ぽんこつマンCovid-19に罹患して①(プロローグ

2022年2月15日にぽんこつマンはチェンマイからバンコクに戻って、コンドで独り気楽な暮らしに戻っていた。当時はチェンマイでもバンコクでもコロナの新規感染者が多数出ていたが、バンコクのスクンビットソイ7のバービアは無許可ながらレストランという体で営業していると聞いたのでオスとしての本能が求めるままバンコクに向かう事にしたのだった。

チェンマイでは家族と一緒に住んでいるため、なかなか独りでバービアに出かけるということもできないがバンコクで独りコンド生活なら、Tinderで知り合った娘とデートしたり、バービアの夜嬢の乳を揉みながらすけべな話を肴に飲むことも出来る。月曜から水曜のバービアはコロナのせいで以前と比べ物にならないくらい客が少なく夜嬢の収入はかなり厳しいようだった。

バービアで見つけた夜嬢で気になる娘とはLINE交換する。バービアからペイバーで連れ出すと最低でも3500〜5000bahtの出費を覚悟しなければならないが、後日LINEで連絡を取って夜嬢を出勤前に自分の部屋に呼んでペイバー代無しで交渉1500〜2000bahtくらいで2〜3時間は彼女を独り占めして遊ぶことが出来た。

バンコクに戻ってからの2週間は、あっという間に過ぎて行き、最初はCovid-19に罹る事に少しは覚悟しながらでもTinder娘やスクンビットソイ7のバービア夜嬢とのデートやその後の体液交換があっても運よく発熱、喉の痛み、鼻水、咳などの症状は無かった。念のためにAKT(抗原検査キット)を買い置きしていてたまにチェックしても陰性だった。

2月に入ってナナプラザのレインボー5やソイカウボーイのバカラといったゴーゴーバーもレストランという体で店内でゴーゴー嬢を隣に座らせておっぱいやお尻を揉んだりしながらお酒を飲んだり出来るようになり、ぽんこつマンはその2つのゴーゴーバーとスクンビットソイ7のバービアへ頻繁に出かけた。

バービアの夜嬢は収入が思うように入らないので直ぐに店を代わっている娘もいて、ぽんこつマンの飽きっぽい性格もあり、バンコクだけではもの足らない想いに駆られ3月14日、15日はパタヤに出かけた。

ぽんこつマンがパタヤに独りで出かけるのは、それほど多くは無いが昔の夜のパタヤはウォーキングストリートのゴーゴーバーとビーチロードサイドのバービアがメインだった。今回の3月はウォーキングストリートのゴーゴーバーはまだ空いていないようで、ソイ6のバービアとLKメトロのゴーゴーバー、ツリータウンのバービアを梯子して回った。

パタヤへの交通手段はエカマイのバスターミナルからパタヤ北ターミナルへのバスで140baht、北ターミナルからパタヤソイ10にある今回のシー ミー スプリング ツリー ホテル (http://www.seamespringhotel.comまでバイタクで100baht、12時にはホテルに着いたが直ぐに部屋にチェックイン出来たので、ビーチロードに出てレンタルバイクを借りて、久しぶりのパタヤビーチロードとセカンドロードを数回周回して、パタヤの空気をたっぷり浴びた。昼飯はビーチロードのバーレストランはガパオライスやパッタイなどの庶民的なものも200baht越えだったので、セントラルパタヤにあると事前に調べた餃子の店に行こうとしたがすでに撤退していて無駄足を喰らった。それでも餃子がどうしても食べたかったので、一風堂に入った。

ソイ6のバービアは早いところは2時ごろから開いているらしかったが、バイクで2時ごろ一通り通ってみたが女のコが揃っていないようなので一旦ホテルに戻って前日のバンコクでの夜遊び疲れを回復するためにシャワーを浴びてベッドで休んだ。

3月のパタヤは夕方5時になってもまだまだ陽が高く、昼飲み感覚だ。酒を飲むのでセカンドロードのソイ10でソンテウを拾ってソイ6のパクソイまで10bahtで来れる。端から端まで2往復してようやくそこそこ好みの嬢が目に留まったのでそのバービアに入った。

一番奥のソファーに座り、好みのビアチャンを頼む。女のコにもドリンクを選ばせた。彼女はタイスピリッツのセンソンをほんの少しにコーラたっぷりのコークハイ。まだ時間が早いので酔いたくないと彼女は言っていた。彼女は22歳でロイエットから5日前に来たばかりだと言っていたのでコロナのリスクは低いと思った。ぽんこつマンはまさか22歳はサバを読んでいるだろうと思ったオッパイはシリコン乳ではなく見える限り身体にタトゥーも少なめで肌のハリもしっかりある嬢だった。

ビアチャン2本目をほぼ飲み終える頃からファラン(なんとなくロシア人ぽい)が何組も入ってきて一気に賑やかになったと思ったら、そのファランがベルを鳴らし、店が一気に熱気に包まれた。彼女も歓声をあげテキーラが届くのを待つ。テキーラが店のスタッフ全員に行き渡って女のコひとりひとりがそのベルを鳴らしたファランに「コップンカー」「チョンケアウ」と一言言って一気にテキーラを煽った。その後もう一人のファランがまたベルを鳴らす。2杯目のテキーラがぽんこつマンに付いている嬢にもやってくる。彼女はそのテキーラをグイッと煽って徐々にハイテンションになっていく。

ぽんこつマンが3本目のビアチャンを頼む時、彼女に「テキーラがいい?」と聞いたら「カー」と快く応えたので、彼女のグラスが空くのをみてテキーラを何度となくご馳走した。最初はぽんこつマンのお触りに少々ぎこちなくしていたが、テキーラが入ってからは、パンティーの中に手を入れて後ろから秘部に指を伸ばし弄ぶとディープキスを求めたりしてくる。ファランが選んだ嬢と2階にあるであろう小部屋に上がっていくのがまじかに見える。

ぽんこつマンは昨晩かなり深く遊んでいるので、その日はその気にならず飲みに徹していた。しかし彼女はぽんこつマンが午後9時を回って店を出るまでずっとそばにいてぽんこつマンの女体弄りに付き合ってくれた。店を出る時に彼女が仕事終わってホテルに来れるようなら連絡するとLINE交換した。

バイタクでソイ6からまLKメトロに向かう。一通り歩いたが夜9時を過ぎているのに女の子も客も閑散としているのでツリータウンのバービアに向かってまずはプールゲームを遊んでバーのカウンターで飲んだ。ツリータウンのバービアは女のコというには少し年が行っている30オーバーの女性が多い。店に流れているサウンドの音量が大き過ぎて大声あげないと会話ができない。夜10時を回ったのでもう一度LKメトロに向かった。

ソイブッカオからソイブーメランに入って多分パラダイスアゴーゴーの前に出ていたGOGO嬢の白い肌と甘い顔に惹かれて店に入った。ぽんこつマンはまたビアチャンを頼んだ。既に10本以上は飲んでいる。ぽんこつマンの横に張り付いてしばらく飲んでいるとお持ち帰りをねだる。今日はその気にならないと言うと「踊ってくる」と言って席を立つ。ステージに上がった彼女のボディスタイルはかなりエロい。タトゥーが全く刻まれていない白い肌。顔も好みだが何故か肌を合わせる気にその日はなれ無かった。ぽんこつマンは何となく彼女の性格が合わないと感じていたに違いない。

彼女が席に戻ってきて飲み物をもう一杯ご馳走してオッパイを揉んでみたがシリコン乳だったこともあって、酔って弾けてるぽんこつマンの心を緩ませることはなかった。そのGOGO Barを出た時は既に0時を回っていたが、その界隈の店は閉まる気配がなかった。

ぽんこつマンはソイブッカオに出て、それからソイチャレンプラキアット 25に入って見た。小さなバービアが多く、若くて可愛い娘は見当たらない。ツリータウンよりさらに年齢が上がっているか、スタイルや顔に課題がある嬢が多いと感じる。ただ愛想は良さそうだった。

店が無くなるまで奥に入り、戻る途中で呼び込みされる店の一つに飛び込みプールゲームを2ゲームビアちゃんを3本飲んだ。当時のルールではレストランとしての営業しか許可されておらず11時閉店0時退店だったはずだったが、深夜2時近くになって店のスタッフから「そろそろ警察が回ってくるから」と閉店を知らされるという状況だった。

ホテルまでは1kmちょいあるが歩いて変えることにした。帰り道の途中でもまだ営業している店が何件もあった。ホテルにの部屋に戻ったのは2時半過ぎだった。毎日のように深酒しているせいかその日はかなりだるさを感じていた。

翌日はいつも通り早く目が覚めるがやはり何となく気だるさが残ったままだった。この時は確かに日々の深酒と熟睡不足、そして久々の5000歩を超える歩行が原因だと考えていた。普段から朝飯はほぼ取らない。部屋でコーヒーを飲んでホテルの部屋のベランダから見える朝のパタヤの海を見て午前11時くらいまでゆっくり過ごした。チェックアウト時間は本来12時正午だったがフロントに14時までのレートチェックアウトを交渉できた。本来コロナがなければこの3月はまさにハイシーズンで1ヶ月前でさえほとんどの部屋は売り切れている状態だったが、今回は部屋にはまだまだ空きもあるようでかなり融通が効いたことは超ラッキーだった。

11時に部屋を出てブランチを取りに行く。レンタルバイクでパタヤの風をきって走る。昼間は実に暑いのがパタヤの3月。信号で停まると一気に太陽がジリジリ肌を刺してくるのを感じる。2時に近づいて来たのでレンタルバイクに給油して返却OK。ホテルでチェックアウトして昨日会ったソイ6のバービア嬢にLINEしたら、昨夜はかなり飲み過ぎて今は身体がだるいとのことだったのでデートは諦めて、バンコクに戻ることにした。

バイタクをホテル前で広い北パタヤバスターミナルへ。レンタルバイク屋の親父はバイタクもやっていて料金80baht。北パタヤバスターミナルについて帰りのチケットを140バーツで買う。出発まで1時間近くあったのでターミナルにあるコーヒー屋で久しぶりのアイスカフェラテを注文。ぽんこつマンは暑い日でもカフェ・アメリケーノ・ローン(HOT)を注文することが多いのだが、この日は流石に身体が冷たい飲み物を欲していたようだった。

