>3月の開業で今も営業しているらしい。今は16時開店のようだが当時は午前11時開店だった気がする)というジャズ喫茶で会うことにした。ぽんこつマンは高校時代からジャズをよく聞くようになっていて、松本の大学に入学してまず最初に探したのがジャズ喫茶で、そのジャズ喫茶(2F)とその下にある「かつ玄」(http://www15.plala.or.jp/katsugen/honten.htm)にはバイクを飛ばしてよく出かけていた。

「エオンタ」というジャズ喫茶には一人で行く時はカウンターだったが、誰かと待ち合わせする時はカウンターとは正反対にあるソファー席に座った。スピーカーが近いのであまり多く話さなくていいのが良かった。

初デートの日、ぽんこつマンはYAMAHA DT125に乗って「エオンタ」に2時50分に入った。彼女は3時ちょうどに階段を上がって2階の入り口に顔を出した。彼女は店の左右を見回してぽんこつマンが手をあげているのに気付き席の隣に座った。スピーカーからは大音量でセロニアスモンクのラウンドミッドナイトがかかっていた。

彼女にはジャズ喫茶の経験はないようで、席についてからも落ち着きがなく周りをキョロキョロしていたが、ぽんこつマンが彼女の手をスッと握ったら、彼女はハッとしてがその内、肩をぽんこつマンに預けてきた。ジャズの音色は時に性的な刺激を与えるのか、彼女の瞳は店に入ってきたときより潤んでいた気がした。彼女の巨乳がぽんこつマンの二の腕に当たっていて彼女の呼吸によってその巨乳が微かに上下する。彼女と話す時は、耳から1cmくらいのところで話すことになる。当然ぽんこつマンの息が彼女の耳に吹きかかることで、彼女の性的欲求が刺激されるのか、彼女は時々身をよじっていた。

2時間半くらいそのジャズ喫茶で二人で過ごし、その日ぽんこつマンはバイトに行った。バイト先の浅間温泉にあるパブレストランは「赤いピアノ」(https://asamaonsen.jp/gourmet/赤いピアノ/)当時18時から深夜01時までの営業で早い時間帯は、家族連れ、若い女の子同士、恋人同士などの客が多かったが22時を過ぎた頃から枕芸者と客、ヤクザと情婦、年齢高めの不倫関係な客が多くなる店だった。

その日のバイトは深夜0時半までであったが夜遅くに彼女がまた店に一人でやってきてぽんこつマンは驚いた。彼女は、「昼にあった時にいい匂いがして、また逢いたくなった。」と話した。まだ18歳の彼女が、大人の時間帯に一人でその店に来ることはほぼ無いことだ。ぽんこつマンはその時、彼女がぽんこつマンと夜を一緒に過ごしたいのだろうと思った。

予想は的中していて、ぽんこつマンが帰りの支度をしていると彼女が会計を依頼してきて、「外で待ってていい?」と話した。ぽんこつマンは頷いて会計をしてお釣りを渡しに行く。彼女はその後店を出て、店を出た直ぐのところで待っていた。ぽんこつマンはバイクでバイト先に行っていたがぽんこつマンの住むアパートへは歩いても行ける距離にあった。ぽんこつマンはバイト先を出て彼女が待っているところに行き、「部屋に行く?」と聞いたら「うん」と言って頷いた。

当時のぽんこつマンのアパートは風呂無し共同トイレで小さなキッチンが付いていたが、その時代はまだエイズという性病は公に発表されていない時代で、性に関してはまだまだおおらかな時代だった気がする。

ふたりはそのアパートの部屋に入って直ぐにベッドに腰を下ろした。バイト先からの帰り道ビールの自動販売機で買ったビールで乾杯をした。(当時は自動販売機に年齢制限を確認する機能は無く、未成年でも普通に買えた)そしてなんとなく彼女の肩を抱きキスをした状態から彼女をベッドに倒して、お互いを求め合う行為に進んでいった。

ぽんこつマンが彼女の上に覆いかぶさり、彼女の巨乳を服の上から揉み始めたが、彼女は全く抵抗を示さない。むしろ彼女の方から強く抱きしめてきてキスを求めてくる。ぽんこつマンは左手を彼女の下半身に移し彼女の局部を下着の上から摩ってみた。すると彼女は体を捩らせたが、既にその秘部からは愛液が溢れ始めているようで、まだ下着の上にある指先の腹に湿り気を感じた。

「いいの?」と彼女に聞いたら「うん」という返事が返ってきた。そこからぽんこつマンは彼女のトップスを脱がせ、ぽんこつマンも自分の上半身を脱ぎ去り、パンツも脱いでアンダーパンツ一枚になり彼女へのリップと手の腹を使って首筋、耳たぶ、あご、デコルテ、脇、乳房、乳輪、脇腹、へそ、腰骨、と降りて行き入念な前戯を行った。そして体を180度回転させて、69の体勢へ。今度は足指、足の甲、くるぶしに愛撫を続けた。そしてその愛撫はアキレス腱、スネ、膝の内側、腿の内側へと上がって行った。脚の付け根に近づいた時には、まだ脱いでいないパンティーが大きく濡れていて淫毛や大陰唇が透けて見えるくらいになっていた。

ぽんこつマンは彼女のパンティーをゆっくり下ろしてその濡れそぼった淫部を眺めた。クリトリスも、大陰唇も愛液で光っていた。ぽんこつマンは彼女の淫部の臭いをそっと嗅いだが、特に嫌な匂いはなかった。そしてクリトリスにキスをした時、彼女は「は〜ぁ」と声を漏らした。膣口がヒクッとする度に、愛液が滲み出てくる。彼女の局部はそんな感じの濡れやすいお◯ンコだった。