帰りのバスもエカマイバスターミナル行き、デイパックひとつだったので到着した午後4時からスクンビットソイ7のバービアに行こうかと一瞬思ったが、流石に身体の重さを感じて自分の部屋に戻ることにした。

チェンマイサイドライン情報⑤

チェンマイでサイドライン嬢を見つけたいならやはりTwitterでの検索が一番見つかりやすい。他にもSkoutというアプリやTinderで見つけることができるが、Twitterでは #รับงานเชียงใหม่#ไซด์ไลน์เชียงใหม่というタグで検索をかければチェンマイですぐに女の子を見つめることができる。後は彼女のLINEがわかれば、Google翻訳で簡単な言葉をタイ語で交わせば、出会う場所やサービス内容、値段を知ることができる。

ぽんこつマンの経験からすると大半の女の子はエージェントの管理下でホテルの部屋に行くように指示されているが、部屋に入ってからサービスが終了するまでは行為のみでも会話を楽しみながらでも、お互いの性器を弄り合いながら楽しむことができる。

ぽんこつマンは今回のチェンマイサイドラインの現状は、大半の女の子が指定するラブホやアパートホテルが集まるエリアがある事を発見した。それは、ラムカムヘン大学チェンマイ分校に近く、Photharam Rd.とLiab Klong Song Nam Rd.が交わる辺りのエリアに2軒のラブホとOYO 3Q Chiangmai residennceそしてLink Mansionというアパートホテルが集中している。

ぽんこつマンは、その3Q Chiangmai Residennceで2人目となるサイドラインの娘と1月後半に遊んでみた。もう名前は忘れてしまったが、北タイ地方のナン県からきていると言っていた。1時間600バーツ、LINEで送られてきた情報では21歳で写真の雰囲気はかなり良かった。

しかしながら実際に会ってみると写真より下半身がかなりぽっちゃりしていた。顔の印象も21歳には見えなかった。ぽんこつマンの印象ではほぼ三十路に近い20代。部屋に入り600バーツを渡したら、彼女はすぐに服を脱ぎ始めた。そしてぽんこつマンにも服を脱ぐように言う。

それからシャワーに一緒に向かい身体をお互いに洗い合う。ボディーソープを彼女の首筋から胸元あたりで泡立てて、乳房の丸みに沿ってぽんこつマンは手のひらを何度も周回させた。時折ぽんこつマンの指先で彼女の小豆より少し大きい程度の乳首をプルプルさせると彼女は軽く吐息を漏らしながらのけ反った。

ぽんこつマンは彼女を後ろから抱きしめて手のひらを下腹部に下ろしていく。臍の周りをゆっくり撫で回してその手を皿に下へと進めて行くと、遅刻あたりの陰毛に触れる。そしてその下に秘部が隠れていた。片手の指で前方からクリトリスを隠している陰唇を啜り上げ、もう片方の手は彼女の背中から腰回りそして臀部を撫で回しながら肛門まで下がり、さらに膣口に到達する。ボディーソープの泡で彼女の淫部を洗うと彼女はぽんこつマンの半分勃起した逸物を握り、亀頭とその下にあるくびれあたりをローリングしながら洗い始める。そして今度は向かい合って身体を合わせて彼女は乳房でぽんこつマンの腹部を洗う。ぽんこつマンはできる限り手を伸ばして彼女の脚をとり内股、脹脛に手を滑らせた。

シャワーでの前戯を終えてベッドに向かい、形式的に彼女が纏ったバスタオルをするりと剥ぎ取り身体を再び合わせてキスをする。彼女はぽんこつマンの舌をすぐに受け入れお互いが激しく舌を吸い合う。ぽんこつマンは一方の手で彼女の頭を支え、もう一報の手を彼女の腰あたりに下ろした。そして腰骨から臀部へ滑らせ、肛門あたりを指先で刺激した。その時彼女の舌の動きがさらに激しくなった。

激しくキスを交わした後は首筋、耳元、脇、乳房、乳首、両腰へとキスを続けた。少し強く吸うと彼女はのけ反り「オッ、オーッ」とタイ人の喘ぎ声をあげる。その時ぽんこつマンは彼女が根っからのセッ◯ス好きだと確信した。

ぽんこつマンがさらに下腹部、恥骨、内股と舌を這わせて、ついに彼女の秘部に進んだ時には彼女の花園は蜜に溢れていた。ぽんこつマンはその蜜をかき分けて舌先を膣口に突き立てた。舌先は膣口の奥1センチあたりをこね回し、ぽんこつマンの鼻頭が彼女のクリトリスあたりを上下した。体は69の体勢になりこの時はまだコンドームをつけてはいないぽんこつマンの逸物を扱き始めた。そして彼女のフェラチオを受けることになる。

十分に勃起したぽんこつマンの肉棒に用意してあったコンドームを装着すると、彼女が体を入れ替えて上になり、騎乗位での挿入を始める。大抵の騎乗位は女性が上下に動くだけだが彼女の場合はグラインドも前後左右に加えて腰をうまく使って男をいかせようとしていた。

ぽんこつマンは騎乗位だけで行くタイプではないので彼女が5分ほど続けた騎乗位で疲れた頃合いを見て、一旦肉棒を彼女の膣から引き抜いて彼女を四つん這いにさせて後背位で裏Gスポットに当たるように下から上へ突き上げる。ゆっくりなテンポでしかしながら打ち込む時は素速く勢いをつけて。亀頭が奥に届いたときは少しそのまま留めてからゆっくり引き抜く。25発くらい打ち込んだところで彼女の腕は崩れ、荒く息をしている。後背位での最後の一撃を入れて、ぽんこつマンは彼女を仰向けにした。

そして彼女の両足を担ぎ屈曲位で今度は正面のGスポットを擦り上げるように腰を動かした。亀頭がポルチオに当たる感覚が何度かあった。彼女はタイ人独特の「オーッ、オーッ、オッ、オーーッ」と出てくる喘ぎ声を抑えるように自分の手のひらで口を覆っていた。

最後に脚を下ろして腰を持ち上げた状態で激しく突き上げてぽんこつマンはフィニッシュした。彼女の膣壁がヒクヒクしてぽんこつマンの肉棒を咥えて離さないように閉まり始めていた。1分ほど体が繋がったままで抱き合っていたが、勃起が鎮まって来るのを感じ、ゆっくりと逸物を引き出した。コンドームの中にはかなりの量のスペルマが出ていた。

シャワーを浴びてまだ時間が少しあったので話をした。美少女の盛りはとうに過ぎていたが彼女の性的肉体の発達は今が頂点だろうというくらいの絶品が600バーツで味わえたのは、なかなかない体験だった。

チェンマイのサイドライン事情①

バンコクでのサイドライン遊びは、WEBにそれなりのサイト(例:https://www.sidelinethailand.com/search?zone=6)がアップされていてGoogle Chromeで開けば曲がりなりにも日本語翻訳で女の子を調べることができる。

注:女の子の顔が判別しにくいように彼女たちも目にぽんこつマン独自のボケを入れています

気に入った娘がそこで見つかればその娘のLINE IDで検索をして「Hi」の一言を送れば彼女の情報がタイ語ではあるが返ってくる。あとは彼女と会うための時間を約束して彼女の指定する部屋のあるホテルかコンドあるいはアパートに決めた時間に間に合うように出かける。そして彼女が指定する場所に到着したら改めてLINEに到着したことを知らせるメッセージを入れて彼女が部屋番号を知らせてくるのを待つ。それだけで自分がこの娘と決めた娘と遊ぶことができるのだが、チェンマイはどうかというと、特にWEBにアップされたサイトも無く、エージェントがサイドラインで稼ぎたい女の子をTwitterなどで日々アップしているのをうまく掴んで彼女のLINE IDをゲットすればそのLINEから彼女とのサイドライン遊びの条件や写真が改めて送られてくるところはバンコクと変わらない。

中にはTwitterのDMで連絡して合うケースもあるがチェンマイでは英語のメッセージは基本返信がないのでその点はタイ語をある程度理解できるレベルでないと遊びづらいかもしれない。

ぽんこつマンはチェンマイの相場を知りたかったのでなるべく安く上がる女の子を探してみたところ12月ごろは部屋代コンドーム代込み遺書にシャワーを浴びて69も可という条件で800(Baht)/1水(1水とは射精1回の意味)が下限だったかと思う。

そのうちの一人に1月に入ってレンタルバイクを1カ月してからメッセージを送り会いに行くことにした。

年齢は33歳と書いてあるが写真はかなり若い頃のものだろうと想定していたが、初回なのでそれなりの覚悟で出かけた。彼女はチェンマイ市街の堀に面した外周道路を少し入ったところにあるアパートにぽんこつマンを迎えた。

そのアパートの3階に彼女の部屋があり、階段を上って行き部屋のドアを軽くノックすると女性がドアを開けて中に入れてくれた。部屋は狭く古びたアパートだが彼女はそこの家賃を2200と言っていたからまぁそんなものだろうと思った。

部屋に入って少し会話をしたらすぐに服を脱ぐように勧められる。一緒にシャワーを浴びるというが奥のトイレの中にシャワーヘッドがあるだけのシャワーでお湯は一切でない。この時期のチェンマイは朝晩は10°Cくらいにまで冷えるので昼間でもない限り冷たいシャワーは浴びたくはないがそこは止むを得ない。

シャワーを浴びながら実年を聞いたら34歳という。かなり肌は衰えているように思うがそれも客が来るたびに石鹸で体を洗っていれば肌は常に潤いの素になる皮脂をどんどん奪っていくからに違いない。