ぽんこつマンが彼女の恥骨あたりをリップしている時に彼女はぽんこつマンのアンダーパンツに手を掛け引き下ろして、ぽんこつマンの硬くなったお◯ンポの亀頭を咥えた。そしてお互いの性器を吸いあった。

しばらくそのオーラル◯ックスを続けていたが、やがてふたりは互の性器を結合させることになった。まずは正常位で、彼女の膣口を探し当てて亀頭を膣内に埋め込んだ。そしてゆっくり奥へと進めていくと、ジュンと彼女の肉襞から愛液が溢れ出るのがわかる。少し引いてまた奥へ入れると、膣内にその愛液がどんどん溢れて溜まっていく。膣口はしっかりしまっているのでなかなか外には大量に出ないが、「ジュリュッ、、、ジュリュッ、、、」とゆっくりしたピストン運動でも少しずつ漏れた愛液はアナルを濡らし、ベッドシーツに落ちて20cmくらいの広さまで広がっていた。

その時はコンドーム を付けていなかったので中出しするわけにはいかないと思っていた。しかし彼女の快感に対する喜びに悶える表情にぽんこつマンの興奮も最高潮に達し、いつのまにかそのピストン運動はかなり早くなっていった。

亀頭が膣口から抜ける寸前まで肉茎を引くと彼女の膣内に溜まった愛液がその僅かな隙間からズピュッと噴出する。そしてまた奥に肉茎を送り入れると「ブオッブッ、、シュボップッ、、、」という膣内に溜まった空気が圧縮されて膣口から漏れる時の音が大きく響く。

彼女はまだ18歳だったが、性的にはかなり開発されているようで、それほどテクニックがあったわけでは無いぽんこつマンの若かりし頃の性行為でもGスポット、裏Gスポット、さらにポルチオ(子宮口)といった性感帯まで敏感に感じるようになっていたようだった。

ぽんこつマンは正常位から彼女の両脚を抱え揚げ、屈曲位の体勢になって、上から杭を打ち込むように彼女の子宮口を狙って何度も何度も突いた。ぽんこつマンには彼女の子宮口のコリッとした部分が亀頭の先端にあたる感覚にすごい快感を覚えた。膣口からは突き下ろす度にしぶきが上がり、彼女の下腹部や内腿、そしてぽんこつマンの下腹部を濡らしていた。

彼女の喘ぎ声がどんどん大きくなり、腰をひくつかせて、彼女の指がぽんこつマンの二の腕に強く食い込んだ時に、今にも発射しそうになり、一気に引き抜いて彼女の下腹部に大量のザーメンを放出した。

その時シーツの愛液で濡れている範囲は50cm以上に広がっていて、彼女が潮吹き女であることを知ることになった。この時がぽんこつマンにとっての潮吹き女との最初の出会いで、今でもはっきりとその時の性交の記憶が鮮明に残っている。

まだ18歳の彼女が、どのような男性経験でここまで性的に開発されたのかを知りたくなって、それからしばらく彼女と付き合うことになった。その中で彼女が教えてくれた性体験の話では、つい最近別れた年が離れた男性とは3年ほど付き合っていたが、彼女に◯ックスの快楽を教えてくれたはその彼だったということ。彼女の初体験は中学2年の時でヤンキーだった1年先輩の男子とだったが、最初は痛いだけだったこと。その1年先輩の男子の知り合いというかヤンキー仲間に輪姦されたこともあること。妊娠することで親にその体験を話さなければいけなくなることが一番辛いと思ったが、運良く妊娠はしていなかったこと。高校生になった時にはすでに10人以上の男とセックス の経験ができていたこと。そして高校1年の夏に喫茶店でバイトしていた時に声をかけてきた男性が長く付き合うことになった男性で、彼は自分の過去を話しても、優しく相手してくれてすごく幸せを感じるようになっていったことなどをぽんこつマンは聞いていくことになった。

彼女がその男性が転勤となって別れざるを得なくなったが、別れて2ヶ月が過ぎたが最初の1ヶ月は、電話で話すこともできたが会うことはできなくなりショックで寝込むこともあったようだった。それでもそのうち自分の身体が男性を求めている時があることに気づくようになり、新しい恋人を探すために浅間温泉のパブレストランに足を運ぶようになったということだった。

ぽんこつマンは19歳で肉体関係を持った女性はわずか3人だったが彼女はぽんこつマンを含めて15人以上の経験があることになる。ぽんこつマンはその彼女に、ぽんこつマンの◯ックステクニックについて聞いたが、「サイズ感もちょうどいいし、優しさと危険な感じが相まって、すごく感じてしまった」と言ってくれた。お世辞でも嬉しい話だった。

その後彼女とのセックスは、月に3〜4回のペースで2年続いた。彼女が20歳になり、ぽんこつマンが卒業論文の関係で松本にいない時間が多くなり、分かれる時期が来たとお互い悟ったのだった。しかし彼女との潮吹き◯ックスの経験は一生忘れることができないし、あの時の特別な感覚を求めて今もいろんな女性との性修行をぽんこつマンは続けている。

松本にいた4年間では、彼女の他にもうひとりの潮吹き女に成長しそうな大学生にあったことがある。彼女は教育学部に入学した飯田市出身の女性だったが、入学1年目の教養学部は松本なので2年目からは松本を離れて長野に行く。ぽんこつマンと知り合った時はすでに彼女が1年生の後期に入っていて、あと数ヶ月で長野に行くという時期だった。彼女とは週2回のペースで◯ックスしたが、彼女も身体が男を求める素質を持っていたようで、ぽんこつマンがふたり目の男だと言っていたが、3回◯ックスした頃から、いろんな対位や行為に興味が湧いてきたようで、アクメがどんどん大胆になっていった。◯ックスする度に、膣からの愛液分泌量も増えていき、長野へ行く数日前にはベッドのシーツを広く濡らすくらいに成長していた。