バスタオルで体を簡単に拭いて彼女のベッドに行き、彼女のフェラチオを受ける。ぽんこつマンの逸物がそそり立ったところで彼女はコンドームを口に咥え、ぽんこつマンの肉茎にすっぽりとゴムの覆いをかけた後、女性上位の体制で彼女の膣にその逸物を入れて行く。彼女の腰の使い方は随分と慣れたもので彼女の膣の締まりは大したことはないものの、いい具合にぽんこつマンの肉茎の感覚の良いところをうまく刺激してくる。5分くらいの騎乗位の後、彼女は一旦離れ、後背位の体勢をとりぽんこつマンの挿入を促した。

ぽんこつマンは一旦肉茎をゆっくりと彼女の膣奥に進めてから一気に激しくピストンを繰り返した。少し弛んだ彼女の尻の肉にぽんこつマンの恥骨がパンパンと音を立てて当たる。亀頭が子宮の入り口のコリっとしたところを何度もついていた。

彼女は漏れ出る喘ぎ声を抑えてはいたが、それでもウッとかアッとかお〜っという短い声をあげていた。その後背位も5分ほど続けたがぽんこつマンはどうしても最後に屈曲位でフィニッシュがしたいので、彼女との合体を一旦離れて彼女を仰向けにしてまずは彼女と正常位で交わり直した。

乳房はシリコンではなくノーマルだが既に針はあまりない状態。それでも乳首と乳輪はコリっとした感覚を残していた。ぽんこつマンは彼女の乳首とにゅうりんに舌を絡めながらしっとりと濡れ切った彼女の秘部にぽんこつマンの亀頭を送り込んだ。それから彼女の肩を両手で掴み亀頭をさらに奥に押し込んだ。2分ほどの伸長正常位から今度は彼女の両脚をM字に開脚し、ぽんこつマンは海老反り状態で亀頭を低位置からGスポットを突き上げるようにピストンをした。この体制はぽんこつマンにも楽ではないが屈曲位に移行する前には欠かせ無いつながりになる。

その後彼女の腰を掴み少し持ち上げてぽんこつマンは膝をたたんで彼女のM字に開いた脚を持ち上げ肩にかつぐ。そしてその脚の膝がベッドのマットの付くまで両手で押し下げ、亀頭を今度は上から下へ突き下ろすのだ。時にへそ下の子宮の位置を少し手の腹で渦を巻くように押し、膣奥にある子宮校のコリっとした部分に十分に亀頭が当たるようにする。その一連を5分ほど繰り返してぽんこつマンはフィニッシュを迎えた。

最後にもう一度冷水シャワーを浴び体を流して服を着ているときに彼女に、前職を確かめてみた。すると彼女はコロナ前まではサユリコンプレックスでMP嬢だったと明かした。どうりで男のあしらい方や男の喜び方をよく知っているのだと感じた。

ファイザー製ワクチン2回目を受けてワクチンパスポートをもらってきた。

ぽんこつマンが住んでいる日本の地方自治体でのワクチン接種は摂取券が来てから個別接種先のクリニックを電話、ネット、LINEで予約システムだった。ぽんこつマンの接種予約開始日が7月5日からだったが朝イチでネットを開いて予約を取ろうとしたらすでに7月6日の空きはなく、普段の基礎疾患を診てもらっているクリニックの空きはかなり先までなかった。そこでそこそこ近所のクリニックでの空きを探したら9日11:00というのが1件あったので早速そこを予約して、1回目の摂取を受けた。

1回目の摂取後の副反応は打ったところが数時間後から痛み出し、身体が少しだるくそして眠いというものだったが、摂取後48時間後には特に以前と変わらないようになっていた。

そして2回目の摂取はすでに3週間後の7月30日11:00と決められており、同じクリニックに再び出かけて受けるだけだった。2回目の摂取後も摂取後すぐにはなんの異常もなかったので自宅に戻りワクチンパスポートを発給してくれるということになっている市役所の健康増進課に出かけてワクチンパスポートの申請を行い、即日でワクチンパスポートの取得ができた。

これで今はタイへの入国をプーケットで行えば、隔離措置なしで入国可能なはずだ。ぽんこつマンはバンコクからの入国を考えているが、それも以前の情報だが10月から隔離なしの入国がバンコク、チェンマイなど多くの都市での入国が隔離なしで可能になるはずだ。

今回は紙のワクチンパスポートだが、いつから電子書類になるのだろうか?実際に紙の書類がどのように審査されてどのように入国が可能になるのか10月末の渡航予定日まで3ヶ月を切った今、タイのコロナパンデミックの状況の早期改善を望まずにはいられない。

バーもゴーゴーも飯屋も開いていないタイなんて、あまりにもつまらない。毎日セフレと部屋でいろんなに対位に挑戦するセ🟣クスも1週間くらいで飽きそうだ。ハ、ハ、ハッ。

Covid-19のファイザー製ワクチン1回目接種

2021年7月9日(金)11:00にファイザー製ワクチンの1回目接種を個別接種のクリニックで受けた。打ち終えた後に看護師から「カロナール」という内服用解熱剤を持っているかと聞かれたので持っていると応えたら、熱が出るなと感じたり体のどこかにだるさや痛みが出るなと感じたらなんでも1回2錠を1日4回まで「カロナール」を早めに飲んでいいと説明された。

打ち終えて約3時間経過して針を刺した辺りに軽い痛みを感じ始めた。まだ「カロナール」を飲むほどでは無いのでもう少し様子をみようとしよう。この後どうなるかを時間経過に合わせて書いていこうと思う。

接種後12時間経過した午後11時には、針を刺した周りの痛みの範囲は少し広がっていたが、熱は平熱のままだった。一晩寝て翌日の午前11時、接種後24時間経過した時点でも針を刺したあたりの痛みは消えていなかったが、いつになく昼間から睡魔が襲ってきた。昨夜寝たのは午後11時半、そして朝起きたのは9時半、普段は5〜6時間程度で目が覚めてしまうがこの日は10時間も寝てしまっていたにもかかわらず、さらに12時に昼食をとったのちの睡魔に午後1時から夕方5時までベッドで眠ることとなった。

接種後2日目の午後7時に夕食を作るにあたりベッドから出てキッチンに向かう時、なぜか針を刺したあたりの痛みはかなり薄れていて、それまで少し感じていた体のだる重さも消えていた。

接種後2日目の晩ごはんは、ボンゴレのスパゲティー、それからチーズと白ワインをかなり飲んで久しぶりに良い感じで酔えた。接種後36時間経過した午後11時には、アルコールのせいなのかそれとも完全に回復したのかわからなかったが、針を刺したあたりの痛みは感じなくなっていた。翌朝10時に起きた時もすでに痛みは消えていて接種前の状況に戻っていた。2回目の摂取は7月30日。2回目の摂取後の方が副反応がキツイという話を耳にするが果たしてどうなることだろう。

日曜日に7月26日から市町村でワクチンパスポートの発給が始まるというニュースを知って、これでタイへの渡航が今以上に容易になる事を願わずにはいられない。

日本でのコロナワクチン接種券がようやく届いた。

ぽんこつマンが日本の住所地に一時帰国してから既に80日が経過しようとしている。日本のワクチン接種は国の集団接種は全国対象になり年齢も65歳以上という縛りも消えてかなりの日数が経過している。職場接種も始まり多くの企業で就業者がワクチン接種可能になっていたが、数日前にそこで使用されているモデルナ製ワクチンの予定数を遥かに超える申し込みがあったとのことで河野ワクチン担当大臣が一時中断を決定するなど、日本のワクチン接種行政のぽんこつぶりもかなりのものだ。

御多分に洩れずぽんこつマンの住む市の個別接種はうまだに65歳以上の接種に手間取っていて64歳以下のワクチン接種の予定が7月8日以降という遅延ぶりで全国でもかなり遅い地方自治団体の一つになっているようだ。ぽんこつマンにも東京・大阪での国の接種が全国64歳以下まで解放された時点から1週間経過しても接種券が届かないと6月18日市役所に苦言を述べたところ、それならばと早急の発送をすると答えたが、翌週になっても接種権は届かず再度電話で連絡を取ると接種券発送に1週間かかると述べる役所仕事ぶりに呆れてしまった。ぽんこつマンの接種券が自宅に届いたときには、河野ワクチン担当大臣がモデルナ製ワクチンの確保枠を予約数が上回ったとして予約受付の中断を発表した後の6月23日だったと記憶している。

またぽんこつマンは「類もやもや病」の持病を持っていて、毎年脳のMRI検査を受けているが、かかりつけ医のクリニックから地域医療支援病院への地域連携でMRI検査をクリニック医師がパソコンから予約するシステムがあるようだが、地域医療支援病院はその予約を印刷した予約表とクリニック医師の紹介状を持参する事が必要なようで、MRI検査は15分程度であるのに対し、その書類を総合受付で確認し、放射線科の受付に提出するまでに30分以上の時間を要する。

これまで東京や関西の病院で受けて来たMRI検査は前回の診察時に次回のMRI検査を予約しその記録が病院のコンピュータに登録され、受信日に患者カードを受付機に通すだけで検査が始まるシステムだったが、今ぽんこつマンが暮らす市では、未だに紙の書類がデータより優先している、超アナログシティーなのだ。ぽんこつマンはその地域医療支援病院の患者カードも持っているので、よそのクリニックから地域連携で診療依頼がデジタルで入るならデジタルでぽんこつマンの患者データにも診療予定が記録され、受付機に患者カードを入れれば診療をすぐに受けられるようにできるはずだ。

紹介状が必要だというならデジタル紹介状の採用で病院の患者管理システムに登録されるようにすればいいだけだと思うのだが、このような未だに昭和のままの紙の書類絶対主義を撤廃できない社会風土が、日本という国を世界標準から益々遠いガラパゴス状態を生んでいるのだろう。

日本政府が働き方改革を世間に推進するというのもいいが、まずは役人社会の業務上の無駄やその球体然としたシステムによって凝り固まったままの社会システムを改革する方が先では無いだろうか。このままでは地方の過疎はより一層加速するとぽんこつマンは懸念する。

ぽんこつマンが市町村の個別接種の予約が可能なのは7月5日からだが、果たして接種可能日はいつになることやらという感じで今も不安や怒りは解消されない。

一時帰国から2ヶ月、ワクチン摂取券未だ届かず

ぽんこつマンの日本での居住地は北陸のある県だが、65歳以上1回目ワクチン摂取率ではかなり出遅れている感がある。東京と大阪の集団接種会場の65歳以上の予約状況に80%近い空きが出ているということで、県域の縛りなしにするとはいうものの65歳以上に固執しているようでは摂取率が上がるとは思えない。

予約の方法が高齢者にはハードルとなっているのだろうが中にはワクチンを打ちたいと思わない高齢者も多いのでは無いだろうか。そうだとしたらそろそろ65歳という壁を取っ払っていかないと日本の摂取スピードを上げることができないのは自明の事であろう。

本日ぽんこつマンが住む市から住民税の納付書が届いたが、4月に確定申告し還付金が5月に返還されているのに、その確定申告の内容を反映していない納付通知が来るなど、市役所の役人の処理スピードが亀以下の遅さに驚く。

そんなことでは、住民税を支払う主力納税者(就労者)へのワクチン接種がますます遅れていくことも容易に想像できる。全くこの国の制度は未だにアナログで紙書類にペンで書き込み、行く段階も人間の目で目視確認し、業務執行までに実に無駄な人件費や郵送費をかけていて全く生産性の向上が戦前とほぼ変わっていない。

この日本という国はこうゆうことだから高度成長期から社会成長していないのだろう。このままでは、ますます指示待ちの日本人が増え自発的な行動をすることが異端と評価される社会に落ちていくだろう。日本はこのように衰弱して行き、やがてボケ国家となる事が約束されているかと思うと極めて残念な事である。

もう65歳以上の老人のワクチン接収を一旦中止して職業別にワクチン接種し、ワクチン接種者にワクチンパスポートを発給し飲食店での酒の提供と営業時間の制限を解除するべきと思うのだが、なぜ日本政府はワクチンがゲームチェンジャーと言いながら経済を動かす人材にワクチン接種を優先しないのかが不思議を超えて不可解だ。日本政府の水際対策というのも総て後手後手に回っていて海外渡航のためのワクチンパスポートの議論も進んでいない。

日本のワクチン摂取率は6月6日付のデータで10%程度でG7の中で最下位。ぽんこつマンの本拠地タイはワクチン接種済なら7月からプーケットに隔離なしで入国可能、バンコクやチェンマイ、パタヤなどは10月からワクチン接種済で隔離無し入国可能との話がある。

タイへの入国の際のASQ隔離やCOE取得などの面倒な手続きが無くなって、以前と同じように気軽にタイへ渡航できるようになる事を大いに期待したい。

バンコクに到着、そしてASQ隔離ホテルへ

2020年12月10日TG263便で関西空港から11:00定刻で出発し、バンコクスワナブーム空港に14:15くらいに到着した。席は69K、着席が許可された最後尾の窓を選んだ。

乗客は満席の10%に満たない程度。タイ政府の特別便だからなのか、破産して再生中のタイ航空だからか分からないが、機内エンターテインメントは全く無しのフライト。羽田発のANAやJALはあるらしいが片道16万円と高い。タイ航空も10万円と安くは無いが、6万円安く関西発でフライト時間も短いので、関西空港発のTGの一択だった。

預け荷物は30kgプラススターアライアンスゴールドメンバーの20kgでトータル50kgを預け、ハンドキャリーとバックパックにこれでもかと荷物を詰めて、さらに空港で土産の白い恋人を4000円分買った。

機内持ち込みをここまで持ち込んだのは、これまでのぽんこつマンの全ての搭乗記録で初めてのことだ。

あとまだタイに持ち込みたい荷物は、船便で18kg.EMSで6kgを送っている、全てをタイ航空に乗せると、24kg×40米ドルで、座席がもうひとり分買えてしまうオーバーチャージを取られる。送料は、どちらも8100円だから安いが、関税が気になるところだ。

スワナブーム空港のゲートを出て、日本で用意した書類のチェックを空港職員、検疫官、入管職員、さらに入管ポリスに計4回確認を受ける。それでようやく預け荷物をビックアップしてアライバルゲートに出たのは現地時間16時を回っていた。

それから空港職員にホテルからの護送車乗り場に案内される。ターミナルの外には無数の護送車が待機していたが、ぽんこつマンのASQ隔離ホテルからの護送車は、まだ到着していなくて15分くらい待たされた。

社内は。運転席と護送人の間にはビニールで完全に遮蔽され、かつ運転手も水中メガネにマスク、ヘアキャップ、ゴム手袋、それからボディガウンの完全パンデミック仕様とネンの入れようで、どこまで怯えているかが笑えるくらいだ。日本ではコロナ感染病棟並みなのだ。

ASQ隔離ホテルに到着すると、ます除菌マットに立たされてそこでジュースカバーを靴に被せるよう指示され、ホテルのチェックインに向かう。

ここで改めて書類をチェック、生年月日や日本の自宅のある居住地の記入とサインして、部屋のプラスチックキーとWi-Fiバスワードを受け取る。更に、病院のカウンターで、改めて書類の確認があり、喫煙や飲酒、持病と内服薬の確認を受ける。部屋に入れたのは17時を回っていた。

ようやくひとりになってマスクを外せた事に軽い解放感をかんじた。当面の衣類を出し、Wi-Fiを入れようとしたが、全くコネクトしない。何度かフロントにその旨を伝えて、一瞬は繋がるが、すぐに接続が切れる。あまりに多くの隔離者がいつもWi-Fiを使うから、容量そのものが不足しているとはかんじていたが、ここまで繋がらないとWi-Fiありという触れ込みがウソだとなってしまう。20時頃に明日の朝にはルーターを更新する旨のLINEが入ってきた。

最初の晩飯は、既に決まっていて豚肉の胡椒炒めとタイ米、目玉焼き付き。最初から安いところで探していたので、食事の期待はしていなかったが、あまりに貧弱な飯に、驚いた。

トイレは、ウォシュレットでは無いし、シャワーブースもビニールカーテンのみで床が水浸しになる。バスタオルもフェイスタオルも廃棄すべきほどの劣化したものが使われていて、快適とはとても言えない。

テレビは多くのインターナショナル放送があると謳っていたが、タイ語がほとんど、英語のチャンネルがいくつか、フランス語がひとつ、中国語がいくつか、アラブ諸国のチャネルが意外にも多く、このホテルが、アラブ諸国のケチな客が多いのだろうと理解した。

日本人の基準に合う快適な隔離生活を過ごすには、このホテルの倍くらいの費用を見ておかないといけないということだと確信した。

サンフランシスコでの深夜のエスコートクラブ利用で大変な女(?)とやっちまった話

ぽんこつマンが、現役バリバリで仕事していた頃の話の中で一度とんでもない失敗をしたことがある。それは、映像制作の仕事でよく西海岸のCGI制作会社を使っていた頃の1980年台後半から1990年初頭にかけてのバブル時代であったが、日本でのCGI技術はまだまだレベルが高くなく、映像の加工編集においても下手くそで未熟なオペレーターと一緒に、毎日徹夜するといった過酷な作業が常識だった。

一方、当時のアメリカ西海岸におけるPost Production 会社のレベルは世界最高峰であり、既にハリウッドの映画制作の一翼を担っていた。その多くはロサンジェルスにあったが、シリコンバレーが近いサンフランシスコにもかなりのPost Prodaction 会社があり、それぞれの会社でしか出来ない映像表現をセールスしていた。

あまり定かな記憶はないが、1996年開催のアトランタオリンピックの前年にその年、一気に評判になったPacific date images という制作会社と仕事することになり、3度ほどサンフランシスコに行ったことがある。(その後プライベートでもラスベガスへの旅行の途中で立ち寄ったことがある)1回目は、構想イメージ制作の打ち合わせと制作コストのミーティング。2回目は、制作映像の進捗確認。3回目は制作映像の最終チェックと納品だったが、1995年にPacific date imagesは、社業拡大でサニーベールからパロアルトという市に会社を移転したばかりで、ぽんこつマンの構想した映像イメージ制作を手がけてくれるタイミングとしてはベストだった。

ぽんこつマンがサンフランシスコで泊まったホテルは、Hotel Tritonhttps://www.hoteltriton.com)だったと思う。

今はぽんこつマンが泊まった時からリノベーションを経て内装が新しくなっている様だが、昔はかなり原色を多く使った現代アート的要素が強かった。

仕事はサンフランシスコのホテルを朝9時に出て、パロアルトにあるPacific Data Imageのスタジオに午前10時に入って映像制作に関するこちら側の出来上がりイメージを共有し制作条件や、スケジュール、そしてバジェットを提示の上、向こう側からスケジュールと制作見積もりをもらって、最終的にお互いが歩み寄れる制作条件を決定するまで何度も交渉するというものだったので、毎日お昼過ぎには自由な時間ができる。

日本から一緒に行った日本の映像制作会社のプロデューサーも美味いものを食べるのが好きでワイン好きであったので、朝飯以外はいつも一緒に飯を食べた。西海岸ということで、現地で評判になっていたイタリアン料理や中華料理、それから蟹や海老などのシーフードを食べ、ナパバレーやソノマのカルフォルニアワインを飲むことになる。

一番美味いと思ったのは小さなイタリアン料理屋で食べたほうれん草とベーコンのクリームソースファルファーレだった。その雑味のない味付けは、まだ2つ星だったモンテカルロのルイケーンズ(現在は3つ星)で食べたリゾットに似たものがあった。

サンフランシスコの近郊にはリンクスコースのゴルフコースがある。ぽんこつマンはプロデューサーとともに、打ち合わせが午後になる日に、ハーフ・ムーン・ベイ・ゴルフ・リンクス(https://www.halfmoonbaygolf.com)によく出掛けた。

当時、日本がバブル経済で踊っていた頃はペブルビーチ・ゴルフ・リンクスが超有名になっていたが、サンフランシスコからは遠かった。このハーフムーンベイ・ゴルフ・リンクスはアルパルトの仕事先からも近く、打ち合わせが早く終わった時に夕方からさくっとラウンドしても日没前には1ラウンドできる。当時は全く混雑していなくて行けば必ず直ぐにラウンドできた。