彼女が松本を離れて長野に行く時に残した言葉は、将来結婚するだろうけど、結婚と男性との肉体関係は別物で、もっと絶頂感を味わえる◯ックス対象の男性とたくさん体験したい(性修行)と言っていたが長野に行ってその後どうしているかはわからない。

ぽんこつマンはその後も何人かの潮吹きお◯ンコ持ちの女と会っているが松本で初めて出会った潮吹きお◯ンコ持ちの女の子と同じかそれ以上の名器持ちと思う潮吹きお◯ンコ持ちの子ははバンコクのナナプラザのバービアで知り合った子だが、彼女とのエピソードはまたの機会に書くとしよう。

ああ〜、なんだか松本に遊びに行きたくなったなぁ。エオンタにもかつ玄にも、赤いピアノにも改めて行ってみたいものだ。

2016年4月の熊本城が崩れた地震の前の年に行ったソープランドでの記憶

ぽんこつマンが熊本の女の子に特別の感情を持つようになったのは、松本での学生生活時代だった。松本と言えば長野県の市で松本城や浅間温泉、美ヶ原などの観光地があり、上高地や白馬などへの旅行ベースとしても有名な街である。

ぽんこつマンは学生生活を過ごした松本では大学と浅間温泉に近いところにアパートを借りて一人暮らしをしていた。学生時代は昼間は大学、夕方からは浅間温泉のパブレストランでホールのアルバイトをしていた。

浅間温泉にはスナックやパブがいくつかあって、松本市内に住む大人も、観光客も夜の時間を楽しんでいた。浅間温泉にも芸者がいて温泉宿で枕営業をしている芸者のお姐さんも、ぽんこつマンが働いていたパブレストランに来ることもあり、ぽんこつマンの夜の時間は多分当時の一般の学生よりは艶っぽい世界にいた気がする。

ぽんこつマンは当時そのバイト先で浅間温泉で小さなスナックを営業していた、元神戸の暴走族のリーダーで、かつて三代目山口組組長・故田岡一雄氏の長女、田岡由岐氏と交友があったと話してくれた一人のマスターと親しくなっていった。

そのマスターは、当時パンチパーマで着ているものも派手なものが多く、見た目ではちょっと恐いおじさんだったが、よく笑いバイト学生からよく慕われていたのを思い出す。神戸で暮らしていた時は、ヤンチャばかりしていたらしいが、女の子からはモテまくっていたという話をよく聞いた。神戸の街を歩いている時はいつも可愛いモデルの子を連れていたとのことで、女の子を口説くのが相当上手い人だった。

松本で初めて知り合った時は、彼にはたまたま彼女がいなかったが、一緒にお茶を飲みに行った先の喫茶店でたまたま働いている女の子に言葉巧みに話し、その女の子がすぐに彼に惚れてしまう場面を何度も見てきた。

ぽんこつマンも当時は松本の地元で働いている美容師や、保母さんを口説いて良い中になったこともあるが、彼のナンパ術はずば抜けていたと思う。知り合って2日目には、女の子はその彼から離れられなくなってしまうくらいの女たらしぶりだった。

熊本の女の子に特別の感情を持つようになったのは、当時松本の駅前にあったとある大きな喫茶店で働いていて、ぽんこつマンより5歳くらい年上だったと思うが、その彼女が持っていた艶っぽさにやられたのだった。

ある時その喫茶店に浅間温泉のスナックのマスターをしている彼と一緒に行った時、ぽんこつマンが気になっていた彼女を紹介したことがある。その時は彼はたわいのない話をしただけだったが、ほんの数分の会話の間に彼女の心をしっかり掴んで、彼女の瞳がうっとりと彼に心を奪われたようになっていくのを見た。

松本と熊本の共通点といえば、馬刺しが普通に食べれるということくらい。彼女がなぜ熊本という遠いところから松本の喫茶店で働くことになったのかも分からなかったが、彼女はすっかり彼に心を奪われて、2日後にあった時には身も心も彼に持っていかれたようだった。なぜ彼女があれほど艶っぽいのかを彼に聞いてみたら、彼は熊本と高知の女は男好きする女が多く日本一落としやすいと言っていた。生まれた時から性的好奇心が強い女になるDNAを備えているというのだった。にわかに信じ難い話だったが、ぽんこつマンは、そのとこから熊本と高知出身の女の子には好奇心が強くなったのだった。

熊本出身の女優といえば、石田えり、宮崎美子、夏川結衣、倉科カナ、歌手では森高千里などが有名だ。高知出身の女優といえば広末涼子、歌手のソニン。ぽんこつマンはやっぱり熊本の女性にエロスを感じてしまう。

ソープランドは日本全国にあるが、熊本には日本3大ソープと言われる「ブルーシャトー」がある事で有名。昔働いていた会社でも、わざわざプライベートで月1回「ブルーシャトー」通する「役員様」がいたくらいだった。

ぽんこつマンが熊本に行ったのは、2015年。9月の末くらいだった気がする。第一の目的は、もちろんNNソープランド。後は熊本城を見ることと、辛子蓮根と馬刺しを食べること。NNソープランドで有名なブルーシャトーは「会員」以外は予約すら取れないので、事前にWEBサイトでチェックしたら熊本流という女の子が多くいる店が見つかった。熊本流というのは、生(N)中出し(N)ということが分かったが、実際に中出し可なのかどうかは姫によるだろうからよく分からなかった。

その熊本流という表記の姫がいる店は「Picaso」(https://www.picasso.cc/top.html)という店だ。その時ぽんこつマンは東京に転勤になっており、出発は羽田からだ。熊本に午前中に到着の飛行機で向かった。ANA 643便羽田10:00発、熊本11:45着。熊本空港から熊本市内まではそこそこ遠いのでバスに乗った。タクシーよりは時間がかかるが、費用はかなり安くなる。熊本市内のバスターミナルについてからは徒歩でホテルに向かう。

ホテルは、歩いて熊本城、ソープランド「Picaso」に行けて近くに飯屋もあるエリアでやすい宿、熊本東急REIホテルをBooking.comで探して予約していた。

チェックインしたのは午後2時ごろだっただろうか。ホテルの周りを散策してみた。この年の東京の9月の末は例年より気温は低かったような気がしたが、熊本での午後の散策は少し額に汗が滲む感じだった。夕方になり一旦ホテルに戻った。ホテルのフロントで、それほど値が張らずに熊本の郷土料理を食べれる店を教えて貰って食事に出た。

本場で辛子蓮根を食べるのは初めてだった。熊本といえば九州、焼酎がよく飲まれているのだろうと思ったが、ぽんこつマンは日本酒好きなのでお店が勧めてくれる日本酒を頼んだ。馬刺しも頼んだ。店の場所も名前も今地図で見つけようとしても見つからないが、おばちゃんがふたりで切り盛りしている小さな店だった。カウンターでひとり、おばちゃんと話ができたことがよかった。

その日は、かなり良い気分に酔ったのでその店を出てコンビニで水を買ってホテルに戻った。第一の目的は明日の午前中に実行する、ホテルからソープ街への道をスマホでチェックして、その日は早めに休んだ。

翌朝のチェックアウトは10時、荷物をフロントに預けて、徒歩で「Picaso」へ向かう。途中熊本下通りのアーケード内にあるマクドナルドで遅い朝食を食べて、ソープ街を目指し「Picaso」には、午前10時50分に着いた。

まだソープ街にしては早い時間だからか、呼び込みの姿はあまり見なかった。店に突入すると黒服が勢いよく歓迎の挨拶をする。その黒服に予約はないがその日WEBで出勤予定の女の子の中で「熊本流」と明記されている女の子の中で若そうでスマートそうな前職「看護師」の女の子の名前を伝えた。

その子の名前は「聖(ひじり)」という姫だった。黒服は今その姫は接客中だが、もうすぐ空くので待合室で少し待てるか聞いてくる。本来なら飛び込みの客にその場で指名できる程、予約で埋まっていないということなのだが、ぽんこつマンがNetで確認した「熊本流」の姫の中では一番いけると思っていた娘にサービスしてもらえるということはラッキーだと思った。

待合室には他の客は誰もいない。エロ本がたくさんあり、それを見ながら「聖(ひじり)」ちゃんが来るのを待った。即生即尺店サービスがあるので、部屋に入る前にオシッコを出しておこうとトイレに行って戻ってきたら姫が階段を降りてきた。待合室で初対面したら、写真よりはふっくらしているし、目元もかなり写真は持っているように思えた。年齢は明らかにサバを読んでいて既に25歳は過ぎている感じだった。

https://www.picasso.cc/girl.html から引用(今も24歳でネットには出ていた)

彼女が挨拶をしてぽんこつマンの手を取り、階段を上り部屋に入った。ぽんこつマンが小さな鞄を置いてベッドに腰を下すや否や、彼女がぽんこつマンのパンツのベルトを外してアンダーパンツごと下ろして、パクッといきなり咥えてくる。

「ジュルジュル、ジュルジュルジュルジュル、、、シュポッ、ジュポッ、、、シュポッ、、シュポッ、、」彼女の舌がぽんこつマンの肉棒の亀頭を唾液たっぷりに絡みながら、しっかり締めた唇で膨張し始めた肉茎をゆっくり前後して絞り上げていく。ぽんこつマンの肉茎はあっという間に怒張して根元までかちんかちんになったところで、彼女はぽんこつマンの亀頭を喉の奥にあたるまで深く咥え込んでできるだけ根元に近いところを締めた唇の筋肉で刺激してくる。そしてそのディープスロートは速いスピードで続いた。

ぽんこつマンは既にその肉茎に走る快感を感じていて、ベッドについていた両手を折り肘で体を支える体制まで後にのけぞっていた。その様子を見たのか、彼女はぽんこつマンの足に絡んでいるパンツとアンダーパンツを剥ぎ取りぽんこつマンをベッドに横たわる姿勢にした。

そしてぽんこつマンの上半身にまとわりついているシャツのボタンを外し、彼女がつけているスケスケの衣装とパンティーを脱いで、ぽんこつマンの顔に彼女の淫部を向けてぽんこつマンの肉茎を咥えて激しく上下運動を加えた。

ぽんこつマンは彼女が向けてきた美尻を掴み淫部に下を這わせて彼女の大陰唇とクリトリスを啜った。膣口を下で割って、その膣口に大量の唾液を注入した。ぽんこつマンは彼女の乳房を掴んで乳首を指で転がしながら5分くらいクリトリスを弄んでいたら、彼女が突然、体を入れ替えて騎乗位でぽんこつマンの肉棒を迎え入れた。彼女の秘部から滲み出した愛液とぽんこつマンの唾液で充分に濡れそぼった膣に肉棒はスルンと奥へ進んでいく。

亀頭が膣の奥にあるポルチオのコリッとした感覚があった時。彼女はウッ、アンと軽い呻き声をあげて、それから腰をグラインドさせながらゆっくり上下に動かした。ぽんこつマンのカリの部分が彼女の肉襞に擦れてぽんこつマンもどんどん昂っていき、彼女の動きに合わせて腰を突き上げていく。

彼女が両手を後ろに置いて体をのけぞらせた時、ぽんこつマンは体を起こして対面座位で片手を彼女の尻にあてがいもう一方の手で彼女の乳房のアンダーに置いて上へ持ち上げるように揉みしだいた。

https://www.picasso.cc/girl.html から引用

相当の客に揉みしだかれてきたその乳房には少女にあるプルンとした硬いゼリーのような弾力はもう無くなっていたが、それでも母乳を出したことのある充填豆腐のような今にも溶けてしまいそうな柔らかさまでは至っていない適度な弾力を維持していた。