そんな優雅なサンフランシスコの1週間程度の滞在だったが、ディナーをゆっくり取って、その後バーに行き、部屋に戻っても、溜まりに溜まった性浴を解放する方法は、なかなか見つからなかった。カルフォルニアでは日本のスナックやバーの様な女性が酒の相手をする形態の店は違法だったのでアンダーグランドでグリーンカードを取り上げられてしまう様な違法行為をする外国人移住者は見つけられなかった。

アメリカ国籍を持つ売春婦に関する情報は、ホテルから西のブッシュストリート、US101、ポストストリートに囲まれるエリアでホットパンツの女がよく出没するとのことだったが、全てが娼婦ではなく、中には警察のおとり捜査官もいるので、お勧めしないとコーディネーターに言われていたから、溜まった性欲処理は、電話帳にあるエスコートクラブに電話すること絵解決しようとした。

気分よく食事とお酒をたっぷり楽しんだある日、ぽんこつマンはホテルの部屋に23時に戻った。その日どうしてもヤンキー娘のお◯ンコを味わいたくて、部屋にあったイエローページをめくってエスコートクラブを何軒か見つけて、小さなスペースの広告を上げているところに飛び込みで電話した。おとり捜査官の話を聞いていたこともあり、かなりドキドキして電話したのを覚えている。

すぐに電話に出てきたのは、歳をとっていそうな女だった。「今晩、女が欲しい」「白人、デブじゃない、年齢は30以下」と伝えたところ、「今は全員出払っていて、午前1時なら一人用意できる」と返事があった。ぽんこつマンは、ここを断ってまた別のエスコートクラブに電話してもうまく行くとも思えなかったので、「待つ」と返事をした。

シャワーを浴びて、女が来るのをビールを飲みながら待った。当時はスマホなんてものはなく、アメリカのテレビを見て時間を潰すくらいしかなかったので、電話を切ってシャワーを浴びて出てきた深夜0時からの1時間の待ち時間は相当長く感じた。深夜1時になり、時計の長針が60度ほど進んだ頃に部屋に電話がかかってきた。「今、女をホテルに連れてきた。これから部屋に向かわせるが着いたらすぐに金を払う様に」とのことだった。深夜1時15分に部屋のチャイムが鳴った。ドアの覗き窓から女性の姿が見えたが後ろ向きで顔がイマイチわからない。スタイルはかなり細いが、胸の膨らみもわからない。

もう待ちきれなくなっていたポンコツマンはすかさず鍵を開けて、その女性(?)を部屋に招き入れた。部屋の電気は既に薄暗くしていたので最初は長い髪と短いスカート姿に女だと思っていたが、よく見ると顎に薄く髭らしき産毛が見える。声を聞くとなんとなく女だし、仕草も女だが、疑わしく思い、彼女に直接、性別を確認した。彼女(?)は女だという。お◯ンポはついていないというがおっぱいの膨らみも全く見えない。骸骨の様に痩せ顔もゴツゴツしていて全く可愛さはない。

彼女(?)は「店との約束でお金を事前に受け取った報告をしないといけないので」と、約束の1時間280ドルとタクシー代分のチップ20ドル合わせて300ドルを要求してきた。止むを得ずぽんこつマンはあらかじめ用意していた300取るを彼女(?)に渡した。

その金を受け取ると、アメリカでサービスが始まっていた携帯電話でボスに電話を入れて、服を脱ぎバスルームに行きシャワーを浴びてバスタオルを巻いてベッドに1分そこそこで戻ってきた。そして既にバスローブになっているぽんこつマンをベッドに呼んだ。確かに彼女(?)にとってはそれは明らかな業務だろうが、それにしても慌ただしい。隣り合わせでベッドの寝たものの、ぽんこつマンは彼女(?)のあまりにも骸骨のような身体に「もしかして性転換してエイズに罹患している末期患者?」という疑念が消えず、何もする気にならなかった。

彼女(?)はそんなぽんこつマンの逸物に手を伸ばし、しごき始める。少しは反応して膨張するが魅力的な女性に思えたときのようにカチンカチンになる事はなかったが、彼女(?)はそんなぽんこつマンの逸物になんとかコンドームを被せて、仕事を始めようとする。

彼女(?)はぽんこつマンの上に跨り挿入しようとする。まだ完全にボッキしていないぽんこつマンの逸物は彼女の肛門の手前にあるもう1つの穴になんとか入ったが、それは大量のゼリーがその穴に塗られていたからだった。

彼女(?)はぽんこつマンの手を彼女の淫部に導くが、特に昔あったが切断したと思える感触はなかった。実際に女なのかは明らかではないが、彼女(?)はホルモン異常で今のような姿になっていると説明した。それはぽんこつマンにはどうでもいいことだった。

ぽんこつマンは10分ほど続いたサービスにも全く気持ち良くならない。ぽんこつマンは彼女(?)にもうサービスしなくて良いを告げた。彼女もぽんこつマンが全くその気になっていたことに気づいていたので、すぐに行為をやめてバスルームに脱いだ服を着てすぐに部屋を出て行った。どうやら彼女(?)を送ってきたドライバーが近くにいるかのように携帯で連絡をとってドアの外に急いで出た。

その時の経験は、本当にとんでもなく最悪の体験になった。わずか10分の滞在で300ドルはかなり割りのいい仕事だ。でもセクシャル強盗ではなかったのは不幸中の幸いだった。彼女が部屋を出て10分ほどして、それを想像したときますます悪寒が走った。部屋の冷蔵庫に入れていた赤ワインを一人一気に飲んでその晩はなんとか寝ることができた。

それ以降、海外でエスコートクラブを使うときは事前に気に入らない女が来たときはチェンジが可能かを必ず確かめるようにしている。最近はスマホのアプリで女の顔を事前に見れるが、その女が必ず来るわけではない。ドアの覗き窓で見てチェーンロックをかけたままで顔とスタイルを確認して、自分の好みどうりかを品定めして、納得出来てからチェーンロックを外して中に入れる様にすべきだろう。部屋では、シャワーは一緒に浴びるか、女が来る前に先に浴びておくかして、女の部屋を粗探しさせる時間を与えない様に注意することも忘れない様にしておきたいものだ。

昨晩から急に過ごしやすくなった。本日9月10日午後1時現在26°C、曇り。

ほんの2日前、TOHOシネマズに映画を見に行った日の午後2時は外気温37°Cと随分暑かった。しかしながら台風10号が中国大陸まで北上しフェーン現象が治った昨日の最高気温は31.7°Cに下がり、夜になるともしかしたらエアコンが要らない位まで下がっていた。

今朝起きたら締め切った寝室にエアコンはすでに動いておらず、トイレに向かった時に開いている窓のそばはひんやりと感じるくらいだった。そろそろ残暑も終わろうとしているのかと思うと、しばらく氷菓を買わないのだろうななどと、なんと無くメランコリーな気分になる。

昨日は、ANAの羽田発バンコク行きの10月分のフライトがまたもや運行延期になり、ぽんこつマンの予約していた便を11月の末に予約変更したのだった。2日前にタイにいる連れ合いからLINE電話があり、この富山の自宅にある柿の木の花は今年咲いているかと尋ねられたが、ぽんこつマンは、西日が入るのを避けるため自宅の庭に面したガラス窓に遮光カーテンをつけており庭を眺めたりはしていないので、柿の木に花が咲いたかどうかは分からないのだ。

もし咲いていたとしてもその季節は今では無く、6月のようで今となっては花が散ったことすら確認のしようもない。連れ合いは柿の果実が好きで、昨年の10月に日本に来た時に食べた柿の味が懐かしい。

今年も夏は随分暑かったからもし花が咲いて受粉さえしていれば、10月には実がなっても良いのだろうが、今と梅にその柿の木を見ても、実が実っている気配がない気がする。普段ならぽんこつマンはタイに行っているので、富山の家の柿木が実を付けたとしてもカラスの餌になるだけなんだろうが、今年はタイへの渡航が未だ禁止されているので10月もここ富山の家にいることになる。

昨年の秋に牡蠣のみがなっている時期に庭木の剪定を依頼したのだが、その時柿の花が咲く芽を切っていたなら今年は柿は実らないことになる。来年には花が咲くかも知れないが、とにかくこれからも過ごしやすい気候が続く事を期待しよう。

2020年9月7日特別警戒レベルと言われた台風10号九州襲来、午後には韓国に上陸

今年の異常気象は、コロナの世界的感染拡大という不測事態に加えてどこまで世界を混乱させるのだろうか。タイにもパユという暴風暴雨の嵐があるが、毎年日本に襲ってくる台風は、これまでも至る所に大きな傷跡を残してきた。

今年の日本には、梅雨の時期の大雨により九州に大きな被害をもたらしたばかりだったが、前回の台風8号、9号、そして今回の10号でも九州に大きな被害をもたらしているようだ。ぽんこつマンは現在富山に住んでいるので、台風10号の影響は限定的だが、既に11号の発生も近いとされていて、 台風11号の名前は「ノウル」 北朝鮮の言葉で「夕焼け」を意味するものになるようだ。

台風9号での朝鮮半島直撃では、韓国や北朝鮮にかなりの被害が出たようだが1週間でまた新たな台風が襲うことになってしまったことは、驚きに値する現象だ。そしてやがて発生すると予想されている台風11号も、同じような経路で沖縄、九州、韓国、北朝鮮に到来するとなれば、コロナと文大統領の経済対策失敗も相まって、韓国はさらに不安材料が増えることになるであろうし、北朝鮮に至っては、コロナで中国からの食料輸入も止まっている中、台風被害による耕作地の収穫激減で飢餓がますます進むであろう事は容易に予想できる。

韓国や、北朝鮮が日本に対して強硬な姿勢である以上、日本の人道的支援に関しても大きな期待はできないだろうから、朝鮮半島情勢はこれから冬にかけてますます不安材料が増えるに違いない。