彼女の完璧な腰使いでぽんこつマンはフィニッシュに向かう感覚を覚え、さらに一層突き上げた。彼女は対面座位から既に両肘をついて仰反るまで崩れ、ぽんこつマンも片手でのけぞる体を支え、もう一方の手の腹で彼女のクリトリスに素早く、しかし柔らかく振動を伝えた。

彼女の膣口が少し締まったと感じた時にぽんこつマンの肉茎は最高の快感に見舞われ、一気にザーメンを放出した。彼女は体を支えていた肘を崩しベッドに背中をつけた。少し荒い息になっていたぽんこつマンの肉茎はゆっくりと萎えていく。そしてフィニッシュしてから1分くらいで彼女は体を起こして湯船にお湯を張りに行った。そしてぽんこつマンの手を取りバスルームに行き、ぽんこつマンを通称すけべ椅子に座らせ彼女の乳房で大量のボディーシャンプを泡だてて、背中、胸板、腕、脚を洗い始めた。

ソープランドの醍醐味は、まさにこの洗いのサービスにあるとぽんこつマンは思う。身体を洗い終えたらぽんこつマンの萎えた逸物を洗いながら「シャンプーしますか?」と聞いてきた。ぽんこつマンはソープで髪を洗ってもらうのもすごく楽しみにしている。すぐに「お願いします」と答えた。

体や頭を洗ってもらいながら、世間話をした。前職は看護師という彼女のボディーサービスは丁寧そのものだった。体についた泡をシャワーで洗い落として湯船に浸かる。彼女は湯船の中でぽんこつマンの逸物を弄り続ける。少しずつ膨張するぽんこつマンの肉棒。彼女はそれを確認して、湯船から出てマットの準備をする。そしてドロドロしたローションを洗面器にいっぱい作り始め、ぽんこつマンをマットに寝るように促した。

うつ伏せに寝たぽんこつマンの背中にローションをたっぷり乗せ、背中に身体を合わせて来る彼女。彼女の片方のてはぽんこつマンの股間に伸び、肉茎を刺激し続ける。彼女がぽんこつマンの横に来て恥骨の上に生えている淫毛をぽんこつマンの腰骨に充てて上下する。そしてぽんこつマンに仰向けになるように促して恥骨と乳房にたくさんのローションを改めてつけてぽんこつマンの胸に彼女の胸が当たるように上に乗ってきて、ジョリジョリした淫毛でぽんこつマンの股間にある肉棒を摩擦して来る。彼女の乳房はぽんこつマンの肋骨の下あたりをプリンプリンと刺激して来る。

そして彼女は、ぽんこつマンの硬直した肉棒を改めて膣口に迎え入れた。身体を合わせた状態で彼女の膣口はぽんこつマンの亀頭のカリをゆっくり擦り上げる。しかしマットの上でローションでツルツル滑る身体はコントロールが難しい。「ベッドに行きましょうか?」という問いかけに「うん」と応えたぽんこつマンの体からシャワーでローションを洗い落とし、ベッドに向かった。

ベッドに仰向けで寝たぽんこつマンの肉棒を改めて咥えてフェラチオで刺激してもう一度硬直を待ってから、彼女は今度は騎乗位でぽんこつマンの肉棒を膣の奥深くへ迎えた。またもやグラインドを加えて腰を上下させる彼女。しばらくその運動を続けた後に彼女は半回転して背面騎乗位に対位を変える。上下の腰の動きが速くなった。彼女の膣口がぽんこつマンの肉棒の上側を擦り上げ、ぽんこつマンはまたもや快感に見舞われた。ぽんこつマンが軽く、ウゥッと呻き声をあげたのを聞いて、彼女は一旦肉棒を抜いて、背面騎乗位から後背位の体勢をとり、「後ろからお願い❤️」といった。

ぽんこつマンはその言葉を聞いて直ぐに彼女の股の下にある脚を抜き、改めて彼女の尻を掴み膣口にぽんこつマンの肉棒を突き刺した。「ズンッ、、、ズンッ、、」最初はゆっくりしかし強く突き上げていたが、彼女の呻き声が大きくなっていくのに合わせて突き上げ速度は速くなっていった。1秒に2回、そして3回、最後は4〜5回の速度で彼女の裏G スポットあたりから子宮口を突き上げた。ぽんこつマンが強く彼女の尻の肉に指を食い込ませ引き寄せる動きと腰を後ろから前へ突き出す動きを繰り返し、彼女が顔をベッドに充てて悶える表情を見せた。それからぽんこつマンは暫くして、快感が肉茎から背骨を通じて脳天まで走る感覚を味わった。ザーメンは彼女の子宮口に向けて発射された。彼女はベッドに突っ伏した。ぽんこつマンも繋がったままで彼女の上に乗った状態で突っ伏した。

ぽんこつマンは彼女の首筋から肩そして背中にかけてリップと舌で彼女を愛撫した。最初は客とソープ嬢というわかり切った関係だったが、2回のゴム無し中出しが終わった時には、まるで恋人のように愛おしいと錯覚するくらいになっていた。最後に身体から出た汗とお互いの愛液をもう一度シャワーで洗い落として、ぽんこつマンは「Picaso」を後にした。

退職したら熊本に住むのも悪くないと思えるほど、熊本のソープ体験はいいものだった。ソープランドを出た後、ホテルに荷物を取りに行く前に熊本ラーメンで有名な桂花ラーメン(http://keika-raumen.co.jp)を食べに行き、熊本城を観に出掛けた。