ぽんこつマンは、日本人であり韓国・朝鮮の独自の歴史認識を快く思っていないひとりなので、今回の異常気象による台風の朝鮮半島への度重なる襲来も、タカリ体質から脱却できない韓国・朝鮮人を窮地に陥れる天の声と考えたい。

あまりに長期タイ再入国ができず、ネットショッピングが止まらない。

タイが鎖国して既に5ヶ月が過ぎた。7月くらいからタイ政府は月数便の特別便で限られた条件をクリアした人物だけを入国させるようになったが、それでも小魚油ん降の定期便の飛行許可をタイ民間航空局が無期限に停止としているため、ぽんこつマンが持っている日本ーバンコク間の航空券を利用できないままになっている。

本来は4月に日本に一時帰国して5月の下旬にはタイに戻る予定で撮っていたチケットが、日本に帰国して以来、毎月、翌月のフライトに予約を移行することになっている。現在は10月2日のフライトチケットになっているが、これも10月の日本からタイへのフライトがキャンセルとなる可能性が高く、11月の末に変更する日も近いのだろうと思う。

バンコクから日本へのANAのフライトは5月以降毎月毎日1便は運行されているが、日本からタイへのフライトはタイ民間航空局の無期限フライト停止が解除されない限り、特別便で極めて高額な運賃を払わない限りタイへの入国の道は開かないことになる。

ぽんこつマンは、2021年1月14日にノンイミグラントO-VISAが切れるので、12月下旬にはVISA更新の手続きをチェンマイ のイミグレーションで始めたいのだが、そのためには入国後のASQ(Alternative State Quarantine)での15泊16日の隔離期間を考えると、11月下旬から12月10日までの間にはタイへの入国が必要になるが、タイ政府がタイ民間航空局の決定を覆す助戸がなければ、それも難しくなると思われる。

ぽんこつマンが日本に一時帰国してからは、日本でのコロナ感染状況もそれほど安定していないし、タイでは5月28日から9月2日までは国内感染者ゼロを謳っていたものの、ぽんこつマンは前からタイはミャンマー、ラオス、カンボジア、マレーシアと陸続きで密入国は普通にあるだろうし、プラユット陸軍大将の軍事クーデター政権を信用していないので、タイのコロナ感染の状況が現タイ政権の発表どうりのはずはないと思っていたので、チェンマイにいる連れ合いや息子とぽんこつマン自身のコロナ防衛のために、ネットでの特殊マスク、一般マスクを始め、消毒用アルコールやUV-C滅菌器などの衛生用品を買い溜めている。

昔は、Amazon Japanと楽天市場だけだったが、衛生用品以外のものに対しても実店舗まで買い物に行くことがどんどん面倒になって、既に調味料や食品はもちろん、携帯デバイスパーツや、USBメモリー、microSDカードなども注文するようになっている。

そして最近はWishというサイトでの購入も増えてきた。そのサイトの本拠地はアメリカにあるのだが、そのサイトにある仮想店舗は全て中国にあるようで、商品はほぼバッタものがほとんどで、注文から商品が届くまでの日数が、べらぼうに遅い。品物はアマゾンの包装のように商品を確実に衝撃から守るようなものでは無く、プラスチックバッグ(内側に薄い緩衝材が貼られている)の封筒に商品がそのまま入っている。外箱がついているものもあるが、その外箱が潰れていたり、封印シールのない外箱であったりと、いかにも中国品質の粗悪品を連想させるものが多い。

全ての中国製品が粗悪品ではないと思われるが、とりあえず試しで使ってみる程度の軽い気持ちでトライアルするにはWishは面白いサイトだ。

最近買ったものの中で、中国製のアクションカメラとジンバルカメラがあるが、それぞれのスペックを比較する限り、中国製のアクションカメラはやはりAmazonで探す方が賢明のようだ。ジンバルカメラは、DJI という中国メーカーが先行しているが、ぽんこつマンは、FIMI Palmという商品を楽天から買った。DJIのジンバルカメラ、Osmo pocketは38,000円くらいだがレンズが広角では無く、FIMI Palmは楽天で21,000円で買うことができた。レンズは128°と広角なところが買いだった。Osmo pocketの最高画質は4K/60fpsとハイスペックだがFIMI Palmの最高画質は4K/30fpsとやや低いが、ぽんこつマンが今後You Tube への動画投稿や、Vlogを始めるには、広角レンズが向いていると思ってFIMI Palmをチョイスしたのだ。

アクションカメラではGoProが既に有名になっているが、ぽんこつマンはWishでほぼGoProに似た幾つものメーカーがあることを知り、その以上に安価な金額に驚いた。しかし、Wishで買う商品のほとんどは中国語のマニュアルしかなく、日本語のマニュアルがなければ使えないぽんこつマンはWishでのアクションカメラ購入を躊躇した。そしてAmazonで同じような商品が売られていることを知って、スペックを比較してHDMI端子もついて最高画質4K/50fpsのアクションカム apeman A100を買うことにした。このapemanという会社も中国企業だと思うが、販売元がapeman JPとなっていて日本語マニュアルもあり13ヶ月の保証期間もついているとのことで、4K/30fps、HDMI端子無しで5000円くらいで購入可能な商品に比べて10980円は少し高いが、Go proより遥かに安く、様々なアタッチメントの付属品が多いことも含めて買いとなった。

左 FIMI Palmジンバルカメラ 右 apeman A100 アクションカム

Wishは商品代ゼロ、送料のみで商品をゲットできるものなども多く載っているが、その場合の送料は当然商品代があるものより高額になっている。

ぽんこつマンは、Wishで買える一発でバッタものと思える偽宝飾品(指輪)やアナログ時計を商品代ゼロと商品代ありの両方で次にタイに行けた時の女の子への軽い気持ちの土産として購入しているが、トータル金額では商品代と送料の合計があまり差がないと言えるレベルであると思う。

ぽんこつマンがタイでLINEやTINDERで知り合いになった女の子は、元々ハイソ出身のお嬢様はいない。多分全員と言っていいほど下層階級の娘で、今のコロナ騒動でのタイでは仕事もなかなかうまくいかず、生活に喘いでいると思う。そんな彼女たちに、日本やヨーロッパの化粧品の土産は少し高価すぎて、プレゼントしてもあっという間にネットで売りに出て現金にするに違いない。だから100〜200バーツ程度のバッタ偽宝飾品を土産にしても問題ないのだ。

それにしても集めた土産を持っていつタイに行けるのだろうか?10月に予約があるフライトの運行取り消しがまだ発表されていない。もし10月から運行されるなら11月に予約を変更して、ASQの要・不要を確認しておきたいところだ。

2020年9月3日タイ保健省、国内感染者を確認というニュース

5月25日から国内感染者ゼロを謳ってきたタイで8月26日からバンコクの刑務所で服役中のタイ人男性受刑者(37)が新型コロナウイルスに感染していることが9月3日確認されたとタイ保健省が発表した。タイで新型コロナウイルスの国内感染が確認されたのは100日ぶりとのことだが、濃厚接触者の受刑者34人は検査の結果、陰性だったとも言っているようである。

男性は収監される前、バンコクのラマ3世通りとラマ5世通りの娯楽施設でDJをしていたらしく、当局は家族ら濃厚接触者をさらに調査するとのことだが、この男性受刑者は海外渡航歴は無くどこからそしてどうしてこの男性受刑者が感染したかに関しては、全く調査をしていないのかあるいは、これまでの保健省の発表の信憑性が疑われることを恐れて発表しないのか甚だ疑問である。

少なくとも海外渡航歴がないこの男性がどこで誰から感染したのかを明らかにすることでタイ国内に今もってコロナウィルスが存在し、無症状であってもコロナウィルスを体内に保有する人間がタイにいて、その人間から感染が起こっているのは間違い無いだろう。

タイ国内では、ミャンマー、ラオス、カンボジアなどの隣国からの低賃金労働者をこれまでも受け入れることで、地下鉄やスカイトレインや道路の建設、コンドミニアムや大型ショッピングモールや高層オフィスビルなどのインフラ整備を進めてきた。

彼らの何人かはかつては正式なVISAを所有してタイに出稼ぎに来ていたが、その大半は密入国シンジケートを介しての不法入国者で、現在国境を陸路、空路とも封じているが、この密入国シンジケートの手によって今も多くの近隣国からの不法入国者が絶えない状況であると考えられる。

現在、インドで感染爆発したコロナはバングラディシュ、ミャンマーまで感染拡大しているようだ。かつて国内感染者ゼロ99日で途絶えたベトナムもでは7月25日、中部のリゾート地ダナンで57歳の男性のコロナ感染が99日ぶりの市中感染と確認された。保健当局は2日間で計5回の検査を実施。陽性の結果は覆らず、市中感染の再発を認めざるを得なかった。同31日には初の死者も出て、最初に感染が確認された1月23日以来続いていた「死者ゼロ」は途切れた。8月25日までの1カ月で再発した市中感染による感染者数は547人に上り、合計は1千人を超えた。死者は32人になっている。ベトナムの隣国にあたるラオスやカンボジアにもベトナム由来の感染やインド由来の感染が忍んできていることから、タイが感染ゼロ100日という保健省の発表もタイ政府のメンツを保つための情報操作によるもので、実はそれ以前にタイ国内にコロナ陽性者がいた可能性も否定できない。

タイから日本へ帰国した渡航者も何人か日本の空港で陽性の判定が出ている。タイ政府はその情報にその人物がタイで接触していた人間や居住していたコンドミニアムを封鎖して活動の自由を奪うなど人権を軽んじた不当な拘束と隔離を強制した。

ぽんこつマンがまだタイにいた3月31日までは、ラオスやカンボジア、ミャンマー、ベトナム 、マレーシア、シンガポール、フィリピン、香港、中国の若い女の子がバンコクにいて、TINDERやWeChatなどで買春をしていたが、彼女たちが母国に帰ってもまともな仕事がないことを彼女たちはよく知っているから、そのままタイに不法滞在を続けているものも多いはずだ。実際、1月頃ぽんこつマンが住むコンドに、ラオス出身というタイ語もあまりうまく話せないアニーと名乗る女を呼んだことがあったが、彼女は今もTINDERでバンコク在住と表示されて出てくる。