東京への飛行機は17時台だったので16時半に熊本空港についていればよかった。そこで熊本城を見た後に、市電に乗って鶴屋百貨店に行ってみた。お土産を買うつもりではなく、熊本の若い女の子が働いているだろうと思い、少し客としてその若くて可愛い店員を見つけて話をしてみたくなったのだ。それくらい熊本の女の子への特別な感情はさらに強くなっていた。

若い女の子が話す九州の鈍りは聴いていて耳に心地いい。何人かの化粧品売り場の可愛い店員と話したが、実に感じのいい娘ばかりだった。年齢差は30歳以上離れているようなぽんこつマンの話にちゃんと付き合って接客してくれる。若い女の子にプレゼントしたいと言って商品をいろいろ紹介してもらうナンパテクニックだが、これも昔学生時代に松本で知り合ったスナックのマスターから教わったものだった。

可愛い店員を落とすために、彼女とそっくりの仮想の彼女の話をして商品を選んでもらい、最後に商品を買って、「その彼女って君なんだよ」と言ってその店員にプレゼントするというものだ。熊本に住んでいれば、その手口でデートのきっかけを作ることもできるが、ぽんこつマンは当時東京に住んでいたので東京に彼女を呼ぶというのもいろいろ大変なので、実際に商品を買うことはなかったが、1時間ほどのデパートでの時間も熊本でのいい思い出になった。ぽんこつマンは今はタイでナンパすることが多いが、タイ語がまだ流暢という訳ではないのと、タイ・バンコクの女の子と熊本の女の子では、親しみやすさの度合いが違う気がする。

ぽんこつマンは既に会社を退職して3年目になる。それでも若い女の子とのデートはやっぱり楽しいし、その女の子を振り向かせることができた時の快感は今も昔も変わらない。速くコロナが終わって欲しいし、そうやって日本のソープやタイのMPの姫と遊んだり、やカラオケ、ゴーゴーバーの女の子やデパガートガールやOLをナンパしたりするだけの資金を稼げるようになりたいものだと思うぽんこつマンである。

AKAという焼肉ビュッフェ、バンコクセントラルラマ9店に行ってみた。

2019年9月28日(土)バンコク発羽田行のANAの翌朝着便で連れ合い、息子と一緒に一時帰国する前に、当時既にバンコクで働き始めていた連れ合いの娘を呼んで4人でBBQランチを食べに行った。

ぽんこつマンが住むバンコクのコンドからタクシーで比較的向かいやすいレストランモールがある場所がセントラルラマ9であり、そこは連れ合いの娘が大学生時代に住んでいたラチャダー3にも近く、彼女が当時良く行くショッピングモールでもあったので、そこのレストランモールで店を探す事になったのだった。

息子と連れ合いの娘は焼肉を主張する。息子はブッフェが大好きで連れ合いの娘もそれに同調した。連れ合いとぽんこつマンはビュッフェは好きではない。MKとかで鍋がいいかとも思ったが、この日は息子の主張に流される事になり、AKA(https://www.facebook.com/akarestaurant)に行く事になった。AKAはJapanese restaurantとあるが、日本式焼肉BBQと謳っているだけだろうと思う。実際にはBBQメニュー以外に日本食メニューはほとんど見当たらない。しかしながら豚肉、牛肉、海鮮、野菜とBBQメニューは豊富だ。

このAKAというレストランは既にタイの大きなショッピングモールにはかなり進出していて、チェンマイのセントラルフェスティバルにもあり、連日タイ人のファミリー層や恋人同士、学生グループなどで賑わっている。ランチやディナーの時間ともなると1時間ほど待ちになることもあるようだった。

ぽんこつマンたちはこの日11時にセントラルラマ9の6階に着いていたので、待たずに店に入ることができたのだが、食事を終わって店を出る頃にはかなりの客が待っている状態になっていた。

店に入る際にいくつかのコースの中から1つを選ぶと席に案内される。席について食べたいものとその数を給仕係に伝えると数分後にその食材がプラスチックの容器に入って届けられる。どうせ食べるなら旨い食材を選べる一番高いコースを選んだ方がいい。

ぽんこつマンはBBQを食べるときはどうしてもアルコールが欲しい。コース料金とは別になるがハイネケンビールを頼んだ。息子と連れ合いの娘はさすがに若いだけあって、もりもり肉を食べていく。連れ合いはいつも食材を網に乗せて焼けたものをぽんこつマンや娘や息子に取り分けている。

正確な滞在可能時間は覚えていないが、全員もう食べれないというくらいまで食べ終えて店を出たのは制限時間よりかなり早かった気がする。4人で3000bahtにはいかなかったと記憶している。

希少部位や黒毛和牛を売りにする高級焼肉店ではなくても、楽しくワイワイ食事する店としては、気軽に来れるAKAも悪くはないと思う。Tinderとかで知り合ったハイソではない女の子との焼肉デートにも使えそうだ。

休みが多いが蕎麦の味は抜群の蕎麦屋「たけのこ」

ぽんこつマンの住む富山のとある街にうまい蕎麦屋がある。連れ合いが日本に来た時に必ず行きたがる蕎麦屋で、ぽんこつマンもその店が打つ蕎麦の味は気に入っている。ただいつ店を開けているかがわからない。店の入り口には確かに定休日や営業時間がはってはあるが、空いているはずの時間に行っても厨房の電気はついているものの入り口に鍵がかかっていて開かない時もあったりした。

蕎麦の季節は新蕎麦が出る季節で、最近は新そばには秋以降に収穫する「秋新」と、初夏から夏にかけて収穫する「夏新」の2つがある。昨年連れ合いがタイから日本に来たのはちょうど秋蕎麦が出ている頃で、一番蕎麦がうまい季節にやって来たのかもしれない。

ぽんこつマンは麺類なら大概好きだが、蕎麦はもっぱら熱いつゆのそばと言うより、冷水で締めた蕎麦を好みにしている。むかし蕎麦が庶民の食べ物であったらしいが、ぽんこつマンが学生時代を過ごした1980年代にはうまい蕎麦の値段は決して庶民の食べ物とは言えないくらい高価になっていた。

ぽんこつマンがバリバリ仕事をしていた1990年代頃には東京では1枚2000円と言う赤坂にあった高級蕎麦屋に人が群がっていたのを思い出す。ぽんこつマンが会社を早期退職してタイに暮らすようになってから日本の居住地は富山の実家にしているが、比較的物価の安い田舎町でも、蕎麦はラーメンやうどんに比べると高価な食べ物になっていると思える。

蕎麦はもともと一人前では量が少なく、大の大人の食事としては2枚くらいは食べる事になる。麺類の中でも蕎麦は健康にも良いと言われるが、それは小食で済ませると言うことも含めての話だと思う。

話を戻そう。ぽんこつマンの連れ合いが日本にやって来た時にぜひ行きたいと言った蕎麦屋は「手打ち蕎麦 竹の子」という店。

店の入口を入るとそば打ちを行うブースがガラス張りで見える。店内を左に行くと奥に厨房があり手前がテーブル席が4つほどある。入り口を入って右側は小上がりになっていたような気がする。ぽんこつマンは既に膝が硬くなっていてあぐら坐りすら辛く、いつもテーブル席を探す。

「手打ち蕎麦 竹の子」はどうも家族経営ぽく、ホールには店の旦那さん(蕎麦職人)の品の良さそうな奥さんと可愛い娘さんが給仕係をしているようだった。店内の装飾は華美ではなくいかにも蕎麦をいただくにふさわしい落ち着いた和風のテーストだ。

連れ合いは、天せいろそば(1450円)ぽんこつマンは鴨汁そば(1450円)+大盛り(220円)。ぽんこつマンはそれでも満腹にならず、セイロを1枚追加した。新蕎麦の芳しい香りと、鴨汁の旨味が見事にマッチしていた。連れ合いは天ぷらを塩で食べ蕎麦を食べ終えた後に蕎麦湯を貰い、つゆをしっかり最後まで飲んでいた。

今は9月、東京あたりでは夏蕎麦の新そばが出回る頃、秋蕎麦もそのうち出てくる季節となった。2020年のそばの出来はどうだろうか気になるところだ。今年もうまい蕎麦を食べに竹の子に行ってみたくなった。

富山ブラックというラーメン

ぽんこつマンの現在の日本の居住地は富山県にある。連れ合いや息子が日本に訪れる時はその富山の家に来る事になる。2019年9月29日から10月12日までの約2週間、息子のタイの学校の秋休み(タイの学校は2学期制で5月から始まる前期と10月の末から始まる後期に別れる)に合わせて日本に来ていた。

息子の主な目的はユニーバーサルスタジオジャパン、連れ合いの主な目的は日本でおいしいものを食べる事だったがぽんこつマンの日本への一時帰国の主な目的は、定期的に続けている健康チェックで呼吸器内科、脳神経内科、歯科での診療だった。

富山にいる間に当然、寿司や刺身をよく食べる事になったが富山には数年前から人気になった富山ブラックというラーメンがある。富山空港にもそのブラックラーメンというのがあり、たまたま空港に出かけた時に旅行者が「富山ブラックって、なんでブラックなんだろうと?」と話して不思議がっていたこともあり「きっと黒胡椒じゃない?」という勘違いをしていた話もある。

富山ブラックとは、ラーメンのタレのベースが富山独特の醤油を使ったもので東京の醤油ベースのラーメンよりかなり黒い見かけのスープになっていることでそう呼ばれているとぽんこつマンは理解している。

ぽんこつマンの住んでいる街にも富山ブラックを名乗るラーメン店は多いが中でもその店の名前でスーパーで売っている生麺タイプの家庭用ラーメンも販売されるなど、人気の高さが伺える「らーめん誠や」という店があり、富山ブラックを食べたくなったらぽんこつマンはまずその店に行く。

土日や祝日の昼ともなればかなりの客が訪れなかなか席につくことが難しく、スープが売り切れれば閉店となってしまうとの評判の店で、ランチならお昼前に早めに行くのがおすすめだ。この店のメニューで醤油ラーメンとあるのが「富山ブラックラーメン」で、他にも「ほっとらーめん」「しおらーめん」「氷見魚味らーめん」などの種類がある。サイドオーダーの典型でぎょうざや鳥の唐揚げなども普通にある。夕方からは、お酒のアテになるおつまみも各種あり飲みの場としても人気があるようだ。

ぽんこつマンは、この誠やのほっとらーめんも好きでよく頼む。写真は10月4日(金)連れ合いが頼んだ「ちゃーしゅーめん」。中盛りだったか小盛りだったか定かではない。ご飯と一緒にこの醤油の旨みを感じるブラックらーめんを食べるのが定番のようだが、炭水化物オン炭水化物になるので糖質ダイエット中の人はラーメンだけにした方が良さそうだ。

ぽんこつマンは2020年4月1日に日本に戻って来てからはまだ一度も行っていないので、近いうちに行ってみたいと思うが長い間糖質制限しているので、一度行ってしまうとその味の記憶に目覚めてしまうのが怖くてなかなか思い切って行けていない。

スクンビット34にある、やす田という接待客中心と思える和牛料理屋で連れ合いの女の大学卒業パーティー

2019年11月8日、連れ合いの娘がバンコクの大学の卒業式があり、連れ合いの母、連れ合い、息子がチェンマイからバンコクに前日やっって来ていた。タイでは大学の卒業式は家族にとっての一大イベントらしく、卒業式が終わった当日の食事会は親しい家族と親族を呼んでパーティーをするらしかった。連れ合いの親族の多くはチェンマイ にいて、そこから呼ぶにはホテルや飛行機の問題など法外なお金が発生するので、連れ合いにはあまり大袈裟にしないようにといっていた。