タイにはそのようにアンダーグラウンドの世界があり、買春、ドラッグ、不法就労が行われていると思われるが、その世界での食事や飲酒、ドラッグの回し吸引などでコロナ感染が拡大してもおかしくないのだ。彼らは1つの小さな部屋に数人で共同生活しているし、そこで体調を崩しても医者に行くことはなく、そこで死んでも誰もなんともしてくれない。タイ政府はそうゆう実態を知っていても知らんふりをして調査をすることもないだろうから、アンダーグラウンドでの感染は数字としてカウントされず、タイの刑務所に入って発症したことにより発表せざるを得なくなっただけで、国内感染者ゼロというこれまでの発表してきたメンツがあるから、今後もつける嘘はついて国民に根拠のない安心感を与え続けるだろう。

しかし、アンダーグラウンドの人間がタイの最下層が通う屋台や市場に行かないということは無く、そこで飛沫感染や接触感染が起こらないという保証はない。タイの最下層民も病院へ行くことは無く、重症化して死亡してもタイ政府がその死因をころなによるものでないと言いくるめればタイでの感染拡大を認めるまでにはさらに時間を要することになる。

タイの最下層が無症状感染した状態でソンテウやバスに乗っていればマスクさえしていれば飛沫感染はそこそこ防げるだろうが接触感染までは防げない。タイ政府がいかに感染情報を隠蔽しても、ある程度拡大してしまえばその状況をも隠蔽するのは不可能だろう。

タイの最下層から現在失業しているがかつては月給10000バーツ前後あった下層民へ、さらにその家族や友人に広がり、中間層と言われる月給20000バーツ前後の人に感染し彼らが病院で初めて診療するときには実は感染拡大は始まっていて、再び都市封鎖を行わなければならなくなる。そして隠蔽を指揮した人物が炙り出されて、学生や中間層の国民がデモを繰り返し、タイは本当に無政府状態に陥る可能性を孕んでいる。

現タイ政権は、相当な資金を要するタイ国民全体のコロナワクチンの調達を考えておらず、今も私腹を肥やす役人であふれているとぽんこつマンは考えている。何も大きな問題が国内にないときならいざ知らず、毎年、異常な気象変動や中国でのメコン川上流でのダム建設で東南アジアのメコン川流域国での大規模な干ばつや都市部でのゲリラ豪雨による浸水被害が多発するこの時代に、このコロナ禍でも私腹を肥やそうとあがくタイの役人のタカリ体質を考える時、近いうちに市民革命や暴動が起こっても致し方ないとさえポンコツマンは考えるのである。

国内感染ゼロという隠蔽まみれの情報を発表し、国境を封鎖し続けたい経済をさらに崩壊へ近づけるより、コロナウィルスがあることを受け入れ、いかに正しく暮らすかを国民に伝え、うまく経済活動を回すためにも、観光客も含めた多くの外国人の受け入れを早急に開始することを期待したいところである。

長期化するタイ鎖国状態を憂う。

現在のプラユット陸軍大将の軍事クーデター政権が、タイには富裕層しかいないかのような政策を取り続けていて、彼女のような庶民がうまく生きていくことができない状況が続いている。ぽんこつマンはタイ人ではないが、1日も早く外国人の入国を再開し、外国人の落とすお金を受け取れるようにして欲しいものだ。約6500万人というタイの総人口の内、最上流層約1%の人間がタイ資産の3分の2をいめると言われる国。月収5万バーツ以上の「上流層」は約247万人(3.8%、約100万人の「富裕層」を含む)で、月収2万バーツ以上の 「中流層」は約1046万人(約16.1%)と言われるタイで「金は富裕層だけで回す」といった国内政策がタイの中流層以下(全人口の96.2%)の生活水準をコロナ前に復活させるとは思えない。2019年の訪タイ外国人数は約4000万人と言われ、タイ人口の60%以上にも上る。彼らがタイに来てタイの中間層以上の消費金額をタイで消費していたことや、彼らの一部がさらにタイ人女性の生活を支えるための送金をしている事実を考えると、そのほとんどが消えてしまっている今の状態が続くことは中間層以下がますます収入を得る手段を奪うとしか思えないのはぽんこつマンだけではないだろう。

2020年9月1日現在も、タイ政府が認めた特別便だけしかタイに入国する手段がない状態で、今後も無期限でこの鎖国状態を維持するとのタイ政府民間航空局の声明が解除されてはいない。またその特別便に乗るための条件で、出発前72時間以内のPCR検査のコロナ陰性証明書、FIT to FLY 健康証明書、コロナ感染症に罹患した場合も保障すると明記がある10万米ドル以上の医療保険契約証明書の保持が搭乗条件にあり、対入国時の72時間以内での コロナ陰性証明がない場合は、タイ到着時の新たな有料PCR検査での陰性確認が必要となっている。また入国後の2回のPCR検査を含む15泊16日の隔離施設での隔離も必須となっている。

タイ政府保健省は、2020年8月30日現在で国内感染者ゼロ継続日数97日と発表しているが、出発国でのPCR検査でも、タイ到着後の最初のPCR検査でも陰性であれば、国内感染ゼロが続いているタイで感染するリスクはゼロと言って良いはずだ。それなのにタイ政府の入国条件に未だにコロナ感染症に罹患した場合も保障すると明記がある10万米ドル以上の医療保険契約証明書が必要なのかもわからないし、タイ政府保健省の国内感染者ゼロの連続日数更新の情報(タイ国内にはすでにコロナウィルスは、現在病院で治療中の患者以外では完全に存在せず)封じ込めに成功しているとしている事と明らかに矛盾した対応だ。

ヨーロッパ諸国やアメリカをはじめ未だに多くの市中感染が続く国でも、経済を回す動きが加速していて、ヨーロッパの多くの国では7月からすでに日本からの入国が可能になっている。すでにワクチン開発も最終段階の治験に入り、タイの富裕層がワクチンを摂取できる日は近いと言える。

世界のほとんどの国がコロナウィルスを完全に封じ込める政策からコロナウィルスと共存する社会構築へ舵を切っているにもかかわらず、タイは未だに国内感染者ゼロの呪縛に縛られ以上にコロナウィルスを拒絶する方針を変えていない。

タイへの入国希望者に10万米ドルのコロナ感染症に罹患した場合も保障すると明記がある10万米ドル以上の医療保険契約証明書があれば、出国前72時間以内ののPCR検査で陰性が確認され入国後7日後のPCR検査で陰性であれば、その入国者がコロナウィルスに感染している確率は、タイで食中毒に見舞われたり交通事故に遭う確率より低いのではと思う。

コロナウィルス感染症を懸念して鎖国政策を継続するより交通事故や食中毒、インフルエンザ、エボラ出血熱、マラリヤ、狂犬病での死亡リスクを回避する政策を優先する方が、タイ国民の生命や財産を守る事になるとぽんこつマンは感じる。

完全に硬直化しコロナウィルスに対する異常なまでの忌避政策を改めて早急に見直して、コロナ前のように多くの外国人を受け入れて来た姿にタイがいち早く戻ることを、祈らずにはいられない。

COVID-19パンデミックはアジアをどう変えるのか?

中国武漢から始まったCOVID-19は、タイに於いては3月中旬までは中国人の訪タイが無くなったくらいで、日本人のタイガールホッピング、タイゴルフ、ナイトライフにはなんの不自由も無かった。

ところが2020年3月18日、タイ政府がコロナ対策としてバー、ナイトクラブ、カラオケ、マッサージ、マッサージパーラー、映画館などの営業禁止を発表して景色は大きく変わった。タニヤ、ナナ界隈、アソーク界隈、トンロー・エカマイ界隈を始め、バーやカラオケ、マッサージなどで働いていた女の子たちは全て職を失い、彼女達のほとんどは生活困窮者になった。例えばバンコク出身の女の子は、1日100バーツ生活を過ごすことも厳しくなった。3月21日だったと思うが、デパートやレストラン、カフェも食事デリバリーを除いて営業禁止となりタイ政府バンコク都をロックダウン。これまで多くの客筋だった中国人、日本人、台湾人、韓国人、欧米人の多くが出身国に帰国を決断し、多くのタイ地方出身は実家のある田舎へ移動した。

ぽんこつマンも3月21日にバンコクを離れチェンマイに退避したが、3月31日にタイを離れ日本に帰国した。4月1日から2週間の自宅待機を終え、今日は5月1日。タイは3月に発出した非常事態宣言を5月一杯まで再々延長し、日本でも同様に延長が議論されている。タイ政府の民間航空局は、5月一杯の貨物と人道支援以外の国際線飛行許可を取消ししている。6月以降万が一飛行許可が下りたとしても、航空会社に対しタイへ渡航する者にコロナ陰性証明書と10万米ドル以上の疾病保険の付保証明の提示を求め、提示出来ない者への搭乗券発券は行わないように求めている。

この状況が続けば、コロナ陰性証明など発行しない姿勢の日本人は、タイへの渡航は、国際線飛行禁止解除となった後も外交官、あるいはタイ政府から特別な許可を得た者以外は不可能となる。

ぽんこつマンはこれまでも何人かの中国系コールガールをオーストラリア、ニュージーランド、シンガポールで相手にしたが、どの娘も性格がキツく好きには慣れなかった。

今回のコロナ騒ぎで、ますます中国人・中国製品への嫌悪が増しそうだ。

ぽんこつマンもまだまだオトコ

2019年7月にTinderで知り合った日本語勉強中のタイの女の子が、自分の学費?を稼ぐために2019年11月まで働いていたタニヤの某カラオケクラブを突然辞めて、スクンビット23のヤングプレイスというビルにある店で働きはじめた。

※2020年3月18日からのCOVID-19によるタイ政府の閣議決定による学校、映画館、バー、カラオケ、ナイトクラブ (ディスコ)、MP、タイマッサージ等の営業停止命令により、廃業を決定した模様です。