結果的には、連れ合いの母と連れ合い、そして息子の3人がチェンマイ からやってくる事で済んだが、卒業式前日の食事は、HUAY KHWANGのソンブーンシーフードで連れ合いの娘の恋人も来ての食事会となった。

ソンブーンシーフードは、ぽんこつマンも好きで何度も行っているが、連れ合いが彼女の母に大好きなプーパッポンカレーを食べさせたいという事で出かける事になった。久しぶりに6人での食事という事で、事前予約しておいた席は円卓だった。しかしあまりにエアコンが効き過ぎていて寒くて食事の気分が盛り上がらないので、席を変更してもらった。

連れ合いも息子も久しぶりに来たという事で、自分の好きなものをどんどん頼む。ぽんこつマンはプーパッポンカリーとパクブーンファイデーンがあれば後はビアチャンとワインを飲みたいだけであった。連れ合いもワインを飲むが白はすすんで飲まない。遅れてやって来た連れ合いの娘と恋人が白ワインを一緒に飲んでくれたので最終的に2本を開ける事になったのだが…..。

2019年11月8日、卒業式の朝になった。ぽんこつマンがバンコクで住む今度の部屋に連れ合いの母、連れ合い、息子の3人も昨晩から泊まっている。朝はトーストと卵にベーコンという簡単なものでみんな済ませる。ぽんこつマンは毎日コーヒーだけだ。

10時に部屋を出て連れ合いの娘が通っていた大学キャンパスにグラブカーで向かった。大学の卒業式があるとなるとその周辺は大渋滞になると連れ合いが言っていたので時間的に余裕を見てのグラブカーでの出発だった。大学はMRTペッブリー駅から歩いて行けるスリナカリンンウィロート大学だが、確かに大学周辺はすでに渋滞していてグラブカーは大学の地下駐車場に入ってぽんこつマンたちを下ろしてくれた。大学にはすでに多くの学生とその家族や友人が多く集まっていた。

11月8日ともなれば、タイは乾季でバンコクの日中の気温はすごく高くなる。この日は12時頃ですでに35度を上回っていたと思う。風もなく人も多く、ペットボトルの水を2本飲んでもあっという間に汗で出てしまう。

卒業式はこの日を皮切りに来週までの1週間様々な行事があるようだった。息子も学校を休んで来ているし、連れ合いの母もバンコクの雰囲気が好きではないのか、日曜には連れ合いと一緒にチェンマイに戻るようである。

というわけでぽんこつマンは、その日の大学での行事が終わった後のパーティーの場を予約する事に専念した。昨日の6人にプラスして、バンコクにいる親族にも連れ合いが声をかけているようで、10人くらいの個室があって、連れ合いが一番好きな和牛を食べれる日本食店をランチに行った大学近所のタイ料理店に入って涼みながらスマホで探した。

10人程度の個室があり特別な1日であると思えるほどのサービスを受けれる店となるとかなり限られる。一般には日本企業の接待で使われる料理屋になるが、あまりにも格式の高い店ではぽんこつマンも連れ合いの母や、バンコクにいる親戚も窮屈に感じるだろうと思い、焼肉、しゃぶしゃぶ、すき焼きと言ったメニューで探してみた。

そこにヒットしたのが「やす田」という福岡から開始し創業30年、日本ではミシュランガイドへの掲載経験もある九州の有名店『おんどる』のオーナーシェフが神戸ビーフのステーキと焼肉を食べる事ができるお店として全面プロデュースした店らしい。(https://www.facebook.com/YasudaTH)一軒家をリノベーションした豪華な造りと隠れ家的な雰囲気・多数の完全個室・離れ・パーティルームが好評でA4・A5ランクの厳選された神戸牛をバンコクで食べる事ができる幸せな店らしい。

焼肉は富士山の溶岩で岩盤焼きして、焼けると給仕係が客にサーブしてくれる。

パーティー会場には大学から連れ合いの娘の彼氏が、娘、連れ合い、息子と連れ合いの母を乗せて車で来てくれた。ぽんこつマンは、少し早めに自分が住むコンドに戻っていたので、そこからグラブカーで向かった。バンコクに住んでいる親戚は、それぞれ時間に合わせてやって来てくれた。メイン料理は、神戸牛のしゃぶしゃぶと焼肉。それに全員にスープ、小鉢、ご飯が付くコースだった。肉は足らなくなったら別途追加オーダーできる。焼肉は、富士山の溶岩での岩盤焼きでいい焼き具合になったものを給仕係が、客にサーブしてくれる。しゃぶしゃぶのアク抜きなどの作業は給仕係が世話をしてくれる。

まるで、日本の料亭並みのサービスを目指しているようだが、連れ合いのバンコクに住む親戚や連れ合いに母には、ここまでのいたせり尽せりの食事は少し堅苦しかったのか、牛肉を食べる習慣がないためか、食がそれほど進まないようだった。息子や連れ合い、そして連れ合いの娘とその彼氏は、よく食べよく飲んだ。

概ね3時間くらい「やす田」の個室で楽しい時間を過ごした。給仕係の手際こそ日本に比べたら大きく差があるものの、4000km以上離れたタイ・バンコクで至れり尽くせりのサービスと美味しい神戸牛を存分に味わえた事は、ぽんこつマンを含め全員の記憶に残る事であろう。

肉に合うと勧められたさほど高く無いワイン3本と合わせて5万バーツにはいかなかったような気がする。特別な日や記念日などに利用するにはいい場所を見つけたと思う。コロナの影響で2020年、この店が消えていない事を切に願いたい。