彼女はBTSチョンノンシー駅近くにある有名日本語学校で終日コースで勉強していると言っている。日本語を習いはじめたきっかけは聞いていないが、日本人男性が毎夜集まるタニアで8年前くらいから働きはじめ、そのアルバイト先の一人の客を好きになったことが理由ではないかとぽんこつマンは考えている。彼女と最初にあったとき、小泉進次郎議員の妻となった女性と似た顔立ちにすっかりやられてしまった。彼女のLINEには今でも1000人以上の日本人男性の友達がいて、ぽんこつマンも含めそのうちの数人は、彼女に頻繁にアプローチしているらしい。肌の色が白く声や仕草もかわいい彼女を好きになる日本人は少なくないだろう。もちろん鼻や目蓋などのプチ整形はしているらしいが、元がわからなくなるほどの整形ではない。


彼女が今アルバイトをしている店は、日本人のキャストがメインで、タイ人女性も日本語ができないと働けない。彼女の日本語はまだまだ完璧には程遠く、タイ語の単語がしばしば入ってくる。タイ語を少し話せるぽんこつマンにはそのくらいの方が心地いいのだが、その店の方針として、常連客も飛び込みの一元客も日本人のキャストを指名することも多く、タイ人のキャストを店側がわざわざ紹介することは少ない様だ。料金は、ボトルキープがある客(メンバー)は、1時間1200バーツ、ボトルをキープしない客(ビジター)は1500バーツ、レディースドリンクは1杯,250バーツ、レディーステキーラは400バーツ、それ以外に指名料が時間単位で請求される。カラオケはないため、女の子と話をすることを楽しめないと実につまらないことになる。タニヤにあるカラオケクラブの様に、女の子が番号札をつけてもいない。キャストとして働く女の子には月1回の同伴出勤と指名獲得の義務があるらしいが、同伴出勤の回数が多くなればその月もらえる給料もアップするシステムの様である。日本語学校の学費が3ヶ月で42,000バーツ(一月あたり14,000バーツ)部屋の家賃が7000バーツとしてメイクアップや美容院の費用を月10,000バーツ、その他食費などに月6000バーツと考えると一月50,000バーツくらい稼がないとやっていけないはずだ。
ぽんこつマンは、彼女を日々満足させられる様なお金も無いから、月に1、2度飯を食べる程度。ただ、今のところ彼女ほど魅力に感じる女の子に出会ったことはない。次の日曜日に焼肉に誘ったが、色良い返事は返ってこない。そろそろ夜の遊び場をもう一度タニヤに戻して新しく可愛い女の子を探しに行くとするかな。

クルンテープと言う名の魔都①ソイカウボーイ

バンコクの正式名称は、「クルンテープ・マハーナコーンアモーラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロックポップ・ノッパラットラーチャタニーブリロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターンアモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシット」ととてつもなく長い。タイ人ですら完璧に全てを言える人はそう多くなく、ほとんどのタイ人は、最初のクルンテープをバンコクの呼称として頻繁に使う。バンコク の正式名称の日本語訳は、「インドがヴィシュヌカルマに命じてお作りになった、が権化としてお住みになる、多くの大宮殿を持ち、九宝のように楽しい王の都、最高・偉大な地、インド戦争のない平和な、インドの不滅の宝石のような、偉大な天使の都」となるらしいが、「クルンテープ」は「天使の都」と言う意味らしい。

確かに、バンコクは世界の訪問都市ランキングのここ数年1位に輝いているらしいが、世界中の旅行者を虜にするいちばんの理由は、世界のいかなる都市でも味わえることができない圧倒的な夜の街にあるのではないかとぽんこつマンは感じている。人間の持つ本能的欲求とされる食欲、性欲、睡眠欲の3つの内、最後の睡眠欲、眠りたいという衝動を抑えても前者の2つ、さらには特に性的快楽の追求を叶えてくれる都市は、この「クルンテープ」を凌ぐ街をぽんこつマンは知らない。

ぽんこつマンも今から20年ほど前に初めてバンコクに訪れたときはゴルフとタイ料理それにタイマッサージを目的にしてやってきたが、ゴルフでは、プレイヤーひとりに一人のキャディが専属でつく。しかも若いキャディーが多く、まるで19番ホールへの誘いを待っているかのように、Hな隠語もティーグランドや茶店での休憩中にキャディーが話かけてくる。ゴルフを終えて街に戻れば、至るところにMP(マッサージパーラー)の建物が見え、純粋なマッサージ屋を探して歩くと必ずと言っていいほど、若い女の子のマッサージ嬢に腕を絡められ店内に呼び込もうとする。食事を済ませ軽く一杯と思って夜の街に繰り出せば、路上には多くの娼婦があふれ、バーにいるウエイトレスにも番号札がついていて、店に一定の金額を支払えば連れ出し可能のシステムがある。それまでハワイ、タヒチ、ロス、サンフランシスコ、ニューヨーク、ラスベガス、パリ、モナコ、シドニー、香港、マカオ、オークランドなどを旅してきたが、これまで経験したことのない圧倒的なカルチャーショックを受けたものだ。

日本人に馴染みのあるバンコクの夜の歓楽街は、パッポン、タニヤ、ナナプラザ、ソイカウボーイとあるが、ぽんこつマンが若くて可愛い女の子(Ladyboyも含めて)が集まっているのはソイカウボーイと思っている。

BTSアソーク駅からもMRTスクンビット駅からも徒歩圏内。なんでもアメリカ人の元飛行士、T.G “Cowboy” Edwardsがこの地でバーを開いたことに由来するそうだが、都市開発を理由にそのうち撤去されるのではとの噂のある中、2017年1月にフジテレビ系列で放送された草彅剛主演の「嘘の戦争」というドラマの冒頭の舞台として登場する「ティラック(TiLak)」、

2階のフロアが透明になっていてノーパンで踊っている女の子を下の階から見上げることもできる「バカラ(Baccara)」

を始め、今も20軒以上のバーが営業している。(2021年8月1日現在はCovid-19の感染拡大により長期にわたってロックダウンが継続され、今後改めてゴーゴーバーなどの風俗営業がいつ再開されるかの目処は立っていない。)

クルンテープ、その魔都は今後も眠らないことを祈りたい。

バンコクのラブホテル

日本には今も至るところにあるラブホテルだが、ぽんこつマンの活動ベースであるバンコクには、ネオン煌くあの休憩時間が基本になっているスタイルの施設はないのかと探してみた。もちろんタニアやナナプラザ、ソイカウボーイの近隣には、カラオケ、バービア、ゴーゴーバーの女の子とショートタイムで遊ぶための部屋が有るのは知っていたが、SNSやナイトクラブで知り合った女の子と盛り上がった時に互いの住居ではない処で盛り上がれる場所が無いという心配は無用だった。โรงแรมม่านรูด(ローンレーム マーン ルート)とタイではいうらしいが、ローンレーム=ホテル、マーン=カーテン、ルート=引く、から想像するにカーテンが引かれたホテル➡︎ラブホテルと連想されるのだろう。

写真は、My Lady fashion Hotelというラブホテル。ラムカンヘンソイ53を5〜600メートルくらい入っていったところにあった。

お互いビール好きという事でSNSで知り合って初めて一緒に晩飯を食べた日に、彼女がセ🟣クスも好きという事がわかりそれ以降セフレとしてほぼ週一ベースで愉しむ関係になったが、このラブホテルは彼女との2回目に利用した部屋。

タクシーでホテルのエントランスから入ると、幾つもの部屋が並んでいて、その先にホテルのスタッフがタクシーを誘導して、写真の部屋の前までやって来た。タクシー代を支払って部屋に入る。この部屋は、3時間で470バーツだったかな。もちろん泊まりも可能だろうが、バスタオルはあるが、掛布もブランケットもないから、部屋の利用目的は日本のラブホテル以上に限定的だろう。ぽんこつマンが利用したバンコクのラブホテルは今のところここを含めて3つ。あと2つは、アイコンサイアムから近いところにあるIsara city hotel, ここはTinderで見つけた女の子(実はSao 2=Ladyboy)ならぬトランスジェンダーと一戦交えたホテル。

それとパッタナカーン通りにあるタワンデーンより少し東側にあるラブホテル(Chimpali)だ。

ここは、ソイカウボーイのバカラで昔仲良くなったイサーン娘(実は二人の子持ち)がイサーン料理を一緒に食べた後にパタナカンのタワンデーンで飲んでから彼女に引かれてウォークインしたホテルだ。

ブログ開設に四苦八苦

12月の初旬に全くのデジタル苦手なぽんこつマンがブログを始めてみようと独自ドメインの取得とサーバーレンタルをした。WPをインストールし.テーマを選んで試しにふたつの投稿をパソコンアップしたところで、携帯のWPアプリからのアクセスが上手くいかない、テーマのカスタマイズができないなど問題続出。選んだテーマが日本語環境にマッチしてないのかもと思い、そんなことなら、一旦レンタルサーバーからWPをアンインストールして、改めて再インストールし、テーマの選択は後回しで投稿テストしようともがきました。今日12月29日になって、ようやくWordPress.orgとWordPress.comが実は別もので、携帯からのアップも自分のサイトの管理画面からすれば良いのかもというところに辿り着きました。今回の投稿は、その意味でのテストになります。携帯アプリのWPから独自ドメインのサイトを紐付けたつもりですが、なんだか表示やアップロードが失敗する理由が分からない状況は、まだまだ解決していませんが、来年1月中には、デザインもある程度完成したブログにできるといいのだが、今のところお先真っ暗全くの手探りで進むしかない。

乾季のパユ

タイで雷と暴風雨の嵐のことをパユというらしいが、乾季にパユが来る事は珍しい。ポークソテーとラタトゥユでの夕食時に、突然の雷と暴風雨、チェンマイの家があるエリアのトランスに落雷が落ちたらしく、1時間以上の停電となった。日頃昼も夜も明るい所で生活しているので、全くの暗闇は久々の経験。ロウソク一本の揺れる微かな灯りは、返って新鮮な時間を味わう事ができた。電気が復活して家中がバッと明るくなったときのつまらない感覚は、便利になりすぎた事が人の幸福と必ずしもつながっているわけではないことを感じさせた。